ある晴れた日の幻想郷。
西行寺家の専属庭師兼警備長、魂魄妖忌はいつもの様に庭の手入れをしていた。
その時。
「―――っっ!!?」
屋敷に入り口に、強烈な妖気を感じた。異変を感じた妖忌は、その妖気の元へと疾った。
妖忌は、その人物と対峙していた。何かに座り、空中に浮き、呑気に日傘を差した、少女と。
「―――貴様、物の怪、だな?」
愛刀、楼観剣を突き出しながら、問う。その鋭い眼差しは、相手から決して離れない。
「ええ、まあ、そうね」
妖忌とは対称的な、のほほんとした答え。その目が妖忌を捉えているかどうかは、判らない。
「物の怪が、この白玉楼に何の用だ?」
「…白玉楼。それが、この屋敷の名前?」
「…知っていて、ここに来たのではないのか?」
「ええ。私は『あの桜』を見に来ただけだし」
「なっ……!?」
少女の言葉を聞いた妖忌が、驚愕の表情を見せる。しかし、すぐさま元の顔に戻り、もう一本の刀、白楼剣を抜いた。
「…西行妖には、誰であろうと何であろうと、近付ける事は出来ぬ」
妖忌の眼差しが、ますます厳しいものとなる。
「そんな怖い顔をしないで頂戴。私は大丈夫だから、ね?」
「…信用できぬ。西行妖の力を知らぬのか?」
「別に何もしないわよ~。頑固なんだから…」
困った、と言った顔をする少女。そして。
「………………そ・れ・じゃ・あ。私は、どうしたら、いいのかしら?」
スッ―――と、気温が下がった錯覚を、妖忌は覚えた。
(くっ………!)
妖忌は、思わず後ずさる。…しかし、引く訳にはいかない。西行妖に、近付ける事は出来ない。
「そうだな…私と戦って勝てば、貴様は好きに行けるだろうな」
「それじゃあ…それで、イイのかしら?」
く、と少女の口から笑い声が漏れる。
妖忌が、構える。
「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなど無い!」
それが、始まりだった。
「―――せいっ!!」
だんっ! と地面を蹴り、妖忌の体が宙に舞う。そのまま、剣を構え―――
「獄界剣…『二百由旬の一閃』っっ!!」
ずあっ―――!!
「!」
次の瞬間、妖忌と少女の間合いが、一瞬にして詰まる。神速を以って敵を一閃する。それがこの技の狙いだった。
「はあああああっっっ!!」
乾坤一擲。妖忌の剣が少女を的確に捉える。
「これで終わりだっ!」
すっ……
「!?」
少女は、剣の軌道上に畳んだ傘を置いた。
「そのような物で我が剣を止められると思ったか!?」
そのまま、全力で剣を振り下ろす―――
ぐわんっ………
空間が、揺らいだ。
「なっ………!?」
そして。妖忌の確実に少女を狙った剣が、剣と傘の間に発生した『何か』に捕らえられ、その斬撃が少女に届く事は無かった。
「どんなに斬れる剣でも、無いものを斬る事は出来ないわよね?」
「くっ……! 貴様…何をした!?」
只ならぬ気配を感じた妖忌は、一旦後ろに跳んだ。
「ちょっとあなたの剣を、何も入っていない『すきま』に入れただけよ。少し境界を弄れば、こんな事も出来る訳ね」
「何…!? 境界を操る能力…!? 貴様、只者では無いな……!?」
「………そうね。そしてあなたは、既に『捕らえられている』」
「!!」
少女の言葉の意図に気付いた妖忌が急いで周囲を見渡す。…しかし、遅かった。
「紫奥義…『弾幕結界』」
――――――ざあっっ――――――!!
「しまったっ――――――!!」
妖忌を囲む様に放たれた弾を撃ち落とさんと、全力で剣を振るう妖忌。しかし、それでも足りない。無数の弾が、妖忌の体を攻める。
「―――蜘蛛の巣に掛かったあなたは、もう逃げられない―――」
それが、地面に崩れ落ちる妖忌が聞いた、最後の声だった。
冷たいものが頬に触れた。その感覚で、妖忌は目を覚ます。
「………っっ!」
「あら、起きたのね」
目覚めてまず見たのは、先程自分を撃ち破った少女の顔。妖忌の顔を覗き込んでいる。
「貴様………ぐっ」
急いで体を起こそうとして、全身に鈍い痛みが奔った。恐らくは、目の前の少女に付けられた傷。
「駄目よ、無理に起きちゃ? まだ手当てしたばかりなんだからね?」
「何…? 貴様、どういうつもりだ…」
「どういうつもりも何も、私はあなたと戦うつもりは無かったの。でも、あなたが攻撃してきたから、こっちも正当防衛させて貰ったわ」
特に悪びれる様子も無く、答える少女。
「………目的は何だ………」
「さっきも言ったでしょ? 私はあの桜を見に来たの。お花見よ、お・花・見」
「…それだけか…?」
「それだけよ」
そう言って、微笑む。
「………ならば行け。どのみち私では、貴様を止める事は出来ぬ様だからな」
「…そう? ありがとう」
「………礼はいいからさっさと行け。私は少し休む………」
最後に妖忌は、そう言うと目を閉じた。少女は、妖忌の体を近くにあった木に横たえると、屋敷の奥へと進んでいった。
「………あら? 先客かしら?」
段々と強力になる妖気を辿りながら、森と呼んで差し支えない庭の中を少女が進んでいると、やがて一目でそれと分かる見事な桜の木の前に出た。しかし、そこには既に人影があった。
「………………」
その人影は少女に気付いたらしく、振り向いた。
「…こんにちわ」
そして、会釈した。
「こんにちわ」
少女も、会釈を返す。
「…あなたは…おきゃくさま?」
当然の質問が問い掛けられる。
「…侵入者よ。と言っても、別にどうこうするつもりは無いわ。私はここの桜を見に来ただけだから。……あなたも?」
「うん。このさくらはわたしのおうちのじまんなの」
「へえ…あなた、ここの家の子なの?」
「うん。ここは、わたしのおうちなの」
「立派なお家ね。あなた、名前は何て言うの?」
「わたし、さいぎょうじゆゆこ。おねえちゃんは?」
「私は………八雲紫。妖怪よ。あなたは、人間?」
「うん」
そして、幽々子と名乗るその少女は、紫を怖がる事無く近付いていった。
「ねえ、このさくら、きれい?」
「…ええ。とっても、綺麗よ」
狂い咲く、桜。誰が見ても美しく咲いていると判る見事な満開であったが、見る者が見れば、その裏に隠された凶々しさを感じ取る事が出来るであろう。
この西行妖という桜。そこいらの妖怪より、余程危険であった。
見る者を魅了し、死に誘う魔性の桜―――
(……噂に違わぬ代物ね)
そして、紫はその凶々しさを感じ取る事が出来た。ただ、紫程の力を持つ妖怪ともなれば、危険な目に遭う事は殆んど無かった。
(…それにしても)
紫は、ある疑問を抱いた。紫の隣で一緒に桜を見ている、この幽々子という人間の少女。ただの人間ならばとっくに西行妖に魅了されていてもおかしくないのに、いたって普通に振舞っている。
まあ、幻想郷に住む人間は大抵何かしらの力を持っているので、幽々子も恐らく持っているのだろう。―――この桜に抵抗しうる力を。
(まあ、どうでもいい事よね)
紫は別に幽々子の事を探りに来た訳では無い。ただ西行妖を見に来ただけなのだから。
「ねえ、おねえちゃん」
「ん? なあに?」
不意に幽々子に声をかけられ、紫は思考を一時中断する。
「………ううん、なんでもない」
「…気になるわね。なあに?」
「……言っても、いいの?」
「いいわよ」
紫がそう答えると、幽々子は何やらもじもじしながら、小さな声で、しかしはっきりと言った。
「………あのね、おねえちゃん………………わたしと、おともだちに、なって、ください」
「……え?」
紫にとって、その言葉はとても意外なものだった。
紫には、友達と呼べる存在は居なかった。大抵の妖怪は、紫の力に恐れをなしていたし、それが人間ともなればなおさらだったからだ。その為、幽々子の言葉に少なからず動揺した。
「………………………だめ?」
幽々子が、紫の顔を見上げる。真っ直ぐな瞳で。
「………………………」
「………………………」
しばらくの、沈黙。そして。
「………………いいわよ」
最初に口を開いたのは、紫だった。その顔に笑みを称えて。
「………ほんとう!?」
幽々子の顔が、驚きに包まれる。しかし、その後すぐに紫に抱きついてきた。
「きゃっ」
「ありがとう! おねえちゃん!!」
「……ふふ、幽々子ちゃんったら………」
思わず幽々子の頭を撫でる。すると、幽々子はくすぐったそうに笑った。
「……うれしい……」
「………………」
紫も、まんざらでは無かった。恐らく、彼女にとって初めて出来た友達だった―――
「…そろそろ帰るわね」
「え…もう?」
幻想郷の陽は、既に沈んでいた。
「もう夜よ。お家の皆が心配するんじゃない?」
「………うん」
幽々子は寂しそうな顔をしたが、すぐに微笑んで、
「きょうはありがとう、ゆかりおねえちゃん。わたし、とってもたのしかった」
紫の手を握りながら、そう言った。
「…そう、それは良かったわね」
「……だから、ね。また………あそびにきて、くれる…?」
「………………ええ、あなたさえ、良ければ」
「…うん! ありがとう! …やくそく!」
幽々子が、小指を差し出した。
「指切り、ね」
紫は、その小さな小指に自分の小指を絡ませた。
「ばいばーい! ゆかりおねえちゃーん!」
次第に小さくなってゆく幽々子の姿に手を振りながら、紫は西行妖の森を後にした。そして、再び西行寺家の表門まで来た時。
「……あら。もう体は平気なの?」
こちらに向かって歩いてくる妖忌の姿を見つけた。
「見くびって貰っては困るな。こう見えて私は普通の人間では無いのでな」
「あら、そうなの」
「時に、随分と長い間、西行妖の所に居たのだな」
「…まあね。可愛らしいお嬢さんを見かけたものですから」
「…何」
ぴく、と妖忌の体が動く。
「…幽々子お嬢様に会われたのか」
「ええ、まあね」
「………何もしていないだろうな」
「してないわよ。ただ、お友達になっただけよ」
「………お友達………?」
「そうよ」
「………………そうか………………」
その言葉を聞いた妖忌の体から、緊張が解ける。そして、そのまま紫の横を通り過ぎて行った。
「あら、やけにあっさり通すのね?」
「……幽々子お嬢様の友達と言ったな………………………幽々子お嬢様を、これからも、頼む」
「………………………?」
「………それだけだ。では、さらば」
それきり、妖忌の気配は闇に消えた。後に残されたのは、紫のみ。
「……まあ、いいか」
ふ、と微笑み、紫は夜空へと体を躍らせた。
「おやすみなさい、幽々子ちゃん」
最後にそう言い残し、紫の姿は闇の中へ消えていった。
凄く期待したいところ。