頬を撫でる風に目を覚ます。
体があちこち痛む。
けれどそんなことを言っている場合でもないのだ。
この風、空、匂い。
これは───
春。
だとすれば私は。
痛むからだに、傷だらけになった翼に鞭打ってでも。
空を駆け、世界に春を伝えに行かねばならないのだ。
飛ぶ、飛ぶ、高く飛ぶ、速く飛ぶ。
飛ぶ先は必ずすでに「春」であり、桜吹雪に妖怪たちが歓喜していた。
つまり。
春を伝える必要などどこにも無かった。
私は冬を探す。
上空から見下ろす幻想郷は、狂ったように咲き誇る桜の花びらに満ちていて。
狂気のごとく「生」があふれていた。
私は始めて「春」に恐怖する。
生きると奪うは同意である。
桜はその下に亡骸があり、それがあるがゆえ美しいと言われるように。
生を求め、他を圧倒してでも自らを主張する桜。
美しさの裏側にただ貪欲さを隠しているようで───
頭を軽く振る。
私に必要なのはそんなことではない。
ただ、春を伝えること。
それだけでいいのだから。
やがて私は「冬」を見つけた。
枯れ木の森にぽっかりと空いたちいさな広場に。
二人の氷精とともに。
その広場は静寂に満ちていた。
ざわめく幻想郷をどこかに追いやって、この空間は成り立っている。
私が二人の後ろに降り立つと、雪を踏む音に一人がこちらに気がついたようだった。
眠っているらしいもう一人に膝枕をしながら振り返る。
「……そう…もう時間なのね……。」
その表情に、その言葉に。
私は「彼女に春を伝える」ということの意味を知った。
伝えれば彼女は消える。
伝えなければ?
なにも起こらない、どの道彼女は消える。
なのに、私は彼女に春を伝えたくは無かった。
俯いて黙り込む私に彼女が声をかける。
「ねぇ?……膝枕、代わってもらえるかしら?」
私は逡巡した後顔を上げる。
彼女の表情は相変わらず寂しげで、だけど優しさに満ちた表情。
だから私は頷いた。
───頷く以外に方法があったのだろうか?───
雪を踏みしめ歩く。
私が歩いた後にはもう雪は残っていなくて、芽吹く若草があるばかり。
すぐ隣まで歩いていって、私はようやく彼女に声をかけた。
「こんにちは。冬の忘れ物さん。」
「こんにちは。春の妖精さん。」
私たちは不器用に微笑んだ。
彼女の隣に座り、眠る妖精の頭をこちらにずらす。
枕が換わったとたんにその子が寝苦しそうにたのに、私たちは顔を見合わせて笑った。
しばらく妖精の寝顔を眺めていた彼女はそっとその子の頬を撫でると、私が作ってきた「春の道」へと向いた。
「それじゃあ、その子を頼むわね。…あなたの最後の仕事も、その子だろうから。」
言って、まるで未練なんて無いみたいに歩き出す。
でも私は、
「ごめんなさい。」
どうしてもそう言わずにはいられなかった。
すぐ後ろに、まだ冬の気配。
それは一度背伸びをしてから、
「あなたが悪いわけでもないわ。 それに季節を憎むことはできないもの。」
笑いながら言った。
強い人だな、と思う。
暖かくて、こころに沁みる。
冬の冷たさを知っているから、春の暖かさを知れるのか。
だから私は笑顔で、振り返らずにこう聞いた。
「また、逢えますか?」
すると後ろから笑い声が返ってきた。
「ふふふ…。おかしなことを言うのね。本来なら追い立てる存在の私にそんなことを聞くなんて。」
だとしても、でも。
「逢えますか?」
僅かにでも、ただの一言でも、彼女ともう一度。
「逢えるわよ。きっと。莫迦みたいに短い時間だろうけれど。」
彼女が言って、私は微笑んで。
春風が吹いて。
辺りから冬の気配が消えて。
私は、少しだけ泣いた。
雪がすっかり無くなって、辺りから白が消えて一転、緑。
幻想郷の冬はもう終わってしまって、私の仕事も後一つ。
膝の上の妖精が目を覚ます。
「あんただれ?」なんてひどい口調。
起き上がったその子の頭を一撫でして、私はただ一言。
「春ですよ。」
伝え終わると、私の体は薄れていった。
また冬を待とう。
また春を待とう。
春と冬の境界に、一言だけ。
季節が一巡りして、「変わらないね。」って言ってそれでお仕舞い。
緑に再び白が加わる。
今年一番最後に春が来た場所に。
三角帽子を揺らす春風が幻想郷を駆け抜けていった。
体があちこち痛む。
けれどそんなことを言っている場合でもないのだ。
この風、空、匂い。
これは───
春。
だとすれば私は。
痛むからだに、傷だらけになった翼に鞭打ってでも。
空を駆け、世界に春を伝えに行かねばならないのだ。
飛ぶ、飛ぶ、高く飛ぶ、速く飛ぶ。
飛ぶ先は必ずすでに「春」であり、桜吹雪に妖怪たちが歓喜していた。
つまり。
春を伝える必要などどこにも無かった。
私は冬を探す。
上空から見下ろす幻想郷は、狂ったように咲き誇る桜の花びらに満ちていて。
狂気のごとく「生」があふれていた。
私は始めて「春」に恐怖する。
生きると奪うは同意である。
桜はその下に亡骸があり、それがあるがゆえ美しいと言われるように。
生を求め、他を圧倒してでも自らを主張する桜。
美しさの裏側にただ貪欲さを隠しているようで───
頭を軽く振る。
私に必要なのはそんなことではない。
ただ、春を伝えること。
それだけでいいのだから。
やがて私は「冬」を見つけた。
枯れ木の森にぽっかりと空いたちいさな広場に。
二人の氷精とともに。
その広場は静寂に満ちていた。
ざわめく幻想郷をどこかに追いやって、この空間は成り立っている。
私が二人の後ろに降り立つと、雪を踏む音に一人がこちらに気がついたようだった。
眠っているらしいもう一人に膝枕をしながら振り返る。
「……そう…もう時間なのね……。」
その表情に、その言葉に。
私は「彼女に春を伝える」ということの意味を知った。
伝えれば彼女は消える。
伝えなければ?
なにも起こらない、どの道彼女は消える。
なのに、私は彼女に春を伝えたくは無かった。
俯いて黙り込む私に彼女が声をかける。
「ねぇ?……膝枕、代わってもらえるかしら?」
私は逡巡した後顔を上げる。
彼女の表情は相変わらず寂しげで、だけど優しさに満ちた表情。
だから私は頷いた。
───頷く以外に方法があったのだろうか?───
雪を踏みしめ歩く。
私が歩いた後にはもう雪は残っていなくて、芽吹く若草があるばかり。
すぐ隣まで歩いていって、私はようやく彼女に声をかけた。
「こんにちは。冬の忘れ物さん。」
「こんにちは。春の妖精さん。」
私たちは不器用に微笑んだ。
彼女の隣に座り、眠る妖精の頭をこちらにずらす。
枕が換わったとたんにその子が寝苦しそうにたのに、私たちは顔を見合わせて笑った。
しばらく妖精の寝顔を眺めていた彼女はそっとその子の頬を撫でると、私が作ってきた「春の道」へと向いた。
「それじゃあ、その子を頼むわね。…あなたの最後の仕事も、その子だろうから。」
言って、まるで未練なんて無いみたいに歩き出す。
でも私は、
「ごめんなさい。」
どうしてもそう言わずにはいられなかった。
すぐ後ろに、まだ冬の気配。
それは一度背伸びをしてから、
「あなたが悪いわけでもないわ。 それに季節を憎むことはできないもの。」
笑いながら言った。
強い人だな、と思う。
暖かくて、こころに沁みる。
冬の冷たさを知っているから、春の暖かさを知れるのか。
だから私は笑顔で、振り返らずにこう聞いた。
「また、逢えますか?」
すると後ろから笑い声が返ってきた。
「ふふふ…。おかしなことを言うのね。本来なら追い立てる存在の私にそんなことを聞くなんて。」
だとしても、でも。
「逢えますか?」
僅かにでも、ただの一言でも、彼女ともう一度。
「逢えるわよ。きっと。莫迦みたいに短い時間だろうけれど。」
彼女が言って、私は微笑んで。
春風が吹いて。
辺りから冬の気配が消えて。
私は、少しだけ泣いた。
雪がすっかり無くなって、辺りから白が消えて一転、緑。
幻想郷の冬はもう終わってしまって、私の仕事も後一つ。
膝の上の妖精が目を覚ます。
「あんただれ?」なんてひどい口調。
起き上がったその子の頭を一撫でして、私はただ一言。
「春ですよ。」
伝え終わると、私の体は薄れていった。
また冬を待とう。
また春を待とう。
春と冬の境界に、一言だけ。
季節が一巡りして、「変わらないね。」って言ってそれでお仕舞い。
緑に再び白が加わる。
今年一番最後に春が来た場所に。
三角帽子を揺らす春風が幻想郷を駆け抜けていった。