Coolier - 新生・東方創想話

土蜘蛛の糸

2014/07/20 21:56:00
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 小さな洞穴の入り口で、一人の青年がしゃがみ込んでいた。
 どうやら、壊れた荷車の修繕を行っているらしい。
 その作業に手間取っている焦りからか、青年の顔色は悪い。
 積荷であった丸太は全て洞穴に入ってすぐの所に積まれているが、それは元からここに運ぶ予定の物だった。
 目的地で壊れたのは不幸中の幸いと言えたが、異界に通じている等と言われている洞穴での立ち往生は、青年にとって気分の良いものでは無い。
 彼の村でも、積荷を引き渡して、代金を回収した後は、すぐに立ち去るように決められていた。
 長居をしていると、地獄の住民に積荷と一緒に連れて行かれる。子供を叱る際の脅し文句のようなそれを、青年を含む村の面々は、真剣に信じていた。
 なぜなら、彼らは妖怪や物の怪の類が実在するのを知っているから。
 彼らの村は、幻想郷の中心から大きく外れ、地図にも載っていない。
 どこぞの賢者が、何かがこの洞穴の奥に棲む際に提示した条件に対応する為、当時困窮していた自分達の祖先に対価を払い、あてがった。と、言われている。
 それが、ここの洞穴に木材を運ぶ仕事だった。
 定期的に木材を運び込み、どこの誰が置いているのかも分からない代金、鉱石等を持ち帰る。
 青年の村はそれらを直接加工したり、他の里などに売り払う事で、生計を立てていた。
 この奥に何が棲んでいるのかは、今では知っている者は居ない。幻想郷の覇権に敗れた連中が棲んでいるとか、鬼が棲んでいるとか、地獄の住民が棲んでいるとか、言い伝えも様々で、今生活する彼らには知りようもなく、また、わざわざ危険なところを調べようとする者も居なかった。
 とりあえず、木材を運び込めば、相場よりも多くの対価が支払われる。彼らにとってはそれで十分であった。
 だが、いつもなら四、五人で手早く作業を終わらせる所、今日は二人しか人足を用意出来なかった。
 近頃流行り出した疫病が原因で、元々少なかった働き手がばたばたと倒れてしまった為だ。
 二人で何とか作業を行い、もう一人は回収した代金でもって、里の医者へ薬の買出しに向かわせた。
 納入出来た量も少なく、次の収入は激減するだろう。生活は厳しくなるが、このまま全滅してしまうのは避けたい。
 戻ってしなくてはならない仕事も山積みであるのに、納入直後に荷車が壊れてしまったのは、間が悪いとしか言いようが無い。
 故障自体は、車輪が外れただけなのだが、一人で行うのは少々厳しく、作業は難航していた。
「くそっ」
 青年は何度目かの悪態を吐き、額から流れる汗をぬぐった。
「手伝おうか?」
「あ、ああ、たの……」
 不意に背後から掛けられた声に返事をしかけ、体を硬直させる。
 青年は今、洞穴に背を向けている。そして、いくら集中していたとしても、横を人が通ったなら、気づかないはずが無い。
 なら、今、青年の背後から声をかけた人物は、どこから現れたのか?
 普通に考えれば、解は一つしかなかった。
 洞穴の、中。
 奥に入り込むのは村での禁忌。そもそも今の声に聞き覚えが無い。
 では、余所者か? 村を通らずにこの洞穴に来る道はない。
「たった一人でそれを直すのは難儀だろう?」
 気さくに、そしてこちらを心配するような調子で掛けられた。娘の声。
 青年はその声を怖いとは思えなかった。
 だが、背後に居る者が、自分達人間とは違う何かであるのは明白だ。
 青年は身じろぎ一つできず、ただ、静かに相手の出方を窺う。
「遠慮するこたぁないよ。何もそれくらいで取って食おうなんておもっちゃいないさ」
 不意に耳元で聞こえた声に、ビクリと体を震わせる。
 背後から物音の類は聞こえなかった。何の音も気配も出さず、声の主は青年の耳元まで近づいてきていた。
 眼だけで声の方を窺うと、そこにはにっこりと微笑むあどけなさの残る少女の顔があった。
(金髪の妖怪……?)
 青年が真っ先に連想したのは、他の里で噂に聞いた、人食い妖怪だった。
 金髪で、リボンをつけていて、朗らかな笑みを浮かべながら、嬉々として人を食らう。少女の姿をした妖怪。
 恐怖から動けなくなった青年の様子に、彼女は小さく肩をすくめ、荷車を片手で掴んだ。
「よっと、ほら、支えといてやるから」
 小柄な姿に似つかわしくない膂力で、軽々と荷車を支える少女。
 促されるまま、車輪を当てはめ、簡易な修繕を施すと、彼女は満足げな笑みを浮かべ、ゆっくりと荷車を下ろす。
 軽く動かしてみて、不調が改善された事を示し、再び少女は微笑を見せる。
「いつもご苦労だね。今日は人が少ないみたいだけど、何かあったのかい?」
 愛嬌のある仕草で首を傾げてみせる少女に対し、青年は逡巡の後、口を開いた。
「……流行り病で、働き手がいねぇんだ」
「ふむ。そいつぁ大変だ」
 青年の言葉に対し、視線を彷徨わせ何がしかを考え込む少女。
 青年はこの場を離れたい一心で、荷車を掴み、小さく頭を下げる。
「手伝ってくれてありがとよ。仕事もあるから俺は――」
「ああ、ちょっと待ちな」
 青年が矢継ぎ早に別れの言葉を切り出そうとするのを遮り、静かに青年の前に回りこむ。
「その病。ただの町医者程度じゃ手に余るだろう」
 突飛な事を言われ、目を瞬かせる青年。
「診てもないのに、何を言うんだ?」
「診てるさ。あんた、かかってるよ」
 少女の言葉に、どきりとする。彼は確かにこのところ、寝覚めが悪く、倦怠感を感じていた。
 働き手不足による忙しさのせいかと思っていたが、自分も感染していたとしても、おかしくは無い。
「あんたらはしっかり働いてくれてる。村が無くなると、私らも困るんだよね」
「そりゃどうも」
 青年が苦笑を浮かべる。そう思うなら、さっさと帰らせて欲しいと考えていた。
「だから――」
 青年の目が驚きに見開かれる。
 無造作に差し出された少女の腕が、自分の鳩尾に突き刺さっていた。
 出血は無く、また、痛みも無かった。
 しかし、その日常ありえない光景が、目の錯覚などではない事を、腹の中を蠢く何かの感触が物語っている。
「治してやるよ」
 少女は不敵な笑みを浮かべ、腹の中で何かを掴んだ。
 ずるり、と、何かが這い出していく感覚。
 少女の手には、血の一滴もついていなかったが、指先に赤黒い何かが摘まれている。
 ぎゅっと握り込むと、それは手品のように消えてしまい、先ほどの異常な光景の痕跡は、何も残らなかった。
 腹も、服を含め、傷一つ残っていない。
 困惑し、目を白黒させている青年に、彼女は愉快そうに唇の端を歪めた。
「さっきも言ったろ。こんな事で取って食ったりはしないって」
 言葉が出ない青年に、彼女は背を向けて歩き出し、もう一度声をかけた。
「ああ、明日、この時間に他の村の者を連れて来るといい。黒谷って呼んでくれりゃ、出てくるよ」
 呆然としている青年を置いて、彼女は闇の中に消えていった。


「随分と親切にするじゃない? ヤマメ」
 闇の中で掛けられた声に、少女――ヤマメは苦笑を浮かべる。
「ほっといたら全滅しちまう。そうなったら困るのは私らだからね」
「キスメは拗ねてるわよ。もう少しのところを邪魔されたってね」
「後でお詫びに酒でも持っていくさ、それより、下げといた木材が見当たらないんだけど」
「あれは勇儀が持っていったわよ」
「おいおい。まさか全部じゃないだろうね?」
「全部よ。あのでかい地霊殿の拡張工事なんて妬ましいわ」
「勘弁しとくれよ。なんで放っといたのさ、パルスィ」
 呼びかけると、緑色の炎がぼうっと浮き上がり、金髪緑眼の少女の姿が現れる。
「あんた達がどういう取り決めなのか、何て私が把握してる訳無いじゃない」
「材料が無いとあんたの橋の補修工事が出来ないんだけどねぇ」
「うちが後回しになるって言うの? ますます妬ましいわね」
 眉根を寄せて不快そうに睨みつけると、ヤマメは肩を竦めた。
「まあ、今回少なかったから、連中に追加を発注しとくさ」
「楽観的ね」
「今回分だけの代金だと、連中の生活も厳しいだろうし、多少は無理をしてくれると思うけどねぇ」
「まあ、それはどうでもいいわ」
 髪をかき上げ、興味なさそうに嘆息するパルスィに、ヤマメが唇を尖らせる。
「酷い言い草だ。木材ばっかりは地上からの供給頼りだから、死活問題だろうに」
「野菜みたいに育てればいいじゃない」
「お天道様が無いとまっすぐに育っちゃくれないよ。あんたの性格みたいにね」
「はっきり言うわね。妬ましいわ」
「それより、他に何か言いたい事でもあったんじゃないのかい?」
「ああ、単に地上の人間と仲良く会話してたのを妬んでやろうと思っただけよ」
「またそれかい? まあ、好きにやっとくれ」
「器の大きさでも示したつもり?」
「いんや、あんたのらいふわーくってやつだろう? それをわざわざ否定なんてしないだけさ」
 あけすけな態度に、パルスィは深く嘆息する。
「はぁ。興が削がれたわ。じゃあね」
「やれやれ、面倒くさいやつだねぇ」
 返事をする暇も無く姿を消したパルスィに、ヤマメも苦笑を浮かべて嘆息した。


 翌日、ヤマメが洞窟の出口付近へ向かうと、青年からの呼び声が聞こえた。
「待たせたかい? って、おや?」
 地上との境目、洞窟の中に入ってすぐの場所には、青年と老人二人、そして、少年一人しか居なかった。
「随分少ないねぇ」
「得体の知れない妖怪が治してくれる。なんて話。誰も信じないからな」
 老人の歯に衣着せぬ言葉に、ヤマメが苦笑を浮かべる。
「なるほど。そりゃもっともだ。で、実験台に一家だけで来たってところかい?」
「ああ、大体そんなところだな」
「しょうがないねぇ。もう何日かは来てやるよ。ただ、ちょいと条件がある」
「何だ?」
 物怖じしない老人にヤマメは内心で感心する。
(いやいや、中々気骨があっていいねぇ。酒の相手には悪く無さそうだ)
「大した話じゃないよ。こないだの量じゃやっぱり足りなくてね。いつもの量に足りない分だけでも納めて欲しいんだ」
「働き手が用意出来ればそうかからん。ちゃんと治してくれるならな」
「それなら安心だ。ああ、それと――」
 一旦言葉を切って、並ぶ一家の顔を見回す。
「私が治すのは、あんたらの村の人間だけだ。余所者を連れてきちゃいけないよ?」
「分かった」
「交渉成立。と、じゃあ、はじめるよ」
 再び一家の面々を見回してから、ぐったりと座り込んでいた少年に歩み寄り、地に横たわらせる。
「待て、まずはワシからだ」
「落ち着きなよ爺さん。心配なのはわかるけど、この子が一番危ないってのは、あんたが見ても分かるだろう?」
「それは……」
 まだ何か言い足りなさそうな様子の老人に構わず、少年の腹に手を入れる。
「うぐっ」
 少年が苦しげな呻きを挙げるが、頓着せずに腹の中を攫う。
(よくもまあ肥え太ったもんだ。けど、お前達にこいつらを食わせてやるわけにゃいかないねぇ)
 掌に病魔を集め、しっかりと捕まえる。
 引っ張り出した塊は、昨日より遥かに大きく、どす黒かった。
 洞穴の入り口から入り込む微かな陽の光を映し、光沢を放つそれを見て、老人は息を呑んだ。
「さて、次はあんただね」
 前と同じように手に握り込み、いずこかに消し去って、老人に歩み寄る。
「大丈夫。痛くはしないさ。気分は悪くなるかもしれないけどね」
 笑いかけ、同じように老人と、その妻にも処置をする。
「さあ終わった。これで三日も寝てれば元通りさ」
 不安そうな表情の青年と、不思議そうにこちらを見つめる老人。
 その眼差しを受け、困ったように頬を掻き、ふと思い出して懐を探る。
「まだ不安だろう? 一度に村の者が全員来れば不要だったんだけど、これはちょっとしたおまけさ」
 差し出した小指のつめ程の白い玉。飴玉のようなそれを、老人に手渡す。
「こいつを飲んでおきな。そうすれば、しばらく感染は防げるはずさ」
 老人が躊躇しているのを見て、懐から水筒を差し出す。
「不安なら飲まなくても良いけどね。でも、同じ人間を何度も治したりはしないよ」
 まだ悩む老人から、そっとその玉を取り、老婆が飲み干した。
「お、お前……」
 驚く老人をよそに、老婆が深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。黒谷様」
「よしとくれ、前も言ったけど、あんた達がいなくなったら私らが困るんだ。別に善意でやってるわけじゃないんだしね」
 居心地悪そうに笑い、くるりと背を向ける。
「そうだねぇ。二週間くらいはこの時間に来るよ。それまでに村の者を連れてきな」
 返事を聞かず、そのまま洞穴の奥、地の底へと戻ると、一家はしばらく沈黙した後、深々と頭を下げて去っていった。


「大盤振る舞いね。妬ましいわ」
「あんたも暇だねぇ」
 やれやれ、と言った風情で、声の主へ振り返る。
 先ほど通り過ぎた岩壁へパルスィはもたれかかりながら、どこか不機嫌そうにこちらを眺めていた。
「病気ってのは治ったからってすぐ元気になるもんじゃないさ。弱ってる間に他に罹ると面倒だろう?」
「随分親切にしてやるじゃない? そんなに気に入ったの?」
「まあ、あの爺さんは気骨も覚悟もあって中々良いね。食っても不味そうだけどさ」
「ふぅん。嘘でも無さそうね」
 じっとりと半眼で睨めつけてくるパルスィ。
 ヤマメは彼女が言いたい事を察し、肩を竦めた。
「私もあんたも、そこそこ長生きはしてるだろう。その杞憂は分かるさ、だから言うけど、心配は無用だよ」
「へぇ。信頼してるとでも?」
「意地悪だねぇ」
「ふん。冗談よ。ただ、つまらないわね」
「そうかい? 問題なく終わった方が良いと思うけど」
「もしそうなら、あなたはちょっとした土着神にでもなれるかもしれないわね」
「そういうのは勘弁して欲しいね。ま、祟り神ならなってもいいけど」
「せいぜい気をつける事ね。どこぞの昔話みたいに退治されないように」
 それだけ言い残し、ふっと掻き消えるようにパルスィは姿を消した。
「いらぬ気遣いさ。他者の心配なんてするもんじゃないよ」
 静かに言い放って、ヤマメも自分の巣へと戻った。


 それから数日、緩やかにヤマメの元へ治療を希望する者が増え、一週間ほど経つと、訪れる者は途絶えた。
 九日目ほどの頃、送り届けられた木材は、希望していた分より多く、ヤマメはようやく仕事が出来る。と、パルスィの橋で補修作業に取り掛かった。
「相変わらず手際がいいわね。妬ましいわ」
「手早く仕上げた方があんたも良いだろう?」
 パルスィの足元、橋の裏から答えるヤマメが、自身の糸で木材を固定し、細かな加工を施す。
「それは否定しないわ。それにしても……大人気ね」
 予備の木材と一緒に置いてある雑多な品物に視線を送り、目を細めるパルスィ。
「まあ、貰えるもんは貰っといていいだろう。完工したら一緒に一杯やろうじゃないか」
「気前がいいのね。妬ましいわ」
 病気の治療の礼に、と村人達が差し出してきた品々、農作物や酒類は、地底の品と比べると上等な出来栄えだった。
「本当に土着神でもやるつもり? 下っ端の神よりも信仰されてそうよ。あなた」
「まさか、人間は追い詰められた時に助けてくれる相手を、一時的にこうやって崇めるもんさ。どうせ喉元過ぎれば熱さを忘れるよ」
「そうかしらねぇ」
 曖昧な相槌を打ちながら、パルスィは欄干に肘をつき、川の流れに目を落とす。
「そもそも、あの村の人間の数は少なすぎるよ」
「確かに、あの規模ではせいぜい妖怪数匹創るのが関の山でしょうね。神を創るほどの想いは集まらないわ」
「そうそう。だから気にするこたぁ無いって、さ、どいたどいた」
 橋の上に姿を現し、ヤマメがひび割れた敷石を剥がし始める。
「邪険に扱って、妬ましいわね」
「橋姫にとっちゃ、橋は顔みたいなもんだろう? それの手入れなんだから多目に見ておくれ」
「ふん。しっかりやんなさいよ」
「分かってるさ。この手の仕事なら、鬼より綺麗に仕上げてやるよ」


 そして村の者と約束した、2週間が迫った頃。
 ヤマメは請け負ったパルスィの橋の修繕を終え、手持ち無沙汰な様子で洞穴の入り口で杯を傾けていた。
 先の修繕作業のような、立体的で危険な仕事というのは、それほど多くあるものではない。
 普通に家を建てるような仕事なら、鬼の方が単純に力も強いし、完成も早い。
 その為、飲み代の捻出は、村からの木材を仲介する事によって得ていた。
 予定より多くの木材が手に入った事だし、後でキスメに新しい桶でも用意してやるか。
 等と考えながら、村の連中から差し入れられた酒を呷っていると、不意に呼び声が聞こえた。
(んん? まだ病人が居たかねぇ?)
 面倒に思いながらも、約束した手前、仕方なく腰を上げ、その声の主の前に姿を現す。
「――様。黒谷様」
 必死な様子で呼びかけていたのは、最初に治した青年だった。
「なんだい? そんな繰り返さなくても聞こえてるよ」
「ああ、良かった。もう一人、もう一人だけ治して欲しい者が居るんです」
 随分と畏まった様子の青年にヤマメは小さく眉根を寄せる。
「ふぅん。まあいいけど、約束は覚えているよね?」
「はい。もちろんです。よろしくお願いします」
 平伏する青年に、ヤマメは嘆息してから、かがみ込んで青年と目線を合わせた。
「いいよ。連れて来な。今日で最後だしね」
「ありがとうございます。ほらっ、こっちへ」
 青年が呼びかけると、洞窟の入り口から、一人の娘が手に酒瓶を抱えて静かに歩いてくる。
 菖蒲の匂いを纏った娘は、酒瓶をヤマメの足元に差し出し、そっと頭を下げた。
 心配そうな様子で娘を見守る青年。確かに娘の顔色は悪く、同じ病気であるのは明らかだ。
「今日で最後だ。もう他に病人は居ないんだね?」
「はい。この者で最後でございます」
「そうかい。娘さん。難儀しただろう?」
「……はい」
 弱々しく答える娘は、病人特有の線の細さと、儚げな色香を漂わせている。
 気遣わしげにその背を撫でている青年との仲も良さそうだ。
「二人とも、そんなに心配そうな顔をしなさんな。これまで私が約束を違えた事があったかい?」
「す、すみません」
 萎縮する青年の肩をぽんぽんと叩いてやり、ヤマメはにっこりと微笑みかける。
「さて、でははじめるよ。良いかい?」
「お願いします」
 青年に続いて、娘も同様の返事を返した事に、ヤマメは深く頷いて、その手を娘の腹に刺した。
「あっ……」
 小さく呻き、体を震わせる娘。
 その中をまさぐりながら、ヤマメは静かに青年を見つめた。
「さっき聞いたけど、約束は覚えているね?」
「は、はい」
「じゃあ、聞くけど、私は何て言った?」
「む、村の者以外を連れて来てはいけない」
 明らかに怯えた様子の青年。ヤマメは微笑を浮かべ、手を引き抜いた。
「じゃあ、分かってるね?」
 匂いが違う。
 菖蒲の匂いなんかで誤魔化そうとしていたようだが、村の者とは明らかに違う匂いを、この娘は持っている。
「ひっ」
 妖しく輝くヤマメの瞳に、青年は腰を抜かしてへたり込んだ。
「一応聞いてやろうか。何に目が眩んだ? 色かい? 金かい?」
「ち、ちが……」
「同情かい? それとも、何かつまらない賭けでもしたのかい?」
 蒼白になる青年の隣で、娘は声をあげる事も無く、白い何かに包まれていく。
「そんな気軽に約束を違えられるのは、困るんだよねぇ」
 手の中のそれを弄びながら、悪戯小僧に呆れたように苦笑するヤマメ。
 彼女の表情に怒りが無い事に困惑していた青年だったが、その手に何を掴んでいるのかを見て、声も無く目を見開いた。
「私は仏様でも神様でもない。ただの妖怪さ。だから、嘘吐きにはそれなりの対処をさせてもらう」
 手の中にある青色をしたナスのような形のそれを、青年の目の前でぎゅっと握りつぶす。
 そこから滴る何がしかの液体が、娘に降り注いだ。
「ひぃっ」
 弾かれるように立ち上がり、地上に向かって駆け出した青年。
 その後姿に、ヤマメが酷薄な笑みを浮かべる。
「どこに行くんだい?」
 地上まであと数歩、というところで、青年が足をもつれさせるように倒れ込む。
 もぞもぞともがくその姿は、大きさこそ変われど、小さな羽虫を捕らえた時と大差は無い。
「大丈夫。今潰したのは、ただの胆嚢さ。それで死んだりなんかしない」
 軽くヤマメが手招きすると、青年は何かに弾かれたように地面を転がり、再び娘の隣に戻される。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
「残念だけど遅いねぇ。最初に謝ってくれりゃ、多少は斟酌してやったんだけど」
 ぼやきながら青年と娘の横を通り、地上近くまで足を進める。
「おい! そこに居るだろう!? こいつは約束を破った! 罰として連れて行く! 村の者に伝えろ! 禁を犯す者は許さないと!」
 誰に話しかけているのか分からず、青年が外に視線を送ると、草むらから自分の弟が飛び出し、村に駆け下りていく姿が見えた。
「あんたが最初に連れてきた坊主、元気になってたねぇ」
 暢気な調子で笑いながら、青年の眼前までゆっくり戻るヤマメ。
 何とか逃げ出そうと試みるも、体はピクリとも動かなかった。
「無駄だよ。前にあんたが飲んだのは、私の卵だからね。約束の期日が過ぎれば、綺麗に無くなるはずだった。ギリギリだったから、消えかけていたけど、まあ、あんたの動きを封じるくらいならわけは無い」
「ゆ、許してくれ」
 青年の懇願には答えず、娘と同様に、白い何かを幾重にも巻きつけ、拘束していく。
 やがて、白い糸玉が二つ出来上がるとヤマメは満足げな笑みを浮かべた。
「さて、キスメにもおすそ分けしてやるかねぇ」
 くつくつと喉の奥で笑い、二つの糸玉を引き摺って洞窟の奥へと向かうヤマメ。
「えらく楽しそうね。妬ましいわ」
「今夜はご馳走だからね。そりゃ機嫌も良くなるさ。良かったら一緒にやるかい?」
「ふん。結構よ」
 つまらなそうに鼻を鳴らすパルスィに、ヤマメはにこやかに笑う。
「そうそう。あんたの懸念してた通りだったけど、何か不満かい?」
「いいえ、むしろ安心したわ」
「そうかい。そりゃ何よりだ。あんたも私と同じ感想みたいだね」
「そうみたいね。後で一応地霊殿には伝えときなさいよ」
「分かってるさ、面倒なのは任せるに限る」
「ならいいわ」
 すっと姿を消すパルスィに気を損ねた様子も無く、ヤマメは鼻唄を歌いながら巣穴へと戻った。
やま(め)怖風にしたかった
描写能力が足りませんね

ご愛読ありがとうございました
ヤマメちゃんの今後の活躍にご期待下さい
鳴海ナルミ
http://twitter.com/narumix2
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コメント



0.490簡易評価
1.90絶望を司る程度の能力削除
約束は、守りましょう......。不気味さがしますね。妖怪らしいヤマメだったと思います。
2.70名前が無い程度の能力削除
妖怪相手で約束破ったらどうなるのかなんて火を見るより明らかだろうに、なんで嘘ついたん?と言う困惑の念が強い
3.80奇声を発する程度の能力削除
らしさがありました
4.80名前が無い程度の能力削除
なるべくして、という感じですね。
7.100名前が無い程度の能力削除
これはいいヤマメ
みんなのアイドルヤマメちゃん(笑)でもあり妖怪土蜘蛛ぽくもありいい感じでバランス取れてると思います
11.90名前が無い程度の能力削除
土蜘蛛の糸は、たった1人余分に乗っかっただけでぷっつりいきますか
12.90名前が無い程度の能力削除
ヤマメちゃんマジ土蜘蛛
しかし、有名な某小説のおかげでオチの想像がついてしまいました
青年が「この娘は出身こそ違うが、嫁に取ったので村の一員同然だ!」と抵抗する等、何かしら捻りが欲しかったです
18.無評価名前が無い程度の能力削除
いいね。
すごくいい。
妖怪はこうでなくては。
19.80名前が無い程度の能力削除
いいね。
すごくいい。
妖怪はこうでなくては。