「これはなかなか重労働だ」
こころは今、かき氷機を抱えている。
これがすごく重い。季節は八月。一番暑い時期の一番暑い時間帯にこれを抱えて、人里を歩いているのだからたまったもんじゃない。
誰か手伝ってよ、と言いたいが辺りにいる人たちもみんな明日行われる夏祭りに向けての準備で忙しいらしく、こころの方に気を止めるような人はいない。頑張って一人で運ばなければならないらしい。
こころは暑さには強くないし、暑いのは嫌いだった。だから夏もあまり好きじゃなかった。好きじゃないけれど季節は巡ってくるもので、今年も無事やってきたわけで、できれば今年の夏は涼しい場所で何もしないで暑さが過ぎるのを待っていたいなー、なんて考えていたのだけど、こうして祭りの手伝いにかり出されているのだからその考えはどうやら甘かったらしい。
苦労しながらも何とかこの嫌になるほど重たい鉄の塊を目的の場所まで運ぶことができた。台の上にそっと置くと、「ふ~~」と深く息を吐き、額に浮かんだ汗を拭った。
と、そこでこころが手伝わされることの原因となった人物が台の向こう側からひょっこり顔を出した。
「あ、こころさん。ご苦労様です。大変だったでしょう」
と緑色の髪を陽の光に反射させながら早苗が言う。
「うん。疲れた。もう腕が上がらない」
「そんなこころさんに、はいこれ」
早苗が差し出してきたのはラムネだった。
「おお! ありがとう!」
喉がからからだった。あんなくそ暑い中をくそ重たい物を抱えて歩いていれば誰だって喉は渇く。早苗から受け取ったラムネビンはひんやりと冷えて水滴を纏っていた。
二人でラムネを開ける。泡が大量に飛び出してきてあわあわしちゃったのはもはや昔、こころはラムネ開けの名人である。
そんなわけで渇いた喉を潤す。火照った体が内側から冷えていくのがわかる。干上がった田んぼに水路から水が押し寄せてくるような感覚。
「うまーい! 生き返る!」
「ですねえ。やっぱり夏と言えばこれでしょう」
暑い日に飲むラムネは最高だと思う。こころも早苗もご満悦だ。
シュウマイやら肉まんを外に置いておけば勝手に蒸し上がりそうなほどの暑さにこころの心は折れる寸前だったが、ラムネを飲んだことにより何とか持ち直した。
雲一つない青空を見上げながらこころは、
「暑くて嫌になるねー」
「そうですか? 私は好きですよ。夏には楽しいものがいっぱいあって、この暑さも楽しみの内の一つだと思いますが」
こころにはその感覚はよくわからなかった。夏は暑い季節。ただそれだけだった。
「それにしても、こころさんが手伝ってくれて助かりました。私一人じゃもっと苦労していましたから」
早苗は夏祭りが好きなのだと言う。だから里で近々祭りが開催されると聞いて居ても立ってもいられなかったらしい。せっかくだから何か出店を出したいと考えたのだが、人手が足りずに困っていた。そんな時に彼女はこころを見つけたのだ。避暑地と言えば山だろうと思い、ふらふらと妖怪の山を訪れたこころに早苗はものすごい剣幕で捲し立てて、半ば強引な形で手伝う約束を取り付けたのだ。
「私もお祭り好きだし、いいよ。それにお駄賃もくれるし。この前、耳みたいな髪型してる人が、世の中はお駄賃で回ってるって教えてくれたから、頑張らないと」
「なけなしのお小遣いからのお駄賃ですから、ほんの少ししか出せませんけれどね。でも、お祭りでかき氷が売れればその分出せる額も増えます。頑張って稼ぎましょう!」
その言葉に、おー、とこころは声を出して拳を高く掲げる。
「そうそう。私たちはかき氷を売るわけですが、ただのかき氷だとつまらないでしょう」
「ただのかき氷?」
「イチゴとかレモンとかメロン、それにブルーハワイ。そんな普通な味だと他との差別化がはかれません!」
「じゃあどうするの?」
「というわけで、私は考えてきました。見てください」
早苗が指差す場所には段ボールが置かれていた。
「神奈子様と諏訪子様の協力の下、様々な味のシロップを作り出すことに成功しました」
段ボールを開けると、そこには色とりどりの液体が入った容器がぎっしりと詰められていた。一体いくつ作ったんだろうとこころは思う。
「しかし、実はまだ試食をしていないので実際にどんな味がするのか私はまだ把握していません。ですので今から二人で試食をして、この中から当日に出す味を決めてしまおうと思うんです」
「なるほどー。わかった」
早苗はさっそくすぐ脇に置いてあったでっかい箱からでっかい氷を取り出すと、それをかき氷機にセットした。片手でハンドルを握り、もう片方の手には表面に「氷」と書かれたカップを持ってかき氷機の下で構える。
ハンドルを回し始めるとブロックの氷が削り取られ、雪のように真っ白い粉状の氷になって早苗の持つカップに降り注ぐ。
早苗が慣れた手つきで器用に両手を操るとものの数秒で、カップに綺麗な山盛りのかき氷が出来上がった。
「早苗すごい。手つきが慣れてる」
「ふっふっふ。そうでしょう。実はこれが初めてじゃないんです。今までにも何回かやったことがあるんです。外の世界にいた時ですけれど」
「へえ、そうなんだ。意外な特技だねー」
「さて何はともあれ、問題はシロップです。何味がいいかな」
早苗はそう言うと段ボールの中のシロップを眺める。少し考えてから、一つを抜き出した。
「じゃあ、まず最初はこれにしてみましょう。ブドウ味。探せばありそうですが、食べたことはありませんね」
先ほどのかき氷に紫色のシロップがかけられる。鮮やかな色合いになる。
「じゃあ、こころさん。先に食べてみてください」
「ありがとう」
進められるままにスプーンですくうと、それを口に運ぶ。
「美味しい!」
早苗も一口食べる。
「なるほどなるほど。確かにこれは美味しいですねえ。なかなかです」
良くあるブドウ味と言っておきながらその実全然ブドウの味がしないものとは違い、このシロップはブドウの味がはっきりと出ていた。甘みもちょうど良くてこれなら十分いけると思う。
ブドウ味もそこそこに次の味へと移る。
「じゃあ次はパイナップル味。こちらもありそうですが、お祭りではまず見かけませんね」
色的にはお祭りでよく見かけるレモン味と一緒だった。まずこころが食べる。
「これも美味しい。甘酸っぱさが良い感じだ」
「ふむ。そうですね。これもなかな評価は高いんじゃないでしょうか」
早苗が頷く。ふわっと甘みが広がり、その後にやって来る酸味が口の中をさっぱりとさせてくれる。とても美味しいと思う。
「ところで、甘酸っぱい食べ物なんかに『初恋の味』とか言いますけれど、あれって嘘ですよね。私は全然違うと思うんです。こころさんはどう思います?」
「うーん、私にはよくわかんない」
「そうですか。ま、そんなことはどうでもいいです。次行きましょう。ブドウ、パイナップルと無難な味だったので、ここらでちょっとチャレンジしてみますか。というわけでこちら。ハバネロ味行ってみましょう」
「ハバネロ? 何それ?」
「あらご存じないですか。じゃあ食べてからのお楽しみと言うことで」
早苗が新たに作ったかき氷の上にシロップをかける。真っ赤な色をしたシロップだった。良く見かけるイチゴ味のシロップをより毒々しくした感じだ。しかし、こころはどうせかき氷のシロップなんてどれも甘いんだろうと考えていた。完全に油断していた。
「さあ、どうぞ」
「いただきます」
ぱくり、と一口。
その瞬間、舌先から伝わった電気信号が脳みそを貫いた。
「うわくぅあらぁあああーーーーい!」
とてつもない辛さ。こころはあまりの衝撃にすっ転びそうになる。何だこれは!? などと考える余裕もない。辛いという情報で脳みその処理能力はいっぱいだ。
口の中で暴れ回る辛みは第二波第三波と続けざまに押し寄せて、もはや辛いと言うよりは痛いと言った方があっていた。一口でこの威力なのだから、相当な辛み成分を盛り込んだのだろう。辛さは新聞勧誘の人のようなしぶとさで口の中からなかなか出ていこうとしないため、こころは体をくねらせてもがき苦しみ続けるしかなかった。
そして早苗はそのこころのリアクションを見て笑い転げている。
「ふ、……ふふふ。こころさん、ナイスリアクションです!」
そう言ってこころに向けて、ぐっと親指を立てる。
早苗のことを恨めしく思うが、今のこころにはどうすることもできなかった。しばらくしてようやく苦しみから解放されたこころは般若の面をかぶり怒りをアピールする。
「早苗も食べなよ!」
「私はノーセンキュー! こころさんの反応でこれはダメだとわかりましたから。ダメなものに時間をかけるのは無駄です」
世の中って理不尽だなー、とこころは一つ学ぶのであった。
早苗はハバネロ味を脇に置くと、すぐに次のかき氷の準備に取りかかる。
「さすがにハバネロ味は飛ばしすぎたので、次は少しランクを落としましょう。というわけで梅味を行ってみましょう」
今度はなじみ深い食べ物だったが、しかし出来上がったそれは色合いが先ほどのハバネロ味と若干似ている。こころは用心しながら、そっと一口食べる。
「……酸っぱい。すごく酸っぱい」
まさしく梅だった。梅干しだった。まごう事なき梅干しの味だった。
今度は早苗も食べる。
「う~ん、確かに酸っぱい。かなり年季の入った梅干しって感じの味ですね」
「こんなの売れないよ。レモン味だって全然酸っぱくなくて甘いでしょ。やっぱりかき氷は甘くないと」
こころが言うと、早苗は「そうですかねぇ」と考える素振りを見せる。
「あ、そうだ。良いことを思いつきました」
あまり良い予感はしなかったが、そんなこころの心配をよそに早苗は新しくかき氷を作り、その上に今度は透明なシロップをかけた。
とりあえず食べてみてください、と早苗が言うのでしぶしぶ食べてみる。特に味もない。臭いもない。一体なんだろう。
「これは何? 味がないよ」
「そうでしょう。では、この梅味をもう一回食べてみてください」
気乗りはしなかったが仕方なく食べてみる。すると、
「あれ! すごく甘い!」
「どうですか、すごいでしょう。まさしく奇跡です!」
「本当にすごい。どうやったの?」
「こころさんはミラクルフルーツというものを知ってますか?」
「何それ?」
「そのミラクルフルーツというのは、苦みや酸味を甘みに変える成分が含まれているんです。それでそれをシロップに応用したら面白いんじゃないかと思って、今回作ってみたのです」
へー、とこころは感心する。そんな物があるのかとまた一つ賢くなったこころであった。さっきまで酸っぱかっただけの梅味は、蜂蜜のように甘く美味しいかき氷へと変貌した。すごい不思議。
「じゃあ、こっちのハバネロ味も食べてみてください」
かき氷を差し出す早苗の動作があまりにも自然だったので、こころは疑うことをしなかった。その結果、
「辛あああ~~~~~い!」
てっきりこっちも甘くなっていると思っていた分、その衝撃は半端なかった。
そうしてまたこころは苦しみもがき、早苗は笑い転げるのであった。
それから二人はあれこれと試食してみた。結果、最初の方に食べたブドウとパイナップル、それに早苗がどうしても出したいと言ったミラクルフルーツ&梅味、この三種類の味を当日に売ることに決定した。
そんなこんなで祭り当日。
冬ならとっくに日が沈んで真っ暗になっている時間帯だろうが、八月はまだまだ明るい。そんな時間から始まった夏祭りは、大勢の人が集まり、軒を連ねる屋台の前に列を作っている。
こころと早苗のかき氷屋も、昼間の猛烈な暑さの影響からかなかなかの盛況っぷりを見せた。早苗がかき氷機を器用に操り、カップに氷の山を作る。それをこころが受け取ってお客さんの好みのシロップをかけてから渡す。祭りが始まってからその動作が延々と続き、一息つく暇もないほどだった。
ブドウ、パイナップル。この二つが売れるのは予想していたが、思いの外ミラクルフルーツ&梅味が同じくらい売れていることにこころは驚く。確かにものすごく珍しいものではある。まずここ以外ではお目にかかれないだろう。みんな興味本位で買って行っているのかもしれない。すごく変わった味のかき氷食べたんだ、みたいな話のネタとして使えると言えば使えるだろう。
何はともあれこころにとっては嬉しい誤算だった。儲けが増えれば早苗から貰えるお駄賃も増えるわけだ。
二時間ほど経ってからようやく少し空きができるようになってきた。いつの間にか日は沈み夜空が広がっていた。里の通りには提灯が至る所に掲げられていて、道行く人たちを照らしている。
客足が途絶えた時、早苗が横から、
「少し疲れましたね。こころさんは平気ですか?」
「ちょっと疲れたけれど、平気だよ。むしろ早苗の方が疲れてるんじゃない? かき氷作るの結構力いるでしょ」
「言われてみればちょっと腕が重いかもしれません。集中してたから気付きませんでした。でも、やっぱりお祭りっていいですね。すごく楽しいですよ」
こころから見ても早苗が祭りを楽しんでいるのが見て取れた。
「早苗は何でお祭りが好きなの?」
「何ででしょうね。とにかく雰囲気が好きなんです。みんなが大勢集まってすごく賑やかになりますし、屋台もいっぱい出て、美味しい物もたくさんあって。みんな楽しそうな顔で。お祭りの場所にいるだけでも気分が高揚してきます」
そうなんだ、とこころは頷く。早苗の気持ちもこころにはわかる気がした。確かに今ここにいることを楽しいと感じている。こうして出店を構えて何かを売るという経験は初めてだったが、何か心が満たされるような気がしてくる。通りを歩く人の笑っている顔を見るとすごく和やかな気持ちになる。どこからか聞こえてくる太鼓の音や、人々の喧噪。そう言った一つ一つの要素が、何かすごく特別なもののように感じる。祭りには不思議な力があるのだ。
「ちょっと昔の話をしましょうか」
と早苗が静かに切り出した。
「まだ私が外の世界にいた頃のことです。私には仲の良い子がいて……、そうですね仮にAちゃんとしておきましょうか。そのAちゃんと私は性格とか趣味とか、後は服のセンスとか、とにかくいろんなものの気があってすごく仲が良かったんです。家が近かったから、学校から帰る時はいつも二人で並んで帰りました。遊ぶ時もAちゃんと一緒にいるのが普通でした。彼女は優しくて他の人に対して気配りが上手な子で、後はお菓子作りが得意で、良く彼女が焼いたクッキーを一緒に食べました。いつもクッキーありがとう、と私が言うと彼女は、いいよ、一緒に食べた方が美味しく感じるから、と笑っていました。
誰かと一緒だと、楽しいことを経験した時にその楽しさは二倍になるような気がする。逆に悲しいことを経験した時にはその悲しみは半分になるような気がする。そんなことを彼女が口癖みたいに言っていたのを良く覚えています」
早苗は思い出すように、懐かしむように言葉を続ける。
「確か梅雨の少し前ぐらいの時期だったかな。Aちゃんが私に言ってきたんです。好きな人ができた、って。誰なのって訊いたら同じクラスの男の子で……、じゃあその子をB君としましょう。その子の名前を聞いたとき、ああ、やっぱり、と私は思いました。何となくですがそんな気がしていたんです。いつも一緒にいる分、そういうちょっとした変化に気付きやすかったのかもしれません。
学校で私とAちゃんは同じクラスで、B君も同じクラスでした。それで私はAちゃんの初恋を応援することにしたんです。B君は明るい性格で見た目も良くて女子からの人気も高くて、後は英語の発音が良くて、……まあとにかく人気がありました。
何はともあれまず会話をしないことには始まらないので、最初の内はまず私がB君に話しかけてそれとなくAちゃんが話に入って来やすい雰囲気にしたり、二人だけで話ができきるように私は自然にその場から離れたりと、思いつくことは色々とやりました。そうした努力のかいもあってAちゃんとB君は傍目から見てもだいぶ仲良くなったんです」
こころは語られる思い出を黙って聞いていた。
「それから夏休みに入って、Aちゃんから連絡が来たんです。どうやら地元で行われるお祭りにB君が行くという話を聞いたみたいで、その場所でついにB君に告白するんだって、私に言ってきたんです。私は当然Aちゃんのことを応援するし、手伝いもすると言いました。
告白なんてそれこそものすごい勇気が必要だと思うんです。もし相手に拒否されたらって考えると、本当に怖いです。Aちゃんがそう決意するまでに一体どれだけの恐怖と対峙したのか、考えるだけでも胸が苦しくなって、なんとしても彼女の恋が叶って欲しいなと思いました」
そこで早苗は一息ついた。どこかで寝ぼけた蝉が鳴いていた。
「そしてお祭り当日になり、私はAちゃんと合流しました。B君がお祭りに来るという情報はあったもののどこにいるのかまではわからなかったので、一緒にB君を探すことにしました。Aちゃんは浴衣を着て可愛らしい髪飾りもしてばっちりおめかしをしていて、いつもよりずっと可愛く見えて、これなら行ける、絶対に行けるって私は思い、そのことをAちゃんに言うと彼女は喜んでいました。
お祭りにはすごく大勢の人がいましたけれど、どうせ場所は限られているのだからすぐに見つかるだろうなんて甘く考えて、色々屋台を見て回りながら焼き鳥を買って食べたり、水飴を舐めながら二人でどういう風に告白すればいいのか話をしたり、焼きそばを食べようとするAちゃんに、いざというときに歯に青のりが付いていたらみっともないでしょ、なんてたしなめたりしました。
だけど少しずつ焦りがでてきました。B君が全然見つからないんです。このまま見つからなかったらどうしようって不安になりました。今日やると決めたからには今日やらないと行けなかったんです。また次の機会に、なんて言ってたら絶対同じように繰り返してしまうと思うから。だから、なんとしてもB君を見つけなければならなかったんです。それで私はAちゃんに二手に分かれて探すように提案しました。でもAちゃんはそれを拒否したんです。私が一緒じゃないと不安だから、絶対だめだって。その時の彼女の顔には切実さが表れていました。ああ、やっぱり怖いんだなと私は思って、それでも何とか告白しようと頑張ってるAちゃんはすごく立派で、じゃあ二人で頑張って探そう、絶対告白して良い返事を貰って、その後二人でお祝いしようね、って私は言いました。
辺りは人でごった返していて、人の波をかき分けながらB君を探しました。すっかり夜になっていて提灯などで明るくはなっていましたが、それでも薄暗いところもあったりして、一人一人顔を見分けるのも大変でした。なんとしても見つけたいって私は強く思いました。Aちゃんの悲しむ姿は見たくなかったんです。
そうして二人であちこち探し続けて、やっとB君を見つけることができました。暗がりにいたのでなかなか見つけづらかったですが、体格や髪型から判断が付きました。それで私はAちゃんの肩を叩いてB君の方を指差しました。Aちゃんは黙って頷きました。一人で行く? と私は訊くと彼女はついてきて欲しいと言うので、一緒にB君の方へと歩き始めました。
その時に、いきなり花火が上がったんです。花火が上がるなんて事前に連絡がなかったので辺りにいた人たちはみんな驚いていました。
音からして結構近くで上がったみたいで、暗闇が花火の光で照らし出されました。
その瞬間、私は見てしまったんです。
B君の隣には女の子がいました。そして、B君はその子と手を繋いでいたんです。花火が上がる度にぱっと辺りが明るくなってその様子がはっきりと見えました。B君はTシャツにジーンズ姿で、隣の女の子は花柄が入った薄紫色の浴衣を着ていました。二人は花火の方を指差して、お互いに顔を向けてすごく親しげに笑いあっていました。
私はしばらくその様子を呆然と眺めてから、ああ、そっか、と思いました。当然と言えば当然です。B君は人気がありましたから、彼女がいてもまったくおかしくはありませんでした。ただ、隣にいるAちゃんのことを考えるとすごく苦しくて、胸が張り裂けるような思いにとらわれました」
早苗はそこで少し押し黙った。
「それでその後どうしたの?」
こころが機を見て尋ねる。
「私は隣にいるAちゃんの方へ顔を向けました。彼女も私の方へ顔を向けました。何も言わずに五秒くらい見つめ合って、それからAちゃんがそっとB君に背を向けて歩き始めたので、私はその後をついて行きました。
歩いている間、私たちは黙っていました。沈黙がすごく気まずくて、私は何か言わなくちゃいけない、Aちゃんを慰めなければいけない、と何とか言葉を探したんですが、何を言えばいいのかまったく見当も付かなくて、何も言えないまま少し経った時、Aちゃんが、かき氷でも食べようか、と言ってかき氷屋さんを指差しました。うん、と私は答えて、Aちゃんはイチゴ味、私はメロン味を買いました。それから人が少ない方へと二人で歩いて行って、ほとんど明かりもない静かな土手で二人並んで、打ち上がる花火を眺めながらかき氷を食べました。相変わらず何を話せばいいのかわからなくて、食べている間もずっと黙ったままでした。
花火も終わり、かき氷を食べ終えた時にAちゃんがそこで口を開きました。かき氷美味しかったね、って。それで私は、うん、って答えました。それから彼女は、こうして二人でかき氷を食べたことはきっと忘れないんだろうなー、と言いました。そうかもしれないね、って私は答えました。それから彼女はぽつりと一言、失恋ってつらいね、と。それからすすり泣く声が聞こえて、私もつられて一緒に泣きました」
早苗は静かに息を吐いた。
「今でもこうしてお祭りの時期になると、ふとその時の記憶を思い出します。悲しい思い出ですけど、彼女との大切な思い出でもあります」
「ちょっと切ないけれど、良い思い出だね」
こころが言うと、早苗はそっと頷いた。
「彼女元気にしてるかな……」
「早苗は外の世界に戻りたくなったりしない?」
「いえ、この場所を気に入っているので戻りたくなったりはしません。ただ、向こうに置いてきた人たちのことが時々気になります。特にAちゃんとは本当に仲が良かったから、今でも良く思い出します。元気でいてくれたらいいんだけど……」
「きっと大丈夫だよ。早苗の友達なんでしょ。なら、何となくだけど元気でいる気がする」
まったく根拠のない言葉だったが早苗は笑って、そうですね、と返してくれた。
それからまた再びお客さんの波がやって来て、こころと早苗はせっせとかき氷を売った。
こころは作業をしながら考える。
先ほどの思い出話。何となく、もしかしたら気のせいかもしれないが、こころには早苗が何か隠しているように思えた。それは論理的な思考から導き出されたようなものではなく、完全に直感から得た実体のないひどく漠然とした感情だったが、早苗が思い出を語っている時の顔を思い出すと、どうしても何かあるように思える。
でも考えたところでそれが一体何なのか、こころにはわからない。
お客さんの波が過ぎ去った頃、
「こころさん。休憩に行っていいですよ。これくらいなら私一人でも問題ありませんから。お祭りを楽しんで来ちゃってください」
「わかったー」
先ほどの疑問は一度忘れてこころは通りへと繰り出した。
色々な屋台があってこころは心が躍った。お面屋があったので寄ってみたかったけれど、お面屋の店主が「こちとら遊びじゃねえんだよ!」と叫んでいたのでやめておいた。とりあえずお腹が空いていたので、適当に食べ物を買い食いした。こころはこれから告白する予定もないので、心置きなく焼きそばを食べて歯にいっぱい青のりを付けた。
できればもう少し歩き回って祭りの雰囲気を堪能したかったが、散策も程々に早苗の許へ戻る。
「あら、こころさん。早かったですね」
「うん。早苗も色々と見て回りたいでしょ。お祭り好きなんだもんね。だから行ってきなよ。ここは私に任せろ!」
「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えることにします。こころさん任せました!」
そんなわけで店番を預かったこころは、かき氷を売ることに精を出す。最初はかき氷をうまく山盛りにできなかったが、すぐに慣れてうまく作れるようになった。
お客さんが来ない間、こころは再び考える。
今度は恋について。こころは感情についてまだまだ勉強中の身だった。そんな彼女にとって恋とは特に難しい感情だ。こころは恋をしたことがない。恋をしないことには恋という感情を知ることはできないわけで、じゃあ恋をしようなどと思ってもその方法すらわからない。果たして自分はいつか恋を理解できる日がくるのだろうか。こころは疑問に思う。
と、そんな時にやってきた。
「あれ、こころじゃないか。何してんだ?」
「おー魔理沙いらっしゃい。見ての通り、かき氷を売ってるんだよ」
たまたま通りがかった魔理沙が興味深げに眺めてくる。
「へえーそうなのか。ブドウにパイナップルに、……何だこのミラクルフルーツ&梅味ってのは?」
「当店のオススメです」
「ほんとかぁ? じゃあそいつをくれ」
ハンドルの動きに合わせて中の氷も回転する。しゃりしゃりと音を立てて、こころの持つカップに綺麗な氷が降り注ぐ。それに梅とミラクルフルーツのシロップを七と三の割合でかければ完成。
「へいお待ち」
「おお、何だか様になってるな」
出来上がったかき氷を魔理沙に渡しながら、ふと思ったことを訊いてみる。
「魔理沙は、恋ってしたことある?」
「どうしたんだいきなり。……まあ、あると言えばあるよ。良い思い出ではないけれどな。でも良い経験ではあったと思う」
「うまく行かなかったの?」
「うん。まあ、そうだな。うまく行かなかった。仕方ないさ、恋ってのはそういうもんだ」
「そうなんだ」
魔理沙は受け取ったかき氷をじっと見つめながら、
「失恋ってのはつらいもんだな。あの瞬間は不思議な感覚だよ。何て言うんだろう、水の中にいるような感じかな。いや、違うな。もっとこう、世界から切り離されたような感覚かな」
「世界から切り離されたような感覚?」
「うん。今までいた世界が遠くなって何も感じられなくなるんだ。ただ自分だけが存在していて、すごく胸が痛くて、失恋したって現実が頭の中でぐるぐる回ってるんだ。でもその現実を受け入れられない自分もいて、訳がわからなくて、それでとにかくつらいんだ」
「もしかして悪いこと訊いちゃった?」
気分を悪くさせてしまったかと思い心配する。
「いいよ。昔の話だからな」
そう言って魔理沙は明るく笑った。どうやら気にしていないようでほっとした。
その時だった。辺りに轟音が響いた。何だ!? とこころは驚き、咄嗟に音がした方へ顔を向ける。夜空に鮮やかな色が出現して何だかわかる。花火だ。
こころと同じように魔理沙や周りにいた人たちも突然の花火に驚き、どよめいた。しかしそれはすぐに歓声へと変わり、みんなが同じ方向を見る。
「花火か。いいねえ。やっぱり祭りには花火だろう」
「いきなりだから驚いたけれどね」
「はは、そうだな」
こころと魔理沙も打ち上がる花火を見上げる。夜空を彩ってはすぐに消えていく。儚くて、それでいて美しい。
花火の音に混じって、「うわ、何だこれ。めちゃくちゃ酸っぱい」と叫ぶ声がした。
魔理沙がどこかへ行った後、早苗が帰ってきた。
「こころさん、戻りました」
「おかえりー」
「花火綺麗でしたね」
花火は今上がっていない。全部打ち終えたのか、それとも小休止しているのか。
早苗が来るまでこころは色々と考えてみた。そうして漠然としていたものの正体を掴んだような気がした。
魔理沙が来てくれたおかげだった。魔理沙が話してくれた経験の中に謎を解く鍵があったのだ。早苗が話してくれた思い出の裏に隠された真実を見いだす鍵が。だから、それを早苗に突きつけてみようと決めていた。
「ねえ早苗。さっきの話で思ったんだけど」
「はいなんでしょう」
「早苗は、B君のことが好きだったんだよね」
早苗は特に反応を見せなかった。ただゆっくりとこころへ視線を向けた。
「どうしてそう思うんです?」
「Aちゃんとは何でも気が合うって言ってたから」
「それだけが理由ですか?」
「ううん。それとね、花火。いきなり花火が上がったって言ってたよね。普通はびっくりしてそっちの方を見ると思うんだ。でも早苗は花火が上がったとき視線をそらさなかった。ずっとB君の方を見ていたんだよね。早苗の話からはそんな感じに聞こえたけれど」
「それは、だってAちゃんが隣にいましたから。彼女がせっかく頑張って告白しようとしている時に、その告白しようとしている相手に恋人がいるなんて知ってしまったらショックを受けますよ。花火を気にしている余裕なんてなかったんです」
「本当にそれだけ? 私は違うと思う。さっき魔理沙が話してくれたよ。失恋した時のこと。世界から切り離されたような感覚なんだって。私にはよくわかんないけど、きっと周りのことなんか気にする余裕がなくなっちゃうんだと思う。B君が女の子と手を繋いでいるのを見て、早苗はその瞬間に自分が失恋したことを悟ったんだ。だから花火のことなんか気にならなかった。気にすることもできなかった。ずっとそのままB君の方を見ていることしかできなかった。早苗がその瞬間のことをやたら詳しく覚えているのはきっとそのせい。……違うかな?」
こころが言い終わると、早苗はしばらく黙っていた。
それから白状するようにふうと息を吐いた。
「そうですね。その通りです。あの時は本当に何も考えられなかった。……ふふ、世界から切り離されたような感覚かぁ。確かにそんな感じかもしれませんね」
「早苗はいつからB君のことが好きだったの?」
「AちゃんがB君のことを好きだと私に言った時、私はまだB君に恋心を持ってはいませんでした。それがAちゃんの手伝いをしている内に、B君のことが段々と気になり始めて、いつしか好きになっていたんです」
早苗は笑みを浮かべる。少し寂しげな笑みだった。
「Aちゃんの恋を応援していたのは本当です。心から二人がくっつけばいいと思ってました。その気持ちに嘘はありません。ただ、やっぱりそうなったとしても私は傷ついたんだろうなあ」
彼女はそう言って夜空を見上げる。いくつもある星の光の一つに、もしかしたらあったかもしれない別の結末を探しているかのように。そこにはAちゃんの恋が実った世界もあるし、もしかしたら早苗の恋が実った世界もあるのかもしれない。でも結局、現実は一つだ。
一夏の恋の思い出。早苗が何を思い、何を感じたのか、こころには理解できなかったけれど、その時の早苗の気持ちを想像してみると胸の奥がもやもやとして苦しかった。
そして、こころにはもう一つだけ言っておかなければならないことがあった。
「早苗が話してくれた思い出に、実はまだ隠されていることがあると思うんだ」
「私はもう何も隠してませんよ」
「うん。だから早苗じゃなくてAちゃんの方。早苗が私に隠し事をしたように、Aちゃんも早苗に隠し事をしていたんだと思う」
「Aちゃんが私に隠し事?」
早苗は意外そうな顔をした。まったく心当たりがないようだ。
「うん。あくまで私の想像で、本当はどうだったかはわからないんだけど。でも、いま早苗がやっぱりB君のことが好きだったってことがわかったから、やっぱりそうなんじゃないかな、って私は思うんだ」
「聞かせてください。彼女は私に何を隠していたんですか」
早苗の言葉に、こころが話し始める。
「Aちゃんはお祭りでB君に告白しようとしたんだよね。でも実はAちゃんはすでにB君に恋人がいることを知っていたんじゃないかな。それを知りながら早苗に連絡して、お祭りでB君に告白するってことを伝えて、早苗と一緒にお祭りに行くようにしたんだと思う」
何を言っているのか理解できないといった表情で早苗は一瞬固まり、それから一言、
「どうして?」
「言ってたよね。B君のことが好きなんだ、ってAちゃんが伝えてきた時に早苗は、やっぱり、と思ったって。いつも一緒にいた分ちょっとした変化でも気付きやすくなってたって。早苗がAちゃんの変化に気付いたように、Aちゃんも早苗の変化に気付いたんじゃないかな。つまり、早苗がB君に思いを寄せていることにAちゃんは気付いたんだと思う。 AちゃんがいつB君に恋人がいることを知ったのかはわからないけど、もしかしたらB君がお祭りに行くって情報を知った時に、そのことも一緒に知ったのかもしれない。恋人と一緒に行く、みたいにね。
それでAちゃんは失恋した。きっとものすごくショックを受けたんだと思う。すごくつらい思いをしたんだと思う。
だから、早苗には同じ思いをして欲しくないって彼女は思ったんじゃないかな。でもB君にはすでに恋人がいるから、早苗が失恋してしまうことは避けられない。そのうち絶対に気付く時が来る。それならいっそ、できるだけつらい思いをしないような形で早苗に失恋させようと彼女は考えたんだよ。
それでAちゃんは計画を練った。お祭りにB君と恋人が一緒に来るということを知っていたから、それを利用しようと思った。それで早苗にお祭りに来るように連絡したんだ。
お祭り当日になってB君を一緒に探したんだよね。でもなかなか見つからなかった。それで早苗が二手に分かれて探そうって言った時に、Aちゃんは切実な顔をして拒否した。それは不安だったからって理由じゃないと思う。どうしても早苗と一緒にいなきゃいけなかったからなんだよ。そうじゃなきゃ、Aちゃんが考えた計画通りにはいかなくなっちゃうから。彼女の計画では、B君が恋人といる場面を早苗と一緒に見なければいけなかった」
そこまで説明して、早苗もようやく思い当たるものがあったようだった。
早苗がぽつりとつぶやいた。
「彼女の口癖……。誰かと一緒だと、楽しいことを経験した時にその楽しさは二倍になるような気がする。逆に悲しいことを経験した時にはその悲しみは半分になるような気がする……」
「うん。だから、Aちゃんは早苗と一緒に失恋するシチュエーションを作ったんだよ。一緒に失恋したと早苗に見せかけたんだ」
花火が上がったあの瞬間、失恋したのはAちゃんではなく早苗だった。事情を知らない早苗からすればAちゃんも一緒に失恋したということになる。それがAちゃんの狙いだったのだ。一緒に悲しいことを経験すればその悲しみは半分になる。失恋のつらさだって、きっと半分になると思ったのだ。
彼女が本当にそう信じていたのかはわからない。それにこれはあくまでこころの考えなのだ。確証も何もない。ただこころがそう思っているだけという可能性は十分にある。実際はもっと単純で、ただAちゃんと早苗が失恋した話というだけなのかもしれない。
それでも、とこころは思う。
少しでもいい。ほんの少しでも早苗が受ける悲しさやつらさを軽減できればいい。そんな風にAちゃんは考えていたのではないかと、何となくこころはそう思うのだ。
「本当に……そうなのでしょうか。Aちゃんは本当にそんなことを……」
「本当の所は私にはわからない。もしかしたら私の考えた通りなのかもしれないし、実際はそうじゃないのかもしれない。Aちゃんが本当にそこまで考えて行動したのか、私なんかよりも早苗の方がずっと良くわかるんじゃないのかな?」
沈黙が訪れる。
やけに静かだった。あれだけ騒がしかった祭りの喧噪が、今はどこか遠くへ行ってしまったかのようだった。
何の前触れもなかった。
それはごく自然に起こった。
早苗の目から、一滴の涙が線を引くように、すーっとこぼれ落ちた。
それから次々と涙が溢れ、早苗はかがみ込むようにうつむいてしまった。
突然の出来事にこころは驚く。こういう時にどうすればいいのかわからずに戸惑う。
早苗はうつむいた顔を両手で隠しているが、嗚咽までは隠すことができずに、それが余計にこころを焦らせる。
おまけにこんな時に限って「すいませーん。かき氷くださーい」とお客さんがやって来る。帰れコノヤロー、と罵声を浴びせかけてやりたかったがそんなわけにもいかない。
こころには他に思いつく手段がなかったので、
「ねえ早苗。これ貸してあげる。顔も隠せるし、もしかしたら少しは楽しい気分になるかもしれないから」
そう言ってこころが早苗に差し出したのは、ひょっとこの面だった。早苗は顔を上げずに片手でそれを受け取った。
仕方なくこころがお客さんの対応をしている時、後ろからくぐもった嗚咽が聞こえたので、どうやらお面をかぶったのだと気付く。効果のほどはわからなかったが少しでも気分が紛れればいいと思う。
かき氷の売れ行きは好調だった。たくさん用意していたブロック氷も、残すところ一つとなった。たくさん売れたのはこころとしても嬉しい限りだったが、今はとにかく早苗の様子が心配だった。
通りを歩く人も段々と減ってきたように見える。少しずつ祭りの終わりに近づいていっているのを感じる。少し寂しい気持ちになる。
どれくらい時間が経っただろうか。
早苗がゆっくりと立ち上がり、こころに後ろから、
「ねえ、こころさん」
「うん?」
「昨日二人で色々と試食しましたが、実は一つだけまだ食べてない味が残ってるんです。食べてみませんか」
なぜそんなことを早苗が言い出すのかわからず、こころはただ早苗を見る。相変わらずひょっとこの面をかぶっているのでその下の素顔がどうなっているのかはわからなかった。とりあえず早苗がかき氷を作るのを見守っていた。彼女が用意したかき氷には緑色のシロップがかけられた。
はいどうぞ、と差し出して来る。
こころは黙って、とりあえず一口。
「うげえー、まずい。何これすごく苦いよー」
すごい苦みが口の中いっぱいに広がる。嫌な青臭さもある。
こころがあまりのまずさに舌を出す。
とそんなこころの反応を見た早苗がひょっとこの面を取り去った。少しまだ目が赤くて涙の線が残っているものの、表情はすっかり元気になっていた。
彼女はにやりと笑って、
「夏と言えば、夏ばて。夏ばては非情に厄介な問題です。というわけで夏ばてに効果がある食材の味のかき氷を出したら売れるんじゃないかと思ったんです。残念ながら神奈子様や諏訪子様の反対にあって断念しましたが、一応取っておいたんです」
「なに味なの?」
「ゴーヤ味。またの名を『初恋の味』です」
これが初恋の味かー、とこころは思う。こんなの全然ノーセンキュー。食べたくない。
「早苗も食べてよ!」
「私はいりません! だってとっくの昔に味わいましたから」
早苗は意地でも食べたくないらしい。結局こころが全部食べるはめになった。こころが世の中の理不尽さについて考えていると、再び花火が打ち上がった。夜空を綺麗に彩ると、大きな歓声が響いてくる。
早苗もその様子を見て楽しそうに手を叩いた。
こころには恋という感情がわからない。だからAちゃんの気持ちもわからないし、早苗の気持ちもわからない。世の中わからないことだらけだ。まだまだ学ぶべきことはたくさんあるのだとこころは感じた。
ただ一つ学んだことがある。夏は楽しい、ということ。
夏はまだ終わらない。暑くて嫌になるけれど、あと少しだけこの夏を楽しみたい。そんな風にこころは思った。
こころは今、かき氷機を抱えている。
これがすごく重い。季節は八月。一番暑い時期の一番暑い時間帯にこれを抱えて、人里を歩いているのだからたまったもんじゃない。
誰か手伝ってよ、と言いたいが辺りにいる人たちもみんな明日行われる夏祭りに向けての準備で忙しいらしく、こころの方に気を止めるような人はいない。頑張って一人で運ばなければならないらしい。
こころは暑さには強くないし、暑いのは嫌いだった。だから夏もあまり好きじゃなかった。好きじゃないけれど季節は巡ってくるもので、今年も無事やってきたわけで、できれば今年の夏は涼しい場所で何もしないで暑さが過ぎるのを待っていたいなー、なんて考えていたのだけど、こうして祭りの手伝いにかり出されているのだからその考えはどうやら甘かったらしい。
苦労しながらも何とかこの嫌になるほど重たい鉄の塊を目的の場所まで運ぶことができた。台の上にそっと置くと、「ふ~~」と深く息を吐き、額に浮かんだ汗を拭った。
と、そこでこころが手伝わされることの原因となった人物が台の向こう側からひょっこり顔を出した。
「あ、こころさん。ご苦労様です。大変だったでしょう」
と緑色の髪を陽の光に反射させながら早苗が言う。
「うん。疲れた。もう腕が上がらない」
「そんなこころさんに、はいこれ」
早苗が差し出してきたのはラムネだった。
「おお! ありがとう!」
喉がからからだった。あんなくそ暑い中をくそ重たい物を抱えて歩いていれば誰だって喉は渇く。早苗から受け取ったラムネビンはひんやりと冷えて水滴を纏っていた。
二人でラムネを開ける。泡が大量に飛び出してきてあわあわしちゃったのはもはや昔、こころはラムネ開けの名人である。
そんなわけで渇いた喉を潤す。火照った体が内側から冷えていくのがわかる。干上がった田んぼに水路から水が押し寄せてくるような感覚。
「うまーい! 生き返る!」
「ですねえ。やっぱり夏と言えばこれでしょう」
暑い日に飲むラムネは最高だと思う。こころも早苗もご満悦だ。
シュウマイやら肉まんを外に置いておけば勝手に蒸し上がりそうなほどの暑さにこころの心は折れる寸前だったが、ラムネを飲んだことにより何とか持ち直した。
雲一つない青空を見上げながらこころは、
「暑くて嫌になるねー」
「そうですか? 私は好きですよ。夏には楽しいものがいっぱいあって、この暑さも楽しみの内の一つだと思いますが」
こころにはその感覚はよくわからなかった。夏は暑い季節。ただそれだけだった。
「それにしても、こころさんが手伝ってくれて助かりました。私一人じゃもっと苦労していましたから」
早苗は夏祭りが好きなのだと言う。だから里で近々祭りが開催されると聞いて居ても立ってもいられなかったらしい。せっかくだから何か出店を出したいと考えたのだが、人手が足りずに困っていた。そんな時に彼女はこころを見つけたのだ。避暑地と言えば山だろうと思い、ふらふらと妖怪の山を訪れたこころに早苗はものすごい剣幕で捲し立てて、半ば強引な形で手伝う約束を取り付けたのだ。
「私もお祭り好きだし、いいよ。それにお駄賃もくれるし。この前、耳みたいな髪型してる人が、世の中はお駄賃で回ってるって教えてくれたから、頑張らないと」
「なけなしのお小遣いからのお駄賃ですから、ほんの少ししか出せませんけれどね。でも、お祭りでかき氷が売れればその分出せる額も増えます。頑張って稼ぎましょう!」
その言葉に、おー、とこころは声を出して拳を高く掲げる。
「そうそう。私たちはかき氷を売るわけですが、ただのかき氷だとつまらないでしょう」
「ただのかき氷?」
「イチゴとかレモンとかメロン、それにブルーハワイ。そんな普通な味だと他との差別化がはかれません!」
「じゃあどうするの?」
「というわけで、私は考えてきました。見てください」
早苗が指差す場所には段ボールが置かれていた。
「神奈子様と諏訪子様の協力の下、様々な味のシロップを作り出すことに成功しました」
段ボールを開けると、そこには色とりどりの液体が入った容器がぎっしりと詰められていた。一体いくつ作ったんだろうとこころは思う。
「しかし、実はまだ試食をしていないので実際にどんな味がするのか私はまだ把握していません。ですので今から二人で試食をして、この中から当日に出す味を決めてしまおうと思うんです」
「なるほどー。わかった」
早苗はさっそくすぐ脇に置いてあったでっかい箱からでっかい氷を取り出すと、それをかき氷機にセットした。片手でハンドルを握り、もう片方の手には表面に「氷」と書かれたカップを持ってかき氷機の下で構える。
ハンドルを回し始めるとブロックの氷が削り取られ、雪のように真っ白い粉状の氷になって早苗の持つカップに降り注ぐ。
早苗が慣れた手つきで器用に両手を操るとものの数秒で、カップに綺麗な山盛りのかき氷が出来上がった。
「早苗すごい。手つきが慣れてる」
「ふっふっふ。そうでしょう。実はこれが初めてじゃないんです。今までにも何回かやったことがあるんです。外の世界にいた時ですけれど」
「へえ、そうなんだ。意外な特技だねー」
「さて何はともあれ、問題はシロップです。何味がいいかな」
早苗はそう言うと段ボールの中のシロップを眺める。少し考えてから、一つを抜き出した。
「じゃあ、まず最初はこれにしてみましょう。ブドウ味。探せばありそうですが、食べたことはありませんね」
先ほどのかき氷に紫色のシロップがかけられる。鮮やかな色合いになる。
「じゃあ、こころさん。先に食べてみてください」
「ありがとう」
進められるままにスプーンですくうと、それを口に運ぶ。
「美味しい!」
早苗も一口食べる。
「なるほどなるほど。確かにこれは美味しいですねえ。なかなかです」
良くあるブドウ味と言っておきながらその実全然ブドウの味がしないものとは違い、このシロップはブドウの味がはっきりと出ていた。甘みもちょうど良くてこれなら十分いけると思う。
ブドウ味もそこそこに次の味へと移る。
「じゃあ次はパイナップル味。こちらもありそうですが、お祭りではまず見かけませんね」
色的にはお祭りでよく見かけるレモン味と一緒だった。まずこころが食べる。
「これも美味しい。甘酸っぱさが良い感じだ」
「ふむ。そうですね。これもなかな評価は高いんじゃないでしょうか」
早苗が頷く。ふわっと甘みが広がり、その後にやって来る酸味が口の中をさっぱりとさせてくれる。とても美味しいと思う。
「ところで、甘酸っぱい食べ物なんかに『初恋の味』とか言いますけれど、あれって嘘ですよね。私は全然違うと思うんです。こころさんはどう思います?」
「うーん、私にはよくわかんない」
「そうですか。ま、そんなことはどうでもいいです。次行きましょう。ブドウ、パイナップルと無難な味だったので、ここらでちょっとチャレンジしてみますか。というわけでこちら。ハバネロ味行ってみましょう」
「ハバネロ? 何それ?」
「あらご存じないですか。じゃあ食べてからのお楽しみと言うことで」
早苗が新たに作ったかき氷の上にシロップをかける。真っ赤な色をしたシロップだった。良く見かけるイチゴ味のシロップをより毒々しくした感じだ。しかし、こころはどうせかき氷のシロップなんてどれも甘いんだろうと考えていた。完全に油断していた。
「さあ、どうぞ」
「いただきます」
ぱくり、と一口。
その瞬間、舌先から伝わった電気信号が脳みそを貫いた。
「うわくぅあらぁあああーーーーい!」
とてつもない辛さ。こころはあまりの衝撃にすっ転びそうになる。何だこれは!? などと考える余裕もない。辛いという情報で脳みその処理能力はいっぱいだ。
口の中で暴れ回る辛みは第二波第三波と続けざまに押し寄せて、もはや辛いと言うよりは痛いと言った方があっていた。一口でこの威力なのだから、相当な辛み成分を盛り込んだのだろう。辛さは新聞勧誘の人のようなしぶとさで口の中からなかなか出ていこうとしないため、こころは体をくねらせてもがき苦しみ続けるしかなかった。
そして早苗はそのこころのリアクションを見て笑い転げている。
「ふ、……ふふふ。こころさん、ナイスリアクションです!」
そう言ってこころに向けて、ぐっと親指を立てる。
早苗のことを恨めしく思うが、今のこころにはどうすることもできなかった。しばらくしてようやく苦しみから解放されたこころは般若の面をかぶり怒りをアピールする。
「早苗も食べなよ!」
「私はノーセンキュー! こころさんの反応でこれはダメだとわかりましたから。ダメなものに時間をかけるのは無駄です」
世の中って理不尽だなー、とこころは一つ学ぶのであった。
早苗はハバネロ味を脇に置くと、すぐに次のかき氷の準備に取りかかる。
「さすがにハバネロ味は飛ばしすぎたので、次は少しランクを落としましょう。というわけで梅味を行ってみましょう」
今度はなじみ深い食べ物だったが、しかし出来上がったそれは色合いが先ほどのハバネロ味と若干似ている。こころは用心しながら、そっと一口食べる。
「……酸っぱい。すごく酸っぱい」
まさしく梅だった。梅干しだった。まごう事なき梅干しの味だった。
今度は早苗も食べる。
「う~ん、確かに酸っぱい。かなり年季の入った梅干しって感じの味ですね」
「こんなの売れないよ。レモン味だって全然酸っぱくなくて甘いでしょ。やっぱりかき氷は甘くないと」
こころが言うと、早苗は「そうですかねぇ」と考える素振りを見せる。
「あ、そうだ。良いことを思いつきました」
あまり良い予感はしなかったが、そんなこころの心配をよそに早苗は新しくかき氷を作り、その上に今度は透明なシロップをかけた。
とりあえず食べてみてください、と早苗が言うのでしぶしぶ食べてみる。特に味もない。臭いもない。一体なんだろう。
「これは何? 味がないよ」
「そうでしょう。では、この梅味をもう一回食べてみてください」
気乗りはしなかったが仕方なく食べてみる。すると、
「あれ! すごく甘い!」
「どうですか、すごいでしょう。まさしく奇跡です!」
「本当にすごい。どうやったの?」
「こころさんはミラクルフルーツというものを知ってますか?」
「何それ?」
「そのミラクルフルーツというのは、苦みや酸味を甘みに変える成分が含まれているんです。それでそれをシロップに応用したら面白いんじゃないかと思って、今回作ってみたのです」
へー、とこころは感心する。そんな物があるのかとまた一つ賢くなったこころであった。さっきまで酸っぱかっただけの梅味は、蜂蜜のように甘く美味しいかき氷へと変貌した。すごい不思議。
「じゃあ、こっちのハバネロ味も食べてみてください」
かき氷を差し出す早苗の動作があまりにも自然だったので、こころは疑うことをしなかった。その結果、
「辛あああ~~~~~い!」
てっきりこっちも甘くなっていると思っていた分、その衝撃は半端なかった。
そうしてまたこころは苦しみもがき、早苗は笑い転げるのであった。
それから二人はあれこれと試食してみた。結果、最初の方に食べたブドウとパイナップル、それに早苗がどうしても出したいと言ったミラクルフルーツ&梅味、この三種類の味を当日に売ることに決定した。
そんなこんなで祭り当日。
冬ならとっくに日が沈んで真っ暗になっている時間帯だろうが、八月はまだまだ明るい。そんな時間から始まった夏祭りは、大勢の人が集まり、軒を連ねる屋台の前に列を作っている。
こころと早苗のかき氷屋も、昼間の猛烈な暑さの影響からかなかなかの盛況っぷりを見せた。早苗がかき氷機を器用に操り、カップに氷の山を作る。それをこころが受け取ってお客さんの好みのシロップをかけてから渡す。祭りが始まってからその動作が延々と続き、一息つく暇もないほどだった。
ブドウ、パイナップル。この二つが売れるのは予想していたが、思いの外ミラクルフルーツ&梅味が同じくらい売れていることにこころは驚く。確かにものすごく珍しいものではある。まずここ以外ではお目にかかれないだろう。みんな興味本位で買って行っているのかもしれない。すごく変わった味のかき氷食べたんだ、みたいな話のネタとして使えると言えば使えるだろう。
何はともあれこころにとっては嬉しい誤算だった。儲けが増えれば早苗から貰えるお駄賃も増えるわけだ。
二時間ほど経ってからようやく少し空きができるようになってきた。いつの間にか日は沈み夜空が広がっていた。里の通りには提灯が至る所に掲げられていて、道行く人たちを照らしている。
客足が途絶えた時、早苗が横から、
「少し疲れましたね。こころさんは平気ですか?」
「ちょっと疲れたけれど、平気だよ。むしろ早苗の方が疲れてるんじゃない? かき氷作るの結構力いるでしょ」
「言われてみればちょっと腕が重いかもしれません。集中してたから気付きませんでした。でも、やっぱりお祭りっていいですね。すごく楽しいですよ」
こころから見ても早苗が祭りを楽しんでいるのが見て取れた。
「早苗は何でお祭りが好きなの?」
「何ででしょうね。とにかく雰囲気が好きなんです。みんなが大勢集まってすごく賑やかになりますし、屋台もいっぱい出て、美味しい物もたくさんあって。みんな楽しそうな顔で。お祭りの場所にいるだけでも気分が高揚してきます」
そうなんだ、とこころは頷く。早苗の気持ちもこころにはわかる気がした。確かに今ここにいることを楽しいと感じている。こうして出店を構えて何かを売るという経験は初めてだったが、何か心が満たされるような気がしてくる。通りを歩く人の笑っている顔を見るとすごく和やかな気持ちになる。どこからか聞こえてくる太鼓の音や、人々の喧噪。そう言った一つ一つの要素が、何かすごく特別なもののように感じる。祭りには不思議な力があるのだ。
「ちょっと昔の話をしましょうか」
と早苗が静かに切り出した。
「まだ私が外の世界にいた頃のことです。私には仲の良い子がいて……、そうですね仮にAちゃんとしておきましょうか。そのAちゃんと私は性格とか趣味とか、後は服のセンスとか、とにかくいろんなものの気があってすごく仲が良かったんです。家が近かったから、学校から帰る時はいつも二人で並んで帰りました。遊ぶ時もAちゃんと一緒にいるのが普通でした。彼女は優しくて他の人に対して気配りが上手な子で、後はお菓子作りが得意で、良く彼女が焼いたクッキーを一緒に食べました。いつもクッキーありがとう、と私が言うと彼女は、いいよ、一緒に食べた方が美味しく感じるから、と笑っていました。
誰かと一緒だと、楽しいことを経験した時にその楽しさは二倍になるような気がする。逆に悲しいことを経験した時にはその悲しみは半分になるような気がする。そんなことを彼女が口癖みたいに言っていたのを良く覚えています」
早苗は思い出すように、懐かしむように言葉を続ける。
「確か梅雨の少し前ぐらいの時期だったかな。Aちゃんが私に言ってきたんです。好きな人ができた、って。誰なのって訊いたら同じクラスの男の子で……、じゃあその子をB君としましょう。その子の名前を聞いたとき、ああ、やっぱり、と私は思いました。何となくですがそんな気がしていたんです。いつも一緒にいる分、そういうちょっとした変化に気付きやすかったのかもしれません。
学校で私とAちゃんは同じクラスで、B君も同じクラスでした。それで私はAちゃんの初恋を応援することにしたんです。B君は明るい性格で見た目も良くて女子からの人気も高くて、後は英語の発音が良くて、……まあとにかく人気がありました。
何はともあれまず会話をしないことには始まらないので、最初の内はまず私がB君に話しかけてそれとなくAちゃんが話に入って来やすい雰囲気にしたり、二人だけで話ができきるように私は自然にその場から離れたりと、思いつくことは色々とやりました。そうした努力のかいもあってAちゃんとB君は傍目から見てもだいぶ仲良くなったんです」
こころは語られる思い出を黙って聞いていた。
「それから夏休みに入って、Aちゃんから連絡が来たんです。どうやら地元で行われるお祭りにB君が行くという話を聞いたみたいで、その場所でついにB君に告白するんだって、私に言ってきたんです。私は当然Aちゃんのことを応援するし、手伝いもすると言いました。
告白なんてそれこそものすごい勇気が必要だと思うんです。もし相手に拒否されたらって考えると、本当に怖いです。Aちゃんがそう決意するまでに一体どれだけの恐怖と対峙したのか、考えるだけでも胸が苦しくなって、なんとしても彼女の恋が叶って欲しいなと思いました」
そこで早苗は一息ついた。どこかで寝ぼけた蝉が鳴いていた。
「そしてお祭り当日になり、私はAちゃんと合流しました。B君がお祭りに来るという情報はあったもののどこにいるのかまではわからなかったので、一緒にB君を探すことにしました。Aちゃんは浴衣を着て可愛らしい髪飾りもしてばっちりおめかしをしていて、いつもよりずっと可愛く見えて、これなら行ける、絶対に行けるって私は思い、そのことをAちゃんに言うと彼女は喜んでいました。
お祭りにはすごく大勢の人がいましたけれど、どうせ場所は限られているのだからすぐに見つかるだろうなんて甘く考えて、色々屋台を見て回りながら焼き鳥を買って食べたり、水飴を舐めながら二人でどういう風に告白すればいいのか話をしたり、焼きそばを食べようとするAちゃんに、いざというときに歯に青のりが付いていたらみっともないでしょ、なんてたしなめたりしました。
だけど少しずつ焦りがでてきました。B君が全然見つからないんです。このまま見つからなかったらどうしようって不安になりました。今日やると決めたからには今日やらないと行けなかったんです。また次の機会に、なんて言ってたら絶対同じように繰り返してしまうと思うから。だから、なんとしてもB君を見つけなければならなかったんです。それで私はAちゃんに二手に分かれて探すように提案しました。でもAちゃんはそれを拒否したんです。私が一緒じゃないと不安だから、絶対だめだって。その時の彼女の顔には切実さが表れていました。ああ、やっぱり怖いんだなと私は思って、それでも何とか告白しようと頑張ってるAちゃんはすごく立派で、じゃあ二人で頑張って探そう、絶対告白して良い返事を貰って、その後二人でお祝いしようね、って私は言いました。
辺りは人でごった返していて、人の波をかき分けながらB君を探しました。すっかり夜になっていて提灯などで明るくはなっていましたが、それでも薄暗いところもあったりして、一人一人顔を見分けるのも大変でした。なんとしても見つけたいって私は強く思いました。Aちゃんの悲しむ姿は見たくなかったんです。
そうして二人であちこち探し続けて、やっとB君を見つけることができました。暗がりにいたのでなかなか見つけづらかったですが、体格や髪型から判断が付きました。それで私はAちゃんの肩を叩いてB君の方を指差しました。Aちゃんは黙って頷きました。一人で行く? と私は訊くと彼女はついてきて欲しいと言うので、一緒にB君の方へと歩き始めました。
その時に、いきなり花火が上がったんです。花火が上がるなんて事前に連絡がなかったので辺りにいた人たちはみんな驚いていました。
音からして結構近くで上がったみたいで、暗闇が花火の光で照らし出されました。
その瞬間、私は見てしまったんです。
B君の隣には女の子がいました。そして、B君はその子と手を繋いでいたんです。花火が上がる度にぱっと辺りが明るくなってその様子がはっきりと見えました。B君はTシャツにジーンズ姿で、隣の女の子は花柄が入った薄紫色の浴衣を着ていました。二人は花火の方を指差して、お互いに顔を向けてすごく親しげに笑いあっていました。
私はしばらくその様子を呆然と眺めてから、ああ、そっか、と思いました。当然と言えば当然です。B君は人気がありましたから、彼女がいてもまったくおかしくはありませんでした。ただ、隣にいるAちゃんのことを考えるとすごく苦しくて、胸が張り裂けるような思いにとらわれました」
早苗はそこで少し押し黙った。
「それでその後どうしたの?」
こころが機を見て尋ねる。
「私は隣にいるAちゃんの方へ顔を向けました。彼女も私の方へ顔を向けました。何も言わずに五秒くらい見つめ合って、それからAちゃんがそっとB君に背を向けて歩き始めたので、私はその後をついて行きました。
歩いている間、私たちは黙っていました。沈黙がすごく気まずくて、私は何か言わなくちゃいけない、Aちゃんを慰めなければいけない、と何とか言葉を探したんですが、何を言えばいいのかまったく見当も付かなくて、何も言えないまま少し経った時、Aちゃんが、かき氷でも食べようか、と言ってかき氷屋さんを指差しました。うん、と私は答えて、Aちゃんはイチゴ味、私はメロン味を買いました。それから人が少ない方へと二人で歩いて行って、ほとんど明かりもない静かな土手で二人並んで、打ち上がる花火を眺めながらかき氷を食べました。相変わらず何を話せばいいのかわからなくて、食べている間もずっと黙ったままでした。
花火も終わり、かき氷を食べ終えた時にAちゃんがそこで口を開きました。かき氷美味しかったね、って。それで私は、うん、って答えました。それから彼女は、こうして二人でかき氷を食べたことはきっと忘れないんだろうなー、と言いました。そうかもしれないね、って私は答えました。それから彼女はぽつりと一言、失恋ってつらいね、と。それからすすり泣く声が聞こえて、私もつられて一緒に泣きました」
早苗は静かに息を吐いた。
「今でもこうしてお祭りの時期になると、ふとその時の記憶を思い出します。悲しい思い出ですけど、彼女との大切な思い出でもあります」
「ちょっと切ないけれど、良い思い出だね」
こころが言うと、早苗はそっと頷いた。
「彼女元気にしてるかな……」
「早苗は外の世界に戻りたくなったりしない?」
「いえ、この場所を気に入っているので戻りたくなったりはしません。ただ、向こうに置いてきた人たちのことが時々気になります。特にAちゃんとは本当に仲が良かったから、今でも良く思い出します。元気でいてくれたらいいんだけど……」
「きっと大丈夫だよ。早苗の友達なんでしょ。なら、何となくだけど元気でいる気がする」
まったく根拠のない言葉だったが早苗は笑って、そうですね、と返してくれた。
それからまた再びお客さんの波がやって来て、こころと早苗はせっせとかき氷を売った。
こころは作業をしながら考える。
先ほどの思い出話。何となく、もしかしたら気のせいかもしれないが、こころには早苗が何か隠しているように思えた。それは論理的な思考から導き出されたようなものではなく、完全に直感から得た実体のないひどく漠然とした感情だったが、早苗が思い出を語っている時の顔を思い出すと、どうしても何かあるように思える。
でも考えたところでそれが一体何なのか、こころにはわからない。
お客さんの波が過ぎ去った頃、
「こころさん。休憩に行っていいですよ。これくらいなら私一人でも問題ありませんから。お祭りを楽しんで来ちゃってください」
「わかったー」
先ほどの疑問は一度忘れてこころは通りへと繰り出した。
色々な屋台があってこころは心が躍った。お面屋があったので寄ってみたかったけれど、お面屋の店主が「こちとら遊びじゃねえんだよ!」と叫んでいたのでやめておいた。とりあえずお腹が空いていたので、適当に食べ物を買い食いした。こころはこれから告白する予定もないので、心置きなく焼きそばを食べて歯にいっぱい青のりを付けた。
できればもう少し歩き回って祭りの雰囲気を堪能したかったが、散策も程々に早苗の許へ戻る。
「あら、こころさん。早かったですね」
「うん。早苗も色々と見て回りたいでしょ。お祭り好きなんだもんね。だから行ってきなよ。ここは私に任せろ!」
「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えることにします。こころさん任せました!」
そんなわけで店番を預かったこころは、かき氷を売ることに精を出す。最初はかき氷をうまく山盛りにできなかったが、すぐに慣れてうまく作れるようになった。
お客さんが来ない間、こころは再び考える。
今度は恋について。こころは感情についてまだまだ勉強中の身だった。そんな彼女にとって恋とは特に難しい感情だ。こころは恋をしたことがない。恋をしないことには恋という感情を知ることはできないわけで、じゃあ恋をしようなどと思ってもその方法すらわからない。果たして自分はいつか恋を理解できる日がくるのだろうか。こころは疑問に思う。
と、そんな時にやってきた。
「あれ、こころじゃないか。何してんだ?」
「おー魔理沙いらっしゃい。見ての通り、かき氷を売ってるんだよ」
たまたま通りがかった魔理沙が興味深げに眺めてくる。
「へえーそうなのか。ブドウにパイナップルに、……何だこのミラクルフルーツ&梅味ってのは?」
「当店のオススメです」
「ほんとかぁ? じゃあそいつをくれ」
ハンドルの動きに合わせて中の氷も回転する。しゃりしゃりと音を立てて、こころの持つカップに綺麗な氷が降り注ぐ。それに梅とミラクルフルーツのシロップを七と三の割合でかければ完成。
「へいお待ち」
「おお、何だか様になってるな」
出来上がったかき氷を魔理沙に渡しながら、ふと思ったことを訊いてみる。
「魔理沙は、恋ってしたことある?」
「どうしたんだいきなり。……まあ、あると言えばあるよ。良い思い出ではないけれどな。でも良い経験ではあったと思う」
「うまく行かなかったの?」
「うん。まあ、そうだな。うまく行かなかった。仕方ないさ、恋ってのはそういうもんだ」
「そうなんだ」
魔理沙は受け取ったかき氷をじっと見つめながら、
「失恋ってのはつらいもんだな。あの瞬間は不思議な感覚だよ。何て言うんだろう、水の中にいるような感じかな。いや、違うな。もっとこう、世界から切り離されたような感覚かな」
「世界から切り離されたような感覚?」
「うん。今までいた世界が遠くなって何も感じられなくなるんだ。ただ自分だけが存在していて、すごく胸が痛くて、失恋したって現実が頭の中でぐるぐる回ってるんだ。でもその現実を受け入れられない自分もいて、訳がわからなくて、それでとにかくつらいんだ」
「もしかして悪いこと訊いちゃった?」
気分を悪くさせてしまったかと思い心配する。
「いいよ。昔の話だからな」
そう言って魔理沙は明るく笑った。どうやら気にしていないようでほっとした。
その時だった。辺りに轟音が響いた。何だ!? とこころは驚き、咄嗟に音がした方へ顔を向ける。夜空に鮮やかな色が出現して何だかわかる。花火だ。
こころと同じように魔理沙や周りにいた人たちも突然の花火に驚き、どよめいた。しかしそれはすぐに歓声へと変わり、みんなが同じ方向を見る。
「花火か。いいねえ。やっぱり祭りには花火だろう」
「いきなりだから驚いたけれどね」
「はは、そうだな」
こころと魔理沙も打ち上がる花火を見上げる。夜空を彩ってはすぐに消えていく。儚くて、それでいて美しい。
花火の音に混じって、「うわ、何だこれ。めちゃくちゃ酸っぱい」と叫ぶ声がした。
魔理沙がどこかへ行った後、早苗が帰ってきた。
「こころさん、戻りました」
「おかえりー」
「花火綺麗でしたね」
花火は今上がっていない。全部打ち終えたのか、それとも小休止しているのか。
早苗が来るまでこころは色々と考えてみた。そうして漠然としていたものの正体を掴んだような気がした。
魔理沙が来てくれたおかげだった。魔理沙が話してくれた経験の中に謎を解く鍵があったのだ。早苗が話してくれた思い出の裏に隠された真実を見いだす鍵が。だから、それを早苗に突きつけてみようと決めていた。
「ねえ早苗。さっきの話で思ったんだけど」
「はいなんでしょう」
「早苗は、B君のことが好きだったんだよね」
早苗は特に反応を見せなかった。ただゆっくりとこころへ視線を向けた。
「どうしてそう思うんです?」
「Aちゃんとは何でも気が合うって言ってたから」
「それだけが理由ですか?」
「ううん。それとね、花火。いきなり花火が上がったって言ってたよね。普通はびっくりしてそっちの方を見ると思うんだ。でも早苗は花火が上がったとき視線をそらさなかった。ずっとB君の方を見ていたんだよね。早苗の話からはそんな感じに聞こえたけれど」
「それは、だってAちゃんが隣にいましたから。彼女がせっかく頑張って告白しようとしている時に、その告白しようとしている相手に恋人がいるなんて知ってしまったらショックを受けますよ。花火を気にしている余裕なんてなかったんです」
「本当にそれだけ? 私は違うと思う。さっき魔理沙が話してくれたよ。失恋した時のこと。世界から切り離されたような感覚なんだって。私にはよくわかんないけど、きっと周りのことなんか気にする余裕がなくなっちゃうんだと思う。B君が女の子と手を繋いでいるのを見て、早苗はその瞬間に自分が失恋したことを悟ったんだ。だから花火のことなんか気にならなかった。気にすることもできなかった。ずっとそのままB君の方を見ていることしかできなかった。早苗がその瞬間のことをやたら詳しく覚えているのはきっとそのせい。……違うかな?」
こころが言い終わると、早苗はしばらく黙っていた。
それから白状するようにふうと息を吐いた。
「そうですね。その通りです。あの時は本当に何も考えられなかった。……ふふ、世界から切り離されたような感覚かぁ。確かにそんな感じかもしれませんね」
「早苗はいつからB君のことが好きだったの?」
「AちゃんがB君のことを好きだと私に言った時、私はまだB君に恋心を持ってはいませんでした。それがAちゃんの手伝いをしている内に、B君のことが段々と気になり始めて、いつしか好きになっていたんです」
早苗は笑みを浮かべる。少し寂しげな笑みだった。
「Aちゃんの恋を応援していたのは本当です。心から二人がくっつけばいいと思ってました。その気持ちに嘘はありません。ただ、やっぱりそうなったとしても私は傷ついたんだろうなあ」
彼女はそう言って夜空を見上げる。いくつもある星の光の一つに、もしかしたらあったかもしれない別の結末を探しているかのように。そこにはAちゃんの恋が実った世界もあるし、もしかしたら早苗の恋が実った世界もあるのかもしれない。でも結局、現実は一つだ。
一夏の恋の思い出。早苗が何を思い、何を感じたのか、こころには理解できなかったけれど、その時の早苗の気持ちを想像してみると胸の奥がもやもやとして苦しかった。
そして、こころにはもう一つだけ言っておかなければならないことがあった。
「早苗が話してくれた思い出に、実はまだ隠されていることがあると思うんだ」
「私はもう何も隠してませんよ」
「うん。だから早苗じゃなくてAちゃんの方。早苗が私に隠し事をしたように、Aちゃんも早苗に隠し事をしていたんだと思う」
「Aちゃんが私に隠し事?」
早苗は意外そうな顔をした。まったく心当たりがないようだ。
「うん。あくまで私の想像で、本当はどうだったかはわからないんだけど。でも、いま早苗がやっぱりB君のことが好きだったってことがわかったから、やっぱりそうなんじゃないかな、って私は思うんだ」
「聞かせてください。彼女は私に何を隠していたんですか」
早苗の言葉に、こころが話し始める。
「Aちゃんはお祭りでB君に告白しようとしたんだよね。でも実はAちゃんはすでにB君に恋人がいることを知っていたんじゃないかな。それを知りながら早苗に連絡して、お祭りでB君に告白するってことを伝えて、早苗と一緒にお祭りに行くようにしたんだと思う」
何を言っているのか理解できないといった表情で早苗は一瞬固まり、それから一言、
「どうして?」
「言ってたよね。B君のことが好きなんだ、ってAちゃんが伝えてきた時に早苗は、やっぱり、と思ったって。いつも一緒にいた分ちょっとした変化でも気付きやすくなってたって。早苗がAちゃんの変化に気付いたように、Aちゃんも早苗の変化に気付いたんじゃないかな。つまり、早苗がB君に思いを寄せていることにAちゃんは気付いたんだと思う。 AちゃんがいつB君に恋人がいることを知ったのかはわからないけど、もしかしたらB君がお祭りに行くって情報を知った時に、そのことも一緒に知ったのかもしれない。恋人と一緒に行く、みたいにね。
それでAちゃんは失恋した。きっとものすごくショックを受けたんだと思う。すごくつらい思いをしたんだと思う。
だから、早苗には同じ思いをして欲しくないって彼女は思ったんじゃないかな。でもB君にはすでに恋人がいるから、早苗が失恋してしまうことは避けられない。そのうち絶対に気付く時が来る。それならいっそ、できるだけつらい思いをしないような形で早苗に失恋させようと彼女は考えたんだよ。
それでAちゃんは計画を練った。お祭りにB君と恋人が一緒に来るということを知っていたから、それを利用しようと思った。それで早苗にお祭りに来るように連絡したんだ。
お祭り当日になってB君を一緒に探したんだよね。でもなかなか見つからなかった。それで早苗が二手に分かれて探そうって言った時に、Aちゃんは切実な顔をして拒否した。それは不安だったからって理由じゃないと思う。どうしても早苗と一緒にいなきゃいけなかったからなんだよ。そうじゃなきゃ、Aちゃんが考えた計画通りにはいかなくなっちゃうから。彼女の計画では、B君が恋人といる場面を早苗と一緒に見なければいけなかった」
そこまで説明して、早苗もようやく思い当たるものがあったようだった。
早苗がぽつりとつぶやいた。
「彼女の口癖……。誰かと一緒だと、楽しいことを経験した時にその楽しさは二倍になるような気がする。逆に悲しいことを経験した時にはその悲しみは半分になるような気がする……」
「うん。だから、Aちゃんは早苗と一緒に失恋するシチュエーションを作ったんだよ。一緒に失恋したと早苗に見せかけたんだ」
花火が上がったあの瞬間、失恋したのはAちゃんではなく早苗だった。事情を知らない早苗からすればAちゃんも一緒に失恋したということになる。それがAちゃんの狙いだったのだ。一緒に悲しいことを経験すればその悲しみは半分になる。失恋のつらさだって、きっと半分になると思ったのだ。
彼女が本当にそう信じていたのかはわからない。それにこれはあくまでこころの考えなのだ。確証も何もない。ただこころがそう思っているだけという可能性は十分にある。実際はもっと単純で、ただAちゃんと早苗が失恋した話というだけなのかもしれない。
それでも、とこころは思う。
少しでもいい。ほんの少しでも早苗が受ける悲しさやつらさを軽減できればいい。そんな風にAちゃんは考えていたのではないかと、何となくこころはそう思うのだ。
「本当に……そうなのでしょうか。Aちゃんは本当にそんなことを……」
「本当の所は私にはわからない。もしかしたら私の考えた通りなのかもしれないし、実際はそうじゃないのかもしれない。Aちゃんが本当にそこまで考えて行動したのか、私なんかよりも早苗の方がずっと良くわかるんじゃないのかな?」
沈黙が訪れる。
やけに静かだった。あれだけ騒がしかった祭りの喧噪が、今はどこか遠くへ行ってしまったかのようだった。
何の前触れもなかった。
それはごく自然に起こった。
早苗の目から、一滴の涙が線を引くように、すーっとこぼれ落ちた。
それから次々と涙が溢れ、早苗はかがみ込むようにうつむいてしまった。
突然の出来事にこころは驚く。こういう時にどうすればいいのかわからずに戸惑う。
早苗はうつむいた顔を両手で隠しているが、嗚咽までは隠すことができずに、それが余計にこころを焦らせる。
おまけにこんな時に限って「すいませーん。かき氷くださーい」とお客さんがやって来る。帰れコノヤロー、と罵声を浴びせかけてやりたかったがそんなわけにもいかない。
こころには他に思いつく手段がなかったので、
「ねえ早苗。これ貸してあげる。顔も隠せるし、もしかしたら少しは楽しい気分になるかもしれないから」
そう言ってこころが早苗に差し出したのは、ひょっとこの面だった。早苗は顔を上げずに片手でそれを受け取った。
仕方なくこころがお客さんの対応をしている時、後ろからくぐもった嗚咽が聞こえたので、どうやらお面をかぶったのだと気付く。効果のほどはわからなかったが少しでも気分が紛れればいいと思う。
かき氷の売れ行きは好調だった。たくさん用意していたブロック氷も、残すところ一つとなった。たくさん売れたのはこころとしても嬉しい限りだったが、今はとにかく早苗の様子が心配だった。
通りを歩く人も段々と減ってきたように見える。少しずつ祭りの終わりに近づいていっているのを感じる。少し寂しい気持ちになる。
どれくらい時間が経っただろうか。
早苗がゆっくりと立ち上がり、こころに後ろから、
「ねえ、こころさん」
「うん?」
「昨日二人で色々と試食しましたが、実は一つだけまだ食べてない味が残ってるんです。食べてみませんか」
なぜそんなことを早苗が言い出すのかわからず、こころはただ早苗を見る。相変わらずひょっとこの面をかぶっているのでその下の素顔がどうなっているのかはわからなかった。とりあえず早苗がかき氷を作るのを見守っていた。彼女が用意したかき氷には緑色のシロップがかけられた。
はいどうぞ、と差し出して来る。
こころは黙って、とりあえず一口。
「うげえー、まずい。何これすごく苦いよー」
すごい苦みが口の中いっぱいに広がる。嫌な青臭さもある。
こころがあまりのまずさに舌を出す。
とそんなこころの反応を見た早苗がひょっとこの面を取り去った。少しまだ目が赤くて涙の線が残っているものの、表情はすっかり元気になっていた。
彼女はにやりと笑って、
「夏と言えば、夏ばて。夏ばては非情に厄介な問題です。というわけで夏ばてに効果がある食材の味のかき氷を出したら売れるんじゃないかと思ったんです。残念ながら神奈子様や諏訪子様の反対にあって断念しましたが、一応取っておいたんです」
「なに味なの?」
「ゴーヤ味。またの名を『初恋の味』です」
これが初恋の味かー、とこころは思う。こんなの全然ノーセンキュー。食べたくない。
「早苗も食べてよ!」
「私はいりません! だってとっくの昔に味わいましたから」
早苗は意地でも食べたくないらしい。結局こころが全部食べるはめになった。こころが世の中の理不尽さについて考えていると、再び花火が打ち上がった。夜空を綺麗に彩ると、大きな歓声が響いてくる。
早苗もその様子を見て楽しそうに手を叩いた。
こころには恋という感情がわからない。だからAちゃんの気持ちもわからないし、早苗の気持ちもわからない。世の中わからないことだらけだ。まだまだ学ぶべきことはたくさんあるのだとこころは感じた。
ただ一つ学んだことがある。夏は楽しい、ということ。
夏はまだ終わらない。暑くて嫌になるけれど、あと少しだけこの夏を楽しみたい。そんな風にこころは思った。
…………年がバレるか
かき氷のグレープ味は昔良く見かけた気がするけれどそれはさておき。
切ない夏の恋話、良かったです。勉強中だからこそ、というべきかこころちゃん洞察力凄かった。
それを暴いてよかったのかなと思ったけれど、早苗さんは吹っ切れたようで何よりです
ポーカーフェイスで焼きそばを頬張るこころちゃんが可愛すぎました
明るくてやや残念なお姉ちゃんな早苗さんがたまりません
普通に女の子をやって青春を満喫している早苗、そして魔理沙が素敵でした
台詞が長くて若干説明的だったのが少し残念です。
恋という難しい感情を、こころという無機質さのあるキャラで表現することは難しいところですが、それを早苗と友達との関係性で示し、そしてこころに推理として話させることで上手く伝わっている気がします。
こういったお話であえてこころを主人公に持ってきたところが、作者さんの気概を感じます。
夏が終わりそうな、この切ない季節にピッタリのお話でした。ありがとうございました。
読み終えた後、爽やかな気持ちでいっぱいになれた
今なんだかしあわせな気分・・・