「蓮子は私の物なの!」
店中に聞こえそうな位に大きな声でメリーがそう叫んだ。
蓮子ははらはらと辺りを見回すが、三方が壁に囲まれ、廊下に通じる障子も閉められた部屋からでは、周りの酔客達がどんな風にメリーの叫びを受け取ったのか分からない。蓮子が見えもしないのに辺りを見回してそわそわしていると、メリーが不満そうにお酒の入ったグラスをテーブルの上に叩きつけた。
「蓮子! 聞いている?」
「ああ、聞いている聞いている。だから少し静かに」
「ねえ、蓮子、あなたは私の物なの。良い? あなたは私の物。そして私はあなたの物なのよ」
酔っ払っているなぁと思いつつ、蓮子は自分のグラスに口を付けた。安物のアルコールが喉を焼いた。
「だからね、蓮子が二十八度が良いのなら、私はそれを尊重する。だって私はあなたの物だから。でも時時は二十六度にして欲しいわ。あなたは私の物なんだから。ずっと私ばっかり我慢するのは不公平よ」
随分根に持っているなぁと蓮子は溜息を吐いた。今日のお昼にクーラーの温度でもめた事がまだ尾を引いているらしい。
メリーもまたグラスのお酒に口をつけ、そのまま一気に飲み干すと、いよいよ饒舌になって語りだした。
蓮子は私の物よ。私の博物館の中に居るの。その博物館はね、真っ白な大理石で作られた四階建ての広い建物。門から入り口までの石畳には素敵なレリーフが刻まれていて、道の両側には真っ白な薔薇が一年中咲き誇っている。入り口を抜けると大広間、辺りには今までの私達との思い出、中央には蓮子が飾ってあって、入場者を出迎えてくれる。大広間を抜けると、一階には美術品、二階には本、三階には生き物、四階には歴史、世界中から集められた物が展示されている。勿論、クーラーの設定温度は二十六度。
その博物館にお客さんは居ないわ。私を除いてね。学芸員も警備員も居ない。あるのは展示品と私達二人だけ。誰も居ない静かな博物館で、私は蓮子の前に立ってうっとりと蓮子の事を見つめ続けるの。
けれど蓮子は展示品だからじっとしていなくちゃいけないでしょ? 時時辛くなるだろうから、そういう時は私がその場を離れて他の展示品を見に行くの。勿論その間も考えるのは蓮子の事ばかり。蓮子も一緒ね。私が他の展示品を見ている間蓮子は休むんだけど、その間も蓮子は私の事を思っている。眠っている時だって私の夢を見る。そして私が戻ってくる頃に蓮子も戻ってきて、また二人だけの時間が始まる。
その博物館には展示品と私達二人以外には何も無い。だから時間も無くて、私達はいつまでもじっとそれを続けていられる。いつまでもいつまでも二人は見つめ合い、微笑み合い、話し合うの、永遠にね。私は蓮子と話したい事は幾らでもあるし、蓮子もそうでしょう? 私達はいつまでも二人でずっと話していられる。
ねえ、蓮子、今日のごきげんは如何?
ああ、メリー。今日も素敵な気分よ。メリーの顔を見たらどんな時だって元気になれる。
まあ、嬉しい。今日は素敵な服を作ってきたの。王子様が着るみたいでしょう? これを着たらあなたは王子様。そして、私のドレスはどう?
とっても可愛くて似合っているよ。まるでお姫様だ。
嬉しい。私達は王子様とお姫様。この二人だけの国を二人だけで支配するの。
素敵だね。早速着せてくれないかな?
そんな会話をしてから、私は胸一杯に嬉しさを感じながら、蓮子に私の作った服を着せる。その服は本当に蓮子に似合って、私と蓮子はお姫様と王子様になる。でもね、する事はいつもと変わらない。私達二人はじっと見つめ合って、お喋りして、微笑み合うの。
ねえ、蓮子。あなたは私の物でしょう?
勿論だよ、メリー。
なら私は誰の物?
聞くまでもない。私の物さ。メリーはね、私と一緒にイギリスの研究所に居るんだ。
蓮子は展示台の上で両手を広げて語り出すの。
私は素粒子の扁平転移の研究をする為にロンドンの研究所に勤めるんだ。勿論メリーも一緒に来てくれるよね? メリーはまだ物理の事が分からないけれど、私が研究所に勤めるって聞いたら必死になって勉強してくれる。だから一緒に研究所で研究出来るんだ。
同じ研究テーマの所員が居ないから、実験は私とメリーだけ。泊まりこむ事も多いけど、メリーと一緒だから辛くない。毎日毎日二人っきりで朝から晩まで実験に明け暮れて、お昼に混雑している食堂へ行っても食べるのは二人っきり。他の人達も話しかけてくるんだけど、私はメリーが他の人と話すのが嫌だから、周りを一切無視して二人で食べるんだ。
実験に疲れた時は町へ出て、ロンドンの町並みを堪能する。歩いているだけでも楽しいし、見つけたお店に入ったり、実験のストレスを繁華街でのショッピングで発散したり、ジムで汗を流しても良い。オペラを見たり、ラベンダー畑に行ったり。大英博物館、はもういいや。博物館にはずっと居たし。図書館の方にしよう。そう言えば、メリー、ロンドン塔に行きたいって言っていたよね? そこにも行こう。
日日の疲れが取れたらまた実験。二人で研究室に籠もって世界の真相を探り続ける。
どう? もしかして嫌になっちゃうかな?
それならそれでも良いよ。
メリーが実験に飽きたなら、きっと私はそれを察する。
そうして私はメリーに尋ねる。
次に何処へいこうか?
そうしたらメリーは申し訳無さそうに、でも隠しきれない嬉しさを滲ませて語るんだ。
やっぱり秘封倶楽部なんだから境界の向こう側に行こうかしら。いいえ、それじゃあつまらない。折角未来を語るんだから、もっと想像を羽ばたかせてみましょうか。
例えばこんなのはどう? 私と蓮子はアダムとイブになるの。何処か境界の向こう側、まだ誰も住んでいない世界を見つけて、私達はそこに移り住む。外からの干渉を受けない様に、内から外へ漏れない様に、しっかりと封をした世界で私達は二人きり。
え? 良いじゃない。昔と一緒だって。あの博物館、私は楽しかったわ。二人だけの世界って素晴らしいじゃない。
分かったわ。じゃあ、こうしましょう。その世界には私達の子供達が居る。秘封倶楽部の子供なんだから当然普通の子供じゃないわ。神仏と通じ合い、魔法が使え、そもそも人間じゃなかったり。
え? 良いじゃない。人間じゃなくたって。人間も居れば、もっと不思議な、そうね、妖怪とか。そういうのも私達の子供なの。賑やかで素敵でしょ?
産み方って、あんた、それを説明させる?
真っ赤にならないで。こっちまで恥ずかしくなるわ。
分かった分かった。じゃあ、私達の想像力がその子達を産んだ事にしましょう。人間も妖怪も、私達が想像して産んでいく。勿論私達の子供なんだからみんな素敵な子供達。優しくて素直で、頭も良くて。
あー、もう。さっきから文句ばっかり。分かったわ。その産むのは蓮子に任せる。だから好きに産んで。
投げやりじゃないわよ。私は蓮子と一緒に居られれば良いし、それに蓮子が産んだ子供なら私の子供でしょう? 絶対に愛してあげられるわ。
とにかく、私達はアダムとイブになる。そこは妖怪と人間と私と蓮子の楽園。外の世界と隔絶された素晴らしい別天地。また何か言いたそうね? 何?
それは、こう、私が境界の外からちょこちょこ……いえ! 要らないわ! 文明なんて要らない! 良いじゃない。自給自足で暮らせる社会。原始的で自然に溢れてきっと素敵だわ。そういう世界にすれば良い。
まあ、そういう諍いもあるかもね。ありがとう。微に入り細を穿って考察してくれて。そういう妖怪と人間の諍いは、私達が調停すれば良い。こうしましょう。私が妖怪側、あなたが人間側になって、上手くみんなを導くの。争いが起こらない様に、ガス抜きさせたりしてね。そうよ。私達はその世界の神様なんだから。子供達の為に頑張らないと。
良いじゃない。嫌いじゃないわよ。現実では成し得ない理想を追求した架空の社会構造。例えば大昔に流行った共産主義や資本主義、社会主義や民主主義だって、お題目は素敵だけど、現実にその理想を追求し続ける事は出来なかったでしょう? 結局最後は戦争で全部壊れちゃったんだから、現実に成し遂げたとは言えないわよね? でもきっとそれは社会の導き手が理想の追求を止めてしまったから。その点、私達の世界は違うわ。その世界、例えばそうね、幻想主義社会とでも言いましょうか。私達の幻想は決して壊れる事も腐る事も無い。だって私と蓮子がずっと治め続けるんだもの。
どうかしら。
私は、境界際の何処でもない何処か、だからこそ何処にでもある住居に住んで、結界を守っている。妖怪側だからね。そういう正体不明なところが妖怪らしいでしょ? 私は妖怪達を従えて、妖怪達の不満を晴らして、ガスを抜いて、妖怪側の秩序を保つ。
蓮子は何処に住む? 私達の幻想郷は広いから色色景色の良い場所を取り揃えているけれど。勿論私が住んでいる場所でも良いし、別の場所でも良い。何処に居たって私は境界を通ってすぐにあなたに会いにいけるもの。
うーん、確かに蓮子の言う通り、人間を治めるのなら、威厳のある場所が良いわね。じゃあ、神社はどう?
だって今日稲荷神社に行って、やっぱり神社は日本の心だなぁとか言っていたじゃない。それともウェストミンスター寺院にする? すっかり見飽きたけど。
でしょ? 神社に決定! 神社に住むのなら蓮子は巫女ね。人人を妖怪から助け、悩みを聞き、神を敬い仕える巫女。あ、でも、私達がその世界の神様なんだから、蓮子は私に仕えるって事? やだどうしましょう!
勿論、色々と。
色色は色色よ。
変な事なんて考えてない、っていうか、変な事って何? 私分からない? 一体蓮子は何を想像しちゃったの?
別に巫女の歴史は聞いてないわよ。蓮子が私に何をしてくれるのかって事。
意気地なし。
そりゃあ、毎晩……勿論神に仕えているんだから毎晩お祈りとか。
そう。お祈り。というより、お喋りね! 私と蓮子なんだし、いつも通り。
その日何があったのかとか、日中に会えないのが寂しいよとかね。
良いじゃない?
薄暗い中、仄かな灯火だけが辺りを照らす部屋。そこで蓮子はじっと正座をして、目の前に敷いた座布団を見つめている。すると仄明かりの中、境界が開いて、待ち焦がれた私が現れる。
それを見た蓮子は感極まった声で言うの。
「そろそろ出ましょうか」
時計を見るとお店に入ってから随分と経っていた。店員を呼んで会計を済ませ、外へ出るとすっかりと夜空になって満天に星が散っていた。新月の為、月は見えなかった。
「随分高く付いたわね」
蓮子が財布の中身を見て溜息を吐いた。
「蓮子が飲み過ぎなのよ」
飄飄としているメリーを、蓮子が睨む。
「あんたが変な妄想を炸裂させるからでしょうが」
「あら、蓮子も乗ってきたじゃない」
蓮子はむっとしてそっぽを向いた。
メリーが機嫌を取る様に後ろから蓮子を抱きしめる。蓮子が止まらず歩き続けるので、メリーは引きずられる様な形になった。
「この後はどうする? 遅いしホテルにでも泊まる?」
蓮子に問われたメリーが驚きのあまりに首に絡ませていた手を離し、そのまま支えを失って地面に倒れ込んだ。
「ホテルって、あの?」
メリーが倒れたまま指をさす。指し示された対象物を見た蓮子が慌てて首を振りながら、メリーを抱き起こした。
「違うわ、阿呆!」
立ち上がったメリーは服の汚れを払い、少しの間俯いてから、笑顔を見せた。
「折角戻ってきたんだから、久久に大学へ行きましょう」
「大学って。もう夜よ? 多分閉まっていると思うけど」
「大丈夫大丈夫。大学なんて隙間だらけじゃない。私達秘封倶楽部からすれば鍵をかけていないのと一緒よ。侵入してくれって言っているのと変わらないわ」
蓮子はメリーの言葉に言い返そうとして、やっぱり止めた。
「うん、久しぶりだもんね。そのまま大学に泊まっちゃう?」
「そうしたいけど、家で子供達が待っているから、今日は早く帰りましょう」
メリーがそんな事を言うので、蓮子は思いっきり溜息を吐いた。
「どこから突っ込んで良いのか分からなんだけど」
「私に突っ込むですって!」
「違う! まあ、早く帰るのは賛成。あなたの妄想を聞き続けて疲れたし」
「そうよね。暑くて疲れたもんね。本当に京都っていっつも暑すぎなのよ」
「その話は止めよう。また喧嘩になりそう」
蓮子がそう言うと、メリーは笑った。
「いやあね、いっつも仲良しの私と蓮子が喧嘩何かする訳無いじゃない」
「どこから突っ込んで良いのか分からないんだけど」
「私に突っ込むですって!」
「違う!」
メリーは酔いの回った顔でけらけらと笑いながら間一髪で柱を避けた。
「危ないわよ」
蓮子が忠告すると、メリーはふらふらと蓮子に寄りかかって満面の笑顔を零して言った。
「そろそろ出ましょうか」
メリーの言葉に、私は待っていましたと勢い良く立ち上がった。
「今日は懐かしの博麗神社に行くんだったかしら?」
私がメリーの腕を引いて早く早くと急かすとメリーがカップの紅茶を飲み干してから、呆れて息を吐いた。
「随分楽しみにしていたのね。子供みたい」
「少なくともメリーの空想を延延聞かされるよりはずっと良いわよ」
私が睨むとメリーが首を竦ませる。
メリーがカフェの壁に掛けられた振り子時計を見た。そんなに長長と話していたかしらという顔をしていた。そんなに長長と話していたさ。カフェに入ったのだが朝で、それから半日ほど話していたんだから。
今更それを言っても仕方が無いので、私は会計を済ませて外へ出る。
外へ出ると夏の日差しが私の肌を焼いた。店と外の寒暖差が激しいからに違いない。メリーの長妄想を聞いている間、寒くてしょうがなかった。
「このお店は冷房が効き過ぎ」
追ってきたメリーもやっぱり暑さに焼かれたのか微かな呻き声を上げる。
「また、二十八度が良かったって言うの?」
私は振り返って夏の日差しに白けたメリーを睨む。喧嘩を蒸し返したって不毛なだけだ。私は拳を握って堪えてから、頭上の太陽を指さした。
そう、私達には喧嘩よりもやるべき事がある。
「もうその話は良い! あなたは何?」
「何って、蓮子の物」
メリーが顔を赤らめて言ったので、私も思わず顔が熱くなって、恥ずかしさのあまりメリーの頭を叩いた。
「そういう事じゃなくて、っていうかそういう事を公衆の面前で、いや、とにかく」
私は自分の進むべき先を見つめ、もう一度太陽を指さし言った。
「私もメリーも秘封倶楽部でしょ! 私達の為すべき事は結界を暴く事。それ以外に現を抜かしている暇は無いわ」
いつもの通りメリーも同意してくれるかと思ったが、今日の反応は違った。
「蓮子」
メリーの静かな声に、奇妙な感覚を得て振り返る。メリーがうっすらと笑っていた。何か嫌な予感がした。何かメリーからおかしな雰囲気を感じる。
「確かに私は秘封倶楽部。きっと昔だったら私は蓮子の言葉に同意していた」
「今は違うっていうの?」
何だ男でも出来たのか? そんな気配まるで無かったけど。
「いいえ。でも今の私は、秘封倶楽部の前にまず蓮子の物だから」
どうしてそう恥ずかしい事を言うのか。思わず身悶えていると、メリーはこちらの様子など気にせず話を進めた。
「そして蓮子も私の物だから」
静かな、本当に静かな声音だった。掠れる位に微かな声音。それなのにメリーの声ははっきりと聞こえた。それもその筈だ。メリーの声以外の音が全く聞こえないのだから。
ふと静謐な墓場に居る様な錯覚が起こった。
耳が痛くなる程の無音が辺りを支配している。
花の香りが鼻孔をくすぐった。
何の花だったか思い出す前に、メリーが言った。
「蓮子は私の博物館に飾られている。だからずっとずっと私の物なのよ」
夏の日差しで脱色された薄色のメリーを見ていると、まるで夢を見ている様な気がしてきた。
店中に聞こえそうな位に大きな声でメリーがそう叫んだ。
蓮子ははらはらと辺りを見回すが、三方が壁に囲まれ、廊下に通じる障子も閉められた部屋からでは、周りの酔客達がどんな風にメリーの叫びを受け取ったのか分からない。蓮子が見えもしないのに辺りを見回してそわそわしていると、メリーが不満そうにお酒の入ったグラスをテーブルの上に叩きつけた。
「蓮子! 聞いている?」
「ああ、聞いている聞いている。だから少し静かに」
「ねえ、蓮子、あなたは私の物なの。良い? あなたは私の物。そして私はあなたの物なのよ」
酔っ払っているなぁと思いつつ、蓮子は自分のグラスに口を付けた。安物のアルコールが喉を焼いた。
「だからね、蓮子が二十八度が良いのなら、私はそれを尊重する。だって私はあなたの物だから。でも時時は二十六度にして欲しいわ。あなたは私の物なんだから。ずっと私ばっかり我慢するのは不公平よ」
随分根に持っているなぁと蓮子は溜息を吐いた。今日のお昼にクーラーの温度でもめた事がまだ尾を引いているらしい。
メリーもまたグラスのお酒に口をつけ、そのまま一気に飲み干すと、いよいよ饒舌になって語りだした。
蓮子は私の物よ。私の博物館の中に居るの。その博物館はね、真っ白な大理石で作られた四階建ての広い建物。門から入り口までの石畳には素敵なレリーフが刻まれていて、道の両側には真っ白な薔薇が一年中咲き誇っている。入り口を抜けると大広間、辺りには今までの私達との思い出、中央には蓮子が飾ってあって、入場者を出迎えてくれる。大広間を抜けると、一階には美術品、二階には本、三階には生き物、四階には歴史、世界中から集められた物が展示されている。勿論、クーラーの設定温度は二十六度。
その博物館にお客さんは居ないわ。私を除いてね。学芸員も警備員も居ない。あるのは展示品と私達二人だけ。誰も居ない静かな博物館で、私は蓮子の前に立ってうっとりと蓮子の事を見つめ続けるの。
けれど蓮子は展示品だからじっとしていなくちゃいけないでしょ? 時時辛くなるだろうから、そういう時は私がその場を離れて他の展示品を見に行くの。勿論その間も考えるのは蓮子の事ばかり。蓮子も一緒ね。私が他の展示品を見ている間蓮子は休むんだけど、その間も蓮子は私の事を思っている。眠っている時だって私の夢を見る。そして私が戻ってくる頃に蓮子も戻ってきて、また二人だけの時間が始まる。
その博物館には展示品と私達二人以外には何も無い。だから時間も無くて、私達はいつまでもじっとそれを続けていられる。いつまでもいつまでも二人は見つめ合い、微笑み合い、話し合うの、永遠にね。私は蓮子と話したい事は幾らでもあるし、蓮子もそうでしょう? 私達はいつまでも二人でずっと話していられる。
ねえ、蓮子、今日のごきげんは如何?
ああ、メリー。今日も素敵な気分よ。メリーの顔を見たらどんな時だって元気になれる。
まあ、嬉しい。今日は素敵な服を作ってきたの。王子様が着るみたいでしょう? これを着たらあなたは王子様。そして、私のドレスはどう?
とっても可愛くて似合っているよ。まるでお姫様だ。
嬉しい。私達は王子様とお姫様。この二人だけの国を二人だけで支配するの。
素敵だね。早速着せてくれないかな?
そんな会話をしてから、私は胸一杯に嬉しさを感じながら、蓮子に私の作った服を着せる。その服は本当に蓮子に似合って、私と蓮子はお姫様と王子様になる。でもね、する事はいつもと変わらない。私達二人はじっと見つめ合って、お喋りして、微笑み合うの。
ねえ、蓮子。あなたは私の物でしょう?
勿論だよ、メリー。
なら私は誰の物?
聞くまでもない。私の物さ。メリーはね、私と一緒にイギリスの研究所に居るんだ。
蓮子は展示台の上で両手を広げて語り出すの。
私は素粒子の扁平転移の研究をする為にロンドンの研究所に勤めるんだ。勿論メリーも一緒に来てくれるよね? メリーはまだ物理の事が分からないけれど、私が研究所に勤めるって聞いたら必死になって勉強してくれる。だから一緒に研究所で研究出来るんだ。
同じ研究テーマの所員が居ないから、実験は私とメリーだけ。泊まりこむ事も多いけど、メリーと一緒だから辛くない。毎日毎日二人っきりで朝から晩まで実験に明け暮れて、お昼に混雑している食堂へ行っても食べるのは二人っきり。他の人達も話しかけてくるんだけど、私はメリーが他の人と話すのが嫌だから、周りを一切無視して二人で食べるんだ。
実験に疲れた時は町へ出て、ロンドンの町並みを堪能する。歩いているだけでも楽しいし、見つけたお店に入ったり、実験のストレスを繁華街でのショッピングで発散したり、ジムで汗を流しても良い。オペラを見たり、ラベンダー畑に行ったり。大英博物館、はもういいや。博物館にはずっと居たし。図書館の方にしよう。そう言えば、メリー、ロンドン塔に行きたいって言っていたよね? そこにも行こう。
日日の疲れが取れたらまた実験。二人で研究室に籠もって世界の真相を探り続ける。
どう? もしかして嫌になっちゃうかな?
それならそれでも良いよ。
メリーが実験に飽きたなら、きっと私はそれを察する。
そうして私はメリーに尋ねる。
次に何処へいこうか?
そうしたらメリーは申し訳無さそうに、でも隠しきれない嬉しさを滲ませて語るんだ。
やっぱり秘封倶楽部なんだから境界の向こう側に行こうかしら。いいえ、それじゃあつまらない。折角未来を語るんだから、もっと想像を羽ばたかせてみましょうか。
例えばこんなのはどう? 私と蓮子はアダムとイブになるの。何処か境界の向こう側、まだ誰も住んでいない世界を見つけて、私達はそこに移り住む。外からの干渉を受けない様に、内から外へ漏れない様に、しっかりと封をした世界で私達は二人きり。
え? 良いじゃない。昔と一緒だって。あの博物館、私は楽しかったわ。二人だけの世界って素晴らしいじゃない。
分かったわ。じゃあ、こうしましょう。その世界には私達の子供達が居る。秘封倶楽部の子供なんだから当然普通の子供じゃないわ。神仏と通じ合い、魔法が使え、そもそも人間じゃなかったり。
え? 良いじゃない。人間じゃなくたって。人間も居れば、もっと不思議な、そうね、妖怪とか。そういうのも私達の子供なの。賑やかで素敵でしょ?
産み方って、あんた、それを説明させる?
真っ赤にならないで。こっちまで恥ずかしくなるわ。
分かった分かった。じゃあ、私達の想像力がその子達を産んだ事にしましょう。人間も妖怪も、私達が想像して産んでいく。勿論私達の子供なんだからみんな素敵な子供達。優しくて素直で、頭も良くて。
あー、もう。さっきから文句ばっかり。分かったわ。その産むのは蓮子に任せる。だから好きに産んで。
投げやりじゃないわよ。私は蓮子と一緒に居られれば良いし、それに蓮子が産んだ子供なら私の子供でしょう? 絶対に愛してあげられるわ。
とにかく、私達はアダムとイブになる。そこは妖怪と人間と私と蓮子の楽園。外の世界と隔絶された素晴らしい別天地。また何か言いたそうね? 何?
それは、こう、私が境界の外からちょこちょこ……いえ! 要らないわ! 文明なんて要らない! 良いじゃない。自給自足で暮らせる社会。原始的で自然に溢れてきっと素敵だわ。そういう世界にすれば良い。
まあ、そういう諍いもあるかもね。ありがとう。微に入り細を穿って考察してくれて。そういう妖怪と人間の諍いは、私達が調停すれば良い。こうしましょう。私が妖怪側、あなたが人間側になって、上手くみんなを導くの。争いが起こらない様に、ガス抜きさせたりしてね。そうよ。私達はその世界の神様なんだから。子供達の為に頑張らないと。
良いじゃない。嫌いじゃないわよ。現実では成し得ない理想を追求した架空の社会構造。例えば大昔に流行った共産主義や資本主義、社会主義や民主主義だって、お題目は素敵だけど、現実にその理想を追求し続ける事は出来なかったでしょう? 結局最後は戦争で全部壊れちゃったんだから、現実に成し遂げたとは言えないわよね? でもきっとそれは社会の導き手が理想の追求を止めてしまったから。その点、私達の世界は違うわ。その世界、例えばそうね、幻想主義社会とでも言いましょうか。私達の幻想は決して壊れる事も腐る事も無い。だって私と蓮子がずっと治め続けるんだもの。
どうかしら。
私は、境界際の何処でもない何処か、だからこそ何処にでもある住居に住んで、結界を守っている。妖怪側だからね。そういう正体不明なところが妖怪らしいでしょ? 私は妖怪達を従えて、妖怪達の不満を晴らして、ガスを抜いて、妖怪側の秩序を保つ。
蓮子は何処に住む? 私達の幻想郷は広いから色色景色の良い場所を取り揃えているけれど。勿論私が住んでいる場所でも良いし、別の場所でも良い。何処に居たって私は境界を通ってすぐにあなたに会いにいけるもの。
うーん、確かに蓮子の言う通り、人間を治めるのなら、威厳のある場所が良いわね。じゃあ、神社はどう?
だって今日稲荷神社に行って、やっぱり神社は日本の心だなぁとか言っていたじゃない。それともウェストミンスター寺院にする? すっかり見飽きたけど。
でしょ? 神社に決定! 神社に住むのなら蓮子は巫女ね。人人を妖怪から助け、悩みを聞き、神を敬い仕える巫女。あ、でも、私達がその世界の神様なんだから、蓮子は私に仕えるって事? やだどうしましょう!
勿論、色々と。
色色は色色よ。
変な事なんて考えてない、っていうか、変な事って何? 私分からない? 一体蓮子は何を想像しちゃったの?
別に巫女の歴史は聞いてないわよ。蓮子が私に何をしてくれるのかって事。
意気地なし。
そりゃあ、毎晩……勿論神に仕えているんだから毎晩お祈りとか。
そう。お祈り。というより、お喋りね! 私と蓮子なんだし、いつも通り。
その日何があったのかとか、日中に会えないのが寂しいよとかね。
良いじゃない?
薄暗い中、仄かな灯火だけが辺りを照らす部屋。そこで蓮子はじっと正座をして、目の前に敷いた座布団を見つめている。すると仄明かりの中、境界が開いて、待ち焦がれた私が現れる。
それを見た蓮子は感極まった声で言うの。
「そろそろ出ましょうか」
時計を見るとお店に入ってから随分と経っていた。店員を呼んで会計を済ませ、外へ出るとすっかりと夜空になって満天に星が散っていた。新月の為、月は見えなかった。
「随分高く付いたわね」
蓮子が財布の中身を見て溜息を吐いた。
「蓮子が飲み過ぎなのよ」
飄飄としているメリーを、蓮子が睨む。
「あんたが変な妄想を炸裂させるからでしょうが」
「あら、蓮子も乗ってきたじゃない」
蓮子はむっとしてそっぽを向いた。
メリーが機嫌を取る様に後ろから蓮子を抱きしめる。蓮子が止まらず歩き続けるので、メリーは引きずられる様な形になった。
「この後はどうする? 遅いしホテルにでも泊まる?」
蓮子に問われたメリーが驚きのあまりに首に絡ませていた手を離し、そのまま支えを失って地面に倒れ込んだ。
「ホテルって、あの?」
メリーが倒れたまま指をさす。指し示された対象物を見た蓮子が慌てて首を振りながら、メリーを抱き起こした。
「違うわ、阿呆!」
立ち上がったメリーは服の汚れを払い、少しの間俯いてから、笑顔を見せた。
「折角戻ってきたんだから、久久に大学へ行きましょう」
「大学って。もう夜よ? 多分閉まっていると思うけど」
「大丈夫大丈夫。大学なんて隙間だらけじゃない。私達秘封倶楽部からすれば鍵をかけていないのと一緒よ。侵入してくれって言っているのと変わらないわ」
蓮子はメリーの言葉に言い返そうとして、やっぱり止めた。
「うん、久しぶりだもんね。そのまま大学に泊まっちゃう?」
「そうしたいけど、家で子供達が待っているから、今日は早く帰りましょう」
メリーがそんな事を言うので、蓮子は思いっきり溜息を吐いた。
「どこから突っ込んで良いのか分からなんだけど」
「私に突っ込むですって!」
「違う! まあ、早く帰るのは賛成。あなたの妄想を聞き続けて疲れたし」
「そうよね。暑くて疲れたもんね。本当に京都っていっつも暑すぎなのよ」
「その話は止めよう。また喧嘩になりそう」
蓮子がそう言うと、メリーは笑った。
「いやあね、いっつも仲良しの私と蓮子が喧嘩何かする訳無いじゃない」
「どこから突っ込んで良いのか分からないんだけど」
「私に突っ込むですって!」
「違う!」
メリーは酔いの回った顔でけらけらと笑いながら間一髪で柱を避けた。
「危ないわよ」
蓮子が忠告すると、メリーはふらふらと蓮子に寄りかかって満面の笑顔を零して言った。
「そろそろ出ましょうか」
メリーの言葉に、私は待っていましたと勢い良く立ち上がった。
「今日は懐かしの博麗神社に行くんだったかしら?」
私がメリーの腕を引いて早く早くと急かすとメリーがカップの紅茶を飲み干してから、呆れて息を吐いた。
「随分楽しみにしていたのね。子供みたい」
「少なくともメリーの空想を延延聞かされるよりはずっと良いわよ」
私が睨むとメリーが首を竦ませる。
メリーがカフェの壁に掛けられた振り子時計を見た。そんなに長長と話していたかしらという顔をしていた。そんなに長長と話していたさ。カフェに入ったのだが朝で、それから半日ほど話していたんだから。
今更それを言っても仕方が無いので、私は会計を済ませて外へ出る。
外へ出ると夏の日差しが私の肌を焼いた。店と外の寒暖差が激しいからに違いない。メリーの長妄想を聞いている間、寒くてしょうがなかった。
「このお店は冷房が効き過ぎ」
追ってきたメリーもやっぱり暑さに焼かれたのか微かな呻き声を上げる。
「また、二十八度が良かったって言うの?」
私は振り返って夏の日差しに白けたメリーを睨む。喧嘩を蒸し返したって不毛なだけだ。私は拳を握って堪えてから、頭上の太陽を指さした。
そう、私達には喧嘩よりもやるべき事がある。
「もうその話は良い! あなたは何?」
「何って、蓮子の物」
メリーが顔を赤らめて言ったので、私も思わず顔が熱くなって、恥ずかしさのあまりメリーの頭を叩いた。
「そういう事じゃなくて、っていうかそういう事を公衆の面前で、いや、とにかく」
私は自分の進むべき先を見つめ、もう一度太陽を指さし言った。
「私もメリーも秘封倶楽部でしょ! 私達の為すべき事は結界を暴く事。それ以外に現を抜かしている暇は無いわ」
いつもの通りメリーも同意してくれるかと思ったが、今日の反応は違った。
「蓮子」
メリーの静かな声に、奇妙な感覚を得て振り返る。メリーがうっすらと笑っていた。何か嫌な予感がした。何かメリーからおかしな雰囲気を感じる。
「確かに私は秘封倶楽部。きっと昔だったら私は蓮子の言葉に同意していた」
「今は違うっていうの?」
何だ男でも出来たのか? そんな気配まるで無かったけど。
「いいえ。でも今の私は、秘封倶楽部の前にまず蓮子の物だから」
どうしてそう恥ずかしい事を言うのか。思わず身悶えていると、メリーはこちらの様子など気にせず話を進めた。
「そして蓮子も私の物だから」
静かな、本当に静かな声音だった。掠れる位に微かな声音。それなのにメリーの声ははっきりと聞こえた。それもその筈だ。メリーの声以外の音が全く聞こえないのだから。
ふと静謐な墓場に居る様な錯覚が起こった。
耳が痛くなる程の無音が辺りを支配している。
花の香りが鼻孔をくすぐった。
何の花だったか思い出す前に、メリーが言った。
「蓮子は私の博物館に飾られている。だからずっとずっと私の物なのよ」
夏の日差しで脱色された薄色のメリーを見ていると、まるで夢を見ている様な気がしてきた。
全然関係ないのですが、「々」を使わないのはこだわりなのか何かネタを仕込んでるのか
見方を変えて読み直したら、それはそれで面白かった
やっぱり少女の持つ欲望は怖い。
メリーの想像力にも感服
、現実(コチラ側)には少女も巫女も妖怪も何処にも居無い、唯々夢見る。
不毛? 非生産的? 真坂!!!
少女達のちゅっちゅ、其の毒はどんなキスよりも精神を蕩かし糖蜜よりも尚甘い。
久しぶりに読んだが面白かった