月が綺麗である。
別に愛の告白とかではなく、普通に月を見ての感想だ。
そもそも、甘い言葉を囁ける相手など居はしない。ただ一人縁側に座り、月を望んで杯をあおる。
「……ふぅ」
別に、満月というわけでもない。
十八夜の居待月。
微妙に欠けたその歪な姿が好きだ。
完璧なものよりも、どこか不完全なものの方が、美しく見えはしないだろうか。
それに、その姿を持って彼らを見上げてやるのも、なかなか皮肉が利いていて面白いじゃないかと思う。
かつてそれを輝夜に漏らしてみたことがあるが、
『あなたにしてはつまらないことを考えるわね』
などと言われてしまった。
まったく、私は常に高尚なことを考えていなければならない義務でも負わされているのだろうか。
月の頭脳と呼ばれる私の頭も、たまには下世話なことを考えたいときもあるのだ。
「ん?」
ふと足元に気配を感じて視線を落とす。
するとそこにぱかっと穴が開き、兎のようなシルエットの人物が顔をのぞかせた。
「あら、てゐの落とし穴にでも引っかかったのかしら?」
「そう見えるかい?」
「ええ、割と」
真顔で放った私のジョークに苦笑しながら、その人物は穴からその全容をあらわした。
もちろんそれは兎などではなく、髪型が若干兎……というか狐に似ているだけの聖人。
豊聡耳神子だった。
「兎の落とし穴に引っかかる、と思われるようでは、多少心外だな」
「ご心配なく。ジョークですわ」
「なんだジョークか」
そうして彼女はにっと笑った。
あの穴のようなものは、彼女が仙術で作り出した異空間のようなものだろう。
方向感覚を狂わす迷いの竹林とはいえ、直接空間を繋がれてしまえばどうしようもないものだ。
それにしても、珍しい客である。
「して、何用です?」
「別に大したことはない。この間、うちの部下が世話になったからな。謝礼を持ってきただけの話」
言われて、この間の出来事を思い出す。
そうそう、物部布都が藤原妹紅に炎対決を挑んで色々と残念なことになり、布都が妹紅に担がれて永遠亭に運び込まれ、自分が治療したのだった。
まぁ、自分としては尸解仙を弄る機会があるとは、なかなか稀有な体験をしたと思っていたが。
そういえば藤原氏の開祖は中臣鎌足。中臣氏といえば物部氏とともに蘇我氏に対抗した血族だが、不思議な縁というべきか。
ああ、それを言うなら、妹紅の父親の正妻は確か蘇我氏出身の女性だった。彼女は正妻の子ではないだろうが、それでも本当に面白い縁といえる。
「……どうした? 八意殿」
「ああ失礼。ちょっと思索にふけっていたもので」
今まで生きてきた中で面白いこと上位に入ることだったので、ついつい考えすぎてしまった。これはあとでたっぷり考えよう。
「満月ではないが、月見酒をしゃれこんでいるというなら、贈り物には酒がよかろう。私が復活を待つ間についでに寝かせておいたという、結構ないわれの古酒だ」
神子はそうして、どこからか古めかしい壷を取り出す。
尸解仙になるついでに酒を寝かせておくとは、なかなか面白い人だ。
「あらまぁ、特段に変わったことはしていないのに、そのようなものをもらうわけにはいきません」
「ふむ」
そうして断ってみると、神子は少し思案して私の隣に腰を下ろした。
「では一緒に飲もう。それともお邪魔かな?」
「いえ、別に」
輝夜もイナバたちも伴につけていないが、それはまぁ一人でのんびりしたかったから。
それでも珍しい来客となら、話してみるのも悪くはない。
長く生きていると、こういうアクセントが非常に大事に思えてくる。
「ささ、まずは一献」
「いただきましょう」
今注いでいる酒を飲み干し、神子の酒を杯に受ける。
そうして、神子にも予備の杯を渡し、酒を注いでやる。
その後軽く杯をぶつけ、酒をあおる。
「……ほう、面白い味ですね」
「面白いってのも奇妙な言い回しだね」
「いえいえ、そんなつもりは。好きですよ。この味」
薬毒耐性の半端ないこの体ゆえ、どうせ酔えないからと安酒ばかり飲んでいたが。
安酒のように騒がしい味でもない。
とはいえ、月の酒のように研ぎ澄まされた濁りのない味でもない。
たとえるならば、空に浮かぶあの居待月。
端正な味わいの中にどこか歪さを持った、尸解仙どもと眠り続けた奇妙な酒。
私好みという感想に嘘偽りはない。
「ま、気に入ってもらえたなら何よりだ。いやぁ、私は贈り物をハズすことはあまりないのだが、実に緊張してしまうな」
神子は一口酒を飲むと、ほぅと息を吐き出した。
「何しろ、貴女の欲がまったく読めない」
確か、人の持つ十の欲を同時に聞き、その人となりを完全に把握する。その精度は近未来の予測すら可能にする。そういう能力だったはずだ。
しかしまぁこのとおり、私は死のない体であるし。心からの欲求に従って行動したことなど、あの『かぐや姫の夜』の後にはもはやなかった気がする。
「だからこそ、私は貴女に興味を持っていたし、今日は礼と称してこうして語らいにやってきたわけだ」
「本音が早いですね」
「心の内が読めないならば、こちらも腹の内を出していかなきゃあいけない」
なるほど。
確かに見る限り、飄々とした人となりの中に、狡猾な一面を隠し持っているような。そんな御仁である。
私も興味がないわけではないが、さて、この語らいの先に、笑顔があるのかどうか。
「それで、私と一体何を語らいたいというのですか」
「愛を」
「マジで?」
「ジョークです」
「……そうですか」
真顔でジョークをやり返されてしまった。なかなかやりおる。
素で聞き返しちゃったじゃないか、恥ずかしい。
「しかし、貴女も驚くことがあるんだね。少し安心したよ」
「私を一体なんだと思っているのです?」
輝夜といいこの神子といい、私の血の色を何色だと思っているんだろう。
ちゃんと赤いよ?
「いや失礼、八意殿。しかしわからないのだ。わからないからこそ、語らいたいのだよ」
くつくつと笑いながら、神子は問いかける。
何が好きなのか、大切にしているものは何か、料理は得意か、運動はできるのか、体を洗うときはどこから洗うか。
なんでそんなことを尋ねるのかと思うし、なんでそんなことを大して親しくもないこの聖人に教えなければいけないのかと思う。
だけど、なぜだろうか。
自分を語ることなどついぞなかったせいか、それとも神子の聞き出し方がうまいのか、ぽつぽつと答える羽目になっている。
ううむ、さすがは伝説の聞き上手といったところだろうか。なかなか話すのが面白くなってくるから困る。
まぁどうせ、大した回答などできはしないのだが。
「いや、愉快愉快」
神子はなぜか愉快そうに杯をあおる。
「何か私の話に面白いところでもありましたか?」
その様子に怪訝な表情をあらわにしながら、私も酒を飲む。
「いや、特に何もない。だがそれゆえに、貴女という人となりが見えてきた」
そうして、神子が私の杯に再び酒を注いだ。
空高く輝く居待月が、その杯に映りこむ。
「そうだ。貴女はこの居待月のような人だ」
自分の気に入っている月の名をここで出され、少し驚く。
「貴女は信じられないほど完璧だ。その完璧さゆえに、欠けてしまった人だ」
言ってくれる、と思う。
だが、反論ができない。
「まったく見えなかった貴女の欲も、やっとわかった」
私の欲だって?
私の欲など、私も知らない。
「あなたは、『欲』を欲しがっている」
――ああ、なるほどな。
欲などない。持っていない。
ないものねだりの原則に照らすに、それは欲を欲しているということになるのか。
「もう一つ言い換えるならば、情熱とでも言うべきか。貴女はもっと面白おかしく生きたいんだよ」
まったく、こんな小娘なんぞに、一本取られるとは思わなかった。
私は心中ほくそ笑みながら、そのようなことをおくびに出さず、とぼけて答える。
「そんなに堅苦しく、生きていたかしら」
「思い当たることはないかい?」
――『あなたにしてはつまらないことを考えるわね』
なんて、輝夜の言葉が思い起こされる。
確かに、周りからはだいぶ堅苦しく思われているようだ。
なんだ、もっと輝夜につまらないことを言ってみればいいのか? そりゃ私に突拍子のない下ネタでも言われたら、輝夜も死ぬほど驚くだろうが。
――ああ、割と見たいなそれ。
なんていう欲求が、どこからか頭をもたげてきてしまう。
「……で、それを自覚したところで、一体何をしろとおっしゃるの?」
さすがにそんな一発ネタがまずいのはわかる。これから先の人生も無意味に長いのに、こんなところでキャラを変えてしまうのはもったいないだろう。
「別に何をしろなどとはいえないさ。自覚する。それが一番大事なことだろう?」
「やれやれ、ここまで言っておいて、ひどい人ね」
――さて。
私は神子の杯に酒を注ぎながら、一つお返しをくれてやる。
「それが、あなたなりの不老不死への意趣返し?」
「……むぅ」
すると、神子は照れたように笑った。
「やはり完璧だね。貴女は」
神子は不老不死に憧れ、こうして尸解仙にまでなった。
そうして復活してみれば、不老不死に近い存在なんて結構ごろごろしているし、極め付けには、どこかで私たちのことを知ったんだろう。
元々月人とはいえ、薬一つで完璧な不老不死を実現した我々のことを。
十欲で全てを見極めるこの聖人の事。
どこかでウドンゲあたりとでもすれ違っていれば、私たちの情報を得ることなど造作もなかったろう。
だからこそ、こうして蓬莱の薬を作った私のところに、わざわざからかいにやってきたのだ。
「言っておくけど、完全な不老不死なんて、あなたが羨んでいるようなものじゃないわよ?」
「わかってるさ。だからこそ、貴女としっかり話をした。貴女に興味が湧いたという話自体は、決して嘘じゃあない」
神子は酒に口をつける。
「飲むだけで不老不死を実現させる薬を作るほどの頭脳の持ち主。私の能力の全てを尽くして、一泡でも吹かせられるかどうか! いや、実に楽しかった」
「……それはどうも。こちらとしても、久々に面白い来客でしたよ。太子殿」
そうして二人、笑顔を見せる。
まったく、よくぞ笑顔で終わらせることが出来たものである。
「しかし、あの月に我々の思っても見なかった世界があるのか」
神子は居待月を見上げながら、しみじみと酒を飲んでいる。
彼女は私をあの居待月に例えたが、その姿を見ていると、彼女こそ居待月にふさわしいのではないかと思えてくる。
聖人、神霊という神々しい存在でありながら、尸解仙という穢れをも孕んでいる。
完璧のようで、しかしそれを通り越し、どこか歪みをもった存在。
そう思うと、少し彼女が好ましく思えた。
自分と少し似ているようでいて、しかし全てを終わらせてきてしまった自分と違い、まだまだ輝かんばかりの欲を秘めている彼女が。
「ええ、でも。あなたにとってはつまらない世界かも」
「そうなのか?」
意外と、きょとんとした顔を向けてくる。
「ええ、月の都など、この杯の中に納まってしまうくらい、小さな世界ですよ」
そうして、自分の杯を突き出す。
そこには、先ほどのように居待月が小さく映っていた。
「ふむ、逆さに月が映るゆえに『さかづき』というんだったか?」
「ええ。あの世界にそんな風流はないもの」
きぃん、と再び杯をぶつけて、お互いに酒に浮かんだ居待月を飲み込む。
「腹の中に収めてみれば、どうということはないように見えるな」
「そうでしょう?」
言って、再び笑いあう。
欲を欲していると、彼女は私を評した。
別に私は今の自分が嫌いなわけではないし、姫の面倒を見ているだけで大抵の時間は潰れるのだが。
まぁ、多少面白みを追求してみるのも、また一興。
指し当たっては少し遠出でもしてみようか。神霊廟に押しかけてやるのも面白そうだ。
何せこの珍客と酒を酌み交わした居待月の夜が、こんなにも面白かったんだから。
別に愛の告白とかではなく、普通に月を見ての感想だ。
そもそも、甘い言葉を囁ける相手など居はしない。ただ一人縁側に座り、月を望んで杯をあおる。
「……ふぅ」
別に、満月というわけでもない。
十八夜の居待月。
微妙に欠けたその歪な姿が好きだ。
完璧なものよりも、どこか不完全なものの方が、美しく見えはしないだろうか。
それに、その姿を持って彼らを見上げてやるのも、なかなか皮肉が利いていて面白いじゃないかと思う。
かつてそれを輝夜に漏らしてみたことがあるが、
『あなたにしてはつまらないことを考えるわね』
などと言われてしまった。
まったく、私は常に高尚なことを考えていなければならない義務でも負わされているのだろうか。
月の頭脳と呼ばれる私の頭も、たまには下世話なことを考えたいときもあるのだ。
「ん?」
ふと足元に気配を感じて視線を落とす。
するとそこにぱかっと穴が開き、兎のようなシルエットの人物が顔をのぞかせた。
「あら、てゐの落とし穴にでも引っかかったのかしら?」
「そう見えるかい?」
「ええ、割と」
真顔で放った私のジョークに苦笑しながら、その人物は穴からその全容をあらわした。
もちろんそれは兎などではなく、髪型が若干兎……というか狐に似ているだけの聖人。
豊聡耳神子だった。
「兎の落とし穴に引っかかる、と思われるようでは、多少心外だな」
「ご心配なく。ジョークですわ」
「なんだジョークか」
そうして彼女はにっと笑った。
あの穴のようなものは、彼女が仙術で作り出した異空間のようなものだろう。
方向感覚を狂わす迷いの竹林とはいえ、直接空間を繋がれてしまえばどうしようもないものだ。
それにしても、珍しい客である。
「して、何用です?」
「別に大したことはない。この間、うちの部下が世話になったからな。謝礼を持ってきただけの話」
言われて、この間の出来事を思い出す。
そうそう、物部布都が藤原妹紅に炎対決を挑んで色々と残念なことになり、布都が妹紅に担がれて永遠亭に運び込まれ、自分が治療したのだった。
まぁ、自分としては尸解仙を弄る機会があるとは、なかなか稀有な体験をしたと思っていたが。
そういえば藤原氏の開祖は中臣鎌足。中臣氏といえば物部氏とともに蘇我氏に対抗した血族だが、不思議な縁というべきか。
ああ、それを言うなら、妹紅の父親の正妻は確か蘇我氏出身の女性だった。彼女は正妻の子ではないだろうが、それでも本当に面白い縁といえる。
「……どうした? 八意殿」
「ああ失礼。ちょっと思索にふけっていたもので」
今まで生きてきた中で面白いこと上位に入ることだったので、ついつい考えすぎてしまった。これはあとでたっぷり考えよう。
「満月ではないが、月見酒をしゃれこんでいるというなら、贈り物には酒がよかろう。私が復活を待つ間についでに寝かせておいたという、結構ないわれの古酒だ」
神子はそうして、どこからか古めかしい壷を取り出す。
尸解仙になるついでに酒を寝かせておくとは、なかなか面白い人だ。
「あらまぁ、特段に変わったことはしていないのに、そのようなものをもらうわけにはいきません」
「ふむ」
そうして断ってみると、神子は少し思案して私の隣に腰を下ろした。
「では一緒に飲もう。それともお邪魔かな?」
「いえ、別に」
輝夜もイナバたちも伴につけていないが、それはまぁ一人でのんびりしたかったから。
それでも珍しい来客となら、話してみるのも悪くはない。
長く生きていると、こういうアクセントが非常に大事に思えてくる。
「ささ、まずは一献」
「いただきましょう」
今注いでいる酒を飲み干し、神子の酒を杯に受ける。
そうして、神子にも予備の杯を渡し、酒を注いでやる。
その後軽く杯をぶつけ、酒をあおる。
「……ほう、面白い味ですね」
「面白いってのも奇妙な言い回しだね」
「いえいえ、そんなつもりは。好きですよ。この味」
薬毒耐性の半端ないこの体ゆえ、どうせ酔えないからと安酒ばかり飲んでいたが。
安酒のように騒がしい味でもない。
とはいえ、月の酒のように研ぎ澄まされた濁りのない味でもない。
たとえるならば、空に浮かぶあの居待月。
端正な味わいの中にどこか歪さを持った、尸解仙どもと眠り続けた奇妙な酒。
私好みという感想に嘘偽りはない。
「ま、気に入ってもらえたなら何よりだ。いやぁ、私は贈り物をハズすことはあまりないのだが、実に緊張してしまうな」
神子は一口酒を飲むと、ほぅと息を吐き出した。
「何しろ、貴女の欲がまったく読めない」
確か、人の持つ十の欲を同時に聞き、その人となりを完全に把握する。その精度は近未来の予測すら可能にする。そういう能力だったはずだ。
しかしまぁこのとおり、私は死のない体であるし。心からの欲求に従って行動したことなど、あの『かぐや姫の夜』の後にはもはやなかった気がする。
「だからこそ、私は貴女に興味を持っていたし、今日は礼と称してこうして語らいにやってきたわけだ」
「本音が早いですね」
「心の内が読めないならば、こちらも腹の内を出していかなきゃあいけない」
なるほど。
確かに見る限り、飄々とした人となりの中に、狡猾な一面を隠し持っているような。そんな御仁である。
私も興味がないわけではないが、さて、この語らいの先に、笑顔があるのかどうか。
「それで、私と一体何を語らいたいというのですか」
「愛を」
「マジで?」
「ジョークです」
「……そうですか」
真顔でジョークをやり返されてしまった。なかなかやりおる。
素で聞き返しちゃったじゃないか、恥ずかしい。
「しかし、貴女も驚くことがあるんだね。少し安心したよ」
「私を一体なんだと思っているのです?」
輝夜といいこの神子といい、私の血の色を何色だと思っているんだろう。
ちゃんと赤いよ?
「いや失礼、八意殿。しかしわからないのだ。わからないからこそ、語らいたいのだよ」
くつくつと笑いながら、神子は問いかける。
何が好きなのか、大切にしているものは何か、料理は得意か、運動はできるのか、体を洗うときはどこから洗うか。
なんでそんなことを尋ねるのかと思うし、なんでそんなことを大して親しくもないこの聖人に教えなければいけないのかと思う。
だけど、なぜだろうか。
自分を語ることなどついぞなかったせいか、それとも神子の聞き出し方がうまいのか、ぽつぽつと答える羽目になっている。
ううむ、さすがは伝説の聞き上手といったところだろうか。なかなか話すのが面白くなってくるから困る。
まぁどうせ、大した回答などできはしないのだが。
「いや、愉快愉快」
神子はなぜか愉快そうに杯をあおる。
「何か私の話に面白いところでもありましたか?」
その様子に怪訝な表情をあらわにしながら、私も酒を飲む。
「いや、特に何もない。だがそれゆえに、貴女という人となりが見えてきた」
そうして、神子が私の杯に再び酒を注いだ。
空高く輝く居待月が、その杯に映りこむ。
「そうだ。貴女はこの居待月のような人だ」
自分の気に入っている月の名をここで出され、少し驚く。
「貴女は信じられないほど完璧だ。その完璧さゆえに、欠けてしまった人だ」
言ってくれる、と思う。
だが、反論ができない。
「まったく見えなかった貴女の欲も、やっとわかった」
私の欲だって?
私の欲など、私も知らない。
「あなたは、『欲』を欲しがっている」
――ああ、なるほどな。
欲などない。持っていない。
ないものねだりの原則に照らすに、それは欲を欲しているということになるのか。
「もう一つ言い換えるならば、情熱とでも言うべきか。貴女はもっと面白おかしく生きたいんだよ」
まったく、こんな小娘なんぞに、一本取られるとは思わなかった。
私は心中ほくそ笑みながら、そのようなことをおくびに出さず、とぼけて答える。
「そんなに堅苦しく、生きていたかしら」
「思い当たることはないかい?」
――『あなたにしてはつまらないことを考えるわね』
なんて、輝夜の言葉が思い起こされる。
確かに、周りからはだいぶ堅苦しく思われているようだ。
なんだ、もっと輝夜につまらないことを言ってみればいいのか? そりゃ私に突拍子のない下ネタでも言われたら、輝夜も死ぬほど驚くだろうが。
――ああ、割と見たいなそれ。
なんていう欲求が、どこからか頭をもたげてきてしまう。
「……で、それを自覚したところで、一体何をしろとおっしゃるの?」
さすがにそんな一発ネタがまずいのはわかる。これから先の人生も無意味に長いのに、こんなところでキャラを変えてしまうのはもったいないだろう。
「別に何をしろなどとはいえないさ。自覚する。それが一番大事なことだろう?」
「やれやれ、ここまで言っておいて、ひどい人ね」
――さて。
私は神子の杯に酒を注ぎながら、一つお返しをくれてやる。
「それが、あなたなりの不老不死への意趣返し?」
「……むぅ」
すると、神子は照れたように笑った。
「やはり完璧だね。貴女は」
神子は不老不死に憧れ、こうして尸解仙にまでなった。
そうして復活してみれば、不老不死に近い存在なんて結構ごろごろしているし、極め付けには、どこかで私たちのことを知ったんだろう。
元々月人とはいえ、薬一つで完璧な不老不死を実現した我々のことを。
十欲で全てを見極めるこの聖人の事。
どこかでウドンゲあたりとでもすれ違っていれば、私たちの情報を得ることなど造作もなかったろう。
だからこそ、こうして蓬莱の薬を作った私のところに、わざわざからかいにやってきたのだ。
「言っておくけど、完全な不老不死なんて、あなたが羨んでいるようなものじゃないわよ?」
「わかってるさ。だからこそ、貴女としっかり話をした。貴女に興味が湧いたという話自体は、決して嘘じゃあない」
神子は酒に口をつける。
「飲むだけで不老不死を実現させる薬を作るほどの頭脳の持ち主。私の能力の全てを尽くして、一泡でも吹かせられるかどうか! いや、実に楽しかった」
「……それはどうも。こちらとしても、久々に面白い来客でしたよ。太子殿」
そうして二人、笑顔を見せる。
まったく、よくぞ笑顔で終わらせることが出来たものである。
「しかし、あの月に我々の思っても見なかった世界があるのか」
神子は居待月を見上げながら、しみじみと酒を飲んでいる。
彼女は私をあの居待月に例えたが、その姿を見ていると、彼女こそ居待月にふさわしいのではないかと思えてくる。
聖人、神霊という神々しい存在でありながら、尸解仙という穢れをも孕んでいる。
完璧のようで、しかしそれを通り越し、どこか歪みをもった存在。
そう思うと、少し彼女が好ましく思えた。
自分と少し似ているようでいて、しかし全てを終わらせてきてしまった自分と違い、まだまだ輝かんばかりの欲を秘めている彼女が。
「ええ、でも。あなたにとってはつまらない世界かも」
「そうなのか?」
意外と、きょとんとした顔を向けてくる。
「ええ、月の都など、この杯の中に納まってしまうくらい、小さな世界ですよ」
そうして、自分の杯を突き出す。
そこには、先ほどのように居待月が小さく映っていた。
「ふむ、逆さに月が映るゆえに『さかづき』というんだったか?」
「ええ。あの世界にそんな風流はないもの」
きぃん、と再び杯をぶつけて、お互いに酒に浮かんだ居待月を飲み込む。
「腹の中に収めてみれば、どうということはないように見えるな」
「そうでしょう?」
言って、再び笑いあう。
欲を欲していると、彼女は私を評した。
別に私は今の自分が嫌いなわけではないし、姫の面倒を見ているだけで大抵の時間は潰れるのだが。
まぁ、多少面白みを追求してみるのも、また一興。
指し当たっては少し遠出でもしてみようか。神霊廟に押しかけてやるのも面白そうだ。
何せこの珍客と酒を酌み交わした居待月の夜が、こんなにも面白かったんだから。
しかしするめーりんを思い出してつい笑ってしまった
でも永琳と神子の愛の語らいや天才の突拍子もない下ネタとかちょっと見たいかも