暑さが寒さに変わり行こうかという時節、寅丸星は自室で書き物に励んでいた。
「しょーおー」
そんな中、背後でふすまのするすると開く音と共に、邪魔者が進入してくる気配がする。
「なんですか村紗ぁ?」
「みなみつ!」
名前を呼んで振り返ると、その瞬間に鼻先に指を突きつけられた。
この舟幽霊、星が名前で呼んでくれないとヘソを曲げるのである。
「すみません水蜜。それで、今私仕事中なんですが」
「もう、仕事と私、どっちが大事なのですか!?」
「仕事です」
「あうー、いけずですー」
心を鬼にして撥ね付ける星に、水蜜はさめざめと泣く。
「少しくらいいいじゃないですか。今、トラマルニウムが不足しているのですよ」
「なにそれ」
「私と星がちゅっちゅすることにより生成される成分です」
「枯渇してなさい」
再びすげなくあしらわれる水蜜だが、しかし今度も負けずに星にまとわりつく。
「ねぇ、舌のさきっちょだけでいいですから」
「どういう妥協点ですか! せめてほっぺたとかで妥協してくださいよ!」
「じゃあほっぺで」
「応じるとは言ってない!」
そして、幾度かの攻防の後。
「じゃあ邪魔にならないところにします」
「邪魔にならないところってひゃうっ!?」
「足裏にちゅー」
「こらあああああああああああ!」
どごす、と、今日も打撃音が命蓮寺に響き渡った。
村紗水蜜は変態である。
常日頃から変態じみているわけではないが、ことに星に絡むときはどうしようもなく変態になるのだ。
もちろん。愛ゆえに、であるが。
「ふえーん、星がツン期です」
「……何があったのよ?」
水蜜がしょげているのを、一輪が見かけて声をかけた。
「また星を怒らせたの?」
こくりと水蜜は頷く。
「ええ、仕事中に邪魔をしたら怒られたので、ひざまづいて足にキスをしたんですけど」
「えっ」
「そしたらほっぺたに一発熱いご褒美をもらってしまいまして」
「えっ」
「むぅ、マッチがない」
本堂にて蝋燭を灯そうとした星だが、いつの間にかマッチが切れていた。
「どこかに火はないでしょうかねぇ」
「私の心はいつも熱く燃えていますよ。情欲で」
「だからなんなんですか」
いつの間にか背後に立っている舟幽霊に、星は驚くこともなくツッコミを入れる。
「ううっ、こんなにも星が求めてくれているのに、どうして私の体からは生ぬるい液体しか出ないのでしょう……」
「私が求めてるのは火だからな!? 水が出るのは舟幽霊だからな!?」
そんなやり取りの中、颯爽と登場する影が。
「混沌とした本堂に、秦こころが!」
ひょっとこの面をかぶりながら、無表情で決めポーズをして秦こころが現れた。
「こころさんじゃないですか。あなた火とか出せません?」
「ふっふっふ、何を隠そうひょっとこは火男と書くんだよ。まぁ火が出るのは獅子面なんだけどな」
「火男の意味は!?」
星のツッコミを受けながらも、こころは獅子面から控えめの炎を噴射して蝋燭に点火した。
「ありがとう、こころさん」
「なぁに、いいってことよ。秦こころはクールに去るぜ」
などと言いながら、こころは手を振ってその場を辞した。
「とりあえず助かりましたね。……何やってるんです、水蜜?」
「この嫉妬の炎、具現化できないものか……! ダメだ嫉妬の汁しか出ないっ!」
「変なもん出すな!」
「ふぅ、さきほどはつい興奮しすぎてビショビショになってしまいましたが」
今やすっかりと落ち着いて聖女タイム。
「こころさんを見てピーンと来てしまいましたよ。どこがとは申し上げませんが」
星が一緒だったら何らかのツッコミが飛んでくる場面だが、しかし今水蜜は一人。
彼女は秦こころを尋ねてきたのだ。
「こころさんいらっしゃいます?」
「いらっしゃるよ?」
部屋の中からこころが出迎えてくれた。
「こころさんのお面っていろんな感情があるんですね。欲情の面とかありませんか?」
直球だった。
「あるよー」
あった。
「貸してくれませんか? アメちゃんあげますから」
もので釣った。
「いいよー」
ちょろかった。
こうして、水蜜は欲情の面を手に入れた。
「あ、これ取説ね」
「取説」
深夜。
水蜜は面を握り締めて、星の枕元に立っていた。
こころの面は、感情を強力に操る力がある。
これを星にかぶせてしまえば、きっと存分にトラマルニウムを補充することが出来るだろう。
取説を読んだから、使い方もばっちりだ。
「うう……どきどき、はぁはぁ……」
水蜜は興奮していた。もう少しで、自分は本懐を遂げることが出来る。
だが。
「や、やっぱりダメです……」
怖気づいた。というのだろうか。いや、違う。
「やっぱりこんなの、間違ってますよね……」
星はいつだったか、たとえ変態でもいつもの水蜜がいいと言ってくれた。
星の感情を操って思いを遂げるなど、自分が星を裏切るような真似をしてはいけないと。
「ごめんなさい星。ひと時でもよこしまな想いを抱いた私を許して……あっ、ヤバ」
水蜜は欲情の面を取り落とした。
そしてそれは星の頭の辺りにぽてっと落ちる。
「うわぁやばいやばい!」
慌てて水蜜はそのお面を除去した。
「三秒ルール的には、大丈夫ですよ……ね?」
などと言いながら覗き込む水蜜に、突如布団の中から手が伸びる。
「ふわっ!?」
それは水蜜の腕をつかむと、ものすごい力で布団の中に引き入れた。
「えっ、あっ、その、しょ、星……?」
「にゅふー……♪」
水蜜の目の前には、蕩けたように微笑む星の顔があった。
普段は決して見せないその表情に、水蜜の鼓動が早鐘を打つ。
「あ、しょ、星、私……まだそのっ!」
ぎゅー
「んい?」
「ごろごろごろごろ♪」
星はまだ寝ていた。完全に夢心地の中で行動しているようだった。
そうして、水蜜をぎゅっと抱きしめると、甘えるように頬ずりする。
「うわっ……ふふ、そっか。ちょっとだけ、効いちゃったんですね」
水蜜も、そっと星を抱き返した。
とても暖かい。欲情するどころか、安らいでしまうような、そんな包み込むような感触。
それはかつて、聖の元へ初めてやってきたころ。
色々と世話を焼いてくれた優しい虎の妖怪に感じた、包容力そのものだった。
「……これくらいは、いいです、よね」
そうして水蜜も、甘えるように体をあずける。
ああ、きっと自分は甘えたかったんだ。ただ、こうして星に優しく抱かれていたかったんだ。
そう、思う。
「んにゅ……ふふ、みーなみつ♪」
「えっ」
明らかに寝言のイントネーションながら、不意に名前を呼ばれて、水蜜はびくりと震える。
星の顔を注視すると、微笑みながら、その唇をやわらかく動かした。
「大好きですよー♪」
「……っ!」
きっと、この夜を生涯忘れない。
ただ幸せに酔いしれた、この心地よい秋の夜のことを。
翌朝、水蜜が「まぁた布団にもぐりこんでー!」と星にぶっとばされたことは言うまでもない。
「しょーおー」
そんな中、背後でふすまのするすると開く音と共に、邪魔者が進入してくる気配がする。
「なんですか村紗ぁ?」
「みなみつ!」
名前を呼んで振り返ると、その瞬間に鼻先に指を突きつけられた。
この舟幽霊、星が名前で呼んでくれないとヘソを曲げるのである。
「すみません水蜜。それで、今私仕事中なんですが」
「もう、仕事と私、どっちが大事なのですか!?」
「仕事です」
「あうー、いけずですー」
心を鬼にして撥ね付ける星に、水蜜はさめざめと泣く。
「少しくらいいいじゃないですか。今、トラマルニウムが不足しているのですよ」
「なにそれ」
「私と星がちゅっちゅすることにより生成される成分です」
「枯渇してなさい」
再びすげなくあしらわれる水蜜だが、しかし今度も負けずに星にまとわりつく。
「ねぇ、舌のさきっちょだけでいいですから」
「どういう妥協点ですか! せめてほっぺたとかで妥協してくださいよ!」
「じゃあほっぺで」
「応じるとは言ってない!」
そして、幾度かの攻防の後。
「じゃあ邪魔にならないところにします」
「邪魔にならないところってひゃうっ!?」
「足裏にちゅー」
「こらあああああああああああ!」
どごす、と、今日も打撃音が命蓮寺に響き渡った。
『みなみつ!~欲情編~』
村紗水蜜は変態である。
常日頃から変態じみているわけではないが、ことに星に絡むときはどうしようもなく変態になるのだ。
もちろん。愛ゆえに、であるが。
「ふえーん、星がツン期です」
「……何があったのよ?」
水蜜がしょげているのを、一輪が見かけて声をかけた。
「また星を怒らせたの?」
こくりと水蜜は頷く。
「ええ、仕事中に邪魔をしたら怒られたので、ひざまづいて足にキスをしたんですけど」
「えっ」
「そしたらほっぺたに一発熱いご褒美をもらってしまいまして」
「えっ」
「むぅ、マッチがない」
本堂にて蝋燭を灯そうとした星だが、いつの間にかマッチが切れていた。
「どこかに火はないでしょうかねぇ」
「私の心はいつも熱く燃えていますよ。情欲で」
「だからなんなんですか」
いつの間にか背後に立っている舟幽霊に、星は驚くこともなくツッコミを入れる。
「ううっ、こんなにも星が求めてくれているのに、どうして私の体からは生ぬるい液体しか出ないのでしょう……」
「私が求めてるのは火だからな!? 水が出るのは舟幽霊だからな!?」
そんなやり取りの中、颯爽と登場する影が。
「混沌とした本堂に、秦こころが!」
ひょっとこの面をかぶりながら、無表情で決めポーズをして秦こころが現れた。
「こころさんじゃないですか。あなた火とか出せません?」
「ふっふっふ、何を隠そうひょっとこは火男と書くんだよ。まぁ火が出るのは獅子面なんだけどな」
「火男の意味は!?」
星のツッコミを受けながらも、こころは獅子面から控えめの炎を噴射して蝋燭に点火した。
「ありがとう、こころさん」
「なぁに、いいってことよ。秦こころはクールに去るぜ」
などと言いながら、こころは手を振ってその場を辞した。
「とりあえず助かりましたね。……何やってるんです、水蜜?」
「この嫉妬の炎、具現化できないものか……! ダメだ嫉妬の汁しか出ないっ!」
「変なもん出すな!」
「ふぅ、さきほどはつい興奮しすぎてビショビショになってしまいましたが」
今やすっかりと落ち着いて聖女タイム。
「こころさんを見てピーンと来てしまいましたよ。どこがとは申し上げませんが」
星が一緒だったら何らかのツッコミが飛んでくる場面だが、しかし今水蜜は一人。
彼女は秦こころを尋ねてきたのだ。
「こころさんいらっしゃいます?」
「いらっしゃるよ?」
部屋の中からこころが出迎えてくれた。
「こころさんのお面っていろんな感情があるんですね。欲情の面とかありませんか?」
直球だった。
「あるよー」
あった。
「貸してくれませんか? アメちゃんあげますから」
もので釣った。
「いいよー」
ちょろかった。
こうして、水蜜は欲情の面を手に入れた。
「あ、これ取説ね」
「取説」
深夜。
水蜜は面を握り締めて、星の枕元に立っていた。
こころの面は、感情を強力に操る力がある。
これを星にかぶせてしまえば、きっと存分にトラマルニウムを補充することが出来るだろう。
取説を読んだから、使い方もばっちりだ。
「うう……どきどき、はぁはぁ……」
水蜜は興奮していた。もう少しで、自分は本懐を遂げることが出来る。
だが。
「や、やっぱりダメです……」
怖気づいた。というのだろうか。いや、違う。
「やっぱりこんなの、間違ってますよね……」
星はいつだったか、たとえ変態でもいつもの水蜜がいいと言ってくれた。
星の感情を操って思いを遂げるなど、自分が星を裏切るような真似をしてはいけないと。
「ごめんなさい星。ひと時でもよこしまな想いを抱いた私を許して……あっ、ヤバ」
水蜜は欲情の面を取り落とした。
そしてそれは星の頭の辺りにぽてっと落ちる。
「うわぁやばいやばい!」
慌てて水蜜はそのお面を除去した。
「三秒ルール的には、大丈夫ですよ……ね?」
などと言いながら覗き込む水蜜に、突如布団の中から手が伸びる。
「ふわっ!?」
それは水蜜の腕をつかむと、ものすごい力で布団の中に引き入れた。
「えっ、あっ、その、しょ、星……?」
「にゅふー……♪」
水蜜の目の前には、蕩けたように微笑む星の顔があった。
普段は決して見せないその表情に、水蜜の鼓動が早鐘を打つ。
「あ、しょ、星、私……まだそのっ!」
ぎゅー
「んい?」
「ごろごろごろごろ♪」
星はまだ寝ていた。完全に夢心地の中で行動しているようだった。
そうして、水蜜をぎゅっと抱きしめると、甘えるように頬ずりする。
「うわっ……ふふ、そっか。ちょっとだけ、効いちゃったんですね」
水蜜も、そっと星を抱き返した。
とても暖かい。欲情するどころか、安らいでしまうような、そんな包み込むような感触。
それはかつて、聖の元へ初めてやってきたころ。
色々と世話を焼いてくれた優しい虎の妖怪に感じた、包容力そのものだった。
「……これくらいは、いいです、よね」
そうして水蜜も、甘えるように体をあずける。
ああ、きっと自分は甘えたかったんだ。ただ、こうして星に優しく抱かれていたかったんだ。
そう、思う。
「んにゅ……ふふ、みーなみつ♪」
「えっ」
明らかに寝言のイントネーションながら、不意に名前を呼ばれて、水蜜はびくりと震える。
星の顔を注視すると、微笑みながら、その唇をやわらかく動かした。
「大好きですよー♪」
「……っ!」
きっと、この夜を生涯忘れない。
ただ幸せに酔いしれた、この心地よい秋の夜のことを。
翌朝、水蜜が「まぁた布団にもぐりこんでー!」と星にぶっとばされたことは言うまでもない。
今回も面白かったです
絵が付くともっと魅力的な作品になりそうです。
この作品シリーズを読むのは初めてですが村紗×星は珍しいですねー。