Blue blue Glass Moon, Under The Crimson Air.
みーんみんみん。
みーんみんみん。
セミの鳴き声と、真っ白な夏の日差しの中で、女の子が泣いている。
「えーんえんえん えーんえんえん」
うつぶせの私は血まみれで。
私の前の女の子は壊れた人形みたいに座り込んで。
金髪の女の子の記憶は、それが最後だったと。
薄れる記憶の中、覚えている。
瞼を焼くような日差しで宇佐見蓮子は目を覚ました。
カーテンごしに、太陽が小さなワンルームを白く染めている。
窓の外が抜けるように青い。いつもより空が開放的に見える気がした。
今日から大学は夏休みだった。
「あれっ、蓮子?」
いつものカフェで一足早くアイスコーヒーを飲んでいると、青い瞳を丸くして驚いている金髪の彼女に名前を呼ばれた。
「遅かったわね。メリー」
「時間通りよ。そんなことより早いじゃない、蓮子。どうしたの」
彼女、マエリベリー・ハーンは信じられないといった顔で私の向かいに座る。
「暑くて早く目が覚めたわ」
「あ、そう……夏休みだけど生活習慣が弛まないように蓮子さんは今日から頑張るのかと思ったわ……」
アイスミルクティーを注文しながら、がっかりした様子でメリーは言う。
「そんなことより計画よ計画。夏休みの活動をどうするか決めなくちゃ」
「そうね……せっかく長期休暇なんだし遠征したいところではあるけれど……」
メリーが言い留まる。夏休み前は試験で忙しく、活動場所に目星もつけていないので二人して考えこんでしまった。
と、カフェのカウンター近くに備え付けてあるテレビが淡々とニュースを読み上げていたのを中断する。
騒々しくまくし立てるそれと同時に、
『連続殺人事件、新たな被害者か』
事件現場と思しき映像とテロップが映し出される。
「まだ犯人捕まってないんだ。吸血鬼」
「吸血鬼?」
「ああ、メリーの家テレビないんだっけ」
一口コーヒーを飲んで蓮子が言う。
「死体から、血を全部抜かれてるんだって。現代の吸血鬼かーなんて言って。最近はこれで持ちきりよ」
「へえ」
画面には道路に立てられた番号札と、生々しい血痕が残っている。
興味ありげに見入る蓮子に、メリーは呆れたように言う。
「まさか吸血鬼を捕まえるなんて言わないわよね」
「流石に私、命は惜しいわ」
『被害者は4人共若い女性で――警察はこれら一連の事件を連続殺人事件と見ており、捜査を――』
「でも本当に吸血鬼だったら捕まるのかしら」
つられてメリーもついテレビに見入ってしまう。
「ていうか、人間と同じ姿だとして、吸血鬼を見分けることが私達にはできるのかしら。
吸血鬼がいたとして。もしもよ。きっと人間のように、人間のフリをして、隠れているのよ」
大真面目に蓮子が言う。
「それってほとんど人間じゃない?」
「血を吸う以外はね」
蓮子はどこか興奮気味に、
「人間を喰らうモノは、化け物よ。たとえ姿形が人間だとしても」
もし本当に吸血鬼がいたら。
私達の世界に隠れ忍んでいたら。
殺人事件で、そんな想像をしてしまう自分に不謹慎と思わざるを得ないが。
「そういえばメリーの家の近くじゃない。事件が起こってるの」
テレビのテロップを見て、蓮子が気づく。
「あ、やだ本当だ」
メリーの住むマンション街がある地区だった。
流石に凄惨な現場の映像を見て、メリーは身震いする。
「よし、活動の計画が決まるまでの計画が決まったわ」
「え?」
「しばらくうちに泊まりなよ。メリー一人じゃ怖いだろうし。それで私の家でネタ探ししましょう!」
そう言ってアイスコーヒーを一気に飲む蓮子。
「家でネタ探しって」
「ネットで都市伝説の類でも探そう。忙しくてオカルト板もチェックできてなかったしさ」
「そうね……やる気が出るまで引き篭もりってことね」
そういうわけで、当面の秘封倶楽部の活動が決まった。
蓮子の家に来るとやることは決まって酒盛りだった。
作戦会議もほどほどに陽は沈んで。ビールやチューハイの缶を転がしお菓子の袋を食べ散らかしたまま、二人は酔い潰れて眠っていた。
「やば……あつ……」
ぶぅううんと首を振りながら風を送る扇風機はつけっぱなしに、蓮子は身を起こす。
壁の時計は三時を示していた。
ふと、見上げれば、月が。
深い深い青色をしたビンに蓋をするように、大きな月が登っていた。
空を覆うような白く輝く月は、目が痛いほどにあたりを照らしている。
光は風景すら滲ませて、なにもないように見えた。
月の下には、ただひとつ人影がある。
白い光が色すらも照らし尽くして、よく見えない。ただ、輝いている髪の毛が肩より長くて、細い体から、女なのだろうと思った。
そっと足を踏み出すと、光が揺れ、
月の気配を探るように、人影がゆらめく。
輝く髪を流して。ゆっくりと振り返った彼女は、
青と白の世界に浮かぶ、真っ赤な瞳をゆらして、微笑んだ。
蓮子は目を覚ました。
「あれ……」
ぶぅううんと扇風機が風を送っている。
でっかい月。酔いから覚めたばかりの体を起こして独りごちる。月が近すぎて、何も見えなかったな。
空き缶とお菓子の袋で散らかった部屋は夢じゃなかった。
ため息をつきながら部屋を見回し、気付く。
「あれ、メリー?」
ベッドによりかかって眠っていたはずのメリーは見当たらない。
酔っ払ってまさか家に帰ったか?と思いつつ、腰をあげたところで
がちゃり
ドアが開いた。
「あ、おはよう蓮子。まだ陽も登ってないけど」
気付けば時計は三時を指している。
「メリー。どこ行ってたの」
「目が覚めたから、風に当たってきたの。涼しいわよ、外」
サンダルを脱いで上がってくるメリー。
「そう。水でも買ってくるかな……――っ」
赤。
あかい。
メリーの両手の指先が真っ赤に、濡れている。
昼間ニュースでみた、血液のような。
「……?」
目をこする。
「どうしたの?」
真っ白だった。キズひとつない、いつものメリーの指。澄んだ青い瞳が蓮子を見つめる。
「あ、いや……寝ぼけてるだけ」
「飲み過ぎね。酔い覚ましに歩いてきなさい」
笑うメリー。
「私は寝直すわ。ベッド半分借りるわね。おやすみ」
おやすみ、と返して、部屋を出た。
月は遠く、空の真ん中に小さな穴をあけていた。
セミがうるさく鳴き始める。
陽が高く登ってもメリーは寝こけていた。
二人で飲み始めるとたいてい床で意識を失うので、ベッドで二人並んで眠るのは初めてのお泊り会以来だった。
隣で眠るメリーは、惚れ惚れするくらい綺麗な顔で眠っていた。白い肌に、長い睫毛が震えている。
少し見惚れてから、メリーを起こさないようにそっとベッドを抜け出した。
「せっかく休みだし。朝ごはん作ってメリーを驚かしてやるか」
適当にゴミを片付け、台所に向かう。
冷蔵庫の余り物をつっこんだサンドイッチとスクランブルエッグ、作りおきしていたポテトサラダを盛ってみた。
ふと、なんだか新婚さんみたいだな、と思った。考えてから、自分で自分に照れてしまう。
メリーとは「付き合おう」なんて言わないけれど、確実に友達以上の存在であることは間違いなかったし、実際同性の自分から見てもメリーは魅力的だと思っ
ている。
メリーの事ばっかりを考えながら支度を済ませ、よし、と手を洗ったところでメリーが起きだした。
「蓮子……起きたの……?」
「おはよ。朝ごはん作っちゃった」
コーヒーを淹れながらメリーを見る。メリーは驚いて小さいテーブルの上の食事を見て、
「すごい。起きたらご飯があるなんて。新婚さんみたい」
蓮子はつい吹き出した。
二人向い合ってサンドイッチを頬張りながらテレビを眺める。相変わらず吸血鬼事件のニュースを流していた。
蓮子の用意した朝食を平らげたメリーは座ったままどさっとベッドに寄り掛かる。
「ごちそうさま。ふぅっ……」
「メリー?具合悪いの?無理して食べなくていいのに」
「蓮子の料理がおいしくて。ちょっと食べ過ぎちゃっただけ。昨日お酒も飲み過ぎちゃったし」
とか言いながら、身体を起こして座ったまま向かい側にずるずる寄ってくる。
蓮子の隣にやってくると、
「食後の運動でもする?」
「ばっ…!!何いってんの!!!!今動いたらスクランブルエッグが胃でスクランブルよ!!……ちがう!そうじゃなくて!」
柔らかいメリーが身体に触れる。さっき考えていたことが一斉に頭をぐるぐる駆け巡る。そりゃあ、友達以上とは思っているけれどそういうことではなくて手
くらいは繋ぐけれどキスとかそんなこともしたことなくて、いや、メリーが言ってる食後の運動とはそもそも何なのか、
真っ赤になって慌てる蓮子を見て、メリーはぷっと吹き出しながら
「冗談よ。なにを想像してるのよ」
「メリーが言ったんじゃない!」
恥ずかしい。メリーは声をあげて笑い出す。本当に面白そうに笑っているメリーにため息が漏れる。
「はぁ。蓮子ってば面白い。それよりおなかいっぱいで眠くなってきちゃった」
いつもの調子で言うメリーに気が抜けたのか、蓮子も
「……そう……よく寝るわね。私も二度寝しようかな……」
満腹が眠気を誘う。夏休み一日目くらい、こうしてメリーと怠惰に過ごしてもいいかなあ、なんて思いながらメリーをベッドにひっぱる。
昨日の呑み疲れと満腹感で、すぐに二人は眠りに落ちた。
話し声が聞こえる。
ざわめきの中でゆっくりと目を開けた。白い天井。無機質な電灯と、白いカーテン。
体中に管と包帯で縛られて、動けない。
横に顔を向けると、窓が。深い深い青色の空に、星と月。その間に絡まるように、小さな歯車がまわっている。
がちがちがちと、歯車と歯車は絡み合って、大きな塊になって空を埋め尽くす。
大きな針が、白い月を真ん中から切り裂いていた。
その奇妙な空で時間と場所を視るようになったのは、その時からだった。
ふわりと、苦しくない程度の重圧を感じて目を開けた。
「――――あ……」
眼前には見慣れた彼女の顔。身体に覆いかぶさるように、彼女は手をついて見つめてくる。
陽に当たってきらきら光る髪が、さらりと落ちる。同じように輝く睫毛が震えている。日焼けもしていない、シミひとつない滑らかなな白い肌。
私を捉えて離さない、彼女の――真っ赤な瞳が。
――――真っ赤…?
メリーの顔が蓮子の顔に近付いてくる。もう少しで、唇が触れる。と、
「ちょっメリー!寝ぼけてんの!?待って待って待って」
完全に覚醒した蓮子は慌ててメリーの肩を掴んで反射的に止める。
艶めかしく伏せていた眼がぱっと開く。はっとするメリーに蓮子はただ真っ赤になっている。
「ごっごめんなさい蓮子!違うの、ちょっと、寝ぼけて――!」
蓮子は顔を真っ赤にして、一方メリーは真っ青な顔で弁解する。
「お、おはよ……」
「うん、おはよう……」
たとたどしく挨拶を交わして、取り敢えず蓮子の上からどく。
「ご、ごめんね。びっくりしたでしょ。私もびっくりして、その――」
「だっ大丈夫!」
全然大丈夫じゃないけれど。ああもう、どうして女の子にこんなどきどきしてるんだ私は。そっちのほうが動揺する。
済まなそうに蓮子を見つめるメリーの瞳は、いつも通りのきれいな空色をしていた。
夜ご飯はメリーが作った。夏らしく野菜カレー。
またテレビを見ながら食べる。昨日飲み過ぎたから今日は控えましょうと、二人でひとしきり喋ってシャワーを浴びた。
シャツと短パンに着替えて上がると、メリーはこの前買ったばかりの白いロンパースを着てビールを空けていた。
「あっずるい!今日は飲まないって言ったのに!」
「ずるくないわ。風呂あがりのビールは文化よ」
よくわからない言い訳をするメリーから缶をぶんどって飲み干す。
きゃっきゃと騒いだあと、また昨日のようにベッドに並んで眠った。
また、夢を見る。幼いときの私の記憶。
暑い夏の日。
どこの子かも、名前も知らなかった。その女の子と毎日のように遊びまわっていた。
私が公園や川に引っ張りまわして、それでも女の子は走ってついてくる。
いつもみたいに私が先に走って行く。
「ほら、早く!こっちこっち!」
道路の反対側にいる彼女に手を振る。いつもみたいに、彼女は走って私を追いかけようとする。
突然だった。車が、来ている事に気付かなくて。
彼女の走る横に、迫っていたそれを見て私は。
「―――!!」
必死に女の子を道路の外に突き飛ばしたのを覚えてる。
やたら涼しい風が当たる。蓮子は目を覚ました。
暑がりなメリーを扇風機に近い方にしていたので、急に風が直に当たって少し冷える。
隣にはメリーがいなかった。
また夜風に当たりにでもいったのだろうか。物騒な事件が起こっているというのに。
不安を覚えて、蓮子は起き上がる。サンダルをひっかけて部屋を出た。
空を見上げると、真丸になりきらない月が登っていた。少し雲が出ているけれど、星もよく見える。
かちかちかちと、視えるのは歯車の塊。三時二十七分。あたりは静まり返っていた。
この時間なら静かなのは当たり前なのだが、じっとりと重い空気は底知れない不安を抱かせる。
古いアパート、住宅街を抜けて、路地に出る。
鼓動が速い。しっとりと首筋が汗に濡れる。そういえば吸血鬼は、女の人ばっかりを狙っているんだった。そんな事を思い出して余計に焦る。
メリー、メリー。大丈夫だよね……?
細い路地にさしかかる。もうすぐ行き止まりだ。月が雲に隠れて辺りが翳る。
こんなに静かな夜なのに。鼓動だけがどくんどくんとうるさくて。足が早まる。
その、路地裏で
きっと匂いも凄まじかったんだろう。だけど、私は
凄まじい血溜まりを見て、頭が真っ白になった。
うつ伏せで倒れている、人。身体の真ん中に拳大の穴がぼっかりあいている。
「――――っ」
むせ返るような匂いに、鼻と口元を手で覆った。
その人は、長い黒髪だった。
メリーじゃ、ない――。だけど。
暗闇の中で、より一層黒いモノが満ちている。小さな池のように広がる液体。血液。それが、その人がもう助からないということはわかる。
連続殺人事件の言葉が頭をよぎる。
「え、うそ、でしょ―――」
警察を呼ぶとか、救急車を呼ぶとか、そんな考えすら出てこないほどに混乱していた。いや、恐怖していた。
雲が流れて、月の光が路地裏を照らす。
息が荒い。汗が流れる。息が――
「はぁっ……」
吐息。それは、私の声だったか。光が照らしきったそこには、
反射して輝く金髪。
路地裏の壁に身をもたれて、座り込んでいる、人。
白い肌、やわらかな胸が上下する。
そのワンピース、見覚えがある。この前一緒に買い物に行って、衝動買いした紫のシフォンのワンピース。
胸元は血に塗れ、その上――口元から血が溢れていた。
「あなた……メリー……?」
私は、メリーを探しに、もし何かあったらって思って、メリーを――
回らない頭より先に足が動いた。一歩、後退る。
と、一瞬。何が起こったのか解らなかった。さっき座り込んでいた彼女は、私の眼前に。髪が輝いている。
彼女は私の首を片手で掴み上げていた。ぎりぎりと締める指は白く細く。
目の前で、瞳が爛々と輝いていた。真っ赤な瞳。血のように赤い、瞳が。きっと、吸血鬼がいたらこんな瞳をしている。獣の瞳。
「あっ……ぐっ――」
息ができない。無表情で、メリーのような女が私の首を締め上げる。
メリーを、探しにいかなきゃいけないのに、身体が動かない。私は――
「メ、リー……」
朝日が瞼を焼く感触で、目を覚ました。
がばっと起き上がると、横ではメリーがすうすう寝息をたてて眠っている。
「え、あれ、……っ」
殺されたと思った。
ひどい夢だ。殺人事件の犯人がメリーで、しかも私が殺されるなんて。
ぶんぶんと悪夢を振り払って、洗面台に向かう。と、鏡を見て、
背筋が凍りつく。
首筋にはくっきりと、指の跡が赤く残っていた。
「え、うそ――」
「ん…蓮子?おきたの…?」
メリーの声がする。違う、メリーは私の隣で寝てて――
いや。いなかった。あのとき、私はメリーを探しにいって、それで――
月に照らされた強烈な金髪。白い肌。見覚えのあるワンピース。赤い瞳。
メリーが眠たげに洗面台にやってくる。
そうだ。メリーを見て、はたと気付く。シャワーを浴びた後、部屋着に着替えたじゃないか。紫のリボンがついた白いロンパースは確かに昨夜メリーが着てい
たものだ。
じゃああのワンピースを着た彼女は。
「その跡、どうしたの?」
首の跡を見て、驚いた様子で問う。
「あ――ちょっと、うなされてたみたい」
蓮子の答えになっていないごまかしを訝しがりながらも、メリーは深く追求しなかった。
――確かめなきゃ。
メリーを守らなきゃ。という気持ちだけだった。
あれは、確かにメリーの姿をしていた。数日前の吸血鬼の話を思い出す。
『人間と同じ姿だとして、吸血鬼を見分けることが私達にはできるのかしら。
吸血鬼がいたとして。もしもよ。きっと人間のように、人間のフリをして、隠れているのよ』
同じ姿の人間が二人もいるはずがない。なら、あれは――
今夜、確かめよう。あの女がなんなのか。吸血鬼の正体を。
夜になった。昨日と同じようにおやすみ、と言葉をかわして同じベッドで眠る。
けれど、今日は眠るわけにはいかない。確かめなくちゃ。
あれは、メリーなのか。メリーじゃなければ、『何』なのか。
どれだけ月は動いただろう。眠りに負けそうになったころ、
がちゃり。
ドアの閉まる音で覚醒した。すうっと目が冴えていく。
「メリー」
追いかけなきゃ。
サンダルをひっかけ、急いで部屋を出る。
きっと、あの路地裏だ。根拠はないけれど、きっと『あれ』が居るなら。サンダルをぱたぱた言わせて走って行く。
「――――」
きぃんと、耳鳴りがする。叫び声。きっと、
メリー!
メリーを守らなくちゃ。
昨日のあれが脳裏に浮かぶ。金髪の、赤い瞳で、メリーの姿をしたなにか。
あれは、メリーなんかじゃない!
汗も拭わず、駆けていく。
暑い。早くなる鼓動、あの、路地裏で――
きっと匂いも凄まじかったんだろう。だけど、私は
凄まじい血溜まりを見て、頭が真っ白になった。
うつ伏せで倒れている、人。身体の真ん中に拳大の穴がぼっかりあいている。血溜まり。真っ赤な地面を、月が照らしている。
倒れている人は、長い黒髪で、メリーではないと確認できた。
だけど、それより。
倒れている女性の前に立つモノが。血溜まりの中に立って。
ゆっくりと振り返る。
金色の髪。真っ白な肌。半分赤く染まった見覚えのあるワンピース。そして、真っ赤なその瞳は、
「メ、リー……?」
――それは、まるで。
月を背に振り返った彼女は。確かにメリーの姿をしていて。
――吸血鬼みたいだった。
(続く)
みーんみんみん。
みーんみんみん。
セミの鳴き声と、真っ白な夏の日差しの中で、女の子が泣いている。
「えーんえんえん えーんえんえん」
うつぶせの私は血まみれで。
私の前の女の子は壊れた人形みたいに座り込んで。
金髪の女の子の記憶は、それが最後だったと。
薄れる記憶の中、覚えている。
瞼を焼くような日差しで宇佐見蓮子は目を覚ました。
カーテンごしに、太陽が小さなワンルームを白く染めている。
窓の外が抜けるように青い。いつもより空が開放的に見える気がした。
今日から大学は夏休みだった。
「あれっ、蓮子?」
いつものカフェで一足早くアイスコーヒーを飲んでいると、青い瞳を丸くして驚いている金髪の彼女に名前を呼ばれた。
「遅かったわね。メリー」
「時間通りよ。そんなことより早いじゃない、蓮子。どうしたの」
彼女、マエリベリー・ハーンは信じられないといった顔で私の向かいに座る。
「暑くて早く目が覚めたわ」
「あ、そう……夏休みだけど生活習慣が弛まないように蓮子さんは今日から頑張るのかと思ったわ……」
アイスミルクティーを注文しながら、がっかりした様子でメリーは言う。
「そんなことより計画よ計画。夏休みの活動をどうするか決めなくちゃ」
「そうね……せっかく長期休暇なんだし遠征したいところではあるけれど……」
メリーが言い留まる。夏休み前は試験で忙しく、活動場所に目星もつけていないので二人して考えこんでしまった。
と、カフェのカウンター近くに備え付けてあるテレビが淡々とニュースを読み上げていたのを中断する。
騒々しくまくし立てるそれと同時に、
『連続殺人事件、新たな被害者か』
事件現場と思しき映像とテロップが映し出される。
「まだ犯人捕まってないんだ。吸血鬼」
「吸血鬼?」
「ああ、メリーの家テレビないんだっけ」
一口コーヒーを飲んで蓮子が言う。
「死体から、血を全部抜かれてるんだって。現代の吸血鬼かーなんて言って。最近はこれで持ちきりよ」
「へえ」
画面には道路に立てられた番号札と、生々しい血痕が残っている。
興味ありげに見入る蓮子に、メリーは呆れたように言う。
「まさか吸血鬼を捕まえるなんて言わないわよね」
「流石に私、命は惜しいわ」
『被害者は4人共若い女性で――警察はこれら一連の事件を連続殺人事件と見ており、捜査を――』
「でも本当に吸血鬼だったら捕まるのかしら」
つられてメリーもついテレビに見入ってしまう。
「ていうか、人間と同じ姿だとして、吸血鬼を見分けることが私達にはできるのかしら。
吸血鬼がいたとして。もしもよ。きっと人間のように、人間のフリをして、隠れているのよ」
大真面目に蓮子が言う。
「それってほとんど人間じゃない?」
「血を吸う以外はね」
蓮子はどこか興奮気味に、
「人間を喰らうモノは、化け物よ。たとえ姿形が人間だとしても」
もし本当に吸血鬼がいたら。
私達の世界に隠れ忍んでいたら。
殺人事件で、そんな想像をしてしまう自分に不謹慎と思わざるを得ないが。
「そういえばメリーの家の近くじゃない。事件が起こってるの」
テレビのテロップを見て、蓮子が気づく。
「あ、やだ本当だ」
メリーの住むマンション街がある地区だった。
流石に凄惨な現場の映像を見て、メリーは身震いする。
「よし、活動の計画が決まるまでの計画が決まったわ」
「え?」
「しばらくうちに泊まりなよ。メリー一人じゃ怖いだろうし。それで私の家でネタ探ししましょう!」
そう言ってアイスコーヒーを一気に飲む蓮子。
「家でネタ探しって」
「ネットで都市伝説の類でも探そう。忙しくてオカルト板もチェックできてなかったしさ」
「そうね……やる気が出るまで引き篭もりってことね」
そういうわけで、当面の秘封倶楽部の活動が決まった。
蓮子の家に来るとやることは決まって酒盛りだった。
作戦会議もほどほどに陽は沈んで。ビールやチューハイの缶を転がしお菓子の袋を食べ散らかしたまま、二人は酔い潰れて眠っていた。
「やば……あつ……」
ぶぅううんと首を振りながら風を送る扇風機はつけっぱなしに、蓮子は身を起こす。
壁の時計は三時を示していた。
ふと、見上げれば、月が。
深い深い青色をしたビンに蓋をするように、大きな月が登っていた。
空を覆うような白く輝く月は、目が痛いほどにあたりを照らしている。
光は風景すら滲ませて、なにもないように見えた。
月の下には、ただひとつ人影がある。
白い光が色すらも照らし尽くして、よく見えない。ただ、輝いている髪の毛が肩より長くて、細い体から、女なのだろうと思った。
そっと足を踏み出すと、光が揺れ、
月の気配を探るように、人影がゆらめく。
輝く髪を流して。ゆっくりと振り返った彼女は、
青と白の世界に浮かぶ、真っ赤な瞳をゆらして、微笑んだ。
蓮子は目を覚ました。
「あれ……」
ぶぅううんと扇風機が風を送っている。
でっかい月。酔いから覚めたばかりの体を起こして独りごちる。月が近すぎて、何も見えなかったな。
空き缶とお菓子の袋で散らかった部屋は夢じゃなかった。
ため息をつきながら部屋を見回し、気付く。
「あれ、メリー?」
ベッドによりかかって眠っていたはずのメリーは見当たらない。
酔っ払ってまさか家に帰ったか?と思いつつ、腰をあげたところで
がちゃり
ドアが開いた。
「あ、おはよう蓮子。まだ陽も登ってないけど」
気付けば時計は三時を指している。
「メリー。どこ行ってたの」
「目が覚めたから、風に当たってきたの。涼しいわよ、外」
サンダルを脱いで上がってくるメリー。
「そう。水でも買ってくるかな……――っ」
赤。
あかい。
メリーの両手の指先が真っ赤に、濡れている。
昼間ニュースでみた、血液のような。
「……?」
目をこする。
「どうしたの?」
真っ白だった。キズひとつない、いつものメリーの指。澄んだ青い瞳が蓮子を見つめる。
「あ、いや……寝ぼけてるだけ」
「飲み過ぎね。酔い覚ましに歩いてきなさい」
笑うメリー。
「私は寝直すわ。ベッド半分借りるわね。おやすみ」
おやすみ、と返して、部屋を出た。
月は遠く、空の真ん中に小さな穴をあけていた。
セミがうるさく鳴き始める。
陽が高く登ってもメリーは寝こけていた。
二人で飲み始めるとたいてい床で意識を失うので、ベッドで二人並んで眠るのは初めてのお泊り会以来だった。
隣で眠るメリーは、惚れ惚れするくらい綺麗な顔で眠っていた。白い肌に、長い睫毛が震えている。
少し見惚れてから、メリーを起こさないようにそっとベッドを抜け出した。
「せっかく休みだし。朝ごはん作ってメリーを驚かしてやるか」
適当にゴミを片付け、台所に向かう。
冷蔵庫の余り物をつっこんだサンドイッチとスクランブルエッグ、作りおきしていたポテトサラダを盛ってみた。
ふと、なんだか新婚さんみたいだな、と思った。考えてから、自分で自分に照れてしまう。
メリーとは「付き合おう」なんて言わないけれど、確実に友達以上の存在であることは間違いなかったし、実際同性の自分から見てもメリーは魅力的だと思っ
ている。
メリーの事ばっかりを考えながら支度を済ませ、よし、と手を洗ったところでメリーが起きだした。
「蓮子……起きたの……?」
「おはよ。朝ごはん作っちゃった」
コーヒーを淹れながらメリーを見る。メリーは驚いて小さいテーブルの上の食事を見て、
「すごい。起きたらご飯があるなんて。新婚さんみたい」
蓮子はつい吹き出した。
二人向い合ってサンドイッチを頬張りながらテレビを眺める。相変わらず吸血鬼事件のニュースを流していた。
蓮子の用意した朝食を平らげたメリーは座ったままどさっとベッドに寄り掛かる。
「ごちそうさま。ふぅっ……」
「メリー?具合悪いの?無理して食べなくていいのに」
「蓮子の料理がおいしくて。ちょっと食べ過ぎちゃっただけ。昨日お酒も飲み過ぎちゃったし」
とか言いながら、身体を起こして座ったまま向かい側にずるずる寄ってくる。
蓮子の隣にやってくると、
「食後の運動でもする?」
「ばっ…!!何いってんの!!!!今動いたらスクランブルエッグが胃でスクランブルよ!!……ちがう!そうじゃなくて!」
柔らかいメリーが身体に触れる。さっき考えていたことが一斉に頭をぐるぐる駆け巡る。そりゃあ、友達以上とは思っているけれどそういうことではなくて手
くらいは繋ぐけれどキスとかそんなこともしたことなくて、いや、メリーが言ってる食後の運動とはそもそも何なのか、
真っ赤になって慌てる蓮子を見て、メリーはぷっと吹き出しながら
「冗談よ。なにを想像してるのよ」
「メリーが言ったんじゃない!」
恥ずかしい。メリーは声をあげて笑い出す。本当に面白そうに笑っているメリーにため息が漏れる。
「はぁ。蓮子ってば面白い。それよりおなかいっぱいで眠くなってきちゃった」
いつもの調子で言うメリーに気が抜けたのか、蓮子も
「……そう……よく寝るわね。私も二度寝しようかな……」
満腹が眠気を誘う。夏休み一日目くらい、こうしてメリーと怠惰に過ごしてもいいかなあ、なんて思いながらメリーをベッドにひっぱる。
昨日の呑み疲れと満腹感で、すぐに二人は眠りに落ちた。
話し声が聞こえる。
ざわめきの中でゆっくりと目を開けた。白い天井。無機質な電灯と、白いカーテン。
体中に管と包帯で縛られて、動けない。
横に顔を向けると、窓が。深い深い青色の空に、星と月。その間に絡まるように、小さな歯車がまわっている。
がちがちがちと、歯車と歯車は絡み合って、大きな塊になって空を埋め尽くす。
大きな針が、白い月を真ん中から切り裂いていた。
その奇妙な空で時間と場所を視るようになったのは、その時からだった。
ふわりと、苦しくない程度の重圧を感じて目を開けた。
「――――あ……」
眼前には見慣れた彼女の顔。身体に覆いかぶさるように、彼女は手をついて見つめてくる。
陽に当たってきらきら光る髪が、さらりと落ちる。同じように輝く睫毛が震えている。日焼けもしていない、シミひとつない滑らかなな白い肌。
私を捉えて離さない、彼女の――真っ赤な瞳が。
――――真っ赤…?
メリーの顔が蓮子の顔に近付いてくる。もう少しで、唇が触れる。と、
「ちょっメリー!寝ぼけてんの!?待って待って待って」
完全に覚醒した蓮子は慌ててメリーの肩を掴んで反射的に止める。
艶めかしく伏せていた眼がぱっと開く。はっとするメリーに蓮子はただ真っ赤になっている。
「ごっごめんなさい蓮子!違うの、ちょっと、寝ぼけて――!」
蓮子は顔を真っ赤にして、一方メリーは真っ青な顔で弁解する。
「お、おはよ……」
「うん、おはよう……」
たとたどしく挨拶を交わして、取り敢えず蓮子の上からどく。
「ご、ごめんね。びっくりしたでしょ。私もびっくりして、その――」
「だっ大丈夫!」
全然大丈夫じゃないけれど。ああもう、どうして女の子にこんなどきどきしてるんだ私は。そっちのほうが動揺する。
済まなそうに蓮子を見つめるメリーの瞳は、いつも通りのきれいな空色をしていた。
夜ご飯はメリーが作った。夏らしく野菜カレー。
またテレビを見ながら食べる。昨日飲み過ぎたから今日は控えましょうと、二人でひとしきり喋ってシャワーを浴びた。
シャツと短パンに着替えて上がると、メリーはこの前買ったばかりの白いロンパースを着てビールを空けていた。
「あっずるい!今日は飲まないって言ったのに!」
「ずるくないわ。風呂あがりのビールは文化よ」
よくわからない言い訳をするメリーから缶をぶんどって飲み干す。
きゃっきゃと騒いだあと、また昨日のようにベッドに並んで眠った。
また、夢を見る。幼いときの私の記憶。
暑い夏の日。
どこの子かも、名前も知らなかった。その女の子と毎日のように遊びまわっていた。
私が公園や川に引っ張りまわして、それでも女の子は走ってついてくる。
いつもみたいに私が先に走って行く。
「ほら、早く!こっちこっち!」
道路の反対側にいる彼女に手を振る。いつもみたいに、彼女は走って私を追いかけようとする。
突然だった。車が、来ている事に気付かなくて。
彼女の走る横に、迫っていたそれを見て私は。
「―――!!」
必死に女の子を道路の外に突き飛ばしたのを覚えてる。
やたら涼しい風が当たる。蓮子は目を覚ました。
暑がりなメリーを扇風機に近い方にしていたので、急に風が直に当たって少し冷える。
隣にはメリーがいなかった。
また夜風に当たりにでもいったのだろうか。物騒な事件が起こっているというのに。
不安を覚えて、蓮子は起き上がる。サンダルをひっかけて部屋を出た。
空を見上げると、真丸になりきらない月が登っていた。少し雲が出ているけれど、星もよく見える。
かちかちかちと、視えるのは歯車の塊。三時二十七分。あたりは静まり返っていた。
この時間なら静かなのは当たり前なのだが、じっとりと重い空気は底知れない不安を抱かせる。
古いアパート、住宅街を抜けて、路地に出る。
鼓動が速い。しっとりと首筋が汗に濡れる。そういえば吸血鬼は、女の人ばっかりを狙っているんだった。そんな事を思い出して余計に焦る。
メリー、メリー。大丈夫だよね……?
細い路地にさしかかる。もうすぐ行き止まりだ。月が雲に隠れて辺りが翳る。
こんなに静かな夜なのに。鼓動だけがどくんどくんとうるさくて。足が早まる。
その、路地裏で
きっと匂いも凄まじかったんだろう。だけど、私は
凄まじい血溜まりを見て、頭が真っ白になった。
うつ伏せで倒れている、人。身体の真ん中に拳大の穴がぼっかりあいている。
「――――っ」
むせ返るような匂いに、鼻と口元を手で覆った。
その人は、長い黒髪だった。
メリーじゃ、ない――。だけど。
暗闇の中で、より一層黒いモノが満ちている。小さな池のように広がる液体。血液。それが、その人がもう助からないということはわかる。
連続殺人事件の言葉が頭をよぎる。
「え、うそ、でしょ―――」
警察を呼ぶとか、救急車を呼ぶとか、そんな考えすら出てこないほどに混乱していた。いや、恐怖していた。
雲が流れて、月の光が路地裏を照らす。
息が荒い。汗が流れる。息が――
「はぁっ……」
吐息。それは、私の声だったか。光が照らしきったそこには、
反射して輝く金髪。
路地裏の壁に身をもたれて、座り込んでいる、人。
白い肌、やわらかな胸が上下する。
そのワンピース、見覚えがある。この前一緒に買い物に行って、衝動買いした紫のシフォンのワンピース。
胸元は血に塗れ、その上――口元から血が溢れていた。
「あなた……メリー……?」
私は、メリーを探しに、もし何かあったらって思って、メリーを――
回らない頭より先に足が動いた。一歩、後退る。
と、一瞬。何が起こったのか解らなかった。さっき座り込んでいた彼女は、私の眼前に。髪が輝いている。
彼女は私の首を片手で掴み上げていた。ぎりぎりと締める指は白く細く。
目の前で、瞳が爛々と輝いていた。真っ赤な瞳。血のように赤い、瞳が。きっと、吸血鬼がいたらこんな瞳をしている。獣の瞳。
「あっ……ぐっ――」
息ができない。無表情で、メリーのような女が私の首を締め上げる。
メリーを、探しにいかなきゃいけないのに、身体が動かない。私は――
「メ、リー……」
朝日が瞼を焼く感触で、目を覚ました。
がばっと起き上がると、横ではメリーがすうすう寝息をたてて眠っている。
「え、あれ、……っ」
殺されたと思った。
ひどい夢だ。殺人事件の犯人がメリーで、しかも私が殺されるなんて。
ぶんぶんと悪夢を振り払って、洗面台に向かう。と、鏡を見て、
背筋が凍りつく。
首筋にはくっきりと、指の跡が赤く残っていた。
「え、うそ――」
「ん…蓮子?おきたの…?」
メリーの声がする。違う、メリーは私の隣で寝てて――
いや。いなかった。あのとき、私はメリーを探しにいって、それで――
月に照らされた強烈な金髪。白い肌。見覚えのあるワンピース。赤い瞳。
メリーが眠たげに洗面台にやってくる。
そうだ。メリーを見て、はたと気付く。シャワーを浴びた後、部屋着に着替えたじゃないか。紫のリボンがついた白いロンパースは確かに昨夜メリーが着てい
たものだ。
じゃああのワンピースを着た彼女は。
「その跡、どうしたの?」
首の跡を見て、驚いた様子で問う。
「あ――ちょっと、うなされてたみたい」
蓮子の答えになっていないごまかしを訝しがりながらも、メリーは深く追求しなかった。
――確かめなきゃ。
メリーを守らなきゃ。という気持ちだけだった。
あれは、確かにメリーの姿をしていた。数日前の吸血鬼の話を思い出す。
『人間と同じ姿だとして、吸血鬼を見分けることが私達にはできるのかしら。
吸血鬼がいたとして。もしもよ。きっと人間のように、人間のフリをして、隠れているのよ』
同じ姿の人間が二人もいるはずがない。なら、あれは――
今夜、確かめよう。あの女がなんなのか。吸血鬼の正体を。
夜になった。昨日と同じようにおやすみ、と言葉をかわして同じベッドで眠る。
けれど、今日は眠るわけにはいかない。確かめなくちゃ。
あれは、メリーなのか。メリーじゃなければ、『何』なのか。
どれだけ月は動いただろう。眠りに負けそうになったころ、
がちゃり。
ドアの閉まる音で覚醒した。すうっと目が冴えていく。
「メリー」
追いかけなきゃ。
サンダルをひっかけ、急いで部屋を出る。
きっと、あの路地裏だ。根拠はないけれど、きっと『あれ』が居るなら。サンダルをぱたぱた言わせて走って行く。
「――――」
きぃんと、耳鳴りがする。叫び声。きっと、
メリー!
メリーを守らなくちゃ。
昨日のあれが脳裏に浮かぶ。金髪の、赤い瞳で、メリーの姿をしたなにか。
あれは、メリーなんかじゃない!
汗も拭わず、駆けていく。
暑い。早くなる鼓動、あの、路地裏で――
きっと匂いも凄まじかったんだろう。だけど、私は
凄まじい血溜まりを見て、頭が真っ白になった。
うつ伏せで倒れている、人。身体の真ん中に拳大の穴がぼっかりあいている。血溜まり。真っ赤な地面を、月が照らしている。
倒れている人は、長い黒髪で、メリーではないと確認できた。
だけど、それより。
倒れている女性の前に立つモノが。血溜まりの中に立って。
ゆっくりと振り返る。
金色の髪。真っ白な肌。半分赤く染まった見覚えのあるワンピース。そして、真っ赤なその瞳は、
「メ、リー……?」
――それは、まるで。
月を背に振り返った彼女は。確かにメリーの姿をしていて。
――吸血鬼みたいだった。
(続く)
待ってます