十六夜咲夜はメイド長である。
時間を操り、メイドたちを統括し、屋敷の内観を制御し、紅魔館の家事を回し続ける。
悪魔の館、紅魔館の誇る、完全で瀟洒な従者である。
「よーっし、お嬢様のお部屋の掃除完了っと」
今日もまた、完全で瀟洒な手際で一つの清掃作業を終えるのである。
……ただ、彼女は。
「さくやー、この絵逆さなんだけどー」
「うぉふ!?」
たまーにどうでもいいところでドジを踏む。
「うーん、またやっちゃった」
咲夜は時間を止めたままとぼとぼと歩く。
槌を持った悪魔が描かれた絵だったのだが、逆さから見るとお土産をぶら下げた変なおっさんの絵に見えないこともない。
何でそんなもんを飾るのかなどという疑問は、従者として主に疑いを持ってはならないというプロ意識がいい具合に災いして、抱くことができなかった。
レミリアは「面白い逆さ絵を発見したわね」などとコメントしており、割と機嫌自体は悪くなかったのが救いではあるのだが。
「まぁ、いつまでも時間を止めて落ち込んでいても仕方がない」
パンパンっと頬を叩いて気合を入れなおし、咲夜は勢いよく走り出した。
こけた。
「ショウシャッ!?」
咲夜は瀟洒極まりない叫び声を上げながら、前のめりに床に吸い込まれていく――が。
なんと咲夜はそのままぐるりと回転し、前回り受け身でなんとか済ませた。ワザマエである。
「っつぅー、あぶなかったぁ……」
咲夜がつまづいたのはなんということもない紙くず。
しっかりと認識していれば無意識レベルで停止解除できるのだが、勢いに任せて走り出したため、時間停止しっぱなしの紙くずにつまづいてしまったのだ。
「まったくもー、気合入れたそばから幸先の悪い……いや、今のはいくらなんでも注意を欠いていたわね。反省しないと」
とぼとぼと歩きながら、目的地についたので時間停止を解除する。
「さて、さすがに元気のない姿は見せられないわね」
咲夜は両手をぐっと握りながら、再び気合を入れる。
そうこの場所は、使用人の詰め所。
「みんなー! ちゃんと集まってるー!?」
「メイド長だー!」
「あつまってまーす!!」
詰め所内に叫ぶ咲夜に、詰め所でくつろいでいた妖精メイドたちがノリノリで返す。
メイド妖精たちがちゃんと集まって素直な反応を見せてくれたことに一安心した咲夜は、もう一つ威勢よく叫んだ。
「よーし、一気にお洗濯終わらせちゃうわよー! 私に続けー!」
「ひゃっほーい!」
そうして咲夜は妖精メイドを引き連れて中庭に出た。
霧の湖から引かれた小川の流れる一角であり、水には苦労しない場所だ。
そしてそこにはうず高く積まれた洗濯物と、たらいや洗濯板などの道具がそろっている。
洗濯物の回収や道具の準備をしたのは咲夜ではなくホフゴブリンたちだ。
基本いい加減な妖精たちと違い、勤勉な彼らが使用人として加わってくれたおかげで、咲夜も以前と比べるとだいぶ楽ができている。
「はーい、組に分かれてー! 位置についてー!」
咲夜は妖精メイドたちをチーム分けし、それぞれ選択の準備をさせると。
「よーい、どん!」
と開始の合図をした。
すると妖精たちは一生懸命、洗濯物を持ってきて、洗って、所定の区画に干しに行く作業に従事しはじめる。
この真剣さは一体何なのか。
なんのことはない。
もっとも多く洗濯物を片付けることのできたチームは、いつもの食事と紅茶に加えて、咲夜特製のケーキが進呈されるからである。
「メイド長のケーキ!」
「ケーキ!」
などと叫びながら気合を入れて作業するメイドたちを見て、思わず微笑ましさに目を細める。
「っとと。今のうちに食事のほうを準備しないとね。それじゃ、後頼んだわよ」
そう言って、咲夜は監督をホフゴブリンたちに任せてその場を去る。
厨房の仕事は他の者には任せられない。
配膳や清掃ならまだしも、調理は全て咲夜が取り仕切っている。もしも紅魔館の中で厨房に自分と並び立てるものがいるとしたら、きっとひとりだけ。
とりあえず食物庫の中身をチェックして献立をたて、仕込みを行っておく。
「お、アユが安かったからいっぱい仕入れてたのよね。ワイン蒸しにしてしまいましょー」
食物庫は咲夜の能力のおかげで、時間の流れがほぼ止まっている。安いときに仕入れて、好きなだけ保存しておけるのが強みだ。
「あとはこれとこれと……せっかくだから、新メニューにも挑戦してみようかなぁ」
などと言いながら、使うものを決め、仕込が必要な材料をより分けていく。
「そうそう、忘れちゃいけない。賞品のケーキも作らないとね」
そうして、咲夜は時間を止めたり動かしたりしながら、調理の作業を進めていった。
ひとしきり仕込みを終え、咲夜がひと段落して汗をぬぐうと、何やら中庭の方が騒がしい声が聞こえてきた。
「何事かしら?」
時間を止めて中庭に急行すると、妖精メイドが二人、わんわんと泣いていた。
「一体何があったの?」
ホフゴブリンの一人に事情を尋ねると、転ばされただの転ばせてないだの、足が当たっただの当てられただの、まぁ、当人同士もよくわかっていないようなくだらない不幸な事故で、ケンカになってしまったらしい。
そうして共倒れになって、こうして二人して泣いているというわけだ。
「うーん、困ったわねえ。おーい、泣き止んでー」
「ふえええええん!」
「びえええええん!」
咲夜がなだめようとするが、取り付くしまもなく、二人は泣き続けている。
咲夜が来る前から二人をなだめようとしていたお姉さん格の妖精メイドも、なんかもう半泣きになってしまっていた。
このままでは収拾のつかない騒ぎになってしまう可能性もある。
「うーん、どうしよう、どうしよう……」
咲夜は頭を抱えた。困ってしまって自分も泣きたい。けど、メイド長としてそんなことは許されない。
泣いた子をあやす方法を、一生懸命頭の中で探っていく。
「……あっ」
ふと、咲夜の脳裏にピンとよぎった記憶。
それは、彼女自身の、過去の光景。
「……よっし」
咲夜は泣いている妖精二人に駆け寄って座り込み、彼女らを優しく抱き寄せた。
一瞬泣き止んできょとんとした表情を見せる二人に咲夜はにこっと笑い、静かに歌い始めた。
~~♪
白い花のちる黒い道に
かわいいおさげの女の子
青いダンスを踊るよ踊る
暖かいスープはいかが?
赤い花の咲く黒い道に
かわいいおさげの女の子
黄色いダンスを踊るよ踊る
踊りつかれちゃったかな?
さあ
わたしのおひざのその上で
リボンをだいてお眠りなさい
~~♪
咲夜のよく通る声で紡がれる、優しいメロディに乗せた歌。
泣いていた妖精たちも、すっかりと落ち着いた表情で咲夜に体を預けている。
「メイド長すごーい!」
「私たちにお母さんってのがいたら、こんな感じなのかな~」
咲夜の雰囲気に感動したのか、掛け値のない賛辞すら、周りの妖精メイドからあげられるほど。
咲夜は今更になって気恥ずかしい気持ちでいっぱいだったけれど。
「そうね、これは昔、私の『お母さん』が、歌ってくれたお歌なのよ」
咲夜はそう、はにかみながら答えたのだった。
結局、お洗濯は勝負としてはうやむやになってしまったけれど、さっきの子守唄が効いたのか、妖精メイドたちは咲夜の言うことをよく聞いて働いてくれた。
なので、今夜はサービスだ。
「いつもよりいっぱい焼いて、みんなで分けて食べてもらいましょ」
ケーキを何個も作るのはちょっぴり手間だったけど、それでも咲夜にとったらなんてことはない。
それよりも、あの無邪気な妖精メイドたちや、実直なホフゴブリンたちの喜ぶ顔を思い浮かべると、いくらでもがんばれるような気さえする。
「……美鈴も、こんな気分だったのかなぁ」
ふと、そんなことを思った。
「あったかいスープも、つくろっと」
そうして、献立にもう一品。
「あ、そういや新メニューのほうはどうかな……うわマズッ!」
どうでもいいところでドジを踏む。
「やっぱり大福は煮込んじゃダメか」
知ってる料理を作ること自体は上手だけれど、新しいメニューを考えるのは苦手な咲夜さんだった。
今日もまた日が落ちて、月が白く輝いている。
「きれーな月ですねー」
夜は魑魅魍魎の跋扈する時間。
人間としては恐るべき時間だろうが、この館ではこれからが本領発揮。
夜の王たる種族の居るこの館に、わざわざこの時間に危害を加えようとするものも多くはないだろう。
この時間、門番である紅美鈴は、門の外ではなく、門の内側にある詰め所にいることが多い。
門番妖精部隊もすっかり寝こけており、門番隊で起きているのは美鈴ただ一人だけだが、それでも夜間ゆえの静けさと、夜間ゆえに研ぎ澄まされた感覚を持ってすれば、十分な監視を行うことが出来る。
椅子に腰掛けて読書をしたり、たまに仮眠を取ったりしながら、美鈴はゆったりとした夜を過ごすのだ。
「んぅー」
そうして、椅子に座りながら一つ大きく伸びをしたところに。
「めーいりん」
「おわぁ!?」
ぽんっと後ろから肩に手を置かれて、美鈴はびくりと体を震わせた。
そしてすぐに声と気配が見知っているものであることに気づき、息を吐く。
「咲夜さんですか。おどかさないでくださいよ」
「ふふ、ごめんね」
いくら生物の気配が読めるといっても、咲夜のように止まった時の中を動ける者が居れば、どうしようもないなぁと思う。
「どうしたんですかこんな時間に。珍しいですね」
「やっと今日のお仕事が片付いたからね。お夜食を持ってきたわ」
「わお」
本当に珍しいこともあるな、と思いながら、トレイにかかった布巾を外すと。
サンドイッチと、従業員たちに振舞った残りのショートケーキ。
そして、暖かい中華スープがあった。
「……そういえば、歌ってましたっけね。咲夜さん」
「やだ、聞こえてたの?」
「そりゃ、聞こえてますよ」
美鈴の耳はとてもいいから、中庭の騒ぎくらいはしっかり聞こえているのである。
「えっと、歌の後の、あれは?」
「何のことです?」
「い、いえ、思い当たらないなら、いいの」
『お母さん』のくだりを聞かれてないことに安堵し、その何か安心したような表情を見て、美鈴もまた笑った。
「それでは、いただきますね」
そうして美鈴はサンドイッチをほおばる。
「おっ」
ベーコンレタスや卵を挟んだオーソドックスなものの中に、一つ不思議な味が混ざっている。
シャキシャキのキャベツに絡んだそれを一緒に噛み潰すと、しっとりとした食感が広がる。噛んでいくうちに染み出してくるのは、魚介の味。
なかなかおいしく、癖になる味だった。
「これは一体なんですか?」
美鈴が首をかしげてたずねる。
「アユがいっぱいあったから、ほぐしてサラダと一緒にマヨネーズで和えてみたの」
フレーク状にほぐされたアユ。
川魚特有の淡白な味わいが、マヨネーズとよく絡んでその味を生かしている。
「なるほどぉ、面白い発想ですね。今日は思い付きがうまくハマったんですねー」
「……うん」
これは、咲夜の上手くいった思い付きの一つだった。
たまに変なものを作ってしまう咲夜ではあるが、しっかりと味見をして、その次の失敗をちゃんと防げるからこそ、その料理の腕は信頼されているのだ。
美鈴は次に中華スープを手にとってすする。
「うん、私の味そのものです」
そうしてにこりと笑う。
鶏がらでたっぷりとダシをとり、鶏肉と春雨を具として用いたスープだ。
溶き卵と一緒にすする感覚がとろとろふわふわで、体の芯から温まるような、ほっとする味だった。
ほっと満足を覚えながら、美鈴はデザートにイチゴのショートケーキを食べる。
取り合わせとしてはちぐはぐな気もしたが、そんなことはどうでもよくなるくらい、それはおいしかった。
愛情をこめて作ったであろう事が伝わってきた。しかし、それは美鈴に対してのものではない、もっと不特定多数に対する愛情。
部下たちに振舞ったものの一つなのだろう。
それでも美鈴は、咲夜がこの味を作ったことに深い感動を覚えていた。
(館に着たばかりのころは、愛情なんて何一つ知りはしなかった、あの子がね)
そんな感慨を抱きながら、美鈴は夜食を全て胃袋に収めた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて、心からの感謝を述べる。
「お粗末さまでした」
美鈴の満足そうな様子に、咲夜もほっとして答えた。
「それにしても懐かしいですね。このスープ。咲夜さんがへそ曲げて泣いちゃった時には、決まってこれでご機嫌をとってましたっけ」
「……そうね。そして、寝るまでお歌を歌ってくれたわ」
昼間に泣いた妖精を、咲夜があやしたように。
「ふふ。私が歌って聞かせた子守唄を、咲夜さんがまた歌って聞かせる日が来るなんて。不思議なものですね」
「そう……ね」
咲夜に人間の両親というものはいない。
人間として生まれ落ちたからには居はしたのだろうが、何一つ覚えていない。
心をなくしていた自分を拾ってくれたのは、小さな赤い悪魔であり。
自分を育ててくれたのは、目の前の妖怪なのだ。
そんな『お母さん』は、満足そうにおなかを撫でている。
「料理も、何にも知らなかったあの頃からは考えられないほど。私の舌を満足させられるほどになって下さって、本当に感慨深いです。……でも、ドジなのは相変わらずみたいですねえ」
「うっ……」
『完全で瀟洒』とは、レミリアが従者たるものかくあるべしと定めた指針であり、側近たる従者への称号でもある。
レミリア自身、何から何まで完全無欠なことを要求しているわけではない。が、咲夜はたまにやらかすことこそあれど、その称号によく応えてきた。
しかし、その実咲夜は、皆が思っている以上に結構なドジである。
それを看破しているのは、美鈴だけだろう。
「ふふふ、今日は何回転んだんですか?」
なんて言いながら、咲夜の腰に手を当てて、気の流れを整えてくれる。
「は、恥ずかしいわ、美鈴」
咲夜が有能な従者足りえているのは、時間を操るその能力ゆえ。
いくら転んだり、間違いを犯したとしても、大抵は時間を止めているうちに何の痕跡もなくごまかせてしまう。
間違えた料理を作っても、しっかりと味見できるのが咲夜なのだ。
だけれども、気の流れを読む美鈴には、そんなごまかしがあんまり通じない。
たとえば時間を止めている間に転んで、美鈴仕込の受け身でいなし、その後そ知らぬ顔をしていても。何にも痕が残っていなくたって、少し痛んでいる場所が美鈴にはわかってしまうから。
たとえば何か失敗をしたのを隠し通しても、美鈴には気の流れの淀みで察されてしまうから。
だからこそ、美鈴は咲夜の教育係足りえていたのだが。
「でも、今日はよくがんばりました。いつも以上にね」
中庭での一件を思い出しながら、美鈴は咲夜の頭をさらさらと撫でた。
「……」
「あれ? 今日は『子ども扱いするなー』って怒らないんですか?」
常なら、美鈴がこういう行動をとると、咲夜は怒るのだが。
すると咲夜は、ちょっと視線をそらして恥ずかしそうに。
「今日は……子ども扱いしてもらいたい気分なのよ」
「……ふふ」
美鈴は微笑んだ。
とてもかわいらしい。
だけど、逆に、大人になったな、とも思う。
二人は、ベッドに並んで腰かけた。
「思えば、美鈴には今でもお世話になりっ放しね」
ホフゴブリンを拾って、紅魔館の一員として組み込んだのもそうだし、
いまいち使えなかった妖精メイドを組分けし、単純作業をイベントに仕立てて競わせることでポテンシャルを引き出すアイディアも、よく妖精と遊んだり、子守の経験も豊かな美鈴が出してくれたものだ。
立場的には上になった今でも、咲夜はまったく美鈴に頭が上がっていない。
「いえいえ、咲夜さんはすごいですよ。前までは何でも一人でやろうとしてましたけど、今はちゃんと妖精メイドたちにも慕われてるじゃないですか」
「喜んでいいのかなぁ」
何でも一人でこなせたほうが完全で瀟洒の名に恥じないあり方なのではないか、というのは当初から思っていたことだが、ホフゴブリンという優秀な働き手が増えたことを契機に、美鈴から妖精メイドのあり方を考え直さなければならないと強く進言があった。
従来どおり自由にさせたままではホフゴブリンと妖精メイドの格差が生まれ、要らぬ軋轢を生むかもしれない。
かといって妖精メイドを全て解雇してしまうのも忍びない。
ならばもう少し妖精メイドを使ってみよう、と例の組分けのアイディアが出てきたわけだが。
それでも妖精メイドに出来ることはまぁたかが知れている。でも、今のところホフゴブリンたちと妖精メイドたちはまぁまぁ友好的な関係を築けている。
咲夜は現状を回すことに一心になっていて、現状を変えることには思い至っていなかった。
美鈴が居たからこその、今日の中庭の光景なのだ。
「もちろんですよ。咲夜さんはメイド長じゃないですか。部下を使いこなしてこそのメイド長ですよ」
もちろん、今メイドやゴブリンたちに慕われているのは、美鈴ではなく咲夜そのものの功績である。
ゴブリンたちが入ってきてから、あまり時間も経っていない。だから、今でもまだ試行錯誤の毎日ではあるのだけど。
それでも、以前のようにどこか一線を引いて独力でがんばろうとするのではなく、使用人たちの先頭に立って走っていく姿の方が、咲夜には似合っている。
美鈴は、そう思っていた。
「ありがとう美鈴。ふふ、でも、いつまでも美鈴に世話を焼かれてるわけには行かないわよね。私はもっと完璧になって、この称号に恥じないメイド長になる」
咲夜は美鈴に感謝しながらも、強い意志をもってそう言った。
美鈴の助けがなくても、かっこよく瀟洒に館内の雑務を取り仕切る。みんなに頼りにされるようなメイド長に。
「すばらしいです。咲夜さん」
美鈴はそう言って、目を細める。かつて娘同然に育てた少女が成長していくのは、とてもうれしいことだ。
「……でも」
だけど。
「……もう少しだけ、私が世話を焼かせてもらえる咲夜さんでいて欲しい。そう思ってしまうのは、私のわがままでしょうかね」
だけど、それは同時に、寂しいことでもある。
「あ……」
咲夜は、昼間のことを思い出す。
自分の子守唄にみんなが聞き入ってくれたこと。
かわいい部下たちのことを思うと、いくらでも頑張れそうな気持ちになったこと。
世話を焼こうとするときに、幸せな気持ちになったこと。
そして。
――……美鈴も、こんな気分だったのかなぁ
そんな自分に、美鈴を重ねていたこと。
――確かに、世話を焼かせてもらえなくなるのは、寂しいことなのかもしれない。
だけど、咲夜は言う。
「その気持ち、私もわかる気がする。でもね美鈴。私はそれでも完璧な私を目指すわ」
だってそれが、自分を育ててくれた美鈴へ報いることでもあり。
何より、自分の憧れた女性を――紅美鈴を超えていくことこそが、自分の目指した夢であるから。
「そうですか」
美鈴はそう、優しく返事をした。
きっと、いつか咲夜はやりとげるだろう。
アユのサンドイッチのように、失敗を臆せず新しい挑戦をし続け、
鶏肉と春雨のスープのように、過去を綺麗に記憶して、
イチゴのショートケーキのように、全てに愛情を注げるようになった彼女ならば。
そう確信して、美鈴は寂しさを振り切った笑顔を見せる。
「美鈴……」
でもその笑顔を見ると、咲夜はどうしても切ない気持ちになって。
咲夜はそっと、美鈴の胸にその身を預けた。
「わっ、咲夜さん?」
そのまま、二人してぽふんとベッドに倒れる。
「でもね美鈴。私はまだまだドジなメイド長なの」
決意だけは一人前でも、まだまだ自分の理想は遠い。
「咲夜さん……」
「言ったじゃない。今日は、子ども扱いしてもらいたい気分なの」
だから、理想に届くそのときまでは、もうちょっと甘えてても、いいよね、と。
「ねえ、めーりん。子守唄、歌ってよ」
「もちろんですよ。かわいい……咲夜ちゃん」
そこだけ、まるで昔に戻ったかのように。
美鈴は咲夜の頭をひざに乗せ、さらさらと撫でながら歌い始めた。
~~♪
白い花のちる黒い道に
かわいいおさげの女の子
青いダンスを踊るよ踊る
暖かいスープはいかが?
赤い花の咲く黒い道に
かわいいおさげの女の子
黄色いダンスを踊るよ踊る
踊りつかれちゃったかな?
さあ
わたしのおひざのその上で
リボンをだいてお眠りなさい
おそらが紅く笑うから
銀をまわしてお眠りなさい
わたしといっしょに、お眠りなさい
~~♪
咲夜が目を覚ましたのは、いつもの自分の部屋のベッドの上だった。
見慣れた天井に、咲夜はぱちくりとまばたきする。
「ん……あれ」
懐かしい音色が、まだ耳に残っている。
きっと、夢なんかじゃない。
咲夜は時間を確認する。幸い、慌てるような時間ではなかった。
起き上がって身支度をしていると、机の上に見慣れない二つ折りの紙切れが置いてあるのを見つけた。
「何かしら、これ」
そうして咲夜がその紙を開いて見てみると、瞬間にぽっとその顔が朱に染まった。
「……まったく、もう」
咲夜は紙を放り、ぱんぱんと頬を張って気合を入れなおす。
「うしっ、今日も頑張るわよ!」
今日も彼女の一日が始まる。
その身の称号に恥じぬよう、その心が抱く憧れに近づけるよう。
そう意気込む彼女の背中を見ながら、机の上の紙片が、うれしそうに揺れていた。
時間を操り、メイドたちを統括し、屋敷の内観を制御し、紅魔館の家事を回し続ける。
悪魔の館、紅魔館の誇る、完全で瀟洒な従者である。
「よーっし、お嬢様のお部屋の掃除完了っと」
今日もまた、完全で瀟洒な手際で一つの清掃作業を終えるのである。
……ただ、彼女は。
「さくやー、この絵逆さなんだけどー」
「うぉふ!?」
たまーにどうでもいいところでドジを踏む。
「うーん、またやっちゃった」
咲夜は時間を止めたままとぼとぼと歩く。
槌を持った悪魔が描かれた絵だったのだが、逆さから見るとお土産をぶら下げた変なおっさんの絵に見えないこともない。
何でそんなもんを飾るのかなどという疑問は、従者として主に疑いを持ってはならないというプロ意識がいい具合に災いして、抱くことができなかった。
レミリアは「面白い逆さ絵を発見したわね」などとコメントしており、割と機嫌自体は悪くなかったのが救いではあるのだが。
「まぁ、いつまでも時間を止めて落ち込んでいても仕方がない」
パンパンっと頬を叩いて気合を入れなおし、咲夜は勢いよく走り出した。
こけた。
「ショウシャッ!?」
咲夜は瀟洒極まりない叫び声を上げながら、前のめりに床に吸い込まれていく――が。
なんと咲夜はそのままぐるりと回転し、前回り受け身でなんとか済ませた。ワザマエである。
「っつぅー、あぶなかったぁ……」
咲夜がつまづいたのはなんということもない紙くず。
しっかりと認識していれば無意識レベルで停止解除できるのだが、勢いに任せて走り出したため、時間停止しっぱなしの紙くずにつまづいてしまったのだ。
「まったくもー、気合入れたそばから幸先の悪い……いや、今のはいくらなんでも注意を欠いていたわね。反省しないと」
とぼとぼと歩きながら、目的地についたので時間停止を解除する。
「さて、さすがに元気のない姿は見せられないわね」
咲夜は両手をぐっと握りながら、再び気合を入れる。
そうこの場所は、使用人の詰め所。
「みんなー! ちゃんと集まってるー!?」
「メイド長だー!」
「あつまってまーす!!」
詰め所内に叫ぶ咲夜に、詰め所でくつろいでいた妖精メイドたちがノリノリで返す。
メイド妖精たちがちゃんと集まって素直な反応を見せてくれたことに一安心した咲夜は、もう一つ威勢よく叫んだ。
「よーし、一気にお洗濯終わらせちゃうわよー! 私に続けー!」
「ひゃっほーい!」
そうして咲夜は妖精メイドを引き連れて中庭に出た。
霧の湖から引かれた小川の流れる一角であり、水には苦労しない場所だ。
そしてそこにはうず高く積まれた洗濯物と、たらいや洗濯板などの道具がそろっている。
洗濯物の回収や道具の準備をしたのは咲夜ではなくホフゴブリンたちだ。
基本いい加減な妖精たちと違い、勤勉な彼らが使用人として加わってくれたおかげで、咲夜も以前と比べるとだいぶ楽ができている。
「はーい、組に分かれてー! 位置についてー!」
咲夜は妖精メイドたちをチーム分けし、それぞれ選択の準備をさせると。
「よーい、どん!」
と開始の合図をした。
すると妖精たちは一生懸命、洗濯物を持ってきて、洗って、所定の区画に干しに行く作業に従事しはじめる。
この真剣さは一体何なのか。
なんのことはない。
もっとも多く洗濯物を片付けることのできたチームは、いつもの食事と紅茶に加えて、咲夜特製のケーキが進呈されるからである。
「メイド長のケーキ!」
「ケーキ!」
などと叫びながら気合を入れて作業するメイドたちを見て、思わず微笑ましさに目を細める。
「っとと。今のうちに食事のほうを準備しないとね。それじゃ、後頼んだわよ」
そう言って、咲夜は監督をホフゴブリンたちに任せてその場を去る。
厨房の仕事は他の者には任せられない。
配膳や清掃ならまだしも、調理は全て咲夜が取り仕切っている。もしも紅魔館の中で厨房に自分と並び立てるものがいるとしたら、きっとひとりだけ。
とりあえず食物庫の中身をチェックして献立をたて、仕込みを行っておく。
「お、アユが安かったからいっぱい仕入れてたのよね。ワイン蒸しにしてしまいましょー」
食物庫は咲夜の能力のおかげで、時間の流れがほぼ止まっている。安いときに仕入れて、好きなだけ保存しておけるのが強みだ。
「あとはこれとこれと……せっかくだから、新メニューにも挑戦してみようかなぁ」
などと言いながら、使うものを決め、仕込が必要な材料をより分けていく。
「そうそう、忘れちゃいけない。賞品のケーキも作らないとね」
そうして、咲夜は時間を止めたり動かしたりしながら、調理の作業を進めていった。
ひとしきり仕込みを終え、咲夜がひと段落して汗をぬぐうと、何やら中庭の方が騒がしい声が聞こえてきた。
「何事かしら?」
時間を止めて中庭に急行すると、妖精メイドが二人、わんわんと泣いていた。
「一体何があったの?」
ホフゴブリンの一人に事情を尋ねると、転ばされただの転ばせてないだの、足が当たっただの当てられただの、まぁ、当人同士もよくわかっていないようなくだらない不幸な事故で、ケンカになってしまったらしい。
そうして共倒れになって、こうして二人して泣いているというわけだ。
「うーん、困ったわねえ。おーい、泣き止んでー」
「ふえええええん!」
「びえええええん!」
咲夜がなだめようとするが、取り付くしまもなく、二人は泣き続けている。
咲夜が来る前から二人をなだめようとしていたお姉さん格の妖精メイドも、なんかもう半泣きになってしまっていた。
このままでは収拾のつかない騒ぎになってしまう可能性もある。
「うーん、どうしよう、どうしよう……」
咲夜は頭を抱えた。困ってしまって自分も泣きたい。けど、メイド長としてそんなことは許されない。
泣いた子をあやす方法を、一生懸命頭の中で探っていく。
「……あっ」
ふと、咲夜の脳裏にピンとよぎった記憶。
それは、彼女自身の、過去の光景。
「……よっし」
咲夜は泣いている妖精二人に駆け寄って座り込み、彼女らを優しく抱き寄せた。
一瞬泣き止んできょとんとした表情を見せる二人に咲夜はにこっと笑い、静かに歌い始めた。
~~♪
白い花のちる黒い道に
かわいいおさげの女の子
青いダンスを踊るよ踊る
暖かいスープはいかが?
赤い花の咲く黒い道に
かわいいおさげの女の子
黄色いダンスを踊るよ踊る
踊りつかれちゃったかな?
さあ
わたしのおひざのその上で
リボンをだいてお眠りなさい
~~♪
咲夜のよく通る声で紡がれる、優しいメロディに乗せた歌。
泣いていた妖精たちも、すっかりと落ち着いた表情で咲夜に体を預けている。
「メイド長すごーい!」
「私たちにお母さんってのがいたら、こんな感じなのかな~」
咲夜の雰囲気に感動したのか、掛け値のない賛辞すら、周りの妖精メイドからあげられるほど。
咲夜は今更になって気恥ずかしい気持ちでいっぱいだったけれど。
「そうね、これは昔、私の『お母さん』が、歌ってくれたお歌なのよ」
咲夜はそう、はにかみながら答えたのだった。
結局、お洗濯は勝負としてはうやむやになってしまったけれど、さっきの子守唄が効いたのか、妖精メイドたちは咲夜の言うことをよく聞いて働いてくれた。
なので、今夜はサービスだ。
「いつもよりいっぱい焼いて、みんなで分けて食べてもらいましょ」
ケーキを何個も作るのはちょっぴり手間だったけど、それでも咲夜にとったらなんてことはない。
それよりも、あの無邪気な妖精メイドたちや、実直なホフゴブリンたちの喜ぶ顔を思い浮かべると、いくらでもがんばれるような気さえする。
「……美鈴も、こんな気分だったのかなぁ」
ふと、そんなことを思った。
「あったかいスープも、つくろっと」
そうして、献立にもう一品。
「あ、そういや新メニューのほうはどうかな……うわマズッ!」
どうでもいいところでドジを踏む。
「やっぱり大福は煮込んじゃダメか」
知ってる料理を作ること自体は上手だけれど、新しいメニューを考えるのは苦手な咲夜さんだった。
今日もまた日が落ちて、月が白く輝いている。
「きれーな月ですねー」
夜は魑魅魍魎の跋扈する時間。
人間としては恐るべき時間だろうが、この館ではこれからが本領発揮。
夜の王たる種族の居るこの館に、わざわざこの時間に危害を加えようとするものも多くはないだろう。
この時間、門番である紅美鈴は、門の外ではなく、門の内側にある詰め所にいることが多い。
門番妖精部隊もすっかり寝こけており、門番隊で起きているのは美鈴ただ一人だけだが、それでも夜間ゆえの静けさと、夜間ゆえに研ぎ澄まされた感覚を持ってすれば、十分な監視を行うことが出来る。
椅子に腰掛けて読書をしたり、たまに仮眠を取ったりしながら、美鈴はゆったりとした夜を過ごすのだ。
「んぅー」
そうして、椅子に座りながら一つ大きく伸びをしたところに。
「めーいりん」
「おわぁ!?」
ぽんっと後ろから肩に手を置かれて、美鈴はびくりと体を震わせた。
そしてすぐに声と気配が見知っているものであることに気づき、息を吐く。
「咲夜さんですか。おどかさないでくださいよ」
「ふふ、ごめんね」
いくら生物の気配が読めるといっても、咲夜のように止まった時の中を動ける者が居れば、どうしようもないなぁと思う。
「どうしたんですかこんな時間に。珍しいですね」
「やっと今日のお仕事が片付いたからね。お夜食を持ってきたわ」
「わお」
本当に珍しいこともあるな、と思いながら、トレイにかかった布巾を外すと。
サンドイッチと、従業員たちに振舞った残りのショートケーキ。
そして、暖かい中華スープがあった。
「……そういえば、歌ってましたっけね。咲夜さん」
「やだ、聞こえてたの?」
「そりゃ、聞こえてますよ」
美鈴の耳はとてもいいから、中庭の騒ぎくらいはしっかり聞こえているのである。
「えっと、歌の後の、あれは?」
「何のことです?」
「い、いえ、思い当たらないなら、いいの」
『お母さん』のくだりを聞かれてないことに安堵し、その何か安心したような表情を見て、美鈴もまた笑った。
「それでは、いただきますね」
そうして美鈴はサンドイッチをほおばる。
「おっ」
ベーコンレタスや卵を挟んだオーソドックスなものの中に、一つ不思議な味が混ざっている。
シャキシャキのキャベツに絡んだそれを一緒に噛み潰すと、しっとりとした食感が広がる。噛んでいくうちに染み出してくるのは、魚介の味。
なかなかおいしく、癖になる味だった。
「これは一体なんですか?」
美鈴が首をかしげてたずねる。
「アユがいっぱいあったから、ほぐしてサラダと一緒にマヨネーズで和えてみたの」
フレーク状にほぐされたアユ。
川魚特有の淡白な味わいが、マヨネーズとよく絡んでその味を生かしている。
「なるほどぉ、面白い発想ですね。今日は思い付きがうまくハマったんですねー」
「……うん」
これは、咲夜の上手くいった思い付きの一つだった。
たまに変なものを作ってしまう咲夜ではあるが、しっかりと味見をして、その次の失敗をちゃんと防げるからこそ、その料理の腕は信頼されているのだ。
美鈴は次に中華スープを手にとってすする。
「うん、私の味そのものです」
そうしてにこりと笑う。
鶏がらでたっぷりとダシをとり、鶏肉と春雨を具として用いたスープだ。
溶き卵と一緒にすする感覚がとろとろふわふわで、体の芯から温まるような、ほっとする味だった。
ほっと満足を覚えながら、美鈴はデザートにイチゴのショートケーキを食べる。
取り合わせとしてはちぐはぐな気もしたが、そんなことはどうでもよくなるくらい、それはおいしかった。
愛情をこめて作ったであろう事が伝わってきた。しかし、それは美鈴に対してのものではない、もっと不特定多数に対する愛情。
部下たちに振舞ったものの一つなのだろう。
それでも美鈴は、咲夜がこの味を作ったことに深い感動を覚えていた。
(館に着たばかりのころは、愛情なんて何一つ知りはしなかった、あの子がね)
そんな感慨を抱きながら、美鈴は夜食を全て胃袋に収めた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて、心からの感謝を述べる。
「お粗末さまでした」
美鈴の満足そうな様子に、咲夜もほっとして答えた。
「それにしても懐かしいですね。このスープ。咲夜さんがへそ曲げて泣いちゃった時には、決まってこれでご機嫌をとってましたっけ」
「……そうね。そして、寝るまでお歌を歌ってくれたわ」
昼間に泣いた妖精を、咲夜があやしたように。
「ふふ。私が歌って聞かせた子守唄を、咲夜さんがまた歌って聞かせる日が来るなんて。不思議なものですね」
「そう……ね」
咲夜に人間の両親というものはいない。
人間として生まれ落ちたからには居はしたのだろうが、何一つ覚えていない。
心をなくしていた自分を拾ってくれたのは、小さな赤い悪魔であり。
自分を育ててくれたのは、目の前の妖怪なのだ。
そんな『お母さん』は、満足そうにおなかを撫でている。
「料理も、何にも知らなかったあの頃からは考えられないほど。私の舌を満足させられるほどになって下さって、本当に感慨深いです。……でも、ドジなのは相変わらずみたいですねえ」
「うっ……」
『完全で瀟洒』とは、レミリアが従者たるものかくあるべしと定めた指針であり、側近たる従者への称号でもある。
レミリア自身、何から何まで完全無欠なことを要求しているわけではない。が、咲夜はたまにやらかすことこそあれど、その称号によく応えてきた。
しかし、その実咲夜は、皆が思っている以上に結構なドジである。
それを看破しているのは、美鈴だけだろう。
「ふふふ、今日は何回転んだんですか?」
なんて言いながら、咲夜の腰に手を当てて、気の流れを整えてくれる。
「は、恥ずかしいわ、美鈴」
咲夜が有能な従者足りえているのは、時間を操るその能力ゆえ。
いくら転んだり、間違いを犯したとしても、大抵は時間を止めているうちに何の痕跡もなくごまかせてしまう。
間違えた料理を作っても、しっかりと味見できるのが咲夜なのだ。
だけれども、気の流れを読む美鈴には、そんなごまかしがあんまり通じない。
たとえば時間を止めている間に転んで、美鈴仕込の受け身でいなし、その後そ知らぬ顔をしていても。何にも痕が残っていなくたって、少し痛んでいる場所が美鈴にはわかってしまうから。
たとえば何か失敗をしたのを隠し通しても、美鈴には気の流れの淀みで察されてしまうから。
だからこそ、美鈴は咲夜の教育係足りえていたのだが。
「でも、今日はよくがんばりました。いつも以上にね」
中庭での一件を思い出しながら、美鈴は咲夜の頭をさらさらと撫でた。
「……」
「あれ? 今日は『子ども扱いするなー』って怒らないんですか?」
常なら、美鈴がこういう行動をとると、咲夜は怒るのだが。
すると咲夜は、ちょっと視線をそらして恥ずかしそうに。
「今日は……子ども扱いしてもらいたい気分なのよ」
「……ふふ」
美鈴は微笑んだ。
とてもかわいらしい。
だけど、逆に、大人になったな、とも思う。
二人は、ベッドに並んで腰かけた。
「思えば、美鈴には今でもお世話になりっ放しね」
ホフゴブリンを拾って、紅魔館の一員として組み込んだのもそうだし、
いまいち使えなかった妖精メイドを組分けし、単純作業をイベントに仕立てて競わせることでポテンシャルを引き出すアイディアも、よく妖精と遊んだり、子守の経験も豊かな美鈴が出してくれたものだ。
立場的には上になった今でも、咲夜はまったく美鈴に頭が上がっていない。
「いえいえ、咲夜さんはすごいですよ。前までは何でも一人でやろうとしてましたけど、今はちゃんと妖精メイドたちにも慕われてるじゃないですか」
「喜んでいいのかなぁ」
何でも一人でこなせたほうが完全で瀟洒の名に恥じないあり方なのではないか、というのは当初から思っていたことだが、ホフゴブリンという優秀な働き手が増えたことを契機に、美鈴から妖精メイドのあり方を考え直さなければならないと強く進言があった。
従来どおり自由にさせたままではホフゴブリンと妖精メイドの格差が生まれ、要らぬ軋轢を生むかもしれない。
かといって妖精メイドを全て解雇してしまうのも忍びない。
ならばもう少し妖精メイドを使ってみよう、と例の組分けのアイディアが出てきたわけだが。
それでも妖精メイドに出来ることはまぁたかが知れている。でも、今のところホフゴブリンたちと妖精メイドたちはまぁまぁ友好的な関係を築けている。
咲夜は現状を回すことに一心になっていて、現状を変えることには思い至っていなかった。
美鈴が居たからこその、今日の中庭の光景なのだ。
「もちろんですよ。咲夜さんはメイド長じゃないですか。部下を使いこなしてこそのメイド長ですよ」
もちろん、今メイドやゴブリンたちに慕われているのは、美鈴ではなく咲夜そのものの功績である。
ゴブリンたちが入ってきてから、あまり時間も経っていない。だから、今でもまだ試行錯誤の毎日ではあるのだけど。
それでも、以前のようにどこか一線を引いて独力でがんばろうとするのではなく、使用人たちの先頭に立って走っていく姿の方が、咲夜には似合っている。
美鈴は、そう思っていた。
「ありがとう美鈴。ふふ、でも、いつまでも美鈴に世話を焼かれてるわけには行かないわよね。私はもっと完璧になって、この称号に恥じないメイド長になる」
咲夜は美鈴に感謝しながらも、強い意志をもってそう言った。
美鈴の助けがなくても、かっこよく瀟洒に館内の雑務を取り仕切る。みんなに頼りにされるようなメイド長に。
「すばらしいです。咲夜さん」
美鈴はそう言って、目を細める。かつて娘同然に育てた少女が成長していくのは、とてもうれしいことだ。
「……でも」
だけど。
「……もう少しだけ、私が世話を焼かせてもらえる咲夜さんでいて欲しい。そう思ってしまうのは、私のわがままでしょうかね」
だけど、それは同時に、寂しいことでもある。
「あ……」
咲夜は、昼間のことを思い出す。
自分の子守唄にみんなが聞き入ってくれたこと。
かわいい部下たちのことを思うと、いくらでも頑張れそうな気持ちになったこと。
世話を焼こうとするときに、幸せな気持ちになったこと。
そして。
――……美鈴も、こんな気分だったのかなぁ
そんな自分に、美鈴を重ねていたこと。
――確かに、世話を焼かせてもらえなくなるのは、寂しいことなのかもしれない。
だけど、咲夜は言う。
「その気持ち、私もわかる気がする。でもね美鈴。私はそれでも完璧な私を目指すわ」
だってそれが、自分を育ててくれた美鈴へ報いることでもあり。
何より、自分の憧れた女性を――紅美鈴を超えていくことこそが、自分の目指した夢であるから。
「そうですか」
美鈴はそう、優しく返事をした。
きっと、いつか咲夜はやりとげるだろう。
アユのサンドイッチのように、失敗を臆せず新しい挑戦をし続け、
鶏肉と春雨のスープのように、過去を綺麗に記憶して、
イチゴのショートケーキのように、全てに愛情を注げるようになった彼女ならば。
そう確信して、美鈴は寂しさを振り切った笑顔を見せる。
「美鈴……」
でもその笑顔を見ると、咲夜はどうしても切ない気持ちになって。
咲夜はそっと、美鈴の胸にその身を預けた。
「わっ、咲夜さん?」
そのまま、二人してぽふんとベッドに倒れる。
「でもね美鈴。私はまだまだドジなメイド長なの」
決意だけは一人前でも、まだまだ自分の理想は遠い。
「咲夜さん……」
「言ったじゃない。今日は、子ども扱いしてもらいたい気分なの」
だから、理想に届くそのときまでは、もうちょっと甘えてても、いいよね、と。
「ねえ、めーりん。子守唄、歌ってよ」
「もちろんですよ。かわいい……咲夜ちゃん」
そこだけ、まるで昔に戻ったかのように。
美鈴は咲夜の頭をひざに乗せ、さらさらと撫でながら歌い始めた。
~~♪
白い花のちる黒い道に
かわいいおさげの女の子
青いダンスを踊るよ踊る
暖かいスープはいかが?
赤い花の咲く黒い道に
かわいいおさげの女の子
黄色いダンスを踊るよ踊る
踊りつかれちゃったかな?
さあ
わたしのおひざのその上で
リボンをだいてお眠りなさい
おそらが紅く笑うから
銀をまわしてお眠りなさい
わたしといっしょに、お眠りなさい
~~♪
咲夜が目を覚ましたのは、いつもの自分の部屋のベッドの上だった。
見慣れた天井に、咲夜はぱちくりとまばたきする。
「ん……あれ」
懐かしい音色が、まだ耳に残っている。
きっと、夢なんかじゃない。
咲夜は時間を確認する。幸い、慌てるような時間ではなかった。
起き上がって身支度をしていると、机の上に見慣れない二つ折りの紙切れが置いてあるのを見つけた。
「何かしら、これ」
そうして咲夜がその紙を開いて見てみると、瞬間にぽっとその顔が朱に染まった。
「……まったく、もう」
咲夜は紙を放り、ぱんぱんと頬を張って気合を入れなおす。
「うしっ、今日も頑張るわよ!」
今日も彼女の一日が始まる。
その身の称号に恥じぬよう、その心が抱く憧れに近づけるよう。
そう意気込む彼女の背中を見ながら、机の上の紙片が、うれしそうに揺れていた。
『またお会いしましょうね。わたしのかわいい咲夜ちゃん
~あなたのお母さんより』
~あなたのお母さんより』
鈴奈庵を読んで咲夜さんは言うほど完全瀟洒では無いんじゃないかなとか思っていた俺にとってこれは実に素晴らしい咲夜さんでした
そんな彼女を優しく包んでくれる美鈴も素敵でした