死者の集う場所、白玉楼。ここは今桜吹雪に包まれていた。
広大な庭を桜と幽霊、そして時折弾幕が舞う。その中を一人の妖精がふらふらと飛んでいた。
その白い衣は所々焼け焦げて穴が開いており、羽もぼろぼろで見るも無残な様子をしている。
だが顔だけは晴れやかだった。
「春が、いっぱい・・・」
舞い落ちる桜の花びらを手のひらに受けて、彼女――リリーは幸せそうに呟いた。
数日前に春は白玉楼から解放されているのだが、まだまだ春は抜けきっていない。
数ヶ月にも渡って幻想郷中から駆り集められた春は白玉楼から泉のように湧き出続けているのだ。
幸い結界はまだ薄く、彼女でも通り抜けることができた。
春の源とでも言うべき場所に彼女が導かれるようにして到達したのは当然とも言えよう。
彼女は春を伝える妖精。
春を誰よりも早く知り、そしてみなに告げる存在なのだから。
もうその役目は終わっていた。
春が結界から滲み出していた時三人の奇妙な人間にそれを伝えたし、
(何故か三人共彼女に怪我を負わせて行ったが)
春はいまや幻想郷中をゆっくりと満たし始めていたからだ。
もう役目は終わったのだから、あとは春の陽気に溶けるように消えていくだけだった。
「春が、来たんですよー・・・」
そばを通った幽霊に告げてみる。それから小さく微笑んだ。もうとっくに知っているだろうから。
「春が、来たんですねー・・・」
散った桜のじゅうたんに背中から倒れこむ。
例年なら桜が散る前に消えてしまうから、とても貴重な体験だった。
こんなに春が好きなのに、自分は告げるだけだなんてという考えが頭をよぎる。
そしてその考えに驚いた。
春が来たと告げることはいつも最高の幸せだ。
春を告げると人々の顔がぱっと明るくなるのが大好きだ。
そしてそのために生きることはなんて幸せなことなのだろうと、今までそう思ってきたのに。
あまりに珍しい体験に、少し頭が変な方向へ行ってしまったのかもしれない。
でもそれももう終わり。もうそろそろ自分は消える。
最後のひとときを、ここで幸せな春に浸りながら過ごすだけ。
目を閉じて、春を体中で感じてみた。暖かい空気。舞い落ちてくる桜の花びら。
桜の花びらに埋もれて消えるのは、さぞかし素敵なことだろう。
「あなたは誰?」
突然の凛々しい声で目を開いた。
身を起こしてみると、桜の花びらがはらはらと滑り落ちた。
それに一瞬うっとりしてしまってから、慌ててリリーは声のした方を見た。
制服らしきものに身を包んだ銀髪の少女。
ひときわ大きな幽霊を引きつれ、刀を二本背負っていた。
「見たところここの住人じゃないようだけど」
「わ、ご、ごめんなさい。お邪魔してます」
勢いよく頭を下げると、少女も慌てた。
「あ、いやそういうつもりじゃ。寝てたとこ起こしてごめんなさい」
「いえいえ、気にしないでください」
「だったらいいんだけど」
少女は苦笑し、それからふとリリーの衣に目を落とした。
視線が羽や手足の傷にそのまま移動する。
「・・・あなた、大丈夫?」
「何がですか?」
「ぼろぼろじゃない。・・・ひょっとしてうちの幽霊たちにちょっかい出された?」
「いえ、そんなことはないです。ちょっとその、事故・・・ですよ」
あの人間達に何故か攻撃された日、春が突然幻想郷に訪れた。
それで有頂天になってしまい、大した手当てもせずこれまで過ごしていたからこんな有様なだけだ。
それに、来年また目覚める頃には自然に癒えているだろうから気にすることもない。
「それにしても、ここは本当に・・・春ですね」
リリーは話題を変えた。
「これでも収まってきてるなんて驚きでしょう?」
少女は苦笑した。
「ここが春の源なんですか?それと、あなたがここの持ち主なんでしょうか」
「どっちもノー。ここに春がたくさん集められてただけ。
それから私はここの庭師をしてる、魂魄妖夢。」
「集められてた?」
リリーは首をかしげた。
「そう。お嬢様に春を集めてくるように頼まれて、幻想郷中からかき集めて・・・。
今年の春がすごく遅くなってしまったのは、私のせい。幻想郷の人には悪かったと今は思ってる」
目を見開いたリリーを見て、妖夢はきまり悪そうな顔をした。
「本当に、ごめんなさい」
「あ、妖夢さんが悪いなんて思ってません。ただ、その。その・・・」
たくさんの思いが湧いては消える。
春が来なくて不安だった日々。探しに行こうと決意したこと。
ようやく見つけたわずかな春の訪れがどんなに感動的だったか。
伝えられたことがどんなに嬉しかったか。
そしてその日のうちに春が本格的に訪れて、自分は今散る桜というものを初めて見ている。
その一連の出来事の原因とも言える存在が目の前にいる。
先ほど少しおかしなことを考えてしまった原因も、彼女だと言えば彼女なわけで。
またしても思いは回転を始める。
たくさんの春の景色が頭を走り抜けていく。
そしてその中で一番素敵だと思えるものは。
「・・・ありがとうございました」
「え?」
予想外の言葉に妖夢が驚く。
「今年は、本当に色々ありました。
春が来なくて不安で、苦しかったのも確かです。
でも私は見つけられたし、伝えられました。
それだけでも幸せなのに、今年はもっと素敵なことにここで桜が散るのを見られました。
こんなにたくさんの桜も初めてだし、桜が散るのはこんなにきれいだなんて知らなかった」
「あなた、もしかして」
妖夢が何か言いかけたが、リリーは続けた。
「春のことがもっともっと好きになれました。
そして、春を伝える自分のことも前より好きになれました。
私は春の妖精じゃなくて、春を伝える妖精です。
春をみなさんと一緒に楽しむんじゃなくて、誰よりも早く春を見つけてそれをみなさんに伝える役目です。
桜が散るのは本当に、本当にきれい。
でも、私は梅の花がもうすぐ暖かくなるよって教えてくれるのも好きです。
まだ寒さが残っている時に突然訪れる暖かい陽射しも好きです。
花のつぼみ達がふくらみはじめるのも好きです。
・・・春が来たって伝えるあの瞬間が、一番大好きです。」
リリーは最高の笑みを妖夢に向けて言った。
「春が、来ました」
白玉楼には数ヶ月前から春が来ていた。けれどそれは偽りの春だったのではないだろうか。
妖夢には真の春がようやくここに訪れたように感じられた。
「・・・あなたには負けるわ」
「え?」
「あなたがいないと春は始まらないみたい」
「ありがとうございます!」
リリーは微笑んだ。その姿が、みるみる薄くなっていく。
「もうそろそろ、私にとっての今年は終わりみたいですね。でも・・・楽しかった」
「・・・あなた、名前は」
「リリーホワイト。春を伝える妖精です」
「リリー。来年は・・・ここにも、春を伝えに来てくれる?」
「結界は通れないですよ?」
「だったら、結界の外から叫んでくれるだけだっていい・・・声は届くから。
そうしたら、春が来たんだって分かるからっ」
「・・・はい。必ず」
弱々しく答えて、リリーはゆっくりと消えた。
妖夢はしばらくそこにたたずんでいたが、ゆっくりとその場を立ち去った。
来年の冬の終わりには結界の近くに行ってみようと思いながら。
そこで、リリーの声を聴くことを楽しみにしながら。