Coolier - 新生・東方創想話

月まで届け、不死鳥の恋心

2014/10/21 22:53:41
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「やぁ、妹紅。妹紅も永遠亭に用か?」
「あ、慧音。まぁ、ちょっとね」
 迷いの竹林に足を踏み入れようとしていた藤原妹紅を呼び止めたのは、妹紅の親友で人里の寺子屋の教師、上白沢慧音だった。
 慧音は足を止めた妹紅に追いつくと、
「奇遇だな。私も永遠亭に用事があるんだ。ところでそれはなんだ?」
 妹紅が抱える竹籠を覗く。妹紅は竹籠を慧音に見せながら、どこか弁明めいた口調で訳を話した。
「あー、筍だよ。うん、つまりお裾分けってやつ」
「そうか」
 慧音がにっこりと笑った。
 時刻は昼食時より少し過ぎた時刻。妹紅が慧音から視線を逸らせて空を見上げると、灰色に曇って今にも泣きだしそうだった。
「なんか雨が降りそうだな……」
「本当だな。急ごう」
 慧音の言葉に妹紅は再び足を動かし、永遠亭へと向かった。


 ※


「いらっしゃいまし……って、なんだ妹紅も一緒か」
「私もいて悪かったな、輝夜」
「お邪魔するぞ、輝夜」
 たどり着いた永遠亭。どうやら雨が降る前にたどり着くことができた。
 妹紅たちを出迎えたのは永遠亭の主である蓬莱山輝夜であった。
「慧音、よく来てくれたわね。ありがとう。疲れたでしょう」
「いや、大丈夫だ」
「はっ、姫さま自らお出迎えなんて。とうとうイナバたちに見限られたか?」
「失礼ね。うどんげも永琳も、今薬売りで出払っているのよ」
「ふーん……」
 妹紅は視線を逸らしながら気のない返事をするが、その表情に残念な様子を隠せていない。
 輝夜が妹紅が抱える竹籠を覗き込む。
「あら、筍」
「あぁ。余計に多く採れたんだ。お裾分けだ」
 竹籠の中の筍と妹紅の顔を見比べて、輝夜がニヤニヤと笑みを浮かべる。
「そう、ありがとう。これはきっと喜ぶわねぇ」
「な、なんだよっ!?」
 輝夜に噛みつく妹紅。しかしその表情に赤みが帯びている。輝夜はくすくすと笑うだけだ。
「別にぃー。でも心配しないで、妹紅。『これで夕飯作りも楽になるわ』って喜んでくれるわよ」
 と、そこへトテテと足音が近づいてくる。
「ようこそ永遠亭へ! おや妹紅か。それ何?」
 楽しそうな空気を察して、笑顔を浮かべてやってきたのは因幡てゐ。てゐも竹籠の中を覗こうとして、慧音に気づく。表情一変。
「げっ! 慧音!」
「てゐ。今日も授業だ。さぁ! 部屋へ行くぞ!」
「え、ちょっと待ってよ! け、慧音ー!」
 逃げようとするてゐの首根っこを掴んだハクタク先生。「上がらせてもらうぞ」と輝夜に断りを入れて、そのままずるずるとてゐを引っ張っていく。廊下にてゐの叫び声が響く。
「慧音も教育熱心だな」
「あはは。ところで妹紅。ちょっと遊んでいかない?」
 輝夜の誘いに妹紅は少し戸惑って、「そうだな」と永遠亭に上り込む。


 ※


「これでどうだ? 輝夜」
「へぇー、痛いところを突かれたわね……でも、これならどう?」
 永遠亭の客間。
 その縁側で妹紅と輝夜は将棋盤を睨んでいた。
 妹紅が駒を動かすと、すかさず輝夜が反撃の一手を指す。両軍は一進一退を繰り返していた。
 ポツリ、ポツリ。
 小さな音が妹紅の耳に入ったかと思うと、やがて音は重なり合い強くなっていく。
 妹紅が外へ視線を移すと、雨が降り出したのだった。
「あー、けっこう降り出したな」
「あら、妹紅。もう尻尾を巻いて逃げる口実の用意?」
「んなわけあるか」
 輝夜の言葉に再び盤面に視線を戻す妹紅。
 この二人が殺し合いをしなくなって幾月が経っただろう。
 父親の仇のため輝夜を探し求め、ようやく見つけた仇敵。長い間、妹紅と輝夜は終わりが見えない殺し合いを続けていた。
 しかし、異変解決のためやってきた霊夢たちと闘った後、妹紅たちの環境は変わった。
 人目から隠れるように生きてきた輝夜。しかし、もう隠れ続ける必要はない。そう知った輝夜は、少しずつだが人里や幻想郷の妖怪たちとも親しくなり、外の世界へ歩み出している。
 それは妹紅にも同じことだった。慧音という親友を得てからも人付き合いとは距離を置き、この迷いの竹林に閉じこもっていた妹紅も、輝夜に対する心の奥の憎悪が薄れて来ていた。いや、そもそも父親に対して深い愛情などなかったのだ。自身の妻を蔑ろにしてまで輝夜に求婚を迫った父親には嫌悪の念すら抱いていた。輝夜が憎いと思っていたのは、この世にいられるための、自身の存在の弁明に過ぎなかったのだ。
 しかし霊夢たちと出会って妹紅の考えは変わった。ここには外の世界を捨てなければいけなかった多くの妖怪たちがいる。そんな彼女らに親近感を持ち、また幻想郷と言う世界を改めて知ることとなった。
 ――今まで私は井の中の蛙だったのだ。この世界には、私の存在を認めてくれる者が多くいてくれる。
 妹紅と輝夜、お互いに少しずつ寄り添いを初めて、そうして今に至る。
「それにしても大雨ね」
「なんだ輝夜。お前こそ逃げる気か?」
「違うわよ。うどんげたちが心配なのよ。雨に降られてずぶ濡れになっていないかしら」
 輝夜の言葉に妹紅はふっと顔を上げ、再び外を見つめる。
(今朝は晴れていたのに急に曇りだしたんだっけな……『あいつ』傘持っていったのかな? 風邪とか引いたら大変だな)
 しばらく妹紅はぼーっと外を眺め続けていた。
 すると、その妹紅の耳に聞きなれた声が響く。
「うわー、もうずぶ濡れですねー」
 とたんに体が硬くなったのを妹紅は感じた。
「朝出かけたときは晴れていたんですけど……あら? この履物、お客様かな?」
 やがて声の主がどんどん近づいてくる。
 妹紅は自分の体温が高くなってくるのを感じた。そして脈が少しずつ速くなってくる。
 足音が止むと、僅かに客間の襖が開く。そこから顔を控えめに覗かしたのは、畏まった鈴仙・優曇華院・イナバだった。
「失礼いたします。あ、妹紅さんでしたか。ようこそ永遠亭へ」
「あぁ……雨、大丈夫だったか?」
 客人がよく永遠亭に遊びにくる妹紅と知ってか、鈴仙は襖をもう少し開けて気を緩めた。タオルで体を一通り拭いたのだろうが彼女の服は大量の水分を含んで、まだ服から滴が垂れる。
「いやー、この急な大雨。すっかりずぶ濡れになりましたよー」
「イナバ。妹紅がお裾分けを持ってきてくれたのよ」
 輝夜が竹籠の中身を鈴仙に見せるように傾けると、鈴仙は竹籠の中を覗き込む。
「わぁ、筍ですか。ありがとうございます、妹紅さん」
「いや、別に……」
「師匠も喜びます。師匠! 妹紅さんが筍を持ってきてくださいました!」
 鈴仙が廊下に向かって大声を上げると、
「あら? 筍?」
 と遠くから小さな声。そして足音が近づいてくる。


 どくん。


 脈が一つ高鳴った。
 その声に妹紅の顔が増々赤くなる。
 どんどん近づいてくる足音に比例して、妹紅の心臓の音が大きくなる。
 襖が大きく開かれる。


「あら、妹紅。いらっしゃい。筍、持ってきてくれたの?」


 そこに現れたのは全身を雨露に濡らした永遠亭の頭脳。
 八意永琳。
 永琳は妹紅の姿を認めるとにっこり微笑んでみせた。


 どくん!


 永琳を――髪から頬へ滴が滴り落ちる彼女の姿を見て、心臓がまた一つ高く鳴った。すぐに視線を逸らす妹紅。
「べ、別に! お裾分け、うん! お裾分けだから! と、採りすぎちゃってさ! もったいないし!」
「そうなの? ありがとう。おかげでお夕飯を作るの助かるわ」
 永琳は笑顔を浮かべまま、輝夜から竹籠を受け取ると、筍の匂いを大きく嗅いだ。
 彼女もまた大雨で濡れ鼠になっていた。腕や首筋の白い肌についた幾つもの水滴が光に小さく反射する。
 そんな永琳を妹紅はちらちらと、横目で見つめる。
「永琳、そんな格好のままじゃ、風邪引くわよ。さ、湯浴みをしてきなさいな」
「はい、姫様。あ、妹紅。今更だけどこんな恰好で失礼だったわよね」
「べ、別に気にしていない! 風邪引いちゃ大変だから、早く風呂に入っちゃいなよ!」
 妹紅が顔をまた逸らして叫ぶように言うと、永琳は「はい」と竹籠を抱えて廊下へ消えて行った。鈴仙も後に続く。
 足音が聞こえなくなり、妹紅はふぅーっと息を吐く。その顔は真っ赤に染まっていた。
(水も滴る美人、って言うけど。永琳、綺麗だったな……お風呂……まてよ、鈴仙も一緒に入るのかな……いいなぁ)
 しばらくぼぉーっとしていると、耳に輝夜の声が響いた。
「ほら、妹紅。よそ見してないで、さっさと指しなさい」
「へっ!? あ、あぁ……ほらよ」
 上の空だった妹紅が現実に戻って、慌てて将棋の駒を指す。
 すると輝夜がにんまりと笑う。
「はい、二手連続で指したー。反則ー」
「あん?」
「貴女の反則負けよ。妹紅」
 実は輝夜が指す番だったのだ。
「て、てめぇ! ずるいぞ!」
「何よ、ぼーっとしている妹紅が悪いじゃないの」
 輝夜はくっくっくっと愉快そうに笑って、それから妹紅をまじまじと見つめた。
「貴女ってわかりやすいわね……本当に永琳が好きなのね」
「ひっ!?」
 再び妹紅は顔を真っ赤に染め上げて、大げさに手をふってみせる。
「べ、別に! 永琳のことなんか、別になんとも思ってないもんねー!! 輝夜のアホー」
(……本っ当に、わかりやすい)


 ※


 まだ妹紅と輝夜が迷いの竹林で殺し合いを続けていた時。
 死に、生まれ変わることで互いの存在を証明していた彼女たち。何度も、何度も竹林に血を流す。
 そんな二人を永琳は静かに見守り続けていた。この閉ざされた空間で彼女たちが殺し合いを始めた、その時からずっと。
 輝夜に付き添うように二人の決闘場にやってきても、主を応援するわけでもなく、ただ、じっと彼女たちを見つめていた。
(……なんだよ、あいつは。じっと澄ましたような顔しやがって!!)
 体から血飛沫を上げて輝夜と殺し合いをしながら、視界の隅に永琳の姿が映る度に妹紅は苛立ちを覚えていた。
(かぐや姫の従者だろ? さぁ、じっとしてねぇで一緒に私を殺しに来いよ! ……なんでだよ、なんでそんな悲しそうな顔してやがんだよっ!)
 しかし永琳が妹紅を殺すことはなかった。
 ただ、ずっと見守っているばかりであった。


 ある日。妹紅が輝夜に負けた日のことである。
「……あぁ」
 ぼやける視界が、徐々にはっきりしていくと、目の前には空へ伸びる竹。またこの世界に生き返った。妹紅は鋭い痛みが走るのを覚えた。まだ、体のあちこちにある塞ぎきっていない傷口からは大量の血が流れていた。。
「負けたか……」
 そう呟きながら、痛む体の上半身を起こすと、
「あら? 気が付いた?」
 声に気が付き妹紅が視線を上げると、そこに永琳が立っていた。じっと妹紅を見つめている。
「……なんだよ。今度はお前が相手してくれるのか?」
「本当に貴女たちは、そんなことしか考えられないの? 安心して。そんなつもりはないわ」
 永琳は、やはり、どこか悲しそうな表情を浮かべながら薬瓶を取り出して妹紅に見せる。
「傷薬よ。体、痛むでしょ? 塗ってあげるわ」
 そう言うと永琳はそっと近寄って、妹紅に手を伸ばす。
 が、その手を妹紅が乱暴に振り払う。握られていた薬瓶が地面に転がっていく。
「近寄るな!」
「…………」
 妹紅の敵意が宿る目を、永琳は静かに見つめ返した。それがまた妹紅には気に食わない。
「私は蓬莱人だぞ! お前らと、同じで……死ぬことのない体だ! どんなに傷つこうとも、どんなに体が千切れようとも、頭が吹き飛んでも死なねぇことくらい知ってんだろ! 馬鹿にしてるのか!?」
「呆れた。馬鹿は、貴女の方よ」
「あぁ!?」
 目を見開いて今にも首元に掴みかかろうとする妹紅、しかし永琳はまったく動じない。
「貴女は傷ついている。もう、見ていられないほどに」
「はん! 傷なんて時間が経てば治――」
「傷ついているのは貴女の心よ」
「……え?」
 妹紅の目から敵意が消え、顔に困惑が浮かぶ。
 永琳はふっ、と笑みを浮かべる。だけどその目はやはり寂しいものだった。
「貴女は父親の為に輝夜とこんなことをしているのじゃない。自分をこの世界に繋げていたいだけ。悪戯に生き永らえて、生きる意味を失うのを恐れているのよ。輝夜と同じね」
「っ!?」
「周りから物好きな目で見られるのに耐えられない。誰かと繋がろうとしても入れてもらえず、恐れられ、避けられる。そうして今は自分から孤立しようとしている。そんな貴女の心が傷ついている、と私は言いたいのよ」
 妹紅は言い返すことができないでいた。そして、妹紅の視界に今までの半生が映る。


 不老不死の薬を口にして何百年が過ぎただろうか。
 人間たちは最初は好意を向けてくれても、やがて何十年と経とうともその姿にまったく変化のない妹紅を不気味に思い始めた。どんなに深手を負ってもたちまち傷が治る不死の妹紅を恐れ出し、やがて「化け物」と罵り自分たちの輪から追い出してきた。
 そのたびに妹紅は静かに人間たちのもとから去った。
 妹紅はずっと、孤独だった。
 やがてこの世界で上白沢慧音に出会った。慧音はその性格からいろいろお節介を焼いてくれた。しかし慧音は人間のよき理解者として人里に暮らしている。
 今までの慧音の親切を、妹紅は踏みにじってきた。
 親切にしてくれても、やがて恐れられ、見放されるのが怖かった。
 私は独りでいい。そう思っていた。


 だが永琳の言葉に無意識に心の奥に巣食っていたものが取り出され、目の前に突きつけられる。妹紅は背筋に熱い何かが流れたように感じた。と同時に体に取りついていたものが、すぅーと消え去る感触を覚えたのだ。
「……ごめんなさい」
「え?」
 妹紅が思考の渦から現実に戻ると、目の前で永琳は深く頭を下げていた。妹紅は「あ」と驚いた。
「……輝夜も、そして貴女も。こんな目に合わしたのはこの私。貴女たちが口にした蓬莱の薬を作ったのは、この私なの。許して、なんて今更言えないけれども、でも私に出来ることをしてあげたい。そして貴女に謝りたい。ごめんなさい」
 声が震えていた。
 俯いて顔は見えないが、泣いているのが妹紅にはわかった。
 禁忌を破ったことで妹紅と輝夜の二人の運命を狂わせたことに、今まで深い罪悪感を負って生きてきたんだ、ということも。
(こいつは、こんな私のために泣いているのか?)
 妹紅は言葉を失ったまま永琳を見つめていた。背筋に流れた熱いもの。それは妹紅の体温と交わって、久しく、いや生まれてから感じたことのない温かい感情に変わっていた。
「……何を言ってんだ、あんた」
 呟かれた妹紅の言葉に、永琳の体が一つ震える。
「許すも何も……私は私の意思であの薬を飲んだんだ。あんたが謝ることないだろ。それに話聞いて……その、なんていうか、上手く例えられないけど、体が楽になった」
 永琳が勢いつけて顔を上げると、妹紅はにっと笑っていた。永琳が初めてみる妹紅の笑顔だった。そんな彼女を見つめて永琳はしばらく驚いた顔をしていたが、やがてくすくすと笑いだす。
「なんだよ。わ、笑うなよ。こういうの不器用なんだ。私」
「ふふ、ごめんなさい。けっして貴女を笑っているわけじゃないのよ」
 永琳は目尻の涙を指で拭いながら、妹紅に笑いかける。
「さ、腕を出して。傷薬を塗ってあげるわ……貴女の心の傷、そして輝夜もきっと私が完治してあげる」
 そう言って薬瓶を拾い上げ、蓋を開ける永琳の頬に拭いきれなかった涙が一筋零れ落ちた。
 そんな永琳を見つめて、妹紅は思った。
 ――こいつ、綺麗だな。


 次の日からだった。妹紅、そして輝夜が変わったのは。
 二人の決闘は続いた。
 しかし、永琳の言葉を受けた妹紅は輝夜の息の根を止めるような攻撃をしようとはしなかった。不思議なことに輝夜も妹紅の変わりように応えたのか、妹紅を殺すようなことはしなくなった。
 そればかりか決闘後に勝ち負け問わずに、最初は一言ずつ、それが二言三言と口数が多くなり、やがて決闘時間よりも永琳と、折には慧音も交えておしゃべりをする時間が長くなっていった。
 数か月が過ぎたある日。今まで親切を踏みにじったことを謝罪し、これからは親友でありたいと妹紅が口にしたとき、慧音は両手を挙げて喜んだ。輝夜も服の袖を口に当てて笑いながら祝福してくれた。
 そして永琳も、心の底から喜んでくれた。
 その時の永琳の顔を見て、妹紅は心の奥でまた別の温かい思いが込み上がってくるのを感じた。
 やがて永夜異変が起き、その後竹林に隠れる必要がないと知った輝夜は、徐々にだが外の世界へと歩み出していった。
 妹紅も人里の人間たちと触れ合うようになり、長い二人の殺し合いは終わりを迎えた。


 ※


「次は『和を以て貴しとなす』、この言葉の意味はなんだと思う?」
「えー……どっかの仙人な太子さんの有難いお言葉。以上」
「てゐ、真面目に答えなさい! この言葉は協力・協調・協和が大事であるという意味だ。お前にしっかり身につけてほしい言葉だ。はい、次」
「もうー、つまんないよー!」
 妹紅と輝夜が将棋を指していたとき、別室にて個人授業をしていた慧音。分厚い本を片手に熟語を教えていた。その生徒であるてゐは「もーうんざり」といったように、そのまま後ろに倒れると両足を宙に投げ出す。
「こら、てゐ! 行儀が悪いぞ!」
「んー? あ、慧音。見たでしょー?」
 てゐは再び起き直ると、慧音の顔を見てニシシと笑う。
「もぉー、慧音のエッチ」
「ん? たしかにお前の白の下着が見えたけど、それがどうかしたか? あんまりはしたない真似はするな」
「……」
 真顔で答える慧音。てゐの表情が一瞬で固まる。このワーハクタク先生、頭が固いのは頭突きだけじゃない。中身も固い。そういうのには疎いようだ。
「さぁ次の問題だ。『一視同仁』、この言葉の意味は――」
 そこへわずかだが衣服が畳に擦れる音を、てゐは耳をピンピン立たせて聞き取った。てゐがそぉーっと体を動かす。
「……『三十六計逃げるに如かず』、っと」
「これは敵味方の区別や身分などで相手の人を差別せず、すべての人を平等に愛する事という意味で……っておい!」
 本を読んで聞かせていた慧音がふと気づいたときには時すでに遅し、てゐは服の裾を翻して部屋から飛び出していた。
「まったく!」
 部屋に取り残されてプリプリ怒っていると、隣の部屋との境となっていた襖が開いた。輝夜が二つ茶碗を乗せた盆を両手で持っていた。
「あらあら。なんだか賑やかねぇ」
「輝夜。妹紅と遊んでいたんじゃなかったのか?」
「それがねぇ、負けたことに拗ねちゃって、昼寝しちゃったわ……素直じゃないんだから」
 輝夜は慧音の傍に座ると、盆の上の茶碗を二つ机にのせる。慧音は輝夜の言葉の意味がわからず、頭の上に?を浮かべていた。
「ところでてゐは?」
「また逃げたよ。まったく脱兎とはあのことを指すんだな」
 ため息を吐く慧音に輝夜がくすりと笑った。
「悪いわね、慧音。てゐの為に個人授業をお願いして」
「いや、何。これくらいのこと、お安い御用さ」


 永夜異変が終わってしばらくした時のことである。ある日、慧音の寺子屋に輝夜がやってきた。てゐに個人授業を受けさせてほしいと願い出たのである。
「これから永遠亭は人里の人間たちとも交流を持つわ。てゐも人間たちと付き合いができるように協力してくれないかしら」
 何しろてゐの悪戯好きは妹紅たちを通じて慧音の耳も知っていた。てゐも人間たちと仲良くあってほしい。
「わかった。協力しよう」
 それから欠かさず週に一度、永遠亭での個人授業が始まったのだ。曜日は決めずに(てゐが事前に脱走するのを防ぐためもある)、慧音の都合がいい日に行われる。主に道徳を中心に教えているが、てゐはいつも慧音の目を盗んで授業中に逃げ出してしまい、満足に授業ができない日が続いている。


「まったく。てゐも困ったものだな」
「うふふ。あ、てゐがいないならこのお茶。私が戴こうかな」
 輝夜が茶碗を手にとる。それを見て慧音もお茶を一口飲んだ。
「ほぉ、美味だな」
「そう? ありがとう。私が淹れたのよ」
 まじまじと茶碗の中を見つめる慧音に輝夜が嬉しそうな表情を浮かべる。人里で買い求めた高級茶葉である。あの霊夢も絶賛の品であった。
「そういえばいつも輝夜がお茶を淹れてくれるな。ありがとう、感謝している」
「いいのよ、てゐの個人授業をしてくれているんだから。少しはお礼をさせてよ」
「こうして輝夜とお茶を飲むと、なんだか気分が落ち着くなぁ」
 何気なく漏らした慧音の言葉に輝夜がどきりと体を震わす。その頬に少し朱が差す。しばらく輝夜は体をもじもじさせてから、
「ね、ねぇ? 慧音」
「なんだ?」
「その……その、私でよかったら毎日慧音のためにお茶を淹れるわ。美味しいお茶を用意してあげる。だ、だから、その……」
 顔を赤らめた輝夜がもにょもにょと口を動かしているのを見つめて、慧音はにっこり笑った。
「輝夜は人里の松本堂という甘味屋を知っているか?」
「……え?」
「あそこには美味しい饅頭があるんだ。兎の形をした饅頭なんだ。もう本当に美味でな。輝夜の淹れてくれたお茶を飲みながら口にしたい……是非、輝夜も行ってみてくれ。きっと輝夜も気に入るよ」
 慧音の頭は本当に固いのだ。中身が。甘い空気を読むことができないハクタク先生。
「あー……ソウネ。私モ行ッテミタイワ」
 この鈍感……心の奥で、輝夜が呟く。


 ※


「あー、もうこんな時間か。邪魔したな」
「本当。あんたよく他人の家で気持ちよさそうに昼寝できるわね」
 そろそろ夕食の準備をし始める時間。
 妹紅と輝夜、慧音。そしてお風呂から上がった永琳は客間にて世間話を交わしていた。もっとも妹紅は永琳の顔をちらちらと見ては顔を赤らめてばかりで口数が少なかったので、会話の中心はほとんど妹紅以外の三人だったが。
「そろそろお暇しようか」
 慧音がそう言って腰を浮かしかけたが、永琳が外を見つめて待ったをかける。
「でも慧音。まだ外はどしゃ降りよ」
 永琳に続いて他の三人が外に顔を向けると、雨はまだ強く降っていて、竹林は薄闇に包まれていた。
 四人は外を見つめながら、リズムよく鳴る雨音を聞いていた。
「そうだ。ここに泊まっていけば?」
「え?」
「いっ!?」
 輝夜の提案に慧音が振り向いて、妹紅は驚いたような表情をする。
「あ、もしかして慧音は明日、寺子屋があるのかしら?」
「いや、明日は休みにしてあるが……」
 すると輝夜が両手をパンと鳴らして笑顔を浮かべる。
「じゃあ泊まっていきなさいよ。慧音にはいつもお世話になっているし、全然構わないわ。ね、慧音」
「おい。私はどうなんだ?」
 妹紅がツッコミを入れるが輝夜は返事しないまま、慧音に泊まるよう勧める。「無視かコラ」と妹紅が悪態を吐く。
「輝夜たちが構わないというなら……」
「じゃあ決まりね。永琳。二人分大目にご飯を作ってね」
「はい、姫様。うどんげー。夕飯作るの手伝ってくれるかしら?」
 あ、私も泊まっていいんだ、と妹紅が安堵する横で永琳が立ち上がり、鈴仙を呼ぶ。すぐにパタパタと足音がして鈴仙とてゐが顔を覗かせる。
「話は聞こえてたよ。今日は豪勢な料理になりそうだねぇ」
「……てゐ。ご飯を食べたら授業だからな」
 慧音が睨むとてゐが「えーどうしようかなぁ」とニヤニヤと笑う。また逃げることを考えているのだろう。慧音はため息を吐く。永琳が妹紅と慧音のために大目に夕食を作ることを伝えると、鈴仙は「わかりました」と言いながら、妹紅と慧音の顔を見た。
「あの、すみませんが、夕食まで少しお時間を戴きますがよろしいでしょうか?」
「それなら私も手伝おうか」
 慧音がすっと立って鈴仙に答える。慧音の申し出を聞いて妹紅は何やら頭を回転させて、永琳を見つめる。
(わ、私も手伝うって言おうかな……あんまり料理得意じゃないけど、少しくらいなら役に立つよね。え、永琳も喜んでくれるかな)
 戸惑って、戸惑って、十分戸惑ってから、妹紅は控えめに口を開く。
「わ、私も手伝――」
「いえいえ! お二人はお客様ですから。ゆっくりお待ちください。なるべく早く用意いたしますので」
 妹紅の言葉は鈴仙の言葉に遮られる。「ん、そうか。すまない」と慧音も再び腰を下ろす。言いかけたことを挫かれて、慧音がまた座ったのを見て、妹紅は恥ずかしそうに口を重く閉ざした。
 それでは、と鈴仙と一緒に部屋を出ようとする永琳。その後ろ姿を妹紅は寂しく見つめていた。
「妹紅。貴女も手伝いなさいよ」
 永琳たちの足を止めたのは輝夜の声であった。永琳たちが振り返る。
「は、はぁっ? 私が?」
「あんただけ人の家でぐーすか寝といて、何もしないのねぇ」
「んぐっ!?」
 輝夜に真正面から突かれて何も言い返せない妹紅。いや、言い返そうとも思わなかった。ちらりと永琳の顔を見る。
「……じゃあ、妹紅には野菜切るのをお願いしようかしら」
 くすりと永琳が微笑んだ。
 しばらくして、妹紅は「しょうがないなぁ」と言いながらも顔がニヤついてしまうのを堪えきれないまま、永琳たちと部屋を出る。
「……ヘタレ」
 輝夜がぼそりと呟いた。


「妹紅さん、次はこれを切ってもらえますか?」
「おぅ、いいよ」
 鈴仙に渡された野菜を妹紅がとんとんと切り分ける。
 調理場で永琳と鈴仙、妹紅の三人が夕食を作っていく。
「あら、料理得意なの?」
 妹紅が持ってきてくれた筍を煮物に調理しながら永琳が振り向いた。永琳と目が合って、妹紅が慌てる。
「そ、そんなことない! 自炊生活が長かったからさ。野菜切るくらいなら出来るけど、あんまり手の込んだのは作れないし」
「でも妹紅がいてくれると助かるわ。輝夜は料理しようとしないし、妖怪兎たちはてゐと一緒に遊んでばかりいるんだから。ありがとう」
 妹紅がいてくれると――そんな永琳の言葉に妹紅は顔を真っ赤にする。
「べ、別にこれくらいど、どどどーってことないさ! あ、あはは、どんどん切ってやるよ」
 ニヤニヤと笑いながら、だんだんだん! と包丁をやたら振り落す。
「……妹紅さん。人参がミキサー状になってますよ」


 ※


「さて、私はそろそろ寝ようかしらね」
 夕食を終え、妹紅たちがお風呂を借りた後、今度はてゐと鈴仙も交えて六人で楽しくおしゃべりをしていたが、てゐが「うーん」と背伸びをしながら立ち上がった。
「あら? もうこんな時間なのね。そろそろ寝ましょうか」
 永琳も柱時計を確認すると、すでに時刻は輝夜たちが普段就寝する時間を二時間ばかり過ぎていた。
 慧音も輝夜も頷いて答える。鈴仙が小さく欠伸を浮かべて、永琳に「こら。行儀悪い」と注意された。
 妹紅だけが物足りなさそうな、残念な表情を浮かべる。もっと永琳と話がしたいなぁ。そう思っていた。
「お布団を用意しますね」
「お願いね、鈴仙」
 鈴仙が席を立った。布団を二組、この客間に持ってこようとしたのだった。それを輝夜が制する。
「ちょっと待った、イナバ。慧音とはもう少しお話があるから、慧音の分は私の部屋に運んでくれないかしら」
「え? あ、はい」
「輝夜? 私と話ってなんだ?」
「ふふ。それは後で話しましょ」
 輝夜が慧音に微笑むと、妹紅が「ふん」を鼻を鳴らした。
「はいはい。私は一人で寝ますよー、だ」
「あらあら妹紅ちゃん、一人で寝られるのかしら? かしこいでちゅねー」
「あ。なんかすっごい久しぶりにお前を全力でぶん殴りたい」
 ひとしきり妹紅をからかった輝夜は、再び鈴仙に顔を向けた。
「イナバ。妹紅の分は永琳のとこに敷いてあげて」
「はい、わかりました……へにょ?」
「おいっ!!?」
 輝夜に言われた鈴仙が目を点にして、妹紅が思わず立ち上がる。
「な、なんで私の布団を永琳のとこに敷くんだよ! ここでいいよ!」
「あれあれー? 妹紅ちゃん、本当に一人で大丈夫なのー? 夜中おトイレ行ける?」
「それはもういいって!!」
「それとも妹紅。永琳と一緒に寝るのが嫌なのかしら?」
「いっ!??」
 思いもしない言葉に妹紅が口ごもる。意地悪な子どものような顔をしている輝夜を本当にぶん殴りたい衝動を抑えつつ、永琳をちらりと見ると、永琳は苦笑いを浮かべていた。
「妹紅。姫様の戯れに相手にしなくても大丈夫よ」
 そして「おやすみなさい」と背を向けて自分の部屋へ向かおうとする永琳。
 その後ろ姿を見て、妹紅はなんだか永琳を傷つけてしまったような罪悪感を覚えた。
(な、なんか言わないと! えと、えーと……)
 とりあえず永琳を呼び止める。
「ちょ、ちょっと待った永琳!」
 妹紅に大声で呼び止められて永琳が振り向く。そこには妹紅が「あ、あの。その、だな」ともにょもにょと口を動かしていた。
「――」
「え? 妹紅、何?」
 あまりにも小さな声で聞き取れなかった永琳が訊ねる。永琳が一歩近づいて、妹紅の顔が赤くなる。妹紅は「あー、もう!」と悪態を吐く。
「だ、だから! 永琳とい、一緒に寝てやるって言ったんだよっ!!」
 やけくそ気味に妹紅が叫ぶように言った。
 永琳と鈴仙はぽかんと口を開けて妹紅を見つめる。
 輝夜とてゐがゲラゲラと笑い出した。
 慧音だけが頭の上でいくつもの?を浮かべていた。


 ※


 雨はまだ降り注いでいる。
 もうすぐ日付が変わろうとする時刻。
 輝夜の部屋で、輝夜と慧音はそれぞれ敷かれた二組の布団に入ろうとしていた。
「輝夜。話とはいったい?」
「まぁまぁ、寝ながらお話ししましょう」
 雨はまだ強く降り注いでいる。雨粒が屋根に当たって砕ける音が部屋の中に響いた。
 布団に入り仰向けになって、しばらく天井を見つめていた輝夜が慧音に話しかける。
「ねぇ、慧音。いつもありがとう」
「ん? どうしたんだ」
「てゐの個人授業してくれたり……」
「それは私も好きでやっていることだ、気にすることはない」
「でもね」
 輝夜はすぅっと一つ呼吸して、気持ちを落ち着かせてから体を慧音に向ける。慧音も顔を輝夜に向けた。
「こうして過ごせるのも慧音のおかげなんだよ。あの日、私に『この一瞬に過去が敵うことがない』ってこと、慧音が教えてくれたよね」
「ああ、そうだったな……たしか妹紅に勝ってボロボロになりながら帰っていたな」
「そうそう、永琳がいなくてね。ふらふらだったわ。そこで慧音と会ったのよね」
 輝夜がくすくすと笑い声を漏らす。慧音も笑顔で答えた。
「妹紅と醜い殺し合いをすることしか退屈な現実と向き合うことができなかった。でも慧音が言ってくれた。『歴史は過去に縛られない、今を創る材料の一つにすぎない』って、かっこよかったわぁ」
「や、やめてくれ。私はただお前と妹紅が哀しそうな顔をして殺し合いをしているのを――殺し合うことでこの世界と繋がろうとする、お前たちを見ていられなくなっただけだ」
「そう。でも、ありがとう。おかげで今こんなに幸せ……毎日が楽しいわ。妹紅と一緒に遊んで、慧音とこうしてお話ができて」
 輝夜の片手がゆっくりと伸びて、慧音の布団に忍び込む。そして慧音の手に絡みつく。
「ねぇ、慧音?」
「うん、なんだ輝夜」
 もう一度、今度は大きく深呼吸する。輝夜の頬が赤く染まっていたが暗い部屋の中、慧音は気が付かない。
「あ、あの……慧音がよければ、なんだけど。よかったら、ここで一緒に暮らさない? て、寺子屋のことなら、毎日イナバたちに牛車で送り迎えさせるし、ど、どうかな?」
 心臓がどきどき鳴る。輝夜がじーっと慧音を見つめると、慧音はにっと笑った。
「そうだな。輝夜がいいと言うなら」
「!! け、慧音!!」
 期待していた返事に輝夜が両目を大きく開けて、みるみる笑顔になる。
 しかし、慧音が「でも」と首を捻って、
「妹紅も一緒にとなると負担が大きくなるなぁ」
「…………パードゥン?」
 輝夜の顔が笑顔のままカチコチに凍る。
(妹紅? もこう? え、何その単語? 教えてハクタク先生)
 頭の中が混乱している輝夜に、慧音は優しい表情で話し始める。
「お前と妹紅は本当に仲がよくなった。傍から見ると姉妹のようで私も嬉しく思う。ところで輝夜。妹紅は不器用でガサツなところがあるが、根は優しくて純粋なヤツなのはこの私が保証する。よかったら妹紅をここに住まわせてやってくれないか? 妹紅なら永遠亭の役に――って、どうした? 輝夜。きゅ、急に手を強く握ってきて痛い痛い! 輝夜、痛いよ!」
「ぐすっ。慧音の……ひっく。慧音のっ!!」
 いつの間にか輝夜は泣きじゃくった顔になっていた。布団から立ち上がると、慧音を上から睨み付ける。突然泣き出した輝夜に慧音が「ええっ!?」と驚く。
「馬鹿っ!!」
 永遠亭に高く乾いた音が一つ響いた。


 慧音の頭は固い。自分への告白だとまったく気が付いていない。
 布団を頭から被る輝夜の背中を見つめて、
「どういうことだ……?」
 涙目で慧音は、赤く手形がついた左頬をさすっていた。


 ※


 雨は未だ止む気配がない。
 静まり返った永遠亭に雨音だけが鳴り響いていた。
 妹紅は縁側ですっかり闇に包まれた庭を、ただ見つめていた。
(……眠れない。眠れるわけねーだろ)
 心の奥で悪態を吐いて、ため息を一つ漏らす。
(輝夜があんなこと言い出すせいだ)
 永琳の部屋に通されて戸惑っていると「それじゃ妹紅、ごゆっくりー」と輝夜は笑顔で、慧音と自分の部屋へ消えて行った。その顔を思い浮かべると腹が立ってきた。最後に自分の首を絞めたのは自分自身だということを、妹紅はすっかり忘れている。


「それじゃあ、寝ましょうか」
 部屋に敷かれた二組の布団を前にして、永琳が落ち着きのない妹紅を促す。部屋の中をきょろきょろ見渡していたことを咎められたように感じた妹紅は「あ、ああ!」と返事して、敷かれた布団に潜り込む。
 やがて二人は並んで横になった。
 明りが消え、薄暗い部屋の中。やがて目が慣れると部屋の中がはっきり見えてくる。
(いっぱい本が棚に並んでいるな……全部医学書なのか。あのテーブルで毎日研究しているのかな。本を読みふける永琳って、どんな顔をしているのだろう。あ。テーブルの上にコップが置いてある。何か飲みながら読んでいたのかな。永琳だとコーヒーが好きそうだ。しかし飲み終えたコップをそのままにするなんて、永琳も面倒な所があるのかな。まぁ私も一晩、飲みかけの酒を置いたまま寝ちゃうことあるけど。ん? あれは白衣か。やっぱり治療する時には白衣を着るんだ。白衣姿の永琳も見たことないな。まぁ怪我しても治るし、ここの診察室で治療してもらったことがないから当たり前か)
 そうして視線を次から次へと移して、再び妹紅は永琳の部屋の観察を始める。そして、この部屋で過ごす永琳の姿を思い浮かべていた。すっかり気が緩んでいた。妹紅が視線を右から左へと移すと、
「眠れない?」
 そこに永琳の顔があった。
 永琳はくすくすと笑う。しばらく見つめて、妹紅の顔が爆発する勢いで真っ赤になった。
「あ、ちょっと! 私トイレ!!」
 急に恥ずかしくなった妹紅は掛布団を跳ね除け、部屋を走り出してしまった。
 
 
 もちろんトイレというのは嘘。
 部屋を飛び出したものの、すぐには戻れずにこうして縁側で外を眺めていた。
 脈は正常に戻っていた。しかし、なんだか落ち着かない。喉まで来ているのに、引っかかって口から吐き出せないようなもどかしさを感じていた。と同時に妹紅は心の奥で宿る焔を見つけた。焔は少しずつ妹紅の心を焦がしていく。妹紅はその焔の名前を知っていた。
 名前は――恋。
(誰かを好きになるなんて、初めてだ……)
 生まれてから、人と関わりを持つことがなく孤独に生きてきた妹紅にとって、初めて感じた情だ。今だから知ることができた。気づくことができた。しかし妹紅はその感情をどう表していいか、まだわからないまま。
「……どうしたらいいのかな?」
「とりあえずこれを飲みましょ。はい、ホットミルク」
「あ、ありがとう……って永琳!!?」
 驚いて振り向くと、永琳も驚いて妹紅を見つめ返していた。その手には湯気が立ったマグカップが二つ。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。はい」
 また恥ずかしくなった妹紅だが、今度は逃げ出さす「あ、ありがと」と差し出されたマグカップを受け取った。カップの白い水面から温もりを感じる。妹紅は一口啜った。美味しい。
「何か考え事? ずっと外を見ていたようだったけど」
「い、いや。別に大したことじゃない。ちょっと外を見たかっただけだ、うん」
 もしかして見られていた? そう思うと気が気でない。妹紅は恥ずかしさを隠すようにホットミルクをどんどん飲んでいく。
「そう……ねぇ、妹紅」
「ん、何?」
「私、ずっと貴女に聞きたかったことがあるの」
 どくん。
 妹紅の心臓がまた活発になってきた。永琳はじっと妹紅を真正面から見つめている。
(聞きたかったこと? な、なんだ……まさか私が永琳の事を、す、好きって事バレてたとか? そ、そんなはずはない、うん、そんなはずは……)
 胸をドキドキと鳴らして永琳を見つめ返す。永琳は少し戸惑ってから、ゆっくりと妹紅に訊ねた。
「妹紅。もしかして私の事、苦手?」
「へっ!?」
 思いもしなかった永琳の言葉に妹紅はあ然とする。
「私がいると妹紅、落ち着きがないじゃない。キョロキョロしたり、私の顔から背けたり……もしかして輝夜と二人でいたかったのに、私が邪魔したせいかしら。今日だって楽しそうに遊んでいたのに。そうだとしたら……ごめんなさい」
 永琳はそう言うと寂しそうに俯いた。そんな永琳を見て、呆気にとられていた妹紅が焦りだす。
(いやいや! 永琳のことを苦手だなんて思う訳ねぇだろ! むしろ、す、好きなくらいだし! やばいな。輝夜の事はいい友達と思っているけど、永琳に完全に誤解されている)
 頭をフル回転させて上手く弁解する言葉を必死に探し出す。しかし、その間にも永琳の顔はどんどん暗くなる。
(これは、言うしかないな……)
 とうとう上手く誤解を解く方法が思いつかなかった妹紅。自分でも驚いたことに焦りが煙のように消えて、好きという気持ちだけが体を満たしてくるのを感じた。
 告白、してしまおうか。
 妹紅は覚悟を決めた。
(しかし、なんと言ったものか。「好きです」……いや、あまりに気が利いてないだろ。「ずっとお前の事が好きだった!」。これは青臭すぎるだろ。どうしよう、どうしよう)
 そんな妹紅に浮かんだ一言。
 幻想郷に流れ着いた本を読んで知った。それは外の世界では有名な告白の言葉だそうだ。
(こ、これでいいかな? わ、笑われないかな? ……ええい、ままよ!)
 こほんと息を払って、妹紅は真剣に永琳の目を見つめた。


「…………つ、月が綺麗ですね」


「……月、見えないわよ」
 ざぁーっと激しい雨音が二人を包む。
 永琳がきょとんとした表情で話す。妹紅は思考も表情も固まってしまっている。
(だぁーっ! やってしまったー! 恥ずかしい、もう穴があったら入りたい。ぜ、絶対笑われた)
 だらだらと汗が流れる。
「ふふ」
 そんな妹紅を見て、永琳が小さく笑った。
「妹紅は面白い事を言うのね」
(面白いとか言われた!?)
「ふふふ。妹紅。私のこと、嫌い?」
 永琳が首を傾げて妹紅に訊ねる。すっかり勢いを失った妹紅は、ただボソリと呟いた。
「嫌い、じゃない……本当に」
「そう。よかった」
 そう言うと永琳は妹紅の手を握った。初めて永琳に手を握られて、妹紅の体がびくっと震える。永琳は妹紅を立たせるように優しく引っ張って、
「それを聞いて安心したわ。ありがとう、妹紅。さ、もう寝ましょう」
「え? あ、ああ」
 表情が一変した永琳に驚きながらも、笑ってくれた事に妹紅は安堵した表情を浮かべた。


 永琳の部屋。
 妹紅と永琳は布団を並べて横になっていた。
 一日気疲れしたせいか、横になってすぐ妹紅は寝息を立てた。
 そんな妹紅の寝顔を、永琳は布団の中から眺めていた。
 八意永琳。
 月の頭脳。
 あの時。妹紅の言葉の意味をすぐに理解していたのだった。妹紅を見つめる永琳の頬は赤く染まっていた。
(妹紅が私の事……好き、だなんて)
 何も知らない妹紅は夢の中。
(急でびっくりしたけど……悪い気持ちじゃないわ。ううん、嬉しい)
 永琳は優しく微笑んでから、仰向けになって目を閉じる。
(でも、返事はもう少し待ってね。妹紅)


 雨はまだ止む気配がない。
 おまけ

「まったく、姫様には感謝してほしいよ。慧音と二人きりになれるようにしているんだから」
「んー……なぁーに、てゐ」
 鈴仙の部屋。並べられた二組の布団に鈴仙とてゐが横になっていた。
 てゐはため息交じりに話し、鈴仙はとろんと眠たそうな表情を浮かべている。
「お師匠様も妹紅とくっつきそうだし、まるで私たち蚊帳の外じゃん。いいなぁ、私も恋愛とかそろそろしてみたいなぁ。鈴仙はどうなの? 好きな人、いる?」
「あー……うーん……」
「で、でも鈴仙がよかったら、蚊帳の外同士、つ、付き合ってみる? な、なーんて――」
「…………」
「れ、鈴仙?」
「……ぐー。すやすや、ぴー」
 眠気に勝てず、鈴仙はすでに夢の中へ。
「……どうしてここにゃあ、鈍感とヘタレしかいないんだ!?」


 aikyouです。二作品目が完成しました。
 妹紅、輝夜、永琳、慧音の四人はいろいろカップリングが思い浮かびます。
 今回は以前から書きたかった妹紅×永琳の話を書きました。輝夜と慧音については、当初考えていなかったのですが(最初は慧音とてゐの組み合わせでした)、これはこれでよかったかなと思います。
aikyou
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コメント



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この組み合わせイイ!
2.80点名前が無い程度の能力 削除
因幡の素兎こと白兎神の
ご利益は縁結びなのであった
3.80点ハイカラ 削除
あまり見ない組み合わせだったけど面白かった。
4.90点奇声を発する程度の能力 削除
こういうのって良いですよね
5.80点絶望を司る程度の能力 削除
良い雰囲気でした。
7.100点名前が無い程度の能力 削除
非常にもどかしく、いい雰囲気でした。
先生はどれだけ朴念仁なんですかね…。
10.100点名前が無い程度の能力 削除
乙女の気持ちに疎い鈍感けーねクッソ好き

いい百合が見れた
また永遠亭舞台の作品期待してます
12.70点名前が無い程度の能力 削除
珍しい組み合わせですね。
永琳は輝夜、鈴仙、あとたまに慧音……って感じですが妹紅とは。
でも言われてみると、普通にありなんですよね。