朝起きると、外は憎たらしいまでに晴天だった。それを察してか咲夜が起こしに来る時間がいつもより遅く、寝ぼけ眼で適当な挨拶を交わした私はそのまま二度寝に入ろうかと横になる。
そんな私を意外そうに見る咲夜。はて、いつもなら小言でも飛んできそうなものだが。
「お休みになられるんですか?」
「見て分からないの」
「外は清々しいまでに晴れてますよ?」
「そっちもだけど、今の私を見て分からないのかと聞いてるのよ?」
そうして咲夜はふむ、と頷いた。
「分かりました。今日はこのまま惰眠を貪り遊ばれるのですね」
「そうそう。貴方の主人は眠たいのよー」
「かしこまりました」
恭しく一礼した咲夜が、ぽつりと一言。
「では霊夢に、今日お嬢様は行けなくなったと伝えておきますね」
「え?」
「はい、確かに伝えておきます」
「いやいや、ちょっと待って」
「申し訳ございません、貴方の従者は主人の意を汲んでお手を煩わせない為に多忙の身でありまして」
「お前それわざとだろ」
霊夢の所に行く約束などしてただろうか?
身を起こした私を一瞥して小さく舌打ちした従者の背中を蹴飛ばして、過去の記憶を掘り起こしてみる。
昨夜はずっと紅魔館にいた。その前も紅魔館にいたと思われる。それ以前は最早覚えてない。
えーと。
「今日霊夢の所に行く約束なんてしてたっけ?」
もちろん独り言ではなくて、こちらに尻を突き出して倒れている従者に向かって尋ねた。今までの会話の流れを考えればごくごく自然な問いかけ。
さすがの咲夜もそこは了解しているらしい。
「正確には今日というこの日ではなく、前回お嬢様が博麗神社に赴いてからようやく晴れた今日この日、ですわね」
「うーん、話が見えない」
とんと記憶にない。私がそういった約束を霊夢と交わしたのだろうか?
首を捻りながらも着替え始めた私を床から見上げる形で、咲夜が誇らしげに口を開いた。
「この日の為に記憶力を減退させる紅茶を淹れてきた私を褒めてほしいものですね」
「お前いい加減にしろよ」
「あ、誤解しないで下さいね。紅茶を淹れたのは私ですが記憶力減退はパチュリー様です」
「パチェがそれをするに至ったきっかけは?」
「それはまぎれも無くこの咲夜めの仕業にございます!」
「お前なぁ」
「てへぺろ」
はぁ、と深い溜息が漏れてしまうのも仕方がないというもの。どうしてこいつはこんなにも性格に難有りなのだろうか。
「まぁいいわ。神社に行くから支度をしなさい」
「いいえお嬢様、お言葉ですがそれは出来かねます」
床に倒れたままの咲夜を置いて部屋を出ようとした足が止まる。珍しい言葉を聞いた気がする。聞き間違いだろうか?
振り返った私を見上げて、咲夜が付け加えるように言った。
「お嬢様は一人で神社に赴かれると仰っていましたので、私が一緒に行く事は出来ません」
「そうか。咲夜」
「はい」
「知っての通り、私はその約束をした時の記憶が無い」
「吸血鬼でも痴呆になるんですね」
「お前のせいだよお前の。そこで、だ」
「はい。洗濯物干して来ますわ」
「聞けよ。その約束をした時の詳細を教えて欲しい。紅魔館の主たるもの、礼節を重んじなければならないからな」
「え、手遅れじゃないですか」
「何が」
「約束の時刻はとうに過ぎてますよ?」
咲夜の言葉と同時に、部屋の鳩時計がくるくるっぽっぽーと鳴いた。
「は?」
「はい?」
「はい? じゃないでしょ? 貴方、約束の時間を知ってたのにどうしてその前に起こさないのよ」
「私も迷いに迷ったのですが、お嬢様があまりにも可愛らしいお顔で愛くるしく眠られておられたので。つい」
「つい。じゃないわよね?」
「てへぺろ」
「お前次それやったら美鈴と役職交代な」
「お嬢様、そんな事より時間が」
「あーあーもぅーどうして私の従者はこんななのかしらねー」
「褒められて伸びるタイプなので」
「私がいつ怒ったのよ」
「ですから成長が留まる事を知りません。さきゅさきゅーん」
「きもちわるい」
その一言でようやく静かになるものの、まだ肝心な約束の内容を聞いていない。そもそもただ遊びに行くだけの約束なのか、それすら不明瞭なのだ。既に遅刻らしいし、早く話を進めてしまいたい。
「それで、どういった約束だったの」
「一介のメイドに過ぎない私には、恐れ多くてとても口には」
「そういえばメイドだったわね、貴方」
態度があまりにあれ過ぎてちょっと忘れてしまう。
「一つだけアドバイス出来るとしたら、下着は見せても恥ずかしくない物を」
「なんか急に行きたくなくなってきたなぁ」
「お持ちで無いのですね? ご安心下さい、こんな時もあろうかとこの私が用意してございます」
「そういうのいいから」
「妹様のなんですけどね」
「職権乱用過ぎない?」
洗濯する時にでもチェックしてるのだろうか。
「いえいえ、ちゃんと時を止めて覗き見ているのでお嬢様が邪推するような事は」
「なおダメよねそれ」
「そろそろ霊夢の堪忍袋がぷっつんする頃でしょうか」
思わずその様を想像してしまい、鳥肌が立つ。
「もぅー、結局どういう約束なのよ」
「お嬢様がお一人で博麗神社に遊びに行くだけですわ」
「それならそうと言いなさいよ」
「しかしお嬢様一人だけと指名するなんて何か裏がありそうじゃないですか。私は心配で心配でついついこのように時間を引き延ばしてしまうのです」
「あらそう。ありがとう。それじゃあ行ってくるわ」
「あ、お嬢様」
返事はせずに扉を開け、室内から出てから咲夜を見る。
「起こして頂けると助かります」
音を立てないように、静かに扉を閉めた。
自分で日傘を持つなど、いつ振りだろうか。神社に行く道すがら、常と変わらず変化の無い幻想郷を眺めて私は考えた。
もう随分前の筈だ。咲夜が来てからは咲夜に持たせていたが、その前は美鈴に持たせていた気がする。自分でもそれがいつだったのかさえ分からないのだから、本当に久しぶりなのだろう。傘の柄をくるりと回した。
紅魔館から博麗神社までは近い。真っ直ぐ最短距離を飛ぶだけなのだから近いも遠いも無いのだが、少なくとも近いと感じる程には近い。
境内に足を降ろせば一切掃除をした後が無い様子に首を傾げる。はてさて、思えば本当に約束などしてたのだろうか。
神社の裏に回ってみるが、障子も閉められていて留守のような気さえしてくる。咲夜に謀られたか? と一瞬思うも、なんだかんだで嘘を言うような従者じゃないのだ。約束はしてたのだろう、おそらく。きっと。たぶん。
日傘を持って神社を一周してみたが、どうにも霊夢がいるかどうか怪しい。
いよいよどうしようか迷った挙句、とりあえず従者の言葉を真実と仮定して、たまたま霊夢が留守にしているだけと一人で納得し勝手に上がらせて貰うとしよう。
ノックを二回。はいお邪魔しまーす。
「お・そ・か・っ・た・わ・ね?」
お邪魔しましたー。ぴしゃり。さてと、帰ろうかしら。
踵を返そうとした私の目の前で扉が勢いよく開かれた。勢い余って端にぶつかり悲鳴のような甲高い音が響く。その向こう側に鬼も裸足で逃げださんばかりに憤る霊夢の姿。
「こんにちは、霊夢」
努めて優雅に、にこりと微笑んでみせた。
「吸血鬼様は約束の時間も忘れたのかしら」
あ、まずい、このまま遅刻の理由を話す流れだ。本当の事を言ったら間違いなく怒り心頭だろう。馬鹿にしてるのかと夢想封印されてしまっても文句が言えないくらいには下らない理由なのだ、如何にしたものか。古今東西、自分が悪いと思ったら謝るのが一番だろう。
「それに付いてはごめんなさい、申し開きも無いわ」
頭を下げる。いつまで経っても返事が来ないので、ちらりと窺ってみれば「で?」といった顔をしていた。まぁそうだろう、謝って済むなら弾幕ごっこなどいらないのだ。
「私が全面的に悪いのは認めるわ。でもね霊夢、これだけは言わせて欲しい」
悪いのは私じゃなくて咲夜の筈なのになぁ、と思いつつ、伝えておくべき事は伝えておこう。何がきっかけで怒りが静まるのかなんて分からないものだ、気持ちを伝えて損は無い。
「貴方に会えて嬉しいわ。きれいな黒髪が素敵よ」
ぴくり、と彼女の肩が揺れた。効果ありと判断して、言葉を続ける。
「艶があってさらさらで、永遠亭の輝夜なんて目じゃないくらい。巫女服にもよく映えてるし、霊夢にぴったりな髪だと思う。服装全体に統一感のある色彩の中で、唯一自然なままの色形、神職たる貴方にはこれ以上ないって程しっくりきてる。ああ、霊夢には黒髪以外が似合わないって言ってるんじゃないのよ? 黒い髪の貴方が、一番素敵できれいだわ」
まくし立てた。本当の事とはいえ、これだけ一息に褒めると私としてもちょっと恥ずかしい。まぁ、これで霊夢の機嫌が少しでも良くなるなら安い恥だ。
「なんで髪しか褒めないのよ。しかもいきなりだし」
そう言う霊夢の表情は穏やかだった。玄関扉を開けた瞬間と比較すれば一目瞭然である。写真を撮って二枚並べてみたいものだ。
身体を引いて、上がるように促す霊夢。どうやら機嫌はしっかり直してくれたようだ。別に髪だけを褒めたつもりはないのだが、それでも許してくれたらしい事に感謝する。
靴を脱ぎ、日傘を立て掛ける。さてさて、ここまではいいとして、本当に、こうして訪問するだけで良かったのだろうか。
今日という日の約束の内容を私は知らない。内容を知っている咲夜はといえば、嘘は言ってなくても話してない事があるかもしれない。どうしてだか彼女にはそういった節があり、意図的に大事な事を話さない事がしばしばあるのだ。
そういう意味ではこれから何が起こるのか分からない。遊びに行くだけ、とは言っていたものの、その遊びとはなんなのだろうか。
私が神社に遊びに行くといえば、基本は霊夢の所に行く、ただそれだけである。しかし、妖怪同士の遊びといえばここでは弾幕ごっこがメジャーなような気もする。その二つを理解している咲夜が意図的に「遊び」としか言わなかった可能性もあるのだ。そこに何か意味があるのかはともかくとして。
なにより厄介なのが、約束そのものなのだ。そう、約束である。約束とは、互いの了承があって初めて成立するものだ。当然、約束の内容を当事者である私が知らないのはおかしい。それは最早、約束を忘れたと同義ではないか。
更に困った事に、霊夢は約束事にうるさい。ちょっとした約束でもこちらが忘れていると大変怒る。こっぴごく怒る。容赦がない。以前咲夜にそんな話をしたら、「相手がお嬢様ですからね。仕方がありません」などと言っていたが、意味が分からない。なぜ私だと仕方がないで済まされてしまうのか。
しかも霊夢はといえば、一度として約束の類を忘れた事が無いときてる。私と初めて出会った日付も初めて一緒に宴会した日付も覚えているというのだから、そのうち呪われるのではないかとひやひやものだ。最早約束云々の話ではないのだが。
うーん、どうしたものか。いっそのこと、事情をまるっと話してしまった方が楽な気がする。
「はい、お茶」
「ん、ありがとう」
考え事をしている内に居間まで来てしまっていた。湯気が昇る湯呑を見つめながら、いよいよどうしようかと頭を抱えた。
そんな私を見兼ねて、ではないだろうが、霊夢が口を開く。
「今日遅刻した事はもういいんだけどさ」
「あら、許してくれるのね。心が広くて助かるわ」
「たいした時間じゃないしね。覚えててくれただけ、良しとしてあげる」
何一つとして中身は知らないんだけどね。
「で、どうしようか。その、見ての通り、準備はできてるけど」
途端に歯切れが悪くなる霊夢を見て、首を傾げた。どうしようか、とは正に約束の内容の事なのだろうが、いかんせんそれは私には分からない。見ての通り、という言葉をヒントにして正解を見付けださなければ何をされるか。
「ほら、外の掃除もしてないし、障子も全部閉めてるし、屋内には結界を張ってあるし。隙は無いと思うのよね」
言われてみれば部屋の中は薄暗かった。私がいてもお構いなしに陽の光が差し込んでくる普段とは違い、今日に限っては障子が全て閉められている。だが、それと掃除をしていない事と、結界を張る事と何の関係があるというのだろうか。まるで見当が付かない私は黙ってお茶を飲み、もっと霊夢から言葉を引き出すしかない。
「これならあんただって安心でしょ?」
まぁ、吸血鬼だし、外が晴天なら陽の光が届かない屋内に籠るに限るけど。結界、はなんだろう。どういった種類の結界か知らないが、私がその存在を感知出来ない以上、私以外が対象だと思われるが。それに掃除。掃除の意味が分からない。
「どうして外の掃除はしなかったの?」
分からないので、聞くしかない。外の掃除をしてないと私が安心すると思われているとしたら、ゆゆしき事態である。そんな不名誉な誤解は早々に解かなければならない。
「あんたも見たから分かるだろうけど、何か思わなかった?」
「汚い?」
「真面目に答えてよ」
真面目に答えたつもりなのだが。
「誰もいないかも、って思わなかった?」
「あー」
確かに。神社に来て最初に思ったのはそれだった。いつもはきれいに掃除してあるのに、今日に限ってその形跡が無かったのだ。もしかして留守なのか、と思うには十分だろう。
「ま、念の為結界も張って、外からは中の状態が分からないようにしてあるけど」
「随分念入りなのね」
そうまでして、一体彼女は何がしたいのだろうか。
私の言葉を聞いて、霊夢がじっとこちらを見てきた。
「あんたはそうじゃないかもしれないけど、私はこういうこと、初めてなんだから。仕方ないじゃない」
言うだけ言って、顔を逸らしてしまう。私が初めてじゃないかもしれなくて、霊夢は初めて?
私はぐるりと部屋を見回した。
なるほど、確かに普通の人間は、昼間からこんな暗い部屋にいないだろう。私は吸血鬼なのだから、もちろんそんな事は無い。寧ろこっちの方が落ち着くくらいだ。人間である霊夢が私に合わせて薄暗い部屋にいたと知られたら、やはり恥ずかしいのだろう。その為に人がいないように見せかけ、念の為の結界というわけか。
つまり、なんだろう。霊夢は私に気を遣ってくれている、ということでいいのだろうか。たまには私をもてなさそうと思ったのかもしれない。それを分かりやすくする為に晴れた日を指定した約束だったのか。
「霊夢」
「なによ」
「ありがとう、霊夢のその気持ちが嬉しい」
「――――」
素直にお礼を伝えたら、そっぽを向かれてしまった。霊夢ったら、素直じゃないのね。
「やっぱり、薄暗い方がいいものね」
気を遣ってくれたお礼に、嬉しい気持ちを言葉で現す。その方が霊夢も嬉しいだろうし、気を遣ったかいがあるというものだ。
「その、さっきも言ったけどさ。私は初めてだから、あれなんだけど。こんな暗さでいいの?」
その声音には、まだ明るいんじゃないか、と危惧するような響きがあった。そこまで気を遣われると、かえって私の方が気を遣ってしまう。
「このくらいがいいのよ。昼間なんだし、相手の顔もちゃんと見えるし、何よりムードがあるじゃない」
「ムード、そ、そうよね」
私の言葉に何を思ったのか、おもむろに霊夢が私の方へ近づいてきた。その唇がぽそぽそと何事かを呟いていたが、あまりに声が小さくて聞き取れなかった。
小声で伝えたい事があるのだろうか。しかし聞こえなかったので、ここは私の方からも近寄った方がいいだろう。相手に任せてばかりでは、紅魔館の主の名が廃るというものだ。
身体を動かし、霊夢の隣に行く。肩を寄せ、太ももを合わせ、顔だけ霊夢に向けた。
「――~~っひぁ、ぇ、な」
「ごめんなさい、霊夢の声がよく聞こえなくて。もう一回言って?」
「っう、な、なんでも、ない、わよ」
「そう? 別に恥ずかしがらなくていいのよ?」
「べっ、別に恥ずかしくなんかないわよ」
「なら、ちゃんと私の顔、見れるわよね?」
ぴったりと寄り添った瞬間から、霊夢がまたも顔を背けてしまったので私にはその表情が窺えなかった。まだこれから何をするのか、肝心な所が分からないのだから、きちんと霊夢の言葉を聞かなければならないのだ。
「霊夢?」
努めて優しく名前を呼んで、肩を跳ねさせた彼女はようやく私の方を見た。
「れ、レミリア……」
なんだか口調が妙に舌足らずな気がした。目が潤んでいるし、不安そうに握りしめた拳が胸の前で震えている。顔も真っ赤だし、本人は気が付いていないかもしれないが、少しずつ私の方へ霊夢の顔が近付いてきている。しかも、それに伴って瞼が薄く閉じられていくのだ。
もしかして、体調が悪いのだろうか。
私は彼女の肩に腕を回した。万が一、倒れられたら、と思うと気が気でない。
そうこうする内に完全に目を閉じてしまい、呼吸が苦しいのかうっすらと口を尖らせて、紅い唇の間がほんの少し開いている。
これは、約束どころの話じゃないな。
そう判断した私は、回した腕で霊夢の身体を抱き寄せた。私の胸に抵抗も無く収まる彼女を見て、私はますます心配になる。
「霊夢、布団を敷いてあげるから、少し待っててね」
体調が悪い人間を働かせられない。心配する気持ちが現れてか、今度は純粋に柔らかい声音が出た。そういえば、フランにも同じ事があった気がする。あの時も急な体調変化だったから、もしかして私の方に何か原因があるのだろうか。
いや、そんな事を考えている暇は無いだろう。首だけで頷いた霊夢からそっと身体を離し、押し入れに向かった。たまに霊夢が布団を敷く所を見ていたお陰で、場所も敷き方もばっちりである。
障子を開放しようかとも思ったが、これから寝かせるのだからその必要は無いと思い直す。
「霊夢、準備が出来たわよ」
「う、うん」
私の言葉を聞いて立ち上がろうとする霊夢を見て、慌てて駆け寄った。無理をさせる為に呼びかけたわけじゃない。
「ちょっとごめんなさいね」
そう言って、霊夢を抱きかかえる。私を相手にそんな事をされるとは思ってもなかったのだろう、身体が硬直したのが分かった。
ゆっくり、壊れ物を扱うように、優しく布団の上に横たわらせた。
私を見上げる霊夢が不安そうにしている。何でもない、対した事じゃないと分からせる為に彼女の頭を撫でてやる。
本当は寝間着の方がいいんだろうが、さすがに着替えまでは手伝えないし、急なものだからちょっと眠れば直ぐに良くなるだろう。とはいえ、フランの時もそうだったから、霊夢の時も同じ対応とは我ながら安直だと思う。種族も違うのだから当然だが、まぁ、眠ってから傍にいて様子を見るつもりだし、些細な問題だ。
ただ、やはり巫女服では寝づらいだろう。首元の黄色いリボンを解き、胸元を開いた。
「――ぁ」
白く、それでいて健康的な鎖骨が覗いた。恥ずかしそうに短い悲鳴を上げた霊夢を見て、大丈夫だと伝える為に直ぐに頭を撫でてやった。身体を震わせて私を見る霊夢に微笑みかける。
真っ赤な顔が更に赤くなった気がする。うぅん、大事無ければいいんだけれど。
「霊夢、今日はもう寝ましょうか」
「うん……や、優しく、してよ……?」
「当たり前じゃない」
どこの世界に、優しくない看病があるというのだろうか。私の言葉を聞いてやっと眠る気になったのだろう、霊夢が目を閉じた。両手は身体に沿って脱力しているが、なぜか顔が少し仰け反り唇を突き出している。寝づらくないのだろうか。
こうしてみると、つくづくフランと同じだ。状況もさることながら、霊夢を見ているとその姿が妹と被り、なんとなく安堵してしまう。寝かせておけば勝手に治るだろう、という思いが強くなってきて、そういえばこうなったフランにせがまれた事を思い出した。
霊夢に限ってはそんな事無いだろうが、今までの一連の流れを思い返すとどうにも同じ要求がされそうな気がしてならない。なら、ここは先に私からやってしまおう。
今日は霊夢が気を遣ってくれたのだ。たまには私から彼女に何かしてもいいだろう。
そうして、私は彼女の前髪をかき上げる。露わになったおでこに、触れるような口付けを落とした。霊夢の身体がぴくりと反応し、それもフランと同じだ、と苦笑した私はその身体にタオルケットを掛けてやる。
「おやすみさない、霊夢」
「――――は?」
「大丈夫、ちゃんと寝付くまで隣にいてあげるからね」
「いや、何を言って」
「もう、体調が悪い時はちゃんと寝ないとダメよ? ほら、手、握っててあげるからね」
霊夢の手を握ろうとして、さっ、とその手が引っ込んだ。強烈な既視感が私を襲う。それも、思い出したくない類の。
あれ?
そういえば、フランの時も同じ展開になったような。
あれ?
「レミリア」
肝が冷えるかと思うような、冷たい声。
あれ、フランの時は、え、この後どうなったんだっけ。思い出せない、いや、思い出せそうなのに、思い出そうとすると全身に痛みが走る。
「からかってたの?」
「ちょ、ちょっと待って」
まずい。何が起こってるのか理解が追い付かないが、このままだと非常にまずいというのだけは分かる。やばいやばいやばい。
黙ったまま、霊夢が懐から札を取り出す。
「まっ、えっ、な、なんで――」
「最っ低吸血鬼―!」
霊夢の叫び声を最後に、私の意識は途切れた。
「ただいま」
紅魔館に帰ってきた私を出迎えてくれたのは、美鈴だった。
彼女は私を見ると同時に、血相を変えて駆け寄ってくれた。なんて主人想いのいい従者なのだろう。どこぞのメイドとは雲泥の差である。
「お、お嬢様⁉ 一体どうしたんですか、全身傷だらけじゃないですか!」
「いや、これは、霊夢に」
「霊夢さん――……ああ、そういえば、今日は約束の日でしたね」
そこで何を思い出しのか、急に冷たい態度になる美鈴。なぜ。
「それで、霊夢さんの所に行って、そんな姿で帰ってきたということは……はぁ。妹様の時と同じですか」
そうなのだ。フランの時もそうだが、今回も霊夢に容赦なく情けもなく一切の手加減を除いて全力で叩きのめされた。抵抗する隙さえ無いとは、これいかに。
「私は現場を見たわけじゃありませんけど、ええ、はい。はいはい。間違いなくお嬢様が悪いです」
「な、なんで」
「こうなるのが目に見えてたから、咲夜さんとパチュリー様が記憶を消そうとしたのに」
「え、どういう事?」
「いえいえ、結局お嬢様は、お嬢様だったという事ですよ」
「い、意味が分からないわ。私のどこに落ち度があったっていうのよ」
「あーあー、私も恋したいなー」
「ちょ、なんで門番に戻るの? 恋って何? わ、私に説明しなさいよ!」
そんな私を意外そうに見る咲夜。はて、いつもなら小言でも飛んできそうなものだが。
「お休みになられるんですか?」
「見て分からないの」
「外は清々しいまでに晴れてますよ?」
「そっちもだけど、今の私を見て分からないのかと聞いてるのよ?」
そうして咲夜はふむ、と頷いた。
「分かりました。今日はこのまま惰眠を貪り遊ばれるのですね」
「そうそう。貴方の主人は眠たいのよー」
「かしこまりました」
恭しく一礼した咲夜が、ぽつりと一言。
「では霊夢に、今日お嬢様は行けなくなったと伝えておきますね」
「え?」
「はい、確かに伝えておきます」
「いやいや、ちょっと待って」
「申し訳ございません、貴方の従者は主人の意を汲んでお手を煩わせない為に多忙の身でありまして」
「お前それわざとだろ」
霊夢の所に行く約束などしてただろうか?
身を起こした私を一瞥して小さく舌打ちした従者の背中を蹴飛ばして、過去の記憶を掘り起こしてみる。
昨夜はずっと紅魔館にいた。その前も紅魔館にいたと思われる。それ以前は最早覚えてない。
えーと。
「今日霊夢の所に行く約束なんてしてたっけ?」
もちろん独り言ではなくて、こちらに尻を突き出して倒れている従者に向かって尋ねた。今までの会話の流れを考えればごくごく自然な問いかけ。
さすがの咲夜もそこは了解しているらしい。
「正確には今日というこの日ではなく、前回お嬢様が博麗神社に赴いてからようやく晴れた今日この日、ですわね」
「うーん、話が見えない」
とんと記憶にない。私がそういった約束を霊夢と交わしたのだろうか?
首を捻りながらも着替え始めた私を床から見上げる形で、咲夜が誇らしげに口を開いた。
「この日の為に記憶力を減退させる紅茶を淹れてきた私を褒めてほしいものですね」
「お前いい加減にしろよ」
「あ、誤解しないで下さいね。紅茶を淹れたのは私ですが記憶力減退はパチュリー様です」
「パチェがそれをするに至ったきっかけは?」
「それはまぎれも無くこの咲夜めの仕業にございます!」
「お前なぁ」
「てへぺろ」
はぁ、と深い溜息が漏れてしまうのも仕方がないというもの。どうしてこいつはこんなにも性格に難有りなのだろうか。
「まぁいいわ。神社に行くから支度をしなさい」
「いいえお嬢様、お言葉ですがそれは出来かねます」
床に倒れたままの咲夜を置いて部屋を出ようとした足が止まる。珍しい言葉を聞いた気がする。聞き間違いだろうか?
振り返った私を見上げて、咲夜が付け加えるように言った。
「お嬢様は一人で神社に赴かれると仰っていましたので、私が一緒に行く事は出来ません」
「そうか。咲夜」
「はい」
「知っての通り、私はその約束をした時の記憶が無い」
「吸血鬼でも痴呆になるんですね」
「お前のせいだよお前の。そこで、だ」
「はい。洗濯物干して来ますわ」
「聞けよ。その約束をした時の詳細を教えて欲しい。紅魔館の主たるもの、礼節を重んじなければならないからな」
「え、手遅れじゃないですか」
「何が」
「約束の時刻はとうに過ぎてますよ?」
咲夜の言葉と同時に、部屋の鳩時計がくるくるっぽっぽーと鳴いた。
「は?」
「はい?」
「はい? じゃないでしょ? 貴方、約束の時間を知ってたのにどうしてその前に起こさないのよ」
「私も迷いに迷ったのですが、お嬢様があまりにも可愛らしいお顔で愛くるしく眠られておられたので。つい」
「つい。じゃないわよね?」
「てへぺろ」
「お前次それやったら美鈴と役職交代な」
「お嬢様、そんな事より時間が」
「あーあーもぅーどうして私の従者はこんななのかしらねー」
「褒められて伸びるタイプなので」
「私がいつ怒ったのよ」
「ですから成長が留まる事を知りません。さきゅさきゅーん」
「きもちわるい」
その一言でようやく静かになるものの、まだ肝心な約束の内容を聞いていない。そもそもただ遊びに行くだけの約束なのか、それすら不明瞭なのだ。既に遅刻らしいし、早く話を進めてしまいたい。
「それで、どういった約束だったの」
「一介のメイドに過ぎない私には、恐れ多くてとても口には」
「そういえばメイドだったわね、貴方」
態度があまりにあれ過ぎてちょっと忘れてしまう。
「一つだけアドバイス出来るとしたら、下着は見せても恥ずかしくない物を」
「なんか急に行きたくなくなってきたなぁ」
「お持ちで無いのですね? ご安心下さい、こんな時もあろうかとこの私が用意してございます」
「そういうのいいから」
「妹様のなんですけどね」
「職権乱用過ぎない?」
洗濯する時にでもチェックしてるのだろうか。
「いえいえ、ちゃんと時を止めて覗き見ているのでお嬢様が邪推するような事は」
「なおダメよねそれ」
「そろそろ霊夢の堪忍袋がぷっつんする頃でしょうか」
思わずその様を想像してしまい、鳥肌が立つ。
「もぅー、結局どういう約束なのよ」
「お嬢様がお一人で博麗神社に遊びに行くだけですわ」
「それならそうと言いなさいよ」
「しかしお嬢様一人だけと指名するなんて何か裏がありそうじゃないですか。私は心配で心配でついついこのように時間を引き延ばしてしまうのです」
「あらそう。ありがとう。それじゃあ行ってくるわ」
「あ、お嬢様」
返事はせずに扉を開け、室内から出てから咲夜を見る。
「起こして頂けると助かります」
音を立てないように、静かに扉を閉めた。
自分で日傘を持つなど、いつ振りだろうか。神社に行く道すがら、常と変わらず変化の無い幻想郷を眺めて私は考えた。
もう随分前の筈だ。咲夜が来てからは咲夜に持たせていたが、その前は美鈴に持たせていた気がする。自分でもそれがいつだったのかさえ分からないのだから、本当に久しぶりなのだろう。傘の柄をくるりと回した。
紅魔館から博麗神社までは近い。真っ直ぐ最短距離を飛ぶだけなのだから近いも遠いも無いのだが、少なくとも近いと感じる程には近い。
境内に足を降ろせば一切掃除をした後が無い様子に首を傾げる。はてさて、思えば本当に約束などしてたのだろうか。
神社の裏に回ってみるが、障子も閉められていて留守のような気さえしてくる。咲夜に謀られたか? と一瞬思うも、なんだかんだで嘘を言うような従者じゃないのだ。約束はしてたのだろう、おそらく。きっと。たぶん。
日傘を持って神社を一周してみたが、どうにも霊夢がいるかどうか怪しい。
いよいよどうしようか迷った挙句、とりあえず従者の言葉を真実と仮定して、たまたま霊夢が留守にしているだけと一人で納得し勝手に上がらせて貰うとしよう。
ノックを二回。はいお邪魔しまーす。
「お・そ・か・っ・た・わ・ね?」
お邪魔しましたー。ぴしゃり。さてと、帰ろうかしら。
踵を返そうとした私の目の前で扉が勢いよく開かれた。勢い余って端にぶつかり悲鳴のような甲高い音が響く。その向こう側に鬼も裸足で逃げださんばかりに憤る霊夢の姿。
「こんにちは、霊夢」
努めて優雅に、にこりと微笑んでみせた。
「吸血鬼様は約束の時間も忘れたのかしら」
あ、まずい、このまま遅刻の理由を話す流れだ。本当の事を言ったら間違いなく怒り心頭だろう。馬鹿にしてるのかと夢想封印されてしまっても文句が言えないくらいには下らない理由なのだ、如何にしたものか。古今東西、自分が悪いと思ったら謝るのが一番だろう。
「それに付いてはごめんなさい、申し開きも無いわ」
頭を下げる。いつまで経っても返事が来ないので、ちらりと窺ってみれば「で?」といった顔をしていた。まぁそうだろう、謝って済むなら弾幕ごっこなどいらないのだ。
「私が全面的に悪いのは認めるわ。でもね霊夢、これだけは言わせて欲しい」
悪いのは私じゃなくて咲夜の筈なのになぁ、と思いつつ、伝えておくべき事は伝えておこう。何がきっかけで怒りが静まるのかなんて分からないものだ、気持ちを伝えて損は無い。
「貴方に会えて嬉しいわ。きれいな黒髪が素敵よ」
ぴくり、と彼女の肩が揺れた。効果ありと判断して、言葉を続ける。
「艶があってさらさらで、永遠亭の輝夜なんて目じゃないくらい。巫女服にもよく映えてるし、霊夢にぴったりな髪だと思う。服装全体に統一感のある色彩の中で、唯一自然なままの色形、神職たる貴方にはこれ以上ないって程しっくりきてる。ああ、霊夢には黒髪以外が似合わないって言ってるんじゃないのよ? 黒い髪の貴方が、一番素敵できれいだわ」
まくし立てた。本当の事とはいえ、これだけ一息に褒めると私としてもちょっと恥ずかしい。まぁ、これで霊夢の機嫌が少しでも良くなるなら安い恥だ。
「なんで髪しか褒めないのよ。しかもいきなりだし」
そう言う霊夢の表情は穏やかだった。玄関扉を開けた瞬間と比較すれば一目瞭然である。写真を撮って二枚並べてみたいものだ。
身体を引いて、上がるように促す霊夢。どうやら機嫌はしっかり直してくれたようだ。別に髪だけを褒めたつもりはないのだが、それでも許してくれたらしい事に感謝する。
靴を脱ぎ、日傘を立て掛ける。さてさて、ここまではいいとして、本当に、こうして訪問するだけで良かったのだろうか。
今日という日の約束の内容を私は知らない。内容を知っている咲夜はといえば、嘘は言ってなくても話してない事があるかもしれない。どうしてだか彼女にはそういった節があり、意図的に大事な事を話さない事がしばしばあるのだ。
そういう意味ではこれから何が起こるのか分からない。遊びに行くだけ、とは言っていたものの、その遊びとはなんなのだろうか。
私が神社に遊びに行くといえば、基本は霊夢の所に行く、ただそれだけである。しかし、妖怪同士の遊びといえばここでは弾幕ごっこがメジャーなような気もする。その二つを理解している咲夜が意図的に「遊び」としか言わなかった可能性もあるのだ。そこに何か意味があるのかはともかくとして。
なにより厄介なのが、約束そのものなのだ。そう、約束である。約束とは、互いの了承があって初めて成立するものだ。当然、約束の内容を当事者である私が知らないのはおかしい。それは最早、約束を忘れたと同義ではないか。
更に困った事に、霊夢は約束事にうるさい。ちょっとした約束でもこちらが忘れていると大変怒る。こっぴごく怒る。容赦がない。以前咲夜にそんな話をしたら、「相手がお嬢様ですからね。仕方がありません」などと言っていたが、意味が分からない。なぜ私だと仕方がないで済まされてしまうのか。
しかも霊夢はといえば、一度として約束の類を忘れた事が無いときてる。私と初めて出会った日付も初めて一緒に宴会した日付も覚えているというのだから、そのうち呪われるのではないかとひやひやものだ。最早約束云々の話ではないのだが。
うーん、どうしたものか。いっそのこと、事情をまるっと話してしまった方が楽な気がする。
「はい、お茶」
「ん、ありがとう」
考え事をしている内に居間まで来てしまっていた。湯気が昇る湯呑を見つめながら、いよいよどうしようかと頭を抱えた。
そんな私を見兼ねて、ではないだろうが、霊夢が口を開く。
「今日遅刻した事はもういいんだけどさ」
「あら、許してくれるのね。心が広くて助かるわ」
「たいした時間じゃないしね。覚えててくれただけ、良しとしてあげる」
何一つとして中身は知らないんだけどね。
「で、どうしようか。その、見ての通り、準備はできてるけど」
途端に歯切れが悪くなる霊夢を見て、首を傾げた。どうしようか、とは正に約束の内容の事なのだろうが、いかんせんそれは私には分からない。見ての通り、という言葉をヒントにして正解を見付けださなければ何をされるか。
「ほら、外の掃除もしてないし、障子も全部閉めてるし、屋内には結界を張ってあるし。隙は無いと思うのよね」
言われてみれば部屋の中は薄暗かった。私がいてもお構いなしに陽の光が差し込んでくる普段とは違い、今日に限っては障子が全て閉められている。だが、それと掃除をしていない事と、結界を張る事と何の関係があるというのだろうか。まるで見当が付かない私は黙ってお茶を飲み、もっと霊夢から言葉を引き出すしかない。
「これならあんただって安心でしょ?」
まぁ、吸血鬼だし、外が晴天なら陽の光が届かない屋内に籠るに限るけど。結界、はなんだろう。どういった種類の結界か知らないが、私がその存在を感知出来ない以上、私以外が対象だと思われるが。それに掃除。掃除の意味が分からない。
「どうして外の掃除はしなかったの?」
分からないので、聞くしかない。外の掃除をしてないと私が安心すると思われているとしたら、ゆゆしき事態である。そんな不名誉な誤解は早々に解かなければならない。
「あんたも見たから分かるだろうけど、何か思わなかった?」
「汚い?」
「真面目に答えてよ」
真面目に答えたつもりなのだが。
「誰もいないかも、って思わなかった?」
「あー」
確かに。神社に来て最初に思ったのはそれだった。いつもはきれいに掃除してあるのに、今日に限ってその形跡が無かったのだ。もしかして留守なのか、と思うには十分だろう。
「ま、念の為結界も張って、外からは中の状態が分からないようにしてあるけど」
「随分念入りなのね」
そうまでして、一体彼女は何がしたいのだろうか。
私の言葉を聞いて、霊夢がじっとこちらを見てきた。
「あんたはそうじゃないかもしれないけど、私はこういうこと、初めてなんだから。仕方ないじゃない」
言うだけ言って、顔を逸らしてしまう。私が初めてじゃないかもしれなくて、霊夢は初めて?
私はぐるりと部屋を見回した。
なるほど、確かに普通の人間は、昼間からこんな暗い部屋にいないだろう。私は吸血鬼なのだから、もちろんそんな事は無い。寧ろこっちの方が落ち着くくらいだ。人間である霊夢が私に合わせて薄暗い部屋にいたと知られたら、やはり恥ずかしいのだろう。その為に人がいないように見せかけ、念の為の結界というわけか。
つまり、なんだろう。霊夢は私に気を遣ってくれている、ということでいいのだろうか。たまには私をもてなさそうと思ったのかもしれない。それを分かりやすくする為に晴れた日を指定した約束だったのか。
「霊夢」
「なによ」
「ありがとう、霊夢のその気持ちが嬉しい」
「――――」
素直にお礼を伝えたら、そっぽを向かれてしまった。霊夢ったら、素直じゃないのね。
「やっぱり、薄暗い方がいいものね」
気を遣ってくれたお礼に、嬉しい気持ちを言葉で現す。その方が霊夢も嬉しいだろうし、気を遣ったかいがあるというものだ。
「その、さっきも言ったけどさ。私は初めてだから、あれなんだけど。こんな暗さでいいの?」
その声音には、まだ明るいんじゃないか、と危惧するような響きがあった。そこまで気を遣われると、かえって私の方が気を遣ってしまう。
「このくらいがいいのよ。昼間なんだし、相手の顔もちゃんと見えるし、何よりムードがあるじゃない」
「ムード、そ、そうよね」
私の言葉に何を思ったのか、おもむろに霊夢が私の方へ近づいてきた。その唇がぽそぽそと何事かを呟いていたが、あまりに声が小さくて聞き取れなかった。
小声で伝えたい事があるのだろうか。しかし聞こえなかったので、ここは私の方からも近寄った方がいいだろう。相手に任せてばかりでは、紅魔館の主の名が廃るというものだ。
身体を動かし、霊夢の隣に行く。肩を寄せ、太ももを合わせ、顔だけ霊夢に向けた。
「――~~っひぁ、ぇ、な」
「ごめんなさい、霊夢の声がよく聞こえなくて。もう一回言って?」
「っう、な、なんでも、ない、わよ」
「そう? 別に恥ずかしがらなくていいのよ?」
「べっ、別に恥ずかしくなんかないわよ」
「なら、ちゃんと私の顔、見れるわよね?」
ぴったりと寄り添った瞬間から、霊夢がまたも顔を背けてしまったので私にはその表情が窺えなかった。まだこれから何をするのか、肝心な所が分からないのだから、きちんと霊夢の言葉を聞かなければならないのだ。
「霊夢?」
努めて優しく名前を呼んで、肩を跳ねさせた彼女はようやく私の方を見た。
「れ、レミリア……」
なんだか口調が妙に舌足らずな気がした。目が潤んでいるし、不安そうに握りしめた拳が胸の前で震えている。顔も真っ赤だし、本人は気が付いていないかもしれないが、少しずつ私の方へ霊夢の顔が近付いてきている。しかも、それに伴って瞼が薄く閉じられていくのだ。
もしかして、体調が悪いのだろうか。
私は彼女の肩に腕を回した。万が一、倒れられたら、と思うと気が気でない。
そうこうする内に完全に目を閉じてしまい、呼吸が苦しいのかうっすらと口を尖らせて、紅い唇の間がほんの少し開いている。
これは、約束どころの話じゃないな。
そう判断した私は、回した腕で霊夢の身体を抱き寄せた。私の胸に抵抗も無く収まる彼女を見て、私はますます心配になる。
「霊夢、布団を敷いてあげるから、少し待っててね」
体調が悪い人間を働かせられない。心配する気持ちが現れてか、今度は純粋に柔らかい声音が出た。そういえば、フランにも同じ事があった気がする。あの時も急な体調変化だったから、もしかして私の方に何か原因があるのだろうか。
いや、そんな事を考えている暇は無いだろう。首だけで頷いた霊夢からそっと身体を離し、押し入れに向かった。たまに霊夢が布団を敷く所を見ていたお陰で、場所も敷き方もばっちりである。
障子を開放しようかとも思ったが、これから寝かせるのだからその必要は無いと思い直す。
「霊夢、準備が出来たわよ」
「う、うん」
私の言葉を聞いて立ち上がろうとする霊夢を見て、慌てて駆け寄った。無理をさせる為に呼びかけたわけじゃない。
「ちょっとごめんなさいね」
そう言って、霊夢を抱きかかえる。私を相手にそんな事をされるとは思ってもなかったのだろう、身体が硬直したのが分かった。
ゆっくり、壊れ物を扱うように、優しく布団の上に横たわらせた。
私を見上げる霊夢が不安そうにしている。何でもない、対した事じゃないと分からせる為に彼女の頭を撫でてやる。
本当は寝間着の方がいいんだろうが、さすがに着替えまでは手伝えないし、急なものだからちょっと眠れば直ぐに良くなるだろう。とはいえ、フランの時もそうだったから、霊夢の時も同じ対応とは我ながら安直だと思う。種族も違うのだから当然だが、まぁ、眠ってから傍にいて様子を見るつもりだし、些細な問題だ。
ただ、やはり巫女服では寝づらいだろう。首元の黄色いリボンを解き、胸元を開いた。
「――ぁ」
白く、それでいて健康的な鎖骨が覗いた。恥ずかしそうに短い悲鳴を上げた霊夢を見て、大丈夫だと伝える為に直ぐに頭を撫でてやった。身体を震わせて私を見る霊夢に微笑みかける。
真っ赤な顔が更に赤くなった気がする。うぅん、大事無ければいいんだけれど。
「霊夢、今日はもう寝ましょうか」
「うん……や、優しく、してよ……?」
「当たり前じゃない」
どこの世界に、優しくない看病があるというのだろうか。私の言葉を聞いてやっと眠る気になったのだろう、霊夢が目を閉じた。両手は身体に沿って脱力しているが、なぜか顔が少し仰け反り唇を突き出している。寝づらくないのだろうか。
こうしてみると、つくづくフランと同じだ。状況もさることながら、霊夢を見ているとその姿が妹と被り、なんとなく安堵してしまう。寝かせておけば勝手に治るだろう、という思いが強くなってきて、そういえばこうなったフランにせがまれた事を思い出した。
霊夢に限ってはそんな事無いだろうが、今までの一連の流れを思い返すとどうにも同じ要求がされそうな気がしてならない。なら、ここは先に私からやってしまおう。
今日は霊夢が気を遣ってくれたのだ。たまには私から彼女に何かしてもいいだろう。
そうして、私は彼女の前髪をかき上げる。露わになったおでこに、触れるような口付けを落とした。霊夢の身体がぴくりと反応し、それもフランと同じだ、と苦笑した私はその身体にタオルケットを掛けてやる。
「おやすみさない、霊夢」
「――――は?」
「大丈夫、ちゃんと寝付くまで隣にいてあげるからね」
「いや、何を言って」
「もう、体調が悪い時はちゃんと寝ないとダメよ? ほら、手、握っててあげるからね」
霊夢の手を握ろうとして、さっ、とその手が引っ込んだ。強烈な既視感が私を襲う。それも、思い出したくない類の。
あれ?
そういえば、フランの時も同じ展開になったような。
あれ?
「レミリア」
肝が冷えるかと思うような、冷たい声。
あれ、フランの時は、え、この後どうなったんだっけ。思い出せない、いや、思い出せそうなのに、思い出そうとすると全身に痛みが走る。
「からかってたの?」
「ちょ、ちょっと待って」
まずい。何が起こってるのか理解が追い付かないが、このままだと非常にまずいというのだけは分かる。やばいやばいやばい。
黙ったまま、霊夢が懐から札を取り出す。
「まっ、えっ、な、なんで――」
「最っ低吸血鬼―!」
霊夢の叫び声を最後に、私の意識は途切れた。
「ただいま」
紅魔館に帰ってきた私を出迎えてくれたのは、美鈴だった。
彼女は私を見ると同時に、血相を変えて駆け寄ってくれた。なんて主人想いのいい従者なのだろう。どこぞのメイドとは雲泥の差である。
「お、お嬢様⁉ 一体どうしたんですか、全身傷だらけじゃないですか!」
「いや、これは、霊夢に」
「霊夢さん――……ああ、そういえば、今日は約束の日でしたね」
そこで何を思い出しのか、急に冷たい態度になる美鈴。なぜ。
「それで、霊夢さんの所に行って、そんな姿で帰ってきたということは……はぁ。妹様の時と同じですか」
そうなのだ。フランの時もそうだが、今回も霊夢に容赦なく情けもなく一切の手加減を除いて全力で叩きのめされた。抵抗する隙さえ無いとは、これいかに。
「私は現場を見たわけじゃありませんけど、ええ、はい。はいはい。間違いなくお嬢様が悪いです」
「な、なんで」
「こうなるのが目に見えてたから、咲夜さんとパチュリー様が記憶を消そうとしたのに」
「え、どういう事?」
「いえいえ、結局お嬢様は、お嬢様だったという事ですよ」
「い、意味が分からないわ。私のどこに落ち度があったっていうのよ」
「あーあー、私も恋したいなー」
「ちょ、なんで門番に戻るの? 恋って何? わ、私に説明しなさいよ!」
勉強になりました
何か不意を突けるものがあれば良かったと思います
綺麗な霊夢さんもいいものですね
あぁ、まぁ、でもレミリア様は悪くないんよね。ただちょっと純粋すぎるだけで……
ただ、フランちゃんや霊夢をその気にさせた罪は重いんじゃないんですかねぇ
甘甘ですわ
これは息抜きでぬえすけは力を溜めてると思いたいです
しかし、咲夜さんもフリーダムですなぁ