金沢地裁、秋田地裁、鳥取地裁その他は在れど幻想郷の裁判所、幻想裁判所は無い。ならば、これから創るしかない。
この物語は、白黒はっきりつける程度の能力を持つ少女、四季映姫・ヤマザナドゥが、日本中に誇れる幻想郷の幻想
郷による幻想郷の為の裁判所、『法律のできる行列相談所』を創り上げる、一大叙情詩である―――――
“法律のできる行列相談所(博麗出張所)”
「―――――んで、一体これは何なのかしら……?」
幻想郷の境にある博麗神社。その境内の一角に、突如として現れた粗末な掘っ建て小屋。
昨日迄は、確かにこんな粗大ゴミは無かった筈である。昨晩はとても綺麗な望月だったので、床に就く直前迄お酒を
チビチビやりながら境内をふらついていたのだが、やはり間違い無い。昨日の夜には、此処には何も無かった。
そうやって昨日の事を思い出しながら、ここ博麗神社の巫女、博麗霊夢は、二日酔いで僅かな鈍痛の残る頭を抱え
つつ、目の前の異変をじっと睨む。朝の元気で爽やかな太陽の光が、少しばかり鬱陶しいので目を細めた。
「おや、何だい? こんな清々しい朝っぱらから巫女さんにガン付けられるなんて。この場合、今日のあたいの運勢は吉
なのか、凶なのか。今一つ判断しにくいねー」
立て付けが悪いのか、ギシギシと耳障りな音を立てながら木戸を開けて出て来た、見知った顔と目が合った。まぁ、見
知ったのはつい最近の話ではあるのだが。
「死神が巫女に吉凶を視てもらってどうするのよ。と言うより、死神なんて存在自体が凶みたいなものなんだから、仮に
占ったとしても判るのは凶か大凶か、くらいのものよ」
「で、今日の運勢は?」
「大凶」
「そりゃ有り難い♪」
「………私がね。朝っぱらから死神の顔なんか凝視しちゃったし」
「酷いわね。これでもあたい、幽霊達の間では、『三途小町』って評判の美少女なのよ」
そりゃ単にあんたの名前でしょ、との巫女の言葉を他所に、死神の少女、小野塚 小町は、よっこいせと年寄り臭い
掛け声を出しながら、一枚の細長い木の板を小屋の中から取り出した。
「何それ?」
霊夢が声を上げる。小町は霊夢が知っている者の中でもかなり背の高い方だが、その彼女の身長よりも更に長い。
「ああ、これ?」
言いながら、板を担いでひょいと宙を舞う。流石に普段から大きな得物を持ち歩いているだけの事はある。かなりの
重い荷をもっているのだろうに、見事な軽業だ。
「これはね……」
「…………私の夢の一里塚。その標(しるべ)よ」
小町の言葉に割って入った、もう一つの見知った顔。
名前は……何だっけ。未だにはっきりと動かない頭で何とか思い出そうとする霊夢。確か、山田―――某だった気が
する。
「これでいいですか。し……じゃなくて、ぇ~と、所長?」
「うーん。少し右に傾いてるわね。直して頂戴」
「はーい」
元気な返事を一つ、小屋の入り口すぐ上に横向きで配された板をあれこれいじる小町。どうやらこの板、看板の様で
あった。其処に書かれている文字を右から読んでみれば、
「『ザナドゥ☆四季山の法律のできる行列相談所』―――――」
それも、一字一字が黄色だの桃色だの全て違った色。目立たせようという魂胆なのだろうが、これでは却って読み辛く
なってしまっている。
いや、そんな事より………
「あー、えーっと…… 三つほど聞きたい事が有るんだけど?」
「どうぞ。質問を許可します」
小町に所長と呼ばれた少女が、背筋を真っ直ぐに伸ばした綺麗な姿勢のまま、ゆっくりと霊夢の方へ向き直る。幼さ
すら感じる外見とは裏腹に、その身には威厳に満ちた空気を纏う。
けれど、穿いているスカートは結構短い。両の足首には大きなリボン。上半身以外に目を向ければ、やはり可愛らしい
という印象の方が強いかも知れない。
「………あんたの名前って、山田なんちゃらじゃなかったけ? て言うか所長ってのもよく判らないし。
それにその看板、色々と順番が滅茶苦茶な気がするわ。
そもそも、何でこんな物をウチに造っているのよ?」
「小町、今度は左側の方が下がってしまってるわよ」
「あれ? すみません、所長」
ガン無視。完全にスルー。
「…………あんたねぇ、質問していいと言っておきながらその態度、流石に酷いんじゃないの?」
「あら。私は『貴方が私に質問をする』事は許可したけれど、それには『貴方の質問に私が答える』事は含まないわ。
それに、貴方の質問。三つって言っていたのに四つになっているし。あまり嘘を吐くと舌を引っこ抜くわよ?
―――ああ小町。それで大丈夫よ。有難う」
山田某の理屈に、なるほど、それもそうね、と得心する。得心した上で、懐から数枚の御札を取り出す霊夢。
「―――そうね。目の前現在進行形で異変を起こしている妖怪に対して、一々言い分を訊こうってのが間違ってたわ。
いつも通り、コレで話をつけましょうか」
「落ち着きなさい。質問にはちゃんと後で答えるから。あと、一応私は神様よ」
「………ま、正直に言えば、質問については別に良いの。
それよりも、さっさと此処から出て行ってくれると嬉しいわね?」
「この神社、神様が居ないんでしょう? だったら丁度良いわ。私を祀って崇め奉りなさい」
どうにも会話が上手く成立していない。そう溜め息を吐く巫女の脇で、いつの間にか近くまで来ていた死神が小声で耳
打ちをする。
(ショバ代として売り上げの一割を賽銭箱に入れるから、さ?)
「判ったわ山田。その場所はあんたに貸すから。但し、厄介事だけは起こさない様にね」
「宜しい。そうやって善行を積んでいけば、貴方みたいな者でも死ぬ迄に何とか地獄行き位にはなれる筈よ」
有難うの一言も言わない、横柄な態度で地獄行きを宣言される。流石に少し腹は立ったが、お賽銭を入れてくれるなら、
と我慢して愛想笑いを返す霊夢。一応客だし、後で出涸らしのお茶と湿気った煎餅でも出してやろう。
「ああそれと、私の名前は山田ではないから。四季映姫・ヤマザナドゥ。まぁ、所長と呼んでくれれば良いわ」
「あんたって裁判官なんでしょう? 所長はおかしくない?」
「ヤマさんでも良いわ」
満面の笑顔で返される。どの道、判事に相応しい呼び名とは思えない。
「さて、そろそろの筈だけど……」
目を細めて空を見上げる所長ことヤマさん。その視界の端に、小さな点が現れる。
その点は見る見る内に大きくなり、やがて一人の少女のシルエットとなって三人の前に舞い降りた。
「どうも! お待たせしました!」
やって来たのは、『伝統の幻想ブン屋』射命丸 文。
大急ぎで飛んで来た風の彼女に、こんな所までわざわざご苦労様、と労いの言葉を掛けるヤマさん。店子の身分で
『こんな所』も無いだろうと思う霊夢だったが、貰える物さえ貰えれば、と何も言わずに黙っている。後で、瀟洒な
メイドから貰った鈴蘭のハーブティーでも淹れてやろう。
「申し訳無いけれど、開所まで間が無いの。取材は少し速めにお願いしますね」
「ああハイ。判りました」
胸ポケットからペンを取り出し、最初の質問に入る。
「では山田 鋭鬼さんにお訊きします。……
……この『ザナドゥ☆四季山』って、一体何なのですか?」
こういう場合まず初めに訊くべきなのは、何故この様な相談所を作ったのか、とかそういう事が定番であるのだろうが、
今目の前に、こうして露骨過ぎるほど奇妙で面白いものがあるだ。それを放っておくなんて、好奇心の塊である天狗に
出来る筈もない。
「……最初に断っておきますが、私の名前は四季映姫・ヤマザナドゥです。そんな鬼の様な名前ではありません」
けれど、と、少し残念そうな表情になって続ける。
「貴方の様に、私の名前を覚え切れない、或いは、間違って覚えている者が多いのも事実。そこで、私の名前を皆に
覚えてもらえる様、更に、親しみを持ってもらえる様、小町に頼んで略称を考えてもらったのです。それが、この
『ザナドゥ☆四季山』です」
「略称と言うか、そこ迄いくと芸名みたいですね」
「セルジ・O☆越後みたいで格好いいだろう!」
自慢げな顔で笑う小町を見ながら、漫☆画○郎の名前を思い出す文。取り敢えず、セルジ・Oに☆は付いていないし。
「では、え~と……ザナドゥ☆四季山さん? 次の質問です。
『法律のできる行列相談所』とありますが、これって、あの、誤字……なんでしょうか?」
「貴方の言いたい事は判ります。確かに、普通に考えれば、『行列』が先で『法律』が後になるでしょう。
けれど………
貴方は知らないかも知れませんが、裁判と言うものは逆転という言葉と切っても切り離せないものなのです。裁判=
逆転。逆転=裁判と言っても良い位にね。だから、此処の名前も逆転させたのです。判りましたか?」
「ハイ、判りました」
貴方の頭の中身が、どうにもならない位に逆転している事が。そう心の中で呟く。下手な事を言うと、ずっと後に
なってから困る事になるかも知れないので口には出さない。
「それでは最後の質問です。
ザナドゥ☆四季山さんが、今回ここ博麗神社にこの様な相談所を作るに至った、その理由とか、経緯といったものを
教えていただけますか?」
三番目にしてやっと核心に迫った質問。軽く姿勢を正して小さな咳払いを一つ、ヤマさんが話を始めた。大家である
博麗の巫女も、興味津々といった様子で耳を傾ける。
「きっかけは、この春の異変です。
あの時に私は、幻想郷には罪を背負いながらもそれに気付いていない、そういった者が余りにも多い事を知りました。
妖怪の類は得てして寿命の長い者が多く、このまま放っておけば私の元に来る迄にはその罪は最早手遅れ、という程に
まで膨らんでしまう事でしょう。
そこで私は、妖怪や変な人間がよく訪ねる場所であり、また、幻想郷で唯一規律を持つここ博麗神社にこの相談所を
設け、此処で妖怪達の罪を生前に裁いてあげましょうと、そう考えたのですよ。
ゆくゆくは此処だけでなく、幻想郷の各地にこの様な相談所を開設したいと考えています」
「………あのぅ、今のお話を聴きますと、この相談所って、相談所と銘打っているわりに、実質は裁判所の様な印象が
あるのですが……」
「罪を背負った者が、はっきりと『裁判所』と書かれている所にわざわざ自ら足を運ぶでしょうか? いえ、運びは
しないでしょう。ですから、先ずは『相談所』という無難な名前で罪ある者達を引き寄せ、然る後に裁きを受けて
もらおう。そういう事です」
「――――明らかに詐欺ですよね、それって」
そんな文の指摘には応えずに、懐から取り出した帳簿の様な物に何かを書き始める。
「?何ですかそれ。何を書いているんですか?」
「これですか? 先程の貴方の発言が法廷侮辱罪で地獄ポイント+28、と、そう閻魔帳に書いたのですよ。
因みに、貴方の現在の地獄ポイントは87。100でもれなく地獄へ招待です」
「え、ちょっと!?」
「私の賢人としての嘘を、愚者の詐欺行為と同列に置いた事への罰です。
大丈夫。地獄ポイントは善行を積む事で減っていきます。
そうですねぇ……新聞に余計な事を書かずに、当相談所の宣伝をしっかりとやること。
これが今の貴方が積める善行よ」
「…………ああ、はい。なるたけ前向きに善処させていただく方向で検討するよう努力したいと思います」
賄賂などには全く動じない天狗も、流石に死後の行く末を人質に取られては堪らないのか。権力の横暴に、普段とは
違ったどうにも歯切れの悪い言葉で返事をする。
「有難う。頼みましたよ。因みに、血の池地獄はとても鉄臭くて嫌な所ですよ?」
「はいはい判りました!
……今日の話は、明日の朝刊に載せますので、それじゃあ私はこれで」
笑顔のプレッシャーを背にして、来た時と同じ様に猛スピードで飛んで行く。
何処までも広がる空に向かって急激な加速を続けるその背後に、楕円形円錐状の雲が形成された。
音の障壁をブチ破って消えて行く社会の声。幻想郷最速は伊達ではない。
「――――さてと。取材も終わった事だし、小町、準備はもう良いかしら?」
「はい! 準備万端OK一切邪魔無いです」
「そう。それじゃあ――――
――――『ザナドゥ☆四季山の法律のできる行列相談所』博麗出張所、始まりますよ」
【Case1:「ザナドゥ作戦第一号」】
「やっほ~。元気ぃ?」
お昼までには境内の掃除をすませよう、と箒を手に気合を入れている巫女に対し、大手を振りながら鳥居をくぐって
来る珍しい顔。名前は…………神尾某だっただろうか。
いや、違う気がする。二日酔いは既に晴れていた霊夢だが、どうにも思い出せない。まぁ、二人称では「あんた」、
三人称では「あいつ」とか何とか言ってれば良いかと、余り気にもしない。
取り敢えず、紅魔館の門番だという事は覚えていたし。
「あんたがこんな所まで来るなんて珍しいわね。何、とうとう首にされた?」
「失礼ね! ちょいと見回りの最中ってだけよ」
朗らかな笑顔で返してくる。強くて明るい今日の日差しの中に於いて、その笑顔はとても相応しいものだと思えた。
だが、
「で、実際のところは何があったの?」
「…………ああ、いや、それがねぇ…………」
あっという間に暗くなるその表情。
相変わらず眩しいままの陽光を浴びながら、霊夢に向かって事の次第を説明し始める紅魔館の門番こと紅 美鈴。
何でも、レミリアが今日の朝、床に就く際に、
「明日の夕食には『ぼんかれぇ、ちきんらぁめん、すぱおう』が食べたい」と我侭を言ったのが事の発端だそうだ。
友人から借りた本に書いてあったのを見てそんな事を言い出した様なのだが、メイド長である咲夜は今日は買出しの
為に里まで下りねばならないので、レミリアの目的の品を探す時間が取れそうにない。勿論、里の人間に尋ねてはみる
つもりだが、レミリアに余計な知識を教え込んだ張本人、パチュリー・ノーレッジによれば、どうやら幻想郷内の人里に
はまず無い様な代物らしい。時を止めて探しに行く事も考えたが、そもそもどの辺りに在る様な物なのかすら判らない。
パチュリーもそこ迄の事は知らないらしく、メイドの中にも当然判る者は居ない。
そこで、美鈴に白羽の矢が立った。
中国ッポイ外見をしているのだから食材には詳しいだろうし、そもそもレミリアの求める物の内の一品は『らぁめん』
というくらいなのだから、美鈴が知らない筈が無い。
そう咲夜に言われた美鈴だったが、そんな物を知っている筈が無い。取り敢えず、『ちきんらぁめん』と言うのは、
鶏肉が入っているか、若しくはスープのダシに鶏を使っているラーメンだという事は想像できたが、それ以外はサッパリ
である。『ぼんかれぇ』とは梵天の加護を得たカレーか、『すぱおう』は…………想像も付かない。
とは言え、「出来ません」等と言ったならばその場で千本針の山にさせられるのは確実。兎に角、振りだけでもして
おかねば。そう考えて出掛けようとした矢先に咲夜が一言。
「門番の仕事を放っぽいて、一体何処に行くつもり?」
一瞬、咲夜の脳に海綿状の穴が空いてしまったのではと不安になった美鈴だったが、よくよく話を聴いた所、
「白玉楼の門番の様に、分身して片方が門番、片方が食材探しに行けば良いじゃない。貴方、八極拳の使い手なんだ
から、『なんとか陣』とかいう技を使って分身するくらい朝飯前でしょう?」
八極拳と分身に何の因果が在るというのか。全くもって訳の判らない理屈に、「無理です」と当然の返答をした。
結果――――
「――――命からがら、ほうほうの体で逃げ出して来た、と」
「その通り。という訳で、ほとぼりが冷めるまで此処で匿って欲しいの~~!」
そう言いながら霊夢に手を合わせて拝む美鈴の背中は、正面から見た時には気付かなかったが、無数のナイフで
びっしりと埋められている。前面は無傷なのに、背面は逆に傷だらけ。
「あんた、完璧超人じゃあなくて良かったわね」
「?」
「……まぁ、悪ささえしないんだったら、ウチで匿うのは別に構わないんだけど――――
――若し良ければ彼処、行ってみったら?」
売り上げの一割がお賽銭になるというのであれば、少しくらい営業に協力してやるのも悪くはないだろう。そう思い、
手にした箒で境内の片隅を指し示す。
「何あれ。…………『ザナドゥ☆四季山の法律のできる行列相談所』?
あんた、いつから巫女やめていかがわしい商売始めたの?」
「何でいきなり『いかがわしい』という単語が出てくるのかしら?」
「あのド派手な看板におかしな名前。まともな商売だと感じる方がまともじゃないでしょう」
「…………私は場所を貸しているだけ。実際にやっているのは、神社とは無縁の奴らよ。
まぁでも、仮にも『相談所』と謳っているくらいだし、私に愚痴るよりは彼処行って相談する方が良いんじゃない?」
「そうかなぁー…………
う~ん、そうねぇ――――
うん! よし、物は試し、ちょいと行ってみるわ」
久々のまともなお賽銭が確定し、一人ひそかにほくそ笑む巫女。天狗のインタビューに出ていた「実質は裁判所」と
いう言葉については、自分が世話になる訳ではないのだからと気にも留めない。
「あのぉ~、すみません。ちょっと、相談したい事が有るのですが……」
「お、いらっしゃい。あんたは当相談所の記念すべきお客様第一号よ。おめでとう」
「それじゃ失礼しますね」
そう言って小屋に入ろうとするお客様第一号の肩を、ちょっと待ちなと慌てて掴んで引き止める小町。
「その前に、払うもの払ってもらわないと」
「やっぱりお金取られるんだ…………って言うか、先払いなの、此処?
成功報酬とかそんな感じで、後払いの方が有り難いんだけど」
「ん、ああ、基本は後払いよ? これはまぁ、入場料ってとこね。
安心しなよ。今日は本業じゃないし、有り金全部出しなとかは言わないから」
「…………大清宝鈔でも良い?」
「毎度ありー♪」
「っはぁ…… この調子だと、中に入ったら可愛い女の子が居たりして、その娘に親しみを込めてちょっとでも触ろう
もんなら、奥から怖い人が出てきて、
『お客さ~ん、ウチのコに何してるんですか~? コッチとしちゃあ出るトコ出ても一向に構やしませんが、
どうします? あ゛いッ!?』とかなりそう…………」
「まあ、可愛い女の子が居て、怖い人も居る、ってのは確かにその通りだけど」
じゃっそういう事で、と踵を返すお客様第一号の肩をむんずと掴み、先程とは逆に今度は小屋の中へと押し込む。
「お客様一名御案な~~い♪」
「ぶぎゃっ!」
強引に後ろへと引っ張り込まれ、バランスを崩して尻餅をつく。
「あいたたた……って」
形の良い臀部をさすりながら辺りを見回す。外から見た時点で随分と粗末な物だという印象は有ったが、中に入って
それが間違いでは無かった事が証明された。中央に一本、太い木の柱が直接地面に差し込まれている以外は、南側に
窓が一つ、後は小さな椅子が二つと簡素な机が一つ在るだけ。足元に床板の一枚も貼られてはいない為、尻餅をついた
美鈴の服は砂まみれになってしまっていた。
入場料をとる施設だっていうのに、これはまた随分と――――
「――――みすぼらしい所だ。そう思っている様子ね?」
二つ在る椅子の内の片方に座っている少女が、にっこりと微笑みながら美鈴に話しかけてきた。
まるで自分の心中を見透かされたかの様な言葉に、慌てて立ち上がって弁解を始める。
「い、いえ、そんな事ないですよ! 私の部屋に比べれば、全然比べ物にならないくらい素敵ですって!」
「安心なさい。此処が見た目あまり芳しくないものであるという事くらい、私自身充分承知しています。
それより、あまり見え透いたおべっかをを言うものではありませんよ」
いきなり諭されてしまった。尤も、美鈴の言葉は世辞でも何でもなく、実際彼女が与えられている部屋は、これほど
立派なものではなかったと言うだけの話だったのだが。
「さぁどうぞ」
その言葉に従って、服に付いた埃を払い落としてから椅子に座る。
「温かいお湯と冷たい水がありますが。
貴方が飲みたいのは、さあ、どっち?」
「あ、お構いなく」
やっぱり、此処の方がウチよりも立派よね。そう思う美鈴。彼女が部屋で客に出せるものといえば、冬場は冷たい水、
夏場は生温い水、その一択のみであった。
「――――貴方が、ザスパ☆草○さん、ですか?」
「…………ザナドゥ☆四季山です。所長、若しくは、ヤマさんと呼んでもらっても結構ですよ」
「えぇと……それじゃあヤマさん。早速なんですけど、今日来たのは――――」
今日の朝の出来事を滔々と語りだす美鈴。
「――――それでですね、咲夜さんってば酷いんですよ!」
喋っている内に段々とヒートアップしてきたのか、話は次第に、普段から感じている上司に対する不満へとシフトして
いた。
「ほんの些細なミスであっても、すぐにナイフを投げたりナイフを刺したりナイフで斬ってきたり……
最近『キレやすい若者』とかよく言いますけど、そんなもん、咲夜さんに比べれば屁でもないですよ、屁でも!
その他にも、機嫌が悪い日に顔をあわせようものなら、やれ乳がデカいだの、乳がウザいだの、乳が目障りだのと
言っては揉んだり掴んだり切り離そうとしたりで……
これってセクハラですよね、セクハラっ!
ホントもう、我慢なりませんよ! 私はもっと、こう、健全で明るい職場を作っていきたいと、そう思う訳で―――」
「はいはい、判りました。判りましたから、少し落ち着いて下さい」
「っはぁ、はぁっ、ふぅ――――――っ…………
で、ヤマさん! 私は一体どうすれば良いんでしょうか?」
話を聞いている最中ずっと何かを書き続けていた帳簿の様な物に目を落し、しばし腕を組みながら何かを考えている。
それを見ながら、コップ一杯の水を一気飲みして気持ちを落ち着ける。大声の上げ過ぎで少しざらついた喉に、冷たい
刺激が心地良く感じられた。
「美鈴さん、貴方は――――」
帳簿を閉じ、ヤマさんがゆっくりと顔を上げて美鈴に向き直る。どこか深刻な空気さえ覚える眼差し。
これは良案が思い浮かんだと言うよりは、無理です、諦めて下さいとか、そういう事を言われそうな感じだなと覚悟
する美鈴。だが取り敢えず、こうして話を聴いてもらえただけでも、随分とすっきりしたのだからまぁ良しとするか。
「美鈴さん、貴方は――――」
「はい。何ですか?」
「――――死刑です」
「…………はい?」
「然る後、地獄へと堕ちてもらいます」
「――――ハイ?」
『死刑』だの『地獄』だの、全く予想だにしていなかった単語に目を白黒させる。此処は、労働相談所じゃなかった
の?
「あの、すいません…… 何を言っているのかちょっと判らなかったので、もう少し判り易い言葉でお願い出来ます?」
「そうですねぇ。小さな子供にでも判る言葉で言うならば、『ジャッジメンタァイム!』で『デリート許可!』、と言う
事です」
「ちょ、ま!? 何でいきなりそんな横暴ッ!!」
「何故か、と? 私は死後に罪を裁く者。
生前の悪行は全て私が管理してますがゆえ」
「!? ちょっと、それじゃ、ヤマさんのヤマって若しかして……閻王でヤマ―ラジャのヤマ!?」
「その通り」
にっこり笑顔の閻魔様。労働基準監督署か何かのつもりで顔を出してみれば、其処は実は裁判所で、しかも自分が今
座っているのは被告人席という罠。
「騙されたあああぁぁぁぁああ――――――――ッッッ!!!!」
「騙すとは失礼な。そんな事を言っていると、死後界で貴方を焼く業火が強くなるだけですよ」
「いやでも! って言うか私が一体何をしたと!? むしろ私は被害者ですよッ!!」
「…………やはり、思った通りですね。貴方は、自らが背負う業の重みをまるで理解していない」
「え?」
怒りや侮蔑ではない、哀しみに満ちた視線を向けられる。
自分に一体、どれだけの重い罪が有ると言うのだろうか。毎日毎日門番仕事に精を出しているし、それは同時に、妖怪
として人間を襲うという行為にもなっているのだし。
…………まぁ、負けてばかりだが。
それなのに目の前の相手は、自分が地獄に堕ちると宣言する。それ程の大罪、自身でも気付かぬ咎とは一体…………
「そう、貴方は少し胸が大き過ぎる」
「ってやっぱりソッチ系のネタですかッ! 判ってましたよ! 多分そんなんじゃないかと思ってましたとも、ええ!!
っつか、いい加減もうそういうネタはよしましょうよ! もう飽き飽きですってッ!
それとも何ですか!? 貴方もアレですかッ!? ウチの上司みたくソレですかッッ!?
乳ネタと名前ネタが無い美鈴なんて、手提げ鞄で登校してランドセルを背負わない女児並に益体もナぎゃぷご!!?」
興奮の余り真性な上司の神聖な性癖を暴露しかけた美鈴の口が、低空飛行から急上昇するジェット機のような猛
スピードのアッパーカットによって遮られた。
JETの文字と共に天井を突き破って吹き飛び、その後顔面から綺麗に地面へと着地する少女。
「法廷では静粛に!」
「うう……殴ったね…… お嬢様にだってぶたれたこと無いのに!」
爪で引っ掻かれたり、槍を投げられたりなんかは日常茶飯事だが。
「世の中には、大きくなろうとしても大きくなれない可哀想な子供達が沢山居るのですよ!?
それなのに貴方は贅沢ばかりを言って…… 少しは恥ずかしいと思う心は無いのですか!」
「イヤそんな、食べ物の好き嫌いが多い子供に言う様な文句を並べられても……」
「揉まれるのが嫌? 何を巫山戯た事を……! 揉まれるだけの物がある、そんな素晴らしい事は他に無いでしょう!
世の中にはそもそも揉む事すら出来ぬ者が大勢居るのです。それでも無理に掴もうとすると、指が肋骨に当たって痛い
こと痛いこと――――」
「……何かこう、随分と実感の籠もったお話ですね。そう言えば、ヤマさんって見た目――――」
「……………………」
「……………………」
「……死ぬしかないな、ホンメイリンッ!」
「嘘デス! アレですッ! サラシっすよねサラシ!
私も大好きですサラシ! ビバ=サラシ!! ハイル・サラシッ!!」
「判れば宜しい。良いですよね、サラシ。私も大好きですよ」
素早い対応で難を逃れる美鈴。こういった相手への対処は、普段から上司の相手で慣れているので抜かりは無い。
「ですよねッ? ホント、素敵ですサラシ! 私も愛用してますもん、サラシッ!!」
「貴方…………『も』、サラシを巻いているのですか?」
「え? あ、ハイ。最近格闘をする機会があって、それで邪魔にならないよう――――」
「……………………」
「そっ、そんな事よりヤマさん! どうにかして、地獄行きを免れる方法は無いのですか?」
「罪を減らす方法は只一つ。少しでも善行を積む事。差し当たって貴方に積める善行は…………
…………胸を小さくする事かしら」
「…………いや無理」
「無理ではありません。小町!」
閻魔様の呼び掛けに応え、扉から顔を出したのは案内役の少女。
「彼女、小野塚 小町は、距離を操る程度の能力を持ちます。彼女なら、貴方の目障りなソレのトップとアンダーの差を
限りなく零に近づける事が可能なのですよ。
と言う訳で、小町、お願いね」
「判りました所長」
「ちょ、ちょっと、小町……さん? 心の準備というものがまだその――」
「……んー。正直言うとね、あたいもちょっと、こんな事するのは心苦しいのよ。
お前さんの境遇についての話、外で少し訊かせてもらってたんだけど、何と言うかまぁ、他人とは思えないのよねぇ」
「それなら――――」
子犬の様な瞳で見上げてくる少女に対し、小町は、けれどねと続ける。
「若しお前さんが今のあたいの立場だったとしたら――――
――――判るよね。すまないけど、な?」
「――――これにて一件落着。ザナドゥ作戦第一号、無事終了ね。善い事をした後は気持ちが良いわー」
「思いっ切り泣きながら帰ってましたけどね。可哀想な事しちゃったなぁ……」
「…………ところで小町。貴方のその……」
「ああ! これはお饅頭ですってお饅頭! 前々から言ってるじゃないですか。
あたい、お饅頭が大好きだから普段から懐に入れてるって! 何を今更~~」
「……………………」
ドンドンドンドン『ちょっと~、誰か居ないのー?』
「あっ、次のお客が来たみたいなんで、あたいはこれで失礼しますねー!」
【Case2:「あっ!トンボも蛙も氷になった!!」】
「ちょっと~、誰か居ないのー?」
何度戸を叩いても返事が無い。
湖を離れて友達の所へ行こうと飛んでいたら、いつもはあの紅いお屋敷の前に居る緑のが、「モゥコネーヨ!!」とか
泣き喚きながら神社の方から飛んで来た。
これは何か面白いものがありそうだ。そう思って彼女、『氷の小さな妖精』チルノは、ここ博麗神社までやって来た。
其処で何だか妙な看板を掲げる建物があるのを見付けたので、中に入れてもらおうとさっきから呼んでいるのだが
とんと反応が無い。既に夏は過ぎたとは言え、今日の天気は雲一つ無い快晴。南天ど真ん中から遮る物なく降り注ぐ
陽光は、氷精のチルノにはかなり辛い。
流石に我慢の限界だ。中には誰も居ないのか、ならもう、勝手に入ってしまおう。そう思って戸を開けようと手を
出したその瞬間、
「うきゃっ!」
内側から勢いよく開いた扉に跳ね飛ばされた。
「ああもう。聞こえてるってば、突貫工事で仕上げたボロ屋なんだから、余り強く叩かないでよねぇ……
……って、あれ、誰も居ない?」
辺りを見回すが何者も見当たらない。痺れを切らして帰ってしまったか。
そう考えている小町の足元から、甲高い声が聞こえてきた。
「ここよここ! ここにいるってば!」
「ん……あっ」
女性としてはかなりの身長を持つ小町と、元から背が小さい上に尻餅をついているチルノ。
「すまんスマン。真面目に気が付かなかった」
「お約束なネタだけど、実際にやられるとものスゴく腹が立つわね!」
膨れっ面で立ち上がる妖精に対し、侘びだと言って服に付いた砂利を手で払ってやる小町。身長の差もあって、その
光景はまるで仲の良い姉妹の様で微笑ましい。或いは、ヤンママとちょっと大きな子供。
「で、お前みたいな子が何の用だい? まさか相談事でもあるまいに」
「ん。何だか面白そうな物があるから、ちょっと中を見てみようと思っただけよ」
「……一応、お客さん、って事になるのかなぁ。でも……妖精がお金なんて持っちゃいないよねぇ……」
「お金はないけど、そんなのよりもっといい物があるわよ!」
得意気な顔で懐から取り出したのは、
「……何これ?」
「氷漬けのココイガエル。きれいでしょ! コレあんたにあげるから、中見せてよ。ね?」
どうしたものかと悩む小町。氷漬けのココイガエルだなんて、貰ったところで一体何に使えるというのだろう。蟲毒の
タネとして魔法使いか魔女にでも売り付けたとして、二束三文で買い叩かれるのは目に見えている。だからと言って、
手元に置いておく気も更々無い。死神のお供として毒蛙というのはありなのかも知れないが、少なくとも小町には似合う
とは思えなかった。
「ねぇー、駄目?
だったらさ、何か他のもの、凍らせて持って来るよ。キリンでも象でも好きなの言ってよ!」
「……いや、これでいいわ。有難う。さ、入りな」
こんな子供を相手にあこぎな真似をする気にはなれないし、かと言って意地悪して通せん坊する必要も小町には無い。
そもそも、この『入場料』だって、上司に言われたから徴収しているだけなのであって、小町自身は別に無料であっても
構わないと考えているのだ。
ここは快く通してやるのが大人ってもんだろう。そう思って、チルノを中へ入れてやった。
「――何よこれ。表から見てもボロだったけど、中はもっとボロじゃない」
「あら、久しぶりね」
「ん?…………げっ!」
知った声がすると思ってその方を見たチルノだったが、其処に居たのはいつぞやの異変の時に出会った変な奴。花に
浮かれて遊び回っていたチルノの前に突然現れ、いきなり難癖を付けてきたお説教魔。
「表に書いてあったザビエル☆河童ァフィールドって、あんたのことだったのか」
「ザナドゥ☆四季山です。所長若しくはヤマさんと――――」
「私、帰るね」
また色々五月蝿い事を言われては適わない。回れ右をして立ち去ろうとするチルノの、
「きゃひっ!?」
両脇を二本の光が奔った。服の焼け焦げる嫌な臭い。かすった光線の熱量で、両の羽の先が少し溶けている。
「まぁ待ちなさい。折角来たのですから、少しはゆっくりしていってはどうです?
こちらとしても、貴方にはまだ色々と話をしておきたい事がありますし。ね?
それでも帰ると言うのなら……
……次は、当てますよ?」
「は……ハィ…………」
ネジの切れかけた絡操りの様なぎごちない動きで席に着く。チルノは、生きながらヘビにのまれるカエルの気持ちを
理解したと思った。
「少し長くなると思うから……冷めない様、あっついお湯を淹れますね」
「イエ、おカマ居なく」
「――さて、と。貴方の罪について話す前に、まず妖精とは、自然とは何なのか、について少し話をしましょう――――」
「――――んにゃぁ~~…………
……ふぇー…… 右手ぇに見えますのが~…… 所謂魚竜の代表とも言われまふイクチオサウルスでぇ~~……
あっ、左手前方に今顔を出しましたのがぁ―――…… あのゆうめひな恐竜魚、その名もガ―――――…………」
「ちょっと。ねぇ、ちょっとってば」
「いやれふわ~~お客さんったらお世辞がお上手れ~~…………
…………そこまで言われるのでしたら、あたくし、小野塚 小町、一曲だけ歌わして…………」
「ちょっと! 起きなさいよ!」
「きゃん!」
「――やっと起きたか」
「だ、だだだだだだだだ、大丈夫です! 寝てません! ぜぜん、寝てなんかっ…………て、なんだ。お前か」
突然の怒号に慌てて飛び起きてみれば、其処に居たのは上司ではなくて巫女。急いで目を覚まして損をした。こんな事
だったら、『MY HEART WILL GO ON』をゆっくりフルコーラスで歌っていても問題無かったではないか。
「ったく…… あたいの仕事は舟を漕ぐ事だってのに、何だい、何か文句でも有るのかい?」
「そうじゃないわよ。はい、これ」
出来の悪い頓智の様な屁理屈で食って掛かって来る死神に対し、お茶と煎餅の載った盆を差し出す霊夢。
「ん? ああ、こりゃ済まないね。もう八つ時か――――――――ん…………?」
先程の妖精が中に入ったのは確か正午の頃。八つ時と言う事は、あれから既に一刻程の時間が経っている計算に
なる。だが、彼女が外に出た気配は無かった。いくら居眠りをしていたとは言え、ずっと扉の前に居たのだから誰か
が出て来れば気付かない筈は無い。と言う事は――――
「――――あの子、まだ中に居るのか?」
「――――と言う訳で、カンブリア紀に於けるこの大量絶滅が、後の――――」
熱い。
兎に角熱い。
日の当たる外よりも屋内の方が幾分かは涼しいだろうと踏んでいたチルノだったが、閉め切った室内は風通しが悪くて
意外に蒸し暑い。一応窓は在るのだが、プライバシー保護を理由に開けてもらえない。その割りに、チルノが今座ら
されているのは窓の前で、カーテンも何も無いのだから太陽の光が直接当たる。せめて冷たい水の一杯でも飲みたいが、
説教魔が出してくるのは何故か熱いお湯のみ。
そんな状況で、もう随分と長い間話を聞かされている。内容は、トリウムの崩壊速度がどうだとかXのn乗とYのn乗
の和がZのn乗に等しいという式がああだとか、まるで訳の判らないものばかり。
自分が何故こんな所に居るのか。自分は今何をしているのか。そんな事をすら、今のチルノには最早考えられなく
なっていた。
「ぁふうぅっ…… やっ…… も、ダメぇ…… もう堪忍してぇ…………」
「何ですか? この程度で音を上げるとは情けない」
「でもぅ…… 私、熱くて、もう頭の中真っ白で……
このままじゃ私、溶けちゃうよぅ…………」
「このままでは、貴方の行く末は不幸なものにしかならないと言うのに…… まぁ仕方ありませんね」
息も絶え絶えな少女の哀願を受けて、小屋の片隅から少し大きめの箱を一つ持って来る。
「貴方にこれを授けます」
「なにこれぇ……」
「私の霊力を付与した、有りがたぁ~~い壷です。これを持っていさえすれば、如何な不幸も貴方を避けて通ります。
どうせ手持ちは無いのでしょうし、分割払いと言う事で、取り敢えずこの契約書にサインを書きなさい」
「?……よくわかんないけど、これに名前書いたら帰っていいのね…………?」
覚束ない手元で筆と紙切れを受け取るチルノ。何やら細かい文字が色々と書いてあるが、そんな物を読んでいるだけの
余力など今の彼女に有りはしなかった。
「書き終わったわ~、これでいいでしょう~?」
「ええ。大変良く出来ました」
【Case3:「ヨウカイホタルは闇夜の侵略者!」】
「ちょっと! コレはどういう事っ!?」
「え! ハ、ちょ? なにッ、何っ!?」
可哀想な妖精が、普段の元気馬鹿からは想像も出来ないくらいのやつれた顔で神社を後にしてから僅か数分。小町で
すら気圧される程の剣幕で怒鳴り込んで来た蟲が一匹。
「何じゃないわよ! コレよコレ!」
手に持つのは、先程の妖精が持って帰った箱。中には、古道具屋に持って行くのすら躊躇ってしまう程の、汚らしくて
安物の壷が入っている。
「チルノがこんな物持って来て、様子がおかしいと思って話を訊いてみたら…………
もう、あったま来たわ! 詐欺よ詐欺! 出るトコ出て訴えるわよ!?」
その『出るトコ』の主が売りつけたのだが。
「緑の……って言ってたから、あんたじゃないわね。
責任者は中? 入らせてもらうわよ!」
「あ、ちょっと。待ちな!」
扉の前の小町を押し退けて、強引に中へ入ろうとする蟲。先刻の妖精の友人なのだろうか。友を想うその姿勢に好感は
持てたが、かと言って小町としても彼女を易々と通す訳にはいかなかった。
「ん!? ああ、入場料が要るんだっけ? 意地汚いなぁ…………
ほら! 子供達にも大人気のコーカサスオオカブト・ギラファノコギリ・パラドキサマンティス・タランチュラの四点
セット! これで文句無いでしょう? 入らせてもらうわッ!」
「兜と鍬形はまだしも、他の二つは…………って、そうじゃなくて今は――――!」
小町の制止の声も訊かず、壊さんばかりの強い勢いで蟲が木戸を開け放つ。
「ちょっとッッ! あんたがザルツブルグ劇団☆四きゃあああああぁぁぁぁぁあああ―――――――ッッッ!!??」
開け放たれた扉からレーザー光が迸る。
僅か2.8秒で『ジャッジメンタァイム!』⇒『デリート許可!』⇒『ゴッチュウ』まで済まされた哀れな蟲。
「何サボってるの! 小町!」
「きゃん!」
口の周りを煎餅のカスで汚したまま顔を出す閻魔様。右手には笏を、左手にはしっかりと湯呑みを持っている。
「お八つ時に○○○○の侵入を許すなんて。全く、使えないホウ酸団子ねぇ……」
「酷ッ! て言うか、その蟲、一応お客だったんですけど……
少しは話を聴くくらいしても良かったんじゃないですか?」
「一寸の虫にも五分の魂。魂が五分しかないという事は、裁判にかける時間も半分という事。判るわね?」
目の前の蟲は一寸どころかその五十倍くらいはありそうだが。そもそも、半分でこの時間じゃ普通の裁判でも六秒弱
しか使わないのか。ツッコミ所は色々とある小町だったが、言った所で聞いてくれる上司でもない。
ここはせめて、冥福でも祈ってやるか。そう思ったが、それも詮ない事なので止めにした。何せこの蟲、閻魔様の怒り
に触れたのだから。
「…………それにしても、折角愛称を考えたと言うのに、皆間違えてばかりねぇ。
ここは一つ、新たな策を考えた方が良いかしら」
【Case4:「月の兎は悪い奴!」】
「ちょっとごめんなさい」
「ん? ああ、お前か。練炭の買い溜めとかはしてないだろうな?」
「…………いきなり訳の判らない事を」
夕暮れ迫る西の空、大分低くなった太陽を背に降りて来たのは月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
「で、相談事か? そりゃ良い事だ。
衝動的にやってしまう前に、人に話を聞いてもらえばスッキリして気も変わるってぇものよ」
「また訳の判らない……
私が来たのは、相談事と言うか、何か面白そうな物が出来たから調べて来いって、そう師匠に言われたからですよ」
「今日の朝に開所したばかりなんだけどな。随分と耳の早い。流石は兎の師匠」
何が流石なのかはレイセンにはよく判らなかったが、耳が早いと言うのは少し違う。
彼女の師匠八意 永琳は、その天網を以て暇さえあれば幻想郷の彼方此方を監視、と言うか少女相手の出歯亀行為に
勤しんでいる。今日も巫女の腋をオカズに御飯を食べようとしていたら、たまたまこの相談所を見つけたのであって、人
づてに噂を聞き及んだとかそう言う事では無かった。
「出来れば来たくなかったけど、師匠の命令だしなぁ…………
あ。入場料はコレで良いかしら?」
そう言って差し出したのは、二つ重ねられた少し大きめの重箱。その上段に入っている餅は、つきたてなのだろうか、
白い湯気がお腹の空く匂いと共に立ち上っていた。
「私がついたものだけど、良かったら…… あ、下には餡子と黄な粉が入ってるから、お好みでどうぞ」
「お、有難いね。晩飯にでも頂くとするよ」
「喜んでもらえたなら嬉しいわ。
師匠は『使用済みの下着を渡せばそれが一番』とか言ってたけど、そんな穢い物よりこっちの方が良いわよね?」
「ん? ああ、そうね……」
下着は下着で、古道具屋に持って行けば高値で買い取ってもらえそうだったが。
「それじゃ失礼しまして」
小町に会釈をして、その背後の扉に手をかける。微妙に焦げた様な跡が付いているのが何だか不吉だった。
立て付けの悪い戸を押して中に入る。途端、
「突うっ走ぃれぇ――――っ 空をー飛べ――――♪」
カウンター気味に大音量で響いてくる歌声。その余りの五月蝿さに、頭の上へ手を伸ばして耳を押さえるレイセン。
「罪有る者達 裁くまでぇ♪」
「ちょっと! すみませn
「守ぉるぞー 平和をー 楽園のぉ―――
かーあっともえーるわぁ 正義の心ぉ――♪」
「あのッ! 少し音量を下g
「見ぃーよー!審判ぅ 『ラスッ ジャッジ メェ――ンッ』!
少女のぉ命をー かけてーゆくぅ―――♪」
「聞こえてないんですかッ! 閻魔さm
「そっのっ名は そのぉ名はぁ――
四季いぃ映姫ぃー ヤマァーザナァードウゥゥゥ!」
「人の話を聞けえええええぇぇぇぇぇ――――――――ッ!!」
「あら、聞いてますよ?」
一曲歌って気が済んだのか、拳を握った熱唱っぷりから0.1秒で普段の凛とした姿勢に戻る閻魔様。
「聞こえてるんだったら、返事くらいして下さいよ……」
「今したでしょう」
「そうじゃなくて……」
「歌の途中で返事をしろと?
駄目ですね、そういう考えは。一度始めた事は、最後まで責任を持って成し遂げねばならないものです」
「……あーそーですね」
当然でしょうといった目で見てくる相手に対し、何とか自分を落ち着かせようとするレイセン。権力を持った何とかの
相手は普段から慣れてはいるが、疲れる事に変わりは無い。
「て言うか、何なのですか、今の歌は?」
「皆がなかなか私の名前を覚えてくれないので、何とかして覚えてもらおうと作った歌です。
こう、『ヤマァーザナァードウゥゥゥ!』の所でお腹の底から搾り出す様に声を出すのがポイントで…………」
「あーはい。そーですか。じゃあ私はこれで」
失礼しますと言ってUターンする兎。
「まぁ待ちなさい。貴方の目的は此処がどういった所か調べる事でしょう?
ならば丁度良い。暫く此処で働きなさい」
「あー、すみません。今日中に仕上げなきゃいけないレポートがありましてぇー……」
「体験学習というものです。貴方の素晴らしい従者振りはよく承知しています。
小町はサボってばかりだから、貴方の様な優秀な助手が欲しかった所なの」
「えー、あと今日は食事の当番でもあるんですよー。
ウチの姫、時間通りに御飯を部屋まで持っていかないと、キレて暴れ出しかねないから」
「貴方の名前は……そうねぇ、『電波妖怪ウドンゲ』と言うのはどうかしら?」
「少しはまともに会話をして下さい! つーか、その風狂みたいな名前はなんですか!?」
「仲間はウドンゲ! 電波投げ♪」
「そんな必殺技は持っていませんッ!」
「…………さっきから不満ばかりですね。
そんな態度を続けていると、私は貴方を地獄へと堕とさねばならなくなりますが……?」
そら来た、これだからこの人の所には来たくなかった。そう後悔するレイセンだが、時既に遅し。お気楽極楽な他の
妖怪達と違い、明確な罪ある過去を背負うレイセンにとって、『地獄』という単語は生々しくて重い枷となった。
黙り込むレイセンを見て、ここが勝機とばかりに追い討ちをかける閻魔様。
「奈落(ナーラカ) 紅い瞳にはー 奈落 何がうつーるー
冥い闇の底でぇ 地獄のぉ扉ぁー 見つぅーけるーからぁ―――♪」
「そんな日曜朝の女の子向け漫画みたいなメルヘンチックなメロディで嫌がらせ満タンな歌を唄わないで下さいっ!
判りましたからッ! 此処でお手伝いさせていただきますからぁ――――――――ッ!!」
叫ぶ彼女の目が紅い訳を、ただ単に兎だからだとかコミュニストだからだとか、そんな理由で片付けるのは少しばかり
酷であろう。
【Case5:「2大妖怪ザナドゥに迫る!」】
「あ~~ぁ、もう完全に夜になっちゃったよー……」
今頃師匠は怒っているだろうな。いや、あの人の事だから、今の自分の様子を密かに観察してほくそ笑んでる方があり
得るか。そんな事を考えながら、十四杯目の水を飲み干すレイセン。
結局、彼女が来て後は一人の来客も無く、暇を持て余した閻魔様の、説教と世間話の入り混じった話をずっと聞かされ
ながら夜まで過ごす事となっていた。小屋の窓から見る事は出来なかったが、恐らく今頃は、いざよう月もとっくに空へ
と昇ってしまっている事だろう。今日は朝からずっと良い天気だったから、きっと月も綺麗に見えているに違いない。
「えん……じゃなくて、所長? もう閉めましょうよー」
そう提案するレイセンに、それもそうねと腰を上げる四季。扉の外からは、憚る事の無い大きな鼾が聞こえている。
四季の言葉を受けたレイセンが、早速外に出ようと扉へ向かう。と、
「!?」
その長い耳で異様な波長を察知し、咄嗟に木戸から距離を離す。
尋常ではない大幅な波の乱れ。巨大な力を持った何者かが、高速で博麗神社に接近して来ている。
数は二つ。しかも、これは…………
「ふにゃ…… !?ちょ、な、何だ、お前達ッ!!」
外で小町が目を覚ました気配があった。そう思った刹那、
「って、ぅきゃあああぁぁぁぁあああぁぁ――――――――ッッ!!??」
叫び声と共に、扉を突き破って吹き飛んでくるのは死神の少女。
そして、壁に深く突き刺さるは、紅く光る王神の槍――――――――
「――ウチの門番と似た雰囲気だったものだから、つい手加減無しでやってしまったけど……
大丈夫だったかしら」
闇夜を照らす月の光の中、舞い降りたのは悪魔の羽を広げる吸血鬼と、
「大丈夫よ。死んでさえいなければ、私がちゃんと治しておくから」
聖母像の如き慈愛に満ちた微笑をたたえた薬師。
「師匠に、レミリア・スカーレット!?」
「これはこれは…… 随分と珍しい組み合わせですね」
「あ? 別にこいつと一緒に来たつもりは無いわよ。途中でたまたま一緒になっただけ」
露骨に不機嫌そうな顔をするレミリアに、永琳は、つれないわねぇと一言声を掛けた後、弟子の居る方にゆっくりと
向き直る。
「全く、こんな所でなに油を売っているのかしら、ウドンゲ?」
「いや、ちが、師匠、コレには訳があr
「丁度良い! 貴方達の様な重く深い罪を背負う者とは、一度は話をしなければと思っていたのですよ!」
「ちょ、所長! 何でいきなり喧嘩腰ッ!?」
ウドンゲの言葉には耳を貸さず、トゥッ!と掛け声も勇ましく机に飛び乗る閻魔様。
「天が知る地が知る人が知る! 罪を裁けと我を知る!
聞け咎人ども! 私は楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマz
「ああ知ってるわ。ザンコ☆くな天使のテーゼさん、だったかしら? 表に書いてあったわ」
「ザ☆ウル○ラマンじゃなかったっけ、確か」
臆面も無く言い放つ永琳とレミリア。今迄の来訪者達とは明らかに格の違う相手に、流石の四季にも僅かの緊張感が
奔る。
「名前の事は、まぁ良いでしょう……
それで……貴方達が此処に来た用件は何ですか?」
「……ウチの門番が、随分と世話になったみたいじゃないか?
そのせいでメイドが泣いて騒いでね。こんな事をした張本人を連れて来いって」
「それで貴方がわざわざ動いた、と。随分と優しいのですね?」
「従業員が快適に働けるよう職場を整備するのも、雇い主の大切な仕事の一つだろう?
後はまぁ、調子に乗っている新顔に、少しばかり礼儀と言うものを教え込まなくちゃ、って事もあるかしら。
どちらにせよ、兎に角――――」
其処の赤いのは貰って行くよ。そう宣言し、自身の攻撃で目を回している少女の方を見遣る。
「なるほど。貴方の用件は判りました、レミリア・スカーレット。
で、八意 永琳。貴方は?」
「面白い物が出来たからと使いを送ってみれば、其処を仕切る新参者にウチの丁稚がたらし込まれた。
これはもう、丁稚を取り返すついでにその女の顔も拝見せねば、とね」
「丁稚って師匠、私、女の子なんですけど……」
なるほど。
事務所に殴り込んで来たこの二人の目的とは、要は自分の部下一人と一羽を奪い去る事。そう判断した四季。
冗談ではない。自分の望みはひとつ、楽園の平和のゆくてを守る事。小町もウドンゲも、その為の大事な人材なのだ。
黙って渡す訳にはいかない。
「と言う訳でウドンゲ! 必殺『電波投げ』でこの痴れ者二人に罪の苦さと言うものを教え込んでやりなさい!」
「何が『と言う訳』!? ってか、さっきも言いましたけど、そんな怪しげな名前の技なんて持ってませんよッ!!」
「……へぇ。弾幕るというのかしら、師である私と?」
「違いますよ師匠!」
目は笑っているが顔は笑っていないという、何とも器用な表情でプレッシャーをかけてくる永琳。そんな師匠に気圧
されてレイセンが後退る。その背後で、
「悪行天罰で地獄 アハハン♪ 悪行天罰で地獄 アハハン♪ じーごーく じーごーく♪」
「デューダッ!?」
明後日の方向を向きながら嫌がらせ鼻歌を唄う閻魔様。
前門の虎、後門の狼。どちらも、兎がどう頑張った所で何とかなる相手ではない。
どちらかを選び、残った片方によって死を与えられるのが変えられぬ定め。ならば――――
「――――スンマセン師匠ぉぉおおおおっ!!」
どうせ死ぬのなら、その後に少しでも良い道が残されている方を選ぶ。そんな悲壮なケツイで師に掴みかかるレイセン。
「ウドンゲそらゆけ電波投げ! ウドンゲンゲンゲ電波投げ!」
「うぅおおおぉぉぉ――――――――ッ!!」
四季の声援に押されて飛び掛ってくる弟子の、
「やれやれ」
右腕をかい潜り、擦れ違い様に膝を一発入れる。
「ヘドぶち吐きなさいッ!」
そのまま首と足とを掴み、レイセンの腰が自分の頭の後に来る様な形で持ち上げる。見事なバックブリーカー。
「この、月で生まれたエロネタ担当のダメ兎のくせに」
「ホゲェー!」
背中からはバギバギという嫌な音を、口からは叫び声を上げるレイセン。
「わたしのカラダを! その饂飩臭い手でさわろうなんてねぇ~~~~~~っ!!
こいつはメチャゆるさんわねええええ!」
「うげァああああ! あがっあがっうげっ! おげっ! ゲボーッ!!」
「ほらほーらほーら」
リズミカルに力を加えたり抜いたり。それに合わせて呻き声を出すレイセン。
「ガボガボ!」
レイセンが口から泡を吹き出すに至って、永琳はようやく弟子の身体を地に下ろした。
「……薬師である貴方が、また随分と荒っぽい技を使うものですね。興奮しているんですか?」
「ウドンゲは、弟子のクセに私に逆らおうとしたとっても悪いうさぎなのよ。こらしめて当然でしょ!
ちがいますかねェ? ザイケイチョチクデ☆老後も安心さん!」
仮初のそれではなく、心の底からの笑顔で映姫に応える薬師。
(…………………………………この人)
異様な空気に押されて思わず唾を飲み込む。多少世間ずれしている所が有るとは言え根は真面目な四季にとって、
初めて目にする本物のサディスト。自分が同じ立場だったら、小町相手にここまでの事が出来るだろうか。否、出来は
しない。お仕置きと言っても、彼女がするのは精々お説教を聞かせるか、軽く弾幕勝負を仕掛けるかくらいのもの。
自分の部下に躊躇いも無くバックブリーカーなんて荒技をかけ、その上「太腿がスベスベで気持ち良かったわ♪」と
ツヤツヤの顔で語るなんていう行為。四季には理解も真似も出来ないし、また、したくもなかった。
「さて……目的その一は果たしましたし、お次はその二といきますか?」
「!?」
気絶した弟子から、映姫の方へと永琳がゆっくりと視線を移す。とても優しい笑顔。それなのに、その姿に相応しいと
思える形容詞は、只『邪悪』という単語それのみ。
一歩ずつ近付いて来る永琳と、それから何とか間合いを離そうと後退る四季。
「いやねぇ。そんなに警戒しないでほしいわ。私は只、貴方に相談したい事が有るだけよ。相談所なんでしょ、此処?」
「…………どういったお話で?」
「聞いた話だと、貴方、引き籠りを一人(と言うか一体)、更生させたそうじゃない?
その手腕を見込んで、ウチの姫の事もお願いしたいのだけど」
「姫……蓬莱山 輝夜ですか」
「そう。
HiME(『Hi“ヒ”』キコモリ人生『M“ま”』っしぐら『E“え”』ーりんさっさと飯持って来いっつってんだろこのダラぶち
が!)ったら、この間の異変の時も、イナバ達があれほど騒いでいたと言うのに部屋に籠もって顔も出さない。
『えーりんなんかよりエリンの方が万倍素敵』なんて真顔で言われた日には、私は一体、どうすれば良いのかしら。
ねぇ? 具体的に何か良い策は無い?」
「そ、それは……」
四季の本職は死者の魂を裁く事であり、教師でもカウンセラーでも、精神科医でも宗教家でもないのだから、引き籠り
対策なんてものは本来専門外である。
直接本人に会って説得をする機会さえあれば、何とか出来るという自信は有る。が、いきなり会った事も無い人物の
話を持ち出されて、では具体案をどうぞと言われた所で答え様も無い。
「そ、そうですね。では、一度彼女と会って話を……」
「はぁ…… 私の話を聴いていなかったのかしら?
姫は、家のペットにすら滅多に顔を見せないのよ。
それなのに、見ず知らずの貴方とどうやって引き合わせれば良いのよ?」
「そんなこと言われても……」
「……やれやれ。役に立たない相談所に、役に立たない所長さん、か。
引き籠り対策で法律を作るのも、立法の大事な仕事の一つでしょうにねぇ」
失望の溜め息、侮蔑の眼差し。
憤って四季が反論をする。
「役に立たないとは何事ですか!
そもそも、法律などと言うものは人間が決めた約束。
私の仕事は、法で裁けない罪を裁く事。何故わざわざ立法なんて――――!」
しまった、と思い口をつぐむ。だが遅かった。
四季の言葉を聞いた永琳が、嬉しそうにその口の端を歪める。
「あらあら? 表には『法律のできる』って書いてあったのに、ねぇ?
それに何? ここって『相談所』と銘打っているのに、所長さんのお仕事は裁きを行う事なの? それじゃあ相談所
じゃなくて裁判所じゃない。
裁判官が虚偽広告とは、なかなかに面白いわね。主に笑えるという意味で」
嵌められた。この程度の簡単な罠に……!
冷静さを失っていた自分を呪う四季に、
「その辺にしておいたら? ザケンナー☆裁鬼とやらが可哀想じゃないの」
レミリアの容赦無い一言が突き刺さる。四季の頭の中で、何かの切れる音が綺麗に響いた。
「貴方達ッ! その様な態度ばかりとっていると、死後、地獄に堕としますよ!?」
突然の怒号に、何を言われたのかすら判っていないといった様子で唖然と立ち尽くす永琳とレミリア。
沈黙が支配する中、はぁはぁという、少し荒い四季の呼吸の音だけがやけに大きく聞こえる。やがて――――
「……ぷっ、くっ…………
『地獄に堕ちろ』って…… 悪魔に向かって言う科白かしら……」
身体をくの字に折り曲げて必死に笑いを堪える紅い悪魔と、
「天国も地獄も、そもそも死ねない身ならば無意味でしょうに」
呆れた顔で四季を見下す蓬莱人。
地獄を恐怖の対象にしない者と、例え望んだとしても地獄に行けない者と。
そんな二人に対し、四季の言葉は脅しどころか只の戯言以外の何物でもなかった。
「くっ…… ぷふふ……
あっ……はっはっはっはっはっ――――!」
堪えきれず、ついには大声で笑い出すレミリア。腹部に手を当て、涙目で苦しそうに身体をよじる。
そんな様子を眺める四季の、
「――――――――ひぅっ……」
今度は心の中で、
「…………うう゛…… ぐっ……ぇうっ――――」
何かが切れて落ちて行った。
「うあぁ…………
……うわあ゛あ゛ぁぁぁぁああああああ――――――――んッッ!!!」
「ッ!?」
悪魔の羽がピンと伸びる。目に涙を溜め口は開いたままという、何とも間の抜けた格好で固まってしまったレミリア。
無理も無い。目の前の相手は、外見こそ少女のそれであるが、その実は死後界で魂の罪を裁く地獄の王であり、悪魔や
鬼と同等か、或いはそれ以上に人や妖怪に畏れられる存在なのだ。
それが、そんな彼女が、子供の様に泣きじゃくっている。
両の眼から大粒の涙を溢れさせ、鼻から流れる光る筋すらそのままで、大きく開け放った口を隠そうともせずに喚き
ちらしている。
「あー、ちょっと、その……」
いくらなんでも笑い過ぎたか。さしもの我侭お嬢様も、流石に悪い気がしてきて何とか宥め賺そうと試みるが、近
付こうとすると両手を振り回して一層強く泣き叫ぶのだから手に負えない。
メイドを連れずに一人で来た事を、今更ながらに後悔するレミリア。
「わたっ!…………って、みん……じご……っヤだから、いっしょ……け……めぇ…………」
必死になって何かを訴えようとしているが、嗚咽に遮られた言葉では何を伝えたいのか全く判らない。
「――っに、みな……バっ……あ……あっ、あ、あ、あ゛、あ゛、ああ゛――――――――――ッッ!!!!」
一向に泣き止む様子を見せない閻魔を前に、頭を抱えて完全にお手上げの吸血鬼。
喧しい者を静かにさせる為に彼女が普段用いる方法と言えば、弾幕を張る、槍を投げる、パチキを喰らわす、の三通り
が有るが、この場面でそうした手段に訴えるのはどうにも気が引けた。
「……私が泣かせたんじゃないからね。何とかしなさいよ」
自分の馬鹿笑いを棚に上げたレミリアの言葉には応えず、ゆっくりと永琳が四季へと歩み寄る。
「ああ゛ッ!!」
乱暴に振り上げられた四季の右手を、
「!?」
軽く上体を後ろに反らして躱しつつ、左手で受け止める。
四季が一瞬ひるんだ隙に、すかさずその頭の後ろに右手を回し、強引に自分の胸元へ引き寄せた。
「!?むんっ、ぅむっ……、……むっ、んぅ~~~…………」
突如顔に当たった二つの暖かな膨らみの感触に、訳も判らぬまま、けれど次第に大人しくなる少女。
その背中を左手で優しく撫でながら、静かに永琳が話しかけた。
「判るわ……
貴方はとても優しい娘。いくらお役目とは言え、罪を背負った者が相手とは言え、死者の魂を地獄に堕とす裁断を下す、
その事に我慢がならなかったのでしょう?
だからこうして、此岸に於いて、生きている内に罪の清算が出来るよう導き、咎の重ねられる事の無いよう見守り……
そう考えてこの相談所を作ったのでしょう?
……貴方のそうした行いを、理解できずにただ鬱陶しいと、余計な事だと非難する者も居るのかも知れないけれど――
――でも大丈夫。私は、私だけは、貴方の事、みんな判っているから――――」
永琳の言葉には何も応えずに、ただ彼女の胸に顔を埋めたまま小さく肩を震わせている四季。
「――――ねぇ。良かったら、うちに、永遠亭に来ない?」
「っ?」
全く予期せぬ言葉に驚き、涙に濡れた顔で見上げてくる四季と、その視線に暖かな笑顔で応じる永琳。
「うちには沢山の部屋があるから、貴方に専用の場所を用意する事も出来る。優秀なイナバ達を助手にも付けるわ。
どう? 悪い話ではないと思うけれど……」
「……でも――――」
「私は貴方のお手伝いがしたい。貴方の力になりたいの。駄目かしら? ねぇ――――
――――四季?」
「!…………あ…………は、
――――はぃ……」
少し恥ずかしそうに俯きながら、けれどはっきりした声で応える。
「良かった。そうと決まれば、はい」
永琳が純白のハンカチを取り出し、そっと四季の目元に当てる。
「えっ?あっ……」
「ほら、動かないで。女の子がいつ迄もそんな顔をしていては駄目よ?」
静かに顔を撫でる優しい感触。何だか温かい布団の中で夢を見ている様な、何処か現実離れした、けれどもとても心地
良い時間。
目の前の穏やかな笑みを恍惚とした表情で見詰める四季の、その小さな口がゆっくりと動いた。
「あ、あの、その――――」
「?何かしら」
「あ、え、お、ぉ……………………も、……ですか…………」
「聞こえないわ。どうしたの、四季?」
「ぁ、お…………そ、そのぅ――――
――――『お姉さま』って呼んでも…………いいですか――――――――?」
――――――――ナンダコレハ。
目の前で急展開される異状に、頭の中がグルグルと音を立てて回転しているかの様な感覚を覚えるレミリア。
ツッコミたい事はそれこそ山ほども有るが、下手に関わると自分もこの奇っ怪な空気に侵食されそうな気がして、
怖ろしくて近寄る事も声を掛ける事さえも出来ない。
「まぁ、なんだ、その、こーいうのは――――」
関わらずに放っておくのが一番。そう結論に達したレミリア。元々彼女の目的は、門番の胸囲を弄った赤毛を連れて
来る事。その赤毛の雇い主が誰とどういう関係になろうが知った事ではない。
そう考え、未だに目をグルグルにしている標的の方に歩み寄る。
「ほら、起きなさい!」
ボールでも扱うかの如く、遠慮なく赤い頭を蹴り上げた。大柄の身体が宙に舞う。
「きゃん!?」
一撃で目を覚ます小町。そのまま空中で姿勢を立て直し、綺麗に着地――
「いきなり何を……ってなんじゃこれキゃうわがっっ!!!」
――失敗。着地の瞬間に足が滑った。寝起きの眼にぶっちゃけありえない光景を押し付けられ、足から力が抜けて
しまった。
先程、扉の前で秋の涼風に吹かれながらうたた寝をしていたら、突如化け物二人が降りて来て、次の瞬間、視界が真紅
に染まって――――
そうして今、頭を揺さぶる衝撃に目を覚ましてみれば、視界に入ったのは…………
…………怒ってるんだか笑ってるんだか、呆れてるんだかビビッてるんだか、色んなものが入り混じった何とも分類の
し難い顔をして此方を睨んでくる吸血鬼。が、それはまぁ、怖いけれどまだ良い。
問題は、背景に大輪の薔薇を幻視できそうな位のヅカ的おとこま笑顔を見せる薬師と、そして、その薬師に恋する乙女
の瞳でウットリしているのは、『説教ばかりでオバさんくさい』のがウリの生真面目上司。吸血鬼の攻撃で耳がイカレて
いるのだろうか。「お姉さま」という背筋の凍りそうな単語までもが聞こえている気がする。
自分が気絶している間に、一体――――
「…………一体、どんなに強引な急展開があったのかしらね、これは」
「きゃん!」
自分の心の内を見透かしたかの様な言葉に、驚いて思わず声を上げる小町。
後を振り向いて見れば、其処には白襦袢に髪を下ろして、眠たそうに目をこする霊夢の顔。
「あっ。霊夢、起きてたんだー♪」
嬉しそうに手を振ってくるレミリアに、
「起きてたんじゃなくて、起こされたの。いきなり馬鹿でかい音がしたもんだから……
……元々ボロかったのが、もう完全に廃屋ね、これは。あんたと永琳の仕業?」
寝起きの不機嫌そうなハスキーボイスで応える。
「あたいが吹っ飛ばされてから、結構な間があったと思うんだけど。
何と言うか、随分と暢気な巫k
「サボタージュの泰斗には言われたくない」
要らぬ発言をしようとした死神の頭に針を一本突き立て、今度はその使用者を睨み付ける。
「これ迄に何があったのか。これからどうするつもりなのか。簡潔に説明してもらえる?」
霊夢の言葉にゆっくりと振り返る四季。そこには、先程までの子供の様な泣き顔の影など露も見えず、何かを悟った
かの如き爽やかな笑顔で頭を下げた。
「ここ博麗の相談所は、今日この時をもって閉所とさせてもらうわ。
貴方には色々と迷惑をかけて申し訳無かったけれど、でも、本当に有難う」
「え? あ、や、その……別に…………」
どうせまた、屁理屈の様な説教話で返してくるに違いない。そう考えていた霊夢は、予想外のしおらしい反応に面
食らって、貰える物さえ貰えれば別に、と、何処か気恥ずかしそうな様子で視線をずらす。
「報酬の方は判っているわ。小町が相談者から得た入場料を、一割と言わず全て、此処のお賽銭箱に入れておくから」
「ちょっと!? あたいが貰った物って、殆どまともな物がn
「静粛に」
「ぎゃん!?」
何かを伝えようと走り寄って来た小町に対し、カウンターで手にした笏を叩き込む。
「それと、レミリア・スカーレット。
貴方にも迷惑をかけました。お詫びとして、彼女は暫く貴方の元に預ける事にします」
有り得ない方向に首を向けた少女の足を掴んで、レミリアの元まで引き摺って来る。
「どうぞ」
「ん? あぁ……」
少女の細い足首が、四季の手からからレミリアの手へと移動した。
「あー、え~っと――――
何だか色々と話も纏まったみたいだし……
あんた達、さっさと解散して帰る所に帰りなさい。私はもうすぐにでも寝たいのよ」
そう言って、隠しもせずに大きな口を開けて欠伸をする霊夢。
「えーっ? 折角だし、少し話をしていくくらい良いわよね?」
「あんたは、その赤いのを屋敷まで連れて帰らなきゃいけないんでしょ?」
甘えた声を出すレミリアに対し、霊夢が返すのはにべもない返事。
プーッと頬を膨らますお嬢様。けれど、
「……遊びに来るなら、また今度にでも改めて来なさい。悪ささえしないんだったら、いつ来ても良いから」
それで充分だった。
満面の笑顔になって、またね、と大きく左手を振りながら飛び上がるレミリア。霊夢も、またねと言って手を振り
返す。
十六夜の月が照らす夜空の中、次第に小さくなっていく幼い少女と、その右手に足を掴まれたまま逆さになってブラ
ブラしている死神の影。
「……さて、と。それじゃあ私達も帰りましょうか。
ほら、ウドンゲ! いつまでも寝ていないでさっさと起きなさい!」
いつの間にやら手の中に出現した注射器をレイセンの顎の下に当て、その中身を一気に流し込む。
「……………………
!?タラハイラさんに三千点ッッ!!??」
弾かれる様に飛び起きた月兎。顔の色が真っ青なのは、気絶している間に見ていた夢のせいなのか、それとも、永琳が
流し込んだ不可思議な薬品の為か。
「?…………あ、あれ、師匠?……えとぅ――――
んん? あれ、なんか記憶が――――……」
「いつまでも呆けた顔をしていないで、さっさと帰るわよ」
「え? あ、はいっ!」
何が何だか、どうにも頭の中が白濁している様な感じがするのだが、兎に角、師匠が帰ると言ったなら帰るしかない。
何で自分がこんな所で寝ていたのか。その原因すら思い出せぬままに、急いで帰り支度を始めるレイセン。
「それじゃあ四季。貴方も、ね?」
「ふへ!? あっ、ちょっ!」
四季の両膝の裏と背中に手を当て、そのまま一気に胸の高さまで持ち上げた。所謂お姫様抱っこの形。四季の顔が、
見る見る内に耳まで真っ赤に染まっていく。
「あの、ちょっと、お姉さま! 恥かしいです……」
「あら、嫌なの? だったらやめるけど」
「違います! 別に、嫌な訳じゃ……と言うか……あの、むしろ……嬉しぃ…………です」
「ふふふ…… 可愛い娘ね、四季」
「あ、あの? 師匠に所長? 何かのネタですか、それ??」
「詳しい説明は帰ってからするわ。行くわよ、ウドンゲ!」
「え、あ、待って下さいよ師匠~~っ」
自分一人(正確には、抱えている四季を含めの二人)でさっさと飛んで行ってしまう永琳。
そんな師匠の後ろを必死に追いかけるレイセンの大きな耳に、
「……予定通り。これで夜のお楽しみが一つ増えたわ」
何か穏当でない言葉が聞こえた気がした。
けれども、未だにハッキリしていないレイセンの頭では、それがどういう意味を持っているのかなど考える事も出来ず、
そして、永遠亭に帰り着く頃には、そんな言葉は完全に忘れてしまうのだろう。
『紅魔館メイド長に露出狂疑惑?』
“上半身裸でお掃除お洗濯”
[ 瀟洒な事で知られるメイド長(人間)が、実は重度の露出狂だった……そんな噂が今、紅魔館のメイド達の間で持ち
切りになっている。
きっかけは、図書館司書のKさん(悪魔)が、上半身には下着一つしか着けていないという破廉恥極まりない格好で
館内の掃除に勤しんでいるメイド長を目撃した事に始まる。
不審に思ったKさんが声をかけた所、
「仕事中は熱いから、それで涼しい格好をしているだけよ。深い意味は無いわ。ああそれにしても、こんな下着だけ
だと、私のトップとアンダーとの距離が随分とあるのがバレバレと言うか、そこになんの不自然な物も入っていないと
言う事が丸判りと言うか、本当に困ったわねぇー」等と意味不明な発言をしながら、鼻歌交じりで楽しそうにクルクル
回っていたと言う。
その後も、多くのメイド達によって、同様の格好で館内をうろつくメイド長の姿が目撃されている。
この異様な事態に対し、紅魔館の内情に詳しいPさん(魔女)は、
「ああ。あれはね、孔雀が羽を広げたり、ある季節になると猫が盛んに鳴く様になったり、そういうのと同じ事。人間
独特の生理的行動であって、特に危険な事はありはしないわ」と言って事態の沈静化に努めている。
ただ、複数の消息筋によれば、メイド長がこうした奇行に走る直前に、紅魔館に新入りのメイドとして赤毛で身長の
高い少女が入って来ており、また、それとほぼ同時期に、門番のHさん(妖怪)の身体に何かしらの異常が起こって
いたと言う。
こうした事が、今回の事件とどういった因果関係にあるのかははっきりしていないが、時期的に考えて全くの無関係
とも考え難い。ところが、Hさん及び新人のメイドに対するインタビューを敢行しようとしたところ、二人とも主人の
命によって当分の間は外部の者との接触を禁じられているとの事だった。
こうした事から、今回の異変には、紅魔館上層部の意思が何らかの形で関わっているようにも思われ、メイド達の間
に大きな波紋が広がっている。 (射命丸 文)]
「―――――んで、一体これは何なのかしら……?」
「幻想郷一、早くて確かな真実の泉『文々。新聞』です!」
元気で明るい良い返事だが、寝起きで余り機嫌の良くない霊夢にとっては少々鬱陶しい。
昨晩は訳の判らないドタバタで安眠を妨害されていた為、今日は昼迄ゆっくり眠っていようと考えていたのだが、その
目論見は、太陽が顔を出したのと同時に神社に突っ込んできた天狗によって邪魔されてしまっていた。
「今回の記事は、なんと今日の早朝に仕入れたばかりの取れたて新鮮ピッチピチのネタですよ!
これでもう、文々。新聞の記事は遅いだ古いだなどと文句は言わせませんっ!」
確かに、この記事は随分と新しい。速報という言葉に当て嵌めて何の問題も無いくらいだ。
霊夢にはそれが判った。彼女には、この事件の裏が大体予想できていたからだ。
只、だとすれば、この記事にある『きっかけ』とやらが起きたのは、それこそ昨日の深夜か、下手をすれば日付が
変わったかというくらいの時間の筈。それから今迄で『噂が持ち切り』だとか『波紋が広がる』は流石に言い過ぎだろう。
まぁ、新聞と言う物は得てしてそういう物なのだろうからと、特に霊夢は何も言わない。
「所で……あのなんちゃら相談所についての記事は? 今日の新聞に載せるって言ってたじゃない」
「それがですね……
昨日の夜遅く、突然に先方から『記事を載せる話は無かった事にしてくれ』という連絡が入りまして……
何でも、開所一日で相談所の場所を変えたらしくって、記事に載せて読者を混乱させては良くないから、また改めて
取材に来てくれ、と。全く、勝手な話です……
尤も、それで新たなネタを探す必要が出てきて飛び回ったお蔭で、この特ダネが手に入った訳ですが」
そう言って朗らかに笑う天狗の少女。随分と長く生きている筈なのに、他の歳を経た妖怪達とは違って、何と言うか、
まるで見た目相応の少女の様だ。そんな、色々と失礼な気もする事を考える霊夢だったか、まぁ、それは別にどうでも
良いかと歩き出す。それよりも何よりも、今は先ず――――
「――――昨日のお賽銭を確認しておかないとね」
「わざわざ無駄な労力を使ってまで、絶望を確認しに行く必要もないんじゃないですかぁ?」
はっきりと失礼な天狗に対し、昨日の四季や小町とのやり取りを説明する霊夢。
「――はぁ、なるほど。そんな事が…………って、それだったら、わざわざお賽銭箱に入れてもらわなくても、昨晩の
内に直接手渡してもらえば良かったのでは?」
「……やれやれ。新聞記者だというのに、何も判ってないわね」
霊夢にとって重要なのは、『報酬を得る』事ではなく『お賽銭を入れてもらう』事なのである。
食べ物や日常の生活に使う品については、ある程度は自給自足が利くし、或いは知人から貰う事も出来るので、そも
そも生活の為にお金を稼ぐ必要性は霊夢にはあまり無い。
それでも彼女がお賽銭に拘るのは、此処が『神社』であって、それが『お賽銭箱』だからである。神社であれば当然
お賽銭箱は在るのであり、お賽銭箱が在るのであれば当たり前の事として其処にはお賽銭が入っている。と言う事は
つまり、お賽銭が全く無いのであれば、それは遡って博麗神社が神社である事を揺るがしかねない。
「だからお賽銭は絶対に必要なの。判るかしら?」
「神様との交流をしない巫女が、そんな中途半端な気の回し方をしても……」
そんな文の言葉は完全に無視して、足取りも軽やかにお賽銭箱へと向かう。
相談所が永遠亭に移った為、夢の定期収入への途こそ断たれたが、それでも久しぶりのちゃんとしたお賽銭。心が弾む
のも仕方の無い事だ。
そんな霊夢を迎えるお賽銭箱からは、
「――あれ? 何だか変な臭いがしません?」
霊夢の肩越しに箱を覗く文が不吉な言葉を口にする。
「……ああ、ほら、これはあれよ。
久しぶりのお賽銭なんだから、お賽銭箱だって感動の余り変な臭いの一つや二つ、出しちゃったって仕方ないって」
自分でも意味不明な理屈で、何とか自身を納得させようとするが、箱から漂ってくる何だか甘い様な感じのする匂いは
どうも幻覚ではない事は間違い無いみたいで、更には、何かが動き回っている様な音までが微かに聞こえている。
「あの、これは――」
「嬉し泣きよ嬉し泣き。お賽銭箱が出している嬉し泣きの声よ!」
開けるべきか否か。少しの間迷ったが、このまま放って置いた所で事態は好転しはしないだろうと、思い切って箱を
開け放つ。
其処に入っていた、昨日の博麗神社の収入は――――
見た事も無い御札の切れ端と、餡子・黄な粉まみれになったココイガエル、バラバラ死体になっている何体かの蟲に、
硬くなってしまった食べかけの御餅、そして、『ぐんぐにる(はぁと)』と書かれた紙切れが一枚。以上。
「こ、これは――――
博麗の巫女が、神社のお賽銭箱の中で蟲毒を作っていたとはっ!
これはスクープ、大スキャンダルですよ――――っ!!」
「いやちょっと、何だかバトルロワイアルがあったのは間違い無いみたいだけど、毒を持ってるのは蛙と蜘蛛だけで
あって、それをして蟲毒と言うのは――――」
神社の信用の為に何とか反論を試みる巫女だったが、さっきまで傍らに居た筈の天狗の姿は既に影も形も無い。
「――――っ、はあぁ~…………」
明日の新聞の見出しを想像し、深く溜め息を吐く霊夢。
見上げた空は何処までも高く青くて、何だか心の底から腹立たしい。あの鴉め、今度会ったら、ひっ捕まえて竹林に
持って行って、焼き鳥にでもしてもらおう。里に住む鴉は、ゴミばかり食べているのであまり味は良くないらしいが、
そうでない鴉は結構な美味だと聞いた事がある。
そんな事を考えながら霊夢は、布団を敷いたままの部屋に向かって足を動かす。今は兎に角、グッスリと眠りたい。
境内の掃除は……まぁ、後でも良いだろう。それにどうせ、明日になったら大量の野次馬達が神社に押しかけて来るの
だ。今日の内に掃除をしたって意味も無い。
部屋へ辿り着く。敷きっ放しの布団が放つ誘惑に少しの抵抗も見せず、ふかふかの白い塊に向かって身を投げる。この
季節、昼は暑くもなるが朝はもう随分と冷え込むものだ。
そうだ、明日、野次馬共のうち何人かをとっ捕まえて、掃除の手伝いをさせよう。嫌だと言ったら、お賽銭を払う様に
迫るのも良いかも知れない。わざわざ神社に来るのだから、それ位の覚悟はあってしかるべきだ。あの説教魔が文句を
つけてくる事も考えられるが、その時はその時で、今回の嫌がらせのケジメをしっかりと取らせてやる。
そうこうしている内に、段々と意識が遠のいてくる。
霊夢の耳に最後に届いたのは、爽やかな小鳥の囀りと、それに混じった、朝っぱらから元気な蛙の鳴き声だった。
この物語は、白黒はっきりつける程度の能力を持つ少女、四季映姫・ヤマザナドゥが、日本中に誇れる幻想郷の幻想
郷による幻想郷の為の裁判所、『法律のできる行列相談所』を創り上げる、一大叙情詩である―――――
“法律のできる行列相談所(博麗出張所)”
「―――――んで、一体これは何なのかしら……?」
幻想郷の境にある博麗神社。その境内の一角に、突如として現れた粗末な掘っ建て小屋。
昨日迄は、確かにこんな粗大ゴミは無かった筈である。昨晩はとても綺麗な望月だったので、床に就く直前迄お酒を
チビチビやりながら境内をふらついていたのだが、やはり間違い無い。昨日の夜には、此処には何も無かった。
そうやって昨日の事を思い出しながら、ここ博麗神社の巫女、博麗霊夢は、二日酔いで僅かな鈍痛の残る頭を抱え
つつ、目の前の異変をじっと睨む。朝の元気で爽やかな太陽の光が、少しばかり鬱陶しいので目を細めた。
「おや、何だい? こんな清々しい朝っぱらから巫女さんにガン付けられるなんて。この場合、今日のあたいの運勢は吉
なのか、凶なのか。今一つ判断しにくいねー」
立て付けが悪いのか、ギシギシと耳障りな音を立てながら木戸を開けて出て来た、見知った顔と目が合った。まぁ、見
知ったのはつい最近の話ではあるのだが。
「死神が巫女に吉凶を視てもらってどうするのよ。と言うより、死神なんて存在自体が凶みたいなものなんだから、仮に
占ったとしても判るのは凶か大凶か、くらいのものよ」
「で、今日の運勢は?」
「大凶」
「そりゃ有り難い♪」
「………私がね。朝っぱらから死神の顔なんか凝視しちゃったし」
「酷いわね。これでもあたい、幽霊達の間では、『三途小町』って評判の美少女なのよ」
そりゃ単にあんたの名前でしょ、との巫女の言葉を他所に、死神の少女、小野塚 小町は、よっこいせと年寄り臭い
掛け声を出しながら、一枚の細長い木の板を小屋の中から取り出した。
「何それ?」
霊夢が声を上げる。小町は霊夢が知っている者の中でもかなり背の高い方だが、その彼女の身長よりも更に長い。
「ああ、これ?」
言いながら、板を担いでひょいと宙を舞う。流石に普段から大きな得物を持ち歩いているだけの事はある。かなりの
重い荷をもっているのだろうに、見事な軽業だ。
「これはね……」
「…………私の夢の一里塚。その標(しるべ)よ」
小町の言葉に割って入った、もう一つの見知った顔。
名前は……何だっけ。未だにはっきりと動かない頭で何とか思い出そうとする霊夢。確か、山田―――某だった気が
する。
「これでいいですか。し……じゃなくて、ぇ~と、所長?」
「うーん。少し右に傾いてるわね。直して頂戴」
「はーい」
元気な返事を一つ、小屋の入り口すぐ上に横向きで配された板をあれこれいじる小町。どうやらこの板、看板の様で
あった。其処に書かれている文字を右から読んでみれば、
「『ザナドゥ☆四季山の法律のできる行列相談所』―――――」
それも、一字一字が黄色だの桃色だの全て違った色。目立たせようという魂胆なのだろうが、これでは却って読み辛く
なってしまっている。
いや、そんな事より………
「あー、えーっと…… 三つほど聞きたい事が有るんだけど?」
「どうぞ。質問を許可します」
小町に所長と呼ばれた少女が、背筋を真っ直ぐに伸ばした綺麗な姿勢のまま、ゆっくりと霊夢の方へ向き直る。幼さ
すら感じる外見とは裏腹に、その身には威厳に満ちた空気を纏う。
けれど、穿いているスカートは結構短い。両の足首には大きなリボン。上半身以外に目を向ければ、やはり可愛らしい
という印象の方が強いかも知れない。
「………あんたの名前って、山田なんちゃらじゃなかったけ? て言うか所長ってのもよく判らないし。
それにその看板、色々と順番が滅茶苦茶な気がするわ。
そもそも、何でこんな物をウチに造っているのよ?」
「小町、今度は左側の方が下がってしまってるわよ」
「あれ? すみません、所長」
ガン無視。完全にスルー。
「…………あんたねぇ、質問していいと言っておきながらその態度、流石に酷いんじゃないの?」
「あら。私は『貴方が私に質問をする』事は許可したけれど、それには『貴方の質問に私が答える』事は含まないわ。
それに、貴方の質問。三つって言っていたのに四つになっているし。あまり嘘を吐くと舌を引っこ抜くわよ?
―――ああ小町。それで大丈夫よ。有難う」
山田某の理屈に、なるほど、それもそうね、と得心する。得心した上で、懐から数枚の御札を取り出す霊夢。
「―――そうね。目の前現在進行形で異変を起こしている妖怪に対して、一々言い分を訊こうってのが間違ってたわ。
いつも通り、コレで話をつけましょうか」
「落ち着きなさい。質問にはちゃんと後で答えるから。あと、一応私は神様よ」
「………ま、正直に言えば、質問については別に良いの。
それよりも、さっさと此処から出て行ってくれると嬉しいわね?」
「この神社、神様が居ないんでしょう? だったら丁度良いわ。私を祀って崇め奉りなさい」
どうにも会話が上手く成立していない。そう溜め息を吐く巫女の脇で、いつの間にか近くまで来ていた死神が小声で耳
打ちをする。
(ショバ代として売り上げの一割を賽銭箱に入れるから、さ?)
「判ったわ山田。その場所はあんたに貸すから。但し、厄介事だけは起こさない様にね」
「宜しい。そうやって善行を積んでいけば、貴方みたいな者でも死ぬ迄に何とか地獄行き位にはなれる筈よ」
有難うの一言も言わない、横柄な態度で地獄行きを宣言される。流石に少し腹は立ったが、お賽銭を入れてくれるなら、
と我慢して愛想笑いを返す霊夢。一応客だし、後で出涸らしのお茶と湿気った煎餅でも出してやろう。
「ああそれと、私の名前は山田ではないから。四季映姫・ヤマザナドゥ。まぁ、所長と呼んでくれれば良いわ」
「あんたって裁判官なんでしょう? 所長はおかしくない?」
「ヤマさんでも良いわ」
満面の笑顔で返される。どの道、判事に相応しい呼び名とは思えない。
「さて、そろそろの筈だけど……」
目を細めて空を見上げる所長ことヤマさん。その視界の端に、小さな点が現れる。
その点は見る見る内に大きくなり、やがて一人の少女のシルエットとなって三人の前に舞い降りた。
「どうも! お待たせしました!」
やって来たのは、『伝統の幻想ブン屋』射命丸 文。
大急ぎで飛んで来た風の彼女に、こんな所までわざわざご苦労様、と労いの言葉を掛けるヤマさん。店子の身分で
『こんな所』も無いだろうと思う霊夢だったが、貰える物さえ貰えれば、と何も言わずに黙っている。後で、瀟洒な
メイドから貰った鈴蘭のハーブティーでも淹れてやろう。
「申し訳無いけれど、開所まで間が無いの。取材は少し速めにお願いしますね」
「ああハイ。判りました」
胸ポケットからペンを取り出し、最初の質問に入る。
「では山田 鋭鬼さんにお訊きします。……
……この『ザナドゥ☆四季山』って、一体何なのですか?」
こういう場合まず初めに訊くべきなのは、何故この様な相談所を作ったのか、とかそういう事が定番であるのだろうが、
今目の前に、こうして露骨過ぎるほど奇妙で面白いものがあるだ。それを放っておくなんて、好奇心の塊である天狗に
出来る筈もない。
「……最初に断っておきますが、私の名前は四季映姫・ヤマザナドゥです。そんな鬼の様な名前ではありません」
けれど、と、少し残念そうな表情になって続ける。
「貴方の様に、私の名前を覚え切れない、或いは、間違って覚えている者が多いのも事実。そこで、私の名前を皆に
覚えてもらえる様、更に、親しみを持ってもらえる様、小町に頼んで略称を考えてもらったのです。それが、この
『ザナドゥ☆四季山』です」
「略称と言うか、そこ迄いくと芸名みたいですね」
「セルジ・O☆越後みたいで格好いいだろう!」
自慢げな顔で笑う小町を見ながら、漫☆画○郎の名前を思い出す文。取り敢えず、セルジ・Oに☆は付いていないし。
「では、え~と……ザナドゥ☆四季山さん? 次の質問です。
『法律のできる行列相談所』とありますが、これって、あの、誤字……なんでしょうか?」
「貴方の言いたい事は判ります。確かに、普通に考えれば、『行列』が先で『法律』が後になるでしょう。
けれど………
貴方は知らないかも知れませんが、裁判と言うものは逆転という言葉と切っても切り離せないものなのです。裁判=
逆転。逆転=裁判と言っても良い位にね。だから、此処の名前も逆転させたのです。判りましたか?」
「ハイ、判りました」
貴方の頭の中身が、どうにもならない位に逆転している事が。そう心の中で呟く。下手な事を言うと、ずっと後に
なってから困る事になるかも知れないので口には出さない。
「それでは最後の質問です。
ザナドゥ☆四季山さんが、今回ここ博麗神社にこの様な相談所を作るに至った、その理由とか、経緯といったものを
教えていただけますか?」
三番目にしてやっと核心に迫った質問。軽く姿勢を正して小さな咳払いを一つ、ヤマさんが話を始めた。大家である
博麗の巫女も、興味津々といった様子で耳を傾ける。
「きっかけは、この春の異変です。
あの時に私は、幻想郷には罪を背負いながらもそれに気付いていない、そういった者が余りにも多い事を知りました。
妖怪の類は得てして寿命の長い者が多く、このまま放っておけば私の元に来る迄にはその罪は最早手遅れ、という程に
まで膨らんでしまう事でしょう。
そこで私は、妖怪や変な人間がよく訪ねる場所であり、また、幻想郷で唯一規律を持つここ博麗神社にこの相談所を
設け、此処で妖怪達の罪を生前に裁いてあげましょうと、そう考えたのですよ。
ゆくゆくは此処だけでなく、幻想郷の各地にこの様な相談所を開設したいと考えています」
「………あのぅ、今のお話を聴きますと、この相談所って、相談所と銘打っているわりに、実質は裁判所の様な印象が
あるのですが……」
「罪を背負った者が、はっきりと『裁判所』と書かれている所にわざわざ自ら足を運ぶでしょうか? いえ、運びは
しないでしょう。ですから、先ずは『相談所』という無難な名前で罪ある者達を引き寄せ、然る後に裁きを受けて
もらおう。そういう事です」
「――――明らかに詐欺ですよね、それって」
そんな文の指摘には応えずに、懐から取り出した帳簿の様な物に何かを書き始める。
「?何ですかそれ。何を書いているんですか?」
「これですか? 先程の貴方の発言が法廷侮辱罪で地獄ポイント+28、と、そう閻魔帳に書いたのですよ。
因みに、貴方の現在の地獄ポイントは87。100でもれなく地獄へ招待です」
「え、ちょっと!?」
「私の賢人としての嘘を、愚者の詐欺行為と同列に置いた事への罰です。
大丈夫。地獄ポイントは善行を積む事で減っていきます。
そうですねぇ……新聞に余計な事を書かずに、当相談所の宣伝をしっかりとやること。
これが今の貴方が積める善行よ」
「…………ああ、はい。なるたけ前向きに善処させていただく方向で検討するよう努力したいと思います」
賄賂などには全く動じない天狗も、流石に死後の行く末を人質に取られては堪らないのか。権力の横暴に、普段とは
違ったどうにも歯切れの悪い言葉で返事をする。
「有難う。頼みましたよ。因みに、血の池地獄はとても鉄臭くて嫌な所ですよ?」
「はいはい判りました!
……今日の話は、明日の朝刊に載せますので、それじゃあ私はこれで」
笑顔のプレッシャーを背にして、来た時と同じ様に猛スピードで飛んで行く。
何処までも広がる空に向かって急激な加速を続けるその背後に、楕円形円錐状の雲が形成された。
音の障壁をブチ破って消えて行く社会の声。幻想郷最速は伊達ではない。
「――――さてと。取材も終わった事だし、小町、準備はもう良いかしら?」
「はい! 準備万端OK一切邪魔無いです」
「そう。それじゃあ――――
――――『ザナドゥ☆四季山の法律のできる行列相談所』博麗出張所、始まりますよ」
【Case1:「ザナドゥ作戦第一号」】
「やっほ~。元気ぃ?」
お昼までには境内の掃除をすませよう、と箒を手に気合を入れている巫女に対し、大手を振りながら鳥居をくぐって
来る珍しい顔。名前は…………神尾某だっただろうか。
いや、違う気がする。二日酔いは既に晴れていた霊夢だが、どうにも思い出せない。まぁ、二人称では「あんた」、
三人称では「あいつ」とか何とか言ってれば良いかと、余り気にもしない。
取り敢えず、紅魔館の門番だという事は覚えていたし。
「あんたがこんな所まで来るなんて珍しいわね。何、とうとう首にされた?」
「失礼ね! ちょいと見回りの最中ってだけよ」
朗らかな笑顔で返してくる。強くて明るい今日の日差しの中に於いて、その笑顔はとても相応しいものだと思えた。
だが、
「で、実際のところは何があったの?」
「…………ああ、いや、それがねぇ…………」
あっという間に暗くなるその表情。
相変わらず眩しいままの陽光を浴びながら、霊夢に向かって事の次第を説明し始める紅魔館の門番こと紅 美鈴。
何でも、レミリアが今日の朝、床に就く際に、
「明日の夕食には『ぼんかれぇ、ちきんらぁめん、すぱおう』が食べたい」と我侭を言ったのが事の発端だそうだ。
友人から借りた本に書いてあったのを見てそんな事を言い出した様なのだが、メイド長である咲夜は今日は買出しの
為に里まで下りねばならないので、レミリアの目的の品を探す時間が取れそうにない。勿論、里の人間に尋ねてはみる
つもりだが、レミリアに余計な知識を教え込んだ張本人、パチュリー・ノーレッジによれば、どうやら幻想郷内の人里に
はまず無い様な代物らしい。時を止めて探しに行く事も考えたが、そもそもどの辺りに在る様な物なのかすら判らない。
パチュリーもそこ迄の事は知らないらしく、メイドの中にも当然判る者は居ない。
そこで、美鈴に白羽の矢が立った。
中国ッポイ外見をしているのだから食材には詳しいだろうし、そもそもレミリアの求める物の内の一品は『らぁめん』
というくらいなのだから、美鈴が知らない筈が無い。
そう咲夜に言われた美鈴だったが、そんな物を知っている筈が無い。取り敢えず、『ちきんらぁめん』と言うのは、
鶏肉が入っているか、若しくはスープのダシに鶏を使っているラーメンだという事は想像できたが、それ以外はサッパリ
である。『ぼんかれぇ』とは梵天の加護を得たカレーか、『すぱおう』は…………想像も付かない。
とは言え、「出来ません」等と言ったならばその場で千本針の山にさせられるのは確実。兎に角、振りだけでもして
おかねば。そう考えて出掛けようとした矢先に咲夜が一言。
「門番の仕事を放っぽいて、一体何処に行くつもり?」
一瞬、咲夜の脳に海綿状の穴が空いてしまったのではと不安になった美鈴だったが、よくよく話を聴いた所、
「白玉楼の門番の様に、分身して片方が門番、片方が食材探しに行けば良いじゃない。貴方、八極拳の使い手なんだ
から、『なんとか陣』とかいう技を使って分身するくらい朝飯前でしょう?」
八極拳と分身に何の因果が在るというのか。全くもって訳の判らない理屈に、「無理です」と当然の返答をした。
結果――――
「――――命からがら、ほうほうの体で逃げ出して来た、と」
「その通り。という訳で、ほとぼりが冷めるまで此処で匿って欲しいの~~!」
そう言いながら霊夢に手を合わせて拝む美鈴の背中は、正面から見た時には気付かなかったが、無数のナイフで
びっしりと埋められている。前面は無傷なのに、背面は逆に傷だらけ。
「あんた、完璧超人じゃあなくて良かったわね」
「?」
「……まぁ、悪ささえしないんだったら、ウチで匿うのは別に構わないんだけど――――
――若し良ければ彼処、行ってみったら?」
売り上げの一割がお賽銭になるというのであれば、少しくらい営業に協力してやるのも悪くはないだろう。そう思い、
手にした箒で境内の片隅を指し示す。
「何あれ。…………『ザナドゥ☆四季山の法律のできる行列相談所』?
あんた、いつから巫女やめていかがわしい商売始めたの?」
「何でいきなり『いかがわしい』という単語が出てくるのかしら?」
「あのド派手な看板におかしな名前。まともな商売だと感じる方がまともじゃないでしょう」
「…………私は場所を貸しているだけ。実際にやっているのは、神社とは無縁の奴らよ。
まぁでも、仮にも『相談所』と謳っているくらいだし、私に愚痴るよりは彼処行って相談する方が良いんじゃない?」
「そうかなぁー…………
う~ん、そうねぇ――――
うん! よし、物は試し、ちょいと行ってみるわ」
久々のまともなお賽銭が確定し、一人ひそかにほくそ笑む巫女。天狗のインタビューに出ていた「実質は裁判所」と
いう言葉については、自分が世話になる訳ではないのだからと気にも留めない。
「あのぉ~、すみません。ちょっと、相談したい事が有るのですが……」
「お、いらっしゃい。あんたは当相談所の記念すべきお客様第一号よ。おめでとう」
「それじゃ失礼しますね」
そう言って小屋に入ろうとするお客様第一号の肩を、ちょっと待ちなと慌てて掴んで引き止める小町。
「その前に、払うもの払ってもらわないと」
「やっぱりお金取られるんだ…………って言うか、先払いなの、此処?
成功報酬とかそんな感じで、後払いの方が有り難いんだけど」
「ん、ああ、基本は後払いよ? これはまぁ、入場料ってとこね。
安心しなよ。今日は本業じゃないし、有り金全部出しなとかは言わないから」
「…………大清宝鈔でも良い?」
「毎度ありー♪」
「っはぁ…… この調子だと、中に入ったら可愛い女の子が居たりして、その娘に親しみを込めてちょっとでも触ろう
もんなら、奥から怖い人が出てきて、
『お客さ~ん、ウチのコに何してるんですか~? コッチとしちゃあ出るトコ出ても一向に構やしませんが、
どうします? あ゛いッ!?』とかなりそう…………」
「まあ、可愛い女の子が居て、怖い人も居る、ってのは確かにその通りだけど」
じゃっそういう事で、と踵を返すお客様第一号の肩をむんずと掴み、先程とは逆に今度は小屋の中へと押し込む。
「お客様一名御案な~~い♪」
「ぶぎゃっ!」
強引に後ろへと引っ張り込まれ、バランスを崩して尻餅をつく。
「あいたたた……って」
形の良い臀部をさすりながら辺りを見回す。外から見た時点で随分と粗末な物だという印象は有ったが、中に入って
それが間違いでは無かった事が証明された。中央に一本、太い木の柱が直接地面に差し込まれている以外は、南側に
窓が一つ、後は小さな椅子が二つと簡素な机が一つ在るだけ。足元に床板の一枚も貼られてはいない為、尻餅をついた
美鈴の服は砂まみれになってしまっていた。
入場料をとる施設だっていうのに、これはまた随分と――――
「――――みすぼらしい所だ。そう思っている様子ね?」
二つ在る椅子の内の片方に座っている少女が、にっこりと微笑みながら美鈴に話しかけてきた。
まるで自分の心中を見透かされたかの様な言葉に、慌てて立ち上がって弁解を始める。
「い、いえ、そんな事ないですよ! 私の部屋に比べれば、全然比べ物にならないくらい素敵ですって!」
「安心なさい。此処が見た目あまり芳しくないものであるという事くらい、私自身充分承知しています。
それより、あまり見え透いたおべっかをを言うものではありませんよ」
いきなり諭されてしまった。尤も、美鈴の言葉は世辞でも何でもなく、実際彼女が与えられている部屋は、これほど
立派なものではなかったと言うだけの話だったのだが。
「さぁどうぞ」
その言葉に従って、服に付いた埃を払い落としてから椅子に座る。
「温かいお湯と冷たい水がありますが。
貴方が飲みたいのは、さあ、どっち?」
「あ、お構いなく」
やっぱり、此処の方がウチよりも立派よね。そう思う美鈴。彼女が部屋で客に出せるものといえば、冬場は冷たい水、
夏場は生温い水、その一択のみであった。
「――――貴方が、ザスパ☆草○さん、ですか?」
「…………ザナドゥ☆四季山です。所長、若しくは、ヤマさんと呼んでもらっても結構ですよ」
「えぇと……それじゃあヤマさん。早速なんですけど、今日来たのは――――」
今日の朝の出来事を滔々と語りだす美鈴。
「――――それでですね、咲夜さんってば酷いんですよ!」
喋っている内に段々とヒートアップしてきたのか、話は次第に、普段から感じている上司に対する不満へとシフトして
いた。
「ほんの些細なミスであっても、すぐにナイフを投げたりナイフを刺したりナイフで斬ってきたり……
最近『キレやすい若者』とかよく言いますけど、そんなもん、咲夜さんに比べれば屁でもないですよ、屁でも!
その他にも、機嫌が悪い日に顔をあわせようものなら、やれ乳がデカいだの、乳がウザいだの、乳が目障りだのと
言っては揉んだり掴んだり切り離そうとしたりで……
これってセクハラですよね、セクハラっ!
ホントもう、我慢なりませんよ! 私はもっと、こう、健全で明るい職場を作っていきたいと、そう思う訳で―――」
「はいはい、判りました。判りましたから、少し落ち着いて下さい」
「っはぁ、はぁっ、ふぅ――――――っ…………
で、ヤマさん! 私は一体どうすれば良いんでしょうか?」
話を聞いている最中ずっと何かを書き続けていた帳簿の様な物に目を落し、しばし腕を組みながら何かを考えている。
それを見ながら、コップ一杯の水を一気飲みして気持ちを落ち着ける。大声の上げ過ぎで少しざらついた喉に、冷たい
刺激が心地良く感じられた。
「美鈴さん、貴方は――――」
帳簿を閉じ、ヤマさんがゆっくりと顔を上げて美鈴に向き直る。どこか深刻な空気さえ覚える眼差し。
これは良案が思い浮かんだと言うよりは、無理です、諦めて下さいとか、そういう事を言われそうな感じだなと覚悟
する美鈴。だが取り敢えず、こうして話を聴いてもらえただけでも、随分とすっきりしたのだからまぁ良しとするか。
「美鈴さん、貴方は――――」
「はい。何ですか?」
「――――死刑です」
「…………はい?」
「然る後、地獄へと堕ちてもらいます」
「――――ハイ?」
『死刑』だの『地獄』だの、全く予想だにしていなかった単語に目を白黒させる。此処は、労働相談所じゃなかった
の?
「あの、すいません…… 何を言っているのかちょっと判らなかったので、もう少し判り易い言葉でお願い出来ます?」
「そうですねぇ。小さな子供にでも判る言葉で言うならば、『ジャッジメンタァイム!』で『デリート許可!』、と言う
事です」
「ちょ、ま!? 何でいきなりそんな横暴ッ!!」
「何故か、と? 私は死後に罪を裁く者。
生前の悪行は全て私が管理してますがゆえ」
「!? ちょっと、それじゃ、ヤマさんのヤマって若しかして……閻王でヤマ―ラジャのヤマ!?」
「その通り」
にっこり笑顔の閻魔様。労働基準監督署か何かのつもりで顔を出してみれば、其処は実は裁判所で、しかも自分が今
座っているのは被告人席という罠。
「騙されたあああぁぁぁぁああ――――――――ッッッ!!!!」
「騙すとは失礼な。そんな事を言っていると、死後界で貴方を焼く業火が強くなるだけですよ」
「いやでも! って言うか私が一体何をしたと!? むしろ私は被害者ですよッ!!」
「…………やはり、思った通りですね。貴方は、自らが背負う業の重みをまるで理解していない」
「え?」
怒りや侮蔑ではない、哀しみに満ちた視線を向けられる。
自分に一体、どれだけの重い罪が有ると言うのだろうか。毎日毎日門番仕事に精を出しているし、それは同時に、妖怪
として人間を襲うという行為にもなっているのだし。
…………まぁ、負けてばかりだが。
それなのに目の前の相手は、自分が地獄に堕ちると宣言する。それ程の大罪、自身でも気付かぬ咎とは一体…………
「そう、貴方は少し胸が大き過ぎる」
「ってやっぱりソッチ系のネタですかッ! 判ってましたよ! 多分そんなんじゃないかと思ってましたとも、ええ!!
っつか、いい加減もうそういうネタはよしましょうよ! もう飽き飽きですってッ!
それとも何ですか!? 貴方もアレですかッ!? ウチの上司みたくソレですかッッ!?
乳ネタと名前ネタが無い美鈴なんて、手提げ鞄で登校してランドセルを背負わない女児並に益体もナぎゃぷご!!?」
興奮の余り真性な上司の神聖な性癖を暴露しかけた美鈴の口が、低空飛行から急上昇するジェット機のような猛
スピードのアッパーカットによって遮られた。
JETの文字と共に天井を突き破って吹き飛び、その後顔面から綺麗に地面へと着地する少女。
「法廷では静粛に!」
「うう……殴ったね…… お嬢様にだってぶたれたこと無いのに!」
爪で引っ掻かれたり、槍を投げられたりなんかは日常茶飯事だが。
「世の中には、大きくなろうとしても大きくなれない可哀想な子供達が沢山居るのですよ!?
それなのに貴方は贅沢ばかりを言って…… 少しは恥ずかしいと思う心は無いのですか!」
「イヤそんな、食べ物の好き嫌いが多い子供に言う様な文句を並べられても……」
「揉まれるのが嫌? 何を巫山戯た事を……! 揉まれるだけの物がある、そんな素晴らしい事は他に無いでしょう!
世の中にはそもそも揉む事すら出来ぬ者が大勢居るのです。それでも無理に掴もうとすると、指が肋骨に当たって痛い
こと痛いこと――――」
「……何かこう、随分と実感の籠もったお話ですね。そう言えば、ヤマさんって見た目――――」
「……………………」
「……………………」
「……死ぬしかないな、ホンメイリンッ!」
「嘘デス! アレですッ! サラシっすよねサラシ!
私も大好きですサラシ! ビバ=サラシ!! ハイル・サラシッ!!」
「判れば宜しい。良いですよね、サラシ。私も大好きですよ」
素早い対応で難を逃れる美鈴。こういった相手への対処は、普段から上司の相手で慣れているので抜かりは無い。
「ですよねッ? ホント、素敵ですサラシ! 私も愛用してますもん、サラシッ!!」
「貴方…………『も』、サラシを巻いているのですか?」
「え? あ、ハイ。最近格闘をする機会があって、それで邪魔にならないよう――――」
「……………………」
「そっ、そんな事よりヤマさん! どうにかして、地獄行きを免れる方法は無いのですか?」
「罪を減らす方法は只一つ。少しでも善行を積む事。差し当たって貴方に積める善行は…………
…………胸を小さくする事かしら」
「…………いや無理」
「無理ではありません。小町!」
閻魔様の呼び掛けに応え、扉から顔を出したのは案内役の少女。
「彼女、小野塚 小町は、距離を操る程度の能力を持ちます。彼女なら、貴方の目障りなソレのトップとアンダーの差を
限りなく零に近づける事が可能なのですよ。
と言う訳で、小町、お願いね」
「判りました所長」
「ちょ、ちょっと、小町……さん? 心の準備というものがまだその――」
「……んー。正直言うとね、あたいもちょっと、こんな事するのは心苦しいのよ。
お前さんの境遇についての話、外で少し訊かせてもらってたんだけど、何と言うかまぁ、他人とは思えないのよねぇ」
「それなら――――」
子犬の様な瞳で見上げてくる少女に対し、小町は、けれどねと続ける。
「若しお前さんが今のあたいの立場だったとしたら――――
――――判るよね。すまないけど、な?」
「――――これにて一件落着。ザナドゥ作戦第一号、無事終了ね。善い事をした後は気持ちが良いわー」
「思いっ切り泣きながら帰ってましたけどね。可哀想な事しちゃったなぁ……」
「…………ところで小町。貴方のその……」
「ああ! これはお饅頭ですってお饅頭! 前々から言ってるじゃないですか。
あたい、お饅頭が大好きだから普段から懐に入れてるって! 何を今更~~」
「……………………」
ドンドンドンドン『ちょっと~、誰か居ないのー?』
「あっ、次のお客が来たみたいなんで、あたいはこれで失礼しますねー!」
【Case2:「あっ!トンボも蛙も氷になった!!」】
「ちょっと~、誰か居ないのー?」
何度戸を叩いても返事が無い。
湖を離れて友達の所へ行こうと飛んでいたら、いつもはあの紅いお屋敷の前に居る緑のが、「モゥコネーヨ!!」とか
泣き喚きながら神社の方から飛んで来た。
これは何か面白いものがありそうだ。そう思って彼女、『氷の小さな妖精』チルノは、ここ博麗神社までやって来た。
其処で何だか妙な看板を掲げる建物があるのを見付けたので、中に入れてもらおうとさっきから呼んでいるのだが
とんと反応が無い。既に夏は過ぎたとは言え、今日の天気は雲一つ無い快晴。南天ど真ん中から遮る物なく降り注ぐ
陽光は、氷精のチルノにはかなり辛い。
流石に我慢の限界だ。中には誰も居ないのか、ならもう、勝手に入ってしまおう。そう思って戸を開けようと手を
出したその瞬間、
「うきゃっ!」
内側から勢いよく開いた扉に跳ね飛ばされた。
「ああもう。聞こえてるってば、突貫工事で仕上げたボロ屋なんだから、余り強く叩かないでよねぇ……
……って、あれ、誰も居ない?」
辺りを見回すが何者も見当たらない。痺れを切らして帰ってしまったか。
そう考えている小町の足元から、甲高い声が聞こえてきた。
「ここよここ! ここにいるってば!」
「ん……あっ」
女性としてはかなりの身長を持つ小町と、元から背が小さい上に尻餅をついているチルノ。
「すまんスマン。真面目に気が付かなかった」
「お約束なネタだけど、実際にやられるとものスゴく腹が立つわね!」
膨れっ面で立ち上がる妖精に対し、侘びだと言って服に付いた砂利を手で払ってやる小町。身長の差もあって、その
光景はまるで仲の良い姉妹の様で微笑ましい。或いは、ヤンママとちょっと大きな子供。
「で、お前みたいな子が何の用だい? まさか相談事でもあるまいに」
「ん。何だか面白そうな物があるから、ちょっと中を見てみようと思っただけよ」
「……一応、お客さん、って事になるのかなぁ。でも……妖精がお金なんて持っちゃいないよねぇ……」
「お金はないけど、そんなのよりもっといい物があるわよ!」
得意気な顔で懐から取り出したのは、
「……何これ?」
「氷漬けのココイガエル。きれいでしょ! コレあんたにあげるから、中見せてよ。ね?」
どうしたものかと悩む小町。氷漬けのココイガエルだなんて、貰ったところで一体何に使えるというのだろう。蟲毒の
タネとして魔法使いか魔女にでも売り付けたとして、二束三文で買い叩かれるのは目に見えている。だからと言って、
手元に置いておく気も更々無い。死神のお供として毒蛙というのはありなのかも知れないが、少なくとも小町には似合う
とは思えなかった。
「ねぇー、駄目?
だったらさ、何か他のもの、凍らせて持って来るよ。キリンでも象でも好きなの言ってよ!」
「……いや、これでいいわ。有難う。さ、入りな」
こんな子供を相手にあこぎな真似をする気にはなれないし、かと言って意地悪して通せん坊する必要も小町には無い。
そもそも、この『入場料』だって、上司に言われたから徴収しているだけなのであって、小町自身は別に無料であっても
構わないと考えているのだ。
ここは快く通してやるのが大人ってもんだろう。そう思って、チルノを中へ入れてやった。
「――何よこれ。表から見てもボロだったけど、中はもっとボロじゃない」
「あら、久しぶりね」
「ん?…………げっ!」
知った声がすると思ってその方を見たチルノだったが、其処に居たのはいつぞやの異変の時に出会った変な奴。花に
浮かれて遊び回っていたチルノの前に突然現れ、いきなり難癖を付けてきたお説教魔。
「表に書いてあったザビエル☆河童ァフィールドって、あんたのことだったのか」
「ザナドゥ☆四季山です。所長若しくはヤマさんと――――」
「私、帰るね」
また色々五月蝿い事を言われては適わない。回れ右をして立ち去ろうとするチルノの、
「きゃひっ!?」
両脇を二本の光が奔った。服の焼け焦げる嫌な臭い。かすった光線の熱量で、両の羽の先が少し溶けている。
「まぁ待ちなさい。折角来たのですから、少しはゆっくりしていってはどうです?
こちらとしても、貴方にはまだ色々と話をしておきたい事がありますし。ね?
それでも帰ると言うのなら……
……次は、当てますよ?」
「は……ハィ…………」
ネジの切れかけた絡操りの様なぎごちない動きで席に着く。チルノは、生きながらヘビにのまれるカエルの気持ちを
理解したと思った。
「少し長くなると思うから……冷めない様、あっついお湯を淹れますね」
「イエ、おカマ居なく」
「――さて、と。貴方の罪について話す前に、まず妖精とは、自然とは何なのか、について少し話をしましょう――――」
「――――んにゃぁ~~…………
……ふぇー…… 右手ぇに見えますのが~…… 所謂魚竜の代表とも言われまふイクチオサウルスでぇ~~……
あっ、左手前方に今顔を出しましたのがぁ―――…… あのゆうめひな恐竜魚、その名もガ―――――…………」
「ちょっと。ねぇ、ちょっとってば」
「いやれふわ~~お客さんったらお世辞がお上手れ~~…………
…………そこまで言われるのでしたら、あたくし、小野塚 小町、一曲だけ歌わして…………」
「ちょっと! 起きなさいよ!」
「きゃん!」
「――やっと起きたか」
「だ、だだだだだだだだ、大丈夫です! 寝てません! ぜぜん、寝てなんかっ…………て、なんだ。お前か」
突然の怒号に慌てて飛び起きてみれば、其処に居たのは上司ではなくて巫女。急いで目を覚まして損をした。こんな事
だったら、『MY HEART WILL GO ON』をゆっくりフルコーラスで歌っていても問題無かったではないか。
「ったく…… あたいの仕事は舟を漕ぐ事だってのに、何だい、何か文句でも有るのかい?」
「そうじゃないわよ。はい、これ」
出来の悪い頓智の様な屁理屈で食って掛かって来る死神に対し、お茶と煎餅の載った盆を差し出す霊夢。
「ん? ああ、こりゃ済まないね。もう八つ時か――――――――ん…………?」
先程の妖精が中に入ったのは確か正午の頃。八つ時と言う事は、あれから既に一刻程の時間が経っている計算に
なる。だが、彼女が外に出た気配は無かった。いくら居眠りをしていたとは言え、ずっと扉の前に居たのだから誰か
が出て来れば気付かない筈は無い。と言う事は――――
「――――あの子、まだ中に居るのか?」
「――――と言う訳で、カンブリア紀に於けるこの大量絶滅が、後の――――」
熱い。
兎に角熱い。
日の当たる外よりも屋内の方が幾分かは涼しいだろうと踏んでいたチルノだったが、閉め切った室内は風通しが悪くて
意外に蒸し暑い。一応窓は在るのだが、プライバシー保護を理由に開けてもらえない。その割りに、チルノが今座ら
されているのは窓の前で、カーテンも何も無いのだから太陽の光が直接当たる。せめて冷たい水の一杯でも飲みたいが、
説教魔が出してくるのは何故か熱いお湯のみ。
そんな状況で、もう随分と長い間話を聞かされている。内容は、トリウムの崩壊速度がどうだとかXのn乗とYのn乗
の和がZのn乗に等しいという式がああだとか、まるで訳の判らないものばかり。
自分が何故こんな所に居るのか。自分は今何をしているのか。そんな事をすら、今のチルノには最早考えられなく
なっていた。
「ぁふうぅっ…… やっ…… も、ダメぇ…… もう堪忍してぇ…………」
「何ですか? この程度で音を上げるとは情けない」
「でもぅ…… 私、熱くて、もう頭の中真っ白で……
このままじゃ私、溶けちゃうよぅ…………」
「このままでは、貴方の行く末は不幸なものにしかならないと言うのに…… まぁ仕方ありませんね」
息も絶え絶えな少女の哀願を受けて、小屋の片隅から少し大きめの箱を一つ持って来る。
「貴方にこれを授けます」
「なにこれぇ……」
「私の霊力を付与した、有りがたぁ~~い壷です。これを持っていさえすれば、如何な不幸も貴方を避けて通ります。
どうせ手持ちは無いのでしょうし、分割払いと言う事で、取り敢えずこの契約書にサインを書きなさい」
「?……よくわかんないけど、これに名前書いたら帰っていいのね…………?」
覚束ない手元で筆と紙切れを受け取るチルノ。何やら細かい文字が色々と書いてあるが、そんな物を読んでいるだけの
余力など今の彼女に有りはしなかった。
「書き終わったわ~、これでいいでしょう~?」
「ええ。大変良く出来ました」
【Case3:「ヨウカイホタルは闇夜の侵略者!」】
「ちょっと! コレはどういう事っ!?」
「え! ハ、ちょ? なにッ、何っ!?」
可哀想な妖精が、普段の元気馬鹿からは想像も出来ないくらいのやつれた顔で神社を後にしてから僅か数分。小町で
すら気圧される程の剣幕で怒鳴り込んで来た蟲が一匹。
「何じゃないわよ! コレよコレ!」
手に持つのは、先程の妖精が持って帰った箱。中には、古道具屋に持って行くのすら躊躇ってしまう程の、汚らしくて
安物の壷が入っている。
「チルノがこんな物持って来て、様子がおかしいと思って話を訊いてみたら…………
もう、あったま来たわ! 詐欺よ詐欺! 出るトコ出て訴えるわよ!?」
その『出るトコ』の主が売りつけたのだが。
「緑の……って言ってたから、あんたじゃないわね。
責任者は中? 入らせてもらうわよ!」
「あ、ちょっと。待ちな!」
扉の前の小町を押し退けて、強引に中へ入ろうとする蟲。先刻の妖精の友人なのだろうか。友を想うその姿勢に好感は
持てたが、かと言って小町としても彼女を易々と通す訳にはいかなかった。
「ん!? ああ、入場料が要るんだっけ? 意地汚いなぁ…………
ほら! 子供達にも大人気のコーカサスオオカブト・ギラファノコギリ・パラドキサマンティス・タランチュラの四点
セット! これで文句無いでしょう? 入らせてもらうわッ!」
「兜と鍬形はまだしも、他の二つは…………って、そうじゃなくて今は――――!」
小町の制止の声も訊かず、壊さんばかりの強い勢いで蟲が木戸を開け放つ。
「ちょっとッッ! あんたがザルツブルグ劇団☆四きゃあああああぁぁぁぁぁあああ―――――――ッッッ!!??」
開け放たれた扉からレーザー光が迸る。
僅か2.8秒で『ジャッジメンタァイム!』⇒『デリート許可!』⇒『ゴッチュウ』まで済まされた哀れな蟲。
「何サボってるの! 小町!」
「きゃん!」
口の周りを煎餅のカスで汚したまま顔を出す閻魔様。右手には笏を、左手にはしっかりと湯呑みを持っている。
「お八つ時に○○○○の侵入を許すなんて。全く、使えないホウ酸団子ねぇ……」
「酷ッ! て言うか、その蟲、一応お客だったんですけど……
少しは話を聴くくらいしても良かったんじゃないですか?」
「一寸の虫にも五分の魂。魂が五分しかないという事は、裁判にかける時間も半分という事。判るわね?」
目の前の蟲は一寸どころかその五十倍くらいはありそうだが。そもそも、半分でこの時間じゃ普通の裁判でも六秒弱
しか使わないのか。ツッコミ所は色々とある小町だったが、言った所で聞いてくれる上司でもない。
ここはせめて、冥福でも祈ってやるか。そう思ったが、それも詮ない事なので止めにした。何せこの蟲、閻魔様の怒り
に触れたのだから。
「…………それにしても、折角愛称を考えたと言うのに、皆間違えてばかりねぇ。
ここは一つ、新たな策を考えた方が良いかしら」
【Case4:「月の兎は悪い奴!」】
「ちょっとごめんなさい」
「ん? ああ、お前か。練炭の買い溜めとかはしてないだろうな?」
「…………いきなり訳の判らない事を」
夕暮れ迫る西の空、大分低くなった太陽を背に降りて来たのは月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
「で、相談事か? そりゃ良い事だ。
衝動的にやってしまう前に、人に話を聞いてもらえばスッキリして気も変わるってぇものよ」
「また訳の判らない……
私が来たのは、相談事と言うか、何か面白そうな物が出来たから調べて来いって、そう師匠に言われたからですよ」
「今日の朝に開所したばかりなんだけどな。随分と耳の早い。流石は兎の師匠」
何が流石なのかはレイセンにはよく判らなかったが、耳が早いと言うのは少し違う。
彼女の師匠八意 永琳は、その天網を以て暇さえあれば幻想郷の彼方此方を監視、と言うか少女相手の出歯亀行為に
勤しんでいる。今日も巫女の腋をオカズに御飯を食べようとしていたら、たまたまこの相談所を見つけたのであって、人
づてに噂を聞き及んだとかそう言う事では無かった。
「出来れば来たくなかったけど、師匠の命令だしなぁ…………
あ。入場料はコレで良いかしら?」
そう言って差し出したのは、二つ重ねられた少し大きめの重箱。その上段に入っている餅は、つきたてなのだろうか、
白い湯気がお腹の空く匂いと共に立ち上っていた。
「私がついたものだけど、良かったら…… あ、下には餡子と黄な粉が入ってるから、お好みでどうぞ」
「お、有難いね。晩飯にでも頂くとするよ」
「喜んでもらえたなら嬉しいわ。
師匠は『使用済みの下着を渡せばそれが一番』とか言ってたけど、そんな穢い物よりこっちの方が良いわよね?」
「ん? ああ、そうね……」
下着は下着で、古道具屋に持って行けば高値で買い取ってもらえそうだったが。
「それじゃ失礼しまして」
小町に会釈をして、その背後の扉に手をかける。微妙に焦げた様な跡が付いているのが何だか不吉だった。
立て付けの悪い戸を押して中に入る。途端、
「突うっ走ぃれぇ――――っ 空をー飛べ――――♪」
カウンター気味に大音量で響いてくる歌声。その余りの五月蝿さに、頭の上へ手を伸ばして耳を押さえるレイセン。
「罪有る者達 裁くまでぇ♪」
「ちょっと! すみませn
「守ぉるぞー 平和をー 楽園のぉ―――
かーあっともえーるわぁ 正義の心ぉ――♪」
「あのッ! 少し音量を下g
「見ぃーよー!審判ぅ 『ラスッ ジャッジ メェ――ンッ』!
少女のぉ命をー かけてーゆくぅ―――♪」
「聞こえてないんですかッ! 閻魔さm
「そっのっ名は そのぉ名はぁ――
四季いぃ映姫ぃー ヤマァーザナァードウゥゥゥ!」
「人の話を聞けえええええぇぇぇぇぇ――――――――ッ!!」
「あら、聞いてますよ?」
一曲歌って気が済んだのか、拳を握った熱唱っぷりから0.1秒で普段の凛とした姿勢に戻る閻魔様。
「聞こえてるんだったら、返事くらいして下さいよ……」
「今したでしょう」
「そうじゃなくて……」
「歌の途中で返事をしろと?
駄目ですね、そういう考えは。一度始めた事は、最後まで責任を持って成し遂げねばならないものです」
「……あーそーですね」
当然でしょうといった目で見てくる相手に対し、何とか自分を落ち着かせようとするレイセン。権力を持った何とかの
相手は普段から慣れてはいるが、疲れる事に変わりは無い。
「て言うか、何なのですか、今の歌は?」
「皆がなかなか私の名前を覚えてくれないので、何とかして覚えてもらおうと作った歌です。
こう、『ヤマァーザナァードウゥゥゥ!』の所でお腹の底から搾り出す様に声を出すのがポイントで…………」
「あーはい。そーですか。じゃあ私はこれで」
失礼しますと言ってUターンする兎。
「まぁ待ちなさい。貴方の目的は此処がどういった所か調べる事でしょう?
ならば丁度良い。暫く此処で働きなさい」
「あー、すみません。今日中に仕上げなきゃいけないレポートがありましてぇー……」
「体験学習というものです。貴方の素晴らしい従者振りはよく承知しています。
小町はサボってばかりだから、貴方の様な優秀な助手が欲しかった所なの」
「えー、あと今日は食事の当番でもあるんですよー。
ウチの姫、時間通りに御飯を部屋まで持っていかないと、キレて暴れ出しかねないから」
「貴方の名前は……そうねぇ、『電波妖怪ウドンゲ』と言うのはどうかしら?」
「少しはまともに会話をして下さい! つーか、その風狂みたいな名前はなんですか!?」
「仲間はウドンゲ! 電波投げ♪」
「そんな必殺技は持っていませんッ!」
「…………さっきから不満ばかりですね。
そんな態度を続けていると、私は貴方を地獄へと堕とさねばならなくなりますが……?」
そら来た、これだからこの人の所には来たくなかった。そう後悔するレイセンだが、時既に遅し。お気楽極楽な他の
妖怪達と違い、明確な罪ある過去を背負うレイセンにとって、『地獄』という単語は生々しくて重い枷となった。
黙り込むレイセンを見て、ここが勝機とばかりに追い討ちをかける閻魔様。
「奈落(ナーラカ) 紅い瞳にはー 奈落 何がうつーるー
冥い闇の底でぇ 地獄のぉ扉ぁー 見つぅーけるーからぁ―――♪」
「そんな日曜朝の女の子向け漫画みたいなメルヘンチックなメロディで嫌がらせ満タンな歌を唄わないで下さいっ!
判りましたからッ! 此処でお手伝いさせていただきますからぁ――――――――ッ!!」
叫ぶ彼女の目が紅い訳を、ただ単に兎だからだとかコミュニストだからだとか、そんな理由で片付けるのは少しばかり
酷であろう。
【Case5:「2大妖怪ザナドゥに迫る!」】
「あ~~ぁ、もう完全に夜になっちゃったよー……」
今頃師匠は怒っているだろうな。いや、あの人の事だから、今の自分の様子を密かに観察してほくそ笑んでる方があり
得るか。そんな事を考えながら、十四杯目の水を飲み干すレイセン。
結局、彼女が来て後は一人の来客も無く、暇を持て余した閻魔様の、説教と世間話の入り混じった話をずっと聞かされ
ながら夜まで過ごす事となっていた。小屋の窓から見る事は出来なかったが、恐らく今頃は、いざよう月もとっくに空へ
と昇ってしまっている事だろう。今日は朝からずっと良い天気だったから、きっと月も綺麗に見えているに違いない。
「えん……じゃなくて、所長? もう閉めましょうよー」
そう提案するレイセンに、それもそうねと腰を上げる四季。扉の外からは、憚る事の無い大きな鼾が聞こえている。
四季の言葉を受けたレイセンが、早速外に出ようと扉へ向かう。と、
「!?」
その長い耳で異様な波長を察知し、咄嗟に木戸から距離を離す。
尋常ではない大幅な波の乱れ。巨大な力を持った何者かが、高速で博麗神社に接近して来ている。
数は二つ。しかも、これは…………
「ふにゃ…… !?ちょ、な、何だ、お前達ッ!!」
外で小町が目を覚ました気配があった。そう思った刹那、
「って、ぅきゃあああぁぁぁぁあああぁぁ――――――――ッッ!!??」
叫び声と共に、扉を突き破って吹き飛んでくるのは死神の少女。
そして、壁に深く突き刺さるは、紅く光る王神の槍――――――――
「――ウチの門番と似た雰囲気だったものだから、つい手加減無しでやってしまったけど……
大丈夫だったかしら」
闇夜を照らす月の光の中、舞い降りたのは悪魔の羽を広げる吸血鬼と、
「大丈夫よ。死んでさえいなければ、私がちゃんと治しておくから」
聖母像の如き慈愛に満ちた微笑をたたえた薬師。
「師匠に、レミリア・スカーレット!?」
「これはこれは…… 随分と珍しい組み合わせですね」
「あ? 別にこいつと一緒に来たつもりは無いわよ。途中でたまたま一緒になっただけ」
露骨に不機嫌そうな顔をするレミリアに、永琳は、つれないわねぇと一言声を掛けた後、弟子の居る方にゆっくりと
向き直る。
「全く、こんな所でなに油を売っているのかしら、ウドンゲ?」
「いや、ちが、師匠、コレには訳があr
「丁度良い! 貴方達の様な重く深い罪を背負う者とは、一度は話をしなければと思っていたのですよ!」
「ちょ、所長! 何でいきなり喧嘩腰ッ!?」
ウドンゲの言葉には耳を貸さず、トゥッ!と掛け声も勇ましく机に飛び乗る閻魔様。
「天が知る地が知る人が知る! 罪を裁けと我を知る!
聞け咎人ども! 私は楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマz
「ああ知ってるわ。ザンコ☆くな天使のテーゼさん、だったかしら? 表に書いてあったわ」
「ザ☆ウル○ラマンじゃなかったっけ、確か」
臆面も無く言い放つ永琳とレミリア。今迄の来訪者達とは明らかに格の違う相手に、流石の四季にも僅かの緊張感が
奔る。
「名前の事は、まぁ良いでしょう……
それで……貴方達が此処に来た用件は何ですか?」
「……ウチの門番が、随分と世話になったみたいじゃないか?
そのせいでメイドが泣いて騒いでね。こんな事をした張本人を連れて来いって」
「それで貴方がわざわざ動いた、と。随分と優しいのですね?」
「従業員が快適に働けるよう職場を整備するのも、雇い主の大切な仕事の一つだろう?
後はまぁ、調子に乗っている新顔に、少しばかり礼儀と言うものを教え込まなくちゃ、って事もあるかしら。
どちらにせよ、兎に角――――」
其処の赤いのは貰って行くよ。そう宣言し、自身の攻撃で目を回している少女の方を見遣る。
「なるほど。貴方の用件は判りました、レミリア・スカーレット。
で、八意 永琳。貴方は?」
「面白い物が出来たからと使いを送ってみれば、其処を仕切る新参者にウチの丁稚がたらし込まれた。
これはもう、丁稚を取り返すついでにその女の顔も拝見せねば、とね」
「丁稚って師匠、私、女の子なんですけど……」
なるほど。
事務所に殴り込んで来たこの二人の目的とは、要は自分の部下一人と一羽を奪い去る事。そう判断した四季。
冗談ではない。自分の望みはひとつ、楽園の平和のゆくてを守る事。小町もウドンゲも、その為の大事な人材なのだ。
黙って渡す訳にはいかない。
「と言う訳でウドンゲ! 必殺『電波投げ』でこの痴れ者二人に罪の苦さと言うものを教え込んでやりなさい!」
「何が『と言う訳』!? ってか、さっきも言いましたけど、そんな怪しげな名前の技なんて持ってませんよッ!!」
「……へぇ。弾幕るというのかしら、師である私と?」
「違いますよ師匠!」
目は笑っているが顔は笑っていないという、何とも器用な表情でプレッシャーをかけてくる永琳。そんな師匠に気圧
されてレイセンが後退る。その背後で、
「悪行天罰で地獄 アハハン♪ 悪行天罰で地獄 アハハン♪ じーごーく じーごーく♪」
「デューダッ!?」
明後日の方向を向きながら嫌がらせ鼻歌を唄う閻魔様。
前門の虎、後門の狼。どちらも、兎がどう頑張った所で何とかなる相手ではない。
どちらかを選び、残った片方によって死を与えられるのが変えられぬ定め。ならば――――
「――――スンマセン師匠ぉぉおおおおっ!!」
どうせ死ぬのなら、その後に少しでも良い道が残されている方を選ぶ。そんな悲壮なケツイで師に掴みかかるレイセン。
「ウドンゲそらゆけ電波投げ! ウドンゲンゲンゲ電波投げ!」
「うぅおおおぉぉぉ――――――――ッ!!」
四季の声援に押されて飛び掛ってくる弟子の、
「やれやれ」
右腕をかい潜り、擦れ違い様に膝を一発入れる。
「ヘドぶち吐きなさいッ!」
そのまま首と足とを掴み、レイセンの腰が自分の頭の後に来る様な形で持ち上げる。見事なバックブリーカー。
「この、月で生まれたエロネタ担当のダメ兎のくせに」
「ホゲェー!」
背中からはバギバギという嫌な音を、口からは叫び声を上げるレイセン。
「わたしのカラダを! その饂飩臭い手でさわろうなんてねぇ~~~~~~っ!!
こいつはメチャゆるさんわねええええ!」
「うげァああああ! あがっあがっうげっ! おげっ! ゲボーッ!!」
「ほらほーらほーら」
リズミカルに力を加えたり抜いたり。それに合わせて呻き声を出すレイセン。
「ガボガボ!」
レイセンが口から泡を吹き出すに至って、永琳はようやく弟子の身体を地に下ろした。
「……薬師である貴方が、また随分と荒っぽい技を使うものですね。興奮しているんですか?」
「ウドンゲは、弟子のクセに私に逆らおうとしたとっても悪いうさぎなのよ。こらしめて当然でしょ!
ちがいますかねェ? ザイケイチョチクデ☆老後も安心さん!」
仮初のそれではなく、心の底からの笑顔で映姫に応える薬師。
(…………………………………この人)
異様な空気に押されて思わず唾を飲み込む。多少世間ずれしている所が有るとは言え根は真面目な四季にとって、
初めて目にする本物のサディスト。自分が同じ立場だったら、小町相手にここまでの事が出来るだろうか。否、出来は
しない。お仕置きと言っても、彼女がするのは精々お説教を聞かせるか、軽く弾幕勝負を仕掛けるかくらいのもの。
自分の部下に躊躇いも無くバックブリーカーなんて荒技をかけ、その上「太腿がスベスベで気持ち良かったわ♪」と
ツヤツヤの顔で語るなんていう行為。四季には理解も真似も出来ないし、また、したくもなかった。
「さて……目的その一は果たしましたし、お次はその二といきますか?」
「!?」
気絶した弟子から、映姫の方へと永琳がゆっくりと視線を移す。とても優しい笑顔。それなのに、その姿に相応しいと
思える形容詞は、只『邪悪』という単語それのみ。
一歩ずつ近付いて来る永琳と、それから何とか間合いを離そうと後退る四季。
「いやねぇ。そんなに警戒しないでほしいわ。私は只、貴方に相談したい事が有るだけよ。相談所なんでしょ、此処?」
「…………どういったお話で?」
「聞いた話だと、貴方、引き籠りを一人(と言うか一体)、更生させたそうじゃない?
その手腕を見込んで、ウチの姫の事もお願いしたいのだけど」
「姫……蓬莱山 輝夜ですか」
「そう。
HiME(『Hi“ヒ”』キコモリ人生『M“ま”』っしぐら『E“え”』ーりんさっさと飯持って来いっつってんだろこのダラぶち
が!)ったら、この間の異変の時も、イナバ達があれほど騒いでいたと言うのに部屋に籠もって顔も出さない。
『えーりんなんかよりエリンの方が万倍素敵』なんて真顔で言われた日には、私は一体、どうすれば良いのかしら。
ねぇ? 具体的に何か良い策は無い?」
「そ、それは……」
四季の本職は死者の魂を裁く事であり、教師でもカウンセラーでも、精神科医でも宗教家でもないのだから、引き籠り
対策なんてものは本来専門外である。
直接本人に会って説得をする機会さえあれば、何とか出来るという自信は有る。が、いきなり会った事も無い人物の
話を持ち出されて、では具体案をどうぞと言われた所で答え様も無い。
「そ、そうですね。では、一度彼女と会って話を……」
「はぁ…… 私の話を聴いていなかったのかしら?
姫は、家のペットにすら滅多に顔を見せないのよ。
それなのに、見ず知らずの貴方とどうやって引き合わせれば良いのよ?」
「そんなこと言われても……」
「……やれやれ。役に立たない相談所に、役に立たない所長さん、か。
引き籠り対策で法律を作るのも、立法の大事な仕事の一つでしょうにねぇ」
失望の溜め息、侮蔑の眼差し。
憤って四季が反論をする。
「役に立たないとは何事ですか!
そもそも、法律などと言うものは人間が決めた約束。
私の仕事は、法で裁けない罪を裁く事。何故わざわざ立法なんて――――!」
しまった、と思い口をつぐむ。だが遅かった。
四季の言葉を聞いた永琳が、嬉しそうにその口の端を歪める。
「あらあら? 表には『法律のできる』って書いてあったのに、ねぇ?
それに何? ここって『相談所』と銘打っているのに、所長さんのお仕事は裁きを行う事なの? それじゃあ相談所
じゃなくて裁判所じゃない。
裁判官が虚偽広告とは、なかなかに面白いわね。主に笑えるという意味で」
嵌められた。この程度の簡単な罠に……!
冷静さを失っていた自分を呪う四季に、
「その辺にしておいたら? ザケンナー☆裁鬼とやらが可哀想じゃないの」
レミリアの容赦無い一言が突き刺さる。四季の頭の中で、何かの切れる音が綺麗に響いた。
「貴方達ッ! その様な態度ばかりとっていると、死後、地獄に堕としますよ!?」
突然の怒号に、何を言われたのかすら判っていないといった様子で唖然と立ち尽くす永琳とレミリア。
沈黙が支配する中、はぁはぁという、少し荒い四季の呼吸の音だけがやけに大きく聞こえる。やがて――――
「……ぷっ、くっ…………
『地獄に堕ちろ』って…… 悪魔に向かって言う科白かしら……」
身体をくの字に折り曲げて必死に笑いを堪える紅い悪魔と、
「天国も地獄も、そもそも死ねない身ならば無意味でしょうに」
呆れた顔で四季を見下す蓬莱人。
地獄を恐怖の対象にしない者と、例え望んだとしても地獄に行けない者と。
そんな二人に対し、四季の言葉は脅しどころか只の戯言以外の何物でもなかった。
「くっ…… ぷふふ……
あっ……はっはっはっはっはっ――――!」
堪えきれず、ついには大声で笑い出すレミリア。腹部に手を当て、涙目で苦しそうに身体をよじる。
そんな様子を眺める四季の、
「――――――――ひぅっ……」
今度は心の中で、
「…………うう゛…… ぐっ……ぇうっ――――」
何かが切れて落ちて行った。
「うあぁ…………
……うわあ゛あ゛ぁぁぁぁああああああ――――――――んッッ!!!」
「ッ!?」
悪魔の羽がピンと伸びる。目に涙を溜め口は開いたままという、何とも間の抜けた格好で固まってしまったレミリア。
無理も無い。目の前の相手は、外見こそ少女のそれであるが、その実は死後界で魂の罪を裁く地獄の王であり、悪魔や
鬼と同等か、或いはそれ以上に人や妖怪に畏れられる存在なのだ。
それが、そんな彼女が、子供の様に泣きじゃくっている。
両の眼から大粒の涙を溢れさせ、鼻から流れる光る筋すらそのままで、大きく開け放った口を隠そうともせずに喚き
ちらしている。
「あー、ちょっと、その……」
いくらなんでも笑い過ぎたか。さしもの我侭お嬢様も、流石に悪い気がしてきて何とか宥め賺そうと試みるが、近
付こうとすると両手を振り回して一層強く泣き叫ぶのだから手に負えない。
メイドを連れずに一人で来た事を、今更ながらに後悔するレミリア。
「わたっ!…………って、みん……じご……っヤだから、いっしょ……け……めぇ…………」
必死になって何かを訴えようとしているが、嗚咽に遮られた言葉では何を伝えたいのか全く判らない。
「――っに、みな……バっ……あ……あっ、あ、あ、あ゛、あ゛、ああ゛――――――――――ッッ!!!!」
一向に泣き止む様子を見せない閻魔を前に、頭を抱えて完全にお手上げの吸血鬼。
喧しい者を静かにさせる為に彼女が普段用いる方法と言えば、弾幕を張る、槍を投げる、パチキを喰らわす、の三通り
が有るが、この場面でそうした手段に訴えるのはどうにも気が引けた。
「……私が泣かせたんじゃないからね。何とかしなさいよ」
自分の馬鹿笑いを棚に上げたレミリアの言葉には応えず、ゆっくりと永琳が四季へと歩み寄る。
「ああ゛ッ!!」
乱暴に振り上げられた四季の右手を、
「!?」
軽く上体を後ろに反らして躱しつつ、左手で受け止める。
四季が一瞬ひるんだ隙に、すかさずその頭の後ろに右手を回し、強引に自分の胸元へ引き寄せた。
「!?むんっ、ぅむっ……、……むっ、んぅ~~~…………」
突如顔に当たった二つの暖かな膨らみの感触に、訳も判らぬまま、けれど次第に大人しくなる少女。
その背中を左手で優しく撫でながら、静かに永琳が話しかけた。
「判るわ……
貴方はとても優しい娘。いくらお役目とは言え、罪を背負った者が相手とは言え、死者の魂を地獄に堕とす裁断を下す、
その事に我慢がならなかったのでしょう?
だからこうして、此岸に於いて、生きている内に罪の清算が出来るよう導き、咎の重ねられる事の無いよう見守り……
そう考えてこの相談所を作ったのでしょう?
……貴方のそうした行いを、理解できずにただ鬱陶しいと、余計な事だと非難する者も居るのかも知れないけれど――
――でも大丈夫。私は、私だけは、貴方の事、みんな判っているから――――」
永琳の言葉には何も応えずに、ただ彼女の胸に顔を埋めたまま小さく肩を震わせている四季。
「――――ねぇ。良かったら、うちに、永遠亭に来ない?」
「っ?」
全く予期せぬ言葉に驚き、涙に濡れた顔で見上げてくる四季と、その視線に暖かな笑顔で応じる永琳。
「うちには沢山の部屋があるから、貴方に専用の場所を用意する事も出来る。優秀なイナバ達を助手にも付けるわ。
どう? 悪い話ではないと思うけれど……」
「……でも――――」
「私は貴方のお手伝いがしたい。貴方の力になりたいの。駄目かしら? ねぇ――――
――――四季?」
「!…………あ…………は、
――――はぃ……」
少し恥ずかしそうに俯きながら、けれどはっきりした声で応える。
「良かった。そうと決まれば、はい」
永琳が純白のハンカチを取り出し、そっと四季の目元に当てる。
「えっ?あっ……」
「ほら、動かないで。女の子がいつ迄もそんな顔をしていては駄目よ?」
静かに顔を撫でる優しい感触。何だか温かい布団の中で夢を見ている様な、何処か現実離れした、けれどもとても心地
良い時間。
目の前の穏やかな笑みを恍惚とした表情で見詰める四季の、その小さな口がゆっくりと動いた。
「あ、あの、その――――」
「?何かしら」
「あ、え、お、ぉ……………………も、……ですか…………」
「聞こえないわ。どうしたの、四季?」
「ぁ、お…………そ、そのぅ――――
――――『お姉さま』って呼んでも…………いいですか――――――――?」
――――――――ナンダコレハ。
目の前で急展開される異状に、頭の中がグルグルと音を立てて回転しているかの様な感覚を覚えるレミリア。
ツッコミたい事はそれこそ山ほども有るが、下手に関わると自分もこの奇っ怪な空気に侵食されそうな気がして、
怖ろしくて近寄る事も声を掛ける事さえも出来ない。
「まぁ、なんだ、その、こーいうのは――――」
関わらずに放っておくのが一番。そう結論に達したレミリア。元々彼女の目的は、門番の胸囲を弄った赤毛を連れて
来る事。その赤毛の雇い主が誰とどういう関係になろうが知った事ではない。
そう考え、未だに目をグルグルにしている標的の方に歩み寄る。
「ほら、起きなさい!」
ボールでも扱うかの如く、遠慮なく赤い頭を蹴り上げた。大柄の身体が宙に舞う。
「きゃん!?」
一撃で目を覚ます小町。そのまま空中で姿勢を立て直し、綺麗に着地――
「いきなり何を……ってなんじゃこれキゃうわがっっ!!!」
――失敗。着地の瞬間に足が滑った。寝起きの眼にぶっちゃけありえない光景を押し付けられ、足から力が抜けて
しまった。
先程、扉の前で秋の涼風に吹かれながらうたた寝をしていたら、突如化け物二人が降りて来て、次の瞬間、視界が真紅
に染まって――――
そうして今、頭を揺さぶる衝撃に目を覚ましてみれば、視界に入ったのは…………
…………怒ってるんだか笑ってるんだか、呆れてるんだかビビッてるんだか、色んなものが入り混じった何とも分類の
し難い顔をして此方を睨んでくる吸血鬼。が、それはまぁ、怖いけれどまだ良い。
問題は、背景に大輪の薔薇を幻視できそうな位のヅカ的おとこま笑顔を見せる薬師と、そして、その薬師に恋する乙女
の瞳でウットリしているのは、『説教ばかりでオバさんくさい』のがウリの生真面目上司。吸血鬼の攻撃で耳がイカレて
いるのだろうか。「お姉さま」という背筋の凍りそうな単語までもが聞こえている気がする。
自分が気絶している間に、一体――――
「…………一体、どんなに強引な急展開があったのかしらね、これは」
「きゃん!」
自分の心の内を見透かしたかの様な言葉に、驚いて思わず声を上げる小町。
後を振り向いて見れば、其処には白襦袢に髪を下ろして、眠たそうに目をこする霊夢の顔。
「あっ。霊夢、起きてたんだー♪」
嬉しそうに手を振ってくるレミリアに、
「起きてたんじゃなくて、起こされたの。いきなり馬鹿でかい音がしたもんだから……
……元々ボロかったのが、もう完全に廃屋ね、これは。あんたと永琳の仕業?」
寝起きの不機嫌そうなハスキーボイスで応える。
「あたいが吹っ飛ばされてから、結構な間があったと思うんだけど。
何と言うか、随分と暢気な巫k
「サボタージュの泰斗には言われたくない」
要らぬ発言をしようとした死神の頭に針を一本突き立て、今度はその使用者を睨み付ける。
「これ迄に何があったのか。これからどうするつもりなのか。簡潔に説明してもらえる?」
霊夢の言葉にゆっくりと振り返る四季。そこには、先程までの子供の様な泣き顔の影など露も見えず、何かを悟った
かの如き爽やかな笑顔で頭を下げた。
「ここ博麗の相談所は、今日この時をもって閉所とさせてもらうわ。
貴方には色々と迷惑をかけて申し訳無かったけれど、でも、本当に有難う」
「え? あ、や、その……別に…………」
どうせまた、屁理屈の様な説教話で返してくるに違いない。そう考えていた霊夢は、予想外のしおらしい反応に面
食らって、貰える物さえ貰えれば別に、と、何処か気恥ずかしそうな様子で視線をずらす。
「報酬の方は判っているわ。小町が相談者から得た入場料を、一割と言わず全て、此処のお賽銭箱に入れておくから」
「ちょっと!? あたいが貰った物って、殆どまともな物がn
「静粛に」
「ぎゃん!?」
何かを伝えようと走り寄って来た小町に対し、カウンターで手にした笏を叩き込む。
「それと、レミリア・スカーレット。
貴方にも迷惑をかけました。お詫びとして、彼女は暫く貴方の元に預ける事にします」
有り得ない方向に首を向けた少女の足を掴んで、レミリアの元まで引き摺って来る。
「どうぞ」
「ん? あぁ……」
少女の細い足首が、四季の手からからレミリアの手へと移動した。
「あー、え~っと――――
何だか色々と話も纏まったみたいだし……
あんた達、さっさと解散して帰る所に帰りなさい。私はもうすぐにでも寝たいのよ」
そう言って、隠しもせずに大きな口を開けて欠伸をする霊夢。
「えーっ? 折角だし、少し話をしていくくらい良いわよね?」
「あんたは、その赤いのを屋敷まで連れて帰らなきゃいけないんでしょ?」
甘えた声を出すレミリアに対し、霊夢が返すのはにべもない返事。
プーッと頬を膨らますお嬢様。けれど、
「……遊びに来るなら、また今度にでも改めて来なさい。悪ささえしないんだったら、いつ来ても良いから」
それで充分だった。
満面の笑顔になって、またね、と大きく左手を振りながら飛び上がるレミリア。霊夢も、またねと言って手を振り
返す。
十六夜の月が照らす夜空の中、次第に小さくなっていく幼い少女と、その右手に足を掴まれたまま逆さになってブラ
ブラしている死神の影。
「……さて、と。それじゃあ私達も帰りましょうか。
ほら、ウドンゲ! いつまでも寝ていないでさっさと起きなさい!」
いつの間にやら手の中に出現した注射器をレイセンの顎の下に当て、その中身を一気に流し込む。
「……………………
!?タラハイラさんに三千点ッッ!!??」
弾かれる様に飛び起きた月兎。顔の色が真っ青なのは、気絶している間に見ていた夢のせいなのか、それとも、永琳が
流し込んだ不可思議な薬品の為か。
「?…………あ、あれ、師匠?……えとぅ――――
んん? あれ、なんか記憶が――――……」
「いつまでも呆けた顔をしていないで、さっさと帰るわよ」
「え? あ、はいっ!」
何が何だか、どうにも頭の中が白濁している様な感じがするのだが、兎に角、師匠が帰ると言ったなら帰るしかない。
何で自分がこんな所で寝ていたのか。その原因すら思い出せぬままに、急いで帰り支度を始めるレイセン。
「それじゃあ四季。貴方も、ね?」
「ふへ!? あっ、ちょっ!」
四季の両膝の裏と背中に手を当て、そのまま一気に胸の高さまで持ち上げた。所謂お姫様抱っこの形。四季の顔が、
見る見る内に耳まで真っ赤に染まっていく。
「あの、ちょっと、お姉さま! 恥かしいです……」
「あら、嫌なの? だったらやめるけど」
「違います! 別に、嫌な訳じゃ……と言うか……あの、むしろ……嬉しぃ…………です」
「ふふふ…… 可愛い娘ね、四季」
「あ、あの? 師匠に所長? 何かのネタですか、それ??」
「詳しい説明は帰ってからするわ。行くわよ、ウドンゲ!」
「え、あ、待って下さいよ師匠~~っ」
自分一人(正確には、抱えている四季を含めの二人)でさっさと飛んで行ってしまう永琳。
そんな師匠の後ろを必死に追いかけるレイセンの大きな耳に、
「……予定通り。これで夜のお楽しみが一つ増えたわ」
何か穏当でない言葉が聞こえた気がした。
けれども、未だにハッキリしていないレイセンの頭では、それがどういう意味を持っているのかなど考える事も出来ず、
そして、永遠亭に帰り着く頃には、そんな言葉は完全に忘れてしまうのだろう。
『紅魔館メイド長に露出狂疑惑?』
“上半身裸でお掃除お洗濯”
[ 瀟洒な事で知られるメイド長(人間)が、実は重度の露出狂だった……そんな噂が今、紅魔館のメイド達の間で持ち
切りになっている。
きっかけは、図書館司書のKさん(悪魔)が、上半身には下着一つしか着けていないという破廉恥極まりない格好で
館内の掃除に勤しんでいるメイド長を目撃した事に始まる。
不審に思ったKさんが声をかけた所、
「仕事中は熱いから、それで涼しい格好をしているだけよ。深い意味は無いわ。ああそれにしても、こんな下着だけ
だと、私のトップとアンダーとの距離が随分とあるのがバレバレと言うか、そこになんの不自然な物も入っていないと
言う事が丸判りと言うか、本当に困ったわねぇー」等と意味不明な発言をしながら、鼻歌交じりで楽しそうにクルクル
回っていたと言う。
その後も、多くのメイド達によって、同様の格好で館内をうろつくメイド長の姿が目撃されている。
この異様な事態に対し、紅魔館の内情に詳しいPさん(魔女)は、
「ああ。あれはね、孔雀が羽を広げたり、ある季節になると猫が盛んに鳴く様になったり、そういうのと同じ事。人間
独特の生理的行動であって、特に危険な事はありはしないわ」と言って事態の沈静化に努めている。
ただ、複数の消息筋によれば、メイド長がこうした奇行に走る直前に、紅魔館に新入りのメイドとして赤毛で身長の
高い少女が入って来ており、また、それとほぼ同時期に、門番のHさん(妖怪)の身体に何かしらの異常が起こって
いたと言う。
こうした事が、今回の事件とどういった因果関係にあるのかははっきりしていないが、時期的に考えて全くの無関係
とも考え難い。ところが、Hさん及び新人のメイドに対するインタビューを敢行しようとしたところ、二人とも主人の
命によって当分の間は外部の者との接触を禁じられているとの事だった。
こうした事から、今回の異変には、紅魔館上層部の意思が何らかの形で関わっているようにも思われ、メイド達の間
に大きな波紋が広がっている。 (射命丸 文)]
「―――――んで、一体これは何なのかしら……?」
「幻想郷一、早くて確かな真実の泉『文々。新聞』です!」
元気で明るい良い返事だが、寝起きで余り機嫌の良くない霊夢にとっては少々鬱陶しい。
昨晩は訳の判らないドタバタで安眠を妨害されていた為、今日は昼迄ゆっくり眠っていようと考えていたのだが、その
目論見は、太陽が顔を出したのと同時に神社に突っ込んできた天狗によって邪魔されてしまっていた。
「今回の記事は、なんと今日の早朝に仕入れたばかりの取れたて新鮮ピッチピチのネタですよ!
これでもう、文々。新聞の記事は遅いだ古いだなどと文句は言わせませんっ!」
確かに、この記事は随分と新しい。速報という言葉に当て嵌めて何の問題も無いくらいだ。
霊夢にはそれが判った。彼女には、この事件の裏が大体予想できていたからだ。
只、だとすれば、この記事にある『きっかけ』とやらが起きたのは、それこそ昨日の深夜か、下手をすれば日付が
変わったかというくらいの時間の筈。それから今迄で『噂が持ち切り』だとか『波紋が広がる』は流石に言い過ぎだろう。
まぁ、新聞と言う物は得てしてそういう物なのだろうからと、特に霊夢は何も言わない。
「所で……あのなんちゃら相談所についての記事は? 今日の新聞に載せるって言ってたじゃない」
「それがですね……
昨日の夜遅く、突然に先方から『記事を載せる話は無かった事にしてくれ』という連絡が入りまして……
何でも、開所一日で相談所の場所を変えたらしくって、記事に載せて読者を混乱させては良くないから、また改めて
取材に来てくれ、と。全く、勝手な話です……
尤も、それで新たなネタを探す必要が出てきて飛び回ったお蔭で、この特ダネが手に入った訳ですが」
そう言って朗らかに笑う天狗の少女。随分と長く生きている筈なのに、他の歳を経た妖怪達とは違って、何と言うか、
まるで見た目相応の少女の様だ。そんな、色々と失礼な気もする事を考える霊夢だったか、まぁ、それは別にどうでも
良いかと歩き出す。それよりも何よりも、今は先ず――――
「――――昨日のお賽銭を確認しておかないとね」
「わざわざ無駄な労力を使ってまで、絶望を確認しに行く必要もないんじゃないですかぁ?」
はっきりと失礼な天狗に対し、昨日の四季や小町とのやり取りを説明する霊夢。
「――はぁ、なるほど。そんな事が…………って、それだったら、わざわざお賽銭箱に入れてもらわなくても、昨晩の
内に直接手渡してもらえば良かったのでは?」
「……やれやれ。新聞記者だというのに、何も判ってないわね」
霊夢にとって重要なのは、『報酬を得る』事ではなく『お賽銭を入れてもらう』事なのである。
食べ物や日常の生活に使う品については、ある程度は自給自足が利くし、或いは知人から貰う事も出来るので、そも
そも生活の為にお金を稼ぐ必要性は霊夢にはあまり無い。
それでも彼女がお賽銭に拘るのは、此処が『神社』であって、それが『お賽銭箱』だからである。神社であれば当然
お賽銭箱は在るのであり、お賽銭箱が在るのであれば当たり前の事として其処にはお賽銭が入っている。と言う事は
つまり、お賽銭が全く無いのであれば、それは遡って博麗神社が神社である事を揺るがしかねない。
「だからお賽銭は絶対に必要なの。判るかしら?」
「神様との交流をしない巫女が、そんな中途半端な気の回し方をしても……」
そんな文の言葉は完全に無視して、足取りも軽やかにお賽銭箱へと向かう。
相談所が永遠亭に移った為、夢の定期収入への途こそ断たれたが、それでも久しぶりのちゃんとしたお賽銭。心が弾む
のも仕方の無い事だ。
そんな霊夢を迎えるお賽銭箱からは、
「――あれ? 何だか変な臭いがしません?」
霊夢の肩越しに箱を覗く文が不吉な言葉を口にする。
「……ああ、ほら、これはあれよ。
久しぶりのお賽銭なんだから、お賽銭箱だって感動の余り変な臭いの一つや二つ、出しちゃったって仕方ないって」
自分でも意味不明な理屈で、何とか自身を納得させようとするが、箱から漂ってくる何だか甘い様な感じのする匂いは
どうも幻覚ではない事は間違い無いみたいで、更には、何かが動き回っている様な音までが微かに聞こえている。
「あの、これは――」
「嬉し泣きよ嬉し泣き。お賽銭箱が出している嬉し泣きの声よ!」
開けるべきか否か。少しの間迷ったが、このまま放って置いた所で事態は好転しはしないだろうと、思い切って箱を
開け放つ。
其処に入っていた、昨日の博麗神社の収入は――――
見た事も無い御札の切れ端と、餡子・黄な粉まみれになったココイガエル、バラバラ死体になっている何体かの蟲に、
硬くなってしまった食べかけの御餅、そして、『ぐんぐにる(はぁと)』と書かれた紙切れが一枚。以上。
「こ、これは――――
博麗の巫女が、神社のお賽銭箱の中で蟲毒を作っていたとはっ!
これはスクープ、大スキャンダルですよ――――っ!!」
「いやちょっと、何だかバトルロワイアルがあったのは間違い無いみたいだけど、毒を持ってるのは蛙と蜘蛛だけで
あって、それをして蟲毒と言うのは――――」
神社の信用の為に何とか反論を試みる巫女だったが、さっきまで傍らに居た筈の天狗の姿は既に影も形も無い。
「――――っ、はあぁ~…………」
明日の新聞の見出しを想像し、深く溜め息を吐く霊夢。
見上げた空は何処までも高く青くて、何だか心の底から腹立たしい。あの鴉め、今度会ったら、ひっ捕まえて竹林に
持って行って、焼き鳥にでもしてもらおう。里に住む鴉は、ゴミばかり食べているのであまり味は良くないらしいが、
そうでない鴉は結構な美味だと聞いた事がある。
そんな事を考えながら霊夢は、布団を敷いたままの部屋に向かって足を動かす。今は兎に角、グッスリと眠りたい。
境内の掃除は……まぁ、後でも良いだろう。それにどうせ、明日になったら大量の野次馬達が神社に押しかけて来るの
だ。今日の内に掃除をしたって意味も無い。
部屋へ辿り着く。敷きっ放しの布団が放つ誘惑に少しの抵抗も見せず、ふかふかの白い塊に向かって身を投げる。この
季節、昼は暑くもなるが朝はもう随分と冷え込むものだ。
そうだ、明日、野次馬共のうち何人かをとっ捕まえて、掃除の手伝いをさせよう。嫌だと言ったら、お賽銭を払う様に
迫るのも良いかも知れない。わざわざ神社に来るのだから、それ位の覚悟はあってしかるべきだ。あの説教魔が文句を
つけてくる事も考えられるが、その時はその時で、今回の嫌がらせのケジメをしっかりと取らせてやる。
そうこうしている内に、段々と意識が遠のいてくる。
霊夢の耳に最後に届いたのは、爽やかな小鳥の囀りと、それに混じった、朝っぱらから元気な蛙の鳴き声だった。
なキャラが出てくるあたりとか。 おもしろかったです。
>爆音と共に一瞬にして姿が見えなくなった。
Prandtl Glauert Singularity!(プラントゥルグロアート特異点)
でもこの現象は楕円形の雲が機体後方に掛かるのでは?出現領域もマッハ0.8くらいで高湿度・低空という条件になります。
最後は予想したオチ(お賽銭)の更に斜め上を逝かれて大爆笑。
メイド長の意味不明な発言が日本語として破綻していながら、
魂の主張が感じられて涙を誘います。
じわじわ効いてくる笑いのボディブロー。
四季様はいじられキャラか……まぁ、師匠とお嬢相手じゃ仕方ないか。
とりあえず、マイベストネーム『ザビエル☆河童ァフィールド』
テラワロス!!
まさか四季様がこんなに楽しいキャラになるとは。 GJ!!
と言うか、こんなぶっ飛んだ四季様には裁かれたくねぇぇぇぇぇぇぇ!!!
いや、こんな偉そうな事言える身分じゃないのは重々承知なんですけど、
以前の作品より凄く読みやすくなってるなぁと感心しました。
今後ともおもろい作品を読ませて下さいませ。
それと、弟子に本気のココナッツバックブリーカー仕掛ける師匠はマジ外道w
ところで、その四季様。お姉さんキャラと言いつつも、隠しようのない妹臭がですね…。
…あ。私の番が来たようです。ではのんびりと御説教されて来ますね(地獄
とりあえず☆ネタで「つのだ☆ひろ」の名が出ないのは意外でしたが
ところどころに散りばめられた特撮ネタがとっても美味でした
判ったのは「鋭鬼」「ウルトラ作戦第一号」「『ジャッジメンタァイム!』『デリート許可!』」
「あっ! キリンもゾウも氷になった!」「かぶと虫は宇宙の侵略者!」「カテゴリーKセット」
「白い兎は悪い奴!」「ストロンガーの歌」「2大怪獣タロウに迫る!」「ザケンナー☆裁鬼」・・・
他にも「神尾みすず」「完璧超人は背中に傷を負ってはいけない」「古代恐竜魚ガーギラス」
「フェルマーの最終定理」「ナージャ」「黄の節制」「舞HiME」「ハラタイラさんに三千点」・・・
このネタの多さには脱帽です
そしてえーりん黒いよえーりん
最後に紅リグチル霊夢に合掌(-人-)
最高の誉め言葉、アリガトざいますっ! これからも精進しますッ!
>地獄行きを武器にして、最後に地獄が無効なキャラが出てくるあたりとか。
鬼っ娘あたりも平気そうです。てかむしろ、亡者をいたぶる側に居そうです。鬼ですし。
個人的には、酔いどれロリが相手ならむしろ進んで虐められた(ry
>Prandtl Glauert Singularity!(プラントゥルグロアート特異点)
ホント、助かりました(謝
因みに、あややは本気になれば余裕で音速出せると思います。けれどその際の衝撃に、本人は兎も角
着てる物なんかが耐えられる筈もなく、よって、降りてくる時にはマッp(天狗キャノンボール
>おやつって、だから「おやつ」って言うんですね。(笑)
って、昔なにかのお煎餅の袋の裏に書いてあった気がします。グランマ的豆知識ですね。
>メイド長の意味不明な発言が日本語として破綻していながら、魂の主張が感じられて涙を誘います。
紅魔・萃夢・花の立ち絵を比べてみると……「実は少しずつ○○になっているのかしら?」(月兎
>aki様
と言う事で、実はこまっちゃん、自身の身長や胸囲も弄っているかも知れません。
つまり、小町の真の姿はつるペタちみっ娘だったんだよ!!!!
>おやつ様
個人的にヤマさんは、真面目で頭も良くてエラソーだけれど、守勢に回ると弱いと思います。
学級崩壊な小学生相手に泣き出しちゃう新任の先生とか、まぁ、そんな感じですか?
>グッド!
『四季映姫』だ…二度と間違えるな! わたしの名は『四季映姫』というんだ!山田でもザビエルでもない!
>CCCC様
上半身がアレで下半身がナニな時点で、立派にぶっ飛んでるお方だと思います、四季様は。
……無論、服装の話ですよ?
>無名剣様
でも、えーりんほど黒い人ではないと思います。心はきっとピュアです。足元リボンがその証拠です!
>まさかおとボクネタが入ってくるとはっ。
へっへっへっへっへっ、またまたやらせていただきましたァン!
……ところで若し良かったら、おとボクって何か教えて教えてもらえませんか? 後でこっそり。
>床間たろひ様
お褒めいただき光栄至極。イヤホント、どうにも稚拙な文しか書けない自分ですが……
頑張りますんで、これからも生温かい目で見守っていただければ幸いです!
或いは、養豚所のブタでも見るかのように冷たい目で見守っていただくのもそれはそれで(ぇ
>名無し毛玉様
初めてゲーム画面であの技を見た時は、ホント感動しました。
いっそ師匠に、コーカサス喰わせりゃ良かったでしょうか!? すごく好きなのよ……ココナッツ。
>懐兎きっさ様
個人的に四季様は、表ではお姉さんぶってるけど身内の中では一番年下とかそーいうキャラと思います。
職場では他の仲間(九人くらい)から、からかわれたり可愛がられたりの日常。
「いい加減にして下さい! 私もう、子供じゃないんですよ!」反動でゲーム内のあの態度、とか?
>このネタの多さには脱帽です
むしろ、それを言い当てる貴方に脱帽です。
各話タイトル全部(特に3~)が判っただけでも凄いのに、あの恐竜魚を知る方が真逆いようとは……
三途の川にガーパイクは居ないと思いますが、ガーギラスは居ますよね、きっと。
その他の読んでくれた皆様にも、ホント、感謝感激ッス!
……ってか、このコメント、ちょいとはっちゃけ過ぎましたか? スンマセン(汗
チャージアップした超笑死の力で逝きかけました。
次回もマジで決めてください。自分も頑張ります。しゅ!!