紅魔館の中にある書斎、ヴワル魔法図書館。
太陽の光を通さず、空気が淀んだ密室であるこの場所は、本には快適だが、恐らく健康には最高に悪いだろう。
幻想卿中の知識が詰め込まれているといっても過言でないこの場所は、それに比例して大量の書物と広さを保有している。
薄暗い灯火が照らす図書館の中、今日も今日とて、いつもの席にいつもの知識と日陰の少女。
「…本を持って行きたいなら、貸してあげるからせめて声を掛けて頂戴。」
そして。
「おぉ、見つかったぜ。」
いつもではないが、たまに来る普通の黒魔術少女。
ちなみに、見つかったと言ってる割には、隠れようとしていた様子は微塵も見受けられない。
「目当ての本?」
「いいや、私がだ。」
その上、見つかったことは全く気にしてる様子も無い。
「魔理沙、なんでいつも忍び込んでくるの?」
魔理沙と呼ばれた少女は、持ってきたホウキを机に立て掛けて、いつもの席に座っているパチュリーの隣の席に腰掛ける。
「失礼だな。玄関から堂々と入っているのに何で忍び込んだことになるんだ?」
冗談でもなんでもなく、魔理沙ならやりかねない、と思いそれ以上は追求しなかった。
「そ…そう、ならいいわ(…何をやってるのかしら、あの中国は。)」
本当に、紅魔館の猫はザルばかりだと思いながら、読んでいた本を閉じた。
「あれ?その本全部読んでないだろ?珍しいな、パチュリーが本を途中で読むの止めるなんて。」
「不要な知識を頭に入れる必要はないでしょう?」
魔理沙の指摘に、パチュリーは席を立った。そのまま本を抱えて、書架に戻しに歩いた。
パチュリーは本を魔理沙から隠したかったようだが、席を離れる際に魔理沙にタイトルが見えるように本を抱えてしまっていた。
『色々と黒いのと積極的に仲良くなる方法』
「あぁ、たしかにそれはあまり役に立ちそうに無いな。
しかも色々と黒いのって何だよ。カラスや蝙蝠でも使い魔にするのか?」
パチュリーの白い顔が赤くなり、書架に向かう足が少し速くなった。
「その二つは、もうお手つきだから。」
そういって誤魔化し、本を書架に戻して、自分も席に戻る。
自分が席に戻るまで、魔理沙がずっと座っていた。
「本、探さないの?」
横目で魔理沙を見る。
「ところでパチェリー。これだけ広い図書館、一体何百万冊の本があるんだろうな。
自分のマジックアイテムが家の何処にあるのか分からなくなるような私に、目的の本が探せるわけないよな。
ああ、誰かこの図書館を熟知している奴が一緒に探してくれたらラクなんだが。」
頬杖をしながら、期待の篭った楽しそうな目でパチェリーを見る。
恐らく最初からこのつもりだったのだろうか?
たしかに、この図書館でパチュリーの下で働くメイドや小悪魔に見つかったら、ほんの少し面倒なことになるだろう。
だが、パチュリー自身は慣れた…というより諦めきった様子なので、魔理沙を見つけてもあまり口うるさくは言わない。
「…で、どんな本を探してるの?」
「薬品の合成とか、道具に魔法を込めたりするのに参考になるような本はあるか?」
それならこっち、と席を立ち上がり、魔理沙を誘導する。
合成や道具に関する本は、この席からほんの少し離れたところにある。
歩きながら、魔理沙に尋ねる。
「道具に魔法って…どんなことをするの?」
その分野はパチェリーもそこそこ出来る。
曜日を象徴するそれぞれの精霊の力を、道具に宿すのだ。
精霊の性格によって道具との相性があったり、精霊を宿すと性質が変わったりしてしまう事があるため、やや使いにくいが。
「あぁ、私のホウキを強化しようと思ってな。
全速力で飛ばしているときに、あの鴉天狗に追い抜かされたのは悔しかったぜ。」
相槌を打ち、魔理沙のホウキを見る。柄が木製で、ふさの部分が藁で出来ている。
「そのホウキと、使用目的から考えると…木の精霊と相性が良さそうね。
ホウキは木で出来ているみたいだし、風を操るのも木の精霊の能力の範疇よ。」
もし私で良かったら、ホウキを強化してあげれると思うけど…。
そう言いたかったが、言葉に出来なかった。
「そうか、なるほど…。けど私は精霊魔法が使えないからな。
頼むのも悪いし、少し試行錯誤してみようと思う。で、参考になる本はどれなんだ?」
そう。この少女は自分でやろうとするのだ。
あの紅白の巫女のように才能と運に異常に恵まれてるわけでもない。
彼女が魔法使いとして実力があるのは、努力の末の結果なのだ。
以前、魔理沙が紅魔館に潜入して、このヴワル魔法図書館で戦ったときの事を思い出す。
あの時、戦いながらパチュリーは、魔理沙の弾幕にいくつか改善できるであろうポイントをみつけた。
しかし、今までそれを指摘したことはなかった。
だが彼女が勝手に持ち出していく本から考えるに、それらの改善点は直していったのだろう。
目に見えないところで努力をしているが、それを決して表に出さない。
今はこうしてパチュリーに少し世話になっているが、その姿勢は変わらない。
ひねくれている所があるが、活発で努力家。
彼女のそうしたところは、内向的なパチュリーには羨ましく思えた。
「魔理沙のことだから、多分繊細な作業は苦手そうね。
エンチャントの基本的な事柄を纏めてある本でいいかしら?」
そして、彼女が努力の階段を上るのに、自分が少しでも役に立っている。
そう考えると、少しばかり恥ずかしいが嬉しくなる。
「ああ、それで頼む。正直苦手そうな分野だからな。」
「それでもやるんでしょう?気をつけてね、下手に魔力を込めた道具は暴走することもあるから。」
「おぉ、そいつは怖いな。そうなったら、パチュリーが助けに来てくれ。」
本を受け取り、冗談を言いながら笑う魔理沙。
いつも同じような表情のパチュリーに、魔理沙は色々な顔を見せてくれる。
(魔理沙は、私の事、友達…って思ってくれてるかな。)
100年程の付き合いをしているレミリアを覗くと、パチュリーには友人と呼べる程交流を持つ人間は魔理沙しかいなかった。
それを考えると、少し魔理沙に申し訳なかった。
(ううん…魔理沙に私の何かを知ってもらったことなんて、殆ど無かったはず。
もし、魔理沙と友達になるのなら、もっと私の事…知ってもらわないと。)
「おーいパチュリー、何ボーっとしてるんだー?」
考え事を中断する。ふと前方を見れば、魔理沙がかなり先の方でこちらを見ていた。
「あ、ごめんなさい、今行くから待ってて。」
返事をし、思わず駆け出す。
本来のパチュリーならば、まず走り出したりしないだろう。
だが、考え事をしている中急に呼ばれたことと、呼んだ相手が魔理沙だったこと。
それらが判断を鈍らせ、反射的に魔理沙の元へ駆け出してしまった。
「おいおい、図書館内じゃあ走るのはよくないぜー?」
魔理沙が言った時には、既に遅かった。
空気が淀み、埃が溜まっている図書館内で喘息持ちの魔女が走ったらどうなるだろう。
「…う、ごほっ、ゲホゲホッ!」
(あぁ、魔理沙の見ている前で…みっともない。
すぐに収まってくれるといいなぁ…。)
そんな事を考えながら、酷くなっていく喘息の発作に酸素を奪われていく。
「パチュリー!」
魔理沙が駆け寄る。
激しい咳を繰り返しながら、パチュリーは魔理沙がたどり着く前に意識を失った。
窓から見える景色は広かった。
小高い山の頂上に作られた洋館。私は、生まれた頃からそこをあまり出たことが無かった。
生まれつき喘息を持っており、貧血も起こすので誰か付き添いでも居なければ、山を上り下りできない。
山の麓には集落があり、人々がそこで日々の何気ない営みをしている様子を、洋館からは一望できた。
楽しそうに広場に集まり、鞠を蹴りあっている子供。
にぎやかな市場が開かれ、活きの良い野菜や魚が売られ、猟師が獲って来た肉を焼いた香りがあたりを覆う。
買い物をしにきた婦人が商人と交渉をし、ある客は満足し、ある客は不服そうに、値段を払っている。
建材を組み立て、神社の境内に物見やぐらのようなものを作り上げて行く男達。
どうやらその日は祭りらしく、男達が組み立てている台に乗せる太鼓や、そこからぶら下げる提灯などがあたりに積まれている。
その様子を見たところで、別に私が祭りに参加できるわけでもない。
つい先程の昼食の後服用した薬が効いて来たのだろうか、少し眠くなってきた。
私は、まどろみに身を任せて眠りについた。
目を覚ませば、日は沈みかけていた。
窓から差し込む夕日が美しく、一日の終わりを告げようとしていた。
集落の様子を見れば、子供達は母親に手を引かれ、または一人で、それぞれ家路に着く頃合だ。
しかし、今日は祭り。本来ならば少しずつ少なくなっていく人影が、かえって増えていく。
私は、少しその様子を眺めた後、ドアがノックされた。
夕食の時間だろう。ベッドから起き上がり、ドアの元に向かう。
一度だけ、ちらりと窓のほうを振り返り、廊下に出る。
召使いに手を引かれ、無意味に広すぎない程度の大きさの食堂に通された。
そこで私は、ほんの少しだけの夕食を食べ、食後に出される薬を飲む。召使いは給仕をするだけで、特に何かを喋ったりはしない。
「…ごちそうさま。」
静寂に包まれた食事を済ますと、私は一人で部屋に戻る。召使いが見送ろうとしたが、一人で大丈夫、と追い払った。
部屋に戻る際、書斎に寄る。中から一冊の本を取り出し、部屋に向かう。
持ってきた本を枕元に置き、ベッドの上に座って窓の外を見る。
日が完全に沈んでいた。祭りが本格的に始まっているのだろうか、境内には出店が沢山並んでいる。
先刻組み立てられていた台には太鼓が置かれ、屈強な男が両手に撥を持ち、太鼓を打ち鳴らしている。
それに合わせて、円になった人々が踊っている。皆一様に、活気がある。
夜空を彩る光と、夜空を振るわせる音の波。
打ち上げ花火だ。
祭りの場に居る人々が花火を見上げる。おそらく、夜を彩る祭りの風物詩の登場に酔いしれているのだろう。
私の部屋の窓からも、その花火は見える。
いや、恐らく一番よく見えるのではないだろうか。
ある程度の高さと視界を確保し、方向もぴったり。
何より、周囲に人が居ない。だから邪魔になるようなものはないから、綺麗な彩りの花火がよく見える。
その筈なのに。
私の心は、酔いしれるどころか、ほんの少しの悲しみの色をたたえている。
枕元から魔道書を手に取り、目を花火からそちらに移す。
昔、召使いに付いていって集落に降りたことがあった。
どうやら集落の人々は私の事を知っているようだった。私はこの人達の事を誰一人として知らないというのに。
後ろで、恐らく(見た目上では)私と同じくらいの子供達…10歳前後だろうか…が、私を指差してこう言っていた。
「なぁ、アレってもしかして、山の上の館の魔女ってやつか?」
「え、そうなのか?」
「肌は病人みたいに白くって、見慣れない服装を着ていて、紫色の髪だったらそうだ、ってとうちゃんが言ってたぞ。」
「へぇ、それじゃあその魔女なんじゃないか?なんでこんなところに来たんだろうな。」
「さぁな。けど関り合いは持たないほうがいいんじゃないか?妙なまじないやら呪いでもかけられたらたまらないし。」
「そうだな、目を付けられないうちに逃げようぜ。」
と、勝手な推測だけ立てて逃げて行った。
(ただ、近くで見てみたかっただけなのに…。なんで、私を避けるんだろう。)
それ以降、私が集落に降りることは無かった。
身体を包む柔らかさと、右手に暖かみを感じる。
(あぁ…発作で倒れて、夢を見てたのね。随分と昔の…あまり思い出したくない記憶。)
閉じた目を少しずつ開くと、ベッドの横で誰かが手を握り、パチュリーの様子を窺っていた。
「大丈夫か?まだ苦しいか?急に走り出したくなったりしそうにないか?」
視界はややぼやけていたが、目が覚めた病人にこのように気の効いたことを聞く人間は一人しか浮ばない。
「ありがとう、魔理沙。大丈夫…うん、苦しくもないし、普段の私は、急にでもなくても走ったりしない。」
恥ずかしいところを見られてしまったと思いつつ、倒れてからの世話をしてくれたであろう魔理沙に感謝する。
本当に、自分は何をやってるのだろう…。情けなさがこみ上げてくる。
「失礼します、魔理沙、パチュリー様起きた?」
ドアがノックされ、紅魔館のメイド長である咲夜が部屋に入ってくる。
手に持ったトレイには、水差しとグラス、それに粉薬の包みが乗せられている。
「大丈夫ですか?いきなり図書館で走り出して喘息だなんて、らしくありませんね。」
心底珍しそうに尋ねる咲夜。
パチュリーが走ったりするところは、レミリアですら殆ど見たことが無いだろう。
「少し慌てていて…ごめんなさい、気をつけるわ。」
咲夜から薬を受け取り、水で流し込む。ちょっと苦い。
ふぅ、と一息を付く。
室内を包む静寂。例え魔理沙といえど、起きたばかりの病人の前で騒いだりはしないだろう。
「…それでは、私は失礼します。パチュリー様、どうかお大事に。」
ええ、と返事を返し、咲夜が部屋を出るのを見送る。
「しかし、急に走り出すとは…本当にどうしたんだ?」
魔理沙が話を切り出す。原因に話を切り出されるというのは中々ないのではないか?
少し思案してから、口に出す。
「考え事を…していたわ。」
「考え事ねぇ、新しいスペルの合成か?」
「ううん、違うわ。少し、自分のことをね。
偶然かどうかわからないんだけど、倒れてる間、昔の事を思い出したの。
ちょっと昔、嫌なことがあって、それがとても辛かったの。」
ゆっくりと紡がれる言葉。魔理沙は静かに耳を傾けていた。
「それで…関わりから避けるように本ばかり読むようになって…。
こんな私でも、まるで友達みたいな気軽さでいつも話してくれる魔理沙の存在が嬉しくて、羨ましくて…。」
「それは違うぜ、パチュリー。」
突然の否定。パチュリーは戸惑っているが、魔理沙は気にせずに言い放つ。
「友達みたいな、じゃない。友達だから、だぜ?」
気軽な口調で放たれる言葉。しかしその目はしっかりとパチュリーを見据えている。
ああ、目の前の少女は、こんな自分の事を友達と呼んでくれるのか。
パチュリーは、胸の奥からこみ上げてくる感情を抑えて、魔理沙に尋ねる。
「ねえ、魔理沙…お願いがあるんだけど。」
「なんだ?」
「もしよければ、今から少し、連れて行って欲しい場所があるの。
我侭なお願いでごめんなさい、でも、今じゃないと、駄目な気がして…。」
パチュリーは少しうつむく。介抱までしてもらった挙句、自分は何を言ってるのだろう。
「いいぜ。私のホウキも、あと一人くらいならなんとか乗れるスペースがある。
そっちの調子も少し落ち着いたみたいだし、早速行こうぜ?」
しかしそんな気持ちも吹き飛んだ。
快く引き受けてくれた魔理沙に感謝して、二人は外に出てホウキに乗って空を飛んで行った。
魔理沙のホウキで空を突っ切り、パチュリーの目的の場所に辿り着いた。
小高い山の上に建てられた洋館。山の麓を見渡せば、人々が暮らしている集落があり、その様子を一望できる。
目の前の洋館からは生活の気配が無く、無人のようだった。
「中々の屋敷だな。何かめぼしいものでも無いか…」
「私、昔ここに住んでいたの。」
パチュリーの言葉に、空き巣に入ろうとした魔理沙が固まる。
「…そうか。じゃあ、ここが。」
魔理沙がパチュリーの方を向く。パチュリーが頷く。
「ええ。さっき言った『嫌なこと』があった場所。」
さぁ、っと風が吹き抜ける。二人は帽子を押さえながら、目の前の館を眺める。
「…小さい頃から、私は喘息を持っていたの。
魔女としての才能にはそこそこ恵まれていた。けど、今も昔も喘息のおかげでスペルが唱え切れなかったわ。」
「パチュリー…。」
「この館には、私と何人かの従者が居ただけ。なんでそこまでされていたのかは、覚えてないんだけどね。」
そう言って、無人の館の玄関を通り抜ける。魔理沙がその後を黙ってついていく。
廊下を歩きながら、魔理沙はパチュリーの表情を伺う。
(…少し悲しそうじゃないか。)
この館でどんな事があったのか。それは少しずつパチュリーが語りだしてくれるだろう。
しかし魔理沙には、パチュリーがそのような表情を浮かべていることが何より許せなかった。
だが今は、黙して目の前の友人の話に耳を傾ける。
やがてドアの前でパチュリーが立ち止まる。
「ここが、私の部屋。」
ドアを開く。
大きめなベッドがあり、そのベッドの壁には窓が付いており、そこから外を見れば、集落が見える。
それ以外に家具といえば洋服ダンスが一つと、机と椅子が一セットあるだけだった。
「一日の殆どはベッドの上だったわ。
食事でホールに行く以外には、書斎に本を取りに行くくらいしか出歩かなかった。
外に出るのも基本的には禁止されていたわ。数える程度の回数だけ、召使いと山を下ったことがあったけどね。」
ベッドの上に腰を掛け、窓の外に目をやる。
「つまり、殆ど私にとって、外っていうのはここから見える世界だけだったの。
初めて外を出歩いたときのことは、本当によく覚えてる。
大地に緑が茂り、木々が風でざわめき…。外の世界、自然っていうものを鮮明に感じた。
それ以来、私は精霊魔法に興味を持つようになったわ。」
喋りすぎて少し疲れたのだろうか、ふぅと一息をつき、暫くして語りを再開した。
「…ここから見える、あの集落。
人って言うのは、ああやって色んな人と関りあって生きて行くんだなって、思いながら見てた。
けど、私はなぜ関り合えないの?喘息で外を出歩けないから?
本当は誰かと話をしたり、一緒に遊んだりしたかった。けど、それができなかった。
…私、魔女だから。あそこの人たちに、とても怖がられていたみたいだったの。」
いつの間にか、目に涙を浮かべていた。
「私、自分が怖がられてるって知ったとき、怖がられてる自分が嫌いになった。
なんで魔女に生まれたんだろう、なんでこんな館で暮らさなければならなかったんだろう…って。」
大きな枕の下に手を入れる。一冊の薄い本が出てきた。
「…ずっと、魔法の勉強の合間に、この本を読んでた。
怖がられていたドラゴンが、人間たちと、少しずつ仲良くなっていく話。」
パチュリーの頬を一筋の雫が伝っていく。
「でも、そんな風になることなんてなかった。
その後も私の噂は広がるばかりで、最後にはここを離れなければならなくなったの。」
目から溢れる涙の量が増えていく。
それはまるで水門のようで、一度開いたら怒涛の勢いであふれ出す。
「魔理沙は……そんな私にも構ってくれた。
友達、って…呼んでくれた!
…無理矢理つれてきた…挙句、長い話を聞かせちゃって、ごめんね…。
でも、魔理沙には…知って欲しかったの…!」
嗚咽交じりに、言葉を締めた。
目の周りを赤くして泣きじゃくるその姿は、普段の彼女からは想像も出来なかった。
「そうか…。うん、ありがとな、パチュリー。」
子供のように泣きじゃくる知識と日陰の少女の背中に、魔理沙が手を回す。
とんとん、とんとん、と手の平で背中を叩く。
「そんな事があったんだな…。けど、それを引き摺るのは間違いだな。」
腕の中で少しずつ嗚咽が小さくなっていく所へ、優しく言い諭す。
現在は過去があり、それを元に成り立っている。
だが、過去は過去であり、生きているのは今。
「今のパチュリーは、もう一人じゃない。違うか?
100年近く友達をしてくれたレミリアが居る。
身の回りの世話をするだけじゃなくて、ちゃんと心配をしてくれる咲夜だっている。
言葉責めにされながらも、お前を敬っている中国だっているだろう。
それに…お前自身が、そんな重要なことを話すくらいに信頼してくれている、私だっているじゃないか。
お前が昔の事を引き摺る必要なんて、もうないんだ。誰も怖がったりしない。」
ぎゅっ、と腕に少しだけ力を入れる。
それに答えて、魔理沙に回された腕もぎゅっ、と締まる。
ほんの少しだけ強くなった嗚咽が収まるまで、二人はそのままで居た。
パチュリーが落ち着き、泣いて赤くなった目も元通りになったので、紅魔館に戻ることにした。
山の上の館の前で魔理沙が立ち止まり、パチュリーに尋ねる。
「忘れ物、ないな?」
「…うん。」
「これから先、必要なものは持ったな?」
「うん。」
「…じゃあ、この館は、もう必要ないな?」
「……うん。」
よしと頷くと、魔理沙は館から少し離れたところに、館と向かい合うように立った。
ホウキを足元に置き、片手を掲げると、人差し指と中指の間に一枚の札が現れた。
『恋符 マスタースパーク!』
スペルを高らかに宣言し、札を宙に浮かせて両腕を前に突き出す。
「ちょ…魔理沙、そこまでしなくても…。」
パチュリーの抗議も、魔力を編み始め集中している魔理沙の耳には入らなかった。
魔理沙が集めた魔力が、両腕の先に収束する。
「いっけええええええええええええええええええええ!!」
魔理沙の声と共に、恋の魔砲が発射される。
膨大な量の光と熱と音が、館を覆う。
魔理沙の魔砲が、パチュリーの嫌な記憶を吹き飛ばして行く。
やがてマスタースパークが収まると、館は跡形も無く吹き飛んでいた。
「ふぅ…綺麗になったぜ。
どうだ、パチェ?これでお前の嫌な過去は形の上ではなくなった。
あとは、お前次第だぜ。」
唖然としているパチュリーの心に、魔理沙の言葉が響く。
魔理沙がホウキを手に持ち、またがる。
「さ、帰ろうぜ。」
「…うん!」
魔理沙の後ろに、いわゆる「お姫様座り」の格好でホウキに乗ると、魔理沙に腕を回した。
「よっしゃ、それじゃ飛ばすぜ。しっかりつかまってな!」
ビュン!と疾走する魔理沙のホウキ。
満ち足りた表情で魔理沙に後ろから寄り添うパチュリーの手には、一冊の薄い本があった。
「…魔理沙、ありがとう。閉ざしていた扉を、こじ開けてくれて…。」
太陽の光を通さず、空気が淀んだ密室であるこの場所は、本には快適だが、恐らく健康には最高に悪いだろう。
幻想卿中の知識が詰め込まれているといっても過言でないこの場所は、それに比例して大量の書物と広さを保有している。
薄暗い灯火が照らす図書館の中、今日も今日とて、いつもの席にいつもの知識と日陰の少女。
「…本を持って行きたいなら、貸してあげるからせめて声を掛けて頂戴。」
そして。
「おぉ、見つかったぜ。」
いつもではないが、たまに来る普通の黒魔術少女。
ちなみに、見つかったと言ってる割には、隠れようとしていた様子は微塵も見受けられない。
「目当ての本?」
「いいや、私がだ。」
その上、見つかったことは全く気にしてる様子も無い。
「魔理沙、なんでいつも忍び込んでくるの?」
魔理沙と呼ばれた少女は、持ってきたホウキを机に立て掛けて、いつもの席に座っているパチュリーの隣の席に腰掛ける。
「失礼だな。玄関から堂々と入っているのに何で忍び込んだことになるんだ?」
冗談でもなんでもなく、魔理沙ならやりかねない、と思いそれ以上は追求しなかった。
「そ…そう、ならいいわ(…何をやってるのかしら、あの中国は。)」
本当に、紅魔館の猫はザルばかりだと思いながら、読んでいた本を閉じた。
「あれ?その本全部読んでないだろ?珍しいな、パチュリーが本を途中で読むの止めるなんて。」
「不要な知識を頭に入れる必要はないでしょう?」
魔理沙の指摘に、パチュリーは席を立った。そのまま本を抱えて、書架に戻しに歩いた。
パチュリーは本を魔理沙から隠したかったようだが、席を離れる際に魔理沙にタイトルが見えるように本を抱えてしまっていた。
『色々と黒いのと積極的に仲良くなる方法』
「あぁ、たしかにそれはあまり役に立ちそうに無いな。
しかも色々と黒いのって何だよ。カラスや蝙蝠でも使い魔にするのか?」
パチュリーの白い顔が赤くなり、書架に向かう足が少し速くなった。
「その二つは、もうお手つきだから。」
そういって誤魔化し、本を書架に戻して、自分も席に戻る。
自分が席に戻るまで、魔理沙がずっと座っていた。
「本、探さないの?」
横目で魔理沙を見る。
「ところでパチェリー。これだけ広い図書館、一体何百万冊の本があるんだろうな。
自分のマジックアイテムが家の何処にあるのか分からなくなるような私に、目的の本が探せるわけないよな。
ああ、誰かこの図書館を熟知している奴が一緒に探してくれたらラクなんだが。」
頬杖をしながら、期待の篭った楽しそうな目でパチェリーを見る。
恐らく最初からこのつもりだったのだろうか?
たしかに、この図書館でパチュリーの下で働くメイドや小悪魔に見つかったら、ほんの少し面倒なことになるだろう。
だが、パチュリー自身は慣れた…というより諦めきった様子なので、魔理沙を見つけてもあまり口うるさくは言わない。
「…で、どんな本を探してるの?」
「薬品の合成とか、道具に魔法を込めたりするのに参考になるような本はあるか?」
それならこっち、と席を立ち上がり、魔理沙を誘導する。
合成や道具に関する本は、この席からほんの少し離れたところにある。
歩きながら、魔理沙に尋ねる。
「道具に魔法って…どんなことをするの?」
その分野はパチェリーもそこそこ出来る。
曜日を象徴するそれぞれの精霊の力を、道具に宿すのだ。
精霊の性格によって道具との相性があったり、精霊を宿すと性質が変わったりしてしまう事があるため、やや使いにくいが。
「あぁ、私のホウキを強化しようと思ってな。
全速力で飛ばしているときに、あの鴉天狗に追い抜かされたのは悔しかったぜ。」
相槌を打ち、魔理沙のホウキを見る。柄が木製で、ふさの部分が藁で出来ている。
「そのホウキと、使用目的から考えると…木の精霊と相性が良さそうね。
ホウキは木で出来ているみたいだし、風を操るのも木の精霊の能力の範疇よ。」
もし私で良かったら、ホウキを強化してあげれると思うけど…。
そう言いたかったが、言葉に出来なかった。
「そうか、なるほど…。けど私は精霊魔法が使えないからな。
頼むのも悪いし、少し試行錯誤してみようと思う。で、参考になる本はどれなんだ?」
そう。この少女は自分でやろうとするのだ。
あの紅白の巫女のように才能と運に異常に恵まれてるわけでもない。
彼女が魔法使いとして実力があるのは、努力の末の結果なのだ。
以前、魔理沙が紅魔館に潜入して、このヴワル魔法図書館で戦ったときの事を思い出す。
あの時、戦いながらパチュリーは、魔理沙の弾幕にいくつか改善できるであろうポイントをみつけた。
しかし、今までそれを指摘したことはなかった。
だが彼女が勝手に持ち出していく本から考えるに、それらの改善点は直していったのだろう。
目に見えないところで努力をしているが、それを決して表に出さない。
今はこうしてパチュリーに少し世話になっているが、その姿勢は変わらない。
ひねくれている所があるが、活発で努力家。
彼女のそうしたところは、内向的なパチュリーには羨ましく思えた。
「魔理沙のことだから、多分繊細な作業は苦手そうね。
エンチャントの基本的な事柄を纏めてある本でいいかしら?」
そして、彼女が努力の階段を上るのに、自分が少しでも役に立っている。
そう考えると、少しばかり恥ずかしいが嬉しくなる。
「ああ、それで頼む。正直苦手そうな分野だからな。」
「それでもやるんでしょう?気をつけてね、下手に魔力を込めた道具は暴走することもあるから。」
「おぉ、そいつは怖いな。そうなったら、パチュリーが助けに来てくれ。」
本を受け取り、冗談を言いながら笑う魔理沙。
いつも同じような表情のパチュリーに、魔理沙は色々な顔を見せてくれる。
(魔理沙は、私の事、友達…って思ってくれてるかな。)
100年程の付き合いをしているレミリアを覗くと、パチュリーには友人と呼べる程交流を持つ人間は魔理沙しかいなかった。
それを考えると、少し魔理沙に申し訳なかった。
(ううん…魔理沙に私の何かを知ってもらったことなんて、殆ど無かったはず。
もし、魔理沙と友達になるのなら、もっと私の事…知ってもらわないと。)
「おーいパチュリー、何ボーっとしてるんだー?」
考え事を中断する。ふと前方を見れば、魔理沙がかなり先の方でこちらを見ていた。
「あ、ごめんなさい、今行くから待ってて。」
返事をし、思わず駆け出す。
本来のパチュリーならば、まず走り出したりしないだろう。
だが、考え事をしている中急に呼ばれたことと、呼んだ相手が魔理沙だったこと。
それらが判断を鈍らせ、反射的に魔理沙の元へ駆け出してしまった。
「おいおい、図書館内じゃあ走るのはよくないぜー?」
魔理沙が言った時には、既に遅かった。
空気が淀み、埃が溜まっている図書館内で喘息持ちの魔女が走ったらどうなるだろう。
「…う、ごほっ、ゲホゲホッ!」
(あぁ、魔理沙の見ている前で…みっともない。
すぐに収まってくれるといいなぁ…。)
そんな事を考えながら、酷くなっていく喘息の発作に酸素を奪われていく。
「パチュリー!」
魔理沙が駆け寄る。
激しい咳を繰り返しながら、パチュリーは魔理沙がたどり着く前に意識を失った。
窓から見える景色は広かった。
小高い山の頂上に作られた洋館。私は、生まれた頃からそこをあまり出たことが無かった。
生まれつき喘息を持っており、貧血も起こすので誰か付き添いでも居なければ、山を上り下りできない。
山の麓には集落があり、人々がそこで日々の何気ない営みをしている様子を、洋館からは一望できた。
楽しそうに広場に集まり、鞠を蹴りあっている子供。
にぎやかな市場が開かれ、活きの良い野菜や魚が売られ、猟師が獲って来た肉を焼いた香りがあたりを覆う。
買い物をしにきた婦人が商人と交渉をし、ある客は満足し、ある客は不服そうに、値段を払っている。
建材を組み立て、神社の境内に物見やぐらのようなものを作り上げて行く男達。
どうやらその日は祭りらしく、男達が組み立てている台に乗せる太鼓や、そこからぶら下げる提灯などがあたりに積まれている。
その様子を見たところで、別に私が祭りに参加できるわけでもない。
つい先程の昼食の後服用した薬が効いて来たのだろうか、少し眠くなってきた。
私は、まどろみに身を任せて眠りについた。
目を覚ませば、日は沈みかけていた。
窓から差し込む夕日が美しく、一日の終わりを告げようとしていた。
集落の様子を見れば、子供達は母親に手を引かれ、または一人で、それぞれ家路に着く頃合だ。
しかし、今日は祭り。本来ならば少しずつ少なくなっていく人影が、かえって増えていく。
私は、少しその様子を眺めた後、ドアがノックされた。
夕食の時間だろう。ベッドから起き上がり、ドアの元に向かう。
一度だけ、ちらりと窓のほうを振り返り、廊下に出る。
召使いに手を引かれ、無意味に広すぎない程度の大きさの食堂に通された。
そこで私は、ほんの少しだけの夕食を食べ、食後に出される薬を飲む。召使いは給仕をするだけで、特に何かを喋ったりはしない。
「…ごちそうさま。」
静寂に包まれた食事を済ますと、私は一人で部屋に戻る。召使いが見送ろうとしたが、一人で大丈夫、と追い払った。
部屋に戻る際、書斎に寄る。中から一冊の本を取り出し、部屋に向かう。
持ってきた本を枕元に置き、ベッドの上に座って窓の外を見る。
日が完全に沈んでいた。祭りが本格的に始まっているのだろうか、境内には出店が沢山並んでいる。
先刻組み立てられていた台には太鼓が置かれ、屈強な男が両手に撥を持ち、太鼓を打ち鳴らしている。
それに合わせて、円になった人々が踊っている。皆一様に、活気がある。
夜空を彩る光と、夜空を振るわせる音の波。
打ち上げ花火だ。
祭りの場に居る人々が花火を見上げる。おそらく、夜を彩る祭りの風物詩の登場に酔いしれているのだろう。
私の部屋の窓からも、その花火は見える。
いや、恐らく一番よく見えるのではないだろうか。
ある程度の高さと視界を確保し、方向もぴったり。
何より、周囲に人が居ない。だから邪魔になるようなものはないから、綺麗な彩りの花火がよく見える。
その筈なのに。
私の心は、酔いしれるどころか、ほんの少しの悲しみの色をたたえている。
枕元から魔道書を手に取り、目を花火からそちらに移す。
昔、召使いに付いていって集落に降りたことがあった。
どうやら集落の人々は私の事を知っているようだった。私はこの人達の事を誰一人として知らないというのに。
後ろで、恐らく(見た目上では)私と同じくらいの子供達…10歳前後だろうか…が、私を指差してこう言っていた。
「なぁ、アレってもしかして、山の上の館の魔女ってやつか?」
「え、そうなのか?」
「肌は病人みたいに白くって、見慣れない服装を着ていて、紫色の髪だったらそうだ、ってとうちゃんが言ってたぞ。」
「へぇ、それじゃあその魔女なんじゃないか?なんでこんなところに来たんだろうな。」
「さぁな。けど関り合いは持たないほうがいいんじゃないか?妙なまじないやら呪いでもかけられたらたまらないし。」
「そうだな、目を付けられないうちに逃げようぜ。」
と、勝手な推測だけ立てて逃げて行った。
(ただ、近くで見てみたかっただけなのに…。なんで、私を避けるんだろう。)
それ以降、私が集落に降りることは無かった。
身体を包む柔らかさと、右手に暖かみを感じる。
(あぁ…発作で倒れて、夢を見てたのね。随分と昔の…あまり思い出したくない記憶。)
閉じた目を少しずつ開くと、ベッドの横で誰かが手を握り、パチュリーの様子を窺っていた。
「大丈夫か?まだ苦しいか?急に走り出したくなったりしそうにないか?」
視界はややぼやけていたが、目が覚めた病人にこのように気の効いたことを聞く人間は一人しか浮ばない。
「ありがとう、魔理沙。大丈夫…うん、苦しくもないし、普段の私は、急にでもなくても走ったりしない。」
恥ずかしいところを見られてしまったと思いつつ、倒れてからの世話をしてくれたであろう魔理沙に感謝する。
本当に、自分は何をやってるのだろう…。情けなさがこみ上げてくる。
「失礼します、魔理沙、パチュリー様起きた?」
ドアがノックされ、紅魔館のメイド長である咲夜が部屋に入ってくる。
手に持ったトレイには、水差しとグラス、それに粉薬の包みが乗せられている。
「大丈夫ですか?いきなり図書館で走り出して喘息だなんて、らしくありませんね。」
心底珍しそうに尋ねる咲夜。
パチュリーが走ったりするところは、レミリアですら殆ど見たことが無いだろう。
「少し慌てていて…ごめんなさい、気をつけるわ。」
咲夜から薬を受け取り、水で流し込む。ちょっと苦い。
ふぅ、と一息を付く。
室内を包む静寂。例え魔理沙といえど、起きたばかりの病人の前で騒いだりはしないだろう。
「…それでは、私は失礼します。パチュリー様、どうかお大事に。」
ええ、と返事を返し、咲夜が部屋を出るのを見送る。
「しかし、急に走り出すとは…本当にどうしたんだ?」
魔理沙が話を切り出す。原因に話を切り出されるというのは中々ないのではないか?
少し思案してから、口に出す。
「考え事を…していたわ。」
「考え事ねぇ、新しいスペルの合成か?」
「ううん、違うわ。少し、自分のことをね。
偶然かどうかわからないんだけど、倒れてる間、昔の事を思い出したの。
ちょっと昔、嫌なことがあって、それがとても辛かったの。」
ゆっくりと紡がれる言葉。魔理沙は静かに耳を傾けていた。
「それで…関わりから避けるように本ばかり読むようになって…。
こんな私でも、まるで友達みたいな気軽さでいつも話してくれる魔理沙の存在が嬉しくて、羨ましくて…。」
「それは違うぜ、パチュリー。」
突然の否定。パチュリーは戸惑っているが、魔理沙は気にせずに言い放つ。
「友達みたいな、じゃない。友達だから、だぜ?」
気軽な口調で放たれる言葉。しかしその目はしっかりとパチュリーを見据えている。
ああ、目の前の少女は、こんな自分の事を友達と呼んでくれるのか。
パチュリーは、胸の奥からこみ上げてくる感情を抑えて、魔理沙に尋ねる。
「ねえ、魔理沙…お願いがあるんだけど。」
「なんだ?」
「もしよければ、今から少し、連れて行って欲しい場所があるの。
我侭なお願いでごめんなさい、でも、今じゃないと、駄目な気がして…。」
パチュリーは少しうつむく。介抱までしてもらった挙句、自分は何を言ってるのだろう。
「いいぜ。私のホウキも、あと一人くらいならなんとか乗れるスペースがある。
そっちの調子も少し落ち着いたみたいだし、早速行こうぜ?」
しかしそんな気持ちも吹き飛んだ。
快く引き受けてくれた魔理沙に感謝して、二人は外に出てホウキに乗って空を飛んで行った。
魔理沙のホウキで空を突っ切り、パチュリーの目的の場所に辿り着いた。
小高い山の上に建てられた洋館。山の麓を見渡せば、人々が暮らしている集落があり、その様子を一望できる。
目の前の洋館からは生活の気配が無く、無人のようだった。
「中々の屋敷だな。何かめぼしいものでも無いか…」
「私、昔ここに住んでいたの。」
パチュリーの言葉に、空き巣に入ろうとした魔理沙が固まる。
「…そうか。じゃあ、ここが。」
魔理沙がパチュリーの方を向く。パチュリーが頷く。
「ええ。さっき言った『嫌なこと』があった場所。」
さぁ、っと風が吹き抜ける。二人は帽子を押さえながら、目の前の館を眺める。
「…小さい頃から、私は喘息を持っていたの。
魔女としての才能にはそこそこ恵まれていた。けど、今も昔も喘息のおかげでスペルが唱え切れなかったわ。」
「パチュリー…。」
「この館には、私と何人かの従者が居ただけ。なんでそこまでされていたのかは、覚えてないんだけどね。」
そう言って、無人の館の玄関を通り抜ける。魔理沙がその後を黙ってついていく。
廊下を歩きながら、魔理沙はパチュリーの表情を伺う。
(…少し悲しそうじゃないか。)
この館でどんな事があったのか。それは少しずつパチュリーが語りだしてくれるだろう。
しかし魔理沙には、パチュリーがそのような表情を浮かべていることが何より許せなかった。
だが今は、黙して目の前の友人の話に耳を傾ける。
やがてドアの前でパチュリーが立ち止まる。
「ここが、私の部屋。」
ドアを開く。
大きめなベッドがあり、そのベッドの壁には窓が付いており、そこから外を見れば、集落が見える。
それ以外に家具といえば洋服ダンスが一つと、机と椅子が一セットあるだけだった。
「一日の殆どはベッドの上だったわ。
食事でホールに行く以外には、書斎に本を取りに行くくらいしか出歩かなかった。
外に出るのも基本的には禁止されていたわ。数える程度の回数だけ、召使いと山を下ったことがあったけどね。」
ベッドの上に腰を掛け、窓の外に目をやる。
「つまり、殆ど私にとって、外っていうのはここから見える世界だけだったの。
初めて外を出歩いたときのことは、本当によく覚えてる。
大地に緑が茂り、木々が風でざわめき…。外の世界、自然っていうものを鮮明に感じた。
それ以来、私は精霊魔法に興味を持つようになったわ。」
喋りすぎて少し疲れたのだろうか、ふぅと一息をつき、暫くして語りを再開した。
「…ここから見える、あの集落。
人って言うのは、ああやって色んな人と関りあって生きて行くんだなって、思いながら見てた。
けど、私はなぜ関り合えないの?喘息で外を出歩けないから?
本当は誰かと話をしたり、一緒に遊んだりしたかった。けど、それができなかった。
…私、魔女だから。あそこの人たちに、とても怖がられていたみたいだったの。」
いつの間にか、目に涙を浮かべていた。
「私、自分が怖がられてるって知ったとき、怖がられてる自分が嫌いになった。
なんで魔女に生まれたんだろう、なんでこんな館で暮らさなければならなかったんだろう…って。」
大きな枕の下に手を入れる。一冊の薄い本が出てきた。
「…ずっと、魔法の勉強の合間に、この本を読んでた。
怖がられていたドラゴンが、人間たちと、少しずつ仲良くなっていく話。」
パチュリーの頬を一筋の雫が伝っていく。
「でも、そんな風になることなんてなかった。
その後も私の噂は広がるばかりで、最後にはここを離れなければならなくなったの。」
目から溢れる涙の量が増えていく。
それはまるで水門のようで、一度開いたら怒涛の勢いであふれ出す。
「魔理沙は……そんな私にも構ってくれた。
友達、って…呼んでくれた!
…無理矢理つれてきた…挙句、長い話を聞かせちゃって、ごめんね…。
でも、魔理沙には…知って欲しかったの…!」
嗚咽交じりに、言葉を締めた。
目の周りを赤くして泣きじゃくるその姿は、普段の彼女からは想像も出来なかった。
「そうか…。うん、ありがとな、パチュリー。」
子供のように泣きじゃくる知識と日陰の少女の背中に、魔理沙が手を回す。
とんとん、とんとん、と手の平で背中を叩く。
「そんな事があったんだな…。けど、それを引き摺るのは間違いだな。」
腕の中で少しずつ嗚咽が小さくなっていく所へ、優しく言い諭す。
現在は過去があり、それを元に成り立っている。
だが、過去は過去であり、生きているのは今。
「今のパチュリーは、もう一人じゃない。違うか?
100年近く友達をしてくれたレミリアが居る。
身の回りの世話をするだけじゃなくて、ちゃんと心配をしてくれる咲夜だっている。
言葉責めにされながらも、お前を敬っている中国だっているだろう。
それに…お前自身が、そんな重要なことを話すくらいに信頼してくれている、私だっているじゃないか。
お前が昔の事を引き摺る必要なんて、もうないんだ。誰も怖がったりしない。」
ぎゅっ、と腕に少しだけ力を入れる。
それに答えて、魔理沙に回された腕もぎゅっ、と締まる。
ほんの少しだけ強くなった嗚咽が収まるまで、二人はそのままで居た。
パチュリーが落ち着き、泣いて赤くなった目も元通りになったので、紅魔館に戻ることにした。
山の上の館の前で魔理沙が立ち止まり、パチュリーに尋ねる。
「忘れ物、ないな?」
「…うん。」
「これから先、必要なものは持ったな?」
「うん。」
「…じゃあ、この館は、もう必要ないな?」
「……うん。」
よしと頷くと、魔理沙は館から少し離れたところに、館と向かい合うように立った。
ホウキを足元に置き、片手を掲げると、人差し指と中指の間に一枚の札が現れた。
『恋符 マスタースパーク!』
スペルを高らかに宣言し、札を宙に浮かせて両腕を前に突き出す。
「ちょ…魔理沙、そこまでしなくても…。」
パチュリーの抗議も、魔力を編み始め集中している魔理沙の耳には入らなかった。
魔理沙が集めた魔力が、両腕の先に収束する。
「いっけええええええええええええええええええええ!!」
魔理沙の声と共に、恋の魔砲が発射される。
膨大な量の光と熱と音が、館を覆う。
魔理沙の魔砲が、パチュリーの嫌な記憶を吹き飛ばして行く。
やがてマスタースパークが収まると、館は跡形も無く吹き飛んでいた。
「ふぅ…綺麗になったぜ。
どうだ、パチェ?これでお前の嫌な過去は形の上ではなくなった。
あとは、お前次第だぜ。」
唖然としているパチュリーの心に、魔理沙の言葉が響く。
魔理沙がホウキを手に持ち、またがる。
「さ、帰ろうぜ。」
「…うん!」
魔理沙の後ろに、いわゆる「お姫様座り」の格好でホウキに乗ると、魔理沙に腕を回した。
「よっしゃ、それじゃ飛ばすぜ。しっかりつかまってな!」
ビュン!と疾走する魔理沙のホウキ。
満ち足りた表情で魔理沙に後ろから寄り添うパチュリーの手には、一冊の薄い本があった。
「…魔理沙、ありがとう。閉ざしていた扉を、こじ開けてくれて…。」
……やっぱり魔理沙は力押し(というか壊してスッキリ)が似合うな、と思った一作です。
天性で引き寄せる霊夢とは違った方向で他人(妖)を引き寄せるんだな、この魔法使いは。
そして、最後の魔理沙がかっこよすぎです
悲しい過去を捨て・・・いや、乗り越えた祝いに館を吹っ飛ばすとはさすがというべきか