1.
買い物のついでに一膳めし屋に入ると、隣の席でこんな話をしている。
「どうも我々は飲み過ぎるようだ」
「然り」
「何事も節制を旨とせねばならん。僕はお酒を飲むのをやめようと思う」
「そんなら僕もやめた。しかし、やめたと言ってみても、どうにもすっきりしないものだね」
「飲むのをやめるという消極的行為を、積極的なものにしなくてはならん」
「どうやって」
「ようは、お酒を飲むべき環境に於いて、あえて飲まないという事をすればいい。居酒屋に行ってつまみを食って、炭酸水だけで済まして帰って来ようではないか」
たちまちもう一人が賛成して、揃って席を立ちかけた。ところに娘が定食を運んで来る。いや、別の店に行くから要らないのだと言っても、店の方は作ってしまったから了承しない。客の方も一口も箸を付けていないのだからお金を払う気はない。そうして互いに喧々と言い合って、次第に場が物騒になって来た。
そうした悶着を横目に、霊夢は塩をかけた木の芽の天婦羅を食い、葱の浮いた味噌汁を飲んで店を出た。
秋がすっかり深まって、里も何処か賑わっているように思われた。昼下がりの日差しは柔らかく、眠気を誘った。果物屋の品ぞろえも変わって来ているらしい、柿や栗、葡萄、アケビ、梨などが軒先の台にごろごろとひしめいている。
甘味処の前で、「新米のお餅だよー」と客引きをしていた。店の奥で餅が焼かれていて、それに甘く煮た小豆をかけて食うらしい。
さっきご飯を済ましたばかりだけれども、霊夢だって女の子である。甘いものを見ればもちろん食べたい。瞬き一つ分程度の逡巡を後に置いて、霊夢は甘味処の暖簾をくぐった。
2.
縁側でぽかぽか日向ぼっこをしていると、魔理沙がやって来て隣に座った。互いに何も言わない。魔理沙がちらと霊夢の方を見た。しかし霊夢は半分眠ったような目をして、ぼうと宙空の一点を見ていた。見ているというよりは、ただ目をやっているだけで、見ているのかは怪しい。
そのうち魔理沙は座敷に上がって、勝手知ったるとばかりにお茶を淹れて戻って来た。霊夢はやっぱりぼうとしている。魔理沙はお茶を飲んで、ちょっと考えてから霊夢の頬をつつき出した。ぷにぷにしている。触り心地が良いのか、魔理沙は面白そうな顔で頬をつつく。
ぐいと指で押されたような拍子にこてんと縁側に転がった。風景が横になった。魔理沙が「おい大丈夫か」等と言っている。しかし霊夢はとろとろと夢の中に沈んで行った。
3.
冬支度を始めなくてはいけないので、服も新しいものを作ろうと香霖堂に行った。霖之助はくしゃみを我慢するような顔をして番台の向こうに膨れていた。
服を作ってほしいと頼むと、霖之助は露骨に嫌な顔をしたが、断れないらしい、大儀そうに腰を上げて、巻き尺を持って来た。そうして霊夢の腰やら肩やら胸やらの寸法を取るのだが、一度取り終えてからはてと首を傾げて、今度は霊夢の服をまくり上げてもう一度寸法を取った。そうしてやっぱり変な顔をしたが、諦めたように「うん」と言った。
「どうして計り直したの、霖之助さん」
「いや、成長期だからね」
「わたし?」
「そう」
「何か変だった?」
「変というわけじゃないけどね」
「そうなの?」
「何だかふっくらしたような感じがするよ」
冬支度かなアハハハと冗談めかして笑う霖之助に手刀を食らわして、霊夢は香霖堂を後にした。こんな脇をむき出しにした服を作るような霖之助は、やっぱり何処か変だと思った。きっと他の妖怪と同じように、長く生きている分、ちょっと頭が可笑しくなるのだろう思い、何故だか悲しかった。
いつものように飛んで帰ろうと思ったが、ふと思い立って腹をつまんでみた。
歩いて帰る事にした。
4.
さっきから魔理沙が抱き付いている。座っている霊夢の正面から、腰に手を回して、腹に顔をうずめるようにしている。両足は後ろに投げ出したままで、うつ伏せに霊夢の腹に突っ込んでいるような格好である。
秋とはいえ、こうやって抱き付かれていると、暑い。魔理沙の吐息が服越しに腹に当たるのも不快である。
しかし魔理沙はそんな事は気にも留めずに、長い事抱き付いている。「霊夢はもちもちしてるな」等と言う。事に依ると抱き付くのが面白いのかも知れない。しかし人を捕まえておいてもちもちしているとは失礼である。こと最近はそれが気にかかっているのだから、余計に霊夢の神経を逆なでた。逆襲だと霊夢は魔理沙の髪の毛をくしゃくしゃに揉み上げたが、魔理沙は笑うばかりである。笑った時の吐息が腹にくすぐったい。
いよいよ埒が明かないので、同じ目に合わせてやろうと魔理沙の上から覆いかぶさるように抱き付いた。手が魔理沙の脇腹に回ったらしい、魔理沙はにゃあと変な声を出して、身をよじって逃げようとした。
しかし霊夢の方は逃がすつもりはない、魔理沙が腕を離した隙に腰を引いて、そのまま完全に魔理沙の上に乗っかった。つまむ腹が、ちっとも余らないのが余計に癪に障った。
魔理沙は「重い重い」とけらけら笑いながら転がった。だから霊夢も一緒に転がる。
もつれた合ったままの二人は卓袱台をひっくり返し、襖を倒し、障子紙を蹴破って、散々暴れ回ってから止まった。すでに抱き合ってはいない。二人は銘々に仰向けで荒い息を整えていたが、やがてどちらも寝息に変わった。
5.
早苗がおはぎを持って遊びにやって来た。秋彼岸はとうに終わったけれど、いつ食べたっておはぎは美味しいのだから、霊夢は喜んで早苗を迎え入れて、お茶を淹れた。
早苗は風呂敷包みを広げて、おはぎの入った重箱を卓袱台に置きながら、霊夢をしげしげと見た。「霊夢さん、ふっくらしましたね」と言う。
「何だかそんな霊夢さんも可愛いです」
「嫌味言ってんの、あんた」
霊夢が仏頂面で言うと、早苗は慌てたように「いえいえ」と言った。
ここの所ふっくらして来ているのが悩みだと霊夢がこぼすと、早苗は首を傾げて体重を尋ねて来た。答えると、早苗は「なんだ、わたしより軽いじゃないですか」と言った。歳は殆ど同じであるが、早苗の方が背も高かいし、肉付きもよい。外界と幻想郷の栄養事情が見て取れる気がした。
「秋は食べ物も美味しいですし、あんまり気にしない方がいいですよ」
けらけらとあくまで無邪気に笑う早苗に、霊夢は眉を吊り上げた。
「あんたが重いのはこれのせいでしょ!」
と、霊夢は早苗の胸をわしづかみにした。早苗は「にゃーっ!」と妙な悲鳴を上げて、頭からぽっぽこ湯気を噴いた。
6.
「わたしは痩せる事にするわ」
「へえ」
「だから食べるのをやめようと思うの」
「そうか」
「でもね、そう宣言しただけじゃすっきりしないから」
「どうするんだ」
「宴会を開こうと思うの」
「何のために」
「食べるのをやめるという消極的行為を積極的にする為にね」
「?」
「だから、宴会を開いて、けどわたしだけ食べない事にすれば、積極的に食べるのをやめた事になるでしょ」
「そいつは面白そうだな。よし、わたしに任せとけ。ありったけの秋の味覚を集めよう」
「……ほどほどにしてくれない?」
「断る」
7.
博麗神社は賑わっていた。参拝客が来たのではない、宴会が催されるから大勢集まっただけである。その大勢も殆どが妖怪で、残りは妖怪のような人間であった。
魔理沙の肝煎りで、秋の味覚を存分に集めようという趣向であるから、秋神の姉妹が呼び出されて、色々と旨いものを作った。
茸と鶏肉を新米と一緒に炊き込んだ。芋を何種類も一緒に煮込んで汁にした。網に乗った岩魚と秋刀魚が脂を落として、焼けた炭がじゅうじゅう音を立てた。煙と湯気がもうもうと辺りに漂って、そこに提燈の明かりが照り返していた。良い匂いがする。
岩魚と秋刀魚の焼き上がったのに青い蜜柑の汁を絞って、熱いうちにふうふう言いながら食う。芋煮には雉肉が入っていて、その出汁が旨い。酒もご飯も進む。夢中になって食っていると、夏も終わったのに額に汗をかくようであった。
特別、普段ご馳走を食う機会もない連中は、この山海の珍味に喜んで舌鼓を打った。食欲の秋は偉大だねと誰かが言った。秋神姉妹を見直す声も出た。
そんな光景を横目に、霊夢は食わない。生唾を呑み込むようにして、口寂しさを紛らわすために無暗に水ばかり飲んだ。腹がちゃぷちゃぷする。積極的行為というものはこうも苦しいものであったかと思う。
気が付くと幽香が隣に居て、面白そうな顔をして見ていた。
「何よ」
「目立たないと思ったら、どうしたのこんな所で」
「余計なお世話よ」
「痩せるんですって、この子」
反対側に紫が現れて、言った。やっぱり面白そうな顔をしている。
「痩せる? 十分細っこいのに」
「年頃だものね、色々小さなことが気になるんでしょう」
「そういえば人間だものね、一応」
「でも霊夢が重力に負けるようになったら、ちょっと詰まらないわねえ」
「どれどれ」
と言って幽香が霊夢の腹を揉む。
「気にするほど出てないわよ」
「触り心地がよさそうね、わたしにも触らして」
そう言って今度は紫がへその辺りを撫でる。幽香は霊夢の腰に手を回して、脇腹の辺りをつまむ。くすぐったいので、「やめいっ」と振り解こうとしたけれど、妖怪二匹は流石に力が強いらしい、抑え込まれて揉みくちゃにされた。
「柔らかいのね、霊夢って」
「お腹だけじゃないわね、ほっぺたもぷにぷに」
「やめろっつってんでしょ!」
じたじたと暴れていると、「あらあら」と言いながら幽々子がやって来た。
「楽しそうね、二人とも」
「幽々子も触る? 柔らかくてすべすべしてて、とっても気持ちいいのよ」
「あらぁ、それはいいわねえ」
と言って、幽々子は霊夢を後ろから抱くようにして髪の毛に口元をうずめた。吐息がかかってくすぐったいので、霊夢は身をよじる。しかし動けない。幽々子は霊夢の頬をつまんでご満悦である。
「可愛いのね、霊夢って」
「ね、柔らかいわよね」
「いい加減にしなさいよぉ、あんたたち……」
「ふふ、怒った顔も可愛い」
「嗜虐欲を掻き立てられるわねぇ」
「良い匂いがするわ、抱いて寝たいくらい」
妖怪三匹は酒の匂いがした。腹が減って力が出ないし、抵抗するのも無駄だと思われたので、霊夢はされるがままに撫でられたり揉まれたり。
秋の味覚は味わえないし、酔っ払いに絡まれるし、積極的行為というのはみじめなものだなあ、と霊夢は思った。
向こうの方で秋神姉妹が「信仰が! 信仰が増えてる!」と嬉しそうに悲鳴を上げている。
8.
痩せていない。
9.
買い物のついでに茶屋でお茶だけすすっていると、隣の席でこんな話をしている。
「俺は断固として倹約する事に決めた。もう何も買わない。必要なものも何も買わない」
「そんな事を言って君、必要なものがなければ困るだろう」
「困っても買わない」
「馬鹿言ってら。じゃあ米も味噌も醤油も買わないというのだね」
「米も味噌も醤油も買わない」
「なくなったらどうする」
「なくなっても買わない。そういう必要なものを買っていては倹約にならない。無駄遣いなぞ知れたものだ、是非必要だというものが俺たちを貧乏にする。倹約というのは必要なものを買わない事だよ、貴君」
「しかし君、そう言って今団子を食っているじゃないか」
「これを食い納めにして、決意を新たにするのさ」
そう言って団子を一口で頬張って豪快に茶を飲んだところ、器官に入ったらしい、むせ返って、食い納めの団子が口から飛び出して地面に転がった。
10.
座布団を顔の下にしてうつ伏せに伸びていると、誰か縁側から上がって来たらしい、ぱたぱたと足音がして、次いで魔理沙の声がした。「霊夢、死んだのか!」と言って近づいて来て、ゆさゆさと体を揺さぶるものだから、霊夢は大儀そうに寝返りを打って「やめて」と言った。
「死んだかと思ったぜ」
「嘘おっしゃい」
「嘘じゃないぜ、ここんとこ霊夢が朝昼晩まで何も食べてないって聞いたんだ」
「へえ」
「本当なのか?」
「うん。だって食べなきゃいけないものを食べてちゃ、痩せられないでしょ」
痩せる事を決意してからは、毎日三食の他は食っていなかったが、一向に痩せないのでその三食も抜き出したのがここ数日の出来事である。
やる事が極端だと非難めいた事を言う魔理沙に、霊夢は「何よ、あんたは痩せてるくせに」と掴みかかったが、腹が減っているからふにゃふにゃして、簡単に魔理沙にひっくり返されてしまった。
「弱い霊夢ってのも新鮮だな」
「ぐう」
霊夢はぱたんと再びうつ伏せになった。
「おい霊夢、痩せたいのも分かるけど、それで飢え死にしちゃ世話ないぜ」
「……魔理沙の癖にまともな事言わないでよ」
「お前はわたしを何だと思ってるんだよ」
腹がうきゅるるると鳴いた。霊夢は寝返って天井を見た。焦点が合わず、木目がゆらゆらと揺れているようであった。
「……お腹減った」
「やれやれ」
魔理沙が足早に台所に向かう姿が見えた。
11.
買い物のついでに一膳めし屋に入ると、隣の席でこんな話をしている。
「それで、結局君も元の通りか」
「駄目だった。翌日の夜にはもう飲んでいたよ」
「第一、居酒屋から出た所でもう物足りなかったものな」
「結局我々には無茶な事だったというわけか」
「止むを得ないね」
「うん」
「人間、性に合わん事をしてはならんという教訓だね」
「それが分かった所でどうだろう、君これから居酒屋に行かないか」
たちまちもう一人が賛成して、揃って席を立ちかけた。ところに娘が定食を運んで来る。いや、別の店に行くから要らないのだと言っても、店の方は作ってしまったから了承しない。客の方も一口も箸を付けていないのだからお金を払う気はない。そうして互いに喧々と言い合って、次第に場が物騒になって来た。
そんな騒動を横目に、霊夢は秋茄子の焼いたやつを食い、どろどろした自然薯の汁を飲んだ。そうして少し逡巡した挙句、手を上げて言った。
「おじさん、日替わりもうひとつ。ご飯大盛りで」
女の子の痩せなきゃらは男には一生分からない境地
歩こうぜ霊夢。
断食はマズいけど定食おかわりも相当マズいぜ。
ところでこーりんはちょっと表出ようか?
第八章の破壊力が凄かったですw
>痩せていない。
たった一文にこの破壊力。
作品集200の中でも文句無しにトップの面白さ。お腹が減りましたあああ!
この音の鳴る腹でどうやって夜食を回避するか?
3択-一つだけ選びなさい
答え①ハンサムの読者は突如素晴らしい料理のレシピがひらめく
答え②友人がきて夜食を作ってくれる
答え③夜食を食べざるを得ない。
現実は非情である…。 /(^o^)\
夕食をとった後で良かった……。
そういえば幻想郷に秋刀魚はいないと思いますが……。
肥ゆる霊夢はもちろん、通い妻というか乙女な魔理沙が素晴らしいです
この二人がじゃれているシーンはもうグレイトォ!!としか言いようがありません
素敵な空気を堪能させていただきました
人外だったり鬼巫女だったりする霊夢ですが、
この作品の霊夢は、まさに「普通の少女」といった感じですね。
作品全体からただよう空気も素敵です。
とても丁寧な文章で楽しめました