応接室から姿を消してしばらくした後、再び現れたパチュリー様は料理が盛られたお皿を乗せたワゴンを伴っていました。わざわざこのためにいなくなってたのですか。
「そういうこと。待たせたようで悪かったわね」
言いながら、パチュリー様はワゴンの料理をテーブルに並べていきます。
私のために用意されたのはコテージパイと、なにか丸いもの(多分、卵)をひき肉で包んだお肉の料理、ブロッコリーのスープ、あと大きく切り分けられた白くて柔らかそうなパン(初めて見た!)でした。ふと目をやればそれ以外にも、テーブルの上にはいつの間に用意されたものか、芳しい香りを含んだ湯気を立ち昇らせるティーセットの一式が置かれています。それにしても、お茶はともかく料理はどこかで買ってきたか注文されたものなのでしょうか。
「ハズレ。お茶を淹れたのも料理を作ったのも私よ。材料は生贄として、“ここで育ててた”動物」
作った云々はさておいて『育てた』? “ここ”で?
「温室、と云っても判らんか───気温や湿度を任意に調整して、各種生物の育成に最適な環境を擬似的に整えることを可能とする部屋があるのよ」
パンと野菜はそいつら用の飼料を使わせてもらったわ。済まないけれど我慢してちょうだいね。やはりというか、言葉の割には悪びれた様子もないパチュリー様ですが、それに関しては私はどうとも思いません。腐ってもいなけりゃカビも生えてない食事にありつけるだけでも満足するべきですので。それを聞いて、パチュリー様は訝しさと唖然を半々にしたような顔をなさいました。
「……あなた、今の今までどんな食生活をしてたのよ」
懐具合が寂しいときには断食は当たり前でしたね。こちとらどうせ悪魔なんで飲まず食わずでもお腹が空くだけで死ぬわけじゃなし。私は懐かしむように想い出します。実際のところは懐かしいどころかつい最近の、しかもろくでもない記憶なんでしょうけど。
ちなみに多少、変なものを食べたところでお腹を壊したりもしないんで、我慢できないときには道端の───
「ああ、やっぱりいいわ……つまらないことを訊いて悪かったわね」
途中で察していただけたらしく、パチュリー様は厭そうに手を振って話を遮りました。実に助かります。せっかく美味しいものを食べられるんですから、わざわざごはんが不味くなるようなことをするべきではないのです。
「それよりも、食事の前に先ず手を洗うのが───」
パチュリー様は途中で言葉を切り、私のことを頭のてっぺんから爪先まで“しげしげ”と観察しだしました。つられるようにして、私も自身の服装というか風体を“あらためて”みます。 “つぎはぎ”というよりは、寄せ集めたボロ布(しかも汚い)をくっつけただけの粗末な服に汚れ放題の手、足、体。顔の半分を覆い隠すように伸びた赤毛の髪は、当然のように手入れなんてものとは無縁で、さながらカラスの巣みたいな“ぼさぼさ”具合。要は典型的な貧民窟をうろつく餓鬼の格好です。
「……むしろ湯浴みが必要そうね」
はあ、汚い格好ですみません。申し訳なさと、なによりもようやっとありつけたはずのご飯を“おあずけ”にされることに、私は飼い主に見限られた捨て犬よろしく目を伏せずにはいられません。野良犬でもここまでこ汚いのは滅多にいないでしょうけれども。
「とはいえ、これ以上待たせるのもせっかく作った料理が冷めてしまうのも業腹か───仕方ない」
独りごちて、パチュリー様はなにか小さく呪文を唱えだしました。一体、何でしょう。興味津々で見つめていると、私の体に変化が起こりました。ついさっきまで埃と汚れに塗れていた私の服からたちまちの内に汚れが消え失せ、体が“隅から隅まで”清められていくのが感じられるではありませんか。うわ、なんですか一体。
目を丸くする私をよそに、変化は続いていきます。ボロボロだった服から“つぎはぎ”が消え、擦り切れ“ほつれ”が元通りになり、さらには色や形さえ変わっていき───
───そして気がつけば、見窄らしさを固めたようなボロ布の塊であった私の服は、ちょっと小洒落た感じの装いへと生まれ変わり、併せて自身もその服に見合うような清潔さを得たのでした。
「構造変化の魔法よ。ついでに清浄と除菌の効果がある術もおまけしてね」
うわあ、便利ですねえ。感嘆しつつ、新たな服のあちこちを摘んで具合を確かめます。
仕立ては上々なら着心地も上々の服。上等な生地が手指に伝える感触には、思わず溜息がこぼれてしまいそうなくらい。魔女に素敵な服をしつらえてもらうだなんて、まるでお伽噺のヒロインにでもなった気分。これだけでも、この方と契約を結ぶ価値がありそうです。
と、そこで私は新調された服が“女性のもの”であるということに気が付きました。元になった服はズボンでしたし、今まであの小汚い風体から私のことを女の子だと見て取ったヒトはいなかったのですが、どうした判ったのでしょうか。
「骨格やそこから出される仕草、声を診れば一目瞭然よ。そんなことより───ご飯が冷めてしまう前に、どうぞ召し上がれ」
あ、そうですね。パチュリー様に促され、私は手早く食事の前の“お祈り”を済ませ、精緻な彫刻によって彩られたナイフとフォークを手に取り言うのでした。
───いただきます。
*
パチュリー様が手ずから振る舞ってくれたお料理を口にした私は、その美味しさに目を見張りました。ただでさえお腹が空いていたのと、これまでロクなごはんを食べてこなかったのとで余計にそう感じるのかもしれませんが、その美味は実に、極楽世界の百味の飮食さえもこれには及ぶまいと思われるほどでした。
お料理が上手でいらっしゃるのですね。思わず口に出た賞賛でしたが、これにもパチュリー様はあくまでも素っ気なく言うばかり。
「レシピのとおりに作っただけ、字が読めるなら誰だってできるような事よ」
パチュリー様は当たり前のことのようにおっしゃいますが、それに従うだけでこんなに美味しい料理ができるものなんでしょうか。
「レシピといいマニュアルという。一言で括るけれど、それを作るためには何人もの人間の知恵と創意、工夫となにより時間が費やされているを忘れてはいけない」
私もあなたも名前も顔も知らない何処かの誰かが考え出して受け継いで、あるいは改善改良試行錯誤を繰り返したもの。あなたが今まさに味わっているものこそは、そうした連中の積み重ねの味。
「それがもたらすものに間違いなんてものは、ありえないのよ」
聖人が不甲斐ない弟子に説教を言い聞かせるように、魔女がちんけな小悪魔へと語るのでした。なんとも含蓄深いお言葉ですが、理解のついていかない私では曖昧に頷くことしか出来ません。パチュリー様はそれを気にも留めない様子で続けます。
「……まあ、大前提というか根っこの部分が最初から間違っていたり、それを受け継いだ連中が間違いに気が付かないとか、あるいは“気が付いても無視したりする場合”はその限りではないのだけれど」
むしろ世の中の大半はそんな連中。ヒトが生まれて幾星霜。いつまでたっても、いついつまでも、いや貴き至高の峰に辿り着くどころか立ち位置さえもわからずじまいな理由がそれよ。言葉だけなら嘲弄のそれですが、語り手の表情も口調も、諦念をまぶされたように無機質なものでした。気になった私は、よせばいいのにつまらない質問を投げかけずにはいられません───ということは、ご自分は違うと仰りたいのでしょうか。
「私の場合は、それに輪をかけてマズい」
洒脱というには倦怠あるいは退廃の色が強い仕草ですくめられる薄い肩。それは、どういうことなんでしょう。
「《魔法使い》だから───今とこれからの御時世、自ら進んで自分の首を絞めている途中のようなものね」
しかも真綿でね。無様に窒息死するか、その前に力尽きるかの違いくらいなら選べそうだけれども。自虐気味に語られる言葉の意味を、その時の私ではまだ理解も実感もできずにいました。
なので、それに関するやりとりは諦めて、私は切り分けた卵の肉詰め(スコッチエッグというのだそうです)をフォークで持ち上げて話題を変えます。契約を交わしたからにはひょっとして、これから先もこうしてパチュリー様にお料理を作っていただけるのでしょうか。
「それは今回だけの大盤振る舞いよ。さっき言ったレシピを渡してあげるから、次からはそれを参考に自分で作りなさい」
……私、字が読めないのですが。
「安心なさいな、読み書きなら教えてあげると言ったでしょう」
だから、美味しいものが食べたいのなら精々、勉学に勤しむことよ。魔女の肩書きにふさわしい、意地の悪そうな、それ以上に愉快そうな面持ちでパチュリー様は笑うのでした。
*
「しかし、ずいぶんときれいな食べ方をする」
千切ったパンを口に運んでいると、パチュリー様が感心したように言いました。私、テーブルマナーなんてものは“とんと”存じませんが。
「見た目小手先の問題ではなくて。見るものが“それ”と判るくらい丁寧な食べ方をしているのよ」
手元でくゆらせたティーカップから立ち上る湯気に、繊細な面をくすぐらせながらパチュリー様は遠い目をなさいました。
「私の知り合いにね、“いいとこ”のお嬢がいるのだけれど……」
そいつときたらとにかく食べ方が汚いやつで、食餌の度に口からこぼしちゃ服を台無しにするのよ。血の気の薄い唇からこぼれる、か細い嘆息。“食餌”ということはその御仁も、『人』ではないということでしょう。よく考えなくても《魔法使い》の知人に真っ当な人間がいるわけもないのですが。
「私やお付きの連中が何度たしなめても注意しても、全然治りゃせん。いっそ、あなたの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらい」
褒められたにもかかわらず、私は眉をしかめずにはいられませんでした。そんなもん飲んじゃった日には、お腹壊してしまいそうなのですが。
「そのままの意味じゃないわ。東洋の“ことわざ”よ」
私が言うのもなんですが、衛生的によろしいとはいえないことわざがあったもんですねえ。
「だから、そのままの意味じゃないというに……ああ、そういえば食事の前にはご丁寧にお祈りまでしていたわね。悪魔にも祈るべき相手がいるのかしら?」
興味深げな視線を向けてくるパチュリー様には悪いですが、それは単なる形だけのモノマネです。“ちょっと前”までは教会の施しを恵んでもらったりとかもしてたんで、そういうのをやらないといけなかったんです。ちなみにやらないと悪魔扱い(『小』が付くとはいえ悪魔なので、間違いではないですが)されたり、魔女扱い(これもあながち間違いではないですが)されたりするので、かなり重要でした。
「悪魔なのに、そういったところに拘りはないのね」
まあ、どこのどんなパンでもお腹に入れてしまえば同じことですから。それよりも、パチュリー様はご飯を召し上がられなくてもよろしいので?
「ああ、私のことは気にせず食べててくれていいわ」
パチュリー様はそうおっしゃいますが、仮にも契約主を差し置いて自分だけお腹を満たすというのは(しかもそれを作らせているという)、どうにも後ろめたいものがあります。それとも、私を見つけたときにはとっくにお食事を済ませた後だったのでしょうか。
「そういうことではなくて、というか知らんのか」やや呆れたようにパチュリー様は首を“ふるふる”と振りました。
「《魔法使い》って連中は一応、妖怪のお仲間。食事そのものが不要なの」
俗に云うところの『霞を食って生きる』、それと似たようなことができるのでね。
いわゆる『不老長生の霊薬(エリキシー)』の調剤にも連なる稀覯の術なのだそうで。パチュリー様はティーカップを僅かに揺らしました。私のような無知を喧伝してい回っているような小悪魔にも、それと判るくらい値打ちもののカップの中では、注がれてからこっち、一度も口をつけられずにいる紅玉の色をしたお茶が虚しく波打つばかり。
「そもそも、最後に固形物を口にしたのが、はて、いつのことだったか」
自分でも思い出せないくらいの長い間を使わずにいたせいで、もう消化器はまともに機能できていないのだそうです。なので無理に物を詰め込もうとすれば、お腹どころかそこに繋がる全ての器官に悪影響が出かねないのだとか。それにともない味覚もほとんど鈍化しており、今手にしている紅茶にしたところで、あくまでも楽しめるのは香りだけで味に関しては“さっぱり”解らず、挙句、口にした食物は臓腑に落ちる前に魔力で分解して無害化(おかしな表現ですが)しなければならないのだとも。
それはまた、難儀なことで。あまりのことに絶句していると、パチュリー様はトドメとばかりに言いました。曰く───
「使用することのない器官は重石以上の価値はなく、故にいらぬ負担を少しでも減らすために摘出するなり取り払うなりするところまで検討しているの」
……そこまでやらんでもいいのでは。もう何と言っていいのかどんな反応を返せばいいのかも判りません。もうここまでくると、異次元からやってきた得体の知れない生き物を相手にしているような錯覚さえ覚えてきます。それとも、世の《魔法使い》という方々は、揃いも揃ってこんなのばかりなのでしょうか。一つだけ間違いないのは、この方の思考回路が私のような小悪魔風情では理解の範疇外にあるということだけです。
「価値のない物不要なモノを、後生大事に抱える者は、いずれ重さに耐えかねて自ら潰れるばかりなり。そうなるより早く、無駄と思えるものは切り捨て身を軽くするというだけよ」
この場合は文字通りの意味だけれどね。肩をすくめるパチュリー様。ひょっとしたら、これはこの方なりに場を和まそうというジョークなのでしょうか、だとしてもブラックすぎて笑えないですし、和みようもないですが。
「まあ、今すぐというのではないわよ。機能していないとはいえ、今まで存在していた部位を消してしまうと、その感覚が無意識下へ多大なストレスとしてフィードバックされてしまうからね」
少なくとも、その問題を解決する方法が見つかってからかな。……取っ払ってしまうこと自体は決定事項なのですね。
「ちょっと大袈裟に聞こえたかもしれないけど、要は投資でいうところの損切りみたいなもの。処世の術は人それぞれだから、同意はいらないし共感もしないでいい。ましてや押し付けもしない」
───この時は判らず終いでしたが、後になって考えるとこれは『必要なときには身銭を切ることを惜しまない』という意味もあったのだと思います。勿論、『不要だと思ったらお前も切り捨てる』という恫喝も多分に含まれてはいたのでしょうが。
*
「ところであなた、名前が無いと言ってたわね」
料理を半分ほど片付けたところで、ふと思い出したようにパチュリー様が訊ねてきました。ええ、そうですが。それがどうかしましたか?
「なら、あとで適当な偽名でも考えておくから、他所ではその名前を使ってもらいたいの」
なんぼなんでも、人前で『小悪魔』なんて呼び方はできないからね。パチュリー様の言いつけは、私にとってもありがたいものでしたので、素直に頷いておきます。ただ、できれば可愛らしい名前でお願いいたします。
「善処するわ」
───あ、それとパンのお代わりも。私が差し出したお皿を無言でパチュリー様は受け取りました。
*
こうして私こと、名も無き小悪魔は《魔法使い》パチュリー・ノーレッジのお使い兼・弟子となった。
「そういうこと。待たせたようで悪かったわね」
言いながら、パチュリー様はワゴンの料理をテーブルに並べていきます。
私のために用意されたのはコテージパイと、なにか丸いもの(多分、卵)をひき肉で包んだお肉の料理、ブロッコリーのスープ、あと大きく切り分けられた白くて柔らかそうなパン(初めて見た!)でした。ふと目をやればそれ以外にも、テーブルの上にはいつの間に用意されたものか、芳しい香りを含んだ湯気を立ち昇らせるティーセットの一式が置かれています。それにしても、お茶はともかく料理はどこかで買ってきたか注文されたものなのでしょうか。
「ハズレ。お茶を淹れたのも料理を作ったのも私よ。材料は生贄として、“ここで育ててた”動物」
作った云々はさておいて『育てた』? “ここ”で?
「温室、と云っても判らんか───気温や湿度を任意に調整して、各種生物の育成に最適な環境を擬似的に整えることを可能とする部屋があるのよ」
パンと野菜はそいつら用の飼料を使わせてもらったわ。済まないけれど我慢してちょうだいね。やはりというか、言葉の割には悪びれた様子もないパチュリー様ですが、それに関しては私はどうとも思いません。腐ってもいなけりゃカビも生えてない食事にありつけるだけでも満足するべきですので。それを聞いて、パチュリー様は訝しさと唖然を半々にしたような顔をなさいました。
「……あなた、今の今までどんな食生活をしてたのよ」
懐具合が寂しいときには断食は当たり前でしたね。こちとらどうせ悪魔なんで飲まず食わずでもお腹が空くだけで死ぬわけじゃなし。私は懐かしむように想い出します。実際のところは懐かしいどころかつい最近の、しかもろくでもない記憶なんでしょうけど。
ちなみに多少、変なものを食べたところでお腹を壊したりもしないんで、我慢できないときには道端の───
「ああ、やっぱりいいわ……つまらないことを訊いて悪かったわね」
途中で察していただけたらしく、パチュリー様は厭そうに手を振って話を遮りました。実に助かります。せっかく美味しいものを食べられるんですから、わざわざごはんが不味くなるようなことをするべきではないのです。
「それよりも、食事の前に先ず手を洗うのが───」
パチュリー様は途中で言葉を切り、私のことを頭のてっぺんから爪先まで“しげしげ”と観察しだしました。つられるようにして、私も自身の服装というか風体を“あらためて”みます。 “つぎはぎ”というよりは、寄せ集めたボロ布(しかも汚い)をくっつけただけの粗末な服に汚れ放題の手、足、体。顔の半分を覆い隠すように伸びた赤毛の髪は、当然のように手入れなんてものとは無縁で、さながらカラスの巣みたいな“ぼさぼさ”具合。要は典型的な貧民窟をうろつく餓鬼の格好です。
「……むしろ湯浴みが必要そうね」
はあ、汚い格好ですみません。申し訳なさと、なによりもようやっとありつけたはずのご飯を“おあずけ”にされることに、私は飼い主に見限られた捨て犬よろしく目を伏せずにはいられません。野良犬でもここまでこ汚いのは滅多にいないでしょうけれども。
「とはいえ、これ以上待たせるのもせっかく作った料理が冷めてしまうのも業腹か───仕方ない」
独りごちて、パチュリー様はなにか小さく呪文を唱えだしました。一体、何でしょう。興味津々で見つめていると、私の体に変化が起こりました。ついさっきまで埃と汚れに塗れていた私の服からたちまちの内に汚れが消え失せ、体が“隅から隅まで”清められていくのが感じられるではありませんか。うわ、なんですか一体。
目を丸くする私をよそに、変化は続いていきます。ボロボロだった服から“つぎはぎ”が消え、擦り切れ“ほつれ”が元通りになり、さらには色や形さえ変わっていき───
───そして気がつけば、見窄らしさを固めたようなボロ布の塊であった私の服は、ちょっと小洒落た感じの装いへと生まれ変わり、併せて自身もその服に見合うような清潔さを得たのでした。
「構造変化の魔法よ。ついでに清浄と除菌の効果がある術もおまけしてね」
うわあ、便利ですねえ。感嘆しつつ、新たな服のあちこちを摘んで具合を確かめます。
仕立ては上々なら着心地も上々の服。上等な生地が手指に伝える感触には、思わず溜息がこぼれてしまいそうなくらい。魔女に素敵な服をしつらえてもらうだなんて、まるでお伽噺のヒロインにでもなった気分。これだけでも、この方と契約を結ぶ価値がありそうです。
と、そこで私は新調された服が“女性のもの”であるということに気が付きました。元になった服はズボンでしたし、今まであの小汚い風体から私のことを女の子だと見て取ったヒトはいなかったのですが、どうした判ったのでしょうか。
「骨格やそこから出される仕草、声を診れば一目瞭然よ。そんなことより───ご飯が冷めてしまう前に、どうぞ召し上がれ」
あ、そうですね。パチュリー様に促され、私は手早く食事の前の“お祈り”を済ませ、精緻な彫刻によって彩られたナイフとフォークを手に取り言うのでした。
───いただきます。
*
パチュリー様が手ずから振る舞ってくれたお料理を口にした私は、その美味しさに目を見張りました。ただでさえお腹が空いていたのと、これまでロクなごはんを食べてこなかったのとで余計にそう感じるのかもしれませんが、その美味は実に、極楽世界の百味の飮食さえもこれには及ぶまいと思われるほどでした。
お料理が上手でいらっしゃるのですね。思わず口に出た賞賛でしたが、これにもパチュリー様はあくまでも素っ気なく言うばかり。
「レシピのとおりに作っただけ、字が読めるなら誰だってできるような事よ」
パチュリー様は当たり前のことのようにおっしゃいますが、それに従うだけでこんなに美味しい料理ができるものなんでしょうか。
「レシピといいマニュアルという。一言で括るけれど、それを作るためには何人もの人間の知恵と創意、工夫となにより時間が費やされているを忘れてはいけない」
私もあなたも名前も顔も知らない何処かの誰かが考え出して受け継いで、あるいは改善改良試行錯誤を繰り返したもの。あなたが今まさに味わっているものこそは、そうした連中の積み重ねの味。
「それがもたらすものに間違いなんてものは、ありえないのよ」
聖人が不甲斐ない弟子に説教を言い聞かせるように、魔女がちんけな小悪魔へと語るのでした。なんとも含蓄深いお言葉ですが、理解のついていかない私では曖昧に頷くことしか出来ません。パチュリー様はそれを気にも留めない様子で続けます。
「……まあ、大前提というか根っこの部分が最初から間違っていたり、それを受け継いだ連中が間違いに気が付かないとか、あるいは“気が付いても無視したりする場合”はその限りではないのだけれど」
むしろ世の中の大半はそんな連中。ヒトが生まれて幾星霜。いつまでたっても、いついつまでも、いや貴き至高の峰に辿り着くどころか立ち位置さえもわからずじまいな理由がそれよ。言葉だけなら嘲弄のそれですが、語り手の表情も口調も、諦念をまぶされたように無機質なものでした。気になった私は、よせばいいのにつまらない質問を投げかけずにはいられません───ということは、ご自分は違うと仰りたいのでしょうか。
「私の場合は、それに輪をかけてマズい」
洒脱というには倦怠あるいは退廃の色が強い仕草ですくめられる薄い肩。それは、どういうことなんでしょう。
「《魔法使い》だから───今とこれからの御時世、自ら進んで自分の首を絞めている途中のようなものね」
しかも真綿でね。無様に窒息死するか、その前に力尽きるかの違いくらいなら選べそうだけれども。自虐気味に語られる言葉の意味を、その時の私ではまだ理解も実感もできずにいました。
なので、それに関するやりとりは諦めて、私は切り分けた卵の肉詰め(スコッチエッグというのだそうです)をフォークで持ち上げて話題を変えます。契約を交わしたからにはひょっとして、これから先もこうしてパチュリー様にお料理を作っていただけるのでしょうか。
「それは今回だけの大盤振る舞いよ。さっき言ったレシピを渡してあげるから、次からはそれを参考に自分で作りなさい」
……私、字が読めないのですが。
「安心なさいな、読み書きなら教えてあげると言ったでしょう」
だから、美味しいものが食べたいのなら精々、勉学に勤しむことよ。魔女の肩書きにふさわしい、意地の悪そうな、それ以上に愉快そうな面持ちでパチュリー様は笑うのでした。
*
「しかし、ずいぶんときれいな食べ方をする」
千切ったパンを口に運んでいると、パチュリー様が感心したように言いました。私、テーブルマナーなんてものは“とんと”存じませんが。
「見た目小手先の問題ではなくて。見るものが“それ”と判るくらい丁寧な食べ方をしているのよ」
手元でくゆらせたティーカップから立ち上る湯気に、繊細な面をくすぐらせながらパチュリー様は遠い目をなさいました。
「私の知り合いにね、“いいとこ”のお嬢がいるのだけれど……」
そいつときたらとにかく食べ方が汚いやつで、食餌の度に口からこぼしちゃ服を台無しにするのよ。血の気の薄い唇からこぼれる、か細い嘆息。“食餌”ということはその御仁も、『人』ではないということでしょう。よく考えなくても《魔法使い》の知人に真っ当な人間がいるわけもないのですが。
「私やお付きの連中が何度たしなめても注意しても、全然治りゃせん。いっそ、あなたの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらい」
褒められたにもかかわらず、私は眉をしかめずにはいられませんでした。そんなもん飲んじゃった日には、お腹壊してしまいそうなのですが。
「そのままの意味じゃないわ。東洋の“ことわざ”よ」
私が言うのもなんですが、衛生的によろしいとはいえないことわざがあったもんですねえ。
「だから、そのままの意味じゃないというに……ああ、そういえば食事の前にはご丁寧にお祈りまでしていたわね。悪魔にも祈るべき相手がいるのかしら?」
興味深げな視線を向けてくるパチュリー様には悪いですが、それは単なる形だけのモノマネです。“ちょっと前”までは教会の施しを恵んでもらったりとかもしてたんで、そういうのをやらないといけなかったんです。ちなみにやらないと悪魔扱い(『小』が付くとはいえ悪魔なので、間違いではないですが)されたり、魔女扱い(これもあながち間違いではないですが)されたりするので、かなり重要でした。
「悪魔なのに、そういったところに拘りはないのね」
まあ、どこのどんなパンでもお腹に入れてしまえば同じことですから。それよりも、パチュリー様はご飯を召し上がられなくてもよろしいので?
「ああ、私のことは気にせず食べててくれていいわ」
パチュリー様はそうおっしゃいますが、仮にも契約主を差し置いて自分だけお腹を満たすというのは(しかもそれを作らせているという)、どうにも後ろめたいものがあります。それとも、私を見つけたときにはとっくにお食事を済ませた後だったのでしょうか。
「そういうことではなくて、というか知らんのか」やや呆れたようにパチュリー様は首を“ふるふる”と振りました。
「《魔法使い》って連中は一応、妖怪のお仲間。食事そのものが不要なの」
俗に云うところの『霞を食って生きる』、それと似たようなことができるのでね。
いわゆる『不老長生の霊薬(エリキシー)』の調剤にも連なる稀覯の術なのだそうで。パチュリー様はティーカップを僅かに揺らしました。私のような無知を喧伝してい回っているような小悪魔にも、それと判るくらい値打ちもののカップの中では、注がれてからこっち、一度も口をつけられずにいる紅玉の色をしたお茶が虚しく波打つばかり。
「そもそも、最後に固形物を口にしたのが、はて、いつのことだったか」
自分でも思い出せないくらいの長い間を使わずにいたせいで、もう消化器はまともに機能できていないのだそうです。なので無理に物を詰め込もうとすれば、お腹どころかそこに繋がる全ての器官に悪影響が出かねないのだとか。それにともない味覚もほとんど鈍化しており、今手にしている紅茶にしたところで、あくまでも楽しめるのは香りだけで味に関しては“さっぱり”解らず、挙句、口にした食物は臓腑に落ちる前に魔力で分解して無害化(おかしな表現ですが)しなければならないのだとも。
それはまた、難儀なことで。あまりのことに絶句していると、パチュリー様はトドメとばかりに言いました。曰く───
「使用することのない器官は重石以上の価値はなく、故にいらぬ負担を少しでも減らすために摘出するなり取り払うなりするところまで検討しているの」
……そこまでやらんでもいいのでは。もう何と言っていいのかどんな反応を返せばいいのかも判りません。もうここまでくると、異次元からやってきた得体の知れない生き物を相手にしているような錯覚さえ覚えてきます。それとも、世の《魔法使い》という方々は、揃いも揃ってこんなのばかりなのでしょうか。一つだけ間違いないのは、この方の思考回路が私のような小悪魔風情では理解の範疇外にあるということだけです。
「価値のない物不要なモノを、後生大事に抱える者は、いずれ重さに耐えかねて自ら潰れるばかりなり。そうなるより早く、無駄と思えるものは切り捨て身を軽くするというだけよ」
この場合は文字通りの意味だけれどね。肩をすくめるパチュリー様。ひょっとしたら、これはこの方なりに場を和まそうというジョークなのでしょうか、だとしてもブラックすぎて笑えないですし、和みようもないですが。
「まあ、今すぐというのではないわよ。機能していないとはいえ、今まで存在していた部位を消してしまうと、その感覚が無意識下へ多大なストレスとしてフィードバックされてしまうからね」
少なくとも、その問題を解決する方法が見つかってからかな。……取っ払ってしまうこと自体は決定事項なのですね。
「ちょっと大袈裟に聞こえたかもしれないけど、要は投資でいうところの損切りみたいなもの。処世の術は人それぞれだから、同意はいらないし共感もしないでいい。ましてや押し付けもしない」
───この時は判らず終いでしたが、後になって考えるとこれは『必要なときには身銭を切ることを惜しまない』という意味もあったのだと思います。勿論、『不要だと思ったらお前も切り捨てる』という恫喝も多分に含まれてはいたのでしょうが。
*
「ところであなた、名前が無いと言ってたわね」
料理を半分ほど片付けたところで、ふと思い出したようにパチュリー様が訊ねてきました。ええ、そうですが。それがどうかしましたか?
「なら、あとで適当な偽名でも考えておくから、他所ではその名前を使ってもらいたいの」
なんぼなんでも、人前で『小悪魔』なんて呼び方はできないからね。パチュリー様の言いつけは、私にとってもありがたいものでしたので、素直に頷いておきます。ただ、できれば可愛らしい名前でお願いいたします。
「善処するわ」
───あ、それとパンのお代わりも。私が差し出したお皿を無言でパチュリー様は受け取りました。
*
こうして私こと、名も無き小悪魔は《魔法使い》パチュリー・ノーレッジのお使い兼・弟子となった。
続きに期待しています
でもあとがき自重w
あと後書き・・・・w