Coolier - 新生・東方創想話

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2014/10/28 22:18:45
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「…本当にいいの?」
「うん」

“甘え”は忌避すべきことではない。縋ることを恐れてはいけない。
 己が心に安泰をもたらすならば、それを選択することはその人の自由だろう。

「それよりありがとね、私のわがまま聞いてくれて」
「まあ、これで最後だからね」
「優しいのね」
「あんたに比べりゃまだまだよ」
「私はただ生ぬるいだけよ」

 それで一歩踏み出せるなら、昨日の自分よりも前に進むことができるのなら、何人も咎めることはできない。

「何も知らない無様な弱者なのよ」

 それを知っていたからこそ、小さく哀れな彼女のためにささやかな時間を用意することを、かの人間は決めた。



 鬼人正邪の朝は気分次第である。彼女は何物にも縛られることはない自由奔放な存在だからだ。
 それでも、久しぶりに温もりのある布団に包まれ、徐々に高くなっていく朝日が部屋の中に入り込んでくるのを薄い意識の中で見守ることは何事にも代えられない至福だった。
 屋内で眠ることはしばしばあった。野宿も頻繁に行うが、追われる身であってもやはり潜伏先は雨風凌げるところがいいと、どれだけ残骸に近かろうと小屋等を探して一夜を明かす方を彼女は好んだ。
 衣食住、そのうち二つも欠如している生活を送る正邪にとって、布団がどれほど尊いものなのかは誰でも容易く図れるだろう。
 もういっそ一日を無駄に過ごしたいような堕落した考えが正邪の目蓋を重くし、意識の錨を深海へ投げ入れようかという時、

「朝よ!」

 無慈悲な一撃を正邪は喰らった。
 耳元で叫ばれた言葉は正邪の脳を刺激して一気に覚醒させた。眠気は一瞬にして吹き飛び、代わりとしてじわじわと不快感の波が眉間によった。

「起きてよ!」

 もう既に起きている。そんなことを伝えたくも、口を開けることも億劫なザマだ。もう無理だとは知りつつも、正邪は耳に蓋をするつもりでスピーカーに背を向け必死に目をつむる。

「しょうがないわね……」

 やけに低い位置から聞こえるその声にはため息に混じって諦めが感じられた。正邪は内心でガッツポーズをとると、足音が布団から離れていくのを待ち望んだ。これでもう一度ゆったりできるだろうと。
 が、正邪の思惑とは裏腹に、嫌な予感が閉じた瞼の裏側に走った。頸椎あたりが急にざわつき始め、自然と肩がすぼんでいく。

「よいしょっと」

 やけにかわいらしい掛け声とともに、何かが振りかぶられる不吉な音が正邪の鼓膜をふるわせる。
 もう限界だった。

「わーったよ……起きりゃあいいんだろ?」

 正邪は白角の付け根辺りを指先で掻きつつのっそりと身を起こし、不機嫌だということを隠そうともせず元凶に白い目を向けた。
 赤い着物は秋の穂を彷彿とさせる模様に染められ、金の刺繍を施した黒い帯は針の剣を携えるのにはちょうど良いものだった。黒く漆を塗られた椀は装備されていなかったが、若い紫色の柔らかそうな髪と正邪の膝上ぐらいの小さすぎる体格はまさしく少名針妙丸。正邪が騙し、見捨て、その追っ手となった小人。
 腕をプルプルと振るわせながら打出の小槌を振りかぶり、今まさに振り下ろさんとしている様にそんなことを想起させる面影は一切残っていなかったが、正邪はこの小人と対峙した時のことを忘れはしない。天邪鬼でいる限り、永遠に記憶に留めておくことだろう。

「お、おはよう……」

 やたら鈍い音を畳に吸収させ、肩を上下させながら針妙丸が笑みを浮かべる。だいぶ苦しそうだ。
 針妙丸は小人で、小柄な正邪と比べても天と地ほどに世界の捉え方の差異があることは当然、手に取るもの一つでもそうだろう。しかし小槌の重さぐらいなら、小人が肩で息をするほどの体力を使わないでもよさげだ。

「なーんでオヒメサマはそんなに疲れてるんだ?」

 聞かないでもよかったんじゃないか、そう正邪は半ば思ったが、気づいたときには口に出していた。

「き、昨日は眠れなかったから」

 面白くもなんともない回答を聞いて正邪は後悔し、「なるほどね」と布団に倒れ込みながら呟いた。
 また寝ようとしていると勘違いした針妙丸が正邪の寝巻――言っても下着なのだが――の紐を引っ張るが、たかが小人の腕力。多少の揺れはないも同然。

「しょうがないな」

 先程針妙丸の口から出たような出なかったようなセリフを忌々しそうに口ごもると、緩慢な動きで堕落を誘う魔性の地より這い出した。体も意識も覚めきっていた。


「正邪がご飯の担当なんだからね」

 正邪が台所に立って食器や食材、調理器具などの様子を把握し、いざ取り掛からんとしている最中に針妙丸の野次が飛ぶ。
 正邪は手に持っているフライ返しで針妙丸をひっくり返すことも考えたが、ぐっと堪えてもくもくと準備を進める。
 味噌の芳醇な香りが一日の始まりを感じさせ、炊き立ての白米の熱気が気管を蒸らした。
 確かに、ここに置かれている物、いや、存在している物品の数々は小人が生活することを全くと言っていいほどに視野に入れていない。少名針妙丸という小人が存在しながら。
 無論、小人が地上で忘れ去られようとしていた種族だったのは事実だ。あまりにも人とかけ離れていた時期があった。そもそも小人と人という関係もそう深くはなかった。
 恐らく彼女はそれも折り込み済みだろうと推測できるが、これでは他者への依存を深めるだけになるのでは、あまりに酷なのではないかと、天邪鬼である正邪ですら思ってしまう。
 しかし彼女がそれを自ら選択したのなら何も言うつもりはなかった。言う資格など存在しなかった。正邪も覚悟は決めていた。

「へいへい」

“ご親切に”下準備がされていたおかげで寝坊をしてもそれほど時間をかけることもなく朝食の準備は整い、針妙丸が腕を組んで待っていた卓に並べ終えた。
 そのまま何もしないというのは正邪には癪だったので調味料の分量を間違えたり入れなかったり等の嫌がらせをこなし、針妙丸の持つ針の剣を何度も体に受けノルマ達成の祝福を受けた。

「全く…」

 オヒメサマの大層ご立腹な様を正邪は満足げに眺めていたが、外の世界からの流用品であろう壁にかかっている焦げ茶色の古時計に目を配るとまだ巳時にも達していなかった。

「んで、これからどうするんだ? 私はここから出られないんだが」

 小人様に目を向けることをなんとなく避けて訊いてみると、ちょっとした空白が二人の空間に充満したのが肌で感じ取れた。
 外出できないのはわかりきっていることだが、かといって一日をこのまま怠慢に過ごすのももったいないし、針妙丸だってそんなこと望んでいないはずだ。「何気ない日々こそ価値があるのよ」なんて言い出したら話は別だが、正邪の知るオヒメサマはそういうつまらないことは言わない。
 故にほとんど禁句でも、琴線に触れるとしても、正邪は針妙丸のビジョンが訊きたかった。今日ぐらいはいいだろうと、冷ややかさを瞳に宿しながら。
 視界の端で着物が動いたような気もしたが、正邪は無視を努めた。

「じゃあね……」

 針妙丸がペタペタと机の上を歩く音を耳に入れると正邪はようやく視線を落とした。
 小人は正邪に背を向けて机を挟んだ向こうの戸棚、なぜか書籍が並べられ本棚と化している家具を指差し振り返った。着物の袖は拳で強く握りしめられたかのように皺が寄っていた。

「あの中から正邪の好きなやつを選んで」
「……私の好みでいいのか?」
「いいよ」

 読み聞かせでもさせられるのだろう。正邪は悟った。
 棚に収められているのは、【大人】でもなかなか扱いづらい装丁のされたものばかりだった。しかし小人なんぞでも読むことはできるはずだ。全身を使う羽目にはなるが、一人でできるようなことだ。
 針妙丸は甘えたいだけだ。限られた時間の中で精一杯正邪の服を引っ張って、正邪の角を弄って、正邪の肌を突いて。
 なんと哀れなのだろう。この場を用意した輩も性格がわるい。
 正邪は面倒くさそうに首を振って憐憫のこもった眼差しを隠し、のっそりと立ち上がった。興味なさげに棚に並ぶ文字列を眺める。ご丁寧に針妙丸が理解できそうな書物ばかりで、難解で意味の分からない物や高名な誰かさんの著した論文、どこぞの気まぐれな詩人が記したくだらない詩集といった正邪の食指を動かすようなものは一切合切存在しなかった。
 正邪も元から針妙丸に読み聞かせをしてあげるようなことはするつもりもなく、ただ針妙丸を期待させるための溜めでしかない。しろと言われたことをしない、もしくは捻じ曲げるのが天邪鬼であるが、それ以前に、オヒメサマにヘイコラヘイコラ従うことが不快なだけだった。

「ふむ」

 おもむろに踵を返して針妙丸の着物の襟を鷲掴んだ正邪は、手元からあがる困惑と恐怖の悲鳴を心地よく聞き流しながら移動し、障子に囲まれた部屋に着くと、お天道の光を取り入れるべくほどほどに隙間を空けた。
 急に足場を失った不安感から取り乱していた針妙丸も、見た目通りつりさげられた猫のように大人しくなっていて、正邪は怪我をしない程度の高さで手を離した。
 針妙丸は難なく着地すると腹黒い天邪鬼を泣きそうな顔で睨みあげるが、正邪はどこ吹く風と澄ました顔で外を眺めていた。
 未練がないわけではない。なければおかしい。正邪は生まれ持っての天邪鬼だ。この世に生を受けてから反逆することを自身のアイデンティティーとして日々過ごしてきた。寝ても覚めても天邪鬼としてあるために何をすべきか何を為すのかそればかりだった。そしてようやくたどり着いた幻想郷転覆という大計画。成功すればどんな快楽よりも気持ちいいものだったろう。ようやく掴んだ一世一代のチャンスを逃してしまった今、正邪には何が残っているのか。
 天邪鬼は反逆することでしか生きられない。しかし現在は抗うすべを持たない知らない。どんな束縛からも逃れようとする不撓不屈の精神を持っていたとしても、仮にこれから永久にも等しい時間を失うことは寂寥以外の何も生まない。
 ところが、鬼人正邪は往生際が悪い。過去を引き摺るも囚われず、ひたすら進もうともがき苦しむ。
 薄い和紙一枚挟んだ向こう側の空気を全身で受け止めつつ、しっかりと前を向いていた。

「あーあ」

 肺の奥から自棄気味な息が漏れる。いくら意気込んでも今何をしたって結果は変わらないのはわかりきっていたからだ。
 生産性のない思考を中断し、針妙丸の背後に回り込み胡坐をかくと、無理やり腰を下ろさせた。

「えっ、えっ?」

 きょとんとして左右を見まわす針妙丸だったが、正邪は何も言わずお椀のない針妙丸の後頭部を見つめ続けた。
 落ち着いてきた針妙丸が体の向きを変えようとするのを肩を掴んで制止すると、針妙丸が不可解そうに首を捩じってどうにか正邪を見ようと奮闘した。

「してくれないんじゃないの? 天邪鬼だから」
「半分外れだ」

 とうとう観念した針妙丸は正邪の顔を見ることを諦め、代わりとして正邪の腹に背中を預けるようにして寄りかかった。
 今度は何も言わず、鳩尾に僅かな体重を感じると、押し出されたかのようにため息が一つ漏れる。
 以前ならこんなことするはずもなかっただろう。共犯者として意思疎通の潤滑化を図るためにある程度まで近づくことはあっても、所詮は共犯者止まりだった。深入りをしようなんて少なくとも正邪は思わなかったし、もし異変が成功したならば針妙丸を踏み台にして捨てて自分が新たな支配者として君臨するつもりだった。だから必要以上のなれ合いなど、情を募らせるためだけで彼女の思い描く覇道の障害でしかなかった。
 だが時は流れた。
 情を気にする必要もない。現状は今を見据えることだけで事足りている。少し位見栄を張ることも休みたかった。

「どうせあそこにあるのはお前にしか理解できないやつだ、私はつまらんだろう」
「私が読みたいからいいんじゃないの?」
「だからだよ」
「ま、だろうねぇ」

 天邪鬼流の理論。実直の塊な鬼には嫌われ人に理解されることを嫌うとんでもない論理は針妙丸も慣れていた。

「じゃあ、正邪は何を話してくれるのかしら?」

 針妙丸が正邪のスカートを軽く握る。黒と赤の矢印が混ざり合った。
 正邪は布の引っ張られる感覚を遠く感じ、自身の持つ話のレパートリーを漁る。とはいっても、事前に決定されていたようなものではあったが。
 正邪にかかる体重が気持ち増した。期待している、という合図にとれた。

「多分オヒメサマも聞いたことはあるんじゃないかな……」
「いいから教えてよ」
「まあまあ、語り手にもテンポというものがあってだな」
「ふぅん」

 もったいぶった語り出しに針妙丸が急かすも、正邪は口角を上げるだけで締まりの悪い口調をやめなかった。

「オヒメサマが知っているというのもだな、何を隠そう小人絡みなんだからな」
「小人?」
「そう、もしかしたらオヒメサマにも関係あるお話なのかもしれない」

 針妙丸が尻を少し浮かせ、座る位置を調整した。興味を抱いてくれたことのサインであると感じた正邪は、ペースを崩さずゆったりと門をくぐるように話しを続けた。

「昔々、とあるところにとある天邪鬼がいた……言っておくが私じゃないからな」
「うん」
「……そいつはある日、一人の小さなお姫様を見つけたんだ。小さな小さな、文字通りの小ささだった。なにせ、瓜から生まれたんだからな。
 かわいらしい見た目はもちろん、機織りも得意でな、そいつがいた家の爺婆にとって宝だったんだ」
「もしかして、『瓜子姫』?」

 針妙丸が見上げた先には真顔で見降ろしてくる正邪の顔があった。
「正解だ」正邪はにこやかに言うが、針妙丸は言い知れぬ怖気が背筋に伝ったのを確かに感じ取った。

「瓜子姫の話なら私も知ってるわよ」
「そうか」
「何回も聞かされてきたしね」
「へえ、やっぱり伝わってるんだな」
「うん、お母さんから特にね」

 一瞬話の腰を折ってしまったかと思い冷やりとした針妙丸だったが、見上げた先の正邪の顔は一切変化はなかった。

「まさかその話?」
「おう」
「もう何回も聞いた話をもう一度聞かせてくれると」
「それは違うな」

 針妙丸の危惧は杞憂だった。ほっとした針妙丸の口から軽口が出てきたことに手ごたえのようなものを感じつつ、正邪は針妙丸の頭に手のひらを乗せた。

「ところでなんだが、オヒメサマは瓜子姫のことをどんな風に聞いているんだ?」
「どんな風にって……もう昔話だし大仰なことは聞いてないわよ。そもそも向こうは瓜から生まれたんだし、そもそものルーツが違うんだもの」
「小人は皆野菜の中から生まれてるんじゃないのか?」
「正邪の中の小人はどうなってるのよ」
「食い物にできる奴ら」

 目にもとまらぬスピードで正邪の腹に針妙丸の肘打ちが刺さった。
 何も強化のされていない一介の小人の攻撃だったのだが、当たり所が悪かったのか正邪は数回むせると背中を丸めて悶絶し始めた。
 謂れのない、とまではいかずとも理不尽な暴力だと正邪は針妙丸を睨むが、当の本人はそっぽを向いて完全に耳に栓をしていた。
 小人のもともと小さい体をさらに縮めてやりたい衝動に駆られたが、一先ず深呼吸を挟み、なんとかくだらない小競り合いを勃発させてしまうようなことは防いだ。

「……多分、オヒメサマの知っている話と大筋は一緒だろうな、瓜子姫を育てていた爺婆が出かけてしまった隙に天邪鬼がやってきて」
「……それで連れ去られちゃうんでしょ?」
「やっぱりな」

 正邪は何度も頷き、少ししてまた頷いた。
 小人族のお姫様とはいえ、やはりまだお姫様なのだ。鬼の世界であのままもう少し時間を経て世間というものを知るようになっていれば、今から正邪の語るような話もしっかりと耳に入れることもあっただろう。
 まだまだ世間知らずだったからこそ、正邪はそこを狙ったのだし利用価値を見出したのだが。

「違うの?」

 針妙丸が怪訝そうに訊くが、正邪は

「いんや、何も違わないさ。そもそも昔話だとか伝承だとかの本家本元なんてあってないようなものだからな。
 だから、別にお前の聞いた話が捏造だとか私が話すことが真実かどうかなんてどうだっていい。こんな話もあるんだって言う風に聞いてもらいたいんだが」

 こう答え、


「殺されたんだよ、天邪鬼にな」

 声の調子を急に落とし、表情を無くした。正邪に密着していた針妙丸は、さっきまで感じていた温もりが急に氷水のような痛みに変わったような心地がして震えあがった。
 緊迫した空気が流れること数秒、耐えきれなくなった正邪が乾燥した笑い声を上げると、針妙丸もからかわれていたことに気が付いて顔を真っ赤に染め頬を膨らませた。

「ハハハハハハハハ! やっぱりオヒメサマはいい反応するなぁ! ハハハハハハ!」

 呼吸困難寸前まで笑い転げた正邪だったが、針妙丸の後姿から殺気が生じると名残惜しそうに体勢を立て直し、膝に手を置いた。

「そう、殺されたんだ。あっけなく、赤子の首を捻るよりもあっけなくな」
「単なるバッドエンド?」
「そんな馬鹿な」

 かなり不機嫌そうな声色の針妙丸に対し、正邪はこれ以上ないくらいに愉快そうだった。

「ここからが面白いんだがな、天邪鬼は瓜子姫を殺した後爺婆が戻るまで家に残っていたんだ。戻ってからも、そいつはずっと居座るつもりだった」
「お爺さんとお婆さんも殺すため?」
「さあ、それはわからんな」

 急に突き放したような口調に変わり針妙丸は目を丸くしたが、正邪は意図したわけではなく、本当に知らないのだった。もしかしたら妖怪としての責務を全うするためだったのかもしれないし、明確な目的があったのかもしれない。だが所詮は昔話、登場人物の細々とした心情なぞ知る由もないし、正邪は知りたくもなかった。
 問題点はそこでないのだから。

「私はその天邪鬼が何を考えていたかなんて興味すら湧かない。そんなもんいくら考えたって私の足しにはならないからな。
 私が言いたいのはだな、その天邪鬼がどうやって爺婆をやり過ごそうとしたかなんだよ」

 針妙丸は必死に正邪の糸を探ろうと思考をめぐらせているようだが、いくら考えても針妙丸の優しい感情の詰まった脳みそでは答えにたどり着くことはできないだろう。

「天邪鬼は皮を剥いでそれを着こんだ。そして着物を身に着け、瓜子姫に化けたんだ」

 正邪は針妙丸ののど元を軽く撫でた。まるで物語の中の天邪鬼の、瓜子姫の皮を剥ぐ直前の手つきを再現しているかのように生々しく。
 針妙丸が完全に竦んでしまったのを存分に目に焼き付けると、正邪は嘆息してそっと手を離した。

「なんで皮を剥いだのかも私にはわからん。もしかしたらそいつの趣味嗜好だったのかもしれない。だが、天邪鬼からしたら瓜子姫の視点ってやつは相当違ったもののように映ったろうな……それこそ、そいつになりたいと思えるほどの新鮮さを持ってたりとかな」

 空っぽな含みを持たせた笑みを針妙丸に投げつけるものの、彼女は依然として固まったままでまるで詰まらないものだった。
 そこまでいい反応を求めていなかった正邪は落胆の色を見せず、自分が開けた障子の隙間から漏れる午前の日差しを愛おしそうに眺める。
 目を細めて、深く狭い井戸の底から大海に思いをはせる蛙のように。
 無意識の行動ではあったが、正邪の願望を如実に表していた。

「もし、私がオヒメサマの皮を着込んだら……」

 正邪の口から天邪鬼成分の一切混合されていない呟きが漏れた。一瞬で我に返り、続きは二度と口に出されることはなかったが、正邪自身の覚悟決意生き様誇り全てをひっくり返してしまいそうなほどの殺傷力を持った言霊の片鱗は、方向性は違えど同じ格好で呆然としていた針妙丸の肌もなぞったようだった。
 ほとんど口にされることのなかった正邪の真意。それが垣間見えた気がした。
 論なく【天邪鬼】鬼人正邪の目的ははっきりとしている。彼女がどんな嘘を吐こうと誰を騙そうと天邪鬼として生き、幻想郷を転覆し弱者が頂点に立つ世界の支配者となること。あまりにも単純明快だ。
 しかし彼女の言動は、どんな遠回りになろうと“反逆”という最終目的のためということ全てに集約されてしまう。
 だから、天邪鬼としてではなく【鬼人正邪】としての純粋な願いを知ることができたのはこれが初めてのように針妙丸は思った。
 何もこんなタイミングで、最後の最後で。針妙丸は嬉しさよりも、心臓を握りつぶすかのような切なさに苛まれた。後悔など当然あった。
 これ以上正邪が未練に引っ張られないように、針妙丸は側に置かれていた正邪の拳に掌をそっと重ねると彼女の意志を連れ戻すためにか細い声で切り出した。

「小人は不便だよ?」

 正邪の瞳にすぐに光が戻り、重ねられていた小さく暖かな手を振り払うと「だろうな」と鼻で笑った。

「見た感じ一発で分かる。小人はさぞ毎日が楽なんだろうなぁってな」
「そうよ、楽なのよ」

 正邪の声の調子がいつも通り、他人を馬鹿にした響きに戻り針妙丸は安心した。全身を弛緩させて正邪にもたれかかると、正邪もまたゆっくりと重心を後ろに移動させ両手を後ろ手について天井を仰いだ。

「で、正邪の話はもうおしまい?」
「ああ、終わりだ。話す気分じゃなくなったからな」
「嘘つき、持ちネタが無くなっただけでしょ」
「さあ、どうだかな」

 針妙丸が後ろを向くと、正邪のニヒルな顔持ちがあった。針妙丸も挑戦的な目つきを正邪に返し、まるで逆さ城に二人っきりで潜伏していた頃、苦い肝とほんのり香る程度の甘い蜜を共にすすっていた時のような錯覚を覚えさせた。
 正邪にとっても針妙丸にとっても生涯で最も価値の在り意味を持ち密度の濃かったであろう日々は、針妙丸のこれからに多大な影響を与え、彼女の生き方を形作っていくだろう。そして正邪の記憶の片隅を占拠し、時には彼女をかき乱すに違いない。だが正邪はといえば。
 針妙丸は正邪の胡坐から四つん這いになって抜け出すと、着物のしわを伸ばすように軽く数回膝を払った。それに倣って正邪も若干痛みを訴える脹脛を無視して勢いよく腰を上げ、針妙丸の背後に立った。

「そういえばこの前お菓子もらってね、一人で食べようとすると幸せすぎて死んじゃうかもしれないんだけど」
「それで独り占めできると思ったのか? なんなら私が全部食べてあげてもいいんだが、そしたらオヒメサマも長生きできるぞ」
「なにそれ、私に長生きしててほしいの?」
「全然」
「でしょーねー」

 二人は駆け足で朝食を食べた場に戻っていったせいか、閉め忘れた障子が独りでに締まるのを目撃することはなかった。


 仲良く喧嘩しながら昼食までを終え、正邪の腹に針妙丸がしがみ付いてそのまま寝てしまうと、天邪鬼もつられてうつらうつらとし始め、しまいには睡魔には勝てず意識を失ってしまった。
 



 日があからさまに傾き始めると、針妙丸が無理やり繕っていた空元気も霧散し始めた。当人はまだ隠し通せていると思っているようだったが、決して短くはない時間を針妙丸と眺めた天邪鬼にはお見通しであった。
 そこを突けば針妙丸の心をかき乱し、天邪鬼好みの反応が返ってくるのがかなり期待できたのだが、特大級のご馳走を前に背を向けるように、正邪はあえてぐっと堪えた。別に針妙丸のことを気にかけてというわけではない。その方が後々面白いと正邪が判断したからだ。
 昼食の時は無理やりにでも話に花を咲かそうとしていた努力は見られたが、晩飯にはもうそんな余裕すらないようで、頻繁に壁時計に目を向けては正邪と見比べ、舌打ちをされると何故か安心したように息をついていた。
 正邪は無言の間を居心地悪く感じなかったし、むしろ針妙丸の黄色い声が耳に入るたびに気分が悪くなるので歓迎もしていたわけだったが、どこか歯車がかみ合わない感覚が拭えず、だんだんと苛立ってきた。
「お風呂一緒に入ろう」と辛うじてにこやかに誘えた針妙丸だったが、正邪の機嫌は直らなかった。結果的には針妙丸の願望を渋々叶えたわけだが、やはり気まずい空気は相変わらずで、正邪は慣れた湯沸し作業をこなすと月夜の澄んだ憎たらしい夜空を眺めながら身を清め、針妙丸は湯船に桶を浮かべて浸かりながら正邪の後ろ姿を切なそうに見つめるだけで、とてもじゃないが“一緒に”と言えない状況だった。天邪鬼の背後に描かれた伝統ある紋様を出来るだけ目に入れないようにしながらも、どうしても黒いそれは針妙丸に現実を突きつけた。


「正邪」

 寝巻と思しき白い着物をゆるく着た針妙丸が、物静かな子が親にねだるように昼間と変わらない格好の正邪のリボンを引っ張った。
 正邪が時計を見ると、聞かされていた期限があと五分もない。針妙丸も気付いていないわけがない。
 言わんとしていることはわかる。しかし許されるかどうかは正邪のあずかり知らぬところだった。これは針妙丸のわがままだ。そもそもこの状況自体小人のわがまま発祥なのだろうが、もう駄々をこねているのと変わらなくなりつつある。

「……と言ってるがどうなんだ?」

 何もない虚空へ、正確に言えば寝床へ正邪が呼びかける。
 反応はなし。当然だ。そこには誰もいないはずなのだから。
 正邪はそれでも返答を待った。耳を澄まし、いかなる異変も逃すまいと目を凝らした。
 何十秒、もしくはそれ以上経過したかもしれない。

「なるほどな……甘ちゃんだなぁ、お前らも」

 夜にふさわしい雑音だけが木霊していた。
 音もなく時計の短針が動くのを見届けて、せせら笑うように吐き捨て、針妙丸を腋に挟んで寝室へ移動すると、今朝も使った布団を敷いてどっかりと座った。


 目の前の妖怪が突如自問自答し自己解決に至ったように見えて肝を冷やした針妙丸。しかし、連れ去られる途中、時計があったはずの場所に白塗りの壁しかないことに気が付くと、申し訳なさに胸を痛める一方、自分が誰かに想われていることを実感し涙を溢しそうになった。
 同居人に見られまいと下ろされる前に水滴を拭き取り、いそいそと明りを消して布団にサンドウィッチになっていた正邪の隣に潜り込む。
 正邪は外側を向いて寝転び腕を曲げて枕とし、布団の端の方を占拠している。必然的に空いた真ん中に横たわる針妙丸だが、正邪の体温を感じようと彼女の体制を倣ってみる。
 恐怖すら覚えるほど静かな闇夜の中、手のひら越しに伝わってくる天邪鬼の温もりはそれほど心地いいものではない。それは針妙丸の方が体温が高いからということもありそうだが、正邪は背に預けてくれているのではなく、心も、立場も、未来も何もかも本当の意味で反対になってしまったからだろう。
 それは正邪が針妙丸を裏切り、針妙丸が正邪を敵と任じた時から。
 針妙丸は正邪を指名手配することを決めた時のことを思い出してみた。
 正邪に捨てられ、生きる糧がこの手から流れ落ちていくのを体を冷やしながら感じ、失意に明け暮れたあの日々。どうしようもないところを霊夢に救われて、小槌の魔力を回収し終えるまでは神社にいていいと約束され、居候人となったあの日。
 自分を捨てたことは恨めしいものの、やはり、正邪がいないことに寂しさを覚え、いつも悪態なり愚痴なり嫌がらせなりが傍にあった時間が忘れられなかった。
 我慢しきれず、正邪を指名手配した。霊夢たちにはかなりの無理を言ったと針妙丸は思っているが、一度だけ、もう一度だけでも正邪の天邪気が見たかったのだ。
 いつまでたっても正邪を捕えたという吉報は来ず、針妙丸はしびれを切らしたった一人で逆さ城に戻る。確証はなかったが、正邪ならきっと戻ってくると勘が告げていた。かくして正邪と再び対面した時、彼女の目がかつて強者どもに向けていた憎悪の目に非常に似通っていることに気が付いた。
 針妙丸はそこで、正邪に敵として、反逆すべき敵として認定されたことを悟った。
 ただただ悲しかった。仮初だったとはいえ仲間として主従としての関係に終止符が打たれたのだ。
 当たり前だが降伏勧告を正邪は聞かなかった。僅かながらほっとした針妙丸は正邪を打ち負かすために弾幕を打ち込んだ。ルールなど知ったこっちゃない。この場で命名決闘法案なんてあってないようなものだったから。
 針妙丸にとってさらに悲劇的だったのは正邪が何もしてこなかったことだ。針妙丸が弾幕をばらまき続けるのに対し、正邪はただそれを避けるだけで打ち返してこなかった。頬を釣り上げ、こちらを嘲笑うように目を細め、何食わぬ雰囲気で針妙丸の悲壮に染まった顔を見つめていた。
 無意識のうちに弾幕を張ることをやめてしまった針妙丸は、しばらく何もしてこない正邪を見ているうちに羞恥心に似て非なるものに殴られ、気が付くと正邪から逃げ出していた。何が起こったのか針妙丸にはさっぱりだった。正邪に逃げおおせられ、しばらくしてやっと自分を殴ったのが自虐心だということを理解すると、世界から色が消え失せたように思えた。
 正邪の未来は正邪が決めたものだったとはいえ、引き金を引いたのは針妙丸だ。恨みつらみはあってしかるべきだが、針妙丸は今まで正邪からそんなものを感じた覚えはない。
 今日にしても、天邪気全開だったが反応を楽しんでいるだけで負の感情を抱いているとは思えなかったし、妙な気を起こそうとする様子もなかった。
 いっそ口で言ってくれたら、いっそ責めてくれたら、「お前のせいだ」といってくれたなら、気持ちも楽になれるのに。針妙丸はぼんやりと思った。
 眠たかったが、寝たくなかった。目を一瞬でも閉じてしまうと正邪がどこかに行ってしまいそうで、そんなのはもう二度と経験したくなかった。
 針妙丸は正邪の服をぎゅっと握ると、天邪鬼の小さな背中に顔をうずめた。

「逃げてほしかったんだろ」

 正邪のだるそうな声が布団の中にくぐもる。
 針妙丸は、霊夢と紫に頼み込んで、とうとうお縄についた正邪と一日を共にする猶予をもらった。制限付きとはいえ、針妙丸には十分なものであった。
 家のあちこちには紫の監視が付き、さらには正邪が妙な気を起こして針妙丸に手を出したりしないように霊夢が封印を施した。その印は正邪の背中に痛々しく刻まれている。
 かなり限定的、拘束的な状況だったが、正邪曰く甘ちゃんな霊夢は針妙丸が心置きなく過ごせるように奔走した。

「今日、ここから、窓を突き破って逃げてほしかったんだろ?」

 針妙丸は答えない。

 しかし正邪は続ける。

「追っ手も一身に引き受けるつもりで……ばっかじゃないのか? お前には無理だってのに」

 心底呆れた口調の正邪の後頭部を針妙丸は仰いだ。心底楽しそうに肩は震えていた。
 正邪が屋敷の外に思いを馳せたのも、全てはこの時のため。上げて落とす、それだけのため。

「私は天邪鬼だ」

 語気が強まる。

「人の嫌がる事を率先して行い、恨みを買い糧にして生きる種族だ。だからお前が望むことは決してしないし、お前が嫌がるんならなんだってしてやる」

 正邪はおもむろに起き上がると、針妙丸の首を両手で絞めるように覆いかぶさった。

「だからお前を責めたりしないし、あの糞巫女に描かれた背中の奴の礼も言わない。無論、逃げたりなんか……な。それがお前の一番の願いなんだから」

 うっすらと反射する月の光が、忌むべき存在を見下す目つきをし、まるで獰猛な獣のような笑みを浮かべた天邪鬼の表情を照らした。

「私はお前の中に永遠に居続ける」
「いついかなる時も、お前がぶっ倒れようとも、些細な喜びを感じようとも、悲嘆にくれる時も、お前を敬い、慰めて」
「その命ある限りお前の傍に居続けるよ」
「それが私の嫌がらせ」
「私の復讐だ」

 正邪の後ろの空間が大きく避け、中から無数の手が正邪の四肢を掴み引き摺りこんで行く。背中がほんのり発光していることから、霊夢の封術も作動しているのだろう。

「その顔だ! その顔が見たかったんだ!」

 抵抗することなくスキマの中に取り込まれていく中、正邪はしっかりと針妙丸を見据えて叫ぶ。

「お前のその顔が、私に連れられて地上に這い出た時の、世界に怒りを感じてたあの顔が!! ギャハッ! ハハハハハハハッ! イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒハァ!!」

 欲望を辺り一面にぶちまけるような下品な笑いが針妙丸の耳を劈く。
 ふっと正邪の表情から全てが抜け落ち、スキマの向こうから聞こえる訳の分からない音だけの空間が出来上がる。




                        「これからよろしくな、オヒメサマ」

 全てが終わる寸前に正邪の口から紡がれた言葉は、針妙丸の何かを壊してスキマに飲み込まれていった。








 泣き声がする。
 ひどく小さなその声は、いつまでも続くのやもしれなかった。











 
「このまま封印されて終わり?」
「そんなの馬鹿げてるね」
「私が諦めていると思ったか?」
「それは違う」
「あいつには悪いが、私は嘘つきなもんでね」
「自分にも嘘を吐きたがるんだ」
「私は諦めない」
「必死にあがいてあがきまくって、力尽きるのはそれからだ」
「そしてまた立ち上がればいい」
「どんな手を使ってでも、再び……」
「だから、私は帰ってくるよ」
「新しいおもちゃを見つけてね…」
「絶対にな」

お久しぶりです
最近エビになりました
ハメと渋にもと考えてます
八衣風巻
http://twitter.com/seija_ijiri_bot
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コメント



0.330簡易評価
4.90名前が無い程度の能力削除
ゲスっぷりを見せつつ、どこか切なく消えゆく正邪の姿が目に浮かびました
5.90名前が無い程度の能力削除
正邪はいいねぇ
6.80奇声を発する程度の能力削除
良いね、この感じ