Coolier - 新生・東方創想話

アリス・マーガトロイドは断れない

2014/11/25 17:30:26
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 私……つまるところのアリス・マーガトロイドは、最近、数少ない文々。新聞の購読者の一員となった。
 これまでの購買層といえば、天狗……の中でもごく一部の物好き、あとは物好きを極めた道具屋くらいのものであると聞いているから、前例によって判断するならば私も物好きだということになるだろう。
 しかし例えば森近霖之助は人間と妖怪の狭間の存在で、だからこそ双方の視点の情報を集める効率的な手段として文々。新聞を用いているわけだ。私とて昔は人間だったのだから、人間と妖怪の狭間に浮かぶ存在だと形容することは無理なことではない。故に、それに則れば、文々。新聞を購読しようと思うことは、これも不思議なことではない。と、言えなくもない。
 ……まあ、つまり、これくらい訥々と長々と説明しなくてはならないほど、文々。新聞を購読するという行為は怪訝な目を向けられるに値する行為だということだ。それは、森近霖之助に対する周囲からの評価を思い出せば一目瞭然である。実際問題、私は文々。新聞を購読していることを誰にも知られたくないと思っている。もっとも、誰にも気付かれていないとは確実には言えないが。射命丸文は声が大きい。
 文々。新聞について、内容にまで言及してしまえば、意外にもそれなりの記事が揃っていたりする。ゴシップ記事から、結界に関する真面目な取材記事まで。しかし妖怪の書く記事である、人里の人間は喜んで読むわけがない。それが妖怪の生きる意味であり、妖怪とは人間に恐れられ嫌われて初めて存在価値を成す存在だ。百パーセントではないし、勿論例外を挙げてもキリがないが、人外と人間は概ねわかりあえないし、わかりあってはいけない。それが共存する幻想郷における人と妖の交わりだ。妖怪たちに目を向ければ、殆どが現在の情勢に興味を示さない。加えて、識字率もかなり低い。故に、誰も読まない。そう考えると、射命丸文は少しばかり可哀想かもしれなかった。
 私はそもそも文々。新聞を必要としていない。人里にたまに顔を出し、他の妖とも深いとは言えないにしても少しずつの親交がある。情報網は貧困というほどではないし、それでいて私は一人を好んでいて、いわば孤高を主義としている。更に力も弱いわけではなく、だからそもそも情報を集める必要性がない。特性をどれだけプロファイリングしたところで、私が新聞を読む理由となりそうなものは取り立てて見つからないのである。だから、私が読者となった原因は新聞ではなく射命丸文にあることになる。では、その文々。新聞を講読するに至った原因とは何なのか? 答えは簡単で、アリス・マーガトロイドは断れなかったのである。射命丸文は押しが強い。それだけの話である。
 さて、他人の敷地に土足で乗り込む射命丸文は、私にとって苦手な存在だ。もしも同じ何らかの組織に属していたとしたら、私は一度たりとも射命丸文に話しかけないだろう。自信を持って言い切ることができる。しかし、射命丸文の方はきっと私に歩み寄るだろう……その幻想郷最速とも言われる足取りで。
 ある日、射命丸文は私に購読を迫った。私にとっては別にいらない物なのだから、最初は勿論渋ったのだが……しかし射命丸文は全く引き下がらなかった。安くするだなどと言い、とにかく私の家の前に居座った。あまり他人に見られたい状況ではないから、私も諦観するしかなかった。十数分の問答の末、彼女はめでたく一人の顧客を手に入れることとなる。

「おはようございます! 清く正しい射命丸です! 朝刊のお届けですよ!」
 私が断れなかったその次の朝の卯の刻、私は騒音に吃驚して飛び上がった。さて今から起きて朝食の準備でもしようかというところへの来客であるから困惑の色は隠せなかったが、大人の対応のできる私は嘆息しながらも文々。新聞を受け取り、紅茶の準備をしてから徐に開いた。紅魔館の立食パーティー、霧の湖近くの怪物、人里の団子屋レポート、稗田阿求のコラム欄。取り敢えず一通り読んでみたが、これに対価を払う気にはなれない……それが率直な感想だった。悪くはない、新聞としての品質は概ね良いのであろう。これまでに新聞などとったことがないから言い切ることはできないが、けれど、そうだと思う。情報を求むる者は読んでおいて損はないだろう。しかし私には必要ない。自明である、契約する前からわかっていたことだ。しかし一月ごとに契約は更新されるものだと射命丸文が言っていたのを思い出すと、まあ、都会派なら付き合いもある程度は許容できようと、自分に言い聞かせながら紅茶を掻き混ぜた。
「いやはや、相変わらず優雅ですねえアリスさんは!」
 不意打ちに、二度目の硬直。危うく紅茶を吹き出しそうになったのを、すんでの所で堪えた。
「……帰ってなかったのね?」
「帰って欲しいかのような口振り……意外と冷たいんですね」
 苦の方に殆ど傾いた苦笑を浮かべながら問うと、射命丸文はあからさまに項垂れた。窓に映る顔から笑みが消えていて、私は取り繕おうと焦りながら手を振った。
「いやいや、そういうわけではないのだけれど……他の所に届けて来たりとかしなくていいわけ?」
「いやー、お恥ずかしながら読んでくれてる方なんて全くと言っていいほどにいないので、アリスさんで本日の新聞配りはお終いだったんですよ」
 照れ笑いする射命丸文。あまり笑いごとではないと思うのが普通であろうが、妖怪はそもそも商売をやっていない者が殆どであり、つまり彼らは稼ぐことなく生きることは容易いということである。故に幻想郷では、特に人里以外の場所においては、働くという概念が限りなく存在しない。射命丸文にしても、いざとなれば人間の子供でも攫って喰えばいいし、天狗の仲間に助け舟を出してもらうこともできるわけだから、新聞が売れなくても何か困ることはない。そういう意味では、彼女がジャーナリストを名乗り飛び回るのは趣味のようなものであった。私が人形を作りパチュリー・ノーレッジが本を読むように、悠々自適な生活における選択として、彼女はそれを選んだのだろう。長い人生……人ではないが、とにかく、打ち込めるものがなくては、張り合いがないというものだ。
 私の方とて、此処の妖怪の生き様は知っているし、そもそも自分も魔女という人外となり働くことをしていない身だから、射命丸文の台詞に突っ込みを入れることはなかった。そしてその場にいるのはあとは身も蓋もない言い方をすれば愚鈍で単純で御粗末な思考回路しか持たない人形だけだったので、誰も笑い事ではないと言った物はいなかったことになる。働いて成果を挙げなければならない。そんなことを思うのは、か弱く忙しい人間だけである。
「あらそう。でも朝食は一人分しか作らないわよ?」
「やっぱり冷たいんですね」
 射命丸文は、同じような台詞を口にしながら、しかし今度は笑っていた。
「だから御友人が少ないんじゃ……」
 唐突に胸に棘を突き刺された。礼儀も礼節もあったもんじゃあない。話には散々聞いていたし、何度か話したこともあるから知っていた。けれど、暫く関わってみれば、更に図々しく馴れ馴れしい。ほぼ初対面だというのに、よくもまあそんな無礼極まりない事が言えたものである。微かではあるが、怒りを覚えてしまった。
「孤高よ。人間強度が下がるじゃない」
「自分の意志で人間やめた方が何言ってるんですか」
 的確であった。
「それに、別に友人が全くいないわけじゃないわよ」
「それは残念、幻想郷最速を目指していたのに」
 そこまで言うと、射命丸文は地面からふわりと浮いた。突如として風が巻き起こり、自宅の窓枠が音を立てる。紅茶の水面に輪が揺らめくと、私は窓から外を覗き込んだ。
「それじゃあ私も朝食を摂ることにします、人里にいい蕎麦屋ができたんですよね。暇があれば是非一緒に行きましょう」
 風を切って、彼女は飛び去った。これからも私は、きっと断れない。それを自らも理解していたから、今日の朝食は少しだけ貧相になった。最早射命丸文と話すだけで、まだ朝だというのにどっと疲れた――これから月がまた無くなるまで、彼女と付き合わなくてはならないのか。憂鬱になりながら、そこまで考えて、ふと、思い出した。まだ寝間着で化粧もしていなかったことを。彼女とは、もう、二度と顔を合わせたくないと、明確に思った。

 二日目も三日目も、射命丸文は休まなかった。妖怪特有の底抜けの体力のもと、毎朝元気に情報と笑顔をお届けした。私の視点からは、朝の早くから来客があるというのだから、ただでさえ早い起床がさらに早まった。何しろ、化粧をし、着替え、優雅な出で立ちで迎える必要があるのだから。向こうはその用意周到さとプライドの高さに笑っていたが、別に、魔女にとって睡眠は不必要なものであるし、人間と違ってそれによる弊害は全くと言っていいほどないので、私はあまり気にしていない。むしろ、未だ睡眠の習慣を続けていることに関しては、同業者であるパチュリー・ノーレッジにからかわれている。何のためにお前は魔女になったのか、と。少なくとも寝る時間を惜しんだ訳ではない、と言っておきたい。
 四日目も五日目も新聞はそれなりにつまらないものであったし、射命丸文の来訪はそれなり以上に疲れる出来事であった。彼女は相変わらず馴れ馴れしく踏み込んでくるので、彼奴はパーソナルゾーンという言葉を知らないのかと呆れるばかりだ。きっと知らない。もうこの頃から、射命丸文は毎朝暫く居座るようになっていたのだから。作るべき朝食は二人分になったし、皿も二人分用意しなければならなかった……その仕事のうち、半分以上は人形が請け負っていたけれども。しかしゆっくりとした朝の時間を取れなくなった分、やはり心境は芳しくない。射命丸文の方は、ご満悦と言った風ににこにこと椅子に座っているけれども。何がそんなに嬉しいのか。よくわからなかったが、きっと、射命丸文は自分のことを友人だと思っているのだと、思った。友人関係とは、そういうものではなかろうかと。友人と呼んで恐らく差し支えない霧雨魔理沙も、騒々しく家に突っ込んで来ることは珍しくない。自分が人間関係に対して潔癖なところがあるのか、或いは慣れていないだけなのか……つまり、射命丸文の行動は、別におかしなことではないのだと、合理化はできた。流石に、射命丸文は馴れ馴れしい、距離感がおかしいという印象は間違いではないだろうが、友人でも何でもない他人の家に毎朝上がり込むことはしないだろうから、きっと射命丸文と私は友人なのだ……そして、そして、きっと友人とはそういうものなのだと思った。

「そういえばアリスさん、普段は何してるんです?」
 一週間と少しが過ぎた頃、射命丸文はいつもの如くなんでもない顔でさながら自宅のように私の家に上がり込むと、唐突に問うた。
「何って……それはあれかしら、取材」
 私が身構えるのを制止する射命丸文。大袈裟に右手をぶんぶんと顔の前で振り翳しては揺り動かし、続ける。
「違いますよ、世間話です。何も企んでないですよー」
 まあ、一週間だ。毎朝毎朝付き合わされていれば、おおよそわかる。射命丸文の性格は悪くない。悪戯に燃える子供っぽい精神は持っているが、対して悪意や敵意は全くないのだ。爛漫と言ってもいい。だからそういう点において、紅魔館の妹と重なるような気がした。だから、まだ完全な信用の元ではないが、答えることにした。
「……人形を作って、紅茶を飲んでるわ」
「寂しくないんですか?」
 射命丸文とは、こういう天狗である。ラグを零にして、最速で余計なことを言う。ついでに言うならば、別に寂しくはない。何のために人形遣いなんて異色な魔法使いをやっていると思っているのだ。
「別に、気が向いたら紅魔館とか人里とか幽香の畑とか行く所はあるし……」
 人里では月に数回ほど人形劇をしているし、人形の材料を取り扱う店の店員には良くさせてもらっている。紅魔館には魔法の研究をするために、特に図書館にはしょっちゅう行っている。風見幽香とは、単純に旧知の仲なので、たまに会って話をすることはある。人形を売って、それこそ自由を謳歌した生活である。
「んー……家にいて、例えばふと孤独を感じるとか……伴侶……世帯が欲しいとか、そういうのは、無いんですか?」
「無いわね」
 次はこちらが即座に返答する番だった。所謂独身女性の心の闇と呼ばれるような悲哀は、生憎持っていない。そういえば、恋と呼ばれるものは、人として生を受けてから魔女となってここに至るまで、一度もしたことがないかもしれなかった。けれど博麗霊夢もないだろうし、霧雨魔理沙は……まあ、別として、恋を経験したことがないというのは、取り立てて珍しいことでもなかろう。
「珍しいですね、どれくらいの期間生きてるかは、流石にマナーが悪いですから訊きませんけど……それなりに生きてればありますよ、そういうの」
 右手に持っているペンをくるりと一周させると、射命丸文は目を丸くした。
「じゃあ、貴女はそういうのに苛まれているわけ?」
「勿論」
 私としては、そちらの方が珍しいと思ったが。妖怪の世界においては、私は青二才である。実は相当年生きている射命丸文がそう言うなら、そうなのかもしれない。未だ、人間として生きていてもおかしくはない程度の年数しか生きていないのである。人間なら人生の半分も生きていないうちに願望に襲われるというのは、香霖堂で買った外界の本に書いてあった。私には無くても、もしかしたらレミリア・スカーレットや風見幽香は持っているのかもしれない。
「もうそれは本能的なものですよ。結婚して仕事やめて子供育てて……あるいはもう、殿方でなくても。人恋しいんですよね。恋愛して家族を持ちたい!」
 ばん、と机を叩いて。あまり聞きたくない価値観だった。私にはやはり理解できないが、構わず射命丸文は少しだけトーンと目線を落として言葉を続ける。
「あと、下世話な事情もありますし」
「全く聞きたくないし今言わなくてもいいでしょそれは」

 二十日以上が過ぎて、相も変わらず射命丸文は家に居座っていた。最早私の朝に彼女は恒例になりつつあって、それに慣れている自分の精神に軽い恐れすら覚えた。このままではいけないと漠然と不安を感じるが、しかしこれを打破する方法もわからず、なし崩し的に時間が過ぎて行くばかりであった。
「そういえば」
 昔私が作った手乗りサイズの哨戒天狗人形を下から覗き込みながら、射命丸文が何かを言い出した。
「今日の朝刊にも書いてあるんですけど、今夜、守矢神社で祭があるんですよ。どうです? 一緒に行きませんか?」
 今更繰り返す必要もないが、私、アリス・マーガトロイドは断れない。まあ、どちらにせよ、祭は嫌いではないし、周囲から断絶されるのも怖いのでそういう集まりには積極的に参加することにしている。それに、その祭の話は既に聞いていた。信仰の伸び悩む守矢がまた何かをやりだしたらしい、と。昨日の逢魔が時の頃、魔理沙がそんなことを言っていたのだ。どうやら祭らしい、博麗神社より人里からの関心がある分、人間の出店で賑わうまともな祭になるはずだ、と。元々行くつもりだったのだ、特に断る理由もない。挙げるとするならば、一緒にいるのが疎まれている射命丸文だということだ。勘繰られるのが一番怖い。
「おお、アリス……結局来てたんだな」
 結局二人で山を登り、丁度到着したというところですぐに誰かに声を掛けられた。穏やかでこそあるがしかし確かな喧しさの中で、それは誰の声だか一瞬はわからなかったが――声の方に目をやると、そこに居たのは魔理沙であった。いつもの白黒の、魔法使いらしさを前面に押し出したファッションで、私が反応すると右手を額の前に掲げた。のであるが、すぐに何かに気付いたのか顔が渋くなる。
「げ……何でお前までいるんだよ」
「こんばんは、清く可愛い射命丸ですよ」
 その場で一周して何かをアピールする浴衣姿の射命丸文。私も似たような浴衣を着ている、というか着させられた。祭なんですから形から入りましょう、アリスさんなら持ってるでしょう? だそうだ。またしても断れなかった。まさか射命丸文に貸すことになるとは思わなかったが、人生わからないものである。
「お前ってそんなの来て入り込むタイプだっけ……? こういうイベントの時には水を得た魚の如く飛び回っては写真を撮ってるじゃないか」
 魔理沙の顔が青ざめる。さながら蛇蝎でも目の前に現れたのかというような反応であるが、無理はない。文々。新聞のゴシップ記事の七割は魔理沙がスクープされているものなのだから。その相手として私も時折撮られるが、特に気にしていない。もしも文々。新聞の影響力が大きかったら、全身全霊をかけて対立しただろうけれど。
「というか、何でアリスとお前が一緒にいるんだよ……もしかして弱味でも握られてるのか?」
「どこまで非道だと思われてるんですか、私は」
 魔理沙が駆け寄ってきて私の肩を揺らす。それに怒りながら射命丸文が言葉を返して、二人は言い合いを始めてしまった。他愛のない風景である。もとより二人の性質はよく似ていて、仲が悪いんだか良いんだかよくわからないものだったから、鉢合わせた時はかなりの確率で諍いが起こる。こうなったら介入するのも面倒だ。どうせ射命丸文ならすぐ私を見つけるだろうし、見つからなくてもそれはそれで私には害はなく、むしろ幸運なことだ。無視して一人で少し回ることにした。
「あら、アリス。久しいじゃない」
 林檎飴を買い、上機嫌で歩いていたところをまた誰かに話しかけられた。前方から、側頭部によくわからない面を付け、左手には亀の入った袋を持ち、ピンク色の浴衣を着た風見幽香が歩いてきて、思わず噴き出してしまいそうになる。それを本人に悟られては、そこらの弱小妖怪なら消滅するであろうほどの仕打ちを受けることはわかっていたから、出来るだけそれを表に出さずに此方も歩みを速めた。明らかに祭を楽しんでいるキュートな風体なのに、どうしてなのかオーラが恐ろしい何かを醸し出している。流石の大妖怪だと感心するが、そうなりたいかと問われればイェスとは言わない。
「最近姿を見せないけれど、また何かに打ち込んでるのかしら?」
 魔術の新体系の構築とか、と幽香。魔法使いでこそないが、それなりにこちらのことをわかっている彼女は、やはり心から粗悪な妖怪ではないんだろうと思う。それに何より、今の格好はどう足掻いても悪人には見えなかった。
「それが、面倒なのに絡まれちゃってね」
 ふうん、と幽香が相槌を打ち亀を少し揺らしたところで、後ろから射命丸文の声がした。
「アリスさん! 置いていくなんて酷いじゃないですか!」
 その様を見て刹那、幽香が私に一歩近付き、耳打ちする。
「……成る程。次に来る時は、是非一人で来ることね」
 それだけ言うと、ファンシーな浴衣姿の紛れもない少女は、背を向けて何処かに行ってしまった。私にはその意味はよくわからなかったが、幽香の発言は元々三割方よくわからないから、別に戸惑わなかった。きっとまた何か思い付いたのだろう。射命丸文が私に追い付いて口を開く頃には、もう姿は見えなくなってしまっていた。
「大妖怪、風見幽香ですか。私は苦手ですが……そういえばアリスさんの数少ない友人でしたね」
「うるさいわね林檎飴ぶつけるわよ」
 夜もとっぷりと、といった感じで、下弦を過ぎてもう殆ど夜空に食まれてしまった月が気が付けば東の空に浮かんでいた。私には時間はわからないが、まだ日付は変わっていないだろう。変哲の無い月夜に、未だに人集りは賑わっていた。
「少しずつ妖怪が増えてきましたね、夜になっただけあります」
 私達は奥の方へと歩みを進め、守矢神社の建物のすぐ近くの石に二人並んで腰掛けていた。少しだけ喧騒から距離を置き、こちらは比較的落ち着いている。確かに、夕刻は妖はあまり見られず目立っていたが、今では四方に妖が散見される。人間の多い場所にて乱すのは流石に野暮だと妖怪もわかっているのだろうか? もっとも、私達のような一目で人間なのかそうでないのかわからない妖怪は昼にも多かっただろうけれども。
「いやー、仕事を抜きにしてただイベントを楽しむなんて久々ですよ。夏だっていうのに懐が寒くなってしまいそうです」
 射命丸文が自嘲的に体を伸ばす。夕食をここで済ませた私達は、冷静に考えれば長時間いたことになり、それなりに出費もかさんでしまったことだろう。私も満腹である。妖怪にとってはあまり関係ないことではあるが、どちらにせよあるに越したことはない。射命丸文がこちらを向いて続ける。
「アリスさんはどうでしたか、今日のデート」
 数秒。
「はぁ!? 貴女何を!?」
「冗談です」
 友人も少なければ恋人もいない、とは余計なお世話だが、恋愛経験のない私にそういう冗談は冗談に聞こえない。が、そんなことを考えていてはまるで私が意識しているようではないか。気にするなと自分に言い聞かせて、射命丸文を糾弾する。するとのらりくらりと、射命丸文は射命丸文らしく、何がおかしいのか笑っている。射命丸文は心臓に悪い。しかし懸念していたのはまさにそれであり、恋仲という熟語が、この祭に誘われたときからずっと脳裏にちらついていたのだ。二人きりで祭に来て二人きりで回るなんて、友人だと向こうが言ったとすればそれはわざわざ否定するほどでもないが、だとしても流石に親密すぎやしないだろうか。冗談だとは言うが、これはただの友人との行動だろうか。そう思うが、それは私と彼女との価値観の違いだろう。それに、親しいことは悪いことではない。そう思えるのは、私の変化かもしれなかった。
「私も仕事柄、嫌われることが多くてですね。こんな風に他人と一緒にいるのは、本当に久し振りなんですよ。同じ天狗だっていうのに、哨戒天狗なんかには目の敵にされてしまっていますし」
 私は別に嫌われているわけではないのだが、きっと突っ込むのは野暮だろう。確かに記者は自分の新聞のために他人を騒がせながら日々を送っている。所謂トラブルメーカーと言って間違いはなく、明確に彼女は疎まれている。それは私もつい先日までは彼女を面倒な存在だと認識していたし、今でも半分は厄介な妖怪だと思っていることからもよくわかる。よく自己分析ができていると思って、私は大きく頷いた。
「最初から、アリスさんとなら仲良くなれそうな気がしていたんですよ。実際、アリスさんは凄く優しくて、凄く良い人で、私の目に狂いはありませんでした。この一ヶ月、本当に楽しかったんです」
 それはよかった。
「そうね、同意するわ」
 半分は、面白い妖怪だから。
 私も、それなりに、この一ヶ月は楽しかった。嘘は吐いていない。面倒だし厄介だし喧しい来訪者であることには変わりなく、けれどそれは、何かしらの変化をもたらしてくれる。単調な日々は嫌いじゃない、只管本を読み人形を操り、それで年単位の時が過ぎるのは、快適で心地良い。けれど、今回の敵襲にすら近い出会いによって、そうでない、何かが違う日々が過ぎていくのも、また、悪くないと思えた。私は一人が好きだが、一人以外が嫌いだというのとは、少し違う。
「これからも、文々。新聞のご愛読、宜しくお願いしますね」
 目の前にあるのは営業スマイルなのか、本当に気分が良いのか。それはどちらでもいいし、疑う意味もない。少なくとも私はそれを見て、後者にて笑った。
 もうすぐ最初の来訪から一ヶ月になる。そういえば、一ヶ月で契約は終了だという話だった。
 私は。
 アリス・マーガトロイドは、断らない。
「文々。新聞のお届けです! ご一緒にポテトは如何ですかー?」

四作目です。おはようございます。
アリスさんはきっとポテトを断れない、みたいな話でした。文アリ流行れ。
倫理病棟
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コメント



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2.100ZEN削除
内容も面白く、テンポも良かったです。
特に最後の部分が素晴らしかったです。
6.70名前が無い程度の能力削除
内容はいいと思うのだけれど文字が詰まりすぎかなって思う
9.90名前が無い程度の能力削除
内容が面白いだけにおしい。
改行が考えられてないので読みづらいのが玉に瑕でした。
10.90奇声を発する程度の能力削除
面白く、読んでて引き込まれました
13.90名前が無い程度の能力削除
文の健気さが逆に胸が痛む

なんだろう、別にBADENDじゃないのになんか切ないぞ
文から漂う哀愁のオーラが俺には見えるぞ
14.100名前が無い程度の能力削除
文アリの可能性を感じました。
18.90名前が無い程度の能力削除
このアリス、振り回され型なのに、何故だかたらしオーラを感じる
19.100名前が無い程度の能力削除
文のオープンさがいいなー
32.100名前が無い程度の能力削除
文有りだと思います

(ちょっと読みづらいですが)
自己分析という名の言い訳感が出ててこれはこれでいいと思います