Coolier - 新生・東方創想話

嘘つき小町と四季映姫

2014/11/28 01:15:11
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「小町っ!あなたという人はっ!」

 今日も三途の川の奥にある裁判所では、閻魔の四季映姫による怒号が鳴り響く。
 机に両手を叩きつけたまま、憤懣やるかたないという表情で、目の前の小野塚小町を睨みつける。
 長身の小町は、何処となくヘラヘラしていて、それがまた映姫の癇に障るのだった。
「いやいや、すみません映姫さま」
「……とてもそう思っているとは思えませんがね。それで?今日はどうして遅刻したのですか?」
 ん~、と唸って、小町はひらめいたように笑って答えた。
「実はですね、家は早く出ていたんですよ。でもですね、ここに来る途中に、蜘蛛の巣に引っかかっていた婆さんが居ましてですね。それを助けていたら遅刻したんですよ」
 あまりといえばあまりな言い訳に、映姫は言葉を失った。小町はニコニコしながらこちらを見ている。さあどうだ、と大きな胸を大きく張って。
「……こ」
「こ?」
 にやつきつつ、小町は自分より頭一つ分小さな映姫を覗き込んだ。
「小町の馬鹿っ!」
 映姫はそういうのが精いっぱいだった。

 結局、今日はあまり仕事が手に着かなかった。イライラしていたのが大体の原因だが、なぜか調子が出なかったのだ。
 これも小町の所為だ。映姫はそう思いつつ、上司に提出する報告書を書き始める。
 不思議な事に、小町は頻繁にサボるくせして、ノルマの達成だけはきちんとしている。十を求めれば八がかえって来るというか、最低限のギリギリの手抜きをするのだ。要領がいいというのは、謹厳実直を旨とする映姫からしても羨ましい長所だった。
 無論真似したいかといわれても、それは無理な事だったが。
「全く……出来るなら、キッチリとやってほしいものです」
 一度そのように小町に伝えた時は、またもにこやかにこう言われたものだ。
―――だって映姫様、ノルマを達成し続けたら今度はもっと、ってなるじゃないですか。
唖然としたが確かにそうだ。ただこうも確信犯的に手を抜く小町を見ると、何となくイライラするのも確かである。
「さて、今日はこれで上がりですね。帰りますか」
 基本的に自分以外は裁判を受ける亡霊しか来ないせいで、映姫の独り言は癖のようなものになってしまっている。職業病だな、と皮肉に思うが、仕方がない。
 裁判所の自分の部屋を出て、出口に向かう。すると賑やかな笑い声が聞こえてきた。
 小町だ。一際背の高い彼女の周りには、同僚であろう死神の姿が見えた。賑やかに笑いながら、紙幣をひらひらさせている。大方賭けか何かをして、勝ったから飲みにでも行くのだろう。
 映姫の姿を確認したのだろう。小町は会釈程度の礼をした。映姫もそれにこたえて、出口に急いだ。
 不意に後ろを向くと、小町はまた賑やかな輪の中心になっていた。

 家に帰る途中、何故だか映姫の心はモヤモヤしていた。なぜだろう?何か気になることでもあったのだろうか?そんな自問自答を続けていると、いつの間にか家に着いていた。
 映姫の家は三途の川の上流にある。結構な邸宅だが、一人で使うには無駄なスペースが多い。結局持て余してしまうので、お盆など忙しい時は裁判所で適当に寝てしまうのだった。
 家に入り、翌日の裁判の調べ物などを始めようという時になっても、モヤモヤは晴れることが無かった。
「………」
 気味の悪い感触だった。

 翌日、悶々とした気分が晴れぬまま裁判所に向かった映姫は、また遅刻していた小町に対して溜息で返答した。
「………」
「……何ですか、その眼は」
「あ、いや、珍しいな。なんて」
「………分かっているなら、改善しなさい」
 それだけ言うと、映姫は小町を部屋から出して仕事を始めた。首を傾げながら、小町は部屋を出ていった。
 
 嘘を吐くことが、ずっと嫌いだった。映姫は今まで嘘だけはつかないようにしてきた。自分自身が間違ったことをしていないと自信を持ってきたはずだった。
 それがどうだ。嘘のつけない自分は全く面倒くさがれる煙たい存在になり、嘘の上手い小町は人気者だ。性分なのかもしれないし、魅力的な姐御肌である小町の真似をしたところで堅物の自分には合わないだろうとは思う。
「……映姫様?」
 いきなり声をかけられて、はっとした。小町がすぐそこに居た。裁判待ちの亡霊を連れてきたのだろう。
「……失礼しました。行っていいですよ」
「いやいや、今日はもう終わりですから」
「そうですか」
 小町はドアの傍らで立っていた。暇潰しに裁判を見るつもりなのか。
 映姫はほうっておくことにした。相手にしたって、どうせにやつきながらふざけた事をいってうやむやにしてしまうのだろう。
 資料を見て、目の前でビクついている亡霊を見やる。この亡者は生前、政治家だったらしい。口先三寸で民衆の人気を勝ち取ったが、嘘にまみれた彼はその口先に任せるがままに墓穴に向かった。
「………あなたは、嘘によって民衆をたぶらかしました。その罪は、重いものです」
 そう前置きして、映姫はつづけた。
「が、嘘とはいえ、民衆にあなたが望まれたのも確かです。よって人道への転生が妥当でしょう。以上」
 小町が慌てたような顔をしたのが見えた。

「どうしたんです、映姫様」
 追いかけてきた小町を、胡乱な目で映姫は見返した。
「どうした、とは?」
「いや、さっきの裁判ですよ。映姫様にしてはおかしいと思いまして」
「……あなたに私がおかしいかとか言われたくないですね」
 素っ気なくそう言って、映姫は出口に行く。小町がついてきていた。
「何です?」
「いえ、その、一緒に帰りません?いい店あったんですよ、どうですか?」
 ほお、と思う。小町からの誘いは、珍しくはないがそう頻繁にあることではない。映姫自身そう酒に強いという訳でなかったこともあったし、何より、一応映姫は小町の上司である。誘いやすい相手とは言えない。
(たまには飲むのも悪くないかもしれませんね)
 そう考えて、映姫は心の中で首を振った。何を考えているのだ。と思い直す。
 どうせこうやって誘っている彼女だって、裏では堅物の映姫を馬鹿にしているだろう。   
見下ろして顔を崩している小町だが、この顔がいつ嘲笑に変わってしまうのか、と考えると、映姫は。
「……!ご、ごめんなさいっ!し、失礼っ!」
 胃が跳ねまわり、食道から酸っぱいものがせりあがってくる。慌てて厠に向かう。横目でびっくりしたような顔をした小町が見えた。
 厠の個室に入って、映姫はすっかり酸っぱくなった口内から、せりあがってきたものをぶちまけた。
 それだけで終わらず、次々せりあがってくるものを、吐き出していく。目からは涙が、鼻からは鼻水が流れてくる。それでも、胃の中身が全部出ても、今度は胃酸が出てくる。
 何故だ。小町の事を考えただけで、何故こんなに、胃がむかつくのだ。
 すっかり酸っぱいにおいが充満した個室から出て、洗面台で口を濯ぐ。気分は最悪だが、それでもさっきよりは幾分マシになった。
「はっ……は」
 喉がさび付いたようにイガイガしている。胃酸でひりついた喉が痛い。
 顔を上げて目の前の鏡を見た。
 酷い顔だ。どうしようもなく。
「小町……」
 それだけ呟いて、映姫は顔を洗った。そうすれば、この酷い顔がなくなってくれるだろうと思った。


 翌日、映姫は体調不良を訴えて休み、そしてその翌日に裁判所に出た。
 小町は部屋で待っていてくれていた。心配そうに、映姫の顔を覗いた。
「御心配、おかけしまして……もう大丈夫、ですから」
「あの……映姫様。ここはドーンと休暇取っちゃったら如何ですか?」
 不安そうに、小町は言った。心配、してくれているのだろう。少なくとも今は。
「いえ。それよりおとといはすみませんでしたね。あんなのを見たら食欲も失せてしまったでしょう」
「いやあ、でも心配しましたよ。ま、とりあえずあたいは戻ります」
 そう言って部屋から出た後、少しドアを開けて頭だけ出して眉間にしわを寄せた小町が口を開いた。
「無理しないでくださいよ」
「……善処します」
 それだけ言って、映姫は執務を始めた。
 傍らにあった手鏡を見た。昨日よりましとはいえクマが酷い。
「これは……小町が心配するのも納得ですね」
 自分で妙に納得する。こんな顔で、まともな面だと小町が思うわけない。彼女だって、毎度毎度三途の川の船頭として数多の顔を見てきたのだ。顔色のよし悪しを判断するのに長けているのだろう。
「何故なのでしょう……」
 やはり医者にでもかかるべきだろうか。

「特に悪いとこは無いですね。まあストレスの溜まりやすい仕事ですから、何かとこんな事もあるでしょ。お薬出しときます。あと紹介状を書きますから専門医の診断も受けてくださいね」
 仕事終わりに行った医務室で、簡単な触診と診断を受けて、適当な訳の分からない薬を出された。この薬に何の意味があるのか分からないが、この気味の悪い体調不良が少しでも良くなってくれるなら頼りたい。
「しかし適当な医者ですね」
 裁判所かかりつけの女医者は趣味が悪いと専らの噂だが、それも納得である。噂では媚薬づくりに御熱心との事だが、多分な時間の浪費であろう。
「………うぷ」
 また胃から、内容物がせりあがってくる。本当に、何も悪くないというのだろうか。このじくじくとしたものが。
 映姫は慌てて薬を飲み込んだ。

 小町がにこやかに笑っている。
 にこやかに談笑し、映姫もにこやかだ。
「いやいや、それにしても……」
 そう言った小町の口角が、切れ込みが入ったように吊り上がる。
「あなたはずうっとひとりぼっちですね、映姫様」
 ぴしりと、映姫の顔が硬直する。
「随分とお悩みのようですねえ」
 嫌味混じりの声が聞こえてくる、映姫は首を振って、耳をふさいだ。
「気になさらないで良いでしょうさ。なんたってあなたは閻魔様、偉くてこわくて威厳がなくちゃ。ねねね、映姫様ぁ。あたいが羨ましいんですか?それとも嫉妬……?ややや、随分人間的な感情をお持ちですねえ」
 耳をすり抜けて、直接頭に響いてくる。小町の明け透けな声。
 五月蠅い、やめろ。大声を出しても、自分の声はちっとも響かない。
「ま、とっくにお気づきでしょうがね。どうすればいいのか、なんて。あーあ、映姫様。そろそろ……」
 口角を上げたままの小町が、思い切り両手を叩いた。

「映姫様?」
 目の前にあったのは、またしても小町の顔だ。さっきまでの弄ぶ顔をしておらず、心配するような、疑うような、そんな顔だ。
「あ、こ、小町?」
「へ?あ、はい。小町ですが」
 なんとも間抜けな問答だ。
 それにしてもさっきまでの一幕は何だったんだろう。さっきいたのは小町だ。そして今いるのも小町だ。談笑していたのも小町だ。
「随分、魘されていましたよ?変な夢でも見たんですか?」
 夢?
「……ええ、悪夢でした。飛び切りの」
「……やっぱり休んだ方がいいですって。ゆっくり寝るだけでも大分違いますよ」
「大丈夫です。しっかり寝ていますし、お医者様にも見てもらっていますから」
「あの変態姉ちゃんはあてになりませんって。皆かかりつけ医なんて有名無実だってこと知ってますし」
 心配、してくれているのだろう。痛いほど、それが分かる。なのに、小町と話しているだけで胃壁が削られているように落ち着かない。
 だんだん、小町の顔すら直視できなくなっている。その度、小町が覗き込んで、彼女の視線から逃げられなくなる、
「大丈夫ですから……小町は仕事してください」
「……そんな顔して言われても、説得力ないですよ」
 力なく、そう言って、小町は部屋から出ていった。
 椅子に背中を預ける。綿の入った椅子が、少しだけ映姫を慰めてくれた。
 自分は嘘をついているのだろうか? 
 不意にそんな感覚に襲われる。
 大丈夫、だって?常時胃酸の酸っぱさに悩んでいるのに?
 ゆっくり寝ている?明け方まで怖くて眠れないのに?
 映姫は慌てて首を振った。考えるな。大丈夫といったら大丈夫なのだ。胃酸の酸っぱさも、寝不足も。
 映姫は胸のポケットからピルケースを取り出した。

 見たくない顔が、笑っている。嘘つきの人気者。皆の中心軸になり、信望を集める部下だ。
 私は一体なんだ?彼女の何分の一の仕事をこなせている?彼女の運ぶ亡霊を裁く。悪いか良いか、どうすべきなのか。それを決めることと、彼女のようにまわりの空気を明るくさせること。どちらが大切で、重要なのだろう。
 最初こそ、映姫は自信をもって答えることが出来た。重要なのは私だと、胸を張って答える事ができた。
 今は揺らいでいる。むしろ私が閻魔などやるべきではなかったとすら感じているのだ。
「小町が、小町がやればいいのに」
 そんな言葉もするりと出てきてしまう。
 映姫はまたピルを飲む。ああ、無くなってしまった。医務室に行かなくては。
 遠くで皆と共に笑う小町が、映姫を確認する。
 横で笑っていた同僚に手を挙げて別れると、小町はつかつかと映姫の方に向かってきた。
 飲み下したピルが、せりあがりそうになるのをこらえる。目の前に来た小町は何処となく悲しそうな顔をしていた。何なのだ、その顔は。
 そんな顔するくらいなら来なければいいんだ。
「……やつれていますね」
「ほっといてください。何の用ですか、小町」
 ついつい突き放すような口調になってしまう。小町は眉間にしわを寄せるが、構うものか。
「用なんてありませんよ。それとも用がなけりゃあ話しかけてはならないなんて話は無いでしょうが」
「まあ、そうですが。それで何用ですか?」
「休んでください」
 冗談言わないでください―――と言おうとして、言葉が詰まる。
 長身の小町が、厳しい顔で見下ろす。有無を言わせない強い意志を感じる。そんな顔だ。
「……なぜ休まなくてはならないんですか。だいたい私が休んだら、滞る仕事があるでしょうが」
「あのね、映姫様。はっきり言いますよ。そんな顔で仕事をされたら気になって仕方ないんですよ。分かってます?映姫様の顔、凄いことになってますよ」
 凄いことになっている顔なんて毎日家の洗面台で拝んでいる。言われなくても分かっているのだ。だが、仕事を休むわけにもいかない。
 私が私であるためには仕事を続けるしかないのだ。幾ら苦しくてもしんどくても。
「……構いません。今に始まった事ではないのですから。それよりあなたも早く三途の川に戻りなさい」
「……ああ、もうっ。いい加減にしてください!」
 さっきまでのじゅんじゅんとした説得ではなかった。小町が映姫の胸倉を掴むと、足元がふらついた。いけないバランスが―――そこまで考えて、映姫は床に頭を打ち付けていた。

 天井が目に入る。綺麗な白桃色の天井と、蛍光灯の光が急に目に入ったせいか目が痛い。
 映姫は、ぼうっとしていた。思考が働かない。
映姫の胸倉を掴んだ小町が、バランスを崩した映姫につられて転んでしまい、その下敷きになった映姫が気絶した。
 そういう訳だ。それだけは分かっていた。だがそれ以上は頭がおっつかない。取りあえず体は起こしたがそれをしただけでも、疲れた。
「……」
 服は白の患者服だった。ポケットをまさぐる。ピルケースが、ない。
「……っ!」
 怖い、怖い。背筋に冷たい汗が伝って落ちていく。
「お、起きた……って何してんの?」
 かかりつけ医だった。白衣に手を突っ込んで、咥え煙草だった。映姫の慌てぶりをみて、戸惑っている。
「あああ、あのっ、下さい!」
「く、下さいって、何をですか?」
「あれ、あの、あの、この間処方してくれた薬ですっ!」
 戸惑っているかかりつけ医の襟を掴む。
「い、いや。急に投薬量増やす訳にはいきませんし」
「それでもいいんです。あれは効くんですよ!」
「お、お、おち、落ち着いてっ!」
 かかりつけ医が、無理やりベッドに押し付けるように映姫を座らせる。肩で息をしていた。
「……わかりました。だから落ち着いて待っててください。良い子にしてなきゃあげませんよ」
「わかりましたから早く!」
 気が急く。早く、早く。
 かかりつけ医は少し席を外しただけですぐに戻ってきた。
 差し出されたピルのシートをぶんどって、映姫はそこから出したピルを飲み込んだ。
「あああ。映姫様。その薬はあんまり飲み過ぎないでくださいよ。食後に一回、一日三錠でいいんですから」
「……ふん」
「あと映姫様」
 ピルを飲み下して、一息ついた映姫にかかりつけ医が厳しい視線を投げかけている。長い髪をポニーテールにしているかかりつけ医は、髪が揺れていて何処となく馬の尻尾を連想させる。
「あなたまだ専門医のとこ行ってないでしょう。紹介先の医者に聞いたんですよ。まだ来てないって」
「ここのところ忙しいから……行く暇ないんです」
「作ればいいじゃないですか。こまっちゃんも嘆いていましたよ。映姫様が休んでくれないからこっちも休めない、ってね」
 知った事か、仕事仕事で忙しいのは確かだし、自分の身体が持っているという以上大丈夫なのだ。大丈夫な以上、嘘はついていない。
「まあ?私の身体じゃないし?あなたがしんどいのがずぅーっと続いていてもいいなんて言うなら話は別ですがね。なんですか、ドM     ってやつですか」
「違います!」
 怒鳴り声にびっくりしたのか、かかりつけ医が目を見開いていた。
「ほっといて下さいよ。自分の事は自分で出来ます。子供じゃないんだから」
「はっ。そーですか。薬に頼っている時点で出来てないでしょうが。偉そうなことを言うのは目のクマと、ピル依存を無くしてからにして下さいよ」
 辛辣な一言に耳を貸さず、映姫はベッドに戻ると掛け布団を頭からかぶった。
「言っときますがねえ!見て見ぬふりをしていたら、後々もっとひどいことになりますからね!」
 捨て台詞のようにかかりつけ医がそういって仕切りのカーテンを閉めた。



 昼休みに食堂で昼食後の一服をしていた小町は、呼び出しをくらって医務室に向かっていた。どうにも最近直属の上司の様子がおかしい。多分その事についてだろう。
「おーい、来たぞ」
 ノックもせずに、小町は部屋に入った。
 かかりつけ医が、不貞腐れたように座って煙草を咥えていた。どうでもいいが、医者のくせして煙草を吸うあたり、医者の不養生という感じがした。
「……ああ、こりゃどうも」
「なんだなんだ。不貞腐れた面して」
 小町が勝手にコロ付の椅子に座る。背もたれがないがそこまで苦ではない。
 かかりつけ医が、灰皿に煙草を擦り付けて小町の方に向きなおる。
「お前さんの上司は随分あれだね。えらいことになってるね」
「……だねえ」
 それについては同意するしかない。化粧で誤魔化しているとはいえ、顔色が悪いことが簡単に分かる。困った事は本人がそれを認めたがらないのだ。
「さっき半狂乱になって私の出した薬を欲しがっていたよ。どっちにしろ、このままの状態が続くのは良くないからなあ。そっちの方からもフォローしてくんない?」
「フォロー……ねえ」
 はっきり言って最近の映姫の様子は異常だ。今までは無理のない計画で裁判をこなしていたのに、最近では残業を希望して行っていると聞く。
 そのうえ、映姫はだんだんと小町を遠ざけたがっているように感じるのだ。前まではまだ付き合いで食事を共にすることもあったが最近は没交渉。近づいて話そうとしても目を合わせようともしない。
「どうしろってのさ?あたいに」
「この際、ああしろこうしろとは言わないよ。ただ出来る限り気をつけてほしいの。朝挨拶に行ったら首吊っていたなんて事になったら笑えないでしょう?」
「おおう……そりゃあ」
 そんな様を想像しただけで気分が悪くなってくる。なるほど、確かに笑えないどころか胸糞悪い。
「だいたいあんたの薬のせいなんじゃないかい?藪医者だもんな、あんた」
「言ってくれるじゃないのさ。あんたの食事にクスリ混ぜるよ、サボり魔」
「おー怖。でもさ、実際あんたの診断受けてこっち、映姫様の塩梅が悪くなったわけだからさ。なんか盛ったんじゃないかって邪推はしちまうのも仕方ないだろう?」
「大丈夫、あれはきっちり市販されている奴だから。今日渡したのはラムネ菓子だし」
「するってぇと、何かい?映姫様はラムネをありがたがって飲んだわけ?」
「まー、思い込みの力ってのは何気に馬鹿に出来んもんよねー。てなわけで、くれぐれもよろしく。ハッキリ言って精神的な疲れとかは門外漢だからとっとと専門医のところに行ってほしいんだよね」
 サバサバとした口調でかかりつけ医が言う。本人からしてみれば畑違いの分野をこねくり回してしまうより専門的な知識を持つ医者に任せてしまいたいのだろう。
「案外医者って冷たいね」
「蕎麦屋がビーフンを出す訳にも行かないでしょうが」
「ああ、そーいうね……」
 それだけ言うと、小町は溜息を吐いた。

 
 また、小町がテラステーブルで頬杖をついている。いつものような朗らかさのない笑み。片目を細め、もう片方で笑みを投げかける様は、まるで映姫を馬鹿にしているようにしか見えない。
「おや、今日もお会いしましたね。これで何日連続ですかねえ」
「……」
 医者にかかって以来、ずっとだ。
「夢の中まで悩まされたくない?あははは。それは無理ってもんですよ」
「……なぜ貴女は、いつも夢の中に居る?」
「あら?珍しいですね、そんな口調。まあ夢くらいキャラを変えるのも面白いでしょ」
「答えろ」
 白い床を靴で打ち鳴らす。イライラしている映姫を、小町は面白そうに眺める。
「何故いるか?それはあなたがここにあたいを求めているからですよ。そしてあなたはあたいを求め続けている」
「そんな事」
「無いと言えます?ずうっと心のどこかにあたいの事を置いているのに?」
「違う!」
 目を細めて口角を上げた小町が立ち上がり、映姫の目の前に立つ。
「閻魔の映姫様でも、嘘を吐くんですね」
 足元が崩れたようだった。まともに立っていられない。足がグラグラと揺れ、へたり込みそうになるのを懸命に堪える。
「ほーほー、こりゃあ大変だ。まさか嘘つきが、罪人を裁くだなんて」
「ち、違う……そんな」
 耳を抑え、下を向いて小町を見えないようにする。
「違う?そうじゃない?お笑いですねえ、閻魔様」
 目の前に、小町の顔がある。短い悲鳴が口から漏れ、飛びのいて尻餅をついてしまう。
「嘘をついたら、舌を抜かれて地獄逝き……嘘つきの映姫様は舌を抜かなきゃ、なりませんねえ」
 手が震える。小町がふんぞり返り、何処から出したか鎌を担いでいた。
「違う……違う、違う!わ、私は嘘つきなんかじゃない!」
「へえぇ。そーですか」
 小町が、嗤う。
 床が、黒くなっていた。気味の悪いほど白かった床が、今ではコールタールのように黒かった。
「自覚がないなら、たっぷり反省していただきましょうかね」
 床が、柔らかくなり、澱んでいく。
 映姫の手が沈み、腕まで沈む。絡みつく黒が、映姫をどんどん飲み込んでいく。
「こ、こまっ……小町っ」
 助けて、と言おうとして、小町が鎌の柄を差し出していることに気付いた。
「ほら、映姫様。助けてさしあげましょうか」
「小町っ……!」
「でも」
 差し出した柄を捕ろうとして、引かれる。
「嘘つきは助けてあげません。じゃあね」
 首元まで沈んだ映姫の額に、小町が柄を押し当てる。
「やっ、やめなさい!やめて!小町!がぼっ……」
 黒が、口に入る。柄に入る力に対抗できず、映姫の身体は黒に呑み込まれた。
 
 ぐっしょりと、病院着が汗ばんでいた。
 病室だった。ああ、よかった。本当に夢だったんだ。
「……笑えませんね」
 沈む寸前に見えた、小町の顔が忘れられない。薄笑いを浮かべ、手まで振っていた。
「……朝ですか」
 行かなければならない。何処へ?決まっている裁判所へだ。挨拶もないが、別に構わないだろう。患者の私がいいと思っているのだ。事後承諾だろうが、いいだろう。

一旦帰り、着替えてまた裁判所に帰る。
小町は、今日来なかった。書類を書きながら、久々にサバサバした気分で家に帰る。
酸っぱい気分ではない。サッパリしているといえばしているが、それは今朝の悪夢が酷かったからなのだろう。
「小町は……いませんでしたね」
 何となくほっとした。
 あんな悪夢をみて、小町にいつも通り対応できるほど、映姫は豪胆ではなかった。
 夜道を歩いていると、後ろから手をかけられた。

「ばあ」

 目を細めた笑いがそこにあった。
「な……なんでっ」
「夢の中にしかいない私がなんでここに?ははは」
 小町の、見透かした笑い。
「そもそも誰が、あれが夢のなかだと言ってたんですか?ここが夢じゃないとでも」
「嘘……」
「かもしれませんねえ。頬っぺた抓りましょうか」
 からかうように笑い、小町が映姫の肩に手を回す。
「さてさて、ここは現世?それとも虚栄?なんだと思います?」
「やめて……」
「逃げますか?それとも」
「やめて!」
 思い切り叫んだ。
 小町が、霧のようになり、消えた。
 何?あれは、何?
 意味が分からなくなり、映姫は悲鳴を上げて、走った。何がなにやらもう分からなかった。
 何とか家の前の、見覚えのある景色の前までくる。膝に手を置き、息を整え、顔を上げた。
 赤い髪をした女性が、門越しに家を覗き込んでいる。片手には酒瓶があった。
 小町だ。ラフな私服だったモノだから気づくのが遅れた。
 小町と目があった。細めではない。勝気な釣り目をしていた。
「あ、映姫様……」
 目が合ったとたん、映姫は逃げ出した。怖かった。あの目が、いつ細目に変わってしまうのか分からない。そもそもここは夢?それとも現世?
 何もかも分からなかった。何度もつまづいて転ぶ。それでも、構わない。小町から、逃れたかった。


 結局、映姫は裁判所の仮眠室で寝た。間違いなく、今は現世だろう。眠りから覚めたのだから。
 トイレに向かう。あまり意味はないかもしれないが、それでも身支度を整えておかなくてはならない。
 朝早くという事もあって、トイレに人はいなかった。有難い。最近の映姫の顔をみて、良い気分になる人はいないからだった。寝不足でクマの目立つ顔、そして食欲が湧かずこけた頬。手入れを忘れた髪。嫌なものだ。せめてでも枝毛になった髪を整え、顔を洗う。
「はあ……」
 下を向いて出てくるのは溜息ばかりだ。

「随分お悩みのようですねえ」
 
 鏡を見て、出そうになった悲鳴を押し殺す。鏡には映姫の不健康そうな顔ではなく、細目笑いの小町が鏡に映っていた。
「貴女が見て見ぬふりをしているうちにどんどん状況は悪くなるんですよォ」
 黙って映姫は首を振った。俯いて、小町の顔を見ないようにする。
「あたいが怖いですか?あははは」
「五月蠅い……っ!でしゃばるな!」
 前を向いた。不健康そうな映姫の顔が映っていた。
 大声を出したせいで、遠巻きにみている顔が周りにあった。かかりつけ医だった。
「……どうしたんですか?」
 怯えたような顔をしたかかりつけ医だったが、大声の主が映姫であることを認めると、少し距離を置いて問いかけていた。
「失礼。少し……取り乱しまして」
「誰と、話していたんですか?」
「自問自答です。つい口に出てしまったみたいで」
「そう、ですか……」
 それ以上、かかりつけ医は何も言わなかった。
 精神的に疲れているのだろうが、閻魔の仕事に休みはない。だいたい映姫が裁く罪人は三界に居場所無しのアウトローばかりだ。精度の高さを求められはしない。
「……暇ですね」
 だというのに、今日は罪人が来ない。船頭の怠慢だろうか。小町は何をやっているのだ。
「失礼します」
 ノックの音が響く。どうぞ、と返すと、扉が開いて小町が遠慮がちに、部屋を覗き込んだ。
「……今日は随分ノンビリしていますね。早く罪人を連れて来てくれないと、業務が滞ります。早くして下さい」
 返事もせず、小町は映姫の机の前に立つ。長身の彼女が目の前に立つと威圧感がある。
「何です。早くしなさい」
 何も話さない。イライラしてきた。
「早っ!がっ!」
 何が起こったか分からない。机の面が目の前にあった。胸倉を掴まれ、机の上に引き出される。間断なく首元に衝撃を受け、映姫は気絶した。


 チェック柄の床の上に、映姫は立っていた。夢、なのだろう。白黒のチェックの床は、少なくとも澱んでもいないし、泥のような頼りなさもない。
「ようこそ、映姫様。最近そちらへの出張ばかりで疲れましたよ。やっぱり迎える方が気楽ですねえ」
 細目の小町は、やはり居た。気楽そうに、テラステーブルの背もたれに寄り掛かってティーカップで何か飲んでいる。
「……何故、夢でもないのに」
「そりゃあ映姫様があたいを望むからでしょう。あたいだって分かりませんよ。あたいはあなたの反面教師みたいなもんでね」
「ふざけないで」
 冷たい映姫の言葉にも、小町は目を細めて嗤うだけだ。
「おお怖。そうそう凄まないでくださいよ。手が滑ってお茶が零れちゃいますよお」
 からかうようにけらけら嗤う。こいつは、こいつは一体何なのだ。
「ま、今回はそんなにゆっくりも出来ないんですよね。だから早めに覚ましてあげましょう」
 言うが早いが、小町が指を鳴らす。その瞬間、馬鹿でかいスナッブ音と共に、映姫は覚醒した。

「……何処でしょう?」
 目に入ったのは、最近見慣れた医務室の石造りの冷たい天井ではなく、竹づくりの目に優しい色だった。
「……っ」
 小町が居た。背もたれに深くもたれて眠っている。動悸が激しくなるが、寝息を聞いて映姫も落ち着くことが出来た。落ち着け、小町だ。私の部下の。何を驚くことがある。
 部屋のドアが開いた。長い銀髪をおさげにした女性が入ってくる。初めて見る顔だった。
「あら、起きてくれたのね」
 何処となく包容力のある、安心感を与えてくれる声だった。小町を起こさないようにそっと椅子に座り、小声で話しかけてくれる。
「初めまして、私は八意永琳と申します。貴女を見た医師の紹介先の薬師です。悪いんだけど少し場所を移しましょう。立てる?」
「は、はあ……」
 淀みのないテキパキとした口調だ。板の床に足を下ろす。小町と同じくらい、八意先生は背が高かった。
「あそこで済ませてもいいのだけれど。ほら、第三者が居るのはあまり好ましくないの。出来れば一対一で話した方がいいのよ。人の目って気になるでしょう?」
「そう、ですね」
 廊下を歩きつつ、退屈しない程度に八意先生は話をしてくれた。立て板に水という具合に話す彼女は、その話しぶりに違わない頭の良さと器量があるのだろう。
 とある部屋に入る。映姫はそれに続いた。
 中は、なるほど薬師というだけあって何かしらの草や木の実の匂いに満ちている。生薬のもとなのだろう。何となく落ち着く部屋だ。
「何か飲みながら話しましょう。温かいミルクとかいかが?」
「い、いえ、結構です。何から何まで、申し訳ありません」
「良いのよ、気にしなくても。じゃあ診察を始めますね」
 八意先生は、映姫を椅子に座らせ、その体面に座る。特に何も持ってはいない。かかりつけ医のようにカルテとか呼ばれるあの問診表も、ない。
「最近、何か気になること。それか変わった事はあるかしら?」
「夢を、よく見ます。一番親しい部下が、私を嗤う夢」
「その部下さんとの関係はどんな感じなの?」
「普通……」答えかけて、一つ加える。「…でした」
 怪訝な顔をした八意先生だが、構わず質問をつづけた。
 夢はどのように続くか。
 夢の中での部下と現実の部下は一緒か否か。
 何時ごろからこういう風になった自覚があったのか。
 その一つ一つに、映姫は答えた。スラスラと答えられたのは、質問の仕方が良かったからと、八意先生の手慣れた感じが良かったのだろう。
「そうですね……ちなみに現実での、一番の部下というのは」
「あそこで寝ていた子です」
「ああ、やっぱり……凄い心配していたわ。良い子ね、あの子」
 その良い子とやらに失神させられて無理やり連れてこられた、というのは言わない方がいいのだろう。
「ええ……少し嘘を吐く癖を直してくれればいいのですが」
 八意先生は、何かが引っかかったように手を組みなおした。
「貴女にとって、嘘とは?」
 映姫は答える。
「最大の罪です。虚を真と偽ることです」
「彼女は、罪を犯したと?」
「……そうではありません。ああ、もう……」
 頭を抱える。この感情を何といえば本当なのか。映姫には分からない。
「今の状況を軽く纏めてみましょう。嘘つきは罪。そして、部下の人は嘘つき。それなら彼女は罪を犯した、という事になるわね」
 違う、彼女は罪なんか犯してない。
「嘘、というのは」
 映姫は零した。
「錆のようなモノ、と教えられてきました。一度つけば、堅い信頼でもボロボロになると」
「彼女は?」
「信頼、しています。この上なく……どうしたんでしょう」
 目頭が熱くなる。何もかも分からなかった。分からない事がこんなにも悲しいなんて思ってなかった。俯くと服に涙がしみこんだ。
「一度、話し合ってみればいいんじゃないかしら。信頼しているんでしょう。それならあちらだって無下にはしないわよ」
 出来ない。出来ないのだ。怖い。満面の、裏表のない笑みが、いきなり細目に変わってしまうのでは、と考えてしまうのだ。
「先生」
 八意先生に、先に帰ると伝えた。涙はまだ出ていたが、構わなかった。怖いのだ。小町を見て、平常心でいられる自信がなかった。


 すんなりと帰宅許可は出た。問診が終われば案外あっさりだ。その際に、ぐっすりと熟睡すること。しっかりした生活リズムをとることを言われた。要は、自分が楽だと感じられる事が大切なことのようだ。
「楽、ですか……」
 寝れば、決まって悪夢。そのせいで削られる睡眠時間。寝不足から注意力散漫になって凡ミス連発。楽になれる要素がない。
 最近居つかなかった家に帰っても、何をしていいか分からない。寝間着に着替えて布団にくるまり、顔を枕にうずめる。
 いつまでそうしていただろう。
 ぼんやりとまどろんでいた映姫は、控えめな戸を叩く音で布団から這い出た。周りが暗い。つまりもう日が落ちた後なのだ。
「……こんな夜更けに、誰でしょう」
 寝間着の襦袢を、はだけないように整える。目が慣れるまで少しかかったが、転ばないように気をつけて廊下を歩いた。
「どちらです」
 誰何の声をかけると、戸を叩く音が止む。控えめな声が、戸の向こうから帰ってきた。
「小町です」
 心臓が跳ねた。まさかここはまた夢の――いや違う。夢じゃない。ここは現世だ。
「今、開けます」
 それでも、映姫は恐る恐る戸に手をかける。横開きの戸を、訝しむように少し間を開けた。
 小町は心配したように、その隙間を覗き込んで、映姫の目を見ていた。片手に一升瓶があった。
「夜分遅く、すみません。映姫様が一足先に帰ったってお医者が言ってましたんで。御様子を伺いに来ました……どうですか、この前約束したっきりですし、ここで一杯やりません。星熊様御推薦の大吟醸ですよ」
 最初は心配げな表情だったが、一升瓶を見せるときには喜色満面だった。どうやら苦労して仕入れてきたようだ。星熊といえば、地底の富豪である鬼の名前だ。酒好きで知られているうえに、豪放磊落な懐だと聞く。小町が自慢げに見せつけている酒も、恐らくは高価なものなのだろう。
「肴もそれなりにあります。ね、飲みましょうよ。お互い最近疲れ気味ですから酒で厄払いといきましょう。暑気払いならぬ酒気払いってね」
 つまらない冗談を言った後、こちらの反応を伺うような顔をする。心配、してくれていたのだろう。
 映姫は、戸に掛けた手を離せない。出来ることなら、踵を返して布団にもぐりこみたかった。
 それでもそうしないのは、ここで戸を閉めてしまえば、なぜか小町との縁も終わりになってしまうのではないだろうかという妙な考えが、頭に浮かんだからだ。
 震える手を抑えて、声を出した。裏返らなかった、はずだ。
「いいですね……入って下さい」
 戸を開けて、踵を返す。
 ちゃんと小町はついてきていてくれた。


「ま、御一献」
 客間において、行燈の灯りの下で小町が盃に酒を注ぐ。映姫はそれを景気よく飲み干した。小町は気楽な酒なのか、ぐい呑みで飲み干している。
 旨い。強い酒なのだが喉に抵抗することなく、サラリと入っていく。流石は酒豪の星熊の推薦した酒だ。
「美味しい、お酒ですね」
「ええ、何せコレもかかってますしね」
 映姫は人差し指と親指で輪を作って笑った。よほどの銭をつんだと見える。
 映姫は酌をされるがままにスルスルと飲んだ。調子のいい小町に連れられたというのもあるが、大分深酒だった。酒量の多さもさることながら酒精も高い。
 映姫は酒に強くも弱くもない。好きか嫌いかと言われれば普通と答える。その映姫にとって、この酒は自分を酔わすのに十分すぎた。
「あなたは良いですね……」
 酔ったせいで大分口が軽くなっている。自覚が無いとは思わないが、あやふやなものだ。
 小町が、怪訝な顔をした。構うものか、もういい加減嫌になった。逃げるのも、見て見ぬふりをするのも。酒精の勢いを借りたのも一つのきっかけだ。
「良いって……何がですか?」
「貴女がですよ。皆の中心で笑えて、冗談も言えて。嘘をついても許されて」
 濁流のように、自分の心中が口を通って流れ出ていく。
「さぞや私は滑稽でしょうね。真面目にやっても私は恨まれるだけ。貴女の目から見た私なんて口うるさいだけでしょう?」
「え、映姫様……?」
「もう嫌になりました。貴女を見ているとね、自分が酷くちっぽけに見えるんですよ。私はいつだって恨まれ役。あなたは人望の篤い死神。楽しいことでしょうね」
 心の中の酸っぱい何かが、気持ちよく吐き出されているのが分かる。止められない、止まらない。
 小町の顔が、だんだん見た事のないものになっていくのが分かる。困惑するような、嫌なものを見たような、そんな顔色。
「い、いやあ、あたいもそこまでではないですよ。結構口悪いし。というか映姫様。そろそろお酒をやめといた方が……」
「五月蠅い、注ぎなさい。早く、さっさと」
 止めようとする小町を振り切って、酌をさせる。渋々酒を注ぐ小町を見て、映姫は何処となく優越感を味わっていた。
「あなたを見ていて、私がどんな気分だったか分かりますか?情けないことですが、あなたに嫉妬していましたよ。中心で笑うあなたはとっても、とーっても魅力的でした。堅物の私ですらそう思うくらいね」
「は、はあ。ありがとうございます」
「ほら、次を早く。もっと呑みたいんです」
「映姫様。もうそこまでですよ。これじゃ呑んでるんだか呑まれてるんだかわかんないですよ」
「黙りなさい、いいから」
 そこまで言って、座っていられなくなった。目の前の小町が五人に分身する。
「あ、れ……小町だらけ……」


「気づきました?」
 布団の中で、映姫は痛む頭を抑えながら起き上った。すぐそばで、小町が器を持って座りよる。
「お水です。楽になりますよ」
「……ありがとうございます」
 昨日の事が断片的に思い出される。思わず顔が赤くなった。
(は、恥ずかしい。飲み過ぎたとはいえ、あんな赤裸々に……っ)
 横で小町が、口元に手を置きながら顔をくしゃくしゃにして笑っているのが見えた。思い出し笑いなのだろう。
「いやいや。映姫様にもあんな一面があったんですね。面白い物見れましたよ」
「っ…!思い出すな!忘れろっ!馬鹿っ!」
「いやですよーっだ」
(ああ、もう!これがばれたら小町の所為です!)
 ひとしきり笑った後、小町が安堵の表情を見せる。
「安心しました。心配していたんですよ。これでも」
 それは確かにそうだろう。思えば無理やり病院に連れていかれたり、半分サボりだろうが罪人を連れてくる数を制限したりと、彼女は出来る限り気を使ってくれていたのだ。
「あれは他言無用です、分かりましたね!」
「えー、可愛かったのに」
「可愛っ!?コホン……いいですね」
「へいへい。でもですね……」
 まだこの話が続くのかと思ったが、違った。小町の顔が真剣なモノに変わる。
「割とみんな感謝しているんですよ。ほら、船頭やる奴なんてチンピラじみた奴が多いじゃないですか、賭博好きだったり風俗狂いだとか碌な奴がいないでしょう」
 小町もその一員な気がする。よく賽振りの真似事をしているのを見る。
「自然、皆寂しいんですよ。だってだれも何も言ってくれないじゃないですか。皆言ってほしいんですよ、間違った事は間違っているって。で、そこで映姫様ですよ。口やかましく怒ってくれるっていうのは有難いものでして」
「別に……それは仕事でやっただけです」
 だれでもやれる。そんな事でしかない。
「仕事だからって、やれるものじゃないですよ。だいたいこんな事は部下に丸投げするのが普通です。だから映姫様はあたいたちの間では尊敬されてるんですよ」
「だから、って。私が具体的に何をしたという訳じゃないでしょう」
 小町は自分を指差した。
「あたいがまともになったのは映姫様のお蔭じゃないですか。知っているでしょう、あたいがさっき言ったチンピラ以上の阿婆擦れだったこと」
「で、でもそれはあなたが努力したからで……」
「……じゃあ、言わしてもらいますよ。恥ずかしいから一回しか言いませんよ」
 小町は姿勢を正した。映姫もそれにならう。
「まともになったのはですね……映姫様の傍で働きたかったからですよ。ほら、あたいがどんなにひどい事をしても映姫様は見捨てずに怒ってくれたじゃないですか。だからいつかこの恩返しが出来れば、と思いまして……でも実際あんまり上手く出来てなくて……そのおこがましいというかなんというか……」
 だんだん声が小さくなっていったが、小町はつづけた。
「だから、そのあたいは映姫様に感謝しているし、尊敬もしてますから。だからあんまり思い詰めないでください」
 目頭が熱くなった。映姫は顔を伏せて、見えないように涙を拭った。
 間違ってなかったんだ。私は。
 劣等感を感じなくても良かったんだ。
「ちょっ!?映姫様、大丈夫ですか?」
「……すみません」
「謝らなくても。わわ、映姫様?」
 心配して近づいた小町に、映姫は寄り掛かる。
「少しだけ……ダメですか」
「……いえ、構いませんよ」
 小町が映姫の頭を撫でる。久々に柔らかい笑顔が、映姫の顔に浮かんでいた。
かかりつけ医「あ、この薬抗鬱剤じゃなくて躁病患者用の薬だったわ」
映姫「絶対に許さない」



前作でコメントしていただいた方々、本当にありがとうございます。
前作の閲覧数がすっごく多くてびっくりしました。五作目をよろしくお願いします。
ぎゃわ
http://blog.livedoor.jp/hazimegyawa/
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コメント



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5.80名前が無い程度の能力削除
えーき様、それ自律神経失調症っすよ
落花流水のあとがきもそうですが、みょーに社会人的な独特の悩みをとりあげますね…
蕎麦屋がビーフンみたいなちょっとした軽口が良いっすね
深刻になりすぎない塩梅が好きです
6.80名前が無い程度の能力削除
超豆腐メンタル閻魔様
よく生きてこれた
7.80奇声を発する程度の能力削除
えーき様w