メリーがプチトマトの苗を手に入れた。天然ものである。
私がそれを見せられたのは、いつものようにメリーの下宿先でのんべんだらりとしている時だった。
今私とメリーが生きるこの科学世紀には様々な合成食品が蔓延っているから、天然食材はとても貴重である。それは食物の苗にも同じことが言え、私も現物は見たことがなかった。
その珍貴なものをどうやって手に入れたのか、私がいくら聞いてもメリーは教えてくれない。「もらったのよ」と一言で済まされてしまう。メリーはよく分からないものをよく分からないところからもらってくるのが得意である。
プチトマトの苗はひょろひょろして、ちょいと突っつくだけでも枯れそうに見える。葉はカサカサとして水気がない。メリーからちゃんと水を与えられていないのかもしれない。彼女はそういうところで抜けていたりするから心配だ。
苗を指差し、「それをどうするの」と私が尋ねてみると、メリーは「そりゃあ野菜なんだから育てないと意味がないわ」と言って、部屋の奥からプランターと土の入った袋を持ってきた。プランターはレンガのような茶色で且つ細長く、袋の中に入っている土は黒っぽかった。やけに準備がいいなと私が感心していると、「ほら、蓮子も植え替えるの手伝ってよ」と催促された。私が手伝うことは、もう彼女の中で決定事項として組む込まれているらしい。唐突に発揮されるメリーの強引さは時折私を困惑させた。
メリーから作業に使えるような着古しの服を借りてから、私は植え替えに取り掛かった。袋から土をすくい上げ、それをプランターに入れるという単純作業を幾度となく繰り返す。おかげで服や顔に泥がついてしまった。メリーはあまり作業をしていなかったはずなのに何故か私よりも泥まみれで、頬や鼻頭が黒ずんでいる。まるで小さな子供がどろどろになって遊んだあとのように見えて愉快だった。
作業を終えたあと、汚れたままじゃ気持ち悪いから、二人仲良くお風呂に入った。メリーの裸はいつ見ても綺麗である。綺麗だけれど、見るたびに劣等感を感じる羽目になるからいけない。胸が欲しくなった。
お風呂を出てから、私とメリーは植え替えの終わったプランターを日当たりの良いベランダに運んだ。そしてメリーの用意した小さなジョウロで水をやった。プチトマトの苗は水を浴びてそれとなく気持ちよさげに見える。水を吸った土がさらに黒っぽくなった。これでもう安心だろう。私とメリーは満足した。
その後は一仕事終えたあとの酒盛りと洒落こんだ。二人でビールをグイグイ呷る。するとすぐさま両方の顔が真っ赤になって、まるでプチトマトみたくなった。それをお互いに指摘しあってゲラゲラ馬鹿みたいに笑って、そうして気持ちの良い夜が更けた。
私とメリーの生活にはプチトマトが当たり前のようにしてあった。
大学の講義や秘封倶楽部の活動がない時間は、大体メリーの下宿先に集まった。無論プチトマトを見るためである。
プチトマトは日を追うて大きくなった。頼りなさげだった茎は太くなって、しっかりと力強い印象を見る人に与える。葉の数も多くなり、その全てが瑞々しい。最初見たときの枯れかけとは大違いである。
私とメリーは時々、天然のプチトマトがどれくらい美味しいのかを話し合った。多分とても美味しいのだろうということで私たちの意見はまとまった。そしてもしプチトマトが無事に収穫できたら、手を加えずにそのまま食べようということになった。素材の味というやつを味わってみたかったのである。
そして苗を植えてから三ヶ月ほどして、遂にプチトマトの収穫と相成った。合成のものよりは実が小ぶりだけれど、色ツヤは天然物の方が優っている。濃い赤の実が日の光を反射して、まるで宝石みたく見えた。私もメリーもわあわあ騒ぎながら収穫した。自分たちで育てたのだと思うと感動的だった。
収穫したプチトマトを冷たい水で丁寧に洗って、そしていよいよ食べるというところまで来た。汚れのない、綺麗な実のひとつひとつが、私とメリーの苦労を結晶化させたものに見えて、何やら堪らなくなった。メリーの方を見てみたら、指につまんだプチトマトを感慨深げに見つめて息を吐いている。どうやら向こうも私と同じ気持ちらしかった。
そして「せーのっ」と声を合わせて、私とメリーは二人同時にプチトマトを口に放り込んだ。しばらくそれを口の中でねぶってから、意を決して噛んでみたら、すごくまずい汁が中から溢れ出してきて吐きそうになった。その汁は馬鹿みたいに酸っぱく、そして妙なえぐみがあった。果肉の方も同じくまずい。噛めば噛むほど泣きそうになる。しかし吐いてしまうのもどうかと思ったので、私は辛抱して何度もそれを咀嚼した。向こうにいるメリーも涙目になってプチトマトを食べている。
何とか咀嚼を終えてモノを飲み込んだ私は、はあと深い溜息を吐いた。せっかく育てた天然プチトマトは、驚くほどまずかった。
残ったプチトマトは全部捨ててしまった。勿体無い気もしたけれど、あれだけまずいのであれば仕方がない。メリーも何も言わなかった。
それからスーパーに行って、合成のプチトマトを買ってきた。色ツヤは天然物に負けていたが、味は合成物の方が優っていた。メリーも美味しそうに食べている。私も一個口の中に放り込んだ。それは憎たらしいくらい美味しかった。
本当に本当に美味しかった。
私がそれを見せられたのは、いつものようにメリーの下宿先でのんべんだらりとしている時だった。
今私とメリーが生きるこの科学世紀には様々な合成食品が蔓延っているから、天然食材はとても貴重である。それは食物の苗にも同じことが言え、私も現物は見たことがなかった。
その珍貴なものをどうやって手に入れたのか、私がいくら聞いてもメリーは教えてくれない。「もらったのよ」と一言で済まされてしまう。メリーはよく分からないものをよく分からないところからもらってくるのが得意である。
プチトマトの苗はひょろひょろして、ちょいと突っつくだけでも枯れそうに見える。葉はカサカサとして水気がない。メリーからちゃんと水を与えられていないのかもしれない。彼女はそういうところで抜けていたりするから心配だ。
苗を指差し、「それをどうするの」と私が尋ねてみると、メリーは「そりゃあ野菜なんだから育てないと意味がないわ」と言って、部屋の奥からプランターと土の入った袋を持ってきた。プランターはレンガのような茶色で且つ細長く、袋の中に入っている土は黒っぽかった。やけに準備がいいなと私が感心していると、「ほら、蓮子も植え替えるの手伝ってよ」と催促された。私が手伝うことは、もう彼女の中で決定事項として組む込まれているらしい。唐突に発揮されるメリーの強引さは時折私を困惑させた。
メリーから作業に使えるような着古しの服を借りてから、私は植え替えに取り掛かった。袋から土をすくい上げ、それをプランターに入れるという単純作業を幾度となく繰り返す。おかげで服や顔に泥がついてしまった。メリーはあまり作業をしていなかったはずなのに何故か私よりも泥まみれで、頬や鼻頭が黒ずんでいる。まるで小さな子供がどろどろになって遊んだあとのように見えて愉快だった。
作業を終えたあと、汚れたままじゃ気持ち悪いから、二人仲良くお風呂に入った。メリーの裸はいつ見ても綺麗である。綺麗だけれど、見るたびに劣等感を感じる羽目になるからいけない。胸が欲しくなった。
お風呂を出てから、私とメリーは植え替えの終わったプランターを日当たりの良いベランダに運んだ。そしてメリーの用意した小さなジョウロで水をやった。プチトマトの苗は水を浴びてそれとなく気持ちよさげに見える。水を吸った土がさらに黒っぽくなった。これでもう安心だろう。私とメリーは満足した。
その後は一仕事終えたあとの酒盛りと洒落こんだ。二人でビールをグイグイ呷る。するとすぐさま両方の顔が真っ赤になって、まるでプチトマトみたくなった。それをお互いに指摘しあってゲラゲラ馬鹿みたいに笑って、そうして気持ちの良い夜が更けた。
私とメリーの生活にはプチトマトが当たり前のようにしてあった。
大学の講義や秘封倶楽部の活動がない時間は、大体メリーの下宿先に集まった。無論プチトマトを見るためである。
プチトマトは日を追うて大きくなった。頼りなさげだった茎は太くなって、しっかりと力強い印象を見る人に与える。葉の数も多くなり、その全てが瑞々しい。最初見たときの枯れかけとは大違いである。
私とメリーは時々、天然のプチトマトがどれくらい美味しいのかを話し合った。多分とても美味しいのだろうということで私たちの意見はまとまった。そしてもしプチトマトが無事に収穫できたら、手を加えずにそのまま食べようということになった。素材の味というやつを味わってみたかったのである。
そして苗を植えてから三ヶ月ほどして、遂にプチトマトの収穫と相成った。合成のものよりは実が小ぶりだけれど、色ツヤは天然物の方が優っている。濃い赤の実が日の光を反射して、まるで宝石みたく見えた。私もメリーもわあわあ騒ぎながら収穫した。自分たちで育てたのだと思うと感動的だった。
収穫したプチトマトを冷たい水で丁寧に洗って、そしていよいよ食べるというところまで来た。汚れのない、綺麗な実のひとつひとつが、私とメリーの苦労を結晶化させたものに見えて、何やら堪らなくなった。メリーの方を見てみたら、指につまんだプチトマトを感慨深げに見つめて息を吐いている。どうやら向こうも私と同じ気持ちらしかった。
そして「せーのっ」と声を合わせて、私とメリーは二人同時にプチトマトを口に放り込んだ。しばらくそれを口の中でねぶってから、意を決して噛んでみたら、すごくまずい汁が中から溢れ出してきて吐きそうになった。その汁は馬鹿みたいに酸っぱく、そして妙なえぐみがあった。果肉の方も同じくまずい。噛めば噛むほど泣きそうになる。しかし吐いてしまうのもどうかと思ったので、私は辛抱して何度もそれを咀嚼した。向こうにいるメリーも涙目になってプチトマトを食べている。
何とか咀嚼を終えてモノを飲み込んだ私は、はあと深い溜息を吐いた。せっかく育てた天然プチトマトは、驚くほどまずかった。
残ったプチトマトは全部捨ててしまった。勿体無い気もしたけれど、あれだけまずいのであれば仕方がない。メリーも何も言わなかった。
それからスーパーに行って、合成のプチトマトを買ってきた。色ツヤは天然物に負けていたが、味は合成物の方が優っていた。メリーも美味しそうに食べている。私も一個口の中に放り込んだ。それは憎たらしいくらい美味しかった。
本当に本当に美味しかった。
最近は濃厚だの濃いなんたらだの味を強くしたものが多いので、注意したい
舌の問題に限らず全てそうなんでしょうね 相対的なのに絶対的なものとしか感じられない考えられないことは案外多い気がします
創作も勿論そうですし突き詰めればそれが宗教や文化になっていくんでしょう な気がします
先に匿名で点数を入れてしまったので、無評価で失礼します。
りんごとかも紅玉とかは生で食えないしねー
子供時代はあれが苦手だったけど、成長してからは美味く感じるようになった
今はなかなか手に入らないけど、時に懐かしくて食べたくなる味と香りだ
でも今の子供たちは、大人になったってあのホウレンソウは偽物なんだろうな
…既に合成にすげ替えられているのだろうか。
現代に生きる私たちが、昔の将軍や天皇が食べていたものを食べたとしても、
きっとさほど美味しいとは感じないでしょうしね。
ただ、個人的には生で駄目なら、煮てやる! くらいの気概を二人には発揮して欲しかったかなー。
>メリーがちゃんと水を与えられていないのかもしれない。
やや日本語としておかしいように思いましたのでここで報告いたします。