――愛している、心の底から。
レミリア・スカーレットの最期の言葉はそんなありふれた言葉で締めくくられた。
◆◆◆
お姉様が死んだ。
まるで冗談の様な言葉だと我ながら想う。
不死の象徴たる吸血鬼が心臓に杭を打たれることなく死んだのだ。これが悪い冗談でなくて何だと言うのか。
しかし純然たる事実はいかのようにも代えられない。
すでに決定づけられてしまった過去の改変は森羅万象を知り尽くす魔女にも、四千年を越える歴史を修めた武術家にも、あらゆるものを破壊する眼を保つ悪魔にも、手の届かぬ領域であるからだ。
死因は餓死。
かつての爛漫とした瞳は窪み、髪は痩せ細り、あばらをうかせて、すかすかの服を着て死んでいた。
咲夜が死んでからお姉様は人の血を吸わなくなった。この日が来ることは誰もが知っていて、止めようと足掻き、そして失敗した。
その結末がこれだ。
お姉様の骸を眺める。涙は流れて来ない。喪失感だけがあった。何か大事なものが欠けてしまった。
取り返しのつかない何かを欠いてしまった。静かな実感だけがそこにあった。
美鈴がお姉様を抱きしめる。お姉様の耳元で何かを囁き、そしてぼろぼろと涙を流した。
あのいつも仏教面のパチュリーですら目を見開き、何よりも大事にしてる本を床に落とし、静かに泣いている。次々と妖精メイド達があらわれ、彼女らも涙を流し、お姉様を悼んでいた。
ああ――お姉様は、愛されていたのだ。
こんなにも愛されていたのだ。
紅魔の館の誰もが朱に濡れた涙を流し、お姉様の死を慟哭する。
何故だ、と美鈴は吠えた。
お姉様に対する問いではない。お姉様は人を愛しすぎたが故に、それを口にすることができなくなってしまったのだ。精神が妖怪を形作る。
もはやレミリア・スカーレットの死は、運命を律する瞳を持っていなくとも、誰とて理解できることだった。
それでも、と他に方法はないかとずっと模索を続けてきた。
誰も彼もがお姉様の死を遠い未来のものに押しやろうと、足掻き苦しんでいた。
だから、美鈴の言葉はお姉様に対してのものではなく、己に向けられたものなのであろう。
どうして助けることができなかったのだと、彼女は長い生涯を永遠に悔やみ続けるのだろう。
愛故に。お姉様への愛故に、彼女は苦しみ続けることだろう。
パチュリーは言葉を発することすら放棄していた。
ぺたんと地面にへたりこみ、はらはらと静かに涙を流し続けている。まるで壊れた如雨露のようだ。
彼女の瞳はものを情報としてしか捕らえない。自らの四肢に至る全ての器官は世界の真理を暴くためのみに存在していると、信じて疑わなかったパチェリーは、人すら情報の塊としか認識をしない。
その彼女が唯一例外とした親友の死に対して、凡愚のように涙を流すことしか出来ない。
世界を暴くための知恵を何に対しても利用できず、死という現実に打ちのめされることしか出来ない。
あまりにも無力で、どうしようもなくて、彼女の求道に対して永遠の傷をつけることだろう。
彼女の道は純粋のものでなくなってしまうだろう。
皆が嗚咽する。悲劇が紅魔館を支配する。お姉様への愛が、皆を哀しませる。
――よかったね、お姉様。
心の中で私は呟いた。
よかったね。よかったね。本当によかったね。
こんなにも愛されていたよ、お姉様―――。
◆◆◆
「私は死ぬぞ、妹」
「うん、まあ、そうだろうね。知っている」
当然に決まり切った結末をお姉様は口にする。
あまりにも当然のことを言うものだから、私は欠伸を噛み殺すので精一杯だった。
「きっと皆は泣くだろうな」
「そりゃあ泣くでしょう。お姉様が死んだら皆悲しいもの」
「だがな、フラン。お前は泣かないだろう?」
お姉様は何かをうまく言ってやったぞ、と言わんばかりの自慢げな顔を浮かべた。
傲慢不遜の貌である。私は何の根拠もないのに自信に満ちあふれているお姉様が大好きなので、こんどおやつに出るプリンを目の前で食べてやろうと心に決めた。
「泣かないかも知れないし、泣くかも知れない。そんな仮定のはなし、分からないよ」
「うん、確かにそうだ。しかしお前は泣かないよ。お前はそういう奴だ。そういう奴だから私の妹たり得るんだ。胸をはれ」
「うーん。相変わらず意味不明で困る。1人で勝手に完結させるのは悪い癖だよ、お姉様」
「なに、私は好き勝手やって死ぬ。それを押しつける相手がいるというのは幸せなことだということだ」
「うわあ」
私、ドン引き。
何もかもを自分の都合で投げ打って、それを私に押しつけようとしているのだから、これはかなりドン引きである。
姉として最悪最低の部類。まさに悪魔の所業。確実に地獄に堕ちる業の深さである。
部屋を見渡しているお姉様になんと言い渡してやろうかと迷っている内に、お姉様が苦笑を漏らした。
「うん。その辺は自覚はあるんだ。でもしょうがないだろ。実際に食べられなくなったんだから。あれは私の半身だったからな。片方が死ねば、片方もそう長くは保たない。自明だよ。いやあ、むしろ長く保ったほうだと想うね、私としては」
「そりゃあ、美鈴もパチュリーも他の皆もお姉様の延命にひた走っているからね。彼女たちにおかげでしょ」
私が冷たく突き放すようにそう言うと、お姉様は赤子をあやすように私の頭を撫でた。
それがあまりにも唐突で、意外で、私は想わず涙を流しそうになる。
「そう、怒るな」
「怒ってなんかいない」
「そうか。……そうか。なら、いいんだ」
そう言っている癖に、お姉様は私の頭を撫でることをやめない。
ひどく痩せ細った手で、骨ばかりが浮いている手で、私の頭を撫でる。
この館には私の他に誰もいない。お姉様を助けようと、誰もいない。
「確かに私が悪い。半身が死んだが故に死ぬのは自明であるが、おかげで主としての役目を全うできたとはとてもではないが言い難い。皆には心配ばかりかけてしまった」
お姉様はもはやベットから動くことすらできない。
パチュリーがつくったよく解らない魔法の管を身体に巻き付け、大仰な装置がお姉様を生かしている。そして美鈴が美味しくもない秘伝の漢方を飲ませ、苦痛を伴う気の調整を行い、それを安定させている。
ひゅーひゅー、と管からお姉様の呼吸音が漏れる。かつてのお姉様の姿はどこにもなく、ここには胡乱に死んでいく者が居た。皮と骨だけになった者がいた。
――だが、それももうすぐ終わる。
皆がかけた魔法の時間が切れる刻が来ていた。
「皆には感謝しても感謝しつくせない。できることなら1人1人に声をかけてやりたかったが、それも叶うまい。つくづくこの身体が憎いな」
「うん。でも……お姉様のせいだからね。お姉様が全部悪いんだ」
そうだ、私が悪い――お姉様は呵々と笑った。笑う姿だけはかつてのお姉様のままだった。
「だが、そんな私でもお前は側にいてくれた。これに勝る喜びはないだろう。咲夜のやつにも久しぶりに叱られるかな。迷惑をかけすぎです、と」
「そうだね。咲夜はそういう瀟洒な奴だもん。黒を白と言えないような生真面目な奴だもの」
「しかし、白を黒にするようなペテンな奴でもあった」
どこか懐かしむように、お姉様は目を細める。
楽しかった過去を愛おしむように、お姉様は回想する。
「私はあれの声が好きだった。銀と銀を摺り合わせたような声音が好きだった。私はあれの髪が好きだった。透き通る絹糸のような銀髪が好きだった。私はあれの肌が好きだった。私はあれの手が好きだった。私はあれの歩き方が好きだった。私はあれの頑なさが好きだった。私はあれの――――全てが好きで好きで、愛していた」
お姉様は虚空に手を伸ばす。
何かを掴もうと、震える手を伸ばす。
「あれを好んでいたところを言い出せばきりがない。全く我ながら呆れたものだ。あれのつくったお菓子のためにお前と喧嘩して、館を半壊させたこともあったな。いやあ、懐かしいものだ。今でもハッキリと思い出せるぞ。あの勝利の甘美な味。悔しそうに地団駄を踏むお前。呆れ顔のパチェと、傷だらけで笑う美鈴もいたなあ……」
ここにはいない誰かを捜すように、お姉様は部屋の中を見渡した。
しかし居るのは私独りで、それにお姉様はもうそれを食べることは二度とない。
死が充満している。お姉様は死とあらがい続けている。待ち続けている。
「あのときのこと、まだ、私は赦していないんだからね」
「なんだ。意外と根に持つじゃないか」
「食べ物の恨みは恐ろしいんだよ。末代まで祟ってやるから」
「ええい。お前もあの後で一緒にこっぴどく咲夜に叱られた後、つくってもらっていたじゃないか。私なんか一ヶ月はお菓子抜きだったんぞ」
「自業自得じゃない。まったく咲夜咲夜って。本当にもう!」
「おっ? なんだ? 嫉妬か?」
にやにやと嫌らしい笑みをお姉様は浮かべる。
「安心しろ。私は同様にお前もパチェも美鈴も、この館の者すべてを愛している!」
「ふーん。そう。だったら、まあ、いいかな……」
でも、私はそれは嘘だと想った。
お姉様の一番はきっと咲夜だったのだ。いや、その表現は間違っている。順列をつけること自体が誤りなのだ。彼女はお姉様の身体の一部になってしまうほど、身近な存在だった。
だから彼女はお姉様自身で、彼女が一番愛されていたとかどうとか語ること自体がおかしいのだ。
それでも、少しだけ悔しい。私はお姉様をこの世に繋ぎ止めるだけの鎖になり得なかったのだから。
うつむいてしまった私を、お姉様は諭すように言う。
「私が半身をなくしてもなおここまで生き続けてこれたのは、まさしくお前達のおかげだ。本来なら私は直ぐに死ぬはずだった。お前達という楔があったからこそ、ここまで生きようと思えた。少なくとも、心は生きようと思ってくれた。身体が先に悲鳴をあげてしまったがな」
当たり前のことだろう。
死という事象を覆すのは月の叡智をつかっても不可能なこと。
永遠の姫君達は停滞することによって死を遠ざけている。死にながらにして生きているわけではない。お姉様は既に死を迎えていて、それはどんな特効薬でも治ることのない致命的な終わりだ。
お姉様は最近は特に誰かを捜すように部屋を見渡す。
終わりは近いのだ。それを認めたくなくて、誰も彼もが足掻き――私は足を止めてしまった。それだけだ。
「お前は本当に優しい奴だ。私が悪い。全ては私が悪い。私は私の死を退けるだけの力がなかった。力の足らぬ姉ですまない」
「ホントだよ。……全部、お姉様が悪いんだから」
「その通りだ。言葉もない」
お姉様は笑った。
そして私と、開かない扉を交互に見渡して――告げる。
◆◆◆
――愛している、心の底から。
レミリア・スカーレットの最期の言葉はそんなありふれた言葉で締めくくられた。
レミリア・スカーレットの最期の言葉はそんなありふれた言葉で締めくくられた。
◆◆◆
お姉様が死んだ。
まるで冗談の様な言葉だと我ながら想う。
不死の象徴たる吸血鬼が心臓に杭を打たれることなく死んだのだ。これが悪い冗談でなくて何だと言うのか。
しかし純然たる事実はいかのようにも代えられない。
すでに決定づけられてしまった過去の改変は森羅万象を知り尽くす魔女にも、四千年を越える歴史を修めた武術家にも、あらゆるものを破壊する眼を保つ悪魔にも、手の届かぬ領域であるからだ。
死因は餓死。
かつての爛漫とした瞳は窪み、髪は痩せ細り、あばらをうかせて、すかすかの服を着て死んでいた。
咲夜が死んでからお姉様は人の血を吸わなくなった。この日が来ることは誰もが知っていて、止めようと足掻き、そして失敗した。
その結末がこれだ。
お姉様の骸を眺める。涙は流れて来ない。喪失感だけがあった。何か大事なものが欠けてしまった。
取り返しのつかない何かを欠いてしまった。静かな実感だけがそこにあった。
美鈴がお姉様を抱きしめる。お姉様の耳元で何かを囁き、そしてぼろぼろと涙を流した。
あのいつも仏教面のパチュリーですら目を見開き、何よりも大事にしてる本を床に落とし、静かに泣いている。次々と妖精メイド達があらわれ、彼女らも涙を流し、お姉様を悼んでいた。
ああ――お姉様は、愛されていたのだ。
こんなにも愛されていたのだ。
紅魔の館の誰もが朱に濡れた涙を流し、お姉様の死を慟哭する。
何故だ、と美鈴は吠えた。
お姉様に対する問いではない。お姉様は人を愛しすぎたが故に、それを口にすることができなくなってしまったのだ。精神が妖怪を形作る。
もはやレミリア・スカーレットの死は、運命を律する瞳を持っていなくとも、誰とて理解できることだった。
それでも、と他に方法はないかとずっと模索を続けてきた。
誰も彼もがお姉様の死を遠い未来のものに押しやろうと、足掻き苦しんでいた。
だから、美鈴の言葉はお姉様に対してのものではなく、己に向けられたものなのであろう。
どうして助けることができなかったのだと、彼女は長い生涯を永遠に悔やみ続けるのだろう。
愛故に。お姉様への愛故に、彼女は苦しみ続けることだろう。
パチュリーは言葉を発することすら放棄していた。
ぺたんと地面にへたりこみ、はらはらと静かに涙を流し続けている。まるで壊れた如雨露のようだ。
彼女の瞳はものを情報としてしか捕らえない。自らの四肢に至る全ての器官は世界の真理を暴くためのみに存在していると、信じて疑わなかったパチェリーは、人すら情報の塊としか認識をしない。
その彼女が唯一例外とした親友の死に対して、凡愚のように涙を流すことしか出来ない。
世界を暴くための知恵を何に対しても利用できず、死という現実に打ちのめされることしか出来ない。
あまりにも無力で、どうしようもなくて、彼女の求道に対して永遠の傷をつけることだろう。
彼女の道は純粋のものでなくなってしまうだろう。
皆が嗚咽する。悲劇が紅魔館を支配する。お姉様への愛が、皆を哀しませる。
――よかったね、お姉様。
心の中で私は呟いた。
よかったね。よかったね。本当によかったね。
こんなにも愛されていたよ、お姉様―――。
◆◆◆
「私は死ぬぞ、妹」
「うん、まあ、そうだろうね。知っている」
当然に決まり切った結末をお姉様は口にする。
あまりにも当然のことを言うものだから、私は欠伸を噛み殺すので精一杯だった。
「きっと皆は泣くだろうな」
「そりゃあ泣くでしょう。お姉様が死んだら皆悲しいもの」
「だがな、フラン。お前は泣かないだろう?」
お姉様は何かをうまく言ってやったぞ、と言わんばかりの自慢げな顔を浮かべた。
傲慢不遜の貌である。私は何の根拠もないのに自信に満ちあふれているお姉様が大好きなので、こんどおやつに出るプリンを目の前で食べてやろうと心に決めた。
「泣かないかも知れないし、泣くかも知れない。そんな仮定のはなし、分からないよ」
「うん、確かにそうだ。しかしお前は泣かないよ。お前はそういう奴だ。そういう奴だから私の妹たり得るんだ。胸をはれ」
「うーん。相変わらず意味不明で困る。1人で勝手に完結させるのは悪い癖だよ、お姉様」
「なに、私は好き勝手やって死ぬ。それを押しつける相手がいるというのは幸せなことだということだ」
「うわあ」
私、ドン引き。
何もかもを自分の都合で投げ打って、それを私に押しつけようとしているのだから、これはかなりドン引きである。
姉として最悪最低の部類。まさに悪魔の所業。確実に地獄に堕ちる業の深さである。
部屋を見渡しているお姉様になんと言い渡してやろうかと迷っている内に、お姉様が苦笑を漏らした。
「うん。その辺は自覚はあるんだ。でもしょうがないだろ。実際に食べられなくなったんだから。あれは私の半身だったからな。片方が死ねば、片方もそう長くは保たない。自明だよ。いやあ、むしろ長く保ったほうだと想うね、私としては」
「そりゃあ、美鈴もパチュリーも他の皆もお姉様の延命にひた走っているからね。彼女たちにおかげでしょ」
私が冷たく突き放すようにそう言うと、お姉様は赤子をあやすように私の頭を撫でた。
それがあまりにも唐突で、意外で、私は想わず涙を流しそうになる。
「そう、怒るな」
「怒ってなんかいない」
「そうか。……そうか。なら、いいんだ」
そう言っている癖に、お姉様は私の頭を撫でることをやめない。
ひどく痩せ細った手で、骨ばかりが浮いている手で、私の頭を撫でる。
この館には私の他に誰もいない。お姉様を助けようと、誰もいない。
「確かに私が悪い。半身が死んだが故に死ぬのは自明であるが、おかげで主としての役目を全うできたとはとてもではないが言い難い。皆には心配ばかりかけてしまった」
お姉様はもはやベットから動くことすらできない。
パチュリーがつくったよく解らない魔法の管を身体に巻き付け、大仰な装置がお姉様を生かしている。そして美鈴が美味しくもない秘伝の漢方を飲ませ、苦痛を伴う気の調整を行い、それを安定させている。
ひゅーひゅー、と管からお姉様の呼吸音が漏れる。かつてのお姉様の姿はどこにもなく、ここには胡乱に死んでいく者が居た。皮と骨だけになった者がいた。
――だが、それももうすぐ終わる。
皆がかけた魔法の時間が切れる刻が来ていた。
「皆には感謝しても感謝しつくせない。できることなら1人1人に声をかけてやりたかったが、それも叶うまい。つくづくこの身体が憎いな」
「うん。でも……お姉様のせいだからね。お姉様が全部悪いんだ」
そうだ、私が悪い――お姉様は呵々と笑った。笑う姿だけはかつてのお姉様のままだった。
「だが、そんな私でもお前は側にいてくれた。これに勝る喜びはないだろう。咲夜のやつにも久しぶりに叱られるかな。迷惑をかけすぎです、と」
「そうだね。咲夜はそういう瀟洒な奴だもん。黒を白と言えないような生真面目な奴だもの」
「しかし、白を黒にするようなペテンな奴でもあった」
どこか懐かしむように、お姉様は目を細める。
楽しかった過去を愛おしむように、お姉様は回想する。
「私はあれの声が好きだった。銀と銀を摺り合わせたような声音が好きだった。私はあれの髪が好きだった。透き通る絹糸のような銀髪が好きだった。私はあれの肌が好きだった。私はあれの手が好きだった。私はあれの歩き方が好きだった。私はあれの頑なさが好きだった。私はあれの――――全てが好きで好きで、愛していた」
お姉様は虚空に手を伸ばす。
何かを掴もうと、震える手を伸ばす。
「あれを好んでいたところを言い出せばきりがない。全く我ながら呆れたものだ。あれのつくったお菓子のためにお前と喧嘩して、館を半壊させたこともあったな。いやあ、懐かしいものだ。今でもハッキリと思い出せるぞ。あの勝利の甘美な味。悔しそうに地団駄を踏むお前。呆れ顔のパチェと、傷だらけで笑う美鈴もいたなあ……」
ここにはいない誰かを捜すように、お姉様は部屋の中を見渡した。
しかし居るのは私独りで、それにお姉様はもうそれを食べることは二度とない。
死が充満している。お姉様は死とあらがい続けている。待ち続けている。
「あのときのこと、まだ、私は赦していないんだからね」
「なんだ。意外と根に持つじゃないか」
「食べ物の恨みは恐ろしいんだよ。末代まで祟ってやるから」
「ええい。お前もあの後で一緒にこっぴどく咲夜に叱られた後、つくってもらっていたじゃないか。私なんか一ヶ月はお菓子抜きだったんぞ」
「自業自得じゃない。まったく咲夜咲夜って。本当にもう!」
「おっ? なんだ? 嫉妬か?」
にやにやと嫌らしい笑みをお姉様は浮かべる。
「安心しろ。私は同様にお前もパチェも美鈴も、この館の者すべてを愛している!」
「ふーん。そう。だったら、まあ、いいかな……」
でも、私はそれは嘘だと想った。
お姉様の一番はきっと咲夜だったのだ。いや、その表現は間違っている。順列をつけること自体が誤りなのだ。彼女はお姉様の身体の一部になってしまうほど、身近な存在だった。
だから彼女はお姉様自身で、彼女が一番愛されていたとかどうとか語ること自体がおかしいのだ。
それでも、少しだけ悔しい。私はお姉様をこの世に繋ぎ止めるだけの鎖になり得なかったのだから。
うつむいてしまった私を、お姉様は諭すように言う。
「私が半身をなくしてもなおここまで生き続けてこれたのは、まさしくお前達のおかげだ。本来なら私は直ぐに死ぬはずだった。お前達という楔があったからこそ、ここまで生きようと思えた。少なくとも、心は生きようと思ってくれた。身体が先に悲鳴をあげてしまったがな」
当たり前のことだろう。
死という事象を覆すのは月の叡智をつかっても不可能なこと。
永遠の姫君達は停滞することによって死を遠ざけている。死にながらにして生きているわけではない。お姉様は既に死を迎えていて、それはどんな特効薬でも治ることのない致命的な終わりだ。
お姉様は最近は特に誰かを捜すように部屋を見渡す。
終わりは近いのだ。それを認めたくなくて、誰も彼もが足掻き――私は足を止めてしまった。それだけだ。
「お前は本当に優しい奴だ。私が悪い。全ては私が悪い。私は私の死を退けるだけの力がなかった。力の足らぬ姉ですまない」
「ホントだよ。……全部、お姉様が悪いんだから」
「その通りだ。言葉もない」
お姉様は笑った。
そして私と、開かない扉を交互に見渡して――告げる。
◆◆◆
――愛している、心の底から。
レミリア・スカーレットの最期の言葉はそんなありふれた言葉で締めくくられた。
なんだか終末医療を考えさせられました。
面白かったです。
くだらない