お邪魔するわよ、阿求。全く、相変わらず仰々しい屋敷ね。この無駄な土地と唸ってるお金、もうちょっと有効活用したら? 人を雇ってお米でも作るとかして。
別に、人里の住人でもない私が、里の象徴たる稗田家にどうこう言うつもりもないけど。ま、権威や象徴に形が必要だってのは、私も解るわ。神社だってそういうものだからね。目に見えないものを信仰するのは、普通の人間には難しい。即物的で嫌になるわ。
……別に、そんな話をするために来たわけじゃないわ。このところは異変もなくて、あんたに話す武勇伝もないし。じゃあ何の用って、あの子のことよ。小鈴のこと。
魔理沙から聞いたわ。鈴奈庵が、あいつに乗っ取られたって……。
あんた、あいつの正体は知ってるんだっけ? あの女よ。眼鏡を掛けた、髪の長い、鈴奈庵によく来てた……そう、あの女。知らないんだ。里の人間でないのは解ってた? まあ、あんたなら里の人間全員の顔ぐらい記憶してるわよね。
あれ、マミゾウよ。命蓮寺の居候の、化け狸。あいつが人間に化けた姿なのよ、あれ。里の中では、人間に化けて正体隠してるのよ。余計な騒ぎを起こさないためなんだろうけど。
別に、それ自体はいいのよ。私の手を煩わせるような騒ぎさえ起こさなければ……。トラブルメーカーなら、私の周囲にはいくらでもいるし。
だけど、妖怪が借金のカタに鈴奈庵を乗っ取るっていうのは、流石にちょっと看過できなくて。……そう、今日ここに来たのは、それについての話。
あんただって、小鈴の友達なんだから事情ぐらい知ってるでしょう。小鈴の父親が、博打で借金こしらえて……マミゾウの奴がそれを肩代わりする代わりに、鈴奈庵の権利を一切合切手に入れてしまって……今もちらっと鈴奈庵を除いてきたけど、マミゾウの奴、店の中で我が物顔で煙管をふかしていたわ。小鈴を膝に載せてね……。
そう、いつも小鈴が本を読んでいたあの机。その椅子に、マミゾウが腰掛けて……その膝の上に、小鈴がちょこんと座ってるのよ。マミゾウがふかす煙管の白煙が、埃っぽい店の空気の中に澱んでいて……。それが、マミゾウと小鈴の姿を、すだれの向こうにあるみたいに、朧に霞ませていたわ。まるでそこで、秘め事が為されているみたいに……。ううん、あるいは本当に、マミゾウはただそのままの意味だけじゃなく、膝の上の小鈴を抱いていたのかもしれない……。そのしどけない姿を、煙管の煙で隠して……。
ねえ、阿求。あんたも解ってるんじゃないの。……マミゾウの目的は、あんな小さな貸本屋の権利なんかじゃないっていうこと。マミゾウの目当ては……小鈴本人だったんだって。
マミゾウはただ、小鈴を手に入れるためだけに……あの店ごと買い取ったのよ。小鈴を、両親から。小鈴が実質ひとりで切り回していたあの店を手に入れるっていうことは、そのまま小鈴そのものを手に入れるっていうことだったから……。
思えばマミゾウの奴、妙に鈴奈庵に執着していたからね。はじめは外から来たばかりの妖怪だから、外の世界が懐かしくて、外来本のある鈴奈庵を贔屓にしているんだとばかり思っていたけれど……。
自分で持ち込んだ絵本を、あの店で子供に読み聞かせはじめたあたりから、何か妙だと思ったわ。一見、普通に子供の相手をしてやっているようにも見えたけれど……命蓮寺でならともかく、鈴奈庵で人間の格好をしてまで、見知らぬ子供の世話を焼いてやる義理なんて、マミゾウには本来あるはずもない……。自分の書いた絵本で小銭を稼ぐにしたって、やっぱりそこまでしてやる必要はないからね。
私が、マミゾウの狙いにはっきり気付いたのは、ついこの間……。いつもように、マミゾウが絵本の読み聞かせに来ていて、小鈴が子供たちとそれを聞いていて……。それだけならいつものことだったけれど、小鈴を見るマミゾウの目が……妖怪の目をしていた。獲物を前にして舌なめずりする妖怪の……。だけど、取って食おうって剣呑な目じゃない。もっとこう……ひどく、淫靡な目線……。小鈴のエプロンの、着物の下にある、幼い身体を……熟してもいない青い果肉が熟れた姿を想像して喉を鳴らすみたいな……そんな目で、小鈴を見ていた……。
それで悟ったのよ。こいつの狙いは……最初から小鈴だったんだって。外来本も絵本の売り込みも全て方便に過ぎなくて、マミゾウは最初から小鈴を手に入れるために……小鈴を手籠めにするために、あの店に通っているんだって……。
だから、マミゾウが借金のカタに鈴奈庵を買い取ったって聞いても、私は驚かなかった。あんな目で小鈴を見る妖怪なら、いずれそのぐらいのことはしかねないと、そう思っていたから……。できれば、私の気のせいだと思いたかったんだけど……。
でもね、阿求。私、疑問があるのよ。……小鈴の父親のこと。
鈴奈庵はもともと、小鈴の父親が始めた店だったわよね。それが、父親が目を悪くして、貸本屋を続けられなくなったから、小鈴がそれを引き継いだ。小鈴の母親は、寝たきりの小鈴の祖父の世話で忙しいし、目の悪い夫の面倒も見ないといけないから、鈴奈庵は事実上、ずっと小鈴がひとりで切り回していた……。ただ、店の権利は、まだ両親が持っていた。小鈴はあの歳だからね。そのへんの管理を任せるには若すぎた。それはいいのよ。
問題は……その目の悪い父親が、どうして店の権利を売り払わないといけないほどに、賭博にのめり込んだのか。だいたい、目の悪い人間ができる賭博なんてたかが知れているでしょう。花札はもちろん無理、麻雀もまず不可能……小鈴の父親が借金を抱えたのは、サイコロ賭博だっけ? 鉱山の男たちがたむろするあたりの賭場の。
サイコロ賭博なら、たしかに盲人でも触れば出目は解るから、不可能ではないかもしれない。目が悪いだけで、身体の他の部位は健康な男が、無聊を感じて、それを慰めるために賭博にのめり込んだ……っていうのも、まあ心理としては解らなくはないわ。生活費を稼いでいるのが幼い娘なんだからね……。
だけど、いったい誰が、あの小鈴の父親に賭博を教えたのかしら。
目を悪くする前から博打中毒だったっていうなら解るけれど、あいにく、そんな話は聞いたことがないわ。ほとんど盲人になってしまった人間が、わざわざ自分から見知らぬ賭場に足を運んだりするものかしら……ってね。
……そうよ、阿求。私が何を考えたのか、あんたでもすぐ察しがつくでしょう。
小鈴の父親に賭博を教え込んだのは、マミゾウなんじゃないか……。
マミゾウは、小鈴を手に入れるために……小鈴を手籠めにするために、鈴奈庵の権利を持っている父親に近付いて……賭博を教え込んで、借金を作らせ、それを代金に、小鈴を買い取ったんじゃないか。鈴奈庵がマミゾウに乗っ取られたのは、その発端から、全てマミゾウの差し金だったんじゃないか……って。
もしそうなら……私はマミゾウの奴を退治してやらなくちゃならない。やったことは人攫いと変わらないもの。里の人間を自分のものにしようとする……それは、里の人間に手を出してはならないという、幻想郷の妖怪のルールを逸脱しているから。
……おかしい? 私がその程度のことで動こうなんて。そうね、私らしくないわ。だけど、小鈴は一応、私にとっては身内なのよ。たとえば魔理沙がどうなろうと自業自得だけど……小鈴は、自分で戦う力を持ってないから。小鈴に迷惑をかけるのは、私に迷惑をかけるのと一緒。私に迷惑をかける妖怪は全力で退治する……それが博麗霊夢のスタンス。あんただって知っているでしょう? だから私は、マミゾウを退治してやろうと思った……。
もともと、怪しいと思っていたのよ。妖怪のくせに人間のふりをして、鈴奈庵に入り込んで、本を売り込んで小鈴の信頼を得て……何を企んでいるのかって。まさか、小鈴そのものが目当てだったなんて予想しなかったけど。……妖怪って、なんでだか子供好きよね。まあ、それもおどかして遊ぶぐらいならいいけれど……真っ昼間から、店の中で、煙に紛れて……そんなことのために小鈴を手に入れようとしたなら、あいつは私の敵だわ。
……そう思って、私は今日、鈴奈庵に行ったのよ。本当に小鈴があいつの手籠めにされてしまっているなら、あいつをこの里から叩きだしてやるつもりで。
だけどね。……もし本当に、小鈴の父親が借金のカタに鈴奈庵をマミゾウに売り渡したんだとしたら、それはひどく不自然な話だっていうことに、私は気付いたのよ。
何を不思議そうな顔をしているのよ、阿求。私が今、何のためにここに来たと思ってるの?
そうよ、阿求。――あんたに確認しないといけないからよ。
ねえ、権威には形が必要って言ったでしょう。あんたにとっては、この家がそう。これだけの土地に、これだけの屋敷……それは、里の象徴としての稗田家の権威の証。稗田という家が、里で最も力のある家であるということ……それを示すために、この家は莫大な金を掛けて維持されている。無駄に広い屋敷も、無駄に広い庭も……。
そう、金よ。里の象徴、里の中心……この人間の里という社会の中枢に、稗田家はある。あんたのところには、この幻想郷では使い切れないぐらいの財力がある……。そうでしょう、阿求。違うとは言わせないわよ。こんな優雅な生活しておいて……。
そして阿求、あんたは小鈴の親友でしょう。……それなら、小鈴の家の苦境を救うのは、マミゾウなんかじゃない。稗田家であるべきだわ。違う?
そう、小鈴の父親が借金を作ったんだとしても、それを肩代わりするのはあんたであるべきだった……。阿求、あんたは親友の危機を黙って見過ごせるほど冷血な人間じゃない。仮に父親が既にマミゾウに権利を売り飛ばしてしまっていても……あんたの財力なら、痛くも痒くもない程度の金額で、マミゾウからその権利を買い戻せたはず。
だけどあんたはそうしなかった。マミゾウが鈴奈庵を乗っ取るのを看過した。
知らなかったとは言わせないわよ。里の記録者たるあんたの元には、あらゆる情報が集まってくるはず……。鈴奈庵の経営権を巡るトラブルだって、当然あんたの耳には入っていた。だけど阿求、あんたは何もしなかった。小鈴がマミゾウの手に落ちるのを……。
マミゾウが鈴奈庵を乗っ取る……それが小鈴にとって良くないことなら、あんたはその財力で何がなんでも阻止したはず。だけどあんたは動かなかった。だから今も、小鈴はあの店でマミゾウの膝の上に抱かれている……煙管の煙に満ちた、あの澱んだ空気の中で……。
だとすれば、前提が間違っているんだわ。そうでしょう、阿求。
あんたは、鈴奈庵が、小鈴が売り飛ばされる危機に対して、何もしなかったんじゃない。
むしろ、あんたは既に積極的に事を起こしていた……。
そう……小鈴の父親が借金を抱え、マミゾウがそれに乗じて鈴奈庵を乗っ取った……それ自体が、阿求、あんたの差し金だったとしたら……。
あんたならどうとでもできるでしょう。小鈴の父親から店の権利を巻き上げることも……それを他人を介して、マミゾウに売り飛ばすことだって……。
つまり、あんたは売ったのよ、自分の親友を、妖怪に……。
ねえ、どんな気分なの? 自分の手で、親友が妖怪に手籠めにされる……その気分は……。
そんなに楽しそうな顔で紅茶を飲むような、愉快な気分なのかしら?
……冗談よ。あんたがそんな外道じゃないことは、私が一番よく知っている。
だけど、あんたが鈴奈庵の問題を看過したのも事実。そうでしょう?
だとすれば、鈴奈庵の権利がマミゾウの手に渡ったのは……あんたの差し金じゃなく……最初から全部、小鈴の計画だった。……そうじゃない?
そう……私、ここに来る前に見たのよ。鈴奈庵の様子を……。
煙管の煙が充満する中で……マミゾウの膝の上に座った小鈴の姿を……。
薄暗い店の中で……煙に隠れて、ほとんど影しか見えなかったけれど……小鈴の手が、マミゾウの頬を撫でるのを見たわ。愛おしむみたいに……。そうしたら、マミゾウの手がそこに重なって……。もつれ合うみたいに……影が絡まり合って……。
そう、思い返してみれば、いつからか……小鈴がマミゾウを見る目は、ときどき、私が見てもぞくりとするような色気をたたえていたわ。マミゾウが持ち込んだ本を読み聞かせているとき、マミゾウの方を流し見た小鈴の横顔……ただの天真爛漫な女の子だと思っていたのに、この子、あの着物の下に、もう女を隠してる……そんな気配がした……。
だけど、小鈴にとってマミゾウは、たまに店を訪れる、名前も知らないお客でしかなかったから……小鈴がマミゾウを手に入れるには、そう……売り渡すしかなかった。マミゾウは鈴奈庵の客なのだから……マミゾウに、鈴奈庵ごと、自分を買い取ってもらえばいい……。
小鈴はそう考えて……あんたの協力を得て、マミゾウの出入りする賭場を突き止めた。子供の自分が賭場に行くわけにはいかないから、父親が賭博にのめり込むように仕組んで……それもあんたが協力したんでしょう。小鈴の父親をこの屋敷に招いて、戯れに賭博の真似事でもして、少しばかりの、だけど里の普通の人間には大金を握らせて……。博徒がカモを巻き上げるとき、最初は勝たせて調子に乗らせるっていうけど、あんたはその最初の部分だけをやったんでしょう。小鈴の父に賭博の旨味を教え込ませて……あとは勝手に落ちていくのを見守ればよかった。そうして、あれが鈴奈庵の主人だと、賭場でマミゾウに人を介して囁いてやれば……マミゾウが小鈴を気に入っていれば、きっと動くはずだと……。
マミゾウは、自分が小鈴を手籠めにしたと、そう思っているのかしら。
本当は、手籠めにされたのは自分の方なのに……。マミゾウが借金のカタに小鈴を買い取ったんじゃなく、小鈴が自分をカタにしてマミゾウを買い取ったんだと……。あの化け狸、自分の方が人間の女の子に騙されているんだと、いつ気付くのかしら……。
そう、だから私は、マミゾウを退治するのを止めたのよ。
小鈴に騙されていた……小鈴を買ったはずの自分が、小鈴に買われていた。小鈴を飼うつもりが、小鈴に飼われていた。それはきっと、化け狸にとって、博麗の巫女に退治されるよりもよっぽどの痛手になるだろうから。そうじゃない?
……そう。私の話はこれで終わりよ。お邪魔したわね。
ああ、そうそう、阿求。最後にひとつだけ聞かせてほしいんだけど。
実際のところ、どんなものなのかしら? 親友に自分を売らせて……そして、マミゾウにそれを買わせて……小鈴とマミゾウ、両方を自分の手に収めた、その気分は……。
だってそうでしょう。本居の家はもともと、稗田家の使用人……。何代か前に、読めなくなった過去の幻想郷縁起の解読のために、稗田家に雇い入れた人間が、今の本居家の祖先じゃなかった? それが独立して貸本屋を始めたのが鈴奈庵……。だからあんたと小鈴は親友なんでしょう。里の象徴たる稗田家と、小さい貸本屋の鈴奈庵の娘なんて、本来釣り合いの取れた関係じゃないんだから……。
あんたにとって、鈴奈庵は、小鈴は、最初から自分のものだった……。だからマミゾウにだって売り飛ばせたし、マミゾウを買い取ることだってできた……。あんたは親友を売り飛ばして、親友を失うことなく、新しい玩具を手に入れたんでしょう。二ッ岩マミゾウという……。
何を身構えてるのよ、阿求。私があんたを退治するとでも思った?
あんたは人間なんだから、里で何をしようと、私は関知しないわ。
でも、気をつけなさいよ。自分の親友が、いつまでも自分の掌の上で踊ってくれていると思っていると……しっぺ返しを食らうかもね。
何しろ相手は、化け狸を化かして買ってしまう女なんだから……。
飢えたおねえさんというか飢えたおばさんというか
小鈴がマミゾウと阿求の両者をいただいちゃう展開はまだですか
いつだって、妖怪をやっつけるのは人間なのですねぇ
とても面白かったです
・・・ま、Murabito(男)よりはマシに聞こえますかね。