春未だ訪れぬ幻想郷。その中にある、どこかの森。更にその中に、一人の少女がいた。
「…困ったわ…」
一人の少女こと紅美鈴は、何度目かの溜め息をついた。何故美鈴がこんな所に居るのかというと―――
その年の冬は、終わる気配を見せなかった。そしてある日、メイド長の咲夜が出かけていった。―――冬を終わらせる為に。
そして、同時に美鈴が『お使い』を頼まれたのだった。主人のレミリアが言うには、明日からのお花見の為の準備の一環であるという。その命を受け、足早にお使いへと出かけた美鈴だったのだが………
「……まさか迷っちゃうなんて……」
美鈴は、道に迷っていた。道なりに進んでいたはずなのに、いつの間にか森の中に居たのだ。どうも様子がおかしい。
「もしかして、結界か何かの類の中に入っちゃったのかしら…?」
思わず身震いした。寒さと嫌な予感の所為である。とにかく、一刻も早くこの森を抜けて、お使いを済ませなければ―――
「―――あら?」
しばらく歩いていると、急に開けた場所に辿り着いた。森の中にぽっかりと空いた平地。そこには、多くの建物が建ち並んでいた。
「何かしら? ここは…」
とりあえず、足を踏み入れる。もし家の中に何かがいるのなら、尋ねるなり何なりして、この森を出る方法を教えて貰おう。そして、美鈴が家に近付いていったその時。
―――どさっっ!!
「うがっっっ!!?」
何とも情け無い声を上げて、美鈴は地面に倒れた。突如、彼女の頭上に何かが落ちてきたのだ。
「いっ…たぁ~……何……?」
強い衝撃を受け、くらくら頭を擦りながら、美鈴は何とか起き上がった。
どさり。
背後で音。美鈴が起き上がった拍子に、背中に乗っていた『何か』が地面に落ちたのだ。
「え……?」
振り向いた美鈴は、愕然とした。そこには、全身傷だらけの少女が倒れていた。
「な、何……?」
突然の出来事に、美鈴は慌てた。その時、傷だらけの少女の体がぴくりと動いた。
「………う………」
そして聞こえる、微かな声。
「生きて、る…? ……ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」
駆け寄って、少女の体を揺する。しかし、その体は美鈴の手の動きに合わせて揺れるだけ。
「ど、どうしよう……そうだ!」
美鈴は、傷だらけの少女の体に手をかざした。
「………」
意識を、集中する。やがて、美鈴の手の平から、光が発せられた。
「応急処置くらいにはなるよね…」
美鈴は、気を使う能力を持っている。最近は、専ら外敵を排除する為に使っているが、やり方を変えれば、治癒にも使える。
「……これで、大丈夫かな」
ふう、と一息ついた。
―――ぞわっ
「っ!?」
急に、背後から強烈な妖気を感じて、美鈴は振り返った。そこには―――
「―――お前、何をしている………橙に、何をした………」
妖怪が立っていた。美鈴には分かった。この妖気、そこら辺の妖怪とは、格が違う。
「あ、その、これは……」
「何をしたのかと、聞いている―――!!」
更に妖気が膨れ上がった。このままでは、まずい。しかし、どうすれば。
「よくも、橙を―――!!」
ごうっっ!!
瞬間、美鈴の体を光が包み込んだ。
「きゃあああああっっっ………!!!」
そこで、美鈴の意識は途切れた。
………
ゆさゆさ。何かに揺すられている。
………………
ゆさゆさ
………………………
「………………………はっ………」
その感覚で、美鈴は目を覚ました。
「あ、やっと起きたよ……」
誰かが自分の顔を覗き込んでいる。
「あ……れ……? ここ、は………?」
朦朧とする頭を振りながら体を起こそうとした―――が。
「……! 痛っ……!」
鈍い痛みが体を襲った。
「あ、駄目だよ起きちゃ。あなたボロボロだったんだから…」
傍にいた少女に、止められた。
「…ごめんね。藍様が酷い事して……」
「え……あ」
思い出した。確か、訳も分からずいきなり攻撃されたのだった。そして、その時私が介抱した少女が……
「あ…! あなた…! 大丈夫だった…!?」
思わず、大声を出した。その拍子に、体に痛みが走った。
「あ、う、うん。見た目ほど酷くなかったって、藍様が言ってたけど…私としては、あなたの方が心配だよ」
そう言った少女にも、体のあちこちに包帯が見える。
「ごめんね…藍様が、酷い事しちゃって……。たぶん私を攻撃したって勘違いしたみたいなの……」
「……そう……」
何とも運が悪いな、と美鈴は思った。
「だから…体が治るまで、ここにいていいよ?」
「……うん」
美鈴は、橙の言葉に頷いた。
その後。美鈴は藍と会い、謝罪を受けた。
「本当にすまなかった。私の早とちりで、橙を治療してくれたあなたをこんな目に遭わせてしまって……」
「もういいですよ。私、こう見えて結構頑丈なんです。これくらいなら、一日もすれば動ける様になりますよ」
そう言って、布団から体を起こす。まだ痛むが、耐えられない程ではない。
「……あ、でも……」
「…何か不都合が……?」
「私、主人にお使いを頼まれている最中なんです。困ったなあ……この体じゃ、明日までにお使いを済ませて帰れないな……」
自分の体の事よりも、そちらの方が心配であった。
「…! そ、それは本当に申し訳ない…! …何か私に手伝える事はないだろうか…!?」
「え…いいんですか?」
「勿論だ。元々私の不始末。償い、と言う訳にはいかないだろうが、これくらい、させてくれ」
その言葉は、美鈴にとってありがたいものだった。
「……それじゃあ、私の代わりに、お使いに行ってきて貰えませんか?」
「ああ、分かった。で、何を持ってくればいいんだ?」
「ええっとですね……」
藍は、美鈴からお使いの内容を聞くと、すぐに出かけていった。あの速さなら、明日の朝までには帰って来られるだろう。
「いってらっしゃ~い」
手を振り藍を送り出す橙。藍の姿が見えなくなるのを見届けると、今度は美鈴の所へ走ってきた。
「美鈴さん、ありがとう。私の怪我、治してくれて」
「あ、え? う、うん。でも、本当に大丈夫だった?」
美鈴がそう言うと、橙は美鈴の手を取って、握った。
「………あ」
「……うん。美鈴さんの手、とっても暖かかったよ……」
「………」
少し、頬が緩んだ。
「…あなたの手だって、暖かいよ」
「……うん。美鈴さんのお陰」
何故だか良く分からないけど、嬉しくなった。
二人は、そのまましばらく互いの手を握り合っていた。
次の日。美鈴が目を覚ますと、外の様子が一変していた。
世界が、昨日までの寒さが嘘の様に、暖かい陽気に包まれていた。
「うわあ……」
思わず、声が漏れた。見事な、桜。幻想郷は、すっかり春になっていた。
「咲夜さんが、冬を終わらせたんだ…」
咲き乱れる桜に目を奪われていると、背後から、声が聞こえた。
「うわ~っ! すごいよっ! 急に春になっちゃったあ!」
振り返ると、そこには目を輝かせた橙が立っていた。
「あ、おはよう。橙ちゃん」
「おはよう! 美鈴さん! 怪我は大丈夫?」
「あ、うん。もうだいぶ治ったよ」
そう言いながら、体を動かし、平気な事をアピールする。
「ほら、ね」
「良かったー」
にこ、と笑う橙。美鈴もつられて笑った。
「ただいまー」
ちょうどその時、何かが飛んできた。藍だった。
「あ、おかえりなさい。ご苦労様です」
「なに、このくらい。美鈴殿、これでよろしいか?」
藍が持っていた荷物を差し出した。美鈴は、中身を確認する。
「………はい。確かに、これです。わざわざ、ありがとうございました」
「いや、礼を言う必要は無いよ。これくらい、当然だ」
「…ありがとうございます」
こうして、お使いは、完了した。後は、紅魔館に戻るだけだ。
「それでは、私はそろそろ戻らないと…」
美鈴は荷物をまとめ、マヨイガから去ろうとした。
「…待ってくれ。私達も行こう」
「行く行く~」
藍と橙が、突然そう言った。
「え……?」
「あなたの主人にも、詫びが必要だろう」
「いえ、そんな……」
「それに……」
「…?」
「道案内が、必要では?」
「………あ」
至極もっともだった。そもそも、美鈴がマヨイガに迷い込んだ事が始まりだったのだから。
「あ、それじゃあ…お願いします…」
こうして、三人は一路紅魔館へと足を進めた。
「………大きい………」
橙が、ぼーっと紅魔館を見上げる。まるで、初めて雪を見た子供の様に。
「こら、橙。あんまり呆けるな。笑われるぞ」
「………………」
聞いていない。
「うふふ」
美鈴は、つい微笑んだ。そう言えば、自分も初めてこの建物を見た時は、似たようなものだった。
「ほら、笑われた」
「………………」
やはり、聞いていない。
「それじゃあ、行きましょうか」
そのまま門を通り、二人を庭内へと案内する。すると、その途中。
「お帰りなさい、美鈴。………あら? そこの二人は……?」
玄関から、誰かが出てきた。
「あ…咲夜さん。ただ今戻りました」
「ご苦労様。…それで、この二人は………あら?」
咲夜の動きが、止まった。そして、その視線の先には―――
「………………あーーーーーーっっっっ!!!」
突如、橙が大声を上げる。思わず指した指の先には、咲夜の姿。咲夜の視線の先にも、橙。二つの視線が、絡み合う。
「………?」
「………何だ?」
状況が呑み込めない美鈴と藍は、頭にクエスチョンマークを浮かべた。
「ら、藍様! こいつ! この人間! 私を、いじめた人間だよ!!」
「……何っっ!!?」
「えっ………!?」
藍と美鈴も、大声を上げた。
「説明して貰いましょうか、美鈴」
咲夜は、冷ややかな目で美鈴を見る。
「あのっ…それは…」
「そこの人間」
美鈴が答えようとする前に、藍の言葉が美鈴の言葉を遮った。
「橙を苛めたのは、お前だな?」
「あら……だとしたら、どうするの?」
「許さん」
藍の妖気が膨れ上がる。
「あら、やる気? それならこっちも降りかかる火の粉は払わなきゃ」
咲夜も、ナイフを両手に構える。まさに一触即発だった。そして、そのまま二人が構えて―――
「―――止めてくださいっっ!!!」
「!」 「!」
二人の間に、美鈴が割って入った。
「退きなさい、美鈴。どうしてあなたが邪魔をするの? そう言えば、どうしてあなたはこいつらと一緒に帰ってきたのかしら?」
「退くんだ、美鈴殿。あなたがこの人間の知り合いと分かった以上、どうすればいいのか分からない」
双方から掛かる、巨大な重圧。押し潰されそうになりながらも、美鈴は何とか声を絞り出した。
「駄目……です、咲夜さん。藍さんは……怪我をした私の代わりに、お使いに行ってくれたんです…」
自分がその藍に怪我を負わされた事は、言わなかった。
「それに……藍さん。咲夜さんは…私に、いえ、この紅魔館にとって、大事な人なんです、だから…」
必死に二人を止めようとする。
「しかし……美鈴殿! この人間は、橙を……!!」
そう言いかけた藍の胸に、何かが飛び込んできた。
「………藍様! もういいよ……」
「……橙!?」
それは、橙だった。藍の体を、懸命に止めている。
「いいの……美鈴さんが治してくれたから、私もう全然元気だし。だから、美鈴さんをいじめないで……」
「………橙………」
「さっきは、びっくりしてつい大声出しちゃったの。でも、もう私は仕返しなんて考えてないよ……。それに、最初にあの人間にちょっかい出したのは、私だもん……」
「………」
すっ、と藍が構えを解いた。
「…分かったよ。橙がそこまで言うのなら。だが……」
じろり、と咲夜を睨む。
「…そっちにやる気が無いのなら、こっちだって無理に戦おうとはしないわよ」
そう言って、咲夜はナイフを仕舞った。
「……ありがとうございます。咲夜さん、藍さん……」
美鈴は、二人に礼を言う。
「そのかわり、ちゃんと説明して貰うわよ」
「……はい」
「…そう。そんな事があったの」
その後、美鈴は咲夜に事の顛末を話した。その時、美鈴が藍に怪我を負わされた事も話した(隠し事を見透かされた)が、その場は何とか抑える事が出来た。
「美鈴が『色々と』お世話になったようだけど……まあ無事だったし、良しとしましょうか」
「こちらも橙が『色々と』お世話になったが……まあ無事だったので、良しとするか」
しかし、相変わらず咲夜と藍の間には、見えない火花が散っている様に見える。
「さ、咲夜さん! これ、レミリア様に頼まれていたものです!」
それを察知した美鈴は、慌ててお使いの品を咲夜に差し出した。
「…ご苦労様。これでやっとお花見が出来るわね」
「そうですね」
それじゃ、と咲夜は館内に戻ろうとした。
「あ、あのっ!」
その後ろ姿を見て、美鈴は思わず声をかけた。
「…何?」
「あの、お花見ですが………この二人も、招きたいのですが……」
「………え?」
驚きの目で美鈴を見る咲夜。もっとも、それは藍と橙にとっても同じだったらしく、意外そうに美鈴を見た。
「…美鈴殿。私達は何でも構わないのだが、そちらが、その……」
藍は、咲夜の事を言っているのだろう、少し遠慮気味だった。
「…私の一存では決められないわ。お嬢様にお伺いを立てないと……」
「いいわよ、咲夜」
玄関から、聞き慣れた声。
「!? お嬢様!?」
「何か外の様子が騒がしかったものだからね、ちょっと様子を見に来たの」
そのまま、藍達に近付く。
「私はこの紅魔館の主人、レミリア・スカーレット。貴方達が、お客様?」
「え、あ、ま、まあ」
レミリアの堂々たる雰囲気に、藍も思わずたじろいだ。
「お花見は、大勢の方が楽しめる。美鈴がお世話になった礼も込めて、私は貴方達を歓迎するわ」
日傘を差したこの館の主人は、そう言って微笑んだ。
「あ、ありがとうございます! レミリア様!」
美鈴は、そう言って、頭を下げた。
「ありがとう! レミリアさん!」
橙も、勢いよく頭を下げる。
「……それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
そして、藍はレミリアの申し出を受けた。
「それじゃあ、決まりね。じゃ、咲夜。お花見の準備、頼んだわよ」
「あ、はい、お嬢様」
春真っ盛りの幻想郷。その中にある、紅魔館。普段は静かな佇まいを見せるこの館も、今宵ばかりは少し騒がしい。
「わーいっ! 桜だ桜だー!」
桜並木を駆け抜ける橙。春は気分を高揚させるのか。
「こら、橙! そんなにはしゃぐな! 皆の迷惑になるぞ!」
「きゃはははは………!」
またしても、聞いていない。
「全く……すまんな、美鈴殿」
藍は、隣に座っている美鈴に謝る。
「いえいえ、いいんですよ。子供は元気が一番ですから」
「子供……まあ、その様なものか…」
元気にはしゃぎ回る橙の姿は、まさに子供そのもの。
「それに、うちにもこういうのが好きな方がいらっしゃいますし……」
「え…?」
美鈴は、橙の方を指差した。そこには、橙と金髪の少女の姿が。
「ねーねー、弾幕ごっこしよー?」
「え~…もう弾幕はこりごりだよ~…」
「えー」
フランドールは、少しつまらなそうな顔をしたが、再び桜並木の中へと飛んでいった。
「フランドール、あまり遠くへ行っちゃ駄目よ」
レミリアが、釘を刺す。それをフランドールが聞くかどうかは、不明だが。
「はは……何だか、橙に似ているな」
その様子を見ていた藍が、苦笑する。
「ふふ、そう見えますか?」
つられて、美鈴も笑った。
「それにしても」
宴もたけなわになった頃、藍が美鈴に話しかけてきた。
「?」
「昨日といい、今日といい、あなたには感謝している。橙を助けてくれたし、花見にも招待してくれた。本当に、ありがとう」
「…いいえ、そんな。ただ、私は皆で楽しくお花見をしたかったんです。春が、来た証に」
上を見上げる。頭上の桜からは、花びらがはらはらと舞い落ちている。
「春……か。いいものだな、桜は」
「ええ、そうですね……」
「………」
藍がしばらくそのまま桜を眺めていると、美鈴が徳利を持ってきた。
「……お酒、飲みます?」
美鈴は、藍に盃を薦めた。
「それじゃあ、頂きますか」
藍は、それを受け取った。
「「乾杯」」
こっ、これで彼女の地位が向上したらいいなぁ