■注意事項
・かなり長いです(テキストで60KBほど。行間が無駄に多いので実質40KBぐらい…のはず)
・かなり私的見解入ってます。
とてもとても些細な理由だった。
頻度は下がったとはいえ例のごとく定期的に開かれる博麗神社での宴会の折。
魔理沙の『咲夜と妖夢、どっちが強いんだろうな?』という、そんな何気ない問いかけに
端を発した。
『それはもちろん咲夜に決まっているわ。咲夜ほど完璧に物事をこなす人間はそうはいないわ』
そう褒め称えるのは咲夜の主人である紅き吸血姫・レミリア=スカーレットだった。
『あらあら、まだ若いとはいえ冥界にその人ありといわれる妖夢が人間に劣るわけないじゃない』
のんびりと言い返したのは、妖夢の主人である幽姫・幽々子だった。
『咲夜の仕事は人間はおろかその辺の妖怪なんて比較にならないものだわ。まして、
生きているのか死んでいるのかもわからない半人前なんて比べ物にもならない』
『由緒正しき剣士の家系・魂魄家の一族である妖夢の仕事は、先代の妖忌の教えもあって
十分素晴らしいわ。得体の知れない悪魔の犬と一緒になんてできない』
『悪魔は悪魔でも我がスカーレット家は誇り高き吸血鬼の家。そこらの妖怪とは格が違う。
それに仕える咲夜を犬呼ばわりなんて…』
『あら、それなら幻想郷らしく弾幕と肉弾で決着をつける?』
『言ったね。いいだろう。スカーレットに敗北はない』
『随分な自信ですこと。まあ、それも妖夢の剣がずたずたにしてくれるでしょうけど』
売り言葉に買い言葉。言い争いはエスカレートしていく。
勢いは止まることを知らず、とんとんと話が進んでいった。
結果、公平を期すために永遠亭が主催となってこの決闘を催すことになった。
そして今日に至る。
透き通った満月。優しくも狂おしいその光は、今宵の一世一代の決闘を見逃すまいと
集まったギャラリーたちのボルテージを高めていく。
そして、控え室の二人の覚悟を、新たにさせていた。
━━妖夢は優しい顔をした月を見上げていた。
遠い遠いお月様は、柔らかな光をもって妖夢を見つめてくれる。
聞いたことがある。魂は、月に還るのだ、と。
長いこと白玉楼で暮らし、まして半人半霊の妖夢にとっては、幽霊なんてあまりにも身近すぎて
今まで考えたこともなかったけれど。
今宵の相手はあの 十六夜 咲夜。
紅魔館の侍従長にして、かの吸血姫・レミリアの最大最強の守り手。
自分が決して実力的に劣るとは思わない。
けれど━━本気で戦えば。おそらく、どちらかが死ぬ。
咲夜の操るナイフは銀。人間の身体(にく)も幽霊の半身(れい)も、完膚なきまでに
切り裂くことができるだろう。
それでも負けるわけにはいかない。
きっかけがどんな理由であれ、白玉楼の幽姫・幽々子の面子を背負っているのだから。
今朝方のこと。
妖夢は、心地よい朝凪にそよがれて、空を見上げていた。
その目の見つめる先は、どこか遠い。
やがて視線を落とすと、自分の仕事場である白玉楼の庭を見渡した。
「これが最後になるのかもな…」
誰に言うでもなく、そんな言葉をつぶやきながら。
ひらりひらり。
不意に、一枚の葉が空を舞った。
つ、と妖夢の視線が走る。
音もなく手は柄に伸び。
一瞬の閃光。すでに、白刃は振りぬかれていた。
はらはらと、舞い降りたとき、葉は二枚に増えていた。
一閃、刃は空を斬り、鞘へと収まる。
と、拍手の音がした。
「相変わらず見事ねぇ妖夢。その調子なら今日も大丈夫そうね」
背後から声。彼女の主・幽々子のものだった。
振り返った妖夢はすっと一礼する。
「幽々子様━━おはようございます」
「おはよう。今日も気持ちの良い朝ね」
挨拶を交わす。ずっと、毎朝繰り返してきたこと。
それはとても当たり前の日常だったけれど。
妖夢の視線が、再び庭へと移る。
「どうしたの?」
「いえ…」
妖夢の様子を見て幽々子が訊くが、妖夢は短くあいまいに返事をしただけだった。
心地よいと感じていた朝凪が、ただ虚ろに吹き抜けていく。
そんな時間がどれほど続いたのか。
唐突に、妖夢が口を開いた。
「幽々子様」
「なあに?」
「━━今日がお仕えできる最後の日かもしれません」
そう言った妖夢は、暗く、重々しく。
普段からやわらかな幽々子の顔が、キッと引き締まる。
「妖夢、そんなことを言わないで頂戴」
「しかし幽々子様。相手はあの 十六夜 咲夜。確実に勝てる、なんて保証はありません」
うつむき加減に言う妖夢。
そんな妖夢に、いつの間にか幽々子が近づいていた。
その両腕が、後ろから優しく妖夢を包む。
「勝って頂戴。私のために。そして、貴女のために」
「……ッ」
声にならない声。
そうだ、何を弱気になっていたのだろう。
私は負けない。
幽々子様のために。
そして何より、剣士である己のために。
「お任せください。私は勝ちます」
主の思いに返す言葉。それは、強い決意に満ちていた。
━━淡い月光は咲夜を優しく照らす。
月光を受けて、咲夜の手の中にある蒼銀の懐中時計は、あたかもそれ自体が月であるかのように
光り輝いていた。
咲夜の目には、そう映ったのかもしれない。
この蒼銀の懐中時計はレミリアより賜ったもの。
『時を操る貴女に、時計はよく似合うと思うわ』
その時のそんな言葉が幻聴のように、今耳に聴こえてくる。
時計をぎゅっと握り締めて、胸に抱く。
咲夜にとって、レミリアは自分の全てでもあった。
本当の名前は過去とともに棄てた。思い出すつもりもない。
レミリアお嬢様と出会ったのは、偶然か必然か。
お嬢様の能力━━運命を操る力所以なのか。
後になれば何とでも言うことも、説明もできるけれど。
その時の自分も、そして今の自分も。
その奇跡を、信じている。
━━あの日も、こんな優しい月が、お嬢様と私を照らしてくれてたっけ。
蒼い月を背景に、紅い姫が自分を見つめていた。
そしてレミリアは与えてくれた。
『十六夜 咲夜』という名前と、在るべき場所を。
必要としてくれる。
生きているって実感できる。
何もなかった私に、お嬢様は命を与えてくれた……
そんな想いが咲夜の胸に渦巻く。
お嬢様のためなら、いつでも笑って死ねるだけの覚悟はある。
けれど、それならこの胸によどむ不安は何だろう。
お嬢様への忠誠に偽りはない。
なのにその正体わからなくて、ただもどかしくて。
そんな混沌とした想いを断ち切って、月を見上げる。
心が、落ち着く。
そうだ、お嬢様の面子を守らないと。
相手は冥界にその人ありといわれた 魂魄 妖夢。一筋縄でいく相手ではない。
未だに幼いところはあるけれど、その実力を知らない咲夜ではない。
妖夢もまた、幽々子の面子を背負っている。
お互い、姫の従者として、守らなければならないものがある。
手の中の懐中時計を閉じて胸にしまいこむ。
窓から差し込む月影は、相変わらず穏やかだった。
『両選手、会場へ入場してください』
思い渦巻く時は終わる。
決戦の時まであとわずか。
場所は違えど、二人は同時に答えた。
「「はい」」
わぁぁぁぁあっ……
プリズムリバー三姉妹による演奏が鳴り響く中、永遠亭の外に設けられた特設会場の
熱気と狂気でボルテージは最高潮に達していた。
それもそのはずだ。
かたや紅魔館の顔たる 十六夜 咲夜と。
かたや冥界の剣の二代目として音に聞こえた 魂魄 妖夢。
その二人が今宵激突するというのだから、当然と言えよう。
しかしその場の空気と微妙にずれてる二人がいた。
「すごい人ですね~…」
「狙い通りね。しっかり入場料取ってるから、永遠亭としても良い収入になりそう」
「…間に入った理由はそういうことだったんですか…」
ため息ついて呆れ顔をしているのは鈴仙。永遠亭の月兎である。
「何を言ってるの。闘いの会場を提供するんだからそれぐらい当たり前でしょう」
こちらは師匠の八意永琳。月の頭脳といわれ、永遠亭を支える大黒柱である。
「それにしても…」
言いながら、鈴仙は自分の体を見た。顔を少し赤くして。
「何で私たちはこんな格好を…」
「コンパニオンよ。こんな大勝負に何の華も添えないのはさびしいでしょう?」
そう。
二人とも、バニースーツを着ていた。鈴仙は自前の耳があるが、永琳はその頭にかわいらしい
うさぎのヘアバンドをつけている。
ちなみに、鈴仙は生足だが、永琳は網タイツである。
なれない格好に鈴仙は恥ずかしがっていたが、顔を赤くしている理由はそれだけではない。
「……」
「?」
ちらっと永琳を見る。
体の線が思い切り出るこんな格好だからこそ、より一層強調されている。
たゆん、たゆん。
つまるところ、世の中は公平になんてできていないのである。
「それでは両選手の入場です!」
わああああっ……
実況のそんな声とともに、ひときわ大きな歓声が上がる。
対になるゲートから、誓いの刃を持した二人が現れる。
双方、その表情は引き締められていた。
闘いの舞台へと立つ。
その様子をVIP席から見守るレミリアと幽々子。
「さすが咲夜ね。一糸の乱れもないわ。この勝負は見えたわね」
「あらあら、何を言うのかしら。妖夢にかなうとでも?」
それぞれの主が、互いに自分の従者をほめ、そして自慢していた。
「ふん…あの半人半霊が地に這い蹲る様を見て嘆くがいいわ」
「明日の朝ごはんは犬肉かしらねぇ…楽しみ楽しみ」
決闘の当事者以上に、熱くなっていた。
ピリピリとした空気が張り詰め、お嬢様らしさをなくさぬよう浮かべた笑みは、それはもう
整った人形のような無機質なもので。その空間だけが、あたかも異次元のように、異様な
空気を醸しだしていた。
そんな二人の姫君の後ろで。
咲夜の代わりにレミリアのそばに控えている美鈴は、どこか浮かない顔をしていた。
「━━なんて言ったって咲夜だもの。そうよね、美鈴?」
「え!? あ、えと…」
ぼうっとしていた美鈴は、急に話を振ってきた主人に答えられず、みっともなく両腕を
ばたつかせた。
当然、レミリアの顔は不機嫌になる。
「『咲夜のトリッキーな技を持ってすれば鮮やかに死の舞踏を舞わせてあの剣士を沈めて
くれるに違いない』って言ったのよ」
「あ、はい…そうですね…」
もう一度繰り返し言うレミリアに答える美鈴だったが、その返事はどこか頼りない。
そんな不甲斐ない美鈴の様子に不満の色を露骨に表したレミリアは、『これだから中国は
役に立たないのよ』などと言って、ぷいっと顔を背けてしまった。
普段の美鈴なら大慌てで取り繕うところだけれど、今は違った。その胸に満ちているのは、
不安という名の悪魔。
力ない美鈴の目は、昼間のことを映し出していた。
・
・
・
『美鈴、ちょっといいかしら?』
レミリアに簡単な書類の提出に行く途中、美鈴は急に呼び止められた。
呼び止めたのは、咲夜だった。
『かまいませんけど…どうしたんですか?』
『ちょっとこっちへ』
美鈴の手をとって咲夜は歩き出す。
倉庫のほうだった。ここなら、用事のあるものでもない限りめったなことでは人の姿を
見ることはない。
気のせいか、いつになく咲夜は早足だった。そんな様子に違和感を感じた美鈴は、このときから
すでに胸騒ぎのようなものを感じていた。
『いったいどうしたんです? こんなところで』
灯りも薄暗い倉庫。そんなところまでつれてきて何をするというのか。
たずねると、咲夜は人気のないことを確認して、静かに話しだした。
『…私にもしものことがあったら、後のことは貴女にお願いするわ』
『…は?』
寝耳に水とはこのことか。急に何を言い出すのか、わけがわからなかった。
『相手は妖夢よ。まだ精神的に幼いけど…それでもポテンシャルは計り知れないものを
秘めているわ。負けるつもりはないけど…絶対大丈夫、なんてとてもいえない…』
うつむきがちに話す咲夜は、いつになく弱々しく、儚げだった。
美鈴はそんな咲夜の肩をつかんだ。
『ダメですよそんな弱気になったら! そりゃあ、勝負に絶対なんてないですよ。でも、
咲夜さんなら━━』
『だからね、美鈴』
必死に励まそうとする美鈴の手を優しくつかんで、静かに押し戻していく。
そのとき美鈴の目に映った咲夜はひどく優しくて。今にも消えてしまいそうで。
『私にもしものことがあったら、貴女がこの紅魔館の侍従長になって頂戴』
そしてそんな、遺言めいたことを言うのだった。
いつもクールに紅魔館を切り盛りしてきた咲夜が━━今は、抱きしめれば折れてしまいそうな
ぐらい、そんなガラス細工のメイド人形のように見えた。
焦燥に駆られる。今にもこの手から零れ落ちてしまいそうな。
そう思ったから。
美鈴は咲夜を、ぎゅっと、抱きしめていた。
『嫌です』
耳元でささやく言葉は、先ほどの頼みへの拒絶。
どうして━━と、問う言葉は、咲夜の唇を形作るけれど、出てはこなかった。
『私はただの門番です。お客様をお通しして、外敵を排除するのが私の役目。外を管理するのが
私の仕事です』
少し体を離して、美鈴はまっすぐに咲夜を見つめる。
その顔と顔の距離は間近。互いの吐息もかかるぐらいに。
『貴女にしかここの侍従長は務まりませんよ。もっと言うなら、貴女の居場所は
紅魔館の侍従長です。』
『……!!』
それが引き金。今度は咲夜から、美鈴を抱きしめ返していた。
優しく目を細めて咲夜をなでる美鈴。その手は、とてもゆっくりと。
『美鈴、お願いがあるのだけど、いいかな』
体を離して、じっと美鈴の目を見つめる咲夜。
どこか潤んでいるような気がしないでもない。
『絶対勝つから━━おまじないを、して』
それだけ言うと昨夜は、目を閉じた。
その顔は桜色に染まっていて。
美鈴に、キスを求めていた。
それがわからないほど鈍な美鈴ではない。
じっと待つ咲夜に、ゆっくりと顔を近づけていって━━
つん。
『…えっ?』
そんなかわいらしい、咲夜の小さな声がした。
目を開けると、そこには意地悪な笑みを浮かべた美鈴。
人差し指を伸ばして、咲夜のおでこを突っついていた。
『ダメですよ。私はいじわるなんです』
言いつつ、美鈴はぷいっと咲夜に背を向ける。
2,3歩歩みを進めて、振り返って。
『ちゃんと戻ってきてくれたら、そのご褒美に━━ね? それが、私のおまじないです』
にこりと、笑った。
はじめは大きく目を見開いて、瞬きをして聞いていた咲夜だけど。
その顔は泣き笑いのようなそれになっていって。
『……いじわる』
可愛く、悪態をついた。
・
・
・
おまじないはした。
だから、ちゃんと戻ってきれくれますよね?
別に勝てなくったっていいです。でも、お願いだから…どうか、無事に。
祈るような気持ちで、美鈴はステージへと向かう咲夜の姿を、見つめていた。
「さ、て。それじゃあ、準備はいいかしら」
舞台に立つ二人を見て永琳が言った。
どうやら、コンパニオン兼審判らしい。
「ええ」
「いつでも」
それぞれ、短く答えた。
迷いのない、はっきりとした声で。
━━狂おしいほど優しい蒼月の光が導く。
「ルールは1対1での決闘、それ以外は一切ルール無用の真剣勝負。時間制限は無しよ」
白楼剣・楼観剣を抜刀する妖夢。
指の間に銀のナイフをのぞかせる咲夜。
「Heaven or Hell」
━━銀色の刃閃くその戦いへ。
「Let’s Rock!!」
━━そして二人は、閃光となる。
一閃。突撃して横薙ぎに刀を振るう妖夢。だが、咲夜は上空に逃れていた。
咲夜は上空に飛ぶと同時にナイフを眼下に向けて投げつける。だが、高速で突き抜ける
妖夢を捉えることはできない。
ずざぁっ、と滑り込むようにブレーキをかけた妖夢が反転し、咲夜が着地したのはほぼ同時。
振り向きざまに走り抜ける銀の光が5本。紙一重で交わす妖夢。
そこまでの時間がわずかに1秒。光のほとばしるがごとき速さの戦いに、会場はしんと静まり
かえった。
そんな空気の中で動くのはただ二人。一対の刀を舞わす白銀の刃と、矢のように敵を
射抜く蒼銀の刃。
その重みがとてつもなく長い時間を感じさせる中、咲夜はふっ、と軽く笑った。
「さすがにこんな小手先の技じゃかすりもしないか」
「きわどいところなんですけどね…」
それに対する妖夢は、軽い苦笑いを浮かべていた。
「相変わらず良い腕してますね」
「それはどうもありがとう。でもね━━」
妖夢の賛辞ににこり答えた咲夜。
「投げてもいいけど、直に切り裂いてもいいのよ!」
次の瞬間、疾風のようにその間合いをつめていた。
キィン!
甲高い音が響く。
紅い尾を引く刃を以て切り払う咲夜。
対して妖夢はこれを楼観剣で受ける。
(速い━━!)
不意を撃つような一撃、そしてその剣速に、妖夢は衝撃を受けざるを得なかった。
元来咲夜は奇術師。それが、こんな肉弾戦を挑むなんて。あるいはそれさえも奇術のうちなのか。
しかし。
咲夜のナイフを受けても、まだ妖夢は左手が空いている。
「もらった!」
白楼剣が唸りを上げて咲夜めがけて突き出される。
それでも咲夜は、余裕の表情を崩さなかった。
キィン!
「えっ!?」
声に出すほどにうろたえる妖夢。白楼剣は受け止められていた。
咲夜の逆手に握られた、もう1本のナイフによって。
「残念。二刀流は貴女の専売特許じゃないのよ」
わずかな隙を突いて、咲夜は妖夢に蹴りを入れる。
かはっ、と息を吐いて吹っ飛ぶ妖夢。
咲夜は右手のナイフを収め、投げナイフをその手からのぞかせる。
追撃に仕掛けられるナイフは10と5本。放射状に放たれる。
受身を取った妖夢はこれを大きく横に跳んで交わす。
けれど、咲夜は深追いしなかった。
大きく息をつく妖夢。改めて冷静に、咲夜の逆手に握られたままの得物を見直した。
両刃の直剣。特徴的なのは、柄から伸びる大型のガード。
「それ…マインゴーシュね」
「へぇ、意外ね。洋剣にも詳しいとは思わなかった」
「伊達に修行は積んでませんよ」
あまり見くびらないでください、と言わんばかりに苦笑する妖夢。
「まさか二刀流を操る私に二刀流で対抗してくるとは思いませんでした」
「貴女相手に尋常な手段で戦おうなんて思ってないわ。こうでもしないと捌ききれないと
思ったしね」
言いながら、咲夜はくるくると逆手のマインゴーシュを回す。
実際、あくまでも奇術師である咲夜は、正面から戦う限り妖夢に対しては不利だ。
しかし、正攻法で戦うことさえ奇術のうちに取り入れるなら話は別。不意討ちとして非常に
有効な手段となりうる。
ただ、そのカバーをする防御手段も考慮に入れなければ分の悪い手段となる。そのための
マインゴーシュだ。
だが、妖夢はまっすぐに咲夜を見つめる。
自信に満ちた目で。
「二刀流の本業を甘く見ないでください!」
駆け出す。先ほどの咲夜に劣らぬ速さ。
咲夜がナイフを打ち出したのとほぼ同時。
銀の刃を切り払いつつもなおも妖夢は止まらない。
(これは…まさか)
二射目は間に合わないと判断した咲夜はある可能性に思い至る。
狙いは斬撃ではない…
ゼロ距離での格闘だ。
「いぇぁああぁぁああ!」
力強く地面を蹴って妖夢が飛ぶ。
さながら猛獣が獲物へ飛び掛るがごとく。
それはあまりにも速かった。
右手は投げナイフを収めたところ。
左手のマインゴーシュも間に合わない。
それならば━━
ガッ!!
「ッ!」
肉と肉。骨と骨がぶつかり合う音。
高速で突っ込んだ妖夢の膝蹴りを、咲夜は足技で受けていた。
だが、間合いは極端に詰まっている。
この距離。一見刀を使いがたい妖夢に不利にも見えるが、咲夜も間合いをとることはできない。
ナイフを振るうことはできるが、受けるだけなら柄でもできる。
かといって下手に引こうものならその瞬間に一対の牙によって屠られかねない。
このまま勝負するか何とかして引くか。わずかに咲夜に迷いが生じる。
それを見逃す妖夢ではなかった。
左足からの膝蹴り。右手のナイフをしまいこんでいた咲夜はそれを素手で
受けざるを得ない。
小さな体躯に似合わず重い一撃だった。咲夜の口から息が漏れる。
妖夢がゼロ距離戦を選んだのは━━刀を使えない不利を差っぴいても、距離をとられて
三次元的な戦いを展開されるほうが不利だと判断したからだと咲夜は分析した。
確かにそれはその通りではあるが。甘く見られたものだと思った。
妖夢は今度は身をかがめて下段狙いの蹴りを入れる。
だが、そこに狙った足はなかった。
同時、妖夢を照らす月光は遮られ影に覆われる。
踵が鉄槌のごとく振り下ろされる。
「うぁっ?!」
その衝撃は妖夢の体を地面へと叩きつけ、バウンドさせて宙へと放り投げた。
妖夢を追う咲夜。その手には、月光を照り返す銀色の刃。
紅の尾を引いて切り裂く。不安定な体勢で、致命傷こそ避けたものの、銀の閃光は
妖夢を深く捕らえた。
それだけで逃すほど咲夜は甘くない。いつの間にかマインゴーシュを収めた左手からは
銀の牙が顔をのぞかせる。
それを放ちつつ、さらにすばやく右手も投げナイフに持ち替えこれを放つ。
放たれる光はまっすぐに妖夢に喰らいつく。
身をよじって交わそうとするが、それでもいくつかのナイフに浅く食いちぎられる。
そこからさらに空を駆け追撃仕掛ける咲夜。けれど、さすがに妖夢も一方的なのはここまでに
してもらいたかった。
受身を取り、突撃する咲夜を迎え撃つ。
蒼銀のナイフと白銀の刀が交差する。
そして咲く華。
鋼の打ち合う火華と、
剣閃の閃華と、
刃を振るう銀の双輪の華。
そのままもつれ合って着地する。
銀の刃は交差したまま。
せめぎあいが続く。しのぎを削る。
先に動いたのは妖夢だった。
その体に霊力が高まる。
「!」
咲夜が気付いた時にはわずかに遅く、その衝撃波で弾き飛ばされた。
吹っ飛びながらもなお受身を取ってすぐさま体勢を整える咲夜。
その間に妖夢は二本の刀で空を斬っていた。
その太刀筋から発する弾。それは、かなり大きい。
「いけっ!」
刀の切っ先を咲夜へ向けると、いくつもの大型弾が一斉に襲い掛かる。
しかし、咲夜は顔色ひとつ変えず、むしろ突っ込んでいった。
「そんな大雑把な攻撃、当たると思って?」
赤い光を放つ大型弾のわずかな隙間。ほんの少しでもずれれば弾け飛んでしまいそうなその
隙間を縫って、咲夜は弾幕を抜ける━━━━
「獄界剣━━━━」
「!?」
弾幕の嵐を抜けたその目の前に疾風となった妖夢が迫る。
楼観・白楼の双剣が牙をむく。
とっさに身構える咲夜。だが、無理矢理な動作ゆえに体勢を崩し視界を隠してしまう。
しかし、衝撃は襲ってこない。
(フェイント!?)
振り向くと、そこには走り抜けた妖夢がいた。
そして、双剣は振りぬかれている。
切り裂いたのは、己の弾幕。
「二百余由旬の一閃」
切り裂かれた大型弾が無数の小さな弾へと変じる。
それはまるで、桜の花びらが、樹から一斉に舞い散っていく様のようで。
無数の小型弾が雨あられと襲い掛かる。
先ほどの無理矢理な防御行動のせいで、咲夜はすぐに避けられない。
ひとつ、ふたつ…無数に舞う赤の花びらは咲夜を刻む。
「く…あっ…」
被弾しながらも、それでもわずかな活路を見出してすり抜ける咲夜。
弾幕という名の桜吹雪を、抜け━━━━
「もらったっ!」
「くっ…」
そして待ち構えていた妖夢。
楼観剣が舞い、白楼剣が踊る。
舌打ちする咲夜。弾幕をすり抜けた直後では不利と見て、ポケットからカードを取り出し、
静かに念じる。
瞬間、咲夜の姿が宙に溶ける。
白銀の刃はただ虚空を斬るだけで。
「なっ」
妖夢が驚いて辺りを見回すと、彼方に逃れた咲夜の姿があった。
片ひざをついて、大きく息をしている。
「…危なかった。貴女、そんな戦い方もできたのね」
「相手が貴女ですから。尋常な手段じゃつかまらないと思って」
苦い表情をして言う咲夜に、冷徹な顔をして妖夢は答えた。
対照的な二人の表情は、流れの逆転を表しているかのようだった。
うかつには仕掛けられない。
そう、咲夜は感じていた。
かといって下手に後手に回れば一気に押し込まれる。妖夢の機動力はすでに何度も
思い知らされた。当たりも強い。押さえ込まれたら、かなり分が悪い。
立ち上がると、ぴしっ、と電撃のようなものが走る。思った以上に先ほどのダメージが
大きかったらしい。
だがそれは妖夢とて同じはず。表情は微動だにしないけれど、確かに手ごたえはあった。
そろそろ、決めたい。同じことを、妖夢も考えているはず。
風となって妖夢が疾駆する。
真っ直ぐに、討ち果たすべき好敵手へと。
対の刀も血肉を喰らわんと踊りかかる。
けれど、咲夜は正面からそれを受け止めず空へ逃げる。
否、逃げたのではなく空から銀の刃を降り注がせる。
それは二人を照らす蒼い月の光のように。
刀を舞わして弾く妖夢。
追いかけて宙へ駆け上がる。
しかし、またしても咲夜は引いてしまう。
「逃げるのかっ!」
そんな様子に妖夢は叫ぶ。
この期に及んで逃げ回るなんて、そんな無様な姿を晒すのかと。
それでも咲夜は答えない。代わりに飛んでくるのは無数のナイフ。
・
・
・
「ああもう、咲夜ったら何してるのよ!」
「そこよ、行け妖夢!」
いらだたしげなレミリアと腕をぐっと上げて応援する幽々子。こちらも対照的だった。
つんつん。
「何よ、今取り込み中━━」
試合に見入っていた二人は、唐突に指で突っつかれた。
「咲夜さん、大丈夫かな…」
遠くから見守る美鈴の声は、不安げで、落ち着きがなかった。
ただ見守るしかできない。そんな自分の置かれている状況が、もどかしくて仕方なかった。
妙に静まり返っていたから、なおさら。
……静か?
「あれ?」
ふと気がついてあたりを見回すと、レミリアも幽々子もいなかった。
「お嬢様? 幽々子さん?」
きょろきょろと見回してみてもどこにも気配がない。誰かが出入り様子もなかったし、
ドアが開閉した音もしなかった。
まるで、神隠しにあったかのように、忽然と姿を消したのだった。
・
・
・
「てええぇぇぇえぃっ!」
一筋、二筋、対の剣に空が裂かれる度にそこに光の筋が浮かび上がり、弾幕が生まれる。
それは咲夜の放つ銀の刃にぶち当たり、爆煙を巻き上げる。
その中を突き抜けて妖夢が姿を現す。
両手の得物が踊りかかる。
けれど甲高い音とともにさえぎられ届くことかなわず。
またしても下がる咲夜は、流星のごとくナイフを投げつける。
おかしい。
それは違和感。まるで別人を相手にしているかのように。
先ほどから飛び掛るナイフの狙いが、甘い。余裕で交わせてしまう。切り払う必要さえない。
与えたダメージが思った以上に大きかったからだろうか?
そんなはずはない。十六夜 咲夜ともあろうものが、あの程度のダメージで泣き言を言うような
性質でないのは以前の永い冬の折に良く思い知らされた。
それなら、闘いをあきらめた? いや、そんなはずはない。
なぜなら━━あきらめという名の絶望に心を打ちひしがれたものが
あんなすました顔をしているはずがない!
「奇術━━」
防戦一方だった咲夜がスペルカードを宣言する。
直後、その姿がすぅっと空気に溶け込む。
「ミスディレクション」
放射状に魔力で生み出された紅い刃が放たれる。
動きを止めた妖夢は地を蹴って一歩下がる。
意志あるがごとく獲物を追う刃。
一瞬、その射線が綺麗にそろい、わずかな空間が生じる。
同時、妖夢は風のごとく弾幕を駆け抜ける。
そこに喰らいつかんとする銀のナイフ。しかし妖夢は速度を落とさない。
ナイフが妖夢を掠める。ひらりと、その銀髪が一筋宙を舞った。
姿を現した咲夜まで、あと少し。
「逃さない!」
存在を確かめるように、右の楼観剣と、左の白楼剣を強く握りなおす。
「奥義━━」
そして妖夢は、桜色の風となる。
「西行春風斬!」
一つ、二つ、三つ…いくつもの桜色の剣閃が縦横無尽に駆け巡る。
さながら夜桜が月光に導かれて舞うがごとく。
けれど咲夜も止まらない。捕まえて御覧なさいとばかりに避ける。
突き抜ける桜色の突風のわずかな隙間を銀色の風が舞う。
桜色の風を抜けた先━━そこに妖夢はいた。
先ほどのスペルカードの展開にかぶる。
ただ違うのは。
必殺の形相をした妖夢に対し、咲夜が冷酷な笑みを浮かべていたことだけ。
楼観剣が空を斬る。
咲夜が念じ、その姿が空に溶け込む。
刃はわずかに遅く、再び咲夜を逃した。
彼方に姿を現した咲夜が手の内のものを妖夢へ向けて投げつける。
身構える妖夢。しかし、それは妖夢の足元に突き刺さるだけ。
「……?」
それはナイフではなかった。
一枚のカード。描かれているのは━━
「ゲームセットよ」
高らかに宣言する咲夜。蒼い月光を背に受けたその表情は、悪魔のように冷酷な笑み。
「降参宣言ですか?」
「馬鹿言わないで。わざわざ死の宣告をしてあげたのに…気付いてないのね」
侮蔑するように言った咲夜は先ほど投げつけたカードに目線を向ける。
それは━━ジョーカーのカード。その姿は、死神にも似ていた。
「ずっと貴女のペースで戦い続けて、わざわざミスディレクションまで使ってその場所へ
おびき出したのに…獲物は罠にかかったことさえ気付いてないのね」
哀れみをこめて言いながら、すぅっと懐から音もなくナイフを取り出す。
月光を照り返すナイフ。その煌きは、死神の鎌のように見えた。
「それではこれより奇術師・十六夜 咲夜の人形劇のはじまりはじまり。糸すら使わず
踊る人形の姿をごらんに入れましょう」
それは処刑執行の始まり。
波紋が広がるように放たれる銀のナイフ。
その中を一閃、突き抜けてくる刃。
難なく交わす妖夢。何のことはない、これはハッタリだ━━
「貴女の時間━━過去も、現在も、未来も、その全てが私のもの」
「えっ?」
そう思った刹那。咲夜の指がパチンと鳴る。
「デフレーションワールド」
辺りの光が急に狭くなる。まるで宵闇が全てを飲み込んでしまったかのように。
けれど真っ暗なわけではなかった。
闇の先に何かがある。
それはひとつふたつではなくて。
たくさん、たくさん。数え切れないほどのそれが、妖夢を取り巻いている。
例えるならそれは、肉食獣の群れの中に哀れな人間が在るような。
そう。
銀の刃という名の獣が
妖しく光るその牙を
紅い紅い甘露な露を飲ませろと
過去という名の墓場を越えて黄泉返ってきた。
放たれ避けたはずのその牙が。
甘い狙いとはき捨てたそのナイフが。
不死者のごとく、そこに在る。
闇を光が覆う。
まぶしいぐらいに闇を満たす光。
それは未来。これから刻まれる時空。
そこにも満ちている。
貴女の時間はここで終わりだと。
悲しいほどに絶望的な宣告をなして。
裁きの光のごとく輝く銀の刃が。
過去が未来へ 未来が過去へ。
現在(いま)へ向けて時を刻む。
通り過ぎたはずのもの 訪れようとするもの。その二つが邂逅する時。
それは、刃という名の鎖を織り成す。
妖夢は鎖に囚われた。
もう、逃れることはできない。
時が動き出す。その刻む音は、終わりへ向かう鎮魂歌。
過去から訪れた不死者と、未来からやってきた裁き手が、死を招く手のように妖夢へと
襲い掛かる
「くあっ」
苦しげにうめき声をあげる。
対の刀を舞わして払いのけようとしても、その防御壁はあまりにももろすぎた。
腕へ 足へ 背へ 胸へ 腹へ。
掠め 喰らい 引き裂き そして貫く。
紅い血飛沫をあげて、妖夢は踊る。
それは、死の舞踏。
「踊れ」
彼方から残酷な咲夜の声がする。
「貴女は時に囚われた人形。もう抗うことはできない。
悲鳴をあげて泣き叫び、血肉を撒き散らし壊れながら最後まで死のステップを踏み続けなさい!」
狂気を孕んだその叫び声。呼応して舞い踊る銀の刃。それを囃すは妖夢の絶叫。
月下美人(刃)のその様は満月狂想曲(フルムーン・ラプソディ)。
もう、止めることのできない人形劇。
銀の刃という名の手繰り糸が
「うおあぁぁぁぁっ!」
紅い霧をシルエットに人形を躍らせて
「ぐふぉあぁっ…う、あぁぁっ」
人形ヲ コワシテイク
「あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫。それが、幕切れの合図。
いくつものナイフが体に突き刺さった妖夢。
血の霧という幕が降りたとき。
どうっ、と、地に、堕ちた。
しん、と、静まり返った。誰もが、咲夜の世界に囚われたままで。
「勝負あったわね」
静かに勝利を宣言する咲夜の声が、無音の闇に響いた━━
━━沈み行く意識、そんな無音の闇にも。
感覚はないのに妙に意識ははっきりしていた。
わたし、負けちゃったんだな。
他人事のように認識する。
また、負けちゃった。あの永い冬の時みたいに。
けど、あの時と違うことがあるとすれば。
『次はない』っていうことかな。
もう飛べない。このまま、沈んでいくだけ。
(ほんとう?)
最初は痛かったけど、今はもう感覚もないなぁ。というか、眠い。
(本当にそれでいいの?)
このまま寝たら気持ちいいだろうなぁ…あーでもそんなことしたら幽々子様に怒られる
かなぁ……
……幽々子様?
(そう。幽々子様に、もう会えなくても、いいの?)
ていうかさっきから何だろうこの声は?
第一、幽々子様は私がいなくったって、十分強いんだから━━
(強くても一人じゃ生きていけないから)
……え?
(幽霊は、ぬくもりがなかったら、さびしくて消えてしまうから。
私も、幽々子様も)
ぽぅっ…とぼんやりした明かりを感じる。
無限の闇の中で、それが私の周りを取り巻いているのを感じる。
『私』も?
……ああ、そっか。貴女は━━
(まだ終われないよね? 幽々子様と、約束したよね?)
そうだよ、まだ終われない。
約束したもの。『必ず勝つ』って。
このままじゃ、西行寺家の面子に泥を塗ることになるし。
それに。二度も借りを作るなんて、まっぴらごめんだ。
魂魄家の家訓には、貸し借りには厳しく、ってあるんだから。
第一……私がいなかったら、誰が幽々子様のお食事を作るの?
誰が白玉楼二百余旬の庭の世話をするの?
誰が……幽々子様とぬくもりを、分かち合うの。
私しかいない。そして、何よりも。
幽々子様のぬくもりを、なくしたくなんてない!
もっとお側にお仕えして、一緒の時間をすごしたい!
私はまだ、消えたくなんてない!!
(人の私(あなた)は傷つき斃れたかもしれない。でも、まだ私がいる。
まだ終わってない。一緒にいこう。幽々子様の所へ帰るために)
そうだね、まだ霊の私(あなた)がいる。
だから、一緒にいこう。
ぼんやりした明かりがぐにゃりとなって人の形を作る。
それは━━誰でもない、私の姿。
人の私と霊の私(わたしたち)は溶け合って、ひとつになる━━
・
・
・
「勝者、十六夜 咲━━」
「待った!」
今まさに、永琳が咲夜の手をとって勝利宣言をしようとしたその瞬間。
高く、どこまでも高く、声が響いた。
誰もがその声に注目した。
ゆっくりと、ゆっくりと、声の主は立ち上がっていく。
「……死に損なったのね、貴女」
「あいにく、生き汚いもので」
冷たい言葉を浴びせかける咲夜に、肩をすくめるようにして言う妖夢。
傷だらけでいっぱいいっぱいだけれど、それでも。
その足は、地面を踏みしめる。
「負けっぱなしはごめんですよ…こう見えても負けず嫌いですから」
「そう言わないで負けてしまえばいいのに」
「謹んで遠慮させていただきますよ……それに」
咲夜の辛辣な言葉に敬語で皮肉る妖夢。
右手に楼観剣を。左手に白楼剣を。
双剣を月に掲げる。月光を照り返すその刃に、月の顔が映った。
「まだ、試してみたい技があるんですよ」
「それが私に通じるのかしら。まして、そんな体で使えるのかしら」
冷たく言い放つ咲夜。
実際、妖夢の体はぼろぼろだった。
いたるところにナイフが突き刺さり、あるいは引き裂かれている。並みの人妖ならば
確実に死んでいるであろうダメージのはず。
それでも妖夢は立っている。それは、他でもない。
「言ったじゃないですか。私、負けず嫌いだって。それに━━」
顔を上げて咲夜を見つめた妖夢は、ひどく穏やかな目をしていた。
「まだ、幽々子様のお側でお仕えしていたいんですよ。だから、死ねないんです」
「……ッ!」
それは鋭くもなく、冷たくもない。だのに、聞いたものに強く響く言葉。
妖夢の言葉は、そんな力を持っていた。
そしてその言葉は、咲夜のもやを振り払った。
戦う前からずっと、咲夜の胸の中に渦巻いていたもの。それは━━
「同じね。私も、まだ紅魔館の侍従長やってたいのよ。あそこにいると、生きてる、って
実感できるから。
━━毎日が、充実してて仕方ない。
何よりね、感じるのよ、はっきりと」
目を閉じる咲夜。そこに浮かぶ、紅い夜の姫君の姿。
「私は、必要とされてるんだって」
目を開ける。この会場のどこかにきっといる。見守ってくれている。
どうしようもなくお人よしな、お馬鹿な、門番が。
「大切な仲間たちと、馬鹿やってたいんだって!」
咲夜の手に必殺のナイフが握られる。
決意を込めた言葉とともに。
それぞれの手に秘められた、彼女らの髪色と同じ、けれどわずかに違う銀の刃。
蒼銀のナイフと、白銀の双剣。
その刃が、ひどく優しく二人の行く末を見守る月の光を、それぞれの色に染めて照り返す。
今宵、この刹那、この場に集った全ての存在と、闇色の天蓋と、高く唄う蒼月。
それらは全て、妖夢と咲夜という、ただ二人の刃に魅入られている。
この世界は今、二人だけの世界。
「今度こそ終わりにしてあげる!」
咲夜が、風になる。
どんな風よりも疾く、冷たく、そして鋭い風。
あの銀の輝きを、切り裂けと、その風は疾駆する。
「━━━━これが、先代・魂魄 妖忌の忘れ形見」
「えっ?」
そう。対の剣そのものが輝いていた。
否。
その身に彼方の月を映し出して、
月の輝きを、吸い込んで、眩しいほどに照り返していた。
そして━━
「待宵反射衛星斬」
━━その一瞬に、煌いて。
「止まれえええええええええええぇぇぇっ!」
世界が、セピア色に変わる。
眩しいほどに煌く輝きも、それを乗せた剣閃も、それを放った銀髪の少女も。
一瞬という名の永遠に煌く閃光。それは気違いじみたエネルギーを放っていた。
それを押さえ込むために、残る全ての力を振り絞って、咲夜は時を止めたのだ。
直撃する、本当にわずか寸前に。
そうそう長くは時の流れを止めていられない。
例えば、奔流する川の流れをいつまでもせき止めていられないのと同じ。
妖夢の背後に回る咲夜。
刹那、時間という名の川は、怒涛のように流れ出す。
次の瞬間、妖夢は彼方へと流星のごとく駆け抜けていた。
必殺の剣閃は、━━外れた、のだ。時間操作という、ジョーカーによって。
しかし、なおも双剣はその輝きを失わない。まるで互いを呼び合うかのように。
互いが、合わせ鏡のように。
「共鳴!?」
咲夜がそう叫んだ直後、波紋が広がっていくように、幾筋にも渡って光の剣閃が浮かび上がる。
そこから生まれる弾幕。無数の剣閃から広がるその弾幕は、あまねくその空間を埋め尽くす。
まるで……月は、どこまでも照らしてくれているのだとでも言いたげに。
「……は」
息を漏らすように、咲夜から機械地味た笑い声が一言だけ零れた。
もしもあの剣が、己に映し出した月の力を、互いを合わせ鏡にして広げたとするならば。
それは無限。その刃が月光を照り返すところ、届かぬところなど無く。
逃げることも避けることも、突破することもかなわない。
「なんて、出鱈目なの」
乾いた声が咲夜から零れる。
「けどね」
それは笑い声に変わる。
咲夜の蒼い綺麗な眼が━━紅く染まる。
「月は優しく見守るだけじゃない…時に人を狂わせるものだから」
そんなスカーレットの眼をしたものを、人は狂気と呼ぶ。
それならば。狂っているならば。
あのルナティックな弾幕へと、飛び込んでいける。
「貴女を殺すわ」
ひとつひとつの弾は花びらのように、秋の夜風に乗り、視界を埋め尽くすほどに密集して舞う。
秋の象徴たる紅葉のような鮮烈な色合いではない。凛と鈴の鳴るような、涼やかに透き通った
光に彩られた月桜。
そんな花びらに彩られた季節外れの桜吹雪。触れれば触れたものもろとも消えてしまいそうな、
儚くも美しく切り刻むその弾幕。
中にいれば風とともにかけらも残さず舞い散ってしまいそうな、そんな弾幕の中を、
一陣の銀色の風が突き抜ける。
月影の桜吹雪を舞いめぐるその姿は、まるで月の妖精のようで。
そう、狂気という名の。
「見つけた」
短く言う咲夜。
紅い紅いその瞳は、光の花びら渦巻くその中に佇む妖夢を捉えた。
もう逃さない。
これで終わり。今度こそ、解体(バラ)してあげる。
「傷魂」
スペルカードを握る。
文字通りの切り札。これで、終わりにして━━
(極意)
咲夜がスペルカードを宣言したのとほぼ同時。その魔力が紅い刃となりて
舞う、その刹那の時の狭間に。
そんな声が唐突に、二人だけの世界に響いた。
月桜の中佇むその人と、同じ声が。
月明かりに彩られた花びらの世界の中、ひときわ眩しく煌く魂の輝き。
それは流星のように一瞬に煌いて。
それはまごうことなく真っ直ぐに閃いて。
(待宵反射衛星斬)
それは、剣閃という名の華 『月下美刃』━━━━
ガラスの割れたような音が咲夜の耳を走る。
それは、咲夜の時が砕かれた音。
「ぁっ……」
紅い瞳が、元の蒼いそれへと戻っていく。
咲夜がようやく何があったのかを理解し、小さく声を上げたときには、もうその体は
崩れ落ちていた。
妖夢本体が動いていないなら、それはあのスペルカードしかない。
霊体を分身と化し、戦わせるあのスペル。
「幽冥の、苦輪……」
「切り札は私に味方したみたい。ジョーカーを引いたのは貴女のほうでしたね」
淡々と、妖夢は言った。
「私は、人の私(わたし)だけでは半人前だから。人と霊(わたしたち)で、
やっとひとつなのだから」
ポツリと、小さく言う妖夢。
そんな妖夢に、咲夜を斬ったもの━━霊体の妖夢が寄り添う。
人の妖夢は、穏やかに微笑んで、震えながらその口を開いた。
「あり…が…とう…」
言い終えたその瞬間、紅の霧が舞う。
全身の傷口から出血して、妖夢は崩れ落ちた。
しん、と、会場は無音に支配された。
誰も何の音も発しない。そして、その視線はただ二人に釘付けにされている。
崩れ落ちた、二人の銀の刃に。
それでもなお、血の海の中で咲夜はもがいていた。
自分の血でその白い肌を紅く染めながら、立ち上がろうとして、そのたびに地に堕ちていた。
(もうダメ、かな━━)
紅い世界にたゆたう咲夜は、諦めとともに、その中へと沈んでいってしまいそうだった。
そういえばお嬢様の象徴たる色も紅。
慙愧の念が、咲夜の中に広がっていく。
申し訳ありません、お嬢様。スカーレットの面目を保てず、しかも勝手に消えてしまう
咲夜を、お許しください……
そういえば美鈴の髪色も、紅。
つくづく、私は紅という色に縁が深いんだな、なんて思いを持ってしまう。
約束、したんだけどな。絶対勝つ、って。それで、勝ったら…ご褒美、もらうはずだったのに。
私がいなくなったら、どうせまた門番サボってうずらさんとお昼寝でもしてるんだろうなぁ…
まったく、私も混ぜなさいよ。すっごく、眠いんだから━━━━
「咲夜さん!!」
響き渡る声が、無音の世界にひびを入れて、虚無の中を漂っていた咲夜を呼び戻した。
はっ、と目を見開く咲夜。そのずっと先に、声の主がいた。
観客席まで出てきて、必死に咲夜の名を呼ぶ美鈴が。
その表情…悲しそうで、不安げで、今にも泣き出してしまいそうで…まるで犬みたい。
心の中で、ため息をつく。それと一緒に、微笑みに似たものも、広がる。
━━そんな顔するような貴女に…紅魔館の侍従長なんて任せてられないわ、やっぱり。
ぐぐっ。
震えるその手が血の海の中をしっかりと支え、少しずつ、咲夜の体が立ち上がっていく。
涙と心配でぐしゃぐしゃになっていた美鈴の顔が、喜色へと変わっていく。
一方妖夢は、全ての力を出し尽くして地に伏せていた。
咲夜の奥の手を喰らったその身で奥義を放ち、あまつさえその上に霊体を行使するなどという
荒行をやってのけたのだから、無理もない。
それでも、その手は地面の土をつかんで…けれど爪あとを残すだけ。
「……ッ」
そんな様子を見て、開幕からずっとBGMを演奏し続けていたルナサが歯噛みする。
「立て、妖夢!」
その声は、合奏の音を断ち割って、這い蹲っている妖夢の耳に届く。
「君がこのまま倒れれば幽々子嬢はどうなる? 大切なものを失ったものは━━━━」
言いながらルナサは…遠い昔に消えてしまった、自分たちの生みの親であり妹である
レイラを思い出し、最後の言葉までつむげなかった。
それでも。
妖夢の手のひらが地面について、その体を押し上げていく。
「さびしくて、消えてしまいそうになるから……」
うわごとのようにつぶやきながら、ゆっくりと、妖夢も立ち上がっていく。
「負けるな妖夢! あんな奴ぶっ飛ばしちゃえ!」
メルランが腕を振り上げて叫ぶ。
「妖夢立って! 死んじゃやだよ!」
リリカが半分泣きそうになりながら叫ぶ。
西行寺家縁の騒霊たちは、三人三様に妖夢を後押しする。
その時、会場が二つに割れた。
咲夜を応援する声と。
妖夢を励ます声に。
二人だけの世界に色がつき、音が広がる。
「「帰らなきゃいけないのよ……」」
異なる声色が重なる。
「「私の在るべき場所へ……」」
思いは、一緒だから。
「「だから……!!」」
主の面子と、己の思いをかけて、二人は今一度走り出して━━━━
━━━━ふわり。
えっ?
異口同音。同時に、二人は、声にならない声をあげていた。
咲夜はレミリアに。妖夢は幽々子に。それぞれ、後ろから抱きしめられていた。
「「もう、いいのよ」」
そんな主たちの言葉も、重なった。
「どうし…て…?」
まるで壊れた機械のように呆けた口調で言う妖夢。そんな腕の中の妖夢に、幽々子は優しく
微笑んで言う。
「紫にね…ひっぱたかれたのよ」
見れば、幽々子にもレミリアにも、その頬に薄い赤の紅葉の痕があった。
「『貴女たちのために、貴女たちが思う以上に従者たちは命をかける。大切なものを、
こんなことのために失ってしまっていいの?』って。何も言えなかったわ」
幽々子の後を受けてレミリアが言った。
レミリアは、腕の中の咲夜を見つめて、ひどく優しく、そして痛々しげな表情をする。
赤みのかかったレミリアの服を、咲夜から流れる血が紅に染めていく。
「こんなになるまで…本当、ありがとうね、咲夜」
「……もったいないお言葉でございます」
レミリアのねぎらいに、感極まった声で返す咲夜。
「妖夢も良くがんばったわ…ご苦労様、妖夢」
「……ッ! 申し訳ありません幽々子様……こんな、不甲斐なくて……」
「いいのよ。まだ貴女は若いのだから」
幽々子の慰めに、思わず涙をこぼす妖夢。そんな妖夢をぎゅっと抱きしめる幽々子。
やがて二人の従者は、それぞれの主のぬくもりの中で、意識を失った。
見守っていた永琳は、軽くため息をつくと、片腕を天へと突き出し、高らかに宣言した。
「両者戦闘続行不能とみなし、この勝負、引き分けとします!」
しん、と会場は静まりかえった。
が、すぐに場はどよめきだす。あれだけ盛り上がったのに、不完全燃焼で終わって
しまったのだから当然といえる。
しばらくざわめく声は収まらなかったが、やがて誰かがわああああっ、と歓声を上げると。
波が広がり、強くなっていくかのようにそのボリュームは上がり。
やがて、満場一致の歓声が上がった。
妖夢と咲夜。二人の健闘をたたえる、ギャラリーの精一杯の声援だった。
その中を、幽々子とレミリアが、それぞれの従者を抱きかかえて永琳の元へ歩み寄る。
「だいぶひどい傷を負ってしまっているわ。咲夜の治療、お願いできないかしら」
「妖夢も全身ずたずたなの。半身の霊体も、随分と疲労の色が濃いみたいで…」
それぞれに従者の身を案じ、その身柄を永琳へ託す。永琳は、言い聞かせるように優しい
表情をして口を開く。
「大丈夫よ。主催として、しっかり救護のほうもさせてもらうわ。ウドンゲ、手伝って頂戴」
「はいっ!」
言いながら、二人の重傷患者を預かる。
背の低い妖夢を鈴仙が、高い咲夜を永琳が抱きかかえる。
その様子をお嬢様二人はぼうっと見つめていた。
「ねえ幽々子」
「何、レミリア」
「この勝負…誰が勝って、誰が負けたのかしらね」
言われて、幽々子は人差し指を唇に当てて考え込んだ。
その視線が運ばれていく二人の銀の従者に向かって…その口が開く。
「そうね…あの子たちの勝ちで私達の負け、かしらね?」
「ふふ…違いないわ」
満足げにうなずいて、レミリアは言った。
咲夜と妖夢、どちらが強いか?
そんな些細なことから始まったこの戦いだったけれど、こうして決着がついた。
今はただ穏やかな時間が流れていくだけ━━━━
「おいおいレミリア、幽々子。このまま終わるんじゃないだろうな?」
突然そんな声が響いた。
呼ばれた二人が、会場の観客が、声の主へと目をやる。
この戦いのきっかけを作った張本人…魔理沙だった。
「確かに綺麗な終わり方だけどさ。でも私たちはボルテージが上がっておいて、
それがやり場のない状態になってる。このままじゃ欲求不満だぜ」
すっくと立ち上がって観客席からお嬢様たちを見下ろす魔理沙。その様子は
挑戦的だった。
最初は黙っていた他の観客も、やがてそうだそうだと諸所から声を上げた。
「そうね…じゃあ、どうしてほしい?」
口元に手を当てて、おかしそうに言う幽々子。どこか楽しげで、何かを期待している
ようでもあった。
「どうしてほしい、ってそりゃあもちろん」
言いながら魔理沙は箒にまたがる。ついでに無理矢理アリスの手をひったくる。もちろん
アリスは抵抗してあれこれと魔理沙に向けて言うが…当然無駄な努力に終わるし、聞いてない。
「従者が退場したんじゃ、出てくるのはお嬢様しかないだろ!」
叫び、猛烈なスピードで突っ込んでいく。
「ルール無用のバトル・ロワイヤルだ! 力尽きるまでぶっ飛ばすぜ!!」
それが皮切りとなって、テンションのあがりまくった命知らずの人妖たちもステージへと
突撃していく。
レミリアと幽々子は━━不敵に笑って、 背中合わせに身構えた。
「まさか貴女と共闘することになるなんて夢にも思わなかったけど……」
死蝶の両手に戦闘扇(バトル・ファン)の羽を広げながら、幽々子はそんなことを言い出した。
けれど、そこに不本意だとか嫌悪みたいな思いはなく、心底楽しんでいるようだった。
「まったくね。運命ってどこでどう絡まるかわからないわ…運命を操る私にもね」
紅い悪魔は、自らを象徴する色を放つ光を収束させ槍をかたどらせる。
彼女もまた、とてもおかしそうに笑っていた。
━━その目に狂気を孕んで。
「ぶっとべええええええええええええええ!!」
初っ端から魔理沙はマスタースパークを放った。
幽々子の扇がそれを受け止め━━そして、受け流す。
受け流されたその光の奔流はそのまま観客席へと突っ込み爆散する。
「ええい、もう自棄よ!」
叫びながら空中に放り出されたアリスは人形を展開させて弾幕を張り、自らその手に
愛用の上海・蓬莱人形を乗せてレミリアにレーザーを打ち込む。
集中砲火の的となってもレミリアは引かない。その手の槍を思い切り振りかぶる。
放たれる紅の一閃は、弾幕もレーザーも一緒くたに吹き飛ばす。
そして、乱闘の嵐の中に、レギュラーメンバーも次々と参戦していく。
チルノと大妖精が。
「ちょっ、チルノちゃん早まらないで!」
「何言ってるの大妖精! ここでやらなきゃ乙女が廃る!」
「ひええぇぇぇ」
パチュリーと小悪魔が。
「小悪魔、レミィの援護をするわ。手伝って頂戴」
「い、いくらなんでもこの数ですよパチュリー様!? こんなの相手してたらお体が…」
「だからよ。まったく、無茶する友達を持つと苦労が耐えないわ!」
プリズムリバー三姉妹が。
「どうするのルナサ姉さん?」
「このままこの戦いを囃す曲を奏でていてもいいが…妖夢があれだけがんばったんだ。
ここで弾幕を張らないでどこで張る?」
「がんばってね~、私はソロで演奏してるかr」
「「リリカも来るの!」」
「いやぁああああああ」
リグルとミスティアが。
「私の歌を聴けええええええええええええ!」
「落ち着け、早まるなミスティア!」
「いっつもいっつも私を追い回してからにあの@幽霊! 今日という今日こそ
目にもの見せてくれる!」
(目が据わってる…あーあ)
慧音と妹紅が。
「よせ妹紅! いくらお前が死なないからって五体満足でいられるはずがない!」
「だからよ慧音。こんなふざけた乱闘だから…充実するんだよ。生きてるって、
感じさせてくれるからね!」
「だが……」
言いよどんで言葉が続かず、そのまま妹紅は渦中へ飛び込んでいってしまう。
そこを、慧音の袖を引っ張るものが。
「ねえねえ。あの蝶々、食べられる?」
「いや、ちょっと待て。あんなもの喰らったら、死ぬぞ」
「そーなのかー」
言いながら声の主━━ルーミアもまた突っ込んでいく。話なんて聞いちゃいない。
「ええい、ままよ!」
ここでも苦労人が、いろいろと吹っ切れて渦中へと踊りこんでいく。
萃香が。
「みんなヤル気だねぇ…私も、逝かせてもらおうかなっ!」
そして霊夢が。
「あんたたちそろいもそろって馬鹿やって…いい加減主人公(わたし)を差し置いて
盛り上がってるんじゃない!」
飛び込む、飛び込む。
飛んで火にいる夏の蟲のように、その渦中へと飛び込んでいく人妖。
これに対して中心にいるのはただ二人。
幽姫と吸血姫が、背中合わせで群がる人妖と闘っている。
「中国! 何やってるの!」
「は、はいいぃいぃぃっ!」
観客席で場の流れに翻弄されて慌てふためいていた美鈴へ向かってレミリアが怒鳴る。
その声が響くや否や、急にぴんと背筋を張る美鈴。
「手が空いているなら咲夜のところへいって守ってやりなさい! もし万が一のことがあったら
……もう二度とこの呼び名を変えないわ、美鈴」
「ぁ…はいっ!」
ぷいっとレミリアは不機嫌そうに顔を背ける。主はそんな様子だけれど、美鈴は
ぱぁっと顔を輝かせて駆け出していく。
「うちの子もお願いね。今頃熟睡してるだろうから」
「了解です! 門番として絶対二人を守って見せます!」
言うが早いか美鈴の姿はもうだいぶ遠くなっていった。
そのせいで、「いつも魔理沙に負けてるくせに」というレミリアやパチェの声は
美鈴には届かなかった。
見送ったレミリアは、ふっ、と軽く笑った。
「後顧の憂いはなくなったし……そちらも覚悟はよくて?」
「ええもちろん。この宴、終わるまで舞ってみせるわ」
「上等。私も夜の王の名にかけて、今宵の宴は仕切ってみせるわ!」
背中合わせの二人もまた、この狂った宴の中で舞う。
西に傾いてきたがまだ月は高い。
今宵集いし人妖、百鬼夜行となりて踊り狂う。
満月の下咲く弾幕という名の花。それは一夜限りの月下美刃。
満月の下咲く少女という名の華。それは狂気に踊る月下美人。
その宴の終わりは、未だ遠い━━━━
しかしここに正気を保った被害者たちが。
「なんて馬鹿げた乱闘なの!? このままでは永遠亭にまで…」
(えーりんえーりん助けてえーりん!)
大乱闘を見て頭を抱える永琳たちに主の助けを呼ぶ声が響く。結界を張って永遠亭への
被害を防いでいた輝夜であったが余波があまりにもひどすぎて抑えられなくなってきたのだった。
「姫様!? ウドンゲ、ここは任せたわよ」
「は、はいっ! って、ええぇぇぇ!?」
勢いで返事をしてしまったものの、こんな大乱闘をどうしろというのか。
「とりあえずケガ人が出ても死人が出ないようにしてくれればいいわ!!」
「いや、ちょ、それ…!」
あまりにも無茶苦茶な言いつけだったが、鈴仙が何か言う前にもう永琳は飛んでいって
しまっていた。
「あああもう、こんなのどうしろって言うんですかぁっ!」
「それじゃがんばってねれーせn…」
「待ちなさい!」
何食わぬ顔でその場を立ち去ろうとしていたてゐの耳を、鈴仙は光の速さでつかむ。
「こうなったらあなたも道連れよ!」
「いやああぁぁあああぁぁ!!」
(少女乱闘中━━━━)
「みょ…おおぉぉぉおん…」
さわやかな朝凪が吹き抜けていく中、みょんな声をあげながら気持ちよさそうに背伸びをする
妖夢。ぐっと体を伸ばして気持ちよさそうな顔をしている。
思い切り伸びをした後、肩に手をやってもむ。
「なんだか怪我を治してもらってからすっごく体が軽いなぁ…」
言いながら、数日前のことを思い出した。
大乱闘に次ぐ大乱闘によって、当然特設会場は哀れ瓦礫と化した。
最初は百鬼夜行のごとく無数の人妖が入り乱れていたが、月が沈むころには
もはや誰一人として動くものはいなかったのだという。
しかしそれほどの乱闘にも関わらず、死者が出なかったことは奇跡に近かった。
これも鈴仙がうまく立ち回った結果なのだろう。
ちなみに永遠亭はこの狂気の宴のけが人をことごとく収容して治療をした。
後日法外な請求書が行ったとかなんだとかいう話も聞くが、それはまた別の話。
目覚めた妖夢の隣ではぼろぼろになった幽々子が寝ていた。
とは言うものの微妙に寝苦しそうにうなっていたので案外たいしたことは
なかったのかもしれない。
それでも妖夢にとってはパニックもいいところの状況で、事実を認識したとたんに上へ下への
大騒ぎだった……無論その瞬間傷に電撃が走って縮こまったのは言うまでもない。
そんなわけで主従仲良く永遠亭に入院して、数日後完治した後帰宅して今に至るわけである。
「妖夢~? 朝ごはんは~?」
「はい、ただいま」
主の呼ぶ声に返事をして飛んでいく妖夢。
いつもと何一つ変わらない光景だった。
食卓に並べられた朝餉は温かな湯気を立てていた。
……が、そのお皿のおかずが見る見るうちになくなっていく。
女二人の食事とは思えないほどの量なのに。
「妖夢、おかわり」
差し出されたお椀を受け取って、お釜からご飯を盛る。ちなみに、これがすでに3杯目。
しかし、妖夢にしてみればいつもと変わらない、いつもどおりの出来事なので
動じることはない。ただ、言うことがあるとすれば━━━━
「幽々子様も少しは控えてくださいね。最近白玉楼の財政は食費が半端じゃなく肥大して
きているんですから」
「うー…いいじゃないの、ご飯食べないと死んでしまうわ。他の無駄を削ればいいじゃない」
「幽々子様の食費は常軌を逸してるんです!」
可愛く口を尖らせる幽々子に一般人的な突込みを入れる妖夢。もちろん、無駄なことなのは
承知の上だ。
「ところで妖夢。食べ終わって片づけが終わったら、ちょっとお使いに出て頂戴」
「お使い、ですか?」
「ええ。ひとっ飛び香霖堂までいってきて買ってきてほしいものがあるの」
「はぁ。また妙なものじゃないでしょうね?」
「『また』? だいたい、妙なものって何よ?」
「え? えーと、それは……」
逆に突っ込まれて何を想像したのか、顔を赤くして両の人差し指を付き合わせる妖夢。
「ああ、妖夢ったら、私はどこで育て方を間違えてしまったのかしら。こんな
イケナイことを妄想する子に……」
「そ、そんなこと考えてませんっ!」
さめざめと泣く(ふり)幽々子に妖夢は怒鳴るように噛み付く。
「ほら妖夢、さっさと食べちゃいなさい。片付かないでしょう?」
さっきまでの泣いた(ふり)もどこへやら、一瞬のうちに表情をキリッとさせて
幽々子が言った。
う~、とうなって、あんまり味なんて感じないだろうなぁと思いつつ食事を口に運ぶ妖夢。
けれど、はっきりと味がした。日常という名の温かみが、そこにあった。
なんとなく、生きていて良かったなぁと思う妖夢だった。
「紅茶の茶葉なんて…随分珍しいものを買うんだなぁ」
空を飛びつつ妖夢は買い物かごへ目をやる。
古くからこの国に在り、長いこと幽霊をやってきた良家のお嬢様である幽々子が
緑茶以外のものを飲むなんてことはこれまでなかったことだった。
いったいどういう風の吹き回しなんだろうと思いつつ、まああの人だし何か変な
ことに使わなきゃいいけど……とますます頭の痛くなることばかり考えてしまう。
「あ……」
そんなことを思っていると、向かい側から誰かやってきた。
自分と同じ銀の髪をした、紺のエプロンドレスに身を包んだ少女。
咲夜だった。
咲夜も妖夢の姿を見て、空中で立ち止まる。
そのまま距離を置いて、呪縛されたように二人とも動かなかった。
「…………」
「…………」
視線が交わされる。
睨むでもなく、しかしその表情は笑っていない。
空気がひどく重い、そんな時間が続く。
━━━━けれど不意に、まるでにらめっこに決着がついたかのように。
どちらともなく、笑い出した。
「こんにちわ」
「はい、こんにちわ」
笑いながら、二人とも普通に挨拶を交わした。
とてもとても、自然に。
「具合はどう?」
「おかげさまで。咲夜さんもその様子だとピンピンしてるみたいですね」
「まあね。私がへばってたら、お屋敷の仕事がはかどらないし」
適当な野原へ降りて、二人は雑談していた。
風は穏やかでお日様はぽかぽか。そんな天気にならうかのように、雰囲気も和やかだった。
「貴女が顕界へ出てくるなんて、何かあったの?」
「幽々子様からお使いを申し付かって…まあ、紅茶なんですけど」
「紅茶? 他の人ならいざ知らず、幽々子が紅茶なんてどういう風の吹き回しかしら」
「私が聞きたいぐらいですって」
言いながら妖夢はぐきっと首をかしげる。みょんな音が出ているぐらいなので、かわいらしいと
言うよりは滑稽な仕草だった。
「咲夜さんはどうしたんです?」
「それがねぇ…新人の子をお使いにやったんだけど、ミスしたみたいでね。まあ、やらせないと
覚えないから仕方ないんだけど、そういうわけで私が後始末してるわけ」
「なるほど…苦労しますねぇ人を使う立場にいると」
妖夢が同情するように言うと、違いない、と咲夜は苦笑した。
それから少しの間言葉はなかったけれど、それでも気まずくはならなかった。
暖かいというよりは少し冷たい、そんな心地よい秋の空気のせいかもしれない。
と、不意に咲夜が、ん~っ、と声を上げながら思い切り伸びをした。
めったに見られない、完全で瀟洒なメイドさんの、ちょっとはしたない姿。
ぐっと体を伸ばしたまま、どさっと後ろに倒れて咲夜は寝転がった。
「ど、どうしたんですか、急に?」
「貴女もこうしてみたら? 何か釈然としないことがあっても、とりあえず気にしないで
お日様に向かってみるのもいいものよ?」
言われて、妖夢もぐっと伸びをして寝転がった。
秋晴れのお日様を目いっぱいその身に受ける。
それからしばらくまた会話はなかったけれど、唐突に咲夜が口を開いた。
「闘う前━━」
「?」
妖夢が顔を横に向けると、どこか遠くを見るような顔をした咲夜がいた。
「私は、不安みたいなものに駆られていたのよ。それがなんだかわからなくて、
いらだってた」
独り言のようにつぶやく咲夜に、妖夢は何も言わなかった。
ただ耳を澄ましているだけで。
「でもね。それが何なのか、気付かせてくれたのは貴女だった」
「私がですか?」
「ええ」
妖夢のほうを向いた咲夜が軽く笑う。それは、とてもさわやかな笑み。
「お嬢様のためなら笑って死ねる。それだけの覚悟はある。それは本当。それなら、
何で不安だったのか━━」
そこまで聞いて、妖夢は咲夜の感じていた思いが何なのか理解した。
自分と同じ思いだったのだから。
「生きてて良かった、って思うわ。またいつもと同じようにお嬢様のお側にお仕えして、
お屋敷で働くことができて……」
「……私も、同じです」
言って、妖夢も笑った。
「大喰らいで、何を考えてるのかわからないけど、それでも私は幽々子様のお側に
いたいんですよ。多分…あったかいから、かなぁ…そんな日常が」
「そうね」
言うと、二人の目が合って、その瞬間、二人ともまた笑った。
「でも…ちょっとだけ、ショックでしたよ」
「?」
妖夢の笑顔が急に崩れて、どこかさびしそうなものに変わる。
「最後のあの業…おじいちゃ…先代の、形見業だったんですよ。私がまだ未熟なのは仕方ないけど、
それでも…斬れなかった」
自分を責めるようなその言葉。それは、妖夢がどれほど妖忌を慕い、その業に誇りを
持っていたかをあらわすのに十分だった。
けれど、咲夜はそんな妖夢に苦い笑みを浮かべた。
「あら、私は斬られたわよ。あの時━━━━貴女に」
えっ、という言葉は、妖夢の口から声にならずに出た。
妖夢が咲夜のほうを向くと、咲夜は胸元から何かを取り出していた。
「懐中時計、ですか」
「ええ」
秋の陽射しを受けたその時計は、さびしげに輝いていた。
蓋には斬られた痕があり、ガラスは砕けていた。
遠く、遠くを見つめた咲夜。返事もここではないどこかにいるようで。
そんな咲夜を、妖夢は虚空のように感じた。
「この時計はね……お嬢様から、いただいたのよ。
━━━━出会ったあの時に」
ぁ、と妖夢から息のような声が漏れる。
「この時計が、あの時私を守ってくれたのよ」
その言葉に、妖夢はあの瞬間のことを思い出す。
ガラスが割れるような音。けれどそれは似て非なるもの。例えば、魂が切り裂かれた時に
似ている。そんな音が、確かに響いた。
「その……ごめんなさい」
「いいのよ、謝らなくて。お嬢様との絆を盾にしなければいけなかった私が弱かっただけだから」
しゅんとなって謝る妖夢に、あべこべに咲夜が慰める。
それが滑稽で、けれど悪い気はしなくて。
さびしげな笑みから、湿った吐息が漏れる。
「幻想郷での私の時を一緒に刻んできたこの時計は……もう」
「そんなことはないです!」
急に、妖夢が叫んだ。
あまりの勢いに、咲夜はぽかんと気を取られてしまう。
「ずっと一緒だったのなら…まだ、咲夜さんがいます。私が幽霊と二つでひとつであるように。
それに、その絆をくれたレミリアさんの側に、今咲夜さんは立っています!
絆は切れてないです」
必死に妖夢は言葉を重ねる。そこにあるものは、目いっぱいの思いやり。
「それに…楼観剣には、絆は、斬れません」
えっ、と声を上げる咲夜。その視線の先には、目を細めて優しげな顔をしている妖夢がいた。
「楼観剣はどんな強敵だって打ち倒せる。どんな強敵からでも大切なものを守ることができる。
でも……大切なものは、斬れないんだ、って、おじい…先代がおっしゃってました」
言い聞かせるように、静かに、妖夢は語る。その言葉の一つ一つが、咲夜に染み入ってくる。
「ほら…あんまり咲夜さんが辛そうにしてるから、その子が心配してるじゃないですか」
ふふっ、と笑う妖夢。その子と呼んだのは咲夜の時計のこと。
指をさす妖夢につられて咲夜は時計に目をやる。
そしてその表情が、見る見るうちに変わっていった。
壊れたはずの時計が。
生まれたての仔鹿が必死に立ち上がろうとするかのように。
かちりと、その針が、時を、刻んだ。
「ぁ……」
か細い声が咲夜から零れる。それとともに、雫もまた、一筋。
咲夜の時は━━死んでは、いなかった。
・
・
・
「さ、て。いつまでも油売ってられないわ。お屋敷に戻らないと」
咲夜は立ち上がると、ぱんぱんと服についた埃をはらう。
続いて妖夢も立ち上がる。
「それじゃあ」
「ええ」
それだけ言うと、二人とも、在るべき場所へと飛び立っていった。
『また、相見える時に』
言葉に出ることはなかったけれど、その思いは重なった。
幻想郷に広がる巨大な湖・紅魔湖。
その中心に浮かぶ島に、紅魔館は立っている。
上空から銀の少女が降り立つ。この屋敷の顔である咲夜だった。
「あら?」
目の前の光景を見た咲夜はそんな声をあげた。
屋敷の門前で、美鈴と、いつぞやの夜雀が話している。
「はい、肉まん。お代はコイン1個よ」
「わあぁ、ありがとうございます~、うずらさん」
「うずらじゃないから!」
どうやら行商をしているらしいミスティアから美鈴が肉まんを買っているらしい。
「それじゃあまたお願いしますねうずらさん」
「だからうずらじゃないから!!」
飛び立っていくミスティアは最後までうずら呼ばわりされていた。
それを見送った後、美鈴は手の中にある肉まんを見て幸せそうな顔をする。
「だんだんと空気が冷たくなってくると…おいしいんだよなぁ」
言いながら、ほんわかした顔で目いっぱい口をあける。
「あーn「で、何やってるのかしら美鈴」
場が凍った。
肉まんは美鈴の口に入る寸前で止まっている。
そんな状態で、器用に、油の切れた機械が動くようにぎちぎちと、ゆっくりと咲夜に
顔を向ける美鈴。
「さ、さくやさん…?」
「貴女…仕事サボって何してるのかしら」
無機質な顔をした咲夜が一歩一歩距離を詰めていく。
美鈴は蛇に睨まれたかえるのように動くことができない。
やげて美鈴の眼前に咲夜が来て、その手を振り上げる。
「貴女には少し強めのお灸がいいのかしら」
「ひ、ひええ」
その圧力の前に、美鈴は片手で思わず目を覆ってしまった。もちろん、もう片方の手では
しっかりと肉まんを持っているままで。
━━かぷ。
しかし、いつまでたってもナイフも拳骨も平手も飛んでこなかった。
ただ、美鈴の手には妙に暖かい感触がある。
おそるおそる目を開けてみると……
「え?」
思わず目を見張る。
美鈴の手にあった肉まんに、咲夜がかぶりついていた。
頬が、少し桜色に色づいていた。
「……これは私が没収するわね。でも全部没収するのはかわいそうだから、半分だけ」
「は、はぁ……」
呆気にとられて、美鈴はまともに返事をできなかった。
少しすると、咲夜はいつもの顔に戻って、「ちゃんと仕事しなさいね」と言って屋敷の中へ
戻っていった。
咲夜が門をくぐってからも、しばらく美鈴は動けないでいた。
やがて正気に返ると、まじまじと肉まんを持った手を見る。
その指には、かぶりつかれたときに、咲夜の唾液がついていた。
ぺろっ、となめてみる。
(咲夜さんの味……なのかなぁ)
そんなことを意識すると、美鈴まで顔が赤くなってくる。
ただ、その表情は相変わらず呆けたようなものだった。
はっとして首を振る。と、まだ肉まんが残っていたままだった━━半分だけ。
一口で、思い切りほお張る。
(これって間接キスかなぁ?)
そんなことを思いながら、美鈴は秋冬の味覚を味わっていた。
ちょっぴり、暖かい思いとともに。
「ただいま戻りました、お嬢様」
丁寧に礼をして、咲夜はレミリアの部屋へと入っていった。
「お帰りなさい咲夜。さっそくだけど、紅茶を淹れて頂戴。貴女の淹れた紅茶でないと
飲む気が起きないわ」
出迎えたレミリアは、少しだけ口を尖らせて言った。日ごろわがままなお嬢様が、
咲夜が出て行っている短い間といえども、我慢をしていたからだろう。
そんなレミリアに、咲夜はくすりと微笑む。
「はい、ただいま」
「……以上が先月分の報告です」
「ふむ」
夜。美鈴はレミリアの部屋にいた。仕事の内容を報告するためである。
「近頃ではお嬢様の威も幻想郷に広まってだいぶ賊の類は減りましたが…その…」
かの紅い霧事件や、永い冬事件などにより、紅魔館の威信は広まった。
だが、それでも門の修繕費は減らない。その理由はもはや語るまでもない。
「そろそろ魔理沙さんにも入館許可を出されてはいかがかと……」
「魔理沙の目的は図書館で、パチェが許可を出さない以上は認められないわ。
そしてそうである以上、貴女は魔理沙を撃退するのが役目」
「そ、そんなぁ」
主の答えに、美鈴は半ば泣きそうになる。
「まあ、たまには門番らしいところを見せなさいな。さもないと」
びくっ、と体を震わせる美鈴。反射的に、『解雇』の二文字が頭に浮かぶ。
「切腹よ」
「嫌ですっ!」
パタ、パタ、パタ。
とぼとぼと、力なく長い廊下を歩く美鈴の姿があった。
「はぁ~…怒られはしなかったからいいけど…」
独り言をつぶやいて、ゆっくりと歩いていく。
「魔理沙さんを止めろなんて絶対無理……」
さすがに冗談だろうが、本当に切腹させられる可能性もある。
ついでに言うと、妖怪はそれぐらいでは死なない。介錯されれば話は別だが。
ため息は尽きることなく、どんよりとした空気を放ち続ける。
ものすごい音が屋敷の中に響いている。おそらくフランドールが目覚めてわがままを言って
暴れているのだろうけれど、その爆音さえも右の耳から左の耳という状態だった。
当然そんなだから、注意力は散漫になっているわけで。
「……え?」
ある扉の前に差し掛かったかと思うと、美鈴の前の光景は急に変わっていた。
辺りをきょろきょろと見回す、とそこには。
「…………」
「さ、咲夜さん?」
なぜかものすごく不機嫌そうな咲夜がいた。
「い、いったい何がどうして…」
「ここは私の部屋よ」
言われて良く見てみると、なるほど、よく整理してある質素な部屋にほんの少し女の子らしい
飾りつけ。以前入ったことのある咲夜の部屋に間違いない。
ということは。
「時間停止で私をここへ?」
「そういうことよ」
相変わらず間の抜けた顔をして聞く美鈴に、相変わらず不機嫌そうにして咲夜が答える。
「でも、何でこんなことを……」
「……ッ!」
その一言で何かが切れたのか、咲夜が勢いよく美鈴に詰め寄る。
「貴女…もしかして、忘れたの?」
「えっ?」
「『約束』よ!」
* * *
『美鈴、お願いがあるのだけど、いいかな』
『絶対勝つから━━おまじないを、して』
『…えっ?』
『ダメですよ。私はいじわるなんです』
『ちゃんと戻ってきてくれたら、そのご褒美に━━ね? それが、私のおまじないです』
* * *
「━━━━あ」
そこまで言われて、ようやく美鈴は気付いて…咲夜のほうを向くと、大きく目を見開いた。
さっきまで不機嫌そうにしていたその表情が、崩れている。
泣きそうな顔と、恥ずかしげな表情と、何かを期待するような思い…が、一緒くたになっている。
不器用だなぁ、と、言葉にしなかったけれどそんな風に思いながら、美鈴は目を細めて微笑む。
「咲夜さん…すっごく、可愛いです」
「━━━━ッ!」
甘い言葉を耳元でささやかれて、咲夜は思い切り顔を桜色に染めた。
そんな咲夜を見て、ふふっ、と笑いながら美鈴は咲夜を抱きしめる。
「目を、閉じてください」
「……うん」
静かに、咲夜の綺麗な目が閉じられる。
あの時と同じ。キスを待っている。
今度はいじわるはしない。美鈴は、ゆっくりとその顔を咲夜へ近づけていく━━━━
甘い時間が流れていく。
それは咲夜の世界。否、二人だけの世界。
空には欠けたけれどなお美しい蜜月が浮かんでいる。
今宵、月下に美人の華咲く。
~Fin~
=======おまけ。=======
どたばたどたばたどたばた。
虹色の翼を持った少女が、長い廊下を駆けていく。
「咲夜ー! みんなすぐ倒れちゃってつまんなーい! 手品見せて!」
ばたん。勢いよくドアが開く。
「………ぁ」
「…………」
「…………」
フランが無邪気にドアを開け放ったその向こう。一輪の月下美人が咲いている。
……若干違う気もするが。
「い、妹様!?」
「え、えーと」
突然の乱入に、咲夜も美鈴も取り乱してうろたえている。というか、間があまりにも
悪すぎた。
「そ……」
体をか細く震えさせながら、ポツリとフランがつぶやく
「そういうのはいけないと思うのーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
顔を真っ赤にしたフランがレーヴァテインを思い切り振り回す。
どうやらお嬢様には刺激が強すぎたらしい。
「「きゃああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」」
ちゅどーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
…………そして、誰も、いなく、なるか?
今度こそ、おしまい。
・かなり長いです(テキストで60KBほど。行間が無駄に多いので実質40KBぐらい…のはず)
・かなり私的見解入ってます。
とてもとても些細な理由だった。
頻度は下がったとはいえ例のごとく定期的に開かれる博麗神社での宴会の折。
魔理沙の『咲夜と妖夢、どっちが強いんだろうな?』という、そんな何気ない問いかけに
端を発した。
『それはもちろん咲夜に決まっているわ。咲夜ほど完璧に物事をこなす人間はそうはいないわ』
そう褒め称えるのは咲夜の主人である紅き吸血姫・レミリア=スカーレットだった。
『あらあら、まだ若いとはいえ冥界にその人ありといわれる妖夢が人間に劣るわけないじゃない』
のんびりと言い返したのは、妖夢の主人である幽姫・幽々子だった。
『咲夜の仕事は人間はおろかその辺の妖怪なんて比較にならないものだわ。まして、
生きているのか死んでいるのかもわからない半人前なんて比べ物にもならない』
『由緒正しき剣士の家系・魂魄家の一族である妖夢の仕事は、先代の妖忌の教えもあって
十分素晴らしいわ。得体の知れない悪魔の犬と一緒になんてできない』
『悪魔は悪魔でも我がスカーレット家は誇り高き吸血鬼の家。そこらの妖怪とは格が違う。
それに仕える咲夜を犬呼ばわりなんて…』
『あら、それなら幻想郷らしく弾幕と肉弾で決着をつける?』
『言ったね。いいだろう。スカーレットに敗北はない』
『随分な自信ですこと。まあ、それも妖夢の剣がずたずたにしてくれるでしょうけど』
売り言葉に買い言葉。言い争いはエスカレートしていく。
勢いは止まることを知らず、とんとんと話が進んでいった。
結果、公平を期すために永遠亭が主催となってこの決闘を催すことになった。
そして今日に至る。
透き通った満月。優しくも狂おしいその光は、今宵の一世一代の決闘を見逃すまいと
集まったギャラリーたちのボルテージを高めていく。
そして、控え室の二人の覚悟を、新たにさせていた。
━━妖夢は優しい顔をした月を見上げていた。
遠い遠いお月様は、柔らかな光をもって妖夢を見つめてくれる。
聞いたことがある。魂は、月に還るのだ、と。
長いこと白玉楼で暮らし、まして半人半霊の妖夢にとっては、幽霊なんてあまりにも身近すぎて
今まで考えたこともなかったけれど。
今宵の相手はあの 十六夜 咲夜。
紅魔館の侍従長にして、かの吸血姫・レミリアの最大最強の守り手。
自分が決して実力的に劣るとは思わない。
けれど━━本気で戦えば。おそらく、どちらかが死ぬ。
咲夜の操るナイフは銀。人間の身体(にく)も幽霊の半身(れい)も、完膚なきまでに
切り裂くことができるだろう。
それでも負けるわけにはいかない。
きっかけがどんな理由であれ、白玉楼の幽姫・幽々子の面子を背負っているのだから。
今朝方のこと。
妖夢は、心地よい朝凪にそよがれて、空を見上げていた。
その目の見つめる先は、どこか遠い。
やがて視線を落とすと、自分の仕事場である白玉楼の庭を見渡した。
「これが最後になるのかもな…」
誰に言うでもなく、そんな言葉をつぶやきながら。
ひらりひらり。
不意に、一枚の葉が空を舞った。
つ、と妖夢の視線が走る。
音もなく手は柄に伸び。
一瞬の閃光。すでに、白刃は振りぬかれていた。
はらはらと、舞い降りたとき、葉は二枚に増えていた。
一閃、刃は空を斬り、鞘へと収まる。
と、拍手の音がした。
「相変わらず見事ねぇ妖夢。その調子なら今日も大丈夫そうね」
背後から声。彼女の主・幽々子のものだった。
振り返った妖夢はすっと一礼する。
「幽々子様━━おはようございます」
「おはよう。今日も気持ちの良い朝ね」
挨拶を交わす。ずっと、毎朝繰り返してきたこと。
それはとても当たり前の日常だったけれど。
妖夢の視線が、再び庭へと移る。
「どうしたの?」
「いえ…」
妖夢の様子を見て幽々子が訊くが、妖夢は短くあいまいに返事をしただけだった。
心地よいと感じていた朝凪が、ただ虚ろに吹き抜けていく。
そんな時間がどれほど続いたのか。
唐突に、妖夢が口を開いた。
「幽々子様」
「なあに?」
「━━今日がお仕えできる最後の日かもしれません」
そう言った妖夢は、暗く、重々しく。
普段からやわらかな幽々子の顔が、キッと引き締まる。
「妖夢、そんなことを言わないで頂戴」
「しかし幽々子様。相手はあの 十六夜 咲夜。確実に勝てる、なんて保証はありません」
うつむき加減に言う妖夢。
そんな妖夢に、いつの間にか幽々子が近づいていた。
その両腕が、後ろから優しく妖夢を包む。
「勝って頂戴。私のために。そして、貴女のために」
「……ッ」
声にならない声。
そうだ、何を弱気になっていたのだろう。
私は負けない。
幽々子様のために。
そして何より、剣士である己のために。
「お任せください。私は勝ちます」
主の思いに返す言葉。それは、強い決意に満ちていた。
━━淡い月光は咲夜を優しく照らす。
月光を受けて、咲夜の手の中にある蒼銀の懐中時計は、あたかもそれ自体が月であるかのように
光り輝いていた。
咲夜の目には、そう映ったのかもしれない。
この蒼銀の懐中時計はレミリアより賜ったもの。
『時を操る貴女に、時計はよく似合うと思うわ』
その時のそんな言葉が幻聴のように、今耳に聴こえてくる。
時計をぎゅっと握り締めて、胸に抱く。
咲夜にとって、レミリアは自分の全てでもあった。
本当の名前は過去とともに棄てた。思い出すつもりもない。
レミリアお嬢様と出会ったのは、偶然か必然か。
お嬢様の能力━━運命を操る力所以なのか。
後になれば何とでも言うことも、説明もできるけれど。
その時の自分も、そして今の自分も。
その奇跡を、信じている。
━━あの日も、こんな優しい月が、お嬢様と私を照らしてくれてたっけ。
蒼い月を背景に、紅い姫が自分を見つめていた。
そしてレミリアは与えてくれた。
『十六夜 咲夜』という名前と、在るべき場所を。
必要としてくれる。
生きているって実感できる。
何もなかった私に、お嬢様は命を与えてくれた……
そんな想いが咲夜の胸に渦巻く。
お嬢様のためなら、いつでも笑って死ねるだけの覚悟はある。
けれど、それならこの胸によどむ不安は何だろう。
お嬢様への忠誠に偽りはない。
なのにその正体わからなくて、ただもどかしくて。
そんな混沌とした想いを断ち切って、月を見上げる。
心が、落ち着く。
そうだ、お嬢様の面子を守らないと。
相手は冥界にその人ありといわれた 魂魄 妖夢。一筋縄でいく相手ではない。
未だに幼いところはあるけれど、その実力を知らない咲夜ではない。
妖夢もまた、幽々子の面子を背負っている。
お互い、姫の従者として、守らなければならないものがある。
手の中の懐中時計を閉じて胸にしまいこむ。
窓から差し込む月影は、相変わらず穏やかだった。
『両選手、会場へ入場してください』
思い渦巻く時は終わる。
決戦の時まであとわずか。
場所は違えど、二人は同時に答えた。
「「はい」」
わぁぁぁぁあっ……
プリズムリバー三姉妹による演奏が鳴り響く中、永遠亭の外に設けられた特設会場の
熱気と狂気でボルテージは最高潮に達していた。
それもそのはずだ。
かたや紅魔館の顔たる 十六夜 咲夜と。
かたや冥界の剣の二代目として音に聞こえた 魂魄 妖夢。
その二人が今宵激突するというのだから、当然と言えよう。
しかしその場の空気と微妙にずれてる二人がいた。
「すごい人ですね~…」
「狙い通りね。しっかり入場料取ってるから、永遠亭としても良い収入になりそう」
「…間に入った理由はそういうことだったんですか…」
ため息ついて呆れ顔をしているのは鈴仙。永遠亭の月兎である。
「何を言ってるの。闘いの会場を提供するんだからそれぐらい当たり前でしょう」
こちらは師匠の八意永琳。月の頭脳といわれ、永遠亭を支える大黒柱である。
「それにしても…」
言いながら、鈴仙は自分の体を見た。顔を少し赤くして。
「何で私たちはこんな格好を…」
「コンパニオンよ。こんな大勝負に何の華も添えないのはさびしいでしょう?」
そう。
二人とも、バニースーツを着ていた。鈴仙は自前の耳があるが、永琳はその頭にかわいらしい
うさぎのヘアバンドをつけている。
ちなみに、鈴仙は生足だが、永琳は網タイツである。
なれない格好に鈴仙は恥ずかしがっていたが、顔を赤くしている理由はそれだけではない。
「……」
「?」
ちらっと永琳を見る。
体の線が思い切り出るこんな格好だからこそ、より一層強調されている。
たゆん、たゆん。
つまるところ、世の中は公平になんてできていないのである。
「それでは両選手の入場です!」
わああああっ……
実況のそんな声とともに、ひときわ大きな歓声が上がる。
対になるゲートから、誓いの刃を持した二人が現れる。
双方、その表情は引き締められていた。
闘いの舞台へと立つ。
その様子をVIP席から見守るレミリアと幽々子。
「さすが咲夜ね。一糸の乱れもないわ。この勝負は見えたわね」
「あらあら、何を言うのかしら。妖夢にかなうとでも?」
それぞれの主が、互いに自分の従者をほめ、そして自慢していた。
「ふん…あの半人半霊が地に這い蹲る様を見て嘆くがいいわ」
「明日の朝ごはんは犬肉かしらねぇ…楽しみ楽しみ」
決闘の当事者以上に、熱くなっていた。
ピリピリとした空気が張り詰め、お嬢様らしさをなくさぬよう浮かべた笑みは、それはもう
整った人形のような無機質なもので。その空間だけが、あたかも異次元のように、異様な
空気を醸しだしていた。
そんな二人の姫君の後ろで。
咲夜の代わりにレミリアのそばに控えている美鈴は、どこか浮かない顔をしていた。
「━━なんて言ったって咲夜だもの。そうよね、美鈴?」
「え!? あ、えと…」
ぼうっとしていた美鈴は、急に話を振ってきた主人に答えられず、みっともなく両腕を
ばたつかせた。
当然、レミリアの顔は不機嫌になる。
「『咲夜のトリッキーな技を持ってすれば鮮やかに死の舞踏を舞わせてあの剣士を沈めて
くれるに違いない』って言ったのよ」
「あ、はい…そうですね…」
もう一度繰り返し言うレミリアに答える美鈴だったが、その返事はどこか頼りない。
そんな不甲斐ない美鈴の様子に不満の色を露骨に表したレミリアは、『これだから中国は
役に立たないのよ』などと言って、ぷいっと顔を背けてしまった。
普段の美鈴なら大慌てで取り繕うところだけれど、今は違った。その胸に満ちているのは、
不安という名の悪魔。
力ない美鈴の目は、昼間のことを映し出していた。
・
・
・
『美鈴、ちょっといいかしら?』
レミリアに簡単な書類の提出に行く途中、美鈴は急に呼び止められた。
呼び止めたのは、咲夜だった。
『かまいませんけど…どうしたんですか?』
『ちょっとこっちへ』
美鈴の手をとって咲夜は歩き出す。
倉庫のほうだった。ここなら、用事のあるものでもない限りめったなことでは人の姿を
見ることはない。
気のせいか、いつになく咲夜は早足だった。そんな様子に違和感を感じた美鈴は、このときから
すでに胸騒ぎのようなものを感じていた。
『いったいどうしたんです? こんなところで』
灯りも薄暗い倉庫。そんなところまでつれてきて何をするというのか。
たずねると、咲夜は人気のないことを確認して、静かに話しだした。
『…私にもしものことがあったら、後のことは貴女にお願いするわ』
『…は?』
寝耳に水とはこのことか。急に何を言い出すのか、わけがわからなかった。
『相手は妖夢よ。まだ精神的に幼いけど…それでもポテンシャルは計り知れないものを
秘めているわ。負けるつもりはないけど…絶対大丈夫、なんてとてもいえない…』
うつむきがちに話す咲夜は、いつになく弱々しく、儚げだった。
美鈴はそんな咲夜の肩をつかんだ。
『ダメですよそんな弱気になったら! そりゃあ、勝負に絶対なんてないですよ。でも、
咲夜さんなら━━』
『だからね、美鈴』
必死に励まそうとする美鈴の手を優しくつかんで、静かに押し戻していく。
そのとき美鈴の目に映った咲夜はひどく優しくて。今にも消えてしまいそうで。
『私にもしものことがあったら、貴女がこの紅魔館の侍従長になって頂戴』
そしてそんな、遺言めいたことを言うのだった。
いつもクールに紅魔館を切り盛りしてきた咲夜が━━今は、抱きしめれば折れてしまいそうな
ぐらい、そんなガラス細工のメイド人形のように見えた。
焦燥に駆られる。今にもこの手から零れ落ちてしまいそうな。
そう思ったから。
美鈴は咲夜を、ぎゅっと、抱きしめていた。
『嫌です』
耳元でささやく言葉は、先ほどの頼みへの拒絶。
どうして━━と、問う言葉は、咲夜の唇を形作るけれど、出てはこなかった。
『私はただの門番です。お客様をお通しして、外敵を排除するのが私の役目。外を管理するのが
私の仕事です』
少し体を離して、美鈴はまっすぐに咲夜を見つめる。
その顔と顔の距離は間近。互いの吐息もかかるぐらいに。
『貴女にしかここの侍従長は務まりませんよ。もっと言うなら、貴女の居場所は
紅魔館の侍従長です。』
『……!!』
それが引き金。今度は咲夜から、美鈴を抱きしめ返していた。
優しく目を細めて咲夜をなでる美鈴。その手は、とてもゆっくりと。
『美鈴、お願いがあるのだけど、いいかな』
体を離して、じっと美鈴の目を見つめる咲夜。
どこか潤んでいるような気がしないでもない。
『絶対勝つから━━おまじないを、して』
それだけ言うと昨夜は、目を閉じた。
その顔は桜色に染まっていて。
美鈴に、キスを求めていた。
それがわからないほど鈍な美鈴ではない。
じっと待つ咲夜に、ゆっくりと顔を近づけていって━━
つん。
『…えっ?』
そんなかわいらしい、咲夜の小さな声がした。
目を開けると、そこには意地悪な笑みを浮かべた美鈴。
人差し指を伸ばして、咲夜のおでこを突っついていた。
『ダメですよ。私はいじわるなんです』
言いつつ、美鈴はぷいっと咲夜に背を向ける。
2,3歩歩みを進めて、振り返って。
『ちゃんと戻ってきてくれたら、そのご褒美に━━ね? それが、私のおまじないです』
にこりと、笑った。
はじめは大きく目を見開いて、瞬きをして聞いていた咲夜だけど。
その顔は泣き笑いのようなそれになっていって。
『……いじわる』
可愛く、悪態をついた。
・
・
・
おまじないはした。
だから、ちゃんと戻ってきれくれますよね?
別に勝てなくったっていいです。でも、お願いだから…どうか、無事に。
祈るような気持ちで、美鈴はステージへと向かう咲夜の姿を、見つめていた。
「さ、て。それじゃあ、準備はいいかしら」
舞台に立つ二人を見て永琳が言った。
どうやら、コンパニオン兼審判らしい。
「ええ」
「いつでも」
それぞれ、短く答えた。
迷いのない、はっきりとした声で。
━━狂おしいほど優しい蒼月の光が導く。
「ルールは1対1での決闘、それ以外は一切ルール無用の真剣勝負。時間制限は無しよ」
白楼剣・楼観剣を抜刀する妖夢。
指の間に銀のナイフをのぞかせる咲夜。
「Heaven or Hell」
━━銀色の刃閃くその戦いへ。
「Let’s Rock!!」
━━そして二人は、閃光となる。
一閃。突撃して横薙ぎに刀を振るう妖夢。だが、咲夜は上空に逃れていた。
咲夜は上空に飛ぶと同時にナイフを眼下に向けて投げつける。だが、高速で突き抜ける
妖夢を捉えることはできない。
ずざぁっ、と滑り込むようにブレーキをかけた妖夢が反転し、咲夜が着地したのはほぼ同時。
振り向きざまに走り抜ける銀の光が5本。紙一重で交わす妖夢。
そこまでの時間がわずかに1秒。光のほとばしるがごとき速さの戦いに、会場はしんと静まり
かえった。
そんな空気の中で動くのはただ二人。一対の刀を舞わす白銀の刃と、矢のように敵を
射抜く蒼銀の刃。
その重みがとてつもなく長い時間を感じさせる中、咲夜はふっ、と軽く笑った。
「さすがにこんな小手先の技じゃかすりもしないか」
「きわどいところなんですけどね…」
それに対する妖夢は、軽い苦笑いを浮かべていた。
「相変わらず良い腕してますね」
「それはどうもありがとう。でもね━━」
妖夢の賛辞ににこり答えた咲夜。
「投げてもいいけど、直に切り裂いてもいいのよ!」
次の瞬間、疾風のようにその間合いをつめていた。
キィン!
甲高い音が響く。
紅い尾を引く刃を以て切り払う咲夜。
対して妖夢はこれを楼観剣で受ける。
(速い━━!)
不意を撃つような一撃、そしてその剣速に、妖夢は衝撃を受けざるを得なかった。
元来咲夜は奇術師。それが、こんな肉弾戦を挑むなんて。あるいはそれさえも奇術のうちなのか。
しかし。
咲夜のナイフを受けても、まだ妖夢は左手が空いている。
「もらった!」
白楼剣が唸りを上げて咲夜めがけて突き出される。
それでも咲夜は、余裕の表情を崩さなかった。
キィン!
「えっ!?」
声に出すほどにうろたえる妖夢。白楼剣は受け止められていた。
咲夜の逆手に握られた、もう1本のナイフによって。
「残念。二刀流は貴女の専売特許じゃないのよ」
わずかな隙を突いて、咲夜は妖夢に蹴りを入れる。
かはっ、と息を吐いて吹っ飛ぶ妖夢。
咲夜は右手のナイフを収め、投げナイフをその手からのぞかせる。
追撃に仕掛けられるナイフは10と5本。放射状に放たれる。
受身を取った妖夢はこれを大きく横に跳んで交わす。
けれど、咲夜は深追いしなかった。
大きく息をつく妖夢。改めて冷静に、咲夜の逆手に握られたままの得物を見直した。
両刃の直剣。特徴的なのは、柄から伸びる大型のガード。
「それ…マインゴーシュね」
「へぇ、意外ね。洋剣にも詳しいとは思わなかった」
「伊達に修行は積んでませんよ」
あまり見くびらないでください、と言わんばかりに苦笑する妖夢。
「まさか二刀流を操る私に二刀流で対抗してくるとは思いませんでした」
「貴女相手に尋常な手段で戦おうなんて思ってないわ。こうでもしないと捌ききれないと
思ったしね」
言いながら、咲夜はくるくると逆手のマインゴーシュを回す。
実際、あくまでも奇術師である咲夜は、正面から戦う限り妖夢に対しては不利だ。
しかし、正攻法で戦うことさえ奇術のうちに取り入れるなら話は別。不意討ちとして非常に
有効な手段となりうる。
ただ、そのカバーをする防御手段も考慮に入れなければ分の悪い手段となる。そのための
マインゴーシュだ。
だが、妖夢はまっすぐに咲夜を見つめる。
自信に満ちた目で。
「二刀流の本業を甘く見ないでください!」
駆け出す。先ほどの咲夜に劣らぬ速さ。
咲夜がナイフを打ち出したのとほぼ同時。
銀の刃を切り払いつつもなおも妖夢は止まらない。
(これは…まさか)
二射目は間に合わないと判断した咲夜はある可能性に思い至る。
狙いは斬撃ではない…
ゼロ距離での格闘だ。
「いぇぁああぁぁああ!」
力強く地面を蹴って妖夢が飛ぶ。
さながら猛獣が獲物へ飛び掛るがごとく。
それはあまりにも速かった。
右手は投げナイフを収めたところ。
左手のマインゴーシュも間に合わない。
それならば━━
ガッ!!
「ッ!」
肉と肉。骨と骨がぶつかり合う音。
高速で突っ込んだ妖夢の膝蹴りを、咲夜は足技で受けていた。
だが、間合いは極端に詰まっている。
この距離。一見刀を使いがたい妖夢に不利にも見えるが、咲夜も間合いをとることはできない。
ナイフを振るうことはできるが、受けるだけなら柄でもできる。
かといって下手に引こうものならその瞬間に一対の牙によって屠られかねない。
このまま勝負するか何とかして引くか。わずかに咲夜に迷いが生じる。
それを見逃す妖夢ではなかった。
左足からの膝蹴り。右手のナイフをしまいこんでいた咲夜はそれを素手で
受けざるを得ない。
小さな体躯に似合わず重い一撃だった。咲夜の口から息が漏れる。
妖夢がゼロ距離戦を選んだのは━━刀を使えない不利を差っぴいても、距離をとられて
三次元的な戦いを展開されるほうが不利だと判断したからだと咲夜は分析した。
確かにそれはその通りではあるが。甘く見られたものだと思った。
妖夢は今度は身をかがめて下段狙いの蹴りを入れる。
だが、そこに狙った足はなかった。
同時、妖夢を照らす月光は遮られ影に覆われる。
踵が鉄槌のごとく振り下ろされる。
「うぁっ?!」
その衝撃は妖夢の体を地面へと叩きつけ、バウンドさせて宙へと放り投げた。
妖夢を追う咲夜。その手には、月光を照り返す銀色の刃。
紅の尾を引いて切り裂く。不安定な体勢で、致命傷こそ避けたものの、銀の閃光は
妖夢を深く捕らえた。
それだけで逃すほど咲夜は甘くない。いつの間にかマインゴーシュを収めた左手からは
銀の牙が顔をのぞかせる。
それを放ちつつ、さらにすばやく右手も投げナイフに持ち替えこれを放つ。
放たれる光はまっすぐに妖夢に喰らいつく。
身をよじって交わそうとするが、それでもいくつかのナイフに浅く食いちぎられる。
そこからさらに空を駆け追撃仕掛ける咲夜。けれど、さすがに妖夢も一方的なのはここまでに
してもらいたかった。
受身を取り、突撃する咲夜を迎え撃つ。
蒼銀のナイフと白銀の刀が交差する。
そして咲く華。
鋼の打ち合う火華と、
剣閃の閃華と、
刃を振るう銀の双輪の華。
そのままもつれ合って着地する。
銀の刃は交差したまま。
せめぎあいが続く。しのぎを削る。
先に動いたのは妖夢だった。
その体に霊力が高まる。
「!」
咲夜が気付いた時にはわずかに遅く、その衝撃波で弾き飛ばされた。
吹っ飛びながらもなお受身を取ってすぐさま体勢を整える咲夜。
その間に妖夢は二本の刀で空を斬っていた。
その太刀筋から発する弾。それは、かなり大きい。
「いけっ!」
刀の切っ先を咲夜へ向けると、いくつもの大型弾が一斉に襲い掛かる。
しかし、咲夜は顔色ひとつ変えず、むしろ突っ込んでいった。
「そんな大雑把な攻撃、当たると思って?」
赤い光を放つ大型弾のわずかな隙間。ほんの少しでもずれれば弾け飛んでしまいそうなその
隙間を縫って、咲夜は弾幕を抜ける━━━━
「獄界剣━━━━」
「!?」
弾幕の嵐を抜けたその目の前に疾風となった妖夢が迫る。
楼観・白楼の双剣が牙をむく。
とっさに身構える咲夜。だが、無理矢理な動作ゆえに体勢を崩し視界を隠してしまう。
しかし、衝撃は襲ってこない。
(フェイント!?)
振り向くと、そこには走り抜けた妖夢がいた。
そして、双剣は振りぬかれている。
切り裂いたのは、己の弾幕。
「二百余由旬の一閃」
切り裂かれた大型弾が無数の小さな弾へと変じる。
それはまるで、桜の花びらが、樹から一斉に舞い散っていく様のようで。
無数の小型弾が雨あられと襲い掛かる。
先ほどの無理矢理な防御行動のせいで、咲夜はすぐに避けられない。
ひとつ、ふたつ…無数に舞う赤の花びらは咲夜を刻む。
「く…あっ…」
被弾しながらも、それでもわずかな活路を見出してすり抜ける咲夜。
弾幕という名の桜吹雪を、抜け━━━━
「もらったっ!」
「くっ…」
そして待ち構えていた妖夢。
楼観剣が舞い、白楼剣が踊る。
舌打ちする咲夜。弾幕をすり抜けた直後では不利と見て、ポケットからカードを取り出し、
静かに念じる。
瞬間、咲夜の姿が宙に溶ける。
白銀の刃はただ虚空を斬るだけで。
「なっ」
妖夢が驚いて辺りを見回すと、彼方に逃れた咲夜の姿があった。
片ひざをついて、大きく息をしている。
「…危なかった。貴女、そんな戦い方もできたのね」
「相手が貴女ですから。尋常な手段じゃつかまらないと思って」
苦い表情をして言う咲夜に、冷徹な顔をして妖夢は答えた。
対照的な二人の表情は、流れの逆転を表しているかのようだった。
うかつには仕掛けられない。
そう、咲夜は感じていた。
かといって下手に後手に回れば一気に押し込まれる。妖夢の機動力はすでに何度も
思い知らされた。当たりも強い。押さえ込まれたら、かなり分が悪い。
立ち上がると、ぴしっ、と電撃のようなものが走る。思った以上に先ほどのダメージが
大きかったらしい。
だがそれは妖夢とて同じはず。表情は微動だにしないけれど、確かに手ごたえはあった。
そろそろ、決めたい。同じことを、妖夢も考えているはず。
風となって妖夢が疾駆する。
真っ直ぐに、討ち果たすべき好敵手へと。
対の刀も血肉を喰らわんと踊りかかる。
けれど、咲夜は正面からそれを受け止めず空へ逃げる。
否、逃げたのではなく空から銀の刃を降り注がせる。
それは二人を照らす蒼い月の光のように。
刀を舞わして弾く妖夢。
追いかけて宙へ駆け上がる。
しかし、またしても咲夜は引いてしまう。
「逃げるのかっ!」
そんな様子に妖夢は叫ぶ。
この期に及んで逃げ回るなんて、そんな無様な姿を晒すのかと。
それでも咲夜は答えない。代わりに飛んでくるのは無数のナイフ。
・
・
・
「ああもう、咲夜ったら何してるのよ!」
「そこよ、行け妖夢!」
いらだたしげなレミリアと腕をぐっと上げて応援する幽々子。こちらも対照的だった。
つんつん。
「何よ、今取り込み中━━」
試合に見入っていた二人は、唐突に指で突っつかれた。
「咲夜さん、大丈夫かな…」
遠くから見守る美鈴の声は、不安げで、落ち着きがなかった。
ただ見守るしかできない。そんな自分の置かれている状況が、もどかしくて仕方なかった。
妙に静まり返っていたから、なおさら。
……静か?
「あれ?」
ふと気がついてあたりを見回すと、レミリアも幽々子もいなかった。
「お嬢様? 幽々子さん?」
きょろきょろと見回してみてもどこにも気配がない。誰かが出入り様子もなかったし、
ドアが開閉した音もしなかった。
まるで、神隠しにあったかのように、忽然と姿を消したのだった。
・
・
・
「てええぇぇぇえぃっ!」
一筋、二筋、対の剣に空が裂かれる度にそこに光の筋が浮かび上がり、弾幕が生まれる。
それは咲夜の放つ銀の刃にぶち当たり、爆煙を巻き上げる。
その中を突き抜けて妖夢が姿を現す。
両手の得物が踊りかかる。
けれど甲高い音とともにさえぎられ届くことかなわず。
またしても下がる咲夜は、流星のごとくナイフを投げつける。
おかしい。
それは違和感。まるで別人を相手にしているかのように。
先ほどから飛び掛るナイフの狙いが、甘い。余裕で交わせてしまう。切り払う必要さえない。
与えたダメージが思った以上に大きかったからだろうか?
そんなはずはない。十六夜 咲夜ともあろうものが、あの程度のダメージで泣き言を言うような
性質でないのは以前の永い冬の折に良く思い知らされた。
それなら、闘いをあきらめた? いや、そんなはずはない。
なぜなら━━あきらめという名の絶望に心を打ちひしがれたものが
あんなすました顔をしているはずがない!
「奇術━━」
防戦一方だった咲夜がスペルカードを宣言する。
直後、その姿がすぅっと空気に溶け込む。
「ミスディレクション」
放射状に魔力で生み出された紅い刃が放たれる。
動きを止めた妖夢は地を蹴って一歩下がる。
意志あるがごとく獲物を追う刃。
一瞬、その射線が綺麗にそろい、わずかな空間が生じる。
同時、妖夢は風のごとく弾幕を駆け抜ける。
そこに喰らいつかんとする銀のナイフ。しかし妖夢は速度を落とさない。
ナイフが妖夢を掠める。ひらりと、その銀髪が一筋宙を舞った。
姿を現した咲夜まで、あと少し。
「逃さない!」
存在を確かめるように、右の楼観剣と、左の白楼剣を強く握りなおす。
「奥義━━」
そして妖夢は、桜色の風となる。
「西行春風斬!」
一つ、二つ、三つ…いくつもの桜色の剣閃が縦横無尽に駆け巡る。
さながら夜桜が月光に導かれて舞うがごとく。
けれど咲夜も止まらない。捕まえて御覧なさいとばかりに避ける。
突き抜ける桜色の突風のわずかな隙間を銀色の風が舞う。
桜色の風を抜けた先━━そこに妖夢はいた。
先ほどのスペルカードの展開にかぶる。
ただ違うのは。
必殺の形相をした妖夢に対し、咲夜が冷酷な笑みを浮かべていたことだけ。
楼観剣が空を斬る。
咲夜が念じ、その姿が空に溶け込む。
刃はわずかに遅く、再び咲夜を逃した。
彼方に姿を現した咲夜が手の内のものを妖夢へ向けて投げつける。
身構える妖夢。しかし、それは妖夢の足元に突き刺さるだけ。
「……?」
それはナイフではなかった。
一枚のカード。描かれているのは━━
「ゲームセットよ」
高らかに宣言する咲夜。蒼い月光を背に受けたその表情は、悪魔のように冷酷な笑み。
「降参宣言ですか?」
「馬鹿言わないで。わざわざ死の宣告をしてあげたのに…気付いてないのね」
侮蔑するように言った咲夜は先ほど投げつけたカードに目線を向ける。
それは━━ジョーカーのカード。その姿は、死神にも似ていた。
「ずっと貴女のペースで戦い続けて、わざわざミスディレクションまで使ってその場所へ
おびき出したのに…獲物は罠にかかったことさえ気付いてないのね」
哀れみをこめて言いながら、すぅっと懐から音もなくナイフを取り出す。
月光を照り返すナイフ。その煌きは、死神の鎌のように見えた。
「それではこれより奇術師・十六夜 咲夜の人形劇のはじまりはじまり。糸すら使わず
踊る人形の姿をごらんに入れましょう」
それは処刑執行の始まり。
波紋が広がるように放たれる銀のナイフ。
その中を一閃、突き抜けてくる刃。
難なく交わす妖夢。何のことはない、これはハッタリだ━━
「貴女の時間━━過去も、現在も、未来も、その全てが私のもの」
「えっ?」
そう思った刹那。咲夜の指がパチンと鳴る。
「デフレーションワールド」
辺りの光が急に狭くなる。まるで宵闇が全てを飲み込んでしまったかのように。
けれど真っ暗なわけではなかった。
闇の先に何かがある。
それはひとつふたつではなくて。
たくさん、たくさん。数え切れないほどのそれが、妖夢を取り巻いている。
例えるならそれは、肉食獣の群れの中に哀れな人間が在るような。
そう。
銀の刃という名の獣が
妖しく光るその牙を
紅い紅い甘露な露を飲ませろと
過去という名の墓場を越えて黄泉返ってきた。
放たれ避けたはずのその牙が。
甘い狙いとはき捨てたそのナイフが。
不死者のごとく、そこに在る。
闇を光が覆う。
まぶしいぐらいに闇を満たす光。
それは未来。これから刻まれる時空。
そこにも満ちている。
貴女の時間はここで終わりだと。
悲しいほどに絶望的な宣告をなして。
裁きの光のごとく輝く銀の刃が。
過去が未来へ 未来が過去へ。
現在(いま)へ向けて時を刻む。
通り過ぎたはずのもの 訪れようとするもの。その二つが邂逅する時。
それは、刃という名の鎖を織り成す。
妖夢は鎖に囚われた。
もう、逃れることはできない。
時が動き出す。その刻む音は、終わりへ向かう鎮魂歌。
過去から訪れた不死者と、未来からやってきた裁き手が、死を招く手のように妖夢へと
襲い掛かる
「くあっ」
苦しげにうめき声をあげる。
対の刀を舞わして払いのけようとしても、その防御壁はあまりにももろすぎた。
腕へ 足へ 背へ 胸へ 腹へ。
掠め 喰らい 引き裂き そして貫く。
紅い血飛沫をあげて、妖夢は踊る。
それは、死の舞踏。
「踊れ」
彼方から残酷な咲夜の声がする。
「貴女は時に囚われた人形。もう抗うことはできない。
悲鳴をあげて泣き叫び、血肉を撒き散らし壊れながら最後まで死のステップを踏み続けなさい!」
狂気を孕んだその叫び声。呼応して舞い踊る銀の刃。それを囃すは妖夢の絶叫。
月下美人(刃)のその様は満月狂想曲(フルムーン・ラプソディ)。
もう、止めることのできない人形劇。
銀の刃という名の手繰り糸が
「うおあぁぁぁぁっ!」
紅い霧をシルエットに人形を躍らせて
「ぐふぉあぁっ…う、あぁぁっ」
人形ヲ コワシテイク
「あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫。それが、幕切れの合図。
いくつものナイフが体に突き刺さった妖夢。
血の霧という幕が降りたとき。
どうっ、と、地に、堕ちた。
しん、と、静まり返った。誰もが、咲夜の世界に囚われたままで。
「勝負あったわね」
静かに勝利を宣言する咲夜の声が、無音の闇に響いた━━
━━沈み行く意識、そんな無音の闇にも。
感覚はないのに妙に意識ははっきりしていた。
わたし、負けちゃったんだな。
他人事のように認識する。
また、負けちゃった。あの永い冬の時みたいに。
けど、あの時と違うことがあるとすれば。
『次はない』っていうことかな。
もう飛べない。このまま、沈んでいくだけ。
(ほんとう?)
最初は痛かったけど、今はもう感覚もないなぁ。というか、眠い。
(本当にそれでいいの?)
このまま寝たら気持ちいいだろうなぁ…あーでもそんなことしたら幽々子様に怒られる
かなぁ……
……幽々子様?
(そう。幽々子様に、もう会えなくても、いいの?)
ていうかさっきから何だろうこの声は?
第一、幽々子様は私がいなくったって、十分強いんだから━━
(強くても一人じゃ生きていけないから)
……え?
(幽霊は、ぬくもりがなかったら、さびしくて消えてしまうから。
私も、幽々子様も)
ぽぅっ…とぼんやりした明かりを感じる。
無限の闇の中で、それが私の周りを取り巻いているのを感じる。
『私』も?
……ああ、そっか。貴女は━━
(まだ終われないよね? 幽々子様と、約束したよね?)
そうだよ、まだ終われない。
約束したもの。『必ず勝つ』って。
このままじゃ、西行寺家の面子に泥を塗ることになるし。
それに。二度も借りを作るなんて、まっぴらごめんだ。
魂魄家の家訓には、貸し借りには厳しく、ってあるんだから。
第一……私がいなかったら、誰が幽々子様のお食事を作るの?
誰が白玉楼二百余旬の庭の世話をするの?
誰が……幽々子様とぬくもりを、分かち合うの。
私しかいない。そして、何よりも。
幽々子様のぬくもりを、なくしたくなんてない!
もっとお側にお仕えして、一緒の時間をすごしたい!
私はまだ、消えたくなんてない!!
(人の私(あなた)は傷つき斃れたかもしれない。でも、まだ私がいる。
まだ終わってない。一緒にいこう。幽々子様の所へ帰るために)
そうだね、まだ霊の私(あなた)がいる。
だから、一緒にいこう。
ぼんやりした明かりがぐにゃりとなって人の形を作る。
それは━━誰でもない、私の姿。
人の私と霊の私(わたしたち)は溶け合って、ひとつになる━━
・
・
・
「勝者、十六夜 咲━━」
「待った!」
今まさに、永琳が咲夜の手をとって勝利宣言をしようとしたその瞬間。
高く、どこまでも高く、声が響いた。
誰もがその声に注目した。
ゆっくりと、ゆっくりと、声の主は立ち上がっていく。
「……死に損なったのね、貴女」
「あいにく、生き汚いもので」
冷たい言葉を浴びせかける咲夜に、肩をすくめるようにして言う妖夢。
傷だらけでいっぱいいっぱいだけれど、それでも。
その足は、地面を踏みしめる。
「負けっぱなしはごめんですよ…こう見えても負けず嫌いですから」
「そう言わないで負けてしまえばいいのに」
「謹んで遠慮させていただきますよ……それに」
咲夜の辛辣な言葉に敬語で皮肉る妖夢。
右手に楼観剣を。左手に白楼剣を。
双剣を月に掲げる。月光を照り返すその刃に、月の顔が映った。
「まだ、試してみたい技があるんですよ」
「それが私に通じるのかしら。まして、そんな体で使えるのかしら」
冷たく言い放つ咲夜。
実際、妖夢の体はぼろぼろだった。
いたるところにナイフが突き刺さり、あるいは引き裂かれている。並みの人妖ならば
確実に死んでいるであろうダメージのはず。
それでも妖夢は立っている。それは、他でもない。
「言ったじゃないですか。私、負けず嫌いだって。それに━━」
顔を上げて咲夜を見つめた妖夢は、ひどく穏やかな目をしていた。
「まだ、幽々子様のお側でお仕えしていたいんですよ。だから、死ねないんです」
「……ッ!」
それは鋭くもなく、冷たくもない。だのに、聞いたものに強く響く言葉。
妖夢の言葉は、そんな力を持っていた。
そしてその言葉は、咲夜のもやを振り払った。
戦う前からずっと、咲夜の胸の中に渦巻いていたもの。それは━━
「同じね。私も、まだ紅魔館の侍従長やってたいのよ。あそこにいると、生きてる、って
実感できるから。
━━毎日が、充実してて仕方ない。
何よりね、感じるのよ、はっきりと」
目を閉じる咲夜。そこに浮かぶ、紅い夜の姫君の姿。
「私は、必要とされてるんだって」
目を開ける。この会場のどこかにきっといる。見守ってくれている。
どうしようもなくお人よしな、お馬鹿な、門番が。
「大切な仲間たちと、馬鹿やってたいんだって!」
咲夜の手に必殺のナイフが握られる。
決意を込めた言葉とともに。
それぞれの手に秘められた、彼女らの髪色と同じ、けれどわずかに違う銀の刃。
蒼銀のナイフと、白銀の双剣。
その刃が、ひどく優しく二人の行く末を見守る月の光を、それぞれの色に染めて照り返す。
今宵、この刹那、この場に集った全ての存在と、闇色の天蓋と、高く唄う蒼月。
それらは全て、妖夢と咲夜という、ただ二人の刃に魅入られている。
この世界は今、二人だけの世界。
「今度こそ終わりにしてあげる!」
咲夜が、風になる。
どんな風よりも疾く、冷たく、そして鋭い風。
あの銀の輝きを、切り裂けと、その風は疾駆する。
「━━━━これが、先代・魂魄 妖忌の忘れ形見」
「えっ?」
そう。対の剣そのものが輝いていた。
否。
その身に彼方の月を映し出して、
月の輝きを、吸い込んで、眩しいほどに照り返していた。
そして━━
「待宵反射衛星斬」
━━その一瞬に、煌いて。
「止まれえええええええええええぇぇぇっ!」
世界が、セピア色に変わる。
眩しいほどに煌く輝きも、それを乗せた剣閃も、それを放った銀髪の少女も。
一瞬という名の永遠に煌く閃光。それは気違いじみたエネルギーを放っていた。
それを押さえ込むために、残る全ての力を振り絞って、咲夜は時を止めたのだ。
直撃する、本当にわずか寸前に。
そうそう長くは時の流れを止めていられない。
例えば、奔流する川の流れをいつまでもせき止めていられないのと同じ。
妖夢の背後に回る咲夜。
刹那、時間という名の川は、怒涛のように流れ出す。
次の瞬間、妖夢は彼方へと流星のごとく駆け抜けていた。
必殺の剣閃は、━━外れた、のだ。時間操作という、ジョーカーによって。
しかし、なおも双剣はその輝きを失わない。まるで互いを呼び合うかのように。
互いが、合わせ鏡のように。
「共鳴!?」
咲夜がそう叫んだ直後、波紋が広がっていくように、幾筋にも渡って光の剣閃が浮かび上がる。
そこから生まれる弾幕。無数の剣閃から広がるその弾幕は、あまねくその空間を埋め尽くす。
まるで……月は、どこまでも照らしてくれているのだとでも言いたげに。
「……は」
息を漏らすように、咲夜から機械地味た笑い声が一言だけ零れた。
もしもあの剣が、己に映し出した月の力を、互いを合わせ鏡にして広げたとするならば。
それは無限。その刃が月光を照り返すところ、届かぬところなど無く。
逃げることも避けることも、突破することもかなわない。
「なんて、出鱈目なの」
乾いた声が咲夜から零れる。
「けどね」
それは笑い声に変わる。
咲夜の蒼い綺麗な眼が━━紅く染まる。
「月は優しく見守るだけじゃない…時に人を狂わせるものだから」
そんなスカーレットの眼をしたものを、人は狂気と呼ぶ。
それならば。狂っているならば。
あのルナティックな弾幕へと、飛び込んでいける。
「貴女を殺すわ」
ひとつひとつの弾は花びらのように、秋の夜風に乗り、視界を埋め尽くすほどに密集して舞う。
秋の象徴たる紅葉のような鮮烈な色合いではない。凛と鈴の鳴るような、涼やかに透き通った
光に彩られた月桜。
そんな花びらに彩られた季節外れの桜吹雪。触れれば触れたものもろとも消えてしまいそうな、
儚くも美しく切り刻むその弾幕。
中にいれば風とともにかけらも残さず舞い散ってしまいそうな、そんな弾幕の中を、
一陣の銀色の風が突き抜ける。
月影の桜吹雪を舞いめぐるその姿は、まるで月の妖精のようで。
そう、狂気という名の。
「見つけた」
短く言う咲夜。
紅い紅いその瞳は、光の花びら渦巻くその中に佇む妖夢を捉えた。
もう逃さない。
これで終わり。今度こそ、解体(バラ)してあげる。
「傷魂」
スペルカードを握る。
文字通りの切り札。これで、終わりにして━━
(極意)
咲夜がスペルカードを宣言したのとほぼ同時。その魔力が紅い刃となりて
舞う、その刹那の時の狭間に。
そんな声が唐突に、二人だけの世界に響いた。
月桜の中佇むその人と、同じ声が。
月明かりに彩られた花びらの世界の中、ひときわ眩しく煌く魂の輝き。
それは流星のように一瞬に煌いて。
それはまごうことなく真っ直ぐに閃いて。
(待宵反射衛星斬)
それは、剣閃という名の華 『月下美刃』━━━━
ガラスの割れたような音が咲夜の耳を走る。
それは、咲夜の時が砕かれた音。
「ぁっ……」
紅い瞳が、元の蒼いそれへと戻っていく。
咲夜がようやく何があったのかを理解し、小さく声を上げたときには、もうその体は
崩れ落ちていた。
妖夢本体が動いていないなら、それはあのスペルカードしかない。
霊体を分身と化し、戦わせるあのスペル。
「幽冥の、苦輪……」
「切り札は私に味方したみたい。ジョーカーを引いたのは貴女のほうでしたね」
淡々と、妖夢は言った。
「私は、人の私(わたし)だけでは半人前だから。人と霊(わたしたち)で、
やっとひとつなのだから」
ポツリと、小さく言う妖夢。
そんな妖夢に、咲夜を斬ったもの━━霊体の妖夢が寄り添う。
人の妖夢は、穏やかに微笑んで、震えながらその口を開いた。
「あり…が…とう…」
言い終えたその瞬間、紅の霧が舞う。
全身の傷口から出血して、妖夢は崩れ落ちた。
しん、と、会場は無音に支配された。
誰も何の音も発しない。そして、その視線はただ二人に釘付けにされている。
崩れ落ちた、二人の銀の刃に。
それでもなお、血の海の中で咲夜はもがいていた。
自分の血でその白い肌を紅く染めながら、立ち上がろうとして、そのたびに地に堕ちていた。
(もうダメ、かな━━)
紅い世界にたゆたう咲夜は、諦めとともに、その中へと沈んでいってしまいそうだった。
そういえばお嬢様の象徴たる色も紅。
慙愧の念が、咲夜の中に広がっていく。
申し訳ありません、お嬢様。スカーレットの面目を保てず、しかも勝手に消えてしまう
咲夜を、お許しください……
そういえば美鈴の髪色も、紅。
つくづく、私は紅という色に縁が深いんだな、なんて思いを持ってしまう。
約束、したんだけどな。絶対勝つ、って。それで、勝ったら…ご褒美、もらうはずだったのに。
私がいなくなったら、どうせまた門番サボってうずらさんとお昼寝でもしてるんだろうなぁ…
まったく、私も混ぜなさいよ。すっごく、眠いんだから━━━━
「咲夜さん!!」
響き渡る声が、無音の世界にひびを入れて、虚無の中を漂っていた咲夜を呼び戻した。
はっ、と目を見開く咲夜。そのずっと先に、声の主がいた。
観客席まで出てきて、必死に咲夜の名を呼ぶ美鈴が。
その表情…悲しそうで、不安げで、今にも泣き出してしまいそうで…まるで犬みたい。
心の中で、ため息をつく。それと一緒に、微笑みに似たものも、広がる。
━━そんな顔するような貴女に…紅魔館の侍従長なんて任せてられないわ、やっぱり。
ぐぐっ。
震えるその手が血の海の中をしっかりと支え、少しずつ、咲夜の体が立ち上がっていく。
涙と心配でぐしゃぐしゃになっていた美鈴の顔が、喜色へと変わっていく。
一方妖夢は、全ての力を出し尽くして地に伏せていた。
咲夜の奥の手を喰らったその身で奥義を放ち、あまつさえその上に霊体を行使するなどという
荒行をやってのけたのだから、無理もない。
それでも、その手は地面の土をつかんで…けれど爪あとを残すだけ。
「……ッ」
そんな様子を見て、開幕からずっとBGMを演奏し続けていたルナサが歯噛みする。
「立て、妖夢!」
その声は、合奏の音を断ち割って、這い蹲っている妖夢の耳に届く。
「君がこのまま倒れれば幽々子嬢はどうなる? 大切なものを失ったものは━━━━」
言いながらルナサは…遠い昔に消えてしまった、自分たちの生みの親であり妹である
レイラを思い出し、最後の言葉までつむげなかった。
それでも。
妖夢の手のひらが地面について、その体を押し上げていく。
「さびしくて、消えてしまいそうになるから……」
うわごとのようにつぶやきながら、ゆっくりと、妖夢も立ち上がっていく。
「負けるな妖夢! あんな奴ぶっ飛ばしちゃえ!」
メルランが腕を振り上げて叫ぶ。
「妖夢立って! 死んじゃやだよ!」
リリカが半分泣きそうになりながら叫ぶ。
西行寺家縁の騒霊たちは、三人三様に妖夢を後押しする。
その時、会場が二つに割れた。
咲夜を応援する声と。
妖夢を励ます声に。
二人だけの世界に色がつき、音が広がる。
「「帰らなきゃいけないのよ……」」
異なる声色が重なる。
「「私の在るべき場所へ……」」
思いは、一緒だから。
「「だから……!!」」
主の面子と、己の思いをかけて、二人は今一度走り出して━━━━
━━━━ふわり。
えっ?
異口同音。同時に、二人は、声にならない声をあげていた。
咲夜はレミリアに。妖夢は幽々子に。それぞれ、後ろから抱きしめられていた。
「「もう、いいのよ」」
そんな主たちの言葉も、重なった。
「どうし…て…?」
まるで壊れた機械のように呆けた口調で言う妖夢。そんな腕の中の妖夢に、幽々子は優しく
微笑んで言う。
「紫にね…ひっぱたかれたのよ」
見れば、幽々子にもレミリアにも、その頬に薄い赤の紅葉の痕があった。
「『貴女たちのために、貴女たちが思う以上に従者たちは命をかける。大切なものを、
こんなことのために失ってしまっていいの?』って。何も言えなかったわ」
幽々子の後を受けてレミリアが言った。
レミリアは、腕の中の咲夜を見つめて、ひどく優しく、そして痛々しげな表情をする。
赤みのかかったレミリアの服を、咲夜から流れる血が紅に染めていく。
「こんなになるまで…本当、ありがとうね、咲夜」
「……もったいないお言葉でございます」
レミリアのねぎらいに、感極まった声で返す咲夜。
「妖夢も良くがんばったわ…ご苦労様、妖夢」
「……ッ! 申し訳ありません幽々子様……こんな、不甲斐なくて……」
「いいのよ。まだ貴女は若いのだから」
幽々子の慰めに、思わず涙をこぼす妖夢。そんな妖夢をぎゅっと抱きしめる幽々子。
やがて二人の従者は、それぞれの主のぬくもりの中で、意識を失った。
見守っていた永琳は、軽くため息をつくと、片腕を天へと突き出し、高らかに宣言した。
「両者戦闘続行不能とみなし、この勝負、引き分けとします!」
しん、と会場は静まりかえった。
が、すぐに場はどよめきだす。あれだけ盛り上がったのに、不完全燃焼で終わって
しまったのだから当然といえる。
しばらくざわめく声は収まらなかったが、やがて誰かがわああああっ、と歓声を上げると。
波が広がり、強くなっていくかのようにそのボリュームは上がり。
やがて、満場一致の歓声が上がった。
妖夢と咲夜。二人の健闘をたたえる、ギャラリーの精一杯の声援だった。
その中を、幽々子とレミリアが、それぞれの従者を抱きかかえて永琳の元へ歩み寄る。
「だいぶひどい傷を負ってしまっているわ。咲夜の治療、お願いできないかしら」
「妖夢も全身ずたずたなの。半身の霊体も、随分と疲労の色が濃いみたいで…」
それぞれに従者の身を案じ、その身柄を永琳へ託す。永琳は、言い聞かせるように優しい
表情をして口を開く。
「大丈夫よ。主催として、しっかり救護のほうもさせてもらうわ。ウドンゲ、手伝って頂戴」
「はいっ!」
言いながら、二人の重傷患者を預かる。
背の低い妖夢を鈴仙が、高い咲夜を永琳が抱きかかえる。
その様子をお嬢様二人はぼうっと見つめていた。
「ねえ幽々子」
「何、レミリア」
「この勝負…誰が勝って、誰が負けたのかしらね」
言われて、幽々子は人差し指を唇に当てて考え込んだ。
その視線が運ばれていく二人の銀の従者に向かって…その口が開く。
「そうね…あの子たちの勝ちで私達の負け、かしらね?」
「ふふ…違いないわ」
満足げにうなずいて、レミリアは言った。
咲夜と妖夢、どちらが強いか?
そんな些細なことから始まったこの戦いだったけれど、こうして決着がついた。
今はただ穏やかな時間が流れていくだけ━━━━
「おいおいレミリア、幽々子。このまま終わるんじゃないだろうな?」
突然そんな声が響いた。
呼ばれた二人が、会場の観客が、声の主へと目をやる。
この戦いのきっかけを作った張本人…魔理沙だった。
「確かに綺麗な終わり方だけどさ。でも私たちはボルテージが上がっておいて、
それがやり場のない状態になってる。このままじゃ欲求不満だぜ」
すっくと立ち上がって観客席からお嬢様たちを見下ろす魔理沙。その様子は
挑戦的だった。
最初は黙っていた他の観客も、やがてそうだそうだと諸所から声を上げた。
「そうね…じゃあ、どうしてほしい?」
口元に手を当てて、おかしそうに言う幽々子。どこか楽しげで、何かを期待している
ようでもあった。
「どうしてほしい、ってそりゃあもちろん」
言いながら魔理沙は箒にまたがる。ついでに無理矢理アリスの手をひったくる。もちろん
アリスは抵抗してあれこれと魔理沙に向けて言うが…当然無駄な努力に終わるし、聞いてない。
「従者が退場したんじゃ、出てくるのはお嬢様しかないだろ!」
叫び、猛烈なスピードで突っ込んでいく。
「ルール無用のバトル・ロワイヤルだ! 力尽きるまでぶっ飛ばすぜ!!」
それが皮切りとなって、テンションのあがりまくった命知らずの人妖たちもステージへと
突撃していく。
レミリアと幽々子は━━不敵に笑って、 背中合わせに身構えた。
「まさか貴女と共闘することになるなんて夢にも思わなかったけど……」
死蝶の両手に戦闘扇(バトル・ファン)の羽を広げながら、幽々子はそんなことを言い出した。
けれど、そこに不本意だとか嫌悪みたいな思いはなく、心底楽しんでいるようだった。
「まったくね。運命ってどこでどう絡まるかわからないわ…運命を操る私にもね」
紅い悪魔は、自らを象徴する色を放つ光を収束させ槍をかたどらせる。
彼女もまた、とてもおかしそうに笑っていた。
━━その目に狂気を孕んで。
「ぶっとべええええええええええええええ!!」
初っ端から魔理沙はマスタースパークを放った。
幽々子の扇がそれを受け止め━━そして、受け流す。
受け流されたその光の奔流はそのまま観客席へと突っ込み爆散する。
「ええい、もう自棄よ!」
叫びながら空中に放り出されたアリスは人形を展開させて弾幕を張り、自らその手に
愛用の上海・蓬莱人形を乗せてレミリアにレーザーを打ち込む。
集中砲火の的となってもレミリアは引かない。その手の槍を思い切り振りかぶる。
放たれる紅の一閃は、弾幕もレーザーも一緒くたに吹き飛ばす。
そして、乱闘の嵐の中に、レギュラーメンバーも次々と参戦していく。
チルノと大妖精が。
「ちょっ、チルノちゃん早まらないで!」
「何言ってるの大妖精! ここでやらなきゃ乙女が廃る!」
「ひええぇぇぇ」
パチュリーと小悪魔が。
「小悪魔、レミィの援護をするわ。手伝って頂戴」
「い、いくらなんでもこの数ですよパチュリー様!? こんなの相手してたらお体が…」
「だからよ。まったく、無茶する友達を持つと苦労が耐えないわ!」
プリズムリバー三姉妹が。
「どうするのルナサ姉さん?」
「このままこの戦いを囃す曲を奏でていてもいいが…妖夢があれだけがんばったんだ。
ここで弾幕を張らないでどこで張る?」
「がんばってね~、私はソロで演奏してるかr」
「「リリカも来るの!」」
「いやぁああああああ」
リグルとミスティアが。
「私の歌を聴けええええええええええええ!」
「落ち着け、早まるなミスティア!」
「いっつもいっつも私を追い回してからにあの@幽霊! 今日という今日こそ
目にもの見せてくれる!」
(目が据わってる…あーあ)
慧音と妹紅が。
「よせ妹紅! いくらお前が死なないからって五体満足でいられるはずがない!」
「だからよ慧音。こんなふざけた乱闘だから…充実するんだよ。生きてるって、
感じさせてくれるからね!」
「だが……」
言いよどんで言葉が続かず、そのまま妹紅は渦中へ飛び込んでいってしまう。
そこを、慧音の袖を引っ張るものが。
「ねえねえ。あの蝶々、食べられる?」
「いや、ちょっと待て。あんなもの喰らったら、死ぬぞ」
「そーなのかー」
言いながら声の主━━ルーミアもまた突っ込んでいく。話なんて聞いちゃいない。
「ええい、ままよ!」
ここでも苦労人が、いろいろと吹っ切れて渦中へと踊りこんでいく。
萃香が。
「みんなヤル気だねぇ…私も、逝かせてもらおうかなっ!」
そして霊夢が。
「あんたたちそろいもそろって馬鹿やって…いい加減主人公(わたし)を差し置いて
盛り上がってるんじゃない!」
飛び込む、飛び込む。
飛んで火にいる夏の蟲のように、その渦中へと飛び込んでいく人妖。
これに対して中心にいるのはただ二人。
幽姫と吸血姫が、背中合わせで群がる人妖と闘っている。
「中国! 何やってるの!」
「は、はいいぃいぃぃっ!」
観客席で場の流れに翻弄されて慌てふためいていた美鈴へ向かってレミリアが怒鳴る。
その声が響くや否や、急にぴんと背筋を張る美鈴。
「手が空いているなら咲夜のところへいって守ってやりなさい! もし万が一のことがあったら
……もう二度とこの呼び名を変えないわ、美鈴」
「ぁ…はいっ!」
ぷいっとレミリアは不機嫌そうに顔を背ける。主はそんな様子だけれど、美鈴は
ぱぁっと顔を輝かせて駆け出していく。
「うちの子もお願いね。今頃熟睡してるだろうから」
「了解です! 門番として絶対二人を守って見せます!」
言うが早いか美鈴の姿はもうだいぶ遠くなっていった。
そのせいで、「いつも魔理沙に負けてるくせに」というレミリアやパチェの声は
美鈴には届かなかった。
見送ったレミリアは、ふっ、と軽く笑った。
「後顧の憂いはなくなったし……そちらも覚悟はよくて?」
「ええもちろん。この宴、終わるまで舞ってみせるわ」
「上等。私も夜の王の名にかけて、今宵の宴は仕切ってみせるわ!」
背中合わせの二人もまた、この狂った宴の中で舞う。
西に傾いてきたがまだ月は高い。
今宵集いし人妖、百鬼夜行となりて踊り狂う。
満月の下咲く弾幕という名の花。それは一夜限りの月下美刃。
満月の下咲く少女という名の華。それは狂気に踊る月下美人。
その宴の終わりは、未だ遠い━━━━
しかしここに正気を保った被害者たちが。
「なんて馬鹿げた乱闘なの!? このままでは永遠亭にまで…」
(えーりんえーりん助けてえーりん!)
大乱闘を見て頭を抱える永琳たちに主の助けを呼ぶ声が響く。結界を張って永遠亭への
被害を防いでいた輝夜であったが余波があまりにもひどすぎて抑えられなくなってきたのだった。
「姫様!? ウドンゲ、ここは任せたわよ」
「は、はいっ! って、ええぇぇぇ!?」
勢いで返事をしてしまったものの、こんな大乱闘をどうしろというのか。
「とりあえずケガ人が出ても死人が出ないようにしてくれればいいわ!!」
「いや、ちょ、それ…!」
あまりにも無茶苦茶な言いつけだったが、鈴仙が何か言う前にもう永琳は飛んでいって
しまっていた。
「あああもう、こんなのどうしろって言うんですかぁっ!」
「それじゃがんばってねれーせn…」
「待ちなさい!」
何食わぬ顔でその場を立ち去ろうとしていたてゐの耳を、鈴仙は光の速さでつかむ。
「こうなったらあなたも道連れよ!」
「いやああぁぁあああぁぁ!!」
(少女乱闘中━━━━)
「みょ…おおぉぉぉおん…」
さわやかな朝凪が吹き抜けていく中、みょんな声をあげながら気持ちよさそうに背伸びをする
妖夢。ぐっと体を伸ばして気持ちよさそうな顔をしている。
思い切り伸びをした後、肩に手をやってもむ。
「なんだか怪我を治してもらってからすっごく体が軽いなぁ…」
言いながら、数日前のことを思い出した。
大乱闘に次ぐ大乱闘によって、当然特設会場は哀れ瓦礫と化した。
最初は百鬼夜行のごとく無数の人妖が入り乱れていたが、月が沈むころには
もはや誰一人として動くものはいなかったのだという。
しかしそれほどの乱闘にも関わらず、死者が出なかったことは奇跡に近かった。
これも鈴仙がうまく立ち回った結果なのだろう。
ちなみに永遠亭はこの狂気の宴のけが人をことごとく収容して治療をした。
後日法外な請求書が行ったとかなんだとかいう話も聞くが、それはまた別の話。
目覚めた妖夢の隣ではぼろぼろになった幽々子が寝ていた。
とは言うものの微妙に寝苦しそうにうなっていたので案外たいしたことは
なかったのかもしれない。
それでも妖夢にとってはパニックもいいところの状況で、事実を認識したとたんに上へ下への
大騒ぎだった……無論その瞬間傷に電撃が走って縮こまったのは言うまでもない。
そんなわけで主従仲良く永遠亭に入院して、数日後完治した後帰宅して今に至るわけである。
「妖夢~? 朝ごはんは~?」
「はい、ただいま」
主の呼ぶ声に返事をして飛んでいく妖夢。
いつもと何一つ変わらない光景だった。
食卓に並べられた朝餉は温かな湯気を立てていた。
……が、そのお皿のおかずが見る見るうちになくなっていく。
女二人の食事とは思えないほどの量なのに。
「妖夢、おかわり」
差し出されたお椀を受け取って、お釜からご飯を盛る。ちなみに、これがすでに3杯目。
しかし、妖夢にしてみればいつもと変わらない、いつもどおりの出来事なので
動じることはない。ただ、言うことがあるとすれば━━━━
「幽々子様も少しは控えてくださいね。最近白玉楼の財政は食費が半端じゃなく肥大して
きているんですから」
「うー…いいじゃないの、ご飯食べないと死んでしまうわ。他の無駄を削ればいいじゃない」
「幽々子様の食費は常軌を逸してるんです!」
可愛く口を尖らせる幽々子に一般人的な突込みを入れる妖夢。もちろん、無駄なことなのは
承知の上だ。
「ところで妖夢。食べ終わって片づけが終わったら、ちょっとお使いに出て頂戴」
「お使い、ですか?」
「ええ。ひとっ飛び香霖堂までいってきて買ってきてほしいものがあるの」
「はぁ。また妙なものじゃないでしょうね?」
「『また』? だいたい、妙なものって何よ?」
「え? えーと、それは……」
逆に突っ込まれて何を想像したのか、顔を赤くして両の人差し指を付き合わせる妖夢。
「ああ、妖夢ったら、私はどこで育て方を間違えてしまったのかしら。こんな
イケナイことを妄想する子に……」
「そ、そんなこと考えてませんっ!」
さめざめと泣く(ふり)幽々子に妖夢は怒鳴るように噛み付く。
「ほら妖夢、さっさと食べちゃいなさい。片付かないでしょう?」
さっきまでの泣いた(ふり)もどこへやら、一瞬のうちに表情をキリッとさせて
幽々子が言った。
う~、とうなって、あんまり味なんて感じないだろうなぁと思いつつ食事を口に運ぶ妖夢。
けれど、はっきりと味がした。日常という名の温かみが、そこにあった。
なんとなく、生きていて良かったなぁと思う妖夢だった。
「紅茶の茶葉なんて…随分珍しいものを買うんだなぁ」
空を飛びつつ妖夢は買い物かごへ目をやる。
古くからこの国に在り、長いこと幽霊をやってきた良家のお嬢様である幽々子が
緑茶以外のものを飲むなんてことはこれまでなかったことだった。
いったいどういう風の吹き回しなんだろうと思いつつ、まああの人だし何か変な
ことに使わなきゃいいけど……とますます頭の痛くなることばかり考えてしまう。
「あ……」
そんなことを思っていると、向かい側から誰かやってきた。
自分と同じ銀の髪をした、紺のエプロンドレスに身を包んだ少女。
咲夜だった。
咲夜も妖夢の姿を見て、空中で立ち止まる。
そのまま距離を置いて、呪縛されたように二人とも動かなかった。
「…………」
「…………」
視線が交わされる。
睨むでもなく、しかしその表情は笑っていない。
空気がひどく重い、そんな時間が続く。
━━━━けれど不意に、まるでにらめっこに決着がついたかのように。
どちらともなく、笑い出した。
「こんにちわ」
「はい、こんにちわ」
笑いながら、二人とも普通に挨拶を交わした。
とてもとても、自然に。
「具合はどう?」
「おかげさまで。咲夜さんもその様子だとピンピンしてるみたいですね」
「まあね。私がへばってたら、お屋敷の仕事がはかどらないし」
適当な野原へ降りて、二人は雑談していた。
風は穏やかでお日様はぽかぽか。そんな天気にならうかのように、雰囲気も和やかだった。
「貴女が顕界へ出てくるなんて、何かあったの?」
「幽々子様からお使いを申し付かって…まあ、紅茶なんですけど」
「紅茶? 他の人ならいざ知らず、幽々子が紅茶なんてどういう風の吹き回しかしら」
「私が聞きたいぐらいですって」
言いながら妖夢はぐきっと首をかしげる。みょんな音が出ているぐらいなので、かわいらしいと
言うよりは滑稽な仕草だった。
「咲夜さんはどうしたんです?」
「それがねぇ…新人の子をお使いにやったんだけど、ミスしたみたいでね。まあ、やらせないと
覚えないから仕方ないんだけど、そういうわけで私が後始末してるわけ」
「なるほど…苦労しますねぇ人を使う立場にいると」
妖夢が同情するように言うと、違いない、と咲夜は苦笑した。
それから少しの間言葉はなかったけれど、それでも気まずくはならなかった。
暖かいというよりは少し冷たい、そんな心地よい秋の空気のせいかもしれない。
と、不意に咲夜が、ん~っ、と声を上げながら思い切り伸びをした。
めったに見られない、完全で瀟洒なメイドさんの、ちょっとはしたない姿。
ぐっと体を伸ばしたまま、どさっと後ろに倒れて咲夜は寝転がった。
「ど、どうしたんですか、急に?」
「貴女もこうしてみたら? 何か釈然としないことがあっても、とりあえず気にしないで
お日様に向かってみるのもいいものよ?」
言われて、妖夢もぐっと伸びをして寝転がった。
秋晴れのお日様を目いっぱいその身に受ける。
それからしばらくまた会話はなかったけれど、唐突に咲夜が口を開いた。
「闘う前━━」
「?」
妖夢が顔を横に向けると、どこか遠くを見るような顔をした咲夜がいた。
「私は、不安みたいなものに駆られていたのよ。それがなんだかわからなくて、
いらだってた」
独り言のようにつぶやく咲夜に、妖夢は何も言わなかった。
ただ耳を澄ましているだけで。
「でもね。それが何なのか、気付かせてくれたのは貴女だった」
「私がですか?」
「ええ」
妖夢のほうを向いた咲夜が軽く笑う。それは、とてもさわやかな笑み。
「お嬢様のためなら笑って死ねる。それだけの覚悟はある。それは本当。それなら、
何で不安だったのか━━」
そこまで聞いて、妖夢は咲夜の感じていた思いが何なのか理解した。
自分と同じ思いだったのだから。
「生きてて良かった、って思うわ。またいつもと同じようにお嬢様のお側にお仕えして、
お屋敷で働くことができて……」
「……私も、同じです」
言って、妖夢も笑った。
「大喰らいで、何を考えてるのかわからないけど、それでも私は幽々子様のお側に
いたいんですよ。多分…あったかいから、かなぁ…そんな日常が」
「そうね」
言うと、二人の目が合って、その瞬間、二人ともまた笑った。
「でも…ちょっとだけ、ショックでしたよ」
「?」
妖夢の笑顔が急に崩れて、どこかさびしそうなものに変わる。
「最後のあの業…おじいちゃ…先代の、形見業だったんですよ。私がまだ未熟なのは仕方ないけど、
それでも…斬れなかった」
自分を責めるようなその言葉。それは、妖夢がどれほど妖忌を慕い、その業に誇りを
持っていたかをあらわすのに十分だった。
けれど、咲夜はそんな妖夢に苦い笑みを浮かべた。
「あら、私は斬られたわよ。あの時━━━━貴女に」
えっ、という言葉は、妖夢の口から声にならずに出た。
妖夢が咲夜のほうを向くと、咲夜は胸元から何かを取り出していた。
「懐中時計、ですか」
「ええ」
秋の陽射しを受けたその時計は、さびしげに輝いていた。
蓋には斬られた痕があり、ガラスは砕けていた。
遠く、遠くを見つめた咲夜。返事もここではないどこかにいるようで。
そんな咲夜を、妖夢は虚空のように感じた。
「この時計はね……お嬢様から、いただいたのよ。
━━━━出会ったあの時に」
ぁ、と妖夢から息のような声が漏れる。
「この時計が、あの時私を守ってくれたのよ」
その言葉に、妖夢はあの瞬間のことを思い出す。
ガラスが割れるような音。けれどそれは似て非なるもの。例えば、魂が切り裂かれた時に
似ている。そんな音が、確かに響いた。
「その……ごめんなさい」
「いいのよ、謝らなくて。お嬢様との絆を盾にしなければいけなかった私が弱かっただけだから」
しゅんとなって謝る妖夢に、あべこべに咲夜が慰める。
それが滑稽で、けれど悪い気はしなくて。
さびしげな笑みから、湿った吐息が漏れる。
「幻想郷での私の時を一緒に刻んできたこの時計は……もう」
「そんなことはないです!」
急に、妖夢が叫んだ。
あまりの勢いに、咲夜はぽかんと気を取られてしまう。
「ずっと一緒だったのなら…まだ、咲夜さんがいます。私が幽霊と二つでひとつであるように。
それに、その絆をくれたレミリアさんの側に、今咲夜さんは立っています!
絆は切れてないです」
必死に妖夢は言葉を重ねる。そこにあるものは、目いっぱいの思いやり。
「それに…楼観剣には、絆は、斬れません」
えっ、と声を上げる咲夜。その視線の先には、目を細めて優しげな顔をしている妖夢がいた。
「楼観剣はどんな強敵だって打ち倒せる。どんな強敵からでも大切なものを守ることができる。
でも……大切なものは、斬れないんだ、って、おじい…先代がおっしゃってました」
言い聞かせるように、静かに、妖夢は語る。その言葉の一つ一つが、咲夜に染み入ってくる。
「ほら…あんまり咲夜さんが辛そうにしてるから、その子が心配してるじゃないですか」
ふふっ、と笑う妖夢。その子と呼んだのは咲夜の時計のこと。
指をさす妖夢につられて咲夜は時計に目をやる。
そしてその表情が、見る見るうちに変わっていった。
壊れたはずの時計が。
生まれたての仔鹿が必死に立ち上がろうとするかのように。
かちりと、その針が、時を、刻んだ。
「ぁ……」
か細い声が咲夜から零れる。それとともに、雫もまた、一筋。
咲夜の時は━━死んでは、いなかった。
・
・
・
「さ、て。いつまでも油売ってられないわ。お屋敷に戻らないと」
咲夜は立ち上がると、ぱんぱんと服についた埃をはらう。
続いて妖夢も立ち上がる。
「それじゃあ」
「ええ」
それだけ言うと、二人とも、在るべき場所へと飛び立っていった。
『また、相見える時に』
言葉に出ることはなかったけれど、その思いは重なった。
幻想郷に広がる巨大な湖・紅魔湖。
その中心に浮かぶ島に、紅魔館は立っている。
上空から銀の少女が降り立つ。この屋敷の顔である咲夜だった。
「あら?」
目の前の光景を見た咲夜はそんな声をあげた。
屋敷の門前で、美鈴と、いつぞやの夜雀が話している。
「はい、肉まん。お代はコイン1個よ」
「わあぁ、ありがとうございます~、うずらさん」
「うずらじゃないから!」
どうやら行商をしているらしいミスティアから美鈴が肉まんを買っているらしい。
「それじゃあまたお願いしますねうずらさん」
「だからうずらじゃないから!!」
飛び立っていくミスティアは最後までうずら呼ばわりされていた。
それを見送った後、美鈴は手の中にある肉まんを見て幸せそうな顔をする。
「だんだんと空気が冷たくなってくると…おいしいんだよなぁ」
言いながら、ほんわかした顔で目いっぱい口をあける。
「あーn「で、何やってるのかしら美鈴」
場が凍った。
肉まんは美鈴の口に入る寸前で止まっている。
そんな状態で、器用に、油の切れた機械が動くようにぎちぎちと、ゆっくりと咲夜に
顔を向ける美鈴。
「さ、さくやさん…?」
「貴女…仕事サボって何してるのかしら」
無機質な顔をした咲夜が一歩一歩距離を詰めていく。
美鈴は蛇に睨まれたかえるのように動くことができない。
やげて美鈴の眼前に咲夜が来て、その手を振り上げる。
「貴女には少し強めのお灸がいいのかしら」
「ひ、ひええ」
その圧力の前に、美鈴は片手で思わず目を覆ってしまった。もちろん、もう片方の手では
しっかりと肉まんを持っているままで。
━━かぷ。
しかし、いつまでたってもナイフも拳骨も平手も飛んでこなかった。
ただ、美鈴の手には妙に暖かい感触がある。
おそるおそる目を開けてみると……
「え?」
思わず目を見張る。
美鈴の手にあった肉まんに、咲夜がかぶりついていた。
頬が、少し桜色に色づいていた。
「……これは私が没収するわね。でも全部没収するのはかわいそうだから、半分だけ」
「は、はぁ……」
呆気にとられて、美鈴はまともに返事をできなかった。
少しすると、咲夜はいつもの顔に戻って、「ちゃんと仕事しなさいね」と言って屋敷の中へ
戻っていった。
咲夜が門をくぐってからも、しばらく美鈴は動けないでいた。
やがて正気に返ると、まじまじと肉まんを持った手を見る。
その指には、かぶりつかれたときに、咲夜の唾液がついていた。
ぺろっ、となめてみる。
(咲夜さんの味……なのかなぁ)
そんなことを意識すると、美鈴まで顔が赤くなってくる。
ただ、その表情は相変わらず呆けたようなものだった。
はっとして首を振る。と、まだ肉まんが残っていたままだった━━半分だけ。
一口で、思い切りほお張る。
(これって間接キスかなぁ?)
そんなことを思いながら、美鈴は秋冬の味覚を味わっていた。
ちょっぴり、暖かい思いとともに。
「ただいま戻りました、お嬢様」
丁寧に礼をして、咲夜はレミリアの部屋へと入っていった。
「お帰りなさい咲夜。さっそくだけど、紅茶を淹れて頂戴。貴女の淹れた紅茶でないと
飲む気が起きないわ」
出迎えたレミリアは、少しだけ口を尖らせて言った。日ごろわがままなお嬢様が、
咲夜が出て行っている短い間といえども、我慢をしていたからだろう。
そんなレミリアに、咲夜はくすりと微笑む。
「はい、ただいま」
「……以上が先月分の報告です」
「ふむ」
夜。美鈴はレミリアの部屋にいた。仕事の内容を報告するためである。
「近頃ではお嬢様の威も幻想郷に広まってだいぶ賊の類は減りましたが…その…」
かの紅い霧事件や、永い冬事件などにより、紅魔館の威信は広まった。
だが、それでも門の修繕費は減らない。その理由はもはや語るまでもない。
「そろそろ魔理沙さんにも入館許可を出されてはいかがかと……」
「魔理沙の目的は図書館で、パチェが許可を出さない以上は認められないわ。
そしてそうである以上、貴女は魔理沙を撃退するのが役目」
「そ、そんなぁ」
主の答えに、美鈴は半ば泣きそうになる。
「まあ、たまには門番らしいところを見せなさいな。さもないと」
びくっ、と体を震わせる美鈴。反射的に、『解雇』の二文字が頭に浮かぶ。
「切腹よ」
「嫌ですっ!」
パタ、パタ、パタ。
とぼとぼと、力なく長い廊下を歩く美鈴の姿があった。
「はぁ~…怒られはしなかったからいいけど…」
独り言をつぶやいて、ゆっくりと歩いていく。
「魔理沙さんを止めろなんて絶対無理……」
さすがに冗談だろうが、本当に切腹させられる可能性もある。
ついでに言うと、妖怪はそれぐらいでは死なない。介錯されれば話は別だが。
ため息は尽きることなく、どんよりとした空気を放ち続ける。
ものすごい音が屋敷の中に響いている。おそらくフランドールが目覚めてわがままを言って
暴れているのだろうけれど、その爆音さえも右の耳から左の耳という状態だった。
当然そんなだから、注意力は散漫になっているわけで。
「……え?」
ある扉の前に差し掛かったかと思うと、美鈴の前の光景は急に変わっていた。
辺りをきょろきょろと見回す、とそこには。
「…………」
「さ、咲夜さん?」
なぜかものすごく不機嫌そうな咲夜がいた。
「い、いったい何がどうして…」
「ここは私の部屋よ」
言われて良く見てみると、なるほど、よく整理してある質素な部屋にほんの少し女の子らしい
飾りつけ。以前入ったことのある咲夜の部屋に間違いない。
ということは。
「時間停止で私をここへ?」
「そういうことよ」
相変わらず間の抜けた顔をして聞く美鈴に、相変わらず不機嫌そうにして咲夜が答える。
「でも、何でこんなことを……」
「……ッ!」
その一言で何かが切れたのか、咲夜が勢いよく美鈴に詰め寄る。
「貴女…もしかして、忘れたの?」
「えっ?」
「『約束』よ!」
* * *
『美鈴、お願いがあるのだけど、いいかな』
『絶対勝つから━━おまじないを、して』
『…えっ?』
『ダメですよ。私はいじわるなんです』
『ちゃんと戻ってきてくれたら、そのご褒美に━━ね? それが、私のおまじないです』
* * *
「━━━━あ」
そこまで言われて、ようやく美鈴は気付いて…咲夜のほうを向くと、大きく目を見開いた。
さっきまで不機嫌そうにしていたその表情が、崩れている。
泣きそうな顔と、恥ずかしげな表情と、何かを期待するような思い…が、一緒くたになっている。
不器用だなぁ、と、言葉にしなかったけれどそんな風に思いながら、美鈴は目を細めて微笑む。
「咲夜さん…すっごく、可愛いです」
「━━━━ッ!」
甘い言葉を耳元でささやかれて、咲夜は思い切り顔を桜色に染めた。
そんな咲夜を見て、ふふっ、と笑いながら美鈴は咲夜を抱きしめる。
「目を、閉じてください」
「……うん」
静かに、咲夜の綺麗な目が閉じられる。
あの時と同じ。キスを待っている。
今度はいじわるはしない。美鈴は、ゆっくりとその顔を咲夜へ近づけていく━━━━
甘い時間が流れていく。
それは咲夜の世界。否、二人だけの世界。
空には欠けたけれどなお美しい蜜月が浮かんでいる。
今宵、月下に美人の華咲く。
~Fin~
=======おまけ。=======
どたばたどたばたどたばた。
虹色の翼を持った少女が、長い廊下を駆けていく。
「咲夜ー! みんなすぐ倒れちゃってつまんなーい! 手品見せて!」
ばたん。勢いよくドアが開く。
「………ぁ」
「…………」
「…………」
フランが無邪気にドアを開け放ったその向こう。一輪の月下美人が咲いている。
……若干違う気もするが。
「い、妹様!?」
「え、えーと」
突然の乱入に、咲夜も美鈴も取り乱してうろたえている。というか、間があまりにも
悪すぎた。
「そ……」
体をか細く震えさせながら、ポツリとフランがつぶやく
「そういうのはいけないと思うのーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
顔を真っ赤にしたフランがレーヴァテインを思い切り振り回す。
どうやらお嬢様には刺激が強すぎたらしい。
「「きゃああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」」
ちゅどーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
…………そして、誰も、いなく、なるか?
今度こそ、おしまい。
それなら咲夜さんがメインになるように徹底したほうがよかったと思います。
それと、もう子供は寝る時間だよフランちゃん。
貴殿の咲夜さんへの愛、しかと見届けた!!
それはそうと、妖忌さん鬼籍に入られたんですか……
有罪吹いた。
これはいい咲×中ですねえ。バトルもかっこいい。
文華帳131Pの第0話ってとこでどうでしょう?
「幻想郷大乱闘+咲×美 おまけのみょんVS咲夜」という位置づけにしました。
ふらんちゃんかわいいよふらんちゃん
これほど素晴らしい物は無い!
バトル物って凄い書くの難しいと思うので、ここまでかけるのはやはり感嘆します。
そしておまけ・・・w
でもそんなのは瑣末。
妖夢と咲夜の戦いに酔い、BRに雄叫びを上げ、互いに背中を預けるレミリア
と幽々子に拳を握り、咲夜と美鈴の恋模様にきゃっ☆D・A・I・T・A・N
と頬を染めてしまったならば平伏するしかございません。
でも一番心に残ったのが、バニーな師匠なのは内緒ですよ?
さて、せっかくなので前作のとあわせてコメントにレスをば。
前作『Everyday Happening』へのレスは<a href=http://sharood.exblog.jp/1979688#1979688_1>こちら</a>
そして今作『月下美刃』へのレスは<a href=http://sharood.exblog.jp/1998806#1998806_1>こちら</a>
それでは、皆様ありがとうございました!! 風邪引いてるので寝ます……
みょんVS咲夜さんもえがった。
美鈴×咲夜、最高!
フランちゃん可愛いすぎ。早寝しようぜw
ガチバトル良かった。咲夜さんと妖夢っていいね。
フランちゃんうぶで可愛いよフランちゃん。
萌えたり燃えたり萌えたり忙しいw
しかし「GJ!」なお話でした。
二人が戦い、倒れ、立ち上がって交わす会話に体が震えました。