もうすぐ冬が来る。
空を見上げると、夏には青さを強調した空が晴れ晴れと広がっていたが、今ではどこかはっきりしない重苦しい色をしている。
風も冷たくなり、日が出ていても冷たさが身に染みてくる。
そんな空を見上げて、もう冬がそこまで来たのかと改めて思う。
冬になれば彼女がやって来るだろう。
寒気を身に纏わせて、そして笑顔を浮かべながら。
彼女はやって来るだろう。
※
昨年の暮れのことだ。
朝から幻想郷に大雪が降っていた。
窓の外はすでに白い雪で覆われている。
今日は出かけないことにしよう。
霊夢たちから宴会に誘われているが、不参加する以外に選択肢はない。
第一こんな雪の中を歩くなんて面倒だ。
急に吹雪いてきて、冬の妖怪にでも出くわすともっと面倒だ。
暖炉に火を入れながら、ゆっくり椅子に座る。
ふと窓越しに玄関先に置いた、それが目に入った。
ドーム状の透明な容器には液体が入れられている。その中に建物や人形が置かれていた。
そして雪を模した物が絶えず容器の中を動き回り、まるで街に雪が降り注いでいるような小さな景色を見せてくれる。
これはスノーグローブというものだ。
冬になると家々で飾られる物らしい。
この間、無縁塚で拾ったものだ。
以前、持ち主がいたのだろうか、透明な容器は少し黄ばんで汚れていた。
大した物じゃないな、と思いながらこれ以外には目ぼしいものは見つからなくて、つい持ち帰ってしまった。
そして本格的な冬が入り、ふとこれを玄関先に飾ってみようと思ったのだ。
だが飾ってみたところで珍しい物でもなんでもない。
視線を少し逸らせば、本物の雪が舞い降りている。
偽物の雪が降る景色を見たところで、何が面白いのだろうか。
興ざめして仕舞ってしまおうかとも思ったが、冬がやって来た。
寒さに冷える玄関先へ出るのも億劫だ。
春になったら仕舞おうと放置していた。
視線をスノーグローブから逸らして、鴉天狗の新聞を読むことにした。
しばらくして、玄関先で動く影が視線の隅に入った。
目を動かして来訪者を確認する。
そしてひどく後悔した。
こんな天気に出かけたら出くわすんじゃないかと思っていた、彼女が立っていた。
薄紫の髪をして、ターバンを巻いた青と白のゆったりとした服装。
レティという冬の妖怪だった。
どうしてここに来るのだろうか。
苦々しく思っていると、彼女の視線は店の中ではなく、玄関先に置かれたスノーグローブを見つめているのに気が付いた。
窓越しに彼女の顔を見る。
どこか嬉しそうに、物欲しそうにスノーグローブを目を細めて見つめている。
顔を動かして、色々な視点から眺めているようだ。
さて、どうしたものだろう。
あの道具は大して面白い物ではないが、だからといって簡単に譲ってもいい物でもない。
今は面白い物ではないが、蒐集物の一つには違いない。
あの冬の妖怪を体よく追い払うにはどうしたものだろう。
しかし、玄関先に出て直接話をしようものなら、どんなに面倒なことになるかわかったものじゃない。
急に吹雪でも食わらされたらたまったものじゃないだろう。
苦々しく考えをめぐらせていると、どうやら心配は杞憂に終わったようだ。
彼女はしばらくスノーグローブを眺めた後、ゆっくり宙に飛びだってしまった。
一体、何の用だったのだろう。冬の散歩の途中だったのか。
とにかく中へ入って来なかったことにほっとして、再び新聞に視線を落とした。
※
ところが。
次の日も、やはりその次の日も、冬の妖怪は店先にやって来る。
店の中に入ってくることはなくて、玄関先のスノーグローブを眺めてはすぐに飛んで行ってしまう。
そんなに珍しい物だろうか。
彼女が去った後、窓越しにスノーグローブを見つめてみるが、やはり大した物ではないように思える。
長い年月に黄ばんだ透明の容器。
小さな建物と人形に降り注ぐ偽物の雪の景色。
これの何が彼女を魅力させているのか、いくら首を傾げてみてもわからなかった。
彼女は本物の雪が降り注ぐ季節に現れるというのに。
やがて年を越しても、彼女は店先に現れてはスノーグローブを物欲しそうに見つめて、去って行った。
※
少しだが春の気配がし始めた。
吹いてくる風の冷たさも和らいでいき、あと一月もすれば温かい風が吹くだろう。そして春告精が空に舞い、本格的な春の訪れを知らせてくれるだろう。
ふと、この頃あの冬の妖怪がここに来る回数が減ったことに気づく。
毎日のように玄関先でスノーグローブを眺めて行ったのに、温かくなるにつれて三日に一度になり、ここ最近では週に一度の頻度になっていた。
そろそろ春眠の準備でもしているのだろうか。
ちょうどいい。
椅子から立ち上がると、玄関先へと出る。
そろそろ春になろうとしているので、スノーグローブを仕舞おうと思ったのだ。
外に出ると、やはりまだ風が冷たい。
体が震えるのを我慢して、スノーグローブに手を伸ばす。
手にする前に、気配がするのを感じた。
そいつに視線を移して、やはり苦々しい表情を浮かべてしまう。
店先から少し離れたところに、あの冬の妖怪が佇んでいたのだから。
「…………」
彼女はじっと伸ばしかけた手の先にあるスノーグローブを見つめていた。
温かくなり力が弱まっているのか、寒気はそれ程感じなかった。
ため息を一つ吐いてから、彼女に話しかける。
「悪いけど、君に譲ってあげられる物はないよ」
「そう。残念ね」
本当に心の奥から残念そうに彼女は呟いた。
伸ばした手を引いて、彼女に向かい合った。
少し興味があった。
「冬の間、ずっと店先に現れてはこいつを眺めていたね。何が珍しいのだろう。君なら本物の雪が降り注ぐのを嫌という程見ているじゃないか」
訊ねると彼女は照れくさそうに笑った。
「私はね、冬の間にしか起きていないのよ。春も夏も秋も、ずっと寝ているの」
「うん」
「だからね……また冬が来るまで、それが傍にあると見ていて心が休まるように思えるの。見ているだけでも落ち着くの」
そうしてスノーグローブを見つめる彼女は、心の底から愛おしむ眼をしていた。
その眼が僕を惹いた。
視線を彷徨わせて、やがて彼女は手を合わせて懇願するように話した。
「出来ればそれを譲って頂けると嬉しいな」
どこか悪戯っぽく笑う彼女の顔を見て、僕は首を振った。
「悪いけど、やっぱり君に譲ることはできないな。これは蒐集物の一つなのでね」
そう言って、手を伸ばしてスノーグローブを取った。
「そう」
手にしたスノーグローブを見つめて、彼女は残念そうな顔をした。そして背中を向ける。
「残念。もう用はないわ。それじゃ」
宙に浮かんだ彼女の背中に声をかける。
「待ってくれ。話は終わっていないよ」
ピタッと彼女は宙に浮かんだまま止まり、また振り返った。
「たしかにこれは君には譲れない。しかし僕の蒐集物に興味を持ってくれることは嬉しく思うよ。だから特別に便宜を図ろう。また冬が来たらこれを玄関先に飾ろう。そしたら好きなだけ眺めてもいい。どうだろう」
提案をすると、彼女は頬を赤く染めて食いつくように返事をする。
「本当!? 本当にまた飾ってくれるの?」
「ただし、条件がいる」
条件? と彼女は首を傾げる。
「一つ。店先に来るのは構わないが、店の中に入るのはよしてくれ。寒いのはごめんだ。一つ。冬の間、僕が出歩いても何もしない、悪戯しないこと。この二つを守ってくれるなら、冬にこれを飾ろう。どうだい?」
僕の提案に彼女は首を傾げて何か考えているようだったが、やがてにっこりと微笑んでみせた。
「いいわよ。約束は守るわ。だから貴方も約束を守ってくれる?」
「ああ。君が約束を守るならね」
冬の妖怪は満足そうににっこり笑った。
「そう、ありがとう。傍に置いておきたかったけど、それでもいいわ。また冬が来るのを楽しみにできるから。じゃあ、また冬にね。きっとよ」
「わかった」
彼女は微笑んだまま、また宙を飛んでいくと、遠くへ消えてしまった。
「ふぅ……」
彼女の背中を見送って、また一つため息が漏れた。
そんな自分に苦笑いをしてしまいながら、スノーグローブを手にして店の中へ入る。
暖炉の火が温かい。
※
もうすぐ冬が来る。
玄関先から店に入る。
店の中は少し冷えていた。
やがて雪が舞い降りてくるようになるだろう。
そろそろ暖炉が必要になってくる。
椅子に腰を掛けて、窓越しに玄関先を眺める。
そこには先ほど置いたスノーグローブが見えていた。
少し黄ばんだ透明の容器。
その中で、偽物の雪が降り注ぐ下で、女の子を模した人形が微笑んでいる。
どこかで彼女が来るのを待っている自分がいた。
僕の蒐集物を、スノーグローブを嬉しそうに見つめる彼女を心待ちにしている自分がいた。
もう少ししたら彼女はやって来るだろう。
スノーグローブの人形のような、笑顔を浮かべて。
空を見上げると、夏には青さを強調した空が晴れ晴れと広がっていたが、今ではどこかはっきりしない重苦しい色をしている。
風も冷たくなり、日が出ていても冷たさが身に染みてくる。
そんな空を見上げて、もう冬がそこまで来たのかと改めて思う。
冬になれば彼女がやって来るだろう。
寒気を身に纏わせて、そして笑顔を浮かべながら。
彼女はやって来るだろう。
※
昨年の暮れのことだ。
朝から幻想郷に大雪が降っていた。
窓の外はすでに白い雪で覆われている。
今日は出かけないことにしよう。
霊夢たちから宴会に誘われているが、不参加する以外に選択肢はない。
第一こんな雪の中を歩くなんて面倒だ。
急に吹雪いてきて、冬の妖怪にでも出くわすともっと面倒だ。
暖炉に火を入れながら、ゆっくり椅子に座る。
ふと窓越しに玄関先に置いた、それが目に入った。
ドーム状の透明な容器には液体が入れられている。その中に建物や人形が置かれていた。
そして雪を模した物が絶えず容器の中を動き回り、まるで街に雪が降り注いでいるような小さな景色を見せてくれる。
これはスノーグローブというものだ。
冬になると家々で飾られる物らしい。
この間、無縁塚で拾ったものだ。
以前、持ち主がいたのだろうか、透明な容器は少し黄ばんで汚れていた。
大した物じゃないな、と思いながらこれ以外には目ぼしいものは見つからなくて、つい持ち帰ってしまった。
そして本格的な冬が入り、ふとこれを玄関先に飾ってみようと思ったのだ。
だが飾ってみたところで珍しい物でもなんでもない。
視線を少し逸らせば、本物の雪が舞い降りている。
偽物の雪が降る景色を見たところで、何が面白いのだろうか。
興ざめして仕舞ってしまおうかとも思ったが、冬がやって来た。
寒さに冷える玄関先へ出るのも億劫だ。
春になったら仕舞おうと放置していた。
視線をスノーグローブから逸らして、鴉天狗の新聞を読むことにした。
しばらくして、玄関先で動く影が視線の隅に入った。
目を動かして来訪者を確認する。
そしてひどく後悔した。
こんな天気に出かけたら出くわすんじゃないかと思っていた、彼女が立っていた。
薄紫の髪をして、ターバンを巻いた青と白のゆったりとした服装。
レティという冬の妖怪だった。
どうしてここに来るのだろうか。
苦々しく思っていると、彼女の視線は店の中ではなく、玄関先に置かれたスノーグローブを見つめているのに気が付いた。
窓越しに彼女の顔を見る。
どこか嬉しそうに、物欲しそうにスノーグローブを目を細めて見つめている。
顔を動かして、色々な視点から眺めているようだ。
さて、どうしたものだろう。
あの道具は大して面白い物ではないが、だからといって簡単に譲ってもいい物でもない。
今は面白い物ではないが、蒐集物の一つには違いない。
あの冬の妖怪を体よく追い払うにはどうしたものだろう。
しかし、玄関先に出て直接話をしようものなら、どんなに面倒なことになるかわかったものじゃない。
急に吹雪でも食わらされたらたまったものじゃないだろう。
苦々しく考えをめぐらせていると、どうやら心配は杞憂に終わったようだ。
彼女はしばらくスノーグローブを眺めた後、ゆっくり宙に飛びだってしまった。
一体、何の用だったのだろう。冬の散歩の途中だったのか。
とにかく中へ入って来なかったことにほっとして、再び新聞に視線を落とした。
※
ところが。
次の日も、やはりその次の日も、冬の妖怪は店先にやって来る。
店の中に入ってくることはなくて、玄関先のスノーグローブを眺めてはすぐに飛んで行ってしまう。
そんなに珍しい物だろうか。
彼女が去った後、窓越しにスノーグローブを見つめてみるが、やはり大した物ではないように思える。
長い年月に黄ばんだ透明の容器。
小さな建物と人形に降り注ぐ偽物の雪の景色。
これの何が彼女を魅力させているのか、いくら首を傾げてみてもわからなかった。
彼女は本物の雪が降り注ぐ季節に現れるというのに。
やがて年を越しても、彼女は店先に現れてはスノーグローブを物欲しそうに見つめて、去って行った。
※
少しだが春の気配がし始めた。
吹いてくる風の冷たさも和らいでいき、あと一月もすれば温かい風が吹くだろう。そして春告精が空に舞い、本格的な春の訪れを知らせてくれるだろう。
ふと、この頃あの冬の妖怪がここに来る回数が減ったことに気づく。
毎日のように玄関先でスノーグローブを眺めて行ったのに、温かくなるにつれて三日に一度になり、ここ最近では週に一度の頻度になっていた。
そろそろ春眠の準備でもしているのだろうか。
ちょうどいい。
椅子から立ち上がると、玄関先へと出る。
そろそろ春になろうとしているので、スノーグローブを仕舞おうと思ったのだ。
外に出ると、やはりまだ風が冷たい。
体が震えるのを我慢して、スノーグローブに手を伸ばす。
手にする前に、気配がするのを感じた。
そいつに視線を移して、やはり苦々しい表情を浮かべてしまう。
店先から少し離れたところに、あの冬の妖怪が佇んでいたのだから。
「…………」
彼女はじっと伸ばしかけた手の先にあるスノーグローブを見つめていた。
温かくなり力が弱まっているのか、寒気はそれ程感じなかった。
ため息を一つ吐いてから、彼女に話しかける。
「悪いけど、君に譲ってあげられる物はないよ」
「そう。残念ね」
本当に心の奥から残念そうに彼女は呟いた。
伸ばした手を引いて、彼女に向かい合った。
少し興味があった。
「冬の間、ずっと店先に現れてはこいつを眺めていたね。何が珍しいのだろう。君なら本物の雪が降り注ぐのを嫌という程見ているじゃないか」
訊ねると彼女は照れくさそうに笑った。
「私はね、冬の間にしか起きていないのよ。春も夏も秋も、ずっと寝ているの」
「うん」
「だからね……また冬が来るまで、それが傍にあると見ていて心が休まるように思えるの。見ているだけでも落ち着くの」
そうしてスノーグローブを見つめる彼女は、心の底から愛おしむ眼をしていた。
その眼が僕を惹いた。
視線を彷徨わせて、やがて彼女は手を合わせて懇願するように話した。
「出来ればそれを譲って頂けると嬉しいな」
どこか悪戯っぽく笑う彼女の顔を見て、僕は首を振った。
「悪いけど、やっぱり君に譲ることはできないな。これは蒐集物の一つなのでね」
そう言って、手を伸ばしてスノーグローブを取った。
「そう」
手にしたスノーグローブを見つめて、彼女は残念そうな顔をした。そして背中を向ける。
「残念。もう用はないわ。それじゃ」
宙に浮かんだ彼女の背中に声をかける。
「待ってくれ。話は終わっていないよ」
ピタッと彼女は宙に浮かんだまま止まり、また振り返った。
「たしかにこれは君には譲れない。しかし僕の蒐集物に興味を持ってくれることは嬉しく思うよ。だから特別に便宜を図ろう。また冬が来たらこれを玄関先に飾ろう。そしたら好きなだけ眺めてもいい。どうだろう」
提案をすると、彼女は頬を赤く染めて食いつくように返事をする。
「本当!? 本当にまた飾ってくれるの?」
「ただし、条件がいる」
条件? と彼女は首を傾げる。
「一つ。店先に来るのは構わないが、店の中に入るのはよしてくれ。寒いのはごめんだ。一つ。冬の間、僕が出歩いても何もしない、悪戯しないこと。この二つを守ってくれるなら、冬にこれを飾ろう。どうだい?」
僕の提案に彼女は首を傾げて何か考えているようだったが、やがてにっこりと微笑んでみせた。
「いいわよ。約束は守るわ。だから貴方も約束を守ってくれる?」
「ああ。君が約束を守るならね」
冬の妖怪は満足そうににっこり笑った。
「そう、ありがとう。傍に置いておきたかったけど、それでもいいわ。また冬が来るのを楽しみにできるから。じゃあ、また冬にね。きっとよ」
「わかった」
彼女は微笑んだまま、また宙を飛んでいくと、遠くへ消えてしまった。
「ふぅ……」
彼女の背中を見送って、また一つため息が漏れた。
そんな自分に苦笑いをしてしまいながら、スノーグローブを手にして店の中へ入る。
暖炉の火が温かい。
※
もうすぐ冬が来る。
玄関先から店に入る。
店の中は少し冷えていた。
やがて雪が舞い降りてくるようになるだろう。
そろそろ暖炉が必要になってくる。
椅子に腰を掛けて、窓越しに玄関先を眺める。
そこには先ほど置いたスノーグローブが見えていた。
少し黄ばんだ透明の容器。
その中で、偽物の雪が降り注ぐ下で、女の子を模した人形が微笑んでいる。
どこかで彼女が来るのを待っている自分がいた。
僕の蒐集物を、スノーグローブを嬉しそうに見つめる彼女を心待ちにしている自分がいた。
もう少ししたら彼女はやって来るだろう。
スノーグローブの人形のような、笑顔を浮かべて。
とてもいい雰囲気でした
良い雰囲気です。