幻想郷の西の方。
迷いの森を抜けた先には広大な湖がある。
その真ん中には陸地があり、古めかしい洋館が建っているという。
名前を、紅魔館。
吸血鬼が二匹と、魔法使いと、十匹くらいの妖怪と。
ひとりだけ人間が住んでいる、変な館である。
そのたったひとりの人間は、名を十六夜 咲夜といった。
・・・・・・・・・・
東方シリーズss
メイドさんの一日
・・・・・・・・・・
「う、ん・・・」
太陽が空の真上にさしかかるころ、咲夜は起床する。
眠たげに目をしょぼしょぼさせながら、うーんとのびをひとつ。
「身支度・・・しないと・・・」
ぼーっとしたまま、それでもクローゼットへ向かう。
いつものしまった顔からは、想像できないくらいにボケボケである。
しかも、昼に起床するというのはメイド長としてどうなのか。
だが、紅魔館ではこれでいいのだ。
館の主、レミリアは吸血鬼である。
吸血鬼は夜に生きる存在であり、太陽の光を敵とする。朝眠って夜に起きる。
メイドとしては、主に合わせなくてはならないだろう。
主が起きている間ずっと寝ていては、メイド失格である。
朝昼ずっと寝ているわけにもいかない。
夜は主の相手をするために、昼間に雑用をあらかた片付けておかなくてはならない。
そういうわけで、咲夜は朝寝て昼、夜と働く生活を送っている。
人間の生来の生活リズムに反しているせいか、元々なのか。
咲夜はとにかく、寝起きに弱かった。
起きた後、咲夜は着替えとタオルを持って外に出た。
「あ、咲夜さん」
おはようございますと声をかけてきたのは、門番の紅 美鈴。
「水浴びですか?」
「うん・・・」
うろ返事だけ返して、咲夜は見向きもせずに湖へ向かう。
美鈴はそんな態度に気を害することなく、苦笑い。咲夜が起きたばかりだと察しているからだ。
(この時だけは、ほんと無防備ですねえ・・・)
自分とレミリアが鍛え上げた成果であるが、咲夜は彼女が好んで使うナイフのように鋭い。
ここで妖怪に交じって生きる以上、そうでなくてはならないのだが、すこし寂しくもあった。
幻想郷に迷いこんできたばかりの頃、初めて見た妖怪に目を丸くしていた咲夜。
戦いも、雑務一般も未熟で、懸命に学んでいたけどよくドジっていた咲夜。
今の咲夜は冷たいっ!などとは言わないが、時にはあの頃のキミへもどってほしい。
少女だったキミに。
(“お姉様”って呼ばせる気だった・・・なんて言ったらナイフでしょうかやっぱり)
今ではもう、咲夜には勝てない。
だからこうして、寝起きを見守るだけで美鈴は満足する。
湖の淵まできた咲夜は、さっと寝巻を脱ぎ、足先を水面に沈めた。
ーー冷たい。
寒気が体に伝わり、脳がこれ以上沈むことに反発する。
抵抗感を無視して、咲夜はいつものように、水の中へ入っていった。
水からあがるころには、すっかり目は覚めていた。
「消耗品、何か切れてたかしら・・・」
淵に腰掛け濡れた体をふきながら、早くも頭は仕事に向ける。
やるべき事を考え、やる順序を組み立て、夜までのスケジュールをたてる。
やることはそんなに多くはないが、だらだら長引かせるのは好ましくない。
「やっとお目覚めですねーーー」
「美鈴、お早う」
メイド服に袖を通す咲夜の元へ、美鈴がやってくる。
さっきは言い忘れていたので、あらためて朝・・・もとい昼のあいさつをひとつ。
美鈴は小さく笑って、「遅ようですよーーー」と返した。
美鈴を連れて、咲夜は館に戻った。
とりあえず、行くところはキッチン。
昼食である。
紅魔館のキッチンは、なかなかに広くて立派だ。
しかし、慣れないうちは構造を覚えるのが大変で、苦労したものだった。
レンガ造りのパン焼き窯、炭で温める加熱器具。
電子レンジや冷蔵庫などあろうはずもなく。
ギャップに戸惑っていた自分を懐かしみながら、咲夜は料理に取りかかる。もちろん、美鈴もお手伝い。
「美鈴、お水汲んできてもらえる?」
「はーい、このやかん借りていきますね」
「ただいまー。ついでに野菜も採ってきました」
「ありがとう。人参にレタスに・・・どうしようかしら」
「サラダが手っ取り早いけど、暖かいスープとかもほしいですね」
「うーん、それじゃ・・・」
「もうちょっと・・・かな」
「こっちはもう出来ましたよー」
「うん、こっちもそろそろ焼きあがるわ」
十数分ほどで、テーブルの上には食事が並んだ。
焼きたてのパンケーキに、ゆでたウインナーとキャロットスープ。
寝起きの食事としては、まあこんなものだろう。
「「いただきます」」
律儀に手を合わせるふたり。
咲夜はともかく、中国出身の美鈴に、この習慣は無い。
はじめて美鈴と食事を一緒したとき、このことを訊かれて答えたら、
「すばらしい習慣です」と美鈴もやるようになったのだ。
さすがは礼にうるさい中国人といったところか。
「ちょっと甘すぎたかしら?」
「私はこれくらいが丁度いいと思いますよ」
はむはむとパンケーキを頬張りながら、味の感想を言いあう。
これは凝って作ったものではないが、不味いものを作るつもりもない。
たかだかパンケーキにさえも、精進あるのみである。
「美鈴は甘党ねえ」
「自分では、よく分かんないですけど・・・」
美鈴はそう言うが、間違いなく甘党だと咲夜は知っている。
以前、だだ甘い洋菓子を焼いた時、館内で一番うけたのが美鈴にだった。
美鈴にかぎらず、住人全員の好みを咲夜は把握しているのである。
元来、妖怪に食事の必要はない。
それを、嗜好として広めたのは、ほかでもない咲夜である。
ひとり食事をとるのは、なんだか悪い気がするのと・・・なにより味気ない。
館に住む皆に、料理に興味を持たせようと、いろいろな料理を作っては食べさせた。
感想を聞き、個人の好みに合わせることも忘れずに。
努力のかいあって、今のとこ一緒に食べる相手には不自由していない。
「今日はどうしましょう」
お皿を空にしてから、美鈴が尋ねた。
門番が仕事の美鈴だが、咲夜の裁量で、雑務を手伝わせていいことになっている。
「今日はいいわ。門番をしてて頂戴」
「それじゃ、失礼しますねーーー」
ごちそうさまを言って、美鈴は外へ戻っていく。
食器を重ねて、咲夜は洗い場の方に足を向けた。
食器を片付けると、咲夜は館内の昼組たちを召集した。
妖怪にも、昼行性のと夜行性のがいる。
それぞれグループにして、シフトを組んでいるのである。
「ルチルと氷雨は2階をおねがいね。私とフィナは3階をやるから」
場所だけ指示して、さっと行動に移る。
「何事も手際よく」がココでのモットーだ。
なにをするかというと・・・館内のお掃除。
紅魔館は、かなり広い。
その上、主の意向で2階から上は窓を全部閉め切っているので、汚れるのが早い。
少し目を離しただけで、蟲とホコリのパラダイスである。
掃除は毎日欠かせないのである。
3階にあがり、まずは廊下をモップで拭いてまわる。
フィナとそれぞれ反対方向にスタートして、合流地点に塵や埃を集める。
廊下はこれでおしまい。
と思ったのだが・・・
「あーっ、ここ!ここ汚いですう!」
フィナが指した箇所を指で拭って、咲夜はため息をついた。
「あなたはまた・・・少し塵がついてるだけでしょ」
「塵ひとつとて逃しては、紅魔館メイドの名折れですわ!」
「これくらいは勘弁してちょうだい・・・」
指で拭わないと気付かない程度ですら、フィナには気になってしかたないのだ。
かなり重度の潔癖症なのである。
希少な樹の妖精らしいが・・・箒の妖怪じゃないかと常々咲夜は疑っている。
「廊下は終わり!各部屋の掃除に移る!」
「あーん、分かったから引きずらないでくださーい!」
フィナの服の襟を引っつかんで、咲夜はずんずんと端の部屋へ向かった。
各部屋はそれぞれ内装が違うが、やることは大体、窓拭きと物を拭くぐらい。
あとは、置物があれば磨くとか、床に絨毯等がひいてなければ掃き掃除するとか。
部屋の半分くらいは使われてないので、すぐ綺麗になる。
埃や蟲は大敵だが、逆に言えばそれくらいしか敵がいないのだ。
ボロ布を水につけ、よく絞ってから窓を磨く。
幻想郷に洗剤などあるわけもなく、こうして水拭きすればおしまい。
水拭きだけでもしっかり綺麗になる。
むしろ、洗剤はよけいなのである。
だが、何かがこびりついていたりすると、なかなか取れない。
その場合は、しつこく擦るしかない。
「なにかしらね、これ・・・」
窓に付いた黒っぽいかたまりを見つけ、力をいれて擦る。
すこしずつ削れていくが、やはり落ちにくい。
「んっ・・・ひゃあっ!!」
もにゅ。
突然胸を掴まれ、咲夜は声をあげて振り払った。
払われたフィナは、「いたた・・・」と腰をさすりながら立ち上がる。
「フィナ、なんのつもり・・・・・」
ナイフを抜き、半目で睨む咲夜。
フィナはエヘヘと上目遣いに笑い、
「お姉さまと、スキンシップを図ろうかと・・・」
「スキンシップねえ・・・」
それじゃ、私もやってみようかしら。
にっこり笑顔で、咲夜は手にしたそれを投げつけた。
フィナにかぎらず、メイドたちは皆、油断できない者ばかりである。
ここの妖怪メイドたちは大体、咲夜が拾ってきて育てた。
ある者は館の近くに来たのを捕獲され、
ある者は咲夜を襲ったが返り討ちにされ、持ち帰られてしごかれ、メイドになった。
・・・拉致して調教したと、言えなくも無い。
ともかく、そんないきさつのせいか、妙な慕い方をする者も少なくないのである。
一度だけではあるが、夜這いをかけられたこともある。
無論、全力で撃退したが、次も防げるとはかぎらない。
とりあえず、「お姉さま」はやめさせよう。
言いきかせてはいるのだが、なかなか効果がでない。
困っているのが現状である。
作業は簡単でも、紅魔館はだだっ広いので、フロアひとつにも2時間前後かかる。
全フロア終わった頃には、3時をすこし回っていた。
「4時まで休憩。4時になったら、またここに集合」
休憩の指示に、皆嬉しげに思い思いの方向へ散らばっていく。
咲夜も肩の力を抜いて、いつもの休憩場所へ向かった。
紅魔館には、本館と別館ーー図書館の2館がある。
その図書館には、主以上に図書館に詳しい、魔法使いの客人がいる。
「パチュリー様、今日もご一緒しませんか?」
「ふふ、喜んで・・・」
咲夜の誘いに微笑んで、読んでいた本を閉じて立ち上がる。
その本を胸に抱き、パチュリーは咲夜の後について行った。
十六夜 咲夜とパチュリー=ノーレッジは、以外かもしれないが仲が良い。
レミリアの従者になる前、まだ別の名でここにいた頃から、パチュリーは咲夜の良き相談相手だった。
咲夜は物静かで、以外に親切なパチュリーの性格を好み、
パチュリーは、レミリアを良い方向に変化させていった咲夜に好感を持っていた。
いまでは余り相談はしないが、代わりに、紅茶に付き合ってもらっている。
白い陶器のカップに、そそがれる茜色の液体。
ふうわりとただようオレンジの香りが、鼻腔をくすぐる。
カップに口をつけ、ひとくちすすって。
パチュリーは、小さく息をはいた。
「・・・美味しい」
「ありがとうございます」
顔を綻ばせて、咲夜も自分のカップを手にとった。
レミリアとパチュリーは、紅茶にはうるさい。
従者になりたての頃は、よくレミリアに「こんなものが飲めるかぁーーー!!」などと、淹れ直させられたものだ。
気分は雄山先生にいじめられる士郎、一徹にしごかれる雄馬である。
パチュリーはそこまで言わないが、まずければ、本当にまずそうな顔でまずいと言う。
美味いと言ったなら、本当に美味いと思っているのである。
淹れる人間にとっては、これ以上嬉しいことはない。
だから、咲夜は顔を綻ばせた。
カップをかたむけ、まったりと過ごす時間。
交わされる言葉は少ない。ティータイムは、言葉より相手とつくる空気を楽しむものだ。
「ねえ、咲夜・・・」
「なんですか?」
時計の長針が6を過ぎた頃、不意にパチュリーが尋ねた。
「レミリアが朝からいないのだけど・・・何処に行ったか、あなたは知っていて?」
「霊夢のところでしょう」
確認はしてないが、確信はあった。
以前、レミリアが太陽を遮るためにここら一帯を霧で包んだことがあった。
その時、霧をはらすために乗り込んできた、博霊 霊夢という巫女の少女。
最近、レミリアは彼女がお気に入りである。
パチュリーにもそのくらい予想はついたはず。
なのに、わざわざ訊いてきた意図はなんなのか。
簡単に分かった。
「咲夜は、妬いたりしないの?霊夢に」
「妬く意味がありません」
そらきた!・・・と内心毒づいて、咲夜は答える。
「それは自信?」
「・・・からかうのもほどほどにしてください」
多少、声を荒げた。
以前の名・・・風代美咲として生きてきた全てを放棄して、受け取った十六夜 咲夜の名。
十六夜は紅月ーーレミリアを示し、咲夜は「夜に咲く」の意。
レミリアに尽くすためだけに生きる。それが“十六夜 咲夜”の意味。
霊夢と仲良くなろうが、いちゃいちゃしようが、ネチョネチョしようが興味は無い。
レミリアが自分を好きでいてくれればそれでいい。
それが咲夜のスタンスである。
一途に尽くすのみである。
「・・・ごめんなさい」
素直にパチュリーは謝った。
「念のために、あなたの気持ちを探っておきたかったの」
あなたとあのこには、ずっと仲良くいてほしいからと、そう言って。
「心配いりません」
咲夜は言い切った。本当に、無用の心配だ。
「私は死ぬまで、ずっとお嬢様の従者です」
「ごちそうさま。また誘って頂戴ね」
「いろいろ研究しておきます」
ポットも空になり、4時が近付いてきて。
図書室に帰るパチュリーの背中を見送って、咲夜はティーセットの片付けを始めた。
「今日は、ちょっと風が強いわね・・・」
5時をまわったころ、咲夜は箒に乗って空にいた。
後ろには、お供の氷雨が乗っている。
「すみません、咲夜様・・・」
「つまらないこと気にしないの。ほら、メモは持ってる?」
「大丈夫です」
氷雨が畏まってるのは、この強風のせいである。
強風に煽られ、まともに飛べずに咲夜に乗っけてもらっているのだ。
申し訳ないやら、情けないやら。
ちなみに、空間操作を応用して飛ぶ咲夜は風を苦にしない。
ルチルとフィナに館内作業をまかせ、ふたりが向かうは人里である。
用件は買い出しと、もうひとつ。
野菜等なら館で栽培もできようが、どうしても買わなければ手に入らないものも多い。
買い出しは重要である。
人里が見えてくると、咲夜は大きな町のほうをめがけて高度をさげた。
まだ町までは距離があるが、ぐんぐん降下していく。
直接町に乗りつけては、天狗だの妖怪だのと騒がれてしまう。
外の世界ではかるなら、幻想郷はだいたい明治時代くらいの文明レベルである。
町や村に住む人々は、迷信を信じ、人外のものに警戒が強い。
だから、少し遠くに降り立って、自然に町へ入り込む必要があるのだ。
また、髪や服も誤魔化すのを忘れてはいけない。
カラフルな髪や服はかなり目立つ。
目立たないよう、かつらと町人の服は必須装備である。
町に入ると、通りは夕市の真っ最中だった。
道の端に並ぶ、いろいろな出店。おっさんおばさんの威勢のいいかけ声が響く。
人もおおく、かなりの熱気だ。
「トマト一山1円と20銭、安いよ安いよ!」
「川で釣りたての魚ぜよーーー!」
「ちょっともう!割り込みはよくないわよ!」
方言が混じってたり、金の単位が微妙に違ってたりする。
金は2ケタまでが銭、3ケタから円に変わる。1円=外の世界では100円、ということである。
また、方言は土佐と九州が多い。
この手の市場は、普通の店よりも安い。
故に、人もぞろぞろ集まる。
強気に、かつ冷静に行動しなくては、なにも得られず迷子になってしまう。
市場は戦場である。
「さ、いくわよ氷雨。覚悟はいい?」
「・・・はい」
戦いは、紅魔館メイドの得意とするところ。
ヒトに遅れなどはとらぬ。
いざ、参ろうではないか。
メモを半分に破り、互いの分担を確認して。
ふたりは勇ましくも、夕市のなかに突入した。
「戦果は上々ね」
「満点です・・・」
布袋をひとつずつ手に、夕市をあとにする。
人ごみ間を縫い、割り込み、ふたりはメモに書いたものをほぼ入手した。
夕日を背負うふたりの顔は、満足げだ。
次に向かうのは、町外れの小さな商店街。
一般の消耗品はだいたい市場で買えるが、嗜好品はそうもいかない。
とくに大事なのは、茶葉である。
主が大の紅茶党なので、紅魔館に茶葉はかかせない。
商店街の一角に、プレートさえたててない建物がある。
人家なのか、店なのか。分からずに困ってしまいそうな所。
いきつけの、茶葉を売る店だ。
中は薄暗く、回りには棚や箪笥があるものの、茶葉はどこにも見あたらない。
ここには置いてないのである。
「おばあさーん!いませんかー!」
カウンターの向こうに、咲夜は大声で呼びかけた。
「はいはい・・・ここにおりますよ・・・」
のんびりした、しわがれ声が返ってくる。
ほどなくして、向こうからひとりの老婆がやってきた。
「おやまあ、咲夜ちゃんかい・・・よく来たねえ」
「こんばんわ、おばあさん」
軽く頭をさげ、咲夜は会釈する。
この老婆が、ここの店主である。
店の奥に、茶葉を揃えており、客の注文に応じてこっちへ持ってくる。
咲夜は割と気に入られており、今では「咲夜ちゃん」とよばれているのである。
幻想郷広しといえども、咲夜をちゃんづけするのはこの老婆くらいのものだ。
いい歳だがボケ知らずで、じつはかなりのつわものである。
「いつものやつかい?」
「はい、いつものやつお願いします」
「ふふ、まっとっとくれ・・・」
のそのそと、老婆が奥に戻っていく。
手近の椅子に腰掛け、咲夜はあたりを見回した。
見慣れた場所ではあるが、ここは気が落ち着く。
多分、祖父の部屋ににてるからだと思う。
両親を早くに失い、祖父に育てられていた咲夜。
祖父は優しく、時には厳しく。咲夜はそんな祖父を深く慕っていた。
祖父は大の本好きで、本だらけの薄暗い書斎をもっていたが・・・
あの書斎に、ここは似ているのだ。
「ほら、これでいいかい?」
茶葉をもって、老婆が戻ってきた。
カウンターに置かれた茶葉の質を、咲夜は細かくチェックする。
「・・・これでいいです」
「それじゃ、もってっておくれ」
代金と引き換えに、茶葉を受け取る。
「ありがとう、おばあさん」
「たまには遊びに来ておくれよ」
「はい。ぜひ」
柔らかな笑顔を返して、咲夜は店を後にした。
森の奥まで戻ると、辺りはもう闇に染まりはじめていた。
出かけに吹いていた強風は、だいぶん緩やかになっている。
「氷雨、悪いけど荷物持って帰っててくれる?」
「かまいませんが・・・咲夜様は?」
「私は、大事なお仕事」
それで、氷雨も察したようだった。
「それでは、先に失礼します・・・」
荷物を両手に、氷雨は夜空に消えていく。
「さ、いきましょうか・・・」
自然と気合がはいる。十六夜 咲夜にとって、一番大切な仕事を始めるのだから。
ーー主の食料、血を吸われる生贄を攫う仕事を。
元来、必要な仕事はこれひとつしかないのだ。
嗜好品はどうしても必要なものではないし、雑務にしても、空き部屋がいくら汚れようとレミリアは気にしない。
しかし、血液だけはかかせないのである。
血液だけは、必ず用意する。なにがあるうと失敗しない。
従者となったあの日から、咲夜は己に厳命していた。
レミリアの好みは、恐怖に染まった生娘の血である。
男より女、とくに処女が美味いというのは、吸血鬼の常識らしい。
恐怖の方は気にしなくていい。レミリアが吸おうとすれば、勝手にビビるから。
問題は生娘。
生娘は、割と希少なのである。
幻想郷では、20から25歳までにはだいたい皆結婚する。
していなくとも、結婚を前提に付き合っていることがほとんどで、軒並み非処女なのである。
それ以前に、村では普通に夜這いが流行しているため、10代後半もかなり怪しい。
10代前半なら確実だが、さすがにそれは鬼畜すぎて気が咎める。
20歳前後を2,3人捕まえ、処女がいればラッキー・・・そんな風に咲夜は狩りをしていた。
町を離れ、近くの村に咲夜は向かった。
ぽつぽつと点在する家からは、うっすらと橙の灯がもれている。
時間帯としては、夕食後、まったりしているころだろうか。
幻想郷の人間は早寝早起きなので、あと1,2時間もすれば皆眠りにつくだろう。
これが妖怪ならそれまで待つ。寝静まってからのほうがやりやすいから。
だが、咲夜にとっては寝ていようと起きていようと関係ない。
村の上空を旋回し、適当な家に当たりをつける。
そしてーー時を、止める。
時と空間の操作。
咲夜の固有する、幻想郷のなかでも特異な能力。
あとは家の中に入って、攫ってしまうだけである。
静止した時のなか、咲夜は降下して家の中に入っていった。
「あら・・・いないわね」
畳の上を歩きながら、咲夜は首を捻る。
家の中を大体見て回ったのだが、人がいないのだ。
まだ見てない部屋はあるのだが、ひとりくらい見つかっていてもいいのではないか。
「留守かしら・・・」
口に出してみたが、明りはついているのだからその可能性は少ないだろう。
だが、こうして探しているいまも、見つからない。
「・・・この部屋で最後ね」
眼前の部屋以外すべて見回ったが、やっぱりだれもいなかった。
「出かけるんなら、明りは消して・・・」
文句をいいながら、咲夜は最後の部屋を開けた。
部屋の中には、ひとりの少女が座っていた。
艶やかな黒髪の、15,6くらいの着物姿の少女。
座り込んだまま、眠っているのか、目を閉じている。
「・・・こんな娘ひとり、おいていくなんて」
こっちとしては好都合だが、ひどい家族もあったものだ。
「うーーん・・・」
少女を前に、咲夜は少し考え、
「この娘しかいないみたいだし・・・」
能力を、解除した。
「・・・あ、あれ?」
少女が動き出す。目を開けて、いつの間にか現れた咲夜に戸惑いの声をあげる。
寝ていたわけではなかったようだ。
「あなた、だれ・・・?」
「答える必要はないわ」
冷酷な表情をつくり、咲夜は言う。
「これから、あなたは吸血鬼の餌になるの。恨み言や遺言があれば聞くわ」
「・・・・・」
放心したように、少女は咲夜を見つめて動かない。
突然のことに、頭が追いついていないのだろう。
少女の言葉を待ち、咲夜も動かない。
人を攫っていくとき、咲夜は相手を眠らせて運ぶのだが、その前に必ずこの台詞を言う。
「気がついたらレミリアとご対面ーーー!」では、あんまりだと思うからだ。
自分に恨み言を言わせ、殺される覚悟をする時間を与える。
偽善かもしれないが、せめてもの慈悲である。
怯える血が好きなレミリアにも悪いが、そこは勘弁してほしいところだ。
覚悟してても、死の恐怖は完全には消えないだろうから。
「・・・ねえ」
しばらくして、ぽつりと、少女が口をひらいた。
「あなた、だれ?」
「言う必要はないって言ってるでしょ」
「でも、きいておきたいの」
わかんない娘ねと、咲夜は肩をすくめた。
だがーーーーーー
「あなた、死んじゃうんだから・・・」
「なにをーーー」
笑おうとしたその時、背後から強烈な殺気が迫ってきた。
「くっーーー!」
反応するも、すでに遅くーーーーーー
肩から袈裟懸けに、刀が咲夜の体を斬り裂いた。
一瞬、視界が真っ白に染まる。
気が付いたときには、床に倒れていた。
「残念だったな、娘」
「この・・・」
痛みを堪えて、顔を上げる。
ぼやけた視界に、精悍な男の姿が映った。
「貴様のことは知っている。人でありながら、悪魔に魂を売った汚らわしい狗だとな」
「ひどい・・・言われようね・・・」
「人を攫い、悪魔に売り渡し、悪魔に喰われゆくものの断末魔を楽しみとするのだろう?」
違うのか?と男は言う。
ーー違う。
これまで一度も、この仕事を楽しんだことなど無かった。
死にゆくものたちに、家族がいたこと、友がいたこと、恋人がいたこと。
幸福な日々があったこと。それを、奪ってしまう罪深さ。
誰よりも、咲夜は知っている。
ーーだから、男の言葉は違わない。
どんな理由があろうと、やったことの非道さに変わりはない。
ならば、弾劾は甘んじて受けねばならない。
だがーーーーーー
死までは、甘受するつもりはない。
ゆらりと、咲夜は立ち上がる。
斬られた傷は、肉を貫通し、臓器にまで達していた。
だが、これではまだ、致命傷にはならないのだ。
「むっ、貴様ーーーーーー!」
男の目が驚愕に、ついで侮蔑のそれに変わる。
「肉体まで、人を捨てたか!!」
「違うわ・・・」
本当に違うのだが、理由を教えてやる義務はない。
「ちっ、ならばとどめをさしてやろう!」
迫る男の刃。
しかし、不意打ちならともかく、咲夜と相対した今ではまるで無力。
「時よ、止まれーーーーーー」
あっけなく、すべてが動きを止める。
「恨み言、聞いてあげられなかったけど・・・ごめんなさい」
座り込んだままの、少女を抱えて。
ひきずるようにしながら、咲夜は家を出ていった。
痛みが、だんだん麻痺してきた。
代わりに、どうしようもなく眠い。
(これは、本当に危険かも・・・)
血はどくどく溢れ、メイド服を真紅に染めていた。
傷自体は致命傷ではないが、この出血と合わせるとそうなるかもしれない。
気が遠くなるのを必死で堪え、咲夜は紅魔館を目指して飛ぶ。
(レミリア・・・)
思い出す、彼女の笑顔。
(これで、何度目っだっけ・・・)
死にかけたのは、一度や二度ではない。
その度に、彼女との誓いを思い、生きて帰りついた。
(ずっと、いっしょだよ・・・)
あの時の言葉を、守るために。
今度も、生きて帰る。
絶対に。
ぼやけた視界のなか、紅魔館が見えて。
安心した途端、咲夜の意識は、混沌に飲み込まれていった・・・
夜も深くなったころ、レミリアは紅魔館に帰ってきた。
「あれ、変ね・・・」
館のなかが、妙に静かだ。
いつもは咲夜が拾ってきた妖怪たちで、それなりに活気のあるはずなのだが。
「あっ、レミリア様!!」
メイドのひとり、ティミスが駆けてくる。
表情が妙に痛々しい。やはり、なにかあったのか。
「なにがあったの?」
それなりに覚悟して、訊いたつもりだった。
だが・・・
「咲夜様が、咲夜様が・・・!」
「咲夜が!咲夜がどうしたの!?」
ベッドの上に、咲夜は裸で眠っていた。
右肩から下腹部まで、生々しい傷跡が走っている。
パチュリーが治療して、とりあえず命に別状はないらしい。傷跡も3日くらいで消えるそうだ。
ただ、7日ほど絶対安静だとも言った。
「咲夜・・・」
最後に共にいた氷雨の話では、血液のための人間を攫いに行ったらしい。
すぐに、傷の理由は分かった。
大方、攫う人間に変に情けをかけようとして不意をうたれたのだろう。
「バカ・・・」
隣のベッドに腰掛け、レミリアは咲夜の手を握った。
咲夜ーー風代美咲と出会ったのは数年前。
この館に迷いこんできた美咲を喰おうとして抵抗され、特異な能力を気に入って客分としたのがきっかけだった。
共に過ごすうちに、ある出来事がきっかけで、レミリアは美咲の悩みを知る。
特異な能力と容姿のせいで、人々にうけいれてもらえない。
だけど、普通に友達をつくって、恋をして、家庭を築いて、子を生して。
そんな普通の幸せを掴みたいのだ、と。
初めは反発した。悪い冗談としか思えなかった。
自分も、かつて同じ思いをしたのだ。
はるか昔、レミリアは貴族の娘として、何不自由なく妹のフランと幸せに暮らしていた。
しかし、ある日フランともども吸血鬼に襲われ、同属にされてしまう。
化物となったふたりを、家族や友達はだれひとり受け入れてはくれず。
恐怖と狂気の混じった目で、ふたりを殺そうと攻撃した。
受け入れてくれる人は必ずいると、ふたりは大陸をさ迷った。
だが、見つからないまま、魔女狩りが勃発し・・・
キリスト教に仇なす異端として狙われたふたりは、逃げ回る途中パチュリーと知り合い、
なんとかここ、幻想郷に落ち延びた。
だれもかれもが、自分たちを殺そうとした。
受け入れてくれる人など、ひとりもいなかった。
絶望したレミリアは、人を心底憎み、人外の自分を受け入れたのだ。
500年生きた自分が言うのだ、間違いない。
人間はくだらない生き物だ。美咲の望みは決して叶わないだろう。
あきらめた方がいい。無駄に傷つくだけだ。
美咲はあきらめないと言った。
人間はくだらなくなんかないと。
そして、望みのためなら、いくら傷ついてもいいと。
ふたりは反発しながらも、互いを理解りあっていった。
傲慢な態度の裏にある、レミリアの繊細さと優しさ。
口だけではない、美咲の心の強さと一途さ。
考えはかわらなかったが、いつしか、ふたりは互いを好きになっていった。
美咲が外の世界に帰るといったとき、レミリアは猛烈に反対した。
美咲を押し倒して、帰るなら血を吸って同属にすると迫った。
自分でも、驚いたくらいだ。
心の深くまでぶつけあって理解りあった美咲の存在は、もう、かけがえのないものになっていたのだ。
美咲は言った。
レミリアのことは大好きだと。だけど、夢も忘れられないと。
私は、どちらかを選ばなくてはならない。
それを、帰ってじっくり考えたいのだと。
レミリアは、結局引き止めなかった。
一ヶ月がすぎて、紅魔館に客が訪れた。
「時をかけるメイドは、いかがでしょうか」
美咲だった。
美咲は、レミリアを選んだのだ。
レミリアは、美咲の全てを求め。
美咲は、それを受け入れ。
命名の儀式を交わし、美咲はその名を捨て、十六夜 咲夜の名を与えられ、
ふたりは主と従者となった。
従者ーー咲夜の全ては、主ーーレミリアのもの。
誓いの言葉は、ひとつ。
ずっと、いっしょだよーーーーーー
人を攫ってくるのは、咲夜が志願したのだ。
自分の存在を、レミリアと同じ妖怪側に置く意思表示として。
その気持ちは嬉しかったので、止めなかったのだが、
咲夜はよく怪我をして帰ってくる。今日と同じパターンで。
儀式で魔術的な繋がりをつくったため、人間の倍くらい生命力や筋力等あるのだが、
それでも妖怪にくらべればか弱いものだ。
今日は助かったが、次もあるとは限らない。
いい加減、人攫いは止めさせるべきなのかもしれない。
「あれ、お嬢様・・・?」
「あら、気が付いた?」
眠っていた咲夜の目が、開いていた。
「ここは・・・痛っ!」
「だめよ、あなたは重体なのだから」
「そっか、私・・・」
思い出した風に呟き、体を戻す。
「どのくらい寝ていたか、分かります?」
「さあ。とりあえず、今は12時だけど」
「大変・・・っ!」
また起き上がろうとして、痛みにうめく咲夜。
その体を抱きとめ、ベットに戻して、レミリアは語調を強くする。
「重体だといってるでしょう?これは命令。寝てなさい」
「でも、仕事が・・・」
「大丈夫。あの娘たちが頑張ってるわ」
ここへ来る前、メイドたちに激をいれておいたのだ。
「咲夜が重体の今、あなたたちがしっかりしなくてどうするの!」
「咲夜の回復はパチュリーや私に任せる!あなたたちは、あなたたちの仕事をなさい!」
今頃は、昼組夜組総動員で仕事にかかっているだろう。
合言葉は、「お姉様がいなくても!」である。
「信じてあげなさい」
「・・・はい」
照れたように微笑み、咲夜は頷く。
そしてようやく、おとなしくなった。
「ねえ、咲夜・・・」
「なんですか?」
さっき考えていたことを、レミリアは言った。
「もう、人間を攫ってくるのは、あなた以外にまかせたいのだけど・・・」
「・・・それは、困ります」
やはり、咲夜は引きさがらない。
「こんな不覚は・・・」
「また取るわ。そして、今度は死んでしまうかもしれない・・・
強化されているとはいえ、あなたは脆弱な人間なのよ」
それとも・・・
レミリアは、それを言った。
「それとも、私に吸われる?
吸血鬼になったあなたなら、私も心配せずにいられるわ・・・」
「レミリア・・・」
それは、ふたりの間では禁句だった。
共に生きることを願っても、レミリアは吸血鬼、咲夜は人間、寿命の差ですぐに別れは来る。
ならば、咲夜を同属にすればいいだけではないか?
それを、ふたりとも迷っていた。
咲夜が自分を選んでくれたものの、かつての思いを捨てきれていないのをレミリアは知っていた。
妖怪を拾ってメイドにすることなど、その表れといえるだろう。
許可したのは、咲夜の手が回らないという言い分に納得したわけではない。咲夜の気持ちを汲んだだけ。
今の紅魔館の暖かな雰囲気は、咲夜が望んで作り上げたものだ。
そんな咲夜だからこそ、レミリアは迷うのである。
ーー夢を選んでいたほうが、幸せになれたのではないか?
咲夜ーー美咲なら、きっとヒトの世界でも受け入れられるだろう。
本来群れることなく、孤高を好む妖怪たちをこうして家族にしてしまえたのだから。
けれど、吸血鬼にしてしまえば、戻れなくなる。
ーー吸血鬼に、夜の世界に引き込んでしまっていいのか?
それをしたら、咲夜の大事なところが、変わってしまう気がする。
それに、吸血鬼としての自分の過去は憎しみと悲しみばかりで。
咲夜にそれを重ねてしまうようで、強い抵抗感がある。
こんなふうに迷うのが咲夜に無礼だとは分かっているのだ。
咲夜は、自分を選んでくれたのだから。
いっそ、開き直って吸ってしまえばいいのかもしれないが・・・
互いに何も言えないまま、じっと見つめあう。
ーーいつかは、答えをださなければならない。
その時、自分がどんな答えを出して、
咲夜はどんな答えを出すのか。
その時になってみないと、わからないけれど・・・
フランや咲夜、パチュリーたち、紅魔館のみんながいて。
霊夢や魔理沙、新しく知り合った面々がいて。
ガラス細工のような今が、ずっと壊れなければいいと・・・
咲夜の瞳に移る自分の姿を見つめながら、レミリアは、そう思った。
難をあげれば、空白。
行間の空白は余韻を残す意味でも、有効な手法ですがちょっと多すぎるように感じました。特に最後にある膨大な空白は・・・といったところでしょうか
>>pさん
行間の空白の多さは・・・以前、別名でここに出したのが超短かったので、
今度は量をかせごうとつい・・・やっちまいました。
やりすぎはよくないすね。次は気をつけます。
レミリアの吸血についてですが
レミリアは相手の血を吸って殺してしまうほど血液は飲めず、
殆ど残してしまい吸われた相手は貧血程度で済むという設定には
なっていなかったでしょうか?
また吸血鬼に血を吸われて殺された相手は、
同じ吸血鬼のような者になってしまう気もするのですが・・・
ならないなら、そのあたりの設定・説明も欲しかったです。
人を攫う頻度も攫いに行った人物の親が噂などを口にしてるところから、
相当多いように感じましたがそこまで来ると、霊夢や紫などから
何かしらありそうな気もするのですが・・・
どちらにせよ、ここまでオリジナル設定が強いと冒頭に
一言注意書き加えて置いてはどうでしょうか?
話的には不味くないですし、
公式どおりに作らねばならないという決まりもないのですが、
それならば少し説明は欲しいものです。
長々と生意気にも意見を言ってしまい申し訳ないですが、
自分には先に述べた辺りに、特に違和感を感じ受け入れ難かったので
敢えて言わせていただきました。
正直言うと、短さは文の言い回し、読みにくくならない程度の改行でカバーしたほうがいいですよ。
空白なんてとんでもない。気をつけるというのなら今すぐ消すべきです。
……前に言いまわしを変に凝って読みにくいといわれた私の言う台詞じゃありませんが。
…ええ、私には言われたくありませんね。