夜中にふと、人間を驚かせてやろうと思い立った。
私は里の大通りから外れた場所に建つ、粗末なボロ小屋の四畳半に独りあって、やることもなくごろごろと転がっている。首は繋がっていないから、それだけが部屋の中央で収まり悪げにふわふわ浮かんでいる。しかし私は気にせず運動して、離れた首の周りを胴体が転げまわるという妙な状態になる。それが出来の悪い怪談か不整合な夢の如く見える。
そうしておかしなことになりながらも、私は、さてどうやって人間を驚愕させようかなと考えを巡らせた。いつものように首を飛ばすだけでは芸がないように思う。間抜けなカラ傘お化けのように、ただ無闇に大声を出すというのも面白みに欠ける。何よりみっともないだろう。私はふうと嘆息した。結局私にできるのは首を飛ばすことだけである。
私は転がるのをやめて立ち上がった。やたらと転がっていたせいか、いささか気分が悪い。首は転がっていないのに、まるで酔ったみたくなるのは妙な話である。私はふらふらしながら戸を開けて、夜の人里へと歩み出た。
外には墨を塗ったような夜空があった。その墨塗りの天辺に半分の月がいて、そこから広がるようにして星々が配されている。そこかしこの家からは明かりがちらちら漏れて、そこだけ闇が退いて白く見えた。誰も歩いてはいない。こんな時間に出歩くのは怖いものなしの無鉄砲か私のような妖怪だけであろう。
しばらくぶらぶら歩き、適当な標的を探すために周囲を見回していると、少し行ったところに人影があるのを見つけた。背は私より少し高いだろうか。腰のあたりで揺れる長髪とふわふわしたスカートで女であることが知れた。
その影は暗がりにあって踊るような動きを見せる。足を踏むと同時に腕を振り、空気を掻き回すようにする。ゆったりすると思うとすぐさま大胆に体を動かす。影が動くたびに髪が流れるようにゆらゆらして、スカートが楽しげに揺れ動いた。私はその動きに見惚れた。真っ暗な場所で、その影だけが色付いたように際立って見えた。
ぼうとしていると、ふっと影がこちらを向き、「誰だ」と平坦な声を出した。私は黙って見ていた気まずさもあって狼狽えたが、こんな夜中にこんなところで踊るような奴が何だと思い、大声で「赤蛮奇だ!」と名乗りを上げた。すると人影は「おおう!?」と驚いたような声を出し、体を大仰に動かして驚愕を表現した。奇妙な動きである。この影は面白いやつなのかもしれない。
そんなことを考えていたら、影がこちらにやってきた。すると今まで判然としなかった姿が、闇の中から浮き上がるようにして出た。それを見て、はてどこかで目にしたことがあるなと思い、よく思い出してみると、影の名前に行き当たった。そいつの名は秦こころといった。先の異変で宗教家やその他の人妖相手に暴れまわった、例の付喪神である。予想以上の大物の登場に、私は少しばかり狼狽した。
「あなたはここでなにをしているの?」
こころは私にそう尋ねてきた。まったく自分のことを棚に上げた物言いに少し憮然としたが、私は素直に「人を驚かせようと思ってうろついていた」と言った。そうすると、こころは「人を驚かせるの、面白そう! 私も混ぜて混ぜて!」と高揚したように叫んだ。どうやら私のやろうとしていることに興味が湧いたようであった。体を動かしながら「いいでしょ? いいでしょ?」と喧しい。彼女の周りにある能面も、それに同調するように激しい動きを見せた。
同行を求めるこころを私は迷惑に思った。そんなに昂ぶられてもなとも思った。目の前のこいつは、お世辞にも人を驚かせることが得意なようには見えない。連れて行って何の役に立つというのか。
「いや、私は独りでやるのが好きなんだ。悪いけどお断りよ」
「ええぇー……」
そう言って断わると、いたく残念そうな声がこころから漏れた。顔は能面らしくのっぺりとしているけれど、声の効果か無念そうに見える。心持ちうなだれたようでもある。その罪悪感を駆り立てる様子に、私はどうしたものかと頭を悩ませた。そうして私が煩悶している間も、こころはじっとこちらを観察している。その目は硝子玉のようにきらきらして綺麗に見える。どうやら連れて行ってもらえるかと期待しているらしい。
しばらく考えた末、取り敢えずこころも連れて行くことにした。このまま残念がられていては私の気分が悪いし、彼女は私よりも強大な妖怪である。やりようによっては人を驚かせるなど容易であろう。どう行動するかは私が指示すればよい。
同行の許可を出すと、彼女は「わーい!」と大げさに喜んだ。声だけ喜んで顔は無変化だから、何やらちぐはぐで不気味である。それに声も大きい。こんな時間に騒がれると目立つから困る。
私が「こら、静かにしろ」と叱りつけようとしたところで、横にある家の戸が半分開き、中から丸頭の禿げ爺が顔を出して「五月蝿いぞ!」と大音声で叱り飛ばした。声が空気を震わせて、そこらに大層おっかなく響いた。横からの強襲に驚いた私とこころは、肩とびくりと跳ねさせ、そのまま石化したよう固まってしまった。爺は私たちが静かになったのを見て、「ふん」と鼻息を吹いて家に引っ込んだ。なんだあの爺は。
爺が消えてしばらくして、こころが「超怖かった……」と、怒鳴られた衝撃と恐怖を私に訴えた。大声を食らったのはこころの自業自得だし、むしろ私は巻き込まれた被害者である。不平を言いたいのはこちらのほうだ。そう思う私をよそに、こころの不満は爺に対する敵愾心へと変化し始めた。最初は「あの爺め許せん!」と言って、表情の伴わぬ怒りを見せていたが、そのうちに狐の面を頭に着けて、「おのれ」「感情を奪ってやろうか」などと恐ろしげなことを呟きだした。顔が能面じみているから、一言一言に妙な凄みがある。もしかしたら本気かもしれない。
もし本気で実行されると騒動になるから、妖怪である私は里に住みづらくなる。それでは困るので、なんとかこころをなだめすかそうと試みた。固まった顔面の前で色々話をしていると、人形を相手にしているかのような気になる。目の前の人形は憤懣やるかたないといった風にそわそわしている。どうやら怒鳴られたのが気に食わないらしい。
根気強い対話の末に、こころは「そこまで言うなら許してやろう」と許容を表明した。そこに行き着くまでにあれやこれや喋りまくったから、もう人間を驚かせるどころではない。疲労困憊である。
「疲れたから帰る」
「ええぇー……」
疲れたから帰ろうと思い、帰宅の意思を伝えると、こころは先と同じように残念がった。そうされると弱いから、なんとかしてやろうという気になる。でも今の私はくたびれているから、こころと一緒に行く元気は残っていない。どうすればいいか考えた結果、明日の夜もこのあたりで落ち合おうということになった。人間を襲撃するのはその時である。
「それじゃあまた明日。バイバイ!」
「はいはい……」
大きな声で別れを告げたこころを、私は手を振り振り見送った。辺りはしんと静まり返り、夜はさらに更けて闇を濃くしている。半月がその濃い闇の中に切り抜かれたようにしてある。家並みから漏れる光も数が減ってもの哀しい。
こころという妖怪は非常に面白い奴だと私は思った。強い力を持っているけれど、驕り昂ることなく天真爛漫として、それだけでなく若い妖怪らしい血の気の多さも見せる。行動に幼さもある。同伴していると疲れるけれど、それと同じくらい愉快な心地がする。私はこころとの短い交流を思い出して薄く笑った。また明日会えると思うとなんとなく楽しくなった。
独り悦を感じていると、近くからかすかに物音がした。おやと思って音のした方を見てみると、そこには鬱陶しげな表情を浮かべた禿げ爺の顔があった。私とこころを叱責した、例の丸頭である。どうやらこころが発した別れ際の大声に反応して出てきたらしかった。
私は急いでその場を離れた。後ろから爺の罵声が聞こえた。走って走って自分の家に戻って来て、そこからは自分でもよく覚えていない。疲れていたからすぐ寝たものと思う。
次の日の夜、私はこころと会うために四畳半を出て、約束した場所に真っ直ぐ行った。昨日と同じく誰も出歩いていない。道程は静かなものとなった。
例の所に来るとこころはすでに到着して、所在無さげにうろうろしていた。狭い路のあっちとこっちを行き来して、時々思い出したように立ち止まる。そうしたと思ったらすっとしゃがみこんで、路傍に生えた草などを観察するようにする。落ち着きのないその姿は十に満たない子供のようにも見える。
私は子供じみたこころの行いを見て、何をしているんだとおかしがる一方で、今日は昨日みたく舞っていないのだなと少し残念にも思った。
「こんばんは」
「こんばんは……」
挨拶をすると、こころは嫌に小さな声でそれに応えた。昨日受けた一喝を大いに反省したらしかった。
「さあ、人間をびっくりさせに行くよ……」
こころは静かな声で意欲を示し、興奮したように腕を振り回した。足元も落ち着きをなくしていてぴょんぴょんと跳ねるようにしている。大きな声を出せないから動きでそれを補おうとしているのかもしれない。私とこころは標的を探すために夜の里の散策を始めた。
歩いている間、こころは「月の光でも影はできるんだね」だとか、「あの暗がりは何かがいそうで怖い」だとか、色々なことを話した。私はそれを聞いてうんうん頷いて、こちらから話すことはなかった。私はもっぱら聞き役であった。
しばらく歩いて、こころが「でね、その部屋で神子様と聖が裸で絡まり合ってて」と言ったあたりで前から人影が近づいてきた。待ちに待った標的である。取り敢えず私とこころはそいつに見つからぬよう物陰に入った。
「じゃあまずは私が……」
「いや、ここはこの秦こころに任せてもらおう」
私が先陣を切ろうとしたら、こころが一歩前に出た。驚かせる自信があるのか、その体には何やらすごい気のようなものがみなぎってように見える。これなら任せても安心だろう。そう思っていると、こころは「驚けこのやろうこらー!」と言って人影に突っ込んでいった。無闇に大声を出して突撃するのがこころ流の驚かせ方らしい。私は呆れ返った。
そうして吶喊したこころは、人影に頭をぐわしと掴まれ、惚れ惚れするような頭突きをお見舞いされた。石と木がぶつかった様な鈍いを音がしたあと、こころは地面にくず折れて、そのまま起き上がらない。死んだかと思う。人影はこころの死体にしばらく説教を垂れて、そのまますたすた歩き去った。その場には物陰に隠れて呆然とする私と地べたに転がる面霊気とが残った。
人影が行ってしまってから、私は倒れ伏すこころに近寄った。
「大丈夫か?」
「うぅ、痛いよぅ」
こころはやっと起き上がった。死んではいなかったが、人影の頭突きが相当堪えたらしく、こころは表情をそのままにぽろぽろと涙をこぼしている。食らったと思わしき額の真ん中は薄紅を刷いたように赤くなって、とても痛そうである。
「馬鹿だなぁ。あんなふうに喚いて突っ込むだけじゃあ駄目よ。もっと妖怪らしいやり方じゃないと」
「くそう、なんだあんな奴。頭に弁当箱乗せやがって」
恨み言を垂れるこころをなだめてから、また私たちは標的探しを始めた。
一刻ほど里の中をぶらぶらしていると、目の前からまた人影がやってきた。酔客らしく、その足取りはふわふわしていて覚束無い。こいつはやりやすい相手だなと私は思った。
さて奴を吃驚仰天させてやろうと前に出たら、横にいたこころが「どうする気だ」と疑問を投げかけてきた。どうする気だとはどういうことだと尋ねると、私の方法が無理だったんだからどうやろうと無理だろうという答えが帰ってきた。どれほどあの突撃法に自信があったのかと呆れそうになったが、それを隠して「まあ見ていなさいな」と言って人影の前に出た。
そいつは若い男で、思った通りべろべろであった。少し離れているのに酒の匂いがする。顔は赤く目は酒に濁って、意味もなくへらへら笑っている。絵に描いたような酔っぱらいである。
突然前に来た私を見て、男は「何だいお嬢ちゃん、俺に惚れちまったかい。まあそれも仕方ないねぇ、俺は格好良いからねぇ」とよく分からないことを言い出した。それを聞いた私は首を男めがけて飛ばし、「じゃあその男前な顔をよく見せておくれ」と脅かしてやった。男はふひゃあと変な声を上げたかと思うと、私から逃げるように駆け出して、幾度かこけたり転がったりしながら凄い速さでこの場を去った。
なかなかいい驚きっぷりだったから、私は胸のすく思いがした。久しぶりに人間が肝を潰すのを見られて愉快である。
ご機嫌なまま後ろにいるこころに向かって「どんなもんだい」と振り返ったら、彼女は尻餅をついていた。そうして倒れたまま私を指して、しきりに「首が」と言う。顔につけた面は眼球の飛び出た妙なやつに変わっている。どうやら私の首が飛んだのを驚いているらしかった。強力な妖怪のそんな情けない姿に、私は呆れの前に楽しさを感じた。
「私はろくろ首、首を飛ばす妖怪よ」と私は言った。「あなただって面を飛ばせるじゃない。それと似たようなもんよ」
「なんだそっか、じゃあ別に怖くないな!」
怖がられていても面白くないから適当に言うと、こころはけろりとして立ち上がった。そうして何事もなかったように「あの人すごい驚いてたねぇ」「次は私も驚かせてみせる」などと言い出した。私は、本当に秦こころという妖怪は面白いなと思った。そしておかしくなってげらげら笑った。
こころは最初、何故笑われているのか分からないようにしていたが、そのうちに火男の面をつけ、一緒になって笑い始めた。静かな夜に、私たちの笑い声だけが高く高く響き渡った。本当に愉快な夜だった。
笑いに笑って少し休んでいたら、向こうにある家から棒きれを振り回しながら禿げ爺が飛び出してきて、「五月蝿いと言っておろうが!」と聞き覚えのある大音声を上げた。どうやらここは、昨日こころが舞を踊っていた場所らしかった。今怒鳴ったのも昨日の爺である。
私とこころは一散に逃げ出した。そうして逃げながら、またおかしくなってげらげら笑った。こころは無表情だったけど、その笑い声は本当に愉快そうだった。
その後、私とこころは友達になった。私はこころに人間を驚かせるコツを教えて、私はこころから舞を教わった。しかしこころは何度言っても突撃法をやめず、私の舞はブリキ人形の踊りみたいだった。
こころと仲良くなってしばらく経ったある日、そういえばあの日どうしてあんな暗がりで舞を舞っていたのかとこころに尋ねてみたら、彼女は「虫を追い払っていたの」と、なんでもないように言った。そして「それがどうかしたの」と首をかしげてみせた。
やはりこころは面白いやつだなと私は思った。そして、こいつとは長い付き合いになるかもしれないなと思った。
私は里の大通りから外れた場所に建つ、粗末なボロ小屋の四畳半に独りあって、やることもなくごろごろと転がっている。首は繋がっていないから、それだけが部屋の中央で収まり悪げにふわふわ浮かんでいる。しかし私は気にせず運動して、離れた首の周りを胴体が転げまわるという妙な状態になる。それが出来の悪い怪談か不整合な夢の如く見える。
そうしておかしなことになりながらも、私は、さてどうやって人間を驚愕させようかなと考えを巡らせた。いつものように首を飛ばすだけでは芸がないように思う。間抜けなカラ傘お化けのように、ただ無闇に大声を出すというのも面白みに欠ける。何よりみっともないだろう。私はふうと嘆息した。結局私にできるのは首を飛ばすことだけである。
私は転がるのをやめて立ち上がった。やたらと転がっていたせいか、いささか気分が悪い。首は転がっていないのに、まるで酔ったみたくなるのは妙な話である。私はふらふらしながら戸を開けて、夜の人里へと歩み出た。
外には墨を塗ったような夜空があった。その墨塗りの天辺に半分の月がいて、そこから広がるようにして星々が配されている。そこかしこの家からは明かりがちらちら漏れて、そこだけ闇が退いて白く見えた。誰も歩いてはいない。こんな時間に出歩くのは怖いものなしの無鉄砲か私のような妖怪だけであろう。
しばらくぶらぶら歩き、適当な標的を探すために周囲を見回していると、少し行ったところに人影があるのを見つけた。背は私より少し高いだろうか。腰のあたりで揺れる長髪とふわふわしたスカートで女であることが知れた。
その影は暗がりにあって踊るような動きを見せる。足を踏むと同時に腕を振り、空気を掻き回すようにする。ゆったりすると思うとすぐさま大胆に体を動かす。影が動くたびに髪が流れるようにゆらゆらして、スカートが楽しげに揺れ動いた。私はその動きに見惚れた。真っ暗な場所で、その影だけが色付いたように際立って見えた。
ぼうとしていると、ふっと影がこちらを向き、「誰だ」と平坦な声を出した。私は黙って見ていた気まずさもあって狼狽えたが、こんな夜中にこんなところで踊るような奴が何だと思い、大声で「赤蛮奇だ!」と名乗りを上げた。すると人影は「おおう!?」と驚いたような声を出し、体を大仰に動かして驚愕を表現した。奇妙な動きである。この影は面白いやつなのかもしれない。
そんなことを考えていたら、影がこちらにやってきた。すると今まで判然としなかった姿が、闇の中から浮き上がるようにして出た。それを見て、はてどこかで目にしたことがあるなと思い、よく思い出してみると、影の名前に行き当たった。そいつの名は秦こころといった。先の異変で宗教家やその他の人妖相手に暴れまわった、例の付喪神である。予想以上の大物の登場に、私は少しばかり狼狽した。
「あなたはここでなにをしているの?」
こころは私にそう尋ねてきた。まったく自分のことを棚に上げた物言いに少し憮然としたが、私は素直に「人を驚かせようと思ってうろついていた」と言った。そうすると、こころは「人を驚かせるの、面白そう! 私も混ぜて混ぜて!」と高揚したように叫んだ。どうやら私のやろうとしていることに興味が湧いたようであった。体を動かしながら「いいでしょ? いいでしょ?」と喧しい。彼女の周りにある能面も、それに同調するように激しい動きを見せた。
同行を求めるこころを私は迷惑に思った。そんなに昂ぶられてもなとも思った。目の前のこいつは、お世辞にも人を驚かせることが得意なようには見えない。連れて行って何の役に立つというのか。
「いや、私は独りでやるのが好きなんだ。悪いけどお断りよ」
「ええぇー……」
そう言って断わると、いたく残念そうな声がこころから漏れた。顔は能面らしくのっぺりとしているけれど、声の効果か無念そうに見える。心持ちうなだれたようでもある。その罪悪感を駆り立てる様子に、私はどうしたものかと頭を悩ませた。そうして私が煩悶している間も、こころはじっとこちらを観察している。その目は硝子玉のようにきらきらして綺麗に見える。どうやら連れて行ってもらえるかと期待しているらしい。
しばらく考えた末、取り敢えずこころも連れて行くことにした。このまま残念がられていては私の気分が悪いし、彼女は私よりも強大な妖怪である。やりようによっては人を驚かせるなど容易であろう。どう行動するかは私が指示すればよい。
同行の許可を出すと、彼女は「わーい!」と大げさに喜んだ。声だけ喜んで顔は無変化だから、何やらちぐはぐで不気味である。それに声も大きい。こんな時間に騒がれると目立つから困る。
私が「こら、静かにしろ」と叱りつけようとしたところで、横にある家の戸が半分開き、中から丸頭の禿げ爺が顔を出して「五月蝿いぞ!」と大音声で叱り飛ばした。声が空気を震わせて、そこらに大層おっかなく響いた。横からの強襲に驚いた私とこころは、肩とびくりと跳ねさせ、そのまま石化したよう固まってしまった。爺は私たちが静かになったのを見て、「ふん」と鼻息を吹いて家に引っ込んだ。なんだあの爺は。
爺が消えてしばらくして、こころが「超怖かった……」と、怒鳴られた衝撃と恐怖を私に訴えた。大声を食らったのはこころの自業自得だし、むしろ私は巻き込まれた被害者である。不平を言いたいのはこちらのほうだ。そう思う私をよそに、こころの不満は爺に対する敵愾心へと変化し始めた。最初は「あの爺め許せん!」と言って、表情の伴わぬ怒りを見せていたが、そのうちに狐の面を頭に着けて、「おのれ」「感情を奪ってやろうか」などと恐ろしげなことを呟きだした。顔が能面じみているから、一言一言に妙な凄みがある。もしかしたら本気かもしれない。
もし本気で実行されると騒動になるから、妖怪である私は里に住みづらくなる。それでは困るので、なんとかこころをなだめすかそうと試みた。固まった顔面の前で色々話をしていると、人形を相手にしているかのような気になる。目の前の人形は憤懣やるかたないといった風にそわそわしている。どうやら怒鳴られたのが気に食わないらしい。
根気強い対話の末に、こころは「そこまで言うなら許してやろう」と許容を表明した。そこに行き着くまでにあれやこれや喋りまくったから、もう人間を驚かせるどころではない。疲労困憊である。
「疲れたから帰る」
「ええぇー……」
疲れたから帰ろうと思い、帰宅の意思を伝えると、こころは先と同じように残念がった。そうされると弱いから、なんとかしてやろうという気になる。でも今の私はくたびれているから、こころと一緒に行く元気は残っていない。どうすればいいか考えた結果、明日の夜もこのあたりで落ち合おうということになった。人間を襲撃するのはその時である。
「それじゃあまた明日。バイバイ!」
「はいはい……」
大きな声で別れを告げたこころを、私は手を振り振り見送った。辺りはしんと静まり返り、夜はさらに更けて闇を濃くしている。半月がその濃い闇の中に切り抜かれたようにしてある。家並みから漏れる光も数が減ってもの哀しい。
こころという妖怪は非常に面白い奴だと私は思った。強い力を持っているけれど、驕り昂ることなく天真爛漫として、それだけでなく若い妖怪らしい血の気の多さも見せる。行動に幼さもある。同伴していると疲れるけれど、それと同じくらい愉快な心地がする。私はこころとの短い交流を思い出して薄く笑った。また明日会えると思うとなんとなく楽しくなった。
独り悦を感じていると、近くからかすかに物音がした。おやと思って音のした方を見てみると、そこには鬱陶しげな表情を浮かべた禿げ爺の顔があった。私とこころを叱責した、例の丸頭である。どうやらこころが発した別れ際の大声に反応して出てきたらしかった。
私は急いでその場を離れた。後ろから爺の罵声が聞こえた。走って走って自分の家に戻って来て、そこからは自分でもよく覚えていない。疲れていたからすぐ寝たものと思う。
次の日の夜、私はこころと会うために四畳半を出て、約束した場所に真っ直ぐ行った。昨日と同じく誰も出歩いていない。道程は静かなものとなった。
例の所に来るとこころはすでに到着して、所在無さげにうろうろしていた。狭い路のあっちとこっちを行き来して、時々思い出したように立ち止まる。そうしたと思ったらすっとしゃがみこんで、路傍に生えた草などを観察するようにする。落ち着きのないその姿は十に満たない子供のようにも見える。
私は子供じみたこころの行いを見て、何をしているんだとおかしがる一方で、今日は昨日みたく舞っていないのだなと少し残念にも思った。
「こんばんは」
「こんばんは……」
挨拶をすると、こころは嫌に小さな声でそれに応えた。昨日受けた一喝を大いに反省したらしかった。
「さあ、人間をびっくりさせに行くよ……」
こころは静かな声で意欲を示し、興奮したように腕を振り回した。足元も落ち着きをなくしていてぴょんぴょんと跳ねるようにしている。大きな声を出せないから動きでそれを補おうとしているのかもしれない。私とこころは標的を探すために夜の里の散策を始めた。
歩いている間、こころは「月の光でも影はできるんだね」だとか、「あの暗がりは何かがいそうで怖い」だとか、色々なことを話した。私はそれを聞いてうんうん頷いて、こちらから話すことはなかった。私はもっぱら聞き役であった。
しばらく歩いて、こころが「でね、その部屋で神子様と聖が裸で絡まり合ってて」と言ったあたりで前から人影が近づいてきた。待ちに待った標的である。取り敢えず私とこころはそいつに見つからぬよう物陰に入った。
「じゃあまずは私が……」
「いや、ここはこの秦こころに任せてもらおう」
私が先陣を切ろうとしたら、こころが一歩前に出た。驚かせる自信があるのか、その体には何やらすごい気のようなものがみなぎってように見える。これなら任せても安心だろう。そう思っていると、こころは「驚けこのやろうこらー!」と言って人影に突っ込んでいった。無闇に大声を出して突撃するのがこころ流の驚かせ方らしい。私は呆れ返った。
そうして吶喊したこころは、人影に頭をぐわしと掴まれ、惚れ惚れするような頭突きをお見舞いされた。石と木がぶつかった様な鈍いを音がしたあと、こころは地面にくず折れて、そのまま起き上がらない。死んだかと思う。人影はこころの死体にしばらく説教を垂れて、そのまますたすた歩き去った。その場には物陰に隠れて呆然とする私と地べたに転がる面霊気とが残った。
人影が行ってしまってから、私は倒れ伏すこころに近寄った。
「大丈夫か?」
「うぅ、痛いよぅ」
こころはやっと起き上がった。死んではいなかったが、人影の頭突きが相当堪えたらしく、こころは表情をそのままにぽろぽろと涙をこぼしている。食らったと思わしき額の真ん中は薄紅を刷いたように赤くなって、とても痛そうである。
「馬鹿だなぁ。あんなふうに喚いて突っ込むだけじゃあ駄目よ。もっと妖怪らしいやり方じゃないと」
「くそう、なんだあんな奴。頭に弁当箱乗せやがって」
恨み言を垂れるこころをなだめてから、また私たちは標的探しを始めた。
一刻ほど里の中をぶらぶらしていると、目の前からまた人影がやってきた。酔客らしく、その足取りはふわふわしていて覚束無い。こいつはやりやすい相手だなと私は思った。
さて奴を吃驚仰天させてやろうと前に出たら、横にいたこころが「どうする気だ」と疑問を投げかけてきた。どうする気だとはどういうことだと尋ねると、私の方法が無理だったんだからどうやろうと無理だろうという答えが帰ってきた。どれほどあの突撃法に自信があったのかと呆れそうになったが、それを隠して「まあ見ていなさいな」と言って人影の前に出た。
そいつは若い男で、思った通りべろべろであった。少し離れているのに酒の匂いがする。顔は赤く目は酒に濁って、意味もなくへらへら笑っている。絵に描いたような酔っぱらいである。
突然前に来た私を見て、男は「何だいお嬢ちゃん、俺に惚れちまったかい。まあそれも仕方ないねぇ、俺は格好良いからねぇ」とよく分からないことを言い出した。それを聞いた私は首を男めがけて飛ばし、「じゃあその男前な顔をよく見せておくれ」と脅かしてやった。男はふひゃあと変な声を上げたかと思うと、私から逃げるように駆け出して、幾度かこけたり転がったりしながら凄い速さでこの場を去った。
なかなかいい驚きっぷりだったから、私は胸のすく思いがした。久しぶりに人間が肝を潰すのを見られて愉快である。
ご機嫌なまま後ろにいるこころに向かって「どんなもんだい」と振り返ったら、彼女は尻餅をついていた。そうして倒れたまま私を指して、しきりに「首が」と言う。顔につけた面は眼球の飛び出た妙なやつに変わっている。どうやら私の首が飛んだのを驚いているらしかった。強力な妖怪のそんな情けない姿に、私は呆れの前に楽しさを感じた。
「私はろくろ首、首を飛ばす妖怪よ」と私は言った。「あなただって面を飛ばせるじゃない。それと似たようなもんよ」
「なんだそっか、じゃあ別に怖くないな!」
怖がられていても面白くないから適当に言うと、こころはけろりとして立ち上がった。そうして何事もなかったように「あの人すごい驚いてたねぇ」「次は私も驚かせてみせる」などと言い出した。私は、本当に秦こころという妖怪は面白いなと思った。そしておかしくなってげらげら笑った。
こころは最初、何故笑われているのか分からないようにしていたが、そのうちに火男の面をつけ、一緒になって笑い始めた。静かな夜に、私たちの笑い声だけが高く高く響き渡った。本当に愉快な夜だった。
笑いに笑って少し休んでいたら、向こうにある家から棒きれを振り回しながら禿げ爺が飛び出してきて、「五月蝿いと言っておろうが!」と聞き覚えのある大音声を上げた。どうやらここは、昨日こころが舞を踊っていた場所らしかった。今怒鳴ったのも昨日の爺である。
私とこころは一散に逃げ出した。そうして逃げながら、またおかしくなってげらげら笑った。こころは無表情だったけど、その笑い声は本当に愉快そうだった。
その後、私とこころは友達になった。私はこころに人間を驚かせるコツを教えて、私はこころから舞を教わった。しかしこころは何度言っても突撃法をやめず、私の舞はブリキ人形の踊りみたいだった。
こころと仲良くなってしばらく経ったある日、そういえばあの日どうしてあんな暗がりで舞を舞っていたのかとこころに尋ねてみたら、彼女は「虫を追い払っていたの」と、なんでもないように言った。そして「それがどうかしたの」と首をかしげてみせた。
やはりこころは面白いやつだなと私は思った。そして、こいつとは長い付き合いになるかもしれないなと思った。
それで神子様と聖は裸で何をしてたんですか?詳しく。
赤蛮奇とこころという組み合わせはありそうでなかなか見かけませんね
二人とも可愛かったです
自分以外に書いてくれる人が出てきたのは感激。ごちそうさまです。
クールを気取る蛮奇と無表情だけど無邪気なこころの組み合わせはとてもかわいかったです。やっぱりナイスコンビですよね。
そしてひじみこなにやってんだw
面白かったです!
あ、それとひじみこについてもうちょっと詳しく