「おはようマエリベリー・ハーン」
と目覚ましにセットしたボイスメモが流れる。
んんっと寝返り。
端末はパターンの解析に入る。
起動してからまだ半年。私の有効サンプル数は100と少し。
それをクラウドで蓄積された膨大なデータと照合して今後の予測を導き出す。
そうして流れたのは、予測によるとあと5分もせぬうちに起床して活動を開始するパターン時のメッセージだ。
「確・認sitて。」
こっそり録音した蓮子の声をつなぎあわせて作った、合成音声にノイズが混じる。
市販されている合成音声はもうヒトと機械の境界を超えたというのに、素人制作ではやはりまだアラがあるようだ。
「午前11時、35分45・6・7秒。今日の予定は一件。昼から私とデート、待ち合わせは12時30分。そろそろ起きないとジュんビが間にawaなiわよ」
蓮子にせかされたら起きないわけにはいかない。
「おはよう蓮子」
「おはよう、冷蔵uk庫に作り置きのsound-witchがあるわ」
利便性の果て、ありとあらゆることのデータ化。その行きつく最終形。
進化しつづけた情報機器は、また等しく廉価化し小型化し、その膨大な計算力によって、購入したもの、使った調理器具の種類、冷蔵庫の中のカロリーデータect...
それらから何を料理して何が保存されているかという部分のシミュレートを余力でできるまでに至った。
軽く背伸びをして、
昼からの待ち合わせだったが場所はここに近い。少し遅いモーニングコーヒーを入れる余裕はあるだろう。
と、私は天然豆から珈琲を抽出する準備をする。
今や高級品、とまではいかないが、天然食材全く引けを取らない ――モノによっては追い越してしまってすらいる―― 合成食料ではなく、それでも合成食料と比較してしまうと一学生にしてはやや高価なこの天然珈琲にこだわるのは至極文化的な、儀式めいた、日常の、ルーティーンであり、唯の思いすがりである。
フラスコに水を入れ、密封保存しておいたフィルターを取り出してビーカーにセット。
フラスコにスコン、と半固定しアルコールランプに火をつけて、放置。
お湯が沸くのを待ちながら次は、豆の準備に取り掛かる。
厳選して、選びに選んでたどり着いた3つの銘柄、それを気分によって入れ替える。
ブレンドパターンも、ストレートを含めて7通り、そこからさらに配合比を変えていけばいくらでも広げることができる。
今日は等しく三種類すべてを混ぜる。私のお気に入りのブレンド。
ブラックコーヒーが苦手な私に、蓮子がブレンドしてくれた至高のブレンド。
ミルでゴリゴリと引けばあとはお湯が沸くのを待つだけだ。
こぽこぽと沸騰したころ合いを見計らってセット、投入。
お湯が上がりきったのを見て、攪拌、時間を計測、また攪拌。
一分を測りきってアルコールランプの火を消す。
抽出完了。
楽しみはあとにして、フィルターをはずして保管。
あたためておいた二つのカップに、やっと珈琲を注ぐ。
一口。
ふわっと広がった苦味がそのまますっと消えて、やわらくまろやかな後味に、少しばかりの酸味が混じる。
美味、そして溜息。
飲む相手のいないカップに、チンッ、と自分のカップをぶつけてみる。
意味もなく無常。
蓮子さん蓮子さん。今日の天気を教えてください。と呟いてサンドイッチを口にする。
――オールグレー、薄い雲が空を覆って、日差しは強くないわ。雨が降る心配はしなくていいわよ。――
蓮子さん蓮子さん。今日の運勢はどうですか。と呟いて、残りの珈琲を飲む。
――何の体系で分析するかにもよるけれど、というか今の時代に占いなんて非科学的なことを言うのね。それが秘封倶楽部らしいといえばそうだけれど。おおよそ平均値で末吉。えっと、気になるのは吉方とラッキーアイテムかしら。東北東が良し、ちょうど家から待ち合わせ場所の方ね。ラッキーアイテムはコンパス、って端末でGPSが効くのに今時コンパスなんてあるのかしら?――
キーワードに反応して端末が自動応答でメッセージを返す。
相も変わらずの蓮子節にクスリとわらうと、あっ今私のこと笑ったでしょう。とメッセージが返ってくる。
それを聞いて余計にくすくす笑って最後に一言。
蓮子さん蓮子さん。あなたは今どこにいるのかしら。と呟く。
――どこにでもいるしどこにもいないわ。ここにいるかもしれないし、ここじゃないどこかなのかもしれないし、私はどこにもいないのかもしれない。行ってらっしゃい。――
自動応答を切るキーワードに、機能終了のメッセージが返される。
そして私は待つ人が来ないであろう待ち合わせ場所に、今日もまた向かうのだ。
宇佐見蓮子が消えて半年、私は一年前からの蓮子の日常をそっくりトレースしてたどりなおしている。
蓮子が何を見て何を感じて何を考えたのか、それをそのままトレースしようとする。
人はそれを無意味といって、切り捨てる。
そう、無為の中から意味を見出して、非合理なパターンから合理性をひねり出して。
あまりにデータ化された現在において、もうすでに、人が失踪できるほどの観測範囲の外は残されていない。
端末によって、観測装置によって、デジタル化された様々な機器のネットワーク化によって、起きてあくびをする、ただそれだけでも何かしらのデータとなりログが残る。
その中から完全に痕跡を消し去り消え去るのは、まず"普通の""善良な"女学生には不可能だ。
そしてそれに対する、いわば挑戦ともとれる蓮子の失踪だけれども、それは黙殺されて掻き消された。統治機関に問い合わせようとも返答はなく、そして私は宇佐見蓮子ではないからそのログを見ることはできない。
答えは一つ。超現代科学の外側、幻想と境界。
人はそれをオカルトとして真剣には見向きもせず、他方それを産業化してファッションとして生活の中に、文化の中に取り込んでいる。
反証はたった一つ、私の目。
必要にして十分な、私の目。
不完全にして曖昧な境界を覗きこむ私の目。
それによって私は蓮子を探す術を得たけれど、それがどう動いて、どう機能するのかについての方法論を全く確立できていない。
ああ、卑怯じゃないか。
この神々の墓場から、幻想の終点から、超現代の合理化の袋小路から一人だけ逃れてしまうなんて。
さぁ化学世紀からパラダイムをシフトさせて、非化学世紀の幕を開けよう。
ひとだまのランプで照らされた店内で、狐火で沸かせたサイフォンで淹れた珈琲を、一緒に飲もう。
カボチャの馬車で旅行に行って、竜宮城で宿泊して、幻獣園で龍を見て、吸血鬼の占い屋さんにいくんだ。
そんなディストピアへ、先に行ってしまうなんていくら蓮子でも許せない。
そして、『ねぇメリー』っていつものように蓮子が私に語りかけて、私は『どうしたの蓮子』と返して、くだらない冒険譚に花を咲かせよう。
いってきます。とひとりごちて蓮子の部屋をでる。
待ち合わせはいつもの喫茶店。
今日も蓮子は来ない。
と目覚ましにセットしたボイスメモが流れる。
んんっと寝返り。
端末はパターンの解析に入る。
起動してからまだ半年。私の有効サンプル数は100と少し。
それをクラウドで蓄積された膨大なデータと照合して今後の予測を導き出す。
そうして流れたのは、予測によるとあと5分もせぬうちに起床して活動を開始するパターン時のメッセージだ。
「確・認sitて。」
こっそり録音した蓮子の声をつなぎあわせて作った、合成音声にノイズが混じる。
市販されている合成音声はもうヒトと機械の境界を超えたというのに、素人制作ではやはりまだアラがあるようだ。
「午前11時、35分45・6・7秒。今日の予定は一件。昼から私とデート、待ち合わせは12時30分。そろそろ起きないとジュんビが間にawaなiわよ」
蓮子にせかされたら起きないわけにはいかない。
「おはよう蓮子」
「おはよう、冷蔵uk庫に作り置きのsound-witchがあるわ」
利便性の果て、ありとあらゆることのデータ化。その行きつく最終形。
進化しつづけた情報機器は、また等しく廉価化し小型化し、その膨大な計算力によって、購入したもの、使った調理器具の種類、冷蔵庫の中のカロリーデータect...
それらから何を料理して何が保存されているかという部分のシミュレートを余力でできるまでに至った。
軽く背伸びをして、
昼からの待ち合わせだったが場所はここに近い。少し遅いモーニングコーヒーを入れる余裕はあるだろう。
と、私は天然豆から珈琲を抽出する準備をする。
今や高級品、とまではいかないが、天然食材全く引けを取らない ――モノによっては追い越してしまってすらいる―― 合成食料ではなく、それでも合成食料と比較してしまうと一学生にしてはやや高価なこの天然珈琲にこだわるのは至極文化的な、儀式めいた、日常の、ルーティーンであり、唯の思いすがりである。
フラスコに水を入れ、密封保存しておいたフィルターを取り出してビーカーにセット。
フラスコにスコン、と半固定しアルコールランプに火をつけて、放置。
お湯が沸くのを待ちながら次は、豆の準備に取り掛かる。
厳選して、選びに選んでたどり着いた3つの銘柄、それを気分によって入れ替える。
ブレンドパターンも、ストレートを含めて7通り、そこからさらに配合比を変えていけばいくらでも広げることができる。
今日は等しく三種類すべてを混ぜる。私のお気に入りのブレンド。
ブラックコーヒーが苦手な私に、蓮子がブレンドしてくれた至高のブレンド。
ミルでゴリゴリと引けばあとはお湯が沸くのを待つだけだ。
こぽこぽと沸騰したころ合いを見計らってセット、投入。
お湯が上がりきったのを見て、攪拌、時間を計測、また攪拌。
一分を測りきってアルコールランプの火を消す。
抽出完了。
楽しみはあとにして、フィルターをはずして保管。
あたためておいた二つのカップに、やっと珈琲を注ぐ。
一口。
ふわっと広がった苦味がそのまますっと消えて、やわらくまろやかな後味に、少しばかりの酸味が混じる。
美味、そして溜息。
飲む相手のいないカップに、チンッ、と自分のカップをぶつけてみる。
意味もなく無常。
蓮子さん蓮子さん。今日の天気を教えてください。と呟いてサンドイッチを口にする。
――オールグレー、薄い雲が空を覆って、日差しは強くないわ。雨が降る心配はしなくていいわよ。――
蓮子さん蓮子さん。今日の運勢はどうですか。と呟いて、残りの珈琲を飲む。
――何の体系で分析するかにもよるけれど、というか今の時代に占いなんて非科学的なことを言うのね。それが秘封倶楽部らしいといえばそうだけれど。おおよそ平均値で末吉。えっと、気になるのは吉方とラッキーアイテムかしら。東北東が良し、ちょうど家から待ち合わせ場所の方ね。ラッキーアイテムはコンパス、って端末でGPSが効くのに今時コンパスなんてあるのかしら?――
キーワードに反応して端末が自動応答でメッセージを返す。
相も変わらずの蓮子節にクスリとわらうと、あっ今私のこと笑ったでしょう。とメッセージが返ってくる。
それを聞いて余計にくすくす笑って最後に一言。
蓮子さん蓮子さん。あなたは今どこにいるのかしら。と呟く。
――どこにでもいるしどこにもいないわ。ここにいるかもしれないし、ここじゃないどこかなのかもしれないし、私はどこにもいないのかもしれない。行ってらっしゃい。――
自動応答を切るキーワードに、機能終了のメッセージが返される。
そして私は待つ人が来ないであろう待ち合わせ場所に、今日もまた向かうのだ。
宇佐見蓮子が消えて半年、私は一年前からの蓮子の日常をそっくりトレースしてたどりなおしている。
蓮子が何を見て何を感じて何を考えたのか、それをそのままトレースしようとする。
人はそれを無意味といって、切り捨てる。
そう、無為の中から意味を見出して、非合理なパターンから合理性をひねり出して。
あまりにデータ化された現在において、もうすでに、人が失踪できるほどの観測範囲の外は残されていない。
端末によって、観測装置によって、デジタル化された様々な機器のネットワーク化によって、起きてあくびをする、ただそれだけでも何かしらのデータとなりログが残る。
その中から完全に痕跡を消し去り消え去るのは、まず"普通の""善良な"女学生には不可能だ。
そしてそれに対する、いわば挑戦ともとれる蓮子の失踪だけれども、それは黙殺されて掻き消された。統治機関に問い合わせようとも返答はなく、そして私は宇佐見蓮子ではないからそのログを見ることはできない。
答えは一つ。超現代科学の外側、幻想と境界。
人はそれをオカルトとして真剣には見向きもせず、他方それを産業化してファッションとして生活の中に、文化の中に取り込んでいる。
反証はたった一つ、私の目。
必要にして十分な、私の目。
不完全にして曖昧な境界を覗きこむ私の目。
それによって私は蓮子を探す術を得たけれど、それがどう動いて、どう機能するのかについての方法論を全く確立できていない。
ああ、卑怯じゃないか。
この神々の墓場から、幻想の終点から、超現代の合理化の袋小路から一人だけ逃れてしまうなんて。
さぁ化学世紀からパラダイムをシフトさせて、非化学世紀の幕を開けよう。
ひとだまのランプで照らされた店内で、狐火で沸かせたサイフォンで淹れた珈琲を、一緒に飲もう。
カボチャの馬車で旅行に行って、竜宮城で宿泊して、幻獣園で龍を見て、吸血鬼の占い屋さんにいくんだ。
そんなディストピアへ、先に行ってしまうなんていくら蓮子でも許せない。
そして、『ねぇメリー』っていつものように蓮子が私に語りかけて、私は『どうしたの蓮子』と返して、くだらない冒険譚に花を咲かせよう。
いってきます。とひとりごちて蓮子の部屋をでる。
待ち合わせはいつもの喫茶店。
今日も蓮子は来ない。
発想は悪くないと思えますし、もう少し続きの話があってオチが強ければ満点でした。
残念だと思ったのは、シリアスの余韻があるのにあとがきでギャグになったのがもったいない!と。
今回、あとがきも物語の一部のように感じましたので、あとがきもそれなりにシリアスの余韻を引いていた方がもっと作品を際立たせたのではないかと思います。