正体不明は孤独だ。
人里にあるお寺、命蓮寺からこっそりと抜け出し、正体不明の妖怪こと、封獣ぬえは飛び出した。今夜は雲一つない夜空で、月が輝いていた。
――こんな月夜に外に出ずにいられるだろうか? いいや出るしかないだろう――
謎の反語調で呟くと人里から離れた森にぬえは着地し、歩き出した。後ろを振り返り、寺のある方向に目を向けた。
「……大体、私がいてもいなくても関係ないだろうしね」
封獣ぬえが住んでいる命蓮寺は比較的最近、幻想郷にできたものだ。他にそこに住んでいるのは、長たる聖白蓮と彼女を中心とした仏教による集団であり、今ではすっかりと幻想郷に馴染んでいる――ある一部を除けば。
その一部というのがぬえである。命蓮寺でぬえは浮いていた。もちろん物理的にではなく周りの空気に馴染めないという意味だ。
空を飛ぶ宝船とUFOの異変にて、面白半分仲間外れにされたようで気に食わない半分で、飛倉の木片――これがUFOに見えていたのだ――に正体不明の種を付け、ムラサ達がこれを集める邪魔したが、それは彼女らにとって重要なことだった。結局はその重要なことである聖の解放は無事に達成されたのだが自分が邪魔したことには変わりはない。
次の異変で、聖人――妖怪の敵であり仏教の敵にもなるであろう奴だ――が復活したとき、前回の恩返しのつもりで旧知の妖怪である二ツ岩マミゾウを呼び寄せた。が、そもそも妖怪に統率など取れるはずもなくまったくの無駄骨であり、命蓮寺に居候が一人増えただけであった。
自分は何も役に立ってない。いや、それどころか邪魔になっているといっていいだろう。
――それは当然かもしれない。命蓮寺の皆は聖を中心にお互い信頼しあっている。それに比べ自分はぽっと出の、『正体不明』だ。
何も分からない奴をどうやって信じればいいのだ。
「……あーもう、こんなこと考えるのは私らしくない」
ネガティブな方向へ行ってしまう自分の考えを振り払いぬえは歩く速度を速めた。
特に行くあてもなく適当に進んでいたぬえだが、ふと足を止めた。
目の前には湖が広がっている、いや重要なのはそこではない。湖のそばに誰かがいる。人間の子供だろうか?
「……妖精、か」
よくよく目を凝らしてみるとどう見ても人間ではなかった。それは金髪の縦ロールで、なおかつ背中から羽が生えている。どうやらこちらには気付いていないようで、その妖精はじっと空を見つめていた。もし彼女が人間だったら適当に人里へ送ってやらねばいけないが、妖精ならばどうしようか。
やる事がないのに放っておくという選択肢は無い。だからといって普通に声を掛けるのでは面白くない。
ぬえはしばらく悩んでいた。が、なにかひらめいたようでポン、と手を打ち、にやにやと笑うと、正体不明の種を作り出した。
とある湖のほとり、静かなる月の妖精ルナチャイルドは岩に座って空を見上げていた。傍らに置いてあるコーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、それでも構わずに見上げていた。
「まだかしら……」
そうルナが呟いたときだった。
誰かに肩を叩かれた。一体誰だろう。サニーか、それともスターか。ルナは振り返り、自分の肩を叩いたモノをみた。
「き、きゃあああああああああああああ!?」
何を視たのか、ルナは顔面蒼白になり飛び上がった。
――ところで、湖の周りの岩はお世辞にも座るのに快適とはいえない。少し岩が湿っていてが滑りやすくなっているのだ。そんな岩の上で取り乱したりしたらどうなるだろう?
ざっぱーん
バランスを崩したルナは湖に落っこちた。
「あー……」
「いやーごめんごめん」
「ごめんじゃないわよ⁉ もう、サニーのときより驚いたわ」
「ごめんってば、ほら反省はしているからさー」
「反省の色のカケラも見えないのだけど」
ルナは水を吸った服を絞りながら不機嫌そうに――いつもの不機嫌そうな顔よりさらに顔をしかめて――言った。
ぬえがやったことは単純だ。『正体を判らなくする程度の能力』で自分自身を正体不明にしたのだ。自分が何に視えたのかはぬえを視た人によってそれぞれ違う。どうやらこの妖精は、よっぽど恐ろしいものが視えたようだ。
「まさか湖に落ちると思わなくってさ。何が見えたの?」
「何って……言わないわよ」
「えー! なんでよ!」
「人を……じゃない妖精を水に落としといて、そんなわくわくしたような表情をした人には言いたくないわ」
「あーごめんってば」
ルナはつーん、としたご様子だった。取りつく島もない。
ぬえとしても湖に落とすつもりはなかったし、このままではなんとなくバツが悪い。どうにか話題をそらせるものはないか。ぬえはそう思いふと目を落とすと、黒い液体が入ったマグカップに目がとまった。
「そ、そうだ。これってなに?」
「これ? なにって、コーヒーよ」
「コーヒー? なにそれ」
「知らないの⁉ 飲み物よ。人里のかふぇーってところにもあるらしいのに」
「あーあんまり人里の店には行ったことないからね」
信じられない、といった顔をした妖精は、ちょっと待って、と言いながらカバンから不可思議な道具を取り出した。
「なにこれ?」
「これはコーヒーミル、こっちはサイフォンって言うコーヒーを入れる道具なの。今から作るから待ってて、この味を知らないなんて千年は人生損してるわね」
「そんなに⁉」
さっきまでの怒りはどこへやら、なにやら妖精はコーヒーというものを作り始めたらしい。この妖精が何をしようとしているのかは分からないが、なんとかごまかせたようだしまあいいか。と、ぬえはコポコポと音を発しているサイフォンとかいうものを面白そうに見つめた。
数分後
「できたわ」
「お、飲んでいいのね。じゃあいただきまーす」
ぬえは出されたコーヒーというものをゆっくりと飲む。心地よい苦味と濃厚な風味が口の中で広がった。
「どう?」
「苦い……けどけっこうこの味好き」
「あらそう、じゃあ試しにこっちのミルクと砂糖も入れてみる?」
ルナはコーヒーに砂糖とミルクを入れ、再びぬえに差し出した さっきよりほんのり茶色になったコーヒーを口に含むと、今度は強い甘味が口の中に広がった。
「……おお甘い、でも私はさっきの方が好きかなー」
「この苦さが分かるなんてあなたなかなかできるわね……!」
一体何ができるのかはさっぱりわからないが、どうやら機嫌は直ったらしい。
「甘いものも悪くないけど、やっぱり私はブラックが至高だと思うの。あ、ブラックって最初にあなたに渡したほうね。サニーなんかはいつも砂糖とミルクをたっぷり入れるのよ。いくら自分の名前がサニーミルクだからってミルクを取らなきゃ死んじゃうのかしら」
「その子のことはよく知らないけど多分違うんじゃないかな」
「スターは『人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい』って言うし」
「その子に何があったの?」
「魔理沙さんも『コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければならないんだぜ』って言うし……」
無駄にコーヒーについての格言を知ってしまった。こいつコーヒーの妖精か。
そんな会話をしているうちにマグカップの中身は飲みきった、と思ったら妖精が注いでくれた。二杯目のコーヒーをぐいっと飲む。独特な香りと心地よい苦みが好きだ。
「うん、やっぱり私はこっちのブラック? ってのが好きだよ」
「照れるわ」
「いやあんたが照れてどうする。……変な妖精ね」
「あなたこそ、おかしい妖怪ね。幻想郷はそんなのばかりだけど」
「そんなおかしい妖怪こと私の名前は封獣ぬえ、正体不明の妖怪さ」
「そういえば自己紹介もまだだったわね。私はルナチャイルド、変な……ではなく月の光の妖精よ」
「コーヒーの妖精じゃないんだ」
「少なくともそんな妖精は見たことないわ」
「ルナチャイルド、ねぇ。確かにチャイルドだけど」
「失礼ね。妖精といっても子供じゃないわよ、それなりに長く生きてるわ」
「ところでチャイルド」
「なんでそこを抜き出したの……ルナ、でいいじゃない」
「ところでルナサ」
「それは騒霊」
「……ああ、『それ』と『騒霊』をかけたんだ。ああ、うん悪くないんじゃないかな……」
「そんな意図ないわよ! なんで私がスベったことになってるの⁉」
人(妖精だけど)をからかうのは面白いが、せっかく直した機嫌が悪くなるのはアレなので仕切りなおしてきちんと呼ぶことにした。
「ところでこんなところでルナは何をしていたの?一日遅れの月見?」
「少し違うわ、月を見ていたのは合っているけど――」
そのときだ。
きらっとした何かが空を走った。
はじめは流れ星か、はたまた白黒魔法使いの弾幕かと思ったが違う。「それ」は光を強め、だんだんと近づいて、森の中へ落ちて行った。
驚いた表情のぬえとは対称的にルナは顔をほころばせ、勢いよく立ちあがった。
「あれがくるのをずっと待っていたの。それじゃあ私は行くわね」
「ちょ、ちょっと待って。あれっていったいなんなのさ?」
「月のかけら、よ」
ぬえはポカンと口を開けた。
「月のかけらはね、満月から十六夜の月に欠けることで落ちてくるの」
「初耳だね。私は満月のときは月見をよくするけど、次の夜の月なんてよく見てなかったよ」
ぬえはルナと並んで歩いている。『月のかけら』とやらがどんなものなのか興味をもったのだ。まあ妖精の言うことだ。おそらく本当に月から落ちてきたものではないのだろうけど。
「でもどこに落ちたかわかるの?」
「私は月の妖精だからね、なんとなく分かるの」
「考えるんじゃない、感じるんだってやつ?」
「間違ってないけど間違っているような……」
閑話休題。
このままでは湖に落とされた後のようにペースにはまってしまうとでも思ったのかルナは別の話題をふった。
「そういえばぬえってどこに住んでいるの?」
「命蓮寺ってところ」
「えーと確かちょっと前にできたお寺だっけ、確か船が飛んだり変な物体が飛んでいた異変の後にできた」
「そうね、ちなみにその変な物体は私の仕業だったり」
「ええ⁉」
「私の能力は『正体を判らなくする程度の能力』。私の手にかかれば空飛ぶ鳥は空飛ぶ謎の物体になり、見知った人も恐ろしい怪物のように見せられるよ」
そう、そのせいで聖達の邪魔をしてしまったのだ。そうぬえが考えていると、不意にルナがじっとこちらを見つめてきた。
「なに、どうかした?」
「何か悩みでもあるの?」
突然のルナの言葉にドキリとした。余計なことを口走ってしまったか。
「どうしてそう思ったの?」
「なんとなく。考えてないし感じただけよ」
……まあ少し話すくらいならいいか。どうせ相手は妖精だ、明日には忘れるかもしれないし。
「……悩みってほどでもないけどさ。なんとなく合ってないっていうか……馴染めないっていうのかな」
そう、ぬえは命蓮寺に馴染めていない。
新しく命蓮寺に入門した妖怪である響子や、入門してるわけでもないが何故か入り浸っている小傘でさえ馴染んでいるようだ。そしてマミゾウも当初は自分と同じように浮いていたが何日も続いた決闘騒ぎの後は皆と、特に決闘に参加していた聖や一輪と親しくできているようだった。
別にぬえが虐げられているというわけではない。命蓮寺の皆は優しい。封印を解く邪魔をした自分にさえ聖は気にかけてくれている。旧友たるマミゾウも自分のことを気にしてくれているのも分かっている。
それでもやっぱりぬえは皆との壁を感じずにはいられなかった。
「なんだろうね。自分だけ皆と馴染めないのか、他の人はそうでもないのに、みたいなそんな感じ。」
「……その気持ち、少し分かるわ。私はサニーとスターと一緒に住んでいるの。二人と出会ってから今までずっと一緒だった。三人で色々な悪戯をして、霊夢さんとか魔理沙さんとか色々な人と知り合ったわ。だけど最近二人にそれぞれ別の友達ができたみたいでね、蔑ろにされているってわけではないし、二人がいなくなったわけではないのだけれど、時々一人ぼっちになったような寂しい気持ちになるの」
「別に、寂しいってわけじゃないけど」
「本当に? 私にはそう聞こえたのだけれど」
「……そうだね、間違ってない、かな」
自分は寂しいのだろう、皆の仲間に入れなくて。他の人達がすんなりと親しそうにしているのに自分はできなくて。友達が、できなくて。
「ねえ、その命蓮寺にいる人達はどんな人?」
「ん? そうだね……一番偉い聖ってのはお人好し。んでその部下のトラもまあおっちょこちょいだけどきっちりしているし、船長のムラサも面白いやつかな。他にもいるけど、こんなところかな。皆、聖に助けられたりして昔馴染みらしいよ。私みたいに、邪魔した妖怪も受け入れてさ。迷惑な存在でしかないだろうに」
どうせ私は独りなんだ、と続けて自虐の言葉を続けようとするぬえを遮るようにルナが言った。
「そんなことない」
きっぱりとルナは言った。断言されたことが面白くなくなり、ぬえは唇を尖らせた。
「……なんで」
「月の妖精だからね……ってのは冗談だけど、あなたの話を聞いてればわかるわ」
「どうしてよ」
「私に対していきなり悪戯を仕掛けるほど性格の悪いぬえが、その人達の欠点を一つも言ってないじゃない。それだけいい人達なんでしょ」
「まあ……そうだね」
「それだけいい人がぬえのことを邪魔者扱いなんてするはずないわ」
「……さとり妖怪じゃないんだから、分かるわけないじゃない」
「分かるわよ。人に対して嫌な気持ちを持っていたら、何も言わなくても向けられた人はその人に対して嫌な印象を持つものよ。ぬえは勝手に嘆いているだけじゃない?」
確かに自分が邪魔みたいなことは言ったが、具体的なことを話したつもりはない。
驚いた様子のぬえにルナが続けて答える。
「私はね、サニーやルナと一緒に悪戯するようになったとき、自分はどうしてこんなにおっちょこちょいなんだろうって思ってた。私ってよく転ぶしね。二人に比べて能力もそんなに大したことないから、足手まといになるのが怖いって、二人と別れるのが怖いって。」
これはぬえにとって意外だった。妖精というのはその場の思いつきで行動するもので、悩みとかは無縁だと思っていた。どうやら自分が思ったよりも深く考えているらしい。
「あるとき聞いたの、『どうして私をいつも置いていくんだ』って。そしたら『それは違うのよ、ルナ。私達はルナを信頼しているから置いていくのよ』って笑いながら言われたわ。なーんかそれで私の悩みなんてどうでもよくなったわねー」
「いやそれでいいの?」
「いいの、サニーもスターも何にも考えてないもの。だって私が、私達がやっていることはただの悪戯。ぬえのやったことだってようは物を別のものにすりかえたってだけだし、そんなの私達が何度もやったことあるわ。全然大したことないわね♪だから、きっとその寺の人達も気にしてないわよ。ただの悪戯にいつまでも怒っていると思う?」
「……そうなの、かな」
ルナの言ったことは正しい、と思ったがぬえは不安が消えたわけではなかった。
「そうよ、それよりそろそろ近いわ」
「え? 何が?」
「寝ぼけてるの? 月のかけら探しに決まって……見つけた!」
ルナが指を差したその先にあったのは――石だった。ただしその石は淡い光――まるで月の光のような――で覆われていた。ルナはそれを拾って手のひらに乗せた。
「これが……月のかけら?」
「うん、綺麗でしょ?」
「うん……すごい」
しばらく二人はじっと『月のかけら』を見つめていた。ただ光っている石のはずだがぬえは惹かれていた。ルナもいつもの不機嫌そうな顔を解いていた。本当に月が欠けて落ちたかのような、不思議な石だ。
どれくらい経っただろうか。
あるとき、ルナが口火を切った。
「私はね、これで地上の月を作りたいの」
「……へ?」
「かけらを集めて、形を整えて、いつか空に浮かぶ月と同じくらい綺麗な月をね」
月は妖怪と関係が深い。かつて本物の月が偽物とすり替えられたとき、本物を取り戻すため夜を止めた異変が起きるほどだ。それほどまでに月というのは重要であり、力を持っている。それをただの妖精が、月を作る?
「そんなの無理だ、無茶だ、無謀だ」
「やってみないとわからないわ」
「そもそも、それが本当に月から落ちてきたものかどうかも分からないんだ。偽物かもしれない、そんな正体不明なものなんて――」
そうだ、正体不明なものに一体何の価値がある?
「正体」は重要であることはぬえは知っている。たとえばただのすきま風でも、正体がわからないから人間は怖がる。どんな便利な道具でも使い方が分からなければただの肥やしだ。だから自らの能力である「正体を判らなくする程度の能力」は強い。平安の時代、人間から恐れられた鵺は何度も退治されたとされているが、その正体である「封獣ぬえ」は一度たりとも退治されたことはない。
誰も自分の正体を見破った者はいない。それほどまでに「正体不明」は強く、恐ろしく、無価値だ。
つまりそんな正体不明たる自分は――
「関係ないわ」
ぬえを思考をルナの一言が断ち切った。
「確かに今私がやっていることは妖怪には、いや人間や妖精にも馬鹿にされるかもしれないわね。仮に地上の月らしきものを作ってもそれは文字通り月とスッポンかもしれない。特別な力なんてないかもしれない。それでも私は作りたい」
「それがどんなものか分からないとしても?――正体不明でも?」
ぬえが心から振りしぼるように言う。
「もちろん」
ルナは迷いなく答えた。
「それが本物だろうと偽物だろうと、正体不明だとしても、変わらないわ。大事なのは自分がどう思っているか、よ。他に難しいこと考えられないわね」
それに、とルナは言葉を続けた。
「正体がわからないって、ちょっとろまんちっくでしょ?」
悪戯っぽく言ったルナの言葉がなんだかおかしくて。
なぜか涙が出そうになった。
「なぁにそれ、バカみたい」
「バカとは失礼ね。コーヒーを知らなかったぬえに言われたくないわ」
「まだコーヒーネタ引っ張るんだ」
「そんなことより、ねぇ」
ルナは月のかけらに向けていた視線をぬえに向け、少し恥ずかしそうにルナは言った。
「これ、ぬえに持っててほしい」
ルナは『月のかけら』をぬえに差し出した。
ぬえは目を丸くする。
「それってルナにとって大切なものじゃ……」
「もちろん大切なものよ」
「だったらなおさらだよ、どうして……」
「あげるわけじゃないの。ぬえに、預かっててほしいの」
「……どういうこと?」
さっぱりわからない、というぬえにルナは少しだけ視線をそらして、いつもより早口で言った、
「私の月が後一つで完成する、となったとき、ぬえも一緒に来てほしいの。そのときにぬえに預けた月のかけらで完成させたいわ」
「私と、一緒に?」
「ええ、悪い?」
「い、いや全然」
なぜか顔が少し熱いような気がする。気のせいに違いないと自分をごまかしながらぬえは続けて言った
「そ、そういえばさ、どうして地上の月を作りたい、って思ったの? 空の月じゃ不満だったり?」
「まさか。ねぇ、ぬえ。さっき私が一人になるのが怖いって言ったでしょ? 地上の月を作ろうと思ったのはそれがきっかけ。私一人の力でも悪戯ができる力を持ちたい、って思ったから。でもね、すぐ気が変わったわ。だってサニーやスター、時々氷の妖精や魔理沙さんも加わって、皆で一緒に悪戯する方が一人よりずっとずっと楽しいって。悪戯は楽しまなくちゃ」
確かに――昔、マミゾウと一緒に人間を騙したことがあるが、自分ひとりのときよりずっと楽しかった気がする。
「私はただ見てみたいの。みんなと地上の月を――そして皆と一緒に二つの月を見ながら月見酒を楽しむの。それってきっと楽しいと思わない?」
本物の月と比べて笑い飛ばされたりするのも一興だ。そしてそのうち月より酒に夢中になるのだろう。ああ、楽しそうだ。
「ねぇ、そこに私がいてもいいの?」
「当たり前じゃない。一緒に月のかけらを探した友達ってあなたが初めてだもの。だからぬえに預けたいの」
「友達?」
「え? 友達でしょ?」
不思議そうにルナが見つめてきた。
たった一言、それだけであっさりと、ぬえは孤独じゃなくなった。いや、孤独だって勝手に勘違いしていたのだろう。多分、ずっと前からぬえは孤独なんかじゃなかった。ただ目の前の妖精が気付かせてくれたのだ。
「ねえ、ルナ」
「なに?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
月が沈み、夜が終わっていく。もうすぐ夜を生きる妖怪や妖精の時間は終わり。つまりはお別れだ。
「今度寺に遊びにきなよ、面白くないところかもしれないけどさ」
「そうね、悪戯しにいくわ。3人と一緒に」
「コーヒーもよろしく」
「コーヒーもいいけどお酒も期待していい?」
「正体不明のお酒にこうご期待!」
「期待しないでおくわ」
「またね、ルナ」
「またね、ぬえ」
そう言って二人は踵を返し、振り返らずお互い反対方向へ向かった。二人の帰る場所へ。
ルナは木にくりぬかれた博麗神社の近くの家へ帰ってきた。
今日は月のかけらを持って帰らなかったけど、なんて素敵な夜だったのだろう。
いつかこのなんだかよくわからない地上の月――正体不明の月――が完成するかすごく楽しみだ。
まあその前に、
「もうすぐ起きてくる二人のために、コーヒーを淹れなくちゃね」
特にねぼすけな日の光の妖精の目を覚まさせるために、とびっきり苦いのを。
「こういうのを朝帰りっていうのかな」
ぬえは命蓮寺の前に着地した。すっかり朝日は昇っていて、もう少ししたら皆が起きてくるだろう。
『月のかけら』に目を落とし、考える。
この石は本当に月から落ちてきたものか、それともただのガラクタか、まったくの正体不明だ。
だけどそれがホンモノでもニセモノでも正体不明でもどうでもよいのと同じように、自分が正体不明とか関係ないんだ。
ぬえはぎゅっと石を握りしめ、前を見る。
もう寂しさも孤独も感じてなんかいなかった。
出ていくときよりもずっとずっと晴れ晴れとした――ちょうど昇っていく朝日のように――気持ちで命蓮寺に帰ってきたのだ。
さて、朝帰りの言い訳はどうしようかな、なんて思いながら境内に足を踏み入れ、言った。
「ただいま!」
人里にあるお寺、命蓮寺からこっそりと抜け出し、正体不明の妖怪こと、封獣ぬえは飛び出した。今夜は雲一つない夜空で、月が輝いていた。
――こんな月夜に外に出ずにいられるだろうか? いいや出るしかないだろう――
謎の反語調で呟くと人里から離れた森にぬえは着地し、歩き出した。後ろを振り返り、寺のある方向に目を向けた。
「……大体、私がいてもいなくても関係ないだろうしね」
封獣ぬえが住んでいる命蓮寺は比較的最近、幻想郷にできたものだ。他にそこに住んでいるのは、長たる聖白蓮と彼女を中心とした仏教による集団であり、今ではすっかりと幻想郷に馴染んでいる――ある一部を除けば。
その一部というのがぬえである。命蓮寺でぬえは浮いていた。もちろん物理的にではなく周りの空気に馴染めないという意味だ。
空を飛ぶ宝船とUFOの異変にて、面白半分仲間外れにされたようで気に食わない半分で、飛倉の木片――これがUFOに見えていたのだ――に正体不明の種を付け、ムラサ達がこれを集める邪魔したが、それは彼女らにとって重要なことだった。結局はその重要なことである聖の解放は無事に達成されたのだが自分が邪魔したことには変わりはない。
次の異変で、聖人――妖怪の敵であり仏教の敵にもなるであろう奴だ――が復活したとき、前回の恩返しのつもりで旧知の妖怪である二ツ岩マミゾウを呼び寄せた。が、そもそも妖怪に統率など取れるはずもなくまったくの無駄骨であり、命蓮寺に居候が一人増えただけであった。
自分は何も役に立ってない。いや、それどころか邪魔になっているといっていいだろう。
――それは当然かもしれない。命蓮寺の皆は聖を中心にお互い信頼しあっている。それに比べ自分はぽっと出の、『正体不明』だ。
何も分からない奴をどうやって信じればいいのだ。
「……あーもう、こんなこと考えるのは私らしくない」
ネガティブな方向へ行ってしまう自分の考えを振り払いぬえは歩く速度を速めた。
特に行くあてもなく適当に進んでいたぬえだが、ふと足を止めた。
目の前には湖が広がっている、いや重要なのはそこではない。湖のそばに誰かがいる。人間の子供だろうか?
「……妖精、か」
よくよく目を凝らしてみるとどう見ても人間ではなかった。それは金髪の縦ロールで、なおかつ背中から羽が生えている。どうやらこちらには気付いていないようで、その妖精はじっと空を見つめていた。もし彼女が人間だったら適当に人里へ送ってやらねばいけないが、妖精ならばどうしようか。
やる事がないのに放っておくという選択肢は無い。だからといって普通に声を掛けるのでは面白くない。
ぬえはしばらく悩んでいた。が、なにかひらめいたようでポン、と手を打ち、にやにやと笑うと、正体不明の種を作り出した。
とある湖のほとり、静かなる月の妖精ルナチャイルドは岩に座って空を見上げていた。傍らに置いてあるコーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、それでも構わずに見上げていた。
「まだかしら……」
そうルナが呟いたときだった。
誰かに肩を叩かれた。一体誰だろう。サニーか、それともスターか。ルナは振り返り、自分の肩を叩いたモノをみた。
「き、きゃあああああああああああああ!?」
何を視たのか、ルナは顔面蒼白になり飛び上がった。
――ところで、湖の周りの岩はお世辞にも座るのに快適とはいえない。少し岩が湿っていてが滑りやすくなっているのだ。そんな岩の上で取り乱したりしたらどうなるだろう?
ざっぱーん
バランスを崩したルナは湖に落っこちた。
「あー……」
「いやーごめんごめん」
「ごめんじゃないわよ⁉ もう、サニーのときより驚いたわ」
「ごめんってば、ほら反省はしているからさー」
「反省の色のカケラも見えないのだけど」
ルナは水を吸った服を絞りながら不機嫌そうに――いつもの不機嫌そうな顔よりさらに顔をしかめて――言った。
ぬえがやったことは単純だ。『正体を判らなくする程度の能力』で自分自身を正体不明にしたのだ。自分が何に視えたのかはぬえを視た人によってそれぞれ違う。どうやらこの妖精は、よっぽど恐ろしいものが視えたようだ。
「まさか湖に落ちると思わなくってさ。何が見えたの?」
「何って……言わないわよ」
「えー! なんでよ!」
「人を……じゃない妖精を水に落としといて、そんなわくわくしたような表情をした人には言いたくないわ」
「あーごめんってば」
ルナはつーん、としたご様子だった。取りつく島もない。
ぬえとしても湖に落とすつもりはなかったし、このままではなんとなくバツが悪い。どうにか話題をそらせるものはないか。ぬえはそう思いふと目を落とすと、黒い液体が入ったマグカップに目がとまった。
「そ、そうだ。これってなに?」
「これ? なにって、コーヒーよ」
「コーヒー? なにそれ」
「知らないの⁉ 飲み物よ。人里のかふぇーってところにもあるらしいのに」
「あーあんまり人里の店には行ったことないからね」
信じられない、といった顔をした妖精は、ちょっと待って、と言いながらカバンから不可思議な道具を取り出した。
「なにこれ?」
「これはコーヒーミル、こっちはサイフォンって言うコーヒーを入れる道具なの。今から作るから待ってて、この味を知らないなんて千年は人生損してるわね」
「そんなに⁉」
さっきまでの怒りはどこへやら、なにやら妖精はコーヒーというものを作り始めたらしい。この妖精が何をしようとしているのかは分からないが、なんとかごまかせたようだしまあいいか。と、ぬえはコポコポと音を発しているサイフォンとかいうものを面白そうに見つめた。
数分後
「できたわ」
「お、飲んでいいのね。じゃあいただきまーす」
ぬえは出されたコーヒーというものをゆっくりと飲む。心地よい苦味と濃厚な風味が口の中で広がった。
「どう?」
「苦い……けどけっこうこの味好き」
「あらそう、じゃあ試しにこっちのミルクと砂糖も入れてみる?」
ルナはコーヒーに砂糖とミルクを入れ、再びぬえに差し出した さっきよりほんのり茶色になったコーヒーを口に含むと、今度は強い甘味が口の中に広がった。
「……おお甘い、でも私はさっきの方が好きかなー」
「この苦さが分かるなんてあなたなかなかできるわね……!」
一体何ができるのかはさっぱりわからないが、どうやら機嫌は直ったらしい。
「甘いものも悪くないけど、やっぱり私はブラックが至高だと思うの。あ、ブラックって最初にあなたに渡したほうね。サニーなんかはいつも砂糖とミルクをたっぷり入れるのよ。いくら自分の名前がサニーミルクだからってミルクを取らなきゃ死んじゃうのかしら」
「その子のことはよく知らないけど多分違うんじゃないかな」
「スターは『人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい』って言うし」
「その子に何があったの?」
「魔理沙さんも『コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければならないんだぜ』って言うし……」
無駄にコーヒーについての格言を知ってしまった。こいつコーヒーの妖精か。
そんな会話をしているうちにマグカップの中身は飲みきった、と思ったら妖精が注いでくれた。二杯目のコーヒーをぐいっと飲む。独特な香りと心地よい苦みが好きだ。
「うん、やっぱり私はこっちのブラック? ってのが好きだよ」
「照れるわ」
「いやあんたが照れてどうする。……変な妖精ね」
「あなたこそ、おかしい妖怪ね。幻想郷はそんなのばかりだけど」
「そんなおかしい妖怪こと私の名前は封獣ぬえ、正体不明の妖怪さ」
「そういえば自己紹介もまだだったわね。私はルナチャイルド、変な……ではなく月の光の妖精よ」
「コーヒーの妖精じゃないんだ」
「少なくともそんな妖精は見たことないわ」
「ルナチャイルド、ねぇ。確かにチャイルドだけど」
「失礼ね。妖精といっても子供じゃないわよ、それなりに長く生きてるわ」
「ところでチャイルド」
「なんでそこを抜き出したの……ルナ、でいいじゃない」
「ところでルナサ」
「それは騒霊」
「……ああ、『それ』と『騒霊』をかけたんだ。ああ、うん悪くないんじゃないかな……」
「そんな意図ないわよ! なんで私がスベったことになってるの⁉」
人(妖精だけど)をからかうのは面白いが、せっかく直した機嫌が悪くなるのはアレなので仕切りなおしてきちんと呼ぶことにした。
「ところでこんなところでルナは何をしていたの?一日遅れの月見?」
「少し違うわ、月を見ていたのは合っているけど――」
そのときだ。
きらっとした何かが空を走った。
はじめは流れ星か、はたまた白黒魔法使いの弾幕かと思ったが違う。「それ」は光を強め、だんだんと近づいて、森の中へ落ちて行った。
驚いた表情のぬえとは対称的にルナは顔をほころばせ、勢いよく立ちあがった。
「あれがくるのをずっと待っていたの。それじゃあ私は行くわね」
「ちょ、ちょっと待って。あれっていったいなんなのさ?」
「月のかけら、よ」
ぬえはポカンと口を開けた。
「月のかけらはね、満月から十六夜の月に欠けることで落ちてくるの」
「初耳だね。私は満月のときは月見をよくするけど、次の夜の月なんてよく見てなかったよ」
ぬえはルナと並んで歩いている。『月のかけら』とやらがどんなものなのか興味をもったのだ。まあ妖精の言うことだ。おそらく本当に月から落ちてきたものではないのだろうけど。
「でもどこに落ちたかわかるの?」
「私は月の妖精だからね、なんとなく分かるの」
「考えるんじゃない、感じるんだってやつ?」
「間違ってないけど間違っているような……」
閑話休題。
このままでは湖に落とされた後のようにペースにはまってしまうとでも思ったのかルナは別の話題をふった。
「そういえばぬえってどこに住んでいるの?」
「命蓮寺ってところ」
「えーと確かちょっと前にできたお寺だっけ、確か船が飛んだり変な物体が飛んでいた異変の後にできた」
「そうね、ちなみにその変な物体は私の仕業だったり」
「ええ⁉」
「私の能力は『正体を判らなくする程度の能力』。私の手にかかれば空飛ぶ鳥は空飛ぶ謎の物体になり、見知った人も恐ろしい怪物のように見せられるよ」
そう、そのせいで聖達の邪魔をしてしまったのだ。そうぬえが考えていると、不意にルナがじっとこちらを見つめてきた。
「なに、どうかした?」
「何か悩みでもあるの?」
突然のルナの言葉にドキリとした。余計なことを口走ってしまったか。
「どうしてそう思ったの?」
「なんとなく。考えてないし感じただけよ」
……まあ少し話すくらいならいいか。どうせ相手は妖精だ、明日には忘れるかもしれないし。
「……悩みってほどでもないけどさ。なんとなく合ってないっていうか……馴染めないっていうのかな」
そう、ぬえは命蓮寺に馴染めていない。
新しく命蓮寺に入門した妖怪である響子や、入門してるわけでもないが何故か入り浸っている小傘でさえ馴染んでいるようだ。そしてマミゾウも当初は自分と同じように浮いていたが何日も続いた決闘騒ぎの後は皆と、特に決闘に参加していた聖や一輪と親しくできているようだった。
別にぬえが虐げられているというわけではない。命蓮寺の皆は優しい。封印を解く邪魔をした自分にさえ聖は気にかけてくれている。旧友たるマミゾウも自分のことを気にしてくれているのも分かっている。
それでもやっぱりぬえは皆との壁を感じずにはいられなかった。
「なんだろうね。自分だけ皆と馴染めないのか、他の人はそうでもないのに、みたいなそんな感じ。」
「……その気持ち、少し分かるわ。私はサニーとスターと一緒に住んでいるの。二人と出会ってから今までずっと一緒だった。三人で色々な悪戯をして、霊夢さんとか魔理沙さんとか色々な人と知り合ったわ。だけど最近二人にそれぞれ別の友達ができたみたいでね、蔑ろにされているってわけではないし、二人がいなくなったわけではないのだけれど、時々一人ぼっちになったような寂しい気持ちになるの」
「別に、寂しいってわけじゃないけど」
「本当に? 私にはそう聞こえたのだけれど」
「……そうだね、間違ってない、かな」
自分は寂しいのだろう、皆の仲間に入れなくて。他の人達がすんなりと親しそうにしているのに自分はできなくて。友達が、できなくて。
「ねえ、その命蓮寺にいる人達はどんな人?」
「ん? そうだね……一番偉い聖ってのはお人好し。んでその部下のトラもまあおっちょこちょいだけどきっちりしているし、船長のムラサも面白いやつかな。他にもいるけど、こんなところかな。皆、聖に助けられたりして昔馴染みらしいよ。私みたいに、邪魔した妖怪も受け入れてさ。迷惑な存在でしかないだろうに」
どうせ私は独りなんだ、と続けて自虐の言葉を続けようとするぬえを遮るようにルナが言った。
「そんなことない」
きっぱりとルナは言った。断言されたことが面白くなくなり、ぬえは唇を尖らせた。
「……なんで」
「月の妖精だからね……ってのは冗談だけど、あなたの話を聞いてればわかるわ」
「どうしてよ」
「私に対していきなり悪戯を仕掛けるほど性格の悪いぬえが、その人達の欠点を一つも言ってないじゃない。それだけいい人達なんでしょ」
「まあ……そうだね」
「それだけいい人がぬえのことを邪魔者扱いなんてするはずないわ」
「……さとり妖怪じゃないんだから、分かるわけないじゃない」
「分かるわよ。人に対して嫌な気持ちを持っていたら、何も言わなくても向けられた人はその人に対して嫌な印象を持つものよ。ぬえは勝手に嘆いているだけじゃない?」
確かに自分が邪魔みたいなことは言ったが、具体的なことを話したつもりはない。
驚いた様子のぬえにルナが続けて答える。
「私はね、サニーやルナと一緒に悪戯するようになったとき、自分はどうしてこんなにおっちょこちょいなんだろうって思ってた。私ってよく転ぶしね。二人に比べて能力もそんなに大したことないから、足手まといになるのが怖いって、二人と別れるのが怖いって。」
これはぬえにとって意外だった。妖精というのはその場の思いつきで行動するもので、悩みとかは無縁だと思っていた。どうやら自分が思ったよりも深く考えているらしい。
「あるとき聞いたの、『どうして私をいつも置いていくんだ』って。そしたら『それは違うのよ、ルナ。私達はルナを信頼しているから置いていくのよ』って笑いながら言われたわ。なーんかそれで私の悩みなんてどうでもよくなったわねー」
「いやそれでいいの?」
「いいの、サニーもスターも何にも考えてないもの。だって私が、私達がやっていることはただの悪戯。ぬえのやったことだってようは物を別のものにすりかえたってだけだし、そんなの私達が何度もやったことあるわ。全然大したことないわね♪だから、きっとその寺の人達も気にしてないわよ。ただの悪戯にいつまでも怒っていると思う?」
「……そうなの、かな」
ルナの言ったことは正しい、と思ったがぬえは不安が消えたわけではなかった。
「そうよ、それよりそろそろ近いわ」
「え? 何が?」
「寝ぼけてるの? 月のかけら探しに決まって……見つけた!」
ルナが指を差したその先にあったのは――石だった。ただしその石は淡い光――まるで月の光のような――で覆われていた。ルナはそれを拾って手のひらに乗せた。
「これが……月のかけら?」
「うん、綺麗でしょ?」
「うん……すごい」
しばらく二人はじっと『月のかけら』を見つめていた。ただ光っている石のはずだがぬえは惹かれていた。ルナもいつもの不機嫌そうな顔を解いていた。本当に月が欠けて落ちたかのような、不思議な石だ。
どれくらい経っただろうか。
あるとき、ルナが口火を切った。
「私はね、これで地上の月を作りたいの」
「……へ?」
「かけらを集めて、形を整えて、いつか空に浮かぶ月と同じくらい綺麗な月をね」
月は妖怪と関係が深い。かつて本物の月が偽物とすり替えられたとき、本物を取り戻すため夜を止めた異変が起きるほどだ。それほどまでに月というのは重要であり、力を持っている。それをただの妖精が、月を作る?
「そんなの無理だ、無茶だ、無謀だ」
「やってみないとわからないわ」
「そもそも、それが本当に月から落ちてきたものかどうかも分からないんだ。偽物かもしれない、そんな正体不明なものなんて――」
そうだ、正体不明なものに一体何の価値がある?
「正体」は重要であることはぬえは知っている。たとえばただのすきま風でも、正体がわからないから人間は怖がる。どんな便利な道具でも使い方が分からなければただの肥やしだ。だから自らの能力である「正体を判らなくする程度の能力」は強い。平安の時代、人間から恐れられた鵺は何度も退治されたとされているが、その正体である「封獣ぬえ」は一度たりとも退治されたことはない。
誰も自分の正体を見破った者はいない。それほどまでに「正体不明」は強く、恐ろしく、無価値だ。
つまりそんな正体不明たる自分は――
「関係ないわ」
ぬえを思考をルナの一言が断ち切った。
「確かに今私がやっていることは妖怪には、いや人間や妖精にも馬鹿にされるかもしれないわね。仮に地上の月らしきものを作ってもそれは文字通り月とスッポンかもしれない。特別な力なんてないかもしれない。それでも私は作りたい」
「それがどんなものか分からないとしても?――正体不明でも?」
ぬえが心から振りしぼるように言う。
「もちろん」
ルナは迷いなく答えた。
「それが本物だろうと偽物だろうと、正体不明だとしても、変わらないわ。大事なのは自分がどう思っているか、よ。他に難しいこと考えられないわね」
それに、とルナは言葉を続けた。
「正体がわからないって、ちょっとろまんちっくでしょ?」
悪戯っぽく言ったルナの言葉がなんだかおかしくて。
なぜか涙が出そうになった。
「なぁにそれ、バカみたい」
「バカとは失礼ね。コーヒーを知らなかったぬえに言われたくないわ」
「まだコーヒーネタ引っ張るんだ」
「そんなことより、ねぇ」
ルナは月のかけらに向けていた視線をぬえに向け、少し恥ずかしそうにルナは言った。
「これ、ぬえに持っててほしい」
ルナは『月のかけら』をぬえに差し出した。
ぬえは目を丸くする。
「それってルナにとって大切なものじゃ……」
「もちろん大切なものよ」
「だったらなおさらだよ、どうして……」
「あげるわけじゃないの。ぬえに、預かっててほしいの」
「……どういうこと?」
さっぱりわからない、というぬえにルナは少しだけ視線をそらして、いつもより早口で言った、
「私の月が後一つで完成する、となったとき、ぬえも一緒に来てほしいの。そのときにぬえに預けた月のかけらで完成させたいわ」
「私と、一緒に?」
「ええ、悪い?」
「い、いや全然」
なぜか顔が少し熱いような気がする。気のせいに違いないと自分をごまかしながらぬえは続けて言った
「そ、そういえばさ、どうして地上の月を作りたい、って思ったの? 空の月じゃ不満だったり?」
「まさか。ねぇ、ぬえ。さっき私が一人になるのが怖いって言ったでしょ? 地上の月を作ろうと思ったのはそれがきっかけ。私一人の力でも悪戯ができる力を持ちたい、って思ったから。でもね、すぐ気が変わったわ。だってサニーやスター、時々氷の妖精や魔理沙さんも加わって、皆で一緒に悪戯する方が一人よりずっとずっと楽しいって。悪戯は楽しまなくちゃ」
確かに――昔、マミゾウと一緒に人間を騙したことがあるが、自分ひとりのときよりずっと楽しかった気がする。
「私はただ見てみたいの。みんなと地上の月を――そして皆と一緒に二つの月を見ながら月見酒を楽しむの。それってきっと楽しいと思わない?」
本物の月と比べて笑い飛ばされたりするのも一興だ。そしてそのうち月より酒に夢中になるのだろう。ああ、楽しそうだ。
「ねぇ、そこに私がいてもいいの?」
「当たり前じゃない。一緒に月のかけらを探した友達ってあなたが初めてだもの。だからぬえに預けたいの」
「友達?」
「え? 友達でしょ?」
不思議そうにルナが見つめてきた。
たった一言、それだけであっさりと、ぬえは孤独じゃなくなった。いや、孤独だって勝手に勘違いしていたのだろう。多分、ずっと前からぬえは孤独なんかじゃなかった。ただ目の前の妖精が気付かせてくれたのだ。
「ねえ、ルナ」
「なに?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
月が沈み、夜が終わっていく。もうすぐ夜を生きる妖怪や妖精の時間は終わり。つまりはお別れだ。
「今度寺に遊びにきなよ、面白くないところかもしれないけどさ」
「そうね、悪戯しにいくわ。3人と一緒に」
「コーヒーもよろしく」
「コーヒーもいいけどお酒も期待していい?」
「正体不明のお酒にこうご期待!」
「期待しないでおくわ」
「またね、ルナ」
「またね、ぬえ」
そう言って二人は踵を返し、振り返らずお互い反対方向へ向かった。二人の帰る場所へ。
ルナは木にくりぬかれた博麗神社の近くの家へ帰ってきた。
今日は月のかけらを持って帰らなかったけど、なんて素敵な夜だったのだろう。
いつかこのなんだかよくわからない地上の月――正体不明の月――が完成するかすごく楽しみだ。
まあその前に、
「もうすぐ起きてくる二人のために、コーヒーを淹れなくちゃね」
特にねぼすけな日の光の妖精の目を覚まさせるために、とびっきり苦いのを。
「こういうのを朝帰りっていうのかな」
ぬえは命蓮寺の前に着地した。すっかり朝日は昇っていて、もう少ししたら皆が起きてくるだろう。
『月のかけら』に目を落とし、考える。
この石は本当に月から落ちてきたものか、それともただのガラクタか、まったくの正体不明だ。
だけどそれがホンモノでもニセモノでも正体不明でもどうでもよいのと同じように、自分が正体不明とか関係ないんだ。
ぬえはぎゅっと石を握りしめ、前を見る。
もう寂しさも孤独も感じてなんかいなかった。
出ていくときよりもずっとずっと晴れ晴れとした――ちょうど昇っていく朝日のように――気持ちで命蓮寺に帰ってきたのだ。
さて、朝帰りの言い訳はどうしようかな、なんて思いながら境内に足を踏み入れ、言った。
「ただいま!」
確かに妖精も長く生きているんだし、ここまで考えていてもおかしくないかも。
珈琲好きや夜中になると活動的になって単独行動しているというルナの設定をきちんと活かしているのは初めて見た気がします。
物語自体も素敵ですっきりまとまっており、わくわく感にも近い落とし方も非常に好みでした。
珈琲はお店で飲むのはブラックだけど、朝に家でいれるのは魔理沙珈琲ですねw
誤字報告
>「まさか湖から落ちると思わなくってさ。
岩から or 湖に?
>『どうして私はいつも置いていくんだ』
私を
面白かったです。
色合いがいいですね。暗中に注がれた白一滴、やがてぐるぐる混ざるみたいに、
ぬえの孤独が薄められていく様が。
>聖や達のムラサ邪魔
→ムラサ達や聖の邪魔