注意書き
・それなりにオリジナル分を含みます。そういうのが苦手な人はスルー推奨。
・チャッチャとテンポよく、止まらず駆け足で読み抜けるのが吉。ノリだけが全て。
竹林に佇む永遠亭。ここもまた、少しばかり騒がしい夜を迎えていた。
輝夜のペット兼・永琳の使用兎である因幡達は本来なら眠りに就いている時刻なのだが大半は起きたまま。因幡達のリーダー・てゐの口からも、暑い暑いと愚痴ばかりが聞こえてくる。
その理由を彼女達は知らない。だが、因幡達よりもう少し力の強い者・・・・・・例えば月の兎にはその理由が分かっていた。
「う~~~~・・・・・・暑い~・・・・・・・・・・・・」
月の兎・鈴仙。彼女もまた、涼しい顔をしてはいられなかった。
彼女はこの寝苦しい夜の理由を知っている。満月の夜に、四季を問わず熱帯夜に見舞われる謎の現象。単に昼間の日差しが強かったからでも、蒸すからでもない。
その理由はただ一つ・・・・・・輝夜の仇敵、妹紅にあった。妹紅がその背に鳳凰を背負えば、その力は周囲に少なからず影響を与えるのだ。
遠くの者は鳳凰が放つ熱の余波を受けて暑いと感じ、近くの者はそれを熱いとさえ感じるようになる。永遠亭で起こっている現象は熱帯夜程度なので、まだまだ被害は軽い方と言えた。
「ウドンゲ、たった一晩の辛抱よ。これくらい我慢しなさい」
鈴仙の師匠である永琳も熱波の影響を等しく受けているはずである。なのに、彼女は至って涼しい顔で満月を眺めていた。
鈴仙が見た限り、永琳は何かしたわけではないし痩せ我慢をしているようにも見えない。ましてや服を脱いでいるわけでもない。
恐らく、どういうわけか本当に彼女はこの熱帯夜を暑いと認識していないのだ。だが『さすが師匠!』と手を叩いて喜ぶのもどうかと思い、鈴仙は永琳を見習いつつもうしばらくこの暑さと格闘してみようと心に誓うのだった。
「・・・・・・でも、何かいつもより暑くないですか?」
「どこかで誰かさんが頑張っているんでしょ。若いっていいわよねぇ」
「若いんですかね・・・・・アレでも千年は生きてるんでしょう?」
「私からしてみれば、千年なんて全然若いわ」
「いやまぁ・・・・・・・・・・・ところで師匠、ずっと月なんか見ててどうしたんですか?」
「・・・まあ、色々と思う所があってね。月読をしてたの」
ツクヨミ、という聞き覚えのあるような無いような言葉を聞いてきょとんとする鈴仙。
頭の中で様々な漢字を思い浮かべ、その中でも『月』に関わりのありそうな字を吟味して形にしていく。
「ツクヨミ・・・・・・月夜見?」
「それじゃお団子が必要でしょ?・・・・・月読っていうのは、太古の昔に地上の人間が考え出した時計やカレンダーのような物よ。読んで字のごとく、月の満ち欠けを読んで刻を知る物なの」
「へぇ~」
「その一方で月読は『創世観』とも書いてね、これはいわば占星術の一種。世界の、地上の趨勢を、月を観て予知するの」
「月を見て地上の事が分かるんですか?」
「分かる者には分かるのよ。なぜなら月は地上の映し鏡、幻想郷だけでなく外の世界も余すことなく見つめてきたんですもの」
どこまで本当なのか分からない。永琳が言っている事は全て真実かも知れないし、もしかしたら全てが妄想の産物かも知れない。
ただ確実に言える事は、永琳の言動はしばしば鈴仙の常識を上回り、そして結果的に間違った事がない。ならば自分達の故里ではあるが、月が地上の鏡というのも強ち間違いではない・・・・・・むしろ永琳にとっては揺るがせぬ事実なのだろう。
故に、鈴仙は永琳を盲目的に信じるのだ。
「じゃあ、そのツクヨミで何か見えましたか?」
「・・・残念だけど、それは教えられない。創世観によって見えた像は、それが見える者だけが知っていればいい事なの。そうでないと、地上の趨勢が大きく変わってしまうかも知れないから・・・・・・」
遠い目をする永琳は果たして何を観たのだろう。永遠亭の明るい未来か、幻想郷の暗い終焉か、それともどうという事のない平凡だが平和な日々か。はたまた、遥かなる月と星々に想いを馳せていただけなのか・・・・・・・・・・否、師匠に限ってそれはないか、と鈴仙は自分の考えを飲み込んでしまう。
だが遠い目の永琳はいつも以上に神秘的で、儚げで、しかも妖しげで・・・・・魅了を含めてヒトの狂気を操る鈴仙が、今は永琳の姿に魅了されてしまっていた。
「でもね」
月を背に、永琳が立ち上がる。
その様はまさに月の代弁者、逆光を浴びた姿には有無を言わせぬ説得力が宿り、彼女の影姿がよりいっそう大きく見えてくる。
「楽しめそう、とだけは言っておくわ・・・・・・・・・ちょっと出かけるから、戸締りをしっかりね」
「はーい」
「それじゃ。朝までには帰ってくるからいい子で待ってるのよ」
子どもを諭すような優しい言葉を残し、永琳は縁側から飛び立っていった。
行き先は告げていないが、こんな満月の夜に出かけると言えば鈴仙は間違いなく察してくれるし引き止めようともしない。そして永琳が屋敷を離れるや否や、薄布のような光に包まれる永遠亭の姿が視界に映った。永琳の言う『戸締り』とは、鈴仙が張る特殊な結界の事である。
極薄の空間を何層にも渡って歪め、あらゆる力の流れをそこで遮ってしまう。永琳が鈴仙に教えた術の一つだが、彼女はその結界術を屋敷一つをすっぽり覆いつくしてしまえる程度に使いこなしていた。
持つべきものは優秀な弟子よね、などとほくそ笑みつつ高度を上げて主と鳳凰の姿を探る永琳。漆黒の中に浮かぶ紅蓮の色を見つけるのはそう難しい事ではない。程なく目的の紅蓮を見つけ、輝夜に見つからない程度の距離まで近づき傍観の構えを取る。
輝夜は、『今日は付いて来なくていい』という旨の言葉を残していた。それは即ち、『一緒にいなければどこにいてもいい』という意味でもある。少なくとも永琳の中では。
詭弁、屁理屈とでも言われそうだが構わない。今夜がいつもと違う夜である事を感じているのは、輝夜だけではないのだ。
二人の蓬莱人を生み出した元凶たる元凶、永琳。この夜の行く末を見届けなければという使命感が、彼女の中には強くあった。
「・・・・・・・・さて、蓬莱はどうなっているのかしら」
鳳凰が羽ばたき、火花と言うには大きすぎるほどの炎・・・火球が宙を舞う。
無数の火球は渦を描き、周辺にわだかまり、まるで妹紅を護る壁のように輝夜と妹紅の間に割って入る。
「・・・・・・征け」
妹紅の小さな言葉に応じて先鋒の一発が加速する。それが、二人の殺し合いの合図となった。
「ふふっ、こんな物・・・」
真正面より飛来する火球を、輝夜は臆する事なく無造作に手で受けた。
それでも炎は前へ進もうと唸りを上げるが、決して大きくはない輝夜の手の中で暴れ狂うのみ。
そして、炎を受ける手が閉じられた。輝夜が火球を握り潰したのだ。
ちょうど水風船を割ったら同じようになるだろうか。炎は細かく砕き散らされ、そこで前に進む力と意志が途切れ大気に散って消えていく。そして火球を握り潰した輝夜の手には火傷一つないし、着物の裾にも焦げ目一つ残ってはいなかった。
「不死鳥の尾羽根・・・・・こんな物で私を殺そうだなんて、いささか火力が足りないんじゃないかしら?」
「・・・・だろうねぇ、アンタならこれくらい軽くいなしちゃうんだろうねぇ・・・・・・『一発だけ』なら」
焦らず騒がず。にっ、と妹紅の口の端が軽くつり上がる。その瞬間、虚空に浮かぶ火球が倍に増えた。今度は二人の間だけではない。輝夜の横も、後ろも、上も、下も。あらゆる方向から輝夜を包囲している。
全ての火球を妹紅が自在に操れると考えれば、輝夜に逃げ場はない。そしてその包囲網の外から妹紅の怒号が飛んできた。
「!」
「これだけの炎、同時に受けたらどうなのよ!」
大気を揺るがし、炎がいっせいに輝夜の元に殺到した。輝夜の端正な顔を、美しい黒髪を、幾重にも着重ねた着物を、そしてその身を、全て消し炭になるまで焼き尽くさんばかりの勢いで紅が迫る。
それでも炎の中の輝夜は動かない。彼女もまた焦らず騒がず、掌から小さな光を一つ生んで微笑を浮かべるのみ。
だがその姿を妹紅がチラリと見た次の瞬間、全ての炎が一つになり、大きな檻となって輝夜を閉じ込め、その火力のありったけを内に向ける。
妹紅には、輝夜は敢えて動じず炎の中に身を投じたように見えていた。
外気に晒され、または輝夜の体を炙り、紅の檻は少しずつ縮んでいく。火球を素手で握り潰す輝夜でも、全身を覆い尽くしてしまうほどの巨大な火球は流石に握り潰せなかったようだ。
紅の檻の外、妹紅の目に輝夜の姿はまだ確認できていない。だが一つの確信はあった。
―――この程度で『あの』輝夜が死ぬはずはない。
―――あの炎の中で今も笑っているに違いない。
それは彼女なりの経験則であり、輝夜に対する期待でもあった。
今まで八方手を尽くしても殺すに至らなかった輝夜が、まさかこんなにアッサリやられてしまうはずはない、と妹紅はそう信じているのだ。心の底から憎んでいるはずの相手なのにその無事を確信してしまう・・・矛盾する二つの感情に、妹紅の表情にわずかな緩みが生じる。
そして、火球の檻に綻びが生じた。
炎に晒されながらも飲み込まれる気配のない小さな綻びはそこに丸い穴をポッカリと開け、少しずつ炎を押し返しつつ広がっていく。それはちょうど、紙に垂らした墨汁が滲んでいくようにじわじわと・・・・・・
パンッ、と風船が爆ぜるような音がした。
炎を穿つように開いた穴は人が出入りできる程度の大きさにまで膨らみ、その破裂音を合図に無数のヒビが火球全体に走る。
最初の小さな火球と同じように炎の檻は崩れ去り・・・・・中の輝夜はまたしても傷一つない姿を妹紅に見せていた。
「だから言ったじゃない」
輝夜の背には、大きな毛皮が被さっていた。
あらゆる熱の移動を遮り、燃え盛る火炎ですら通さないという『火鼠の皮衣』。彼女はそれを呼び出し、羽織る事で猛烈な熱を凌いだのだ。
皮衣を虚空にかき消し、涼しい顔で微笑む輝夜。ただし、その笑みには余裕だけでなく蔑みさえ漂っている。
「あんな物、何千発撃ち込まれようと『火力が足りない』のよ。恨みも憎しみも篭っていない、ただの薄っぺらい炎じゃあ・・・ね」
「・・・・・・・・はっ」
妹紅も負けじと、輝夜の言葉を吐き捨てる。代わりに刺すような瞳で輝夜を睨み返し、ズボンのポケットに手を突っ込んでふんぞり返る。
「私だって、あんなのでアンタに死んでほしいとは思っちゃいない・・・・・今のは挨拶みたいなもん、それとあの状況をどうやって切り抜けるか興味があったのよ」
「あら、今ので私の力を計ったつもり?」
「ンなつもりはないわよ・・・・・言ったじゃない、挨拶だって」
「御丁寧な事。でも昨日今日逢った仲じゃないんだから、出し惜しみは結構よ?」
「準備運動を怠ると、アンタをキッチリ殺せない・・・・・まだまだ本気のほの字も出せやしない」
「そう・・・・・・だったら、その準備運動とやらに付き合ってあげようかしら?今まではあまり動かずに弾幕張ってたから、本格的に体を動かすのって久しぶりなのよねぇ」
輝夜の微笑みから蔑みが消え、余裕だけが残った。
その顔はどこか楽しそうにも見え、言葉も楽しそうに聞こえてくる。彼女もまた、妹紅に対する期待があったのだ。
―――やはり。
―――あの程度の弾幕が『あの』妹紅の本気であるはずがない。
―――アレは自分をからかっていただけに違いない。
下賤の者と見下し、今まで何度も何十度も何百度も殺し合ってきた仲なのに、いつの間にか情というか愛着が湧いてきていたらしい。自分の中にいつの間にか起こっていた奇妙な感情を胸に、輝夜の表情も同じように緩む。
「さて・・・・・『準備運動』を始めましょうか」
「!」
瞬間、輝夜が動く。ゆったりとした格好からは全く想像のつかない初速で動き、その勢いと同時に掌から妖弾を放つ。
早い。そして、速い。
弾そのものは決して見切れないほど速くはないはず。だが輝夜という加速装置を得て、弾は妹紅の距離感を狂わす速さで迫り来る。そして輝夜が予想以上に素早く動いた、という事実が妹紅の反応を一瞬遅れさせる。
(間に合わっ・・・!?)
三発連なった輝夜の初弾は、妹紅の脇腹をわずかに逸れていった。
当たっていれば間違いなく脇腹が抉れていたであろう妖力と弾速。だが戦慄する暇も有らばこそ。拍子一つ遅れて妹紅は弾が過ぎ去った地点から横に飛び退き、お返しにとリズムよく弾塊を続けざまに二度放った。
広がりなら飛ぶそれはさながら投網のごとき散弾で、大きく避けなければ無数の小弾に全身を打たれ激痛にのた打ち回るだろう。
「甘い、甘い」
無造作に薙ぎ払われた輝夜の腕からも同じように散弾が飛ぶ。出所の違う二つの弾塊は正面からぶつかり、複雑な相互干渉と乱反射を繰り返し、
妖気の残滓を撒き散らし淡い極彩色の空間をそこに作る。
その輝きも段々と収まり、視認できなくなる頃には既に空間には何もなく、だが最後の一弾となって同時に突っ込む二人の姿があった。
「だぁぁっ!」
妹紅の右拳が空を裂く。
彼女の腕力、脚力などは決して強くない。甘やかされて育った輝夜よりは流石に強いが、幻想郷の少女達の中で見れば中の中といった所だ。だが、霊気を纏って硬化させた拳や足の『破壊力』となれば話は別。例えば拳の威力たるや岩を穿ち、地に深く突き刺さり、並の妖精程度なら
たったの一撃で彼岸まで吹き飛ばすほどである。
さて、その拳が輝夜の頬を狙って飛んでいく。これが当たれば彼女とてただでは済まないのだが、輝夜は妖気も込めていない手を妹紅の前に差し出すだけだった。
「・・・はい」
「・・・・・・・ぇっ!?」
妹紅には、輝夜が自分の拳に触れた・・・そう見えていたはずだ。
守りの構えを作るでも見切りをするでもなく、差し出した手で自分の拳を軽くはたいた・・・・・小さな動きだったが、それだけに妹紅の心には逆に印象に残り一瞬の記憶として視界に留まる。だがそれも一瞬の事だった。次の瞬間、わけも分からず体が捻れ拳が止まらない。当たったと思っていた拳だったが輝夜に軽々と受け流され、殴りかかった勢いがそのまま回転の力になってしまったのだ。
中空でコマのように一回転し、再度輝夜と向き直ると彼女はクスクスと笑っていた。
傍目から見れば、輝夜に殴りかかった妹紅が自分で体勢を崩してふらつきながら回ったように見えていただろう。醜態を晒された怒りと羞恥で、妹紅の顔に名前と同じ紅が差す。
「お上手、お上手♪」
「くっ・・・・・こんのぉぉぉぉ!」
一回転したところで回転のエネルギーを蓄積させ、反動で思い切り体を回し左足を勢いよく振り上げる。
拳の一撃が岩をも穿つ威力なら、全身のバネを使った妹紅の蹴りは巨木をもへし折る威力と流水をも切り裂く鋭さを併せ持つ。そして弧を描いて迫る蹴りは、まっすぐ飛んでくる拳よりも受け流すのが難しい。避けるか受けるしかないのだが、そうしてできた隙を妹紅が見逃すはずがない。すかさず追撃の何かを叩き込んでくる・・・・・・
妹紅は輝夜の立場に立ち、そこまでを脳裏に描いていた。
「うふふ・・・・・・この辺かしら?」
妖気の淡い輝きを纏った指を出し蹴り足の前にさり気なく出す輝夜。それだけなら、妹紅の蹴りは輝夜の指など意にも介さずへし折り痛烈な一撃を叩き込んでいる事だろう。
だが、輝夜の隙を見出すはずだった妹紅の蹴りはその指一本から先にはピクリとも動かなかった。それどころか、妹紅の方が足を退き脚を抱え身を震わす始末。
「痛ッ・・・・・・くあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「大当たり♪あの千本刀でさえ泣いたというし・・・あなたはもっと転げ回っていいわ」
輝夜の指は妹紅の脚・・・向こう脛を的確に捉えていたのだ。逆に言えば、鋼鉄のごとき強度を得た指に妹紅が蹴りを叩き込んだようなものだ。ここを打たれれば蓬莱人だろうが悪魔だろうが関係なく、一様に痺れるような激痛が走り、数瞬の間だが恐らくは動く事すらままならない。
だが、今の妹紅はここで止まるわけにはいかない。討つべき仇敵と戦い、それを目の前にして手を出さないなどそれこそ彼女にとっては死に等しい事なのだ。
「くっ・・・そぉぉぉぉぉっ!!」
脚が痺れていても腕は動かせる。ならばと咄嗟に腕を薙ぎ払い、横一線に霊弾を飛ばす・・・・・・
輝夜には読まれていたのか、ふわりと逃げられて当たらない。
「こっちよ、妹紅」
「!?」
「のろいわね。それとも、もうお疲れかしら?」
彼方に消えていった弾列の上方、狂気の満月を背に輝夜は妹紅を見下ろしていた。そして逆光の中に浮かぶ影を視認し、一瞬もおかず妹紅は迷わず掌を輝夜に向けてかざす。
本来なら今すぐにでも輝夜に掴みかかりたいほど彼女の心は猛っているのだが、自分の行動の逐一が受け流されているせいもあり力任せの攻撃が再度受け流される像が浮かんでしまい一歩を踏み出せないでいたのだ。
「輝夜ぁ・・・・ッ」
収束する霊気の量は今までの比ではない。本気というにはまだ程遠いが、それでも輝夜へのダメージ源としては恐らく必要にして十分。空間が炎を模した紅色に染まり、歪み、やがて一つの弾に成っていく。
西瓜ほどの大きさにまで膨らみつつあったそれは妹紅の掌の前に留まり、術者の令を今か今かと待ちわびて夜の空にゆらゆら揺らぐ。
「!・・・・・・・・受けろぉッ!」
霊気の揺らぎが消え、完全な球となった。霊気の練成が完全になり、霊弾に力が満ち満ちたのだ。
すかさず腕に力を込め、肩を押すような反動を犠牲に勢いよく弾を打ち出す。速度も方角も申し分なし、咄嗟に動いても確実に輝夜の体のどこかを捉えるはず。
「・・・・・・征け」
妹紅の最初の呟きを輝夜が真似た。声と共に腕をゆっくり振り上げ、振り上げた先に妖気を萃め瞬時に妖弾を創り出す。その大きさ、密度は妹紅が時間をかけて練り上げた物とほぼ同じで、しかし色は煌めきつつ遷り変わる虹色で判然としない。
その西瓜大の妖弾を、妹紅ではなく彼女が撃ち出した紅弾に向けて輝夜は投げつけた。
両者の中点で二つの力が真正面からぶつかり合う。力は爆発的に拡散し、ある部分は大気を震わせ竹林に広く響き渡り、また別の部分は大気を熱しつつ押しのける。
紅と虹色は微細に砕けつつも最期の輝きを見せ、周囲に色彩を超えた完全な『白』を創り出す。そしてそこに、妹紅は迷わず突っ込んでいった。
周囲が光で満たされようと、爆音と熱風が吹き荒れようと、この光の先に輝夜がいるのは間違いない。ならば、この混乱に乗じて一撃を加える。流石の輝夜も、これだけの光の中で不意討ちを捌くのは無理なはず・・・・・・炎の翼を羽ばたかせ、一層速度を増す妹紅。
そして光の中に飛び込んだ直後。ほんの数秒も飛ばないうちに、目も眩みそうな光の中に一つのシミを妹紅は見つけた。
その黒いシミは急激にその大きさを増し、ある形を成し、それがヒトの形である事を妹紅に認識させる・・・と同時に、彼女の中で一つの認識ができあがる。
―――目の前にいるのは輝夜以外にありえない。
―――自分と同じ事を考えていて、同じように奇襲をかけに来た・・・!
考えるより早く危機を感じて速度を減じ、次弾の発射に備え腕を伸ばす・・・・・・・とそこへ、光の壁を破り掌が妹紅の眼前に突き出された。咄嗟に減速をしていたおかげで衝突はせず、鼻先のほんの少し前で掌は止まる。
やがて光彩の乱舞も終わりを告げ、周囲の状況が分かる程度に光が退いていく。掌の先にあるモノも視界に入り・・・・・・見間違えるはずのない影がそこにあった。
「輝夜ぁっ!」
「・・・・・フン」
輝夜と妹紅は、あと一歩踏み込めばお互いに触れ合いそうな距離で相手の顔面に掌を付き出し合っていた。輝夜もまた、妹紅と同じ思考で全くの同時に前に出てきていたのだ。そして両者は均衡し、爆心地のど真ん中でピクリとも動かない。
ここまで接近した状況なら攻撃を当てる事は容易にできる。だが、同時に相手の一撃を貰ってしまう事にもなる・・・そして二人は申し合わせたかのように同時に退いて距離を取る。お互い、戦闘の膠着化を嫌っての事だ。
手も脚も届かず、弾幕さえ届くまでに若干の時間を要する所まで離れ、腕を下ろした妹紅は一息ついて漸く表情から力を抜き始めていた。
「驚いたわ、輝夜・・・・・アンタそれなりには動けるのね」
「能ある鷹は何とやら。あなたなんかとっくに深爪よ」
「・・・それと、相ッ変わらずムカつく奴なのも嬉しいもんだわね。だからこそ殺し甲斐があるってものよ」
「お褒め頂き、光栄ですわ・・・・・・でも一つだけ腑に落ちない」
妹紅の先制から数手のやり取り。そして今に至るまで、輝夜は終始余裕の笑みを崩していなかった。
そしてその笑みで言葉を続ける。
「殺す殺すって言うけれど、千年の永きに渡りあなたは私を完全には殺せなかった・・・・・・今更何ができるというの?」
「・・・簡単な、ね・・・・・・・呆れるほど簡単な方法を思いついたのよ。何でこんな事に気付かなかったのかってくらい」
戦闘時の険しい言動から一転、妹紅は不思議なほど落ち着いた態度を見せていた。
もちろん眼光は鋭く輝夜を睨みつけているし彼女に対する感情は変わらないが、口調は穏やかだし背の鳳凰は大人しいもの。両の手はポケットに収まっていて何かを仕込んでいる気配はなし、未だ吹き止まない風の中で異常に長い青髪が川のごとく流れていく。
その風の中で手を片方抜き出し、掌の上に炎を点す。風に煽られた炎は生き物のように揺らめき、何度も輝夜に向かって牙を剥くようになびいていた。
「蓬莱の薬―――アンタも飲んでから千年ほど経つんだっけ?それを焼いてしまえばいいってだけの話よ。千年かけてアンタの体に回りつくした薬を、同じだけの時間をかけて焼き尽くす・・・・・・そうすれば、流石に蓬莱の薬も残っちゃいないでしょ?」
「なんとも時間と根気の要る処刑法ねぇ・・・しかも発想が幼稚」
「そうでもないわ。今まで生きてきた時間をもう一度繰り返すだけだから・・・・・・・・・それでね、燃え上がるアンタの前で私は何度も何度も、完全に燃え尽きるまでいつまでも唱え続けるの。『月まで届け、不死の煙』ってね」
「・・・・・・でも、私はどんな形であれ里帰りする気なんてさらさらないわよ?」
「アンタの次はあの二色の医者、そして月の兎に性悪兎・・・・・お供だってちゃんとつけてやるわ」
「・・・・・・聞いてる?」
「でも、一つだけ問題があるのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
輝夜の反論を全く聞かず、自分勝手に妹紅は話を進める。
技と輝夜を無視して挑発しているというより、自分の世界に浸っている・・・・・できるかどうかはともかく、憎き輝夜を滅する手段を自分なりに見つけた事で心が昂っているのだ。
「ここから月までどれくらいあるか知ってる?慧音が言ってたけど、もう気が遠くなるほど遠いんだって。だからアンタを燃やした煙も、月にたどり着くずっと前にその辺に散らばっちゃうって事!アンタは二度とこの地上には戻れないし、帰りたくない月にだって帰れない!これからずーーーーーーーっとずーーーーーーーーーーーーーーーっとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、アンタはその辺を漂ってそのうちこの幻想郷の誰からも忘れられるのよ!あぁもぅいい気味ったらないわね!」
その言葉はだんだん速く、高く上ずってきて、果たして同じ者が発している声なのかどうか分からないほど。
放っておけばそのうち高笑いでも始めてしまいそうなテンションの妹紅をしばし輝夜は見つめ見下し、これが返事とばかりにやれやれと言った顔でため息をつく。
そしてそんな小さな反応にも、妹紅は敏感に食らいつく。
「何よ!何か文句あるっての!?」
「・・・そういう宣言をされたら仕方ない、その時は意地でも冥王星まで飛んでいってやるわ。月なんか障害にもなりやしない・・・・・・でもそれ以前に、あなたの話には致命的な欠陥がある。『勝負』の範疇で私に勝てたとしても、その先がやっぱりあり得ないのよ」
「・・・・・・そんなの、関係ないッ!殺せる殺せないじゃなくって、『私が』『アンタを』『直々に殺してやる』、それだけよ!」
不定形だった炎が寄り集まり、一つの形を成していく。中央の塊は胴体、前に細く突き出たのは首から頭。左右に大きく張り出したのは翼だろう。
そう、炎は燃え上がる一羽の鳥となって・・・・・・手乗りサイズだった炎は逆に、ヒトを包み込む程度の大きさにまで膨れ上がっていた。
「やっぱり・・・・・アンタにはコレを喰らわせてやらないとね」
「火の鳥・・・・永遠に甦り、また死に戻るはまさしくあなたの象徴か・・・いいわ、私の全力を持って受けて立ちましょう」
突如として落ち着きを取り戻した妹紅の手で生まれた炎はもはや彼女の掌の上だけでは御する事ができず、ゆっくりと羽ばたいて浮き上がる。
その鉤爪が妹紅の頭を飛び越えたあたりで、彼女は再び修羅のごとき顔を纏い輝夜に視線を定めた。その視線は輝夜への敵意、殺意、恨み・・・・・・そして、本人すら自覚していないほどに僅かな信頼と感謝の気持ち。
「いくよ、輝夜・・・・・・・・・・・・鳳凰よ!暗き死の底より這い出づれ、蒼天の彼方まで翔け上がれ!」
それらの感情を全て凌駕せんばかりの妹紅の叫びを受け、火の鳥――炎の猛禽と呼んでも差し支えないそれが翼を大きく広げた。その風圧で竹の枝葉はなびき、または千切れ、熱風を受けて火の粉となって舞い上がる。
この千年の間で最も大きく、また最も雄々しい炎の猛禽。その形は一層研ぎ澄まされ、嘴や羽毛の一枚一枚までもが細密に形作られている。そして眼前の輝夜を指差し、妹紅は二度叫んだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ・・・・・・・・・・鳳・翼・天・翔ッ!!」
翼を広げ、不死鳥が飛ぶ。
生物ではないので実は羽ばたきに意味などなく、鳶が滑空するように翼を真っ直ぐ広げて飛んでいく。狭い竹林の中だが、竹の幹や枝を意にも介さず薙ぎ倒しながら悠然と直進する様は雄々しくあり優雅でもあった。
だがその姿を目の当たりにしても、輝夜は一歩も退こうとしない。
「・・・・・・さあ」
輝夜の小さな呼びかけに応じて、白い輝きを放つ使い魔が一つ、二つ・・・四つ飛び立った。
使い魔は輝夜を護るように方陣を敷き、その中に赤い妖力を溜め込んで留まる。
「火蜥蜴よ、刺し穿て。獲物を捕らえよ」
使い魔から、蜥蜴の舌か槍のごとき細い炎が伸びた。炎の槍はまさに輝夜に掴み掛からんとしていた不死鳥の両翼を貫き、胸に突き立ち、そして喉に突き刺さる。全身を貫かれ、輝夜を目前にして不死鳥の動きがそこで止まる。唸る轟音は炎の揺らめきか不死鳥の断末魔か、進退は窮まり、しかも炎同士が癒着を始め、いくらもがいても炎が放れる気配は全くない。
輝夜には一つの算段があった。
妹紅が撃つ火の鳥は確かに火力も速度も半端なものではないのだが、それ故の反動なのか、使用後には大きな硬直時間が現れてしまうのだ。ならば敢えてそれを使わせ、且つ封じてしまえば輝夜が絶対的有利な立場になるという事になる。
きっと、炎の向こうの妹紅は未だ動けずにいることだろう。自信を持って撃った火の鳥をアッサリ阻まれ、紅蓮に身を包まれながらも顔面は蒼白になっている事だろう・・・・・・あまりにも呆気ない決着となってしまったが、それでも妹紅の自信を挫き輝夜の顔に綻びが生じる。
「うふふ・・・・・・さぁ、その業火で屍臭すらも焼き尽く・・・・・・・・・・・っ!?」
輝夜の意思に従い、炎の槍が太さと勢いを増す。炎が炎を呑み込み、早贄のごとく力と勢いを失った火の鳥は少しずつその形を崩していく。そして猛禽がただの炎の塊になり下がり、先を見通せるようになった時。その炎を向こう側に一つ影が見えた。
影は炎を割って中を疾り、巨大な炎の塊を携え、足先まで伸びた髪をなびかせて輝夜に迫る。
・・・・・・そう。動けないはずの妹紅が、そこにいた。
「輝夜ぁぁぁぁぁッ!!」
「ばっ、馬鹿な!?早すぎる・・・・・・・・!?」
「油断したね輝夜・・・・・・コレが・・・・コレが本来の撃ち方なのよっ!」
妹紅の炎がみるみるうちに姿を変える。一羽目の鳳凰と同じ姿をとり、その大きさも寸分違わない。
鳳凰というのが火の鳥を示す名称である事は間違いない。だが、それは雌雄一対を総称する名称なのである。
すなわち鳳は雄で凰は雌。今までの妹紅は、雄の不死鳥しか撃っていなかった(撃てなかった)のだ。
「・・・・・・鳳凰よ!死風逆巻け華となり、混沌の内に煌めき果てろ!」
「・・わ・・・・・・・私より早い・・・・・・・・!?そんな・・・・」
逆に今度は、輝夜が動けなくなっていた。
出している使い魔を消さなければ彼女もまた動けない。だが、雄の不死鳥を捕らえた炎は癒着を始めてしまっていたが故にすぐにはかき消せない。形を崩しつつある鳳の炎を急いで呑み込み、視界を明瞭にしつつ使い魔の発動を解除する・・・・・・が、妹紅の方が一瞬早い。
「今度こそッ・・・・・・・・・・凰・華・喧・濫ッ!!」
妹紅の掌から、二羽目の不死鳥が飛び立った。凰は鳳の残骸を乗り越え、炎を呑み込み、己の新たなる血肉として輝夜の懐へ飛び込んでいく。
漸く輝夜も使い魔を解除して動けるようになるも、その手で次にできる事と言えばスペルカードに頼らず己の体一つで炎を受け止めさせられるのみ。
「も・・・こ・・・・・・・・・!!」
ずっと余裕を見せ続けてきた輝夜の顔が、初めて驚きと恐怖で引きつった。
その顔のまま輝夜は不死鳥に呑み込まれ、ある種断末魔とも取れる声も炎の中に掻き消える。
普通の炎なら、それは物質の燃焼が起こす現象に過ぎない。だが二人が操る炎はそれとは全く別種となる。その炎は霊気或いは妖気を帯び、現象に質圧が加わり、物理的な力を持つ。だから竹を薙ぎ倒しながら火の鳥は進んだのだ。
かくして輝夜を呑み込んだ火の鳥はさらに竹を薙ぎ続け、やがて随分飛んでから角度を変え、地面に突き刺さり弾けて消えた。着地(着弾)点はすり鉢状に抉れ、周囲は全くの焼け野原となり、その周囲のどこにも輝夜の姿は見当たらない。だが蟻地獄のように開いた中央の穴が、彼女の居場所を端的に示していた。
「はーっ・・・・・・・・・はーっ・・・・・・・・・」
妹紅の息は荒い。自分の体より数回りも大きな鳳凰を番で、しかも間髪も置かずに撃ったのだから、消耗が激しいのは致し方ない。
だが手応えはあった。防御も回避も不可能なタイミングで直撃、恐怖で引きつる輝夜の顔も一瞬だが見る事ができた。あれがダメージに繋がったかどうかはともかく、憎き輝夜に一撃を与える事ができた事で思わず胸を撫で下ろす。
そして焼け跡の中のすり鉢に近づき、輝夜の姿を探る・・・・・・・・・
一分・・・・・・・・・・・・
五分・・・・・・・・・・・・
十分・・・・・・・・・・・・
「いない・・・・・・・・・・・・輝夜、どこよ?」
輝夜の姿が見えない。地中に埋まっているからなのか妖気は探れず、既に脱出したようにも感じられない。
間違いなく輝夜は未だ地中にいるはず・・・・・・妹紅の顔に疑念が浮かぶ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『 そ の 程 度 ? 』
今宵の月は、まだ高い位置にあった。