Coolier - 新生・東方創想話

ふたりよる

2014/11/10 23:33:16
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 水を掬う音がした。誰かがひと心地ついたような呼吸。
 大切な潤いを逃してしまって、それで水分が必要になったんだろうか。
「ねえさん」
 口を開いて思い出す。隣には姉の――幻月がいた。いたはずだった。二人がけのベッドは、今は少し寒々しい。
 気休めに掛かったタオルケットの下で蠢いて、徐々に感覚を取り戻していく。室内は静かで、月明かりだけが頼りになる光量だ。更に言えば、頼れる月明かりを誰かが室内に導いてるということだった。
 肌寒い風音がカーテンをはためかせる。開けきった窓枠に、遥か亡郷を望むかのように遠く目を馳せる、白い翼の姿が所在なく立ちすくんで月明かりを浴びていた。
「姉さん」
 今度はしっかり届く声量で呼ぶ。それでも夜空に心奪われてしまった姉を連れ戻すには不十分なようだ。ひんやりとした気温が停滞する床に素足を差し込んで、覚束ない意識を自立させる。体は休眠の淵でまだ中途半端なまま、声を出すことを諦め、手を引いて連れ戻すことが兎にも角にも早いと思い立って進む。若干の、胸騒ぎと後悔を覚えながら。
 予感は、そう待たされることなく直面に至る。
 以前誰かに、「姉妹にしては近すぎる」と揶揄された距離に踏み入って。
 ぎょっ、と。
 心持ち僅かに、迂闊さについて自分を責めた。
 起こされないのなら、寝ていればよかったのだ。
 呼ばれた声にだって、寝言だろうと思い過ごしたかったに違いない。
 代わりに立ちすくむことになった私に、やがて横顔が観念したように向いた。
 ほろりと涙の筋だけが咽ぶように名残を頬に引いていて、こんな時こそ、掛ける言葉が見当たらない。
 そのくせ、表情だけは落ち着き払った様相を取り戻して、痕跡を除けば姉はいつもと変わらない雰囲気のままで、果たしてどちらが正しいのだろかと動作も思考も二の足を踏んでしまう。
「どしたの夢月」
 どうしたもこうしたも。
 何をどうしたらそんなガラクタみたいな有様になってしまえるのか。訊きたいのは、こちらだった。
 今の彼女に、果たしていくつの機能が残されているのだろうか。表情筋を整えて笑うこと? 体を冷やすからベッドに戻れ、と厳かな姉を振る舞うこと? 頼りなく泣き喚くことの続きを、むざむざと再開してみせることか?
 ――できやしない。
 文字通り自分の状態に逆らって感情をガラクタにしてしまった生き物に、自浄作用なんてものは無い。
 思考はペーストのまま、峻烈な蒸気が氷塊を溶かすように、私の動きは滑らかに姉を圧倒した。
 手首をばっしと掴んで引っ張りあげてやると何事か抗議の声を上げ始める姉に耳を貸さず、ベッドにまで牽引して行儀よく座らせる。私は、その傍に寝転んだ。一度体温の蓋を取り払ったシーツの下には夜気がびっしりと忍び込んでいて、寒いことこの上ない。であれば姉に対する正体不明の怒りも湧き上がろうもので、代弁するように手を掴んで引き寄せた。窓辺に心と熱を置き忘れてきてしまったであろうひとの体温は、いっそ清々するほどに冷え切っている。いつもなら包み込むような体温に安心させられている身としては、そうなってしまったことに悔しい思いを生む。投げ捨てるようにして手を離した。ベッドは、ひとりきりの呼吸では温めることができない。
 そして姉はまだ、私を見下ろしたままだった。
 途端に癇癪で行動するような、困った妹だと思われているだろうか。だとしても、あんな状態の姉の前で感情も震えないでいることの方が、よほど堪えがたい。
 叱られることも呆れられることも、痒くはない。
 姉は、目が覚めるような笑顔でにこりと相好を崩すと、
「――ひょっとして私、誘われてる?」
 一瞬ですぅーっと氷点下まで思考が澄み渡らされるくらいに戯けた。
「痛っ、お尻、夢月それはたいてるじゃなくて殴ってるから」
 正直一発だけではしばき足りないものがあったが、これ以上破廉恥な尻を跳ね上げさせてやるのも可哀想だ。欠片も無いような貞淑さを外側から守ってやるのも、妹の務めというものだろう。
「掌でやったら悦ぶでしょ。矯正で悦ばせるつもりはないの」
「まぁー躾の行き届いてない馬みたいに言われたものだわ……」
 ぶつくさと胡乱に顔を歪めて零す。その様子を少しだけ注視して、気取られる前に視線を外す。いっそこのまま有耶無耶になってしまえばいい。本当に余計な気遣いだけは、要らないと思ったらしまっておくのがいい。
「ん」
 肩の間に首を縮こませていた頭に柔らかな手つき。冷気が潜った髪の間に、手指をまさぐりこませられるのが心地良い。そのまま受けているつもりでも、自然と頭が動いて逃れる風になってしまう。そうすれば、宥める感触が一層柔らかくなることを知っているから。
「まだ眠かったよね」
 眠ってていいんだよ、と。ささやかれる甘言には頷きたいものだけど、それではどちらにしろ元の木阿弥というもの。このベッドに一人では、広すぎるのだと。
 今度こそ手から逃れて、シーツの上に体を広げる。しどけなさを意識して、自分には似合わないくらいあざとく表情を作ってみせた。
「子守唄が、欲しいかも」
 ちゃんと目を見て言い放ったつもりだが、結局途中で逸らしてしまった。だから、今姉がどんな呆れ顔をしているのか。想像に頼るには少し怖い課題だった。
 ぎこちない姿勢のまま耳を澄ませていると、堪えきれなくなったような笑い声が、さざなみように響いてくる。当然だろう、なんて現実的に頷く一方で、どこか落胆としたものも口の端に滲んできた気がして。
 突如として覆いかぶさってきた動きが、その唇の真横ごと喰らうように頬に吸いついてくる。這わされる動きは短く、私を驚きに落とすだけの仕草に思える。言葉を持たぬまま見上げていると、十全、と言ったばかりに満ち満ちた顔で、なにやらようやく精気を取り戻したようだった。
「ところで、私の妹はどこでそんな顔を覚えてきたのやら」
「……非模範的姉に心当たりがある」
「ほんとう? なら心がけを改めないとかな。お芝居になら上手に乗って上げられるのに――いたずらに相手の心を暴走させちゃうだけの誘惑なんて、失策もいいところなんだからね」
 ぎこちなさすぎて、加減がつかないよ? と。額へ唇を授けられる。
 ……少し、耳の縁が熱い。
 そうしてまた心得たかのようにそこへ唇を当てられると、ああ付け焼き刃の色気ままごとなんて姉には敵わないんだなと思う。
 敵わないにしても、されっぱなしというのも立場がない。額の方へ伸びていて無防備に晒された喉元に淡く歯を立ててやる。びくり、と大げさなくらいにそこがこわばって、代わりにどことなく愉しげな吐息を目の前でされる。ぺたりとつけられた頬を音がつくくらいに擦られて、熱を帯びた肢体が私を押さえ込んだまましっとりしがみついた。体温を分け与えるどころか押し込まれるような強い抱擁に、取り戻した姉と包まれる温もりに安堵が広がっていく。興が乗り始めたであろう姉には申し訳なくも、気怠い眠気が心地よく神経を麻酔していく。そんな様子を、姉はもの愛おしげに目を細めて見やってくる。
 きっと大丈夫だ。もうしっかりと、背中を掴まえたのだから。
 だから、その満たされたおもてに再び涙が浮かぶことなんて、想像だにしていなかった。
 零すまいと堪えた見てくれだけの笑顔も、罅を入れる手助けにしかならなくて。姉は私の目前で少しずつ決壊していく。名残を見つけてしまった時よりも激的に変化していく濡れた表情に、今度こそ言葉を失った。
 嬉しいのかも悲しいのかも分からず、問う言葉も持たない。ただここにいる限り、私に適う役割は胸を貸すことだけに思えた。とめどなく溢れてしまうのなら、せめてその意味を受け止めるように。涙滴に体を晒して、行き場のないであろう滂沱を受け止める。
 すがる手が肩を掴み、背を抱き寄せようとするのなら、収まるべきはきっと一人。そうやって生きてきてしまった彼女だからこそ、その収まるべきは、恐らく限られてしまったのだろう。
 異存はなく、憐憫も抱かず。
 ありのまま、等身大として、鮮明な身の丈を分かち合った同士の片割れとして寄り添うだけだ。
 それが、彼女の妹として永らえてきたレーゾンデートル。
 月夜に涙と吐息を交わす唯一無二であろう相手としての透明な自覚。

 この夜もまた、ふたりきり



 おやすみよ、ねえさん
 どっちつかずの雰囲気になってしまった。
 きっと本来の夢幻姉妹の夜は秘めやかで静かに温かいに違いない。うん。

 この度もご読了、ありがとうございました。

>5様
 すれ違いつつも優しげで、離れられないからこそ溝が浮き彫りになってしまう。しめやかに温もりを交わして、穏やかに眠って欲しいものです
硬煉
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コメント



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5.80名前が無い程度の能力削除
心が壊れている幻月と、それを受け止めようとする夢月。素敵な姉妹愛。でも、それが届く事はないのでしょう。そう思うと、ひどく切ないです。
6.無評価名前が無い程度の能力削除
ああ、この素敵な雰囲気
7.100名前が無い程度の能力削除
ああ、この素敵な雰囲気