「皆、怖い物ってある?」
それは付近の妖怪や知り合いを集めて紅魔館で開かれた、ティーパーティでの発言である。
「……いきなり何を言いだすのかしら、フランドール?」
発言者の姉、紅魔館の主レミリアは質問の真意を図りかねそう言った。
「ここにいる人達って皆強いじゃ無い? 怖い物とかあるのかなって思ってさ」
確かに、程度の差こそあれパーティには一騎当千の力を持つ物が揃っていた。
この少女達が恐れる物としたら、それは本当に人知の及ばない、強大な存在以外に無いだろうと思えた。
「そうね……まあ始めて会った時のレミリアとフランドールはちょっと怖かったわ」
「人間だからな、そりゃ怖い物だってあるぜ。ちなみに私もその二人は怖かった」
最初に答えたのは霊夢と魔理沙。
「光栄ね。博麗の巫女とそのご友人に恐れられるなんて」
冗談を示す笑みを浮かべて、レミリアが返した。
続いて答えたのは、
「光」
「夏」
「……分かりやすいわね」
ルーミアとチルノである。
確かに彼女等にとって、強い光や夏の熱気は死活問題かもしれない。
「解雇通告が一番怖いですかねぇ」
これは美鈴だ。
要するに紅魔館の門番を止めさせられるのが怖いらしい。
「最近睡眠時間が延びたような気がしまして」
「なんなら……当主自ら戦力外通告出してあげましょうか、美鈴?」
「睡眠時間減らしますから許して下さいぃ~」
「寝る子は育つって言うのもね。乳ばっかりでかくなりくさりやがって」
美鈴が散々いびられているのを横目で捉えつつ、興味本位で魔理沙が尋ねた。
「あいつどのぐらい寝てるんだ?」
聞くと、パチュリー曰く、
「起きてる時間数えた方が早いわよ」
「今までクビにならなかった事のが不思議だな……」
レミリアの脚にしがみつく美鈴を見ながら、呆れた口調で言った。
「次は私かしら?」
「ああ、パチュリーの怖い物か……」
それを受けて考え出した霊夢と魔理沙だったが、
「……分からないわ。特に怖いって思う物無さそうだけど」
とうとう霊夢が降参した。
「私にもわからないぜ。普通に『勝てないほど強いから怖い』って感じじゃ無さそうだしな」
「あら、今とっても怖い物は一つだけあるわ……魔理沙は分からない?」
「ん~」
魔理沙は手にしたカップそっちのけで唸っていたが、結局顔を上げ、
「喘息か?」
「違うわ」
「……じゃあ分からん。降参だぜ」
両手を上げて降参のポーズを示した。
レミリアに向き直ると彼女も首を振っていた。レミリアにも分からないようだ。
「魔理沙も分からないの?」
「さっぱりだな」
「じゃあ、教えてあげる。私が怖い事は……」
パチュリーはたっぷり焦らしてから、そして何故だか笑みを浮かべながら、告げた。
「……魔理沙がいなくなる事」
「……」
沈黙。
魔理沙の沈黙は気恥ずかしさと嬉しさから。
他の者の沈黙は、「けっ、人前で惚気やがって。見ていられねぇぜ畜生が」と言う沈黙だった。
チルノはわざとらしく手で顔を扇いでいるし、霊夢もわざと音を立てて紅茶を啜っていた。
それから気を取り直したレミリアが、次の回答者を指名する。
「……で、次は咲夜かしら?」
「あー、怖い物ですか」
「貴女の事だし、あるとしても饅頭怖いとかの類でしょ?」
「終いにゃお茶が怖くなる?」
レミリアの言葉に続けて、霊夢が茶々を入れた。
「それならいいんですが……」
内心、この天災メイド(誤字にあらず)に怖い物など無いだろうと思っていた。
しかし誰にでも怖い物はあるらしく、咲夜が口を開くまでにそう時間は掛らなかった。
「もし、ここに拾われる事が無かったらと思うと、怖いですね」
「ここに?」
「ええ。紅魔館に来なかったら、私はどうなっていたか分かりませんから……ここに来る前の事、今でも夢に見てしまいます」
ここに来る前。つまり人間に混じって暮らしていた頃の話だろう。
その特異な能力故か、彼女が人間の中でどのような扱いを受けていたかはレミリアも聞いた事があった。
もちろん直接的な暴力は彼女に何の傷も与えなかっただろう。しかし拒絶された事実は、十代の少女にどれだけの傷を与えたのだろうか。
その答えが、次の咲夜の言葉に表れていた。
「死んでしまえば、とも思いました」
先ほどとは違う沈黙が辺りを覆った。
今度は誰も扇いだりしないし、音を立ててお茶を啜ったりもしない。
そして、その沈黙を破ったのもまた咲夜だった。
「湿っぽい話で申し訳ありません。さて、次はお嬢様の番ですか?」
明らかに無理をしていると分かる口調。
しかし誰もそれを指摘せず、話を進めようとしていた。
「500年生きた吸血鬼の怖い物ねぇ」
「あら霊夢、何千年生きたって恐怖は無くならない物よ?」
「おねしょとか?」
「それは大昔に治したわ。300年も前よ」
「……」
「でも特に怖い物は無いわね。皆が怖がる物は普通に怖いんじゃないかしら」
そんな答えを聞く者は無く。
その場にいる全員が頭の中で500引く300を計算したのは明白だった。
「これで全員かしら?」
「フランドールは? 無いの?」
霊夢が尋ねる。
最初この二人が親しげに話していたのを見た時、レミリアはまず目を疑い、そして嬉しいような心配なような気持ちになった。
あのフランドールが、地下室以外の場所で、自分以外の者と言葉を交わす日が来る事が信じられなかったからだ。
地下室で見る残虐な笑みと対象的に、外で見る彼女の笑みの輝き。不覚にも泣きそうになった事も覚えている。
「怖い物」
「ある?」
霊夢が答えを促す。あくまで優しく。
俯いて発せられる、消え入りそうな少女の声。
「もう戻りたくない」
一度声が出てしまえば、次の言葉は容易に流れ出した。
「もう、あの部屋には戻りたくない」
あの部屋。それが閉じ込められていた地下室の事だと気がつかない者はいなかった。
「一人になるのが一番こわい」
顔を上げた。いつになく遊びの色の無い目、心から本心を述べている者の目が、そこにはあった。
「皆と離れるのが、こわい」
破顔した。僅かに微笑んだフランドールは外見年齢相当の可愛らしさと、年を経た悲しみが混じっていた。
「皆に会って、いっぱい喋ったら、もう離れるなんて考えられなくなっちゃったから」
そこまで言い切ったフランドールは、もう表情を崩して笑っていた。
フランドールの告白後、部屋の隅で泣いていたチルノを発見したルーミアが大声で言いふらし、チルノが「こ、これは違うわ! 風邪よ! たった今風邪を引いたの!」と言う無理の有る言い訳を繰り広げ。
その後お茶だけのはずが酒まで持ち出され、魔理沙が一気飲みをして轟沈、一足先に酔っ払っていたパチュリーが幼児化して魔理沙をお持ち帰りするなどのトラブルがありながら、お茶会(酒宴)はお開きとなった。
場には片付けをしていた咲夜と、その手伝いを買って出た美鈴が残っているのみである。
「お皿全部持って行きましたから」
「ありがと、こっちもあらかた終わったわ……ったく、紅白といい、飲んだなら片付けぐらいして行けって。そう思わない?」
美鈴は笑みで答えた。
適当な椅子に腰掛けると、咲夜も一つ離れた椅子に腰掛けた。
まだケーキやスコーンの残りが片付いていないが、少しぐらいだらけても罰は当たらないだろう。
「でも……」
ややあって会話を切り出したのは美鈴だった。
「何?」
「いえ、意外だったな、と思いまして」
咲夜は少し考えをめぐらせた後、
「妹様の事?」
「ええ」
二人とも、嬉しさと悲しさが半分半分と言ったところだろう。
フランドールが他人と交流を持ち、それを大切に思っている事は嬉しい成長だった。
しかし、それ以前のフランドールを幽閉していたのもまた、彼女たち紅魔館の住人だった。
「素直に喜べる権利って、私達にあるんでしょうか?」
「……私に聞かれても分からないわよ」
会話が途切れた。
お互い思索を巡らせている故に生まれる、重い沈黙。
先に思索を終えたのは咲夜だった。
「良いんじゃないかしら」
「えっ?」
「喜んでも」
咲夜は立ち上がった。美鈴がそれを見上げる。
咲夜は苦笑しながら、言い訳に聞こえるかもしれないけど、と断りを入れた。
「あの子の幸せを願ってたのは、確かでしょ? 私達」
虫が良すぎるかと、心の中で考えたが、
「幸せに近づいているなら、喜ぶべきなのよ。それまで何も出来なかった分、喜んであげるべきなの」
「そう……ですか?」
「そうよ」
それでも美鈴は考えていた。結構真面目な、悩みだすと止まらないタイプなのかもしれない。
「さぁて」
突然大きな声で場を切り替えてから、明るい声を掛けた。
「まだ少しお酒が残ってるんだけど、一緒に片付ける気無い?」
確か、半分ぐらい残ったワインの瓶が2~3本ぐらいあった筈だ。赤やらロゼやら節操無く飲み散らかした結果である。
美鈴はまだ考えていたが、やがて吹っ切ったように顔を上げた。
「いいですね。子守しなきゃいけない人もいないし」
「気兼ね無く飲めるわよ。現に私達、ろくに飲めなかったじゃない?」
酔った家人の介抱に追われての事だ。こういう時に使用人は貧乏くじを引く。
「ついでに残ったケーキもどうにかしちゃいましょうか」
「そのつもりよ。決まりね」
グラスを二つと、飲みかけの瓶が数本。数切れのケーキが手際良く並べられ。
テーブルを挟んで、二人で向かい合うように座った。
「フランドール様の幸せを願って」
「ついでに、咲夜さんが悪い夢見ないですむ事も願って」
「あら、願掛けぐらいなら貴女が添い寝でもしてくれた方がずっと夢見が良いけれど」
「冗談でしょう?」
咲夜は笑って、
「そうね。じゃあ私は貴女がクビにならない事を願って」
「うっ……」
『乾杯』
二人ははグラスを打ち合わせた。
余談。
この日の夜、とある吸血鬼は慣れない酒を飲んで久しぶりのおねしょをする事となったと言う事である。
レミリアよ……それは自慢なのだろうか……w
レミリア様・・・200年も?
お嬢様、200歳とは洒落になりませんぜw