「妹紅! 違うわよ、上に鞠を上げないと」
「そうは言われてもなぁ……こ、こうか?」
「だからまっすぐに飛んでるじゃない。それじゃ蹴球じゃない」
永遠亭のお庭にて、姫様と妹紅さんが蹴鞠をして遊んでおられる。
私は縁側でお二人を眺めながら、乾いた洗濯物を畳んでいく。
よく晴れた午後の日差し。
お日様は雲に遮られることなく、お庭で遊ばれるお二人を照らしていた。
この前まで憎しみ合っていたのが嘘みたい。
今では仲良く時間を過ごすお二人を見て、私の心も楽しくなってくる。
ポーンと蹴鞠が私の足元まで飛んで、縁側に転がっていく。
妹紅さんが慌てて私のところまで走ってくる。
「ごめん、鈴仙。邪魔して……よっと」
そう言って妹紅さんは、靴を付けないようにヒザだけで縁側に上がっていく。
鞠、取ってあげたらよかった。
妹紅さんの顔を、つい見つめてしまって気が利かない。
やっぱりダメだなぁ、私。
「妹紅ったら、お行儀悪ーい。貴女、本当に貴族の娘さんかしら?」
「うるさいなぁ。そんな作法とっくに忘れちゃったよ」
鞠を手にして、姫様にそう言い返す妹紅さん。
私はなんだかおかしくて、くすくす笑っちゃった。
「輝夜はいちいち細かいんだよ。なぁ、鈴仙?」
急に妹紅さんが顔を向けてこられたので、私はびっくりしちゃった。
胸がどきどきして、すぐに上手く言葉が出てこない。
「妹紅! ほらイナバが困っているじゃない」
お庭で姫様が口を尖らせて、妹紅さんに文句を言う。
私は困っていると言えば困っているんだけど、姫様と違う意味で困っている。
顔が真っ赤になるのを隠そうと必死になって返す言葉を探す。
そんな私を妹紅さんがにっこり笑って。
「輝夜のせいで困るんだよなぁ、鈴仙?」
あぁ。
やっぱりこの人の笑顔が。
いや。この人のことが、私は好きだ。
※
「それでは師匠。行ってまいります」
「はい、気をつけてね。うどんげ」
朝。
お師匠様に見送られて、薬箱を背負った私は玄関を出る。
うん、今日もいい天気だ。
早いうちに薬を配り終えて、夕方まで人里でのんびりしようかな。
門を出たところで、てゐが兎たちと何やら遊んでいた。
てゐはちっとも手伝ってくれない。
今まで一度も薬売りについてきたことがない。
でも、今ではまったく気にしない。
私一人の方がいいのだ。
てゐに「行ってきます」と挨拶をしたら「おー」と気の抜けた返事をした。
私はおかしくて、笑みを堪えきれないまま永遠亭を後にする。
迷いの竹林をしばらく歩いたら広い草原に出て、そうしたら人里はもうすぐだ。
いつもの道を歩いていく。
私の頭から竹林の葉を通して、濃い緑色に染まった陽の光が私の行く先を照らしてくれる。
永遠亭から少し歩いて、小道が枝分かれした場所にたどり着く。
その手前で私は立ち止まる。
耳を澄ます。
今日もいつもの時間に永遠亭を出た。
彼女は来てくれるかな?
どきどきしながら待っていると、やがて私の耳に草の葉がガサガサ揺れる音が聞こえた。
そうして向こうから妹紅さんが歩いてくるのが目に入って、私は少し下がって隠れる。
やがて目の前を妹紅さんが人里へ歩いていく。
妹紅さんの背中が見えたところで、私は飛び出して声をかける。
「あ、妹紅さん。おはようございます」
「お、鈴仙。おはよう。今日も会ったな」
「は、はいそうですよ。今日も会いましたね」
妹紅さんは立ち止まって振り返り、やっぱり私ににっこり笑いかけてくれる。
それだけで私の胸がドキドキする。
それだけで私は幸せになれる。
妹紅さんは人里で急患の人間が出た時、永遠亭へ案内するお仕事をしている。
いつもこの時間には竹林の中にある庵を出て、人里へ向かうのだ。
いつからか、私は妹紅さんに合わせて永遠亭を出るようになっていた。
「一緒に行こうか?」
「はい」
妹紅さんのお誘いに、私はもちろん頷いて肩を並べる。
人里までの短い距離。
私と妹紅さんが二人だけでいられる時間。
これが人里へ出かけるときの楽しみになっている。
肩を並べて歩き出すと、妹紅さんは色々私に話しかけてくれる。
人里で起きた話だったり、思い出話だったり。昨日の晩御飯の話でも妹紅さんとなら、とっても面白く感じる。
今日は姫様の話だった。
「あのさぁ、鈴仙。輝夜って光り物とか好きなのか?」
「姫様ですか? そうですねぇ、あんまり派手なのはお好みじゃないみたいですよ」
「そうなのか? あいつの弾幕って結構派手じゃないか?」
「でもお体に着ける装飾品はあまり派手なのはお好きじゃないようで。首飾りにしても大き過ぎず、他の方から見えるか見えないかぐらいのものしか持っておられません」
「ふーん」
妹紅さんは真っ直ぐ向いて返事する。
しかし次には私を顔を見て、
「そっか。まぁ、あのお姫さんだから、自分が一番綺麗と思っているんだろうな」
と笑ってみせる。
私の大好きな笑顔。
だから私も嬉しくなって笑顔になっちゃう。
「もう妹紅さんったら。姫様が聞いたら怒りますよ」
私がそう言うと、妹紅さんは慌てて「輝夜には内緒な」と声を潜める。私も声を潜めて「はい」と答えた。
二人、顔を見合わせて、おかしくて笑い合う。
いつの間にか竹林を抜け出て、人里までもうすぐ。
楽しい時間はすぐに過ぎてしまうもの。
名残惜しいけど、私と妹紅さんの二人だけの時間はここでおしまい。
また明日。
私は妹紅さんと笑顔で別れると、薬売りに向かった。
※
まだ妹紅さんと姫様が憎しみ合っていた時のこと。
姫様に命じられ、私は妹紅さんを襲撃することとなった。
「なんだ、お前は……?」
そのとき妹紅さんが殺気を漲らせた怖い顔を、今でもはっきり覚えている。
「蓬莱山輝夜の使いの者です」
私がそう名乗ると、妹紅さんは鼻で笑う。
「お前が? なんだ、全然刺客には見えないな。隙が見え過ぎているだろ」
その言葉に、あの時の私は頭にきた。
「そう思っていられるのも……今のうちですよ!」
たしかそう言って、妹紅さんに攻撃をしかけたと思う。
妹紅さんもすぐに反撃をして、激しい闘いが始まった。
妹紅さんは、やっぱり強かった。
私が幻影を仕掛けても、すぐに看破して私への攻撃の手を緩めない。
手ごわい相手だと、私は気を引き締めた。
だけど、やっぱり妹紅さんが言った通り、私は隙まみれだった。
妹紅さんの攻撃をかわして、私はすぐに反撃をしようとした。
その時、妹紅さんは目を丸くして――そして叫んだ。
「危ないっ!!」
振り返ると、妹紅さんの攻撃を受けた竹が、私目がけて倒れてきたのだ。
攻撃の構えをしていた私はとっさにかわすことができなかった。
目の前に竹が迫ってきた。
次の瞬間には私は地面に倒れていた。
何かが私に伸し掛かる。
「あー……大丈夫か?」
痛い。確かに痛いのだけど、そんなに痛くはなくて。
目を開けると、私の目の前に妹紅さんの顔が間近にあった。
「うわっ!?」
驚いた私は妹紅さんを押しのけて、体制を立て直す。
ふと見ると私に迫った竹は向こうで横になっていた。
しばらく竹と妹紅さんを見比べて、ようやく私は彼女に助けられたことを知った。
「……そんだけ体を動かせるようなら大丈夫そうだな」
妹紅さんは「やれやれ」と言って、女の子なのに行儀悪くその場で胡坐をかいて座る。
「どうして? ……どうして私を助けたんですか!?」
「うーん、なんでって言われるとなぁ……」
私の詰問に妹紅さんはバツが悪そうに頭を掻いた。
「こんなんで勝っても嬉しくないし、あとお前の面倒も見ないといけないし」
そうして笑顔――あの眩しいような笑顔を初めて見せてくれた。
「だけど、今日は私の勝ちだな!!」
はっとした。
気が付けば私は構えていた手を下ろしていた。
覚えていた怒りを忘れてしまっていた。
そして、じっと妹紅さんがニコニコ笑うのを見つめていた。
その時の妹紅さんの笑顔は、初めて見た妹紅さんの怖い顔よりも鮮明に覚えている。
その後もたびたび姫様に命じられて、私は妹紅さんの元へ走った。
もう妹紅さんと闘う気は毛頭なかった。
命令に従わなかった私はダメなヤツだと思う。
「お、今日はお前か。鈴仙」
私を見つけると、妹紅さんは笑顔で出迎えた。
いつの間にか私の名前を覚えてくれていた。
嬉しくて、私も笑顔で応えた。
そうして二人でおしゃべりをして過ごした。
姫様には適当な理由を付けて誤魔化せばいい。
大胆にも私はそんなことを思っていた。
バレたらどんな目にあっただろうか。
でも二人で過ごす時間の方が私には大事だった。
私は妹紅さんの事が好きになってしまっていたのだ。
姫様に見限られてもいい。
お師匠様に捨てられてもいい。
私はこの人と一緒にいたかった。
やがて私たちが企てた永い夜の異変が終わり、私たちの環境が変わった。
もう人目に隠れて過ごす必要もない。
姫様もお師匠様も竹林から外の世界へと歩み出して行った。
妹紅さんも、仇である姫様とお話しをするくらいになった。
お二人の顔から憎しみに満ちた表情が浮かぶことがどんどんなくなっていく。
そうして、今では友達と呼べるくらいの関係になった。
私は嬉しかった。
もう妹紅さんは敵じゃない。
これからは姫様たちに隠れて親しくする必要はない。
姫様が笑ってくださって、お師匠様が見守ってくださって、てゐが私に悪戯して――そうして妹紅さんと過ごす毎日が、楽しかった。
こんな日がずっと続く。
私は幸せだった。
そう思っていた。
※
「おや、もうこんな時間か」
夕方。
薬を配り終えた私は、人里で教師をしている慧音さんの寺子屋にいた。
私は暇になると、よく慧音さんのところへお邪魔する。そして世間話をして時間を過ごす。
慧音さんは妹紅さんの親友だ。
もっとも私は妹紅さんの事を知りたくて、いつも慧音さんから色々教えてもらっている。
妹紅さんが好きな事。人里での妹紅さんの事。妹紅さんの近況など。
その時の慧音さんも楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「本当ですね。楽しくおしゃべりをしていると、日が暮れるのが早いですね」
「そうだな」
「それでは私は失礼いたします」
「ああ。今日はありがとう。また来てくれ」
慧音さんに見送られて、私は寺子屋を後にする。
今日も楽しい一日だった。
さぁ、早く帰って夕飯作りをしなくっちゃ。
私が人里の出口に着こうとしたとき。
「お、鈴仙」
私の足が止まる。
急に顔が赤くなるを感じた。
妹紅さんだ。
いつも夜遅くまで人里におられる妹紅さんと、この時間に会うことはほとんどない。
帰りも二人きりでいられる。
嬉しくて、私は笑顔で振り返る。
「これから永遠亭に帰るのか。一緒に行こう」
そこには、いつもの私が大好きな妹紅さんの笑顔があったのに。
私の顔から血の気が引いていくのがわかった。
「あら、イナバ。薬売り終わったの? ご苦労様」
妹紅さんの隣に――肩を並べるようにして、姫様が微笑んでいた。
永遠亭への帰り道。
竹林の中。
私の目の前で、妹紅さんと姫様が肩を並べて、楽しそうに会話していた。
私は一歩後ろで、そんなお二人の背中を見つめていた。
あのね、妹紅さん。今日はお薬、たくさん売れたんですよ。慧音さんのところで妹紅さんのことお話ししていたんですよ。昨日は慧音さんのところでお鍋を食べたんですよね? 慧音さんって、意外と猫舌だそうですね。
妹紅さんに話したいことがたくさんあるのに、私は話しかけることができない。
ただ、見つめるしかなかった。
妹紅さんは私に振り返ってくれない。
その笑顔を向けてくれない。
やがて妹紅さんが「あ、あのさぁ」と姫様に手を伸ばす。
その手には――小さな真珠の玉が一つ付いた首飾り。
お二人の足が止まる。
私も足が止まった。
「も、妹紅? これ、どうしたの?」
「あ、ああ。溜めた金で買ったんだ。輝夜はこういうの、嫌いか?」
差し出された、大き過ぎず見えるか見えないかくらいの控えめな首飾りを、姫様がそっと受け取る。
「ううん……好きよ。でも、よく私の好みがわかったわね?」
私が話したからです。
私が妹紅さんに話したからです。
私に妹紅さんが笑いかけてくれるように話したからです。
「鈴仙に聞いたんだ。輝夜はこういうのが好きだって。気にいってくれて嬉しい」
「そうなの?」
姫様が笑いながら私に振り返る。
私は小さな声で「いいえ」とだけ答えた。
だけど、妹紅さんは私に振り返ってくれない。
じっと姫様の横顔を見つめていた。
その時、私はわかってしまった。
妹紅さんは、私なんか見ていなかった。
私の心の奥におられた姫様だけを、見つめていて、笑いかけていたんだって。
やがて永遠亭と妹紅さんの庵との分かれ道に差し掛かる。
「イナバ。私、ちょっと妹紅のところに寄るから、先に帰っていて」
姫様は頬を赤くして、妹紅さんは顔を私から背けていた。
やっぱり恥ずかしそうに顔を赤くして。
「……はい。わかりました」
私はそう言うと二人に背を向けて、歩き始める。
やがて、私の足はどんどん速くなって、永遠亭が見えるときには全力で走っていた。
「あのね、永琳……私、妹紅と付き合うことになったの」
姫様とお師匠様、それからてゐの四人でとる夕飯。
私は味がしない夕飯を口に運びながら、姫様が話すことを耳に入れていた。
「いつからかな? 多分異変が失敗に終わったころかな。妹紅の事が気になって」
ぼんやりとした頭で箸を動かす。
箸で食べ物を掴むのって、こんなに面倒なことだったっけ?
「それから妹紅ともっと仲良くなりたくて、遊びに誘ったんだけど」
味がしないお味噌汁を飲む。
喉を鳴らすのが痛い。飲み込むのってこんなに痛いものだっけ?
「そうして親しくなって、私、思ったの。あぁ、私、妹紅のことが好きなんだなって」
「ふふ、姫様が毎日のように妹紅を遊びに誘ったのは、そういうことだったんですね」
お師匠様が笑顔で姫様に答える。
もう聞きたくなくて、そんな話聞きたくなくて、私はそっと箸を置く。
「ま、お二人のラブラブなのはなんとなく気づいていたけどね。いいんじゃない? 末永くお幸せにー」
「もう、てゐは――うどんげ? どうしたの?」
ほとんど食事を残した食器を台所へ持っていこうとする私を、お師匠様が呼び止める。
振り返ると、姫様もお師匠様もてゐも私を見つめていた。
「……いえ、今日はちょっと疲れてしまったみたいで。すみません、もう休ませていただきます」
「え? ちょっとうどんげ? お風呂は?」
お師匠様が背中で何か言ったのも構わず、私は流し台に食器を置いて部屋を出る。
廊下に出た私は――やっぱり馬鹿な私は、自分の部屋まで走ってしまう。
そうして部屋に入ると、ふらふらする体でなんとか布団を敷いて、横になってしまう。
お酒も飲んでいないのに頭がくらくらする。
もう、何も聞きたくなかった。
もう、何も知りたくなかった。
※
月明かりが部屋の中を照らしている。
私は障子を開けて、光る月を見つめていた。
横になったのはいいけれど、眠れなかった。
布団に入ってからしばらくして、お師匠様が部屋にやって来た。
「うどんげ。何かあったの?」
意地が悪い私は背中を向けたまま。
「……いえ、なんでもありません。ちょっと疲れただけです」
「そう……」
沈黙が部屋を包んだ。
「うどんげ。明日はゆっくり休みなさい。薬売りも明日はいいから。家事の事はてゐに任せるわ」
そう言ってお師匠様は部屋を出て行った。
でも私は顔を向けなかった。
最低な弟子だな。
そう思っていると、今度はてゐがやって来た。
「鈴仙。大丈夫?」
布団の傍に座るてゐの気配。
だけど私はやっぱり背中を向けたままだ。
「……大丈夫。私は大丈夫だから」
てゐはそんな私をじっと見つめているみたいだ。
やがて立ち上がる気配がした。
足音がして、襖が開く音が聞こえた。
だけど閉まる音が聞こえる前に、てゐの声が耳に入った。
「鈴仙……何があったか知らないけど、溜めてばかりだと健康によくないよ」
「……そう」
私が呟くと、聞こえたのかてゐは一つため息を吐いて襖を閉めた。
また部屋の中に沈黙が包む。
しばらくして私の部屋の周りに気配がないのを確認して、私は体を起こして障子を開け月光を浴びた。
ぼんやり光輝く月を見つめる。
妹紅さんは私ことを見ていなかった。
ずっと姫様のことを見つめていたんだ。
私はぼんやりとした頭で考え続ける。
姫様は妹紅さんのことが好き。
妹紅さんも姫様のことが好き。
じゃあ、私に出来ることは?
私が、大好きな妹紅さんのことに出来ることは?
やっぱりぼんやりとした頭で、でも私の心の中で答えが固まっていく。
※
「うどんげ……無理をしないで頂戴。今日は休みなさいって」
「大丈夫です、お師匠様。一晩ゆっくり休めまして、ほら! もう元気になりましたよ」
翌日。
薬箱を背負った私にお師匠様が不安げな顔を浮かべる。
私はそんなお師匠様を安心させるように言葉を繋げる。
「それでは行ってきます」
「あ……う、うどんげ!?」
心配そうなお師匠様を後にして、私は玄関を出る。
今日もいい天気だ。
空を仰ぎ見て、私は永遠亭の門に向かって歩き出す。
お師匠様を安心させるために、今日はいっぱい頑張らないと。
勢い込んで私は門を出る。
そこへ。
「お、鈴仙」
会いたくなかった。
顔をみたら辛くなってしまう。
妹紅さんが来ていた。
「今日も薬売りか。頑張り屋さんだな」
「あ……妹紅さん」
私はそう言うのが精一杯。
妹紅さんがにっこり笑う。
でも、私の心が弾まない。
だって、その笑顔は私に向けられたものじゃないから。
「あ。も、妹紅……」
後ろから姫様の声がする。
振り返ると姫様は顔を赤くして、妹紅さんを見つめていた。
「か、輝夜」
妹紅さんも顔を赤くさせて、姫様の元に寄っていく。
やがてお二人は何か言葉を交わして、永遠亭へと肩を並べて歩いていく。
姫様と仲良く歩く妹紅さん。
姫様は妹紅さんと仲良くなりたくて――大好きな妹紅さんの為に色々したのだ。
私はこのまま妹紅さんと楽しく過ごせればいいと思って――大好きな妹紅さんの為に何もしなかった。
そんな私が出来ること。
この気持ちを永遠に隠すこと。
私みたいな何もしようとしなかった者が、急に告白なんてしたら、妹紅さんは困るだろう。
だから、この気持ちはずっと胸の中に隠したい。
妹紅さんに知られないように。
小さくなっていく妹紅さんの背中。
込み上げるこの気持ちは、隠さないと。
でも、聞こえない程度には吐き出してもいいよね。
昨日のてゐの言葉を思い浮かべる。
そうして私は小さく呟いた。
「妹紅さん……貴女のことが、大好きでした」
聞こえてしまったのか、妹紅さんが立ち止まる。
私は思わず身構えてしまう。
だけど、やっぱり聞こえなかったのか、妹紅さんはすぐに姫様と肩を並べて、やがて玄関を潜る。
いけない。
妹紅さんの背中を見ていると、泣いてしまいそうになる。
私は慌てて妹紅さんから目を逸らす。
さて、今日はどの地区から周ろうか。慧音さんの寺子屋を先に行ってしまおうか。時間が余ったら松本堂で美味しいお饅頭を食べよう。あそこのお饅頭は美味しいから。今日はちょっと贅沢しようかな。
……あぁ。
やっぱり、私はダメだなぁ。
振り返った先。
目の前の竹林は、すっかり涙でぐちゃぐちゃになってしまっていた。
「そうは言われてもなぁ……こ、こうか?」
「だからまっすぐに飛んでるじゃない。それじゃ蹴球じゃない」
永遠亭のお庭にて、姫様と妹紅さんが蹴鞠をして遊んでおられる。
私は縁側でお二人を眺めながら、乾いた洗濯物を畳んでいく。
よく晴れた午後の日差し。
お日様は雲に遮られることなく、お庭で遊ばれるお二人を照らしていた。
この前まで憎しみ合っていたのが嘘みたい。
今では仲良く時間を過ごすお二人を見て、私の心も楽しくなってくる。
ポーンと蹴鞠が私の足元まで飛んで、縁側に転がっていく。
妹紅さんが慌てて私のところまで走ってくる。
「ごめん、鈴仙。邪魔して……よっと」
そう言って妹紅さんは、靴を付けないようにヒザだけで縁側に上がっていく。
鞠、取ってあげたらよかった。
妹紅さんの顔を、つい見つめてしまって気が利かない。
やっぱりダメだなぁ、私。
「妹紅ったら、お行儀悪ーい。貴女、本当に貴族の娘さんかしら?」
「うるさいなぁ。そんな作法とっくに忘れちゃったよ」
鞠を手にして、姫様にそう言い返す妹紅さん。
私はなんだかおかしくて、くすくす笑っちゃった。
「輝夜はいちいち細かいんだよ。なぁ、鈴仙?」
急に妹紅さんが顔を向けてこられたので、私はびっくりしちゃった。
胸がどきどきして、すぐに上手く言葉が出てこない。
「妹紅! ほらイナバが困っているじゃない」
お庭で姫様が口を尖らせて、妹紅さんに文句を言う。
私は困っていると言えば困っているんだけど、姫様と違う意味で困っている。
顔が真っ赤になるのを隠そうと必死になって返す言葉を探す。
そんな私を妹紅さんがにっこり笑って。
「輝夜のせいで困るんだよなぁ、鈴仙?」
あぁ。
やっぱりこの人の笑顔が。
いや。この人のことが、私は好きだ。
※
「それでは師匠。行ってまいります」
「はい、気をつけてね。うどんげ」
朝。
お師匠様に見送られて、薬箱を背負った私は玄関を出る。
うん、今日もいい天気だ。
早いうちに薬を配り終えて、夕方まで人里でのんびりしようかな。
門を出たところで、てゐが兎たちと何やら遊んでいた。
てゐはちっとも手伝ってくれない。
今まで一度も薬売りについてきたことがない。
でも、今ではまったく気にしない。
私一人の方がいいのだ。
てゐに「行ってきます」と挨拶をしたら「おー」と気の抜けた返事をした。
私はおかしくて、笑みを堪えきれないまま永遠亭を後にする。
迷いの竹林をしばらく歩いたら広い草原に出て、そうしたら人里はもうすぐだ。
いつもの道を歩いていく。
私の頭から竹林の葉を通して、濃い緑色に染まった陽の光が私の行く先を照らしてくれる。
永遠亭から少し歩いて、小道が枝分かれした場所にたどり着く。
その手前で私は立ち止まる。
耳を澄ます。
今日もいつもの時間に永遠亭を出た。
彼女は来てくれるかな?
どきどきしながら待っていると、やがて私の耳に草の葉がガサガサ揺れる音が聞こえた。
そうして向こうから妹紅さんが歩いてくるのが目に入って、私は少し下がって隠れる。
やがて目の前を妹紅さんが人里へ歩いていく。
妹紅さんの背中が見えたところで、私は飛び出して声をかける。
「あ、妹紅さん。おはようございます」
「お、鈴仙。おはよう。今日も会ったな」
「は、はいそうですよ。今日も会いましたね」
妹紅さんは立ち止まって振り返り、やっぱり私ににっこり笑いかけてくれる。
それだけで私の胸がドキドキする。
それだけで私は幸せになれる。
妹紅さんは人里で急患の人間が出た時、永遠亭へ案内するお仕事をしている。
いつもこの時間には竹林の中にある庵を出て、人里へ向かうのだ。
いつからか、私は妹紅さんに合わせて永遠亭を出るようになっていた。
「一緒に行こうか?」
「はい」
妹紅さんのお誘いに、私はもちろん頷いて肩を並べる。
人里までの短い距離。
私と妹紅さんが二人だけでいられる時間。
これが人里へ出かけるときの楽しみになっている。
肩を並べて歩き出すと、妹紅さんは色々私に話しかけてくれる。
人里で起きた話だったり、思い出話だったり。昨日の晩御飯の話でも妹紅さんとなら、とっても面白く感じる。
今日は姫様の話だった。
「あのさぁ、鈴仙。輝夜って光り物とか好きなのか?」
「姫様ですか? そうですねぇ、あんまり派手なのはお好みじゃないみたいですよ」
「そうなのか? あいつの弾幕って結構派手じゃないか?」
「でもお体に着ける装飾品はあまり派手なのはお好きじゃないようで。首飾りにしても大き過ぎず、他の方から見えるか見えないかぐらいのものしか持っておられません」
「ふーん」
妹紅さんは真っ直ぐ向いて返事する。
しかし次には私を顔を見て、
「そっか。まぁ、あのお姫さんだから、自分が一番綺麗と思っているんだろうな」
と笑ってみせる。
私の大好きな笑顔。
だから私も嬉しくなって笑顔になっちゃう。
「もう妹紅さんったら。姫様が聞いたら怒りますよ」
私がそう言うと、妹紅さんは慌てて「輝夜には内緒な」と声を潜める。私も声を潜めて「はい」と答えた。
二人、顔を見合わせて、おかしくて笑い合う。
いつの間にか竹林を抜け出て、人里までもうすぐ。
楽しい時間はすぐに過ぎてしまうもの。
名残惜しいけど、私と妹紅さんの二人だけの時間はここでおしまい。
また明日。
私は妹紅さんと笑顔で別れると、薬売りに向かった。
※
まだ妹紅さんと姫様が憎しみ合っていた時のこと。
姫様に命じられ、私は妹紅さんを襲撃することとなった。
「なんだ、お前は……?」
そのとき妹紅さんが殺気を漲らせた怖い顔を、今でもはっきり覚えている。
「蓬莱山輝夜の使いの者です」
私がそう名乗ると、妹紅さんは鼻で笑う。
「お前が? なんだ、全然刺客には見えないな。隙が見え過ぎているだろ」
その言葉に、あの時の私は頭にきた。
「そう思っていられるのも……今のうちですよ!」
たしかそう言って、妹紅さんに攻撃をしかけたと思う。
妹紅さんもすぐに反撃をして、激しい闘いが始まった。
妹紅さんは、やっぱり強かった。
私が幻影を仕掛けても、すぐに看破して私への攻撃の手を緩めない。
手ごわい相手だと、私は気を引き締めた。
だけど、やっぱり妹紅さんが言った通り、私は隙まみれだった。
妹紅さんの攻撃をかわして、私はすぐに反撃をしようとした。
その時、妹紅さんは目を丸くして――そして叫んだ。
「危ないっ!!」
振り返ると、妹紅さんの攻撃を受けた竹が、私目がけて倒れてきたのだ。
攻撃の構えをしていた私はとっさにかわすことができなかった。
目の前に竹が迫ってきた。
次の瞬間には私は地面に倒れていた。
何かが私に伸し掛かる。
「あー……大丈夫か?」
痛い。確かに痛いのだけど、そんなに痛くはなくて。
目を開けると、私の目の前に妹紅さんの顔が間近にあった。
「うわっ!?」
驚いた私は妹紅さんを押しのけて、体制を立て直す。
ふと見ると私に迫った竹は向こうで横になっていた。
しばらく竹と妹紅さんを見比べて、ようやく私は彼女に助けられたことを知った。
「……そんだけ体を動かせるようなら大丈夫そうだな」
妹紅さんは「やれやれ」と言って、女の子なのに行儀悪くその場で胡坐をかいて座る。
「どうして? ……どうして私を助けたんですか!?」
「うーん、なんでって言われるとなぁ……」
私の詰問に妹紅さんはバツが悪そうに頭を掻いた。
「こんなんで勝っても嬉しくないし、あとお前の面倒も見ないといけないし」
そうして笑顔――あの眩しいような笑顔を初めて見せてくれた。
「だけど、今日は私の勝ちだな!!」
はっとした。
気が付けば私は構えていた手を下ろしていた。
覚えていた怒りを忘れてしまっていた。
そして、じっと妹紅さんがニコニコ笑うのを見つめていた。
その時の妹紅さんの笑顔は、初めて見た妹紅さんの怖い顔よりも鮮明に覚えている。
その後もたびたび姫様に命じられて、私は妹紅さんの元へ走った。
もう妹紅さんと闘う気は毛頭なかった。
命令に従わなかった私はダメなヤツだと思う。
「お、今日はお前か。鈴仙」
私を見つけると、妹紅さんは笑顔で出迎えた。
いつの間にか私の名前を覚えてくれていた。
嬉しくて、私も笑顔で応えた。
そうして二人でおしゃべりをして過ごした。
姫様には適当な理由を付けて誤魔化せばいい。
大胆にも私はそんなことを思っていた。
バレたらどんな目にあっただろうか。
でも二人で過ごす時間の方が私には大事だった。
私は妹紅さんの事が好きになってしまっていたのだ。
姫様に見限られてもいい。
お師匠様に捨てられてもいい。
私はこの人と一緒にいたかった。
やがて私たちが企てた永い夜の異変が終わり、私たちの環境が変わった。
もう人目に隠れて過ごす必要もない。
姫様もお師匠様も竹林から外の世界へと歩み出して行った。
妹紅さんも、仇である姫様とお話しをするくらいになった。
お二人の顔から憎しみに満ちた表情が浮かぶことがどんどんなくなっていく。
そうして、今では友達と呼べるくらいの関係になった。
私は嬉しかった。
もう妹紅さんは敵じゃない。
これからは姫様たちに隠れて親しくする必要はない。
姫様が笑ってくださって、お師匠様が見守ってくださって、てゐが私に悪戯して――そうして妹紅さんと過ごす毎日が、楽しかった。
こんな日がずっと続く。
私は幸せだった。
そう思っていた。
※
「おや、もうこんな時間か」
夕方。
薬を配り終えた私は、人里で教師をしている慧音さんの寺子屋にいた。
私は暇になると、よく慧音さんのところへお邪魔する。そして世間話をして時間を過ごす。
慧音さんは妹紅さんの親友だ。
もっとも私は妹紅さんの事を知りたくて、いつも慧音さんから色々教えてもらっている。
妹紅さんが好きな事。人里での妹紅さんの事。妹紅さんの近況など。
その時の慧音さんも楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「本当ですね。楽しくおしゃべりをしていると、日が暮れるのが早いですね」
「そうだな」
「それでは私は失礼いたします」
「ああ。今日はありがとう。また来てくれ」
慧音さんに見送られて、私は寺子屋を後にする。
今日も楽しい一日だった。
さぁ、早く帰って夕飯作りをしなくっちゃ。
私が人里の出口に着こうとしたとき。
「お、鈴仙」
私の足が止まる。
急に顔が赤くなるを感じた。
妹紅さんだ。
いつも夜遅くまで人里におられる妹紅さんと、この時間に会うことはほとんどない。
帰りも二人きりでいられる。
嬉しくて、私は笑顔で振り返る。
「これから永遠亭に帰るのか。一緒に行こう」
そこには、いつもの私が大好きな妹紅さんの笑顔があったのに。
私の顔から血の気が引いていくのがわかった。
「あら、イナバ。薬売り終わったの? ご苦労様」
妹紅さんの隣に――肩を並べるようにして、姫様が微笑んでいた。
永遠亭への帰り道。
竹林の中。
私の目の前で、妹紅さんと姫様が肩を並べて、楽しそうに会話していた。
私は一歩後ろで、そんなお二人の背中を見つめていた。
あのね、妹紅さん。今日はお薬、たくさん売れたんですよ。慧音さんのところで妹紅さんのことお話ししていたんですよ。昨日は慧音さんのところでお鍋を食べたんですよね? 慧音さんって、意外と猫舌だそうですね。
妹紅さんに話したいことがたくさんあるのに、私は話しかけることができない。
ただ、見つめるしかなかった。
妹紅さんは私に振り返ってくれない。
その笑顔を向けてくれない。
やがて妹紅さんが「あ、あのさぁ」と姫様に手を伸ばす。
その手には――小さな真珠の玉が一つ付いた首飾り。
お二人の足が止まる。
私も足が止まった。
「も、妹紅? これ、どうしたの?」
「あ、ああ。溜めた金で買ったんだ。輝夜はこういうの、嫌いか?」
差し出された、大き過ぎず見えるか見えないかくらいの控えめな首飾りを、姫様がそっと受け取る。
「ううん……好きよ。でも、よく私の好みがわかったわね?」
私が話したからです。
私が妹紅さんに話したからです。
私に妹紅さんが笑いかけてくれるように話したからです。
「鈴仙に聞いたんだ。輝夜はこういうのが好きだって。気にいってくれて嬉しい」
「そうなの?」
姫様が笑いながら私に振り返る。
私は小さな声で「いいえ」とだけ答えた。
だけど、妹紅さんは私に振り返ってくれない。
じっと姫様の横顔を見つめていた。
その時、私はわかってしまった。
妹紅さんは、私なんか見ていなかった。
私の心の奥におられた姫様だけを、見つめていて、笑いかけていたんだって。
やがて永遠亭と妹紅さんの庵との分かれ道に差し掛かる。
「イナバ。私、ちょっと妹紅のところに寄るから、先に帰っていて」
姫様は頬を赤くして、妹紅さんは顔を私から背けていた。
やっぱり恥ずかしそうに顔を赤くして。
「……はい。わかりました」
私はそう言うと二人に背を向けて、歩き始める。
やがて、私の足はどんどん速くなって、永遠亭が見えるときには全力で走っていた。
「あのね、永琳……私、妹紅と付き合うことになったの」
姫様とお師匠様、それからてゐの四人でとる夕飯。
私は味がしない夕飯を口に運びながら、姫様が話すことを耳に入れていた。
「いつからかな? 多分異変が失敗に終わったころかな。妹紅の事が気になって」
ぼんやりとした頭で箸を動かす。
箸で食べ物を掴むのって、こんなに面倒なことだったっけ?
「それから妹紅ともっと仲良くなりたくて、遊びに誘ったんだけど」
味がしないお味噌汁を飲む。
喉を鳴らすのが痛い。飲み込むのってこんなに痛いものだっけ?
「そうして親しくなって、私、思ったの。あぁ、私、妹紅のことが好きなんだなって」
「ふふ、姫様が毎日のように妹紅を遊びに誘ったのは、そういうことだったんですね」
お師匠様が笑顔で姫様に答える。
もう聞きたくなくて、そんな話聞きたくなくて、私はそっと箸を置く。
「ま、お二人のラブラブなのはなんとなく気づいていたけどね。いいんじゃない? 末永くお幸せにー」
「もう、てゐは――うどんげ? どうしたの?」
ほとんど食事を残した食器を台所へ持っていこうとする私を、お師匠様が呼び止める。
振り返ると、姫様もお師匠様もてゐも私を見つめていた。
「……いえ、今日はちょっと疲れてしまったみたいで。すみません、もう休ませていただきます」
「え? ちょっとうどんげ? お風呂は?」
お師匠様が背中で何か言ったのも構わず、私は流し台に食器を置いて部屋を出る。
廊下に出た私は――やっぱり馬鹿な私は、自分の部屋まで走ってしまう。
そうして部屋に入ると、ふらふらする体でなんとか布団を敷いて、横になってしまう。
お酒も飲んでいないのに頭がくらくらする。
もう、何も聞きたくなかった。
もう、何も知りたくなかった。
※
月明かりが部屋の中を照らしている。
私は障子を開けて、光る月を見つめていた。
横になったのはいいけれど、眠れなかった。
布団に入ってからしばらくして、お師匠様が部屋にやって来た。
「うどんげ。何かあったの?」
意地が悪い私は背中を向けたまま。
「……いえ、なんでもありません。ちょっと疲れただけです」
「そう……」
沈黙が部屋を包んだ。
「うどんげ。明日はゆっくり休みなさい。薬売りも明日はいいから。家事の事はてゐに任せるわ」
そう言ってお師匠様は部屋を出て行った。
でも私は顔を向けなかった。
最低な弟子だな。
そう思っていると、今度はてゐがやって来た。
「鈴仙。大丈夫?」
布団の傍に座るてゐの気配。
だけど私はやっぱり背中を向けたままだ。
「……大丈夫。私は大丈夫だから」
てゐはそんな私をじっと見つめているみたいだ。
やがて立ち上がる気配がした。
足音がして、襖が開く音が聞こえた。
だけど閉まる音が聞こえる前に、てゐの声が耳に入った。
「鈴仙……何があったか知らないけど、溜めてばかりだと健康によくないよ」
「……そう」
私が呟くと、聞こえたのかてゐは一つため息を吐いて襖を閉めた。
また部屋の中に沈黙が包む。
しばらくして私の部屋の周りに気配がないのを確認して、私は体を起こして障子を開け月光を浴びた。
ぼんやり光輝く月を見つめる。
妹紅さんは私ことを見ていなかった。
ずっと姫様のことを見つめていたんだ。
私はぼんやりとした頭で考え続ける。
姫様は妹紅さんのことが好き。
妹紅さんも姫様のことが好き。
じゃあ、私に出来ることは?
私が、大好きな妹紅さんのことに出来ることは?
やっぱりぼんやりとした頭で、でも私の心の中で答えが固まっていく。
※
「うどんげ……無理をしないで頂戴。今日は休みなさいって」
「大丈夫です、お師匠様。一晩ゆっくり休めまして、ほら! もう元気になりましたよ」
翌日。
薬箱を背負った私にお師匠様が不安げな顔を浮かべる。
私はそんなお師匠様を安心させるように言葉を繋げる。
「それでは行ってきます」
「あ……う、うどんげ!?」
心配そうなお師匠様を後にして、私は玄関を出る。
今日もいい天気だ。
空を仰ぎ見て、私は永遠亭の門に向かって歩き出す。
お師匠様を安心させるために、今日はいっぱい頑張らないと。
勢い込んで私は門を出る。
そこへ。
「お、鈴仙」
会いたくなかった。
顔をみたら辛くなってしまう。
妹紅さんが来ていた。
「今日も薬売りか。頑張り屋さんだな」
「あ……妹紅さん」
私はそう言うのが精一杯。
妹紅さんがにっこり笑う。
でも、私の心が弾まない。
だって、その笑顔は私に向けられたものじゃないから。
「あ。も、妹紅……」
後ろから姫様の声がする。
振り返ると姫様は顔を赤くして、妹紅さんを見つめていた。
「か、輝夜」
妹紅さんも顔を赤くさせて、姫様の元に寄っていく。
やがてお二人は何か言葉を交わして、永遠亭へと肩を並べて歩いていく。
姫様と仲良く歩く妹紅さん。
姫様は妹紅さんと仲良くなりたくて――大好きな妹紅さんの為に色々したのだ。
私はこのまま妹紅さんと楽しく過ごせればいいと思って――大好きな妹紅さんの為に何もしなかった。
そんな私が出来ること。
この気持ちを永遠に隠すこと。
私みたいな何もしようとしなかった者が、急に告白なんてしたら、妹紅さんは困るだろう。
だから、この気持ちはずっと胸の中に隠したい。
妹紅さんに知られないように。
小さくなっていく妹紅さんの背中。
込み上げるこの気持ちは、隠さないと。
でも、聞こえない程度には吐き出してもいいよね。
昨日のてゐの言葉を思い浮かべる。
そうして私は小さく呟いた。
「妹紅さん……貴女のことが、大好きでした」
聞こえてしまったのか、妹紅さんが立ち止まる。
私は思わず身構えてしまう。
だけど、やっぱり聞こえなかったのか、妹紅さんはすぐに姫様と肩を並べて、やがて玄関を潜る。
いけない。
妹紅さんの背中を見ていると、泣いてしまいそうになる。
私は慌てて妹紅さんから目を逸らす。
さて、今日はどの地区から周ろうか。慧音さんの寺子屋を先に行ってしまおうか。時間が余ったら松本堂で美味しいお饅頭を食べよう。あそこのお饅頭は美味しいから。今日はちょっと贅沢しようかな。
……あぁ。
やっぱり、私はダメだなぁ。
振り返った先。
目の前の竹林は、すっかり涙でぐちゃぐちゃになってしまっていた。
貴方の文章であきゅけねとかも見てみたい
>皆様はこの言葉をどう思いますでしょうか
これはアレだ 恋愛物の定番
告白して今の関係すら失うか、告白せずに”トモダチ”で有り続けるか
そしてもう一つ……禁弾の”略奪愛”
うどんげには、幸せになってほしいです。
めっちゃ切ないです。こんなに切なくなった恋愛物は久々ですよ……。