「ありがとう! 大好き!」
『こいつお金はあるんだけど詰まらないんだよねぇ。別れようかな』
「しょうがねぇなぁ。奥さんには贔屓にしてもらってるし、他所には内緒だよ」
『このババア毎度値切ってきてしつけぇんだよなぁ』
「爺さんはやっぱ話がうめぇよな」
『クソ爺が、何回おんなじ話すれば気が済むんだ』
「おたくが羨ましいぜ。うちの坊主は馬鹿でしかたねぇ」
『まあ、てめぇんとこのガキみてぇに貧弱で不細工じゃねえがよ』
やはり人間というものは相変わらずなようだ。
こいしが在籍しているという寺へ向かう道中、手土産の一つでも買っていくかと立ち寄った人里、そこいらから聞こえてくる喧騒と、その内心の格差に、飽き飽きとした気分になる。
この格差を全て暴露してみせれば、さして時間をかけずとも、この里は散り散りになっていくだろう。
まあ、そんな事は地底に篭る前に散々やってきたし、自分も地底に篭っている間に考え方も多少変わった。
人間とは、こういう矛盾を抱えているものだ。彼らはこうやって本心と外面の折り合いをつけ、日々の暮らしが円滑に進むように取り繕っている。
かつては自分も嫌悪したものだが、今となっては面白みすら感じているくらいだ。
純真であったこいしが目を閉ざしてしまった事を考えると、自分は少々汚れているのかもしれない。
そんな自嘲をしつつ、そこそこ盛況そうな菓子屋に足を踏み入れた。
「おや、お嬢ちゃん。お使いかい? それともおやつかい?」
「いえ、ちょっと土産を買いに」
「へぇ。えらいねぇ。何が必要なんだ?」
『賢そうだし、良いとこの子かねぇ』
人のよさそうな店主の悪意の無い感想を無意識に読み取り、内心で苦笑する。
まあ、このような感想を抱かれるのは日常茶飯時だし、取り立てて腹を立てるほどの事でもない。
「そうですね。無難に羊羹を、三棹ほど」
「あいよ。ちょっと待ってな」
シンプルな普通の羊羹を指差すと、店主はそれを手早く梱包し、その上に小さな袋を乗せた。
「これはオマケだ。贔屓にしてくれよな」
「ありがとうございます」
子供が好きそうな色とりどりの金平糖。まあ、勘違いとは言え、折角の好意だし、無碍にする事も無い。
勘定を済ませ、店を後にする。
「……ふぅ」
やはり、外の方が喧しい。主に、心の声が。
特に口にはとても出せぬような悪態などが、絶え間なく聞こえて来るのは、のんびり観察している時でなければ鬱陶しいものだ。
「私用の散策は後にしようかしら」
本屋なども見ておきたかったが、さっさと主目的を果たし、帰りの際にでも覗いた方が、色々と気楽だろう。まあ、立ち寄るのは手間ではあるが。
寺の方の評判は悪くないようだが、自分としてはおそらくあまり好かない場所であるだろうし。
そんな事を考えながら里のはずれまで足を進めた辺りで、背後から肩を捕まれた。
「そこの君、一人でどうした? 子供一人で里の外に行くのは危険だぞ」
片目を瞑り、嘆息する。どうやら背後の女性は、義務感や親切心といったもので声をかけたらしい。こういう手合いが一番面倒だ。
「少し、寺に用事がありまして」
「あの妖怪寺か? あそこは確かに信用出来るだろうが、道中何かに出遭うとも限らない。親御さんはどうした?」
振り向きもせずに答える自分の態度を気にした様子もなく、代わらず心配そうに質問を重ねてくる。
振り切ってしまおうかとも考えたが、この人物、女性にしては力が強く、そして、相手に不快感を与えぬよう意識している。おそらく子供慣れしているのだろう、そういう突飛な行動は子供の方が得意だし。
「親の記憶などありません」
「む、そうか。では、私が付き添ってやろう。道すがらにでも寺に行く理由等を教えてもらえないか?」
子供相手への対応としてはほぼ完璧だろう。親の事を知らない・言いたくないような相手に、そこにほぼ触れずに接する事で、嫌われる事なく、ゆっくりと信用を勝ち取る。孤児院か何かでも運営しているのだろうか?
まあ、それはともかくとして、正直面倒なのでさっさと離して欲しい。一人でのんびり向かう方が楽だし、第三者が居る場所で込み入った話なども難しい。
さっさと妖怪である事を明かしても良いが、折角本屋の目星をつけておいたのに、そうするともうここには来れなくなってしまうだろう。
逡巡していると、正面から見知らぬ白髪の女性が手を振りながらこちらに歩いてきた。
「おーい。慧音。おまたせ」
こちらに、というか、こちらの背後にいる女性の知人らしい。
「ん? 何してるの?」
「ああ、妹紅。この子が一人で里を出ようとしていてな」
「ほう。お嬢ちゃん。外はこわーい妖怪がいっぱいいるから危ないよ」
面倒な相手が増えた、人のフリをして逃げ出すには、体格差から言って厳しい。背後の人物、慧音と言ったか、そちらも油断なく自分の肩を掴んだままだし。
「それで、あの命蓮寺まで行きたいそうだから、連れて行ってやろうかと思ってな」
「ふぅん。相変わらずね。まあ、いいよ。どうせ暇だし」
「悪いな。買い物に付き合う予定だったのに」
「良いって良いって、どうせ時間はいっぱいあるし、後で甘味でも奢ってよ」
「それくらいならお安いご用さ」
自分の意見は完全に放置したまま、二人でとんとん拍子で話が決まっていく。両名とも善意な辺り、対応が難しい。
悪意や自己満足といった感情からなら、再起不能にするのもやぶさかではないが、善意によるものは、出来ればあまり害を与えたくは無い。
自分は今、地底から出てきている立場である故、悪戯に人間を脅かす訳にはいかない。それと、こいしがいつか眼を開いた時に、多少なりとも善意から気遣いを行える者が増えている方が良いだろう。
「よし、じゃあ、いくか」
考え込んでいる間に、いつの間にかだいぶ話が進んでいたらしい。気づけば妹紅と慧音に、両の手を捕まれていた。
なんだろうこの光景は、まるで自分が父母に連れられている子供ではないか。
そんな事を考えていると、不意に自分の名を呼ばれた。
「――さとり――」
「っ!?」
驚きに視線を向けると、妹紅はこちらを見て不思議そうに首を傾げた後、慧音としていたと思われる会話を再開した。
「何百年生きたって、悟りなんて開けなかったけどね」
「妹紅は仏門の修行をしていた訳でもないだろう?」
「まあ、そうだけどね、ずっと妖怪相手に切った張ったさ」
「もう少し自分を労わるようにしろ。いくら――」
「死なないといっても、よね。はいはい。分かってる」
どうやら、自分のことではなかったらしい。
しかしそれよりも、気になる言葉があった。
『何百年生きた』『死なない』
このワードは、人間の物ではない。では、妖怪なのか? 正直、両名からは人間の臭いしか嗅ぎ取れてなかったのだが……。
幸い、連れられている間に、人里からはそれなりに離れる事が出来た。他の人間達の心の声が届くような距離ではない。雑音なく、この両名の心を覗く事は可能だろう。
「まったく、決闘も良いが、毎度毎度ぼろぼろになっているのを見ては、こっちは生きた心地がしないよ」
「それはごめん。けど、それが生きがいみたいなもんだから」
話題の主である妹紅ではなく、慧音の心を覗いてみる。
当人より、小言を言っている相手の方が具体的に読み取れるだろう。という判断だ。
(へぇ。それは驚きね)
死なない人間、蓬莱人とか言うらしいが、そんなものが存在していたとは。
慧音は、死に慣れた妹紅が、自分の命を粗末に扱う事をとても悲しく思っているらしい、いくらでも蘇生出来ると言っても、痛みは痛みであり、それを繰り返すほど、妹紅が人間と蓬莱人との違いを強く認識してしまうのではないかと懸念している。
苦笑を浮かべつつ忠言を受け流す妹紅は妹紅で、痛みを感じる事で生きている。自分が存在していると意識の底の方で考えている節がある。おそらく慧音の忠告が聞き入れられる事はほぼ無いだろう。
「まあ、慧音が生きてる間はなるべく控えるよ」
「その言い方はずるいぞ。私が居なくても控えてくれ」
「長生きすればいいじゃない。千年くらい」
話題の主が移った。再び二人の心をじっくり読み取る。
妹紅の方は、それほど深く考えて喋ってないらしく、仔細までは読み取れなかった。だが、慧音の寿命はせいぜい数百年。といった事だけは読み取れた、どうやら、慧音の方もただの人間ではないらしい。
「……なら、必死に隠す必要は無かったかしら」
「ん? 何か話してくれる気になったのか?」
安堵混じりに漏れでた独り言を慧音は敏感に察知し、こちらを覗きこみながら笑顔を向けて来る。
「これまでのお二人の気遣い、痛み入ります。真に申し訳ないのですが、私は妖怪ですので、その親切は不要なのです」
言い終える頃には、妹紅は既に自分から飛び退き、身構えていた。
慧音も姿勢こそ変えていないが、いつでも反応できるように意識を尖らせている。
まあ、それもそうだろう。何せ、今までずっと抑えていた臭いを隠すのをやめたのだから。
「慧音。そいつから離れて、そいつ、多分ヤバイ」
微妙に断言しなかったのは、おそらく自分が敵意を放っていなかったから、まあ、そもそも敵意など無いのだが、妖怪相手に荒事をしていた身の妹紅は、この臭いの正体にすぐ気づいたらしい。
だが、慧音は警戒こそすれ、この臭いの正体には気づいていない。
「しかし妹紅。妖怪だからと言って、そこまで距離を取る必要は――」
「そいつが纏ってる臭い。人間の死臭と怨霊の臭いよ」
「っ!?」
妹紅の指摘に、慧音も思わず半歩下がり、身を硬くした。
こう囲まれて警戒されるのは久しぶりであり、微妙に嬉しくもある。地底から地上に出る際、こういう対応くらいはされて当然と思っていたのに、肩透かしをずっと食らっていたのだ。やはりこれくらいの緊張はあるべきだろう。
おっと、そんな事で満足している場合ではなかった。とりあえず、臭いの理由について説明しておかねばなるまい。
「大丈夫ですよ。別に人間や貴女方に害を加えるつもりはありません。それと――」
「信用出来ると思ってんの? そんな染み付いた臭いを発してるヤツの言葉で」
まあ、それはそうだろう。彼女らに心を読む事など出来ないのだから。
「最後まで聞いて下さい。この臭いの原因ですが、死体については、ペットの火車と、後、妹の趣味のインテリアが主な原因です」
自分が原因のものも無くは無いだろうが、どちらかというと自室に死体を飾る趣味は無い。何より蝿や蛆が沸くのが鬱陶しいし、本棚もダメになってしまう。妹と違い常駐する自分はどちらかというと実用性の方が大事だ。
「そりゃ素敵な妹さんだ。まったく安心できないけどね」
「でしょうね。それと、怨霊の臭いですが、私は地霊殿――旧地獄に住んでいますので、どちらかというとそれらを管理する方の立場なのですよ」
自分の言葉を耳に入れつつも、警戒を解かない妹紅。良く考えなくても、矛を収めて貰える様な説明ではなかった。
「地霊殿?」
慧音の方は事情通らしく、どうやら自分が何者かなのかを察してくれたらしい。
「知っているの? 慧音」
「確か、地底の代表的な立場にある館で、そこの当主は――」
「お詳しいのですね。正解です」
衣服の下に隠していたサードアイをするりと露わにする。慧音が緊張を高めて発した言葉に、妹紅の警戒は逆に緩んだ。まあ、慧音の高めた緊張も、荒事方面の警戒ではなかったが。
「代表みたいなのなら、そう無茶はしないかな」
「気をつけろ妹紅。こいつは、覚り妖怪だ」
「さとり? 仏様のアレ?」
まあ、良くある勘違いだ。日本語と言うものは難しい。
「違う。覚り妖怪は、人の心を読む妖怪だ」
「え? そうなの? 珍しいわね」
完全に毒気の抜けた様子の妹紅に、慧音は複雑そうな表情を浮かべ、こちらに視線を向ける。
「地底のトップが地上に何しに現れた? 地底と地上の取り決めを忘れた訳ではあるまい?」
別に地底を自分が完全に掌握している訳ではないのだが……。まあ、この様子では彼女はそれほど地位がある訳でも無さそうだし、指摘しなくても構わないだろうか。
「こちらの管理者には許可を得ています。先ほども答えましたけれど、寺に行くつもりです」
手土産用の羊羹を掲げ、慧音に見せながら、説明する。彼女は真偽について少し考え込んでいるようだ。
「今のところ私は事実しか言っていませんよ。たとえばそう、親についての記憶が無いですとか、妖怪ですしね。ん、寺へ行く理由ですか? ええ、出家などではありません。妹が在家信者に数えられているそうですので、様子を見ておきたく思いまして」
両名が思い浮かべた疑問とジョークを言い当てて見せると、慧音は困惑を浮かべ、妹紅は暢気に笑い出した。
「おお、すごいね。本当に読めるんだ」
「ええまあ、他の芸など考えられても、妖怪としてはそんな見世物みたいに手の内を晒したりはしませんよ」
「それは残念。いや慧音、これは中々珍しい拾い物じゃない?」
「妹紅。お前は……ああもう、好きにしてくれ」
死なない故の気楽さというものだろうか、愉快げに笑う妹紅に、慧音も毒気を抜かれてしまったらしく、脱力しながら嘆息した。
「折角だし、色々聞かせてよ。地底の話とか、心の話とか、寺に着くまで」
「本当にお前は……。どうして火中の栗を拾いにいくんだ」
「だって楽しそうだしさぁ」
慧音の言は的確だ。妹紅は、自分が死んでも無限に蘇生出来るが故、どれほど危険な栗であっても、致命傷となる事など無いと楽観している。
そして彼女は、長く生きた分、未知を知る機会を好んでいる。
何千年生きようと、眼が見えぬ者に空の色が分からぬように、他の者に、他者の心を正確に知る事は出来ない。彼女にとって、他人の心が見えるというのは、完全に未知なるものだ。
だから、地底の話も候補に挙げているが、読心に好奇心が偏っているのは、仕方の無い事なのだろう。
なのだろうが……。
「そんな話をするほどの事もありませんよ」
「まあまあ、あなたにとっては詰まらない事かもだけど、私にとっては興味深い話なのよ。だから、拒否しても聞かせてくれるまでついていくからね?」
面倒くさい。隣で渋面を浮かべている慧音も、自分とさして変わらぬ感想を浮かべているが、妹紅はその辺りを気にした風も無い。
あまりに長生きすると他人の眼を頓着しなくなってくるものなのだろうか? いや、自分について知られるのはむしろ苦手な様子だが。
「そもそも、私が口にした事が、真実とは限りませんよ。完全にデタラメを言うかもしれませんし、主観で思いっきり湾曲させるかもしれません」
「まあ、そういう事もあるかもとは考えて、完全に鵜呑みにはしないよ。それでも酒の肴くらいにはなると思うけどね」
禅問答めいた問いもあっさりと流される。長生きしているのは伊達では無いようだ。と、内心舌を巻いた。
害意が無いというのが分かるだけに、あまり粗雑には扱えないのだが、止むを得ない。軽いやけどくらいして貰おう。
「分かりました。では、そこの慧音さんの心でもお話しましょう」
「な、なんで私なんだ!?」
白羽の矢を立てられた慧音は極めて迷惑そうだ。まあ、彼女には申し訳ないが、きっかけを作ったのは自分と諦めて欲しい。
「具体例もなしに語れる程、心と言うのはシンプルではありませんから」
「おお、ちょっと気になるなぁ。お願いするよ」
「ああもう……」
げんなりする慧音とは対照的に、妹紅は瞳を輝かせている。このような眼差しを向けられると微妙に居心地が悪い。
「まず、心を読まれるのは嫌だな。というところですね」
「そりゃ普通はそうじゃない?」
「ええ、それと、ふむ。慧音さんはとても妹紅さんを気にかけていらっしゃるようですね」
極自然に視線を妹紅に移し、そちらの読心に注力する。慧音の心など、解説する程度なら、もはや読む必要など無い。
「まあ、いつも心配させてるしなぁ」
「妹紅さんは、慧音さんにとって、非常に大切な方と考えられているようで、情の深さとしては、普通の友人相手とは比較にならない程です。同じく大切に考えておられる里と天秤にかけた場合、おそらく妹紅さんを選ばれる事でしょう。生ある限りずっと見守って生きたいといった事も考えておられます」
「そ、その辺にしてくれないか? 流石に恥ずかしいし」
慧音の制止を聞き流し、赤裸々に、その心に仕舞ってある想いを晒していく。
「危なっかしくて見ていられないという辺りが動機かと思いますが、数多の歴史に触れられる慧音さんは、妹紅さんの歩んできた歴史の重さを、妹紅さん以上に理解しています。それだけに、その苦しみや悲しみを癒す事がしたい。と、折角美しい外見もあるのだから、暗い因縁に拘らずに、居て欲しい。と考えておられます」
「あ、あはは……そうなんだ」
直球で伝えられた内容に、妹紅の顔が熟れた果実のように赤く染まる。慧音と並べてさくらんぼ二つといったところか。
「さて、妹紅さんの心ですが」
「えっ、ちょっ、ちょっと待って」
「片方だけというのは、平等では無いですので」
慌てて止めに入る妹紅ににっこりと微笑み、反論を封じる。先ほど大公開された慧音としては、妹紅の思考も気になるのと、先んじて公開させられた分、ちょっとした報復めいた考えで、制止しようという強い意思は無かった。
「長く自暴自棄な生活をしていた事もあり、慧音さんが心配してくれるのは、いい加減に返しながらも本心ではかなり嬉しいようです。まあ、世捨て人めいた生活では、他者との交流というのはやはり得がたいものもありますしね。いつも感謝してるけど、素直になれなくて申し訳ない。といった心があるようです」
「そ、そうなのか……」
「うわっうわっ、ちょっ、ほんとやめて」
両者の反応に内心でほくそ笑みながら、言葉を重ねる。
「こう見えて、実はしっかり慧音さんに言われた事とかも実践しているようですよ。まあ、その成果を慧音さんに見せてないので、のれんに腕押しに思えるかもしれませんけど、例えば、輝夜さんという方との決闘で死ぬ回数を適当なところで切り上げたり、日々の食事も凝った物にしてみたり、ちょっとリボンの数を増やしたり、ちゃんと横になって寝るようにしたりしているようです」
「ほ、ほう。そうだったのか……」
「わー! わー!」
さくらんぼ二つは熟れきった。後は収穫するだけだ。
「しかし、ちょっと気になる事があるんですよねぇ」
「「え?」」
二人、声をそろえ、こちらに注視する。お互いの反応から、これまで話した内容がデタラメでないのは、両者とも分かっている。
確かに嘘は言っていない。多少感情面について大仰に語っている部分はあるかもしれないが。
「なんと言いますか、お二人のその親愛の情なんですが、どうも、微妙に色が違うんですよ」
「色って?」
素直に疑問を口にする妹紅。慧音も気になっているのは、読むまでも無い事だった。
「そうですね。感情にも様々な、色のようなものがあります。愛情なら温かい感じのものが、侮蔑なら冷たい感じのものが。まあ、比ゆですけどね」
「それで、私と妹紅にどのような差があると?」
「感覚的な物なので、説明はし辛いのですが、感情の種類が違うのです。お互いに向けられているのは、間違いなく好意であると断言します。けれど、その種類が違う。例えば、敵意にも、相手を疎むのと、憎むのでは違いがあります。好意でも同様です」
「ふむ……」
考え込む両名。ここまで言えば、この聡明な二人には、言外の意図を解釈してくれるだろう。
しかし、まだ至らないはずだ。ここで切ってしまうと、言外を正確に察してしまう可能性すらある。もう一つ、押して行こう。
「そういえば、妹紅さんは、慧音さんが里で寺子屋を営み、子供達と接している事に、ちょっとした嫉妬がありますね」
「えっ」
「それに、日頃から里に住み、住民とも良好な関係を築けている。それに対して、不安もお持ちな様子です」
「そ、それはその~……」
人望がある事への羨望は言うまでもなく、関係が壊れる事を永続的に経験してきた彼女なら、慧音を心配する意味で、不安を抱えるのは当然だろう。
「む、むむ……」
かかった。
慧音の心を読み、思考を誘導出来た事に満足しつつ、妹紅の誘導に移る。
「まあ、先も言いましたが、慧音さんにとって、妹紅さん。貴女はとても大切な方なのです。それこそ、今の地位や人望などよりも、とても一途なものですよ」
「えう。て、照れるなぁ」
先に伝えた分だけに、事実なのは相違ない。少し強めに脚色したが、おそらくこれである程度は見込めるはずだ。
「…………」
「…………」
ちらちらとお互いを窺いあう両名。
その心は、両者とも同じ、自分は友情だと考えている。だが、ひょっとして相手は自分に恋慕の情を抱いているのではないだろうか?
視線が重なるごとに、やはりそうなのだろうか? という考えが増えていく。
まあ、そんな事は無いのだが。
そもそも、心配する側と、心配かけて感謝している側で、感情の種類が変わるのなど、当たり前の事だ。
例えるなら、群青色と瑠璃色くらいの違いであり、本当に些細な違いだが、違いは違いだ。
まあ、これでお互いちょっとギクシャクして貰っても、さして罰は当たるまい。
その間にさよならしてしまえば――おや?
「えー、あー、うん」
「うーん。ああ」
二人の思考が、ちょっと予想外の方向に転がり始め、開きかけた口を閉じた。
二人が共に出した結論は、受容。
相手を受け入れるという考え。自分に同性愛の趣味は無かったが、相手が望むなら、それを受け入れようという思いやりから出た結論。
この二人の関係を、少々見くびっていたか。それとも、半ば共依存めいたものだったか。
(しかし、こんな事で相思相愛になられても、面白く無いわね)
自分は縁結びの神や恋の天使などではないし、彼女らがめでたく交際など始めて、そのきっかけと扱われるのもあまり嬉しくない。というか、多分その関係はあまり長続きしないだろう。
「ああ、それと――」
もっと面白いものが見たい。後、ここで結論を出させてはいけない。
「妹紅さんは良く立ち寄られるヤツメウナギの屋台の店主さんとも懇意なようですが、それは慧音さんには心配みたいですよ?」
「え? いや、それは――」
心配は心配だが、元来人を襲う種類の妖怪相手に親しくしてて大丈夫なのだろうか? という心配だ。という弁明を遮る。
「妹紅さんは、護衛の仕事が無い時は、頻繁にそこの店主、夜雀ですか? 彼女の歌を聴きながら一杯やっているようで、常連みたいですね。日中も暇なときなど手伝ってあげたり、と、ん? 慧音さんよりも一緒に居る時間長くないですかね」
「そ、そうなのか? 妹紅」
「え、あ、そういわれればそうかも……」
少し前なら、安堵こそすれ、特に不安の類を覚える事は無かっただろう。だが、一度受容するつもりになり、恋慕に近しい感情になった慧音にとって、この話は嬉しいだけのものではなくなった。
「明るくて気立てが良くて、小さくて可愛い。と、随分気に入っているようですね」
「まあ、見てて飽きないところはあるかなぁ」
「むぅ……」
妙なところ素直で若干刹那的な面がある妹紅は、深く考えずに同意してしまう。そして、その分、思慮深い慧音が深読みし、生まれたばかりの些細な嫉妬心に養分を与えていく。
両方に見合った餌、というのは難しい。
これを逆にしてしまうと、おそらく今の状況では、素直に妹紅は聞いてしまう可能性が高い。
だが、出来れば両方共にこの猜疑心を育ませておきたい。
「先日、輝夜さんとの決闘後、その方に介抱された。と、相手にも気に入られているようですね」
何か良い材料は無いだろうか……?
言葉を重ねながら、思慮を続ける。
「ああ、うん。妖怪だけど、良い子だよ」
既に思考を切り替え、屋台の店主、ミスティアとかいう娘の話題に花を咲かせる妹紅。その分、慧音の方ですくすくと育つ嫉妬の芽。
この辺が限界だろう。小さな芽だが、あまり早期に育てすぎると、開き直ってばっさり普通の関係に切り替えてしまう可能性が高いし。
「それと――」
ちらりと慧音に視線を送り、言葉を切って逡巡してみせる。
「少々過ぎましたかね。人間と会話するのは久しぶりなもので、申し訳ないです。失礼しました」
「え? いや、私が言い出した事だし、構わないよ。というか、そこで切られると気になるって」
「いえ、やはり、ある程度は秘密の類は必要です。不和の火種などは、私の立場的に問題がありますし」
妹紅に向き直り、再び慧音に視線を送って、会話を切り上げる。その所作に妹紅はいかにも消化不良と言った面持ちで思考をめぐらせ始めた。
不和の火種。と言っても、誠実な彼女に、大して問題事があるわけではない。
歴史改竄の際に散々人間の嫌な歴史を見ているのに、今も人間に好意的なのは、元人間というのを差し引いても、お人好しに過ぎるくらいだ。
強いて言えば、火種と言えるのは、その嫌な歴史そのものと言えるだろう。
ぶっちゃけてしまえば、誘導出来そうな物が無かったが故の策だった。完全に嘘となる事を言えば、信用という魔力は消えてしまう。妹紅にとって、自分の言葉と慧音の言葉では、遥かに重みが違うのだ。まったく違う事を言えば、彼女は慧音の言葉を選ぶのは間違いない。
で、あるならば、と、あえて言わないという選択をしたが、これでも妹紅は「自分にも話せないような何かで思い悩んでいる」と解釈しており「隠し事をされている」等と言う結論には向かう様子すら無かった。
「ふむぅ……」
この唸りは妹紅のものだったか、自分のものだったか、まあ、些細な問題だろう。彼女は本当にお人好しらしい。
疑心暗鬼に落とし込むにも、慧音の人柄が誠実すぎる。共通の第三者でも用意出来たなら話は別だが、妹紅という人物の人間関係の狭さがそれを難しくしている。
今この場で急速に、と言うのは無理だ。という結論に至り、やや無念に思ったところで、気づいた。
「…………」
慧音の方の思考が、堂々巡りを繰り返し、しっかりと嵌っていた。
そういえば、完全に妹紅の方に顔を向けており、今の話は、慧音には、妹紅の話に思えた可能性は高い。
(数少ない理解者と言ってくれていた私にも言えないことなのか? 覚り妖怪が口にしかけたというのは、既に他の者とは話してあって、私には言えない内容なのか? やはり私のほかに『一番の理解者』が居るのか? ――いや、そうだ)
どうしたものかと思案している内に、慧音は結論を出したらしく、迷いの吹っ切れた表情で、がっしりと妹紅の肩を掴んだ。
「な、何? 慧音」
先の思い悩んでいた姿から一変し、まっすぐで真剣な表情を見せる慧音に、妹紅はたじろぎながらも笑みを浮かべる。
「私はどんな時でもお前の味方でありたいと考えているし、きっと正しい結論を出してくれると信じている。だから、どんな結論を出そうがそれを応援するつもりだ」
「あ、ああ、うん。ありがとう」
妹紅の表情が若干強張る。先ほどまでの流れで一時忘れていたようだが、相手が自分に恋慕の情を持っているかもしれない。という事に思い至ったようだ。
「だから、その、えーっとだな……私では不満か?」
私では相談事をするには不満か? と言いたいらしいが、重要な部分が抜け落ちている。まあ、わざわざ指摘しないが。
「いや、不満とかそういうんじゃなくて、正直今まで考えた事も無かったし」
括弧をつけて、恋愛的な意味で。と言う話だが、やはり指摘しないで静観しておく。
「か、考えた事も、無い。か、そ、そんなに、私は、頼りに、ならない、か?」
相談相手に考えた事も無かったといわれたと解釈し、涙を浮かべて声を詰まらせる慧音。
「いや! 頼りにはしてるよ! 私にとって、慧音は数少ない理解者だし!」
「数少ない、なんだな。やはり、他に居るのか?」
一応指摘すると、他にというのは他に一番のが居るのか? という問いだ。
「え? えーっと、さっきの話の屋台の女将さんとか、かな?」
「やはり、一緒にいる時間が少なかったのが悪いんだな。すまない。私が寂しさに気づかなかったばかりに」
「い、いや、こっちこそ気づかなくてごめんっていうか……」
主語が不明瞭なお陰で、ものの見事に会話がずれている。しかも当人達はそのズレに気づいていない。
自分が意図的にやって誤解を招いているのも面白いが、天然で会話がすれ違い続けているのはこれはこれで面白い。
そんな事を考えながら、話の行く末を見守る。
「そんなに女将さんと親密なら、私が口を挟む事は無いかもしれない」
「え? いや、別にそういう関係では無いんだけど」
「いやいや妹紅! 隠さなくてもいい! 先ほどそこの覚り妖怪とその人の話をしているお前は、本当に楽しそうだったぞ!」
一番の理解者で無かった事は悲しいが、その女将さんというのが一番であるなら、当然そちらに任せた方がいい。自分が妹紅の恋を応援して、友人として一番の理解者になろう。そんな考えからの言葉だったようだ。何と言うか先の思考から一周半くらいして結論を出してしまった様子だ。
「い、いや! 女将さんとはそんな関係じゃないよ!?」
恋慕の情を持たれていると解釈している点から、自分と女将との関係を思いっきり嫉妬されていると読み取った妹紅が焦る。
「安心しろ! そうだ! 今度二人でその屋台に行こう! 私もその女将さんを見ておきたいしな!」
「それは、えーっと、出来れば遠慮したいなーって」
額から汗を流しながら、修羅場を回避しようと考える妹紅。まあ、修羅場など起きないのだが。
「お前を任せられるかとかも考えたいんだが……。二人で行くのがダメなら、今度直接足を運んでみるか」
「わー! わー! わかった! 行く! 一緒に行くから!」
「お、そうか、じゃあ、今から行くか?」
「え? 今は――」
まだやってないと思う。という言葉を遮り、口を挟む。
「丁度営業を始めた辺りで、ほとんど人も居ない頃合。だそうです。込み入った話とかをするには丁度良いんじゃないですか?」
「ふむ。そうだな。客が多い時では先方にも迷惑がかかるだろう。なら、寺への案内が終わったらすぐに向かおうか」
「ああ、私なら大丈夫ですよ。混みあうまでそれほど時間も無いかもしれませんし、はやく向かわれた方が良いのでは?」
「む。そうか、すまないな。こちらから言い出した事なのに」
「いえ、元は勘違いですし、どうぞ遠慮なさらずに」
「いや、そんな遠慮しなくってもいいからさ、一緒に寺まで行こうよ」
「いえいえ、一人の方が気楽ですので、遠慮でも無いですよ」
縋るような眼差しの妹紅に微笑み返し、その助けを求める手を受け流す。
「今日は色々考える事が出来た。今度里に来るときは歓迎するぞ」
「お気になさらず」
「まあ、そう言うな。好意は受け取るものだ。ではな」
「ちょっと慧音!? 慧音!」
颯爽と飛び立つ慧音を追いかける妹紅。
その二人に小さく手を振って見送り、今回の結果を反芻する。
「少し失敗したわね。いっそあのまま二人をくっつけてしまった方が面白かったでしょうし」
この後はどうせ、屋台で普通に誤解があっさり氷解するのが、予知能力も高度な計算能力も無い自分にも、あっさりと予想出来る。
まあ、その方が問題も少ないだろうが、いささか詰まらない。というのが本音だ。
「ああ、寺に行くんだったわ」
地上には遊びに来た訳ではなかった。寺を見る前に強制送還などと言われては困る。
「いけないいけない」
自分のうっかりに小さく舌を出して、寺へ向かう足を速めた。
『こいつお金はあるんだけど詰まらないんだよねぇ。別れようかな』
「しょうがねぇなぁ。奥さんには贔屓にしてもらってるし、他所には内緒だよ」
『このババア毎度値切ってきてしつけぇんだよなぁ』
「爺さんはやっぱ話がうめぇよな」
『クソ爺が、何回おんなじ話すれば気が済むんだ』
「おたくが羨ましいぜ。うちの坊主は馬鹿でしかたねぇ」
『まあ、てめぇんとこのガキみてぇに貧弱で不細工じゃねえがよ』
やはり人間というものは相変わらずなようだ。
こいしが在籍しているという寺へ向かう道中、手土産の一つでも買っていくかと立ち寄った人里、そこいらから聞こえてくる喧騒と、その内心の格差に、飽き飽きとした気分になる。
この格差を全て暴露してみせれば、さして時間をかけずとも、この里は散り散りになっていくだろう。
まあ、そんな事は地底に篭る前に散々やってきたし、自分も地底に篭っている間に考え方も多少変わった。
人間とは、こういう矛盾を抱えているものだ。彼らはこうやって本心と外面の折り合いをつけ、日々の暮らしが円滑に進むように取り繕っている。
かつては自分も嫌悪したものだが、今となっては面白みすら感じているくらいだ。
純真であったこいしが目を閉ざしてしまった事を考えると、自分は少々汚れているのかもしれない。
そんな自嘲をしつつ、そこそこ盛況そうな菓子屋に足を踏み入れた。
「おや、お嬢ちゃん。お使いかい? それともおやつかい?」
「いえ、ちょっと土産を買いに」
「へぇ。えらいねぇ。何が必要なんだ?」
『賢そうだし、良いとこの子かねぇ』
人のよさそうな店主の悪意の無い感想を無意識に読み取り、内心で苦笑する。
まあ、このような感想を抱かれるのは日常茶飯時だし、取り立てて腹を立てるほどの事でもない。
「そうですね。無難に羊羹を、三棹ほど」
「あいよ。ちょっと待ってな」
シンプルな普通の羊羹を指差すと、店主はそれを手早く梱包し、その上に小さな袋を乗せた。
「これはオマケだ。贔屓にしてくれよな」
「ありがとうございます」
子供が好きそうな色とりどりの金平糖。まあ、勘違いとは言え、折角の好意だし、無碍にする事も無い。
勘定を済ませ、店を後にする。
「……ふぅ」
やはり、外の方が喧しい。主に、心の声が。
特に口にはとても出せぬような悪態などが、絶え間なく聞こえて来るのは、のんびり観察している時でなければ鬱陶しいものだ。
「私用の散策は後にしようかしら」
本屋なども見ておきたかったが、さっさと主目的を果たし、帰りの際にでも覗いた方が、色々と気楽だろう。まあ、立ち寄るのは手間ではあるが。
寺の方の評判は悪くないようだが、自分としてはおそらくあまり好かない場所であるだろうし。
そんな事を考えながら里のはずれまで足を進めた辺りで、背後から肩を捕まれた。
「そこの君、一人でどうした? 子供一人で里の外に行くのは危険だぞ」
片目を瞑り、嘆息する。どうやら背後の女性は、義務感や親切心といったもので声をかけたらしい。こういう手合いが一番面倒だ。
「少し、寺に用事がありまして」
「あの妖怪寺か? あそこは確かに信用出来るだろうが、道中何かに出遭うとも限らない。親御さんはどうした?」
振り向きもせずに答える自分の態度を気にした様子もなく、代わらず心配そうに質問を重ねてくる。
振り切ってしまおうかとも考えたが、この人物、女性にしては力が強く、そして、相手に不快感を与えぬよう意識している。おそらく子供慣れしているのだろう、そういう突飛な行動は子供の方が得意だし。
「親の記憶などありません」
「む、そうか。では、私が付き添ってやろう。道すがらにでも寺に行く理由等を教えてもらえないか?」
子供相手への対応としてはほぼ完璧だろう。親の事を知らない・言いたくないような相手に、そこにほぼ触れずに接する事で、嫌われる事なく、ゆっくりと信用を勝ち取る。孤児院か何かでも運営しているのだろうか?
まあ、それはともかくとして、正直面倒なのでさっさと離して欲しい。一人でのんびり向かう方が楽だし、第三者が居る場所で込み入った話なども難しい。
さっさと妖怪である事を明かしても良いが、折角本屋の目星をつけておいたのに、そうするともうここには来れなくなってしまうだろう。
逡巡していると、正面から見知らぬ白髪の女性が手を振りながらこちらに歩いてきた。
「おーい。慧音。おまたせ」
こちらに、というか、こちらの背後にいる女性の知人らしい。
「ん? 何してるの?」
「ああ、妹紅。この子が一人で里を出ようとしていてな」
「ほう。お嬢ちゃん。外はこわーい妖怪がいっぱいいるから危ないよ」
面倒な相手が増えた、人のフリをして逃げ出すには、体格差から言って厳しい。背後の人物、慧音と言ったか、そちらも油断なく自分の肩を掴んだままだし。
「それで、あの命蓮寺まで行きたいそうだから、連れて行ってやろうかと思ってな」
「ふぅん。相変わらずね。まあ、いいよ。どうせ暇だし」
「悪いな。買い物に付き合う予定だったのに」
「良いって良いって、どうせ時間はいっぱいあるし、後で甘味でも奢ってよ」
「それくらいならお安いご用さ」
自分の意見は完全に放置したまま、二人でとんとん拍子で話が決まっていく。両名とも善意な辺り、対応が難しい。
悪意や自己満足といった感情からなら、再起不能にするのもやぶさかではないが、善意によるものは、出来ればあまり害を与えたくは無い。
自分は今、地底から出てきている立場である故、悪戯に人間を脅かす訳にはいかない。それと、こいしがいつか眼を開いた時に、多少なりとも善意から気遣いを行える者が増えている方が良いだろう。
「よし、じゃあ、いくか」
考え込んでいる間に、いつの間にかだいぶ話が進んでいたらしい。気づけば妹紅と慧音に、両の手を捕まれていた。
なんだろうこの光景は、まるで自分が父母に連れられている子供ではないか。
そんな事を考えていると、不意に自分の名を呼ばれた。
「――さとり――」
「っ!?」
驚きに視線を向けると、妹紅はこちらを見て不思議そうに首を傾げた後、慧音としていたと思われる会話を再開した。
「何百年生きたって、悟りなんて開けなかったけどね」
「妹紅は仏門の修行をしていた訳でもないだろう?」
「まあ、そうだけどね、ずっと妖怪相手に切った張ったさ」
「もう少し自分を労わるようにしろ。いくら――」
「死なないといっても、よね。はいはい。分かってる」
どうやら、自分のことではなかったらしい。
しかしそれよりも、気になる言葉があった。
『何百年生きた』『死なない』
このワードは、人間の物ではない。では、妖怪なのか? 正直、両名からは人間の臭いしか嗅ぎ取れてなかったのだが……。
幸い、連れられている間に、人里からはそれなりに離れる事が出来た。他の人間達の心の声が届くような距離ではない。雑音なく、この両名の心を覗く事は可能だろう。
「まったく、決闘も良いが、毎度毎度ぼろぼろになっているのを見ては、こっちは生きた心地がしないよ」
「それはごめん。けど、それが生きがいみたいなもんだから」
話題の主である妹紅ではなく、慧音の心を覗いてみる。
当人より、小言を言っている相手の方が具体的に読み取れるだろう。という判断だ。
(へぇ。それは驚きね)
死なない人間、蓬莱人とか言うらしいが、そんなものが存在していたとは。
慧音は、死に慣れた妹紅が、自分の命を粗末に扱う事をとても悲しく思っているらしい、いくらでも蘇生出来ると言っても、痛みは痛みであり、それを繰り返すほど、妹紅が人間と蓬莱人との違いを強く認識してしまうのではないかと懸念している。
苦笑を浮かべつつ忠言を受け流す妹紅は妹紅で、痛みを感じる事で生きている。自分が存在していると意識の底の方で考えている節がある。おそらく慧音の忠告が聞き入れられる事はほぼ無いだろう。
「まあ、慧音が生きてる間はなるべく控えるよ」
「その言い方はずるいぞ。私が居なくても控えてくれ」
「長生きすればいいじゃない。千年くらい」
話題の主が移った。再び二人の心をじっくり読み取る。
妹紅の方は、それほど深く考えて喋ってないらしく、仔細までは読み取れなかった。だが、慧音の寿命はせいぜい数百年。といった事だけは読み取れた、どうやら、慧音の方もただの人間ではないらしい。
「……なら、必死に隠す必要は無かったかしら」
「ん? 何か話してくれる気になったのか?」
安堵混じりに漏れでた独り言を慧音は敏感に察知し、こちらを覗きこみながら笑顔を向けて来る。
「これまでのお二人の気遣い、痛み入ります。真に申し訳ないのですが、私は妖怪ですので、その親切は不要なのです」
言い終える頃には、妹紅は既に自分から飛び退き、身構えていた。
慧音も姿勢こそ変えていないが、いつでも反応できるように意識を尖らせている。
まあ、それもそうだろう。何せ、今までずっと抑えていた臭いを隠すのをやめたのだから。
「慧音。そいつから離れて、そいつ、多分ヤバイ」
微妙に断言しなかったのは、おそらく自分が敵意を放っていなかったから、まあ、そもそも敵意など無いのだが、妖怪相手に荒事をしていた身の妹紅は、この臭いの正体にすぐ気づいたらしい。
だが、慧音は警戒こそすれ、この臭いの正体には気づいていない。
「しかし妹紅。妖怪だからと言って、そこまで距離を取る必要は――」
「そいつが纏ってる臭い。人間の死臭と怨霊の臭いよ」
「っ!?」
妹紅の指摘に、慧音も思わず半歩下がり、身を硬くした。
こう囲まれて警戒されるのは久しぶりであり、微妙に嬉しくもある。地底から地上に出る際、こういう対応くらいはされて当然と思っていたのに、肩透かしをずっと食らっていたのだ。やはりこれくらいの緊張はあるべきだろう。
おっと、そんな事で満足している場合ではなかった。とりあえず、臭いの理由について説明しておかねばなるまい。
「大丈夫ですよ。別に人間や貴女方に害を加えるつもりはありません。それと――」
「信用出来ると思ってんの? そんな染み付いた臭いを発してるヤツの言葉で」
まあ、それはそうだろう。彼女らに心を読む事など出来ないのだから。
「最後まで聞いて下さい。この臭いの原因ですが、死体については、ペットの火車と、後、妹の趣味のインテリアが主な原因です」
自分が原因のものも無くは無いだろうが、どちらかというと自室に死体を飾る趣味は無い。何より蝿や蛆が沸くのが鬱陶しいし、本棚もダメになってしまう。妹と違い常駐する自分はどちらかというと実用性の方が大事だ。
「そりゃ素敵な妹さんだ。まったく安心できないけどね」
「でしょうね。それと、怨霊の臭いですが、私は地霊殿――旧地獄に住んでいますので、どちらかというとそれらを管理する方の立場なのですよ」
自分の言葉を耳に入れつつも、警戒を解かない妹紅。良く考えなくても、矛を収めて貰える様な説明ではなかった。
「地霊殿?」
慧音の方は事情通らしく、どうやら自分が何者かなのかを察してくれたらしい。
「知っているの? 慧音」
「確か、地底の代表的な立場にある館で、そこの当主は――」
「お詳しいのですね。正解です」
衣服の下に隠していたサードアイをするりと露わにする。慧音が緊張を高めて発した言葉に、妹紅の警戒は逆に緩んだ。まあ、慧音の高めた緊張も、荒事方面の警戒ではなかったが。
「代表みたいなのなら、そう無茶はしないかな」
「気をつけろ妹紅。こいつは、覚り妖怪だ」
「さとり? 仏様のアレ?」
まあ、良くある勘違いだ。日本語と言うものは難しい。
「違う。覚り妖怪は、人の心を読む妖怪だ」
「え? そうなの? 珍しいわね」
完全に毒気の抜けた様子の妹紅に、慧音は複雑そうな表情を浮かべ、こちらに視線を向ける。
「地底のトップが地上に何しに現れた? 地底と地上の取り決めを忘れた訳ではあるまい?」
別に地底を自分が完全に掌握している訳ではないのだが……。まあ、この様子では彼女はそれほど地位がある訳でも無さそうだし、指摘しなくても構わないだろうか。
「こちらの管理者には許可を得ています。先ほども答えましたけれど、寺に行くつもりです」
手土産用の羊羹を掲げ、慧音に見せながら、説明する。彼女は真偽について少し考え込んでいるようだ。
「今のところ私は事実しか言っていませんよ。たとえばそう、親についての記憶が無いですとか、妖怪ですしね。ん、寺へ行く理由ですか? ええ、出家などではありません。妹が在家信者に数えられているそうですので、様子を見ておきたく思いまして」
両名が思い浮かべた疑問とジョークを言い当てて見せると、慧音は困惑を浮かべ、妹紅は暢気に笑い出した。
「おお、すごいね。本当に読めるんだ」
「ええまあ、他の芸など考えられても、妖怪としてはそんな見世物みたいに手の内を晒したりはしませんよ」
「それは残念。いや慧音、これは中々珍しい拾い物じゃない?」
「妹紅。お前は……ああもう、好きにしてくれ」
死なない故の気楽さというものだろうか、愉快げに笑う妹紅に、慧音も毒気を抜かれてしまったらしく、脱力しながら嘆息した。
「折角だし、色々聞かせてよ。地底の話とか、心の話とか、寺に着くまで」
「本当にお前は……。どうして火中の栗を拾いにいくんだ」
「だって楽しそうだしさぁ」
慧音の言は的確だ。妹紅は、自分が死んでも無限に蘇生出来るが故、どれほど危険な栗であっても、致命傷となる事など無いと楽観している。
そして彼女は、長く生きた分、未知を知る機会を好んでいる。
何千年生きようと、眼が見えぬ者に空の色が分からぬように、他の者に、他者の心を正確に知る事は出来ない。彼女にとって、他人の心が見えるというのは、完全に未知なるものだ。
だから、地底の話も候補に挙げているが、読心に好奇心が偏っているのは、仕方の無い事なのだろう。
なのだろうが……。
「そんな話をするほどの事もありませんよ」
「まあまあ、あなたにとっては詰まらない事かもだけど、私にとっては興味深い話なのよ。だから、拒否しても聞かせてくれるまでついていくからね?」
面倒くさい。隣で渋面を浮かべている慧音も、自分とさして変わらぬ感想を浮かべているが、妹紅はその辺りを気にした風も無い。
あまりに長生きすると他人の眼を頓着しなくなってくるものなのだろうか? いや、自分について知られるのはむしろ苦手な様子だが。
「そもそも、私が口にした事が、真実とは限りませんよ。完全にデタラメを言うかもしれませんし、主観で思いっきり湾曲させるかもしれません」
「まあ、そういう事もあるかもとは考えて、完全に鵜呑みにはしないよ。それでも酒の肴くらいにはなると思うけどね」
禅問答めいた問いもあっさりと流される。長生きしているのは伊達では無いようだ。と、内心舌を巻いた。
害意が無いというのが分かるだけに、あまり粗雑には扱えないのだが、止むを得ない。軽いやけどくらいして貰おう。
「分かりました。では、そこの慧音さんの心でもお話しましょう」
「な、なんで私なんだ!?」
白羽の矢を立てられた慧音は極めて迷惑そうだ。まあ、彼女には申し訳ないが、きっかけを作ったのは自分と諦めて欲しい。
「具体例もなしに語れる程、心と言うのはシンプルではありませんから」
「おお、ちょっと気になるなぁ。お願いするよ」
「ああもう……」
げんなりする慧音とは対照的に、妹紅は瞳を輝かせている。このような眼差しを向けられると微妙に居心地が悪い。
「まず、心を読まれるのは嫌だな。というところですね」
「そりゃ普通はそうじゃない?」
「ええ、それと、ふむ。慧音さんはとても妹紅さんを気にかけていらっしゃるようですね」
極自然に視線を妹紅に移し、そちらの読心に注力する。慧音の心など、解説する程度なら、もはや読む必要など無い。
「まあ、いつも心配させてるしなぁ」
「妹紅さんは、慧音さんにとって、非常に大切な方と考えられているようで、情の深さとしては、普通の友人相手とは比較にならない程です。同じく大切に考えておられる里と天秤にかけた場合、おそらく妹紅さんを選ばれる事でしょう。生ある限りずっと見守って生きたいといった事も考えておられます」
「そ、その辺にしてくれないか? 流石に恥ずかしいし」
慧音の制止を聞き流し、赤裸々に、その心に仕舞ってある想いを晒していく。
「危なっかしくて見ていられないという辺りが動機かと思いますが、数多の歴史に触れられる慧音さんは、妹紅さんの歩んできた歴史の重さを、妹紅さん以上に理解しています。それだけに、その苦しみや悲しみを癒す事がしたい。と、折角美しい外見もあるのだから、暗い因縁に拘らずに、居て欲しい。と考えておられます」
「あ、あはは……そうなんだ」
直球で伝えられた内容に、妹紅の顔が熟れた果実のように赤く染まる。慧音と並べてさくらんぼ二つといったところか。
「さて、妹紅さんの心ですが」
「えっ、ちょっ、ちょっと待って」
「片方だけというのは、平等では無いですので」
慌てて止めに入る妹紅ににっこりと微笑み、反論を封じる。先ほど大公開された慧音としては、妹紅の思考も気になるのと、先んじて公開させられた分、ちょっとした報復めいた考えで、制止しようという強い意思は無かった。
「長く自暴自棄な生活をしていた事もあり、慧音さんが心配してくれるのは、いい加減に返しながらも本心ではかなり嬉しいようです。まあ、世捨て人めいた生活では、他者との交流というのはやはり得がたいものもありますしね。いつも感謝してるけど、素直になれなくて申し訳ない。といった心があるようです」
「そ、そうなのか……」
「うわっうわっ、ちょっ、ほんとやめて」
両者の反応に内心でほくそ笑みながら、言葉を重ねる。
「こう見えて、実はしっかり慧音さんに言われた事とかも実践しているようですよ。まあ、その成果を慧音さんに見せてないので、のれんに腕押しに思えるかもしれませんけど、例えば、輝夜さんという方との決闘で死ぬ回数を適当なところで切り上げたり、日々の食事も凝った物にしてみたり、ちょっとリボンの数を増やしたり、ちゃんと横になって寝るようにしたりしているようです」
「ほ、ほう。そうだったのか……」
「わー! わー!」
さくらんぼ二つは熟れきった。後は収穫するだけだ。
「しかし、ちょっと気になる事があるんですよねぇ」
「「え?」」
二人、声をそろえ、こちらに注視する。お互いの反応から、これまで話した内容がデタラメでないのは、両者とも分かっている。
確かに嘘は言っていない。多少感情面について大仰に語っている部分はあるかもしれないが。
「なんと言いますか、お二人のその親愛の情なんですが、どうも、微妙に色が違うんですよ」
「色って?」
素直に疑問を口にする妹紅。慧音も気になっているのは、読むまでも無い事だった。
「そうですね。感情にも様々な、色のようなものがあります。愛情なら温かい感じのものが、侮蔑なら冷たい感じのものが。まあ、比ゆですけどね」
「それで、私と妹紅にどのような差があると?」
「感覚的な物なので、説明はし辛いのですが、感情の種類が違うのです。お互いに向けられているのは、間違いなく好意であると断言します。けれど、その種類が違う。例えば、敵意にも、相手を疎むのと、憎むのでは違いがあります。好意でも同様です」
「ふむ……」
考え込む両名。ここまで言えば、この聡明な二人には、言外の意図を解釈してくれるだろう。
しかし、まだ至らないはずだ。ここで切ってしまうと、言外を正確に察してしまう可能性すらある。もう一つ、押して行こう。
「そういえば、妹紅さんは、慧音さんが里で寺子屋を営み、子供達と接している事に、ちょっとした嫉妬がありますね」
「えっ」
「それに、日頃から里に住み、住民とも良好な関係を築けている。それに対して、不安もお持ちな様子です」
「そ、それはその~……」
人望がある事への羨望は言うまでもなく、関係が壊れる事を永続的に経験してきた彼女なら、慧音を心配する意味で、不安を抱えるのは当然だろう。
「む、むむ……」
かかった。
慧音の心を読み、思考を誘導出来た事に満足しつつ、妹紅の誘導に移る。
「まあ、先も言いましたが、慧音さんにとって、妹紅さん。貴女はとても大切な方なのです。それこそ、今の地位や人望などよりも、とても一途なものですよ」
「えう。て、照れるなぁ」
先に伝えた分だけに、事実なのは相違ない。少し強めに脚色したが、おそらくこれである程度は見込めるはずだ。
「…………」
「…………」
ちらちらとお互いを窺いあう両名。
その心は、両者とも同じ、自分は友情だと考えている。だが、ひょっとして相手は自分に恋慕の情を抱いているのではないだろうか?
視線が重なるごとに、やはりそうなのだろうか? という考えが増えていく。
まあ、そんな事は無いのだが。
そもそも、心配する側と、心配かけて感謝している側で、感情の種類が変わるのなど、当たり前の事だ。
例えるなら、群青色と瑠璃色くらいの違いであり、本当に些細な違いだが、違いは違いだ。
まあ、これでお互いちょっとギクシャクして貰っても、さして罰は当たるまい。
その間にさよならしてしまえば――おや?
「えー、あー、うん」
「うーん。ああ」
二人の思考が、ちょっと予想外の方向に転がり始め、開きかけた口を閉じた。
二人が共に出した結論は、受容。
相手を受け入れるという考え。自分に同性愛の趣味は無かったが、相手が望むなら、それを受け入れようという思いやりから出た結論。
この二人の関係を、少々見くびっていたか。それとも、半ば共依存めいたものだったか。
(しかし、こんな事で相思相愛になられても、面白く無いわね)
自分は縁結びの神や恋の天使などではないし、彼女らがめでたく交際など始めて、そのきっかけと扱われるのもあまり嬉しくない。というか、多分その関係はあまり長続きしないだろう。
「ああ、それと――」
もっと面白いものが見たい。後、ここで結論を出させてはいけない。
「妹紅さんは良く立ち寄られるヤツメウナギの屋台の店主さんとも懇意なようですが、それは慧音さんには心配みたいですよ?」
「え? いや、それは――」
心配は心配だが、元来人を襲う種類の妖怪相手に親しくしてて大丈夫なのだろうか? という心配だ。という弁明を遮る。
「妹紅さんは、護衛の仕事が無い時は、頻繁にそこの店主、夜雀ですか? 彼女の歌を聴きながら一杯やっているようで、常連みたいですね。日中も暇なときなど手伝ってあげたり、と、ん? 慧音さんよりも一緒に居る時間長くないですかね」
「そ、そうなのか? 妹紅」
「え、あ、そういわれればそうかも……」
少し前なら、安堵こそすれ、特に不安の類を覚える事は無かっただろう。だが、一度受容するつもりになり、恋慕に近しい感情になった慧音にとって、この話は嬉しいだけのものではなくなった。
「明るくて気立てが良くて、小さくて可愛い。と、随分気に入っているようですね」
「まあ、見てて飽きないところはあるかなぁ」
「むぅ……」
妙なところ素直で若干刹那的な面がある妹紅は、深く考えずに同意してしまう。そして、その分、思慮深い慧音が深読みし、生まれたばかりの些細な嫉妬心に養分を与えていく。
両方に見合った餌、というのは難しい。
これを逆にしてしまうと、おそらく今の状況では、素直に妹紅は聞いてしまう可能性が高い。
だが、出来れば両方共にこの猜疑心を育ませておきたい。
「先日、輝夜さんとの決闘後、その方に介抱された。と、相手にも気に入られているようですね」
何か良い材料は無いだろうか……?
言葉を重ねながら、思慮を続ける。
「ああ、うん。妖怪だけど、良い子だよ」
既に思考を切り替え、屋台の店主、ミスティアとかいう娘の話題に花を咲かせる妹紅。その分、慧音の方ですくすくと育つ嫉妬の芽。
この辺が限界だろう。小さな芽だが、あまり早期に育てすぎると、開き直ってばっさり普通の関係に切り替えてしまう可能性が高いし。
「それと――」
ちらりと慧音に視線を送り、言葉を切って逡巡してみせる。
「少々過ぎましたかね。人間と会話するのは久しぶりなもので、申し訳ないです。失礼しました」
「え? いや、私が言い出した事だし、構わないよ。というか、そこで切られると気になるって」
「いえ、やはり、ある程度は秘密の類は必要です。不和の火種などは、私の立場的に問題がありますし」
妹紅に向き直り、再び慧音に視線を送って、会話を切り上げる。その所作に妹紅はいかにも消化不良と言った面持ちで思考をめぐらせ始めた。
不和の火種。と言っても、誠実な彼女に、大して問題事があるわけではない。
歴史改竄の際に散々人間の嫌な歴史を見ているのに、今も人間に好意的なのは、元人間というのを差し引いても、お人好しに過ぎるくらいだ。
強いて言えば、火種と言えるのは、その嫌な歴史そのものと言えるだろう。
ぶっちゃけてしまえば、誘導出来そうな物が無かったが故の策だった。完全に嘘となる事を言えば、信用という魔力は消えてしまう。妹紅にとって、自分の言葉と慧音の言葉では、遥かに重みが違うのだ。まったく違う事を言えば、彼女は慧音の言葉を選ぶのは間違いない。
で、あるならば、と、あえて言わないという選択をしたが、これでも妹紅は「自分にも話せないような何かで思い悩んでいる」と解釈しており「隠し事をされている」等と言う結論には向かう様子すら無かった。
「ふむぅ……」
この唸りは妹紅のものだったか、自分のものだったか、まあ、些細な問題だろう。彼女は本当にお人好しらしい。
疑心暗鬼に落とし込むにも、慧音の人柄が誠実すぎる。共通の第三者でも用意出来たなら話は別だが、妹紅という人物の人間関係の狭さがそれを難しくしている。
今この場で急速に、と言うのは無理だ。という結論に至り、やや無念に思ったところで、気づいた。
「…………」
慧音の方の思考が、堂々巡りを繰り返し、しっかりと嵌っていた。
そういえば、完全に妹紅の方に顔を向けており、今の話は、慧音には、妹紅の話に思えた可能性は高い。
(数少ない理解者と言ってくれていた私にも言えないことなのか? 覚り妖怪が口にしかけたというのは、既に他の者とは話してあって、私には言えない内容なのか? やはり私のほかに『一番の理解者』が居るのか? ――いや、そうだ)
どうしたものかと思案している内に、慧音は結論を出したらしく、迷いの吹っ切れた表情で、がっしりと妹紅の肩を掴んだ。
「な、何? 慧音」
先の思い悩んでいた姿から一変し、まっすぐで真剣な表情を見せる慧音に、妹紅はたじろぎながらも笑みを浮かべる。
「私はどんな時でもお前の味方でありたいと考えているし、きっと正しい結論を出してくれると信じている。だから、どんな結論を出そうがそれを応援するつもりだ」
「あ、ああ、うん。ありがとう」
妹紅の表情が若干強張る。先ほどまでの流れで一時忘れていたようだが、相手が自分に恋慕の情を持っているかもしれない。という事に思い至ったようだ。
「だから、その、えーっとだな……私では不満か?」
私では相談事をするには不満か? と言いたいらしいが、重要な部分が抜け落ちている。まあ、わざわざ指摘しないが。
「いや、不満とかそういうんじゃなくて、正直今まで考えた事も無かったし」
括弧をつけて、恋愛的な意味で。と言う話だが、やはり指摘しないで静観しておく。
「か、考えた事も、無い。か、そ、そんなに、私は、頼りに、ならない、か?」
相談相手に考えた事も無かったといわれたと解釈し、涙を浮かべて声を詰まらせる慧音。
「いや! 頼りにはしてるよ! 私にとって、慧音は数少ない理解者だし!」
「数少ない、なんだな。やはり、他に居るのか?」
一応指摘すると、他にというのは他に一番のが居るのか? という問いだ。
「え? えーっと、さっきの話の屋台の女将さんとか、かな?」
「やはり、一緒にいる時間が少なかったのが悪いんだな。すまない。私が寂しさに気づかなかったばかりに」
「い、いや、こっちこそ気づかなくてごめんっていうか……」
主語が不明瞭なお陰で、ものの見事に会話がずれている。しかも当人達はそのズレに気づいていない。
自分が意図的にやって誤解を招いているのも面白いが、天然で会話がすれ違い続けているのはこれはこれで面白い。
そんな事を考えながら、話の行く末を見守る。
「そんなに女将さんと親密なら、私が口を挟む事は無いかもしれない」
「え? いや、別にそういう関係では無いんだけど」
「いやいや妹紅! 隠さなくてもいい! 先ほどそこの覚り妖怪とその人の話をしているお前は、本当に楽しそうだったぞ!」
一番の理解者で無かった事は悲しいが、その女将さんというのが一番であるなら、当然そちらに任せた方がいい。自分が妹紅の恋を応援して、友人として一番の理解者になろう。そんな考えからの言葉だったようだ。何と言うか先の思考から一周半くらいして結論を出してしまった様子だ。
「い、いや! 女将さんとはそんな関係じゃないよ!?」
恋慕の情を持たれていると解釈している点から、自分と女将との関係を思いっきり嫉妬されていると読み取った妹紅が焦る。
「安心しろ! そうだ! 今度二人でその屋台に行こう! 私もその女将さんを見ておきたいしな!」
「それは、えーっと、出来れば遠慮したいなーって」
額から汗を流しながら、修羅場を回避しようと考える妹紅。まあ、修羅場など起きないのだが。
「お前を任せられるかとかも考えたいんだが……。二人で行くのがダメなら、今度直接足を運んでみるか」
「わー! わー! わかった! 行く! 一緒に行くから!」
「お、そうか、じゃあ、今から行くか?」
「え? 今は――」
まだやってないと思う。という言葉を遮り、口を挟む。
「丁度営業を始めた辺りで、ほとんど人も居ない頃合。だそうです。込み入った話とかをするには丁度良いんじゃないですか?」
「ふむ。そうだな。客が多い時では先方にも迷惑がかかるだろう。なら、寺への案内が終わったらすぐに向かおうか」
「ああ、私なら大丈夫ですよ。混みあうまでそれほど時間も無いかもしれませんし、はやく向かわれた方が良いのでは?」
「む。そうか、すまないな。こちらから言い出した事なのに」
「いえ、元は勘違いですし、どうぞ遠慮なさらずに」
「いや、そんな遠慮しなくってもいいからさ、一緒に寺まで行こうよ」
「いえいえ、一人の方が気楽ですので、遠慮でも無いですよ」
縋るような眼差しの妹紅に微笑み返し、その助けを求める手を受け流す。
「今日は色々考える事が出来た。今度里に来るときは歓迎するぞ」
「お気になさらず」
「まあ、そう言うな。好意は受け取るものだ。ではな」
「ちょっと慧音!? 慧音!」
颯爽と飛び立つ慧音を追いかける妹紅。
その二人に小さく手を振って見送り、今回の結果を反芻する。
「少し失敗したわね。いっそあのまま二人をくっつけてしまった方が面白かったでしょうし」
この後はどうせ、屋台で普通に誤解があっさり氷解するのが、予知能力も高度な計算能力も無い自分にも、あっさりと予想出来る。
まあ、その方が問題も少ないだろうが、いささか詰まらない。というのが本音だ。
「ああ、寺に行くんだったわ」
地上には遊びに来た訳ではなかった。寺を見る前に強制送還などと言われては困る。
「いけないいけない」
自分のうっかりに小さく舌を出して、寺へ向かう足を速めた。
丸くなった(物理的じゃなくて)さとりさんかわいい
悪戯心よりも慧音と妹紅の絆の方が強かったのかもしれませんね