つい今し方。
掘り出し物を探しに行った無縁塚から、僕はあるものを持ち帰った。
それはもちろん外の世界からの漂着物だったが、今まで持ち帰ったものと違い、この幻想郷にあるものと大差はない代物だった。
なぜそんなものを持ち帰ったのか?
実のところ僕にもよくわからない。
何故か手放せなかった、というのが一番正しいのだろう。
「さて、これをどうするべきかな……」
椅子に座り、カウンターの上にそれを乗せてみる。
能力を使うまでもない。これは女性用の着物だ。
物自体は悪くない。
貨幣価値には大して興味はないが、きっとそれなりに高価なものだろう。
ただし、状態が悪すぎる。
汚れているし、色褪せているし、ところどころ破けているのだ。
これでは商品として扱う以前に、ただのゴミにしかならない。
そこまでわかっていながらどうしても捨てる気にならないから不思議なものだ。
「……ここまでくると修復は不可能だな。同じものを新しく作るか」
とりあえずそう決めた。
せっかく拾って帰ってきたのだ、捨てないのなら本来の姿というやつを拝ませてもらおうじゃないか。
だが、生憎と僕には織物なんてできない。
誰かに頼んでやってもらうしかないだろう。
誰にしようかな……
ここを訪れる客ではない少女二人と客の顔を一つ一つ思い返していくうちに、
「おーい香霖! 遊びに来てやったぜ」
元気な声とともに客ではない少女その一が来た。
お分かりだろうが、その二とはもちろん霊夢のことだ。
「魔理沙か」
断言してもいい。魔理沙にこの着物を直すことは出来ない。
「私に頼むこと自体間違ってるぜ」とか言い出しそうな気がする。
――待てよ……魔理沙といえば、彼女がいるじゃないか!
「そうえば魔理沙、アリスは一緒じゃないのか?」
「今日は一緒じゃないぜ? …………何か用でもあるのか?」
「魔理沙、なぜ、不審人物を見るような目で僕を見る?」
「目の色を変えて知り合いの名前を聞かれれば誰だってそうなる」
ずかずかと近寄ってくると厳しい目つきで睨まれた。
魔理沙にしては珍しく、僕のことを疑っているらしい。
――ということは、僕がアリスに何かをすると心配しているのだろうか?
まずありえないことではあるが、いくつか事例を挙げてみよう。
①危害を加えようとする→殴られる(はっきり言って、僕は肉体労働が苦手だ。それに、アリスのパンチはなかなかの威力と聞く。ただでは済むまい。
②武器を持って危害を加えようとする→蹴られる(僕は基本的に動きが鈍い。それに、アリスのキックはかなりの威力と聞く。まず骨折は免れまい。
③口では言えないようなことをする→弾幕ごっこ(「そうね、これを抜けられたら考えてあげる」なんて言うに違いない。そしておそらく外の世界の聖者よろしく、人形たちの手で磔にでもされるのだろう。
――ほら、何もできないじゃないか。
……それはそれで情けない気もするが。
魔理沙が何を考えているのか知らないが、このままでは埒が明かない上に、僕の身に危険が及ぶ可能性が大きい。
それを防ぐためにも、まずは現状を正しく把握させる必要があるだろう。
「とりあえず、これを見てくれ」
ほら、と、カウンターに乗せたままの着物を指す。
着物を一瞥した後、どこか拗ねているような目で僕を見る魔理沙。
「……なんだよ、これ」
「今日、無縁塚から拾ってきたものなんだが、保存状態がこのとおりでね。直すのも無理そうだから、誰かに同じものを作ってもらえないかと考えていたんだ」
「新しく作るのか?」
「ああ。それで、器用だしアリスなら、とね。こういうのは魔理沙の専門じゃあないだろう?」
目は逸らさずに正面から向き合う。
なんだかんだで魔理沙との付き合いは長い。
ここまで言えば、僕が嘘をついているかどうかぐらいはわかってくれるはず。
「それは確かに専門外だな。そういうことは初めに言ってくれ。びっくりするじゃないか」
僕の予想通り、魔理沙は安心したようにそう言っていつもの調子に戻ってくれた。
箒を肩に担いで着物をじっくりと眺めている。
時折「ふぅん……」とか、「ほほぅ……」とか呟いているが、何もわかっていないに違いない。
今は自分の好きなことにしか興味を向けていないからな。
「うーん。古い物だってこと以外、さっぱりわからないぜ」
ほらやっぱり。
「で、香霖。アリスのとこに行くのか?」
「できれば今すぐにでも」
「そうか。じゃあ、少し早いがあいつの家に行くとしよう」
どうやら今日はアリスの家に行く予定だったらしい。
その途中で僕の店に寄ったというわけだ。
「連れてってやるから早く用意しろ」という彼女の言葉に従って、着物を布に包んで背に負うと、鍵を閉めてから魔理沙の箒に乗った。
もちろん、護身用にアレを忘れずに。
「飛ばすからな。しっかりつかまってろよ」
「それは遠慮しておく」
……あのなあ、こう見えても僕は男だぞ?
これも男言葉ばかり使っているせいなのかもしれないと思う。
結局、僕は箒の後ろに腰掛けたまま、懐にしまった本を広げて読んでいることにした。
それを気遣ってくれたのだろうか、魔理沙はスピードを落としてゆっくりと飛んでくれた。
――――――
で、暫く。
あまりにゆっくり飛びすぎたためか、アリスの家につく頃にはもう日が落ち始めていた。
僕が、活字だけのこの本の残り半分(だいたい百五十ページくらいか)を読み終えてしまったくらいだから、結構な時間飛んでいたことは間違いない。
「まあいいか。今日はこのくらいの時間に来る約束だったしな」
魔理沙はこう言うが、僕はいわゆる招かれざる客という奴ではなかろうか?
せっかくの友達同士で過ごす時間を邪魔するのはなんとなく気が引けるものである。
「おーいアリス。開けてくれー」
「……」
珍しいものを見た。
魔理沙が、あの魔理沙が勝手に人の家に上がりこもうとしないとは。
紅魔館やら冥界の白玉楼やらに無断で侵入するという話を聞いていただけに、初めは自分の目が信じられなかった。
僕の店はまあ……昔からの付き合いだからいいとして。
「ちょっと待ってて。今開けるわ」
とたとたと走る足音と一緒に声が聞こえた。
そちら側へ目をやると、窓の向こうを一瞬、アリスが横切った。
……ん? 今、確か……。
「お待たせ。部屋の片づけをしてたらちょっと汚れちゃって。それでお風……呂、に」
まさか魔理沙のほかにもう一人いるとは思わなかったのだろう。
ドアを開けながら喋っていたアリスの顔が凍りつき、見る間に赤くなっていく。
体にはバスタオル一枚。
あとは何にもなし。
ほんのりと上気した肌。顔をのぞかせたときの、まだ濡れている金色の髪をかき上げる仕草が……なんというか、こう、色っぽい。
残念なことに(?)その下のほとんどは魔理沙の帽子と体に遮られて見えなかったが。
「……ぁ」
「……ぅ」
「……ぉ」
三者三様のよくわからない声を上げて僕らは黙り込む。
予想だにしない展開――僕の場合は予想通りの展開――に思考が上手く働かない。
だが、やがてその均衡もついに崩れるときが来た。
「――――き、きゃああああああああああ!!!」
「み、見るなあああああ!!」
「おふっ!?」
上から、アリス、魔理沙、僕となる。
アリスは悲鳴を上げてその場に座り込み、
魔理沙は振り向きざまに拳を繰り出し、
僕はそれを鳩尾に受けて悶絶したと、
こういうわけだ。
あー、もう駄目だ。限界。おやすみ。
――――――
目を開けると白い天井。僕はソファーの上に寝かされていた。
額がひんやりとして気持ちいい。
手を当てると、濡れたタオルが乗せてあった。
魔理沙かな?
「よう香霖。起きたみたいだな」
噂をすれば影。
何かの実験でもしていたのか、顔に煤をつけた魔理沙がそこにいた。
が、本人は別段、それを気にしている様子はない。
ううむ。
年頃の女の子がこんなではいけないな。
「魔理沙。ちょっとこっちへ」
「ん? 何だ?」
まったく世話の焼ける……僕が勝手に世話を焼いているだけかもしれないが。
懐から手拭を取り出して煤をふき取ってやる。
「これでよし、と……何を赤くなってるんだ?」
「う、うるさいな! ほら、これ!」
投げつけられたのは僕が背負っていた例の着物だ。
僕が気を失っている間にアリスに見せてくれたのだろう。
「『私が作る洋服とは系統が違うから作れない』ってさ」
「そうか。……で、彼女は今どこに?」
「――」
残念だ。
いくら彼女が器用だからといって、作れないものは作れないか。
アリス以外に、何とかしてくれそうな人はいないだろうか?
「彼女の知り……」
――ガン!
「あーいーっ~!!?」
眼鏡が落ちるほどの威力で殴られた。
痛い。ものすごく痛い。
それはもう涙が出るほどに。
「何を考えてるんだ香霖? おかしなこと考えてるなら、その記憶がなくなるまでこいつで殴ってやろうか?」
「わ、わかった。わかったからその箒を下ろしてくれ」
魔理沙め……どんな勘違いをしているんだ?
でも今回は説得をしている暇はないようだ。
下手に口答えしようものなら――命が危ない。
「しかし困ったな。他となると……」
「出てけ」
「そう、出て行くしかないわけだが……いやいやちょっと待て。魔理沙、今、なんと?」
「出てけと言ったんだ。今日は遅いから泊めてやろうかと思ったがそうもいかなくなった。まあ私としても野獣と同じ家の中で過ごす気にはなれないしな」
自分で出て行くか力ずくで追い出されるか、どっちか選べと言わんばかりに箒を振り上げる魔理沙。
そんなこと選ぶまでもないだろう。
着物を包んだ布を背負って、懐にアレが入っていることを確認して、僕は潔くアリスの家を後にした。
――でもって後悔した。
考えてみればわかりそうなものなのに。
外は真っ暗だったのだ。
つまり夜。そこは妖怪の世界。
しかも計ったように空には満月。
これは非常にまずい。
身を守る方法なんてほとんど持っていない僕がこの中を歩こうものなら、店に着く前に間違いなく妖怪の餌だ。
「なあ」
――バタン。ガチャン。
「……魔理沙?」
無情にもドアは閉められた。鍵も掛けられた。
有体に言えば締め出された。
ついでに望みも断たれた。
酷いじゃないか魔理沙。僕が何をしたって言うんだい?
「……何もしてないって言えないところが辛いよなあ」
偶然とはいえアリスのあんな姿を見てしまったわけだし。
気絶したまま放置されなかっただけでもよしとするべきなんだろうか?
いやいや、それにしてもこれはやりすぎだ。
さすがに民家に押し入る妖怪はいないが、それでも近くまで寄ってくる妖怪はいる。
しかもここは魔法の森。
ちょっと危ない方々もいらっしゃるというのに。
もしかして、一晩寝ずに起きていろとでも?
「そこな人間」
そんなことを考えていた最中だったからか。
不意に掛けられた言葉に対して、体がいつもの倍以上の速さで反応していた。
懐に忍ばせていた護身用のアレ――これも無縁塚で見つけたもので、拳銃という、弾を打ち出す武器だ――を声のした方に向ける。
「やめんか馬鹿者」
が、それは次の一言とともに僕の手から消えていた。
引き金を引こうとした指が手のひらに触れるのを感じて、背中に冷たい汗が流れた。
目の前には角を生やした妖怪が立っていたのだ。
無論、さっきまで僕の手の中にあった拳銃はその妖怪が持っている。
喰われる、そう思って身を強張らせたが、なぜか妖怪は僕の顔を見て、
「お前が森近霖之助か?」
と訊いてきた。
声が出なかったので代わりに頷いて見せると、「驚かせてすまなかったな」と言って一枚の紙切れを差し出した。
そこには魔理沙の字でこう書いてあった。
『アリスの家の前に森近霖之助ってやつがいる。そいつの話を聞いてやってくれ 霧雨魔理沙』
「……人に物を頼むとは思えない文章だ」
「まったくだ」
同じ感想を持ったらしい僕らは、顔を見合わせて苦笑した。
「日が落ちてすぐに、この手紙を持った人形が私のところに来てな。差出人に覚えがあったので来てみたわけだが……」
彼女――妖怪は声からしてどうやら女らしい――は辺りに視線をめぐらせる。
カサリ、と小さな音がいくつか聞こえて、いくつかの気配が遠ざかっていくのを感じた。
「あらかた追い払っておいたから心配はないが、もう少し遅れていたら危なかったかもしれないな」
怖いことをさらりと言ってくれる。
危機は去ったわけだし、詳しく聞いて怖い思いをするのも嫌なので突っ込むのはやめておこう。
「こんなところで立ち話もなんだ。私の庵に行くとしよう」
――――――
引っ張られて飛ぶこと半刻ほど。
村はずれに建つ、彼女の住処だという庵に到着した。
戸を開けると、中で寝そべっていた銀髪の少女が顔を向けた。
「あれー、慧音、その人どうしたの? 食べるの?」
「違う」
「じゃあ何? 慧音が家に男を連れ込むなんもがもごもご……」
僕の目の前で、銀髪の少女は迅速かつ正確に猿轡をかまされて、紐でぐるぐる巻きにされた上で奥の部屋に放り込まれた。
その間約五秒ほど。
感想はと聞かれれば僕はこう答えるだろう。
匠の技を見た、と。
「さて、邪魔者も消えたところで本題に入ろうか」
何事もなかったかのように座る妖怪少女。
……こんなことをいつもやっているのだろうか?
ことの一部始終を話しながら、僕はそんなことを思った。
「つまり、外の世界の着物を私に作って欲しいと?」
僕の話を聞き終えた彼女――上白沢慧音は、何でまた、という顔をした。
当の本人でさえ、「着物を捨てられなくて、せっかくだから作ってみようと思った」としか言いようがないのだ。仕方ないことではある。
「まあそれはいいか。霧雨はそれで私に使いをよこしたのだな」
「どういうことだい?」
「着物を作るには、布を織ることから始めるからだよ。私は布を織ることができるし、着物を作ることだって出来る。そこらの店で探すよりよほど早い」
なるほど。
そこまで考えた上で魔理沙は……いや、きっとアリスがそう提案したに違いない。
多少の誤解はあったけど、外に締め出したのは計算通り――本気だったような気もするが――だったのだろう。
「とりあえず現物を見せてくれ」
「わかった。……これなんだが」
包んだ布を広げて、中の着物を見せる。
慧音はそれを手にとってしばらく眺めていたが、「これは無理だな」と言って元の布に包み始めた。
慌てた僕はその手を掴んでいた。
「ちょっと待ってくれ。なにが『無理』なんだ?」
「それはいまから説明するよ」
そんな僕の行動に腹を立てることもなく、慧音は言った。
はっとなって手を離すと、慧音は着物を包んだ布を脇に置いて、こほん、と一つ咳払いをした。
「先に断っておくが、これは私がこの着物を直せないというのは、決して私の腕が悪いということではない。それだけは間違えないように」
……言い訳のように聞こえる。
そう言おうとしたら怖い目で睨まれた。
「この着物の歴史は非常に古い。作られてからおよそ千年が経過していて、これ自体がかなりの力を持っている。千年という永い時間、朽ち果てずにいられたのもそのおかげだろう。さきにも言ったとおり、この着物には力がある。それこそ人を操って自分の目的を果たそうとするほどの」
「――何だって?」
「貴方がこの着物を捨てようと思いつつ捨てることができなかったのも、その辺に原因があると見ていい。悪い気配は感じないから、身に害の及ぶ危険はないだろうが」
「あー、それはつまり……」
「そういうことだ。貴方がこの着物を『直したい』んじゃない、この着物が自分を『治したい』んだ。だから私にはできない。例え同じものを作ったとしても、これにとっては『自分と同じ形をしたまったく別のもの』になってしまうからな」
なんてことだ。
それじゃ手のつけようがないじゃないか。
僕はがっくりと畳に手をついた。
「まあ待て。話はまだ終わっていないぞ」
微かな笑いを含んだその声に顔を上げると、慧音は少し呆れたように笑っていた。
どうやら早とちりをしていたらしい。
「こういった事に打ってつけの人間がいる」
「……それは?」
「紅魔館にいる、十六夜咲夜というメイドだ。時間を操る彼女なら、なんとかしてくれるだろう」
「明日の朝一番に出発する。それまで体を休めておくといい」慧音はそう言って庵を出て行った。
一人部屋に残された僕は明かりを消してごろんと横になった。
慧音の言ったことは本当なのだろうか?
嘘を言っているようには見えなかったが、さすがに、無縁塚に落ちているようなものが千年という時間を経ているとはどうも考えにくい。
しかし、では嘘かと聞かれれば迷うところだ。
嘘か本当か、本当か嘘か。
思考が堂々巡りを始める。
「……あー、やめだやめだ」
わからないことを考えていても埒が明かない。
考えることをやめて目を閉じる。
気づかないうちに疲れていたのか、眠りはすぐに訪れた。
――――――
日が昇り始め、村に朝一番を知らせる鶏の鳴き声が響く頃。
先日の言葉どおりに、僕は慧音に連れられて紅魔館を訪れていた。
事情を話すと、門番は快く僕らを館の中へ通してくれた。
「人を見かけたらすぐに追い返そうとするんだぜ」という魔理沙の話とは大違いだ。それはきっと当人に原因があるのだろう。
幾度か店を訪れている咲夜は、僕の頼みを二つ返事で引き受けてくれた。
彼女いわく「この前のカップのお詫び」らしい。そんなことすっかり忘れていた。
「これの時間を戻せばいいのね?」
咲夜はテーブルに置いた着物を指す。
ちなみに今、この部屋には僕と彼女の二人しかいない。
慧音は図書館に用があるとかで、来て早々に席を外してしまったのだ。
「ああ。作られてから千年ほど経っているという話だけどね」
「千年ねえ……ま、やれるだけやってみるわ」
「お願いするよ」
軽く頷くと、咲夜は懐から古めかしい懐中時計を取り出して蓋を開いた。
盤面にうっすらと赤いものが残っているそれは一秒一秒正確に時を刻んでいる。
が、咲夜が何事か呟くと、そこに変化が起こった。
普通の時計は、針が十二→一→二……と右回りに回転する。
しかし、彼女の手にある懐中時計は先ほどと逆の左回りに回転しているのだ。
それも針が飛んでしまうのではないかと思えるくらいの速さで。
「これは……」
「時間を逆に進めているのよ。時計の針が逆に回っているのだから当然でしょう?」
いつの間にか目の色まで変わっている咲夜は、「何を驚いているの?」と不思議そうな顔をしていた。
……たまに思う。
どうしてこう、彼女ら――魔理沙や霊夢もそうだ――は、自分の持っている能力を、さも当然であるかのように言うのだろう。
彼女らにとっては当たり前でも、僕にとってそれは超常現象に他ならない。少しくらい驚いたっていいじゃないか。
まあ、そういった超常的なものが日常的なのが、この幻想郷というところではあるのだが。
「終わったわよ。これでいいかしら……って聞いてる?」
「――あ、すまない。少し考え事をしていた」
「そう? 何を考えていたのか気になるところだけど……まあいいわ」
失礼なことをしたと思ったが、彼女はそれほど気にしてはいないようだった。
「人間やればできるものね」とか言っている。
一つ一つ小さなことに拘っていては、ここでメイド長などやっていられないのかもしれない。おかげで命拾いをした気がする。
それではとテーブルに置かれた着物を手にとってみる。
最初の見立てどおり、これは上質の生地を使った着物だった。
淡い桃色に染められており、白い桜の花びらの柄をあしらってある。
それなりに値の張るものだろう。
が、ただそれだけと言ってしまえばそれだけのものだ。
金糸銀糸の刺繍があるわけではなく。
玉などが飾りとして縫い付けられているわけでもない。
もちろん、名の知れた名匠が作ったわけでもなさそうだ。
少しばかり裕福な人間なら買えるほどのもの。
それが、なぜ……?
………………
…………
……
「もうじき日が暮れる。そろそろ帰るとしよう」
咲夜に伴われて部屋に入ってきた慧音に声をかけられるまで、僕は考え事をしていたようだった。
「わかった」と言おうとして……ちょっと待て、日が暮れる?
気がつけば一つしかない窓から差し込む光はオレンジ色になっていた。
そんなに長い時間考え事をしていたとは思えないが、ここはある意味、時間と空間の乱気流のようなところだ。
倍の速さで時間が進んだとしても不思議じゃないかもしれない。
「……わかった。今日は世話になったね。ありがとう」
「いえ。では、入り口までご案内します」
咲夜に見送られて、僕と慧音は紅魔館を後にした――。
――――――
それから数日が過ぎて。
僕はカウンターの上に例の着物を乗せて眺めるのが日課になりつつあった。
まぁ、眺めているだけで何一つ進展はなかったけど。
「しかし、どうしたものかな……」
女物の着物をいつまでも手元に置いて眺めているというのは、体外的にいろいろとまずいようだ。
昨日やってきた霊夢にも「変な趣味してるのね」とか言われたし。
霊夢のことだから誰かに話しておかしな噂になることはないだろうが、噂好きな烏天狗だったらどうなることか。
着物を畳んで布に包みながら、頭をよぎった怖い想像を追い払う。
どちらにせよ、この着物を商品として取り扱うか、それとも奥にしまっておくか、早いところ決めてしまわなければならない。
そんなことを考えていた時。
「ごめんください」
やや控えめな声とともに、店の戸が開いた。
声の主は、二本の剣を携えて幽霊を背中に従えた少女。
名前は確か、魂魄妖夢といったか。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
「……何でしょう?」
「……」
真顔でそう返されて言葉に詰まった。
意味がわからない。
何を言っているんだ、この娘は?
彼女の性格からして、人をからかったりするような娘でないことはわかっているが……。
当の本人はといえば、頭に疑問符を浮かべたまま戸口に立っている。
まるで、何も考えないままここまで来てしまった、という顔だ。
このままでは埒が明かない。
泥舟にならないことを祈りつつ、助け舟を出してみることにした。
「そんな所にいるのもなんだから、とりあえず入ってくるといい」
「あ、はい」
釈然としない様子で、それでも妖夢は店に足を踏み入れた。
ふと思いついたある仮説を元に、歩いてくる妖夢に質問を投げかけてみる。
「それで、何を探していたんだい?」
「……よくわからないんです。思い出そうとしても、何も思い出せないんです。初めから知らないみたいに」
「ふむ。それならどうしてこの店にあると思ったのかな?」
ほとんど確信に近い答えが僕の頭の中にできあがっている。
二つ目の質問は、ほとんど確認作業のようなものだ。
「……ただなんとなく、でしょうか……でも、確信に近いものがあったような気もします。ここにあるっていう」
「それが何かもわからないのに?」
「う……いや、まあ、それを言われると辛いのですが」
「ははは。からかったりしてすまなかった。実は、君の探しているものに心当たりがあってね」
布を解く。
取り出した着物を見て、妖夢が息を呑むのがわかった。
どうやら僕の考えは正しかったようだ。
彼女の行動にピンと来るものがあったというだけの、直感に頼ったいい加減なものだったけれど。
「……これです。この、着物」
妖夢は呟いて、ただ呆然と着物を見ていた。
◇◇◇◇◇◇
「お帰りなさい。妖夢、お部屋の片づけを放り出してどこに行っていたの?」
息を切らせて帰ってきた妖夢に幽々子はそう訊ねた。
妖夢の姿が見えなくなっていることに気づいたのは昼を過ぎた頃。
頼んでおいた部屋の片づけは終わっているのかと見に行くと、まだ途中だったらしく、着物やら帯やらがろくに畳まれもせずに床においてあった。
幽々子は初め「……あの娘も反抗期かしらね」などと考えていたが、「たまには自分でやってみようかしら?」と思い直し、片づけを始めたところに妖夢が帰ってきた、というわけだ。
「はぁ、はぁ……ちょっと、買い物に……」
「買い物? 何か切らしてるものでもあったのかしらね……あら? 妖夢、その背負っているものは何?」
怒る様子が微塵もない幽々子に妖夢は逆に不安を覚えたが、これもいつもの気紛れだろうと思い直し、背負っていた包みを降ろした。
包みを解いて中の着物を取り出す。
「着物です。えーと……どうしても欲しくなっちゃいまして」
本当の理由は伏せておくことにした。
理解できないことを説明できるほど、自分は弁が立つわけではない。
そう思ったからだ。
幽々子もそれを信じたようで、着物を手にとって眺めている。
「これをねえ。貴方には少し大きいんじゃないかしら?」
「い、いいんです! そのうち大きくなるんですから!……幽々子様?」
ぽたりと。
幽々子の目から雫が落ちる。
そのことに気づいた幽々子と妖夢は顔を見合わせた。
妖夢は、幽々子が泣いている理由がわからなくて。
幽々子は、自分の中にある感情がわからなくて。
「どうして?」と相手に目で問いかけるばかりだ。
答えの出ないまま、幽々子はぽろぽろと涙を流していた……。
――――――
「何だかすっきりした気分ね……」
生来の能天気さからか、ひとしきり泣いた後、妙に晴れやかな顔で幽々子は言った。
「はぁそうですか」と疲れた声を返す妖夢。
こちらは主人と違ってぐったりしている。心なしか半幽霊の色も悪い。
まあ、突然泣き出した主人を前におろおろするしかなかった妖夢の心労を思えば仕方がないとも言える。
「そうだわ。せっかくだし、これ、着てみましょう」
と言って幽々子は着物を脱ぎ始めた。
彼女にとって妖夢の都合などお構いなしである。
「妖夢、手伝ってちょうだい」
「はいはい」
「『はい』は一回でいいわ」
「はい。……ところで、いつからわかってたんですか?」
「何が?」
「この着物が私のじゃないってことです」
「疑うだけなら初めから。妖夢は無駄な買い物をしないでしょ? それに、嘘をつくとすぐ顔に出るから、それでわかっちゃったわ」
「……はぁ」
言葉を交わしながらも妖夢の動きは素早かった。
帯を解き、着物を脱がせて、今度は逆の手順で着物を着せていく。
「えーと、帯は……これがいいわね」
手近に落ちていた帯を取って締める。
見たことのない帯だったが、不思議と、この着物には合っているような気がした。
「はい、できましたよ」
「いつもより早いのね。感心感心。……じゃあ、ついでに髪も結ってもらおうかしら」
「はいはいわかりました。……ぇ?」
ほとんど条件反射で返事をしてから、妖夢は己の迂闊さを呪った。
実は髪なんて一度も結ったことがないからだ。
自分の髪なんて、伸びてきたら白楼でばっさりやってしまうだけ。
着付けだけは毎日手伝ってきたからできるものの、生まれてこの方、他には剣術と庭の手入れと家事しかやってこなかった。
そんな自分に何ができる? いいや、できようはずもない。
「妖夢。早くしてちょうだい」
幽々子はすでに鏡の前に座っていた。
帽子を取り、居住まいを正して今か今かと待っている。
その瞬間、妖夢は逃げ道が完全に塞がったことを知った。
後戻りはできない。
ともすれば逃げ出してしまうそうな足を、必死になって前に進める。
――ええと、髪を結うって、どうやるんだっけ?
――結う? 結うって結ぶってこと?
――いいのかな? 蝶結びくらいしかできないけど。
もう頭の中はめちゃくちゃだった。
「幽々子様……あの、できれば目を瞑っていてほしいのですが」
「しょうがないわね。なるべく早くするのよ?」
「……精一杯努力します」
これで作業に集中できる。
破滅への階段を上る思いで、妖夢は震える手を伸ばした。
だから気づかなかった。
その足元に、スキマが一つ、大きな口を開けたことに。
「――!?」
妖夢の上げた悲鳴すら飲み込んで、スキマが閉じる。
代わりに幽々子の頭の辺りに別のスキマが開いた。
その中から生えてきた二本の手が、慣れた手つきで幽々子の髪を結い上げていく。
スキマは、手が幽々子の髪を結い上げると、彼女の後ろに妖夢を放り出して閉じた。
――この間、約一分。
「……できてる」
妖夢はスキマに落ちた姿勢のままで呟いた。
スキマの淵を掴もうとして両手をあげた、万歳のポーズである。
「『できてる』? 『できた』の間違いじゃないの?……あら、上手にできてるわね」
意外そうな顔で幽々子は言う。
で、鏡越しにちらりと視線をずらす。
「ところで、妖夢。さっきからなにやってるの?」
「……なんでもないです」
今更ながらに自分の格好に気づいた妖夢は顔を赤くして手を下ろした。
「変な妖夢。……あ、そういえば、この着物を買ったお店はどこかしら?」
「香霖堂です。この前行ってきた」
「そう。今からそこに行ってくるわ。妖夢はきちんとお部屋の片づけをしておくこと。いいわね?」
「……わかりました」
そう言って幽々子は出掛けていった。
その姿を見送った妖夢はほっと胸をなでおろす。
「……ふぅ。一時はどうなるかと思ったけど……終わりよければ全てよし、かな」
「いいわけないでしょ。いろいろ教えてあげるからちょっとこっち来なさい」
「その声は――きゃあああぁぁぁぁ…………!」
スキマに引っ張り込まれた妖夢がどうなったかは、また別の話。
◇◇◇◇◇◇
妖夢が出ていってから僕はいつものように本を読み始めた。
――あの着物は何だったのか?
ここ数日の間、僕を悩ませた問題は頭の隅へと追いやられていた。
何故だかわからないが、僕はその問題の答えをもう知っている気がしたからだ。
まあとにかく、これで日常が戻ってくるわけだ。
「おい、香霖! 届け物だぜ」
勢いよく開くドア。
本のページをめくる手がぴたりと止まる。
静かではない方の日常が訪れたようだ。
「……届け物? 誰から?」
「メイド長だ。図書館に本を借りに行ったら、帰りに渡された。香霖たちが帰った後に落ちてたってさ」
「そうか(借りに行ったというのは嘘だろう)」
「何か言ったか?」
「いいや」
渡された紙は四つ折りになっていた。
興味津々といった感じで覗き込んでくる――どうやら中は見ていないらしい――魔理沙にも見えるように紙を広げる。
そこには例の着物を着て微笑む一人の少女が描かれていた。
「へえ……なかなかよく描けてるじゃないか」
僕は正直な感想を口にしていた。
惜しむらくは、色が乗せられていない、ということだな。
「ごめんください」
今日は珍しく来客の多い日だな。
そう思いながら顔を上げた僕は、
「え……?」
絵の中の人物がそのまま抜き出たかのような、幻想的な光景に見入っていた。
目の前の少女の方が絵の少女よりも大人びて見えるが、それ以外は瓜二つだと言っていい。
こんな偶然があるものなのか……?
「………霖! おい、香霖!」
「――え?」
少女はすでにカウンターの前まで来ていた。
魔理沙に言われるまで営業中だったことをすっかり忘れていた自分が情けない。
「あ……いらっしゃいませ、何の御用ですか?」
「いえ、今日はお礼を言いにきました」
「……お礼、ですか」
「はい」
お礼? 何のことだろう?
首をかしげる僕の隣で、魔理沙が素っ頓狂な声を上げた。
「お、お前、幽々子!?」
西行寺幽々子といえば、いつぞやの桜の怪異の犯人だったな。
もっと怖そうなイメージがあったけど、実際はそうでもないようだ。
何か魔理沙と言い合いをしているが……
おお、珍しい。
魔理沙が一方的に負けているぞ。
これはこれで面白いけど、このままだと店の中で破壊光線が発射されかねない。
とりあえず話を本題に戻そう。
「……それでお礼とは?」
言い争いがぴたりとやんで二人がこっちを見る。
魔理沙の目が「邪魔するな!」といっているが、明らかに劣勢なのは君のほうだとだけ言っておこう。
「このような素敵な贈り物をいただきましたので、そのお礼です」
幽々子は深々と頭を下げる。
彼女につられて頭を下げたその時、僕の目に、一つの異変が飛び込んできた。
――紙に書かれた少女が消えていく……。
まるで、自分自身の役目を終えたとばかりに、絵の少女は風に吹かれる砂のようにさらさらと崩れて消えていった。
あとには何も書かれていない真っ白な紙だけが残る。
――ああ、そうか。君は千年の時を経て自分の居場所に戻ったんだね。
店を去る幽々子の姿が、僕にはとても幸福そうに見えた。
霖之助の話でこんなに色々なキャラが出てくるのは珍しいですね。基本的に引き篭・・・げふんげふん、インドア派だからでしょうか。
・・・て言うか、拗ねた魔理沙可愛いよ!!
何はともあれ楽しませて頂きました。
ラスト、幽々子がお店を訪れた場面では、かなりジーンときましたよ、えぇ…… 良い作品、有難う御座います。
にしても、飄々とした霖之助と、ぶっきらぼうに見えて気遣い名人な魔理沙は、何だかとても良い夫婦になりs(ファイナルマスター
この着物はまさにそれだったのかもしれませんね
さて、妖夢はスキマの中で何をさせられてるのか・・・髪結いの特訓か?
とりあえず年頃の(?)女の子なら白楼でばっさりだけはやめるよう努力しましょう
やっぱこーりんはこのくらい普通人な方がいいですね
あとゆかりんお姉さんしてるよゆかりん
あのタイミングは覗き見して無いととても無理・・・じゃ、なくて、当時の幽々子を知ってる紫だからこそ、今の幽々子の髪を結い上げるに相応しい、か。
美しき幽々子様を幻視しつつ、この物語に感謝致します・・・
止まっていた長い時間が動き始めた時間・・・・・
ゆゆ様は一瞬でも前世を思い出しのでしょう~~。
素晴しい作品でした。
そして魔理沙かわいいよ魔理沙
良い作品でした
ゆかりん、たぶん誰よりも幻想郷を愛してる妖怪。