「………………………」
昼過ぎのヴワル魔法図書館。いつもの様に椅子に座り、本を読むパチュリー。
「………………………………………………はあ」
しかし、読んでいる様に見えて、実は本の内容は今のパチュリーの頭には入ってこない。思わず、大きな溜め息をつく。
「……今日も、来ないな……」
そう呟くパチュリーの脳裏に、『あの日』の光景が浮かぶ。
それは2、3日前の事。
「来たぜ、パチュリー」
「いらっしゃい」
今日も今日とて図書館を訪れる魔理沙。それを笑顔で迎えるパチュリー。
「あ、今、パチュリー笑った」
「……? それがどうかした?」
「いやな、最初の頃はいつも私が来る度にむすっとした顔で迎えてくれるからさ、珍しいと思って」
「私だって、普通に笑えるわよ」
「そうだな、すまんすまん」
そう言って、少し笑う魔理沙。つられるように、パチュリーも笑った。
「今日は菓子を持ってきたんだ」
魔理沙は、懐から包みを取り出した。
「図書館って、飲食禁止なんだけど」
「気にするな。本が汚れなきゃいいんだろ?」
「そういう問題じゃ―――ふぐっ」
「固い事言うなよ、な?」
パチュリーの口を塞ぐ様に、魔理沙は持ってきた菓子をパチュリーの口に入れた。
「んぐっ………む、むぐ」
急に口を塞がれたパチュリーは、急いでその菓子を咀嚼する。
「………っはあ…何するのよ」
菓子を呑み込んだパチュリーは、早速抗議を開始する。
「美味いだろ?」
しかし、魔理沙の笑顔にあっさりと篭絡された。
「あ……う、うん。美味しい」
「な? だからさ、一緒に食べようぜ?」
「………分かった」
パチュリーは、魔理沙の笑顔に弱かった。
「…ごちそうさま」
「お粗末様でした、と」
魔理沙の持ってきた菓子は、あらかた無くなっていた。
「美味しかったわ、魔理沙」
「そりゃどうも。持ってきた甲斐があったぜ」
「うん、ありがとう」
素直に礼を言う。
「そんなに素直に言われると照れる―――ん?」
その時。魔理沙が何かに気付いた様子でパチュリーを見た。
「え? 何? 魔理沙………」
すっ……
「………………!」
魔理沙の指が、パチュリーの口元を拭った。
「ほら、菓子の食べ滓が残ってるぜ」
そう言って、その拭った指をぺろ、と舐める魔理沙。
「あ………」
その仕草を見た時、パチュリーの中で何かが強烈に動いた。その衝動が、体を動かす。がた、と音を立てて椅子から立ち上がった。
「ん…? どうした? パチュリー」
パチュリーにつられて、魔理沙も思わず立ち上がった。
「………魔理沙………私………やっぱり………」
「………?」
パチュリーが何を考えているのか分からない魔理沙は、首を傾げる。そんな魔理沙にお構いなく、パチュリーは魔理沙の両肩に手を置き。
「………………………やっぱり………魔理沙の事が………」
そのまま、唇を近づけた。
「…パチュリー!」
突如、両肩に置いた手が、弾かれる。振り解いたのは、魔理沙の手。
「……魔理沙……?」
魔理沙の行動を呆然と見るパチュリー。一瞬、何が起きたのか分からなかった。
「な、何だよ、きゅ、急に。お、大袈裟、だ、ぜ」
そう言っている魔理沙も、随分と驚いた顔をしている。
「………魔理沙………」
「び、びっくりしたじゃないか。い、いくら友達だからって、悪ふざけは、よしてくれ」
「え―――――――――」
悪ふざけ。その言葉の意味を理解するのに、たっぷり10秒はかかった。
「………あ、わ、悪い。用事を思い出したよ。ここら辺で、か、帰るぜ」
「ちょっ…」
「……じゃあな!」
パチュリーに喋る暇を与えず、魔理沙は足早に去っていった。後には、パチュリーだけが残される。
「………魔理………沙………………」
よろよろと、椅子に倒れかかる。目の前には、魔理沙が持ってきた菓子。本人は何も言っていなかったが、恐らくは、魔理沙の手作り。形が不揃いという事で何となく分かる。
その中の残った一つを、つまんで口に入れた。
「………………………美味しい………………けど………しょっぱいよ………魔理沙………………」
そのまま、パチュリーは声を殺して泣いた………
「………………………………………………はあ」
もう一度、大きな溜め息をつく。
「………どうして」
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
「やっぱり、私が原因なのよね……」
どう考えても、その結論に辿り着いてしまう。あの日、魔理沙の唇を求めた事が原因。パチュリーにはそれくらいしか思い当たらない。
「ただ……私は……自分の想いを、伝えたかった、だけなのに………」
パチュリーの中で、いつの間にか魔理沙は特別な存在となっていたのだ。それは、パチュリー自身にも思いも寄らない事だった。
「やっぱり…魔理沙と私は、『ともだち』なのよね……」
そう言った瞬間。
涙が一筋零れた。
次の日。朝食の後、咲夜が皆に何かの紙を配っていた。
「『博麗神社夏祭りのお知らせ』………?」
その紙を見たレミリアが、声を上げる。
「ねえ咲夜、これ、何?」
「今朝早くに霊夢様がここを訪れて、私にこの紙を渡したんです」
咲夜が事情を説明する。
「夏祭りなんて、毎年やっていたかしら?」
「何でも、急に思いついたとか」
「ふふっ、霊夢らしいわね」
二人の会話を聞きながら、パチュリーはぼうっとしていた。魔理沙との一件以来、最近はいつもこの調子である。
「―――パチェ、あなたも行くでしょ?」
「………えっ?」
唐突に話を振られ、戸惑うパチュリー。
「夏祭りの話よ。行くでしょ? ………と言うより、行きましょう」
「……え……」
「最近のあなた、何だかおかしいもの。何をしていても、上の空って感じでね」
「………」
これもやはり、魔理沙との事が原因か。
「だから、気分転換よ。はい、決まり」
「え、あ」
「そうと決まれば色々準備しなくちゃね。咲夜、浴衣を用意しておいて」
「かしこまりました」
何かを言いたそうなパチュリーを尻目に、レミリアは席を立った。
そして、あっという間にその日はやってきた。
「あら、来たわねレミリア」
「こんばんわ、霊夢」
レミリア以下紅魔館のメンバーが、博麗神社にやってきた。
「まあ、祭りと言っても宴会の様なものだけど」
霊夢の服装は、珍しく浴衣。それは紅魔館メンバーも同じではあるが。
「やっぱりね。でも、ちゃんと準備はしてきましたから」
そう言って、咲夜が色々な食べ物を出す。お酒も出てきた。
「流石メイド長。分かってるじゃない」
「まあね」
真夏の夜の幻想郷。時折吹く風が木々を揺らす。
「宴会にはうってつけの日ね」
「『祭り』じゃなかったの?」
霊夢の言葉に、咲夜がすかさずつっこむ。
「まあ、何でもいいじゃない。皆楽しそうだし」
盃に口を付け、辺りも見回す霊夢。周囲には、楽しげな笑い声が溢れている。
「そうね………それで、何が目的?」
「………………………分かる?」
くす、と笑う霊夢。
「分かるわよ。急にこんな宴会を催して、何か無い方がおかしいわ」
「私って、信用無いのね」
「少なくともお嬢様からの信頼は厚いわよ」
「それは光栄ね」
「それで? 目的は?」
咲夜がそう訊くと、霊夢は外の森に目を向けた。
「……ちょっとね、友人の為に一肌脱ごうと思って」
「…友人?」
首を傾げながら咲夜も辺りを見回す。そして、『ある事』に気付いた。
「…成る程ね」
「そういう訳だから、私達は邪魔しない様に、ね?」
「分かったわ」
「………」
この楽しい雰囲気にも今一つ馴染めなかったパチュリーは、『トイレに行ってくる』と言って、席を外した。
「…ふう…」
そうして溜め息をつきながら神社の縁側を歩いていると―――
「―――よお」
目の前から、懐かしい声。今一番聞きたくなくて、でも本当は一番聞きたい声。
「―――魔理沙―――」
魔理沙が、縁側に座っていた。
「まあ、座れよ」
「………………………」
「………………………」
魔理沙に促されて座ったのはいいけれど、パチュリーは何を喋ったら良いものか、まるで分からなかった。それは魔理沙も同じなのか、同じ様に黙っている。
「………………………私、トイレに行く途中だったの。だから、また後でね………」
いたたまれなくなったパチュリーは、適当な理由を付けてこの場を立ち去ろうとした。
すると、立ち上がったパチュリーの手を、魔理沙が掴んだ。
「待ってくれ、パチュリー。ちょっと、私の話を………」
「………話………?」
その時。パチュリーの頭に、『あの時』の、自分の想いを拒んだ魔理沙の手が、よぎる。
「話って………………………今更、何なのよ………!!」
ばっ!!
魔理沙の手を、力一杯振り解く。
「えっ………」
一瞬、訳が分からないといった顔になる魔理沙。それに構わず、パチュリーは一気にまくし立てる。
「ひどいよ……!! あの日、私が止めた時はさっさと帰っちゃったくせに……! どうして、自分の時はそんなに引き止めようとするのよ………!! ずるいよ………!!」
「………パチュリー………」
「私は………私は………!!」
言いながら、パチュリーの瞳から大粒の涙が流れる。
「パチュリー………ごめん………」
「『ごめん』って、そんな――― !!?」
叫びそうになったパチュリーの体を、立ち上がった魔理沙が抱きしめた。
「本当に………………………ごめん………」
「魔……理沙………?」
抱きしめている魔理沙の体が、少し震えているのが分かった。
「私は………卑怯だよ………………本当は、パチュリーの気持ちに気付いてた………つもりだった」
「え………………」
「………でも……あの時………パチュリーに求められた時………急に、怖くなったんだよ……だから………逃げた………!」
段々と、魔理沙の声が詰まってゆく。
「もう………………遅い………!? パチュリーは、私の事、もう嫌いになった…!?」
抱きしめた腕が、ゆっくりとほどけてゆく。
「魔理沙………」
「嫌、だ……! 私、分かったんだ……! こんなに長くパチュリーに会えないのは辛い……! でも、あんな事して、パチュリーを傷つけてしまったかと思うと、会えなかったんだ………!!」
魔理沙は、嗚咽しながら膝をついた。
「だから…今日、パチュリーが神社に来るって知って、私も来たんだ……心から謝ろうと、思って……」
「―――魔理沙」
「あ………」
パチュリーは、うずくまる魔理沙の頬を優しく撫で、上に向ける。そして、ゆっくりと唇を近付け。
「――――――」
軽く、魔理沙に口付け。
「………………!」
魔理沙の目が、驚きに見開く。
「………私の方こそ、ごめんなさい………魔理沙」
「パチュ…リー………?」
パチュリーは、魔理沙の目を見ながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あの時………急にあんな事をしなければ、魔理沙も怖い思いをしなくてもよかったのにね………。私ったら、何を焦っていたのかしら…? その所為で、あなたの気持ちに気付いてあげられなかったなんてね………」
「そん、な……そんな、事……!」
涙を流しながら頭を振る魔理沙を、パチュリーは抱きしめた。
「でも………良かった。魔理沙は、私の事が嫌いになった訳じゃないのね……?」
「う……! 当たり前じゃないか………! 私は、パチュリーの事が、大好きだよ………!!」
「それって………『ともだち』として…? それとも……」
その先を訊こうとして、その言葉は途中で遮られた。―――魔理沙の唇によって。
「友達だって思ってたら………こんな事………………しない………………」
「―――魔理沙……!!」
パチュリーの目からもまた、涙が零れた。しかしそれは、決して悲しみの涙でない事をパチュリー自身がよく知っていた―――
「来たぜ、パチュリー」
「いらっしゃい」
今日も今日とて図書館を訪れる魔理沙。それを笑顔で迎えるパチュリー。
「いい本を見つけたのよ」
「それは興味深いな。見せてくれないか?」
「ちょっと待っててね」
そう言って、奥の本棚に向かって歩く。しばらくして目的の本を見つけて、魔理沙の所へ戻る。
「お待たせ―――あっ!?」
うっかり、服の裾を踏んづけてしまったパチュリー。バランスが、崩れる。
「おっと!」
「ひゃっ」
床の上に倒れる寸前、飛び出した魔理沙が、パチュリーの体を抱き止めた。
「あ…ありがとう……」
「お安い御用だぜ」
ウインクする魔理沙。その表情が何だかおかしくて、パチュリーは笑った。
「おいおい、人の顔を見て笑うなよ」
「ふふっ………ごめんなさい」
謝りながら、魔理沙の体から離れる。
「さ、行きましょう」
「ああ、そうだな」
片手に本を持ち、もう片手には、魔理沙の手を握り。
幸せそうな笑顔を見せ、パチュリーは歩き出した―――