Coolier - 新生・東方創想話

『素晴らしき世界~It’s beautiful world~』

2005/10/09 03:38:13
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「ふわぁぁぁああああああああ……あふ」

 一つ大きく欠伸して背筋を伸ばす。ばきぼきと背骨が不吉な音を鳴らしている。昨日は気の早い
松虫や蟋蟀の演奏会に付き合ったせいで少々寝不足だ。まぁ別に朝だからってする事がある訳じゃ
ない。虫の報せサービスはとっくに止めてしまったし(神社にモーニングコールをしてあげたら
本気でしばかれた。手加減も何もなく殺されるかと思った……)何か約束がある訳でもなければ試
験も何にもない。眠りたい時に眠り、起きたい時に起きる。我ながら気楽な毎日だ。

 ぐぐぅぅううううう~~~~~~

 どんなに気楽な生活でも生きていれば腹も減る。蟲使いといえども腹の虫だけは侭(まま)なら
ない。

「さて、朝ごはんは何にしようかな」

 この前、村の畑で紋白蝶の子供たちとキャベツをぼりぼり齧ってたら、髭もじゃのおっさんに
どつかれた。穀蔵虫と一緒に米蔵をがさごそ漁っていたら、農家のおばさんに尻を蹴っ飛ばされ
た。ならば人間でも喰ってやろうとしたら、変な帽子を被った髪の長い妖怪にたこ殴りにされた。
 兎角、この世は生き辛い。

 普通の蛍なら綺麗な水だけでも生きられよう。しかし蟲の王たるこの私、そのような物では事足
りない。具体的には炭水化物とかビタミンとか蛋白質とか。
 未だ成長期である我が身、まだまだ豊富な栄養を必要とするのだ。

「……成長期だよね」

 自分の胸元に目線を落とす。うん、成長期だ。きっと、たぶん、おそらく……

「お、そうだ!」

 そういえばそろそろ梨がシーズンオフ。私は梨のちょっと熟れすぎたヤツが大好きなのだ。初夏の
梨はちょっと酸っぱくて苦手、今くらいなら私好みの味になっている筈だ。それに熟れ過ぎて地面に
落ちそうなヤツなら、食しても農家のおっさんにどつかれずに済むだろう。こうみえても私は平和
主義だ。無益な争いは好まない。別におっさんが怖い訳ではないよ? うん。

「んじゃ、しゅっぱ~つ!」

 木漏れ日が差し込む森の中、私は透明な羽を広げて、青い空へと飛び出した。









           『素晴らしき世界~It’s beautiful world~』








 私は華麗に空を舞い、山の中腹にある梨園を目指す。
 秋の空は高く、鰯雲が段々畑のように重なり合い風もさらりとして心地良い。蛍の季節は
とっくに終わっているが、私はまだまだこれからだ。冬に備えて食い溜めしないといけない。

「お、見えてきた」

 山の一部をくり貫いたように広がる梨園、すでに収穫時期は終わり実もまばらに残るだけ。
 私は山の麓に降りると、歩いて梨園を目指す。
 繰り返し言うが別に農家のおっちゃんが怖い訳ではない。直接梨園に降りず、歩いてこそこそと
向かっているように見えるのも、単に山を歩いて登る事で小さな秋を見つけようという私の風流心
から生じるものであり、簀巻にされて煙で燻されたり、殺虫剤を振り掛けられたり、垂直落下式
ブレーンバスターを決められたらどうしようとか怯えている訳ではない。ホントだよ?

「右良し、左良し……」

 私は触覚をぴくぴくと動かし人の気配を探る。うん、大丈夫だ。この辺一帯に人の気配はない。
 それでも慎重に周りをきょろきょろ見回してから、梨園に足を踏み入れる。幻想郷に住む人間を
舐めてはいけない。頭が春な巫女や、押して駄目ならブチ破れな魔砲使いや、血に飢えたクレイジー
冥途は言うに及ばず、一般ぴーぷるも侮れない。なにしろこんな山の中に、こんな立派な果樹園を
造るくらいなのだ。樫の木の一本くらいベアハッグでへし折るのだろう、きっと。

 慎重に足を運び、一本の大きな梨の木に辿り着く。収穫はほとんど終わったようだが、まだまだ実
は残っている。地面には収穫の時に捨てられた梨が腐って、周囲に甘い芳香を漂わせていた。空気中
に漂う甘い香りに、秋の清々しい空気と肥沃な土の匂いをブレンドさせて胸一杯に吸い込む。それだ
けで幸せな気持ちになった。

「さてと……」

 さすがに地面に落ちたのを食べるのはちょっと抵抗がある。まだ枝に付いてる実を物色し、一番
美味しそうな実を探す。もう少しの辛抱だよ、腹の虫。最初の一口はやっぱ良い物を選ばないとね。
 この時期まで残っている実となれば、ほとんどが虫食いだ。だからこそ収穫されずに残っている
訳だが、それを見るたびに人間って馬鹿だなーと思う。虫が食ってるヤツこそが美味いのに。
 見掛けに囚われ、本質を見失うなんて勿体ない事だ。梨は美味いからこそ梨なのにね。

「お、これかな」

 太い枝の先に実る、一際大きな梨の実。あちこち齧られてはいるものの、ぷんと甘い香りがその実
から放たれている。
 私は手を伸ばしてその実を手にすると、「いっただきまーす」と言って齧りついた。
 途端に口の中に広がる芳醇な甘み。水気をたっぷり含んだ果肉を頬張る度に、幸せと満足感が手を
取り合ってワルツを踊る。あぁ、生きてるって素晴らしい。

 最初の一個を芯まで齧る。うん、大満足。質が満たされたなら次は量だ。幸い梨はまだまだ残って
いる。私は手当たり次第に梨を捥ぐと、しゃくしゃくと夢中で食べ続けた―――





「ふぃー満腹、満腹」

 私は膨れたお腹をさすりながら木の根元に座り込む。調子にのって食べ過ぎたか、ちょっと動くの
が苦しい。私は一本の梨の木に背中を預けたまま、麓に広がる景色をぼーっと眺めた。
 麓に広がる人間の集落。田んぼは黄色く色付き、収穫の時期を迎えている。もう二日もすれば人間
がわらわらと集まって刈入れを始めるのだろう。今年も豊作のようだ。良きかな、良きかな。

 吹き抜ける風が気持ち良い。満腹感も手伝ってちょっと眠くなってきた。
 遠くでとんびの鳴く声がする。空が高い。太陽がちょっとだけ優しい。

 あぁ、秋だなぁ……







「んぁ?」

 かくん、と身体が傾いて目を覚ます。どうやらちょっと眠ってしまったらしい。口元の涎を袖で
拭い目元をこしこしと擦る。空を見上げると、太陽は真上を通り越し西の空へと掛かっていた。朝飯
を食べに来たはずなのに、気が付けば昼をとっくに過ぎている。

「いけない、いけない」

 別に用事がある訳ではないが、あまりダラダラしているのは蟲の王として示しが付かない。

「確かあっちに川があったよね」

 まだ少し眠気が残っている。顔でも洗って気を引き締めよう。立ち上がるとちょっとだけくらくら
した。寝起きは良い方なんだけどなぁ。
 両手で頬をぴしゃぴしゃと叩き、気合を入れ直す。

 私は川に向かって飛ぶ。背中の羽を震わせると微弱な振動が背中をくすぐる。私は水の匂いがする
方へと羽を向けた。
 
「あった、あった」

 視線の先には小さな清流。この辺りの水は冷たすぎて仲間が住むには不都合だけど、飲む分には
問題ない。私は川辺に降り立ち両手で掬って顔を洗った。

「ぷはー」

 やっぱり随分と水が冷たくなってきている。眠気なんか一発で吹き飛んだ。ついでにもう一度
両手に水を掬ってこくこくと飲み干す。綺麗な水はやっぱり美味しい。レモン味じゃないのが残念
だけど。

「あれ?」

 ふと、顔を上げると、対岸の岩辺に一匹の青い蝶が止まっていた。

 見慣れない羽根模様。サファイアのような深い青とエメラルドのような濃い緑のグラデーション、
それを黒曜石のような艶のある黒色の幾何学模様が縁取っている。
 綺麗だ。あんな綺麗な蝶は今まで見た事がない。幻想郷には様々な種類の蝶がいるが、そのどれと
も似ていない。オオムラサキに似ている気もするが、鋭角な羽根の形が異彩を放っている。

「こんにちはー」

 私が蝶に向かって声を掛けると、蝶は羽根をぱたりと一度だけ動かした。

「キミは外国の人? 初めまして、だね」

 蝶はその青い羽根をはばたかせて、私の隣にやってくる。
 私が右手を伸ばすと、その指先にちょこんと止まった。

「うーん、ホントに綺麗だなぁ……私、キミみたいに綺麗な子、初めてみたよ」

 私がそう言うと青い蝶は嬉しそうに2、3度羽根を揺らす。私も何だか嬉しくなって思わず口元を
綻ばせた。

「やっぱりキミって、この国の生まれじゃなさそうだねぇ。どっから来たのかな?」

 こういう事は時々ある。この国のものとは思えない珍妙な虫たち、何処から来たのか、何時から
いるのか解らないけど、彼らは確かに此処にいる。この間は角が3本ある大きなカブトムシを見つ
けたし、その前には身体より大きな鋏を持ったクワガタムシもいた。絶対数が少ないため、繁殖し
生態系を覆すには至っていないが、最近このような変わった虫を見かける機会が増えたような気が
する。きっとこの子も、他所(よそ)から来たのだろう。

「ま、安心しなよ。キミが何処の生まれだろうと私は気にしない。此処は良いところさ。存分に
羽根を伸ばすと良い」

 む、ちょっと偉そうだったかな? まぁ最初くらい威厳のあるところを見せておかないと。
 一応、これでも蟲の王なんだからさ。

 青い蝶は私の指先を離れると、私の周りをぱたぱたと回る。どうやら懐かれたようだ。こんな綺麗
な子を侍らすなんて、私も罪な女だね。

 私は浮かれてくるくる回る。青い蝶もちょっと遅れて付いてくる。
 私ははしゃいで飛び上がる。青い蝶も負けじと高く飛び上がる。
 私が足を止めてすっと立つ。青い蝶も羽根をはばたかせ宙空に留まる。

 さぁ、お嬢さん、お手をどうぞ

 私は右手を胸元に、左手を背中に回し、背筋を伸ばして深々と頭を下げる。
 頭を下げたまま右手を空に掲げると、青い蝶が指先へ優雅に止まる。

 おや、お嬢さん? 私と踊って戴けるのですか
 それでは一緒に踊りましょう

 私と蝶は川辺で踊る。主役は典雅な王と宝石の姫。
 川のせせらぎと、木々の葉擦れが、宮廷音楽組曲。
 太陽のスポットライトを浴びて、私たちは踊る。
 私が回る。蝶も舞う。
 私が跳ねる。蝶も飛ぶ。
 私たちは、とても気の合うパートナー
 私たちは、今、この瞬間(とき)の主役

 綺麗な流れの傍らで、優しい陽光の下で、私たちはいつまでも踊り続けた―――








「あっははははははは……いやー疲れたねぇ」

 私は踊り疲れて、川原に寝っ転がっていた。
 青い蝶も疲れたのか、私の頭の上にちょこんと止まっている。

「あー風が気持ちー」

 涼しげな秋の風が吹き抜け、火照った身体を冷ましてくれる。川は水だけでなく空気の通り道
でもあるのか、時折強い風が吹いて私の髪をかき乱す。
 蝶も飛ばされないように必死だ。その姿が可笑しくて思わず微笑が零れた。
 私は両手を頭の上に掲げ、風を避けてやる。
 先程、昼寝をしたので眠気はないが、このまましばらく風に身を任そうと目を閉じた。




「さて、そろそろ行くか」

 もう太陽は西の空に掛かっている。まだ日が昇っているうちに晩御飯を探さなくては。
 私が立ち上がると、頭の上に止まっていた蝶も慌てたように飛び立った。

「私はもう行くけど、キミはどうする?」

 私の問い掛けに、蝶は再び私の頭に止まる事で答えた。

「そっか、じゃ一緒に行こうか」

 私がゆっくりと歩き出すと、蝶はぱたぱたと飛びながら付いてくる。
 本気で懐かれちゃったな。でもまぁ気持ちは判る。

 綺麗だろうと醜かろうと異種は異種。蟲の世界は非常にシビアだ。同じ蝶であろうと種が異なれば
絶対に相容れる事はない。近い種であればある程に生活圏が重なり、排斥しようとする力は強くなる。
 きっとこの子もずっと一人だったんだろう。寂しかったんだろう。
 私も蛍だけど蛍じゃない。仲間だけど同じじゃない。
 同じじゃないから王になるしかなかった。特別な位に付く事でしか、仲間との繋がりを持つ事が出来
なかった。

 私とこの子は似ている。なんとなくそんな気がした。

「そういえばキミの羽根の色の緑の部分、私の髪と同じ色だね」

 私は妹が出来たみたいで嬉しかった。
 青い蝶も嬉しそうに私の周りを飛び回った。



 私たちはゆっくりと山を下っていく。いつもならこんな小さな山なんかひとっ飛びなんだけど、
今日はこの子に合わせてゆっくり行こう。
 森を抜け、藪を掻き分け、木々を潜りながら下っていく。
 梨園に続くちゃんとした道はあるけれど、人間とかち合うのは遠慮したい。蝶はゆっくりとはばた
いて、時折、私の肩で休みながら付いてくる。
 ひさびさの歩きはしんどい。秋だというのに汗が頬を伝い呼吸が乱れる。私、鈍ってるなぁ。


 鈍っているからだろう。気が付くのが遅れたのは
 ふと振り返ると、青い蝶の姿がない。
 私は上下左右を振り仰ぎ、姿が見えないのを確認すると慌てて元の道を戻る。
 嫌な予感がする。虫の知らせ? くだらない、笑い話にもならない。
 私は走る。木が邪魔で飛べないのがもどかしい。
 森を抜け、藪を掻き分け、木々を潜りながら走り続け……そして見つけた。


 一際大きな楡の木と、妹分の青い蝶と、蝶を捕らえた白い蜘蛛の巣を


 白く立派な網に捕らえられた青い蝶。もがけばもがく程、白い糸に絡めとられていく。
 私は慌てて駆け寄る。この時は何も考えていなかった。ただ捕らわれた妹の元へ駆け寄っただけ。

 そして私は足を止める。
 視線に気付いたから。枝の上からじっと私を見つめている蜘蛛の目の。
 大人の拳くらいある大きな女郎蜘蛛が、感情のない無機質な瞳で私を見つめている。



 蜘蛛は目で語る 『邪魔をするな』 と。



 私は固まった。
 助けるなんて造作もない事。蜘蛛を追い払い、巣を破り、絡んだ糸を解いてやる。
 ただそれだけ、それだけの事。
 だけど私は動けない。
 だけど私は動くことが出来ない。
 思い出したから、思い出してしまったから

 私は『蟲の王』なのだと……


 白い糸にぐるぐる巻きにされた蝶、もう助けるには遅すぎる。蜘蛛は私に視線を向けたまま
ゆっくりと捕らえた獲物へ足を向ける。ゆっくり、ゆっくりと近づいていく。

 蜘蛛の脚が、あの子の身体に届いた時

 私は、その場から逃げ出した―――
















 ほぉーほぉー


 遠くで梟が鳴いている。
 まるで私を嘲笑っているかのよう
 私は塒(ねぐら)に戻ると、膝を抱えて赤子のように丸まっていた。

 私のした事は正しい。
 それは解っている。
 それは知っている。
 それは嫌ってほどに理解している。


 だからこれは無駄な思考
 だからこれは無駄な感情
 だからこれは―――



 でも―――


 だけど――――――












 結局、その夜は一睡も出来なかった。
 私は眠い目を擦りながら、塒から這い出す。
 今日も良い天気。太陽が憎たらしいくらいに眩しい。

 私は一つ深呼吸をして、朝の空気を肺一杯に詰め込む。
 そして吐き出す。一滴残らず搾り出す。
 朝の空気と一緒に、私の中のドロドロしたものを。
 顔が真っ赤になって、酸欠でくらくらして、思わず倒れこみそうになって―――

 それでやっと覚悟が出来た。

 私は、朝の空へと飛び出す。
 流される為でなく、自分の意思で生きるために。









 私は一本の大きな楡の木に辿り着く。
 見上げるそこには大きな蜘蛛の巣
 朝一番から、不幸な蝶がすでに巣に捕らわれている。
 その蝶は赤い羽根を狂ったように動かし、白い糸から逃れようと必死で足掻く。
 だが、もがけばもがく程、死という名の糸に絡み取られていく。

 その様を、私は自分でもびっくりするくらい冷静に見つめていた。
 ふと足元に目を向ける。そこにはとても綺麗な青い羽根が一欠片。
 今、私はどんな顔をしているんだろう?
 見てみたかった。
 見たくなかった。


 私は顔を上げる。一本の太い木の枝、そこには昨日と同じく感情のない無機質な瞳。

 瞳は私に問い掛ける 『何をしに来た』 と。

 だから私は答えた。言葉ではなく行動で

 私は巣へと歩み寄り、巣に捕らわれた赤い蝶をそっと助け出す。
 絡まった糸を丁寧に解いてやり、羽根を摘んだ指を解くと、赤い蝶は空へとはばたいていく。
 私は、飛び去る蝶を見送った。
 蜘蛛も、逃した獲物を見送った。

 後に残されたのは私たちだけ


 私は振り返る。大きな楡の木と、ボロボロの蜘蛛の巣と、私を静かに見つめる瞳がそこにある。



「蜘蛛の巣に捕らわれた蝶は何が悪かった? そう、運が悪かった。ただそれだけ」

 私は蜘蛛をじっと見つめながら問い掛ける。
 蜘蛛は感情のない無機質な瞳で私を見ている。
 私たちは静かに見つめ合う。
 言葉を交わすでもなく、睨むでもなく、ただ視線でお互いの存在を認め合う。

「獲物を横取りされた貴方は何が悪かった? そう、運が悪かった。それだけの事」

 私はもう迷わない。昨日一晩考えて自分で導き出した結論。
 正しいのか、間違っているのか
 それは知らない、解らない、答えなんかない。
 解っているのは、私がそうしたかったという事、それだけの事。

「私は謝らないよ。そして貴方を責めたりもしない」

 蜘蛛は私を見つめている。私は目を逸らさない。逸らしてはいけない。

「多分、私はこれからも助けたいと思ったら助ける。これは私の我が侭。だから貴方は私を憎んでも
構わない。私と出会った事が貴方の不運なんだ。だから……謝らないよ」

 蜘蛛は私を見つめる
 私は蜘蛛を見つめる
 長いようで
 短いような

 そんな、時間




 やがて、蜘蛛は私に背を向けて木の上へと昇って行った。
 何一つ文句も言わず
 何一つ責める事なく

 だから私は


「……ありがとう」


 私は、寛大なる捕食者へと頭を下げた―――











 私もそろそろ帰るとしよう。
 さて、これからどうしようか。昨日の夜から何も食べてないから、凄くお腹が空いている。今日
のご飯は何にしようかな。

「あれ?」

 目の前に一匹の蝶が降りてくる。その模様には覚えがある。先程助けたあの赤い蝶だ。
 私の周りをぱたぱたと飛んでいる。
 嬉しそうに
 楽しそうに

 私は、思わず顔が綻んだ。

「キミは運が良かったねぇ」

 本当は自分が間違っていると思う。喰らい喰らわれるのが蟲の世界の掟。変えられないルール。
 私だって生きるために生命を奪う。
 私だって誰かに喰われる可能性はある。
 だから、生きるために生命を奪う者の邪魔をする事は、世界の理に抗う事。
 生き残りたければ己の力で抗うしかない。
 それが出来ないなら喰われるだけ。そんな単純で、純粋で、絶対の理。
 それでも、まぁ……

「仮にも、蟲の王なんだからさ」

 それくらいの我が侭は見逃して欲しい。

 蝶は楽しげに私の周りを飛んでいる。私が軽く手を挙げると、指先に絡まるようにくるくると
回る。私は最後にもう一度微笑むと大きく手を空に伸ばした。
 私の手に誘われるように蝶は空へと大きくはばたく。澄んだ秋の空へと舞い上がる。
 
 青い空に、赤い羽根が映える。
 相反する色なのに妙に馴染んでいる。
 きっと空の青も
 きっと蝶の赤も
 とても優しい色をしているからだろう。


 綺麗だな、そう思った。
 
 自分のやった事に後悔がないと言えば嘘になる。
 これからも悩み続けるのだと思うと憂鬱になる。

 だから、まぁ―――これくらいの役得がないとね。
 
















「じゃあね」

 私は一度だけ手を振って、家路につこうと空に背を向ける。
 羽を広げ、飛び立とうとした時
 ひゅん、と風を切る音がした。

 振り返れば、青い空を横切る黒い影
 一羽の烏がその口に赤い蝶を咥え、そのまま西の空へと飛び去っていく。



 私は、ぽかんと口を開けたまま
 西の空へと消えていく黒い影を見つめながら

「侭ならないなぁ……」

 と、呟いた―――












                  ~終~







 こんにちは、床間たろひです。

 今回は蟲の人にスポットライトを当ててみました。ショタとかGとか色々言われておりますが
素敵な女の子になるように書いたつもりです。気に入って貰えると嬉しいなぁ。

 蟲の世界。それは人間からすれば考えられないくらい過酷な世界。そこに流れる理は、己の知る
理とは異なっているのが当たり前。いや、蟲に限らず、獣も、鳥も、そしておそらくは人間同士も。

 異なる価値観、異なるルール、異なる主張。
 どれが正しくて、何が間違っていて、どうすれば良いのか
 
 答えなんてある訳ないです。理解できる筈もないです。理解したと思っても幻覚に過ぎないです。

 だからせめて、自分の世界=世界ではなく、色んな世界の寄せ集め=世界だと認める事が出来れば
少しは優しくなれるかもしれないなぁ……と、思ったりなんかしちゃったりして。

 それでは、また。
床間たろひ
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コメント



0.6000簡易評価
25.80大石削除
世界は美しい、しかし優しくは無い。
だが、それ故に生命は強く逞しく在ろうとするのでしょうか。
儚く、美しい作品でした。
26.70aki削除
たとえ虫の王であろうとできることはたかが知れている。
それは人であっても、妖怪であっても変わらないんですが。
「侭ならないなぁ……」
最後の一言は、そんな自分に対するやりきれなさのような感情が言葉になったのかも。

うーむ。
それにしてもやっぱりリグルは男の子っぽい。
まあ、そこは成長期ってことで。
31.70(ry削除
なんか色々と考えさせる文章だった。
でも確かにこれはすばらしい世界。
36.80名前が無い程度の能力削除
どうも「Beautiful World」と聞くとキノの旅を思い出してしまうなぁ・・・それはともかく

高位にある者には「ROYAL DUTY(ロイヤルデューティー)」があり、
栄誉ある立場に見合った義務と責任が問われるといわれています。
しかし逆に高位の者には「役得」も存在する。王なればこそ許される気まぐれ、
それもまた一つの真実。それは許された範囲ならばすなわち暴君というわけではない。
王は高貴な義務と僅かばかりの自由がある・・・ということですかね。
39.90ABYSS削除
生きるということはとても過酷で、とても苛烈で、でもとても嬉しいこと。
美しい世界がある。そこに在れる。それが、私たちの役得そのものなのかもしれません。
そんな、忘れてしまいそうなことを思い出させるお話でした。
41.90名前が無い程度の能力削除
面白い視点ですね。
自分の中で世界が広がっていきました。
49.80おやつ削除
着眼点にセンスを感じました。
いろいろ考えさせる内容なのに、最後の呟きですとんと胸に落ちてきた感じです。
ご馳走様でした。
52.無評価床間たろひ削除
読んで下さった方々、感想を書いて頂けた皆様に心からの感謝を。

副題は歌から取ったのですが、そういや「キノの旅」の副題もそうでしたね。
今日、本屋に行ったら「キノの旅」の新刊が出てたのでビックリでした。
「キノの旅」大好きです。
あの物語に流れる優しさと、暖かさと、残酷さが……

未読の方には、読んで貰えると嬉しかったり。
53.90名前が無い程度の能力削除
色々考えさせられました。GJです。
82.80豆蔵削除
実はキノ好きだったりするのです。
あの物語のような雰囲気がとても良かったですが
そこに練られた氏の感性にも感動しました。

リグルっていい娘や・・・!
85.100大根大蛇削除
動物と言うのは、他の生命を犠牲にしなければ生きていけない。
そんな、当たり前だけれど、なかなか意識できない真理を改めて考えさせらるお話でした。
リグルが主役で、こうしたお話がお話が読めるとは思いませんでした。
それに、題名と最後の呟き。心に残る文章です。
88.無評価床間たろひ削除
ご感想、ご拝読、誠にありがとうございます。

この話を考え付いた時は、ちょっと地味すぎるかなーと思ってました。
言っちゃえば、蜘蛛の巣から蝶を一匹助けるだけですしね。
だからこれだけ評価頂けたのが、信じられないというのが本音です。

でもねー書いてるうちに、リグルが可愛くって仕方なくなるんすよ。
今までもそうだけど、書いていくうちにそのキャラをどんどん好きに
なっていく。それが楽しくて、俺はSS書いてるんだなぁ、と。

これからも頑張りますので、宜しくお願い致します!



94.80名前が無い程度の能力削除
ままならない。究極的に換言していけばその一言で十分なんですよね、人生。
それでもそこに多様性を求めようとするのは……人間に理性があるからでしょうか?

むしろ五分の魂を持っている生き物のほうがよく悟っていると思いました。
98.90名前が無い程度の能力削除
リ、リグルってこんなに可愛くていい娘だったのか……。

僕なんか文とかみすちーに捕食されるリグルの話ばっか考えてしまうのに……!

なんか凄いところに目を付けておられる……。
最高、いいリグルでした。gj
99.無評価bernerd削除
テーマがとても良かったと思います。
そして貴方のなかのリグルへの想いがひしひしと伝わってきて……いやはや美しい。
副題は、自分はキノは思い浮かばず歌が出てきましたが、上手く付けたなあと思いました。
101.90bernerd削除
OTLなんか点数付いてなかった
102.無評価床間たろひ削除
改めましてご拝読ありがとうございましたっ!

bernerd様 貴方様の作品においてドアホな勘違いをしてしまい申し訳ありま
せんでした。タイトルは一番頭を悩ませたところだったので気に入って頂けて
嬉しいです。最初は「Bug’s L○fe」だったのは内緒ですよ?

名前の~様 えへへーリグルを気に入ってくれて嬉しいです。捕食されるリグル
も好きなんですけどね。涙目の似合う子だと思います。

名前の~様 中々人生侭なりませんよね。運命論は好きじゃないですが、どう
やってもどうにもならない事があるのも事実。ただそれでも足掻くしかないんです。人も、蟲も。



106.80日間削除
自分もキノを…とそれはいいとして。
侭ならないからこそ半端のない、話の展開と結末に不思議と安堵したのでした。
111.80たまゆめ削除
自然。・・・自然。
とても ウツクシイ シゼン

ご馳走さまでした。
112.無評価床間たろひ削除
>たまゆめ様 えへへーお粗末さまでしたっ 楽しんで頂けて嬉しいです。

>日間様 キノ好きとの事で。下でも書きましたけどキノは私も大好きです。
     だけどこの作品を書いてる時は、全然キノと事は頭に無かったん
     ですよ(ずっと新刊出てなかったし)。でも、自分で読み返すと
     そこかしこにキノテイストが。
     何度も読み返したせいで、血肉になっちゃってるんだなぁ、と。
     あーゆー何度も読み返したくなるような、読む度に印象が変わる
     ような物語を書くのが、私の目標です。

嬉しい気持ちは擦り切れる事は無い。だから何度でも言います。
皆様、読んで下さってありがとうございました。          
118.90コイクチ削除
リグル可愛いよリグル!(挨拶)
良いもん読ませていただきました。地球号なお話でした
122.100OMI削除
どこぞのカミナリを吐く魔物じゃないですけど「優しい王」だなあと感じました。
リグルがこのまま「優しい王」で在り続けるなら、それはきっと蟲達にとって「素晴らしき世界」なのでしょうね。うむ、今日も元気に生きていこう!
126.100HR削除
しみいりました。
131.90はね~~削除
 蟲の世界……というか、生き物達の世界そのものにスポットを当てたストーリーですね。青い羽の蝶と踊るリグルの姿が、はっきり目に浮かび、その姿の素敵さにしばし見ほれると共に、蜘蛛に散らされる姿もしっかり脳内に想像されて何とも鬱に(涙)

 描写の美しさやリグルの心情が何とも心に来るのは、素晴らしいとしか言いようがありません。
 が、何より凄いのは生き物の儚さを見事なまでに描き出している事です。ちょっと鳥肌が立つ程に。
 そして、この話はある意味幻想郷の縮図にもなってますよね。妖怪は人間を食うし、妖怪は人間に退治される。考えてみたら、幻想郷って現実世界では既に崩れている食物連鎖のピラミッドが完全な形で残っているんだなーと、ふとそんな事を考えたりしました。
(我々のいる世界は人間が最強になっちゃってますからねー)

 過酷ではあるけれど、その中で短い間を精一杯楽しく生きる世界。ビニールハウスで育てられている薔薇を見ても絶対に分からない感動と美しさを、確かに見せて貰いました。

>リグルの立ち位置
 この世界のルールとしては正しくないかもしれません。でも、そんな中でも自分なりに悩んで、苦しんで考えて、そして蝶を助けたリグルが私は大好きです。ラブ。はいてなければ、もっとラブ(何の話だw)素敵で、それでいて本当に可愛らしいリグルを見させて頂きました。

>蟲の王
 レミリアも言ってます。「私は夜の王なんだからその位見逃してよ」と。恐らく、床間さんも考えて使ってらっしゃると思いますがw(ふふふw)
 ちょっと我侭だけど、このお話のリグルが私は大好きです。つか、私の中でのリグルイメージが床間さんのお陰で固まったのですよ~。

 では。これだけ時間が経過して今更こんな長文感想誰が見るねん! って感じな気もしますが(苦笑)読めて幸せでした、心からの感謝を。
 ちなみに、10点だけ引いたのは、私の我侭です。いや、青い羽の蝶がやっぱし可哀想で可哀想で(こら)
138.100名前が無い程度の能力削除
思えばリグルって一番残酷な世界観の中でで生きているのかもしれない。
自分と同じ種族(人)が日常的に食い合うなんて俺にはしっかりしたイメージがわいてこない。
もこてる組とはまた違う「死」への哲学がありそうだ。
147.100名前が無い程度の能力削除
いいね~
リグル好きには堪らんですよ