『ギィ……ギィ……』と、木の軋むような音が聞こえた。
私は目を開く。しかし視界は定まらない。頭の中と同様にぼんやりとしている。とはいえ時間さえ置けば、それらは次第に明瞭となってゆく。
「……木の軋むような……じゃなくて、本当に軋んでいたのね」
私は口にした。それは独り言にように聞こえるかも知れないけれど、決して独り言なんかではない。私は、私の目前にて船を漕いでいる赤髪の死神にそう声を掛けたのだった。
「おや、気が付いたかい?」
その死神――『小野塚小町』が私に笑顔を向けた。
……果たして、この死神は状況が分かっていながらも『敢えて』笑顔なのからしね? それとも何も考えて居らずにの笑顔なのかしら? ……いや、まあどっちでもいいわね。私はそんなにセンチメンタルでもないし。
「ええ目は覚めたわ。ところで此処は三途の川よね? いま私がいるのは船の上で、そして目の前には死神である貴女がいるのだから」
小町は「ご名答!」とテンション高く言い、更に言葉を続けた。
「いやぁアレなんだよ。死んだ者の中には自分の現状を理解出来ずに混乱する奴も少なくないんだよね。その点アンタは優秀だ。流石、紅魔館でメイド長を務めていただけはあるね。十六夜咲夜」
「……どうも」と私は返す。優秀な死人というのも変な話だわと思いながら。
と……そんなコチラとの温度差なんて関係なしに、小町は喋りを再開させた。
「それでどうだい? 久々の若い肉体は? いや霊体だから肉体ではないけど、体もすんなり動くだろう。痛い所もない筈だ」
言われて、私は腕を上下に振ってみた。というより、見た目からしてそうか。皺が見当たらない。きっとこの頃は私が『弾幕ごっこ』によく参加していた年齢……かしらね?
「確かに若返ってるわね。霊体になるっていうのはそういう事なの?」
小町は答える。
「いいやそんな事はない。これはサービスみたいなもんさね。あたいとアンタは知らん仲でもないから」
「あらそう。ということは貴女の能力?」
「あたい、というか死神の能力かな。ちょっと霊魂を弄る位は出来るのよ。まあ一時的なものだけど」
「…………」
「咲夜?」
「……いや、成程ね」
私は察した。
「貴女はお喋りだもの。こうして知り合いと話せる機会を得たとはいえ、その知り合いがヨボヨボの婆さんじゃ会話が成り立たないから、だから若返らせた。そんな所でしょう?」
私は業と憎たらしさを演出した。指をさし、したり顔でそう推理する。
そしたら小町は、「いやはや……まいったねぇ」と苦笑して、
「でも咲夜。そういう打算があってもいいじゃないか。実際アンタももう一度若い体に戻れて嬉しいだろう? 持ちつ持たれつ――じゃないが、まあそんな感じだと思いねぇ」
いつでも愉快そうな小町。私はそんな彼女を見て少し笑ってしまう。
……ま、そうね。
「ありがたくその打算に、乗っておきましょうか」
私の返答に、小町は満足そうに頷いた。
「さて、それじゃあ色々とお喋りしようか!」
小町は一層、笑顔となった。全く本当に楽しそうね。死神じゃなくて噺家とかに転職すればいいんじゃないかしら。と思う。
「お喋りと言っても、何を話せばいいのよ?」
訊ねた私。それに小町は「なんでもいい」と答えた。
「そう。なんだっていいのさ。アンタが生きてきたウン十年間の思い出があるだろう。そこから好きに喋って貰いたいんだよ。別に愚痴でもいいし、勿論、面白い話でもいい」
面白い話、ねぇ……?
「じゃあ私を自殺者だと勘違いして、『思い直せ!』とか言った親切でお馬鹿な死神の話とかは?」
「……よく覚えてるもんだ」と小町は今日はじめて見せた呆れ顔でポツリ。
「ま、それは冗談ね」と私もポツリ。
「だったらそうね。紅魔館(ウチ)の話でもしましょうか。それが一番、アナタも喜びそうだし」
そう言うと、思った通り小町は顔ばせを戻す。見た目からしてワクワクとしだした。
「おお、いいねぇいいねぇ。アンタん所は普通の場所でもないからね。これは珍しい話が聞けそうだ」
「いや珍しいかどうかは分からないけれど。……まあ取り敢えず、ウチの門番である美鈴のことからでも話そうかしらね」
そして私は小町に話し始める。気付けば、自分でもビックリする位に話し続けている。これから閻魔に会うとはいえ、知り合いと私的な話が出来るのはこれで最後だから、なのだろうか。
……グータラおっぱいオバケの美鈴。
彼女は、実はとっても頼り甲斐があって、誰よりも気の利く優しい妖怪だった。パチュリー様は何時まで経っても本の虫だけど、そのお陰で知識はやっぱり凄くて、私は何度も助けられた。私を何度も助けてくださった。
小悪魔は良い子だけど、未だに少し自分に自信が持ててないのが玉に瑕。改めて考えてみればちょっと不思議な感覚ね。昔は小悪魔お姉ちゃん。って私が呼んでた位なのに。
続いて妖精メイド。あの子らには少し驚かされたわね。何をやっても仕事を完璧にこなせない。いつになっても掃除をサボって遊びだす。……って思ってたのに、私が倒れた後は私に負けない位に働いてくれていた。頑張ってくれていた。『お加減は如何ですか?』ってメイドの一人が私の看病に来てくれた時に、こっそり泣いてしまった事を思い出す。
妹様――フランドールお嬢様は、随分と成長なされたわ。今では物なんて何も壊さない。外に多くのご友人も出来て、そのお見送りを沢山したわね。いや懐かしいわ。何時だったか開通した列車に乗っているフランドールお嬢様。私はプラットホームから車内へ手を振るの。頭は下げないわ。下げたらフランドールお嬢様が怒るからね。『家族なんだからそんなのダメ』って、そう仰ってね? ……ふふ、メイドとしては少し困ったけれど、凄く嬉しかったわ。
そして最後に、私の心に一番強く残っているのは――
「やっぱり、レミリアお嬢様」
小町は私の話を黙って聞いててくれていた。私はいつの間にか水分でぼやけてしまった視界を、拭いて正常に戻すことさえせずに口を動かす。
口を――動かし続けた。
「レミリアお嬢様に初めてお会いしたのは、私がまだ子供だった頃」
「そして、それはまだ紅魔館が外の世界にあった頃でもある、そんな時代の話よ」
「赤ん坊の時は違ったらしいけど、物心が付いた時には既に身寄りがいなくなっていた私は、お金さえ貰えば誰だって始末する只の思考停止殺人鬼になってたわ」
「そんな狂った子供の、今度の依頼は吸血鬼の殺害」
「ただ当時だって、外の世界では吸血鬼なんて最早ファンタジー。私は信じてなんかいなかった。とはいえ私以前の、他の暗殺者が悉く返り討ちに遭っていたのは事実だから……そうね。今回のターゲットは『吸血鬼』と恐れられる程の何かはあるのだろう、という位かしら?」
「勿論、恐怖も私にはなかったわ。だって相手がどんなに強くても、どんな隠し球を持っていたとしても時間を止めればそれで終わりなのだから」
「まあ時間を止めてしまうと、相手は全ての状態変化を否定するようになってしまうので停止中に切り裂くことは出来なくなる。だけどそれでも問題はない。ナイフをそっと頸動脈に当てて……そして停止解除と共に少し手を引けば相手は死ぬのだもの」
「今度だってそうだと思った。でも違ったのよね。私の攻撃はいとも簡単に躱されていたわ。時間を止めた私の方が状況を理解できずに混乱した」
「でももっと混乱した事が起きた。お嬢様は――相手の吸血鬼は――私のナイフを奪って、そして自分でその喉を裂いたの。血が噴き出し、体と顔の角度が少しおかしな事になっていたのに、そのままのお姿でお嬢様は平然と仰ったわ。『仮に運命をお前の思惑通りに進めてやったとしても、それでもお前に私は殺せない』と」
「そのとき私は、やっと相手が本物の吸血鬼なんだって理解したわ。それと同時に、このあと私は殺されるって、それも理解した」
「けれど私は生かされたのよ」
「『お前は歯車がずれただけだ。まだ幾らでもやり直せる』って。『やり直す為の場所がないなら、ここをお前の家にすればいい』って」
「……生かされただけじゃないわね。お嬢様は私に居場所まで下さった。私はそれからずっとメイド。でもいつしか使用人じゃなく紅魔館の一員に……家族になっていたわ」
そこで話を止めた私。
その後すこしの沈黙が流れ……それから小町がゆっくりと口を開いた。
「……一番上の役職だったとはいえ、一メイドの口から『主人の家族』って言葉が出るのは凄いね。いやまあ、アンタは自惚れるような性格じゃない。だからつまり、家族と言ったからには自惚れじゃないと胸を張れる何かがあるんだろうけど」
私はそれに答える。
「いいえ、コレと言って得には何もないわよ」
「……ほんとかい? じゃあなんで、」
「それはお嬢様と一緒に暮らさないと分からないわね。逆に言うと暮らせば分かるわ。ウチは沢山メイドを雇っているけれど、皆、一様に大事な家族なのよ」
曖昧ながらのそんな解説。それを終えた時には、私は自然と笑みを零していた。
そんな私を見て小町は後頭部を掻き始める。
ボリボリと――いいえ、最後には髪をグシャグシャにするぐらい激しく掻いて――
「……あーもうッ、本当はこれは駄目なんだけどねぇ……」
小町は船を漕ぐことさえ中止し、『どすっ』と腰を下ろした。それから「気付かなかっただろうがね」とも言って、
「今は菊月。(九月)アンタが亡くなってからもう、三ヶ月も経ってるんだよ」
……菊月? 三ヶ月?
「……そんなにサボってたの?」
私の言葉にズルッと滑った小町。噺家に、聞き上手という点ではカウンセラー、そして今明らかとなったけど芸人にも向いてそうね。
「いやいや真面目な話だよ。というか三ヶ月もサボってたら流石にクビさ」
まあ、そうよね。閻魔とプライベートでは友人? っぽい部下とはいえ。
「じゃあ、なんでそんなに私は三途の川を渡るのが遅れたのかしら」
訊くと、小町は「話の流れから分からんかねー……」とぼやくように呟いて……
「遅れたのは、アンタのご主人様の所為さ」
「お嬢様の?」
「そうさ。なんでか知らない……というのは違うか。アンタが名残惜しかったのかね? あの吸血鬼、アンタの霊魂を渡さないこと渡さないこと。お迎え係の死神がどれだけ追い返されたか分からないわ。そこで個人的に知り合いだった、このあたいに白羽の矢が立ったって訳よ」
「私を連れてこいって?」
「YES。……全く、その時は嫌になったわぁ。遊びなら兎も角、本気だされちゃ一介の死神なんかに何とかなる訳ないじゃん? 知り合いだからって、あのお嬢さんが『はいどうぞ』ってアンタの魂渡してくれる筈ないとも思ったし」
「……でも、私がこうして今ここに居るという事は、」
「そうさね、『はいどうぞ』って渡してくれたのよ何故か。まああたいの後には閻魔様が出張るだろうから――ってのも解ってたのかもね。とはいえ、何にしても良かったよ。ってか感謝だわ寧ろ。他の死神が上げられなかった功を上げられたのだから、こりゃ給料も上がるかもね」
「ウッシッシ」とイヤらしく笑った小町。
「そりゃおめでとう。これで私が死んでなかったら奢って貰ってた所だわ」
「ああ奢ってやったさ。だがそれはもう叶わぬ話。だから奢る代わりにこのプレゼントで勘弁しておくれ」
「プレゼント?」と怪訝に思った私の前に差し出されるは見覚えのある水晶玉。どうやらずっと、小町は自身の体で私からは見えないように『ソレ』を隠していたらしい。
「これって……パチュリー様の?」
「お、やはり元メイド長の名は伊達じゃあないね」と小町は指をパチンと鳴らし、
「そうだよ。アンタの魂を引き取りに行ったとき渡されたのさ。なんでもこれは記録を映像として残せるスグレモノらしくてね。といっても白玉楼中の人の時ならいざ知らず、現世の者と死人がコンタクトを取るなんざ本来は禁忌だから始めは受けとるのも拒否した位なんだけど……けどもう、どうでもいいか。別にアンタなら」
いや、公務員の癖に禁忌をどうでもいいってのは凄いわね貴女……って、普段ならそういう思考で頭が満たされるのでしょうけど、今は二割にも届かない。
紅魔館の映像記録? 私へのコンタクト? 流石に興味が湧く。私は思わず生唾を飲み込んでいた。
「……見てもいいかしら?」
「勿論さね。ただ気にはなるから、悪いけどあたいも一緒に見させて貰うよ」
「……まだ見てないの?」
「そりゃこれはアンタ宛の物なんだから、それを先に覗くほど野暮じゃあないよ。とはいえそのメッセージを見ないで我慢するのも辛いから……って、それじゃあ、やっぱりちょっとは野暮か」
……そうね。
「本当に出来た奴なら、『このメッセージはお前だけの物だ』とか言いそうなものだものね」
「ああそう言える奴は格好良いね。だがまあ、あたいは別に格好良い奴でもなんでもない。この位は許しておくれよ」
そう言うのへ小町は私に水晶玉を差し出してくる。私はそれを受け取りつつ「ま、見られても良いけどね」と答えた。
「そいつを持って魔力を込めれば、それで映像が再生されるそうだ。ほら、やってみな」
「…………」
私は一度、深呼吸をした。それから教えられた通りに、私は水晶玉に魔力を込めた。
「……っ、」
水晶玉越しに見えていた私の掌が歪み始める。歪み始め、次第に色が着き、なにやら風景が現れ始めた。
「ここは……紅魔館、じゃないわね。何処か……山の中?」
水晶玉が映したのは何処ぞの山腹。少し前に撮ったものだろうか? 小町はいま菊月と言っていた。そしてこの水晶に映っている山の風景は確かに秋だ。時刻は夜のようだけど、魔法でライトアップされた紅葉は見事で、山頂までビッシリと黄色と紅で埋め尽くされていた。
『いいわよレミィ、これで水晶は記録モードへとなったはず』
姿は見えないけれど、パチュリー様のお声が聞こえた。なにやら眠そうな、いつもと変わらぬお声だ。
『そう、ありがとうパチェ』
「……お嬢様」
お嬢様のお声も聞こえてきた。でもお声だけ。お嬢様も姿は見せてくれていない。
『じゃあ始めましょうか』
お嬢様のお声が続く。お嬢様のお声が、少し大きくなった。
『みんな、今夜は好きなだけ飲みなさい。好きなだけ食べて、好きなだけ騒ぎなさい。命令は一つ、楽しむことよ! それじゃあ……乾杯!』
『かんぱーい!』
その数秒の後、映像が『ゴト』と動いた。この映像の中で誰が水晶を動かしたかは定かじゃないけれど、お陰で視点が変わった。紅葉のみの風景から変化し、多くの妖精メイドたちが映った。どうやら宴会の画を記録しようとしたらしい。
聞こえてくるのはザワザワとした喧噪。見えるは妖精メイドたちの食事風景。みな生き生きとしていた。満面の笑みで料理を掻き込む者。とんでもないペースで酒を呷る者。お喋りに興じる者に、食べ物を横取りされた事を発端に互いの頬をつねり合う者……
そんな光景が一分ほど流れた後、一際大きな声が水晶玉から響いた。
『一番! 紅美鈴ッ! 歌います!』
簡単な木組みで拵えられたステージの上に、何時の間にやらウチの自慢の門番の姿があった。そしてその門番、美鈴は宣言通りに歌い始める。実は美鈴ってかなりの美声で、そういえば初めて聴いた時には驚いたものだ。しかし今回も含め、毎回の事ながら思うのは日本語で歌えということ。貴女以外に紅魔館で中国語が解るの、多分パチュリー様だけだから。
その歌が終わり、それから拍手と歓声が鳴り止むと、今度は何やら『はい、はい、はいっ』というテンポの良い掛け声みたいなものが聞こえてきた。
声の主は小悪魔と、私の跡を継いだメイド長?
確証はなかったので小首を傾げたら、その時にまた『ゴトッ』と映像が動く。
……ああ、正解のようね。水晶に映ったのは確かに小悪魔とメイド長の妖精だわ。
でも……何をやってるのかしら? そりゃ宴会の時は手軽だからソバ系統はいつも出していたけれど……二人が掛け声を上げて行っていたのは椀子蕎麦の補充。そしてちなみにチャレンジャーはフランドールお嬢様に……秋神様の姉の方?
なんで彼女が此処に? 紅葉関連で何か……っていうのはどうでもいいわね。それよりも誰か止めてあげなさいよ。静葉さんってどう見ても食が細いっていうか、既にもう涙目じゃない。
結果はフランドールお嬢様の圧勝。『やったー』と両手を挙げてお喜びになっているのはいいとして静葉さんの方は……ピクピクしてるわ。それに気付いた小悪魔が慌てて介抱を始めたけど――なにこれ、ワンハラ(ワンコソバハラスメント)?
『さて、もう充分かしらねレミィ』
静葉さんの首が『がくっ』と傾き、恐らくは気を失った所のような画が映されたその後に、またパチュリー様のお声が聞こえた。
それから再び映像が動く。どうやら先程から水晶玉の向きを変えてくれていたのはパチュリー様だったようだ。
『…………』
レミリアお嬢様が水晶玉に映し出された。
『……レミィ?』
横を向き、宴会の騒ぎを見つめながら何も仰らないお嬢様に、パチュリー様のお声が問い掛ける。
お嬢様は用意された椅子ではなく、山に元々あったのであろう大き目な岩に腰を下ろしていた。暫くするとお嬢様はお顔を上げ紅葉を眺め、そうしてから手に持つグラスを傾けて一口。
血液か赤ワインか……飲み込んだお嬢様は『……ふぅ』と息を吐かれた。
『ええ。もう充分ね』
ようやくご返答なさったお嬢様だけれど、やはりその視線はパチュリー様に向いていない。つまりは水晶玉に――此方(わたし)に向いていない。
『……楽しい?』
パチュリー様の小さなお声がお嬢様に尋ねた。それに対しお嬢様は『ええ』とそうお答え、したけれど――
『でも……紅葉の所為かしらね。やっぱり、少しだけ寂しいわ』
そんな涙腺が緩むような、お嬢様のお言葉を聞いたその瞬間だった。
「……えっ?」
水晶に映っていた映像が『ブツ』と唐突に途切れた。今は最早、魔力を込める前と同じく私の掌が水晶越しに見えるだけで。
「なんで? 急にどうして?」
私はもう一度魔力を込める。しかしやはりというか反応はなく……
そんな焦る私とは正反対に、小町はのんびりとした口調で言った。
「それにしても……気障な人だねぇ。恐らく映像を切ったのはあのお嬢さんだよ」
「……お嬢様が?」と、私は小町を見ながら訊く。
「そうさ。あんなにタイミング良く魔女が切るとは思えないからね。きっと魔力を飛ばして水晶を狂わせ、録画機能を停止させたんだろうね」
「…………お嬢様が」
と私は呟く。
「というかこれ……一度きりしか映像を映さない代物だったんだねぇ。いやぁ危なかった。先に見てたら取り返しが付かなかったよ」
「……そういえば……確かにそうね。っていうか、パチュリー様はこれを渡すとき貴女に言わなかったの? 見たら消えるって」
「言ってないさ。どうしてたんだろうね、私が見ちゃったなら」
私は小町のその疑問についてちょっと考えてみた。
本当に、私が見る前に消えてしまったなら一体どうしていたのかし――……
……いや、そうか。
私は思い当たり、「多分……」と口にした。
「そうね多分……それでも問題はなかったんだと思うわ。私に知らせたかったのはこの内容であって別に映像ではない。だから貴女の口から伝わるなら、きっとそれでも良かったのでしょう」
「……ふぅん。内容、ねぇ」
独り言のように小さな声で口にした小町は、続けて私に質問をする。
「それで、伝わったのかい? その内容を知ったお前さんに、何かがさ」
「ええ」と答えた私に小町は、「それは? 差し支えなければ教えてくれると嬉しいけれど」
私は答えた。
「別に構わないわ。隠すことでもないからね」
そして私は回想をする。――そう。私は死ぬ、その少し前に……
「小町。私ね、お嬢様に言ったのよ。死ぬ少し前に『館の皆と仲良くして下さいね』とか、『楽しく過ごして下さいね』とか、『悲しまないで下さいね』とか」
小町は少し考え込むような素振りを見せた。
「まあ……確かに映像を見る限り、みんな仲も良さそうだったし、楽しく過ごしているってのも伝わってきたね。『悲しまないで』というのは、あのお嬢さん守ってるかどうか怪しかったけど」
「怪しい?」と私は聞き返す。
「怪しいどころか、明らかに守ってらっしゃらなかったわね。だって寂しいって仰ってたもの」
そう言い返した私の顔を、小町はジッと見てきた。私がついつい、微笑んでしまっていたからだろうか?
「それは……約束が守られなかったから、だから嬉しいのかい? 主人が自分のことを偲んでくれている。だから――」
「違うわ」
私は小町の、言葉の終わりを待たず口にした。
「いえ……そりゃあ人として思い出してくれて嬉しいって感情はあるわよ? だけど私が微笑んでしまっていたのは別の理由。『嬉しい』じゃなくて『ホッとした』かしらね? それにしても――あの方はいつも私の想像の斜め上の回答を示して下さるわ」
「……?」
話をよく理解できていなさそうな小町に私は続けた。
「なんというかね。流石に死んだ者相手にはお嬢様も素直に報いて下さると、私は心の何処かでそう思っていたのでしょうね。今回で言えば、私が死ぬ前に言った三つの約束を『守ってるぞ』って水晶玉を使ってメッセージをくれて、それでめでたしめでたし……ってな感じで終わり。みたいな」
「けどあのお嬢さんは守ってなかったな。三つ目」
「ええ。だから詰まる所、お嬢様が私に伝えたかったメッセージは『私は私だ』……きっとコレだったのだと思うわ」
「私は私……?」
「そう。勝手な推測だけど、恐らく間違ってはいないわ。『紅魔館の住民は明るく楽しく過ごしている。だがそれはお前に言われたからそうした訳ではない。元々だ。その証拠に私はお前との約束を破り悲しんでいるぞ』ってお嬢様は仰りたかったのだと思う。『私は自由を旨とする、誰の思い通りにもならない夜の王、レミリア・スカーレットだ』って――『私は何があっても、いつまで経ってもお前の愛した私のままだ』って――そう私に伝えたかったのだと思う」
そこまで説明した時、小町は目を丸くして驚いていたけれど。
「……ふぅ」と息を吐いてからは、瞼を閉じての穏やかな微笑へとその面持ちを変えた。
「……主従愛か。愛っていうのは、やっぱり美しいものさね」
「そうね。感激で胸が一杯だわ。……と、そうだ小町。貴女にもお礼を言わないとね。最高のプレゼントだった」
軽く頭を下げた私に、小町は手首をぞんざいに振って見せた。
「いいっていいって。あたいも良いモン見させて貰ったしね。いやさそれにしても本当、あの自信家な吸血鬼らしいメッセージだ。『私は私のままだ』だなんて……」
そう言った時の小町は始め、柔和な顔をしていた。そして台詞途中には呆れ顔となり……と、そこまでは解るけれど、言葉の終わり頃には何故か表情を険しくさせていて……
「どうしたのよ?」
訊ねた私に小町が返した。
「いや……あのさぁ、ちょっと思ったんだけど」
「なにを?」
「ええと……咲夜、アンタの主人って演出とかするの好きっぽいイメージがあるんだけど……どう?」
「演出……? まあ、好きだと思うわ。何事も形から入る所があったし」
「じゃあ……もしかしてアンタの霊魂を三ヶ月も現世に留め続けさせたのって、なんというか寂しいって告白とマッチする景色な……その、紅葉を待ったから……とかそれだけの……いやまさか……」
小町は思い付いた自分の考えを否定したいのか、物理的に頭を捻り出す。
……ただ、残念なことに長年お嬢様にお仕えしてきた私の直感も、小町の予想は外れていなさそうだと訴えていた。しかし勿論、直感が外れている可能性もあるので、私は小町に質問をしてみる。
「ねえ小町。幾つか訊きたいんだけど、普通は死んだ人って冥界で順番待ちをして、そして三途の川を渡って、それから裁判を受けるのよね? それまでに掛かる時間ってどの位なのかしら?」
変わらず難しい顔をしている小町は、それに似合う暗い声で答えてくれた。
「それは……その時の混み具合によって変わるけどね。少なくとも異変時でもなきゃ三ヶ月待ちはないよ」
「じゃあ私にこうやってメッセージを持ってくる事って、裁判の後でも可能?」
「いやそれは不可能。裁判の後っていうか、裁判所に着いた瞬間から霊魂の管理はより厳しくなるからね。知り合いとはいえホイホイあんたに会いに行って、しかも現世の者とのコンタクトを取る道具をプレゼントするだなんて、あたいの役職程度で出来る訳がないし」
……ああ。
「それなら悪いけど確定だわ。お嬢様は雰囲気作りの……舞台演出の為だけに三ヶ月間の我が儘を通したのでしょうね」
その言葉に小町はワナワナと手を震えさせて、そして「あのっ……吸血鬼めぇ……」と声を絞り出した。
でも……と私は思う。
「別にいいじゃない。だってお嬢様の我が儘があったからこそ、貴女は『誰にも出来なかった私の霊魂の引き受け』に成功したのでしょう? 謂わばその手柄、お嬢様のお陰じゃない」
そう言うと小町は立ち上がり、声を大にして私に突っかかって来た。
「お手柄じゃないよ! アンタ、死後の裁判は全てを調べ上げてから行われるんだよッ? まず間違いなくアンタの霊魂が遅れた理由も精査される! そしたら最終的にはあの吸血鬼の思惑も四季様は看破するだろうさ! そうなると『私だから』霊魂の引き受けに成功したのでなくて、『時期が来れば』誰だって成功したってバレて……ああ、昇給の夢がぁ」
今度は崩れ落ちた小町。忙しい奴ねぇ……って感想は少し可哀想だから、『ドンマイ』って言っておく。勿論、より怒らせてしまいそうなので『心の中で』だけど。
それから幾らか待ってみたものの小町は立ち直らなくて、だから少ーし手持ち無沙汰になってきた。そんな訳でまあ、結局いつかはやろうと思ってた事だし、落ち込んでる最中にアレだけど私は小町に水晶玉を差し出した。
それに気付いた小町は静かに、「……いらないのかい?」と訊いてくる。
私は首肯した。
「ええ。もう映像は見られないようだしね。だから出来ればパチュリー様に返しといてくれたら助かるわ。あとついでに、咲夜が『ありがとうございました』と言っていたって館に伝えてくれたら嬉しい」
小町は差し出された水晶玉を受け取りつつ言う。
「まあ乗りかかった船だし、その位なら引き受けるけど……」
そしてその後、手元に渡った水晶玉をまじまじと見つめながら、今度はこう言った。
「でもさ、やっぱりちょっと腑に落ちないね。幾ら重要なのは内容だって言ってもコンだけ演出しといて、結果あたいだけしか見られなかったら……本当にそれでも良かったのかねぇ?」
私は未だに疑問符を浮かばせる小町に、「ふふ」と笑って答えた。
「良かったのよ。その場合でもどうせ性格上、貴女が臨場感たっぷりに私に話すだろうし――それよりもこの映像を二度見られる方が嫌だったんじゃないかしら? お嬢様も自分が気障っぽすぎると思ってたのよ、多分」
小町は「あー……」って、『合点がいった』って、そんな表情で腕を組んで、
「成程ね。確かに、あれを何度も見られるって考えたら恥ずかしいわ」
その言葉に私はまた笑った。つられてか小町も小さく笑い出し、そしてお互い段々と大きな声となってゆく。
そうして一頻り笑い終えた後だった。小町は「さてと」と呟くのへ立ち上がり、それから私に問い掛けた。
「そろそろ出発するかね。いいかい? 咲夜」
私は了承する。
「そうね、お願いするわ」
そう頼んだ私に小町は微笑み、そして体を反転させる。舳先の方を向いて、力強く櫂を漕ぎ出し、鼻唄を歌い出す。
それは私の知らない歌……だったけれど、悪くはない歌ではあった。だから私は小町が紡ぎ出すそのメロディに身を預け、ゆっくりとした時間を過ごした。
それから暫くして――
私は何となく三途の川を眺めてみる。
靄が掛かっているものの、一寸先が見えない程でもない。水面にはチラホラと睡蓮の花とその浮き葉が顔を出している。
私は体をちょっと斜めに傾けて、小町の背中で隠されていた舳先の向こう側を覗いた。
(いずれこの先に裁判所が見えてくるのでしょうね)
私はそうぼんやりと考える。その裁判所で私は裁かれて……まあ、自身を振り返ってみると『同族』の屍が多すぎるからね。地獄行きなのは疑いようもない。そう。それは仕様がないわ。私はそういう人生を歩んできたのだから。
とはいえ……
その人生のお陰で、私はいま何も怖くなかった。最後のメッセージまで頂けたのだからこれ以上の幸せ者はいない。私は、私の人生に悔いなんて微塵もない。だからこの先に何が待ち受けていたとしても受け入れられる自信があった。
「……ふふっ」
私は一人笑いをする。一人笑いだから、小町に気付かれないように小さな声で。
ああ、きっと、そうね。眉間に皺を寄せた閻魔様を前にしても、血の池地獄を前にしても針の山を前にしても、ニコニコと笑っていられるでしょうね。なんて、私は暢気にそう思った。
私は目を開く。しかし視界は定まらない。頭の中と同様にぼんやりとしている。とはいえ時間さえ置けば、それらは次第に明瞭となってゆく。
「……木の軋むような……じゃなくて、本当に軋んでいたのね」
私は口にした。それは独り言にように聞こえるかも知れないけれど、決して独り言なんかではない。私は、私の目前にて船を漕いでいる赤髪の死神にそう声を掛けたのだった。
「おや、気が付いたかい?」
その死神――『小野塚小町』が私に笑顔を向けた。
……果たして、この死神は状況が分かっていながらも『敢えて』笑顔なのからしね? それとも何も考えて居らずにの笑顔なのかしら? ……いや、まあどっちでもいいわね。私はそんなにセンチメンタルでもないし。
「ええ目は覚めたわ。ところで此処は三途の川よね? いま私がいるのは船の上で、そして目の前には死神である貴女がいるのだから」
小町は「ご名答!」とテンション高く言い、更に言葉を続けた。
「いやぁアレなんだよ。死んだ者の中には自分の現状を理解出来ずに混乱する奴も少なくないんだよね。その点アンタは優秀だ。流石、紅魔館でメイド長を務めていただけはあるね。十六夜咲夜」
「……どうも」と私は返す。優秀な死人というのも変な話だわと思いながら。
と……そんなコチラとの温度差なんて関係なしに、小町は喋りを再開させた。
「それでどうだい? 久々の若い肉体は? いや霊体だから肉体ではないけど、体もすんなり動くだろう。痛い所もない筈だ」
言われて、私は腕を上下に振ってみた。というより、見た目からしてそうか。皺が見当たらない。きっとこの頃は私が『弾幕ごっこ』によく参加していた年齢……かしらね?
「確かに若返ってるわね。霊体になるっていうのはそういう事なの?」
小町は答える。
「いいやそんな事はない。これはサービスみたいなもんさね。あたいとアンタは知らん仲でもないから」
「あらそう。ということは貴女の能力?」
「あたい、というか死神の能力かな。ちょっと霊魂を弄る位は出来るのよ。まあ一時的なものだけど」
「…………」
「咲夜?」
「……いや、成程ね」
私は察した。
「貴女はお喋りだもの。こうして知り合いと話せる機会を得たとはいえ、その知り合いがヨボヨボの婆さんじゃ会話が成り立たないから、だから若返らせた。そんな所でしょう?」
私は業と憎たらしさを演出した。指をさし、したり顔でそう推理する。
そしたら小町は、「いやはや……まいったねぇ」と苦笑して、
「でも咲夜。そういう打算があってもいいじゃないか。実際アンタももう一度若い体に戻れて嬉しいだろう? 持ちつ持たれつ――じゃないが、まあそんな感じだと思いねぇ」
いつでも愉快そうな小町。私はそんな彼女を見て少し笑ってしまう。
……ま、そうね。
「ありがたくその打算に、乗っておきましょうか」
私の返答に、小町は満足そうに頷いた。
「さて、それじゃあ色々とお喋りしようか!」
小町は一層、笑顔となった。全く本当に楽しそうね。死神じゃなくて噺家とかに転職すればいいんじゃないかしら。と思う。
「お喋りと言っても、何を話せばいいのよ?」
訊ねた私。それに小町は「なんでもいい」と答えた。
「そう。なんだっていいのさ。アンタが生きてきたウン十年間の思い出があるだろう。そこから好きに喋って貰いたいんだよ。別に愚痴でもいいし、勿論、面白い話でもいい」
面白い話、ねぇ……?
「じゃあ私を自殺者だと勘違いして、『思い直せ!』とか言った親切でお馬鹿な死神の話とかは?」
「……よく覚えてるもんだ」と小町は今日はじめて見せた呆れ顔でポツリ。
「ま、それは冗談ね」と私もポツリ。
「だったらそうね。紅魔館(ウチ)の話でもしましょうか。それが一番、アナタも喜びそうだし」
そう言うと、思った通り小町は顔ばせを戻す。見た目からしてワクワクとしだした。
「おお、いいねぇいいねぇ。アンタん所は普通の場所でもないからね。これは珍しい話が聞けそうだ」
「いや珍しいかどうかは分からないけれど。……まあ取り敢えず、ウチの門番である美鈴のことからでも話そうかしらね」
そして私は小町に話し始める。気付けば、自分でもビックリする位に話し続けている。これから閻魔に会うとはいえ、知り合いと私的な話が出来るのはこれで最後だから、なのだろうか。
……グータラおっぱいオバケの美鈴。
彼女は、実はとっても頼り甲斐があって、誰よりも気の利く優しい妖怪だった。パチュリー様は何時まで経っても本の虫だけど、そのお陰で知識はやっぱり凄くて、私は何度も助けられた。私を何度も助けてくださった。
小悪魔は良い子だけど、未だに少し自分に自信が持ててないのが玉に瑕。改めて考えてみればちょっと不思議な感覚ね。昔は小悪魔お姉ちゃん。って私が呼んでた位なのに。
続いて妖精メイド。あの子らには少し驚かされたわね。何をやっても仕事を完璧にこなせない。いつになっても掃除をサボって遊びだす。……って思ってたのに、私が倒れた後は私に負けない位に働いてくれていた。頑張ってくれていた。『お加減は如何ですか?』ってメイドの一人が私の看病に来てくれた時に、こっそり泣いてしまった事を思い出す。
妹様――フランドールお嬢様は、随分と成長なされたわ。今では物なんて何も壊さない。外に多くのご友人も出来て、そのお見送りを沢山したわね。いや懐かしいわ。何時だったか開通した列車に乗っているフランドールお嬢様。私はプラットホームから車内へ手を振るの。頭は下げないわ。下げたらフランドールお嬢様が怒るからね。『家族なんだからそんなのダメ』って、そう仰ってね? ……ふふ、メイドとしては少し困ったけれど、凄く嬉しかったわ。
そして最後に、私の心に一番強く残っているのは――
「やっぱり、レミリアお嬢様」
小町は私の話を黙って聞いててくれていた。私はいつの間にか水分でぼやけてしまった視界を、拭いて正常に戻すことさえせずに口を動かす。
口を――動かし続けた。
「レミリアお嬢様に初めてお会いしたのは、私がまだ子供だった頃」
「そして、それはまだ紅魔館が外の世界にあった頃でもある、そんな時代の話よ」
「赤ん坊の時は違ったらしいけど、物心が付いた時には既に身寄りがいなくなっていた私は、お金さえ貰えば誰だって始末する只の思考停止殺人鬼になってたわ」
「そんな狂った子供の、今度の依頼は吸血鬼の殺害」
「ただ当時だって、外の世界では吸血鬼なんて最早ファンタジー。私は信じてなんかいなかった。とはいえ私以前の、他の暗殺者が悉く返り討ちに遭っていたのは事実だから……そうね。今回のターゲットは『吸血鬼』と恐れられる程の何かはあるのだろう、という位かしら?」
「勿論、恐怖も私にはなかったわ。だって相手がどんなに強くても、どんな隠し球を持っていたとしても時間を止めればそれで終わりなのだから」
「まあ時間を止めてしまうと、相手は全ての状態変化を否定するようになってしまうので停止中に切り裂くことは出来なくなる。だけどそれでも問題はない。ナイフをそっと頸動脈に当てて……そして停止解除と共に少し手を引けば相手は死ぬのだもの」
「今度だってそうだと思った。でも違ったのよね。私の攻撃はいとも簡単に躱されていたわ。時間を止めた私の方が状況を理解できずに混乱した」
「でももっと混乱した事が起きた。お嬢様は――相手の吸血鬼は――私のナイフを奪って、そして自分でその喉を裂いたの。血が噴き出し、体と顔の角度が少しおかしな事になっていたのに、そのままのお姿でお嬢様は平然と仰ったわ。『仮に運命をお前の思惑通りに進めてやったとしても、それでもお前に私は殺せない』と」
「そのとき私は、やっと相手が本物の吸血鬼なんだって理解したわ。それと同時に、このあと私は殺されるって、それも理解した」
「けれど私は生かされたのよ」
「『お前は歯車がずれただけだ。まだ幾らでもやり直せる』って。『やり直す為の場所がないなら、ここをお前の家にすればいい』って」
「……生かされただけじゃないわね。お嬢様は私に居場所まで下さった。私はそれからずっとメイド。でもいつしか使用人じゃなく紅魔館の一員に……家族になっていたわ」
そこで話を止めた私。
その後すこしの沈黙が流れ……それから小町がゆっくりと口を開いた。
「……一番上の役職だったとはいえ、一メイドの口から『主人の家族』って言葉が出るのは凄いね。いやまあ、アンタは自惚れるような性格じゃない。だからつまり、家族と言ったからには自惚れじゃないと胸を張れる何かがあるんだろうけど」
私はそれに答える。
「いいえ、コレと言って得には何もないわよ」
「……ほんとかい? じゃあなんで、」
「それはお嬢様と一緒に暮らさないと分からないわね。逆に言うと暮らせば分かるわ。ウチは沢山メイドを雇っているけれど、皆、一様に大事な家族なのよ」
曖昧ながらのそんな解説。それを終えた時には、私は自然と笑みを零していた。
そんな私を見て小町は後頭部を掻き始める。
ボリボリと――いいえ、最後には髪をグシャグシャにするぐらい激しく掻いて――
「……あーもうッ、本当はこれは駄目なんだけどねぇ……」
小町は船を漕ぐことさえ中止し、『どすっ』と腰を下ろした。それから「気付かなかっただろうがね」とも言って、
「今は菊月。(九月)アンタが亡くなってからもう、三ヶ月も経ってるんだよ」
……菊月? 三ヶ月?
「……そんなにサボってたの?」
私の言葉にズルッと滑った小町。噺家に、聞き上手という点ではカウンセラー、そして今明らかとなったけど芸人にも向いてそうね。
「いやいや真面目な話だよ。というか三ヶ月もサボってたら流石にクビさ」
まあ、そうよね。閻魔とプライベートでは友人? っぽい部下とはいえ。
「じゃあ、なんでそんなに私は三途の川を渡るのが遅れたのかしら」
訊くと、小町は「話の流れから分からんかねー……」とぼやくように呟いて……
「遅れたのは、アンタのご主人様の所為さ」
「お嬢様の?」
「そうさ。なんでか知らない……というのは違うか。アンタが名残惜しかったのかね? あの吸血鬼、アンタの霊魂を渡さないこと渡さないこと。お迎え係の死神がどれだけ追い返されたか分からないわ。そこで個人的に知り合いだった、このあたいに白羽の矢が立ったって訳よ」
「私を連れてこいって?」
「YES。……全く、その時は嫌になったわぁ。遊びなら兎も角、本気だされちゃ一介の死神なんかに何とかなる訳ないじゃん? 知り合いだからって、あのお嬢さんが『はいどうぞ』ってアンタの魂渡してくれる筈ないとも思ったし」
「……でも、私がこうして今ここに居るという事は、」
「そうさね、『はいどうぞ』って渡してくれたのよ何故か。まああたいの後には閻魔様が出張るだろうから――ってのも解ってたのかもね。とはいえ、何にしても良かったよ。ってか感謝だわ寧ろ。他の死神が上げられなかった功を上げられたのだから、こりゃ給料も上がるかもね」
「ウッシッシ」とイヤらしく笑った小町。
「そりゃおめでとう。これで私が死んでなかったら奢って貰ってた所だわ」
「ああ奢ってやったさ。だがそれはもう叶わぬ話。だから奢る代わりにこのプレゼントで勘弁しておくれ」
「プレゼント?」と怪訝に思った私の前に差し出されるは見覚えのある水晶玉。どうやらずっと、小町は自身の体で私からは見えないように『ソレ』を隠していたらしい。
「これって……パチュリー様の?」
「お、やはり元メイド長の名は伊達じゃあないね」と小町は指をパチンと鳴らし、
「そうだよ。アンタの魂を引き取りに行ったとき渡されたのさ。なんでもこれは記録を映像として残せるスグレモノらしくてね。といっても白玉楼中の人の時ならいざ知らず、現世の者と死人がコンタクトを取るなんざ本来は禁忌だから始めは受けとるのも拒否した位なんだけど……けどもう、どうでもいいか。別にアンタなら」
いや、公務員の癖に禁忌をどうでもいいってのは凄いわね貴女……って、普段ならそういう思考で頭が満たされるのでしょうけど、今は二割にも届かない。
紅魔館の映像記録? 私へのコンタクト? 流石に興味が湧く。私は思わず生唾を飲み込んでいた。
「……見てもいいかしら?」
「勿論さね。ただ気にはなるから、悪いけどあたいも一緒に見させて貰うよ」
「……まだ見てないの?」
「そりゃこれはアンタ宛の物なんだから、それを先に覗くほど野暮じゃあないよ。とはいえそのメッセージを見ないで我慢するのも辛いから……って、それじゃあ、やっぱりちょっとは野暮か」
……そうね。
「本当に出来た奴なら、『このメッセージはお前だけの物だ』とか言いそうなものだものね」
「ああそう言える奴は格好良いね。だがまあ、あたいは別に格好良い奴でもなんでもない。この位は許しておくれよ」
そう言うのへ小町は私に水晶玉を差し出してくる。私はそれを受け取りつつ「ま、見られても良いけどね」と答えた。
「そいつを持って魔力を込めれば、それで映像が再生されるそうだ。ほら、やってみな」
「…………」
私は一度、深呼吸をした。それから教えられた通りに、私は水晶玉に魔力を込めた。
「……っ、」
水晶玉越しに見えていた私の掌が歪み始める。歪み始め、次第に色が着き、なにやら風景が現れ始めた。
「ここは……紅魔館、じゃないわね。何処か……山の中?」
水晶玉が映したのは何処ぞの山腹。少し前に撮ったものだろうか? 小町はいま菊月と言っていた。そしてこの水晶に映っている山の風景は確かに秋だ。時刻は夜のようだけど、魔法でライトアップされた紅葉は見事で、山頂までビッシリと黄色と紅で埋め尽くされていた。
『いいわよレミィ、これで水晶は記録モードへとなったはず』
姿は見えないけれど、パチュリー様のお声が聞こえた。なにやら眠そうな、いつもと変わらぬお声だ。
『そう、ありがとうパチェ』
「……お嬢様」
お嬢様のお声も聞こえてきた。でもお声だけ。お嬢様も姿は見せてくれていない。
『じゃあ始めましょうか』
お嬢様のお声が続く。お嬢様のお声が、少し大きくなった。
『みんな、今夜は好きなだけ飲みなさい。好きなだけ食べて、好きなだけ騒ぎなさい。命令は一つ、楽しむことよ! それじゃあ……乾杯!』
『かんぱーい!』
その数秒の後、映像が『ゴト』と動いた。この映像の中で誰が水晶を動かしたかは定かじゃないけれど、お陰で視点が変わった。紅葉のみの風景から変化し、多くの妖精メイドたちが映った。どうやら宴会の画を記録しようとしたらしい。
聞こえてくるのはザワザワとした喧噪。見えるは妖精メイドたちの食事風景。みな生き生きとしていた。満面の笑みで料理を掻き込む者。とんでもないペースで酒を呷る者。お喋りに興じる者に、食べ物を横取りされた事を発端に互いの頬をつねり合う者……
そんな光景が一分ほど流れた後、一際大きな声が水晶玉から響いた。
『一番! 紅美鈴ッ! 歌います!』
簡単な木組みで拵えられたステージの上に、何時の間にやらウチの自慢の門番の姿があった。そしてその門番、美鈴は宣言通りに歌い始める。実は美鈴ってかなりの美声で、そういえば初めて聴いた時には驚いたものだ。しかし今回も含め、毎回の事ながら思うのは日本語で歌えということ。貴女以外に紅魔館で中国語が解るの、多分パチュリー様だけだから。
その歌が終わり、それから拍手と歓声が鳴り止むと、今度は何やら『はい、はい、はいっ』というテンポの良い掛け声みたいなものが聞こえてきた。
声の主は小悪魔と、私の跡を継いだメイド長?
確証はなかったので小首を傾げたら、その時にまた『ゴトッ』と映像が動く。
……ああ、正解のようね。水晶に映ったのは確かに小悪魔とメイド長の妖精だわ。
でも……何をやってるのかしら? そりゃ宴会の時は手軽だからソバ系統はいつも出していたけれど……二人が掛け声を上げて行っていたのは椀子蕎麦の補充。そしてちなみにチャレンジャーはフランドールお嬢様に……秋神様の姉の方?
なんで彼女が此処に? 紅葉関連で何か……っていうのはどうでもいいわね。それよりも誰か止めてあげなさいよ。静葉さんってどう見ても食が細いっていうか、既にもう涙目じゃない。
結果はフランドールお嬢様の圧勝。『やったー』と両手を挙げてお喜びになっているのはいいとして静葉さんの方は……ピクピクしてるわ。それに気付いた小悪魔が慌てて介抱を始めたけど――なにこれ、ワンハラ(ワンコソバハラスメント)?
『さて、もう充分かしらねレミィ』
静葉さんの首が『がくっ』と傾き、恐らくは気を失った所のような画が映されたその後に、またパチュリー様のお声が聞こえた。
それから再び映像が動く。どうやら先程から水晶玉の向きを変えてくれていたのはパチュリー様だったようだ。
『…………』
レミリアお嬢様が水晶玉に映し出された。
『……レミィ?』
横を向き、宴会の騒ぎを見つめながら何も仰らないお嬢様に、パチュリー様のお声が問い掛ける。
お嬢様は用意された椅子ではなく、山に元々あったのであろう大き目な岩に腰を下ろしていた。暫くするとお嬢様はお顔を上げ紅葉を眺め、そうしてから手に持つグラスを傾けて一口。
血液か赤ワインか……飲み込んだお嬢様は『……ふぅ』と息を吐かれた。
『ええ。もう充分ね』
ようやくご返答なさったお嬢様だけれど、やはりその視線はパチュリー様に向いていない。つまりは水晶玉に――此方(わたし)に向いていない。
『……楽しい?』
パチュリー様の小さなお声がお嬢様に尋ねた。それに対しお嬢様は『ええ』とそうお答え、したけれど――
『でも……紅葉の所為かしらね。やっぱり、少しだけ寂しいわ』
そんな涙腺が緩むような、お嬢様のお言葉を聞いたその瞬間だった。
「……えっ?」
水晶に映っていた映像が『ブツ』と唐突に途切れた。今は最早、魔力を込める前と同じく私の掌が水晶越しに見えるだけで。
「なんで? 急にどうして?」
私はもう一度魔力を込める。しかしやはりというか反応はなく……
そんな焦る私とは正反対に、小町はのんびりとした口調で言った。
「それにしても……気障な人だねぇ。恐らく映像を切ったのはあのお嬢さんだよ」
「……お嬢様が?」と、私は小町を見ながら訊く。
「そうさ。あんなにタイミング良く魔女が切るとは思えないからね。きっと魔力を飛ばして水晶を狂わせ、録画機能を停止させたんだろうね」
「…………お嬢様が」
と私は呟く。
「というかこれ……一度きりしか映像を映さない代物だったんだねぇ。いやぁ危なかった。先に見てたら取り返しが付かなかったよ」
「……そういえば……確かにそうね。っていうか、パチュリー様はこれを渡すとき貴女に言わなかったの? 見たら消えるって」
「言ってないさ。どうしてたんだろうね、私が見ちゃったなら」
私は小町のその疑問についてちょっと考えてみた。
本当に、私が見る前に消えてしまったなら一体どうしていたのかし――……
……いや、そうか。
私は思い当たり、「多分……」と口にした。
「そうね多分……それでも問題はなかったんだと思うわ。私に知らせたかったのはこの内容であって別に映像ではない。だから貴女の口から伝わるなら、きっとそれでも良かったのでしょう」
「……ふぅん。内容、ねぇ」
独り言のように小さな声で口にした小町は、続けて私に質問をする。
「それで、伝わったのかい? その内容を知ったお前さんに、何かがさ」
「ええ」と答えた私に小町は、「それは? 差し支えなければ教えてくれると嬉しいけれど」
私は答えた。
「別に構わないわ。隠すことでもないからね」
そして私は回想をする。――そう。私は死ぬ、その少し前に……
「小町。私ね、お嬢様に言ったのよ。死ぬ少し前に『館の皆と仲良くして下さいね』とか、『楽しく過ごして下さいね』とか、『悲しまないで下さいね』とか」
小町は少し考え込むような素振りを見せた。
「まあ……確かに映像を見る限り、みんな仲も良さそうだったし、楽しく過ごしているってのも伝わってきたね。『悲しまないで』というのは、あのお嬢さん守ってるかどうか怪しかったけど」
「怪しい?」と私は聞き返す。
「怪しいどころか、明らかに守ってらっしゃらなかったわね。だって寂しいって仰ってたもの」
そう言い返した私の顔を、小町はジッと見てきた。私がついつい、微笑んでしまっていたからだろうか?
「それは……約束が守られなかったから、だから嬉しいのかい? 主人が自分のことを偲んでくれている。だから――」
「違うわ」
私は小町の、言葉の終わりを待たず口にした。
「いえ……そりゃあ人として思い出してくれて嬉しいって感情はあるわよ? だけど私が微笑んでしまっていたのは別の理由。『嬉しい』じゃなくて『ホッとした』かしらね? それにしても――あの方はいつも私の想像の斜め上の回答を示して下さるわ」
「……?」
話をよく理解できていなさそうな小町に私は続けた。
「なんというかね。流石に死んだ者相手にはお嬢様も素直に報いて下さると、私は心の何処かでそう思っていたのでしょうね。今回で言えば、私が死ぬ前に言った三つの約束を『守ってるぞ』って水晶玉を使ってメッセージをくれて、それでめでたしめでたし……ってな感じで終わり。みたいな」
「けどあのお嬢さんは守ってなかったな。三つ目」
「ええ。だから詰まる所、お嬢様が私に伝えたかったメッセージは『私は私だ』……きっとコレだったのだと思うわ」
「私は私……?」
「そう。勝手な推測だけど、恐らく間違ってはいないわ。『紅魔館の住民は明るく楽しく過ごしている。だがそれはお前に言われたからそうした訳ではない。元々だ。その証拠に私はお前との約束を破り悲しんでいるぞ』ってお嬢様は仰りたかったのだと思う。『私は自由を旨とする、誰の思い通りにもならない夜の王、レミリア・スカーレットだ』って――『私は何があっても、いつまで経ってもお前の愛した私のままだ』って――そう私に伝えたかったのだと思う」
そこまで説明した時、小町は目を丸くして驚いていたけれど。
「……ふぅ」と息を吐いてからは、瞼を閉じての穏やかな微笑へとその面持ちを変えた。
「……主従愛か。愛っていうのは、やっぱり美しいものさね」
「そうね。感激で胸が一杯だわ。……と、そうだ小町。貴女にもお礼を言わないとね。最高のプレゼントだった」
軽く頭を下げた私に、小町は手首をぞんざいに振って見せた。
「いいっていいって。あたいも良いモン見させて貰ったしね。いやさそれにしても本当、あの自信家な吸血鬼らしいメッセージだ。『私は私のままだ』だなんて……」
そう言った時の小町は始め、柔和な顔をしていた。そして台詞途中には呆れ顔となり……と、そこまでは解るけれど、言葉の終わり頃には何故か表情を険しくさせていて……
「どうしたのよ?」
訊ねた私に小町が返した。
「いや……あのさぁ、ちょっと思ったんだけど」
「なにを?」
「ええと……咲夜、アンタの主人って演出とかするの好きっぽいイメージがあるんだけど……どう?」
「演出……? まあ、好きだと思うわ。何事も形から入る所があったし」
「じゃあ……もしかしてアンタの霊魂を三ヶ月も現世に留め続けさせたのって、なんというか寂しいって告白とマッチする景色な……その、紅葉を待ったから……とかそれだけの……いやまさか……」
小町は思い付いた自分の考えを否定したいのか、物理的に頭を捻り出す。
……ただ、残念なことに長年お嬢様にお仕えしてきた私の直感も、小町の予想は外れていなさそうだと訴えていた。しかし勿論、直感が外れている可能性もあるので、私は小町に質問をしてみる。
「ねえ小町。幾つか訊きたいんだけど、普通は死んだ人って冥界で順番待ちをして、そして三途の川を渡って、それから裁判を受けるのよね? それまでに掛かる時間ってどの位なのかしら?」
変わらず難しい顔をしている小町は、それに似合う暗い声で答えてくれた。
「それは……その時の混み具合によって変わるけどね。少なくとも異変時でもなきゃ三ヶ月待ちはないよ」
「じゃあ私にこうやってメッセージを持ってくる事って、裁判の後でも可能?」
「いやそれは不可能。裁判の後っていうか、裁判所に着いた瞬間から霊魂の管理はより厳しくなるからね。知り合いとはいえホイホイあんたに会いに行って、しかも現世の者とのコンタクトを取る道具をプレゼントするだなんて、あたいの役職程度で出来る訳がないし」
……ああ。
「それなら悪いけど確定だわ。お嬢様は雰囲気作りの……舞台演出の為だけに三ヶ月間の我が儘を通したのでしょうね」
その言葉に小町はワナワナと手を震えさせて、そして「あのっ……吸血鬼めぇ……」と声を絞り出した。
でも……と私は思う。
「別にいいじゃない。だってお嬢様の我が儘があったからこそ、貴女は『誰にも出来なかった私の霊魂の引き受け』に成功したのでしょう? 謂わばその手柄、お嬢様のお陰じゃない」
そう言うと小町は立ち上がり、声を大にして私に突っかかって来た。
「お手柄じゃないよ! アンタ、死後の裁判は全てを調べ上げてから行われるんだよッ? まず間違いなくアンタの霊魂が遅れた理由も精査される! そしたら最終的にはあの吸血鬼の思惑も四季様は看破するだろうさ! そうなると『私だから』霊魂の引き受けに成功したのでなくて、『時期が来れば』誰だって成功したってバレて……ああ、昇給の夢がぁ」
今度は崩れ落ちた小町。忙しい奴ねぇ……って感想は少し可哀想だから、『ドンマイ』って言っておく。勿論、より怒らせてしまいそうなので『心の中で』だけど。
それから幾らか待ってみたものの小町は立ち直らなくて、だから少ーし手持ち無沙汰になってきた。そんな訳でまあ、結局いつかはやろうと思ってた事だし、落ち込んでる最中にアレだけど私は小町に水晶玉を差し出した。
それに気付いた小町は静かに、「……いらないのかい?」と訊いてくる。
私は首肯した。
「ええ。もう映像は見られないようだしね。だから出来ればパチュリー様に返しといてくれたら助かるわ。あとついでに、咲夜が『ありがとうございました』と言っていたって館に伝えてくれたら嬉しい」
小町は差し出された水晶玉を受け取りつつ言う。
「まあ乗りかかった船だし、その位なら引き受けるけど……」
そしてその後、手元に渡った水晶玉をまじまじと見つめながら、今度はこう言った。
「でもさ、やっぱりちょっと腑に落ちないね。幾ら重要なのは内容だって言ってもコンだけ演出しといて、結果あたいだけしか見られなかったら……本当にそれでも良かったのかねぇ?」
私は未だに疑問符を浮かばせる小町に、「ふふ」と笑って答えた。
「良かったのよ。その場合でもどうせ性格上、貴女が臨場感たっぷりに私に話すだろうし――それよりもこの映像を二度見られる方が嫌だったんじゃないかしら? お嬢様も自分が気障っぽすぎると思ってたのよ、多分」
小町は「あー……」って、『合点がいった』って、そんな表情で腕を組んで、
「成程ね。確かに、あれを何度も見られるって考えたら恥ずかしいわ」
その言葉に私はまた笑った。つられてか小町も小さく笑い出し、そしてお互い段々と大きな声となってゆく。
そうして一頻り笑い終えた後だった。小町は「さてと」と呟くのへ立ち上がり、それから私に問い掛けた。
「そろそろ出発するかね。いいかい? 咲夜」
私は了承する。
「そうね、お願いするわ」
そう頼んだ私に小町は微笑み、そして体を反転させる。舳先の方を向いて、力強く櫂を漕ぎ出し、鼻唄を歌い出す。
それは私の知らない歌……だったけれど、悪くはない歌ではあった。だから私は小町が紡ぎ出すそのメロディに身を預け、ゆっくりとした時間を過ごした。
それから暫くして――
私は何となく三途の川を眺めてみる。
靄が掛かっているものの、一寸先が見えない程でもない。水面にはチラホラと睡蓮の花とその浮き葉が顔を出している。
私は体をちょっと斜めに傾けて、小町の背中で隠されていた舳先の向こう側を覗いた。
(いずれこの先に裁判所が見えてくるのでしょうね)
私はそうぼんやりと考える。その裁判所で私は裁かれて……まあ、自身を振り返ってみると『同族』の屍が多すぎるからね。地獄行きなのは疑いようもない。そう。それは仕様がないわ。私はそういう人生を歩んできたのだから。
とはいえ……
その人生のお陰で、私はいま何も怖くなかった。最後のメッセージまで頂けたのだからこれ以上の幸せ者はいない。私は、私の人生に悔いなんて微塵もない。だからこの先に何が待ち受けていたとしても受け入れられる自信があった。
「……ふふっ」
私は一人笑いをする。一人笑いだから、小町に気付かれないように小さな声で。
ああ、きっと、そうね。眉間に皺を寄せた閻魔様を前にしても、血の池地獄を前にしても針の山を前にしても、ニコニコと笑っていられるでしょうね。なんて、私は暢気にそう思った。