※ この話は京極夏彦氏の「絡新婦の理」のパロディ成分を含みます。
あらかじめご了承ください。
「お前が――黒幕だったのか」
幻想郷に桜が舞っている。
今までの遅れを挽回してみせようと咲き乱れては散り落ちる。
ざぁ、と風が吹けば景色も霞むほどの花吹雪。
ところどころには溶けかけた残雪。
鮮やかな桜色に染まる絵に墨を垂らしたかの如き影がある。
黒衣の少女。
そして対峙するのは雪のように白い少女である。
黒い少女が再び口を開いた。
「つまりお前は、失いかけた自分の居場所を維持するために、
この騒動を引き起こした――そう考えていいのか」
舞い散る桜に半ば隠れて白い少女の面差しは定かではない。
「あの楼閣に忍び込み、とある書物をほんの少しだけ目立つ所に置いた。
お前がしたことはそれだけだ。そして結果は」
白い少女は猶も言葉を返さない。
降りしきる花びらを浴びて端然と佇むばかりである。
「冬は確かに長引いた。お前さんの居場所もいつもよりは長く残った。
それでも春は――来た」
「――ええ」
黒い少女には解らなかった。
目の前の少女は自らの計画が破れたと云うのに何故――笑っているのか。
「私を恨んでたりしないのか」
巫山戯た問いだと自分でも思う。
彼女の計画を破綻させたのは他ならぬ黒い少女であったのだ。
「春が来れば立ち去るのが私の宿命。
夜が来れば人は眠りに就くでしょう? 同じことよ。
それを本心から厭うたことは一度もない。
いずれ季節は巡りくるのだから」
「ならば何故――」
こんなことを。お前は。
「只の余興。戯れよ。
結果なんてどうなろうとよかった。
だからあなたを恨めしいとは思わないけれど――
そうね、あなたのことが羨ましいとは思う」
「羨ましい? 私が?」
「あなたの今日は昨日とは違う。
今日と明日も、明日と明後日も、そしてその次の日も。
それぞれが皆かけがえのない意味を持っている。
「でも私にとっては、明日は今日であり、今日は昨日であり、
百年前の今日も、千年前の今日も、例え千年後の今日であろうとも、
何も違いはない」
「そんなことは――」
「あなたのいちばん旧い記憶はなぁに?
母親の顔? 初めて魔法を使ったこと?
私のいちばん旧い記憶はね――
今と変わらず無為に過ごすだけの日々なの。
それがいつのことかも、もう判らなくなってしまったけど」
只ひたすらに繰り返しては永遠に続く。
それでこの少女は時の意味を見失ったのか。
「お前は確かに私なんかよりずっと永く生きてるかもしれない。
だけど、毎日が同じなんてことは」
「この桜。一つとて『同じ花びら』は無いけれど」
ついと空に腕を伸ばし一枚の花びらを摘まむ。
白い指先に挟まれたそれは凍てついて砕けた。
「ほら。これで何かが変わった?」
花びらを摘まむ。砕ける。
摘まむ。砕ける。
「一枚や二枚が凍り朽ちようと、何も変わりはしない。
あらゆるモノの価値は量に反比例して薄まっていくのよ。
そして量が無限になったとき、個々の価値は零になる。
「だからね――私の日々は薄れ薄れて、もう等しく無価値なの。
それは茫洋とした空に降りしきる雪のようなもの。
時折僅かな変化が起こったとしても、雪の結晶がほんの少しだけ
違う形をしていた、それだけのこと。
そしてその結晶すら瞬く間に溶けて消えてしまう。
あの大騒ぎも一片の雪」
あぁ――
そうか。
この少女はそれでこんなことを仕出かしたのか。
黒い少女は漸く合点がいった。
「――莫迦だな」
先ほどの相手の仕草を真似るように桜に指を伸ばす。
ぽう、と指先が微かに光り、一枚の花びらが小さな水晶に封じ込められた。
黒い少女が緩く腕を振るうと水晶は白い少女の方へ漂ってゆく。
何処からともなくゆるりと現れた糸に繋がれ、桜の水晶はペンダントとして
少女の胸元に納まった。
「ま、餞別ってやつだぜ。
『逢えない間はそれを私だと思って』
な~んて云うと思ったら大間違いだけどな」
「いったい、なんのつもり?」
「なあ、ひとつ訊かせてくれないか。
やっぱり『その花びら』は無価値なままだと思うかい?」
本当にその桜の花に価値は無いのかと。
黒い少女が問いかける。
先ほど朽ちさせた花びらは確かに無価値だった筈だ。
だけど今この胸にある花びらは――
「お前の時間には価値がないとか云ってたな、
そんな事はあんたら妖怪も私ら人間も同じなんだ。
長い短い多い少ない、そんなの詭弁だ。
価値や意味なんて最初からあるものじゃない。
自分でどうにかして意味があるモノにするんだぜ。
「長生きしすぎてこんなことも解らないほどボケちゃったのか?
そんなことないだろ。
むしろお前はそれを『解っていたから』、こんな騒動を起こしたんだ。
違うか」
それは――
そうか。そうだったのだ、と白い少女は悟った。
彼女は我知らず微笑んでいた。
人に云われるまでそんなことも気がついていなかったのか、自分は。
「ふふっ、ご明察だわ。
真相を暴かれちゃったら黒幕はそろそろ退場しないとね。
今年の冬は楽しかったわ、黒い魔女さん」
「それはなにより。だけど来年も同じことを企んだら今度こそ殺すぜ。
私は寒いのは苦手なんだ」
物騒な言葉に反して黒い少女も口の端には笑みを浮かべている。
「そのときはお手柔らかに頼むわ。
私はあなたと違って、黒幕だけど普通だもの」
ざあ。
一陣の風が桜を撒いて駆け抜け、黒い少女は帽子を押さえて顔を伏せる。
風はすぐに凪いだ。
黒い少女は顔を伏せたまま暫くそこに佇んでいた。
おもむろにくるりと向きを変えると、
白い少女に――少女の居た場所に背を向けて歩き出す。
「莫迦いうない、私だって普通だぜ」
呟いた言葉は白い少女の後を追うように桜に溶けて消えた。
“そういやさ、あんたがそのペンダントしてるのいつからだっけ?”
“ああ、これ? そうね、もうずっと昔から”
“冬の精なのに桜のペンダントなんてヘンなの”
“まあ、ね。古い知り合いにもらったのよ”
“ふぅん。大切にしてるみたいね”
“ええ。かけがえのないものだから――――”
(了)
という感じで実に良かったです。かっちょよい。