「……紫殿」
後ろから聞き覚えのある声がしたので、紫が振り向くと、そこには妖忌が立っていた。
「…あなたは」
少し掠れた声で、紫が反応する。
「ひどい顔だな…」
「……女の子に向かって、その言葉は無いんじゃない?」
精一杯の反論をすると、紫は再び俯いた。これ以上、ひどい顔を見られたくなかったから。
「―――お嬢様」
「!」
妖忌が、紫の隣にしゃがむ。その手には、大きな白い布。
「お嬢様の、遺言だ…」
紫の体が、ぴくりと動く。
「………………何?」
「……お嬢様の亡骸を使って、西行妖を封印してくれ、との事だ……」
「封印…」
紫は、西行妖を見上げた。
「何が…あったの? 教えて頂戴………」
「…分かった」
妖忌は、語り出す。この屋敷で起こった、惨劇を。
「………そう、だったの」
「ああ……」
全てを語り終えた妖忌は、拳を握り締めた。そのまま地面を殴りつける。
「くっ…! 私が居ながら、この様な事に……!」
無念に歪む表情。そんな妖忌の姿を見た紫は立ち上がり、こう言った。
「…今は、悲しんでいる時では無いわ………妖忌、手伝って」
「紫、殿…」
「せめて…幽々子の願いだけでも、叶えてあげなきゃ………」
「………ああ………」
西行妖の勢いはいよいよ増し、霞の如く花弁が宙に舞っていた。その下に、人一人が入る程度の穴が掘られていた。
「もう、いいかしら…?」
「…ああ。では、お嬢様を……」
「分かったわ…」
白い布に包まれた幽々子の亡骸を、穴の中へ入れる紫。その上に、幽々子から貰った扇子をそっと乗せて。
「………………」
「………………」
埋葬が、終わった。しかし、残された二人には、まだやるべき事があった。
「一口に封印と言っても色々あるけど……どうすればいいのかしら?」
「お嬢様は、西行寺家の書架に封印に関する資料があると言われていた……恐らくは、そこに」
「あるのね?」
妖忌の言葉を聞いた紫が、屋敷に向かおうとする。しかし、妖忌がそれを止めた。
「私が行こう。紫殿は…お嬢様の隣に居て貰いたい」
「………分かったわ」
そして、妖忌が書架に向かった、その時。
オオオオォオオオオォォォオオオォォオーーーーーーン―――――――――
「「――――――ッッ!!?」」
大気が、震えた。びりびりと、地をも震わす、その振動。西行妖が、震えていた。
―――西行妖が、鳴いていた。
花弁が、総毛立つ。
次の瞬間、花弁が次々と西行妖から零れ落ち、瞬く間に蝶の形へとその姿を変え―――
辺りを、覆い尽くした。
放たれた蝶は、白玉楼を飛び交い、敷地の外へ出ようとして、何かに遮られた。
「―――まさかっ!!」
その蝶の行動に、いち早く反応したのは、妖忌だった。
「…何!? 何なの!?」
「この白玉楼は、西行妖の力を敷地外へと出さぬ様、先々代が結界を施してあるのだ! あの蝶等は、それを越えようとしている…!」
「何ですって!? それじゃあ、あの結界が破れたら……!」
「ああ、西行妖の力が、外に漏れ出してしまうっ…!」
そうなれば、恐らく更に多くの被害が出る。
「どうするのっ!?」
「案ずるな! この白玉楼の結界は、そんな柔なものでは無―――」
そう妖忌が言った時、異変が起きた。
カッ――――――!!
「! 何ぃっ!?」
西行妖から、一筋の光が放たれた。その光は、白玉楼の結界に当たり、それを歪ませる。
「結界を破ろうとしているのか!? 西行妖が………………………………なっっっ!!?」
光源の方を見た妖忌が、驚愕する。ややあって、同じく『それ』を見た紫も、信じられない光景を目の当たりにした。
「―――お嬢様っっ!!」
「―――幽々子っっ!!」
そこに居たのは、紛れも無く幽々子の姿であった。中空にふわふわと浮き、光の筋を発射する。
「何故っ…!? お嬢様が……!?」
愕然とする妖忌。しかし、紫は『ある事』に気付いた。
「あれは………幽々子の、魂!?」
「!! 何だと……!? 何故…!?」
地上に居る二人に全く気付く様子の無い幽々子の魂。その表情は、暗くてよく見えない。そしてまた、光を放つ。
「恐らく…西行妖が、幽々子の魂を力として利用しているのよ。元々、西行妖の死の誘いに幼い頃から耐えられてきた幽々子の魂が、西行妖に力を与えた………この結界を破る為の!」
「何っ……!?」
紫の言葉を聞いた妖忌が、西行妖を睨みつける。
「おのれ…魔性の桜め……! 散々利用してまだ尚、お嬢様を苦しめると言うのか…!!」
その様子を見た紫が、提案をした。
「今から封印の資料を探していては、とても間に合わないわ…! 妖忌! こうなったら、私が西行妖を封印するわ!!」
「出来るのか!?」
その言葉に、紫は微笑んだ。
「当然よ………何と言っても、私はあらゆる境界を操る、すきま妖怪なんだから!」
「ふっ…そうか、そうだったな! で、私は何をすればいい!?」
妖忌が、刀を構えた。
「一瞬でいいわ……西行妖の動きを、止めて。そうすれば私の全力を以って、西行妖を死の世界………冥界に封印する事が出来るわ」
「冥界…!?」
「いくら死に誘う西行妖でも、死の世界に居たんじゃあ、その力は水の中で蛇口を捻る様なものだからね」
「成る程、では―――」
「ただ……」
不意に、寂しげな顔をする紫。
「何か、問題でも?」
「………ええ。白玉楼全体で西行妖を封印している以上、この一帯ごと冥界に送る必要があるわ……。つまり、あなたも一緒に冥界に送らなければならなくなる……」
「…そんな事か。それならば、問題無い。私は半人半霊の身故、その程度どうという事は無い! それに…冥界には、お嬢様も来られる……私は、そこで再びお嬢様と会う事が出来るのだ………」
「妖忌……」
妖忌の強い眼差し。それを見て、紫は意を決した。展開したすきまに跨り、空へと舞い上がる。
「私は空から封印を施す準備に入るわ! …西行妖を、頼んだわよ!!!」
そして、空中で一度止まり、妖忌に向かって叫んだ。
「またいつか―――あの世で会いましょう!!」
「………………………………承知!!!!」
刀を高く掲げ、妖忌は応えた。
対峙する、妖忌と西行妖。妖忌へと襲いかかってきた蝶は、妖忌の体から立ち昇る裂帛の気に圧されて、次々と落ちていった。
オオォオオオォォォオオオォォオオーーーーーーン―――――――――
西行妖が、鳴いた。まるで妖忌に気圧されんとする様に。
「西行妖よ…まさか、貴様と再び刃を交える事になるとはな……。西行寺家先々代と私で、貴様を封印した時以来か………」
オオォオォオオォォォオオオォォオーーーーーーン―――――――――
「あの時は…私の未熟さ故、貴様に命を半分『持って行かれた』。そのお陰で、私は今や半人半霊の身………否、私だけでは無い。私の後代も、同じだ。全く、貴様は恐るべき妖怪桜よ………だが、今度はそうはいかぬ!!」
オオオォオオオォォオオオォォオオーーーーーーン―――――――――
「西行寺家専属庭師兼警備長、魂魄妖忌の最大奥義を持って、貴様に永久の眠りを与えん!!!」
ダッッッ!!!
妖忌が、跳んだ。目指すは、西行妖の、中心点。しかし、その少し上には、幽々子の魂。
「お嬢様!! この魂魄妖忌、一度だけ、主君に刀を向ける非礼をお許し下さい――――――!!!」
オォオオォオオオォォォオオオォオーーーーーーン―――――――――
「六道剣―――――――――『一念無量却』ッッッッッッッッ!!!!!」
キンッ !!!
風が、薙いだ。妖忌が渾身の力を持って振るった刀は、しかし西行妖に傷一つ付けていない。が、それは当然。元より刀は、西行妖を斬ってはいない。
―――ぴしっ
大気が、割れた。
空間を裂いた剣閃の跡が、西行妖を取り囲む。一本、二本、三本、四本………数え切れない。
「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなどない――――――」
そして、裂け目から溢れ出す、力。
その力は形を成して暴れまわり、西行妖を責め苛む。
オオォオオオオォォオオォォオオオーーーーーーン―――――――――
その叫びは、西行妖の断末魔か。それは誰にも分からない。
ただ、一つ。確かな事は、
西行妖が、止まった。
「今だあーーーーーーっっっ!! 紫殿おおおおおーーーーーーっっっっ!!!!」
妖忌が、吼えた。その叫びは天を衝き、紫に全てを伝える。
「行くわよ………………破っっっ!!!!!」
ありったけの魔力を、空に放つ。そして、封印の呪印が白玉楼を包み込み。
―――刹那、光に包まれる。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………………!!!
空が、震える。小高い山の上に建てられた白玉楼の上空が、ばっくりと裂けた。
その裂け目から、光の奔流が迸り―――白玉楼を飲み込む。
その様子を、妖忌は西行妖の下で見ていた。視界が真っ白に染められてゆく。何もかもが、見えなくなってゆく。
「妖夢よ…私は悪いお祖父ちゃんだな……。お前には、普通の暮らしをして欲しかったというのに……こんな目に遭わせてしまって………」
妖忌は、沈黙した西行妖にもたれかかり、最後に、微笑んだ。
「紫殿………一足先に………お嬢様と………………待っていますぞ………………」
そして白玉楼は、幻想郷から、この世から―――完全に、姿を消した。
白玉楼跡に佇む、一つの影。
「………………………」
彼女の周りには、何も無い。ただ、荒涼たる大地が広がっているだけ。あの長い階段も、美しかった楼も、目の覚める様な桜の森も、今はもうどこにも無い。
「幽々子………結局、私はあなたを救えずに…こんな事しか出来なかった………」
がくり、と膝をつく。満開の妖力を湛えた西行妖の近くに居た事と、魔力を全力で使った事が、紫の体に大きな負担となって圧しかかっていた。
「っはあ……流石に、キツかったわ、ね………」
地面にうずくまり、喘ぐ。その視線の先には、茶色の大地…
「…!!」
否。何かが、地面から、顔を出している。そして、その物体に、紫は見覚えがあった。
「う、そ―――」
我が目を疑った。だって、それは、
紫が、幽々子と共に埋葬した、扇子。
「何で……」
まさか幽々子の亡骸は、冥界に送られていないのか。そう思った紫は穴を掘ったが、幽々子の亡骸は出てこない。つまり、この扇子だけが、現世に残ったのである。
「幽々子………あなた………」
つ……
一筋、涙が零れた。扇子を拾い上げ、抱きしめる。
紫は、感じていた。
たとえ肉体が現世に無くても。魂が、冥界にあろうとも。
幽々子は、ここに居る―――
「あ―――」
不意に、世界が暗転した。
全てが終わり、緊張の糸が切れた紫の体は、重力に逆らう事無く、地面に倒れ込んだ。
妖忌が格好よかったし、紫も良い感じでした。 あの強力な結界は紫んが創ったものなのかー。そして現世(幻想郷)からは、結界があって入れない&荒野が広がってるように見えるだけ…と(ぇ