小悪魔の朝とはそれなりに早いものであるということをご存じの方は、巷にどれだけいらっしゃるのでしょうか。
東の空にお天道様が難儀じゃ大儀じゃと現れなさる、まだ仄暗さの残る時間帯。ベッドの中で目を覚ました私は、毛布に包まりながら上体を起こして“つつましやか”な欠伸をこぼしました。
瞬かせた目をこすりつつ背を反らして大きく伸び。体とおつむの中にしつこく居座る眠気の残滓を追い払い、私はふかふかのベッドに別れを告げて、少し離れたところに置かれたクローゼットに足を運ぶのでした。ついこの間まで、寝床といえば硬くて冷たい土かさもなきゃ石畳の上だった小悪魔が、今やこんな“人並み”の生活を営めるようになろうとは、いやはや、御大層な出世と言うべきでありましょう。
感慨深いものを抱きながら私はクローゼットを開き、今日という日の糧を得るための仕事着に手を伸ばします。
*
“光陰矢のごとし”とはよく言ったもので、パチュリー様のお使いとなるのを承知してから早、二月が過ぎました。
現在、私はパチュリー様が所有されるねぐら兼・研究施設であるアパートメント二階の一室を借り受け、表向きには小金持ちの寡婦こと、パトリシア・ノールズに雇われた住み込みのメイドとしての姿を与えられながらパチュリー様に師事し、その使い魔たるに必須の技術と知識を蓄え研鑽を積む毎日を過ごしております。
また、それらに平行して人間社会へ自然に溶け込むための処置も採っていただきました。要するに名前と経歴です。私をこのアパートメントに案内する姿が少なからずの人目に留まっているはずなので、その経緯に基づく話が捏ち上げられました。具体的には、
───生まれも育ちも貧民窟。ドブ水同然の産湯をつかい、親に捨てられ裏路地を、虫けらのごとくに這いずる惨めな身の上。それをたまたま通りがかった、いと慈悲深きお方であらせられるところのパトリシア様が憐れに思い拾ってくだすった。まこと聞くも涙、語るも涙な身の上でござい……
という、実になんともまったくもって、お涙頂戴なお噺です。
パチュリー様が言うには、適度に不幸な身の上ということにしておけば、遠慮して“あれこれ”根掘り葉掘り聞いてくる奴は少なかろう。もしいたとしてもその時は目でも伏せて口ごもるなりすれば楽にごまかせるし向こうでも勝手に黙ってくれるので都合がいい、のだそうです。そんなもんですかね。他人の不幸は心蕩かす極上の甘露、弱者の苦境は魂震わす至高の娯楽というのが人間というやつの座右の銘だったと思うのですけれど。
ちなみに仮の名ですが、姓はシャーリー名前はアン。赤毛のアンとでもお呼びください。髪赤いんで。
*
着替えを終えた私はバスルームも兼ねた洗面所で顔を洗い歯を磨き、寝癖などを整えた後、クローゼットの扉の裏に貼り付けられた姿見でおかしな所がないかをチェックします。私の雇い主様は、こと魔法や研究に関わる事柄以外の俗事にはあまり細かく注文をつけたり拘りをみせたりする方ではないのでドレスコードも緩いものではありますが、それでも食べさせて頂いている身としては迂闊なことをするわけにはいきません、なので自然、身嗜みには注意せざるをえないのです。
鏡の中には野暮ったい黒色のワンピースと地味な色合いの白いエプロンを組み合わせた、手っ取り早くいうならメイドの格好をしている私の姿。その服装のどこにも、一分の隙さえなし。さすがですね、私。
姿見の中の自分へと満足の笑みを向けた私は最後の仕上げとして、頭に可愛らしいフリルの付いたカチューシャをのっけました。ここに拾われるまで性別を誤魔化すために伸ばしていた前髪は、邪魔だったので“ばっさり”と切り、替わりに後ろ側の髪を伸ばしはじめています。いつかは、パチュリー様みたいに綺麗なロングヘアーを靡かせるようになれればいいですね。いつになるかは判りませんが。
ちなみに前髪が取っ払われた私の素顔をはじめて見たパチュリー様は、心底、不思議そうに訊ねたものでした。
───それだけの容姿があるなら、花街にでも行けばよかったのじゃなくて?
これは一応、褒められていると解釈してもよろしいのですかね? 実のところ過去に何度かそういった話を持ちかけられたことはありました。声をかけられる度、お断りさせていただきましたが。性別が判らないような風体に身をやつしていたのは、その煩わしさから逃れるためと、ついでに身の安全を確保するためでもありました。
───いっそ開き直って、そこで金持ちの旦那にでも取り入ればよかったものを。そうすれば、あんな所(貧民窟)をうろつく必要もなかったでしょうに
あなたの器量なら難しくはなかったと思うわ。パチュリー様はそう仰られましたが、いくら生活に窮していたとはいえ私にはそこまで割り切ることはできなかったですよ。……とはいえ誤解のないように断っておきますが、別に私としては“そういったお仕事”に就いてらっしゃる方を蔑視したり、ましてや差別したりしてるわけじゃあござんせんのであしからず(そもそもの問題として私にそんな資格どころか価値もない。なんせ『小』悪魔なので)。真っ当なものであるのなら、職業商売に貴賎はないのです。『小』が付くとはいえ、悪魔が言うのですから間違いないですよ。
───そう思うのなら、なぜにそうしなかったのかしら? 悪魔にとっては何ほどのこともないでしょうに
簡単な事ですよ。さっきも言った通りそこまで割り切れなかったのがひとつ。
───もうひとつは?
基本“そういうこと”は好いた者同士ですることでしょう。なら、『はじめて』くらいはいつか出会えるかもしれない好きな人としたいじゃないですか。
とまれ、そんな出会いに恵まれる機会なんて、ただの一度もなく今に到るのですけれど。こちらとしては至極真面目に言ったつもりが、なぜかパチュリー様は気の利いた冗談を耳にしたかのように口元を緩めたものでした。
───謙虚なんだか卑屈なんだかよくわからん、貞操観念に満ちた悪魔か。つくづく、面白い拾い物をした
今まで知らなかったけれど、ひょっとしたら私には目利きの才能があるのかもしれない。何がそんなに面白かったのか、パチュリー様はさも可笑しいとばかりに笑われたものでした。笑いながらもやはり、“けほけほ”と咳がはさみ込まれていたのはご愛嬌ということでよかったのでしょうか。
*
着替えと身繕いを済ませた私は、あてがわれた部屋を出て階段を降り、1階のエントランス脇にある郵便受けの受入口から新聞や手紙を取り出して食堂へと向かいました。
建物としての体裁を整えるためだけに置かれ、長いこと使われずに放置されていたこの建物の食堂は、始めに使った時と同様に埃っぽかったりすることこそないものの、常に居心地の悪い静けさに満ちています。とはいえ、私としましてはちゃんとご飯が食べられさえすれば、冥府の獄卒に囲まれていたところで気にはなりませんが。
寒々しい空気だけが漂う食堂を突っ切り、置かれた長テーブルの上に新聞や手紙を置いてキッチンへと入った私は早速、今日の朝ご飯の準備に取りかかります。竈に火を入れ調理器具を用意し、壁に埋め込まれた氷室(冷蔵庫とかいうそうです)から卵やハム、ミルクなどを取り出して手早く調理していきます。
ほどなくして、料理ができあがりました。今朝のご飯はハムエッグとサラダ、温めなおしたパンに蜂蜜を入れたホットミルクです。その気になれば凝った料理も作れるようになった私ですが、いつもの朝のメニューなんてこんなもんです。
出来上がった料理を手に再び食堂に移った私は、クッションが程よく効いた椅子に腰掛け、広げた新聞に目を通しながらご飯を平らげていきます。
───ふむふむ、ロリストン・ガーデンズ三番地にて殺人事件、被害者は新大陸からの旅行者ですか。世の中物騒になったもんですねえ。
新聞に満ちる活字の海へと視線を潜らせ、私はバターをたっぷりと塗ったパンを齧りました。
お世辞にも、あまりお行儀がよいとはいえない格好ではありますが、これも私の『お仕事』の一つなので大目に見ていただきたい。パチュリー様に師事しているお陰で、日常的な読み書きへの不自由こそしなくなったものの、それでも求められているハードルはいまだに高く、最近になって雇い主兼師匠からこうして毎日、新聞を隅々まで読むこと、それに併せて一週間に一冊の本の熟読と感想のレポート作成が義務付けられているのです。時間に余裕のある後者はともかく、前者はごく時たまですがパチュリー様から口頭試問のような形で社会情勢等に関する質問を投げかけられるので、念入りに行わなければいけません。
勿論、“ここ”に来たばかりの頃は読み書きはおろかアルファベットの一つも知らぬ存ぜぬ判らぬの、哀れエテ公並みに無知蒙昧なる身でしたので、最初はこの義務が鋼鉄の処女も“かくや”と思わんばかりの苦行でしかなかったものでした。しかしどんなものにも慣れというものはあるもので、最近ではこれが苦痛どころかむしろ楽しいとさえ感じているあたり、非力な小動物小人物小悪魔の持ちうる適応能力には感心することしきり。自らの行動で苦境を打破することさえかなわぬ弱者が、悲惨な境遇に納得するために(正確には納得したと思い込むために)持ち出す類の自己欺瞞と云ってしまえばそれまでですが。
*
食事を終え、ホットミルク2杯をおかわりしたところで新聞を読み終えた私は、食器を片付け食堂を後にしました。
私が読んだものとは別の、パチュリー様がお読みになる分の新聞と手紙(大抵は銀行あたりからやってくる金融商品の案内。パチュリー様は、表の顔が小金持ちの“やもめ”ということなので)を手に階段を登っていきます。
途中、2階から3階に繋がる踊り場の“そこここ”に、昨日までは存在していなかったはずの骸骨が、数名(人骨の数え方がこれでよいのかは知りませんが)ほど座していらっしゃいました。おや、久方ぶりでのお客様ですか。
あまり大きくないところから推察するに、どなたも年の頃は十を少し過ぎたくらいでしょうか。皆様方、おそらくは100年ばかり放ったらかしにされたとみえて、お召になられているあまり上等とはいいがたい衣服も、その得物と思しき“ちゃち”なナイフも、見る影もなくボロボロの有り様です。ここ一月ほどは、この手のお客様も見えられなかったのですが、近頃、巷ではまたぞろ不景気やら世情不安やらが獲物を狙う毒蛇のごとき“とぐろ”を巻きだしているらしいので、これからまたしばらくは来客には事欠かないことでしょう。
忙しさにかまけて、つい戸締まりを怠ってしまった私にも非がありますが……あなた方も“つくづく”運がなかったのですねえ。同情と、僅かながらの自嘲を混ぜた溜息をこぼし、私は食堂へと踵を返しました。
*
お掃除用としてキッチンにいくつか置いてある、大きくて頑丈な革袋を持ってきた私は、来るところを間違えたお間抜けさん達の亡骸をその中にひとつも余さず放り込んでから再び食堂に戻りました。
せめても成仏だけはしてくださいね。キッチンに設えてある大きなゴミ箱の前で、私は「なむなむ」といい加減なお祈りの言葉をつぶやき、革袋を放り込みました。もちろん物がモノだけに、こんなもんをそこらに捨てるわけにもいかず、折をみて行き着く先は地下に置かれている焼却炉でございます。
なむなむ。
*
お客様の見送りを済ませた私はあらためて3階に上がり、『Patricia Knowles』という名前(『パトリシア・ノールズ』。パチュリー様の偽名です)が刻まれた真鍮製のプレートがかけられたお部屋の扉をノックしました。
部屋の主からのお返事は、2拍ほどの間を置いて返ってきました。
「お入りなさい」
失礼します。初々しさを湛えた少女のようでもあり、骨と皮ばかりにやせ衰えた老女のようでもあり、瑞々しいともとれる、嗄れたともとれる、不思議な声に断りをいれてドアを開けば、そこに広がるのは重みさえ感じるほどに凝縮された闇と、それに感化されでもしたのかほんの僅かな変化も流動もせずに停滞した空気。それらとともに詰め込まれ、あるいは逃さぬように封じ込めているかのような巨大な書棚の大群。
……ここだけは、いまだに慣れないところです。胸中に“のしかかる”重圧と圧迫感に、胸焼けに近いものを覚えながらも足を前に出すと、最初の一歩でその景色が散らばる雲のように消え失せ、代わりに得体の知れないオブジェや不気味な標本が“そこかしこ”で幅をきかせる実験室が現れ、さらに一歩を踏み出せば、やはりその部屋も白昼の夢のごとくにかき消え、次の瞬間には広くて静かな応接間へと姿を変えます。
そしてもう一歩───
たった3歩ほどの、それでも長い永い道程を歩んだ私が辿り着いたのは、人を落ち着かせる柔らかな明るさに満ちたお部屋でした。
ここはパチュリー様が一日の大半を過ごされる読書室、その内の一つを改造して造られた私用の『教室』です(改造と云っても、元のお部屋に授業で使う書き込み用のボードに、机と椅子のセットを持ち込んだだけのことではありますが)。広さは庭球のコートほどで、今の私の立ち位置から向かって右の壁に授業用のボードがかけられ、そこから少し離れて私が使う机が置いてあります。
また、真向かいの壁は一面にガラスパネルが敷き詰められていて、一見するとサンルームのようにもみえます。……が、しかしその『窓』によくよく目を凝らしてみれば、ウィンドウの幾つかにあからさまに不自然なものの姿───どこぞの海の中を悠々と泳ぐジンベイザメ、大空を舞う海鳥、あたり一面の雪景色に佇む真っ白な熊───が見て取れたりするのです。パチュリー様の説明によると、この部屋の窓はすべて電子的な技術によって造り出されたモニターであり、映されているのは『別の場所で取り込まれた景色』なのだとかなんとか。原理はさっぱり解りませんが。
パチュリー様はその『窓』の傍らに置かれた、大きくて座り心地の良さそうな椅子に体を預け、なにがしかの分厚い書籍に目を通していらっしゃいました。まるで何百年もの間、誰にも邪魔されることもなくずっとそうしていたかのようなその姿へと、私は行儀よく(正確にはそう見えるように)腰を折って挨拶をしました。おはようございます。
おはよう。こちらに目もくれることもなく返される、気だるそうな声。それを特に気にもせず、私は机に向かい今日の講義に備えます。
少しして、金糸で編んだと思しき栞をページに挟みんで立ち上がったパチュリー様が、読みかけの書物を椅子に投げ出して“ひとりごと”のような口調で言いました。
「───では、今日の《授業》を始めましょうか」
*
午前の授業は主に、私の知識面における基本的体力の充実に割かれます。このように云えば格好もつきますが、要は私という“ちんけ”な小悪魔の馬鹿さ加減の矯正です。
魔法使いの弟子として必須となる知識への理解も、まずは読み書きををはじめとした一般的な教養が備わってこそ。なので、いまだに足らぬ私の知力知性の底上げを図るべく、授業の内容は様々なジャンルを網羅することとなります。先にも述べた通りに基礎の読み書きからはじまる言語学、史学、帳簿作成などにも応用できる実践的な計算式、人の世を上手く渡っていくための処世の術。当然のことですが、師事をはじめてまだ二月しか経たぬ身でありますから、そのすべてが“さわり”の部分でしかないのですが、それでも憶えることは山のようにあるので大変です。
今のカリキュラムが一段落すれば、ここからさらに神智学、隠秘学が追加されることになるのですが、それには少なく見積もっても5年、長ければ倍の時間は必要になるだろうとのことです。先はまだまだ長い。
*
1時間強の講義の合間には、30分ほどの休憩時間が挟まれます。その時間に、私は思い切ってあることをパチュリー様に訊ねてみました。
師匠から賜ったレシピを元に、腕を磨いて淹れた紅茶で湿らせた口を開きます。
───前から思っていたのですがね。魔法やら術やらで“ちゃちゃっ”と知識を習得したり憶えさせたりとかは出来んのでしょうか?
「出来ないことはない」
あまり期待してはいなかったのですが、思いの外“あっさり”と望みの答えが返ってきました。いわゆる『念話』とやらの応用で、精神を“繋げ”て術者同士の記憶を転写する術というものがあるにはあるのだそうです。
でも、やめておいたがいいでしょうね。どこか含むところがあるような物言いがオマケとして。もしかすると、そのやり方だとなにがしかの問題が出るということなのでしょうか。訊き返す私を、感心したような面持ちでパチュリー様は見やりました。
「やはり感覚的な部分は鋭くできているようね」
実に結構、《魔法使い》にはその感覚が欠かせない。わずかながらに表情を緩ませ、パチュリー様は続けました。
「以前、私が採った『弟子』の一人に、その術をかけてみたことがあったのだけれど……」
ところが術をかけ終えたのと同時に、その方は廃人になってしまったのだそうです。要は失敗したのですね。
「真逆。パチュリー・ノーレッジにそんなヘマはありえない。完全に成功したが故に、もたらされた結果よ」
パチュリー様が云うには、人間の“おつむ”が保持できる《記録》の容量というのは、どれだけ頑張ったところで百年そこらが限度なのだとか。よって、それ以上の《記録》を無理に詰め込もうとすれば、“使い物にならななくなる”のは当たり前だそうで。
いわんやパチュリー様が歩み踏みしめてきた《魔道》、積み上げ重ねてきた《魔導》は一朝一夕どころか、そんじょそこらの人間では人生を何度やり直してもおっつかないほどの量となるわけで。もってたかだか数十年が関の山な人間の、お脳のミソにそんなもんをいきなり詰め込れば、さながら記憶によるオーバードーズとでも云うべき症状によって、脳と精神を圧迫されて焼き切れてしまうのが理の当然。学術研究の徒としての《魔法使い》が人間をやめざるをえない理由とは、まさにそういった諸問題(寿命身体精神魂魄の経年劣化)への必然的対抗処置でもあるそうです。
「私やあなたのような人外───《幻想》の側の住人は“記憶を保持するための装置”としての脳を必要とはしないからね」
肉体に縛られることのない人外の、個体としての『記録』は自身を形成する架空構成元素そのものに写される。俗に《エーテル》と呼ばれるそれは、もっとも安定した物質であると同時に《世界》そのものとも密接に繋がっているため、実質的に容量は無限(原理的にはアカシック・レコードのそれ)。したがって《記憶》も無限に書き込めるので、根本的に探求への《果て》が存在しえない《魔法使い》としては早い段階でごく限られた容量しか持ち得ぬ“ヒトの肉体”に見切りをつけるのだそうです。
「それで、さっきの術のことなんだけどね、あなたなら廃人になることは免れるでしょうけれど、回復(記録の定着)までにかなりの時間がかかると思うのよ」
そうなると、色々めんどうくさい。元通りになるまで面倒を見るだなんてやりたくもないし、『廃棄』するにしても今度は代わりを見つけてこなければならない。
「そもそもこれ以上、外になんぞ足を運びたくない」
というか、元の目的が雑事をこなせる《お使い》を求めてだったはずなのに、それが余計な手間を増した挙句に外出までしなきゃいけないじゃ本末転倒もいいところじゃない。その間は私の研究もストップしてしまうし、困りものよ。しんどそうな口調の端々から、イヤそうな雰囲気が見て取れます。なんという筋金入りの出不精か。
呆れ返る私をどのように思ったものか、パチュリー様は無言で窓の方を、立てた右の親指でもって指し示しました。病的なまでに白くてか細い指が示すその先では、いつもと変わらぬ鈍色の空の下、黄色く濁った霧が使い古した油のように粘液質な動きで街々の間を流れていく景色が見えました。
無論、“それ”は窓を通して見えているではなく、保安用に設えられた監視装置を通じて壁のモニターに映し出された景色なのですが、見るものすべてに陰鬱さを刻みつけずにはおかぬ、なにより肺病病みには酷というべき世界。無味乾燥かつ散文的、荒涼たるその光景には、私もやはり指の持ち主に倣って無言で納得するしかありません。
そういえば私が住み暮らしていた貧民窟でも、最近はしょっちゅう咳をしたり四六時中顔色を悪くしていたり血を吐いたりいきなりぶっ倒れてそのままお亡くなりになる人が目立つようになっていましたっけ。日常事であり茶飯事でもあったので、気にも留めませんでしたが。
しかし、それだとまた別の疑問も生じます。いかに外よりはマシとはいえ、それでも淀んで汚れた空気はこの街にいる限りはあまねく隅々に、それこそ路地裏を這いずりまわるこ汚い溝鼠からメイフェアの大通りを闊歩するお大尽、果ては都会の片隅にひっそりと息づく弱り切った魔法使いの臓腑にいたるまで忍び寄るものだと思うのですが。
良い質問ね。呈された疑問に頷きをひとつくれて、パチュリー様は答えてくれました。
「この建物は巨大な密閉空間なの。中に流れる空気も私の体調を損なわないよう、厳密に調整・最適化されているわ」
外の空気に慣れた奴だと、それに違和感を感じるみたいだけれどね。思い当たることがあったので、私は内心で頷きました。最初にこの建物に足を踏み入れた時に感じた異質感は、それに起因したものでもあったのですね。ここは、云わば建物の形をした空気清浄器といったところですか。
「その通り。叙情的に表現するなら、“ここ”は現世から囲い込まれ密閉されることによって構築された擬似的な幽世ともいえる───」
黄泉路を辿った亡者が路を引き返せないように、ここにある私もまた、この封じられた《世界》の中でしか生きることは出来ない。語る《魔法使い》の声はどこまでも静かで、淡々としていて、揺るぎない事実を諳んじているだけの透徹した響きしか私の耳に伝えませんでした。
「したがって、私としては可能な限りこの閉鎖された楽園から足を踏みだそうとは思わない思えない思いたくない」
ある種の、閉鎖的環境下におけるやり過ぎた進化適応を遂げた生き物は、もはや今ある環境が少しでも変わってしまったが最期(誤字にあらず)、その楽園と心中する以外の末路がありえない。それと同じよ。
「実際、ここから《外》に出なければいけないときには、身の回りに浄化滅菌の効果がある魔法をかけておく必要があるくらいだもの」
そうしなければ5分と保たずに冥府の門を叩く羽目になるのでね。どこまでも涼やかに聞こえるパチュリー様の声。
究極の進化を遂げた生き物とは、別の意味においては“現在における形態以外の、ありえたかもしれない別の可能性を片っ端から切り捨てた結果”、つまるところ“変化適応可能性を微塵も持ち得ぬ成れの果て”とも言い換えることができる。私の目の前にいる、呼吸する知識の蔵とでも云うべき偉大な《魔法使い》とは、この膨大無比なる書物の伽藍と、一蓮托生の段階にまで適応したが故の不具合を託つ羽目になったというわけですか。
話だけ聞けば、かなり悲惨なものではありますが、しかしその声のどこにも、悲哀も悲嘆も悲観も諦観も諦念も観念も無念も存在せず、ただ自身の境遇を徹底的に受け入れたものだけが持つ、透徹した心境だけがありました。内心をまったく読ませぬ静謐な表情のまま、パチュリー様は紅茶のカップをくゆらせます。
「話がずいぶんと逸れたものね……要するに、誰ぞが何十年かけて培った技術や知識を“まこと”の意味で身に修めようと思うなら、やっぱり同じくらいの時間は最低限、必要になろうてこと」
学問にかぎらず、『道』とは一日にしてならずということね。“しみじみ”と言い聞かせるようにつぶやくパチュリー様でした。実に含蓄深いお言葉なるかな。こともあろうにお弟子さんを、失敗前提の実験台として扱うような方のセリフでさえなければ、感動の涙で溺れ死にそうなくらいです。
*
とはいっても、どう頑張ったところで数年はお手間をとらせてしまうのでは、やはり心苦しいものがありますねえ。お茶請けとして用意したスコーンに苺のジャムを“たっぷり”とのっけながら、私はぼやきました。
「気にする必要ならないわよ」
それを一体、どのように思ったものかパチュリー様は気のない様子で薄い肩をすくめてみせました。云わば先行投資みたいなものね。手間暇金銭を惜しむようでは大きなリターンは得られない。
「それにこれは、私にとっても必要なことなのでね」
一級品の《魔法使い》たらんとする者は弟子を取り、それを教導することによって自身の位階をも高めるものなのだとか。そんなもんですか。
「知識や経験を正しく伝えられるかどうかは、教える側の理解がどこまで深まっているかこそが鍵を握る。自分が真に理解できていないものを、他者に教えることは出来ない」
また教導を通じて自身の到達地点を改めて認識し、構築した理論や研究に欠陥齟齬矛盾点がないかの洗い出しを行うのだそうで。人間、誰しもその思考や主張、視点視線着眼点には自分に最も都合のよいバイアスをかけてしまうもの。困ったことに、一度『正しい自分』を発見してしまうと、そこから容易に軌道修正が効かないのがヒトの思考の悪いところ。それを完全に排除することはどうあがいても無理ではある。ヒトの器は限られる。しかし複数の視点を用いることで、ひとつの事象を多面的多角的多方面的に写し描くことで、出来うるかぎりの範囲で物事を正しく捉え、間違いに修正を施すことはできるということだそうです。
「それ以外にも、他人の視点から自分を眺められるというのも大きいかな」
誰かと向き合う付き合うというのは、相手のみならず対象を通じて自分と行う対話でもある。それがパチュリー様の持論のようでした。
「話をしている相手が自分をどう見ているのか、気にしない奴はいないでしょう」
言葉の“やりとり”をするには、相手の興味を惹くためにその思考(嗜好でもいいが)をになぞり、何を考えているのかを把握する。とりもなおさずそれは、相手の目で世界を視るのと同義である。
「大仰に云うならシミュレートという形で自分の中に他人の視点・世界を構築するのが、正しい意味でのコミュニケーションというものの本分よ」
誰かに物を教えるというのもそう。さっきも言った通り、教えるという行為を通して自らも学ぶの。弟子が優秀であるなら、その視点から新たな理論体系を確立することもできるかもしれんしね。其れも私に求められたものの内、ということですか。それを聞いた途端、下腹部のあたりに生じた鉛でも飲み込んだような重み顔をしかめていると、パチュリー様は“にやり”と、おとぎ話の魔女めいた底意地の悪そうな表情をこしらえたものでした。
「その通り。精々、期待はさせてもらいましょうか」
私は、優秀な弟子になれそうでしょうか。
「それはこれからのあなた次第よ」
プレッシャーにお腹をさする不肖の弟子を、ごく穏やかな声で切り捨てるようなことを言い、パチュリー様は口をつけぬままのカップの端を、細い指で弾きました。部屋に高く涼やかな音色が響き、染み渡るのと同じくしてその手にあったカップが“みるみるうち”に輪郭、というか実体そのものを失い、空気に溶けていくかのように透明化していきます。アポーツ、物質転送です。呪文を使っていませんでしたが、これはおそらく魔力を篭めた指で弾いたときの音をその替りとして用いたのでしょう。
弾いた音が消えるのと同時にカップも消えてなくなりました。パチュリー様は声の調子を整えるように、咳をひとつしてから立ち上がりました。
「さて、お喋りはここまで。そろそろ、次の授業を始めましょう」
あなたも、早く用意なさい。その言葉に促された私はスコーンを急いで頬張り、残りの紅茶で流し込むのでした。
*
「そういえばあなた、髪を伸ばしはじめたのね」
教科書を手に取ったパチュリー様が、私の髪を見て“ひとりごと”のような口調で言いました。ええ、そうですよ。やっぱり判っちゃいますか。できればパチュリー様くらいに、長くて綺麗なロングヘアーにしたいのですけどね。
「ふうん……」
それを聞いたパチュリー様は微かな声でひとりごち、私とご自分の髪とを交互に見やりました。
しばしの無言。“じっ”と、伸びはじめた私の髪を品定めするような視線が撫でていく。あー……もしかして似合いませんかね。それとも目障りだったりするとか。
「いや、そういうことではなく」
ただ───。パチュリー様は少しの間、曖昧な表情で言葉を選ぶような素振りを見せたものの、しかし何と言うべきかは思いつかなかったらしく、小さく頭を振りました。
結局、口に出てきのはこの方らしくもなく陳腐かつありふれたものでした。
「似合うと思うわ、きっと」
東の空にお天道様が難儀じゃ大儀じゃと現れなさる、まだ仄暗さの残る時間帯。ベッドの中で目を覚ました私は、毛布に包まりながら上体を起こして“つつましやか”な欠伸をこぼしました。
瞬かせた目をこすりつつ背を反らして大きく伸び。体とおつむの中にしつこく居座る眠気の残滓を追い払い、私はふかふかのベッドに別れを告げて、少し離れたところに置かれたクローゼットに足を運ぶのでした。ついこの間まで、寝床といえば硬くて冷たい土かさもなきゃ石畳の上だった小悪魔が、今やこんな“人並み”の生活を営めるようになろうとは、いやはや、御大層な出世と言うべきでありましょう。
感慨深いものを抱きながら私はクローゼットを開き、今日という日の糧を得るための仕事着に手を伸ばします。
*
“光陰矢のごとし”とはよく言ったもので、パチュリー様のお使いとなるのを承知してから早、二月が過ぎました。
現在、私はパチュリー様が所有されるねぐら兼・研究施設であるアパートメント二階の一室を借り受け、表向きには小金持ちの寡婦こと、パトリシア・ノールズに雇われた住み込みのメイドとしての姿を与えられながらパチュリー様に師事し、その使い魔たるに必須の技術と知識を蓄え研鑽を積む毎日を過ごしております。
また、それらに平行して人間社会へ自然に溶け込むための処置も採っていただきました。要するに名前と経歴です。私をこのアパートメントに案内する姿が少なからずの人目に留まっているはずなので、その経緯に基づく話が捏ち上げられました。具体的には、
───生まれも育ちも貧民窟。ドブ水同然の産湯をつかい、親に捨てられ裏路地を、虫けらのごとくに這いずる惨めな身の上。それをたまたま通りがかった、いと慈悲深きお方であらせられるところのパトリシア様が憐れに思い拾ってくだすった。まこと聞くも涙、語るも涙な身の上でござい……
という、実になんともまったくもって、お涙頂戴なお噺です。
パチュリー様が言うには、適度に不幸な身の上ということにしておけば、遠慮して“あれこれ”根掘り葉掘り聞いてくる奴は少なかろう。もしいたとしてもその時は目でも伏せて口ごもるなりすれば楽にごまかせるし向こうでも勝手に黙ってくれるので都合がいい、のだそうです。そんなもんですかね。他人の不幸は心蕩かす極上の甘露、弱者の苦境は魂震わす至高の娯楽というのが人間というやつの座右の銘だったと思うのですけれど。
ちなみに仮の名ですが、姓はシャーリー名前はアン。赤毛のアンとでもお呼びください。髪赤いんで。
*
着替えを終えた私はバスルームも兼ねた洗面所で顔を洗い歯を磨き、寝癖などを整えた後、クローゼットの扉の裏に貼り付けられた姿見でおかしな所がないかをチェックします。私の雇い主様は、こと魔法や研究に関わる事柄以外の俗事にはあまり細かく注文をつけたり拘りをみせたりする方ではないのでドレスコードも緩いものではありますが、それでも食べさせて頂いている身としては迂闊なことをするわけにはいきません、なので自然、身嗜みには注意せざるをえないのです。
鏡の中には野暮ったい黒色のワンピースと地味な色合いの白いエプロンを組み合わせた、手っ取り早くいうならメイドの格好をしている私の姿。その服装のどこにも、一分の隙さえなし。さすがですね、私。
姿見の中の自分へと満足の笑みを向けた私は最後の仕上げとして、頭に可愛らしいフリルの付いたカチューシャをのっけました。ここに拾われるまで性別を誤魔化すために伸ばしていた前髪は、邪魔だったので“ばっさり”と切り、替わりに後ろ側の髪を伸ばしはじめています。いつかは、パチュリー様みたいに綺麗なロングヘアーを靡かせるようになれればいいですね。いつになるかは判りませんが。
ちなみに前髪が取っ払われた私の素顔をはじめて見たパチュリー様は、心底、不思議そうに訊ねたものでした。
───それだけの容姿があるなら、花街にでも行けばよかったのじゃなくて?
これは一応、褒められていると解釈してもよろしいのですかね? 実のところ過去に何度かそういった話を持ちかけられたことはありました。声をかけられる度、お断りさせていただきましたが。性別が判らないような風体に身をやつしていたのは、その煩わしさから逃れるためと、ついでに身の安全を確保するためでもありました。
───いっそ開き直って、そこで金持ちの旦那にでも取り入ればよかったものを。そうすれば、あんな所(貧民窟)をうろつく必要もなかったでしょうに
あなたの器量なら難しくはなかったと思うわ。パチュリー様はそう仰られましたが、いくら生活に窮していたとはいえ私にはそこまで割り切ることはできなかったですよ。……とはいえ誤解のないように断っておきますが、別に私としては“そういったお仕事”に就いてらっしゃる方を蔑視したり、ましてや差別したりしてるわけじゃあござんせんのであしからず(そもそもの問題として私にそんな資格どころか価値もない。なんせ『小』悪魔なので)。真っ当なものであるのなら、職業商売に貴賎はないのです。『小』が付くとはいえ、悪魔が言うのですから間違いないですよ。
───そう思うのなら、なぜにそうしなかったのかしら? 悪魔にとっては何ほどのこともないでしょうに
簡単な事ですよ。さっきも言った通りそこまで割り切れなかったのがひとつ。
───もうひとつは?
基本“そういうこと”は好いた者同士ですることでしょう。なら、『はじめて』くらいはいつか出会えるかもしれない好きな人としたいじゃないですか。
とまれ、そんな出会いに恵まれる機会なんて、ただの一度もなく今に到るのですけれど。こちらとしては至極真面目に言ったつもりが、なぜかパチュリー様は気の利いた冗談を耳にしたかのように口元を緩めたものでした。
───謙虚なんだか卑屈なんだかよくわからん、貞操観念に満ちた悪魔か。つくづく、面白い拾い物をした
今まで知らなかったけれど、ひょっとしたら私には目利きの才能があるのかもしれない。何がそんなに面白かったのか、パチュリー様はさも可笑しいとばかりに笑われたものでした。笑いながらもやはり、“けほけほ”と咳がはさみ込まれていたのはご愛嬌ということでよかったのでしょうか。
*
着替えと身繕いを済ませた私は、あてがわれた部屋を出て階段を降り、1階のエントランス脇にある郵便受けの受入口から新聞や手紙を取り出して食堂へと向かいました。
建物としての体裁を整えるためだけに置かれ、長いこと使われずに放置されていたこの建物の食堂は、始めに使った時と同様に埃っぽかったりすることこそないものの、常に居心地の悪い静けさに満ちています。とはいえ、私としましてはちゃんとご飯が食べられさえすれば、冥府の獄卒に囲まれていたところで気にはなりませんが。
寒々しい空気だけが漂う食堂を突っ切り、置かれた長テーブルの上に新聞や手紙を置いてキッチンへと入った私は早速、今日の朝ご飯の準備に取りかかります。竈に火を入れ調理器具を用意し、壁に埋め込まれた氷室(冷蔵庫とかいうそうです)から卵やハム、ミルクなどを取り出して手早く調理していきます。
ほどなくして、料理ができあがりました。今朝のご飯はハムエッグとサラダ、温めなおしたパンに蜂蜜を入れたホットミルクです。その気になれば凝った料理も作れるようになった私ですが、いつもの朝のメニューなんてこんなもんです。
出来上がった料理を手に再び食堂に移った私は、クッションが程よく効いた椅子に腰掛け、広げた新聞に目を通しながらご飯を平らげていきます。
───ふむふむ、ロリストン・ガーデンズ三番地にて殺人事件、被害者は新大陸からの旅行者ですか。世の中物騒になったもんですねえ。
新聞に満ちる活字の海へと視線を潜らせ、私はバターをたっぷりと塗ったパンを齧りました。
お世辞にも、あまりお行儀がよいとはいえない格好ではありますが、これも私の『お仕事』の一つなので大目に見ていただきたい。パチュリー様に師事しているお陰で、日常的な読み書きへの不自由こそしなくなったものの、それでも求められているハードルはいまだに高く、最近になって雇い主兼師匠からこうして毎日、新聞を隅々まで読むこと、それに併せて一週間に一冊の本の熟読と感想のレポート作成が義務付けられているのです。時間に余裕のある後者はともかく、前者はごく時たまですがパチュリー様から口頭試問のような形で社会情勢等に関する質問を投げかけられるので、念入りに行わなければいけません。
勿論、“ここ”に来たばかりの頃は読み書きはおろかアルファベットの一つも知らぬ存ぜぬ判らぬの、哀れエテ公並みに無知蒙昧なる身でしたので、最初はこの義務が鋼鉄の処女も“かくや”と思わんばかりの苦行でしかなかったものでした。しかしどんなものにも慣れというものはあるもので、最近ではこれが苦痛どころかむしろ楽しいとさえ感じているあたり、非力な小動物小人物小悪魔の持ちうる適応能力には感心することしきり。自らの行動で苦境を打破することさえかなわぬ弱者が、悲惨な境遇に納得するために(正確には納得したと思い込むために)持ち出す類の自己欺瞞と云ってしまえばそれまでですが。
*
食事を終え、ホットミルク2杯をおかわりしたところで新聞を読み終えた私は、食器を片付け食堂を後にしました。
私が読んだものとは別の、パチュリー様がお読みになる分の新聞と手紙(大抵は銀行あたりからやってくる金融商品の案内。パチュリー様は、表の顔が小金持ちの“やもめ”ということなので)を手に階段を登っていきます。
途中、2階から3階に繋がる踊り場の“そこここ”に、昨日までは存在していなかったはずの骸骨が、数名(人骨の数え方がこれでよいのかは知りませんが)ほど座していらっしゃいました。おや、久方ぶりでのお客様ですか。
あまり大きくないところから推察するに、どなたも年の頃は十を少し過ぎたくらいでしょうか。皆様方、おそらくは100年ばかり放ったらかしにされたとみえて、お召になられているあまり上等とはいいがたい衣服も、その得物と思しき“ちゃち”なナイフも、見る影もなくボロボロの有り様です。ここ一月ほどは、この手のお客様も見えられなかったのですが、近頃、巷ではまたぞろ不景気やら世情不安やらが獲物を狙う毒蛇のごとき“とぐろ”を巻きだしているらしいので、これからまたしばらくは来客には事欠かないことでしょう。
忙しさにかまけて、つい戸締まりを怠ってしまった私にも非がありますが……あなた方も“つくづく”運がなかったのですねえ。同情と、僅かながらの自嘲を混ぜた溜息をこぼし、私は食堂へと踵を返しました。
*
お掃除用としてキッチンにいくつか置いてある、大きくて頑丈な革袋を持ってきた私は、来るところを間違えたお間抜けさん達の亡骸をその中にひとつも余さず放り込んでから再び食堂に戻りました。
せめても成仏だけはしてくださいね。キッチンに設えてある大きなゴミ箱の前で、私は「なむなむ」といい加減なお祈りの言葉をつぶやき、革袋を放り込みました。もちろん物がモノだけに、こんなもんをそこらに捨てるわけにもいかず、折をみて行き着く先は地下に置かれている焼却炉でございます。
なむなむ。
*
お客様の見送りを済ませた私はあらためて3階に上がり、『Patricia Knowles』という名前(『パトリシア・ノールズ』。パチュリー様の偽名です)が刻まれた真鍮製のプレートがかけられたお部屋の扉をノックしました。
部屋の主からのお返事は、2拍ほどの間を置いて返ってきました。
「お入りなさい」
失礼します。初々しさを湛えた少女のようでもあり、骨と皮ばかりにやせ衰えた老女のようでもあり、瑞々しいともとれる、嗄れたともとれる、不思議な声に断りをいれてドアを開けば、そこに広がるのは重みさえ感じるほどに凝縮された闇と、それに感化されでもしたのかほんの僅かな変化も流動もせずに停滞した空気。それらとともに詰め込まれ、あるいは逃さぬように封じ込めているかのような巨大な書棚の大群。
……ここだけは、いまだに慣れないところです。胸中に“のしかかる”重圧と圧迫感に、胸焼けに近いものを覚えながらも足を前に出すと、最初の一歩でその景色が散らばる雲のように消え失せ、代わりに得体の知れないオブジェや不気味な標本が“そこかしこ”で幅をきかせる実験室が現れ、さらに一歩を踏み出せば、やはりその部屋も白昼の夢のごとくにかき消え、次の瞬間には広くて静かな応接間へと姿を変えます。
そしてもう一歩───
たった3歩ほどの、それでも長い永い道程を歩んだ私が辿り着いたのは、人を落ち着かせる柔らかな明るさに満ちたお部屋でした。
ここはパチュリー様が一日の大半を過ごされる読書室、その内の一つを改造して造られた私用の『教室』です(改造と云っても、元のお部屋に授業で使う書き込み用のボードに、机と椅子のセットを持ち込んだだけのことではありますが)。広さは庭球のコートほどで、今の私の立ち位置から向かって右の壁に授業用のボードがかけられ、そこから少し離れて私が使う机が置いてあります。
また、真向かいの壁は一面にガラスパネルが敷き詰められていて、一見するとサンルームのようにもみえます。……が、しかしその『窓』によくよく目を凝らしてみれば、ウィンドウの幾つかにあからさまに不自然なものの姿───どこぞの海の中を悠々と泳ぐジンベイザメ、大空を舞う海鳥、あたり一面の雪景色に佇む真っ白な熊───が見て取れたりするのです。パチュリー様の説明によると、この部屋の窓はすべて電子的な技術によって造り出されたモニターであり、映されているのは『別の場所で取り込まれた景色』なのだとかなんとか。原理はさっぱり解りませんが。
パチュリー様はその『窓』の傍らに置かれた、大きくて座り心地の良さそうな椅子に体を預け、なにがしかの分厚い書籍に目を通していらっしゃいました。まるで何百年もの間、誰にも邪魔されることもなくずっとそうしていたかのようなその姿へと、私は行儀よく(正確にはそう見えるように)腰を折って挨拶をしました。おはようございます。
おはよう。こちらに目もくれることもなく返される、気だるそうな声。それを特に気にもせず、私は机に向かい今日の講義に備えます。
少しして、金糸で編んだと思しき栞をページに挟みんで立ち上がったパチュリー様が、読みかけの書物を椅子に投げ出して“ひとりごと”のような口調で言いました。
「───では、今日の《授業》を始めましょうか」
*
午前の授業は主に、私の知識面における基本的体力の充実に割かれます。このように云えば格好もつきますが、要は私という“ちんけ”な小悪魔の馬鹿さ加減の矯正です。
魔法使いの弟子として必須となる知識への理解も、まずは読み書きををはじめとした一般的な教養が備わってこそ。なので、いまだに足らぬ私の知力知性の底上げを図るべく、授業の内容は様々なジャンルを網羅することとなります。先にも述べた通りに基礎の読み書きからはじまる言語学、史学、帳簿作成などにも応用できる実践的な計算式、人の世を上手く渡っていくための処世の術。当然のことですが、師事をはじめてまだ二月しか経たぬ身でありますから、そのすべてが“さわり”の部分でしかないのですが、それでも憶えることは山のようにあるので大変です。
今のカリキュラムが一段落すれば、ここからさらに神智学、隠秘学が追加されることになるのですが、それには少なく見積もっても5年、長ければ倍の時間は必要になるだろうとのことです。先はまだまだ長い。
*
1時間強の講義の合間には、30分ほどの休憩時間が挟まれます。その時間に、私は思い切ってあることをパチュリー様に訊ねてみました。
師匠から賜ったレシピを元に、腕を磨いて淹れた紅茶で湿らせた口を開きます。
───前から思っていたのですがね。魔法やら術やらで“ちゃちゃっ”と知識を習得したり憶えさせたりとかは出来んのでしょうか?
「出来ないことはない」
あまり期待してはいなかったのですが、思いの外“あっさり”と望みの答えが返ってきました。いわゆる『念話』とやらの応用で、精神を“繋げ”て術者同士の記憶を転写する術というものがあるにはあるのだそうです。
でも、やめておいたがいいでしょうね。どこか含むところがあるような物言いがオマケとして。もしかすると、そのやり方だとなにがしかの問題が出るということなのでしょうか。訊き返す私を、感心したような面持ちでパチュリー様は見やりました。
「やはり感覚的な部分は鋭くできているようね」
実に結構、《魔法使い》にはその感覚が欠かせない。わずかながらに表情を緩ませ、パチュリー様は続けました。
「以前、私が採った『弟子』の一人に、その術をかけてみたことがあったのだけれど……」
ところが術をかけ終えたのと同時に、その方は廃人になってしまったのだそうです。要は失敗したのですね。
「真逆。パチュリー・ノーレッジにそんなヘマはありえない。完全に成功したが故に、もたらされた結果よ」
パチュリー様が云うには、人間の“おつむ”が保持できる《記録》の容量というのは、どれだけ頑張ったところで百年そこらが限度なのだとか。よって、それ以上の《記録》を無理に詰め込もうとすれば、“使い物にならななくなる”のは当たり前だそうで。
いわんやパチュリー様が歩み踏みしめてきた《魔道》、積み上げ重ねてきた《魔導》は一朝一夕どころか、そんじょそこらの人間では人生を何度やり直してもおっつかないほどの量となるわけで。もってたかだか数十年が関の山な人間の、お脳のミソにそんなもんをいきなり詰め込れば、さながら記憶によるオーバードーズとでも云うべき症状によって、脳と精神を圧迫されて焼き切れてしまうのが理の当然。学術研究の徒としての《魔法使い》が人間をやめざるをえない理由とは、まさにそういった諸問題(寿命身体精神魂魄の経年劣化)への必然的対抗処置でもあるそうです。
「私やあなたのような人外───《幻想》の側の住人は“記憶を保持するための装置”としての脳を必要とはしないからね」
肉体に縛られることのない人外の、個体としての『記録』は自身を形成する架空構成元素そのものに写される。俗に《エーテル》と呼ばれるそれは、もっとも安定した物質であると同時に《世界》そのものとも密接に繋がっているため、実質的に容量は無限(原理的にはアカシック・レコードのそれ)。したがって《記憶》も無限に書き込めるので、根本的に探求への《果て》が存在しえない《魔法使い》としては早い段階でごく限られた容量しか持ち得ぬ“ヒトの肉体”に見切りをつけるのだそうです。
「それで、さっきの術のことなんだけどね、あなたなら廃人になることは免れるでしょうけれど、回復(記録の定着)までにかなりの時間がかかると思うのよ」
そうなると、色々めんどうくさい。元通りになるまで面倒を見るだなんてやりたくもないし、『廃棄』するにしても今度は代わりを見つけてこなければならない。
「そもそもこれ以上、外になんぞ足を運びたくない」
というか、元の目的が雑事をこなせる《お使い》を求めてだったはずなのに、それが余計な手間を増した挙句に外出までしなきゃいけないじゃ本末転倒もいいところじゃない。その間は私の研究もストップしてしまうし、困りものよ。しんどそうな口調の端々から、イヤそうな雰囲気が見て取れます。なんという筋金入りの出不精か。
呆れ返る私をどのように思ったものか、パチュリー様は無言で窓の方を、立てた右の親指でもって指し示しました。病的なまでに白くてか細い指が示すその先では、いつもと変わらぬ鈍色の空の下、黄色く濁った霧が使い古した油のように粘液質な動きで街々の間を流れていく景色が見えました。
無論、“それ”は窓を通して見えているではなく、保安用に設えられた監視装置を通じて壁のモニターに映し出された景色なのですが、見るものすべてに陰鬱さを刻みつけずにはおかぬ、なにより肺病病みには酷というべき世界。無味乾燥かつ散文的、荒涼たるその光景には、私もやはり指の持ち主に倣って無言で納得するしかありません。
そういえば私が住み暮らしていた貧民窟でも、最近はしょっちゅう咳をしたり四六時中顔色を悪くしていたり血を吐いたりいきなりぶっ倒れてそのままお亡くなりになる人が目立つようになっていましたっけ。日常事であり茶飯事でもあったので、気にも留めませんでしたが。
しかし、それだとまた別の疑問も生じます。いかに外よりはマシとはいえ、それでも淀んで汚れた空気はこの街にいる限りはあまねく隅々に、それこそ路地裏を這いずりまわるこ汚い溝鼠からメイフェアの大通りを闊歩するお大尽、果ては都会の片隅にひっそりと息づく弱り切った魔法使いの臓腑にいたるまで忍び寄るものだと思うのですが。
良い質問ね。呈された疑問に頷きをひとつくれて、パチュリー様は答えてくれました。
「この建物は巨大な密閉空間なの。中に流れる空気も私の体調を損なわないよう、厳密に調整・最適化されているわ」
外の空気に慣れた奴だと、それに違和感を感じるみたいだけれどね。思い当たることがあったので、私は内心で頷きました。最初にこの建物に足を踏み入れた時に感じた異質感は、それに起因したものでもあったのですね。ここは、云わば建物の形をした空気清浄器といったところですか。
「その通り。叙情的に表現するなら、“ここ”は現世から囲い込まれ密閉されることによって構築された擬似的な幽世ともいえる───」
黄泉路を辿った亡者が路を引き返せないように、ここにある私もまた、この封じられた《世界》の中でしか生きることは出来ない。語る《魔法使い》の声はどこまでも静かで、淡々としていて、揺るぎない事実を諳んじているだけの透徹した響きしか私の耳に伝えませんでした。
「したがって、私としては可能な限りこの閉鎖された楽園から足を踏みだそうとは思わない思えない思いたくない」
ある種の、閉鎖的環境下におけるやり過ぎた進化適応を遂げた生き物は、もはや今ある環境が少しでも変わってしまったが最期(誤字にあらず)、その楽園と心中する以外の末路がありえない。それと同じよ。
「実際、ここから《外》に出なければいけないときには、身の回りに浄化滅菌の効果がある魔法をかけておく必要があるくらいだもの」
そうしなければ5分と保たずに冥府の門を叩く羽目になるのでね。どこまでも涼やかに聞こえるパチュリー様の声。
究極の進化を遂げた生き物とは、別の意味においては“現在における形態以外の、ありえたかもしれない別の可能性を片っ端から切り捨てた結果”、つまるところ“変化適応可能性を微塵も持ち得ぬ成れの果て”とも言い換えることができる。私の目の前にいる、呼吸する知識の蔵とでも云うべき偉大な《魔法使い》とは、この膨大無比なる書物の伽藍と、一蓮托生の段階にまで適応したが故の不具合を託つ羽目になったというわけですか。
話だけ聞けば、かなり悲惨なものではありますが、しかしその声のどこにも、悲哀も悲嘆も悲観も諦観も諦念も観念も無念も存在せず、ただ自身の境遇を徹底的に受け入れたものだけが持つ、透徹した心境だけがありました。内心をまったく読ませぬ静謐な表情のまま、パチュリー様は紅茶のカップをくゆらせます。
「話がずいぶんと逸れたものね……要するに、誰ぞが何十年かけて培った技術や知識を“まこと”の意味で身に修めようと思うなら、やっぱり同じくらいの時間は最低限、必要になろうてこと」
学問にかぎらず、『道』とは一日にしてならずということね。“しみじみ”と言い聞かせるようにつぶやくパチュリー様でした。実に含蓄深いお言葉なるかな。こともあろうにお弟子さんを、失敗前提の実験台として扱うような方のセリフでさえなければ、感動の涙で溺れ死にそうなくらいです。
*
とはいっても、どう頑張ったところで数年はお手間をとらせてしまうのでは、やはり心苦しいものがありますねえ。お茶請けとして用意したスコーンに苺のジャムを“たっぷり”とのっけながら、私はぼやきました。
「気にする必要ならないわよ」
それを一体、どのように思ったものかパチュリー様は気のない様子で薄い肩をすくめてみせました。云わば先行投資みたいなものね。手間暇金銭を惜しむようでは大きなリターンは得られない。
「それにこれは、私にとっても必要なことなのでね」
一級品の《魔法使い》たらんとする者は弟子を取り、それを教導することによって自身の位階をも高めるものなのだとか。そんなもんですか。
「知識や経験を正しく伝えられるかどうかは、教える側の理解がどこまで深まっているかこそが鍵を握る。自分が真に理解できていないものを、他者に教えることは出来ない」
また教導を通じて自身の到達地点を改めて認識し、構築した理論や研究に欠陥齟齬矛盾点がないかの洗い出しを行うのだそうで。人間、誰しもその思考や主張、視点視線着眼点には自分に最も都合のよいバイアスをかけてしまうもの。困ったことに、一度『正しい自分』を発見してしまうと、そこから容易に軌道修正が効かないのがヒトの思考の悪いところ。それを完全に排除することはどうあがいても無理ではある。ヒトの器は限られる。しかし複数の視点を用いることで、ひとつの事象を多面的多角的多方面的に写し描くことで、出来うるかぎりの範囲で物事を正しく捉え、間違いに修正を施すことはできるということだそうです。
「それ以外にも、他人の視点から自分を眺められるというのも大きいかな」
誰かと向き合う付き合うというのは、相手のみならず対象を通じて自分と行う対話でもある。それがパチュリー様の持論のようでした。
「話をしている相手が自分をどう見ているのか、気にしない奴はいないでしょう」
言葉の“やりとり”をするには、相手の興味を惹くためにその思考(嗜好でもいいが)をになぞり、何を考えているのかを把握する。とりもなおさずそれは、相手の目で世界を視るのと同義である。
「大仰に云うならシミュレートという形で自分の中に他人の視点・世界を構築するのが、正しい意味でのコミュニケーションというものの本分よ」
誰かに物を教えるというのもそう。さっきも言った通り、教えるという行為を通して自らも学ぶの。弟子が優秀であるなら、その視点から新たな理論体系を確立することもできるかもしれんしね。其れも私に求められたものの内、ということですか。それを聞いた途端、下腹部のあたりに生じた鉛でも飲み込んだような重み顔をしかめていると、パチュリー様は“にやり”と、おとぎ話の魔女めいた底意地の悪そうな表情をこしらえたものでした。
「その通り。精々、期待はさせてもらいましょうか」
私は、優秀な弟子になれそうでしょうか。
「それはこれからのあなた次第よ」
プレッシャーにお腹をさする不肖の弟子を、ごく穏やかな声で切り捨てるようなことを言い、パチュリー様は口をつけぬままのカップの端を、細い指で弾きました。部屋に高く涼やかな音色が響き、染み渡るのと同じくしてその手にあったカップが“みるみるうち”に輪郭、というか実体そのものを失い、空気に溶けていくかのように透明化していきます。アポーツ、物質転送です。呪文を使っていませんでしたが、これはおそらく魔力を篭めた指で弾いたときの音をその替りとして用いたのでしょう。
弾いた音が消えるのと同時にカップも消えてなくなりました。パチュリー様は声の調子を整えるように、咳をひとつしてから立ち上がりました。
「さて、お喋りはここまで。そろそろ、次の授業を始めましょう」
あなたも、早く用意なさい。その言葉に促された私はスコーンを急いで頬張り、残りの紅茶で流し込むのでした。
*
「そういえばあなた、髪を伸ばしはじめたのね」
教科書を手に取ったパチュリー様が、私の髪を見て“ひとりごと”のような口調で言いました。ええ、そうですよ。やっぱり判っちゃいますか。できればパチュリー様くらいに、長くて綺麗なロングヘアーにしたいのですけどね。
「ふうん……」
それを聞いたパチュリー様は微かな声でひとりごち、私とご自分の髪とを交互に見やりました。
しばしの無言。“じっ”と、伸びはじめた私の髪を品定めするような視線が撫でていく。あー……もしかして似合いませんかね。それとも目障りだったりするとか。
「いや、そういうことではなく」
ただ───。パチュリー様は少しの間、曖昧な表情で言葉を選ぶような素振りを見せたものの、しかし何と言うべきかは思いつかなかったらしく、小さく頭を振りました。
結局、口に出てきのはこの方らしくもなく陳腐かつありふれたものでした。
「似合うと思うわ、きっと」
掴み所のない雰囲気が面白いですね
後、この小悪魔がレミリアとあったときの反応が見てみたい。
つづき待ってます
バランスが良くてとても読みやすいです
あと小悪魔可愛い
なむなむ(>人<)
いや、面白いからいいんですけどねw