夜も更けて、月の明かりがそこかしこを白々と照らしている。月が明るいだけ星は見えず、いくつかの細かい雲が夜空に張り付いたように浮かんでいた。
時節は秋である。吹く風は何処となく肌寒く、日の出ているうちはまだしも、こうして日が暮れれば、辺りはしんしんと冷え出して、短い袖で出歩くのも憚られる。ここ数日の雨によって、夏の残り香が拭い去られたのもそれを手伝っていた。
人里の外には平原が広がっていて、名前もないような草がそこを覆っている。夏のうちに長く伸びたそれらは、すでに茶色くくすんだ色へと変わり、しかし、ところどころに赤い鬼灯の袋や、ふさふさと揺れるススキの穂が目立った。
その平原に、怪しげにうごめく幾ばくかの人影があった。河童のにとりが手に持った紙をカンテラで照らしながら、あれやこれやと指示を飛ばしている。
「そっちの装置はここに」
「ここですね」
「これは?」
「それはそっち。つける場所を間違えないでよ」
にとりの指示で動いているのは箒に乗った魔理沙と、動きやすいようにだろう、髪をまとめた早苗である。三人は何処かこそこそとした動きで、何やら妙ちくりんな機械を組み立てていた。
機械、というよりは、科学の実験道具のように見えるそれは、複数のフラスコを金属の管で繋いでいるのであった。さながら、不格好な木のようにも見える。それらが月の光を照り返して、青白く光っていた。
「そのでっかい虫眼鏡を付ければおしまいだよ」
「ここでいいのか?」
「そう、角度に気を付けて……」
「よっ……と、こんなもんかな」
「ちょっと曲がってますよ、魔理沙さん」
注意深く虫眼鏡の角度を調節した魔理沙は、機械に触れないようにそうっと離れて地面に降り立った。機械は三メートルはあるかというくらいで、金属の管やら、ゴムのチューブやらがくねくねと入り組んだようにつながっている。頂点に据え付けられた大きな虫眼鏡を通して月光が集められ、それらが順々に色の違う硝子や鉱石などを通して、一番下のフラスコまで届くようになっているらしい。
三人はしばらく黙ったまま、真剣な面持ちでそのフラスコを眺めていた。やがて、じわりとフラスコの底に水のようなものが溜まり始めた。それは見る見るうちにかさを増していく。
「来た!」
「さてさて」
にとりはアルコールランプを取り出すと、一番下のフラスコの下に置いて火を灯した。ちりちりと音がして、溜まった水がふつふつと沸き出した。ぼんやりとした水蒸気が立って、フラスコの上部から伸びる管へと吸い込まれていく。
「あ、月が動いて来た。魔理沙、虫眼鏡の角度を調節して」
「よしきた」
「あ、出て来ましたよ」
早苗が管の先の透明な瓶を指さす。そこにはぽたぽたと淡い光を放つ滴が垂れていた。
どうやら彼女たちはこの怪しげな機械で、月光を蒸留しているらしいのである。
小一時間ほどのち、蒸留された月の光は瓶一杯に溜まった。瓶は月明かりのような、静かな光を湛えていた。一升はあるだろう。早苗が上の管のネジを締めて、瓶を別のものに取り換える。そうして再びネジを緩めると、瓶の中に蒸留された月光が落ちる。
「すごい勢いで溜まりますねえ」
「そりゃ月の光はいくらでもあるもの、今晩中に五本は取れる計算だよ」
にとりが自慢げに胸を張った。
事の発端は、魔理沙が見つけた妙な機械であった。
ガラクタ集めが趣味である彼女は、幻想郷じゅうを飛び回って、訳の分からないものを自宅に積み上げているのだが、ある日、魔法の森を飛んでいた時に、古びた機械を見つけた。持ち前の好奇心を発揮した魔理沙は、それを持ち帰っていろいろ調べてみたが、どうにも分からない。そこで香霖堂の店主である森近霖之助の所に出向いた。
霖之助は面倒くさそうな顔をしていたが、無意識的にか知らないが、彼は魔理沙には甘い所がある。機械を触って、名称と用途を教えてやった。
「名称は月光蒸留器。用途は月光の蒸留だ」
「蒸留、って事は酒造りの道具か」
「じゃないかな」
「でもさ、月光ってつまり月の光だろ? そんなもん蒸留できんのか?」
「僕に聞かないでくれよ、名前と用途以上の事は分からないんだから」
そういうわけで名称と用途は分かったが、肝心の使い方が分からない。どうにも部品がいくらか欠けているようであるし、そもそも光をどうやって蒸留するのか見当もつかぬ。魔理沙は人間妖怪問わず、この怪しげな蒸留器の使い方を知らないかと尋ね回った。そうして守矢神社に行ったところ、早苗が「あっ」と言った。
「博物館で見た事ありますよ、これ」
「本当か!? 使い方は分かるか?」
「うーん、近所のおじいさんが子供の頃は使ってたらしいんですけど、詳しい使い方まではちょっと」
「ふぅん、つまり外界の品ってわけか。お前以外の外来人なら分かるかもしれんな」
「あ、またそうやって馬鹿にして!」
早苗はぷんすか怒ったが、魔理沙はそれには取り合わず、早速人里に住む外来人の菜苦氏の元を訪ねた。蒸留器を見た菜苦氏は、懐かしそうに目を細めた。
「そんなものが流れ着いたのか」
「知ってるのか」
「知っているさ、おれもそれで随分酒を密造したものだ」
「でもでも、月の光がお酒になるなんて、そんな変な話がありますか?」
興味を持って付いて来た早苗が身を乗り出すと、菜苦氏はからからと笑った。
「酒ってのは人を狂わせるだろう。月だって人を狂わせる。その光を醸造すれば、酒にならない道理はない」
「でも月光だろ? 光だろ? どうやって液体にするんだ?」
「設計図を書いてやろう」
菜苦氏曰く、設計自体は簡単だが、使う材料が少ないらしい。しかし、材料を聞くと魔理沙の家にあるものばかりである。それらを使って、河童に作らせればいい、と魔理沙と早苗は妖怪の山へと向かった。
話を持ち掛けられたにとりは初めは興味もなさげにしていたが、設計図を読んでいるうちに目つきが変わって、快く製作を請け負った。河童は外界の技術が大好きなのである。製作途中に菜苦氏をも巻き込んで、大いに改造を施したのは言うまでもない。
こうして魔理沙、早苗、にとりによる密造酒製作の段取りが整い、今日に至ったわけであった。続々と溜まる月光酒の瓶を見て、魔理沙はにやにや笑いが抑えられなかった。
「すごいな、材料は月の光だし、売れば大儲けだ」
「味より先に金勘定かい。あんたってホントに俗っぽいね」
「へへ、人間ってのはそういうもんさ。な、早苗」
「一緒にしないでくれません? わたしは半分神様ですもん」
と早苗は頬を膨らましてぷいとそっぽを向いた。にとりはカンテラで設計図を照らしながら、面白そうな顔をしている。
「それにしても、水晶硝子の虫眼鏡で光を集めて、猫目石、風石、黄輝晶を通すなんて、普通は思いつかないね。やっぱ人間の発想力には勝てないわ」
「すごい事なんですか?」
「だって、全然関係ない鉱石ばっかりなんだもん。これ思いついたの、どんな奴なんだろ? 憧れ半分、口惜しさ半分だね」
「おっ、もう次が溜まったぜ。もうちょっと瓶を用意しとけばよかったな」
「あと二本ですか、早いですねー」
「笑いが止まらないぜ、へへへへ、大量生産して大金持ちだな」
「俗っぽいを通り越して、低俗だねえ」
「小人閑居して不善を為すってこういう事ですかね」
「やかましい。それにお前らも共犯者だって事を忘れるなよ」
「それを言われると」
「何も言えないですねえ」
と、早苗とにとりは肩をすくめた。
やがて瓶がいっぱいになって、並んだ瓶がどれもきらきら光っている。月は大分動いたけれども、雲は流れていない。相変わらず、白々とした光が地上に落とされて、あちこちが青く照らされていた。
にとりが時計を見ると、すでに寅の刻を回っていた。秋が深まり出しているとはいえ、もう少しで夜が明けそうな空気である。
もう片付けようかと、早苗とにとりが辺りを見回すと、魔理沙がいない。いつから居なくなっていたのかも判然としなかった。
はてと二人が首を傾げていると、風呂敷包みを背負った魔理沙が、箒に乗って降りて来た。魔理沙が地面に足を付けると、背中の風呂敷包みの中でかちゃかちゃと音がした。
「なんです、それは」
「大急ぎで持って来たんだ」
魔理沙が風呂敷包みを広げると、空の一升瓶がたくさん現れた。
「おいおい、もう夜が明ける時刻だよ?」
「何言ってんだ、明けるにしてもあと二三本は取れるだろ」
「強欲だなあ」
「ほら、急いでセットするぞ」
「あ、はい」
急かされるままに、早苗はあたふたと瓶をセットして、ネジを緩めた。再び蒸留された月の光が出て来る、と思われたが、滴が幾ばくか落ちただけで、後は何も出て来ない。三人は首を傾げた。
「おかしいな」
「上の虫眼鏡の角度かな」
「でも光はちゃんと下まで届いてますよ」
と言いかけた早苗が「あ」と固まった。
「どうした」
「火が消えてます」
成る程、蒸留する為のアルコールランプがすっからかんになっている。これではいくら光を集めても蒸留できない。にとりはぽりぽりと頭を掻いた。
「まいったなあ、替えの燃料は持って来てないよ」
「じゃあどうすんだよ」
「どうしようもないね。今夜はやめて、また今度やればいいじゃん」
「なんだよ、それじゃ瓶は持って来ただけ損じゃないか」
魔理沙は膨れたが、ふと思いついたように、懐から愛用のミニ八卦炉を取り出した。
「こいつがあった!」
「大丈夫ですか、それ。機械が吹っ飛ぶんじゃ……」
と不安げな早苗に、魔理沙はちっちっと指を振った。
「馬鹿にすんなよ? そりゃ山一つ吹き飛ばす事も出来るが、じっくりことこと煮込むようなとろ火にだって調節可能だぜ」
「へえ、便利なんですねえ。わたしも欲しいな」
「やらん。さてと」
と、魔理沙はアルコールランプの代わりにミニ八卦炉を設置し、火力を調節して発動させた。成る程、とてもいい塩梅の火がフラスコの底を熱し、程なくして溜まった月の光の水がふつふつと沸き立って蒸留され、瓶にお酒が溜まり始めた。
こうなっては現金なもので、どちらかといえばもう止めようかという意見を持っていた早苗とにとりも、面白げに瓶を替えたり虫眼鏡の角度を調節したりした。
そうして一升瓶三本程度がいっぱいになった辺りで東の空が白んで来た。博麗神社のある小高い山が逆光に光り、もやのかかった山並みの稜線に沿って朝焼けの空が広がり出した。あちこちで鳥が鳴いている。
さすがに太陽が現れては、月の光は集められない。
潮時だ、と三人は片付けを始めた。組み立てた時とは反対に蒸留器を解体していく。割れやすいフラスコなどは布に包み、鉱石類は箱に仕舞う。金属の管はまとめて紐で縛って、これも布でくるんだ。
そうしてすっかり片付けを終えた時には、すっかり夜が明けて辺りには日の光が降り注いでいた。魔理沙は大きく伸びをした。
「いやあ、よく働いたぜ」
「よく言うよ。で、これは山分けだろうね?」
「まあ、変に序列していざこざになっても面倒だからな。ひとまず今日は平等に分けよう」
「含みのある言い方ですねえ、まあいいですけど」
と早苗は笑いながらお酒の入った瓶を手に取ったが、はてと眉をひそめた。
「どうした?」
「なんか、不自然に軽いんですけど……」
「なんだと」
瓶を手に取った魔理沙は、さっと顔色を青くした。慌てて栓を引き抜いて中をのぞく。液体が揺れる気配はない。中身は空っぽである。ただ、何かお酒のような芳醇な香りがかすかに漂っているばかりであった。
魔理沙は眉を吊り上げて地団太を踏んだ。
「なんだよこれ、どういう事だよ!」
「わ、わたしに聞かないでくださいよぉ……」
「わたしだって分かんないよ」
早苗もにとりも困惑したように首を振るばかりである。
魔理沙は箒に飛び乗ると、菜苦氏の邸宅へと飛んだ。しかしそこは留守で、近所の人が言うには昨晩から香霖堂へ行っていると言う。そこで香霖堂に飛び、勢いよく扉を開けると、菜苦氏と霖之助が目を丸くした。
「なんだい魔理沙、朝から騒々しい」
しかし魔理沙は霖之助には構わずに、菜苦氏に詰め寄った。
「菜苦! あの機械で作った酒が消えちまったんだよ、どういう事だ!」
「消えた?」
「朝になって瓶を見てみたら、中身が空っぽだったんです」
後を付いて来ていた早苗が言った。
菜苦氏はぽかんとしていたが、やにわに笑い出した。
「さてはお前たち、作った酒を日に当てたな?」
「朝が来たんだから、当たり前だろ」
と、これまた後を付いて来ていたにとりが言う。
「それがよくない。日の光は月の光よりも強い。出来上がった酒は日に当てると蒸発してしまうのさ」
「な……なんでそれをちゃんと言わないんだ!」
「言ってはいないが、おれはきちんと設計図の裏にただし書きをしておいた筈だぞ」
成る程、にとりが持っていた設計図を裏返すと、右上に「精製した酒は、日に当てぬ事」と書かれている。三人はがっくりと肩を落とした。
「ちぇ、今日はくたびれ損だったぜ」
「あーあ、少しくらい飲んでおけばよかった」
「もー、せめて表に書いておいてくれればよかったのに……」
「まあ、そう言うな。蒸留器があればいくらでも作れるのだから、またやればいい」
「ふん、そうさせてもらうぜ。今度こそ大金持ちになってやる」
と、魔理沙はじめ密造酒づくりの下手人たちは決意を新たにしたが、月の明るい夜、原っぱで何やら妙な事をしている連中が居る、というのがあっという間に噂として広がり、物好きな妖怪や人間が大勢集まって、大儲けどころでの話ではなくなった。
なお、月光のお酒はさらりとした口当たりながら、かなり強いお酒であったそうである。
月光のお酒、きっと人も妖怪も神も妖怪も等しく狂わす魔性のお酒なのでしょうね。一口でいいから飲んでみたい。
月光蒸留酒って元ネタあるんですかね?
ひねりの利いた発想力が素晴らしい!
あと、このお酒を神主に献上するとすごい喜ばれるんじゃ……とか考えた私は無粋ですか(笑)
神主に呑ませて差し上げたい。
月光の幻想性に酒、いかにも東方らしくてよい組み合わせだと思います
月の光で作ったお酒、呑んでみたい。自然とそう思って、読み進めてしまう魅力があります
それでいてダラダラと続けず、軽く上品に話をまとめてしまったのもまた上手くて、大いに参考になりました
まーしかし月光を集めて酒を作るなんて、いかにも幻想小説っぽくてロマンがあるね
※こんなエピソードはなかったけど。
幻想的な、幻想郷らしい雰囲気がとても素敵です
門司さんの作品はどれも独特で幻想的な雰囲気があっていつも楽しませてもらっています。
今回もとても素敵なお話でした。
……これは相当に書き慣れている方でしょうね。驚きです。
独創的なアイデア、ストーリーの構成、描写力、どれを取っても一級品です。
特に気に入ったのが「月光蒸留器」というシロモノ。
月光蒸留器! この五文字にどれだけのロマンが詰まっていることか!