Coolier - 新生・東方創想話

冬のアムネジア (やや暗めの内容)

2003/10/04 11:03:07
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レティ・ホワイトロックは冬の妖怪である。
だから、それ以外の季節はいつも眠っていて、この春眠――いや、春夏秋眠というべきか――から目覚めると、レティは幻想郷をひとめぐりして、地理を把握するのがつねだった。
もっとも、憶えているのは冬のあいだだけで、長い眠りから覚めるとすっかり忘れているのだけれど。
いや、忘れているのはそればかりではない。
彼女は自分の名前も憶えていないのだ。
幻想郷をうろうろするうち、知った顔(もっとも、レティ当人は憶えていないが)に出くわして名前を呼ばれ、初めて自分の名を思い出す、というのが彼女の最初の仕事だった(もちろん、妖怪に仕事も試験もないのだが)。

「レティ・ホワイトロック?」
振り返ると、羽をもつ妖精がこちらへ飛来してくるところだった。
「そう……それが、私の名前」
「え?」
「いや、こちらの話だけれど。何か、用?」
いいえ、と妖精はかぶりを振った。どこか、寂しさを漂わせて。
「いいの。つい、習慣で呼びとめてしまっただけだから」
「習慣?」
「そう……あなたは憶えていないのね。前の冬も、その前の冬も、わたしはあなたを呼び止めたのだけど」
「悪いわね、私は――」
知っているわ、と妖精。ふわりと宙に浮いたそのたたずまいは、ただの妖精ではなく、大妖精の類かとも思われた。
「あなたに、聞きたいことがあって。……でも、もういいの。あなたは前の冬も、その前の冬も、同じ回答をしたから」
「……『憶えていない』?」
そう、とうなずいて、大妖精は背を向けた。「だから、もう、やめておくわ」
「でも、あなたは聞きたいんじゃない?」
「…………」
「私は、また同じ回答をするかもしれない。でも……聞かなければ、何も始まらないでしょう」
それもそうね――と大妖精はうなずいた。
だが、すぐには言葉を口にしない。それだけ、彼女にとっても、重い問いなのだろう。
「レティ・ホワイトロック――」
「ええ」
「あの子が――チルノが、どこに行ったか、知らない?」
その名は、記憶になかった。いや、それ以外の名も、今の彼女の記憶にはないのだが。
「憶えて――いない」
そう、と大妖精は息をつき、羽を広げた。
「それなら、いいの。さよならレティ。もう――もう二度と、あなたに問い掛けることはないと思うわ」
悄然と飛び去る彼女を見送りながら、レティは思う――
大事なものだったのだ。
彼女が忘れてしまったものは。
虚空に、手を伸ばす。そこに、なくしたものがあるかのように。
しかし手は何も掴めなくて。むなしく開閉するだけで。
(ああ)
“――レティ”
(私を呼んでいた、あの声)
“レティ”
(あの声を、私は――)


「――レティ・ホワイトロック!」
うたた寝をしていたレティは、自分を呼ぶ声で目を覚ました。
「やあ……おはよう」
「何度も呼んだのに。聞こえなかったの」
と血の気のない唇を尖らせたのは、湖上の氷精・チルノ。
悪かったわね、とレティはその唇を軽くつついた。
「ちょっと、眠くなって……ね」
あ、とチルノは悟ったように声をあげた。
「そっか……もう……」
「そうね」レティは空を見上げた。どこまでも続く、灰色の曇天。
しかし、吹く風からは確実に、寒気が失われはじめている。
「あと、数日というところかしら」
「――っ」
無言で、チルノは彼女の袖を握った。
レティもまた言葉はなく、その手をとる。
伝え合う冷たさだけが、互いの気持ちを顕わしていた。
冬の妖怪であるレティ・ホワイトロックは、春が訪れれば眠りにつかねばならない。
「また、冬が来れば」
さとすように、氷精の小さな耳に囁く。「逢えるわ」
それはそうだろうけど、とチルノはうつむいた。
「レティは、忘れるんでしょう――」
ああ、とレティは気づいた。それを気に病んでいたのか、と。
彼女は冬を終え、春、夏、秋のあいだ眠りつづけ、新たな冬を迎えると、体験したことをあらかた忘れてしまう。
それは、いうなら『理(ことわり)』であって、べつだん好いとも悪いともいえないことだったし、レティも不都合を感じたことはなかった(もっとも、あったとしても憶えていないだけかもしれないが)。
だが――
小さな手。
冷たく、柔らかく、ここちよいチルノの手。
この手は――この手の感触は忘れがたい、とレティ・ホワイトロックは思う。
おてんばで悪戯好きだけれど、ひどく寂しがり屋なところもある、この氷精。
彼女とすごしたこの冬は、とても、愉しかった。
でも、それも……もう、終わりなのだ。
「冬が……」
「え?」
「冬が終わらなければ、レティは、消えなくていいんでしょ」
それはそうだけど、と苦笑する。「無理なことよ。時間でも止められれば話は別だけれど」
むろん、そんな力は二人にはない。
「終わらない」
ぐ、とチルノは彼女の手を握り締めた。「この冬は――終わらせないから」
その手を握り返しながら、レティは思った――それなら、どんなにいいだろう、と。

(春――春――春ガ――来タ)
まだ冷たい風を翼にはらみ、リリーホワイトは大地をめざして下降していく。
春の運び手と呼ばれる彼女は、春とともに生まれ、春とともに去りゆく理をもつ妖精である。
と、彼女の行く手を目指して上昇してくる影があった。
薄い羽をもつ、妖精らしき娘。
(春――)
リリーホワイトは翼を広げた。それは春の訪れを告げるための行為。
「あんたに――怨みはないけど」
だが相手は、彼女の行為を気に止めず、やおら襲いかかってきた。
痛烈な冷気が、リリーホワイトの小春日和結界を侵す。
(春ッ)
春の息吹きを撒き散らしながら、妖精の攻撃を回避する。
「――春は、来させないっ!!」
襲撃者は、彼女の上空までひとっとびで飛翔するや、氷の弾丸の雨を降らせた。
(春――)
かろうじて避けたものの、飛行体勢を乱されたリリーホワイトは、己の最期を覚悟した。
「――これで――」
妖精が、いざとどめの一撃を放とうとした、その刹那、
――ごう
吹いていた。春一番の、南風。
「うあ……」
風を浴びただけで、身体を折り曲げ、のたうつ妖精。
その隙を、リリーホワイトが衝いた。
(春ガ―――)
それは冬のなごりの根雪をも溶かし、温水と化して流し去る暖気の一閃。
(―――来タ)

“レティ”

名前を呼ばれた気がして、ふとレティは意識を取り戻した。
が、しばらくしても誰も話しかけてこない。
(空耳かしら)
春はもう間近だった。彼女が無に還り、ふたたび冬が巡り来るまで眠りにつくのも。
(あの子は、どうしたかしらね)
自分を慕ってくれていた妖精の娘のことが、頭をよぎる。
だが、もう、名前も思い出せなかった。
ただ――彼女が自分を呼んでいた声だけは、耳朶に残っている。
何もかも忘れ、冬にまた生まれ変わっても、それだけは憶えていられる……そんな気がした。
(次の冬が来たら)
名も思い出せない、しかし大切なひとに呼びかける。
(また、私の名前を呼んで頂戴)
身体に風穴が空く感覚。
(そうすれば、私は――)
数知れぬ冬の一つではない、たったひとつのこの冬の日々を、思い出せるだろうから。
体内を吹き抜けていく春風を感じながら、レティ・ホワイトロックは、そう思った。

“レティ”

“この冬は、終わらないよ”
amnesia=記憶喪失、記憶消失といった意味合いで。
STR
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コメント



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1.40すけなり削除
ぐ…なんか切ないっす…。
2.40AR削除
こういう話もいいですね・・・
3.40諸田真削除
チルノは消えちゃったの?レティ…チルノのことを思い出してくれ……_| ̄|○
4.30名無し削除
STRさんお久しぶり。切なくて、いいですね。