*ご注意のお願い*
めっさ長いです。お茶とおかしを用意し、良く睡眠をとった上で
読んでいただくと、読み終わった頃にまた眠くなるかもしれません。
前編、中編を読み終えてからご読書下さい。
それはいつものような宴会の、何でもない一時の出来事。
「・・・・私は、普通なんだよ・・・・アリス」
だいぶ酔っ払った魔理沙が、上品に酒をたしなむアリスへそんな愚痴を放った。
いつものように大勢が集まり、いつものようにどんちゃん騒ぎ。
ただ一つ違ったのは、それの中心かそこに限りなく近い場所に必ず居るはずの
魔理沙が、今日に限っては外れていた事。
その日は、何でも百回を超える試行錯誤の末に作り上げた新スペルの実験を行って
見事な大失敗をやらかしたそうで。宴会に来た魔理沙は少しだけ元気が無かった。
それで酒が入ればいつもの彼女に戻るだろうと放っておいたところ、こんな魔理沙が
出来上がっていた訳である。
「良く言うわね。いったいあなたのどこが普通なのよ」
それでも律儀に言葉を返すアリス。彼女は逆に、酒の席でもハメを外した事は無く
大騒ぎヨッパライ集団のテンションには少々付いて行けなかった。
普段の宴会では、盛り上がった魔理沙が強引に騒ぎの渦中に引っ張って行ってしまうが、
今日は魔理沙がこんなだから、アリスも静かに飲んでいる訳である。
「・・・普通は、普通だぜ?何の変哲も無いとかそんな意味だ」
「あなたから特色を抜いたら何にも残らないと思うけど。個性的・・・いえ、アクが強いって
言うのね」
「・・・そうか・・・・そうかな」
「そうでしょう?」
「そっか・・・・・・・・でも」
魔理沙は少しだけ笑った。
それはいつかにアリスが見た、太陽のように輝く眩しい笑顔ではない。
・・・弱くて、儚くて、小さい・・・・・
およそ魔理沙らしくない、そんなか細いものであった。
「でも・・・・・・普通なんだよ、アリス」
同じ事を延々。酔っ払いに良く見られる思考の停止。
誰が見たってそんな感じだ。マトモに会話するのは馬鹿らしい。
だが。
アリスは、
この淋しそうな笑顔の魔理沙に、
太陽が燦々と輝くからこその、色濃い影の存在を垣間見たような気がした。
『数ある運命の内に一つくらいはあってほしいような話 後編』
もっと、もっと速く・・・!
すでに自身の限界に近い速度で飛行しながらも、魔理沙は頭の中でそう連呼した。
霊夢からアリスに関する何もかもが消えていた。記憶は彼女が居なくても違和の無いように
改善されている。
何故?思い当たる節は一つしかない。
あの、薬の所為だ。
パチュリーが言っていた。運命を悪戯に歪める事は、運命を操るレミリアですら恐れる事
なのだと。
そして現状。
運命が―――――アリスを消去しようとしている。
どうしたら良いかなんて当ては無い。だが動かない訳にはいかない。
少しでも早く、早く、アリスのところへ行かなければ。
「アリスッ!!」
ドアを蹴破る勢いで、魔理沙は家の中へ入った。
返事は無い。
物音一つ返ってこなかった。
気配も感じない。
いつもなら出迎えに来る人形達も見当たらない。
「アリスーッ!!」
・・・無駄だと解っていても、もう一度その名を呼んでみる。帰ってくる返事を耳を澄まして
ただ待つ。一秒、一秒、時が進む度に魔理沙の不安は膨れ上がる。
だが期待していたあの声は、いつまで経っても聞こえてこなかった。
魔理沙はずかずかと奥に上がりこみ、部屋という部屋を開け放つ。寝室、実験室、書斎、トイレ、
一階二階のどこにも・・・・・アリスは居なかった。
二階から降りてくる途中、
「・・・・・・あ?」
リビングのテーブル、その上に、人形が肩を並べて座っているのが見えた。
上海人形と蓬莱人形だ。いつもアリスが連れて歩く人形、魔理沙にももう馴染みが深い。
急いで階段を駆け下り二体のそばに寄った。
「上海! 蓬莱! 私が解るか!?」
顔を近付けて大声で呼びかける。・・・・だが二体とも、ぴくりとも動かない。
二体を手にとってみた。その感触から魔力の波動が、微塵にも感じられなかった。
上海、蓬莱に限らず、アリスの人形は定期的に彼女から魔力を提供されなければならない。そうで
ないと、自分が活動するための力を自分で生み出せない人形は、文字通りただの人形に戻ってしまう。
人形が培ってきた経験、記憶、感情・・・・そういったものも、一度消えてしまうともう戻らない。
少なくとも丸一日以上は魔力供給を受けていないであろう二体は、魔理沙の知るあの二体は、もう
この世に存在しない。・・・・別の言い方をすれば『死んだ』のである。
・・・ポタッ・・・・・・
人形のそばに雫が落ちる。ひとつ・・・・またひとつ。
「・・・・・・ごめん・・・・・ごめんな。上海、蓬莱、ごめん・・・・」
魔理沙の声は震えていた。
「・・・・・私の所為なんだ・・・・私が、あんな・・・・・クッ・・・!」
歯を喰いしばる。両手の拳を、爪が皮膚に食い込むくらい強く握った。
「・・・でも・・・・いや、だから・・・・」
スッと立ち上がる。入ってきた時に開けっ放しだったドアに向かって歩き出した。
「お前等のご主人様は、絶対助けてやる。・・・約束するぜ」
テーブルの上に、静かに座る二体の人形に向かって、魔理沙は言った。
もっと、もっと速く・・・!
再び森を最大速度で飛行しながら、魔理沙は同じ言葉をひたすら続けた。
こんな時は、ただ速く飛ぶだけの力が恨めしく思えてしまう。
幻想郷の中でも魔理沙ほど速く飛べる者はそう居ない。だから魔理沙以上に早く目的地に
行ける者が居ないかと言えば、それは違った。
魔理沙の友人で人間二人が居る。この二人は魔理沙ほど速く飛ぶ事は出来ない。だが魔理沙より
何倍も早く先に行けるだろう。何故ならその二人は、時を止めてしまえたり、何の理屈も無く
瞬間移動が出来てしまえたりするからだ。
それらは持って生まれた特殊な能力の恩恵であり・・・・・『普通』の魔理沙は、ただただ自身の
速度を上げていくしか、彼女達に付いて行く方法が無い。
『一瞬』に追い付く為の努力。
『才能』に負けない為の探求。
止めてしまったら、おそらく瞬きの間にでも差が広がるだろう。
そしてそこに、私の居場所は無い。
だけど、そんな思いが、
大切な友達を一人、殺そうとしている。
だとしたら、私が強くなる意味なんて無いのか?
私が居る意味なんて無いのか?
私が居なくても幻想郷は何も変わりはしない。
霊夢はお茶を飲み、咲夜はレミリアに仕え、パチュリーは本を読んで、毎日が過ぎていく。
ある日私が消えても、それらは問題無く続くのだろう・・・・・
「・・・・・違う」
速度は衰えず。自身が風を切る音でかき消されてしまう程の小さい呟き。
「違うッ!」
しっかりと叫んだ。静かな森に良く響く。
「認めるかそんなの! 私は生まれて、ここで生きてるんだ! 普通・・・普通に生まれて、だからって
平凡なまま生きなきゃならないなら、私はとっくに死を選んでるぜ!」
だから。
運命だろうが何だろうが、消されて何事も無いヤツなんて、居て良い訳があるものか。
証拠に、誰もがその存在を忘れた今でも、アリスの事で胸を痛める私がここに居る。
―――それが、魔理沙がアリスに対して、霊夢達には持っていない特別な感情故にだと
いう事を、まだ彼女は気が付いていない。
森を抜けて対岸が霞むほど広い湖に出る。この湖の中心に目的地は存在する。
―――紅魔館。
かつて、館の主レミリア・スカーレットが、紅い霧をもって太陽の光を遮断
した事があった。
とても暑い夏の夜。魔理沙は霊夢と共に、霧を晴らす為にここを訪れた。
だが今日は、その運命を操る紅い悪魔に、助けを求めようとしている。
・・・・・・これはとんだ因縁だ、魔理沙は声に出さず毒突いた。
やがて、その名に恥じない、紅くて巨大な門が見え始めた。
いつもなら門番が立っている。当時は立ち塞がって弾幕へと突入したのだが、今では軽く
挨拶すれば通してもらえる。・・・レミリアはこんな昼間じゃ寝ているだろうから、いつもの
通り図書館に用があると言っておこうか・・・・・
しかし、大分近付いた門にはそれらしい影が見えない。
怪訝に思う魔理沙。それでも速度を落とさず進む彼女に向かって、
「『火符』アグニシャイン」
無数の火炎弾が襲い掛かった。
「ッ!? これは・・・!」
一瞬驚くも、魔理沙にしてみたら避けられない弾幕では無い。・・・それに、以前に一度
突破したスペルだ。もう見切っている。
襲い掛かる弾を難なく避け、熱波は魔法障壁で遮る。
そして弾幕を抜け切った先に、この見知ったスペルを放った、見知った少女が立っていた。
「・・・・よう、お前さんが外に出るなんて珍しいじゃないか?」
うっすら開くジト目で魔理沙を睨む、
ヴワル魔法図書館の主、
知識と日陰の少女、
大魔術士・・・・パチュリー・ノーレッジ。
「・・・・たまに外に出てみれば、そんな時に限ってこんな事があるのね」
ぼそりと小さく呟いた。
「えっと・・・この前は悪かったな、パチュリー」
「・・・・・・・」
「・・・今日はレミリアに用があるんだ。図書館の本には手を付けないぜ。
だから、通してくれないか?」
「・・・・・・・」
「・・・・あなた、誰?」
パチュリーが言った。
「・・・・・は?」
「・・・・・・・・」
「おいおい、お前そこまで目も耳も悪くなったのか? 私が、霧雨魔理沙以外の何に
見えるって言うんだよ」
「きりさめ・・・・?」
パチュリーは持っていた分厚い本をぱらぱらと捲った。
「きりさめ・・・・まりさ・・・・・」
「・・・・おい! 私は急いでいるんだ! それでなくとも、そんな性質の悪い冗談にゃ付き合えないぜ!」
パタン、パチュリーが本を閉じた。
「あなたこそ、何の冗談かしら。私の知識にあなたのような人間は存在しないわ」
いつも通りの小声・・・・だが、きっぱりと言い放つ。
どういう事だ・・・・? 魔理沙の頭が情報を高速で纏め上げていく。
パチュリーが私の存在を忘れてしまった?
同じ現象だ。霊夢がアリスの存在を忘れてしまった。
おそらく霊夢だけでなく皆が忘れているだろう。
それは私が作った薬の所為で、アリスが幻想郷から『無かった事』にされかけているから。
その『力』が、何らかの要因で私にも作用し始めて・・・・・
―――私も、消されようとしている・・・・!?
魔理沙は戦慄した。
細かい理屈は解らないが、おそらく。
アリスに続き魔理沙も消されようとしている。
これで、もし、レミリアまで全て忘れていたとしたら・・・・・・
全て終わる。魔理沙もアリスも、幻想郷から、彼女達が居たという痕跡すら残さず消滅する。
これが、運命を操る悪魔でも恐れる『運命の歪み』か。
思考に全ての神経を集中させていた魔理沙は、攻撃的な魔力の波動を感じて我に返った。
気が付けば目の前の魔女は、既にスペルカードを構え臨戦態勢に入っている。
「・・・レミィの名前を知ってるくらいだから、言うまでも無いだろうけど。吸血鬼の館に
こんな日も高い時間に訪れるなんて、穏やかじゃないわ」
パチュリーが構えるスペルカードを確認。その対処法を思い出すと同時に、手持ちの
スペルカードを脳内で並べて、効率、効果、節約といったフローチャートを展開。
「別に、寝込みを襲おうなんてヤボな事は考えてないぜ。聞きたいことがあるだけだ」
いつでも動けるように、箒に魔力を送り込む。さりげなく、右手を懐のカードを瞬時に
取り出せるように置く。
「・・・・それで見ず知らずの人間を、易々通す訳が無いわ」
その言葉は、魔理沙の胸を痛く締め付けた。
表情が曇る。
魔理沙のそんな心情なぞ構い無く、パチュリーがスペルを宣言した。
「『水符―――プラス」
構えたカードの後ろから、もう一枚のカードが姿を現す。
「!」
「木符』ウォーターエルフ」
パチュリーの周囲、湖から引き寄せられた水が宙を舞う。ぐねぐねと生き物のように
のたうつ水柱、まるで蛇が、パチュリーが手を翳すと一気に魔理沙へと突進した。
「―――このッ・・・!」
魔理沙は急上昇する。
追いかける水の蛇。その体から魔理沙よりも一回りほど大きい水の玉が撒き散らされる。それも
高速で魔理沙に襲い掛かり、避けた弾は地面に激突してクレーターを作る。もしくは湖に落ちて
巨大な飛沫を巻き上げた。
飛来する水玉の弾幕を、湖の水面スレスレで飛行しながら避ける。大きく旋回し、背後を水の
蛇に追われながら正面にパチュリーを捉えた。
箒から右手を離す。その掌に緑色の光が輝きだした。
「・・・・パチュリー!」
マジックミサイル。魔力を凝縮して撃つ簡易的な魔法だが、その分発動が簡単で連射が利く。
計六発の魔弾がパチュリーに向かって放たれた。
「・・・無駄よ」
湖から新たに生まれた水蛇がパチュリーの前に立ち塞がる。ミサイルはその水の壁に当たり
爆発した。周囲に撒き散る水、パチュリーの周りだけ淡く光る障壁が生まれてそれらを弾いた。
「・・・くっ・・・!」
「・・・チェックメイトよ、きりさめまりさ」
「!?」
気付く。先ほど、ほんの少し攻撃に意識を集中した間に、パチュリーが新たに生んだ水蛇と
そこから生まれた無数の水玉に完全包囲されていた。
「・・・今日は喘息の調子も良いみたいだな」
愛用の帽子に表情を隠して、魔理沙が言った。
「・・・・・あなたが何者なのか知らないで終わるのは、少し残念かもね。どうしてそうも
私を知っているのか、タネを教えて欲しいものだわ」
「簡単だぜ?パチュリー・ノーレッジ」
魔理沙が顔を上げた。寂しそうな笑顔がそこにあった。
「私とお前は、友達だからな」
パチュリーが合図すると同時に、魔理沙を囲んでいた弾幕が一斉に動く。
隙間など無い。四方を固められて逃げる事も出来ない。
「『恋符』ノンディレクショナルレーザー!!」
いつのまにか、魔理沙の右手にはスペルカードが存在していた。
「なっ・・・・!?」
驚愕するパチュリー。敵が放ったスペルは、自分が持つスペルと酷似して・・・いや、
そのものだったのだ。
魔理沙から何本もの光が伸びて、縦横無尽に周囲を薙ぐ。水蛇も水玉もそれらに撃たれて
四散した。
「な、何で、私のスペルを、あなたなんかが・・・!?」
刹那の混乱。パチュリーの攻撃が止まる。
「貰ったのさ、お前からなッ!」
その隙を突いて魔理沙が突撃する。風を切る音がはっきり聞こえる。湖の水面は、魔理沙が
通る道を開けるかのように左右に割れた。
「ッ・・・! ど、『土符』レイジィトリリトン!」
魔理沙が湖から上がる直前の大地に、パチュリーは慌ててスペルをかけた。土が盛り上がり
宙に浮き、高質化して敵に襲い掛かる・・・・直前。
「遅いぜッ! 『光符』アースライトレイ!」
それら浮き上がった土の真下に魔方陣が生まれ、そこから一筋の光が天に昇る。光に貫かれた
土はまだ高質化しきれていなく、あっさり崩れ落ちて元に戻った。
「・・・・!」
水の蛇、土の槍・・・・パチュリーを守っていた壁が全て崩れ、魔理沙は射程内・・・・『絶対に外さない』
位置に彼女を捕らえた。
パチュリーは慌ててスペルを出そうとしているが、もう遅い。こちらはもう、必殺のカードと
『ミニ八卦炉』を構えているのだから。・・・あとは宣言するだけ。
・・・・・・
「・・・また来たの?」
迷惑そうな顔で迎える彼女の顔がちらつく。
「なぁ、あの周りをばぁーって払うレーザー、あれいいな」
「・・・ノンディレクショナル? あんなの私にとってはそう重要なスペルじゃないけど」
「じゃ、くれ」
「くれ!? ・・・厚かましいわね・・・・そういう事は、持っていった本を一冊でも返してから
言いなさい」
「うっ・・・解ったぜ。今度来た時には何冊か持って来るからさ・・・」
「持ってきてから」
「なー」
「信用できないわ」
「酷いぜ」
「当たり前よ・・・・フフッ」
「アハハ・・・・悪い。今度本当に持ってくるぜ」
「・・・じゃ、カードの件は考えといてあげるわ」
ほんの何ヶ月前のやりとりなのに、
もう、パチュリーは、
私のことなど、
覚えていない。
いくら病弱とはいえ、パチュリーは人間より強い魔女だ。
直撃させても死にはしないだろう。
ただ。
以前戦ってボロボロにした時、彼女は免疫力が低下して、喘息の発作や怪我による発熱で
何日も苦しそうにしていた。ベッドの上の青い顔を、魔理沙は見舞った事がある。お付の
小悪魔が不在時、額のタオルを代えてやった事もあった。
これを撃てば、彼女はまた、あの地獄の様な苦しみを味わうだろう。
パチュリーがカードを手にした。
魔理沙が動く。
「『恋符』―――!!」
――――ごめん・・・・・・・・パチュリー・・・・・!
「マスター・・・・・スパーーーーークッ!!」
魔理沙とパチュリーの間の直線上、空気が一瞬帯電し土埃を巻き上げる――
――その直後。
轟音と衝撃で大地を揺らし、静かな湖面に高波を生む巨大な閃光が走った。
「あ――」
言う暇も無い。光はパチュリーを覆う魔法障壁なぞ容易く吹き飛ばして、
彼女のすぐ隣で大爆発を起こした。
「あぅ・・・・!」
巻き上がる土砂に混じって、パチュリーの華奢な体も吹き飛ばされた。だが少々
かすり傷は負ったが、こんなものではやられたりしない。
・・・・あの位置から、何故外した?
・・・・・・わざと、外した?
風を操って体勢を整え、ふわりと着地する。
もうもうと立ち上る土煙が徐々に晴れて、向こうに白黒の魔法使いを確認した。
・・・・どういうつもりか知らないけれど。
持っていたカードを再び構える。
それは、向こうでも見えている筈であったが、魔理沙はただ動かなかった。
「けほっ・・・・ひ、日符・・・・けほっ、けほっ」
宣言―――しようとしたが、どうにも咳き込んで上手くいかない。
「けほっ・・・・こ、こんなときに・・・・」
「・・・魔法の助力無しで大きく呼吸したろ?・・・パチュリー」
いつの間にか、魔理沙が近くまで寄ってきていた。
「けほっ・・・・これ、けほっ・・・これを狙って・・・・?」
「・・・・・まあな」
「そんなこ、けほっ・・・しなくたって・・・・けほっ」
「直撃させたら、もっと苦しむと思ったんだけど・・・・・な」
咽るパチュリーを見た。喘息の発作がどれほど苦しいかは、体験こそしたことは無いがこうして
見てきたから、理解は出来る。
直撃させてもさせなくても、結局は彼女を苦しませたのだろう。
全ての原因は自分にあるというのに。
出来れば。
衰弱したパチュリーを連れて図書館に帰り、看病してやりたかった。
だけど、今の自分には一秒だって余裕が無い事を知っているから。
「・・・・・・・・ごめん、パチュリー」
「えっ?・・・・けほっ、けほっ」
最早立ってもいられないパチュリーを置いて、魔理沙は紅魔館の門を超えた。
歯を喰いしばりながら。
そこはまるで、紅い霧の夜の再来だった。
外であれだけ暴れれば、嫌でも侵入者の存在を知る。
館内では既に戦闘メイド隊が陣を組んでおり、入ってきた魔理沙に対して一斉に
攻撃を開始した。
魔理沙はそれらを掻い潜り、牽制にミサイルを放ちながら館の奥へ進んでいった。
直撃はさせない。いくら陣を組んでいてもパチュリーに比べれば甘い弾幕だ。目を眩ませ
られれば容易く突破出来る。
侵入者に対して殺意を向けるメイド達。その顔を魔理沙は一瞥した。
―――見覚えがある。
あいつは図書館に居るときに、良くおかしを運んできたメイドだ。
人間が作る味に興味があるらしくて、妖怪のくせに美味いおかしを作ってくれた。
あいつは門前で番人とおしゃべりしてた。
メイド長に言いつけるぜって言ったら二人して焦ってたなぁ。
あいつは・・・・私が人間なのに妖怪を超える力を持ってるって、目を輝かせていたヤツだな。
正面きって「憧れてます」なんて言われたら、くすぐったいじゃないか・・・!
今はみんな、みんな、みんな、私を敵だと思っている。
気を抜けば、今にも視界が滲みそうになる。目が熱い。
魔理沙は込み上げる思いを振り切るように、箒の速度をさらに上げた。
巨人でも入れるんじゃないかというくらい広いホールに出た。
そこで、
ぴり・・・・・
突然、首筋に冷たい何かを感じた。
魔理沙は経験上、それが何なのか明確な答えを知っている。
これは研ぎ澄まされた―――――殺意だ。そう、銀のナイフのような、冷たくて鋭くて、
触れれば斬れる濃い殺意。
そして、こんな殺意を向けてくる相手を、この館で一人知っている。
警戒。魔理沙が魔力を集中し・・・・・
それまで何も無かった空間に三本のナイフが現れた。
ナイフはそれぞれ、魔理沙の額、喉、心臓を的確に狙って迫る。
魔理沙は動かない。
キンッと金属特有の高い音がして、ナイフが三本とも弾かれた。
魔理沙は殺意を感じた瞬間に、魔力中和能力の高い銀のナイフでも弾けるような
強固な障壁を張っていたのである。ピンポイントで、額と喉と心臓に。
「相変わらず容赦無いな、的確に急所だけ狙ってくるなんて・・・・咲夜」
魔理沙が、正面の空間に向かって話しかけた。
「・・・・何でお前は、私の名前・・・それと攻撃方法を知っている?」
どこからか、トランプの札がはらはらと舞い落ちた。
その中からゆっくりと姿を現したのは、紅魔館の全メイドを束ねる責任者、瀟洒の二つ名を通す
銀髪の美少女・・・・・・十六夜咲夜。館で主レミリアに次ぐ実力の持ち主にして、魔理沙と同じ人間。
「・・・・・はは、やっぱりな。お前も・・・・かよ」
咲夜もやはり、魔理沙の事を覚えてはいないようだった。パチュリーでそうだったのだから
咲夜が違う理由は無い。解ってはいたが・・・ショックはあった。
「さて。ド派手に進入してきて、何がお望みなのかしら?」
口調は穏やか、しかしその顔は殺気に溢れている。まるで・・・・・そう、まるで、
初めて会ったときのような雰囲気だ。
「レミリアに会いたいんだよ。ちょっと聞きたい事があるんだ」
そう言いつつも、魔理沙は残りのスペルカードを脳内で並べていた。パチュリーの時と同じである。
咲夜は、例え魔理沙の記憶を失っていても、やはり咲夜であり。
そんな彼女が、どうあっても魔理沙を通すとは考えられない。
ノンディレクショナルレーザー、アースライトレイ、そしてマスタースパーク・・・・・これらは
先ほど使ってしまった。しばらくは使えない。
咲夜はパチュリーと同じく、敵となったら厄介極まりない。そんな相手と弾幕をするには
準備が圧倒的に足らなかった。
一つ利点を挙げるとすれば・・・・・相手は自分の存在と一緒に、手の内まで忘れてしまっていると
いう事、そしてこちらはそれを知っているという事か。
「・・・お嬢様はただ今お休み中ですわ。御用なら丑三つ時にでもいらして下さらないと」
「そんな時間に起きてる人間は、お前以外じゃワラ人形愛好者くらいだぜ」
「五寸釘を打ち付けるのは、はたして愛好なのかしら」
「モノの価値を存分に愛好しているんじゃないか?」
「ああ、なるほど」
咲夜は両手に数本のナイフを構えた。その周囲にもナイフが浮いて、切っ先は全て魔理沙に
向いていた。
首筋に感じる殺意がさらに濃くなるのが解る。
「・・・どちらにしろ、パチュリー様を苦しめたあなたを、生かしたまま帰す気は無いわ」
その言葉を返す事は出来なかった。
魔理沙の表情が曇る。
咲夜の右手がナイフを放った。アクションは一回、右手にあったのも一本きり。周囲に浮いていた
ナイフも十本程だった。だが放たれたナイフはざっと見ても五十本以上。弾速は極めて速い。
「・・・くッ!」
正面に迫るナイフをマジックミサイルで落とし隙間を作り、そこへ目掛けて魔理沙が飛んだ。
落ちるナイフが空中でぴたりと止まった。それはくるりと勝手に回転し、再び切っ先を
魔理沙に向ける。そして来たときと同じ速度で魔理沙に迫った。散らばったナイフも四方から迫る
弾幕となり魔理沙を包囲する。
さらに咲夜が左手のナイフも投げた。これも放たれた瞬間にその数を増やす。
こうして相手をナイフの海に沈めるのが、このメイド長の常套手段だ。
何とか直撃だけは避けるも、
「痛ぅッ・・・!」
いくつかが魔理沙をかすめ、浅く皮膚を裂く。血が滲んだ。
「・・・この!乙女の肌は容易く傷付けちゃいけないんだぜ!」
ミニ八卦炉を咲夜に向ける。流れる魔力を受けて一筋の光が飛んだ。
超簡易版マスタースパーク、イリュージョンレーザー、八卦炉さえあればカードも宣言も
要らない。
正面のナイフを弾き、レーザーは真っ直ぐ咲夜を狙う。
直撃。
咲夜の胸を光が貫いた。
―――――瞬間、
「!」
その体は無数のトランプに化けてぱらぱらと舞い落ちた。
「相変わらず無意味な演出だぜ・・・!」
「あら、喜んでいただけなかったようね」
背後から声は聞こえた。
「手品はもっと派手な方が好きかな」
「手品に何を求めてるのよ」
「エンターテイメントだろ」
「そう・・・・それじゃ、こんなのは如何かしら」
魔理沙が振り向くと同時に、咲夜は既に構えていたカードを宣言する。
「『幻符』―――」
周囲に、今までの倍以上のナイフが突如出現し、
「殺人ドール」
全て魔理沙に襲い掛かった。
「『魔符』スターダストリヴァリエ!!」
魔理沙も振り向く時に一枚のカードを手にしていた。宣言。
周囲に星型の魔弾が無数に生まれ、放たれて迫るナイフ達を迎撃。スペルの効果で生まれた
幻影のナイフは効力を失い消え去っていった。
だが。
「・・・・チィッ!」
魔理沙が舌打ちする。
連戦、連続スペルカード使用・・・・やや魔力を消耗し過ぎた。
このスターダストリヴァリエは、まるでイージーレベルの弾幕しか精製できていない。
咲夜が放つ数百本のナイフ弾幕全てを撃ち落すには圧倒的に物足りなかった。
銀の刃が星の川を突破。
魔理沙は懸命にそれらを避けた。スペルを発動させたまま上昇や下降を巧みに使う。
それでもまた浅い切り傷が増えていって、その度に歯を喰いしばった。
「・・・・ふうん? パチュリー様と弾幕して、まだそこまで余力があるなんてね」
一方の咲夜は余裕。イニシアチブを完全に把握しているのだから当然だが、魔理沙にもう
スペルカードの残りが少ない事も見切っていた。
「でも、これで終わりにさせてもらうわ」
殺人ドールのカードを捨て、もう一枚のスペルカードを取り出す。
スペルの効果が切れて、魔理沙は咲夜が新たに攻撃してくると感知。
一瞬できたこの隙にと距離をとる。
『距離をとる』という行動は、
「『奇術』ミスディレクション!」
咲夜に読まれていた。
再び放たれた無数のナイフの切っ先は、避けようと動く魔理沙を追尾する。その方向へ高速で
飛んだ。ホーミング能力は霊夢のアミュレットに敵わないものの、弾速と手数は圧倒的に勝っている。
魔理沙はホールの壁にそって高速で飛んだ。魔理沙の飛んだ後にナイフが突き刺さり、彼女の
後ろには刃の道が出来上がっていく。
刃の雨と魔理沙の距離は徐々に狭まってきていた。
「・・・避けきれないか・・・!」
魔理沙は懐からスペルカードを取り出した。
手持ちのスペル・・・・・・最後の一枚。魔力を消耗しても大して効力を下げないスペルの為、最後まで
取っておいたのだが、
皮肉だろうか。このスペルは・・・・・
急ブレーキをかけて魔理沙が止まる。
そこに追尾して迫るナイフの雨。
最後のカードを構える。
「『儀符』オーレリーズサン!」
魔理沙の周りに、彼女の上半身ほどの大きさを持つ球体『ビット』が四つ現れた。球体は淡い光を
放ちながら魔理沙を中心にくるくると回る。
迫るナイフをビットが意思を持つかのように魔理沙を守り、ことごとく弾く。
「こいつは攻防一体のスペルなんだぜ! 行け!!」
「!!」
咲夜を指差す。四つのうち二つが魔理沙から離れて、咲夜を目掛けて飛んだ。
「こんなもの・・・・!」
新たにスペルカードを構える。
「『幻世』・・・ザ・ワールド!」
宣言した瞬間――――咲夜が消えて、
「―――――もらった!」
真後ろに現れた。接近戦用のナイフを構えて魔理沙の背中に斬りかかる。
残したビット二つの防衛能力が自動で働き、接近する咲夜を迎撃した。
「くっ!?」
「―――あげないぜ?」
すれすれで避けたものの、咲夜の上着は破け純白のエプロンは焼け焦げた。
魔理沙の後ろから、先ほど放ったビットが戻ってきた。
そして術者を通り過ぎて再び咲夜に接近する。
「・・・・チッ・・・!」
舌打ちする咲夜。
ビットが当たる直前で、またも彼女は忽然と消えた。
「そう何度も避けられると思うな! ・・・右だ!」
「うっ!?」
魔理沙が指示を出し、ビットが進行方向を変える。
その射線上に咲夜は姿を現し、再び窮地に追い込まれた。
「・・・・なんで」
「今度は・・・上だ!」
「あいつ・・・私の動きを!」
「左だ!」
その時を止める術に何度苦汁をなめた事か。
それまで努力して培ったモノが効かなくて、どれほど悔しく思っただろうか。
そして魔理沙の目標に霊夢以外が加わった。
皮肉にも、このスペルカードこそ、
彼女に勝つ為に編み出したスペルなのだ。
魔理沙の周囲を回るビットは、その強力な防衛能力を持って常に敵の位置を感知する。それを
使用者本人が感じ取れば、例え時を止めて瞬間移動しても何処に居るかが解るのである。
「そして・・・・」
魔理沙が右手で空間を薙ぐ。ビットへの命令を飛ばしたのだ。
ビットは命を受け、再び消えてまた現れた咲夜を一心に目掛け飛んだ。
「はぁっ・・・くっ!」
咲夜の息があがっていた。汗が滴り落ちる。
時を止めるタイミングが一瞬遅れた。最接近したビットが顔右側の三つ編みを吹き飛ばす。
「・・・・!!」
「そう連続で時を止めてたら、いくらお前だってもたないだろう? ・・・そこだ!!」
ビットが迫る。
吹き飛ばされた髪を押さえたままの咲夜は、
ビュッと左腕を振り上げた。
手の中のスペルカードが紅く光る。
光の中から紅い刀身のナイフが現れ、
宣言。
「『傷魂』―――ソウルスカルプチュア―――」
一閃。
紅い閃きが、
迫るビットを真っ二つに裂いた。
「・・・・!!」
閃は魔理沙の肩上まで走った。
・・・頬に一つ線が生まれ、そこから細く血が流れる。
自身が放つ紅い閃きと同じく、咲夜の両眼は真紅に染まっていた。
咲夜の奥義。自身の運動速度を究極にまで高め、紅い刃の嵐で敵を微塵に切り裂く。その速度は
咲夜自身の感覚を超える為、攻撃のみに全神経が集中する。一種のトランス状態になるのである。
そのトランス状態を体現する真紅の瞳。今の咲夜は敵を切り刻む事以外に思考が無い。
そして、このスペルの発動は、
『決死』を意味する。
紅い瞳の咲夜が動いた。
両手に紅の刃を構え魔理沙に向かって突進する。その顔に表情は無い。
敵意、怒り、使命・・・・・全ての感情が消え、咲夜はまるで機械のように宙を走った。
「ビット、止めろ!!」
魔理沙が指示を出すと同時に、残る二つのビットが今まで以上に光を放ち二人の間を塞いだ。
「・・・・・・・・」
咲夜、無言で一撃。
紅い閃がビットに当たり、耳を劈くような金属音を響かせた。
防御に徹したビットが紅い閃を食い止める。
だが咲夜は止まらない。
再び一撃を放つ。
また一撃、
一撃、一撃、
一撃、一撃、一撃・・・・・・嵐。
その両腕はあまりの高速運動の為に霞んで見えた。
何本もの紅い閃が走り、魔理沙を守るビットを叩く。
・・・・・ピッ・・・ピピピッ・・・・
「!?」
ビットから音がする。
放つ光が弱まり、徐々に、球体にヒビが入ってきた。
「く、駄目だ! 耐えろビット!!」
「・・・・・!」
キンキンと絶え間なく響く金属音。
その中に微か聞こえる崩壊音。
そして、
パァン、と派手な破壊音。
二つのビットが粉々に砕けた。
「・・・・・・!!」
「・・・・・・・」
二人の声は聞こえず。
紅い刃の嵐は防壁を超え、魔理沙を飲み込んだ。
帽子が千切りになった。
服のあちこちが切り裂かれる。
皮膚も裂かれて、血飛沫が同色の嵐に舞う。
咄嗟の判断。
魔理沙は箒への魔力をカットし、自由落下に身を任せた。
そうする事で、何とか嵐の中から脱出する事に成功した。
だが、
直撃だけは避けたものの、全身の切り傷がズキズキと痛む。
魔力も殆ど使ってしまった。スペルカードも手持ちはもう無い。
脱出したとはいえ、
魔理沙に戦う力は残っていなかった。
(負けた・・・・か)
うっすら目を開いてみると、咲夜がこちらに向かって来ている。
トドメを刺す気だ。あの状態の咲夜は、スペルの効果時間が過ぎるか相手が死ぬまで
攻撃を止めない。
・・・きっと数秒後、もうほんの少しで、私は私とも解らない程、微塵に切り裂かれるだろう。
運命に消されるもぐちゃぐちゃに切られるも、結果は一緒か。
どっちにしろ、もう幻想郷に、きりさめまりさは存在しなくなる。
・・・良いか、こんな結末でも。
もう誰も、私の事など憶えてないのだろうし。
・・・・・・・
どうせ・・・・・・
私が居なくても、幻想郷は何も変わりはしないのだから・・・・・・
特に恐怖も感じず、
魔理沙は静かに目を閉じた・・・・・・
「・・・・・・何やってるのよ?」
胸にグリモワールを抱えて、上海人形と蓬莱人形を従えて、
自宅の玄関前に座り込む魔理沙をジト目で見つめながら、
アリスが言った。
(・・・これ・・・・随分前の記憶だな・・・・)
魔理沙の格好は、今ほどボロボロではないにしても、あちこちが煤けていた。
白地が黒くなってるのだから、もう完全な黒魔法少女である。
「・・・・んー?・・・ああ・・・・」
そんな魔理沙はアリスの方に顔も向けず。空を見上げながら、返事かそうでないか
判別に困る声を出した。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・魔法の実験に失敗しちまった」
「・・・・・・・・ふぅん」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・それだけ?」
「・・・・・・・・ああ」
アリスは魔理沙の隣に座った。
魔理沙は特に反応しない。
「・・・実験の失敗なんて、良くある事じゃない。それに魔法使いの実験は失敗が
付き物、それくらい常識でしょうに」
「・・・・まぁ、な」
「大体、今までだって何度も失敗してたでしょう?何で今回に限ってそんなに
落ち込んでるのよ」
「・・・・・ん、割と無茶な構成だったからな。失敗は当然ってヤツだったんだが」
魔理沙の視線が、上から下に落ちた。
「・・・・・何で、私はこんな事してるのかなって」
「・・・・・え?」
「妖怪は生まれた時から力がある。人間は鍛えなきゃ強くなれない」
「・・・・・・・」
「力って、無いといけないんだ。無いと、好きなヤツと一緒に居る事も出来ない」
「・・・・・・・」
「でもさ、私が好きな奴等って、妖怪も妖怪以外もとびっきり強力な奴等ばっかりだ」
「・・・・・・・」
「必死になって、がむしゃらに頑張って・・・・・それでようやく追い付ける。気を抜いたら
あっという間に抜かれて、背中も見えなくなる」
「・・・・・・・」
「私は必死に、みんなの隣に居ようとするんだ。でも・・・・誰も、私の事なんて待っててくれない」
「・・・・・・・」
「誰も待ってないのに、何で私は、こんなになって必死に前へ進んでるんだろうな・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・あはは・・・何をぐちぐち言ってるんだ、私。すまん、アリ・・・」
「そんなの、私だって一緒よ」
「・・・ス?」
思わず、魔理沙は顔を上げてアリスを見た。
逆にアリスが下を向いていた。
「私だって・・・・す、好きな人が、どんどん前へ行っちゃって・・・・隣にいるの、大変なんだから・・・!」
「・・・・・・・・・」
「!!か、勘違いしないでよッ!?別にあなたの事なんかじゃないからね!?」
「な、何だよ、解ってるよ。・・・お前が必死に追い付こうとしてるんだ、誰か知らないけど
余程強いヤツなんだろうな」
「・・・あー・・・・・うん・・・・・強い、のも、あるけど・・・・・」
「ん?」
「何でもないわよ・・・・・・・・(鈍感)」
「何かボソリと言わなかったか?」
「・・・言ってないわよ」
「・・・そうか」
アリスが立ち上がった。
その顔を見上げる魔理沙。
「・・・・・・・ねぇ、・・・・・・一緒に進まない?」
「・・・・・え?」
アリスの顔は真っ赤だった。
「べ、別に、私は平気だけど!あなたがそんな顔してるから、可哀想だなって思っただけだからね!
そ、それに、一人で進むよりは誰か居た方が、その、効率とか、競争とか、えーと、そんな、そんなのが」
アリスは何故か、必死に弁明していた。
一緒・・・・・
一緒に・・・・か。
「そっか・・・・そっか」
魔理沙も立ち上がった。顔に降り注ぐ日差しを遮るように、愛用の帽子を深く被る。
「アリス、せっかく来たんだ。お茶でもご馳走するぜ」
「え、ちょっ!?こ、答えなさいよ!無視なんて・・・」
入り口のドアを開いて、
魔理沙はアリスに振り返った。
「私が追い抜いたら、ちゃんと待っててやるよ」
そこには、いつも通りの、あの笑顔の魔理沙があった。
それを見てアリスが言葉を止める。
言葉を聞いて、その表情が和らいだ。
「・・・・馬鹿ね。待っててあげるのは私の方だわ」
待っててあげる・・・・・・・
一緒に・・・・・・・・・・
・・・・・・・魔理沙!!
目を開いた。
咲夜は先ほどの位置から大して接近していない。
長い夢を見ていたような気がする。実際は一秒に満たない時間だったのだろうか。
状況はさっきと変わらない。あと数秒後には全身を切り刻まれる。
だが。
切り裂かれた上着の奥から、
一枚のスペルカードが見えていた。
そうだ。
あったんだ。
まだ一枚、最後のカードが。
破壊力が高すぎて相手を殺してしまう可能性もあった。だから普段使わないようなところに、
しかし非常時の最終手段として持っておいたのだった。
自分の特技を究極まで追求した、霧雨魔理沙の極意(ラストワード)―――――
使えば、咲夜は死ぬかもしれない。
いや、トランス状態で防御もできない今の彼女では、その可能性は高すぎる。
では使わないか?
死ぬのは自分だ。アリスも消えて無くなる。
咲夜を殺したくはない。
どうする?
全ては自分の所為。
どうする?
全ては自分の所為。
どうする?
全ては―――
―――私らしく。
「私は生きる! アリスと一緒に進む! そして咲夜も死なせはしないぜ!!」
そう、霧雨魔理沙はいつだって、望むように生きるのだ。
望むように努力するのだ。
望みをかなえる為に、がむしゃらに進むのだ。
箒を寄せて体勢を立て直す。
カードを構える。
箒の柄に呪文が浮き出た。毛が荒々しく騒ぎ立つ。
残った全魔力をスペルに注入。
何十もの魔法障壁が魔理沙を包んだ。青色の障壁は濃くなり、中の魔理沙が霞んで見える。
咲夜が接近。
紅い嵐をまとって肉薄する。
魔理沙は目を瞑った。
宣言。
そのカードの名は、
―――『彗星』―――
「ブレイジング―――スターッ!!!」
目を見開いた。
轟音。急加速した所為で空気の壁に衝突し、紅魔館を揺るがすような音が鳴った。
衝撃波が発生し壁や柱を砕く。
その圧倒的な破壊力は、元々魔法で弄られてる空間そのものにすら干渉し、周囲を
歪に捻じ曲げていった。
その姿は地上を走る彗星の如し。
ただし夜空に輝く優雅な星にあらず。
轟音と衝撃波を撒き散らし、敵を砕かんと音速で駆ける―――青き極光。
紅い嵐を貫き、
その中心、大好きな敵を――――射抜いた。
まるで人形のように、だらりと力なく宙を舞う咲夜。
意識は既に無いのか、吹き飛ばされたその高速のまま地面に落ちていく。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
それを超える速度で、魔理沙が再び咲夜に接近した。
そして追い抜く。
障壁を全て解除し、咲夜の背を抱いた。
圧倒的な速度。地面にぶつかれば文句無く即死。
そんな速度の中で、一瞬にも満たない中で、懸命に魔理沙は足掻く。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!!!」
地面に激突するその瞬間まで、魔理沙は可能な限りの障壁を張った。
その日、紅魔館を襲った轟音は、これで何度目だろうか。
静まったロビー。
壁は崩れ柱は折れ、優雅な佇まいは無残な瓦礫と化していた。
もうもうと立ち上る煙。
「・・・・・・う」
その一角で声が聞こえた。
「・・・・生きてる・・・・・・」
声の主は・・・・・咲夜だ。
青いメイド服はもはやボロ布。美しかった銀色の髪もあちこちが焦げている。さらに
右側の三つ編みは吹き飛ばされて、瀟洒なスタイルなど、どこにも残っていなかった。
全身に酷いダメージ。もう立ち上がる事はおろか、上半身を起こす事だって出来そうに無い。
だけど・・・・生きている。
トランスしている間も、思考は働かなくても意識はある。そして何が起きたのかも、こうして
スペルが無効化すれば理解できた。
・・・・あいつが、私を助けた。
薄れた意識の中で見た。そして感じた。
青い彗星が私を抱いた事を。背中に温もりを感じた事を。
「・・・よう、生きてるな?」
それはすぐ近くから聞こえた。
煙が収まる。
咲夜の目の前に魔理沙が立っていた。
勝者であるはずなのに、その姿は咲夜よりもボロボロであった。
全身の切り傷。衣服も無残。くたびれた箒を左手で杖代わりに何とか立っている。
そして右腕はだらんと垂れていた。おそらく折れているのだろう。
「・・・私を助けなければ、そんな格好にならずに済んだんじゃないかしら」
「かもな」
「あなた、自分を殺そうとした相手をそうまでして助けるなんて・・・とんだ馬鹿ね」
「かもな」
「・・・・何でこんな事をしたのよ」
「お前は私の、大切な友達だから」
「・・・・あなたなんか、知らないわ」
「今はな。きっとすぐに思い出す」
「・・・・本当に?」
「本当さ」
「そう・・・・・・」
それっきり、咲夜は何も言わなかった。
その内・・・・ここのメイドが駆けつけて介抱してくれるだろう。
その時ここに居たら、魔理沙はもう戦えない。
箒に体重を預けながら、よろよろと歩き出した。
「・・・・白黒」
咲夜が呼び止める。
「・・・・・・さっさと思い出させてよね」
起き上がれないままで、そう言った。
「おう」
それだけ答え、また歩き出す。
体力も魔力も、もはや残ってはいない。
油断すれば気絶しそうなほど朦朧とする。
だけど止まるわけにはいかない。
あとどれ程の時間が残されているかも解らない。
紅い、窓の無い薄暗い廊下を、魔理沙はゆっくりと歩んでいった。
この道は、いつか来た道。
紅霧事件の時に進んだ廊下。
その奥に応接の間が存在し、
紅い巨大な椅子の上に似合わない、幼い少女が座っている。
運命を操る紅い悪魔―――
永遠に紅い幼き月―――
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
足を組み、肘を立てて、ボロボロの魔理沙を見下ろしていた。
肌で感じる魔力の波動。全力を出せない昼間でありながら圧倒的な存在感。
今ならその手を一振りするだけで、確実に魔理沙は死ぬ。
レミリアも全てを忘れていたら、全てが終わるのである。
その悪魔が椅子を降りた。
背中の黒い羽を動かして、ゆっくり魔理沙へと近付いていく。
それをただ見つめる魔理沙。
レミリアが魔理沙の目前に着地する。
目と目が合う。
「・・・随分素敵な姿ね・・・・魔理沙?」
そう言ってにっこりと笑った。
「憶えて・・・・!」
「かろうじて、よ。まったく、あなたは余程に厄介事が好きなのね」
「・・・ははッ・・・!火事と喧嘩は幻想郷の花って言うじゃないか」
「言うの?」
「うにゃ、言わない」
「・・・それだけ軽口叩けるなら平気ね」
やれやれとため息をつく。
「・・・で、どうすれば良いんだ?」
魔理沙が問う。
「簡単よ、魔理沙。・・・・・・アリスを忘れなさい」
レミリアが答えた。
「アリスは本来、運命に従って裸を見せなければいけなかった。だけど、その流れに逆らうのでは
なく、逃げてしまったのよ。・・・・アリスの裸を見せようと流れていた運命は歪んだ。歪みはアリスを
中心に、それに関する他の運命も巻き込んでさらに混迷する」
「・・・人は、一人じゃないって事か」
「そうよ霧雨魔理沙。人も妖怪も、その運命は他人と複雑に絡み合って動いているの。霊夢あたりに
言わせれば、『縁』というモノよ」
「つまりね、一人の運命も『幻想郷全ての運命』に直結しているの。歪みが他人を伝わり大きくなれば
幻想郷そのものを破壊しかねない」
「だけど、そうなる前にリミッターが動く。どこかで幸福があればどこかで不幸があるように、運命は必ず
バランスを保とうとするわ。幻想郷を破壊しかねない歪みにも、それを補正するような流れが出来る」
「・・・それが、アリスを消したのか」
「アリスは運命と戦う事から逃げた。自分に絡む全ての縁を遮断し閉じこもった。・・・運命からすればそれは、
濁流の中に居るアリスが捕まっていたロープを自ら離したに等しい。飲み込んで消し去る。アリスの運命が
消えれば、歪みそのものも消える」
「・・・・大雑把だなぁ、運命ってのは」
「自然とは、いつだって豪快なものよ」
「違いないな」
「・・・・でも、アリスは手を離したのに、今度はその手を離さない者が居る」
「・・・・私か」
「あなたと私ね。正直、私の存在を確立させたまま、あなた達の事を憶えているのは大変だわ。気を抜いたら
すぐに忘れてしまいそうよ」
「・・・・・それで、忘れろ、と」
「そうよ。あなたも縁を切ってしまえば良い。歪みと無関係になればあなたは自然の一部として、また
幻想郷の霧雨魔理沙に戻れる」
「お断りだぜ」
弱々しいながら、魔理沙はいつもの笑顔で言った。
「・・・・じゃあ、大人しく消えるの?」
「アリスを運命の濁流から救い出す」
「どうして?あなた、友達なら沢山居るじゃない」
「・・・・・ああ、居るかな」
「アリスの代わりは居なくても、あなたを待つ者は居るでしょうに」
「・・・待つ、か」
魔理沙はレミリアの目を見据えて、
「待っててくれるのは・・・・隣を歩いてくれるのは、アリスだけなんだ」
はっきりと、そう答えた。
・・・ふぅ、と、レミリアはまたため息を一つ。
「・・・・ま、そこまで自分の気持ちに気付いているなら大丈夫かしら」
「どういう意味だ?」
レミリアが更に魔理沙へ近付く。
その背丈は魔理沙の顔下ほどまでしかなく、見上げる形となる。
「アリスは、自分の縁を隔離してしまった。でもまだ完全に消えたわけじゃないなら、あなたが
自分の縁を彼女のそれに絡めれば良いのよ」
「・・・・つまり、あいつと幻想郷の結びつきを強くしてやれば良いのか?」
「そう。・・・・ただし、ちょっとやそっとの事じゃ、今のアリスには届かない」
「それを・・・・私が?」
「あなたの素直な気持ちを伝えれば良いの。・・・でもそれって、難しいことだわ」
「ああ・・・知ってる。何せ私自身が、素直な気持ちを知らなかったくらいだからな」
「それに時間も無いわ。・・・彼女の残り香が完全に消える前に」
「・・・上海蓬莱、人形か! まだ消えてなかったはずだ」
慌てて魔理沙は背を向ける。
「ちょっと待ちなさい」
レミリアがその背を止めた。
右手の人差し指、その爪が紅く染まり伸びる。するどい刃物を連想させた。
それで、自らの左手、脈の部分を浅く切る。
ぽたぽたと血が滴り落ちた。
それを一滴掬い、目を瞑る。
紅い光が発せられ、手の中に紅い粒が一つ出来上がった。
「あんまり強力なのを飲ませると、吸血鬼化まではいかなくても、妖怪化しちゃうからね」
「飲む?」
「魔力がたっぷりの吸血鬼特性栄養剤よ。多少は回復するわ」
「・・・・ありがたい」
「特別よ?吸血鬼が自分の血をあげる行為は、あなた達にしたら愛情行為と同じ意味なんだから」
紅の粒を差し出しながら、レミリアが言った。
「愛情行為・・・・?・・・・ああ」
「そういうのは、愛しい人形遣いと楽しんでね」
「助平、なんてお子様だよ、教育が悪い」
受け取った粒を魔理沙は飲み込んだ。
体が一瞬、かっと熱くなる。
からっぽで冷え切った腹の底に火が灯ったような感覚。
確かに、しかも即効で、魔理沙は空を飛べるくらいに回復した。
箒に跨る。
右手は相変わらず使えないし、来たときより遥かに速度は遅い。
だが歩いて帰るよりは遥かに速い。
「ありがとう、レミリア」
「・・・魔理沙、憶えておきなさい」
宙に浮く魔理沙を、下からレミリアが見つめている。
「賭けにしては・・・今回はあまりに分が悪いわ。成功の可能性は限りなく低い」
「・・・・・・・」
「・・・あなたが死んだら、悲しむ者はいっぱい居るわ」
「・・・お前もか?」
「さぁね」
レミリアはクスリと笑った。
魔理沙も笑顔を返して、
紅魔館を後にした。
遅い。
いつもの自分から想像も出来ないほど、のろのろと飛んでいる事が解る。
だがそれですら、僅かに回復した魔力を搾り取られていて苦しい。
これ以上の速度は不可能だし、このまま目的地まで飛べるかも心配だ。
だが思う事はただ、来た時と同じあの言葉のみ。
もっと、もっと速く・・・・!
それは魔理沙を現す言葉なのだろう。
魔法の森に入り低空を飛ぶ。
木々の合間をすり抜ける。何度もよろけてぶつかりそうになるが、止まりはしない。
一緒に歩いてくれると約束したあの日に、
―――どうして私は自分の気持ちに気付けなかったのだろう。
どうして―――アリスの気持ちに気付いてやれなかったのだろう。
一緒に歩いてくれるという言葉の意味を、どうして理解できなかったのだろう。
アリスは薬を飲ませた私を、許してくれたじゃないか。
だったら私も、怒るアリスを受け入れれば良かったんだ。
何があっても縁は切れないと信じていれば良かったんだ。
それを、私は縁が切れる事を恐れて、誠意やモノでフォローしようとした。
そんな安いもので繋がっているって、無意識に思っていたんだ。
―――アリスの心を、裏切ったんだ・・・!
強くなりたかったのは、縁の補強。
みんなに忘れられたくないから、隣に居たいから、存在を誇示する為、強くなりたかった。
一緒に歩いてくれると言ったアリスの言葉は、
私が強かろうが弱かろうが、隣に居てくれるという意味で、
『好き』っていう単純な思いそのものじゃないか。
アリスが自分の縁を隔離したのは、全て私の所為だ。
だったら何としても連れ戻さなきゃ駄目だ。
私が私である為に。
私がここで生きる為に。
何より、
愛しいアリスの為に。
木々を抜け広場に出た。
アリスの家が・・・・・・あった場所。
今はただの広場だ。
マーガトロイド邸は痕跡すら消えて無くなっていた。
「・・・・・!!」
一瞬だけ、魔理沙の顔が絶望の色に染まった。
だがすぐに立ち直り、広場となったそこに急行する。
見つけたのだ。
間に合った。
まだ・・・残っていた。
雑草の中にぽつんと捨てられた、上海人形が。
「アリスッ!! 聞こえるか!? ・・・アリスッ!!」
拾い上げて、魔理沙は必死に呼びかける。
反応は無い。
「アリス・・・・アリス。聞いてくれ・・・・頼む!」
ポタッ・・・・・
上海人形の頬に、魔理沙の涙が落ちた。
「私さ・・・鈍感だった。馬鹿だったぜ。・・・お前の言葉の意味を、まるで理解していなかった・・・」
「・・・宴会の時、憶えてるか? あの時私は暗くて、一人で飲んでたんだ。・・・誰も私のそばに居なかった。
・・・・お前以外は・・・」
「みんなに追い付こうと必死にやって、失敗して・・・・そんな時だって、隣に居てくれたのはお前だった」
人形の姿が薄らいできた。
支える魔理沙の指が透けて見える。
「いつだって隣に居てくれた! なのに・・・・私は、そんなお前の気持ちを信じてやれなかった!」
「今は違う! 私は、自分の気持ちに・・・そしてお前の気持ちに気が付いたんだ! だから・・・・・!」
その手に感じる人形の手触りが消えていく。
「今度こそ一緒に行こう! アリス! お願いだ、またそばに居てくれよ!!」
「私は・・・・・!」
人形が、
「私は・・・・・お前が好きなんだ!! アリス!!」
消えた。
「あ・・・・・」
「・・・・・あ・・・・・あああ・・・・・!」
その手にはもう、何も存在してはいない。
「あああああ・・・!! アリス・・・アリス!!」
いくら呼べど、愛しいあの声は聞こえず。
ただ風だけがそよぎ、
草木がさらさらと奏でる音だけ。
「う・・・うあああああ・・・・・!! はぁ・・・はぁ・・・・! う、ううううあぁ・・・!!」
膝をついて蹲る。もう立ってなどいられなかった。
「ああぅあ・・・や、やだ・・・いやだ、こんな結末・・・!」
「いやだ・・・アリス・・・うぐっ、わ、わたし・・・アリス・・・!」
(忘れなさい)
レミリアの言葉が脳裏を過った。
(そうすれば、あなたはまた幻想郷の霧雨魔理沙に戻れる)
(あなたが死んだら、悲しむ者はいっぱい居るわ)
「・・・・それに・・・・何の意味があるって言うんだ・・・・!?」
魔理沙の左手に握られたミニ八卦炉。見つめながら呟いた。
「もう私は何も求められない。何もしないで・・・・普通の人間として生きて、普通に死んで・・・・
自分の限界を知って、その先の生に何の意味があるっていうんだよ!!」
魔理沙が求める事を止めて、進む事も止めてしまったら。
きっと、彼女が好きな者達はあっという間に彼女を置いていくだろう。
もう弾幕勝負をしても、勝つ事はおろか楽しませる事すら出来なくなる。
魔理沙は必死で、相手は余裕で。
そんな彼女を、歩みを止めた人間を、周囲は救ったりしない。
時間の経過と共に、その存在の記憶すら薄らいでいくのだろう。
元々、魔理沙と彼女達では、スタートラインに差があるのだ。
普通のままでは近付く事の出来ない存在達。
魔理沙がそんな彼女達に憧れるのは、必然だったのかもしれない。
だから、
これから先、生き続けたとしても、
もう霧雨魔理沙でいる事はできない。
何より、この胸の苦しみをこれからも味わい続けなければならないのだ。
だったら、いっそ。
今なら、魔理沙を知るものの居ない今なら・・・・・・
ミニ八卦炉の魔力射出口を、自分の胸に押し当てた。
もう僅かな魔力しか残っていないが、
今の自分なら、これであっさり死ねるだろう。
・・・・・・頑張った。
今まで良く頑張ったよ。
あんな規格外の奴等と、肩を並べていたんだから。
・・・・でも、結局私は普通で。
必死に歯を喰いしばって、駆けて、やっと追い付いたと思ったらまた離されて。
ふらふらだったんだ。
いつ、どこかで転んでもおかしくなかった。
それでも進んで、
転んでみれば、
私は大切なものを無くしてしまった。
無くしたものを取り戻せるほど、余裕のある力は持っていない。
私がまた駆ければ、どこかで転んで、また大切な何かを失うだろう。
その前に。
・・・私が止まろう。
さようなら、みんな。
今まで、ありがとう・・・・・・・・
まりさ。
アリス・・・・・ごめん。約束破って・・・ごめんな。
まりさ・・・・!
お前一人だけ逝かせはしないぜ。・・・一緒に歩こうって、約束したものな。
まりさ・・・・だめ・・・・・!
ああ・・・悲しい、悔しい。後悔の念ばっかりだけどさ・・・・
しんじゃだめ・・・・・・!
・・・・お前と一緒に歩めるって理解したら、何だか嬉しいんだ。
おねがい・・・・やめて・・・・・!
・・・・・好きだぜ、アリス・・・・・
わたしも・・・・だから・・・・・!
・・・・・・死んじゃ駄目!!
ミニ八卦炉から光が出でる。
幾度も使用し、敵を退けた光が、今は魔理沙自身を焼く。
白黒のボロ布が、風に乗って空に舞った。
魔法の森、その一部。
細く輝く光の筋が、天に向かって昇っていった・・・・・・
夕日が森を赤く染める。
魔理沙が居た。
衣服は全て吹き飛んで、一糸纏わぬ姿で、
森の大地に座っている。
その手にミニ八卦炉は無い。
それはすぐ近くに落ちていた。
持っていた左手、左腕を、
細く色白い右手が、遠ざけるように握っていた。
魔理沙に抱きついている、
一糸纏わぬ姿で、
森の大地に膝を立てる、
アリスが居た。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・アリス・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・うん」
「・・・・・・・・・アリス・・・・・なのか・・・・・?」
「・・・・・・うん」
「・・・本当に・・・!」
「・・・うん・・・!」
腕を握る手を除けて、魔理沙もアリスに抱きついた。
「夢じゃ・・・・ないよな・・・!」
「夢じゃない・・・・私はここに居るわ」
アリスの背中を、魔理沙の涙が流れる。
「アリス・・・・! 私、私は・・・・!」
「・・・もういいわ、魔理沙・・・・全部、聞こえてたから・・・・・」
「・・・アリス・・・・」
「私の方こそ・・・・・・意地になって、素直に気持ちを伝えられなかった。・・・ごめんなさい」
「あ、謝らないでくれよ・・・・私が、悪かったんだから・・・・」
「・・・・じゃあ、魔理沙も謝らないで」
「・・・・うん」
「・・・アリス」
「・・・なぁに?」
「・・・ありがとう」
「・・・・・・・」
「魔理沙」
「・・・ん?」
「・・・ありがとう」
「・・・・・・・」
「・・・・く、あははは・・・・・!」
「ふふふ・・・・」
「・・・・一緒だぜ」
「うん・・・・一緒ね」
夕焼けの森。
互いの体を離し、
魔理沙の無事な手をとるアリス。
そして――――二人は口付けを交わした。
「・・・・・・・やれやれ。心配になって来てみれば、こんな光景見せ付けられるなんてね」
木々の陰に隠れながら、そう愚痴る。
「私は、いずれ二人はああなると思ってましたが」
「ふぅん? 咲夜は見る目があるのね」
「恐れ入ります、レミリアお嬢様」
「・・・・それにしても、目のやり場に困りますわ」
「しっかり、まじまじ、見てるじゃない。でもまぁ、裸を見られちゃう運命だったからねぇ」
「なるほど。裸の身も裸の心も、ですね」
「あら、詩人ね」
「・・・私が以前居た場所では、もう使い古された詩ですけど」
「へぇ~・・・そこはきっと、抒情言語の優れた場所なのね」
「そうですね。感動がそこらじゅうに転がっているような場所ですから」
「素敵ね」
「・・・・タオルでも、さりげなく置いておきましょうか?」
「・・・空間を操るあなたでも、あそこに爪の先だけでも入り込める?」
「・・・・・・・・・・・・・・・結界ですね」
「でしょう。だから、結界に入れぬ者はただ去るだけよ」
「良いんですか?」
「良いんじゃない?」
「―――数ある運命の内に一つくらいは、こんなハッピーエンドがあっても―――」
~終~
めっさ長いです。お茶とおかしを用意し、良く睡眠をとった上で
読んでいただくと、読み終わった頃にまた眠くなるかもしれません。
前編、中編を読み終えてからご読書下さい。
それはいつものような宴会の、何でもない一時の出来事。
「・・・・私は、普通なんだよ・・・・アリス」
だいぶ酔っ払った魔理沙が、上品に酒をたしなむアリスへそんな愚痴を放った。
いつものように大勢が集まり、いつものようにどんちゃん騒ぎ。
ただ一つ違ったのは、それの中心かそこに限りなく近い場所に必ず居るはずの
魔理沙が、今日に限っては外れていた事。
その日は、何でも百回を超える試行錯誤の末に作り上げた新スペルの実験を行って
見事な大失敗をやらかしたそうで。宴会に来た魔理沙は少しだけ元気が無かった。
それで酒が入ればいつもの彼女に戻るだろうと放っておいたところ、こんな魔理沙が
出来上がっていた訳である。
「良く言うわね。いったいあなたのどこが普通なのよ」
それでも律儀に言葉を返すアリス。彼女は逆に、酒の席でもハメを外した事は無く
大騒ぎヨッパライ集団のテンションには少々付いて行けなかった。
普段の宴会では、盛り上がった魔理沙が強引に騒ぎの渦中に引っ張って行ってしまうが、
今日は魔理沙がこんなだから、アリスも静かに飲んでいる訳である。
「・・・普通は、普通だぜ?何の変哲も無いとかそんな意味だ」
「あなたから特色を抜いたら何にも残らないと思うけど。個性的・・・いえ、アクが強いって
言うのね」
「・・・そうか・・・・そうかな」
「そうでしょう?」
「そっか・・・・・・・・でも」
魔理沙は少しだけ笑った。
それはいつかにアリスが見た、太陽のように輝く眩しい笑顔ではない。
・・・弱くて、儚くて、小さい・・・・・
およそ魔理沙らしくない、そんなか細いものであった。
「でも・・・・・・普通なんだよ、アリス」
同じ事を延々。酔っ払いに良く見られる思考の停止。
誰が見たってそんな感じだ。マトモに会話するのは馬鹿らしい。
だが。
アリスは、
この淋しそうな笑顔の魔理沙に、
太陽が燦々と輝くからこその、色濃い影の存在を垣間見たような気がした。
『数ある運命の内に一つくらいはあってほしいような話 後編』
もっと、もっと速く・・・!
すでに自身の限界に近い速度で飛行しながらも、魔理沙は頭の中でそう連呼した。
霊夢からアリスに関する何もかもが消えていた。記憶は彼女が居なくても違和の無いように
改善されている。
何故?思い当たる節は一つしかない。
あの、薬の所為だ。
パチュリーが言っていた。運命を悪戯に歪める事は、運命を操るレミリアですら恐れる事
なのだと。
そして現状。
運命が―――――アリスを消去しようとしている。
どうしたら良いかなんて当ては無い。だが動かない訳にはいかない。
少しでも早く、早く、アリスのところへ行かなければ。
「アリスッ!!」
ドアを蹴破る勢いで、魔理沙は家の中へ入った。
返事は無い。
物音一つ返ってこなかった。
気配も感じない。
いつもなら出迎えに来る人形達も見当たらない。
「アリスーッ!!」
・・・無駄だと解っていても、もう一度その名を呼んでみる。帰ってくる返事を耳を澄まして
ただ待つ。一秒、一秒、時が進む度に魔理沙の不安は膨れ上がる。
だが期待していたあの声は、いつまで経っても聞こえてこなかった。
魔理沙はずかずかと奥に上がりこみ、部屋という部屋を開け放つ。寝室、実験室、書斎、トイレ、
一階二階のどこにも・・・・・アリスは居なかった。
二階から降りてくる途中、
「・・・・・・あ?」
リビングのテーブル、その上に、人形が肩を並べて座っているのが見えた。
上海人形と蓬莱人形だ。いつもアリスが連れて歩く人形、魔理沙にももう馴染みが深い。
急いで階段を駆け下り二体のそばに寄った。
「上海! 蓬莱! 私が解るか!?」
顔を近付けて大声で呼びかける。・・・・だが二体とも、ぴくりとも動かない。
二体を手にとってみた。その感触から魔力の波動が、微塵にも感じられなかった。
上海、蓬莱に限らず、アリスの人形は定期的に彼女から魔力を提供されなければならない。そうで
ないと、自分が活動するための力を自分で生み出せない人形は、文字通りただの人形に戻ってしまう。
人形が培ってきた経験、記憶、感情・・・・そういったものも、一度消えてしまうともう戻らない。
少なくとも丸一日以上は魔力供給を受けていないであろう二体は、魔理沙の知るあの二体は、もう
この世に存在しない。・・・・別の言い方をすれば『死んだ』のである。
・・・ポタッ・・・・・・
人形のそばに雫が落ちる。ひとつ・・・・またひとつ。
「・・・・・・ごめん・・・・・ごめんな。上海、蓬莱、ごめん・・・・」
魔理沙の声は震えていた。
「・・・・・私の所為なんだ・・・・私が、あんな・・・・・クッ・・・!」
歯を喰いしばる。両手の拳を、爪が皮膚に食い込むくらい強く握った。
「・・・でも・・・・いや、だから・・・・」
スッと立ち上がる。入ってきた時に開けっ放しだったドアに向かって歩き出した。
「お前等のご主人様は、絶対助けてやる。・・・約束するぜ」
テーブルの上に、静かに座る二体の人形に向かって、魔理沙は言った。
もっと、もっと速く・・・!
再び森を最大速度で飛行しながら、魔理沙は同じ言葉をひたすら続けた。
こんな時は、ただ速く飛ぶだけの力が恨めしく思えてしまう。
幻想郷の中でも魔理沙ほど速く飛べる者はそう居ない。だから魔理沙以上に早く目的地に
行ける者が居ないかと言えば、それは違った。
魔理沙の友人で人間二人が居る。この二人は魔理沙ほど速く飛ぶ事は出来ない。だが魔理沙より
何倍も早く先に行けるだろう。何故ならその二人は、時を止めてしまえたり、何の理屈も無く
瞬間移動が出来てしまえたりするからだ。
それらは持って生まれた特殊な能力の恩恵であり・・・・・『普通』の魔理沙は、ただただ自身の
速度を上げていくしか、彼女達に付いて行く方法が無い。
『一瞬』に追い付く為の努力。
『才能』に負けない為の探求。
止めてしまったら、おそらく瞬きの間にでも差が広がるだろう。
そしてそこに、私の居場所は無い。
だけど、そんな思いが、
大切な友達を一人、殺そうとしている。
だとしたら、私が強くなる意味なんて無いのか?
私が居る意味なんて無いのか?
私が居なくても幻想郷は何も変わりはしない。
霊夢はお茶を飲み、咲夜はレミリアに仕え、パチュリーは本を読んで、毎日が過ぎていく。
ある日私が消えても、それらは問題無く続くのだろう・・・・・
「・・・・・違う」
速度は衰えず。自身が風を切る音でかき消されてしまう程の小さい呟き。
「違うッ!」
しっかりと叫んだ。静かな森に良く響く。
「認めるかそんなの! 私は生まれて、ここで生きてるんだ! 普通・・・普通に生まれて、だからって
平凡なまま生きなきゃならないなら、私はとっくに死を選んでるぜ!」
だから。
運命だろうが何だろうが、消されて何事も無いヤツなんて、居て良い訳があるものか。
証拠に、誰もがその存在を忘れた今でも、アリスの事で胸を痛める私がここに居る。
―――それが、魔理沙がアリスに対して、霊夢達には持っていない特別な感情故にだと
いう事を、まだ彼女は気が付いていない。
森を抜けて対岸が霞むほど広い湖に出る。この湖の中心に目的地は存在する。
―――紅魔館。
かつて、館の主レミリア・スカーレットが、紅い霧をもって太陽の光を遮断
した事があった。
とても暑い夏の夜。魔理沙は霊夢と共に、霧を晴らす為にここを訪れた。
だが今日は、その運命を操る紅い悪魔に、助けを求めようとしている。
・・・・・・これはとんだ因縁だ、魔理沙は声に出さず毒突いた。
やがて、その名に恥じない、紅くて巨大な門が見え始めた。
いつもなら門番が立っている。当時は立ち塞がって弾幕へと突入したのだが、今では軽く
挨拶すれば通してもらえる。・・・レミリアはこんな昼間じゃ寝ているだろうから、いつもの
通り図書館に用があると言っておこうか・・・・・
しかし、大分近付いた門にはそれらしい影が見えない。
怪訝に思う魔理沙。それでも速度を落とさず進む彼女に向かって、
「『火符』アグニシャイン」
無数の火炎弾が襲い掛かった。
「ッ!? これは・・・!」
一瞬驚くも、魔理沙にしてみたら避けられない弾幕では無い。・・・それに、以前に一度
突破したスペルだ。もう見切っている。
襲い掛かる弾を難なく避け、熱波は魔法障壁で遮る。
そして弾幕を抜け切った先に、この見知ったスペルを放った、見知った少女が立っていた。
「・・・・よう、お前さんが外に出るなんて珍しいじゃないか?」
うっすら開くジト目で魔理沙を睨む、
ヴワル魔法図書館の主、
知識と日陰の少女、
大魔術士・・・・パチュリー・ノーレッジ。
「・・・・たまに外に出てみれば、そんな時に限ってこんな事があるのね」
ぼそりと小さく呟いた。
「えっと・・・この前は悪かったな、パチュリー」
「・・・・・・・」
「・・・今日はレミリアに用があるんだ。図書館の本には手を付けないぜ。
だから、通してくれないか?」
「・・・・・・・」
「・・・・あなた、誰?」
パチュリーが言った。
「・・・・・は?」
「・・・・・・・・」
「おいおい、お前そこまで目も耳も悪くなったのか? 私が、霧雨魔理沙以外の何に
見えるって言うんだよ」
「きりさめ・・・・?」
パチュリーは持っていた分厚い本をぱらぱらと捲った。
「きりさめ・・・・まりさ・・・・・」
「・・・・おい! 私は急いでいるんだ! それでなくとも、そんな性質の悪い冗談にゃ付き合えないぜ!」
パタン、パチュリーが本を閉じた。
「あなたこそ、何の冗談かしら。私の知識にあなたのような人間は存在しないわ」
いつも通りの小声・・・・だが、きっぱりと言い放つ。
どういう事だ・・・・? 魔理沙の頭が情報を高速で纏め上げていく。
パチュリーが私の存在を忘れてしまった?
同じ現象だ。霊夢がアリスの存在を忘れてしまった。
おそらく霊夢だけでなく皆が忘れているだろう。
それは私が作った薬の所為で、アリスが幻想郷から『無かった事』にされかけているから。
その『力』が、何らかの要因で私にも作用し始めて・・・・・
―――私も、消されようとしている・・・・!?
魔理沙は戦慄した。
細かい理屈は解らないが、おそらく。
アリスに続き魔理沙も消されようとしている。
これで、もし、レミリアまで全て忘れていたとしたら・・・・・・
全て終わる。魔理沙もアリスも、幻想郷から、彼女達が居たという痕跡すら残さず消滅する。
これが、運命を操る悪魔でも恐れる『運命の歪み』か。
思考に全ての神経を集中させていた魔理沙は、攻撃的な魔力の波動を感じて我に返った。
気が付けば目の前の魔女は、既にスペルカードを構え臨戦態勢に入っている。
「・・・レミィの名前を知ってるくらいだから、言うまでも無いだろうけど。吸血鬼の館に
こんな日も高い時間に訪れるなんて、穏やかじゃないわ」
パチュリーが構えるスペルカードを確認。その対処法を思い出すと同時に、手持ちの
スペルカードを脳内で並べて、効率、効果、節約といったフローチャートを展開。
「別に、寝込みを襲おうなんてヤボな事は考えてないぜ。聞きたいことがあるだけだ」
いつでも動けるように、箒に魔力を送り込む。さりげなく、右手を懐のカードを瞬時に
取り出せるように置く。
「・・・・それで見ず知らずの人間を、易々通す訳が無いわ」
その言葉は、魔理沙の胸を痛く締め付けた。
表情が曇る。
魔理沙のそんな心情なぞ構い無く、パチュリーがスペルを宣言した。
「『水符―――プラス」
構えたカードの後ろから、もう一枚のカードが姿を現す。
「!」
「木符』ウォーターエルフ」
パチュリーの周囲、湖から引き寄せられた水が宙を舞う。ぐねぐねと生き物のように
のたうつ水柱、まるで蛇が、パチュリーが手を翳すと一気に魔理沙へと突進した。
「―――このッ・・・!」
魔理沙は急上昇する。
追いかける水の蛇。その体から魔理沙よりも一回りほど大きい水の玉が撒き散らされる。それも
高速で魔理沙に襲い掛かり、避けた弾は地面に激突してクレーターを作る。もしくは湖に落ちて
巨大な飛沫を巻き上げた。
飛来する水玉の弾幕を、湖の水面スレスレで飛行しながら避ける。大きく旋回し、背後を水の
蛇に追われながら正面にパチュリーを捉えた。
箒から右手を離す。その掌に緑色の光が輝きだした。
「・・・・パチュリー!」
マジックミサイル。魔力を凝縮して撃つ簡易的な魔法だが、その分発動が簡単で連射が利く。
計六発の魔弾がパチュリーに向かって放たれた。
「・・・無駄よ」
湖から新たに生まれた水蛇がパチュリーの前に立ち塞がる。ミサイルはその水の壁に当たり
爆発した。周囲に撒き散る水、パチュリーの周りだけ淡く光る障壁が生まれてそれらを弾いた。
「・・・くっ・・・!」
「・・・チェックメイトよ、きりさめまりさ」
「!?」
気付く。先ほど、ほんの少し攻撃に意識を集中した間に、パチュリーが新たに生んだ水蛇と
そこから生まれた無数の水玉に完全包囲されていた。
「・・・今日は喘息の調子も良いみたいだな」
愛用の帽子に表情を隠して、魔理沙が言った。
「・・・・・あなたが何者なのか知らないで終わるのは、少し残念かもね。どうしてそうも
私を知っているのか、タネを教えて欲しいものだわ」
「簡単だぜ?パチュリー・ノーレッジ」
魔理沙が顔を上げた。寂しそうな笑顔がそこにあった。
「私とお前は、友達だからな」
パチュリーが合図すると同時に、魔理沙を囲んでいた弾幕が一斉に動く。
隙間など無い。四方を固められて逃げる事も出来ない。
「『恋符』ノンディレクショナルレーザー!!」
いつのまにか、魔理沙の右手にはスペルカードが存在していた。
「なっ・・・・!?」
驚愕するパチュリー。敵が放ったスペルは、自分が持つスペルと酷似して・・・いや、
そのものだったのだ。
魔理沙から何本もの光が伸びて、縦横無尽に周囲を薙ぐ。水蛇も水玉もそれらに撃たれて
四散した。
「な、何で、私のスペルを、あなたなんかが・・・!?」
刹那の混乱。パチュリーの攻撃が止まる。
「貰ったのさ、お前からなッ!」
その隙を突いて魔理沙が突撃する。風を切る音がはっきり聞こえる。湖の水面は、魔理沙が
通る道を開けるかのように左右に割れた。
「ッ・・・! ど、『土符』レイジィトリリトン!」
魔理沙が湖から上がる直前の大地に、パチュリーは慌ててスペルをかけた。土が盛り上がり
宙に浮き、高質化して敵に襲い掛かる・・・・直前。
「遅いぜッ! 『光符』アースライトレイ!」
それら浮き上がった土の真下に魔方陣が生まれ、そこから一筋の光が天に昇る。光に貫かれた
土はまだ高質化しきれていなく、あっさり崩れ落ちて元に戻った。
「・・・・!」
水の蛇、土の槍・・・・パチュリーを守っていた壁が全て崩れ、魔理沙は射程内・・・・『絶対に外さない』
位置に彼女を捕らえた。
パチュリーは慌ててスペルを出そうとしているが、もう遅い。こちらはもう、必殺のカードと
『ミニ八卦炉』を構えているのだから。・・・あとは宣言するだけ。
・・・・・・
「・・・また来たの?」
迷惑そうな顔で迎える彼女の顔がちらつく。
「なぁ、あの周りをばぁーって払うレーザー、あれいいな」
「・・・ノンディレクショナル? あんなの私にとってはそう重要なスペルじゃないけど」
「じゃ、くれ」
「くれ!? ・・・厚かましいわね・・・・そういう事は、持っていった本を一冊でも返してから
言いなさい」
「うっ・・・解ったぜ。今度来た時には何冊か持って来るからさ・・・」
「持ってきてから」
「なー」
「信用できないわ」
「酷いぜ」
「当たり前よ・・・・フフッ」
「アハハ・・・・悪い。今度本当に持ってくるぜ」
「・・・じゃ、カードの件は考えといてあげるわ」
ほんの何ヶ月前のやりとりなのに、
もう、パチュリーは、
私のことなど、
覚えていない。
いくら病弱とはいえ、パチュリーは人間より強い魔女だ。
直撃させても死にはしないだろう。
ただ。
以前戦ってボロボロにした時、彼女は免疫力が低下して、喘息の発作や怪我による発熱で
何日も苦しそうにしていた。ベッドの上の青い顔を、魔理沙は見舞った事がある。お付の
小悪魔が不在時、額のタオルを代えてやった事もあった。
これを撃てば、彼女はまた、あの地獄の様な苦しみを味わうだろう。
パチュリーがカードを手にした。
魔理沙が動く。
「『恋符』―――!!」
――――ごめん・・・・・・・・パチュリー・・・・・!
「マスター・・・・・スパーーーーークッ!!」
魔理沙とパチュリーの間の直線上、空気が一瞬帯電し土埃を巻き上げる――
――その直後。
轟音と衝撃で大地を揺らし、静かな湖面に高波を生む巨大な閃光が走った。
「あ――」
言う暇も無い。光はパチュリーを覆う魔法障壁なぞ容易く吹き飛ばして、
彼女のすぐ隣で大爆発を起こした。
「あぅ・・・・!」
巻き上がる土砂に混じって、パチュリーの華奢な体も吹き飛ばされた。だが少々
かすり傷は負ったが、こんなものではやられたりしない。
・・・・あの位置から、何故外した?
・・・・・・わざと、外した?
風を操って体勢を整え、ふわりと着地する。
もうもうと立ち上る土煙が徐々に晴れて、向こうに白黒の魔法使いを確認した。
・・・・どういうつもりか知らないけれど。
持っていたカードを再び構える。
それは、向こうでも見えている筈であったが、魔理沙はただ動かなかった。
「けほっ・・・・ひ、日符・・・・けほっ、けほっ」
宣言―――しようとしたが、どうにも咳き込んで上手くいかない。
「けほっ・・・・こ、こんなときに・・・・」
「・・・魔法の助力無しで大きく呼吸したろ?・・・パチュリー」
いつの間にか、魔理沙が近くまで寄ってきていた。
「けほっ・・・・これ、けほっ・・・これを狙って・・・・?」
「・・・・・まあな」
「そんなこ、けほっ・・・しなくたって・・・・けほっ」
「直撃させたら、もっと苦しむと思ったんだけど・・・・・な」
咽るパチュリーを見た。喘息の発作がどれほど苦しいかは、体験こそしたことは無いがこうして
見てきたから、理解は出来る。
直撃させてもさせなくても、結局は彼女を苦しませたのだろう。
全ての原因は自分にあるというのに。
出来れば。
衰弱したパチュリーを連れて図書館に帰り、看病してやりたかった。
だけど、今の自分には一秒だって余裕が無い事を知っているから。
「・・・・・・・・ごめん、パチュリー」
「えっ?・・・・けほっ、けほっ」
最早立ってもいられないパチュリーを置いて、魔理沙は紅魔館の門を超えた。
歯を喰いしばりながら。
そこはまるで、紅い霧の夜の再来だった。
外であれだけ暴れれば、嫌でも侵入者の存在を知る。
館内では既に戦闘メイド隊が陣を組んでおり、入ってきた魔理沙に対して一斉に
攻撃を開始した。
魔理沙はそれらを掻い潜り、牽制にミサイルを放ちながら館の奥へ進んでいった。
直撃はさせない。いくら陣を組んでいてもパチュリーに比べれば甘い弾幕だ。目を眩ませ
られれば容易く突破出来る。
侵入者に対して殺意を向けるメイド達。その顔を魔理沙は一瞥した。
―――見覚えがある。
あいつは図書館に居るときに、良くおかしを運んできたメイドだ。
人間が作る味に興味があるらしくて、妖怪のくせに美味いおかしを作ってくれた。
あいつは門前で番人とおしゃべりしてた。
メイド長に言いつけるぜって言ったら二人して焦ってたなぁ。
あいつは・・・・私が人間なのに妖怪を超える力を持ってるって、目を輝かせていたヤツだな。
正面きって「憧れてます」なんて言われたら、くすぐったいじゃないか・・・!
今はみんな、みんな、みんな、私を敵だと思っている。
気を抜けば、今にも視界が滲みそうになる。目が熱い。
魔理沙は込み上げる思いを振り切るように、箒の速度をさらに上げた。
巨人でも入れるんじゃないかというくらい広いホールに出た。
そこで、
ぴり・・・・・
突然、首筋に冷たい何かを感じた。
魔理沙は経験上、それが何なのか明確な答えを知っている。
これは研ぎ澄まされた―――――殺意だ。そう、銀のナイフのような、冷たくて鋭くて、
触れれば斬れる濃い殺意。
そして、こんな殺意を向けてくる相手を、この館で一人知っている。
警戒。魔理沙が魔力を集中し・・・・・
それまで何も無かった空間に三本のナイフが現れた。
ナイフはそれぞれ、魔理沙の額、喉、心臓を的確に狙って迫る。
魔理沙は動かない。
キンッと金属特有の高い音がして、ナイフが三本とも弾かれた。
魔理沙は殺意を感じた瞬間に、魔力中和能力の高い銀のナイフでも弾けるような
強固な障壁を張っていたのである。ピンポイントで、額と喉と心臓に。
「相変わらず容赦無いな、的確に急所だけ狙ってくるなんて・・・・咲夜」
魔理沙が、正面の空間に向かって話しかけた。
「・・・・何でお前は、私の名前・・・それと攻撃方法を知っている?」
どこからか、トランプの札がはらはらと舞い落ちた。
その中からゆっくりと姿を現したのは、紅魔館の全メイドを束ねる責任者、瀟洒の二つ名を通す
銀髪の美少女・・・・・・十六夜咲夜。館で主レミリアに次ぐ実力の持ち主にして、魔理沙と同じ人間。
「・・・・・はは、やっぱりな。お前も・・・・かよ」
咲夜もやはり、魔理沙の事を覚えてはいないようだった。パチュリーでそうだったのだから
咲夜が違う理由は無い。解ってはいたが・・・ショックはあった。
「さて。ド派手に進入してきて、何がお望みなのかしら?」
口調は穏やか、しかしその顔は殺気に溢れている。まるで・・・・・そう、まるで、
初めて会ったときのような雰囲気だ。
「レミリアに会いたいんだよ。ちょっと聞きたい事があるんだ」
そう言いつつも、魔理沙は残りのスペルカードを脳内で並べていた。パチュリーの時と同じである。
咲夜は、例え魔理沙の記憶を失っていても、やはり咲夜であり。
そんな彼女が、どうあっても魔理沙を通すとは考えられない。
ノンディレクショナルレーザー、アースライトレイ、そしてマスタースパーク・・・・・これらは
先ほど使ってしまった。しばらくは使えない。
咲夜はパチュリーと同じく、敵となったら厄介極まりない。そんな相手と弾幕をするには
準備が圧倒的に足らなかった。
一つ利点を挙げるとすれば・・・・・相手は自分の存在と一緒に、手の内まで忘れてしまっていると
いう事、そしてこちらはそれを知っているという事か。
「・・・お嬢様はただ今お休み中ですわ。御用なら丑三つ時にでもいらして下さらないと」
「そんな時間に起きてる人間は、お前以外じゃワラ人形愛好者くらいだぜ」
「五寸釘を打ち付けるのは、はたして愛好なのかしら」
「モノの価値を存分に愛好しているんじゃないか?」
「ああ、なるほど」
咲夜は両手に数本のナイフを構えた。その周囲にもナイフが浮いて、切っ先は全て魔理沙に
向いていた。
首筋に感じる殺意がさらに濃くなるのが解る。
「・・・どちらにしろ、パチュリー様を苦しめたあなたを、生かしたまま帰す気は無いわ」
その言葉を返す事は出来なかった。
魔理沙の表情が曇る。
咲夜の右手がナイフを放った。アクションは一回、右手にあったのも一本きり。周囲に浮いていた
ナイフも十本程だった。だが放たれたナイフはざっと見ても五十本以上。弾速は極めて速い。
「・・・くッ!」
正面に迫るナイフをマジックミサイルで落とし隙間を作り、そこへ目掛けて魔理沙が飛んだ。
落ちるナイフが空中でぴたりと止まった。それはくるりと勝手に回転し、再び切っ先を
魔理沙に向ける。そして来たときと同じ速度で魔理沙に迫った。散らばったナイフも四方から迫る
弾幕となり魔理沙を包囲する。
さらに咲夜が左手のナイフも投げた。これも放たれた瞬間にその数を増やす。
こうして相手をナイフの海に沈めるのが、このメイド長の常套手段だ。
何とか直撃だけは避けるも、
「痛ぅッ・・・!」
いくつかが魔理沙をかすめ、浅く皮膚を裂く。血が滲んだ。
「・・・この!乙女の肌は容易く傷付けちゃいけないんだぜ!」
ミニ八卦炉を咲夜に向ける。流れる魔力を受けて一筋の光が飛んだ。
超簡易版マスタースパーク、イリュージョンレーザー、八卦炉さえあればカードも宣言も
要らない。
正面のナイフを弾き、レーザーは真っ直ぐ咲夜を狙う。
直撃。
咲夜の胸を光が貫いた。
―――――瞬間、
「!」
その体は無数のトランプに化けてぱらぱらと舞い落ちた。
「相変わらず無意味な演出だぜ・・・!」
「あら、喜んでいただけなかったようね」
背後から声は聞こえた。
「手品はもっと派手な方が好きかな」
「手品に何を求めてるのよ」
「エンターテイメントだろ」
「そう・・・・それじゃ、こんなのは如何かしら」
魔理沙が振り向くと同時に、咲夜は既に構えていたカードを宣言する。
「『幻符』―――」
周囲に、今までの倍以上のナイフが突如出現し、
「殺人ドール」
全て魔理沙に襲い掛かった。
「『魔符』スターダストリヴァリエ!!」
魔理沙も振り向く時に一枚のカードを手にしていた。宣言。
周囲に星型の魔弾が無数に生まれ、放たれて迫るナイフ達を迎撃。スペルの効果で生まれた
幻影のナイフは効力を失い消え去っていった。
だが。
「・・・・チィッ!」
魔理沙が舌打ちする。
連戦、連続スペルカード使用・・・・やや魔力を消耗し過ぎた。
このスターダストリヴァリエは、まるでイージーレベルの弾幕しか精製できていない。
咲夜が放つ数百本のナイフ弾幕全てを撃ち落すには圧倒的に物足りなかった。
銀の刃が星の川を突破。
魔理沙は懸命にそれらを避けた。スペルを発動させたまま上昇や下降を巧みに使う。
それでもまた浅い切り傷が増えていって、その度に歯を喰いしばった。
「・・・・ふうん? パチュリー様と弾幕して、まだそこまで余力があるなんてね」
一方の咲夜は余裕。イニシアチブを完全に把握しているのだから当然だが、魔理沙にもう
スペルカードの残りが少ない事も見切っていた。
「でも、これで終わりにさせてもらうわ」
殺人ドールのカードを捨て、もう一枚のスペルカードを取り出す。
スペルの効果が切れて、魔理沙は咲夜が新たに攻撃してくると感知。
一瞬できたこの隙にと距離をとる。
『距離をとる』という行動は、
「『奇術』ミスディレクション!」
咲夜に読まれていた。
再び放たれた無数のナイフの切っ先は、避けようと動く魔理沙を追尾する。その方向へ高速で
飛んだ。ホーミング能力は霊夢のアミュレットに敵わないものの、弾速と手数は圧倒的に勝っている。
魔理沙はホールの壁にそって高速で飛んだ。魔理沙の飛んだ後にナイフが突き刺さり、彼女の
後ろには刃の道が出来上がっていく。
刃の雨と魔理沙の距離は徐々に狭まってきていた。
「・・・避けきれないか・・・!」
魔理沙は懐からスペルカードを取り出した。
手持ちのスペル・・・・・・最後の一枚。魔力を消耗しても大して効力を下げないスペルの為、最後まで
取っておいたのだが、
皮肉だろうか。このスペルは・・・・・
急ブレーキをかけて魔理沙が止まる。
そこに追尾して迫るナイフの雨。
最後のカードを構える。
「『儀符』オーレリーズサン!」
魔理沙の周りに、彼女の上半身ほどの大きさを持つ球体『ビット』が四つ現れた。球体は淡い光を
放ちながら魔理沙を中心にくるくると回る。
迫るナイフをビットが意思を持つかのように魔理沙を守り、ことごとく弾く。
「こいつは攻防一体のスペルなんだぜ! 行け!!」
「!!」
咲夜を指差す。四つのうち二つが魔理沙から離れて、咲夜を目掛けて飛んだ。
「こんなもの・・・・!」
新たにスペルカードを構える。
「『幻世』・・・ザ・ワールド!」
宣言した瞬間――――咲夜が消えて、
「―――――もらった!」
真後ろに現れた。接近戦用のナイフを構えて魔理沙の背中に斬りかかる。
残したビット二つの防衛能力が自動で働き、接近する咲夜を迎撃した。
「くっ!?」
「―――あげないぜ?」
すれすれで避けたものの、咲夜の上着は破け純白のエプロンは焼け焦げた。
魔理沙の後ろから、先ほど放ったビットが戻ってきた。
そして術者を通り過ぎて再び咲夜に接近する。
「・・・・チッ・・・!」
舌打ちする咲夜。
ビットが当たる直前で、またも彼女は忽然と消えた。
「そう何度も避けられると思うな! ・・・右だ!」
「うっ!?」
魔理沙が指示を出し、ビットが進行方向を変える。
その射線上に咲夜は姿を現し、再び窮地に追い込まれた。
「・・・・なんで」
「今度は・・・上だ!」
「あいつ・・・私の動きを!」
「左だ!」
その時を止める術に何度苦汁をなめた事か。
それまで努力して培ったモノが効かなくて、どれほど悔しく思っただろうか。
そして魔理沙の目標に霊夢以外が加わった。
皮肉にも、このスペルカードこそ、
彼女に勝つ為に編み出したスペルなのだ。
魔理沙の周囲を回るビットは、その強力な防衛能力を持って常に敵の位置を感知する。それを
使用者本人が感じ取れば、例え時を止めて瞬間移動しても何処に居るかが解るのである。
「そして・・・・」
魔理沙が右手で空間を薙ぐ。ビットへの命令を飛ばしたのだ。
ビットは命を受け、再び消えてまた現れた咲夜を一心に目掛け飛んだ。
「はぁっ・・・くっ!」
咲夜の息があがっていた。汗が滴り落ちる。
時を止めるタイミングが一瞬遅れた。最接近したビットが顔右側の三つ編みを吹き飛ばす。
「・・・・!!」
「そう連続で時を止めてたら、いくらお前だってもたないだろう? ・・・そこだ!!」
ビットが迫る。
吹き飛ばされた髪を押さえたままの咲夜は、
ビュッと左腕を振り上げた。
手の中のスペルカードが紅く光る。
光の中から紅い刀身のナイフが現れ、
宣言。
「『傷魂』―――ソウルスカルプチュア―――」
一閃。
紅い閃きが、
迫るビットを真っ二つに裂いた。
「・・・・!!」
閃は魔理沙の肩上まで走った。
・・・頬に一つ線が生まれ、そこから細く血が流れる。
自身が放つ紅い閃きと同じく、咲夜の両眼は真紅に染まっていた。
咲夜の奥義。自身の運動速度を究極にまで高め、紅い刃の嵐で敵を微塵に切り裂く。その速度は
咲夜自身の感覚を超える為、攻撃のみに全神経が集中する。一種のトランス状態になるのである。
そのトランス状態を体現する真紅の瞳。今の咲夜は敵を切り刻む事以外に思考が無い。
そして、このスペルの発動は、
『決死』を意味する。
紅い瞳の咲夜が動いた。
両手に紅の刃を構え魔理沙に向かって突進する。その顔に表情は無い。
敵意、怒り、使命・・・・・全ての感情が消え、咲夜はまるで機械のように宙を走った。
「ビット、止めろ!!」
魔理沙が指示を出すと同時に、残る二つのビットが今まで以上に光を放ち二人の間を塞いだ。
「・・・・・・・・」
咲夜、無言で一撃。
紅い閃がビットに当たり、耳を劈くような金属音を響かせた。
防御に徹したビットが紅い閃を食い止める。
だが咲夜は止まらない。
再び一撃を放つ。
また一撃、
一撃、一撃、
一撃、一撃、一撃・・・・・・嵐。
その両腕はあまりの高速運動の為に霞んで見えた。
何本もの紅い閃が走り、魔理沙を守るビットを叩く。
・・・・・ピッ・・・ピピピッ・・・・
「!?」
ビットから音がする。
放つ光が弱まり、徐々に、球体にヒビが入ってきた。
「く、駄目だ! 耐えろビット!!」
「・・・・・!」
キンキンと絶え間なく響く金属音。
その中に微か聞こえる崩壊音。
そして、
パァン、と派手な破壊音。
二つのビットが粉々に砕けた。
「・・・・・・!!」
「・・・・・・・」
二人の声は聞こえず。
紅い刃の嵐は防壁を超え、魔理沙を飲み込んだ。
帽子が千切りになった。
服のあちこちが切り裂かれる。
皮膚も裂かれて、血飛沫が同色の嵐に舞う。
咄嗟の判断。
魔理沙は箒への魔力をカットし、自由落下に身を任せた。
そうする事で、何とか嵐の中から脱出する事に成功した。
だが、
直撃だけは避けたものの、全身の切り傷がズキズキと痛む。
魔力も殆ど使ってしまった。スペルカードも手持ちはもう無い。
脱出したとはいえ、
魔理沙に戦う力は残っていなかった。
(負けた・・・・か)
うっすら目を開いてみると、咲夜がこちらに向かって来ている。
トドメを刺す気だ。あの状態の咲夜は、スペルの効果時間が過ぎるか相手が死ぬまで
攻撃を止めない。
・・・きっと数秒後、もうほんの少しで、私は私とも解らない程、微塵に切り裂かれるだろう。
運命に消されるもぐちゃぐちゃに切られるも、結果は一緒か。
どっちにしろ、もう幻想郷に、きりさめまりさは存在しなくなる。
・・・良いか、こんな結末でも。
もう誰も、私の事など憶えてないのだろうし。
・・・・・・・
どうせ・・・・・・
私が居なくても、幻想郷は何も変わりはしないのだから・・・・・・
特に恐怖も感じず、
魔理沙は静かに目を閉じた・・・・・・
「・・・・・・何やってるのよ?」
胸にグリモワールを抱えて、上海人形と蓬莱人形を従えて、
自宅の玄関前に座り込む魔理沙をジト目で見つめながら、
アリスが言った。
(・・・これ・・・・随分前の記憶だな・・・・)
魔理沙の格好は、今ほどボロボロではないにしても、あちこちが煤けていた。
白地が黒くなってるのだから、もう完全な黒魔法少女である。
「・・・・んー?・・・ああ・・・・」
そんな魔理沙はアリスの方に顔も向けず。空を見上げながら、返事かそうでないか
判別に困る声を出した。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・魔法の実験に失敗しちまった」
「・・・・・・・・ふぅん」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・それだけ?」
「・・・・・・・・ああ」
アリスは魔理沙の隣に座った。
魔理沙は特に反応しない。
「・・・実験の失敗なんて、良くある事じゃない。それに魔法使いの実験は失敗が
付き物、それくらい常識でしょうに」
「・・・・まぁ、な」
「大体、今までだって何度も失敗してたでしょう?何で今回に限ってそんなに
落ち込んでるのよ」
「・・・・・ん、割と無茶な構成だったからな。失敗は当然ってヤツだったんだが」
魔理沙の視線が、上から下に落ちた。
「・・・・・何で、私はこんな事してるのかなって」
「・・・・・え?」
「妖怪は生まれた時から力がある。人間は鍛えなきゃ強くなれない」
「・・・・・・・」
「力って、無いといけないんだ。無いと、好きなヤツと一緒に居る事も出来ない」
「・・・・・・・」
「でもさ、私が好きな奴等って、妖怪も妖怪以外もとびっきり強力な奴等ばっかりだ」
「・・・・・・・」
「必死になって、がむしゃらに頑張って・・・・・それでようやく追い付ける。気を抜いたら
あっという間に抜かれて、背中も見えなくなる」
「・・・・・・・」
「私は必死に、みんなの隣に居ようとするんだ。でも・・・・誰も、私の事なんて待っててくれない」
「・・・・・・・」
「誰も待ってないのに、何で私は、こんなになって必死に前へ進んでるんだろうな・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・あはは・・・何をぐちぐち言ってるんだ、私。すまん、アリ・・・」
「そんなの、私だって一緒よ」
「・・・ス?」
思わず、魔理沙は顔を上げてアリスを見た。
逆にアリスが下を向いていた。
「私だって・・・・す、好きな人が、どんどん前へ行っちゃって・・・・隣にいるの、大変なんだから・・・!」
「・・・・・・・・・」
「!!か、勘違いしないでよッ!?別にあなたの事なんかじゃないからね!?」
「な、何だよ、解ってるよ。・・・お前が必死に追い付こうとしてるんだ、誰か知らないけど
余程強いヤツなんだろうな」
「・・・あー・・・・・うん・・・・・強い、のも、あるけど・・・・・」
「ん?」
「何でもないわよ・・・・・・・・(鈍感)」
「何かボソリと言わなかったか?」
「・・・言ってないわよ」
「・・・そうか」
アリスが立ち上がった。
その顔を見上げる魔理沙。
「・・・・・・・ねぇ、・・・・・・一緒に進まない?」
「・・・・・え?」
アリスの顔は真っ赤だった。
「べ、別に、私は平気だけど!あなたがそんな顔してるから、可哀想だなって思っただけだからね!
そ、それに、一人で進むよりは誰か居た方が、その、効率とか、競争とか、えーと、そんな、そんなのが」
アリスは何故か、必死に弁明していた。
一緒・・・・・
一緒に・・・・か。
「そっか・・・・そっか」
魔理沙も立ち上がった。顔に降り注ぐ日差しを遮るように、愛用の帽子を深く被る。
「アリス、せっかく来たんだ。お茶でもご馳走するぜ」
「え、ちょっ!?こ、答えなさいよ!無視なんて・・・」
入り口のドアを開いて、
魔理沙はアリスに振り返った。
「私が追い抜いたら、ちゃんと待っててやるよ」
そこには、いつも通りの、あの笑顔の魔理沙があった。
それを見てアリスが言葉を止める。
言葉を聞いて、その表情が和らいだ。
「・・・・馬鹿ね。待っててあげるのは私の方だわ」
待っててあげる・・・・・・・
一緒に・・・・・・・・・・
・・・・・・・魔理沙!!
目を開いた。
咲夜は先ほどの位置から大して接近していない。
長い夢を見ていたような気がする。実際は一秒に満たない時間だったのだろうか。
状況はさっきと変わらない。あと数秒後には全身を切り刻まれる。
だが。
切り裂かれた上着の奥から、
一枚のスペルカードが見えていた。
そうだ。
あったんだ。
まだ一枚、最後のカードが。
破壊力が高すぎて相手を殺してしまう可能性もあった。だから普段使わないようなところに、
しかし非常時の最終手段として持っておいたのだった。
自分の特技を究極まで追求した、霧雨魔理沙の極意(ラストワード)―――――
使えば、咲夜は死ぬかもしれない。
いや、トランス状態で防御もできない今の彼女では、その可能性は高すぎる。
では使わないか?
死ぬのは自分だ。アリスも消えて無くなる。
咲夜を殺したくはない。
どうする?
全ては自分の所為。
どうする?
全ては自分の所為。
どうする?
全ては―――
―――私らしく。
「私は生きる! アリスと一緒に進む! そして咲夜も死なせはしないぜ!!」
そう、霧雨魔理沙はいつだって、望むように生きるのだ。
望むように努力するのだ。
望みをかなえる為に、がむしゃらに進むのだ。
箒を寄せて体勢を立て直す。
カードを構える。
箒の柄に呪文が浮き出た。毛が荒々しく騒ぎ立つ。
残った全魔力をスペルに注入。
何十もの魔法障壁が魔理沙を包んだ。青色の障壁は濃くなり、中の魔理沙が霞んで見える。
咲夜が接近。
紅い嵐をまとって肉薄する。
魔理沙は目を瞑った。
宣言。
そのカードの名は、
―――『彗星』―――
「ブレイジング―――スターッ!!!」
目を見開いた。
轟音。急加速した所為で空気の壁に衝突し、紅魔館を揺るがすような音が鳴った。
衝撃波が発生し壁や柱を砕く。
その圧倒的な破壊力は、元々魔法で弄られてる空間そのものにすら干渉し、周囲を
歪に捻じ曲げていった。
その姿は地上を走る彗星の如し。
ただし夜空に輝く優雅な星にあらず。
轟音と衝撃波を撒き散らし、敵を砕かんと音速で駆ける―――青き極光。
紅い嵐を貫き、
その中心、大好きな敵を――――射抜いた。
まるで人形のように、だらりと力なく宙を舞う咲夜。
意識は既に無いのか、吹き飛ばされたその高速のまま地面に落ちていく。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
それを超える速度で、魔理沙が再び咲夜に接近した。
そして追い抜く。
障壁を全て解除し、咲夜の背を抱いた。
圧倒的な速度。地面にぶつかれば文句無く即死。
そんな速度の中で、一瞬にも満たない中で、懸命に魔理沙は足掻く。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!!!」
地面に激突するその瞬間まで、魔理沙は可能な限りの障壁を張った。
その日、紅魔館を襲った轟音は、これで何度目だろうか。
静まったロビー。
壁は崩れ柱は折れ、優雅な佇まいは無残な瓦礫と化していた。
もうもうと立ち上る煙。
「・・・・・・う」
その一角で声が聞こえた。
「・・・・生きてる・・・・・・」
声の主は・・・・・咲夜だ。
青いメイド服はもはやボロ布。美しかった銀色の髪もあちこちが焦げている。さらに
右側の三つ編みは吹き飛ばされて、瀟洒なスタイルなど、どこにも残っていなかった。
全身に酷いダメージ。もう立ち上がる事はおろか、上半身を起こす事だって出来そうに無い。
だけど・・・・生きている。
トランスしている間も、思考は働かなくても意識はある。そして何が起きたのかも、こうして
スペルが無効化すれば理解できた。
・・・・あいつが、私を助けた。
薄れた意識の中で見た。そして感じた。
青い彗星が私を抱いた事を。背中に温もりを感じた事を。
「・・・よう、生きてるな?」
それはすぐ近くから聞こえた。
煙が収まる。
咲夜の目の前に魔理沙が立っていた。
勝者であるはずなのに、その姿は咲夜よりもボロボロであった。
全身の切り傷。衣服も無残。くたびれた箒を左手で杖代わりに何とか立っている。
そして右腕はだらんと垂れていた。おそらく折れているのだろう。
「・・・私を助けなければ、そんな格好にならずに済んだんじゃないかしら」
「かもな」
「あなた、自分を殺そうとした相手をそうまでして助けるなんて・・・とんだ馬鹿ね」
「かもな」
「・・・・何でこんな事をしたのよ」
「お前は私の、大切な友達だから」
「・・・・あなたなんか、知らないわ」
「今はな。きっとすぐに思い出す」
「・・・・本当に?」
「本当さ」
「そう・・・・・・」
それっきり、咲夜は何も言わなかった。
その内・・・・ここのメイドが駆けつけて介抱してくれるだろう。
その時ここに居たら、魔理沙はもう戦えない。
箒に体重を預けながら、よろよろと歩き出した。
「・・・・白黒」
咲夜が呼び止める。
「・・・・・・さっさと思い出させてよね」
起き上がれないままで、そう言った。
「おう」
それだけ答え、また歩き出す。
体力も魔力も、もはや残ってはいない。
油断すれば気絶しそうなほど朦朧とする。
だけど止まるわけにはいかない。
あとどれ程の時間が残されているかも解らない。
紅い、窓の無い薄暗い廊下を、魔理沙はゆっくりと歩んでいった。
この道は、いつか来た道。
紅霧事件の時に進んだ廊下。
その奥に応接の間が存在し、
紅い巨大な椅子の上に似合わない、幼い少女が座っている。
運命を操る紅い悪魔―――
永遠に紅い幼き月―――
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
足を組み、肘を立てて、ボロボロの魔理沙を見下ろしていた。
肌で感じる魔力の波動。全力を出せない昼間でありながら圧倒的な存在感。
今ならその手を一振りするだけで、確実に魔理沙は死ぬ。
レミリアも全てを忘れていたら、全てが終わるのである。
その悪魔が椅子を降りた。
背中の黒い羽を動かして、ゆっくり魔理沙へと近付いていく。
それをただ見つめる魔理沙。
レミリアが魔理沙の目前に着地する。
目と目が合う。
「・・・随分素敵な姿ね・・・・魔理沙?」
そう言ってにっこりと笑った。
「憶えて・・・・!」
「かろうじて、よ。まったく、あなたは余程に厄介事が好きなのね」
「・・・ははッ・・・!火事と喧嘩は幻想郷の花って言うじゃないか」
「言うの?」
「うにゃ、言わない」
「・・・それだけ軽口叩けるなら平気ね」
やれやれとため息をつく。
「・・・で、どうすれば良いんだ?」
魔理沙が問う。
「簡単よ、魔理沙。・・・・・・アリスを忘れなさい」
レミリアが答えた。
「アリスは本来、運命に従って裸を見せなければいけなかった。だけど、その流れに逆らうのでは
なく、逃げてしまったのよ。・・・・アリスの裸を見せようと流れていた運命は歪んだ。歪みはアリスを
中心に、それに関する他の運命も巻き込んでさらに混迷する」
「・・・人は、一人じゃないって事か」
「そうよ霧雨魔理沙。人も妖怪も、その運命は他人と複雑に絡み合って動いているの。霊夢あたりに
言わせれば、『縁』というモノよ」
「つまりね、一人の運命も『幻想郷全ての運命』に直結しているの。歪みが他人を伝わり大きくなれば
幻想郷そのものを破壊しかねない」
「だけど、そうなる前にリミッターが動く。どこかで幸福があればどこかで不幸があるように、運命は必ず
バランスを保とうとするわ。幻想郷を破壊しかねない歪みにも、それを補正するような流れが出来る」
「・・・それが、アリスを消したのか」
「アリスは運命と戦う事から逃げた。自分に絡む全ての縁を遮断し閉じこもった。・・・運命からすればそれは、
濁流の中に居るアリスが捕まっていたロープを自ら離したに等しい。飲み込んで消し去る。アリスの運命が
消えれば、歪みそのものも消える」
「・・・・大雑把だなぁ、運命ってのは」
「自然とは、いつだって豪快なものよ」
「違いないな」
「・・・・でも、アリスは手を離したのに、今度はその手を離さない者が居る」
「・・・・私か」
「あなたと私ね。正直、私の存在を確立させたまま、あなた達の事を憶えているのは大変だわ。気を抜いたら
すぐに忘れてしまいそうよ」
「・・・・・それで、忘れろ、と」
「そうよ。あなたも縁を切ってしまえば良い。歪みと無関係になればあなたは自然の一部として、また
幻想郷の霧雨魔理沙に戻れる」
「お断りだぜ」
弱々しいながら、魔理沙はいつもの笑顔で言った。
「・・・・じゃあ、大人しく消えるの?」
「アリスを運命の濁流から救い出す」
「どうして?あなた、友達なら沢山居るじゃない」
「・・・・・ああ、居るかな」
「アリスの代わりは居なくても、あなたを待つ者は居るでしょうに」
「・・・待つ、か」
魔理沙はレミリアの目を見据えて、
「待っててくれるのは・・・・隣を歩いてくれるのは、アリスだけなんだ」
はっきりと、そう答えた。
・・・ふぅ、と、レミリアはまたため息を一つ。
「・・・・ま、そこまで自分の気持ちに気付いているなら大丈夫かしら」
「どういう意味だ?」
レミリアが更に魔理沙へ近付く。
その背丈は魔理沙の顔下ほどまでしかなく、見上げる形となる。
「アリスは、自分の縁を隔離してしまった。でもまだ完全に消えたわけじゃないなら、あなたが
自分の縁を彼女のそれに絡めれば良いのよ」
「・・・・つまり、あいつと幻想郷の結びつきを強くしてやれば良いのか?」
「そう。・・・・ただし、ちょっとやそっとの事じゃ、今のアリスには届かない」
「それを・・・・私が?」
「あなたの素直な気持ちを伝えれば良いの。・・・でもそれって、難しいことだわ」
「ああ・・・知ってる。何せ私自身が、素直な気持ちを知らなかったくらいだからな」
「それに時間も無いわ。・・・彼女の残り香が完全に消える前に」
「・・・上海蓬莱、人形か! まだ消えてなかったはずだ」
慌てて魔理沙は背を向ける。
「ちょっと待ちなさい」
レミリアがその背を止めた。
右手の人差し指、その爪が紅く染まり伸びる。するどい刃物を連想させた。
それで、自らの左手、脈の部分を浅く切る。
ぽたぽたと血が滴り落ちた。
それを一滴掬い、目を瞑る。
紅い光が発せられ、手の中に紅い粒が一つ出来上がった。
「あんまり強力なのを飲ませると、吸血鬼化まではいかなくても、妖怪化しちゃうからね」
「飲む?」
「魔力がたっぷりの吸血鬼特性栄養剤よ。多少は回復するわ」
「・・・・ありがたい」
「特別よ?吸血鬼が自分の血をあげる行為は、あなた達にしたら愛情行為と同じ意味なんだから」
紅の粒を差し出しながら、レミリアが言った。
「愛情行為・・・・?・・・・ああ」
「そういうのは、愛しい人形遣いと楽しんでね」
「助平、なんてお子様だよ、教育が悪い」
受け取った粒を魔理沙は飲み込んだ。
体が一瞬、かっと熱くなる。
からっぽで冷え切った腹の底に火が灯ったような感覚。
確かに、しかも即効で、魔理沙は空を飛べるくらいに回復した。
箒に跨る。
右手は相変わらず使えないし、来たときより遥かに速度は遅い。
だが歩いて帰るよりは遥かに速い。
「ありがとう、レミリア」
「・・・魔理沙、憶えておきなさい」
宙に浮く魔理沙を、下からレミリアが見つめている。
「賭けにしては・・・今回はあまりに分が悪いわ。成功の可能性は限りなく低い」
「・・・・・・・」
「・・・あなたが死んだら、悲しむ者はいっぱい居るわ」
「・・・お前もか?」
「さぁね」
レミリアはクスリと笑った。
魔理沙も笑顔を返して、
紅魔館を後にした。
遅い。
いつもの自分から想像も出来ないほど、のろのろと飛んでいる事が解る。
だがそれですら、僅かに回復した魔力を搾り取られていて苦しい。
これ以上の速度は不可能だし、このまま目的地まで飛べるかも心配だ。
だが思う事はただ、来た時と同じあの言葉のみ。
もっと、もっと速く・・・・!
それは魔理沙を現す言葉なのだろう。
魔法の森に入り低空を飛ぶ。
木々の合間をすり抜ける。何度もよろけてぶつかりそうになるが、止まりはしない。
一緒に歩いてくれると約束したあの日に、
―――どうして私は自分の気持ちに気付けなかったのだろう。
どうして―――アリスの気持ちに気付いてやれなかったのだろう。
一緒に歩いてくれるという言葉の意味を、どうして理解できなかったのだろう。
アリスは薬を飲ませた私を、許してくれたじゃないか。
だったら私も、怒るアリスを受け入れれば良かったんだ。
何があっても縁は切れないと信じていれば良かったんだ。
それを、私は縁が切れる事を恐れて、誠意やモノでフォローしようとした。
そんな安いもので繋がっているって、無意識に思っていたんだ。
―――アリスの心を、裏切ったんだ・・・!
強くなりたかったのは、縁の補強。
みんなに忘れられたくないから、隣に居たいから、存在を誇示する為、強くなりたかった。
一緒に歩いてくれると言ったアリスの言葉は、
私が強かろうが弱かろうが、隣に居てくれるという意味で、
『好き』っていう単純な思いそのものじゃないか。
アリスが自分の縁を隔離したのは、全て私の所為だ。
だったら何としても連れ戻さなきゃ駄目だ。
私が私である為に。
私がここで生きる為に。
何より、
愛しいアリスの為に。
木々を抜け広場に出た。
アリスの家が・・・・・・あった場所。
今はただの広場だ。
マーガトロイド邸は痕跡すら消えて無くなっていた。
「・・・・・!!」
一瞬だけ、魔理沙の顔が絶望の色に染まった。
だがすぐに立ち直り、広場となったそこに急行する。
見つけたのだ。
間に合った。
まだ・・・残っていた。
雑草の中にぽつんと捨てられた、上海人形が。
「アリスッ!! 聞こえるか!? ・・・アリスッ!!」
拾い上げて、魔理沙は必死に呼びかける。
反応は無い。
「アリス・・・・アリス。聞いてくれ・・・・頼む!」
ポタッ・・・・・
上海人形の頬に、魔理沙の涙が落ちた。
「私さ・・・鈍感だった。馬鹿だったぜ。・・・お前の言葉の意味を、まるで理解していなかった・・・」
「・・・宴会の時、憶えてるか? あの時私は暗くて、一人で飲んでたんだ。・・・誰も私のそばに居なかった。
・・・・お前以外は・・・」
「みんなに追い付こうと必死にやって、失敗して・・・・そんな時だって、隣に居てくれたのはお前だった」
人形の姿が薄らいできた。
支える魔理沙の指が透けて見える。
「いつだって隣に居てくれた! なのに・・・・私は、そんなお前の気持ちを信じてやれなかった!」
「今は違う! 私は、自分の気持ちに・・・そしてお前の気持ちに気が付いたんだ! だから・・・・・!」
その手に感じる人形の手触りが消えていく。
「今度こそ一緒に行こう! アリス! お願いだ、またそばに居てくれよ!!」
「私は・・・・・!」
人形が、
「私は・・・・・お前が好きなんだ!! アリス!!」
消えた。
「あ・・・・・」
「・・・・・あ・・・・・あああ・・・・・!」
その手にはもう、何も存在してはいない。
「あああああ・・・!! アリス・・・アリス!!」
いくら呼べど、愛しいあの声は聞こえず。
ただ風だけがそよぎ、
草木がさらさらと奏でる音だけ。
「う・・・うあああああ・・・・・!! はぁ・・・はぁ・・・・! う、ううううあぁ・・・!!」
膝をついて蹲る。もう立ってなどいられなかった。
「ああぅあ・・・や、やだ・・・いやだ、こんな結末・・・!」
「いやだ・・・アリス・・・うぐっ、わ、わたし・・・アリス・・・!」
(忘れなさい)
レミリアの言葉が脳裏を過った。
(そうすれば、あなたはまた幻想郷の霧雨魔理沙に戻れる)
(あなたが死んだら、悲しむ者はいっぱい居るわ)
「・・・・それに・・・・何の意味があるって言うんだ・・・・!?」
魔理沙の左手に握られたミニ八卦炉。見つめながら呟いた。
「もう私は何も求められない。何もしないで・・・・普通の人間として生きて、普通に死んで・・・・
自分の限界を知って、その先の生に何の意味があるっていうんだよ!!」
魔理沙が求める事を止めて、進む事も止めてしまったら。
きっと、彼女が好きな者達はあっという間に彼女を置いていくだろう。
もう弾幕勝負をしても、勝つ事はおろか楽しませる事すら出来なくなる。
魔理沙は必死で、相手は余裕で。
そんな彼女を、歩みを止めた人間を、周囲は救ったりしない。
時間の経過と共に、その存在の記憶すら薄らいでいくのだろう。
元々、魔理沙と彼女達では、スタートラインに差があるのだ。
普通のままでは近付く事の出来ない存在達。
魔理沙がそんな彼女達に憧れるのは、必然だったのかもしれない。
だから、
これから先、生き続けたとしても、
もう霧雨魔理沙でいる事はできない。
何より、この胸の苦しみをこれからも味わい続けなければならないのだ。
だったら、いっそ。
今なら、魔理沙を知るものの居ない今なら・・・・・・
ミニ八卦炉の魔力射出口を、自分の胸に押し当てた。
もう僅かな魔力しか残っていないが、
今の自分なら、これであっさり死ねるだろう。
・・・・・・頑張った。
今まで良く頑張ったよ。
あんな規格外の奴等と、肩を並べていたんだから。
・・・・でも、結局私は普通で。
必死に歯を喰いしばって、駆けて、やっと追い付いたと思ったらまた離されて。
ふらふらだったんだ。
いつ、どこかで転んでもおかしくなかった。
それでも進んで、
転んでみれば、
私は大切なものを無くしてしまった。
無くしたものを取り戻せるほど、余裕のある力は持っていない。
私がまた駆ければ、どこかで転んで、また大切な何かを失うだろう。
その前に。
・・・私が止まろう。
さようなら、みんな。
今まで、ありがとう・・・・・・・・
まりさ。
アリス・・・・・ごめん。約束破って・・・ごめんな。
まりさ・・・・!
お前一人だけ逝かせはしないぜ。・・・一緒に歩こうって、約束したものな。
まりさ・・・・だめ・・・・・!
ああ・・・悲しい、悔しい。後悔の念ばっかりだけどさ・・・・
しんじゃだめ・・・・・・!
・・・・お前と一緒に歩めるって理解したら、何だか嬉しいんだ。
おねがい・・・・やめて・・・・・!
・・・・・好きだぜ、アリス・・・・・
わたしも・・・・だから・・・・・!
・・・・・・死んじゃ駄目!!
ミニ八卦炉から光が出でる。
幾度も使用し、敵を退けた光が、今は魔理沙自身を焼く。
白黒のボロ布が、風に乗って空に舞った。
魔法の森、その一部。
細く輝く光の筋が、天に向かって昇っていった・・・・・・
夕日が森を赤く染める。
魔理沙が居た。
衣服は全て吹き飛んで、一糸纏わぬ姿で、
森の大地に座っている。
その手にミニ八卦炉は無い。
それはすぐ近くに落ちていた。
持っていた左手、左腕を、
細く色白い右手が、遠ざけるように握っていた。
魔理沙に抱きついている、
一糸纏わぬ姿で、
森の大地に膝を立てる、
アリスが居た。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・アリス・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・うん」
「・・・・・・・・・アリス・・・・・なのか・・・・・?」
「・・・・・・うん」
「・・・本当に・・・!」
「・・・うん・・・!」
腕を握る手を除けて、魔理沙もアリスに抱きついた。
「夢じゃ・・・・ないよな・・・!」
「夢じゃない・・・・私はここに居るわ」
アリスの背中を、魔理沙の涙が流れる。
「アリス・・・・! 私、私は・・・・!」
「・・・もういいわ、魔理沙・・・・全部、聞こえてたから・・・・・」
「・・・アリス・・・・」
「私の方こそ・・・・・・意地になって、素直に気持ちを伝えられなかった。・・・ごめんなさい」
「あ、謝らないでくれよ・・・・私が、悪かったんだから・・・・」
「・・・・じゃあ、魔理沙も謝らないで」
「・・・・うん」
「・・・アリス」
「・・・なぁに?」
「・・・ありがとう」
「・・・・・・・」
「魔理沙」
「・・・ん?」
「・・・ありがとう」
「・・・・・・・」
「・・・・く、あははは・・・・・!」
「ふふふ・・・・」
「・・・・一緒だぜ」
「うん・・・・一緒ね」
夕焼けの森。
互いの体を離し、
魔理沙の無事な手をとるアリス。
そして――――二人は口付けを交わした。
「・・・・・・・やれやれ。心配になって来てみれば、こんな光景見せ付けられるなんてね」
木々の陰に隠れながら、そう愚痴る。
「私は、いずれ二人はああなると思ってましたが」
「ふぅん? 咲夜は見る目があるのね」
「恐れ入ります、レミリアお嬢様」
「・・・・それにしても、目のやり場に困りますわ」
「しっかり、まじまじ、見てるじゃない。でもまぁ、裸を見られちゃう運命だったからねぇ」
「なるほど。裸の身も裸の心も、ですね」
「あら、詩人ね」
「・・・私が以前居た場所では、もう使い古された詩ですけど」
「へぇ~・・・そこはきっと、抒情言語の優れた場所なのね」
「そうですね。感動がそこらじゅうに転がっているような場所ですから」
「素敵ね」
「・・・・タオルでも、さりげなく置いておきましょうか?」
「・・・空間を操るあなたでも、あそこに爪の先だけでも入り込める?」
「・・・・・・・・・・・・・・・結界ですね」
「でしょう。だから、結界に入れぬ者はただ去るだけよ」
「良いんですか?」
「良いんじゃない?」
「―――数ある運命の内に一つくらいは、こんなハッピーエンドがあっても―――」
~終~
闇に葬られたエピソードも見たかった気もしますが、魔理沙の想いは十分に語ら
れていたので、これで良かったと思います。
楽しい時間をありがとうございました。
あと、中盤のvsパチェ、咲夜もかなり良かったデス。
蛇足ですが、削られたエピソードは是非HPの方に掲載……して頂けると嬉しいですw
闇に葬られた部分の詳細、私もキボンします。
いい話でした・・・
素直に良いお話でした。
まさしく妹様の能力みたいな解釈ですね。
バッドエンドを壊してくれてありがとう、妹様。
『規格外の奴等』を『けたはずれのばけもんども』と読んでみてしまう私をお許しください。
お疲れ様です。次回も楽しみに待ってます。
最初はギャグネタかと思っていましたが、ものの解釈の仕方ひとつで此処まで魅せてくださるとは……兎角、マリアリイイッ!!
語彙が少ないんでなんと書けば良いのかよく分からないんですが、とりあえず一言。
想われるって幸せなんですねえ。
せっかくなら削ってないオリジナルの文章も読んでみたいですね。
感動しました。
マリアリ・・・万歳!
眠くなるどころか涙涙で眠れませんでしたよっ!
・・・・・・次はお馬鹿な話も読んでみたいと、ちょっぴり思ってみたり。
ぜひディレクターズカット版を希望します。
あ リ が と う!!
ごーざーいーまーすーーー!!
ああんもう、この身悶えは何度味わっても慣れないですヨ。
次も頑張ろうって思っちゃうじゃないですかw
・・・・あれ、デジャ・ビュ? またテンコー様に怒られる?
それはタマリマセンネ。ウフフ?
ディレクターズカット(笑)は、その内やりたいなーと
思ってますが・・・・たぶんかなり先になるかと。スマヌデス。
最後にもう一度だけ言わせて下さい。
みなさまー!! 読んでくださってありがとうございますー!!
とてもじゃないが想像できなかったですよ・・・まさに喫驚
ただひたすらに進む普通の少女の思い、忘却することとされることの恐怖、
悲しい戦い、少女達の本音・・・心理描写が実の秀逸ですいすい読めたため、
本文の長さはほとんど気になりませんでした
是非、是非ともディレクターズカット版を読ませてください。待っています
我ながらはまりすぎている選曲だと思う。凄いぞ俺。
閑話休題。
魔理沙だけでなく、咲夜もレミリアも眩しすぎて困ります。
ところで完全版は……でも少し冗長になりそうな気がするなぁ。
完全で瀟洒に調理してくださることを祈りつつ、首を長くして待たせていだきます。
GJ!
マリアリ万歳!
カリスマ万歳!!
東方バンザーーイ!!!!!
諦めないかぎりな、
「魔理沙にとってアリスは何?」ときいていたのかと勘違いした俺参上
深い意味は無かったんですね。
最後にアリスは何で助かったんでしょうか? まぁ今更ですが
なんでギャグ漫画日和ノリから一転してシリアスに変るんですか?
もうね、素晴らしいとしか。