ふわあ。と、あくびが漏れた。いかんいかんと水で手を濡らし、ご飯を掬うと、自家製梅干しを乗せてせっせと形を整える。小さな頃から作りなれたおにぎりだ。
が、ぼけっと作ったので、脳裏を写したかのようにちょっと歪んでしまった。
……まあいいか。どうせ持ち運ぶ時に多少は形が崩れるんだし。
博麗神社の宴会に呼ばれる事は、良くあることだ。今日は豊作の予祝らしいけど、絶対宴会メインだ、時間も夜からだし。
そんな珍しく無い宴会に、普段なら夕ぐらいに神社に行くのだが、今日は珍しく早く白玉楼を出る事になった。
幽々子様が「朝から出て驚かせてやりましょう」なんて突如無駄な幽霊魂に火を付けてしまったのだ。朝ごはんもあっちで食べたいと仰るものだから、朝から眠たい頭でおにぎりをこしらえている。
のんびり筍の皮に包んでいたら玄関の方から「妖夢、早く行きましょう」と催促が聞こえてきた。
私は迷惑になるし、こんなに早く行くのは止した方がと思ったけれど、迷惑かけに行くのだから早く行くのは道理なのだ。
どうにか用意を済ませ、玄関で待っている幽々子様の元に行く。
「遅くなりました幽々子様、お忘れものは有りませんね」
「忘れたもの……童心、とか?」
「知りませんよ」
そんなこんなで、従者も中々大変なのだ。
早朝の博麗神社は当然誰も居なくて、私達は当然の様に濡れ縁に座った。
朝特有の湿った空気にしては強すぎる、雨の香りがした。
今は快晴だが、未明まで雨が降っていたようだ。木の葉が雫を蓄え、濡れ縁も水を吸っている。
「そろそろ朝ごはん、食べたいわね」
深呼吸した幽々子様が言う。
「わかりました」
私は背にしていた風呂敷から、筍の皮に包んだおにぎりを出して広げる。お新香を包んだものも広げ竹水筒と一緒に並べれば立派な朝食の完成だ。
そんな光景を見て幽々子様が一言。
「妖夢のおにぎりはちょっと不格好ねぇ……」
突然起こされて急いで作ったからですよ? と三回ぐらい心で唱えておく。
確かにうとうとしつつ握ったので大きさも形も揃ってないけど、お腹に入ってしまえば、さほど問題があるとは思えない。
「おにぎりは、美味しくも不味くもならないので良いんです」
「あら、窮屈で塩辛い考えね。まるでこのおにぎりの梅干しのようだわ」
「え、何で食べて無いのに具が分かるんですか」
「ふふふ、やっぱりね。最近おにぎりは梅干し多いもの」
鎌をかけられた。
「おにぎりだろうが他の物だろうが、美味しいのには訳があるのよ」
「ふーむ。おにぎりだったら握り方とかですね」
「さぁ? でもいつだったか、妖夢の作ってくれたおにぎりは、とっても美味しかったわね」
「どんなおにぎりですか? 高菜か……もしやリクエストで作った鴨肉おにぎりでしょうか。変わり種ではイナゴとか?」
昔は喜ばせられたのに、今は喜んで貰えてないと思うとちょっと悔しい思いもある。
「ふふふ、どうだったかしら、それに負けないくらいのおにぎりを作ってくれたら教えてあげる。このおにぎりも梅干しは美味しいんだけれどね」
内緒、と言わんばかりに幽々子様はおにぎりを口にした。
でもおにぎりなんて、正直型にはめて作ったとしても同じと思うんだけどなぁ、私だけだろうか。
「ちょっとあんたたち、うるさいんだけど……」
恨めしそうな声が聞こえて思わずおにぎりを落としそうになった。
ずるずると雨戸と襖が開き、起き抜けだろう寝間着姿で霊夢が現れた。
目を擦ると、おにぎりを不審そうに見る。むむ、そんなに変な形だろうか。
「なんなのあんたたち、朝からピクニックでもしてるわけ?」
「お邪魔してます」
見るからに不機嫌な霊夢に、おにぎりをあっという間に消した幽々子様が見得を切る。
「草木も起きてる卯の刻に幽霊が出たらきっと驚いてくれると思ったのよ! ねぇ妖夢」
「あ、はい」
私は微塵もそんなこと考えてないですけどね、取り敢えず頷いておこう。
「というわけで驚いたかしら」
「阿呆すぎて驚きよ……」
霊夢は案外朝弱いのか、覇気のない顔でゆっくり寝床へと戻っていった。
投げやりに閉められた障子を見て、幽々子様がニヤリとする。
「作戦成功ね」
「今のは、成功なんですかね」
おにぎりを二人で食べて花火のように咲き乱れた紫陽花を堪能していると、霊夢がいつもの巫女スタイルで出てきた。
手には竹箒が二本。
「こんな早く来て、やること無いでしょ」
そう言って片方渡された。
「一応客人なんだけどなぁ」
「どうせ夜まで居るつもりなら、掃除してよ」
「まさか夜までやらせるつもりじゃ」
「そんなわけないでしょ。終わるまでよ」
目力が強くて何か逆に怖い。
「良いじゃないの、手伝って上げて」
そして幽々子様は紫陽花に負けない笑顔だ。断るのが途端に難しくなり、渋々参道の辺りに派遣される。
でも霊夢は裏手の方やってくるって言ってたし、流石に境内全部とかで無くてよかった。
まあ掃除は嫌いじゃないし、見知った所を整えるとなれば庭師として楽しいくらいだ。がんばろう。
ついて見れば思ったよりやり応えがありそうで、神社の石畳は雨のせいでクチナシの花や木の葉がへばり付いている。
昨日の雨は今からは想像するのは難しいほどには強かったらしい。
なんせ陽が昇ってきたら太陽光があって熱い熱い。空の青さが憎いったらありゃしない。
箒で張り付いた葉を崩しつつ、おにぎりの事を考えたりしていた。良いおにぎりの作り方ってなんだろう、神様教えて下さいよ。
やるせなく社殿を見ると。変な物が置いてある。
「んー?」
そのまま目を細める。賽銭箱の横に布の掛かった桶だ。白い紙が貼ってあって風になびいてる。
気になったので駆け寄ってみると、中々の達筆な字が書き残されていた。
─良かったら皆で食べて下さい─
これは期待せずには居られない、何か果物でも入っているかも。
あれやこれや想像しつつ、布を捲ってみたら思わず固まってしまった。
「なにこれ」
白くてべたべた、と言うかドロドロ? 粘っこい表現しか出来ない物が桶の底に。
果物だったら味見しちゃおうかな、なんて思っていたけどこれはちょっと、勇気出ない。
「あれ、もう終わったの?」
「妖夢はこういうの得意だものね」
霊夢は幽々子様と二人で縁側に居た。あれ、霊夢も掃除してたんじゃ。いやこの際それはいいか。
「参道は大方終わりですよ。それよりこんな物がありましたが、知ってました?」
「昨日の夜はそんなの無かったと思うけど、何なのそれ、食べ物?」
霊夢は私と同じように布を捲って、固まった。
「なになに、絶句するくらい美味しい物かしら?」
と覗いた幽々子様ですらきょとんとしてしまった。
いくら見ようと白くて粘っこいもの、だ。はっきり言って食べ物なのかすら怪しい。
捨ててしまおうかと思ったが、神社に有る以上、霊夢の物だと思い持ってきた。
「食べて下さいって事は食べられるのよね」
霊夢が恐ろしい事を言う、そして視線は既に私の方を向いている。
黙って捨ててきたら良かったかな。目をそらしたら今度は幽々子様と目が合う。
「案外美味しいのかもしれないわぁ」
「毒入ってるかもしれないですよ」
「あんた達死んでるんだから良いじゃない、食べてみてよ」
「私は死んじゃいますって」
「あらやだ、妖夢ったら主人に毒味させる気なの?」
完全に詰みである。嫌だ、こんな得体のしれないもの食べて死んだら、馬鹿な食いしん坊みたいじゃないか。
「神社にあったんだから、霊夢が食べてよ……」
「あんたが見つけたんでしょう。拾ったからには最後まで面倒みなさい」
犬猫じゃあるまいし。と言ったところで事態が好転することも無さそうだった。
二人の好奇一色な瞳で見つめられ、腹をくくらざるを得ない。流石に巫女を毒殺しようとする輩もいないだろう。
私はできるだけ嫌そうに、恐る恐る指で掬って口にしてみた──。
でも裏切られた、良い意味で。
鼻を軽やかに抜ける仄かな甘い香り、見た目に反して雪のような淡い口溶け、
なおかつ甘ったるくもなく、後味は爽やかでありながら後引くコクのある香り。
いや、こんな矛盾めいた表現など大して意味は無い。ただ自然と吐息のように言葉が漏れた
「あっ、美味しい」
霊夢が嘘吐けと言いたげに濁った目で睨んでくるが、どうにも言葉で味の表現が難しい。とにかく美味しい。
でも不思議と一口食べただけで満たされたような気がして、今直ぐもっと沢山食べたいとも思わない。
「本当に美味しいですよ! なんか、こう! こう!」
手をグーパーさせて必死に伝えようとしたけど、霊夢の顔は険しくなるばかり。
「妖夢がそこまで言うならちょっと食べてみようかしら」
「是非是非!」
多少なりとも信じてくれた幽々子様。指で掬うと、やや睨みつけて口に含んだ。途端に目を見開いた。
「こ、これは……」
「美味しいですよね」
「確かにこの旨み、ただならないわね。成仏するかと思っちゃった」
「二人して騙そうとしてるんでしょ?」
霊夢は何を馬鹿なと、一度顔を背けたが、やっぱり気にはなるらしく一口掬って舐めた。
それで「……おいしい」と小さく驚愕した。
「神社にあったんだから、これは私のものよね」
「妖夢が拾ったんだもの、最後まで責任は持つわよ」
二人ともさっきまでと言ってることが全然違うんだから、もう。
「私も神社の物だと思います、恐らく置いた人も今日の宴会を知って置いてくれたんですよ」
幽々子様は懐から扇子を出し一振りで開くと、つまらなさそうに口元を隠した。
「じゃあ妖夢、これを家でも作れるようになりなさい。作った人を見つけて習ってきて」
「そんな、これ誰が持って来たのかわからないですよ。手がかりもないのに探すのはちょっと」
「手がかりは有るじゃない。今日の神社の宴会を知っていて、こうして神社に置けた人。それに多分この味はね、醍醐だと思うの」
「だいご?」
私と霊夢で桶を見つめた。
醍醐といえば乳・酪(らく)・生酥(しょうそ)・熟酥(じゅくそ)・醍醐の五味のうち、最上級といわれる物だ。
そして仏の教え並に凄い食べ物……と言われている。
この美味しさは醍醐と言われれば、合点できる。そのくらい美味しいのだ。作り方は失われたと聞いているが、幻想郷にならあっても何ら不思議ではない。
「醍醐は納得ですが、霊夢の宴会って誰が来るかは未定な所もありますし」
「確かに今日は適当に誘えって言っちゃったけど……醍醐は千年近く前の物よね、そうなると結構絞られるかもね」
霊夢が良い事言う。幻想郷といえど齢千を超える者は流石に少ない。それに醍醐を精製する元である生酥は貴族が食べていた筈。
つまりやんごとない基質を持った人では無いだろうか。仏の教えと同等の物を低俗な妖怪が食べたらそれこそ成仏するかもしれない。
こうして名乗らずに置いていったのも、不審では有るが実に陰徳ある行いではないか。
「そう考えると自ずと範囲は狭まりますね」
「醍醐なんてありがたい食べ物他にはないわ、妖夢も作り方を知りたいでしょう?」
気になるし、知っている人が幻想郷にいると考えると中々に夢がある。
「じゃあ桶ごと持ってって聞いて回ったら。本当に醍醐か分かんないし、置いとくと食べちゃいそうだから」
霊夢も面白そうだと乗ってくれた。巫女に後押しされると案外直ぐ見つかる気がする。よし、一丁やってみよう。
私は醍醐に布を被せて、早速神社を飛び出した。
まずあり得そうな所を考える。
紅魔館、永遠亭、守矢神社、妖怪の山、命蓮寺、神子さんの道場……
うーむ、結構多いじゃないか。でも考えたら紅魔館は齢千年の物は居ないし除外するのが妥当か。
あと命蓮寺も無いかな、醍醐に一番しっくり来るけど、宴会の為に献上するとは思えない。
取り敢えず順当に永遠亭に行こう。
そうして道中も特に問題なく辿り着いた。私はここの姫君とは関わりが薄いけど、やんごとなき人だ。
万年新造の姫ならば何をしたって不思議ではない。
神妙な面持ちで門前に来たものの、兎が縦横無尽にひょこひょこする永遠亭は、和やかな空気だった。
「すみません。永遠亭の主である姫に少々聞きたいことが有るのですが」
見知らぬ、というかどれだか覚えられない人型の兎に言うと、存外直ぐに案内してくれた。
長い廊下を歩いていると、おいしい匂いとか、謎の炸裂音とか、悲鳴とか、此処も怪しい所だなぁ。好奇心が襖を開けてみようと囁きかけてくるが、我慢。
「珍しいお客さんね、私に聞きたいことって?」
永遠亭の主は快く会ってくれて、通された部屋で大きめの丸障子から庭の様子を見ていた。
ここの庭はそれだけだと殺風景だが背景と化した竹林が美しい。
兎が餅をついているのも、中々絵になった。たしか例月祭、だっけ? ご苦労様である。
私もやることやらなくてはね。杵を持つ兎を遠目に桶を差し出した。
「突然ですみませんが、これに見覚えは有りますか」
興味深そうに覗きこんだ後、身を引かれた。
「な、何、この白いの……溶かした兎?」
そんなわけあるか。いやまあ多分違うとしか今は言えないけれど。
でもこの反応では間違いなく関与していない。取り敢えず話すだけ話して帰ろう。
「恐らく醍醐という物かと思うんですが……幽々子様に作り方を聞いてこいと頼まれまして」
「あー、食べたことはあったかもね。でも作らせた覚えは無いわよ」
「え、食べたこと有るなら、作り方に心当たりとかは」
「さっぱり。でも永琳なら分かるかもね。聞いてみましょう」
そう言って通路の襖を開け、大きめに「永琳」と呼んだ。これは思わぬ収穫が?
直ぐに現れた八意氏にも桶を見せ事情を説明したが、きっぱりと首を振られた。
「私も醍醐の作り方は知りません。もっと美味なものなら作れるかもしれませんけど」
「も、もっと美味しいもの!?」
予想外の答えが帰ってきた、これ以上の物なんて想像もできない。
でもそれはそれで幽々子様も喜んでくれるんじゃ無いだろうか。
「へー、どんな味するのかしら?」
「味とかそういう範疇じゃないですよ、脳に直接おいしいと感じさせてしまえば良いのです。そういう薬なら作れますよ」
「く、薬?」
「その気になれば文字通り死ぬ程美味しい物だってできるわ」
悪びれる様子もなく自慢気に言う八意氏。
「いやいや、それって美味しい通り越して別の意味で不味いような……」
永遠亭の主はそんな話を聞いて呑気に笑っていた。冗句なのだろうけど、幽々子様に頼まれたのはこの醍醐の作り方だ。これより美味しいとしても、変な薬を与えるわけにはいかない。初志貫徹で行こう。
「これを作った人が居る筈ですので、そちらを探す事にします」
「そう、力になれなくて悪いわね」
「とんでもないです、ご協力ありがとうございました」
次へ行くか、と部屋を後にしたのだが長い廊下の途中、少し開いていた襖から見える調理場の中が、ふと気になって足を止めた。
誰かいる。一瞬人間に見えたが、三角巾を被った鈴仙の様だ。耳が助けを求めるよう飛び出しててシュール。
でも一番気になったのは、あれよの間に追加されていくおにぎりの山だった。
「こんなに沢山、大変でしょ」
中に入って声をかけてみる。
「あ、いらっしゃい。表の兎の分なんだけど、あと何個ぐらい居るかな」
首だけこちらを向けたけれど、おにぎりの生産を止めようとはしない。
「良かったら、少し握らせてくれたりしない?」
「え、握りたいの? でも他所様にやってもらうことでも無いし……」
ちょっと訝しげに言われる。
そりゃそうか、よく考えたら別件で来たのに急におにぎり握らせろなんて、ある種の変人だ。
でも握りたかったというよりは、見てもらいたい気がしたのだ。
「ごめんなさい。でもちょっと教えてもらいたいことがあって」
「えーと、私に教えられそうなら」
「では美味しいおにぎりの作り方とか」
鈴仙は首を傾げながら振り向いた。
結局見定めて貰うことになり、私がおにぎりを握ってみる。
しっかりと手を洗い、ご飯を優しく掬い手の中で何度か転がした。できたおにぎりを鈴仙に渡す。
「普通のおにぎりね」
「そうだよね、まあ幽々子様に食べてもらったのはもうちょっと不格好だったけど。昔はおいしかったって言うものだから」
「もっと根本的に具とかじゃないの」
「やっぱりそうなのかな。私は普段高菜とか大葉とか納豆とかローテーションさせているんですけど……おすすめの具とかあります?」
「うちは兎が多くて、質より量な場面が多いからなあ……」
永遠亭の兎は自活もできると思うけど、こういう行事では労って上げているのかな。あれだけの数じゃ具に気を遣うのは大変か、私も練習がてら沢山作ったことがあるが、一手間が結構つらい。
「なるほど……醍醐でも入れた方が早い気がしてきた」
「あればいいんだけどね、そういえば里の子が醍醐は売ってないかって聞いてきたっけ」
「里の子が? ああ、病気に効くって言われてるからか」
私みたいに醍醐を探しているのだろうか、珍しい子もいるもんだ。
「ええ。醍醐は確かに衆病皆除と言われるけれど、それは美味しい物食べると元気になるからで作り方は人によって違うんだよって言っちゃった。悪かったかな」
師に比べれば十分、堅実な返しだと思う。
おにぎりも醍醐も進展は無かった。一応おにぎりの量産を手伝ったけど、普段から質より量というだけあって鈴仙の手並みにはついて行けなかった。しかも別に手を抜いている訳でもなさそうだ、感服。
さて、醍醐探しの続きだが、思い当たった所を順当に行くか。私は竹林を抜けると山を見上げた。桶を落とさないように気をつけつつ、守矢神社にまでやって来た。
社殿の前でさっそく早苗に出くわしたので、桶を見せて尋ねてみる。
「こんにちは。これを博麗神社に置いた人を探しているんですが……貴方ではありませんか?」
「全然知りませんよ、なんですかこれ」
即答でばっさりだ。気味悪がっている所を見ると、素で知らないのだろう。
「恐らく醍醐という物かと思うのですが」
「ウィッシュ」
「はい?」
早苗が突如手を交差させ珍妙なポーズを取る。面食らって五秒くらい沈黙した。
「全然分からないけど、違うと思う」
「ああ、メンタリストの? あの人最近見ませんね、今頃幻想郷に居るんじゃないですか」
冷めた瞳でぼんやりと言う。知らないけど、多分毒づいてるんだろうなぁ。
「おほん、食べ物の醍醐の事ですよ」
「醍醐って、あの醍醐ですか。とっても美味しいという。そうならそうと、先に言って下さいよ」
最初からそのつもりだった。
早苗は正体を知ると今度は冒険心の方が勝ったらしい。
「これが噂の……食べてみてもいいですか?」
「いいですよ。是非食べてみて下さい」
ここまで美味しい物になると、他人に勧めたくなってくる。
早苗はひとすくい口にすると、頬に手を添えてため息を漏らした。
「はぁ、荒み淀んだ心が洗われる……本当に美味しいですねこれ」
荒み淀んでたんだ。まあさっきの会話からして闇みたいな物は感じたけど。
「改めて聞きますが、何かこれについて知ってます?」
「私は知りませんね。神奈子様や諏訪子様もこういう物には興味ないと思いますから、うちは関係ないですよ」
「そうですか」
色んな意味で駄目だと感じていたけれど此処も違うか。そうなれば天狗だろうか、奴らは長生きしているし技術も有る。ただし尻尾をつかむのは非常に骨だ。
下っ端らしい木の葉天狗が飛んでいるのを眺めつつ、どうしようか考える。
「でも醍醐についてなら最近、里で耳にしましたよ」
早苗が思い出した様に呟いた。
「里? 誰が話していたんですか」
「布教で行った時に小さな子が話していました、今度醍醐食べるんだーとかなんとか」
幼子がどうしてそんなこと。そういえば鈴仙も子供が醍醐欲しがってたって言ってたし、子供で流行っているのだろうか。いやー、そんなまさかね。
でも手がかりらしい言葉を効いたのは初めてである。見た目が子供でも、五十年生きてる妖精とか、五百年生きてる吸血鬼とか、千年ぐらい生きてる鬼も居る。
一度そちらに行ってみるか。そう決心してきびすを返そうとしたが、留まる。
その前に、早苗にも聞いてみようかな。外の世界の知識は私も詳しくは無い。それならば知らぬ手法があるやもしれない。
「情報ありがとう、助かります。それと突然だけど、おいしいおにぎりの作り方って知らない?」
「おいしいおにぎりですか。牛乳パックで三角にするとおいしいって、昔伊東家の食卓でやってました!」
駄目だ、やっぱり何言ってるか全然分からないよ。
「あ、ありがとうございました。今後の参考にする……」
「まあ、おにぎりなんて場所や誰が握るかで変わるのでは。外の世界は結構潔癖で、他人の握ったおにぎりは食べられないって人も居ましたよ。でも不思議と自分の親だけは平気とか」
「そうなんですか……」
場所や状況かあ、そういう考えはあまり無かったかもしれない。
というわけで今度は里に来てみたは良いが、全くもって検討がつかない。
場所は聞いていたけれど、人の多い往来であり、子供というのは普段行かないようなところにも平気で行くものだから、当てにならない。
そもそも醍醐を幼子が自分で用意するということは考えにくく、元から関係ない話だったか、誰かが用意してくれるかとかだろう。
もしかしたらその辺の店に売っていたりして。あながちその可能性も否定しきれないのが幻想郷の奇妙な所だ。
仕方なしに店先を覗きつつ、試食の和菓子をちょっと摘んだりして歩く。ただで食べ歩きなんて贅沢。なんて思ってたら焼きたてのお煎餅を貰って、ついつい買わされてしまった。
財布が危険なので少し離れて眺めていると、今度は声をかけられた。
「今日は霊の誘導かな? ご苦労様」
「あ、こんにちは」
適当な挨拶をしてすれ違う。
寺子屋の先生である上白沢慧音、だったかな。彼女は半分人で半分ハクタクのワーハクタクだ。ちなみに半人半霊の私の事をワーゴーストと呼ぶ人は居ない。まあ当然か、どっちも人ではあるし。
と無駄な事考えていたが、子供と言えば先生ではないか。
慌てて戻り、ハクタクの前に躍り出て引き留める。
「あの、すみませんちょっといいですか」
「これから少し買い出しに行くんだが……なんだ?」
「では手短に……これに見覚えはありませんかね。醍醐かと思うんですが」
桶の布を少し捲ってみせると、私と桶の中とを交互に睨んできた。教師の眼力というか、なんと無く言い訳したくなる。
「えーと。神社にあったんですけどね、とっても美味しい物でして」
「そうか……けどこれは醍醐じゃないらしい。熟酥と醍醐の間の物……と言ってたな」
「作った人を知っているんですか?」
今度は思惑が的中したようだ。醍醐では無かったのか、熟酥というのは醍醐の前段階だが、これも作り方は残っていなかったと思う。
「これは妹紅が作った物だ。桶にも見覚えがある」
「ああ、あの蓬莱人ですか」
幻想郷を縦横に駆け回ってしまったが、見つかるときはあっけないもんだ。
「先日たまたま寺子屋で醍醐の事を教えていると言ったら、似たような物が作れると子供の前で豪語してな。昨日作ってきてくれたんだ。結構残っていたから神社に置いたんだろう」
「なるほど、それで子供が醍醐を食べると言っていたんですね」
「本物の醍醐じゃ無いって言ったんだけどな……まあ、探しているなら妹紅の所に案内しようか」
「え、良いんですか?」
「構わないよ。元々礼をするための買い出しだったんだ、少しそっちに付き合ってもらうことになるがな」
「そのくらいお供しますよ」
と言ったらやたらと荷物を持たされた。よりによって米を買うとは夢にも思わず……。あまつさえそれをもって再び迷いの竹林まで行くのだから、この人本当はハクタクじゃなくて鬼なんじゃないかと錯覚した。
「ま、まだですかね?」
目的地につく頃には汗でびっしょりになってしまった。
「そこの小屋だよ、もう少しだがんばれ」
ちなみに彼女は軽い桶の方を持ってもらっている。
小屋の前まで来ると自然と戸が開いた。件の妹紅が出てきたのだが、私やら米やら桶やら視線を転々とさせ「悪いね、まあ入ってよ」と言って米を代わりに持ってくれた。
助かった……自然と笑みがこぼれる。主に膝あたりだけどね。
小屋は結構こじんまりとしていて、蓬莱人の住処、というよりは藤原さんの家という感じだ。やたらと散らかっていたので藤原さんは甕や瓶等をいくらか外に出し、スペースを作って座らせてくれた。
「醍醐の作り方を教わりたい?」
「これ作ったんですよね、これと同じ物で良いんで……」
お茶を頂いて少し息を整わせ、来た理由を説明した。
「うーん、教えてもなぁ……」
藤原さんは少し考えつつ、桶の醍醐を人差し指で掬って舐めた。少し考えている様子だ。
「あまり外には漏らしたくないでしょうか」
「いやいや、そんなことは無いけどさ」
藤原さんは浮かない表情で唸っていたが、まだ散らかっている部屋の一角の方から紙と鉛筆を引っ張り出すと、文机ですらすらと何かを書き始めた。
「一応、作り方は書いて渡す。はじめに断っておくと、これはほぼ我流なんだ。昔一口だけ熟酥を食べたことがあって、作り方も見かけたが忘れた。暇つぶしに作ってた結果、熟酥よりも美味しくなったと思う。だから醍醐(仮)と私は呼んでるが、本当の醍醐には程遠いと思う。あと、どうやって作るかは任せる」
任せる? どうやって作るかを作り方と呼ぶのではないだろうか。
少しして書き終わったらしく、ややぶっきらぼうに紙をくれた。受け取って目を通す。
「えーと、まず平鍋を使って牛乳を七時間位混ぜながら煮詰める……そのまま煮詰める――」
何とも単純に、基本は乳を煮詰めたりこしたりするだけだ。酪→生酥→熟酥(?)→醍醐(仮)となるのだが、酪は半日、生酥は三日煮詰めなくてはならないという。それならまだ良いのだが、「熟酥(?)」と書いてある部分は、なんと数ヶ月煮詰めろと書かれている。それも序の口でその先は、年単位で世話しろ、更には熟成させるための適した状態で数年。と書いてあって気が遠くなった。
ちらりと藤原さんを見やれば、苦笑いで肩をすくめた。
「ちょ、ちょっと待ってください。藤原さんは先日寺子屋の事を聞いて作ったのでは?」
「ふ、藤原さん? まあいいけど……だから作り方はまかせると言ったんだ、私も自分一人ではもう作ろうとは思わないよ」
「自分一人ではって、人数の問題では……あっ」
そうか、時間を進めて作ったのか。時間を操ると言えば永遠亭の、と藤原さんは犬猿の仲だし。となると時間を操ると言えば。
「咲夜ですか」
「頼んで手伝って貰ったんだよ」
藤原さんはため息混じりだ。さては高くついたのだろう。それにしても千年生きている奴が居ないと思って見過ごしてしまった紅魔館が一枚噛んでいたとは、不覚だ。
「でもどうしよう。これじゃあレシピを持って帰っても幽々子様が何というか」
この作り方では自力で作るのはまず不可能だ。作れるようになったとは言えない。
「素直に話せば良いじゃないか、無理な物は無理なんだから」
「がっかりさせたくは無かったんです。ありがたい食べ物だーとか言っていたし」
「なに、そんな物より料理作ってやったほうがありがたいに決まってるさ」
「そんなわけ無いじゃないですか、これすごく美味しいですし。私の料理なんか全然駄目です」
「私が教えたのは、精製法だ。言ってしまえば醍醐なんて塩と同じで調味料みたいな物なのよ。それよか誰かが作ってくれた料理の方が断然ありがたいでしょ」
「口ではどうとでも言えますが……」
メモを凝視して今後を考えていたら、姿が見えなかったハクタクが奥から出てきた。淡々とした表情でおにぎりがどっちゃり乗った大皿を床に置き、味噌汁の入った椀を三つ周りに並べる。最後に愛想良く笑って、箸を渡された。
「お昼にしよう」
時間はちょうど昼時だったし、素直に頂くことにした。
幽々子様はお昼をちゃんと食べただろうか、霊夢にはあんまり期待できない。食事の一食や十食や百食だって抜いても平気なのかもしれないけど、やはり心配だ。だからと言って手ぶらで帰るのも気が引けてしまうから困るのだが。
「ほら、もっと食べてくれ」
ハクタクに進められておにぎりを頬張る。玄米と白米が混ざったおにぎりで、具は入ってなかったけど、結構美味しい。ただ何というか形が個性的というか。
「慧音は握るのが下手だなー……」
直線的に言うとそうだ。今朝の私並である。藤原さんが同意を求めるようにこっちを向くもんだから、思わずうなずきかけたけど、間一髪素知らぬ顔で笑って見せた。
「食べれば同じじゃ無いか」
「いや、その考えはどうなんだ……」
何処かで聞いたような話が繰り広げられて、少し和んだ。意外にハクタクは早食いで六個位ぺろりと平らげると、お椀と箸を洗って片付け「午後はまた別の用があるから」とさっさと出て行ってしまった。
「あんまり変な物食べるなとか言って、時々ああやって昼食や夕食を作ってくれるのさ」
「蓬莱人って食生活荒れそうですもんね」
「人並みだとは思ってるけどね。まあ、私なんか普段はお礼に何することも無いのにあいつは作ってくれる、ありがたいってのはこういう事を言うのさ」
確かにそういう風に考えたらありがたい。でも私の場合は従者だし、ご飯くらい作って当たり前なのだから、やっぱり幽々子様にとってはありがたみも無いんだろうな。
私が考えているのがばれてしまったのか、藤原さんは続けた。
「主従とか気にせず、懇意な気持ちで何か作ってみたらきっと喜んでもらえると思うよ」
「幽々子様はそんな人格者ではないような」
「はは、長く世に留まってると、そういう風に振る舞ってしまうけど、根は皆同じだよ」
藤原さんは笑いながらおにぎりと味噌汁を交互に口に運ぶ。少なくともさっき醍醐を口にしていた時よりは、おいしそうに食べている様に見えた。
「美味しいですね、おにぎり」
「旨さで言ったらそれには負けるがな」
笑いながら箸で桶を指す。でもちょっと嘘っぽい。
「そんなこと言って良いんですか?」
「まあ、おにぎりの方が美味しいと思うけどね」
「どっちなんですか」
味噌汁に口をつける。豆腐と葱の味噌汁でオーソドックスに味わい深い。
「旨さと美味しさは違う。旨さは熟した技術や物のこと。美味しさは優れていること」
「でも技術が高い方が優れているのが常では」
「基本はね。でも、そうだな……上手な小説と、誰かに貰った拙い手紙、どっちの方が価値があるかなんて簡単には決められないでしょ? そんな感じ」
「小説と手紙……ですか」
藤原さんは味噌汁を置くと、静かに息を吐いた。
「私も親に作って貰った食べ物は覚えてたりする。時代が時代だったから、はっきり言って味はいまいちだったよ、それでも覚えているのはやっぱり旨さとは別の物があるからさ」
小説の料理と手紙の料理があるのは想像できる。
技巧ある店の料理は小説のように深い。でも料理はそういう物だけでは無い訳で、気持ちが伝わるような料理は手紙と比喩できるかもしれない。
けれど、私は気持ちで料理が良くなるとは考えられない。私が目指すべきは、きっと誰に見せても恥ずかしくない小説の料理である筈だ。
ひょっとして幽々子様の言っていたおにぎりは、手紙のような料理ということなのだろうか。
だとしても料理が手紙だとか小説だとか、決めるのは作り手だろうか。あくまで受け取った側の解釈だと思う。作れと言われて作れる物じゃ無い。
「そういう料理を作るには、どうしたら良いんでしょう」
「生き方の問題かもしれない、きっと何気ない心遣いが大切なの。今も昔も、料理の隠し味は愛情ってやつなんだよ」
「……藤原さん、意外と乙女チックですね」
「うるさい。貴女の性格から察するに、固っ苦しい料理ばっか作ってるんじゃないのって事」
藤原さんはほんのり赤面して、自棄気味におにぎりを食べ始めた。
自分と藤原さんの分の食器を片付け、藤原さんとはそれで別れた。
帰る前にそこらの岩に座って小休止。ちょっと食べ過ぎたお腹に手を当てつつ、醍醐(仮)の桶を見る。
これはとても作れない、それが事実。幽々子様には何にせよその事を伝えなくてはならないのだ。言い訳染みた登場台詞を必死で頭の中で考えた。でも残念ながら私はそういう才能が無いらしく、一言も出てこない。
鬱々とした気分を脱するためにも、一応神社に向かって歩き出す。そうしたら限りなくゆっくり歩いたのに、何も思いつかないまま神社まで来てしまった。
既に水気の薄れた庭先には誰も居ない。縁側下の履き物を頼りに障子を開けると、霊夢と幽々子様が座卓で串に刺さったヤモリみたいな物を食べていた。
「ただいま戻りました、って何食べてるんですか?」
「ハンザキの素揚げ。あんたの代わりに私が小間使いしてたんだから、感謝しなさいよ」
霊夢は頬杖をついたまま、器用にハンザキの素揚げとやらにかぶり付いた。こっちはこっちで大変だったらしい。
「それで、ちゃんと作り方はわかったの?」
幽々子様は桶をじっと見やる。
「はい、分かりました。ですが……すみません私には作れそうに無いです」
「難しいの? 見せてよ」
「あ、ちょっと」
メモを取り出したら霊夢に取られてしまった。紙片を見た途端に顔を渋らせる。
「何これ、作るまで何年掛かるのよ。量産できたら良いなと思ったのに」
何を企んでいたんだか。霊夢の手から放り出されたメモは幽々子様の前にひらりと落ちた。幽々子様はそれを一瞥すると、少し伏し目になった。
「私は作れるようになりなさい、って言ったのに」
「すみません」
幽々子様はがっかりするでもなく、ちょっとだけふて腐れたように「しょうがないわね」と言うと、串焼きを囓った。たぶんこういう結末も考慮はしていたのかな。そう思われていたのを覆せなかったのは、ちょっぴり悔しくて、少しため息が出る。
「お疲れ様、また後で宴会の準備手伝ってよね」
そんな私を見てか、霊夢が串焼きを一本くれた。
ハンザキは丸焼きで見た目が結構グロテスクだ。よく見るとイモリより体は大きいけど手足が短くて、モンスターっぽい。そんな第一印象で口にするのは勇気が必要だったけど、食べたら身にしみるようで案外美味しいと思った。
夜の宴会は期したとおりに盛況した。醍醐(仮)もつまみに並び、人妖問わず口にした人を驚かせ、魔理沙が猫婆しようとしたのを霊夢が怒って攻撃したり、その隙を突いて幽々子様が一人で沢山食べたりと、てんやわんやの騒ぎだ。
予祝の儀に関しては霊夢と先日現れた能面の妖怪が舞っていたが、ちゃんと見ている人が全然居ない。いいのかなこんなので。
早苗が居たので挨拶すると、「妖夢さんが作った枝豆は塩加減が最高!」とか騒いできて恥ずかしかった。藤原さんはいるかなと思ったけど、醍醐を置いていっただけで、来ていないらしい。
楽しい時間はすぐに過ぎる物で、日も変わろうかという所で自然と解散した。もちろん、帰れない状況の者はその場で夜を明かすことになったりするのだが……私と幽々子様は、早めに帰路についた。
冥界にまで戻ると、相変わらずの粛々とした空気に自然と酔いが薄れる。
「幽々子様、醍醐を作れそうになくて申し訳ありません」
「まだ気にしていたの? 良いわよ、さっき沢山食べたし、どうせあれは本物では無いでしょうし」
「御存知だったんですか」
「醍醐は製法が失われて、誰も作れないからこそ、有り難いと言われ続けているのだからね。誰も醍醐の味なんて分からないのよ。ちょっと妖夢達をからかってみただけ」
それでも、あれを作れる様になれと言ったのは嘘では無いだろう。
「まがい物ではありますが、あれほど手間が掛かるならありがたい物の気はします。時間が掛かってもよければやってみますが」
「その間、庭や屋敷を放っておくつもり? それこそありがた迷惑よ。あれは偽物、本当の醍醐なんて無かった、それでおしまいでいいわ」
幽々子様はのほほんと言う。
白玉楼に戻った後は、明日の準備をして、湯に浸かりつつがなくその日を終えた。
翌日、いつも通り朝・昼と何事も無く過ごし、ふと藤原さんに言われたことを思い出す。何か幽々子様に作ってあげたら喜んで貰えるだろうか。
醍醐は作れなかったけど、藤原さんの言うところの手紙の料理。
意気揚々と食材を見たが、いざ作ろうと思うと、何を作ったら良いのか分からないものだ。
それに此処にある物はあくまで白玉楼の物だし、せっかくだから自分で用意したい。小遣いはあまりないけれど、幻想郷の里辺りで買ってこよう。
私はいつも先読みが甘いので、里に着いたら着いたで散々悩んでしまった。遅くなったら夕飯の支度にも間に合わないので困る。
どうしようかと食材に目を凝らし、果てに選び抜いたのはやっぱり――
「おにぎり?」
幽々子様の前に私が差し出せたのは、それしかなかった。元々里で使える自分のお金というのは、幽霊を誘導する際に貪欲な魂がどこからか拾ったお金などを没収した物だったりする。只でさえ昨日お煎餅買ったせいで削られたため、具も買えなかった。
「その、勝手ながら食べて頂けたらなと」
「へえ、珍しい。こんな事するからには訳があるんでしょう?」
本当は煮物とかでも良いかと思ったが、下手に時間が掛かる物は作れないし、まさかサラダを出すのも味気ない。結局幽々子様の言う美味しいおにぎりは分からなかったけど、藤原さんの言うことを信じ、気持ちを込めて握った、美味しくなるように。
少なくとも、昨日の朝に作ったのは、はっきり言って手を抜いてしまった。だから今回はできるだけ丁寧に仕上げた。
気持ちを込めるというだけでは不安だったし、見た目が殺風景なので、クチナシの花や紫陽花の花や葉を神社から貰って来て飾った。
昨日見た神社の庭はきれいだったし、幽々子様と見られて楽しかった。そんな気持ちの欠片も添えてみたかったのだ。なんて、私も大概女々しいかな。
「私はいつも主従の身ではありますが、たまには友人。と言ったら流石に不躾ですかね。ええと、馴染みある者として、幽々子様に食べていただけたらと思って作りました!」
やっぱり私はこういう時に口が上手く回らない。
「プライベートな気持ちで作ったから、醍醐よりもありがたいって事かしら? 大きく出たわねぇ妖夢」
「そ、そんな事言ってませんてば」
ふふ、と笑うと、幽々子様はおにぎりを手にした。藤原さん、やっぱり幽々子様は一筋縄じゃ無いです。けど少なくとも形は整っているから大丈夫な筈。
「頂きます」
一口食べてくれたのを見て、私の方が唾を飲み込んでしまう。いかんいかん、落ち着け。
「ど、どうでしょうか」
「まず一つ言っておくけどね、妖夢」
幽々子様は、欠けたおにぎりをじっと見ながら、言葉を繋げる。
「紫陽花は毒があるんだから、普通食べ物の飾り付けには使わないのよ」
「そ、そうなんですか!?」
早速テンパってしまう。もう死んでいるとはいえ、毒性植物を添えた物を食べさせてしまうとは!
「まったく妖夢は半人前なんだから、」
あわあわしていたら、幽々子様はもう一口おにぎりを囓った。止めた方が良いのか、食べて貰った方のが良いのか分からず、頬に手を当ててぞっとするしかない。
「味は変わらないから、大丈夫」
「良かっ……良くは無いですけど、なによりです?」
「ええ、美味しいわ」
おいしい。こんがらがっていた思考がぴんと張り詰めた。
「ほ、本当ですか?」
「嘘なんてつかないわよ。美味しいおにぎり食べられて嬉しいわ」
安堵と喜びがこみ上げてくる。やっぱり、気持ちを込めて作ったからだろうか。
「最近全然作らないんだもの、塩むすび」
「しおむすび?」
「妖夢は何作らせても塩加減は上手だもの、偶には具は無しで塩むすびにしてね」
「そういうことだったんですか。なら初めからそう言ってくれれば良かったのに」
全然気持ちとか関係ないじゃん。せっかく財布の中を切り崩して作ったのに。
「それじゃ、つまらないじゃない。自分で気づいてくれるともっと良かったわ」
肩を下ろして息を吐く。まあ、喜んでもらえたらそれで良いのかな。幽々子様はむぐむぐとおにぎりを食べきると、なんと今度はクチナシの花びらを一枚口にした。
「あ、それ飾りですよ! お腹壊しちゃうかも」
「大丈夫よ、クチナシの花は食べられるもの。妖夢ったら勉強不足ね」
言葉もありません。
「こうして色々用意してくれた意は、伝わったわ。随分と私の言ったこと気にしていたのね」
「そりゃあ、幽々子様の言葉を無碍にはできませんて」
「ふふふ、ありがとう。本当に美味しかったから、ご馳走様でした。これからも美味しいお料理作ってね」
満面の笑みをうかべる幽々子様。それをみて何だかどっと疲れた気がする。
夕飯までは休んでいると仰る幽々子様にお茶を出し、片付けるため皿を下げた。
喜んで貰えたみたいで、よかった。
花びらの欠けたクチナシも、紫陽花の花も、小さくほほえんでいるように見える。
試しにクチナシの花びらを一枚口に含んでみると、花弁特有の滑るような舌触り、味は微かに甘いが草っぽい。多分食べるにしても、味付けするのだろう。それでも今は美味しい気がした。
こうして自分が作った物を食べてもらえて、美味しいって言ってもらえる。
そう考えたら、私はとっても美味しい思いをしているかもしれない。
きっとこういうのが、料理の醍醐味って奴だよね。
が、ぼけっと作ったので、脳裏を写したかのようにちょっと歪んでしまった。
……まあいいか。どうせ持ち運ぶ時に多少は形が崩れるんだし。
博麗神社の宴会に呼ばれる事は、良くあることだ。今日は豊作の予祝らしいけど、絶対宴会メインだ、時間も夜からだし。
そんな珍しく無い宴会に、普段なら夕ぐらいに神社に行くのだが、今日は珍しく早く白玉楼を出る事になった。
幽々子様が「朝から出て驚かせてやりましょう」なんて突如無駄な幽霊魂に火を付けてしまったのだ。朝ごはんもあっちで食べたいと仰るものだから、朝から眠たい頭でおにぎりをこしらえている。
のんびり筍の皮に包んでいたら玄関の方から「妖夢、早く行きましょう」と催促が聞こえてきた。
私は迷惑になるし、こんなに早く行くのは止した方がと思ったけれど、迷惑かけに行くのだから早く行くのは道理なのだ。
どうにか用意を済ませ、玄関で待っている幽々子様の元に行く。
「遅くなりました幽々子様、お忘れものは有りませんね」
「忘れたもの……童心、とか?」
「知りませんよ」
そんなこんなで、従者も中々大変なのだ。
早朝の博麗神社は当然誰も居なくて、私達は当然の様に濡れ縁に座った。
朝特有の湿った空気にしては強すぎる、雨の香りがした。
今は快晴だが、未明まで雨が降っていたようだ。木の葉が雫を蓄え、濡れ縁も水を吸っている。
「そろそろ朝ごはん、食べたいわね」
深呼吸した幽々子様が言う。
「わかりました」
私は背にしていた風呂敷から、筍の皮に包んだおにぎりを出して広げる。お新香を包んだものも広げ竹水筒と一緒に並べれば立派な朝食の完成だ。
そんな光景を見て幽々子様が一言。
「妖夢のおにぎりはちょっと不格好ねぇ……」
突然起こされて急いで作ったからですよ? と三回ぐらい心で唱えておく。
確かにうとうとしつつ握ったので大きさも形も揃ってないけど、お腹に入ってしまえば、さほど問題があるとは思えない。
「おにぎりは、美味しくも不味くもならないので良いんです」
「あら、窮屈で塩辛い考えね。まるでこのおにぎりの梅干しのようだわ」
「え、何で食べて無いのに具が分かるんですか」
「ふふふ、やっぱりね。最近おにぎりは梅干し多いもの」
鎌をかけられた。
「おにぎりだろうが他の物だろうが、美味しいのには訳があるのよ」
「ふーむ。おにぎりだったら握り方とかですね」
「さぁ? でもいつだったか、妖夢の作ってくれたおにぎりは、とっても美味しかったわね」
「どんなおにぎりですか? 高菜か……もしやリクエストで作った鴨肉おにぎりでしょうか。変わり種ではイナゴとか?」
昔は喜ばせられたのに、今は喜んで貰えてないと思うとちょっと悔しい思いもある。
「ふふふ、どうだったかしら、それに負けないくらいのおにぎりを作ってくれたら教えてあげる。このおにぎりも梅干しは美味しいんだけれどね」
内緒、と言わんばかりに幽々子様はおにぎりを口にした。
でもおにぎりなんて、正直型にはめて作ったとしても同じと思うんだけどなぁ、私だけだろうか。
「ちょっとあんたたち、うるさいんだけど……」
恨めしそうな声が聞こえて思わずおにぎりを落としそうになった。
ずるずると雨戸と襖が開き、起き抜けだろう寝間着姿で霊夢が現れた。
目を擦ると、おにぎりを不審そうに見る。むむ、そんなに変な形だろうか。
「なんなのあんたたち、朝からピクニックでもしてるわけ?」
「お邪魔してます」
見るからに不機嫌な霊夢に、おにぎりをあっという間に消した幽々子様が見得を切る。
「草木も起きてる卯の刻に幽霊が出たらきっと驚いてくれると思ったのよ! ねぇ妖夢」
「あ、はい」
私は微塵もそんなこと考えてないですけどね、取り敢えず頷いておこう。
「というわけで驚いたかしら」
「阿呆すぎて驚きよ……」
霊夢は案外朝弱いのか、覇気のない顔でゆっくり寝床へと戻っていった。
投げやりに閉められた障子を見て、幽々子様がニヤリとする。
「作戦成功ね」
「今のは、成功なんですかね」
おにぎりを二人で食べて花火のように咲き乱れた紫陽花を堪能していると、霊夢がいつもの巫女スタイルで出てきた。
手には竹箒が二本。
「こんな早く来て、やること無いでしょ」
そう言って片方渡された。
「一応客人なんだけどなぁ」
「どうせ夜まで居るつもりなら、掃除してよ」
「まさか夜までやらせるつもりじゃ」
「そんなわけないでしょ。終わるまでよ」
目力が強くて何か逆に怖い。
「良いじゃないの、手伝って上げて」
そして幽々子様は紫陽花に負けない笑顔だ。断るのが途端に難しくなり、渋々参道の辺りに派遣される。
でも霊夢は裏手の方やってくるって言ってたし、流石に境内全部とかで無くてよかった。
まあ掃除は嫌いじゃないし、見知った所を整えるとなれば庭師として楽しいくらいだ。がんばろう。
ついて見れば思ったよりやり応えがありそうで、神社の石畳は雨のせいでクチナシの花や木の葉がへばり付いている。
昨日の雨は今からは想像するのは難しいほどには強かったらしい。
なんせ陽が昇ってきたら太陽光があって熱い熱い。空の青さが憎いったらありゃしない。
箒で張り付いた葉を崩しつつ、おにぎりの事を考えたりしていた。良いおにぎりの作り方ってなんだろう、神様教えて下さいよ。
やるせなく社殿を見ると。変な物が置いてある。
「んー?」
そのまま目を細める。賽銭箱の横に布の掛かった桶だ。白い紙が貼ってあって風になびいてる。
気になったので駆け寄ってみると、中々の達筆な字が書き残されていた。
─良かったら皆で食べて下さい─
これは期待せずには居られない、何か果物でも入っているかも。
あれやこれや想像しつつ、布を捲ってみたら思わず固まってしまった。
「なにこれ」
白くてべたべた、と言うかドロドロ? 粘っこい表現しか出来ない物が桶の底に。
果物だったら味見しちゃおうかな、なんて思っていたけどこれはちょっと、勇気出ない。
「あれ、もう終わったの?」
「妖夢はこういうの得意だものね」
霊夢は幽々子様と二人で縁側に居た。あれ、霊夢も掃除してたんじゃ。いやこの際それはいいか。
「参道は大方終わりですよ。それよりこんな物がありましたが、知ってました?」
「昨日の夜はそんなの無かったと思うけど、何なのそれ、食べ物?」
霊夢は私と同じように布を捲って、固まった。
「なになに、絶句するくらい美味しい物かしら?」
と覗いた幽々子様ですらきょとんとしてしまった。
いくら見ようと白くて粘っこいもの、だ。はっきり言って食べ物なのかすら怪しい。
捨ててしまおうかと思ったが、神社に有る以上、霊夢の物だと思い持ってきた。
「食べて下さいって事は食べられるのよね」
霊夢が恐ろしい事を言う、そして視線は既に私の方を向いている。
黙って捨ててきたら良かったかな。目をそらしたら今度は幽々子様と目が合う。
「案外美味しいのかもしれないわぁ」
「毒入ってるかもしれないですよ」
「あんた達死んでるんだから良いじゃない、食べてみてよ」
「私は死んじゃいますって」
「あらやだ、妖夢ったら主人に毒味させる気なの?」
完全に詰みである。嫌だ、こんな得体のしれないもの食べて死んだら、馬鹿な食いしん坊みたいじゃないか。
「神社にあったんだから、霊夢が食べてよ……」
「あんたが見つけたんでしょう。拾ったからには最後まで面倒みなさい」
犬猫じゃあるまいし。と言ったところで事態が好転することも無さそうだった。
二人の好奇一色な瞳で見つめられ、腹をくくらざるを得ない。流石に巫女を毒殺しようとする輩もいないだろう。
私はできるだけ嫌そうに、恐る恐る指で掬って口にしてみた──。
でも裏切られた、良い意味で。
鼻を軽やかに抜ける仄かな甘い香り、見た目に反して雪のような淡い口溶け、
なおかつ甘ったるくもなく、後味は爽やかでありながら後引くコクのある香り。
いや、こんな矛盾めいた表現など大して意味は無い。ただ自然と吐息のように言葉が漏れた
「あっ、美味しい」
霊夢が嘘吐けと言いたげに濁った目で睨んでくるが、どうにも言葉で味の表現が難しい。とにかく美味しい。
でも不思議と一口食べただけで満たされたような気がして、今直ぐもっと沢山食べたいとも思わない。
「本当に美味しいですよ! なんか、こう! こう!」
手をグーパーさせて必死に伝えようとしたけど、霊夢の顔は険しくなるばかり。
「妖夢がそこまで言うならちょっと食べてみようかしら」
「是非是非!」
多少なりとも信じてくれた幽々子様。指で掬うと、やや睨みつけて口に含んだ。途端に目を見開いた。
「こ、これは……」
「美味しいですよね」
「確かにこの旨み、ただならないわね。成仏するかと思っちゃった」
「二人して騙そうとしてるんでしょ?」
霊夢は何を馬鹿なと、一度顔を背けたが、やっぱり気にはなるらしく一口掬って舐めた。
それで「……おいしい」と小さく驚愕した。
「神社にあったんだから、これは私のものよね」
「妖夢が拾ったんだもの、最後まで責任は持つわよ」
二人ともさっきまでと言ってることが全然違うんだから、もう。
「私も神社の物だと思います、恐らく置いた人も今日の宴会を知って置いてくれたんですよ」
幽々子様は懐から扇子を出し一振りで開くと、つまらなさそうに口元を隠した。
「じゃあ妖夢、これを家でも作れるようになりなさい。作った人を見つけて習ってきて」
「そんな、これ誰が持って来たのかわからないですよ。手がかりもないのに探すのはちょっと」
「手がかりは有るじゃない。今日の神社の宴会を知っていて、こうして神社に置けた人。それに多分この味はね、醍醐だと思うの」
「だいご?」
私と霊夢で桶を見つめた。
醍醐といえば乳・酪(らく)・生酥(しょうそ)・熟酥(じゅくそ)・醍醐の五味のうち、最上級といわれる物だ。
そして仏の教え並に凄い食べ物……と言われている。
この美味しさは醍醐と言われれば、合点できる。そのくらい美味しいのだ。作り方は失われたと聞いているが、幻想郷にならあっても何ら不思議ではない。
「醍醐は納得ですが、霊夢の宴会って誰が来るかは未定な所もありますし」
「確かに今日は適当に誘えって言っちゃったけど……醍醐は千年近く前の物よね、そうなると結構絞られるかもね」
霊夢が良い事言う。幻想郷といえど齢千を超える者は流石に少ない。それに醍醐を精製する元である生酥は貴族が食べていた筈。
つまりやんごとない基質を持った人では無いだろうか。仏の教えと同等の物を低俗な妖怪が食べたらそれこそ成仏するかもしれない。
こうして名乗らずに置いていったのも、不審では有るが実に陰徳ある行いではないか。
「そう考えると自ずと範囲は狭まりますね」
「醍醐なんてありがたい食べ物他にはないわ、妖夢も作り方を知りたいでしょう?」
気になるし、知っている人が幻想郷にいると考えると中々に夢がある。
「じゃあ桶ごと持ってって聞いて回ったら。本当に醍醐か分かんないし、置いとくと食べちゃいそうだから」
霊夢も面白そうだと乗ってくれた。巫女に後押しされると案外直ぐ見つかる気がする。よし、一丁やってみよう。
私は醍醐に布を被せて、早速神社を飛び出した。
まずあり得そうな所を考える。
紅魔館、永遠亭、守矢神社、妖怪の山、命蓮寺、神子さんの道場……
うーむ、結構多いじゃないか。でも考えたら紅魔館は齢千年の物は居ないし除外するのが妥当か。
あと命蓮寺も無いかな、醍醐に一番しっくり来るけど、宴会の為に献上するとは思えない。
取り敢えず順当に永遠亭に行こう。
そうして道中も特に問題なく辿り着いた。私はここの姫君とは関わりが薄いけど、やんごとなき人だ。
万年新造の姫ならば何をしたって不思議ではない。
神妙な面持ちで門前に来たものの、兎が縦横無尽にひょこひょこする永遠亭は、和やかな空気だった。
「すみません。永遠亭の主である姫に少々聞きたいことが有るのですが」
見知らぬ、というかどれだか覚えられない人型の兎に言うと、存外直ぐに案内してくれた。
長い廊下を歩いていると、おいしい匂いとか、謎の炸裂音とか、悲鳴とか、此処も怪しい所だなぁ。好奇心が襖を開けてみようと囁きかけてくるが、我慢。
「珍しいお客さんね、私に聞きたいことって?」
永遠亭の主は快く会ってくれて、通された部屋で大きめの丸障子から庭の様子を見ていた。
ここの庭はそれだけだと殺風景だが背景と化した竹林が美しい。
兎が餅をついているのも、中々絵になった。たしか例月祭、だっけ? ご苦労様である。
私もやることやらなくてはね。杵を持つ兎を遠目に桶を差し出した。
「突然ですみませんが、これに見覚えは有りますか」
興味深そうに覗きこんだ後、身を引かれた。
「な、何、この白いの……溶かした兎?」
そんなわけあるか。いやまあ多分違うとしか今は言えないけれど。
でもこの反応では間違いなく関与していない。取り敢えず話すだけ話して帰ろう。
「恐らく醍醐という物かと思うんですが……幽々子様に作り方を聞いてこいと頼まれまして」
「あー、食べたことはあったかもね。でも作らせた覚えは無いわよ」
「え、食べたこと有るなら、作り方に心当たりとかは」
「さっぱり。でも永琳なら分かるかもね。聞いてみましょう」
そう言って通路の襖を開け、大きめに「永琳」と呼んだ。これは思わぬ収穫が?
直ぐに現れた八意氏にも桶を見せ事情を説明したが、きっぱりと首を振られた。
「私も醍醐の作り方は知りません。もっと美味なものなら作れるかもしれませんけど」
「も、もっと美味しいもの!?」
予想外の答えが帰ってきた、これ以上の物なんて想像もできない。
でもそれはそれで幽々子様も喜んでくれるんじゃ無いだろうか。
「へー、どんな味するのかしら?」
「味とかそういう範疇じゃないですよ、脳に直接おいしいと感じさせてしまえば良いのです。そういう薬なら作れますよ」
「く、薬?」
「その気になれば文字通り死ぬ程美味しい物だってできるわ」
悪びれる様子もなく自慢気に言う八意氏。
「いやいや、それって美味しい通り越して別の意味で不味いような……」
永遠亭の主はそんな話を聞いて呑気に笑っていた。冗句なのだろうけど、幽々子様に頼まれたのはこの醍醐の作り方だ。これより美味しいとしても、変な薬を与えるわけにはいかない。初志貫徹で行こう。
「これを作った人が居る筈ですので、そちらを探す事にします」
「そう、力になれなくて悪いわね」
「とんでもないです、ご協力ありがとうございました」
次へ行くか、と部屋を後にしたのだが長い廊下の途中、少し開いていた襖から見える調理場の中が、ふと気になって足を止めた。
誰かいる。一瞬人間に見えたが、三角巾を被った鈴仙の様だ。耳が助けを求めるよう飛び出しててシュール。
でも一番気になったのは、あれよの間に追加されていくおにぎりの山だった。
「こんなに沢山、大変でしょ」
中に入って声をかけてみる。
「あ、いらっしゃい。表の兎の分なんだけど、あと何個ぐらい居るかな」
首だけこちらを向けたけれど、おにぎりの生産を止めようとはしない。
「良かったら、少し握らせてくれたりしない?」
「え、握りたいの? でも他所様にやってもらうことでも無いし……」
ちょっと訝しげに言われる。
そりゃそうか、よく考えたら別件で来たのに急におにぎり握らせろなんて、ある種の変人だ。
でも握りたかったというよりは、見てもらいたい気がしたのだ。
「ごめんなさい。でもちょっと教えてもらいたいことがあって」
「えーと、私に教えられそうなら」
「では美味しいおにぎりの作り方とか」
鈴仙は首を傾げながら振り向いた。
結局見定めて貰うことになり、私がおにぎりを握ってみる。
しっかりと手を洗い、ご飯を優しく掬い手の中で何度か転がした。できたおにぎりを鈴仙に渡す。
「普通のおにぎりね」
「そうだよね、まあ幽々子様に食べてもらったのはもうちょっと不格好だったけど。昔はおいしかったって言うものだから」
「もっと根本的に具とかじゃないの」
「やっぱりそうなのかな。私は普段高菜とか大葉とか納豆とかローテーションさせているんですけど……おすすめの具とかあります?」
「うちは兎が多くて、質より量な場面が多いからなあ……」
永遠亭の兎は自活もできると思うけど、こういう行事では労って上げているのかな。あれだけの数じゃ具に気を遣うのは大変か、私も練習がてら沢山作ったことがあるが、一手間が結構つらい。
「なるほど……醍醐でも入れた方が早い気がしてきた」
「あればいいんだけどね、そういえば里の子が醍醐は売ってないかって聞いてきたっけ」
「里の子が? ああ、病気に効くって言われてるからか」
私みたいに醍醐を探しているのだろうか、珍しい子もいるもんだ。
「ええ。醍醐は確かに衆病皆除と言われるけれど、それは美味しい物食べると元気になるからで作り方は人によって違うんだよって言っちゃった。悪かったかな」
師に比べれば十分、堅実な返しだと思う。
おにぎりも醍醐も進展は無かった。一応おにぎりの量産を手伝ったけど、普段から質より量というだけあって鈴仙の手並みにはついて行けなかった。しかも別に手を抜いている訳でもなさそうだ、感服。
さて、醍醐探しの続きだが、思い当たった所を順当に行くか。私は竹林を抜けると山を見上げた。桶を落とさないように気をつけつつ、守矢神社にまでやって来た。
社殿の前でさっそく早苗に出くわしたので、桶を見せて尋ねてみる。
「こんにちは。これを博麗神社に置いた人を探しているんですが……貴方ではありませんか?」
「全然知りませんよ、なんですかこれ」
即答でばっさりだ。気味悪がっている所を見ると、素で知らないのだろう。
「恐らく醍醐という物かと思うのですが」
「ウィッシュ」
「はい?」
早苗が突如手を交差させ珍妙なポーズを取る。面食らって五秒くらい沈黙した。
「全然分からないけど、違うと思う」
「ああ、メンタリストの? あの人最近見ませんね、今頃幻想郷に居るんじゃないですか」
冷めた瞳でぼんやりと言う。知らないけど、多分毒づいてるんだろうなぁ。
「おほん、食べ物の醍醐の事ですよ」
「醍醐って、あの醍醐ですか。とっても美味しいという。そうならそうと、先に言って下さいよ」
最初からそのつもりだった。
早苗は正体を知ると今度は冒険心の方が勝ったらしい。
「これが噂の……食べてみてもいいですか?」
「いいですよ。是非食べてみて下さい」
ここまで美味しい物になると、他人に勧めたくなってくる。
早苗はひとすくい口にすると、頬に手を添えてため息を漏らした。
「はぁ、荒み淀んだ心が洗われる……本当に美味しいですねこれ」
荒み淀んでたんだ。まあさっきの会話からして闇みたいな物は感じたけど。
「改めて聞きますが、何かこれについて知ってます?」
「私は知りませんね。神奈子様や諏訪子様もこういう物には興味ないと思いますから、うちは関係ないですよ」
「そうですか」
色んな意味で駄目だと感じていたけれど此処も違うか。そうなれば天狗だろうか、奴らは長生きしているし技術も有る。ただし尻尾をつかむのは非常に骨だ。
下っ端らしい木の葉天狗が飛んでいるのを眺めつつ、どうしようか考える。
「でも醍醐についてなら最近、里で耳にしましたよ」
早苗が思い出した様に呟いた。
「里? 誰が話していたんですか」
「布教で行った時に小さな子が話していました、今度醍醐食べるんだーとかなんとか」
幼子がどうしてそんなこと。そういえば鈴仙も子供が醍醐欲しがってたって言ってたし、子供で流行っているのだろうか。いやー、そんなまさかね。
でも手がかりらしい言葉を効いたのは初めてである。見た目が子供でも、五十年生きてる妖精とか、五百年生きてる吸血鬼とか、千年ぐらい生きてる鬼も居る。
一度そちらに行ってみるか。そう決心してきびすを返そうとしたが、留まる。
その前に、早苗にも聞いてみようかな。外の世界の知識は私も詳しくは無い。それならば知らぬ手法があるやもしれない。
「情報ありがとう、助かります。それと突然だけど、おいしいおにぎりの作り方って知らない?」
「おいしいおにぎりですか。牛乳パックで三角にするとおいしいって、昔伊東家の食卓でやってました!」
駄目だ、やっぱり何言ってるか全然分からないよ。
「あ、ありがとうございました。今後の参考にする……」
「まあ、おにぎりなんて場所や誰が握るかで変わるのでは。外の世界は結構潔癖で、他人の握ったおにぎりは食べられないって人も居ましたよ。でも不思議と自分の親だけは平気とか」
「そうなんですか……」
場所や状況かあ、そういう考えはあまり無かったかもしれない。
というわけで今度は里に来てみたは良いが、全くもって検討がつかない。
場所は聞いていたけれど、人の多い往来であり、子供というのは普段行かないようなところにも平気で行くものだから、当てにならない。
そもそも醍醐を幼子が自分で用意するということは考えにくく、元から関係ない話だったか、誰かが用意してくれるかとかだろう。
もしかしたらその辺の店に売っていたりして。あながちその可能性も否定しきれないのが幻想郷の奇妙な所だ。
仕方なしに店先を覗きつつ、試食の和菓子をちょっと摘んだりして歩く。ただで食べ歩きなんて贅沢。なんて思ってたら焼きたてのお煎餅を貰って、ついつい買わされてしまった。
財布が危険なので少し離れて眺めていると、今度は声をかけられた。
「今日は霊の誘導かな? ご苦労様」
「あ、こんにちは」
適当な挨拶をしてすれ違う。
寺子屋の先生である上白沢慧音、だったかな。彼女は半分人で半分ハクタクのワーハクタクだ。ちなみに半人半霊の私の事をワーゴーストと呼ぶ人は居ない。まあ当然か、どっちも人ではあるし。
と無駄な事考えていたが、子供と言えば先生ではないか。
慌てて戻り、ハクタクの前に躍り出て引き留める。
「あの、すみませんちょっといいですか」
「これから少し買い出しに行くんだが……なんだ?」
「では手短に……これに見覚えはありませんかね。醍醐かと思うんですが」
桶の布を少し捲ってみせると、私と桶の中とを交互に睨んできた。教師の眼力というか、なんと無く言い訳したくなる。
「えーと。神社にあったんですけどね、とっても美味しい物でして」
「そうか……けどこれは醍醐じゃないらしい。熟酥と醍醐の間の物……と言ってたな」
「作った人を知っているんですか?」
今度は思惑が的中したようだ。醍醐では無かったのか、熟酥というのは醍醐の前段階だが、これも作り方は残っていなかったと思う。
「これは妹紅が作った物だ。桶にも見覚えがある」
「ああ、あの蓬莱人ですか」
幻想郷を縦横に駆け回ってしまったが、見つかるときはあっけないもんだ。
「先日たまたま寺子屋で醍醐の事を教えていると言ったら、似たような物が作れると子供の前で豪語してな。昨日作ってきてくれたんだ。結構残っていたから神社に置いたんだろう」
「なるほど、それで子供が醍醐を食べると言っていたんですね」
「本物の醍醐じゃ無いって言ったんだけどな……まあ、探しているなら妹紅の所に案内しようか」
「え、良いんですか?」
「構わないよ。元々礼をするための買い出しだったんだ、少しそっちに付き合ってもらうことになるがな」
「そのくらいお供しますよ」
と言ったらやたらと荷物を持たされた。よりによって米を買うとは夢にも思わず……。あまつさえそれをもって再び迷いの竹林まで行くのだから、この人本当はハクタクじゃなくて鬼なんじゃないかと錯覚した。
「ま、まだですかね?」
目的地につく頃には汗でびっしょりになってしまった。
「そこの小屋だよ、もう少しだがんばれ」
ちなみに彼女は軽い桶の方を持ってもらっている。
小屋の前まで来ると自然と戸が開いた。件の妹紅が出てきたのだが、私やら米やら桶やら視線を転々とさせ「悪いね、まあ入ってよ」と言って米を代わりに持ってくれた。
助かった……自然と笑みがこぼれる。主に膝あたりだけどね。
小屋は結構こじんまりとしていて、蓬莱人の住処、というよりは藤原さんの家という感じだ。やたらと散らかっていたので藤原さんは甕や瓶等をいくらか外に出し、スペースを作って座らせてくれた。
「醍醐の作り方を教わりたい?」
「これ作ったんですよね、これと同じ物で良いんで……」
お茶を頂いて少し息を整わせ、来た理由を説明した。
「うーん、教えてもなぁ……」
藤原さんは少し考えつつ、桶の醍醐を人差し指で掬って舐めた。少し考えている様子だ。
「あまり外には漏らしたくないでしょうか」
「いやいや、そんなことは無いけどさ」
藤原さんは浮かない表情で唸っていたが、まだ散らかっている部屋の一角の方から紙と鉛筆を引っ張り出すと、文机ですらすらと何かを書き始めた。
「一応、作り方は書いて渡す。はじめに断っておくと、これはほぼ我流なんだ。昔一口だけ熟酥を食べたことがあって、作り方も見かけたが忘れた。暇つぶしに作ってた結果、熟酥よりも美味しくなったと思う。だから醍醐(仮)と私は呼んでるが、本当の醍醐には程遠いと思う。あと、どうやって作るかは任せる」
任せる? どうやって作るかを作り方と呼ぶのではないだろうか。
少しして書き終わったらしく、ややぶっきらぼうに紙をくれた。受け取って目を通す。
「えーと、まず平鍋を使って牛乳を七時間位混ぜながら煮詰める……そのまま煮詰める――」
何とも単純に、基本は乳を煮詰めたりこしたりするだけだ。酪→生酥→熟酥(?)→醍醐(仮)となるのだが、酪は半日、生酥は三日煮詰めなくてはならないという。それならまだ良いのだが、「熟酥(?)」と書いてある部分は、なんと数ヶ月煮詰めろと書かれている。それも序の口でその先は、年単位で世話しろ、更には熟成させるための適した状態で数年。と書いてあって気が遠くなった。
ちらりと藤原さんを見やれば、苦笑いで肩をすくめた。
「ちょ、ちょっと待ってください。藤原さんは先日寺子屋の事を聞いて作ったのでは?」
「ふ、藤原さん? まあいいけど……だから作り方はまかせると言ったんだ、私も自分一人ではもう作ろうとは思わないよ」
「自分一人ではって、人数の問題では……あっ」
そうか、時間を進めて作ったのか。時間を操ると言えば永遠亭の、と藤原さんは犬猿の仲だし。となると時間を操ると言えば。
「咲夜ですか」
「頼んで手伝って貰ったんだよ」
藤原さんはため息混じりだ。さては高くついたのだろう。それにしても千年生きている奴が居ないと思って見過ごしてしまった紅魔館が一枚噛んでいたとは、不覚だ。
「でもどうしよう。これじゃあレシピを持って帰っても幽々子様が何というか」
この作り方では自力で作るのはまず不可能だ。作れるようになったとは言えない。
「素直に話せば良いじゃないか、無理な物は無理なんだから」
「がっかりさせたくは無かったんです。ありがたい食べ物だーとか言っていたし」
「なに、そんな物より料理作ってやったほうがありがたいに決まってるさ」
「そんなわけ無いじゃないですか、これすごく美味しいですし。私の料理なんか全然駄目です」
「私が教えたのは、精製法だ。言ってしまえば醍醐なんて塩と同じで調味料みたいな物なのよ。それよか誰かが作ってくれた料理の方が断然ありがたいでしょ」
「口ではどうとでも言えますが……」
メモを凝視して今後を考えていたら、姿が見えなかったハクタクが奥から出てきた。淡々とした表情でおにぎりがどっちゃり乗った大皿を床に置き、味噌汁の入った椀を三つ周りに並べる。最後に愛想良く笑って、箸を渡された。
「お昼にしよう」
時間はちょうど昼時だったし、素直に頂くことにした。
幽々子様はお昼をちゃんと食べただろうか、霊夢にはあんまり期待できない。食事の一食や十食や百食だって抜いても平気なのかもしれないけど、やはり心配だ。だからと言って手ぶらで帰るのも気が引けてしまうから困るのだが。
「ほら、もっと食べてくれ」
ハクタクに進められておにぎりを頬張る。玄米と白米が混ざったおにぎりで、具は入ってなかったけど、結構美味しい。ただ何というか形が個性的というか。
「慧音は握るのが下手だなー……」
直線的に言うとそうだ。今朝の私並である。藤原さんが同意を求めるようにこっちを向くもんだから、思わずうなずきかけたけど、間一髪素知らぬ顔で笑って見せた。
「食べれば同じじゃ無いか」
「いや、その考えはどうなんだ……」
何処かで聞いたような話が繰り広げられて、少し和んだ。意外にハクタクは早食いで六個位ぺろりと平らげると、お椀と箸を洗って片付け「午後はまた別の用があるから」とさっさと出て行ってしまった。
「あんまり変な物食べるなとか言って、時々ああやって昼食や夕食を作ってくれるのさ」
「蓬莱人って食生活荒れそうですもんね」
「人並みだとは思ってるけどね。まあ、私なんか普段はお礼に何することも無いのにあいつは作ってくれる、ありがたいってのはこういう事を言うのさ」
確かにそういう風に考えたらありがたい。でも私の場合は従者だし、ご飯くらい作って当たり前なのだから、やっぱり幽々子様にとってはありがたみも無いんだろうな。
私が考えているのがばれてしまったのか、藤原さんは続けた。
「主従とか気にせず、懇意な気持ちで何か作ってみたらきっと喜んでもらえると思うよ」
「幽々子様はそんな人格者ではないような」
「はは、長く世に留まってると、そういう風に振る舞ってしまうけど、根は皆同じだよ」
藤原さんは笑いながらおにぎりと味噌汁を交互に口に運ぶ。少なくともさっき醍醐を口にしていた時よりは、おいしそうに食べている様に見えた。
「美味しいですね、おにぎり」
「旨さで言ったらそれには負けるがな」
笑いながら箸で桶を指す。でもちょっと嘘っぽい。
「そんなこと言って良いんですか?」
「まあ、おにぎりの方が美味しいと思うけどね」
「どっちなんですか」
味噌汁に口をつける。豆腐と葱の味噌汁でオーソドックスに味わい深い。
「旨さと美味しさは違う。旨さは熟した技術や物のこと。美味しさは優れていること」
「でも技術が高い方が優れているのが常では」
「基本はね。でも、そうだな……上手な小説と、誰かに貰った拙い手紙、どっちの方が価値があるかなんて簡単には決められないでしょ? そんな感じ」
「小説と手紙……ですか」
藤原さんは味噌汁を置くと、静かに息を吐いた。
「私も親に作って貰った食べ物は覚えてたりする。時代が時代だったから、はっきり言って味はいまいちだったよ、それでも覚えているのはやっぱり旨さとは別の物があるからさ」
小説の料理と手紙の料理があるのは想像できる。
技巧ある店の料理は小説のように深い。でも料理はそういう物だけでは無い訳で、気持ちが伝わるような料理は手紙と比喩できるかもしれない。
けれど、私は気持ちで料理が良くなるとは考えられない。私が目指すべきは、きっと誰に見せても恥ずかしくない小説の料理である筈だ。
ひょっとして幽々子様の言っていたおにぎりは、手紙のような料理ということなのだろうか。
だとしても料理が手紙だとか小説だとか、決めるのは作り手だろうか。あくまで受け取った側の解釈だと思う。作れと言われて作れる物じゃ無い。
「そういう料理を作るには、どうしたら良いんでしょう」
「生き方の問題かもしれない、きっと何気ない心遣いが大切なの。今も昔も、料理の隠し味は愛情ってやつなんだよ」
「……藤原さん、意外と乙女チックですね」
「うるさい。貴女の性格から察するに、固っ苦しい料理ばっか作ってるんじゃないのって事」
藤原さんはほんのり赤面して、自棄気味におにぎりを食べ始めた。
自分と藤原さんの分の食器を片付け、藤原さんとはそれで別れた。
帰る前にそこらの岩に座って小休止。ちょっと食べ過ぎたお腹に手を当てつつ、醍醐(仮)の桶を見る。
これはとても作れない、それが事実。幽々子様には何にせよその事を伝えなくてはならないのだ。言い訳染みた登場台詞を必死で頭の中で考えた。でも残念ながら私はそういう才能が無いらしく、一言も出てこない。
鬱々とした気分を脱するためにも、一応神社に向かって歩き出す。そうしたら限りなくゆっくり歩いたのに、何も思いつかないまま神社まで来てしまった。
既に水気の薄れた庭先には誰も居ない。縁側下の履き物を頼りに障子を開けると、霊夢と幽々子様が座卓で串に刺さったヤモリみたいな物を食べていた。
「ただいま戻りました、って何食べてるんですか?」
「ハンザキの素揚げ。あんたの代わりに私が小間使いしてたんだから、感謝しなさいよ」
霊夢は頬杖をついたまま、器用にハンザキの素揚げとやらにかぶり付いた。こっちはこっちで大変だったらしい。
「それで、ちゃんと作り方はわかったの?」
幽々子様は桶をじっと見やる。
「はい、分かりました。ですが……すみません私には作れそうに無いです」
「難しいの? 見せてよ」
「あ、ちょっと」
メモを取り出したら霊夢に取られてしまった。紙片を見た途端に顔を渋らせる。
「何これ、作るまで何年掛かるのよ。量産できたら良いなと思ったのに」
何を企んでいたんだか。霊夢の手から放り出されたメモは幽々子様の前にひらりと落ちた。幽々子様はそれを一瞥すると、少し伏し目になった。
「私は作れるようになりなさい、って言ったのに」
「すみません」
幽々子様はがっかりするでもなく、ちょっとだけふて腐れたように「しょうがないわね」と言うと、串焼きを囓った。たぶんこういう結末も考慮はしていたのかな。そう思われていたのを覆せなかったのは、ちょっぴり悔しくて、少しため息が出る。
「お疲れ様、また後で宴会の準備手伝ってよね」
そんな私を見てか、霊夢が串焼きを一本くれた。
ハンザキは丸焼きで見た目が結構グロテスクだ。よく見るとイモリより体は大きいけど手足が短くて、モンスターっぽい。そんな第一印象で口にするのは勇気が必要だったけど、食べたら身にしみるようで案外美味しいと思った。
夜の宴会は期したとおりに盛況した。醍醐(仮)もつまみに並び、人妖問わず口にした人を驚かせ、魔理沙が猫婆しようとしたのを霊夢が怒って攻撃したり、その隙を突いて幽々子様が一人で沢山食べたりと、てんやわんやの騒ぎだ。
予祝の儀に関しては霊夢と先日現れた能面の妖怪が舞っていたが、ちゃんと見ている人が全然居ない。いいのかなこんなので。
早苗が居たので挨拶すると、「妖夢さんが作った枝豆は塩加減が最高!」とか騒いできて恥ずかしかった。藤原さんはいるかなと思ったけど、醍醐を置いていっただけで、来ていないらしい。
楽しい時間はすぐに過ぎる物で、日も変わろうかという所で自然と解散した。もちろん、帰れない状況の者はその場で夜を明かすことになったりするのだが……私と幽々子様は、早めに帰路についた。
冥界にまで戻ると、相変わらずの粛々とした空気に自然と酔いが薄れる。
「幽々子様、醍醐を作れそうになくて申し訳ありません」
「まだ気にしていたの? 良いわよ、さっき沢山食べたし、どうせあれは本物では無いでしょうし」
「御存知だったんですか」
「醍醐は製法が失われて、誰も作れないからこそ、有り難いと言われ続けているのだからね。誰も醍醐の味なんて分からないのよ。ちょっと妖夢達をからかってみただけ」
それでも、あれを作れる様になれと言ったのは嘘では無いだろう。
「まがい物ではありますが、あれほど手間が掛かるならありがたい物の気はします。時間が掛かってもよければやってみますが」
「その間、庭や屋敷を放っておくつもり? それこそありがた迷惑よ。あれは偽物、本当の醍醐なんて無かった、それでおしまいでいいわ」
幽々子様はのほほんと言う。
白玉楼に戻った後は、明日の準備をして、湯に浸かりつつがなくその日を終えた。
翌日、いつも通り朝・昼と何事も無く過ごし、ふと藤原さんに言われたことを思い出す。何か幽々子様に作ってあげたら喜んで貰えるだろうか。
醍醐は作れなかったけど、藤原さんの言うところの手紙の料理。
意気揚々と食材を見たが、いざ作ろうと思うと、何を作ったら良いのか分からないものだ。
それに此処にある物はあくまで白玉楼の物だし、せっかくだから自分で用意したい。小遣いはあまりないけれど、幻想郷の里辺りで買ってこよう。
私はいつも先読みが甘いので、里に着いたら着いたで散々悩んでしまった。遅くなったら夕飯の支度にも間に合わないので困る。
どうしようかと食材に目を凝らし、果てに選び抜いたのはやっぱり――
「おにぎり?」
幽々子様の前に私が差し出せたのは、それしかなかった。元々里で使える自分のお金というのは、幽霊を誘導する際に貪欲な魂がどこからか拾ったお金などを没収した物だったりする。只でさえ昨日お煎餅買ったせいで削られたため、具も買えなかった。
「その、勝手ながら食べて頂けたらなと」
「へえ、珍しい。こんな事するからには訳があるんでしょう?」
本当は煮物とかでも良いかと思ったが、下手に時間が掛かる物は作れないし、まさかサラダを出すのも味気ない。結局幽々子様の言う美味しいおにぎりは分からなかったけど、藤原さんの言うことを信じ、気持ちを込めて握った、美味しくなるように。
少なくとも、昨日の朝に作ったのは、はっきり言って手を抜いてしまった。だから今回はできるだけ丁寧に仕上げた。
気持ちを込めるというだけでは不安だったし、見た目が殺風景なので、クチナシの花や紫陽花の花や葉を神社から貰って来て飾った。
昨日見た神社の庭はきれいだったし、幽々子様と見られて楽しかった。そんな気持ちの欠片も添えてみたかったのだ。なんて、私も大概女々しいかな。
「私はいつも主従の身ではありますが、たまには友人。と言ったら流石に不躾ですかね。ええと、馴染みある者として、幽々子様に食べていただけたらと思って作りました!」
やっぱり私はこういう時に口が上手く回らない。
「プライベートな気持ちで作ったから、醍醐よりもありがたいって事かしら? 大きく出たわねぇ妖夢」
「そ、そんな事言ってませんてば」
ふふ、と笑うと、幽々子様はおにぎりを手にした。藤原さん、やっぱり幽々子様は一筋縄じゃ無いです。けど少なくとも形は整っているから大丈夫な筈。
「頂きます」
一口食べてくれたのを見て、私の方が唾を飲み込んでしまう。いかんいかん、落ち着け。
「ど、どうでしょうか」
「まず一つ言っておくけどね、妖夢」
幽々子様は、欠けたおにぎりをじっと見ながら、言葉を繋げる。
「紫陽花は毒があるんだから、普通食べ物の飾り付けには使わないのよ」
「そ、そうなんですか!?」
早速テンパってしまう。もう死んでいるとはいえ、毒性植物を添えた物を食べさせてしまうとは!
「まったく妖夢は半人前なんだから、」
あわあわしていたら、幽々子様はもう一口おにぎりを囓った。止めた方が良いのか、食べて貰った方のが良いのか分からず、頬に手を当ててぞっとするしかない。
「味は変わらないから、大丈夫」
「良かっ……良くは無いですけど、なによりです?」
「ええ、美味しいわ」
おいしい。こんがらがっていた思考がぴんと張り詰めた。
「ほ、本当ですか?」
「嘘なんてつかないわよ。美味しいおにぎり食べられて嬉しいわ」
安堵と喜びがこみ上げてくる。やっぱり、気持ちを込めて作ったからだろうか。
「最近全然作らないんだもの、塩むすび」
「しおむすび?」
「妖夢は何作らせても塩加減は上手だもの、偶には具は無しで塩むすびにしてね」
「そういうことだったんですか。なら初めからそう言ってくれれば良かったのに」
全然気持ちとか関係ないじゃん。せっかく財布の中を切り崩して作ったのに。
「それじゃ、つまらないじゃない。自分で気づいてくれるともっと良かったわ」
肩を下ろして息を吐く。まあ、喜んでもらえたらそれで良いのかな。幽々子様はむぐむぐとおにぎりを食べきると、なんと今度はクチナシの花びらを一枚口にした。
「あ、それ飾りですよ! お腹壊しちゃうかも」
「大丈夫よ、クチナシの花は食べられるもの。妖夢ったら勉強不足ね」
言葉もありません。
「こうして色々用意してくれた意は、伝わったわ。随分と私の言ったこと気にしていたのね」
「そりゃあ、幽々子様の言葉を無碍にはできませんて」
「ふふふ、ありがとう。本当に美味しかったから、ご馳走様でした。これからも美味しいお料理作ってね」
満面の笑みをうかべる幽々子様。それをみて何だかどっと疲れた気がする。
夕飯までは休んでいると仰る幽々子様にお茶を出し、片付けるため皿を下げた。
喜んで貰えたみたいで、よかった。
花びらの欠けたクチナシも、紫陽花の花も、小さくほほえんでいるように見える。
試しにクチナシの花びらを一枚口に含んでみると、花弁特有の滑るような舌触り、味は微かに甘いが草っぽい。多分食べるにしても、味付けするのだろう。それでも今は美味しい気がした。
こうして自分が作った物を食べてもらえて、美味しいって言ってもらえる。
そう考えたら、私はとっても美味しい思いをしているかもしれない。
きっとこういうのが、料理の醍醐味って奴だよね。
貰って来て飾った ではないでしょうか?
妖夢の奮闘する姿がとても微笑ましかったです。ゆゆさまとの会話も自然で読んでいて和やかな気持ちになります。
やっぱゆゆみょんは最高ですわ。
しかしナチュラルに現代知識が必要なツッコミ待ちのセリフをブン投げといてそのままスルーしちゃう早苗さんェ…
すらすらとよめました
おにぎり食いたくなりました。
ことやかさんの作品は毎回テーマが興味深いです。
一見すると難しそうなネタを、読みやすく東方らしく仕立てるので凄いなぁ、と感心しきりです。
妖夢のこの全身全霊具合は、きっといい味出してることだろうと思いました。
誤字報告。
検討がつかない→見当がつかない
無碍にはできません→無下にはできません
醍醐を巡るまったりとしたミステリーや、幻想郷の細やかな様子が素敵でした
とても面白かったです
面白かったです