秋の空気はもう本当に素晴らしい。
夏のジメジメした暑さから開放されたそれは、どこまでも涼しくて、どこまでも気持ちが良い。
思いっきり空を飛ぶと、「清い!」って感じの風がわたしの羽にぶつかる。そうすると、えも言われぬ胸の高まりが込みあがってくる。ああ、天狗に生まれて良かったなー、と思えてくる。
馬が肥えてしまうという秋の天高い空。そこに広がる清涼な空気の中を自由に飛び回る時、わたしの全部が空に混ざり合って、わたし自身が清くなっていくみたいだ。
秋という季節の空気はとても良いものだ。心地良いものだ。
さて。
だが、しかし。
いまこの瞬間、わたしの目の前には、爽やかな秋晴れの下の空気に似つかわしくない存在があった。
「うへ、うへへ。うへへへへへ……」
口角はだらしなく吊り上がっている。目はだらしなく垂れている。声はだらしないものが際限なく口から漏れている。つまり、全部がだらしない。
そいつはとある木の枝に腰掛けて、双眼鏡を目に当てている。たまに双眼鏡をはずし、だらしない目を外部に晒す。
「うあー、うあー。ああ、かわいいなもう!」
そして延々こんな事を呟き続けている。
わたしは双眼鏡の先の風景を見てみた。
遠くでいまいち分からないが。
そこには幼い少女が、かがんで一人座っていた。
「ああ、もうかわいいなーかわいいなー! たまらなくかわいいなー!」
……おい、おい。どうしたのだこいつは? 幼い少女を眺めてどうしたのだ? こいつはわたし、姫海棠はたての新聞製作の上でのライバルなのだ。認めてしまうのは少ししゃくだが、大きな目標でもある。それなのに。
「まったくどうしたのよ……文」
「おい、このロリコン!」
「うわあ!?」
わたしは即、射命丸文に近づいた。いきなり過ぎるということはないはずだ。 下手したら犯罪に発展してしまうかもしれない状況である。
「えっと、あの、どしたのはたて?」
「こういう場合はどうしたら良いんだっけ!? お巡りさんかな!?」
もちろん幻想郷にお巡りさんはいない。だがわたしはその代わりに、いま目の前でおこっている出来事の真実を突き止めないといけないのだ。
「貸しなさい!」
「あ、あの、え?」
混乱している文を無視して、彼女が持っていた双眼鏡をひったくる。そしてあの少女がいる方向にそれを向けた。
そこには、(恐らく)人間であろう少女がいた。歳は十くらいだろうか。髪を首までのところで切り揃え、桃色の花が踊る着物を着ている。あ、赤い簪をつけている。顔立ちは、そうね、利発な感じがする。少女は腰をかがめて野草をむしっていた。そこは人里が有する田んぼのすぐ近くに広がる原っぱ。少女が大声を出せばすぐに農作業中の大人たちが大挙してやってくるだろう。
「ふーん、なんか食べられる野草でも採っているのかな」
「あ、あの返してはたて、その双眼鏡……」
双眼鏡を外し、文の方を見る。文はいつもの自信に満ち溢れたそれとは180度違う、なんとも弱々しい顔をしていた。
「はあ……まったく」
わたしはため息をつき、しゃべりはじめる。
「あのさぁ、文。さっきのあんたすっごく怪しかったわよ。小さい女の子を双眼鏡で眺めてニヤニヤしちゃってさ。なんか変態ここに極まれり、って感じだった」
「あ、あははは……見られちゃってたか。油断したなぁ……」
文は力なく笑い続ける。しかし。
「でも仕方ないかな。だってあの子を眺めていたんだから」
「?」
うん? どういうことだ? あの子だから仕方がない? 文は幻想郷の天狗の中でも指折りの実力者だ。その文がわたしの接近にかけらも気づくことが無かった。その理由が、あの小さな女の子?
「ちょっとちょっと、まさか本当にロリコンになったわけじゃないでしょうね。いつものあんただったら半径一、二里まで注意を向けられるでしょ。そんなに夢中だったの? 小さい女の子に」
「いや、まあ……あの子は特別なのよ」
「特別? どういうこと?」
「……あの子はね」
そこで文は一旦息を少し深く吸い込んだ。
力ない笑みは、瞬間、力強い笑みに変わっていた。
そして、言う。
「私にとっての、信託財産なのよ」
それは、心の底から嬉しいのだと宣言しているかのような、笑顔だった。
「……はあ?」
信託財産、それは外の世界の言葉である。
ある人間が自分の持っている様々なものを別の人間に預ける際、あれやこれや注文をつける。この時期にはここに持って行ってくれだとか、この時期にこいつを処分してくれだとか。注文をつけられた人間はこれを守らなくてはいけない。
こういう契約のもと、だれかに預けられた財産を信託財産というらしい。
「えーと、こんな認識でいいのかな?」
ぱらぱらと外の世界の書物群を読みながら、わたしは自室で一人そう呟いた。
外は真っ暗。陽もすっかり落ちてしまっている。
「ちょっと疲れたかなぁ」
一日中様々な調査をするためあちこちを飛び回った我が身を労わるため、私はイスに座りながら腕と背を伸ばす。まったく、あいつが素直に教えてくれれば、こんな苦労をする必要はなかったのに。
信託財産、という謎のことばを言ったあと、文はすたこらさっさと逃げてしまった。その速さ、まさに風神のごとし。わたしも必死に追いかけたが、結局逃げられてしまった。
ここでむくむくと、わたしの好奇心が膨れ上がってくる。あの射命丸文が特別だと言った人間の少女はだれなのか? どうして文は少女を見てニヤニヤしていたのか? そして「信託財産」の意味とは? これはもしかしたら良い記事になるかもしれない。文のプライバシーは取りあえず無視して、わたしは早速あの人間の少女を追ってみることにした。
少女は名前を華というらしい。
両親は人里で八百屋を営んでいて、店で売られる山菜や食べられる野草は華が採ってきている。寺子屋での成績は極平凡、付き合いの中にも特に妖怪の知り合いはおらず、人里でコミュニティは完結している。何らかの能力をもっているわけでもない。
両親もとても平凡。娘と同じように無能力で、これまで妖怪とあまり関わりあいにならずに生きてきた。
どうも天狗が興味を持つ存在だとは思えない。天狗がその食指を動かすのはもっとはちゃめちゃな、それこそ妖怪よりも妖怪らしい人間なのだ。少なくとも、華とその周辺は実にまっとうそのものである。
次にわたしは文のことを知っている他の天狗たちに話を聞いてみた。文が子供をニヤニヤしながら見ていた。ありのままの事実をそのまま聞いたのだ。
だが、わたしはここで壁にぶつかる。
「あーあれか。ニヤニヤ。はたて、貴方にもそのうち分かるわよニヤニヤ」
「ははははははは! はたてどん! それは文殿のうぃーくぽいんと、というやつですぞ! ははははははは!」
「くくくくく……。いやね、はたてちゃん。ぜってーそれ文の口から直接聞いたほうが良いって。ぜってーそっちのほうがおもしろいから。主に俺が」
みんなどうやら何かを知っているらしいのだ。何も知らないやつも多かったが、知っているやつもそれとおなじぐらい多かった。だが、みんな肝心の核心を教えてくれない。
最後に話しを聞きに行った、わたし達報道部の大天狗さまはこう言った。
「それは文にとってとても大切なことなんだよ。ほほえましくて、彼女の心を優しげな気持ちにしてくれる大切なこと。文の口から直にそれを聞いたほうが良いと、僕は思うよ」
もう、なにがなんだかさっぱり分からない。分からないことが多すぎて、頭がふらふらしてくる。
一日、色々と調べて回ったが、収穫はゼロ。むしろますます謎は深まってしまった。
わたしは机につっぷした。どてー、と体を投げ出す。さて、これからどうしようか。
みんな文に聞けと言うけれど、その文が捕まらないのだから、どうしようもない。聞こうと思ってもすぐに逃げてしまう。
……待てよ。どうにかして文を誘い出せないだろうか? 絶対にあいつがわたしの近くに寄ってくるしかない状況を作れないだろうか?
わたしの頭のなかに、ちょっとしたアイデアが生まれる。これを試してみれば。
要になるのは、文にとって特別な存在。
彼女にはちょっとだけ迷惑をかけることになるだろう。
ふっふっふっふっ。悪い笑みがこぼれてくるわね。
「はい! うちの野菜はどれも新鮮で、それに他のお店と比べてもとっても安いんですよ!」
ま、まあ、これも一種の天狗攫いなのだろう、たぶん。
「ええと他に何か、あなたの八百屋さんのアピールポイントはあるかしら?」
「はい、はたてさん! 私が摘んだ野草も販売しております。もうすぐ秋の七草の季節ですよ、お楽しみに!」
次の日。わたしは、華が今日も田んぼの近くで野草を採取しているのを確認すると、彼女に声をかけた。
近頃評判の八百屋さんが人里にあると聞き、そこの看板娘であるあなたにインタビューをしたいのですがよろしいでしょうか?
華は最初疑いたっぷりの目でこちらを見ていたが、田んぼから離れていない見通しのよい場所でインタビューをするからと根気よく説得し、やがてわたしについてきてくれた。近くにいた男の人にインタビューについてひとこと声をかけておくなど、極力華に怪しまれない注意を払う。
ふふふ、誘拐成功! 大成功!
あ、華を傷つける気は欠片もないんだけどね。
ただ、文を誘い出すにはこの方法が手っ取り早いと考えたのだ。いつも華が野草を摘んでいる場所に置手紙を置いておく。そこにはこう書かれている。
『華は預かった! 今すぐわたしの下に来なさい文! 姫海棠はたて』
つまり華を誘拐するという形を取り、あいつがわたしのところに来るよう命令するということだ。恐らく、あいつはやってくるだろう。華が特別だというのなら。
「ああ、新聞に載ったらお客さんいっぱい来るんだろうなぁ。すごく楽しみです!」
華はすっかりインタビューに夢中で、最初の警戒感はどこかへと行ってしまったらしい。その名の通り花が咲いたかのような笑顔で話してくれる。こうやって実際に話してみると、本当に明るくハキハキと喋るのに驚かされた。なんというか、エネルギーが有り余っている感じ。
「……ねえ、華。いまさら言うのもなんだけど、あんた天狗が怖くないの? そんな風に満面の笑みで喋っちゃってさ」
「あー最初は大丈夫かな? と思ってましたけど、段々そういう怖い! って感じが無くなってきたんですよね。考えてみれば不思議だなぁ、なんでだろ? わたし天狗さんとこんなに喋るのは初めてで。よく、分かりません」
「なんというか、あんた本当に謎だらけね」
「?」
天狗の身でこう言うのも憚られるが、実は少々疲れてしまった。彼女のエネルギッシュさに圧倒されてしまったのだ。あ、そこ、元ひきこもりだからとか言わない。
わたしは腕と背を伸ばしながら、深呼吸。そして、そのまま空を眺めた。
そこには秋の青空が。きっと心地よい清涼な空気がいっぱいに満ちているに違いない。ああ、自分から首を突っ込んでおいてなんだけど、この厄介事が終わったら、天狗らしく空を駆けたい。秋の空を全身で感じた……い?
それは最初、青空に浮かぶ一点の黒色だった。
だが、黒色は轟音と共にその存在をあっというまに大きくしていった。
それはこちらに近づいてくる。
ぎゅいいいいいいいいいいん。
ああ、これは。
ぎゅいいいいいいいいいいいいいいいん。
これは間違いない。
ぎゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!
これは、天狗だ。
次の瞬間、私の顔の真正面に下駄が叩きつけられた。天狗が履く、あの長い歯のある下駄だ。顔面に容赦なく、下駄の歯が音を立ててめりこむ。
「はああああああああああああああああたあああああああああああああてえええええええええええ!」
わたしは一気に数十メートルは吹っ飛ばされた。ごろごろと何回、何十回と転がる。
やばい、一瞬意識が飛びかけた。
天狗じゃなかったら即死である。人間だったら確実に首が体から千切れてしまうだろう。
そんな殺人キックを繰り出した張本人は、それでも足らないとばかし、拳をぽきぽきと鳴らしながら、こっちににじり寄ってくる。
「さあ、地獄に旅立つ準備は出来たからしらぁ、はたてぇ!」
天狗のくせに鬼の形相をした射命丸文。奇襲とはやるじゃない。声を掛けずに即攻撃か。
鼻から血がたらりと出ているのが自覚できる。ふふふ、実にヤバイ状況だけども、わたしには奥の手がある。これで文も、骨抜きだぁ!
骨抜きにならなかったらたぶんわたし死ぬ。
「ちょ、ちょっと待った文! 華が怖がっているわよ!」
「え!?」
わたし達天狗二人のすぐ横で、華が目を呆然とさせながら突っ立っていた。怖がっているというよりも、まあ、いきなり起こった出来事に放心状態といったほうがいいかもしれないけれど。
「あ、あわわわわわわ」
手をあたふたさせ、文はたちまち狼狽した。その姿は、みっともないと言っても、過言ではない。
天狗の誰かさんも言っていたっけ。あれは文の『うぃーくぽいんと』だって。
「さて、射命丸文」
わたしはライバルに声を掛ける。
「教えてちょうだい」
「う……」
華はあんたにとって何なのか、そして。
「信託財産ってなに?」
あれは今から九百年ぐらい前のことよ。
当時、私は定まった家を持たず、日本中をぶらぶらと飛び回っていたの。
ある秋の日、とある山で私は一人の人間を見つけたわ。ぼろぼろの服を着て、黒ずんだ血が付いた刀を持った人間。一目で野盗かその類だと分かったわ。人間は虚ろな目でただ空を眺めて、やせ細った体を木の幹に預けていた。
なぜなんでしょうね。私は妙にその人間が気になってしまったわ。地上へ降りて、その人間の前に姿を現してもいいと思ったのよ。で、実際そうした。そいつの話を聞いたわ。
思った通り人間は野盗の一味だったわ。今まで散々ものを盗んで、家に火を放って、人を殺してきた、悪党。七日前もある村を襲って、そこを滅茶苦茶にした。
でも、その時。人間は突然刀を振り回すのを止めた。血の海と化したその場所で呆と突っ立った。
おもしろくなくなった。そう思ったんですって。
人間は野盗の一味を抜け、ふらふらと山の奥へと歩いていった。飲まず喰わずで七日、何もする気が起こらず、ただ空を眺めていた。
別に罪悪感が沸いたわけではない。決して真人間になろうと改心したわけではない。人間はそれまで大好きだった様々な悪事をつまらなく思うようになってしまった。どういう心の働きかは分からないけれど、世の中の全てがおもしろくなくなってしまったのよ。
人間は言ったわ。
「目の玉に映る全部が急に下らなく思えてきた。もうこのまま呆としながら死にたい。お前が誰だか知らないが、放っておいてくれ」
ねえ。このあと私がどうしたと思う? 私はそのまま人間の言うとおりその場を離れることも出来たし、目の前の悪人を八つ裂きにしてしまうことも出来た。緩慢な自殺を果たそうとしている人間に対して、何だって出来たのよ。
だから好きにしたわ。思いっきり好きにしたわ。
私は人間を抱えて、大空に突っ込んでいったの。
「あんた何もしたくないっていったけどそんなの嘘っぱちよ。だってあんたずっと空を眺めていたじゃない。世の中に何の望みも持たない奴は、ずっと地べたをうつむきながら見ているものなのよ。さあ、あんたが恋焦がれた空の上よ。存分に堪能しなさい」
なんででしょうね。本当にどうしてそんな風に行動したのか分からないわ。九百年たったいまでも分からない。私は人間を連れて、一日中、青く清涼な秋の空を飛んだわ。
人間は空の上でほんの少し微笑んだような気がした。私はそれから何日も人間と空の遊覧飛行としゃれこんだ。
その後、私と人間はあちこちを旅するようになったわ。人間がもっとお前と色んなものを見たいと言ったから。ああ、それまでの罪がどうたらなんてつまらないことは無視よ。一人の人間と一匹の天狗は、善悪を超えて色々なことをしていったわ。
地頭の宴会にゴキブリを一万匹放り込んだことがあった。
東国にいた死に掛けの老婆を遥か京の都まで連れて行ったこともあった。
木の葉を集めて小山より大きな人形をつくり周辺を驚かせたこともあった。
不老不死の少女がいると噂で聞きつけ日本中を探し回ったこともあった。
だいたい七年ぐらい一緒にいたかしら。
人間は京にいる位の高い人物の下で働くことになったわ。
で、まあ、そこで……うん。
いや、言うから。ここまできてやっぱ無しなんてのはないから。
その、子供をつくったのよね、うん。
なんというか証となるものが欲しかったのよね。本当にお互いが楽しめた七年間の思い出の証が。
私は相棒だった人間に言ったわ。
「その子はあなたに預けるわ。あなたはその子を善人に育てても良いし、悪人に育てても良い。でも、一つだけ約束して。決して虚ろな人間にしないと。どこまでも真性の明るさを持った人間にしてちょうだい」
相棒は、了承してくれた。
それから何百年のあいだ、私はときどき自分の子とその子孫の様子を見て回ったわ。
ちゃんと約束が果たされているのか、確かめるためにね。
そして今も、ときどき確認しているの。
「華は文の子孫だった、ってわけね」
「要するに色恋が関わってくる話。私が恥ずかしがったのも察してちょうだい」
夕暮れに照らされながら、手を振りこの場から去っていく華を見送る。その顔は晴れやかで、少なくとも、自分が天狗の血を引くという事実に動揺している感じではない。
「博麗大結界が出来てからは子孫の様子を確認することは出来てなかったわ。なんせ外に出れないんだからね。でも、心配はしてなかった。それまでの観察で約束は果たされていると確信できたし、これからも大丈夫だろうと思えたのよ。
けれど、それでも、華の曽祖父が幻想入りしてきた時は嬉しかったなぁ。で、観察を再開したわけ」
「なんていうか……ごめん。わたしのせいで華にばれちゃって」
「ううん、いいよ。いつかは子孫連中にも話さないといけないなって思ってたんだから。周りに言いふらさないように念を押したから大丈夫。それよりむしろ、あんなことがあっても怖がらないタフネスさを持ってるのが分かって嬉しいよ、先祖としてね」
文のあの変態じみた奇行も、なんというか老婆が孫をかわいがることの延長線だったのだ。……多少行き過ぎかもしれないが。
それにしてもなんだか不思議な気持ちになってくる。恐らく何十代目かの子孫を眺め、愛で、そして守護する。長命な妖怪だからこそ為し得ることだろう。
それは母が子供を愛する行為に似て、しかしずっとそれよりも深く崇高な何かではないだろうか。そう、思う。
「華にはもう天狗の力は残ってない。でも、約束は残っている。彼女と話してはたても分かったと思うけれど、彼女本当に明るいでしょ。人生を楽しんでいる。虚しさに飲み込まれていない。私の信託財産は最適に運用されているということよ」
「……そうか、信託財産の意味は」
「そう、あの時の約束通りに子孫は生きているということよ」
信託財産とは、一定の契約の下、誰かに自分の財産を預けるということだ。そうか、あの時の人間は契約を果たしたんだ。そして契約は今も続いている。
「虚しい人間はいままでいなかった。明るいやつらばかりだった。それが心の底から嬉しい。私の子供という信託財産。あいつに預けた財産。いつかまた、一緒に秋の素晴らしい空を飛びたいわね」
夏のジメジメした暑さから開放されたそれは、どこまでも涼しくて、どこまでも気持ちが良い。
思いっきり空を飛ぶと、「清い!」って感じの風がわたしの羽にぶつかる。そうすると、えも言われぬ胸の高まりが込みあがってくる。ああ、天狗に生まれて良かったなー、と思えてくる。
馬が肥えてしまうという秋の天高い空。そこに広がる清涼な空気の中を自由に飛び回る時、わたしの全部が空に混ざり合って、わたし自身が清くなっていくみたいだ。
秋という季節の空気はとても良いものだ。心地良いものだ。
さて。
だが、しかし。
いまこの瞬間、わたしの目の前には、爽やかな秋晴れの下の空気に似つかわしくない存在があった。
「うへ、うへへ。うへへへへへ……」
口角はだらしなく吊り上がっている。目はだらしなく垂れている。声はだらしないものが際限なく口から漏れている。つまり、全部がだらしない。
そいつはとある木の枝に腰掛けて、双眼鏡を目に当てている。たまに双眼鏡をはずし、だらしない目を外部に晒す。
「うあー、うあー。ああ、かわいいなもう!」
そして延々こんな事を呟き続けている。
わたしは双眼鏡の先の風景を見てみた。
遠くでいまいち分からないが。
そこには幼い少女が、かがんで一人座っていた。
「ああ、もうかわいいなーかわいいなー! たまらなくかわいいなー!」
……おい、おい。どうしたのだこいつは? 幼い少女を眺めてどうしたのだ? こいつはわたし、姫海棠はたての新聞製作の上でのライバルなのだ。認めてしまうのは少ししゃくだが、大きな目標でもある。それなのに。
「まったくどうしたのよ……文」
「おい、このロリコン!」
「うわあ!?」
わたしは即、射命丸文に近づいた。いきなり過ぎるということはないはずだ。 下手したら犯罪に発展してしまうかもしれない状況である。
「えっと、あの、どしたのはたて?」
「こういう場合はどうしたら良いんだっけ!? お巡りさんかな!?」
もちろん幻想郷にお巡りさんはいない。だがわたしはその代わりに、いま目の前でおこっている出来事の真実を突き止めないといけないのだ。
「貸しなさい!」
「あ、あの、え?」
混乱している文を無視して、彼女が持っていた双眼鏡をひったくる。そしてあの少女がいる方向にそれを向けた。
そこには、(恐らく)人間であろう少女がいた。歳は十くらいだろうか。髪を首までのところで切り揃え、桃色の花が踊る着物を着ている。あ、赤い簪をつけている。顔立ちは、そうね、利発な感じがする。少女は腰をかがめて野草をむしっていた。そこは人里が有する田んぼのすぐ近くに広がる原っぱ。少女が大声を出せばすぐに農作業中の大人たちが大挙してやってくるだろう。
「ふーん、なんか食べられる野草でも採っているのかな」
「あ、あの返してはたて、その双眼鏡……」
双眼鏡を外し、文の方を見る。文はいつもの自信に満ち溢れたそれとは180度違う、なんとも弱々しい顔をしていた。
「はあ……まったく」
わたしはため息をつき、しゃべりはじめる。
「あのさぁ、文。さっきのあんたすっごく怪しかったわよ。小さい女の子を双眼鏡で眺めてニヤニヤしちゃってさ。なんか変態ここに極まれり、って感じだった」
「あ、あははは……見られちゃってたか。油断したなぁ……」
文は力なく笑い続ける。しかし。
「でも仕方ないかな。だってあの子を眺めていたんだから」
「?」
うん? どういうことだ? あの子だから仕方がない? 文は幻想郷の天狗の中でも指折りの実力者だ。その文がわたしの接近にかけらも気づくことが無かった。その理由が、あの小さな女の子?
「ちょっとちょっと、まさか本当にロリコンになったわけじゃないでしょうね。いつものあんただったら半径一、二里まで注意を向けられるでしょ。そんなに夢中だったの? 小さい女の子に」
「いや、まあ……あの子は特別なのよ」
「特別? どういうこと?」
「……あの子はね」
そこで文は一旦息を少し深く吸い込んだ。
力ない笑みは、瞬間、力強い笑みに変わっていた。
そして、言う。
「私にとっての、信託財産なのよ」
それは、心の底から嬉しいのだと宣言しているかのような、笑顔だった。
「……はあ?」
信託財産、それは外の世界の言葉である。
ある人間が自分の持っている様々なものを別の人間に預ける際、あれやこれや注文をつける。この時期にはここに持って行ってくれだとか、この時期にこいつを処分してくれだとか。注文をつけられた人間はこれを守らなくてはいけない。
こういう契約のもと、だれかに預けられた財産を信託財産というらしい。
「えーと、こんな認識でいいのかな?」
ぱらぱらと外の世界の書物群を読みながら、わたしは自室で一人そう呟いた。
外は真っ暗。陽もすっかり落ちてしまっている。
「ちょっと疲れたかなぁ」
一日中様々な調査をするためあちこちを飛び回った我が身を労わるため、私はイスに座りながら腕と背を伸ばす。まったく、あいつが素直に教えてくれれば、こんな苦労をする必要はなかったのに。
信託財産、という謎のことばを言ったあと、文はすたこらさっさと逃げてしまった。その速さ、まさに風神のごとし。わたしも必死に追いかけたが、結局逃げられてしまった。
ここでむくむくと、わたしの好奇心が膨れ上がってくる。あの射命丸文が特別だと言った人間の少女はだれなのか? どうして文は少女を見てニヤニヤしていたのか? そして「信託財産」の意味とは? これはもしかしたら良い記事になるかもしれない。文のプライバシーは取りあえず無視して、わたしは早速あの人間の少女を追ってみることにした。
少女は名前を華というらしい。
両親は人里で八百屋を営んでいて、店で売られる山菜や食べられる野草は華が採ってきている。寺子屋での成績は極平凡、付き合いの中にも特に妖怪の知り合いはおらず、人里でコミュニティは完結している。何らかの能力をもっているわけでもない。
両親もとても平凡。娘と同じように無能力で、これまで妖怪とあまり関わりあいにならずに生きてきた。
どうも天狗が興味を持つ存在だとは思えない。天狗がその食指を動かすのはもっとはちゃめちゃな、それこそ妖怪よりも妖怪らしい人間なのだ。少なくとも、華とその周辺は実にまっとうそのものである。
次にわたしは文のことを知っている他の天狗たちに話を聞いてみた。文が子供をニヤニヤしながら見ていた。ありのままの事実をそのまま聞いたのだ。
だが、わたしはここで壁にぶつかる。
「あーあれか。ニヤニヤ。はたて、貴方にもそのうち分かるわよニヤニヤ」
「ははははははは! はたてどん! それは文殿のうぃーくぽいんと、というやつですぞ! ははははははは!」
「くくくくく……。いやね、はたてちゃん。ぜってーそれ文の口から直接聞いたほうが良いって。ぜってーそっちのほうがおもしろいから。主に俺が」
みんなどうやら何かを知っているらしいのだ。何も知らないやつも多かったが、知っているやつもそれとおなじぐらい多かった。だが、みんな肝心の核心を教えてくれない。
最後に話しを聞きに行った、わたし達報道部の大天狗さまはこう言った。
「それは文にとってとても大切なことなんだよ。ほほえましくて、彼女の心を優しげな気持ちにしてくれる大切なこと。文の口から直にそれを聞いたほうが良いと、僕は思うよ」
もう、なにがなんだかさっぱり分からない。分からないことが多すぎて、頭がふらふらしてくる。
一日、色々と調べて回ったが、収穫はゼロ。むしろますます謎は深まってしまった。
わたしは机につっぷした。どてー、と体を投げ出す。さて、これからどうしようか。
みんな文に聞けと言うけれど、その文が捕まらないのだから、どうしようもない。聞こうと思ってもすぐに逃げてしまう。
……待てよ。どうにかして文を誘い出せないだろうか? 絶対にあいつがわたしの近くに寄ってくるしかない状況を作れないだろうか?
わたしの頭のなかに、ちょっとしたアイデアが生まれる。これを試してみれば。
要になるのは、文にとって特別な存在。
彼女にはちょっとだけ迷惑をかけることになるだろう。
ふっふっふっふっ。悪い笑みがこぼれてくるわね。
「はい! うちの野菜はどれも新鮮で、それに他のお店と比べてもとっても安いんですよ!」
ま、まあ、これも一種の天狗攫いなのだろう、たぶん。
「ええと他に何か、あなたの八百屋さんのアピールポイントはあるかしら?」
「はい、はたてさん! 私が摘んだ野草も販売しております。もうすぐ秋の七草の季節ですよ、お楽しみに!」
次の日。わたしは、華が今日も田んぼの近くで野草を採取しているのを確認すると、彼女に声をかけた。
近頃評判の八百屋さんが人里にあると聞き、そこの看板娘であるあなたにインタビューをしたいのですがよろしいでしょうか?
華は最初疑いたっぷりの目でこちらを見ていたが、田んぼから離れていない見通しのよい場所でインタビューをするからと根気よく説得し、やがてわたしについてきてくれた。近くにいた男の人にインタビューについてひとこと声をかけておくなど、極力華に怪しまれない注意を払う。
ふふふ、誘拐成功! 大成功!
あ、華を傷つける気は欠片もないんだけどね。
ただ、文を誘い出すにはこの方法が手っ取り早いと考えたのだ。いつも華が野草を摘んでいる場所に置手紙を置いておく。そこにはこう書かれている。
『華は預かった! 今すぐわたしの下に来なさい文! 姫海棠はたて』
つまり華を誘拐するという形を取り、あいつがわたしのところに来るよう命令するということだ。恐らく、あいつはやってくるだろう。華が特別だというのなら。
「ああ、新聞に載ったらお客さんいっぱい来るんだろうなぁ。すごく楽しみです!」
華はすっかりインタビューに夢中で、最初の警戒感はどこかへと行ってしまったらしい。その名の通り花が咲いたかのような笑顔で話してくれる。こうやって実際に話してみると、本当に明るくハキハキと喋るのに驚かされた。なんというか、エネルギーが有り余っている感じ。
「……ねえ、華。いまさら言うのもなんだけど、あんた天狗が怖くないの? そんな風に満面の笑みで喋っちゃってさ」
「あー最初は大丈夫かな? と思ってましたけど、段々そういう怖い! って感じが無くなってきたんですよね。考えてみれば不思議だなぁ、なんでだろ? わたし天狗さんとこんなに喋るのは初めてで。よく、分かりません」
「なんというか、あんた本当に謎だらけね」
「?」
天狗の身でこう言うのも憚られるが、実は少々疲れてしまった。彼女のエネルギッシュさに圧倒されてしまったのだ。あ、そこ、元ひきこもりだからとか言わない。
わたしは腕と背を伸ばしながら、深呼吸。そして、そのまま空を眺めた。
そこには秋の青空が。きっと心地よい清涼な空気がいっぱいに満ちているに違いない。ああ、自分から首を突っ込んでおいてなんだけど、この厄介事が終わったら、天狗らしく空を駆けたい。秋の空を全身で感じた……い?
それは最初、青空に浮かぶ一点の黒色だった。
だが、黒色は轟音と共にその存在をあっというまに大きくしていった。
それはこちらに近づいてくる。
ぎゅいいいいいいいいいいん。
ああ、これは。
ぎゅいいいいいいいいいいいいいいいん。
これは間違いない。
ぎゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!
これは、天狗だ。
次の瞬間、私の顔の真正面に下駄が叩きつけられた。天狗が履く、あの長い歯のある下駄だ。顔面に容赦なく、下駄の歯が音を立ててめりこむ。
「はああああああああああああああああたあああああああああああああてえええええええええええ!」
わたしは一気に数十メートルは吹っ飛ばされた。ごろごろと何回、何十回と転がる。
やばい、一瞬意識が飛びかけた。
天狗じゃなかったら即死である。人間だったら確実に首が体から千切れてしまうだろう。
そんな殺人キックを繰り出した張本人は、それでも足らないとばかし、拳をぽきぽきと鳴らしながら、こっちににじり寄ってくる。
「さあ、地獄に旅立つ準備は出来たからしらぁ、はたてぇ!」
天狗のくせに鬼の形相をした射命丸文。奇襲とはやるじゃない。声を掛けずに即攻撃か。
鼻から血がたらりと出ているのが自覚できる。ふふふ、実にヤバイ状況だけども、わたしには奥の手がある。これで文も、骨抜きだぁ!
骨抜きにならなかったらたぶんわたし死ぬ。
「ちょ、ちょっと待った文! 華が怖がっているわよ!」
「え!?」
わたし達天狗二人のすぐ横で、華が目を呆然とさせながら突っ立っていた。怖がっているというよりも、まあ、いきなり起こった出来事に放心状態といったほうがいいかもしれないけれど。
「あ、あわわわわわわ」
手をあたふたさせ、文はたちまち狼狽した。その姿は、みっともないと言っても、過言ではない。
天狗の誰かさんも言っていたっけ。あれは文の『うぃーくぽいんと』だって。
「さて、射命丸文」
わたしはライバルに声を掛ける。
「教えてちょうだい」
「う……」
華はあんたにとって何なのか、そして。
「信託財産ってなに?」
あれは今から九百年ぐらい前のことよ。
当時、私は定まった家を持たず、日本中をぶらぶらと飛び回っていたの。
ある秋の日、とある山で私は一人の人間を見つけたわ。ぼろぼろの服を着て、黒ずんだ血が付いた刀を持った人間。一目で野盗かその類だと分かったわ。人間は虚ろな目でただ空を眺めて、やせ細った体を木の幹に預けていた。
なぜなんでしょうね。私は妙にその人間が気になってしまったわ。地上へ降りて、その人間の前に姿を現してもいいと思ったのよ。で、実際そうした。そいつの話を聞いたわ。
思った通り人間は野盗の一味だったわ。今まで散々ものを盗んで、家に火を放って、人を殺してきた、悪党。七日前もある村を襲って、そこを滅茶苦茶にした。
でも、その時。人間は突然刀を振り回すのを止めた。血の海と化したその場所で呆と突っ立った。
おもしろくなくなった。そう思ったんですって。
人間は野盗の一味を抜け、ふらふらと山の奥へと歩いていった。飲まず喰わずで七日、何もする気が起こらず、ただ空を眺めていた。
別に罪悪感が沸いたわけではない。決して真人間になろうと改心したわけではない。人間はそれまで大好きだった様々な悪事をつまらなく思うようになってしまった。どういう心の働きかは分からないけれど、世の中の全てがおもしろくなくなってしまったのよ。
人間は言ったわ。
「目の玉に映る全部が急に下らなく思えてきた。もうこのまま呆としながら死にたい。お前が誰だか知らないが、放っておいてくれ」
ねえ。このあと私がどうしたと思う? 私はそのまま人間の言うとおりその場を離れることも出来たし、目の前の悪人を八つ裂きにしてしまうことも出来た。緩慢な自殺を果たそうとしている人間に対して、何だって出来たのよ。
だから好きにしたわ。思いっきり好きにしたわ。
私は人間を抱えて、大空に突っ込んでいったの。
「あんた何もしたくないっていったけどそんなの嘘っぱちよ。だってあんたずっと空を眺めていたじゃない。世の中に何の望みも持たない奴は、ずっと地べたをうつむきながら見ているものなのよ。さあ、あんたが恋焦がれた空の上よ。存分に堪能しなさい」
なんででしょうね。本当にどうしてそんな風に行動したのか分からないわ。九百年たったいまでも分からない。私は人間を連れて、一日中、青く清涼な秋の空を飛んだわ。
人間は空の上でほんの少し微笑んだような気がした。私はそれから何日も人間と空の遊覧飛行としゃれこんだ。
その後、私と人間はあちこちを旅するようになったわ。人間がもっとお前と色んなものを見たいと言ったから。ああ、それまでの罪がどうたらなんてつまらないことは無視よ。一人の人間と一匹の天狗は、善悪を超えて色々なことをしていったわ。
地頭の宴会にゴキブリを一万匹放り込んだことがあった。
東国にいた死に掛けの老婆を遥か京の都まで連れて行ったこともあった。
木の葉を集めて小山より大きな人形をつくり周辺を驚かせたこともあった。
不老不死の少女がいると噂で聞きつけ日本中を探し回ったこともあった。
だいたい七年ぐらい一緒にいたかしら。
人間は京にいる位の高い人物の下で働くことになったわ。
で、まあ、そこで……うん。
いや、言うから。ここまできてやっぱ無しなんてのはないから。
その、子供をつくったのよね、うん。
なんというか証となるものが欲しかったのよね。本当にお互いが楽しめた七年間の思い出の証が。
私は相棒だった人間に言ったわ。
「その子はあなたに預けるわ。あなたはその子を善人に育てても良いし、悪人に育てても良い。でも、一つだけ約束して。決して虚ろな人間にしないと。どこまでも真性の明るさを持った人間にしてちょうだい」
相棒は、了承してくれた。
それから何百年のあいだ、私はときどき自分の子とその子孫の様子を見て回ったわ。
ちゃんと約束が果たされているのか、確かめるためにね。
そして今も、ときどき確認しているの。
「華は文の子孫だった、ってわけね」
「要するに色恋が関わってくる話。私が恥ずかしがったのも察してちょうだい」
夕暮れに照らされながら、手を振りこの場から去っていく華を見送る。その顔は晴れやかで、少なくとも、自分が天狗の血を引くという事実に動揺している感じではない。
「博麗大結界が出来てからは子孫の様子を確認することは出来てなかったわ。なんせ外に出れないんだからね。でも、心配はしてなかった。それまでの観察で約束は果たされていると確信できたし、これからも大丈夫だろうと思えたのよ。
けれど、それでも、華の曽祖父が幻想入りしてきた時は嬉しかったなぁ。で、観察を再開したわけ」
「なんていうか……ごめん。わたしのせいで華にばれちゃって」
「ううん、いいよ。いつかは子孫連中にも話さないといけないなって思ってたんだから。周りに言いふらさないように念を押したから大丈夫。それよりむしろ、あんなことがあっても怖がらないタフネスさを持ってるのが分かって嬉しいよ、先祖としてね」
文のあの変態じみた奇行も、なんというか老婆が孫をかわいがることの延長線だったのだ。……多少行き過ぎかもしれないが。
それにしてもなんだか不思議な気持ちになってくる。恐らく何十代目かの子孫を眺め、愛で、そして守護する。長命な妖怪だからこそ為し得ることだろう。
それは母が子供を愛する行為に似て、しかしずっとそれよりも深く崇高な何かではないだろうか。そう、思う。
「華にはもう天狗の力は残ってない。でも、約束は残っている。彼女と話してはたても分かったと思うけれど、彼女本当に明るいでしょ。人生を楽しんでいる。虚しさに飲み込まれていない。私の信託財産は最適に運用されているということよ」
「……そうか、信託財産の意味は」
「そう、あの時の約束通りに子孫は生きているということよ」
信託財産とは、一定の契約の下、誰かに自分の財産を預けるということだ。そうか、あの時の人間は契約を果たしたんだ。そして契約は今も続いている。
「虚しい人間はいままでいなかった。明るいやつらばかりだった。それが心の底から嬉しい。私の子供という信託財産。あいつに預けた財産。いつかまた、一緒に秋の素晴らしい空を飛びたいわね」
あやややが可愛い
いい目の付け所だと思います。
物語はシンプルでしたがキャラクター同士の愛が伝わってきました。
甥っ子に何だか懐かれているみたいなので、感情移入ハンパないです。
華ちゃんに幸あれ。