「これで終わりだ! 輝夜!」
「ふん! 終わりなのは貴女よ!」
迷いの竹林の中。
妹紅と輝夜はいつものように弾幕勝負に明け暮れていた。
弾幕をかわしながら反撃を仕掛ける輝夜。
だが妹紅も瞬時に弾幕をよける。
中々、決着がつかない。
疲れてきたのか、とうとう二人とも地面に降りると肩で息をしながら睨み合う。
「……思うのだけど」
「ん?」
妹紅の少し汚れてしまった服を見て、輝夜が話しかける。
「貴女って本当にお姫様だったのかしら? なんか口調もぶっきらぼうだし、服もそれらしくないし」
「なっ!?」
輝夜の言葉に妹紅の顔が真っ赤になる。
「それに、貴女よく一人で暮らせるわね。ご飯とかどうしてるの? あ、わかった! 慧音に作ってもらってるのね。うふふ」
「う、うるさいっ!」
とにかく輝夜に言い返そうとやっきになる妹紅。
自分で輝夜の指摘に図星だと言っているようなものだが。
今度は妹紅が輝夜に指を指した。
「お前こそどうせ永琳にご飯作ってもらってんだろ! その服だって自分一人で着られないんだろ! やーい、お子ちゃま」
「なんですって!」
むっとなる輝夜だったが、その顔が赤くなる。
「そ、そんなことないもん! ちょっと手伝ってもらっているだけだもん! どうせ慧音に洗濯してもらっているくせに、偉そうなこと言わないで!」
「お前こそ洗濯とか家事出来ないだろ!」
「だって私、お姫様だもーん! 貴女みたいな偽物のお姫様とは違うんだから!」
「なんだと!」
「なによ!」
そうして二人は再び弾幕勝負を始める。
さっきよりも激しく打ち合う。
二人の勝負は深夜まで続いた。
※
「輝夜。そろそろ起きなさい」
「……うーん?」
すっかり日が昇り、永遠亭に朝日が差し込む。
輝夜の部屋の障子を開けて入ってきたのは永琳だった。
その目の前で、寝相の悪い輝夜は掛布団を蹴っ飛ばして眠たそうな顔をしている。
永琳はため息を吐いて呆れた顔をした。
「あと……五分」
「ダメです。貴女、お風呂にも入らずそのままじゃない。ほら、お風呂沸かしているから」
お風呂、と聞いて輝夜がゆっくり体を起こす。
片手で髪を触るとベタベタしていた。
汗やら泥がこびり付いていた。
「うわぁ……へんな臭い」
「こらこら、汚いから触らない! 早くいらっしゃいな」
「永琳は? ……一緒に入ろうよ」
「はいはい」
永琳がやれやれと言って輝夜を急かすと、輝夜はにっこり笑った。
永遠亭のお風呂場。
脱衣所で永琳と輝夜は並んで立っていた。
永琳が服を脱いでタオルを体に巻いていると、横で輝夜が立ったままなのに気が付いた。
「輝夜?」
「えーりん、脱がせてー」
両手を永琳に突き出すようにお願いをする輝夜。
「もう! 一人で脱げるでしょう?」
「お願ーい」
「まったく。甘えん坊ね」
そう言って永琳は輝夜に寄って、輝夜の服を脱がせていく。
ほら、ばんざーい。
ばんざーい。
そうしてから二人、お風呂場に入っていく。
「じゃあ、体洗うから背中見せて」
「わかったわ。あ」
輝夜が背中を見せて座ると、何かを忘れているのに気が付いた。
また立ち上がると風呂場の隅に置かれたそれを手にして戻ってくる。
そして、頭にはめ込む。
ピンク色の波打った輪。
頭を洗っても洗剤が目に入らない優れもの。
シャンプーハットである。
「かーぐーや。それ、この前卒業するって言ったじゃない」
「今日は疲れているからいいの。ほら、早く洗ってよ」
永琳の抗議も気にせず、輝夜は背中を見せて座る。
しょうがないんだから、と永琳が汚れた輝夜の髪を丁寧に洗っていった。
永琳の手で髪を洗われて、輝夜は気持ちよさそうな表情を浮かべる。
体を隅々まで洗ってもらって、輝夜は先に湯船に入った。
「はー……気持ちいい」
温かいお湯に眠気も飛んでいってしまったようだ。
体を洗う永琳の背中を見つめていたが、退屈になったのか、湯船にかけていたタオルを手にすると、それを湯船に浮かべる。
そして端と端を一つに握って、中に空気が入るようにする。
「くらげ」
「こら! 湯船にタオルを入れちゃダメでしょ、お行儀の悪い」
そんな輝夜を窘めながら永琳が湯船に入ってきた。
輝夜は「えー」と口を尖らせた。
「これ教えてくれたの永琳じゃない」
「何百年前の話ですか。まったく、妹紅のことを馬鹿に出来ませんよ」
妹紅。その単語を聞いて、輝夜の顔つきが険しくなる。正しくは機嫌が悪くなった。
「どうしたの?」
「別にー」
「……昨日、なにか妹紅に馬鹿にされたんでしょ?」
「そんなことないもん」
ぷいっと輝夜は顔を背ける。
機嫌が悪くなると子ども口調になる癖がある輝夜を見て、永琳は堪えきれず笑い出した。
「な、なによ! 永琳まで、もー!」
「ごめんなさい。ふふ……あ、そうそう。今日人里へ出かけようと思うの」
「人里に? 永琳が?」
すぐに顔から不機嫌な表情を消して、永琳に振り返る輝夜。
そんな輝夜が可愛くてたまらない永琳。
くすくすと笑いながら話を続ける。
「そう、お買い物よ。よかったら一緒に来る?」
「えー……あ、松本堂に寄ろうよ。ね! 松本堂に寄るなら行くわ!」
松本堂とは人里にある甘味屋のことだ。
輝夜はこの甘味屋のお菓子が好きでよく永琳におねだりをしていた。
「いいわよ」
やったー、と両手を挙げて喜ぶ輝夜を見て、永琳はぼそっと呟いた。
「……何十年、何百年経っても。自分の子どもは子どもに違いないわ」
その後で、私の実の子どもじゃないけどね、と付け加えた。
※
「いってらっしゃいませ、師匠。姫様」
「いってらー」
人里へと出かける輝夜と永琳を、門の前で鈴仙とてゐが見送った。
輝夜は永琳の腕にじゃれ付くように絡みつく。
そんな輝夜を邪魔にする様子もなく、永琳は輝夜と並んで歩いていく。
二人の背中が小さくなっていって、鈴仙がてゐに話しかける。
「いいなぁ。まるで本当の親子のようで」
「なぁーに、鈴仙。羨ましいの?」
てゐが意地悪そうにニヤニヤ笑いながら鈴仙の顔を見つめる。
「うん……うーん、そうだな」
鈴仙はすっかり消えてしまった二人の背中を見つめたまま、どこか羨望している顔つきをしていた。
てゐの顔から意地悪い笑顔が消える。
そしてなにか深く考え込んで、「よし!」と胸を叩いた。
鈴仙がようやくてゐに視線を移した。
「私が鈴仙のお母さんになってやろう! さぁ、甘えておいで!」
そうして両腕を鈴仙に伸ばすてゐ。
しかし、鈴仙はきょとんと首を傾げる。
「え? てゐがお母さんって? どっちかと言うと私がお母さんで、てゐが子どもの方じゃない?」
「……あ?」
数分後。
永遠亭で二人のイナバが暴れ出した。
親権は私にある、とか言いながら。
二人のイナバは親権の意味をいまいち理解していないようだ。
※
「あら。このリンゴ美味しそうね。すみませーん、リンゴを四つくださいな」
人里にて。
輝夜と永琳はぶらぶらと買い物をしていく。
主に、買い物は今夜の晩御飯の食材なのだが、永琳はお店を見つけ次第に覗いていく。
そして今は人里の稲葉屋という果物屋の前で足が止まった。
リンゴを受け取りながら店主と世間話を始める永琳。
人里を歩いていると、永琳の薬のお世話になっている人間たちが次から次へと永琳に話しかける。
その度に二人の足は数分立ち止まる。
永琳の後ろで輝夜は退屈そうな顔をして永琳たちの会話が終わるのを待っていた。
しかし不満や文句を言ったりはしない。
輝夜の頭の中は寄るであろう甘味屋のことばかり考えていた。
(今日は何を食べようかなぁ……兎饅頭も美味しいけど、この前食べたばかりだから。今日は宇治金時の白玉を食べたいな。餡蜜と餡子が美味しいのよねぇ)
まだ口にはしていないが、口の中で甘い味が広がってくるようだ。
立ち止まる度に輝夜は楽しみな甘味を頭に思い起こして退屈をまぎわらしていた。
「お待たせ。じゃあ次はどこに行こうかしら」
そこへ永琳がリンゴが入った紙袋を抱えて輝夜の元へ戻ってくる。
「あ、おかえり」
輝夜はそう返事しながら、頭の中の甘味を拭いきることができなかった。
我慢ができなくて、永琳に話しかける。
「ね、ねぇ。永琳、そろそろ甘い物が食べたいなぁ」
視線をキョロキョロとさせながら控えめに話す輝夜。
永琳はきょとんとして、すぐに輝夜の意図を理解した。
「そうね。ここまで買い物に付き合わせているんだもの。それじゃあ、行きましょうか」
にっこりほほ笑む永琳に、輝夜の目が輝く。
やっと楽しみにしていた甘いものが食べられることに、興奮を隠しきれなかった。
「あら。やっぱり満員ね」
輝夜たちが松本堂に着くと、すでに店内の食事スペースは人の頭でいっぱいだった。
創業して二十五年以上が経つ松本堂は、人里では人気の甘味屋だった。
店の前にはすでに行列までできていた。
「まぁ、ゆっくり待ちましょう。永琳」
輝夜がニコニコしながら永琳に振り返ると、そこに永琳の姿はなかった。
「え、永琳?」
視線をあちこち移すと、すでに永琳は松本堂のお持ち帰り用の売り場へと向かっていた。
「あれ?」
輝夜が呆然と見守る前で、永琳は店員に何か注文をして、そして商品を受け取ると輝夜の元へ戻ってくる。
「輝夜。買ってきたわよ。はい、兎饅頭。向こうに遊び場があるからそこで食べましょう」
永琳が紙袋の中身を輝夜に見せるようにすると、中には兎の形をした饅頭が六個入っていた。
(あ、あれ? 永琳、今日は宇治金時の白玉が食べたいのだけど……)
輝夜が表情を固まらせているが、永琳はまったく気づかない。
「輝夜は本当にこれが好きよねぇ。あ、全部食べてもいいからね」
ニコニコ笑う永琳に、輝夜は笑ってみせた。作り笑いだが。
「わ、わぁー。美味しそう。早く食べたいわー」
心の中でトホホと呟きながら、永琳と肩を並べて歩き出す。
すでに日は昇り切って、時刻はお昼前になっていた。
「あら。もうこんな時間。そろそろ帰りましょうか。イナバたちも待っているし」
輝夜が提案すると、永琳は「そうね」と返事をしてから輝夜に話しかける。
「その前にちょっと寄りたいところがあるのよ。いいかしら」
「? いいけど、どこに行くの?」
しかし永琳は返事をせず、ニコニコ笑っているばかりだった。
永琳に連れられてやってきたのは増田屋という呉服屋だった。
輝夜たちの服をよく仕立ててくれるお店だ。
「呉服屋さん?」
「そう。実はね、輝夜の新しい服を仕立ててもらっていたの。気に言ってくれるの嬉しいんだけど」
永琳の言葉に輝夜の顔がみるみる笑顔になる。
「本当!? 新しい服くれるの? やったー、永琳大好き」
輝夜が両手を挙げて喜ぶ。
また永琳の腕にしがみ付いていそいそと店内へと入ろうとする。
が、店内から聞き慣れた声が聞こえた。
「け、慧音。これはちょっと似合わないよ?」
「何を言うか。妹紅にきっと似合うぞ。すまない、お会計を頼みたいのだが」
そこには。
慧音と、つい昨晩に弾幕勝負をした妹紅がいた。
「うわ! 輝夜」
「げ! 妹紅」
互いに気が付いて苦々しい顔つきになる輝夜と妹紅。
しばらく黙って見つめ合っていたが、ふと妹紅が手にしている服が輝夜の目に入った。
白いワンピースだった。
輝夜が噴き出す。
「も、妹紅。何それ? まさか貴女が着るの? ぷぷぷ、似合わないわよ」
笑い出した輝夜に妹紅の顔が真っ赤になる。
「う、うるさいなぁ! お前こそ永琳に連れられて買い物か! 本当にお子ちゃまだな」
妹紅に指摘されて、輝夜は自分が永琳の腕にしがみ付いたままなのに気が付いた。
輝夜も顔を赤くして、慌てて永琳から離れる。
「な、なによ! 慧音に服買ってもらっちゃってさ。お子ちゃまなのはどっちよ!」
「言ったな!」
むむむ、と睨み合う輝夜と妹紅。
しかし、永琳と慧音はそんな二人を気にせず挨拶を交わす。
「こんにちは、慧音。妹紅とお買い物かしら」
「永琳、こんにちは。永琳も輝夜と買い物か。仲がよくていいな」
「ふふ。昨晩は輝夜がご迷惑をかけて申し訳ないわ」
「いやいや。それはこちらもだ。しかし、妹紅はよく輝夜の話をしてくれるぞ。なんだかんだ二人とも仲がいいみたいだ」
「そう。それは嬉しいわ」
ニコニコと笑いながら自分たちのことを話題にする二人に、輝夜も妹紅も驚いて顔を向けるが、二人の世間話は続いていく。
「輝夜はわがままなところがあるから、これからも仲良くしてくれるか心配だわ」
「なに、妹紅も結構わがままだ。いつもご飯を作ってくれと、お願いばかりするんだからな」
「そうなの? そうそう、うちの輝夜もお風呂の度に体を洗ってとうるさいんだから」
「妹紅なんか自分の服も洗えないんだからな」
自分たちの隠したいことを平気に口に出す永琳と慧音に、輝夜と妹紅の顔が真っ赤になる。
なんとかして誤魔化そうとする二人だったが、口にする前にそこへやって来た者がいた。
「あら。こんにちは」
「こんにちはー」
輝夜たちが振り返ると、そこには藍と肩を並べる紫と、妖夢の手を引く幽々子がいた。
「こんにちは。お二人もお買い物かしら?」
「やぁ、奇遇だな」
そして四人の保護者は輪になって世間話を話し始める。
話題はもちろん、輝夜たちのことだ。
井戸端会議。
その場に居合わせた子どもたちにとって、公開処刑場である。
「藍もこのところ役には立っているんだけど、やっぱりまだまだ世話が焼けるのよ」
「妖夢もまだ子どもなのよー。未だに夜中、私と一緒じゃないとおトイレにいけないもの」
紫と幽々子の話に、藍は冷静を装いながら顔を赤くする。妖夢は手をあわあわ振って恥ずかしそうにする。
「輝夜もねー。私と一緒じゃないとお風呂に入ってくれないもの」
「妹紅なんか料理できないのに、好き嫌いがうるさいんだ」
楽しそうに世間話を交わす四人。
その後ろで輝夜と妹紅が顔を真っ赤にしながら声を荒げる。
「も、もう! 永琳、早く帰りましょうよ!」
「慧音も早くお会計を済まそうよ!」
しかし、そんな二人を永琳と慧音は適当に返事をしながら世間話を止めてくれない。
次から次へと知られたくないことまで話し出す四人は大盛り上がりだった。
話は三十分ほどで終わった。
永琳が振り返ると、そこには。
すっかりふてくされた輝夜と妹紅、藍に妖夢の不機嫌な顔があった。
輝夜はその夜まで、不機嫌な顔のままだった。
「ふん! 終わりなのは貴女よ!」
迷いの竹林の中。
妹紅と輝夜はいつものように弾幕勝負に明け暮れていた。
弾幕をかわしながら反撃を仕掛ける輝夜。
だが妹紅も瞬時に弾幕をよける。
中々、決着がつかない。
疲れてきたのか、とうとう二人とも地面に降りると肩で息をしながら睨み合う。
「……思うのだけど」
「ん?」
妹紅の少し汚れてしまった服を見て、輝夜が話しかける。
「貴女って本当にお姫様だったのかしら? なんか口調もぶっきらぼうだし、服もそれらしくないし」
「なっ!?」
輝夜の言葉に妹紅の顔が真っ赤になる。
「それに、貴女よく一人で暮らせるわね。ご飯とかどうしてるの? あ、わかった! 慧音に作ってもらってるのね。うふふ」
「う、うるさいっ!」
とにかく輝夜に言い返そうとやっきになる妹紅。
自分で輝夜の指摘に図星だと言っているようなものだが。
今度は妹紅が輝夜に指を指した。
「お前こそどうせ永琳にご飯作ってもらってんだろ! その服だって自分一人で着られないんだろ! やーい、お子ちゃま」
「なんですって!」
むっとなる輝夜だったが、その顔が赤くなる。
「そ、そんなことないもん! ちょっと手伝ってもらっているだけだもん! どうせ慧音に洗濯してもらっているくせに、偉そうなこと言わないで!」
「お前こそ洗濯とか家事出来ないだろ!」
「だって私、お姫様だもーん! 貴女みたいな偽物のお姫様とは違うんだから!」
「なんだと!」
「なによ!」
そうして二人は再び弾幕勝負を始める。
さっきよりも激しく打ち合う。
二人の勝負は深夜まで続いた。
※
「輝夜。そろそろ起きなさい」
「……うーん?」
すっかり日が昇り、永遠亭に朝日が差し込む。
輝夜の部屋の障子を開けて入ってきたのは永琳だった。
その目の前で、寝相の悪い輝夜は掛布団を蹴っ飛ばして眠たそうな顔をしている。
永琳はため息を吐いて呆れた顔をした。
「あと……五分」
「ダメです。貴女、お風呂にも入らずそのままじゃない。ほら、お風呂沸かしているから」
お風呂、と聞いて輝夜がゆっくり体を起こす。
片手で髪を触るとベタベタしていた。
汗やら泥がこびり付いていた。
「うわぁ……へんな臭い」
「こらこら、汚いから触らない! 早くいらっしゃいな」
「永琳は? ……一緒に入ろうよ」
「はいはい」
永琳がやれやれと言って輝夜を急かすと、輝夜はにっこり笑った。
永遠亭のお風呂場。
脱衣所で永琳と輝夜は並んで立っていた。
永琳が服を脱いでタオルを体に巻いていると、横で輝夜が立ったままなのに気が付いた。
「輝夜?」
「えーりん、脱がせてー」
両手を永琳に突き出すようにお願いをする輝夜。
「もう! 一人で脱げるでしょう?」
「お願ーい」
「まったく。甘えん坊ね」
そう言って永琳は輝夜に寄って、輝夜の服を脱がせていく。
ほら、ばんざーい。
ばんざーい。
そうしてから二人、お風呂場に入っていく。
「じゃあ、体洗うから背中見せて」
「わかったわ。あ」
輝夜が背中を見せて座ると、何かを忘れているのに気が付いた。
また立ち上がると風呂場の隅に置かれたそれを手にして戻ってくる。
そして、頭にはめ込む。
ピンク色の波打った輪。
頭を洗っても洗剤が目に入らない優れもの。
シャンプーハットである。
「かーぐーや。それ、この前卒業するって言ったじゃない」
「今日は疲れているからいいの。ほら、早く洗ってよ」
永琳の抗議も気にせず、輝夜は背中を見せて座る。
しょうがないんだから、と永琳が汚れた輝夜の髪を丁寧に洗っていった。
永琳の手で髪を洗われて、輝夜は気持ちよさそうな表情を浮かべる。
体を隅々まで洗ってもらって、輝夜は先に湯船に入った。
「はー……気持ちいい」
温かいお湯に眠気も飛んでいってしまったようだ。
体を洗う永琳の背中を見つめていたが、退屈になったのか、湯船にかけていたタオルを手にすると、それを湯船に浮かべる。
そして端と端を一つに握って、中に空気が入るようにする。
「くらげ」
「こら! 湯船にタオルを入れちゃダメでしょ、お行儀の悪い」
そんな輝夜を窘めながら永琳が湯船に入ってきた。
輝夜は「えー」と口を尖らせた。
「これ教えてくれたの永琳じゃない」
「何百年前の話ですか。まったく、妹紅のことを馬鹿に出来ませんよ」
妹紅。その単語を聞いて、輝夜の顔つきが険しくなる。正しくは機嫌が悪くなった。
「どうしたの?」
「別にー」
「……昨日、なにか妹紅に馬鹿にされたんでしょ?」
「そんなことないもん」
ぷいっと輝夜は顔を背ける。
機嫌が悪くなると子ども口調になる癖がある輝夜を見て、永琳は堪えきれず笑い出した。
「な、なによ! 永琳まで、もー!」
「ごめんなさい。ふふ……あ、そうそう。今日人里へ出かけようと思うの」
「人里に? 永琳が?」
すぐに顔から不機嫌な表情を消して、永琳に振り返る輝夜。
そんな輝夜が可愛くてたまらない永琳。
くすくすと笑いながら話を続ける。
「そう、お買い物よ。よかったら一緒に来る?」
「えー……あ、松本堂に寄ろうよ。ね! 松本堂に寄るなら行くわ!」
松本堂とは人里にある甘味屋のことだ。
輝夜はこの甘味屋のお菓子が好きでよく永琳におねだりをしていた。
「いいわよ」
やったー、と両手を挙げて喜ぶ輝夜を見て、永琳はぼそっと呟いた。
「……何十年、何百年経っても。自分の子どもは子どもに違いないわ」
その後で、私の実の子どもじゃないけどね、と付け加えた。
※
「いってらっしゃいませ、師匠。姫様」
「いってらー」
人里へと出かける輝夜と永琳を、門の前で鈴仙とてゐが見送った。
輝夜は永琳の腕にじゃれ付くように絡みつく。
そんな輝夜を邪魔にする様子もなく、永琳は輝夜と並んで歩いていく。
二人の背中が小さくなっていって、鈴仙がてゐに話しかける。
「いいなぁ。まるで本当の親子のようで」
「なぁーに、鈴仙。羨ましいの?」
てゐが意地悪そうにニヤニヤ笑いながら鈴仙の顔を見つめる。
「うん……うーん、そうだな」
鈴仙はすっかり消えてしまった二人の背中を見つめたまま、どこか羨望している顔つきをしていた。
てゐの顔から意地悪い笑顔が消える。
そしてなにか深く考え込んで、「よし!」と胸を叩いた。
鈴仙がようやくてゐに視線を移した。
「私が鈴仙のお母さんになってやろう! さぁ、甘えておいで!」
そうして両腕を鈴仙に伸ばすてゐ。
しかし、鈴仙はきょとんと首を傾げる。
「え? てゐがお母さんって? どっちかと言うと私がお母さんで、てゐが子どもの方じゃない?」
「……あ?」
数分後。
永遠亭で二人のイナバが暴れ出した。
親権は私にある、とか言いながら。
二人のイナバは親権の意味をいまいち理解していないようだ。
※
「あら。このリンゴ美味しそうね。すみませーん、リンゴを四つくださいな」
人里にて。
輝夜と永琳はぶらぶらと買い物をしていく。
主に、買い物は今夜の晩御飯の食材なのだが、永琳はお店を見つけ次第に覗いていく。
そして今は人里の稲葉屋という果物屋の前で足が止まった。
リンゴを受け取りながら店主と世間話を始める永琳。
人里を歩いていると、永琳の薬のお世話になっている人間たちが次から次へと永琳に話しかける。
その度に二人の足は数分立ち止まる。
永琳の後ろで輝夜は退屈そうな顔をして永琳たちの会話が終わるのを待っていた。
しかし不満や文句を言ったりはしない。
輝夜の頭の中は寄るであろう甘味屋のことばかり考えていた。
(今日は何を食べようかなぁ……兎饅頭も美味しいけど、この前食べたばかりだから。今日は宇治金時の白玉を食べたいな。餡蜜と餡子が美味しいのよねぇ)
まだ口にはしていないが、口の中で甘い味が広がってくるようだ。
立ち止まる度に輝夜は楽しみな甘味を頭に思い起こして退屈をまぎわらしていた。
「お待たせ。じゃあ次はどこに行こうかしら」
そこへ永琳がリンゴが入った紙袋を抱えて輝夜の元へ戻ってくる。
「あ、おかえり」
輝夜はそう返事しながら、頭の中の甘味を拭いきることができなかった。
我慢ができなくて、永琳に話しかける。
「ね、ねぇ。永琳、そろそろ甘い物が食べたいなぁ」
視線をキョロキョロとさせながら控えめに話す輝夜。
永琳はきょとんとして、すぐに輝夜の意図を理解した。
「そうね。ここまで買い物に付き合わせているんだもの。それじゃあ、行きましょうか」
にっこりほほ笑む永琳に、輝夜の目が輝く。
やっと楽しみにしていた甘いものが食べられることに、興奮を隠しきれなかった。
「あら。やっぱり満員ね」
輝夜たちが松本堂に着くと、すでに店内の食事スペースは人の頭でいっぱいだった。
創業して二十五年以上が経つ松本堂は、人里では人気の甘味屋だった。
店の前にはすでに行列までできていた。
「まぁ、ゆっくり待ちましょう。永琳」
輝夜がニコニコしながら永琳に振り返ると、そこに永琳の姿はなかった。
「え、永琳?」
視線をあちこち移すと、すでに永琳は松本堂のお持ち帰り用の売り場へと向かっていた。
「あれ?」
輝夜が呆然と見守る前で、永琳は店員に何か注文をして、そして商品を受け取ると輝夜の元へ戻ってくる。
「輝夜。買ってきたわよ。はい、兎饅頭。向こうに遊び場があるからそこで食べましょう」
永琳が紙袋の中身を輝夜に見せるようにすると、中には兎の形をした饅頭が六個入っていた。
(あ、あれ? 永琳、今日は宇治金時の白玉が食べたいのだけど……)
輝夜が表情を固まらせているが、永琳はまったく気づかない。
「輝夜は本当にこれが好きよねぇ。あ、全部食べてもいいからね」
ニコニコ笑う永琳に、輝夜は笑ってみせた。作り笑いだが。
「わ、わぁー。美味しそう。早く食べたいわー」
心の中でトホホと呟きながら、永琳と肩を並べて歩き出す。
すでに日は昇り切って、時刻はお昼前になっていた。
「あら。もうこんな時間。そろそろ帰りましょうか。イナバたちも待っているし」
輝夜が提案すると、永琳は「そうね」と返事をしてから輝夜に話しかける。
「その前にちょっと寄りたいところがあるのよ。いいかしら」
「? いいけど、どこに行くの?」
しかし永琳は返事をせず、ニコニコ笑っているばかりだった。
永琳に連れられてやってきたのは増田屋という呉服屋だった。
輝夜たちの服をよく仕立ててくれるお店だ。
「呉服屋さん?」
「そう。実はね、輝夜の新しい服を仕立ててもらっていたの。気に言ってくれるの嬉しいんだけど」
永琳の言葉に輝夜の顔がみるみる笑顔になる。
「本当!? 新しい服くれるの? やったー、永琳大好き」
輝夜が両手を挙げて喜ぶ。
また永琳の腕にしがみ付いていそいそと店内へと入ろうとする。
が、店内から聞き慣れた声が聞こえた。
「け、慧音。これはちょっと似合わないよ?」
「何を言うか。妹紅にきっと似合うぞ。すまない、お会計を頼みたいのだが」
そこには。
慧音と、つい昨晩に弾幕勝負をした妹紅がいた。
「うわ! 輝夜」
「げ! 妹紅」
互いに気が付いて苦々しい顔つきになる輝夜と妹紅。
しばらく黙って見つめ合っていたが、ふと妹紅が手にしている服が輝夜の目に入った。
白いワンピースだった。
輝夜が噴き出す。
「も、妹紅。何それ? まさか貴女が着るの? ぷぷぷ、似合わないわよ」
笑い出した輝夜に妹紅の顔が真っ赤になる。
「う、うるさいなぁ! お前こそ永琳に連れられて買い物か! 本当にお子ちゃまだな」
妹紅に指摘されて、輝夜は自分が永琳の腕にしがみ付いたままなのに気が付いた。
輝夜も顔を赤くして、慌てて永琳から離れる。
「な、なによ! 慧音に服買ってもらっちゃってさ。お子ちゃまなのはどっちよ!」
「言ったな!」
むむむ、と睨み合う輝夜と妹紅。
しかし、永琳と慧音はそんな二人を気にせず挨拶を交わす。
「こんにちは、慧音。妹紅とお買い物かしら」
「永琳、こんにちは。永琳も輝夜と買い物か。仲がよくていいな」
「ふふ。昨晩は輝夜がご迷惑をかけて申し訳ないわ」
「いやいや。それはこちらもだ。しかし、妹紅はよく輝夜の話をしてくれるぞ。なんだかんだ二人とも仲がいいみたいだ」
「そう。それは嬉しいわ」
ニコニコと笑いながら自分たちのことを話題にする二人に、輝夜も妹紅も驚いて顔を向けるが、二人の世間話は続いていく。
「輝夜はわがままなところがあるから、これからも仲良くしてくれるか心配だわ」
「なに、妹紅も結構わがままだ。いつもご飯を作ってくれと、お願いばかりするんだからな」
「そうなの? そうそう、うちの輝夜もお風呂の度に体を洗ってとうるさいんだから」
「妹紅なんか自分の服も洗えないんだからな」
自分たちの隠したいことを平気に口に出す永琳と慧音に、輝夜と妹紅の顔が真っ赤になる。
なんとかして誤魔化そうとする二人だったが、口にする前にそこへやって来た者がいた。
「あら。こんにちは」
「こんにちはー」
輝夜たちが振り返ると、そこには藍と肩を並べる紫と、妖夢の手を引く幽々子がいた。
「こんにちは。お二人もお買い物かしら?」
「やぁ、奇遇だな」
そして四人の保護者は輪になって世間話を話し始める。
話題はもちろん、輝夜たちのことだ。
井戸端会議。
その場に居合わせた子どもたちにとって、公開処刑場である。
「藍もこのところ役には立っているんだけど、やっぱりまだまだ世話が焼けるのよ」
「妖夢もまだ子どもなのよー。未だに夜中、私と一緒じゃないとおトイレにいけないもの」
紫と幽々子の話に、藍は冷静を装いながら顔を赤くする。妖夢は手をあわあわ振って恥ずかしそうにする。
「輝夜もねー。私と一緒じゃないとお風呂に入ってくれないもの」
「妹紅なんか料理できないのに、好き嫌いがうるさいんだ」
楽しそうに世間話を交わす四人。
その後ろで輝夜と妹紅が顔を真っ赤にしながら声を荒げる。
「も、もう! 永琳、早く帰りましょうよ!」
「慧音も早くお会計を済まそうよ!」
しかし、そんな二人を永琳と慧音は適当に返事をしながら世間話を止めてくれない。
次から次へと知られたくないことまで話し出す四人は大盛り上がりだった。
話は三十分ほどで終わった。
永琳が振り返ると、そこには。
すっかりふてくされた輝夜と妹紅、藍に妖夢の不機嫌な顔があった。
輝夜はその夜まで、不機嫌な顔のままだった。
まあ髪を洗って貰うのは、自分でやるとクソ大変そうだからわかるけど