───遥けき千古のむかしより、人界において日向を歩む者あれば夜陰に蠢くもの共の影がある。
ひとつは人。
もうひとつは人ならざるもの。
そして、これより先の物語の語り部たる、私が属するのは後者であったりする。
俗に《小悪魔》と呼ばれるそれこそが、私の立ち位置であり自己証明であり存在意義であり種族であり稼業であり、そしてそれら全てを飲み込んだうえでの名前であった。
そう、我こそは幽世より来たりてあまねく現世に悪の理を敷く魔の輩。
たとえこの身は小さく非力であろうとも、世に跳梁跋扈する卑俗なる有象無象とは一線を画す、誇りも高き闇夜の眷属である。
……まあ、ご大層な講釈能書きを垂れてみたところで私の場合、誇りや挟持なんてもんは高が知れてるどころか文字通りに“ちっぽけ”なものですが。
なんせ、『小』悪魔なんで。
*
さて、小悪魔であるところの私は人の世にあって日夜、己と己が名を高らしむるべく魔道の研鑽に努めて……などということもなく、日がな一日四六時中年がら年中寝ても覚めても明けても暮れても、怠惰で無為かつ自堕落にして無意味なる非生産的この上ない毎日を送っておりました。
頭に『小』が付くとはいえ悪魔の端くれである私は、欲深き人間達の俗念を成就させ、その報酬として魂を戴くのを渡世としていたわけですが……併し、所詮はしがない小悪魔である私。大した魔法も使えなければこれといった取り柄もなかったので、辛うじて使える“けちな”術や魔法をやれ手品だ大道芸だのと称して衆生に見世物をして回ったり、あまり頭を使わないで済むような(小悪魔の総身の知恵なぞ知れたもの)労働をこなしたりして日銭を稼いでの、まさしく絵に描いたような“その日暮らし”に明け暮れていたものでした。私の絵を描こうなどというような物好きなんぞ、いやしないというのはさておいて。
名の知れた高級な悪魔や妖怪ならば、その身に相応しい優雅かつ高尚な暮らしもできたのでしょうが、其れも叶わないのが私の小悪魔たる所以なのでしょう。私は小悪魔の身の丈にあった、まことにちっぽけながらもそこそこに清いわけでもなく、まあまあ正しいとも云えない生き方を自らに課しておりました。
そんな無為な日々が終わりを告げたのは、ある日の昼下がり。とある一人の女性との出会いでした。
……あるいは、無意味ではあってもそれなりに穏やかな毎日への訣別だったのかもしれませんが、どちらがより幸せ乃至、不幸せの側に近いかまではそれこそ神のみぞ知るのでしょう。こんな“ちんけ”な小悪魔の運命命運来し方行く末なんぞを悉皆承知していらっしゃるような、奇特な神様がいるのかはともかくとして。
*
その日、私は路地裏の隅で“しけもく”を売るお仕事をしていました。
“しけもく”というのは簡単に言うと、誰ぞが捨てたタバコの吸い残しのことです。少し前までは、タバコといえばパイプで吸うものだったのですが、手入れや保管の手間が要らないのが至極便利だというので、最近ではもっぱらこちらの紙巻きタバコを嗜む方が増えてきているようです。道に落ちているそれの吸い殻を拾い集めて売るのが、私の収入源の一つなのでした。
それなりの長さがあるものならそのまま売れますが、そんなものは街中を丸一日探しまわってやっとこ一本か二本、拾えるくらいでしかありません。なので、量だけは拾える短い吸い殻を一度ほぐし、中身を集めたものを別に用意した紙に巻き直してから売り物として出します。巻き紙はやはり道で拾った屑紙や新聞紙。元手もかからず公衆衛生にも寄与できる、実に“りいずなぶる”かつ“えころじっく”な商売です。ちなみに、吸い殻ほぐしの作業は並の人間がやると3日も保たずにタバコの毒が原因で体の調子をおかしくしたり顔色を悪くしたりするのですが、悪魔であるところの私にとっては何ほどのこともありません。
なんで悪魔ともあろう者が、こんな“みみっちい”というか“しみったれた”というかしょぼい商売に手を染めているのかと首を傾げる方もおられるかもしれません。しかしこれも私の小悪魔たる所以なので仕方がないことなのでしょう。人でも悪魔でも、さしたる能もない者が生きていくのは大変なわけでして。
往来を道行く方々の邪魔にならぬよう、身体を折りたたむようにして小汚い路の端っこに座り込み、私は“しけもく”を買ってくれるお客さんを待ちました。路地裏だけに人の行き来なんて大したことはないのですが、それでも配慮を怠らないのが私のような小悪魔に欠かせぬ処世術の一環なのです。
かく言う私の如き、脆弱な小悪魔───謙遜ではなく、客観的視点による揺るがし難き事実───は人間達にそれと正体が知られた日には、どんな暴挙に出られるかは判ったものではないので、特定の(詰まるところ私のような異類異形の輩と契約を取り交わす能力のある)お方によるお召があるまでは巧妙に身分出自を隠しておくものの、極くたまにあっさりとそれを看破する人間もいたりもするので油断はできません。
*
待つことしばし。お客さんは一向に現れませんでした。普段ならこうして商品を傍らに“ぼけっ”と座って待つだけで、それなりにお客さんがやってきて品物を買ってくれるのですが。というよりも、少し前から人っ子一人猫の仔一匹通りがかっちゃくれません。
私は小さく溜息を吐きました。今日はどうやら日が悪いようです。ひょっとしたら場所も悪いのかもしれません。
空を仰げばお天道様が、大分高みにいらっしゃるのが見えます。時刻はそろそろお昼を回る頃でしょうか。こうなると、ただでさえ少ない人の流れがますます細まってしまうわけで。
見切りをつけた私は一旦、出直しをすることにしました。
商売道具をさっきまで敷物代わりにしていたズダ袋に放り込み、手早く片付けを終えて立ち上がる。そしてお尻のあたりを軽くはたいて、埃を落としていたその時でした。傍ら───それもすぐ横っちょ───に、人の気配を感じたのは。
気配のした方───すぐ右隣に視線を向ければ、そこにいつの間に、いつからいたものか、一人の女の人が“つくねん”と立っていました。
ここいらではまずお目にかからない意匠の、あまり体を締め付けることのない靴のあたりまでを“すっぽり”と覆い隠す貫頭衣のような服に身を包んだ女の人。年の頃はよくわかりません。“少女”と言ってもいいのかもしれないけれど、“女性”と表現したほうがいいともいえる、曖昧な印象の女の人。
何より目を惹くのはその容姿。やや血色が悪いのが玉に瑕とはいえ、向こう側が透けて見えるのではとさえ感じるほどの白磁の肌に、紫水晶を引き伸ばしたような色合いの長い髪と、大粒のアメジストを連想させる(まあ、そんなもん見たことはないのですが)澄んだ瞳に彩られた美貌は、怜悧さと静やかさ、なにより奥深い知性を湛えている。背丈はあまり高くはないものの、“ゆったり”とした服に包まれてなお一目瞭然の豊かな肢体は、同性の私でさえ羨んでしまいそうなほどの(実際、羨ましくて仕方がない)魅力と蠱惑を放っていました。
『小』が付くとはいえ、仮にも悪魔であるはずの私が見惚れてしまうくらい綺麗な、むしろ美しいと表現したほうが“しっくり”くるような女の人。なんと云いますか、風体といい面貌といい実に目立ちすぎる方です。
ゆえに、私は眉をひそめずにはいられませんでした。大した力も持たない小動物が、外敵から身を護り、自身の非力を補うための術として周囲の気配や物音に鋭敏な感覚を有するように、小悪魔である私も自分の周りの異常や異物を察知する感覚に関しては並々ならぬものがあると自負しております。その感覚を信じるならば、今の今まで先ほどまで、この路地裏には立ち寄るものなぞおらず、ましてや足音どころか誰ぞが近づく気配さえしなかったはずなのですが。ましてやこんなに人目を引くような人の接近を見逃すなんてことはまずありえないはず……。
女の人は、鳥も立ち寄らぬ高峰に降りしきる雪のように静かな表情で私を見つめています。正直、居心地が悪いったらありゃしません。
自分にまとわりつく気まずい気分を払拭するため、私は努めて朗らかな口調と愛想笑いとで女の人に声をかけました。
あのー、もしかしてシケモクをお買い上げですか? それでしたら……
私の接客トークを無視して、というよりも聞こえていないような風情で女の人は腕を緩やかな動きで上げ、私の眼前に人差し指を突きつけてきました。
持ち主に相応しく、やはり綺麗な指でした。しなやかで真っ白な、生活の匂いを感じさせない、“ほっそり”とした、指。
それに魂を射抜かれたかのように立ち竦む私へと、指の持ち主は小さく、それでありながらも力のこもった声で言いました。
「あくま」
端倪すべからざる運命は、どこに罠を仕掛けているか判らない。今日この瞬間、私はそれを厭というくらいに思い知ったのでした。
*
「でしょう、貴女」
その一言に虚を衝かれた私のことになぞ構うことなく、畳み掛けるようにして女性は続けます。
「隠したって判るわよ。こう見えても私は───」
決めつけとはまったく違う、確信のこもった断定の口調。畳み掛けるというよりは退路を断つの方が正しいのかもしれません。どうしたものかと迷ったのも一瞬のこと、かくなる上は手段を選んでもいられません。
私はためらわずに阿呆のふりをして誤魔化すことにしました。
「早合点はしないでね。別に貴女を“どうこう”しようとは思っていないから」
徒労に終わってしまいましたが。
「《魔法使い》なの、私」
云わば、貴女のご同業のようなものね。女の人は何ほどのこともないように自身の素性を明かしました。
*
《魔法使い》───読んで字のごとく字の示す通りに字のまんま、魔法を使うことが出来る方々です。私と同じく、見た目そこいらの人間と大して変わらない姿をしてますが、その実態はもはや人間どころか生き物とさえ云えない、ぶっちゃけ妖怪の一種です。魔力や魔法が原動力な妖怪、といったらよいのでしょうか。しかし魔法使いは、頭の出来や知識は豊富でも総じて身体そのものは人間と変わりがなく、他の妖怪に比べると脆弱なので外に出ることは滅多にないはずなのですが……。
「ここにはちょっとした探しものにやってきたのよ」
探しものときました。もしかして、それを探すのを手伝えと仰るのでしょうか。私が聞き返すと、魔法使いさんは“けほけほ”と小さく咳き込んでから首を振りました。
「違うわ。探しものなら、もう見つかった。あとは“それ”を持って帰るだけ」
言ってからまた小さな咳をひとつ。さっきから時折、咳をしているあたり、ひょっとして肺病病みなのでしょうか。是非にともご自宅にて“ひっそり”と養生するなり、引き篭もるなどしてご自愛いただきたい。
「ありがとう。それじゃあ、ご忠告に従わせていただこうかしら───私の住まいまで来てちょうだい」
素っ気ない礼とともに、魔法使いさんはおかしな事を言い出しました。誰が、誰と、何処に行けと仰る?
軽い混乱に襲われる私を、教え子の物覚えの悪さに呆れる教師の目(学校に通ったことなんてないですが)で魔法使いさんは見やりました。
「もちろん、貴女が。私と。私の住まいに。来てもらうと、そう言ってるの」
何故に。さっきから繰り返されるオウム返しというか、自分でもあまり頭がいいとはいえない返しを自戒しつつ訊ねるも、魔法使いさんはもはや取り合う気は無いようでした。
「……理由は私の家で話してあげる。何にせよ悪いようにはしないわ。ただし断るのなら───」
思わせぶりに言葉を切り、魔法使いさんは底意地の悪そうな表情を閃かせました。魔法使いというよりは、いっそ《魔女》とで形容したほうが“ぴったり”な、悪い顔。
「───そこらの連中に大きな声で吹聴して回るわ。ここに悪魔がいるって」
街の人間に知られたら“こと”でしょうね。とっ捕まって後ろ手にふん縛られたまま街中を曳き廻された挙句、磔にされたりして串刺しとか火焙りとかになるんだわ。ちなみに私も過去に何回かやられたことがあるから判るのだけれど、いい気分ではいられないものよ、あれは。
“しれっ”とした風情で恐ろしいことを語る魔女。そんな目に何度も遭って、よく生きていられたもんですね。
「本物の《魔女》が、たかがそれくらいで死ぬもんですか。そんなことより、さっさと決めてほしいものだわ。大人しくついてくるか、さもなければ……」
こうなれば致し方ありません。私は観念しました。
「結構。聞き分けのいいやつは嫌いじゃないわ」
ついていらっしゃい。短く告げて路地裏の出口へと顎をしゃくり、魔女は歩き出しました。
その一連の動き、“ゆったり”というよりは緩慢な動作を見た私は、ふと思いました。
───どうやらこの方、見た目に違わずあまり体力には恵まれていなさそうなご様子。これなら隙を突いて逃げ出せるのでは?
そんな雨後の水溜りよりも浅はかな考えが頭をよぎったその瞬間、足元で何かが弾けるような音がしました。
嫌な予感を覚えつつ、“おそるおそる”目線を下にやると、なんと半歩ばかり前の地面が人間の頭を“すっぽり”と収められるくらいの深さにヘコんでいるではありませんか。一体、何があったのかはサッパリ解らなくとも、これをやったのが誰なのかくらいは判ります。そして、これと同じことが自分の体に起こったらどうなるのかも。
悲鳴を漏らさずに済んだのは私の胆力や自制心の賜物ではなく、単に声を上げることさえできないくらいに喫驚したのと、全身を金縛りにした恐怖のためでした。さもなければ今頃、三千世界を満たさんばかりの無様な悲鳴が私の喉から迸っていたことでありましょう。
足をすくめる私へ、いつの間にか足を止めていたらしい魔女が、やはり緩慢な動きで首だけを翻して言いました。
「……断っておくけれど、貴女の足がこの路地を抜けるより、私の魔法が着弾する方が速いのよ」
ええ、ええ。そうでしょうとも。今度こそ私は観念、もとい降参しました。
「なら、さっさと付いてらっしゃいな。これ以上、いらない手間をかけさせないでね」
面倒臭げにつぶやき、魔法使い様は再び歩き出しました。いえ、よくよく目を凝らしてみると足をまったく動かしていないのですが、今更そんなことくらいで不思議とは思いません。大方、周りにバレないくらいの高さで宙に浮かんでいるのでしょう。あの貫頭衣も、それを誤魔化すために着ているに違いない。
荷物を手に取り、ともすればもつれそうになる足をどうにかこうにか動かして、私は先を行く魔法使い様を追いかけました。
*
「そういえば、自己紹介もしていなかったわね」
魔法使い様がひとりごとのように言ったのは、私との距離が4、5歩くらいまでに詰まったあたりでした。こちらを見もせず、魔法使い様は感情の読めない声音で淡々と続けました。
「パチュリーよ」
えらく可愛らしいお名前ですこと。そう思っても口には出しませんでした。機嫌を損ねては大変です。
「《魔法使い》パチュリー・ノーレッジ───それが私の名前」
*
名にしおう魔法使いと名もなき小悪魔との、それがはじめての出会いでした。
ひとつは人。
もうひとつは人ならざるもの。
そして、これより先の物語の語り部たる、私が属するのは後者であったりする。
俗に《小悪魔》と呼ばれるそれこそが、私の立ち位置であり自己証明であり存在意義であり種族であり稼業であり、そしてそれら全てを飲み込んだうえでの名前であった。
そう、我こそは幽世より来たりてあまねく現世に悪の理を敷く魔の輩。
たとえこの身は小さく非力であろうとも、世に跳梁跋扈する卑俗なる有象無象とは一線を画す、誇りも高き闇夜の眷属である。
……まあ、ご大層な講釈能書きを垂れてみたところで私の場合、誇りや挟持なんてもんは高が知れてるどころか文字通りに“ちっぽけ”なものですが。
なんせ、『小』悪魔なんで。
*
さて、小悪魔であるところの私は人の世にあって日夜、己と己が名を高らしむるべく魔道の研鑽に努めて……などということもなく、日がな一日四六時中年がら年中寝ても覚めても明けても暮れても、怠惰で無為かつ自堕落にして無意味なる非生産的この上ない毎日を送っておりました。
頭に『小』が付くとはいえ悪魔の端くれである私は、欲深き人間達の俗念を成就させ、その報酬として魂を戴くのを渡世としていたわけですが……併し、所詮はしがない小悪魔である私。大した魔法も使えなければこれといった取り柄もなかったので、辛うじて使える“けちな”術や魔法をやれ手品だ大道芸だのと称して衆生に見世物をして回ったり、あまり頭を使わないで済むような(小悪魔の総身の知恵なぞ知れたもの)労働をこなしたりして日銭を稼いでの、まさしく絵に描いたような“その日暮らし”に明け暮れていたものでした。私の絵を描こうなどというような物好きなんぞ、いやしないというのはさておいて。
名の知れた高級な悪魔や妖怪ならば、その身に相応しい優雅かつ高尚な暮らしもできたのでしょうが、其れも叶わないのが私の小悪魔たる所以なのでしょう。私は小悪魔の身の丈にあった、まことにちっぽけながらもそこそこに清いわけでもなく、まあまあ正しいとも云えない生き方を自らに課しておりました。
そんな無為な日々が終わりを告げたのは、ある日の昼下がり。とある一人の女性との出会いでした。
……あるいは、無意味ではあってもそれなりに穏やかな毎日への訣別だったのかもしれませんが、どちらがより幸せ乃至、不幸せの側に近いかまではそれこそ神のみぞ知るのでしょう。こんな“ちんけ”な小悪魔の運命命運来し方行く末なんぞを悉皆承知していらっしゃるような、奇特な神様がいるのかはともかくとして。
*
その日、私は路地裏の隅で“しけもく”を売るお仕事をしていました。
“しけもく”というのは簡単に言うと、誰ぞが捨てたタバコの吸い残しのことです。少し前までは、タバコといえばパイプで吸うものだったのですが、手入れや保管の手間が要らないのが至極便利だというので、最近ではもっぱらこちらの紙巻きタバコを嗜む方が増えてきているようです。道に落ちているそれの吸い殻を拾い集めて売るのが、私の収入源の一つなのでした。
それなりの長さがあるものならそのまま売れますが、そんなものは街中を丸一日探しまわってやっとこ一本か二本、拾えるくらいでしかありません。なので、量だけは拾える短い吸い殻を一度ほぐし、中身を集めたものを別に用意した紙に巻き直してから売り物として出します。巻き紙はやはり道で拾った屑紙や新聞紙。元手もかからず公衆衛生にも寄与できる、実に“りいずなぶる”かつ“えころじっく”な商売です。ちなみに、吸い殻ほぐしの作業は並の人間がやると3日も保たずにタバコの毒が原因で体の調子をおかしくしたり顔色を悪くしたりするのですが、悪魔であるところの私にとっては何ほどのこともありません。
なんで悪魔ともあろう者が、こんな“みみっちい”というか“しみったれた”というかしょぼい商売に手を染めているのかと首を傾げる方もおられるかもしれません。しかしこれも私の小悪魔たる所以なので仕方がないことなのでしょう。人でも悪魔でも、さしたる能もない者が生きていくのは大変なわけでして。
往来を道行く方々の邪魔にならぬよう、身体を折りたたむようにして小汚い路の端っこに座り込み、私は“しけもく”を買ってくれるお客さんを待ちました。路地裏だけに人の行き来なんて大したことはないのですが、それでも配慮を怠らないのが私のような小悪魔に欠かせぬ処世術の一環なのです。
かく言う私の如き、脆弱な小悪魔───謙遜ではなく、客観的視点による揺るがし難き事実───は人間達にそれと正体が知られた日には、どんな暴挙に出られるかは判ったものではないので、特定の(詰まるところ私のような異類異形の輩と契約を取り交わす能力のある)お方によるお召があるまでは巧妙に身分出自を隠しておくものの、極くたまにあっさりとそれを看破する人間もいたりもするので油断はできません。
*
待つことしばし。お客さんは一向に現れませんでした。普段ならこうして商品を傍らに“ぼけっ”と座って待つだけで、それなりにお客さんがやってきて品物を買ってくれるのですが。というよりも、少し前から人っ子一人猫の仔一匹通りがかっちゃくれません。
私は小さく溜息を吐きました。今日はどうやら日が悪いようです。ひょっとしたら場所も悪いのかもしれません。
空を仰げばお天道様が、大分高みにいらっしゃるのが見えます。時刻はそろそろお昼を回る頃でしょうか。こうなると、ただでさえ少ない人の流れがますます細まってしまうわけで。
見切りをつけた私は一旦、出直しをすることにしました。
商売道具をさっきまで敷物代わりにしていたズダ袋に放り込み、手早く片付けを終えて立ち上がる。そしてお尻のあたりを軽くはたいて、埃を落としていたその時でした。傍ら───それもすぐ横っちょ───に、人の気配を感じたのは。
気配のした方───すぐ右隣に視線を向ければ、そこにいつの間に、いつからいたものか、一人の女の人が“つくねん”と立っていました。
ここいらではまずお目にかからない意匠の、あまり体を締め付けることのない靴のあたりまでを“すっぽり”と覆い隠す貫頭衣のような服に身を包んだ女の人。年の頃はよくわかりません。“少女”と言ってもいいのかもしれないけれど、“女性”と表現したほうがいいともいえる、曖昧な印象の女の人。
何より目を惹くのはその容姿。やや血色が悪いのが玉に瑕とはいえ、向こう側が透けて見えるのではとさえ感じるほどの白磁の肌に、紫水晶を引き伸ばしたような色合いの長い髪と、大粒のアメジストを連想させる(まあ、そんなもん見たことはないのですが)澄んだ瞳に彩られた美貌は、怜悧さと静やかさ、なにより奥深い知性を湛えている。背丈はあまり高くはないものの、“ゆったり”とした服に包まれてなお一目瞭然の豊かな肢体は、同性の私でさえ羨んでしまいそうなほどの(実際、羨ましくて仕方がない)魅力と蠱惑を放っていました。
『小』が付くとはいえ、仮にも悪魔であるはずの私が見惚れてしまうくらい綺麗な、むしろ美しいと表現したほうが“しっくり”くるような女の人。なんと云いますか、風体といい面貌といい実に目立ちすぎる方です。
ゆえに、私は眉をひそめずにはいられませんでした。大した力も持たない小動物が、外敵から身を護り、自身の非力を補うための術として周囲の気配や物音に鋭敏な感覚を有するように、小悪魔である私も自分の周りの異常や異物を察知する感覚に関しては並々ならぬものがあると自負しております。その感覚を信じるならば、今の今まで先ほどまで、この路地裏には立ち寄るものなぞおらず、ましてや足音どころか誰ぞが近づく気配さえしなかったはずなのですが。ましてやこんなに人目を引くような人の接近を見逃すなんてことはまずありえないはず……。
女の人は、鳥も立ち寄らぬ高峰に降りしきる雪のように静かな表情で私を見つめています。正直、居心地が悪いったらありゃしません。
自分にまとわりつく気まずい気分を払拭するため、私は努めて朗らかな口調と愛想笑いとで女の人に声をかけました。
あのー、もしかしてシケモクをお買い上げですか? それでしたら……
私の接客トークを無視して、というよりも聞こえていないような風情で女の人は腕を緩やかな動きで上げ、私の眼前に人差し指を突きつけてきました。
持ち主に相応しく、やはり綺麗な指でした。しなやかで真っ白な、生活の匂いを感じさせない、“ほっそり”とした、指。
それに魂を射抜かれたかのように立ち竦む私へと、指の持ち主は小さく、それでありながらも力のこもった声で言いました。
「あくま」
端倪すべからざる運命は、どこに罠を仕掛けているか判らない。今日この瞬間、私はそれを厭というくらいに思い知ったのでした。
*
「でしょう、貴女」
その一言に虚を衝かれた私のことになぞ構うことなく、畳み掛けるようにして女性は続けます。
「隠したって判るわよ。こう見えても私は───」
決めつけとはまったく違う、確信のこもった断定の口調。畳み掛けるというよりは退路を断つの方が正しいのかもしれません。どうしたものかと迷ったのも一瞬のこと、かくなる上は手段を選んでもいられません。
私はためらわずに阿呆のふりをして誤魔化すことにしました。
「早合点はしないでね。別に貴女を“どうこう”しようとは思っていないから」
徒労に終わってしまいましたが。
「《魔法使い》なの、私」
云わば、貴女のご同業のようなものね。女の人は何ほどのこともないように自身の素性を明かしました。
*
《魔法使い》───読んで字のごとく字の示す通りに字のまんま、魔法を使うことが出来る方々です。私と同じく、見た目そこいらの人間と大して変わらない姿をしてますが、その実態はもはや人間どころか生き物とさえ云えない、ぶっちゃけ妖怪の一種です。魔力や魔法が原動力な妖怪、といったらよいのでしょうか。しかし魔法使いは、頭の出来や知識は豊富でも総じて身体そのものは人間と変わりがなく、他の妖怪に比べると脆弱なので外に出ることは滅多にないはずなのですが……。
「ここにはちょっとした探しものにやってきたのよ」
探しものときました。もしかして、それを探すのを手伝えと仰るのでしょうか。私が聞き返すと、魔法使いさんは“けほけほ”と小さく咳き込んでから首を振りました。
「違うわ。探しものなら、もう見つかった。あとは“それ”を持って帰るだけ」
言ってからまた小さな咳をひとつ。さっきから時折、咳をしているあたり、ひょっとして肺病病みなのでしょうか。是非にともご自宅にて“ひっそり”と養生するなり、引き篭もるなどしてご自愛いただきたい。
「ありがとう。それじゃあ、ご忠告に従わせていただこうかしら───私の住まいまで来てちょうだい」
素っ気ない礼とともに、魔法使いさんはおかしな事を言い出しました。誰が、誰と、何処に行けと仰る?
軽い混乱に襲われる私を、教え子の物覚えの悪さに呆れる教師の目(学校に通ったことなんてないですが)で魔法使いさんは見やりました。
「もちろん、貴女が。私と。私の住まいに。来てもらうと、そう言ってるの」
何故に。さっきから繰り返されるオウム返しというか、自分でもあまり頭がいいとはいえない返しを自戒しつつ訊ねるも、魔法使いさんはもはや取り合う気は無いようでした。
「……理由は私の家で話してあげる。何にせよ悪いようにはしないわ。ただし断るのなら───」
思わせぶりに言葉を切り、魔法使いさんは底意地の悪そうな表情を閃かせました。魔法使いというよりは、いっそ《魔女》とで形容したほうが“ぴったり”な、悪い顔。
「───そこらの連中に大きな声で吹聴して回るわ。ここに悪魔がいるって」
街の人間に知られたら“こと”でしょうね。とっ捕まって後ろ手にふん縛られたまま街中を曳き廻された挙句、磔にされたりして串刺しとか火焙りとかになるんだわ。ちなみに私も過去に何回かやられたことがあるから判るのだけれど、いい気分ではいられないものよ、あれは。
“しれっ”とした風情で恐ろしいことを語る魔女。そんな目に何度も遭って、よく生きていられたもんですね。
「本物の《魔女》が、たかがそれくらいで死ぬもんですか。そんなことより、さっさと決めてほしいものだわ。大人しくついてくるか、さもなければ……」
こうなれば致し方ありません。私は観念しました。
「結構。聞き分けのいいやつは嫌いじゃないわ」
ついていらっしゃい。短く告げて路地裏の出口へと顎をしゃくり、魔女は歩き出しました。
その一連の動き、“ゆったり”というよりは緩慢な動作を見た私は、ふと思いました。
───どうやらこの方、見た目に違わずあまり体力には恵まれていなさそうなご様子。これなら隙を突いて逃げ出せるのでは?
そんな雨後の水溜りよりも浅はかな考えが頭をよぎったその瞬間、足元で何かが弾けるような音がしました。
嫌な予感を覚えつつ、“おそるおそる”目線を下にやると、なんと半歩ばかり前の地面が人間の頭を“すっぽり”と収められるくらいの深さにヘコんでいるではありませんか。一体、何があったのかはサッパリ解らなくとも、これをやったのが誰なのかくらいは判ります。そして、これと同じことが自分の体に起こったらどうなるのかも。
悲鳴を漏らさずに済んだのは私の胆力や自制心の賜物ではなく、単に声を上げることさえできないくらいに喫驚したのと、全身を金縛りにした恐怖のためでした。さもなければ今頃、三千世界を満たさんばかりの無様な悲鳴が私の喉から迸っていたことでありましょう。
足をすくめる私へ、いつの間にか足を止めていたらしい魔女が、やはり緩慢な動きで首だけを翻して言いました。
「……断っておくけれど、貴女の足がこの路地を抜けるより、私の魔法が着弾する方が速いのよ」
ええ、ええ。そうでしょうとも。今度こそ私は観念、もとい降参しました。
「なら、さっさと付いてらっしゃいな。これ以上、いらない手間をかけさせないでね」
面倒臭げにつぶやき、魔法使い様は再び歩き出しました。いえ、よくよく目を凝らしてみると足をまったく動かしていないのですが、今更そんなことくらいで不思議とは思いません。大方、周りにバレないくらいの高さで宙に浮かんでいるのでしょう。あの貫頭衣も、それを誤魔化すために着ているに違いない。
荷物を手に取り、ともすればもつれそうになる足をどうにかこうにか動かして、私は先を行く魔法使い様を追いかけました。
*
「そういえば、自己紹介もしていなかったわね」
魔法使い様がひとりごとのように言ったのは、私との距離が4、5歩くらいまでに詰まったあたりでした。こちらを見もせず、魔法使い様は感情の読めない声音で淡々と続けました。
「パチュリーよ」
えらく可愛らしいお名前ですこと。そう思っても口には出しませんでした。機嫌を損ねては大変です。
「《魔法使い》パチュリー・ノーレッジ───それが私の名前」
*
名にしおう魔法使いと名もなき小悪魔との、それがはじめての出会いでした。
内容の方は第一話ということだし、パチュリーと小悪魔の出会いに目新しさもなかったのでまだ感想はありません。
物語の進展とともに、二人の関係がどうなるのか期待しつつ続きをお待ちしています
とりあえず、批判も出てるけど個人的にはこの文章超大好きですよ。他の埋れてしまうような陳腐で無難な文章よりかはずっとずっと好み。まあ人を選ぶ文章であることに変わりはないだろうけど、これからも頑張ってください!
新たなるエピソードに期待が高まります
ここ最近で投稿された続き物じゃ一番の当たりだ。
あえて言うなら一話ごとのボリュームがやや短いのだけが難点か