例えば吸血鬼、それから捨食を習得し長命を得た魔法使いなどの長く生きる種族は、せいぜい七十年やそこらで死ぬ人間に比べてひどく退屈しやすい。特に体質的に活動時間が制限されていたり、病弱かつ出不精であったりすると尚更である。まだ、私と少し気のふれた妹、それからパチュリーと十数匹の妖精メイドだけで暮らしていた時分であった。妹は既に地下に幽閉状態、門番も雇う前であったので、話し相手といえば図書館に篭りがちな魔法使いの友人ただ一人だけだった。
その頃の暮らしは実に単調なもので、日が沈み切る少し前に起床し、着替えてから図書館に向かう。そしてパチュリーと二人、紅茶を飲みながら雑談。遠くの空が薄い青色になる頃に自室に戻り、少し書き物をしてから太陽が顔を覗かせる前に就寝。その繰り返しでしかなかった。ただただ、退屈を惰性でぐずぐず食んでいるような毎日だった。
その日も私とパチュリーは、前の日と同じように少し埃くさい図書館の中で小さな茶会を開いた。することがないために仕方なく惰性で開催されるものだった。ティーポットとカップを温める手順を何度言っても忘れるせいか、はたまた茶葉の蒸らしが足りないのか、妖精の淹れる紅茶はいつも香りが足りない。しかしもう指摘するのも億劫で、仕方なくそれで喉を潤していた。これと言って話すこともなく、私は黙って紅茶を啜った。パチュリーはカップには手をつけず、熱心に分厚い古書を読みふけっている。ふと木製の机の端を見やると、見慣れない物があることに気付く。
「薔薇なんて珍しいじゃない」
倒さないようにそっと花瓶を手元に引き寄せる。黒みがかった赤い薔薇だった。
「あの子がね、庭から持ってきて生けたのよ」
パチュリーは本から目を離さずに上を指差す。見れば、小さな子供が悪魔の羽をぱたぱたと忙しなく動かしながら書物の整理をしているところだった。彼女はパチュリーが先日行った悪魔の召喚実験の産物である。
「なかなか風情がある子じゃないか」
私は花弁を指で弄りながら言った。事実、この本と机以外に何もない殺風景な空間に赤はよく映えた。
「どれくらい持つかしら」
「こまめに水を替えてくれているから、一週間くらいは」
一週間という数字は、長命の種族にとっては想像もつかない短さだ。きっと目を開けて、閉じたら終わってしまうくらいに、一瞬だ。その一瞬間に色はくすみ、からからに乾いて、醜くなって死んでいくのだろう。自然の摂理なのだからと言ってしまえばそれまでだが、それはあまりに虚しいことだ。
「ねえパチュリー」
「なに」
「枯れない薔薇は欲しくはない?」
そこまで言ってパチュリーはやっと顔をこちらに向けた。普段は眠そうな目がほんの少し見開かれて、驚いているような、はたまた呆れているようにも見えた。彼女は一つため息をついて古書をぱたりと閉じた。
「それは友人としての『お願い』かしら」
「どちらかといえば、この屋敷の主人としての『お願い』よ」
彼女はすっかり冷めた紅茶をようやく一口飲んだが、微かに眉間に皺を寄せた。ただでさえ美味くない紅茶が冷めたらどうなるかなんて容易に想像できる。
「おおせのままに、お嬢さま」
パチュリーはカップをソーサーに戻しながら、至極面倒臭そうに言った。
程なくして完成した「枯れない薔薇」は想像以上の出来だった。ほとんど一月ぶりの図書館での茶会で、その薔薇は細長い青い花瓶に生けられて机の上に静かに佇んでいた。
「ご希望の品よ、お嬢さま」
パチュリーは言った。
端的にいえば、この薔薇を包み込む形で小さな結界が張られており、その内側はあらゆる「時間」の干渉を遮断するのだという。粗雑に扱わなければ、半永久的に美しい姿を保つのだと。パチュリーは専門用語を交えて長々と説明したが、そのほとんどが頭に入ってこなかった。私は久しぶりに味わう高揚感に酔いしれていた。
薔薇はいつまでもその美しさを保ち続けた。切り花の平均的な寿命とされる一週間が過ぎても、薔薇はまるでつい先ほど根元から切り離されたばかりのようなみずみずしさを湛えていた。私は薔薇をいつでも傍に置いた。図書館での茶会の際は机上の彩りとして「参加」させ、眠りにつく際はベッド脇のチェストの上に置いた。その香りはいつも穏やかな眠気を誘うのだった。枯れない薔薇はまるで永遠に美しいままの少女のようだと思った。成長という名の老いと、それに伴う穢れを知らない乙女のようだと。
「醜いよりも美しい方が良いに決まっている」
それが長きに渡る退屈ですっかり凝り固まった私の思考回路だった。
◆
「そういえば、薔薇はどうしたの?」
パチュリーはあまりに自然な調子で私に問いかけた。私は最初、何を言われているかがわからなかった。茶会に薔薇を同席させるのはもう日課となっていた。忘れる筈がない、薔薇はちゃんとあるじゃないかと返そうとしたところで、机の上にあるはずの目が覚めるような赤色が存在しないことに、そこで私はようやく気付いたのだ。
「……部屋に置いてきたんだ」
パチュリーが薄く笑っているように思えた。きっと私のうっかりを笑っているのだと気分が悪くなって、少し乱暴にカップを置いた。
「三年間、思ったより長かったわ」
パチュリーはそう言った。その時の私は、彼女の言葉の意味を解することができなかった。
それからの変化は、まるで石ころが坂を転がり落ちるようだった。薔薇が茶会に参加する頻度はめっきり少なくなった。いつも図書館に着いてから気付くのだ。しかし取りに戻る気にはなれなかった。殺風景な机上に不満を持つことはなかった。薔薇は一日中、私の部屋の窓辺に佇むようになった。薔薇の香りが無くても眠気はそろそろと寄ってきた。
私は、薔薇を愛さなくなった。
愛せなくなっていた。
◆
「予想の範疇よ。言ったじゃない、三年は長いほうだったって。あなたは決して飽き性なんかではないわ。これは当然の結果なの。
すべての物事は移り変わっていくものなのよ。それは私たちのような種族でも例外ではないわ。今は幼い容姿をしているあなたも、あと三百年もすれば大人の女性の姿になる。気が遠くなるくらいにゆっくりとではあるけれど、あなた自身も確実に変化しているのよ。変わるということは、移ろいゆくということはこの世界のルールなの。
そうよレミィ、変わることなく美しい姿のままのその薔薇は、いわば自然と輪廻の外側の存在。あなたは無意識にその不気味さと不条理さを感じ取っていたんだわ。
ならどうしてやればいいのか、って?簡単なことよ。内側に返してやればいい。変化というルールの内側にね」
パチュリーはそう言うと、赤々と燃え盛る暖炉に薔薇を放り込んだ。薔薇は静かに、そしてゆっくりと燃えていく。私は、すまないと呟いた。パチュリーと、私の我儘で「輪」から外され、そして焼かれていく薔薇に。
「薔薇は枯れない薔薇に、そして枯れない薔薇は灰に」
◆
その翌日、まるで何事も無かったかのように、私はまだほんのりと遠くの空が赤い夕暮れ時に起床して、お気に入りの薄桃色のドレスに着替えて自室を出た。なんてことはない、あの薔薇ができる前の日常が戻ってきただけの話だと、私はそう納得しようとした。
図書館の殺風景な机の上にはカビ臭い古書が積まれているばかりであった。当分はこの机に色が添えられることはないだろう。少なくとも、私は暫くは薔薇を見たくなかった。赤だけでなく、白も黄もだ。
パチュリーの真正面に座ると、妖精メイドが湯気を立てる紅茶を運んで来た。慣れ親しんだ香りに気分が落ち着いていく。私とパチュリーはほぼ同時にカップを持ち、口をつけた。
「……美味くないわね」
「ええ、いつも通りに不味いわ」
二人して小さく笑った。
上を仰ぎ見れば、今日も今日とてパチュリーが召喚した小さな悪魔は、気がおかしくなりそうな程に膨大な量の古書を整頓しているところだった。今はまだ未熟な悪魔も、この世界の規則に従って少しずつ少しずつ変化を繰り返すのだろう。そしてそれを眺めるのは決して退屈なことではない筈だ。
美味い紅茶が飲みたいと思った。その為には美味い紅茶が淹れられるメイドが必要だ。できれば普通に生きて普通に老いて、そして普通に死ぬやつがいい。
(了)
その頃の暮らしは実に単調なもので、日が沈み切る少し前に起床し、着替えてから図書館に向かう。そしてパチュリーと二人、紅茶を飲みながら雑談。遠くの空が薄い青色になる頃に自室に戻り、少し書き物をしてから太陽が顔を覗かせる前に就寝。その繰り返しでしかなかった。ただただ、退屈を惰性でぐずぐず食んでいるような毎日だった。
その日も私とパチュリーは、前の日と同じように少し埃くさい図書館の中で小さな茶会を開いた。することがないために仕方なく惰性で開催されるものだった。ティーポットとカップを温める手順を何度言っても忘れるせいか、はたまた茶葉の蒸らしが足りないのか、妖精の淹れる紅茶はいつも香りが足りない。しかしもう指摘するのも億劫で、仕方なくそれで喉を潤していた。これと言って話すこともなく、私は黙って紅茶を啜った。パチュリーはカップには手をつけず、熱心に分厚い古書を読みふけっている。ふと木製の机の端を見やると、見慣れない物があることに気付く。
「薔薇なんて珍しいじゃない」
倒さないようにそっと花瓶を手元に引き寄せる。黒みがかった赤い薔薇だった。
「あの子がね、庭から持ってきて生けたのよ」
パチュリーは本から目を離さずに上を指差す。見れば、小さな子供が悪魔の羽をぱたぱたと忙しなく動かしながら書物の整理をしているところだった。彼女はパチュリーが先日行った悪魔の召喚実験の産物である。
「なかなか風情がある子じゃないか」
私は花弁を指で弄りながら言った。事実、この本と机以外に何もない殺風景な空間に赤はよく映えた。
「どれくらい持つかしら」
「こまめに水を替えてくれているから、一週間くらいは」
一週間という数字は、長命の種族にとっては想像もつかない短さだ。きっと目を開けて、閉じたら終わってしまうくらいに、一瞬だ。その一瞬間に色はくすみ、からからに乾いて、醜くなって死んでいくのだろう。自然の摂理なのだからと言ってしまえばそれまでだが、それはあまりに虚しいことだ。
「ねえパチュリー」
「なに」
「枯れない薔薇は欲しくはない?」
そこまで言ってパチュリーはやっと顔をこちらに向けた。普段は眠そうな目がほんの少し見開かれて、驚いているような、はたまた呆れているようにも見えた。彼女は一つため息をついて古書をぱたりと閉じた。
「それは友人としての『お願い』かしら」
「どちらかといえば、この屋敷の主人としての『お願い』よ」
彼女はすっかり冷めた紅茶をようやく一口飲んだが、微かに眉間に皺を寄せた。ただでさえ美味くない紅茶が冷めたらどうなるかなんて容易に想像できる。
「おおせのままに、お嬢さま」
パチュリーはカップをソーサーに戻しながら、至極面倒臭そうに言った。
程なくして完成した「枯れない薔薇」は想像以上の出来だった。ほとんど一月ぶりの図書館での茶会で、その薔薇は細長い青い花瓶に生けられて机の上に静かに佇んでいた。
「ご希望の品よ、お嬢さま」
パチュリーは言った。
端的にいえば、この薔薇を包み込む形で小さな結界が張られており、その内側はあらゆる「時間」の干渉を遮断するのだという。粗雑に扱わなければ、半永久的に美しい姿を保つのだと。パチュリーは専門用語を交えて長々と説明したが、そのほとんどが頭に入ってこなかった。私は久しぶりに味わう高揚感に酔いしれていた。
薔薇はいつまでもその美しさを保ち続けた。切り花の平均的な寿命とされる一週間が過ぎても、薔薇はまるでつい先ほど根元から切り離されたばかりのようなみずみずしさを湛えていた。私は薔薇をいつでも傍に置いた。図書館での茶会の際は机上の彩りとして「参加」させ、眠りにつく際はベッド脇のチェストの上に置いた。その香りはいつも穏やかな眠気を誘うのだった。枯れない薔薇はまるで永遠に美しいままの少女のようだと思った。成長という名の老いと、それに伴う穢れを知らない乙女のようだと。
「醜いよりも美しい方が良いに決まっている」
それが長きに渡る退屈ですっかり凝り固まった私の思考回路だった。
◆
「そういえば、薔薇はどうしたの?」
パチュリーはあまりに自然な調子で私に問いかけた。私は最初、何を言われているかがわからなかった。茶会に薔薇を同席させるのはもう日課となっていた。忘れる筈がない、薔薇はちゃんとあるじゃないかと返そうとしたところで、机の上にあるはずの目が覚めるような赤色が存在しないことに、そこで私はようやく気付いたのだ。
「……部屋に置いてきたんだ」
パチュリーが薄く笑っているように思えた。きっと私のうっかりを笑っているのだと気分が悪くなって、少し乱暴にカップを置いた。
「三年間、思ったより長かったわ」
パチュリーはそう言った。その時の私は、彼女の言葉の意味を解することができなかった。
それからの変化は、まるで石ころが坂を転がり落ちるようだった。薔薇が茶会に参加する頻度はめっきり少なくなった。いつも図書館に着いてから気付くのだ。しかし取りに戻る気にはなれなかった。殺風景な机上に不満を持つことはなかった。薔薇は一日中、私の部屋の窓辺に佇むようになった。薔薇の香りが無くても眠気はそろそろと寄ってきた。
私は、薔薇を愛さなくなった。
愛せなくなっていた。
◆
「予想の範疇よ。言ったじゃない、三年は長いほうだったって。あなたは決して飽き性なんかではないわ。これは当然の結果なの。
すべての物事は移り変わっていくものなのよ。それは私たちのような種族でも例外ではないわ。今は幼い容姿をしているあなたも、あと三百年もすれば大人の女性の姿になる。気が遠くなるくらいにゆっくりとではあるけれど、あなた自身も確実に変化しているのよ。変わるということは、移ろいゆくということはこの世界のルールなの。
そうよレミィ、変わることなく美しい姿のままのその薔薇は、いわば自然と輪廻の外側の存在。あなたは無意識にその不気味さと不条理さを感じ取っていたんだわ。
ならどうしてやればいいのか、って?簡単なことよ。内側に返してやればいい。変化というルールの内側にね」
パチュリーはそう言うと、赤々と燃え盛る暖炉に薔薇を放り込んだ。薔薇は静かに、そしてゆっくりと燃えていく。私は、すまないと呟いた。パチュリーと、私の我儘で「輪」から外され、そして焼かれていく薔薇に。
「薔薇は枯れない薔薇に、そして枯れない薔薇は灰に」
◆
その翌日、まるで何事も無かったかのように、私はまだほんのりと遠くの空が赤い夕暮れ時に起床して、お気に入りの薄桃色のドレスに着替えて自室を出た。なんてことはない、あの薔薇ができる前の日常が戻ってきただけの話だと、私はそう納得しようとした。
図書館の殺風景な机の上にはカビ臭い古書が積まれているばかりであった。当分はこの机に色が添えられることはないだろう。少なくとも、私は暫くは薔薇を見たくなかった。赤だけでなく、白も黄もだ。
パチュリーの真正面に座ると、妖精メイドが湯気を立てる紅茶を運んで来た。慣れ親しんだ香りに気分が落ち着いていく。私とパチュリーはほぼ同時にカップを持ち、口をつけた。
「……美味くないわね」
「ええ、いつも通りに不味いわ」
二人して小さく笑った。
上を仰ぎ見れば、今日も今日とてパチュリーが召喚した小さな悪魔は、気がおかしくなりそうな程に膨大な量の古書を整頓しているところだった。今はまだ未熟な悪魔も、この世界の規則に従って少しずつ少しずつ変化を繰り返すのだろう。そしてそれを眺めるのは決して退屈なことではない筈だ。
美味い紅茶が飲みたいと思った。その為には美味い紅茶が淹れられるメイドが必要だ。できれば普通に生きて普通に老いて、そして普通に死ぬやつがいい。
(了)
見習うべき点の多い、素敵な作品です。
お嬢さまは、また同じことを繰りかえすのでしょうか。
ごちそうさまでした。
輪廻から外れた蓬莱人を彼女たちはどのように感じているのか気になるところです
すっきりしていて余計なもののない掌編だわ
すごくかっこういい
もっともっと読みたくなる作品でした