「おはようー……」
朝になり輝夜が起きてきた。
眠たそうに目を何度も擦っている。
最近、人里で娯楽本を購入して夜遅くまで読んでいたのだろう、まだ眠たそうだった。
いつも一番遅く起きるのは輝夜だった。
すでに朝食を前にして待っているだろうイナバたちに朝の挨拶をするが、返事がない。
「イナバ?」
輝夜が首を傾げて前を見ると、二人のイナバは輝夜に気が付かないのだろうか、横顔をみせたまま固まっていた。
てゐは目を丸くしたまま口をぽっかり開けている。
鈴仙は白目をむいていた。
なんて顔なのよ、と輝夜が二人の視線の先を辿ると――
「あら、姫様おはようございます」
「また遅くまで起きていたのですか? 夜更かしは体に悪いわよ」
永琳が二人いた。
眠気が吹っ飛び、目を丸くする。
何度も目を大げさに擦って、もう一度目を開ける。
「こら、そんなに擦っちゃ赤くなるわよ」
「お腹すいたでしょう? さぁ、ご飯にしましょう」
やっぱり永琳が二人いた。
輝夜は「あー……」と呟いて、何かを理解した。
「……恐怖の大魔王がこの地に舞い降り、人類は滅亡の道を辿る」
「なんで、そんな話になるのかしら? 失礼な」
一人の永琳が輝夜に「めっ!」としかめ面をして、もう片方の永琳が食器を卓上に並べる。
「さ、ご飯を頂きましょう。ウドンゲもてゐも座って」
二人のイナバに座るように促すも、やはりイナバたちは固まったまま永琳を見つめ返していた。
※
「クローン?」
なんともいえない静かな朝食を終え、輝夜とイナバたちは二人の永琳に向き合って座っていた。
「そうよ、ウドンゲ。昨日の夜、実験を繰り返していたら出来ちゃったのよ」
「もっとクローン技術が上がれば、新薬の開発も大幅にはかどるのだけど」
容姿は髪質から表情まで、話口調までそっくりな二人の永琳はニコニコ笑いながら鈴仙に返事をする。
苦々しい顔つきで今度は輝夜が訊ねる。
「クローンで、なんで新薬の開発に繋がるのよ」
「それはマウスに新薬テストをする時にちょうどいいのよ。マウスにだって、それぞれ個体差があるから本当に薬がどれだけ効果があるのか、結果に差が出るのよ」
「だけどまったく同じクローンのマウスを用意できれば、薬を投与した結果がよりはっきり分かるというわけ」
永琳の説明を聞いて輝夜の目が輝き始める。
そしてニヤリと笑った。
何かよからぬ事を考えているようだ。
「永琳! その技術教えて! 私のクローンをいっぱい作れば妹紅なんて……ふふふ」
やっぱりよからぬ事を考えていた、とウドンゲが横目で輝夜を見つめる。
最近、弾幕勝負をしながらも、なんだかんだで仲がよくなりつつ輝夜と妹紅。
もし輝夜のクローンが大量生産されたところで、妹紅ハーレムが完成するだけだろう。
ウドンゲにしてみればお世話する主人が増えて、いいとこ一つもない。
「残念だけど、教えることは出来ないわね。これはあくまで新薬の実験にしか使わない、使ってはいけない技術だから」
「技術を悪用すれば悲惨な事が起きかねない。だからクローンの方は一日立つと肉体が消滅するように出来ているわ。だから明日には私は一人に戻っているわ」
真剣な表情で永琳たちが説明すると輝夜は「なーんだ」と顔をいっぱい使って残念そうな表情を浮かべる。
その横で鈴仙がほっとする。二人も師匠がいたら仕事が増えると思っていたのだ。
だがてゐだけは、永琳たちを見つめていた。
その目をじっくり見つめていると、永琳たちの瞳がてゐから少し逸れた。
てゐは確信した。
「あのさぁ……お師匠様。昨日の夜はたしかすっごく酔っぱらっていなかったっけ? 何日か前に手に入った上等なブランデーでさ」
ビクリっ! と二人の永琳の肩が動く。
鈴仙と輝夜はいきなり話し始めたてゐを見つめていた。
「それにお師匠様は蓬莱人。ご自身のクローンなんて、クローンの方を一日で肉体が消滅するようになんて出来るの? それにクローンの肉体が一日しか持たないなんて、実験できないんじゃない? 実は姫様と鈴仙が部屋に戻ったのをいいことに、隠れて『慧音に振り向いてもらえない』とか言ってヤケ酒飲んでいたのに? そんな状態で緻密な実験なんて出来たの?」
ずばずばと永琳たちに切り込みをかけるてゐ。
寺子屋の先生に片思いしているも恋愛事にはかなり不器用で、中々想いを伝えられずにいるのは、すでに輝夜たちには知られていることだ。
よく愚痴をこぼす永琳を見て来て、いつかはヤケ酒を飲みかねないと薄々思っていたのだが。てゐの追及に鈴仙も輝夜もじっと永琳を見つめる。
二人の永琳は冷や汗をだらだら流しているばかりだ。
やがて。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
その場で深々と頭を下げる永琳たち。
鈴仙と輝夜は呆然と見つめるしかできなかった。
てゐは「ふふん!」と得意げに胸を張った。
「この私を誤魔化すなら私以上の嘘を吐くべし!」
いや、そこ胸張るとこちゃうやろ、と鈴仙と輝夜が手でツッコミを入れる。
しばらくして永琳たちがさっきの話は全て嘘だと白状した。
昨晩、中々実らぬ恋にヤケ酒を飲んだ永琳は、実験室で泥酔しながら滅茶苦茶な実験をしてそのまま寝てしまった。ヤケ実験というやつだ。
で、朝起きたら自分が二人になっていた。
つまり何故もう一人の自分がいるのか、いつ元に戻るのかもわからない。
この経緯を説明するのが恥ずかしくて、とっさに嘘を吐いてしまった。
とのこと。
説明を聞いて、鈴仙と輝夜が冷ややかな目になったのは言うまでもない。
※
「ウドンゲ。薬売りにだけに専念するのよ。寄り道しちゃダメからね。それからね」
「今度の薬の効能とかちゃんと覚えている? 間違った薬を渡しちゃダメよ。わかった?」
「は、はい……」
数十分後、薬売りに人里へ出かける鈴仙を二人の永琳が声をかける。
二人もいるのでくどくどと注意事が長く感じる。
やっぱり私にとっていいことないよ、と永琳たちからようやく解放された鈴仙がため息を吐きながら永遠亭を後にする。
「さてと。次は、と」
「そうね、もう一人の自分がいるんだから……」
そう言いながら二人の永琳たちは後ろへ振り返る。
恐る恐る鈴仙が出かけるのを見ていた輝夜とてゐが「ひっ!?」と体を震わせる。
「さぁ、姫様。今日は永遠亭の大掃除をしましょう。そろそろ年末のことを考えないとね」
「てゐもするのよ。妖怪兎たちを全員集めてちょうだい」
玄関へ入ってくる日の光を背にして、ニッコリと笑う永琳たちが怖い。
やっぱり恐怖の大魔王じゃない、とまた失礼なことを考えながら背中を翻して、逃げようとする二人。
しかし、すぐにがっちり二人とも首元を捕まえられる。
「逃がしませんよ。姫様もしっかり掃除してもらいますから」
「やっぱり自分が二人いると、こういうのは楽でいいわね」
輝夜とてゐをしっかり掴んで、二人の永琳が互いに見て微笑む。
今まで面倒事は鈴仙に押し付けていた二人だったが、鈴仙がいない時は普通に永琳から逃げていた。
しかし今は鬼ごっこに鬼が二人いるのである。
もはや抵抗する術なし、と悟った輝夜とてゐは泣く泣く大掃除に参加させられたのだった。
「輝夜ー! 勝負だ! って……大掃除?」
お昼ご飯を食べて、再び大掃除を再開させた輝夜たち。
物で散らかり切った輝夜の部屋もしっかり掃除させられる。
後ろには二人の永琳が目を光らせている。逃げ場などない。
と、そこへ聞こえてきたのは妹紅の声。
「あら、妹紅じゃない。どうしたの?」
輝夜が庭に出ると、妹紅が手にはたきを持った輝夜を見て目を丸くする。
「どうしたのって、そりゃこっちのセリフだよ。お前掃除なんてするのか……ぷぷぷ、お姫様も庶民じみたものだな」
はたきと輝夜の顔を交互に見て、妹紅が笑い出す。
「な、なによ! 私だって自分の部屋くらい掃除するわよ。自分の部屋はね」
「そうか? じゃあ、今お前が出てきた部屋がお前の部屋なわけだな。なんだよ、その山」
輝夜が振り返ると、自分の部屋の前の縁側には、溜まりに溜まった輝夜の私物が山になっていた。
人里へ買い物に出かけるたびに、かわいいと思った小物をついつい買ってしまう。
今では広い部屋の三分の一は物で溢れていたのだった。
輝夜の顔が真っ赤になる。
「ずいぶん物に溢れている部屋だったんだな。本当に掃除してたのかよ。やれやれ、まったく誰かいないと生活――」
妹紅が得意げに話をしていると、永遠亭から二つの影が飛び出してきた。
驚く間もなく、あっという間に妹紅は囲まれてしまう。
「姫様の悪口を言うのはそこまでにしてもらいましょうか」
「貴女もお姫様じゃなくて? まったく口が悪いのはどうしてかしら?」
その正体はもちろんダブル永琳。
ニコニコ笑いながら少しずつ妹紅に詰め寄っていく。
妹紅の顔が得意気なものから、恐怖に引きつったものへとみるみる変わっていく。
「え、永琳? 永琳? えーりん?」
思考がまったく追いつかず、コイツ分身なんて出来たっけ? と必死に頭を回転させるのがやっとである。
そんな妹紅に構わず、ついに妹紅の目の前まで詰め寄る永琳。
月の頭脳と呼ばれる天才。
実力は輝夜よりも圧倒的な力を持つとも言われている。
「貴女、いつもいつも姫様に喧嘩を売るんだから。そろそろ私からお仕置きしましょうか。本気で」
「いったい誰が一番強いのか。その強い者の主人は誰なのか、貴女の身で知ってもらいましょうか」
殺気を漲らせるダブル永琳を前にして、妹紅は――涙目になる。
「ごめんなさい、すみませんでした、申し訳ありません」
やがて永琳に両腕を捕まえられて、捕えられた宇宙人状態になりながら輝夜に深々と頭を下げる妹紅。
さすがの輝夜も妹紅が可哀そうだと思ったのか、精一杯フォローをした。
そんな様子を部屋の影から見ていたてゐがボソリと呟いた。
「お師匠さんも、それぐらいの勢い出せるなら、もっと自信をもって慧音に告白すればいいのに。慧音じゃどストレートじゃないと伝わらないからねぇ」
ちなみにこのことがきっかけで、輝夜と妹紅の弾幕勝負は幕を閉じ、やがて恋仲になるまでに発展したのだった。
その時、鴉天狗に「お二人がお付き合いをするきっかけはなんですか?」と質問されて、妹紅は体を震わせながらこう答えた。
「……き、恐怖の大魔王だがな」
※
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい」
夕食も済んで、永遠亭の住人達は大掃除が終わり、綺麗になったそれぞれの部屋に戻った。
永琳たちも自分の寝床に入る。
布団は一つしかないので、同じ床に就いた。
しばらく無言で顔を向き合わせていたが、ほぼ同時に二人とも笑い出す。
「貴女、本当に私のクローンなのかしらね?」
「さぁ? でも本当かもしれないわ。ほら、温かいわ」
片方の永琳が、もう一人の自分の頬を撫でる。
掌に温もりが伝わる。
確かにそこにもう一人の自分がいるのを、しっかり感じていた。
「朝、輝夜たちに話したことだけどね」
「いつかどちらかが消滅するかもしれないってことよね」
一方が話し出すと、もう一人が答えを予測して答える。
思考もまったく一緒。
相手が何を考えているのかが、手に取るようにわかる。
「そう。あれは嘘だったけど、いつかはどちらかが消えるかもしれないわ。明日にでも、一人に戻っているかも」
「でも私は悲しくなんかないわ。私と貴女、どちらがオリジナルでどちらがクローンなのか、わからないけど」
やがて二人の永琳はそっと相手を抱きしめる。
頬を相手の頬にくっ付けて、目を閉じる。
「貴女は私。いずれ一人に戻るのが自然なのよ。でもどちらの肉体が消えても、残った方の心に居続けるわ。私だからね」
「そうでも考えないと、やってやれないものね。伊達に長生きしていたわけじゃないわよね。私たち」
そうしてくすくす笑って、やがてやってきた眠気を覚えた。
どちらかが欠伸をすると、もう一人も欠伸をした。
「おやすみ。また明日。明日もいたらね」
「ええ。せっかくだから楽しまないとね。おやすみ」
やがて静かになった部屋の中に、二人の永琳の寝息が小さく立てられた。
※
「……おはよう」
朝になり輝夜が起きてきた。
恐る恐る部屋の中を見る。
卓上に並べられた三人分の食事。
その前で鈴仙とてゐが座って……やはり返事をしないで黙っていた。
てゐは呆然と目の前を見つめていて、鈴仙は白目をむいていた。
輝夜が視線の先を辿ると――
「おはようございます、姫様」
「食事の用意は出来ていますよ」
そこにはやはり二人の永琳が笑顔で立っていた。
その手に大量の薔薇の花束を抱えて。
「……なにしてるの?」
「なにって」
「それはですね」
輝夜の問いかけに永琳たちは顔を見合わせて、にっこり笑った。
「私、これから慧音のところへ告白しに行こうと思います」
「二人もいればきっと慧音に想いが届くと思うので」
恋愛事にはまったく不器用な永琳。
この後、慧音の身に起きることが容易に想像出来る。
てゐと輝夜はただ呆然と永琳たちを見つめていた。
鈴仙はやがて自分が厄介事を引き受けなければいけないことを予測して、絶望していた。
でも、誰も永琳たちに言わない。
だって、なんか怖い。
「それじゃあ、私たち食事は済んでいますので」
「行ってきますわ」
輝夜たちを後にして、二人の永琳は永遠亭を出ていく。
空は快晴。日の光が二人の顔を照らす。
その顔には笑顔が浮かんでいた。
手を繋いで、ゆっくりと慧音の元へと向かう。
数十分後。
人里から永遠亭へ妹紅が走ってきた。
慧音が二人の永琳を見てパニックになり、倒れたのだそうだ。
またもや、永琳の想いは慧音に届かなかった。
そればかりか、もう告白するどころではない状況らしい。
永琳たちが慧音を介抱するも、意識が戻ってダブル永琳を見て気を失うの繰り返しらしい。
早くダブル永琳を引き取ってくれ、ということだった。
朝になり輝夜が起きてきた。
眠たそうに目を何度も擦っている。
最近、人里で娯楽本を購入して夜遅くまで読んでいたのだろう、まだ眠たそうだった。
いつも一番遅く起きるのは輝夜だった。
すでに朝食を前にして待っているだろうイナバたちに朝の挨拶をするが、返事がない。
「イナバ?」
輝夜が首を傾げて前を見ると、二人のイナバは輝夜に気が付かないのだろうか、横顔をみせたまま固まっていた。
てゐは目を丸くしたまま口をぽっかり開けている。
鈴仙は白目をむいていた。
なんて顔なのよ、と輝夜が二人の視線の先を辿ると――
「あら、姫様おはようございます」
「また遅くまで起きていたのですか? 夜更かしは体に悪いわよ」
永琳が二人いた。
眠気が吹っ飛び、目を丸くする。
何度も目を大げさに擦って、もう一度目を開ける。
「こら、そんなに擦っちゃ赤くなるわよ」
「お腹すいたでしょう? さぁ、ご飯にしましょう」
やっぱり永琳が二人いた。
輝夜は「あー……」と呟いて、何かを理解した。
「……恐怖の大魔王がこの地に舞い降り、人類は滅亡の道を辿る」
「なんで、そんな話になるのかしら? 失礼な」
一人の永琳が輝夜に「めっ!」としかめ面をして、もう片方の永琳が食器を卓上に並べる。
「さ、ご飯を頂きましょう。ウドンゲもてゐも座って」
二人のイナバに座るように促すも、やはりイナバたちは固まったまま永琳を見つめ返していた。
※
「クローン?」
なんともいえない静かな朝食を終え、輝夜とイナバたちは二人の永琳に向き合って座っていた。
「そうよ、ウドンゲ。昨日の夜、実験を繰り返していたら出来ちゃったのよ」
「もっとクローン技術が上がれば、新薬の開発も大幅にはかどるのだけど」
容姿は髪質から表情まで、話口調までそっくりな二人の永琳はニコニコ笑いながら鈴仙に返事をする。
苦々しい顔つきで今度は輝夜が訊ねる。
「クローンで、なんで新薬の開発に繋がるのよ」
「それはマウスに新薬テストをする時にちょうどいいのよ。マウスにだって、それぞれ個体差があるから本当に薬がどれだけ効果があるのか、結果に差が出るのよ」
「だけどまったく同じクローンのマウスを用意できれば、薬を投与した結果がよりはっきり分かるというわけ」
永琳の説明を聞いて輝夜の目が輝き始める。
そしてニヤリと笑った。
何かよからぬ事を考えているようだ。
「永琳! その技術教えて! 私のクローンをいっぱい作れば妹紅なんて……ふふふ」
やっぱりよからぬ事を考えていた、とウドンゲが横目で輝夜を見つめる。
最近、弾幕勝負をしながらも、なんだかんだで仲がよくなりつつ輝夜と妹紅。
もし輝夜のクローンが大量生産されたところで、妹紅ハーレムが完成するだけだろう。
ウドンゲにしてみればお世話する主人が増えて、いいとこ一つもない。
「残念だけど、教えることは出来ないわね。これはあくまで新薬の実験にしか使わない、使ってはいけない技術だから」
「技術を悪用すれば悲惨な事が起きかねない。だからクローンの方は一日立つと肉体が消滅するように出来ているわ。だから明日には私は一人に戻っているわ」
真剣な表情で永琳たちが説明すると輝夜は「なーんだ」と顔をいっぱい使って残念そうな表情を浮かべる。
その横で鈴仙がほっとする。二人も師匠がいたら仕事が増えると思っていたのだ。
だがてゐだけは、永琳たちを見つめていた。
その目をじっくり見つめていると、永琳たちの瞳がてゐから少し逸れた。
てゐは確信した。
「あのさぁ……お師匠様。昨日の夜はたしかすっごく酔っぱらっていなかったっけ? 何日か前に手に入った上等なブランデーでさ」
ビクリっ! と二人の永琳の肩が動く。
鈴仙と輝夜はいきなり話し始めたてゐを見つめていた。
「それにお師匠様は蓬莱人。ご自身のクローンなんて、クローンの方を一日で肉体が消滅するようになんて出来るの? それにクローンの肉体が一日しか持たないなんて、実験できないんじゃない? 実は姫様と鈴仙が部屋に戻ったのをいいことに、隠れて『慧音に振り向いてもらえない』とか言ってヤケ酒飲んでいたのに? そんな状態で緻密な実験なんて出来たの?」
ずばずばと永琳たちに切り込みをかけるてゐ。
寺子屋の先生に片思いしているも恋愛事にはかなり不器用で、中々想いを伝えられずにいるのは、すでに輝夜たちには知られていることだ。
よく愚痴をこぼす永琳を見て来て、いつかはヤケ酒を飲みかねないと薄々思っていたのだが。てゐの追及に鈴仙も輝夜もじっと永琳を見つめる。
二人の永琳は冷や汗をだらだら流しているばかりだ。
やがて。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
その場で深々と頭を下げる永琳たち。
鈴仙と輝夜は呆然と見つめるしかできなかった。
てゐは「ふふん!」と得意げに胸を張った。
「この私を誤魔化すなら私以上の嘘を吐くべし!」
いや、そこ胸張るとこちゃうやろ、と鈴仙と輝夜が手でツッコミを入れる。
しばらくして永琳たちがさっきの話は全て嘘だと白状した。
昨晩、中々実らぬ恋にヤケ酒を飲んだ永琳は、実験室で泥酔しながら滅茶苦茶な実験をしてそのまま寝てしまった。ヤケ実験というやつだ。
で、朝起きたら自分が二人になっていた。
つまり何故もう一人の自分がいるのか、いつ元に戻るのかもわからない。
この経緯を説明するのが恥ずかしくて、とっさに嘘を吐いてしまった。
とのこと。
説明を聞いて、鈴仙と輝夜が冷ややかな目になったのは言うまでもない。
※
「ウドンゲ。薬売りにだけに専念するのよ。寄り道しちゃダメからね。それからね」
「今度の薬の効能とかちゃんと覚えている? 間違った薬を渡しちゃダメよ。わかった?」
「は、はい……」
数十分後、薬売りに人里へ出かける鈴仙を二人の永琳が声をかける。
二人もいるのでくどくどと注意事が長く感じる。
やっぱり私にとっていいことないよ、と永琳たちからようやく解放された鈴仙がため息を吐きながら永遠亭を後にする。
「さてと。次は、と」
「そうね、もう一人の自分がいるんだから……」
そう言いながら二人の永琳たちは後ろへ振り返る。
恐る恐る鈴仙が出かけるのを見ていた輝夜とてゐが「ひっ!?」と体を震わせる。
「さぁ、姫様。今日は永遠亭の大掃除をしましょう。そろそろ年末のことを考えないとね」
「てゐもするのよ。妖怪兎たちを全員集めてちょうだい」
玄関へ入ってくる日の光を背にして、ニッコリと笑う永琳たちが怖い。
やっぱり恐怖の大魔王じゃない、とまた失礼なことを考えながら背中を翻して、逃げようとする二人。
しかし、すぐにがっちり二人とも首元を捕まえられる。
「逃がしませんよ。姫様もしっかり掃除してもらいますから」
「やっぱり自分が二人いると、こういうのは楽でいいわね」
輝夜とてゐをしっかり掴んで、二人の永琳が互いに見て微笑む。
今まで面倒事は鈴仙に押し付けていた二人だったが、鈴仙がいない時は普通に永琳から逃げていた。
しかし今は鬼ごっこに鬼が二人いるのである。
もはや抵抗する術なし、と悟った輝夜とてゐは泣く泣く大掃除に参加させられたのだった。
「輝夜ー! 勝負だ! って……大掃除?」
お昼ご飯を食べて、再び大掃除を再開させた輝夜たち。
物で散らかり切った輝夜の部屋もしっかり掃除させられる。
後ろには二人の永琳が目を光らせている。逃げ場などない。
と、そこへ聞こえてきたのは妹紅の声。
「あら、妹紅じゃない。どうしたの?」
輝夜が庭に出ると、妹紅が手にはたきを持った輝夜を見て目を丸くする。
「どうしたのって、そりゃこっちのセリフだよ。お前掃除なんてするのか……ぷぷぷ、お姫様も庶民じみたものだな」
はたきと輝夜の顔を交互に見て、妹紅が笑い出す。
「な、なによ! 私だって自分の部屋くらい掃除するわよ。自分の部屋はね」
「そうか? じゃあ、今お前が出てきた部屋がお前の部屋なわけだな。なんだよ、その山」
輝夜が振り返ると、自分の部屋の前の縁側には、溜まりに溜まった輝夜の私物が山になっていた。
人里へ買い物に出かけるたびに、かわいいと思った小物をついつい買ってしまう。
今では広い部屋の三分の一は物で溢れていたのだった。
輝夜の顔が真っ赤になる。
「ずいぶん物に溢れている部屋だったんだな。本当に掃除してたのかよ。やれやれ、まったく誰かいないと生活――」
妹紅が得意げに話をしていると、永遠亭から二つの影が飛び出してきた。
驚く間もなく、あっという間に妹紅は囲まれてしまう。
「姫様の悪口を言うのはそこまでにしてもらいましょうか」
「貴女もお姫様じゃなくて? まったく口が悪いのはどうしてかしら?」
その正体はもちろんダブル永琳。
ニコニコ笑いながら少しずつ妹紅に詰め寄っていく。
妹紅の顔が得意気なものから、恐怖に引きつったものへとみるみる変わっていく。
「え、永琳? 永琳? えーりん?」
思考がまったく追いつかず、コイツ分身なんて出来たっけ? と必死に頭を回転させるのがやっとである。
そんな妹紅に構わず、ついに妹紅の目の前まで詰め寄る永琳。
月の頭脳と呼ばれる天才。
実力は輝夜よりも圧倒的な力を持つとも言われている。
「貴女、いつもいつも姫様に喧嘩を売るんだから。そろそろ私からお仕置きしましょうか。本気で」
「いったい誰が一番強いのか。その強い者の主人は誰なのか、貴女の身で知ってもらいましょうか」
殺気を漲らせるダブル永琳を前にして、妹紅は――涙目になる。
「ごめんなさい、すみませんでした、申し訳ありません」
やがて永琳に両腕を捕まえられて、捕えられた宇宙人状態になりながら輝夜に深々と頭を下げる妹紅。
さすがの輝夜も妹紅が可哀そうだと思ったのか、精一杯フォローをした。
そんな様子を部屋の影から見ていたてゐがボソリと呟いた。
「お師匠さんも、それぐらいの勢い出せるなら、もっと自信をもって慧音に告白すればいいのに。慧音じゃどストレートじゃないと伝わらないからねぇ」
ちなみにこのことがきっかけで、輝夜と妹紅の弾幕勝負は幕を閉じ、やがて恋仲になるまでに発展したのだった。
その時、鴉天狗に「お二人がお付き合いをするきっかけはなんですか?」と質問されて、妹紅は体を震わせながらこう答えた。
「……き、恐怖の大魔王だがな」
※
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい」
夕食も済んで、永遠亭の住人達は大掃除が終わり、綺麗になったそれぞれの部屋に戻った。
永琳たちも自分の寝床に入る。
布団は一つしかないので、同じ床に就いた。
しばらく無言で顔を向き合わせていたが、ほぼ同時に二人とも笑い出す。
「貴女、本当に私のクローンなのかしらね?」
「さぁ? でも本当かもしれないわ。ほら、温かいわ」
片方の永琳が、もう一人の自分の頬を撫でる。
掌に温もりが伝わる。
確かにそこにもう一人の自分がいるのを、しっかり感じていた。
「朝、輝夜たちに話したことだけどね」
「いつかどちらかが消滅するかもしれないってことよね」
一方が話し出すと、もう一人が答えを予測して答える。
思考もまったく一緒。
相手が何を考えているのかが、手に取るようにわかる。
「そう。あれは嘘だったけど、いつかはどちらかが消えるかもしれないわ。明日にでも、一人に戻っているかも」
「でも私は悲しくなんかないわ。私と貴女、どちらがオリジナルでどちらがクローンなのか、わからないけど」
やがて二人の永琳はそっと相手を抱きしめる。
頬を相手の頬にくっ付けて、目を閉じる。
「貴女は私。いずれ一人に戻るのが自然なのよ。でもどちらの肉体が消えても、残った方の心に居続けるわ。私だからね」
「そうでも考えないと、やってやれないものね。伊達に長生きしていたわけじゃないわよね。私たち」
そうしてくすくす笑って、やがてやってきた眠気を覚えた。
どちらかが欠伸をすると、もう一人も欠伸をした。
「おやすみ。また明日。明日もいたらね」
「ええ。せっかくだから楽しまないとね。おやすみ」
やがて静かになった部屋の中に、二人の永琳の寝息が小さく立てられた。
※
「……おはよう」
朝になり輝夜が起きてきた。
恐る恐る部屋の中を見る。
卓上に並べられた三人分の食事。
その前で鈴仙とてゐが座って……やはり返事をしないで黙っていた。
てゐは呆然と目の前を見つめていて、鈴仙は白目をむいていた。
輝夜が視線の先を辿ると――
「おはようございます、姫様」
「食事の用意は出来ていますよ」
そこにはやはり二人の永琳が笑顔で立っていた。
その手に大量の薔薇の花束を抱えて。
「……なにしてるの?」
「なにって」
「それはですね」
輝夜の問いかけに永琳たちは顔を見合わせて、にっこり笑った。
「私、これから慧音のところへ告白しに行こうと思います」
「二人もいればきっと慧音に想いが届くと思うので」
恋愛事にはまったく不器用な永琳。
この後、慧音の身に起きることが容易に想像出来る。
てゐと輝夜はただ呆然と永琳たちを見つめていた。
鈴仙はやがて自分が厄介事を引き受けなければいけないことを予測して、絶望していた。
でも、誰も永琳たちに言わない。
だって、なんか怖い。
「それじゃあ、私たち食事は済んでいますので」
「行ってきますわ」
輝夜たちを後にして、二人の永琳は永遠亭を出ていく。
空は快晴。日の光が二人の顔を照らす。
その顔には笑顔が浮かんでいた。
手を繋いで、ゆっくりと慧音の元へと向かう。
数十分後。
人里から永遠亭へ妹紅が走ってきた。
慧音が二人の永琳を見てパニックになり、倒れたのだそうだ。
またもや、永琳の想いは慧音に届かなかった。
そればかりか、もう告白するどころではない状況らしい。
永琳たちが慧音を介抱するも、意識が戻ってダブル永琳を見て気を失うの繰り返しらしい。
早くダブル永琳を引き取ってくれ、ということだった。
よっちゃんwww